歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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カテゴリ:独り言 > 歴史的教訓

実は今、検査キットを日本に個人輸入しようとしてる人達がいますが、民間で検査キットを販売するのは好ましくないのが日本の現状です。
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中国で新型肺炎の感染者が爆増していた時期・・・
日本の国内法と安倍総理⇔習主席の信頼関係等の諸々の大人の事情で日本は当初は中国からの旅客を拒絶出来なかったでしょ?
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・・・本当は国民も政府も無自覚感染者と自然治癒出来る年齢の感染者で溢れてるの皆知ってるんですよ。特に横浜市民は最近落ち着いてるけど1月末~2月頭は検査受けられない新型肺炎と似た症状の人が沢山いたしね。
だから検査しても大量の軽症患者を判別されて病院に来られても専用治療薬が未開発な現状、重傷者に優先的に使用すべきAIDSや喘息の転用出来る医薬品にも限りが有り医療破綻を起こすだけなんです。
でも今は故意に重傷者優先に病院の病床を確保して、イタリアや韓国みたいな医療崩壊を起こさないてのが政府の戦略なんです。
だから勝手に軽微な感染者が自分で検査して入院させろと騒ぐ事態が発生するのは好ましくない無いんですよ。
幸い日本人の衛生観念は諸外国より少しだけマシなので、今は小規模集団感染(クラスター感染)の発生を潰す事に集中する政策なんです。
感染者が激増し始めた時に大規模コンサート強行する連中はいた。
新型肺炎抑え込みに重要な時期だったからXーJAPANのYOSHIKIとIPS細胞研究所の京都大学山中教授が緊急の対談で警告までしたよね。
新型肺炎に話を戻すとさ、余り新型肺炎自体がどんな病気か理解してないまんま大騒ぎしてる人もいるし、ナメてかかってる奴も未だに多いよね?
そこで山中教授が動きました・・・
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コロナウィルスの正しい情報を我々一般人に解説するサイトを開設して下さいました。
コレ⤴️です、是非御覧下さい。

日本にはアメリカや中国みたいに経済的な体力も無ければ、都市単位で籠城し食料を自給自足する農業生産力もありません。
ですから日本国は新型肺炎ウィルス封じ込める為に都市封鎖も出来ません。
国民がクラスター感染起こさない為に自粛要請し軽症者は自宅隔離し、重傷者治療に重点を置き病院のキャパを維持し、その間に治療薬の開発と代替薬を試しまくってる訳です・・・
つまり、持久戦。
・・・薬の特許は幸い日本の製薬メーカーが持ってる喘息の薬等が効果的な事も判明してますし、治療は出来るが院内感染起こさない専門病院が足りない。
だから、その検査キットは日本に輸入させて欲しくないな~。
他都市から大人に成ってから移住して来た“俄(ニワカ)横浜人”ではなくて生まれも育ちも横浜でずっと“横浜市歌”を歌って宗教の様に(笑)横浜人としての気概をすり込まれて大人に成った生粋の“ハマっ子”は日本経済は日本人だけでは回せない世界中で協力して生産活動も商業も回ってるって良く解ってるのよ・・・
ペリー神奈川上陸
・・・最早、中国もアメリカも経済的に切り離せない“身内”みたいなものだって幕末~明治時代の開港~横浜・川崎の発展の起爆剤と成った横浜シルクや鉄工業や軍需産業~造船や自動車産業の重工業~プラント建設等の経済活動の歴史を通じて自覚してるんだね。
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だから中国や台湾や香港やシンガポールの中華圏と商売してる人も商工業等の業種問わず多いから中国に知り合い沢山いて、本気で武漢で新型肺炎感染者が爆増した時に中国の人達を身内同然に心配した人は多かったんたよね。
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ハマっ子と川崎市民と横須賀市民と恐らく神戸や函館の人はさ、日本の他都市の市民と違い、日本は世界の一部で同盟国アメリカも老友漢人も台湾人も香港人も、日本人と一緒に世界の一部で国を跨いで協力しないと今の苦境を共に乗り切る事は出来ない”と直ぐに悟ったのよね。
赤レンガ倉庫には明治時代から海外船便で到着した貨物を輸送していた蒸気機関車の線路が今も残されているの。
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世界の港に繋がる線路。
これを知ってるハマっ子は中国で起きた事は日本にも来るし、彼等と一緒に解決するしか経済や工業の為にも生きる道が無い事を皆悟ったのよ。
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だから今回の新型肺炎を日本に持ち込んだ武漢からの観光客がいても、会社の中国人を虐めるバカなハマっ子の話なんて聞かないのよね。
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経済と商業の守神であり三国志の英雄でもある関羽サンも横浜市民を守ってくれてるし・・・
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・・・台湾人の神様の媽祖様も横浜港を見守ってくれてるし。台湾が日本に併合されていた時代には媽祖様は日本神話の倭建(ヤマトタケル)命の御妃様だった弟橘媛(おとたちばなひめ)に習合されて台湾人に崇拝されていた歴史も有るのよ。 
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日本最初の聖公会系のキリスト教会の山手聖公会も中華街元町の隣の山手地区には存在するしね。聖公会系教会は香港にも多い。
世界は日本人だけで回してる訳でも、漢人だけで回してる訳でもアメリカ人だけで回してる訳でもないの。
日本を信頼して観光客来てくれて嬉しかったし。
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中国では関羽サンの他に岳飛サンて農民から将軍に成り、滅び行く南宋を守り、同僚に出世妬まれ殺された後に中国人から尊敬され神様に成った名将がいるの。
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横浜市の中心部、中区の武将達を与力に従え活躍した関東最強の武将、地黄八幡(じきはちまん)の異名で呼ばれた北条綱成公も神奈川県にはいたのよね。
もし歴史シミュレーションゲームで岳飛と北条綱成両方配下武将に出来たら強いよね(笑)?
だから単独の国単位で新型肺炎と戦うのはダメなの。

今回の敵は人類共通の敵の新型肺炎なの。だから日本人と中国人もアメリカ人も一緒に協力して一緒に戦わないと人間は完全に新型肺炎にも勝てないのよね。
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日本のビール産業の父であり麒麟麦酒の前身と成ったスプリング・ヴァレー・ブルワリーの創業者ウァリアム・コープランド先生と日本人の奥さん(旧姓:勝俣)ウメさん御夫妻も山手の丘の外人墓地から横浜市民を見守ってくれてるの。
国籍を問わず、あらゆる横浜市民を見守ってくれている。
コープランドさんはノルウェー🇳🇴で生まれたアメリカ人なの。
KIRINサンも今でもコープランドさん御夫妻を顕彰してる・・・⤵️
工業も建築も商業も“疫病封じ”も世界で協力して行わなければ成功出来ないし、お互いに批判してる余裕は無いの。
だから習主席とトランプ大統領も上手くやって欲しいなぁ~。
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こんな風にどっちかが怒って、どっちかが笑ってみたいに新型肺炎も流行にタイムラグ有ったけどさ・・・
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こっちのが日本人としても心強いよ。
習主席とトランプ大統領の喧嘩は、それぞれの国の事情の違いから生まれたモノでしょ?
それぞれの国が同じ様にすれば今回の新型肺炎に人類が勝てると言う訳でも無い。
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こ~で⤴️
こ~で⤵️
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こう⤵️
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・・・の方が世界は強く平和でいれる。
習主席とトランプ大統領、良く裏で相談して新型肺炎の出所問題は上手く落とし所を作って下さい。
何なら調整上手い安倍首相も入れて3人で話を合わせたら良い。

冒頭で言った通りね、全部WHOの例のアフリカ人のオッサンが非常事態宣言しなかったから悪いんだけどさ・・・
images (2)・・・コイツ⤴️が世界中で多くの人が新型肺炎ウィルスの犠牲に成った全ての元凶ね。
実際日本では中国からの旅客の検査や隔離等の非常時対応が法律上の問題で出来ず遅れたから“既に相当数無自覚感染者がいる”のは日本人は何となく周り見て解ってるの。
だから今大切なのは、新型肺炎重傷者を死なせない事なんだよね。
だから今は全数検査し軽微な感染者を特定する事は病院のベッドを埋め尽くす医療崩壊の素でしかないの。

だから中国から検査キットの大量輸入は止めて欲しいな~。
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だからコレ⤴️要らない!
いくら日本人の衛生観念が比較的優れていても、栄養状態良くても、健康な無自覚感染者みたいな人は多いからさ、イタリアみたいに軽微な感染者が入院して医療崩壊する事態は回避しないとね!

あと個人的に意見。
オリンピックは来年か再来年開催で宜しく~♪
そしたらチケットもそのまんた使えて払い戻し不要でしょ?
今回延期されても選手も次回参加辞退しなければ選手そのまんま出す方式で良いじゃん。

ではでは~
🇯🇵🇺🇸🇨🇳🇲🇴🇸🇬🇭🇰🇹🇼🇮🇳🇬🇧🇦🇺🇳🇿🇨🇦🇹🇷
我々日本人、アメリカ人、漢人、客家、台湾人、香港人、シンガポール人、英国人、インド人、オーストラリア人、ニュージーランド人、カナダ人、トルコ人、関わり強い国々皆で頑張って、又幸せに成りましょう~♪

検査キット個人輸入は要らないから。
政府か自治体に寄付して。
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アメリカは日本からの入国拒否を検討中、中国では入国拒否は無いが既に日本からの入国者に対する健康観察軟禁が開始されています。

以下、東京事変ファンにTwitterで指摘した内容のやりとり。
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YouTube“クラスター焼夷爆”の白リン弾の動画⤵️
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以下Twitterからの転載。
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日本也已经进入了跟中国一样的阶段了。
那么,我们也要开始抗战了。

我认为日本政府因该马上发动非常事态宣言,必须要让所有很大的活动取消预定。

可能日本国比中国会早一点成功开发治疗药,那个时候日本政府要让药品厂家跟世界所有企业先共有新药的商业特许权利与情报。
只有这么做会控制在日本以后会发生的情况,还会改善中国的情况。
无论是哪个国家要是一个国家也做利己的判断了在世界上会有更不好的情况。
一起吃苦的朋友是可以做真正的亲友。
看日本与中国两个国家的情况来说的话,我们已经可以说是好朋友了。

我在这个时候不因该说正好,可是我们周围的国家正好一起流行同样的感染病了。
大家一起共有所有正确的情况情报,才能有东亚的安定与日中台港的发展。

日本人在华人的背面,你们暂时需要帮助的方面有我们来守护。
你们华人是先当抗战的先锋。虽然这次的敌人是疫病。可是现在的情况就像曹魏时代。魏皇帝曹睿攻打公孙氏的时候日本女王神功太后(臺与)从东方渡海挟击了夷敌高句丽一样。

如果我们这里先成功防疫了,可以再开始支援中国。

互相加油。一起加油。一起作战。
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日出処天皇臣民致鼓励之言日至高処友邦人民、坚持精神,成功防疫,一起加油!
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我在上面写了的文章是改造了从古代大和朝廷相国聖德太子向隋朝炀帝写了的外交信书的内容。
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为了看起来好像日本国旗🇯🇵一样的朝阳祈愿华日友邦人们互相帮助成功防疫,我今天早晨来了千叶县胜浦向。
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胜浦的地名可以感觉到好像运气会变很好,会达成目标,会获得胜利的。
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从日本的海里出来的朝阳的阳光切开中国的云雾明亮地照亮大陆的土地。那个时候红红的太阳到最高的地方。太阳再落下大海里,天地又变成黑暗的时候从日本的大海里出来,然后有交给阳光最发挥效果的广阔的大陆中国。
我们这次要成功的防疫,互相帮助,分享苦恼,一起胜利吧。
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日本人的习惯。无论是不是昨天吵架的人或者没有血缘的人,发生天灾的时候看到了遇难者一定要求援。
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我们的日本国周围都是大海,如果发生大地震或者火山喷火了去哪里也都逃不了。所以一定要互相帮助。
这是我们的习惯。

比如说在日本战国时代,有一名叫武田信玄的名将。
武田信玄(諏訪原寛幸氏画)
因为他的领土是山梨县那里周围没有大海,所以他被周围的国家封锁经济的时候没有确保盐的手段了。

他的最大对手是上杉谦信。
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上杉谦信是统治现代的新泻县的名将,到了江户时代被武士们称为军神了的名将。
武田信玄被周围的国家经济封锁的时候上杉谦信他说了「如果对手在遇难弱化了的时候我方发兵攻打他的话,那就是匹夫的行为,我们从正面开战才是武士要有的正义。」他这么说了一句,就寄给武田家大量的盐。这是在日本有名的故事。其实上杉谦信用专卖盐的商人调查了武田家的情况而已。可是日本人就有差不多跟这个故事一样的观念。

还有这样的故事。
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战国时代织田信长的部下有叫前田利家的与叫丰臣秀吉(当时的名字叫木下藤吉郎)的人。他们是邻居。两家夫妻的关系非常好。
有一天前田利家受了主公织田信长的激怒,被信长开除了后他原来的朋友们都不理他了还有一些人因为对他的情况感兴趣所以去他家看看。这些两种人根本不会算是个好朋友。可是丰臣秀吉一个人一直没变,他不害怕被主公受连骂到,常常去前田利家的家一直鼓励。所以前田利家以后一直信赖丰田秀吉。
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最后他帮助了丰田秀吉统一日本天下的事业。
这个史话很有整合心理学的。

我们日本人的重视的观念就是差不多跟这两个俗话一样的。也成为我们的习惯了。
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虽然我们日本与中华打过战几次,互相侵略过几次。可是我们的历史之内大部分都是有好的。
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我们这次也可以一起克服灾难。
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我们再互相帮助一起克服困难的时候到了。
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在日本留学过的孙中山先生与周恩来总理给我们留下的友谊要发挥的时候到了。
李克强总理也在日本留学过的,而且安倍首相与李总理是年轻的时候就认识了的关系。
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我们超越国境一起打开困难局面,共有情报,互相支援,成功防疫,然后达成复兴吧!

希望我们两国合作胜利这次的疫病之战后,很多中国朋友们再来日本旅游!
我们两国做真正的朋友了的话真的是天下无敌的了。
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真好现在的日本首相的姓是安倍(ABE),唐朝混乱的时候在唐朝立功复兴朝廷的人也是日本人的阿倍(ABE)仲磨吕(NAKAMRO),他跟安倍总理的祖先是同一氏族的了。
阿倍仲磨吕是2017年的电影“妖猫传”里登场了的历史人物。
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御朱印に対する個人的認識。
あくまで個人的な想いの話し。KIMG0551
小生は普通の御朱印だけでなく、特別な御朱印を頂く場合があります。
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普通の御朱印も沢山拝受していますよ~無論。
御朱印て鎌倉江の島七福神の御朱印色紙みたいに可愛い~のも有りますよね?
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でも小生が神社仏閣で特別に頂いてる物は皆さんは絶対に持っていません。
神仏へのリスペクト、開基様や中興開基様へのリスペクト、歴代宮司様や御住職様へのリスペクトが無い収集家は頂けない物です。
なので小生の御朱印帳も自作で皆さん見るとデカさにギョッとします。
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もう自立するしね(笑)。
そもそも小生が神社仏閣に行く理由も観光だけでは無いので、御朱印だけが目的の人とは少し違います。

小生の場合は神社仏閣行く理由の大凡(おおよそ)が其所に御関わりに成られた歴史偉人を尊敬して、宮司様、和尚様、氏子さん、檀家さん、今を生きる偉人の御子孫や其所の関係者に記録に残らない逸話や伝承を教えて頂きに上がるのが目的です。
つまり調べ物や取材です。
本当に尊敬してる人達がどんな人として人生を歩みどんな失敗や個人的な細やかな幸せを感じ、どんな事をしていたか、少しでも近付きたいから御子孫に話を聞きに行きます。
神様や仏様の神社御寺を守った殿様達、奥方様達、若様達、姫様達に出来るなら会いたいのです。
だから宮司様や和尚様から文献に載らない偉人達の御人柄が解る御話を聞かせて頂いた時は、何だか殿様達に御会い出来た様な気持ちに成りとても幸せに感じたりします。
泣くときも有ります。
殿様達が人の為に自分を犠牲にして最期を迎えた話を聞くと、帰りの車の中で殿様の気持ちや、殿様が犠牲に成る事で逃げて生き延びた人達の気持ちを考えて涙が止まらなく成る事が有ります。
そんな事を繰り返す内に、車で運転中に予備知識無く無性に気に成る道や山にハンドルをきると、その先には自分の尊敬する偉人の関係者達の関わっていた神社仏閣や史跡に行き着く偶然が多くなりました。

小生が行く先々では頂く御朱印は他の人とは違う物です。
自室に殿様達が大切にされた神仏の御分霊を御迎えするつもりで御朱印を拝受します。その際に其所に関わった尊敬する殿様達の事も拝みたいので、和尚様や宮司様の御厚意と信頼関係で殿様の御名前や戒名と神号を併記して頂いています。
御朱印研究家のこまいぬサンのアドバイスもあり、公開はしませんが。
小生は御朱印受領の御礼も普通より高く殿様との御縁で五百円と再度参拝の御縁を頂く為の五百円で合わせて千円、個人的な思いから御朱印代金を奉納するのが習慣です。
300円てさ、御勤め忙しいのに御朱印一つに対する拘束時間と組織としての利益を考えたら神社や御寺には負担かかり過ぎる位に安価過ぎると個人的に思うんです。だから御布施の意味も込めて1000円。

小生個人に限って言えば小生にとって御朱印を拝受するのは御神像や御神器、御仏像に等しい思い入れと、交流が出来た宮司様達や和尚様達へのリスペクトでもある訳です。
それで1000円は安いと思う。
そんな意識が有るから偉人の名前を呼び捨てにする文字バカ学者と違い、存在すら知らない非公開の古文書や所蔵品を先方から話題として切り出して拝見させて頂く事が出来たりします。
全て殿様達が大切にした神様や仏様や殿様達御本人が結んで下さる御縁だと思っています。

だから御朱印を書いて下さる神職僧侶やその御身内に対して「遅い」とか「接客が悪い」等と悪態をつく輩(やから)や令和元年御朱印を最初から転売目的で受領する輩の感覚もソレを買う輩の感覚も、全く小生には馴染みません。

まぁ~“客”として“モブ”に成るか「よし君きたよ~!」と御寺や神社の御家族に迎えて頂くの、どっちが嬉しいでしょうか?
多分、そこから価値観が違うから逆に特別に非公開の古文書や秘仏や社宝を拝見させて頂いたり特別な毎日の礼拝用に御朱印を頂けるのだと思います。
皆さんはお客様、小生は良く神社や御寺に遊びに来る変な子(笑)この差は本気で神社や御寺の神仏や関わった先人を好きで親しみを持ってるかどうかの差。利害関係が皆無な近所の古老とチビっ子の関係みたいなモンなんです。
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今日は尊敬する北条家の殿様の御寺でタケノコを頂きました(笑)!
「デっカイけど柔らかくて美味しいよ!」
・・・って下さいましたが買ったら1500円位しちゃうよねコレ。
感謝。
昨日も間宮の殿様の御寺で和尚様の出張の土産の椎茸の煮たの頂いた。
・・・田舎の親戚の付き合いみたいで、とても嬉しいんです。こう言う人間関係が大好きで殿様や殿様の家族に会いに行くみたいに、その御子孫や御寺や神社の御家族との雑談も大好きなんです。
だから御朱印を転売する人の感覚が馴染まない。

でも、御朱印ブーム、これも文化の一端に成りやがて御朱印コレクターが神社仏閣の神仏や関わり守った歴史偉人にも目を向ける余裕が生まれてくれるなら、後々の世にも神社仏閣の社殿や伽藍と共に歴史偉人の伝記が文化の一端に残り日本文化の為には成るのかも知れません。

御朱印収集家の皆様が少しでも多く歴史と文化好きに成り先人へのリスペクトを感じて下さいます様に~。
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品濃白幡神社の解説で、鎌倉時代~明治時代まで横浜市南部の神社仏閣を守って来た権現堂と泉蔵院と言う修験道の道場と、そこを戦国時代から治めた北条家臣間宮家の子孫の松本家と関家に少し触れました。
その時の記事、クリックで読めます⤵
商業街の中に在る戸塚区品濃の白幡神社と白幡山公園
・・・実は凄い歴史偉人と関係有ります。


その権現堂と泉蔵院が何故、横浜市南部の神社仏閣を支配する事に成ったか解説したいと思います。

横浜市南部の神社の多くは鎌倉時代から修験道の2系統の家系によって管理されていたんです。
1つ目は亀谷福禅寺権現堂(かめがやつ ふくぜんじ ごんげんどう)
2つ目は大靈山山崎泉蔵坊(だいれいさん やまざ きせんぞうぼう)
この二つは何(いず)れも修験道の大道場で、とても由緒有る神社であり寺院としての道場機能も有していました。新編武蔵風土記稿を読むと解かりますが、旧鎌倉郡と久良岐郡域の内、江戸時代に本牧奉行間宮家本家と、分家で江戸幕府鷹匠頭の杦田(すぎた)間宮家が支配した地域では、権現堂と泉蔵坊が神社を分けて統治していた記録が有ります。そして、この両社は源頼朝公が支援した修験道道場でしたので、その支配は間宮家の統治によるものと言うよりは鎌倉時代からの統治機構の名残りだったのかも知れません。
更には、旧鎌倉郡江島神社を管理した岩本坊間宮家、旧高座郡に当たる海老名市の古代相模国一之宮今五之宮であり延喜式内社の有鹿神社が存在しますが、戦国時代に海老名の中心部は間宮家の所領でしたし間宮康俊と言う殿様の時代に一度途絶えた有鹿神社の水引神事が復興されています。そして、相模国二之宮の川勾神社宮司家や二宮尊徳を輩出した二宮家にも間宮家から養子が戦国時代に入っていたりします。
ついでに少し品濃白幡神社から話を逸れて、間宮家や旧北条家臣団が如何に神社や修験道に宗教的な影響力を持っていたかを知っていると色々と解る事も有るので説明して置きたいと思います。
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上の写真は旧杦田郷(すぎたごう)の現代の港南区と磯子区の境に跨る笹下城本丸跡地形。
この笹下城跡の本丸は三井不動産レジデンシャルによって右側の大空堀が掘削された後に盛土され一部破壊されましたが今も介護施設の裏山として存在しています。
安土桃山時代に豊臣秀吉の小田原北条家討伐戦で間宮家は、当時の笹下城主で間宮家当主の間宮康俊公が72歳の高齢で玉縄城主北条氏勝公与力の付家老として箱根山中(三島市側)の山中城に籠城します。
この時に間宮康俊公の寄親(上官)の北条氏勝公が敵前逃亡して玉縄衆兵3,000を率いて玉縄城に撤退してしまうのですが、間宮康俊公だけは山中城主松田康長を見捨てず山中城に籠城し続けました。
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写真はGoogle earthで見た山中城址の航空写真。
笹下城主間宮家臣団兵200、松田康長公の部隊兵100の合計300で籠城、豊臣秀吉本隊80,000の大軍勢を迎え撃ちます。
敵は本隊先方豊臣秀次隊・与力豊臣家小大名の中村一氏隊と家臣の渡辺勘兵衛隊・堀尾吉晴隊、山内一豊隊、一柳直末隊の合計26,000余。
右翼、池田輝政隊20,000。
左翼、徳川家康隊30,000。
援軍主将で間宮家の上官だった北条氏勝公が撤退していなくても戦力比は圧倒的不利でした。
北条氏勝公逃亡前 三千余 対 八万余の豊臣軍 
戦力比 1:26
つまり北条家は1人26殺しないと勝てない。だから北条氏勝公は家臣等に説得されてしまい小田原防衛網を放棄逃亡して自領に逃げてしまった訳ですね。
そして間宮家以外の玉縄衆が全部撤退してしまった後の山中城籠城勢 対 豊臣軍の戦力差は更に絶望的な物と成りました。
松田・間宮連合(山中城籠城勢) 300 対 26000 豊臣軍先方 豊臣秀次隊と与力小大名衆。
戦力比 1:86。
1人86殺、常識的には反抗するのも無理な次元での籠城戦、普通は誰も助けに来ない。

なんで品濃白幡神社の説明で戦国時代の間宮家の説明に成るんだろうな~?と歴史に興味が無い人はここまで読んで頓珍漢(とんちんかん)に話がズレてると思うでしょうが、実はここから品濃白幡神社のみならず神奈川県域の全神社にも繋がりが出てきます。
この超絶不利な状況で間宮家の籠城する山中城に僅(わず)かな援軍を出した勢力が一つだけいました。
・・・それが実は延喜式内社、大山阿夫利神社と別当寺の大山寺を守っていた神官僧兵達でした。
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写真は伊勢原市の大山国定公園遠景。大山の三角形の山体と頂上の石山権現と言われた奇岩が縄文時代からの信仰対象で、古来聖地として発展し、神道や修験道や真言宗の聖地として多くの僧兵を抱える一大勢力でした。
豊臣家による北条征伐の過程で発生した超絶不利な間宮家による山中城の防衛戦で間宮家を支援したのが決死隊として大山から参陣した神官僧侶を兼ねる修験者の僅かな部隊でした。
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写真は宗教、築城、鷹狩、有職故実に精通した間宮家が山中城防衛強化の為に三の丸の更に先に増築した岱崎出丸の先端、三日月掘りと言う構造体。
この岱崎出丸で先ず間宮家は修験者部隊と協力して豊臣軍26000の大軍を迎撃して鉄砲隊で散々に損害を与え、敵大名の一柳直末公を討取ってしまします。
更に間宮家・松田家・大山修験者僧兵達は一人残らず討死しますが、何と戦が終わった時には驚愕の籠城兵300で敵戦死者3000余、損害多数の戦果を残していました。
この事からも判りますが圧倒的に不利な合戦でも多くの神社仏閣を管理した大山阿夫利神社と大山寺の僧兵達から支援される程に宗教的な家格が高かったのが間宮家な訳です。
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写真は大山の参道に建つ宿坊の一つ、東学坊。大山名物の美味しい豆腐や猪の料理を食べられる旅館。
大山の修験者の多くは安土桃山時代に武器を捨てて僧兵を辞め、江戸時代に成ると先導師と呼ばれ聖地礼拝の観光客相手に宿坊と呼ばれる神社寺院機能を備えた旅館を経営し大山観光産業の一翼を担い現代に至ります。
江戸時代の神仏分離までは伊勢参り富士山参りに次いで大山詣でが江戸市民から人気の観光地でしたから今も関東の各都市には大山街道が残っています。
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間宮家所縁(ゆかり)の町ですと杉田商店街のメインストリートが近代に再整備された横浜~伊勢原線で大山街道の一つですね。
間宮家は、この山中城の戦いの活躍に加えて江戸時代に徳川家康公の旗本となり氷取沢間宮家初代と成った間宮康俊公の御実弟の間宮綱信公が北条家の外交官として織田信長公への外交使者を務めたり、徳川家康公にも外交使者を務めて名が知れていた事や、間宮家が武家にとっては貴重な材木と海運のノウハウに加えて宗教と宗教建築知識と鶴岡八幡宮再建事業での実績が有る事、そして極め付きが一般的な武将が保有しない武士の教養である鷹狩に必要不可欠な鷹育成の特殊技術を有していた事から分家の杦田間宮家の間宮信繁公が徳川家康公の参謀 兼 鷹匠頭として登用されました。
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写真は杦田間宮家菩提寺の妙法寺の山門。境内には今も杦田間宮家歴代殿様の巨大な御廟所が有る。
この杦田間宮家の間宮信繁公が、関ヶ原の戦いで徳川本隊3万の前進を進言して小早川秀秋公の東軍寝返りを実現させた名軍師でした。この小早川勢寝返りの工作を進めたのが間宮家と同族の宇多源氏黒田家の黒田長政公でした。
この間宮信繁公の姫が、初代久能山東照宮の大宮司の榊原照久公に嫁いでいる事からも宗教的な間宮家の家格の高さが解かりますね。
そして間宮本家の笹下間宮も名軍師を輩出します。

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写真は磯子区田中の妙蓮寺、間宮直元公と奥方の菩提寺。近年まで直元公の彫像を御神像とする御社が有ったが火災で焼失したが、奥方の墓所は現存する。
間宮直元公です。この人が徳川幕府による豊臣家攻め大坂城の戦いで真田幸村籠もる真田丸や大坂城総掘りの埋め立て作戦を直接徳川家康公に進言し、真田幸村の軍略を無力化させ豊臣家を滅亡させる留めを刺した名軍師でした。間宮直元公は間宮家の土木知識と水運技術を活かして二代目佐渡金山代官、初代但馬奉行、生野銀山代官、初代本牧奉行(神奈川奉行=横浜市長の前身)を務めた人物でもありました。
つまり間宮家は武家としても重要人物達と繋がりが有るだけでなく、中世の宗教者達とも希有(けう)な太いコネクションと信頼関係を築き、宗教建築や土木技術と教養も有した文武両道の学者気質武家の家柄だった訳ですが・・・
旧鎌倉郡に当たる品濃白幡神社や下永谷の神明社等を近年まで管理したのが関家で、この家も又、間宮家同様に‟旧北条家臣”の関一族でした。この関と言う家は北条家臣団でも最古参の部類で、北条(伊勢)家と同族の伊勢平氏です。間宮家は北条家臣中、相模十四騎筆頭と呼ばれた家でしたが、つまり関家も小田原北条家の重臣の一人でした。
品濃白幡神社を含めて横浜市域では権現堂家と関家が横浜市南部の神社の多くを近代まで支配下に置いて管理していました。
余談ですが江戸の宗教も旧北条家臣伊丹家が大きな影響を持っていて、浅草寺や深川の富岡八幡宮等はその伊丹家が関与した場所でした。伊丹家は戦国時代に北条家臣として金沢区釜利谷に所領を与えられていましたが、関西に残った同族の伊丹家の子孫からは仏師として有名な江戸時代の彫刻家の左甚五郎も排出しています。日光東照宮の社寺建築で大きな功績を残した名工ですね。この伊丹家は源頼朝公が開いた金沢八景駅前の瀬戸神社や、その御分霊を頂いて伊丹家が開いた手子神社を支援した家です。
その伊丹家や間宮家と同じ旧北条家臣で北条家と同族の伊勢平氏の関家で富岡八幡宮や品濃白幡神社や永谷神明神社に影響力を持っていて、間宮家が久良岐郡を江戸中期に離れてからは泉蔵院にも関わりが有りました。

因みに家紋を比較すると色々と面白い宮司家の秘密が解かったりしますよ・・・

北条家:三鱗紋と対蝶文
三つ鱗紋対い蝶紋

関家 :揚羽蝶
揚羽蝶紋

揚羽蝶の家紋から両者が伊勢平氏で同族である事も判る様に成っている訳です。
では間宮家と福禅寺権現堂家の家紋も比較しましょう・・・
間宮家:隅立四目結紋
隅立て四ツ目結び紋
権現堂:丸に隅立四目結紋
丸に隅立て四ツ目紋

現代人には「家紋なんて好きに使えば良いじゃん?」って意味も理解していない人も居ますが、家紋は勝手に変えちゃいけないし、祖先や親戚の本家や上司から親族や重臣として認められて与えられないと勝手に使っちゃいけない物なんです。
ちゃんと自分が何処の出身のどの家系か、いつの時代に分岐したり活躍したかを辿(たど)れる言うなればレポートの索引のページを表す記号みたいな役割が家紋には有るんですよ。
因みに〇で囲みの有る家紋は一般的に本家から独立する時に分家が与えられた家紋だったり、神社仏閣の寺紋や社紋なら支援した殿様に重視され大切にされた証として〇で囲んだ殿様の家の家紋の使用許可を頂く場合が多く有ります。
例えば・・・
三つ鱗紋
北条家の三鱗紋ですが、鎌倉時代の鎌倉幕府執権北条家や戦国時代の北条家や分家の玉縄北条家や神保家が支援した御寺や神社では下の家紋が使われます。
丸に三ツ鱗紋
丸に三鱗紋。
これを使う神社は鎌倉幕府執権の北条時頼公が支援した鎌倉の宇賀福神社(銭洗い弁才天)や、金沢北条実時公と戦国時代の北条家と江戸時代の間宮家が支援した南区の寶生寺、玉縄城主北条綱成公が支援した磯子区の龍珠院、金沢区の伝心寺等が有ります。
ね?家紋にも意味が有るんですよ、家系や神社仏閣の歴史を辿れる。

・・・少なくとも戦国時代から最近までずっとそうだった訳です。
では権現堂家と関家の解説をしたいと思います。
1つ目、福禅寺権現堂と森浅間神社
権現堂は、元は源氏の元の本拠地の鎌倉市亀ヶ谷に在った修験道の聖地を管理した権現堂住職の家系で港南区港南に機能移転して来ました。
福禅寺は元は神仏習合の修験道の門跡寺院で鎌倉時代に源氏将軍家が暗殺され、九条(藤原)将軍が政略で失脚させられ、その後に天皇家から将軍を迎える様に成った時代に将軍家同様に皇族を住職に迎えた由緒正しい修験道系の道場、神様と仏様の両方を祀り天下泰平の祈祷を行う天下有数の道場でした。
この福禅寺の“名代”である権現堂を受け継いだ家系は現在姓を松本と名乗りますが、間宮家の家系図では江戸時代に本牧奉行を務めた間宮家の本家の笹下間宮家から養子が入っています。
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磯子区森(屛風ヶ浦)の森浅間神社は元々、権現堂の聖地霊場として源頼朝公によって開かれた場所なので、現在も権現堂家が宮司職を引き継いでいます。福禅寺歴代住職は就任する際に必ず森浅間神社で就任儀式を行っていました。
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写真は東京都青梅市二俣尾の海禅寺(旧:福禅寺)。
室町時代中期に東京都青梅市二俣尾に扇谷上杉家と三田家によって福禅寺が再興されますが、これが扇谷上杉家が滅亡してから後の北条家統治下の間宮康俊公の時代に唐突に‟天皇家勅願所”に成った事からも間宮家の宗教的な影響力が理解出来ます。
この福禅寺から戦国時代に間宮康俊公によって和尚様を招いて再興されたのが、間宮康俊公の曾祖父の間宮信冬公によって開かれたと伝わる鶴見区下末吉の寶泉寺です。
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これらは全部、歴史を辿ると繋がりが有ります。
そして権現堂は福禅寺名代の格式を得ていた事が当時の手紙に記されており、鎌倉時代には福禅寺は皇族の長円親王が住職を務めていた門跡寺院に成っていた歴史から格の高さが解かります。
それ故に旧久良岐郡の全ての神社の内、泉蔵院の統治した神社以外全ての管理を行っていました。その存在意義が関係する神社仏閣の歴史や関わった歴史偉人からも良く理解出来ます。

2つ目、大靈山 泉蔵院 桐谷寺(現:磯子区中原の熊野神社)
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ここは明治政府の宗教改革の失敗の代表例である廃仏毀釈で修験道道場寺院機能を廃止されて規模が縮小されてしまって今では住宅街の中の小さな熊野神社ですが、元々は鎌倉市山崎に存在し源頼朝公が福禅寺権現堂同様に重視した修験道の道場の山崎泉蔵坊の聖地として開かれた熊野神社でした。
鎌倉時代末期の新田義貞による神社仏閣の焼き討ちや、室町時代にも上杉禅秀の乱や永享の乱で鎌倉では戦火が治まらず寺院の維持が困難に成り、今の磯子区中原の熊野神社に山崎泉蔵坊の機能を移転して本拠地として大道場化し寺号も大靈山泉蔵院桐谷寺と改め明治時代まで繁栄しました。
久良岐郡域と鎌倉郡域で権現堂が支配した神社以外、修験道系神社は全て、この泉蔵院が統治していた事を新編武蔵風土記稿の中で間宮家の子孫で東京大学前身の昌平坂学問所頭取を務めた間宮士信公が書き残しています。
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この熊野神社や富岡八幡宮に強い影響力を持っていたのが関家でした。
この関家の一族は旧北条家臣団として間宮家同様に武蔵国域~相模国域まで広く分布していましたが、現代では宮司家としての関家は家系が途絶えてしまいました。
しかし例えば都筑区には関一族の末裔の旧家が文化財として残っていたりします。
sekikezenkei1 横浜市教育委員会より拝借
※画像は横浜市より拝借。
北条家臣団の城持ち級の武士の1560年前後の所得を記した北条家の所領役帳を江戸時代に写した小田原北条所領役帳と言う文献にも、関家も間宮家も一族の武将が領地名と一緒に登場します。
間宮家は別の解説記事で以前、所得を書いているので今回は関さんの領地がどんな感じに分布していたか現在の地名と照らし合わせて見てみましょう。

関新次郎
泉水寺領(地所不明)※小田原市、足柄下郡、南足柄市、足柄上郡の何処か
四宮長沼共ニ(平塚市四宮周辺)
富岡之内(横浜市金沢区富岡) 本郷買得ニ替而被下

関兵部丞
羽鳥辻堂(藤沢市羽鳥~辻堂の一部)
鶴間(相模原市~大和市の林間と鶴間の地名の付く地域周辺)
飯嶋(平塚市飯島)
北大繩(平塚市岡崎辺り)
一宮(地所不明)※多摩市一宮or寒川町
宿立(川越市山田)
岡郷(横浜市磯子区滝頭~岡村町一帯)

関弥次郎
新土今里(平塚市真土)
台之村(鎌倉市台)

関さんの土地は、まぁ~こんな風に埼玉県~東京都~神奈川県域に散らばって存在していた訳です。
安土桃山時代の記録は残っていませんが、北条家の所領も関東全域に広がって行ったので関東全域にも関さんの土地が有ったかも知れません。
そして、その土地に根差し分家に成って行った人達が多く江戸時代に庄屋サンとなり神社や御寺を守り、明治に成ると神社の宮司や地主として昭和の最初の頃まで土地土地の歴史を守って来た訳ですね。
そして関さんの一族は北条家滅亡後に御先祖様の出身地である伊勢神宮の在る伊勢国に移住した一族もいるので、北条家臣団の中でも元々、間宮家と同じく宗教的な知識を深く保有する家系だったのかも知れません。
領地がある場所も神奈川県域では延喜式内社の所在地や比較的有名な神社の在る場所ばかりですしね。
前鳥神社とか富岡八幡宮とか岡村天満宮とか。

まぁ~、関家が磯子区の泉蔵院や杉田周辺にどの段階で関与したかは不明ですが、近代には横浜市域の海苔の養殖等を振興し活躍された関寅吉さんの様な人物も排出したり、殿様じゃなくたってからも宗教文化でも地域振興でも活躍した家系だった様です。
間宮家も江戸時代に間宮林蔵や杉田玄白や間宮士信等の学者を輩出して、宗教では江ノ島の岩本間宮家が真言密教系修験道として明治まで寺院機能を保持して江島神社を管理していました。
そんな関家や間宮家と、泉蔵院と権現堂が横浜市南部の多くの神社を守って来たんですよ~と言う解説でした。

間宮家につてはタグ検索‟間宮”で色々と記事が有りますので御興味有る方は、下をクリックして関係記事を読んで見て下さい。
これクリックで間宮家の関係記事リンク→●間宮家

今回の記事は御寺や神社の‟歴史”に興味が無い人には本当に興味が湧かないかな?
でも実は横浜市南部の神社や御寺には源頼朝公以来の統治機構や、戦国時代からの家系がそのまま残っていた場所も多く有るんですよ~てのが皆さんには伝わったかな?

次は北条家臣で官僚だった横浜市北部の殿様の中田加賀守の関係先の御寺の紹介をしたいと思います。
では!又、次のブログ記事で御会いしましょう~♪
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昨日は01月13日でした。
陰暦:建久十年一月十三日
陽暦:1199年02月09日
源頼朝公
820年前の昨日、源頼朝公が“落馬”して亡くなったと歴史に興味無い人は学校が教える事実確認してない適当な情報を擦り込まれる。

実は記録上は体調不良から死んでおり即死ではない。
頼朝公妻である北条政子様の妹、稲毛重成の妻が亡くなり供養も兼ねて相模川に橋がかけられ、その橋の開通式で落馬した。
昔の人は善行を行い死者を弔う事が有った。
つまり、開通式直前に稲毛重成の妻の、つまり義理の妹の供養の宴会に参加していた事が判る。そして体調不良に成る。
稲毛重成は後に源頼朝公の忠臣だった畠山重忠公に無実の罪を着せる讒言(ざんげん=他人を嵌めるデマ)を義理の父の北条時政等に言い、それにより畠山重忠公は殺害される。
更に稲毛重成自身がデマで畠山重忠を殺させたとして稲毛一族は北条家と当時はグルだった三浦家や伊豆の宇佐美に殺害される。
この時に稲毛一族を殺害して回った全員が工藤祐経公と伊東祐親公の遺産相続から発生した派閥抗争からみの人物だった。
曽我兄弟の敵討ち事件が北条時政による頼朝公暗殺未遂だと思われる一因でもある。
まぁ、この曽我兄弟事件の時は頼朝公の警護をした横浜市磯子区、歌手“ゆず”の岡村町一帯の殿様だった平子有長公の活躍で暗殺は阻止された。
そこ等辺は以前、平子有長公が開いた岡村天満宮の紹介記事でも触れている。
記事リンク⤵️
頼朝公の死亡の様子は小生は医療の専門化でも無く専門知識も無いが“落馬”する程の宴会からの急な体調不良は毒殺未遂だろう。
そこから急死してるので落馬に見せかけた脳挫傷や何かなら体調不良後→撲殺だろう。
“落馬”とされた相模川の橋の上の事件当時の随兵(親衛隊)が頼朝公を守れなかったと北条時政等幹部から言いがかりで、その場で全員粛清されてる。
これは随兵は戦闘に巻き込まれ殺害されていると考えた方が自然だろう。
状況的に法要の席で食事に混ぜたヒ素での暗殺が失敗し翌日式典で前後から視界を隠せる橋の上で随兵もろとも撲殺暗殺されたんだろう。 
実は頼朝公の没後に跡を継いだ御子息の源頼家公も同じ様に不可解な体調で危篤(きとく=意識不明)に成った事が有る。
そして頼家公は奇跡的に回復してから己が母方の北条家に暗殺されかけたと断定し「北条家討伐の密命」を和田義盛公等に出しているが、和田義盛公は三浦一族、そもそも、この時点で北条家のグルとまではいかなくても身内の三浦や縁の有る北条家を討つのに躊躇(ちゅうちょ)したのだろう。
和田義盛公の築城した城の造りは平安末期~鎌倉時代初期とは思えぬ、戦国時代の縄張りに酷似しており、所領は少なくとも街道に通行税を取り立てる関所を設けたり室町時代の武将の様に貨幣経済の概念を持っていたり理知的な人だった。だから和田義盛公は頼家公の密命の真相を“公平に確認しようとし”て北条家に密書を見せてしまう。
結果的に頼家公は北条家に薬殺ではなく、今度は入浴中に首を絞められ中々死なないので局部を切り落とされた挙げ句に惨殺される。
この直前、源頼朝公や頼家公が頼りにしていた比企能員公や梶原景時公も畠山重忠公同様に謀殺されている。
完全に計画的な将軍家潰しだろう。
欲にまみれた老害の北条時政とその子等が工藤兄弟や伊東祐親公の遺恨を利用した頼朝公暗殺による幕府横領を三浦一族と共謀したと考えた方が自然だろう。
そして、その陰謀の一つ畠山重忠公謀殺の実行犯が稲毛重成で稲毛重成の亡妻の父が北条時政に当たる。普通に考えて頼朝公は稲毛重成や北条時政に毒を盛られ暗殺未遂が起き、相模川の橋の上で護衛の武士もろとも殺害されたと考えた方が自然な訳だ。
そして全てを知る稲毛重成も謀殺された訳だ。

まぁしかし、北条家が天下を掌握しなければ北条時宗公は生まれなかったので、元寇から日本を守ったのは北条家とも言えるし、その政権の形を作り武士文化を生み出した源頼朝公はやはり偉大な人物だし、源頼朝公を初期に助けた最大の功労者の三浦義明公や三浦義澄公がいたから鎌倉幕府は成立した。
誤解される人も多いが実は源頼朝公は非常に恩情深い。敵対しても必ず事情を聞くし、相手側にやむを得ない事情が有り自分に矢を向けた武将も許し信頼し重用しているし、助命する事も多々有った。
畠山重忠公、伊東祐親公、大庭家なんかはその典型だ。
しかも頼朝公は口説いた女性は皆必ず大切にした。
決して冷淡な人ではなく理知的で人情にも厚い人だった。
逆に善玉と誤解する人の多い源義経は部下の手柄を自分手柄の様に報告するパワハラ、当時の武士は正義と礼儀が重要なのに戦いで打ち負かした敵の平家側の非戦闘員の女性をレイプした事がレイプされた女性の記録に残ってたり、口説いた愛人は何十人もいたり、その何十人の愛人を京都から逃げる時に同行させたのに脱落者を助けず見捨てたり。
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写真は金沢区の太寧寺。
別の弟の源範頼公は秦の翦将軍並みに優秀な大将だった上に、北関東の武士団に強く支持されていたので北条家や三浦家の南関東派閥から警戒され蟄居させられた上に、横浜市金沢区の太寧寺で自害に追い込まれた。
大寧寺の記事でその事は紹介しているので、興味の有る人は記事の下の“タグ「太寧寺」「源範頼」”をクリックすると太寧寺の記事を読めます。

色々、思惑が有り人の評価はねじ曲げられる。

一人一人の不幸なボタンの掛け違いが頼朝公暗殺や頼家公暗殺に繋がってしまったんだ。
ボタンの掛け違いは必ず最初からかけ直さないと大事故大事件に繋がる典型が源頼朝公の回りで起きた事件。

820年前の昨日はそんな日でした。
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瀬戸神社の記事を書く前に・・・
突然だが小生は火鍋も好きだし中華街も良くご飯食べに行くし関帝廟も媽祖廟も御参りするし中国の古代史と中華料理は大好きだ。
そして、日本文化が好きでちゃんとビザを取得して日本に留学に来て苦学している台湾や中国の子等も応援したいと思う。
ニートで働かない日本人より❝親日で日本文化大好きな働き者の外国人❞に❝飛鳥~奈良時代の大和朝廷で活躍した外国人❞の様に働いて一緒に日本の御祭りを楽しんで貰ったりして、ゆくゆくは日本人に成って貰った方がよっぽど国益に適うとも思っている。
無論、日本文化に興味が無くいつまでたっても日本に馴染まず拝金主義の外国人が金を稼ぎ来て日本を切り売りする為に来るなら「どうぞお帰り下さい」と強硬に言う訳だが。
習近平サンが中国の❝領導(ボス)❞に成ってから中国政府による日本国と在中国日本企業に対する嫌がらせが頻発しているのが心底ムカつくんだな。
漢詩や中国文化が好きな上に季布や関羽や呂蒙や顧雍や丁奉や徐盛、岳飛や鄭成功や孫文先生や周恩来先生を尊敬している小生としては苦々しく怒りを感じるので嫌味を書いておきたくて日本神話と三国志の関連の話をして反日派の中国人に彼等の浅学振りをチクリと言っておきたいと思う。

突然だけど小生は卑弥呼の名は発音の漢字音読み表記で意図的に漢帝国~魏の皇帝に憚(はばか)り下賎な字を当てられて中国史書には記録されているのだろうと思っている。
そして卑弥呼は一人の名ではなく古代大和朝廷の元となる日本の一地方の原始国家時代から引き継がれた祭祀を司る巫女(みこ)であり女性の皇子(みこ)、つまり斎王の原形である原始信仰の女性法王的な役職名か現人神(あらひとがみ)としての❝生前の神号❞がヒミコだろうと推測している。
卑弥呼は多分、日本語で日巫女か日御子と言う当字するべき意味の発音なんだろう。
そして縄文時代~弥生時代に移る頃から大凡(おおよそ)それに当たる役割が女系か男系かは置いておいても古代神道の原形の原始自然信仰で選出された未婚の女児が役割を担って来たのだろう。

日本に文字普及する以前の記録に残らない数百年間の斎王がヒミコ=日御子/日巫女/日皇子(女性)で最後のヒミコに習合された人物だったのかも知れない。
或(ある)いは大王(おおきみ)つまり天皇の御先祖の息女だったかも知れないし邪馬台国連合国の盟邦の1ヵ国の中の王女から選出されたのかも知れない。
一人では無く、数世代いたはずだ。
同様に倭建(やまとたける)も古代の大将軍の役職名で数人が一柱に習合されていると思う。で、ヤマトタケルの日本武尊(やまとたけるのみこと)の方は仏教文化の影響で後に当て字された書き方だろう。

そして、その国家宗教の信仰上の役職としての❝ヒミコ❞の役割は恐らく太陽信仰の象徴で天照大神の化身としての現人神(あらひとがみ)だろう。
つまり、そんな歴史が有ったなら天照大神は紛れもなく肉体を持ち天皇家の祖先神を産む事が出来た女性の現人神か天照大神の依代(よりしろ)たる大いなる巫女だったはずだ。ただし、卑弥呼は未婚の巫女や斎王だったろう。
天照大神信仰の形式で日本で普及した太陽神信仰が始まったのは恐らく稲作文化が大陸から輸入され始めた縄文時代~弥生時代の転換点の頃の筈で考古学的な昨今の発見による稲作開始時期と大凡合致する。
稲作が普及して米が生産された事で“腐らない大量の食物”として備蓄確保出来る様に成り、更にその米は“大量輸送”可能で“軍事食料=兵糧”として“軍隊を遠征可能にさせ”原始国家を誕生させたのだと思う。
それ故(ゆえ)に稲作に大切な日照や旱魃(かんばつ)に関係する太陽信仰が、神々の父母たる縄文時代からの神様の伊邪那岐(いざなぎ)命や伊邪那美(いざなみ)命よりも重視される様に成って行ったんだろう。
ヒミコの跡継ぎのトヨが歴代の巫女の親玉と同じくヒミコを名乗れなかったのは恐らく信仰上の巫女資格の無い既婚者だったからだろう。

それ等を踏まえて“最後の卑弥呼”や跡継ぎの臺与(とよ)が正体の一端であろう神格化された神様の日本神話と台湾と中国の友好の歴史を絡め、反日中国大陸人の話をしたいと思う。

西暦238年6月夏
西暦239年
西暦248年9月5日

これらは何の日でしょう?

238年…
卑弥呼が三国時代の魏帝国に使者を派遣した年。

239年…
卑弥呼が魏皇帝曹叡から中華に従属する国王で最高職の親魏倭王の称号と金印紫綬を託された年。

248年…
日本の女王卑弥呼が死んだ日が9月5日。
この日は日蝕が観測されているので判明している。
天照大神の天岩戸の神話に酷似している。

251年…
日本の女王卑弥呼を支援した魏の丞相司馬懿が死んだ年。

これらの記載がある三国志正史の魏志にある記述や歴史背景に合致し、女王卑弥呼に批定される皇族が日本書紀にいる。
すなわち伊勢神宮を開いた倭姫か妊娠中に朝鮮半島征伐に渡海し成果を挙げた神功皇后の何れかだ。
またそれとは別に卑弥呼は天照大神のモデルと主張をする学者もいる。
仮に天照大神の化身が卑弥呼なら、チベットのダライ・ラマみたいに数世代血縁無く継承された宗教指導者と考えると納得行く。

238年6月、魏帝国に卑弥呼が従属同盟の使者に難升米(ナシメ)を送り魏皇帝曹叡つまり曹操の嫡孫から支持され支援を受ける。
最高従属同盟者の証である「親魏倭王」の称号と「金印紫綬」に加えて銅鏡100枚と5尺の宝剣を2振りを贈った。
この宝剣が草薙剣と天叢雲剣の正体かも知れない。この草薙剣と天叢雲剣が同一と思い込む人もいるが違う、歴史的に倭姫が倭建に貸与した草薙剣は熱田神宮に祀られて以後は朝鮮の新羅人盗賊に盗み出された一度を除いて動かされた事は無く、三種神器の天叢雲剣は皇居に安置されている。つまり別の剣な訳だ。
曹操は青紅の剣、倚天の剣の様に2振りの宝剣をセットで所持したので、同様に王と代行者の大将軍用の2振りを持つのが魏の文化だったりしたかも知れない。
余談だが神社の幣殿に備えて有る鉾と楯と旗、あれは古代史好きなら直ぐに解るが漢代の中国の軍装だな。神社の文化も御神鑑を祀るのは、古代に神格化された豪族に卑弥呼が配布した魏から供与された100枚の鏡が太陽信仰の象徴として祭器に成ったのかも知れない。
そもそも縄文時代以来の古代の日本の信仰は、病気に成らない清涼な飲料水を確保出来る湧水池や山岳の奇岩や河川の合流地点や半島の突端と入江の付け根の漁に出る船を係留できる地形で美しく神秘的な古代人の生活にとっても大切な❝場所❞が神格化されて石座(いわくら)や水神として祀られる様に成って行ったのが考古学的に解る。
だから神社の社殿にある文化は弥生時代~古墳時代の変革期に中国大陸の影響を受けた文化を垣間(かいま)見る事が出来る訳だ。

金印紫綬、卑弥呼に送られた金印は通常、皇族出身の王や高位の太守にしか与えられない物なので前代未聞の事だろう。

難升米(ナシメ)と言う人物の出身を少し推測する。
前漢の時代に漢帝国に朝貢し漢委奴国王(漢のイト国王/漢の委任する奴国王)の金印を得た人物で倭王帥升と言う人物の記録が中国の歴史書「史記」に書かれている。
恐らく古代邪馬台国の王の先祖か王族の1人だったのだろう。
伊都(いと)国と呼ばれた地方は昔の筑前国那珂郡辺りで現代の福岡県福岡市那珂川流域と博多近海の糸島(いとしま)等の小島を含めた辺り一帯であった。
その一帯は大和朝廷初期には、儺津(なのつ)と言う港の有る儺縣(ナンのアガタ)と言われた行政区域だった。奴国(なこく)はもしかしたら発音的には儺津に関係するかも知れない。
そして儺縣(ナンのアガタ)に居所を定めて住んでいたので難升米(ナシメ)は名字を「難=儺」と称したのだろうと思う。
これを考えると難升米は倭王の血を引く伊都国王か奴国王の帥升の子孫だったから先祖の名の升の字を代々継承し「升米」と称したのではないだろうか?名の米の字はもしかしたら稲作を普及させた人物なのかも知れない。帥升の帥は元帥の帥なので、王とか国を束ねる者とか言う役職を指したのかも知れない。

難升米(ナシメ)は、そんな重要な血筋で先祖が中華との外交を行った人物だったからこそ、邪馬台国女王代理として三国時代古代中華の魏帝国への同盟の使者の大役を担ったのかも知れない、まぁ状況証拠だけで何も確証は無い。
彼は魏帝国皇帝から率善中郎将の官位を得ているが、これは漢帝国や魏帝国に於いてもかなり高位の武官職であある。
率善中郎将は後漢の時代には設置された役職で、後漢に柵封された従属同盟国の王の直轄将校であり時として将軍の任務を代行し派遣される様な重役だった。
邪馬台国の使者の難升米(ナシメ)は更に魏皇帝曹叡から気に入られ黄幢(魏帝国の御旗)と詔書を直接下賜されているので、余程の才知か武勇に富んだ武将だったのだろう。
また当事の魏帝国は邪馬台国と連合して、反逆した朝鮮半島を共同で攻撃する必要もあり、太陽信仰の巫女の親玉で女王とされた卑弥呼と武将難升米を重用したのだろう。

この時期、三国志の英雄で魏の2代皇帝曹叡と配下で丞相の司馬懿の魏帝国は、遼東半島や北朝鮮一帯で叛乱した燕王公孫淵と公孫淵と同盟し魏の領土に侵攻した鮮卑(蛮族の意)と対立していた。
帯方郡の長官である太守劉夏が鮮卑に殺害される大事件が発生。
現在の中国の遼東半島には漢帝国時代から魏帝国当時は楽浪郡が置かれ、その更に南に帯方郡が置かれていた…
今のソウル辺りだ。
ソウルは、つい十数年前まで漢字で漢城と書いた。
古代には中国人が沢山いたからだそうだ。
今では歴史捏造大好きでプライド高い韓国人によって、「中国の従属国だったなんか認めたくないと言う屁理屈」から「首迩(ショウアル)」なんて訳の解らない当て字を用いて改名されている。

ところで楽浪郡と帯方郡の叛乱は中華の魏帝国にとっては一大事だった。
まだ南の呉帝国と西の漢帝国と争っていたので、東の蛮族である鮮卑に大きな兵力を割く余裕は無かったのだ。
その状況を知ってか知らずか卑弥呼は魏に従属同盟の使者を送った訳だ。
恐らく同時期に邪馬台国朝鮮半島領の混乱を鎮圧する為に朝鮮の鮮卑を魏に挟撃して欲しい旨を踏まえて、更にはソレ等の状況が魏帝国にとっても好ましい状況である事を全てを知った上での使者派遣だっただろう。

当事の日本は朝鮮半島南部の釜山一帯も漢帝国時代から中華に認められて支配していた。
今の韓国人や北朝鮮人に当たる朝鮮人や中国東北部旧満州を席巻した満州人の鮮卑が帯方郡太守劉夏を殺害したのだ。
この時代に朝鮮族と言う民族はまだ存在せずつまり韓国人も朝鮮人も存在せず辰韓・馬韓・弁韓(三韓)は倭国(邪馬台国)王の領土だった訳で、これらの在る朝鮮半島の叛乱は中国史観から見ても倭国大乱の時期と正に重なる。
卑弥呼の先代の王の統治が弱体化し、中国の公孫一族と結託し叛乱したのだろう。

それを裏付ける様に、238年(景初2年)8月23日には、鮮卑と結びついて叛乱を起こした公孫淵が魏帝国丞相の司馬懿に討伐され、死亡している。
また此の時に公孫淵に同調した朝鮮半島の三韓と呼ばれた地域は古代日本領土だったので、邪馬台国に攻めさせ公孫淵への朝鮮の新羅地方や百済地方からの援軍を断つ為に古代日本領の三韓から北伐し釘付けにするのは当然の戦略と言える。
神功皇后の神話はこの一連の戦略の中の一部分だろう。
もしかしたら神功皇后は卑弥呼ではなく次代の臺与かも知れないし、卑弥呼=倭姫、臺与=神功皇后の方が神話と整合性が有りそうだ。

この卑弥呼なり神功皇后の正体かも知れない臺与なりの功績を評価してかどうかは解らない。しかし後日、魏帝国は邪馬台国を上位従属同盟国とし厚遇し、卑弥呼が体調を崩し始めた出あろう246年に魏の官僚を派遣し技術投資をし邪馬台国を強化し南部朝鮮を支配させた。
それがつまり、この後に記す246年の出来事と247年の出来事だと推察出来る。
  
246年、卑弥呼の死去する2年前に三国志の魏王国帯方郡の武官で塞曹掾史(さいそうえんし)張政が邪馬台国に派遣される。
ちなみに難升米は官職で張政の上官に当たる。
派遣された魏の武官の官職で下士官に当たるので、これは邪馬台国への完全な救援行動だったのだろう。

247年には日本は再び混乱していたらしいので、恐らく246年時点で女王卑弥呼の健康状態に問題があり後継者問題が起きたか、敵対する狗奴国など地方自治王朝によって邪馬台国が不利に成っていた事で反攻戦略として再度、魏への銅剣と銅製甲冑等の先進技術の大量供与要請か生産技術移転要請や援軍そのものの要請を行ったのかも知れない。
その為に張政は日本に派遣され20年間駐在し邪馬台国建て直しに協力した後に中国へ帰国したのだろう。

西暦247年当事は、古代中国魏帝国も前述の通り蜀漢と呉の3ヶ国に分裂しており、東北や西北には後のモンゴル族やトルコ人の先祖当たる勇猛な騎馬民族の匈奴や胡族…
南は今のベトナムやタイにあたる蛮越…
北朝鮮東部には鮮卑王朝の高句麗があり…
魏帝国は蛮越を除いた全ての異国と対立していた。
しかし、その御蔭で魏帝国には日本と言う輩(ともがら)が必要不可欠になり、当時の日本人は曹操の残した仕事方法や司馬懿の政治や軍略や農業や第二次産業である青銅器製造を学び弥生時代から古墳時代に文化発展する機会を得たのだろう。
これは日本人にとって非常に幸運な事だったと言える。
いきなり製銅製鉄技術や開墾に加え屯田兵制度、高度な木造建築や表現力豊かな漢字が導入できたのだから日本文化発展の礎(いしずえ)に成ったと思われる。

日本人の現代に置ける緻密な仕事の性質は、かつて中国が西夏・金・元・清など歴代異民族王朝に蹂躙されるまで本来の中国大陸の中原地域の人々が保有していたであろう曹操や司馬懿等の治めた事実を追求し問題を改善し法秩序に基づく魏の習俗が、日本人に日本独自の文化と共に継承されているのかも知れない。

中華民族王朝が異民族王朝や共産主義に侵略される度に中国国民の民度や文化は都度リセットされてしまったが、成金ではない元々歴代当主が知識階層だった家系の中国人の文化程度は高い。
それはやはり日本人同様に先祖から文化と礼儀の重要性を教わってきたからだろう。
劉少奇・周恩来・鄧小平・胡錦涛は歴史的に見ても比較的優秀な人材であったと思う。
しかし毛沢東や江沢民は…
己の失政が元で失脚するのを恐れたり出世に利用して積極的に中国の知識階層国民を虐殺した負の実績がある。
ちなみに江沢民が日本人を敵視すれば、即ち彼等の敵は曹操と司馬懿の仕事方法や戦略と歴代日本武士の精神を受け継いだ人間が彼等の前に立塞がる訳だが・・・

いくら江沢民や毛沢東が政治家として腐敗し無能だろうが、彼等がいなければ中国人にとって今の中国は存在しなかった。まぁ、日本人にとって毛沢東は名将として評価出来るが江沢民は評価の対象にする価値も無い。しかし毛沢東が文革を起さなければ中国国民の文化度は恐らく、明朝に敬意をはらった清朝から中華文化をそのまま継承し発展させられたはずだし…
江沢民によって天安門虐殺事件が引き起こされていなければ、今頃中国は民主政治で法治主義の浸透した先進国家で、尚且つ中国共産党も世界から白い目で見られなかっただろう。

越の杭州や呉の蘇州のように春秋時代からの文化醸成地だった所は昔から科挙の合格者を大量に輩出し、文化度の高かった人も多いが…
現代の中国では毛沢東と江沢民の失政のせいで、その絶対数は12億の国民数をもってしても民度の高い人材数は台湾1国に及ばないだろう。ただ、教育に御金を投資できる家庭が増えたので大陸も徐々に民度が上がって来ていて上海市では10年以上前に見た様な大きな交差点で我が物顔で赤信号無視して歩く歩行者も、デパートのトイレの洗面所で孫に糞尿させるクソジジイも見かけなくなった。
新幹線に乗っても昔の中国の鉄道みたいに床に食いカスが散らかっている事も無い。
もっとも大陸の中国の民度はまだまだ台湾には遠く及ばない。中華文化も日本文化も否定しなかった中華民国台湾省人の素養は非常に高く礼儀正しく、自国の文化に表面的な態度や自慢ではなく心から誇りを持ってる人が多いし日本文化に対する理解も有る。

散々に大陸の中国人の民度を批判したが、日本でも中国大陸同様に文化度の低い人間もいる。
多くの財産を得ても自国文化を破壊し、現代では貴重な自然を開発利権で消し去ろうとしたり原初の神道の理念なぞ微塵も心に無い腐った日本人が多く、利己的に産業形態を金の澱みが出来る形状に作り変え日本の産業構造を弱体化させ、日本国民の利益を阻害しても自分だけの集金能力を向上させる事に執着させる鬼畜は多い。

日本の明治時代の大商人は横濱の原三渓や淡路島の高田屋嘉兵衛の様に、災害発生時に自分の私財を投げ打って事業縮小しても民草や公共の為に社会貢献する気概が有ったのに…。
彼等の行動は魏の武官張政や鑑真和尚、明の鄭成功に通じる滅私報恩の心意気が有った。 

だから小生は、まかり間違って自分が財を成す事が有れば先人を見習い曹操の仕事、司馬懿の智謀、明治の日本の豪商原三渓と淡路の豪商高田屋嘉兵衛を模範とし行動したいと決めている。
ま…その前に自分を助けないとね(笑)。
 
さて・・・
実は日華の関係を悪くさせる事で自国に利益誘導を図る奴等がいて、ソイツ等は私的組織や個人では無くて実は某朝鮮半島の国の公的組織だったりする。
・・・そいつ等の名前をVANKと言う。
ここからは小生の拙い普通話(プートンホァ)で失礼する。

出生在大陸中国朋友們!請大家不要相心在日本活動的假装日本右翼的朝鮮族和利用日本国籍的原朝鮮族為了破壊日華的関係煽動的情報。 
請注意韓国VANK和朝鮮為了破壊日華関係活動的内容。
如果真的是日本保守派的人的話他們肯定不会看不起古代中華文化、中華料理和中国古代的歴史。連以前的原来武士的日本帝国軍人也過去跟貴国打仗時也没有看不起中華文化。只是第二次世界大戦当時的日本政府被帝国陸軍一夕会占領政治和軍事的人事大権、他們比明治政府的政治家非常利己的思考、只考慮自己的発展、利用天皇統帥権和日本国家。結果陸軍一夕会干部和理性的海軍干部的関係也変得不好,陸海双方的干部之間常常発生了問題,連天皇面前也有両個陸海双方的干部打架過的。這些事情是在日本特別有名的。
原來扶桑武士学習的文学都是漢学、日本的軍記和文学。
明治時代以前的日本人跟大陸人学過的文化可多。
 
愛国不是只有批評外国,会批評祖国的腐敗分子的人才有愛国心。
第2次世界大戦以后許多日本年軽人放棄了好戦的個性,放棄后已経過了好多年中共還不承認日本人的良心,可是日本年軽人之内会批評腐敗分子的人材増加了。
也可以説是有真正的愛国心的日本年軽人還是比中国多了。
在日本1個人都没有焼掉台湾和中国的国旗的日本年軽人。
在日本1個人也没有破壊台湾和中国的産品的日本年軽人。
在日本1個人也没有拒絶台湾和中国的旅客的日本年軽人。
在日本几呼没有討厭三国志演義等古代中国歴史上的英雄的日本年軽人。
在日本一般人1個人也没有去横浜中華街或者神戸南京町破壊中華料理店的、這種的壊蛋。
我們還保持跟中華文化圏国民的祖先学過的文化、所以不会看不起中国文化和親日派中国人。

請大家自己調査古代日本歴史和神話。日本的神社的❝神様❞之内還有従大陸過来的眷属。要是你們敵視日本文化的話,那些思考也可以説是根本不理解古代中国歴史和你們的祖先和日本人的友好之歴史。

我説、先開始侵略的不是日本人而是古代中国人唐朝時代侵略了古代朝鮮半島日本領的安東都護府(三韓)和日本盟邦百済国。然后元寇的時候也是貴国的元朝跟朝鮮一来襲到日本的了。再説倭寇也不是日本人。倭寇的領頭都是中国人和朝鮮人,所以明国皇帝対日本国室町幕府第三代征夷大将軍足利義満要求統帥日本武士軍団攻打在朝鮮半島南部的倭寇基地的事情。根拠古代日本領土,清朝以前你們中国人所説的倭人除了日本本地人以外還表示住在朝鮮半島南部的人,抗日派中国人怎麼連這様的簡単的古代中国歴史也不知道呢?因為全部都是江沢民開始的抗日教育跟在大陸国内統制情報的結果吧?
所以説抗日派太没有見識,也没有文化。

謝謝台湾人一直以来対我們日本人的熱情!
謝謝西安・洛陽・江南地区本地人的祖先過去給我們祖先的援助。

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⬆️
一昨日の事件のニュース記事リンク。
楽しい旅行中の乗客は凍りついたろうな。

本当、酒の上なら許されるとか思い込んでる法治主義のカケラも理解出来て無い奴は、んなもん・・・
法の世界じゃ非常識な反社会的思考者なだけだわ!日本の恥。酒飲んで暴れる韓国人留学生集団と変わらん。
三國志じゃ張飛が酒で度々失敗し、最後も酔ってパワハラ指示部下に出して寝首掻かれて死んどる。
日本神話でも八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)は八塩折之酒で酔わせてから素戔嗚命が首を切り落とし殺し、熊襲長が倭建命に酔った所を暗殺され、酒天童子も源頼光公が八幡大菩薩応神天皇の御神霊から授かった神変奇特酒で酔わされてから寝首を掻かれ討伐されている。
酒は“万人之敵=万夫不当”つまり一騎当千を超えた一騎当万の名将軍張飛の判断力も奪い、日本神話の豪傑や荒神や鬼神すらも酩酊意識混濁させ、そしてそれらの全ての命を奪い去る道具に成った。
だ~か~ら~!
仏教では明治以前までは酒を禁じていたし、禅寺の入口には「酒の匂いさせて境内に入るなクソが」って意味の「不許葷酒入山門」がどこも有るんだよな。
2015-02-14-14-34-32
関東屈指の堅城、八王子の滝山城址に在る少林寺は北条氏照公が先立った奥方様の菩提寺として開いた御寺だが、やはりこの石柱が境内地入口に在る。
「不許葷酒入山門」
不許…許さず
葷酒…くさい/臭う+酒=酒臭さ=酔って
入……入る
山門…御寺の門
小生は基本的に大社格の某神社の宮司家一族の末裔だが、仏教の倫理観は大いに賛成だ。
まぁ小生も清めの御神酒は神事の時に神社で有り難く頂くよ、後は遠方から親友が来た時かJazz聞きに行ったら少しは飲むが基本的に車移動だから飲まないし酒は祖先も失敗してるから飲まないし父が酒飲むと他人の悪口を言うので飲みたく無いし、酒の席にも居たくない。
多くの神話の化物や歴史偉人が命を落とした酒、それでも「俺は大丈夫」「酒の席の事はチャラ」と言う輩がいる。何の自信だコラ?
いくら飲んでも全く酔わない小生でも飲まない酒を、酩酊したくて飲む奴はクズだ、最初から倫理観が欠如している。
「おい、オマエは張飛以上の豪傑かヤマタノオロチより酒強いんか?」
・・・「俺は大丈夫」「酒の席の事はチャラ」と言う思考の人間は弁護士や警官の知り合いに言わせると民事なり刑事なり少なからず法律に抵触する事をやりながら生活してるパターンの奴が多いそうだ。
最近、法律的な事に詳しい友人から色々話を聞く機会が有って非常に面白かったので酒乱の行動パターンを列挙してみる。
確かに当てはまるんだなコレが(笑)!
①業務中の不正・・・社内規定や法で定められた事項を違反する、労働時間申告の粉飾、休憩時間をとった時間を申告しない、業務をエスケープしてサボる、部下への管理責任違反やアルハラ等。
②不倫・・・まぁ民事だから相手か自分か自分の家族が不幸せに成る。必ず人生が狂う人間が出る。
③脱税・・・関係無い領収書を利用したり架空の経費計上するカス、年金保険料の滞納又は虚偽申告による軽減や免除詐欺。健康保険の不正還付詐欺。
④程度の酷い道交法違反・・・故意の車線変更禁止区域での車線変更や信号無視や一時停止や進入禁止の違反、警察に届けず当て逃げ、免停中運転や異常なスピード超過、飲酒運転、轢き逃げ。
⑤シンナー吸引、脱法ドラッグや違法な睡眠薬や向精神薬の入手と使用、麻薬や覚醒剤の使用。
⑥犯罪性の高い詐欺。
⑦傷害事件、殺人事件。
・・・確かに当てはまる奴がいる(笑)!
酒の席ならOKと考える思考の人間は、例え今やってなくても法治意識や倫理観が欠如しているので必ず上記の何れかに当てはまる行為をしながら生きている、若(も)しくは過去にやっていたが一時的にそれ等から離れているだけ。
「酒飲んだら何しても良いって」思考の奴は大なり小なり必ず民法か刑法に抵触する事をしながら生きてるって事だわな~確かに(笑)。
具体的に刑事事件だと言えばコンナ事するそうだ。
①酒飲んだから暴言が許される←侮辱罪だわな。
②酒飲んだから凶器を所持したり振り回して良い←普通に逮捕されるわ(笑)!
※今回の新幹線での記事は☝️コレな。
※少し前のコレ👇は①②に傷害罪が加わる。
③酒飲んだから後輩を説教の為にカラオケのリモコンで殴って良い←日馬富士山か!普通に傷害致傷だわ!
⑥酒飲んだから泥酔した女犯してよい←慶応大学生が葉山で事件起こしたけどな、普通に強姦罪だ馬鹿か!
⑦酒の席で喧嘩に成ったから相手を殴ったら死んじゃいました←たまに有るけどな、殺人だわ。

泥酔して判断力も記憶力も法治意識も理性も無くなる奴は一生酒飲むんじゃねーよ、最近そんな奴がいたな・・・そう言えば。

酒飲んでようが飲んでいまいが罪は罪なんだよな~。
本当に酒嫌いだし飲みたく無いし、その場にいたくないし酒乱死ねよと思う。
酒で暴言吐いて自分の最大支援者を失う事に成る奴もいるだろうし、日馬富士みたいに酒飲んで判断力無くなり他人に暴言吐いて勝手に逆上して凶器を手に取り暴行傷害事件や殺人事件を起こす人間の屑もいる。
酒なんて飲むな。特に鬱病経験者や依存症持ちはな。悪酔いして失敗するだけ。そんな奴をこの間も見たばかり。


酒は万人之敵と称された豪傑の張飛も殺す万人之敵の敵、普通の人間がコントロール出来る訳が無い。まして細身の渡来人骨格と一重瞼の遺伝子の人間は遺伝的にアルコール分解能力低い。小生の様な骨格がゴツく二重瞼の縄文系遺伝子の強い生粋の日本人やサモアン等太平洋の海洋民族と比較して酔い易く酒に弱い。
だから韓国人と同じ朝鮮半島渡来系の骨格や一重瞼の奴は酒飲んで暴言吐く奴も多い。
酒弱い奴は飲むな。
酒を飲んで酩酊する事を良しとする思考は不倫と軽犯罪の始まり。そして重大な犯罪への入口。
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