2017年の神奈川県は、この記事を書いている11月29日現在が紅葉の最盛期と成った。
しかし小生はワラワラと集団移動する多数迎合主義が嫌いなので、一足早く紅葉の名所とマイナーな紅葉の景勝地を廻るついでに史跡も見学する計画を立てた。
当初の訪問予定はこんな感じだった・・・
2017年11月22日訪問予定地
しかし、実際は若干失敗が有った。
失敗と言うのは訪問地の訪問達成件数では無く、睡眠の事。
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前日は仕事は24時には終わり帰宅、そこから準備をして風呂に入り3時に出発した。
当初の計画通り最初の訪問地である大雄山最乗寺手前の東名高速の中井PAで車中泊(仮眠)を朝07:00位までとってから行動開始する予定だったのだが“全く眠れず(笑)”結局、少し早く6時過ぎに中井PAを出発して07:30くらいに最乗寺の駐車場に到着し、駐車場で漸(ようや)く意識が朦朧として来たので2時間程仮眠した。
結果から言うと変更が入り訪問地は予定より多く成った。
2017年11月22日実際の訪問地
実際には上記の訪問先の他に、大雄山の土産物屋、寿福稲荷神社、御嶽神社と八坂神社が加わる。
・・・さて最初の訪問地の大雄山最乗寺。
大雄山は2回目の紅葉見物の参拝、御寺の駐車場に至る途中、山の参道には立派な仁王門が在る。
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素晴らしい場所なのだが、地図を暗記せずカーナビで最乗寺に行く人や観光バスで紅葉見物に来る人はここを見過ごしてしまう事に成るのだが・・・
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もし今週末2017年12月02日に大雄山に紅葉見物で参拝する人は、是非、この仁王門界隈の雰囲気も味わって欲しいと個人的に思う。
この仁王門からずっと石畳の参道が約500年前から最乗寺まで続いているが、今では徒歩で参詣する人は略いない。小生も車での訪拝だ。
時間軸で言うと小生は最乗寺に着いて先(ま)ず車中で2時間寝た。
睡眠から目覚めると靴を運転用のシューズから、いつも史跡と城跡を見学する際のトレッキングシューズに履き替え、顔を洗う代わりに聖地大雄山の朝の清々しい冷気で深呼吸し精気を取り込んだ。
仁王門から石畳をづっと登って来ると下の素敵な三(山)門が参拝者を出迎えてくれる。
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無論小生は車での訪問、駐車場からも近いので先ずは本来の山門をちゃんと歩く事にした。
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紅葉はまだ少し早かったがそれでも綺麗だったので、12月初旬には見頃に成っているだろう。
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三門の近くには上の写真の相生橋が在り、その渡った先には大雄山最乗寺始まりの聖地でありパワースポットが在るのだが多くの“観光客”や“偽霊能者”は知らない。
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最乗寺開山、了庵慧明禅師が座禅を組み修行した岩が柵に囲まれた場所で聖地の1つなんだが、本当に霊能力や神通力が有ると“自称する人”が何でここに行きつかないかと言えば、彼等にはそういったモノと本当は“縁が無い”人間だからだろう。
神社仏閣を守って来た歴代宮司様や住職様、支援した歴史偉人達を崇拝して本当に大切に思う人間ってのは“導かれる”とかオカルトなもんじゃなくて色々と目に入って来る情報から当時の人の見た物を時代を超えて吸収しようとするから気が付くんだよ、こう言った場所に。
わざわざ御寺さんが石碑をたててもスルーする自称霊能力の高い人間が多いのは皮肉だな。
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三門へ戻り本来の参道を歩くと厳(おごそ)かな雰囲気・・・
マイナスイオンかな(笑)?を体中に浴びながら、この季節の美しい大雄山の紅葉の景色がいよいよ参拝客を出迎えてくれる。
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もし参拝する機会の有る人は、是非、駐車場からいきなり僧坊へと行かず、ここを歩いて自然美と山岳信仰を取り入れた修験道とも融合した曹洞宗大雄山最乗寺の宗教文化の美しさを目と肌と鼻で体感してほしい。
石畳の階段の先にいよいよ僧坊が立ち並ぶエリアへの入口、よく写真やテレビで紹介される紅葉の風景が改めて出迎えてくれる。
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ここは本当に美しい。
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階段を登りきると伽藍を結ぶ回廊と繋がった門が在る。

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瑠璃門だな。
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・・・この門をくぐった瞬間に別世界の様な風景を目にする事に成る。
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朝靄(あさもや)と落ち葉焚(た)きの煙の霞で丸で中国の水墨画の仙人の住まう霊場の様な佇まい。
まぁ、実際この最乗寺は禅道場として精神修養と学問の場として運営されていたのだが天狗信仰の舞台でも有る。
この最乗寺を支援した室町時代初期の古河公方足利家の家臣であり扇谷上杉家の与力だった大森家や、小田原北条家の支援を受けて繁栄して来た寺院であり山の中の御寺であり山岳信仰の場なので、自ずと神秘的な風景に成ったんだろう。
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この写真で見ている方向と真逆の後ろ側に寺務所が有るので、御守りや御朱印はそちらで授与して頂ける。
寺務所辺りの庭の紅葉越しに見る紅葉も美しい。
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この辺りまでは車椅子の人も入って来られる様に成っていたと思う。一般駐車場とは違う場所から入って来られる道が有ったと思うので、もし足の不自由な方が訪問される場合は事前に大雄山最乗寺に電話で問い合わせしてみると良いかも知れない。
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金剛壽院の前を通り過ぎると小生が一番お気に入りの紅葉の綺麗な階段が在る。
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右手奥に見えるのは鐘楼。左の建物は豊富な水量を誇り飲用に適した湧水を湛える井戸。
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本当に綺麗なのだけれど、これでも小生が訪れた先月22日はまだ紅葉見物には少し早かったので12月初旬の今はきっと見頃だろう。
階段を上がると又、紅葉の綺麗な場所が一つ在る。
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多宝塔だな。2年前の記憶でおぼろげだが歴代御住職の御廟所も兼ねていたと思う。
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同じ禅宗でも臨済宗寺院は夢窓疎水石禅師の影響で枯山水庭園が多いが、曹洞宗の場合は永平寺もそうだが神仏習合の文化を明治までは色濃く残し中でも修験道との関係が有る山岳信仰の対象だった白山権現を永平寺が守護神としていた事も有ってか、山伏文化を色濃く伝える寺院が大きい場所程多く山中に鎮座している場所も少なくない。後醍醐天皇をはじめ歴代の天皇は修験道や真言宗や曹洞宗と同じく神仏習合の文化を大切にされてこられた歴史も有る。
だから現代に成っても天皇家は古代から続く神社を大切にするし同じ様に仏教も大切にしていて例えば法然上人は鎌倉時代~現代の今上天皇に至るまで歴代の天皇から法諡(ほうし=法名)を追贈されていたりするし、言うまでも無く弘法大師様や伝教大師様の宗派の真言宗や天台宗寺院や臨済宗や曹洞宗の寺院も法相宗や華厳宗の寺院も日本文化の醸成の源として大切にされて来られた歴史が有る。
そもそも大雄山と最乗寺自体が山伏信仰の文化を持っているから、こんな風に山深い場所に神秘的な堂塔を構えているんだろう。
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先に進むと瀧の上には不動堂が有り、正に修験道や真言宗に通じる文化を引き継いでいる。
不動明王は火災除けの仏様として祀られる事が多いが、横浜の森浅間神社はじめ源頼朝公も湧水地こと滝の在る場所に不動明王を祀らせている。
不動堂の奥に進むと奥院に続く門前の開けた場所に出る。
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この日は霧に木漏れ日が差し込みとても神秘的な光の演出も見られ、少し早かった黄色い紅葉もとても美しく見えた。
この先に進むと大雄山が“縁結びの御利益”で有名な場所である天狗の下駄が沢山有る御堂やら凄まじい段数の奥院へと続いている。
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天狗信仰の舞台でもあるので門の左右には天狗様が坐す。
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う~ん・・・何で明の軍人の甲冑なんだろう?
日本の甲冑で良かろうに。天狗信仰の文化は中国には無いんだけどね。きっとこの銅像を作った人は仏師なんだろう。だから毘沙門天やなんかと同じ中国風の甲冑で天狗様を造形したんだろうな。
まぁ、これはこれで勇ましく格好良いと思う。岳飛とかこんな感じの鎧を着ていたんだろう。
実は曹洞宗が繁栄する切っ掛けに成ったのは神奈川県出身の鎌倉武士が非常に関係している。
大雄山の在る南足柄市の隣の秦野市を平安時代~鎌倉時代に領有していた波多野家だな。
この波多野家の領国が越前国にも有ったので北陸を本拠地としていた曹洞宗の永平寺や大乗寺を波多野家が支援した様だ。
一頻(しき)り紅葉を見物しながら御堂を礼拝して回り、次の目的地に向け出発する前に最乗寺の山門の少し下の方に在る土産物屋まで車で移動した。
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十八丁目売店と村上売店だな。小生は午前中早めの訪問だったので写真でもそれ程観光客はいないが、普段は元気なジジイとババア(笑)で賑わっている。
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因みに十八丁目売店と村上売店は隣同士で売っている物までほぼ同じせいで仲が悪い(笑)。
でも両方の店とも御客には親切で試食を薦めてくれて御茶を振舞ってくれる。
小生は両方の店で種類の違う御煎餅を買い、両方の店で御茶を頂き「ありがとう」と御礼を言って来た。
十八丁目売店の女将さんに「ウチの方が美味しいでしょ?」と聞かれたので「両方とも少しづつ味が違うし両方とも美味しいよ!親切にしてくれてありがとう♪」と御礼を伝えて来た。
大雄山を降りて足柄上郡松田惣領の寒田神社に移動した。
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寒田神社は日本武尊が東征の折に立ち寄った場所だ。神話を証明する様に平安時代の富士山の噴火以前の東海道は寒田神社の前を通る矢倉沢往還=大山街道が東海地方から現在の神奈川県域に至る陸の街道だった。
南足柄市~小田原市街を突っ切って相模湾に注ぐ酒匂川の川名由来はこの神社に伝わる神器に纏(まつ)わる日本武尊伝説で、この寒田神社の場所に在った集落で休息した際に木椀で酒を使った神事を眼前の川で行い、そのまま出撃し合戦が終わって戻るとまだ木椀に酒の香りが残っていたので、これが酒匂川の由来に成ったそうだ。因みに神奈川県域に十四座しか無い延喜式内社の内の一社だったりする。
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まぁ、寒田神社自体は3回目の参詣なのだが、宮司様の御家人はいつもいらっしゃるのだが御朱印は宮司様しか書けないらしく、何としても御朱印を頂きたいと思いの再訪だったが、生憎と翌日が新嘗祭だったり七五三で忙しく、又、品の良い宮司様の奥さんに丁寧に優しく「すいません」と謝られてしまい(笑)御朱印を頂く事を3回目にしても断念し、小生も特に「又来ますから~♪」と答え「来年も紫陽花の頃に開成町に来た時に参拝しますし、次回はちゃんと電話して御願いしますね~!」と5ヵ月先の行動を申告し変な意味では無く小生の顔と声を覚えて貰うべく「釘を刺し」て奥様に印象付けて置いた。
こうやって「横浜から来ました~」って何回も行って顔と声を覚えて貰えば、御縁もそのうちに出来るだろうと思う。
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ちゃんと日本武尊と弟橘姫様に御参りしてから寒田神社を後にした。
ここから次の目標地を秦野市の震生湖に定めていたのだが、途中で渋沢方面を経由する矢倉沢往還の順路を選択していたので「あぁ~そう言えば近くに拉麺の名店“なんつっっ亭本店”が有ったなぁ~」と一昨年立ち寄った事を思い出し、昼食を“なんつっ亭”でとる事にした。
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うまいぜベイビー!
これがなんつっ亭のキャッチコピーで看板に成っている。
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きっとこの名物社長さんの顔をTV番組で見た事有る人も多いかと思う。
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元々やんちゃしていた社長さんなんだが、師匠がとても実直な御人だったらしく感化され、それから仕事に妥協を許さない一途な拉麺職人と成った。その実直で誠実な性格が好感を持たれTV番組でも経営不振のサービスエリアの飲食店再建等を請け負い、今話題の暴行犯“日馬富士”みたいな暴力は使わず、いかつい外見とは裏腹に“優しい言葉遣い”と“味”と“仕事に対する姿勢を学んだ自分の体験談”を経営再建中の店の従業員達に諭し意識改革にも店の再建にも成功したりしている。
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メニューは数種類のスープが有りトッピングもサイドメニューも豊富でカレーライス等も子連れにも適している。ソフトクリームも有るしね~。
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人柄と優しさが滲み出てる御店。
拉麺ファンって味もさることながら大将の人格にも惚れ込んで店に通ったりするもんなんだよな。
だから小生も杉田屋の津村さんが好きで磯子区の杉田屋に通うし、大勝軒の山岸さんや支那そば屋の佐野さんが大好きだった。
この日は黒いマー湯の効いたスープの豚骨醤油拉麺を九条ネギ増しで頼んだ。
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とても美味しく頂きました。
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隣の席に座ってらっしゃった地元のビジネスマン二人組が「美味しい」と連呼し本当に幸せそうだった。
豚骨醤油は獣臭さで苦手な人も多いと思うが、このマー油は焦がしニンニクを手間暇かけてペーストにしているので獣の臭さを消し旨味だけを引き出し、かつローストして有る事でニンニク臭さ自体も無くさながら中華料理で良く使う芝麻酱(じーまーじゃん=胡麻ペースト)と似たような効果を発揮している。
2回目の来訪だったが、今回も美味しかった。御馳走様でした!
なんつっ亭を後にして震生湖に移動した。
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震生湖の駐車場からは神奈川県の守護神である石山権現大山祇神(おおやまづみのかみ)の化身とされる大山が良く見えた。
次回→その②へ続く