歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:アイスクリーム


三浦半島の横須賀市長坂には乳牛を飼育してアイスクリーム等の乳製品を直売している関口牧場と言う場所が有ります。
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小さい乳業会社なのですが口コミでアイスクリームが美味しい事が広まって、最近では休日とも成るといつも行列が出来ています。
入口が少し判り難い上に駐車場が少ないのも厄介なのですが、それでも大人気の店なんです。
関口牧場・無量寺・佐島マリーナ・海辺の位置 久良岐のよし
場所は上の地図を参考にして頂けると良いのですが、車で佐島マリーナから10分、衣笠ICから20分程度の距離に位置します。比較的交通は不便な場所ですが、これから夏に向けて佐島や長者ヶ崎や三崎に行く用事が有る人にはおススメのスポットです。
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道の入口はこんな感じ。
店は少人数で切り盛りしててコンナ感じ。
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お姉さんが1~2人で頑張ってるので、ちゃんと整列して煽らず(笑)出来るだけ運営に協力して上げて下さい。
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この日、小生はココア味とバニラ味のダブルを注文しました。
これ、上下にトッピングされてますがツイストにもして貰えて、子供に選ばせれば喜ぶかも知れませんね!
飯田牧場同様、自然の甘みを重視しており、人工的に脂分の添加をしておらず不自然なクリーミーさは当然有りません。甘いのにサッパリしていて量は多いのですが美味しく平らげる事が出来ます♪
小生は最近、可愛がっている甥っ子(4歳)が総合格闘技の道場でレスリングを習い始めて中々、オジサン(小生)と遊んであげる暇が無くなってしまい(笑)まだ連れて来てあげれておりません。
牧場なのですが、前回紹介した藤沢の飯田牧場と同じで広大な放牧地が有る訳では無さそうです。

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でも牛舎が隣接していて、外から様子を見学できます。
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小さい子を連れてくれば、こうやって❝牛臭い(笑)❞場所で牛乳が生産されてる事を理解させる良い機会に成るかも知れません。
牛さんに感謝する心を教育する場としては良いと思います。
エサやり禁止なので厳守して下さいね~!
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もしかしたら牛舎の背後は放牧スペースかも知れませんが、店員のお姉さんが忙しそうだったので確認していません。
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牛の他にもヤギや鶏もいました。
三浦半島の南側の油壷マリンパークや三崎や城ヶ島、西側の葉山や長者ヶ崎や秋谷の海岸に行く機会が有れば、是非立ち寄って見て下さい!
【関口牧場】
業種:乳業、アイスクリーム製造と直売。
あと、車で10分と直ぐの佐島マリーナの入口に在る❝海辺❞と言う和食海鮮レストランも御薦めです!
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魚も美味しいのですがロケーションが綺麗なので、以下に各周辺観光地の過去記事と合わせてリンク紹介して置きます。
【海辺】
業種:和食海鮮レストラン(海に張り出したロケーションの眺望と新鮮な魚料理が特徴)
タグ:佐島マリーナの記事→一覧はココクリック!
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さて、小生のブログは少しは郷土史要素も入れて置きたい・・・

話を関口牧場に戻すと、ここを知った理由は戦国時代の横浜を治めた間宮家の一族の分家で間宮造酒丞(みきのじょう)家の菩提寺であり、鎌倉時代の名将の和田義盛公が開いた御寺だからだ。
信高公の御父君は間宮康俊公、有名な関東最強の武将の北条綱成公の付家老で自身も鶴岡八幡宮再建や山中城で活躍した間宮康俊公の家系図上の御子息だ。信高公は武田家に転仕して武田信玄の水軍大将務めた。武田家滅亡後には徳川水軍の大将格で活躍した人物で所領が関口牧場の所在地の横須賀市長坂、昔の三浦郡長坂村だった訳だ。
だから、その信高公の菩提寺と関口牧場は徒歩数分の御近所さん。
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浄土宗の金剛山無量寺と言う御寺が間宮信高公の菩提寺。
元々は鎌倉幕府で初代の侍所別当(防衛大臣)を務めた和田義盛公が開いた御寺だった。
だから和田義盛公の守り仏が御寺に祀られている。
山号と三浦家初期の宗旨から察するに多分、最初は真言宗の御寺だったはず。
浄土宗に成ったのは間宮信高公が徳川幕臣であり、織田信長公と徳川家康公が熱心な浄土宗信徒だったので徳川家臣に成った時点で自分の所領の無量寺を改宗させた上で土地を寄進して復興させたんじゃないかと思う。
間宮信高公は御妻君が房総半島の小大名だった真里谷武田家の姫君だ。実は戦国時代初期、三浦半島がまだ三浦家と北条家の係争地だった際に三浦家の大将だった三浦義意公の御妻君も真里谷武田家の姫様だった。真里谷武田家は内紛を起こして真里谷武田信隆公が房総半島から逃げて北条家に一時的に亡命している。
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その場所が上の写真の横浜市金沢区に在る稱名寺一帯な訳だ。
なので、その御縁で金沢区の隣接地域の杉田や笹下の現在の港南区~磯子区の殿様だった間宮康俊公の御子息と真里谷武田家の姫君が婚姻を結んだんだろう。
最初に御住職様に御会いしたのは、和田義盛公の顕彰活動で訪問した際だった。
その時は未だ無量寺が間宮信高公の菩提寺とは知らなかった偶然の訪問だった。
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まぁ、御住職と少し御話して和田義盛公の事を聞いたり、特別に御本堂に上げて頂いて色々と見学させて頂いた際に、何を思ったのか突然御住職が「実は間宮家~云々」と小生の顔をマジマジと見ながら話し始めた際は正直、大変に「ドキっ!」としたのを覚えている。
御住職様も何で小生が一言も「間宮」とも発していないのに、その話を始めたか解らないが、今と成っては信高公の御導きだったんだと思う。
この偶然が有ってから、間宮信高公の事を寛政重修諸家譜等から読み調べ始め、そして死地が愛知県海部郡蟹江町に在った蟹江城址と知って現地の教育委員会様に様々な情報提供を頂き、昨年、間宮家の顕彰文に信高公の事を掲載すべく蟹江城址へ写真撮影に行って来た。
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今も運河沿いに酒蔵や米問屋が残り城下町の風情の残る良い処だった。
実は蟹江城は天正年間、つまり間宮信高公が討死にした合戦直後に大地震で崩壊し消滅したのだが本丸の井戸だけが現存しているのだ。
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この井戸の写真撮影に蟹江町を訪問して来た。ついでに甘強酒造と言う昔ながらの武士が高級酒として飲んでいた味醂を製造している酒蔵も訪問して味醂を購入して来た。
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これらの御縁は全て関口牧場と同じ長坂に在る無量寺の御住職と和田義盛公と間宮信高公が導いて下さった地縁だった。御蔭で良い旅行が出来た訳だ。
因(ちな)みに、ウチの母にも土産で甘強酒造の本味醂と津島市の鶴見酒造が作る味醂、神鶴を購入して渡したのだが、両方とも普段使ってる味醂とは全く別物の美味さに驚いて母は自分の友人達にも紹介していた。小生はリキュールとして炭酸割り等にして飲んだが焼酎で作られていて風味良く美味しかった。
織田信長公や徳川家康公も飲んだであろう旧海部郡の味醂を現代に飲めて幸せだった。
まぁ、そんな訳で関口牧場の在る三浦半島の横須賀市長坂地区は昔から水軍を率いた武士の根拠地だった訳だ。そして昔は牛では無くて馬を生産していた牧場も有ったかも知れない。
佐島と長坂の間には❝蘆名(あしな)❞と言う地域が有る。ここは和田義盛公の御子息が治めた土地で蘆名城と言う城が有った。その蘆名家の子孫は東北に移住して奥州探題等を務めた大名と成り名将の蘆名盛氏公を輩出した。蘆名盛氏公と言えば伊達政宗公のライバルだった人物だな。

皆さん、関口牧場や佐島を訪れる機会が有ったなら、是非!和田義盛公や間宮信高と言う名将が昔、長坂に居た事を思い出して見て下さい!

前回の休日雑記コレの続き。
       ↓


神崎遺跡を後にして、この日の元々の最終目標である飯田牧場のアイスクリームを食べに藤沢市の飯田牧場を目指して出発した。
今回、休日雑記は4回に分けて1日の行動をつづったが、実は目視すると余り移動距離は長くない。
04月22日の行動道程
黄色い線が最初の訪問地の有鹿神社本宮~飯田牧場の実際に走った道程(みちのり)。
赤い線が距離の定規とする5kmの長さ
御覧の通り、4月22日の訪問先で実際に走った移動距離はせいぜい15km。
余り広くい範囲を動き回っていた訳では無い。
まぁ、行き返り更に横浜までの距離も走っているのだが、それは含まない。
現地での移動は広範囲ではないが、それでも早朝の8時から夕方の4時頃まで目一杯時間を使っていた訳だ。しかし小生の1日の訪問先は分単位で事前に予定を組んで多い時で10件を超すので、この日は余り多くの場所を回ってはいない。
例えば昨年の間宮家の顕彰文の資料写真撮影と織田家の故地探訪で愛知県を旅した際の初日のスケジュールは12ヵ所+ホテル+夕食の居酒屋を回っている。
コレね。
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只、時間を無駄にしたくないので出かける前は臨機応変に組み替えれる行動予定を何パターンも時間軸で頭に組み込んで置く。
訪問先の優先順位を割り振って、全ての訪問予定先をGoogle mapに登録して置く。そして道路状況等もナビ機能に反映されるので時間との兼ね合いで訪問先で所要した時間に合わせて行き先を削って行く訳だ。すると案外と多くの場所を回れる。

今回は訪問先は比較的少ないし移動距離も短い。その替りに有鹿神社宮司様や温故館や神崎遺跡の学芸員様始め多くの方への質問に時間を使っていた訳だ。
だから、とても充実した1日と成った。
神崎遺跡から飯田牧場に到着すると何と駐車場待ちの車が住宅街の片側1車線の道に並んでいたが、運が良く比較的早く駐車場に入る事が出来た。
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ここは横浜市からも遠くは無い藤沢市。そんな場所で酪農家が乳牛を飼育して乳製品の加工食品やアイスクリームを製造販売している。
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だから当然、牛舎も隣接している訳だ。鎌倉市周辺の小さい子がいる御家庭なんかは近くを通る事が有れば立ち寄りアイスを食べれば、牛サンも見れて子供に自分達が食べる物の由来と感謝を教える良い機会にも成るかも知れない。
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アイスクリームは種類が豊富なのだが、如何(いかん)せん小規模な人気店だけに昼下がりには写真の通り、既に売り切れの商品も多い訳だ。

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芸能人にも知られている店の様で鶴見慎吾サンが趣味のサイクリングがてら立ち寄られたり…
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…何か良く解らん漫画の作家さんや多数の芸能人が訪問している様だ。その色紙の数は観光地の横浜中華街の有名中華料理店と同じ位だろうか?基準が可笑しいか(笑)。
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小生はラズベリーとホワイトラムレーズンを頼んだ。
予想を裏切りサッパリした舌触りと喉越しながらコクが有って美味い。
これを食べるとコンビニや観光地のアイスが如何に人工的な味付けや舌触りに加工されているかが解る。
後日、三浦半島の関口牧場で食べたアイスも飯田牧場に近い味と舌触りだったので自然なミルク由来のアイスは脂肪分もサッパリした物に成る様だ。

以下、飯田牧場の所在地と連絡先。
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飯田牧場の駐車場待ちで道路に車を停めている際に目の前に御寺が有るのに気が付いた。
花應院と言う御寺の様だ。綺麗な名前の御寺だ。
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❝小栗判官・照手姫縁起の寺❞と書いて有ったのだが浅学世間知らずな小生は❝照手姫❞が誰か知らなかった…
小栗判官は徳川埋蔵金で有名な徳川幕府末期の名奉行の「小栗上野介(こうずけのすけ)忠順(ただまさ)公の御先祖様か何かかな?」と思った。横須賀製鉄所を開いて近代日本造船の基礎を築いた偉人だな。東郷平八郎元帥から後に「日本を救った人物」として感謝された偉人だ。
しかし小栗判官について何も知らない小生。

…癖で直ぐに神社や御寺が有ると門前の看板や寺紋や宗派が気に成ってしまうのだが、「これは直接、御住職様に言われを御教授頂きたい」と思い飯田牧場でアイスを平らげてから訪問して見た。
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禅寺に有るアレ。「酒の匂いさせて山門(寺)に入っちゃ行かんよ~」ってアレ。
うん、禅宗(曹洞派=現在の曹洞宗)確定!
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この時点での認識…
「う~ん。小栗判官と照手姫ってのは何かの物語らしいが良く解らん」
…程度。ウダウダ読んでも考えても知らない物は埒(らち)が開かないので知ってる人に教えて貰った方が早い。さっさと御住職を訪ねようと中に入る。
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参道は細い。しかし恐らく明治時代以前は両脇の民家に成ってしまっている場所は塔頭寺院かなんかで境内地だったんだろう。
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石仏群が保存されている。謂(いわ)れは解らなかった。
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庭に落ち葉や雑草がチラホラ有ったので何だか無人の御寺の様な雰囲気で、人がいるのかな~?と思った。
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どうみても境内地なのだが普通の民家っぽい建物、離れの庫裡かな?と思いつつ本堂へ…
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どんな御寺か良く解っていずに参拝したのだが、取り合えず曹洞宗の御寺の様なので御本尊は釈迦牟尼仏だろうと思い、今回訪問の機会を思わず頂けた御縁と参拝させて頂けた事を釈迦牟尼仏様に御礼を申し上げ横浜までの帰路無事に帰れる事、そして小生が神社仏閣の保護や支援を担い先人の偉業を現代人に伝える事業が出来る様に、文化的な事や何か社会の役に立つ事が出来る様に、地域の産業に資する事を創生出来ます様にと大願をお伝えし、その様な事を行うに相応しい人間に成れる様に御導き下さいと御参りをして来た。
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まぁ、釈迦牟尼仏様を含め、いつも日本の神様達と仏様達と偉人達と御先祖様にしている祈念と同じ。
参拝を終えて取り合えず玄関に回ってインターホンを鳴らすが誰も出て来なかった。
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御自由に御持ち下さいと書いて有り冊子と札が置いてったのだが、流石に札は勝手に拝借する気にも成らずに写真だけ撮影させて頂き、照手姫の事が何やら書かれた印刷物の方は1枚づつ頂いて玄関を出た。
すると庭先に御住職が待ち構えており「いらっしゃい」と声を掛けて頂けたのだが…
「あれ?今外出からお戻りに成られたのかな?」と思って「冊子を頂きました。」とお伝えした所「全部見てたよ」との事。
小生→「?」「何ぞ?」
…と思った。
御住職様に「まぁ、入りなよ」と気さくに声を掛けて頂き玄関へ再度入り椅子に座らせて頂いた。
内心…
「何か怒られるのかな?」
…と、思いながらドギマギしてると御住職から意外な一言。
「実は最近、賽銭泥棒が多かったので全部遠隔監視出来るシステムにしてあんだよ!」と笑いながら教えて下さった。最近は日本でも物騒なので納得。
凄いのは出張先からでも監視出来るし、どこから入っても解るそうだ。
「先進的な御寺だな」と思い、そして同時に「御住職様気さくな方だな」と思ったら実は御住職、曹洞宗の偉い方だった。名刺を頂いて分かった。
色々と曹洞宗の組織や運営の話が聞けて非常に面白かった。
そして本題の照手姫の伝説を質問すると丁寧に解説をして頂けた。
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大まかな話は以下の通り…
室町幕府の時代、鎌倉府最後の鎌倉公方の足利持氏(もちうじ)公に永享の乱で小栗判官は今の茨城県に在った居城を落とされてしまう。そこで相模国の鎌倉郡俣野(今の横浜市戸塚区俣野)に落ち延びて潜伏していた。
※個人的な意見だが、鎌倉を本拠地にする鎌倉公方の足利持氏公に
常陸国(茨城県)の居城を落とされたのに鎌倉郡に逃げて来ると言うのは不可解な伝承。
そこで横山大膳と言う盗賊の元に訳(わけ)有って仕えていた照手姫と言う美女に出会った。
照手姫は本来は高貴な武士の娘だったそうだが、親を早くに亡くして横山を頼った様だ。
照手姫と小栗判官は恋に落ちて婚約した。
しかしこの横山は武士であり盗賊でもあったので、小栗判官の財産の横領を目論み照手姫の不義も許す訳もなく小栗判官を権現堂で暗殺してしまう。
→権現堂が花應院と関係あるらしい。
小栗は死ぬのだが生前の行いが良く、閻魔大王によって蘇(よみがえ)らせられる。
→だから花應院には閻魔大王が祀られている。

生き返ったものの化物の様な外見に成る病で歩く事もままならなかったのだが、藤沢の遊行寺(時宗の総本山)の大空上人の協力や照手姫の協力で和歌山県田辺市の温泉で湯治して回復すると、再び領地を与えられた。その後手勢を率いて俣野に攻め込み横山大膳を討ち取った。
→常陸国から鎌倉の他人の領地へ出兵したら室町幕府で大事に成って切腹されられるのでオカシな話し。この話の元には何か別の解釈が有るのかも知れない。
一方で照手姫は不幸が続き人身売買で売られて美濃国に流れ着いていたのだが、小栗判官に探し出されて目出度く結婚した。

…って話らしい。
昔は道徳教育の教材に成った話らしい。正直、そんな話を神奈川県民として知らなかった事が恥ずかしい。まぁ、そんなこんなで花應院の御住職に伝承やお寺について御教授頂けてとても嬉しかった。
更に本堂に通されて、目の前で閻魔様の木造を拝ませて頂く事が出来た。
この他に、御住職様が曹洞宗の偉い方と解ったので、同宗派で織田信長公所縁の御寺の江南市久昌寺が廃寺の危機に瀕している事を御伝えし、存続に向けた知恵を御教授頂く事も出来た。さっそく釈迦牟尼仏様に御参りした御利益が有った訳だ。

一頻り御住職から御知恵を御教授頂いて、車を停めたままの飯田牧場に戻った。
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牛さんズに御別れして、横浜の自宅までの帰路についた。

今回は4回に分けて22日の休日雑記を書いたが、当日は色んな偉い諸先輩方から様々な事を御教示賜り、食べ物も美味しく非常に良い休日と成った。
又、有鹿神社を参拝する際は飯田牧場も来たいし花應院の閻魔様と御釈迦様にも御参りに来よう。

これにて22日の休日雑記は御終い。

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