2018年は小生の人生の中でそこそこハチャメチャな1年間だった。
ハチャメチャの原因は自分の未熟さから対応が上手く行かなかった事ばかりで、今年はそれを変えたいと思った。ソレを改善する為には信頼出来る人の中で自分とは異なる発想をする人から自分に無い価値観や考え方を学ぶ必要が有ると思った。余り会わなかった思考パターン人達の中で安心して学べる人はいないかと考えてみた・・・
そしてとある人の事が思い浮かんだ。
家庭を二度も壊した事で親戚一同から疎遠に成っていた小生が子供の頃に尊敬していた母方の叔父。
・・・その叔父は人を助ける立派な仕事をしていた人で横浜市で最初に❝人を助けるとある資格❞を取得した知勇兼備の仕事をしていた人。頭も良くて体力も優れ話し方も優しく格好良い人。
でも夫としては無責任だったらしい。
家庭を二度も壊した。
大人になってみると叔父さんは男や夫としての責任と言う面において尊敬できないが、人として魅力に溢れ人の気持ちが良く解り優しさが有るのだろうとも思う。
まぁ優しさと、誠実か、真面目かは全て別の問題とも言える典型的な例でもある…

ハッキリ言って小生とは思考のロジックが180°違う人物だが子供心に尊敬しており大好だった。

・・・もう子供の頃から親戚の都合で約20年近く会っていなかったが、小生は2017〜2018年、そして今月前半での全ての反省点を改善する為に自分に男としての責任を果たすだけではなく、人としての優しさや内面を察してあげて心もサポートする能力がほしいと思った時に思い浮かんだのが、この横浜の叔父さんだった。
しかも叔父さんは小生が新たに取得しようと考える資格も持っているので、現実的な資格の相談と、自分の仕事上の同僚との接し方についての相談もしたかった。

そして母親に・・・
「親戚の都合なんて知ったこっちゃない」
「俺は叔父さんに会いたい、子供の頃に尊敬していたし安心して話せる」
「グダグダ言ってないでサッサと連絡先教えて」
・・・と半ば強引に叔父さんの連絡先を聞き出し、コンタクトを取った。
小生が子供の頃から、もうずっと交流が途絶えてたのに叔父さんは快諾してくれた・・・
「よっ君、じゃあ野毛山動物園でも散歩しながら話そうか?」
・・・と。
小生は内心「ん?何で野毛山動物園なんだ?」と感じたが、まぁ確かにユックリと緊張せずに気を紛らわしながら話すにはうってつけの場所だなとも思った。
待ち合わせは13時に日ノ出町駅と決まった。丁度、金曜日は小生は横浜中央図書館に行く予定が有ったので野毛の駐車場に車を停めて待ち合わせ時間まで食事したり都合が良かった。

当日、少し早く12時に着いて叔父が来るまで食事する場所を探す為に野毛界隈をブラブラしていた。
気分的に野毛の商店街で入りたい店がたまたま見つからず駅よりの方に出て来た所、以前から気に成っていた店が視界に入ったのでソコに決めた。
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鴻元食坊(こうげんしょくぼう)
鴻元食坊と言う少し辛い料理の多い中国東北料理の店。ここの店が以前から気になっていた理由はランチが500円と安い上に、横浜中華街でも提供される事の少ない本場中国の庶民料理が沢山メニューに有るからだ。
鴻元食坊に関しては、もう少し詳しく別に独立記事で紹介しようと思うので説明を端折(はしょ)る。
注文したのは酢豚ランチと小生の好物のハチの巣(牛の胃袋)の冷菜
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このランチ+1品でなんと880円!物凄く安いだけでなく味も中国の食堂で食べる中華料理と全く遜色無い。綺麗な店員の女の子と少し雑談をして、今度来たら日本人向けじゃない本場の東北料理の辛さで料理を出してれると言ってくれた。
いつも御店の店員さんとか和尚さんとか宮司さんと打ち解けるのが得意だ。
どの家の子供にも物凄く好かれる。
でも小生は恋愛では上手く行かない事が多い。
好きな人に嫌われ易く、嫌いな人や意中外の人には好かれ易い。
何故だろう?

・・・今までの恋愛を振り返ると小生を最初から信頼したり頼ってくれる人としか交際してなかった様に思う。
それと、店員さんや和尚さん宮司さん達と仲良く成れるのは何か関係が有るのだろうか?
自分と他人の行動や感情のロジックが解らない。
食事が終わると丁度13時の5分位前だったので日ノ出町駅に移動した。
駅には先に叔父さんが到着していたが、何せ長い間会ってないので面影は有ったが最初は叔父さんと確信が持てず、取りあえず手を振って見たら叔父さんも目を凝らしてコチラを見てから・・・
「よっ君、子供の頃の顔しか解らないからLINEで写真送って貰ってもパッと思い浮かばなかったよ」
「印象変わったなぁ〜」
・・・と言われた。そりゃそうだ。久しく会ってないんだから。叔父は今もスポーツセンターに通っているそうでガッチリと無駄な肉の無い精悍な初老の男性と言う印象だった。
叔父と久しぶりの対面を果たし握手を交わし、ソンナ言葉を数回交わしてから何方(どちら)が言い出すでも無く一緒に野毛山に向かって歩き出した。
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横浜中央図書館の前を過ぎて旧平沼専蔵邸亀甲積み擁壁の前を通り過ぎた時に、この文化財の話を小生が叔父さんに話すと・・・
「そう言えば歴史が好きだってお母さんから聞いてたよ」
とか
「凄く体が(太って)大きくなったって聞いてたよ」
とか
「前の仕事の話も聞いたよ」
・・・とか、実は小生の知らない所で母は叔父と連絡を取り合い、勝手に小生の事をベラベラ話していた事が発覚した。母は総じて小生の汚点だけを強調して親類に話すのだが、叔父には賛否両論評して話していた様だ。まぁ、小生の情報は叔父が2度目の離婚をする前後までの様だったので、それ以後は余り情報も交換していなかった様だ。
暫く歩き進めると動物園の案内板が見えて来た。
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叔父の以前の記憶では、既にここ等辺りから動物の展示が有った様に記憶が有るらしいが、どうやら横浜市によって規模が縮小されている様だった。
小生がここに最後に来たのは弟が生まれる直前の3歳の頃の話しで、父と最後に来た当時の記憶が朧気ながらに残ってる。確か市電が放置されるように置いてあった。余り楽しい場所と言う記憶は残っていないが、大人になってみると無料開放の動物園と言うのは中田市長や現職の林市長以前の歴代市長の果たした史跡保護と教育福祉的な意義を両立させていた偉大さが良く解る。
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史跡保護と言ったが、この野毛山は明治時代には富岡製糸場や第二銀行(横浜銀行)を経営した原財閥の原家や、川崎や鶴見の鉄道網を整備した浅野財閥の浅野家や西武鉄道初代社長の平沼家等の別邸が立ち並ぶ高級住宅街であり、近代日本水道の発祥地でもあった。
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佐久間象山先生が横浜の開港を建議したので、この野毛にはその顕彰碑も有る。
余談だがこの佐久間象山先生を暗殺した人物が・・・
©和月伸宏先生 集英社様 るろうに剣心
緋村剣心です。
・・・嘘です。
るろうに剣心の主人公の緋村剣心のモデルに成った人物、抜刀術の達人だった河上彦斎と言う武士が佐久間象山先生を暗殺した人物でした。
まぁ〜幕末の開港〜明治大正の近代日本発展の礎と成った横浜の昔の中心地の桜木町〜野毛町界隈だから当然ながら幕末〜近代が題材の❝るろうに剣心❞の話しにも繋がるのは必然だな。
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階段を登り進める。
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女性俳人として有名な中村汀女女史の句碑だ。
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横浜を舞台にした俳句を多く読まれた人物なのだが、俳句に詳しくない小生は余り中村汀女女史の事も詳しくは存じ上げない。機会が有れば色々と足跡を辿ってみたいと思う。
又、野毛山の道を歩き進める。
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叔父が右足を少し庇いながら歩いていたので・・・
「叔父さん、右足を庇ってるように見えるけれど股関節が悪いの?」
・・・と問いかけた所、年齢のせいか右足が余り上がらなく成ってきたそうだ。それでも毎日ジムでランニングしているそうだ。「足が悪いならウチの母に見て貰えば良いの」にと思いながら小生も叔父に負担をかけない為に歩くペースを落とした。今にして思えば、疎遠に成っていたので母にも言い出せなかったのだろう。小生との交流再開が切っ掛けに成り叔父も親戚達と又、仲良くなって行って今度こそ過去は過去として、新しい奥さんとの生活も祝福されて幸せにしてあげて欲しいなぁ〜と思う。
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そして出て来た佐久間象山先生の顕彰碑。
先程、中村汀女女史を❝先生❞と呼ばなかったのは日本語における❝先生❞の用法は近代に誤って用いられた漢字の誤植だからだ・・・
❝先生❞とは年長や身分が自分より上の❝男性に対して用いる尊称❞で、教師や技術者や文化人に対する尊称の意味は漢字に含まれていない。
・・・日本語で教師の意味で先生と誤って翻訳された単語は本来は“師”、“老師”や“教師”や“教授”が正しい。つまりドラゴンボールで悟空やクリリンやヤムチャ達が亀仙人に対して用いた尊称を❝武天老師❞とした鳥山先生は正しい漢字の知識が有った訳だ。
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本来の遊歩道を案内板に従って右に逸(そ)れると日本庭園に行き着く。
ここを春に散歩するだけでも良いデートに成るのだろう。子連れには子供が理解できず退屈するかな?
そんな場所を叔父と二人歩く小生(笑)。
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石碑が見えて来た。
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ペリー提督が唯一敬礼した日本人だそうだ。つまり欧米人から見ても博識で欧米の礼儀作法さえ熟知しており敬意を以(もっ)て接する対象だったと言う証明だな。川上彦斎は何をやってんだかな。
一頻(ひとしき)り見終わり遊歩道に復帰し、歩道橋から動物園と反対の左手の高台に進む。
叔父の記憶では其方側も昔は小動物と接する事が出来る動物園の一部分だったそうだが面影は無くなっていた。
歩き進めると何やら近代西洋建築っぽい建物が有ったので写真を撮影してみた。
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実はここは日本最初の水道の配水施設だったそうだ。
何とも横浜らしい史跡だな。この頃の日本の他の都市ではまだ井戸ばっかりだったし、夜は真っ暗だったが横浜の野毛〜桜木町〜関内地区には既に夜道を照らすガス灯が整備されていた。
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先に進むと西洋人の胸像が有った。
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英国人H・S・パーマー先生の胸像。
そして、この説明銅板に刻まれている細郷市長の名!細郷市長と高秀市長は建設族ながら文化的歴史的な教養が現職市長より大変優れていて、都市計画と文化歴史史跡保護を両立させた市長として有名だ。
林文子市長も福祉だけは優秀なのだから、加えて横浜市最大最後の蛍の群生地の自然林と水源地の円海山瀬上沢の保護を歴代市長と同じく行うべきだ。現在の瀬上沢の東急不動産による自然破壊宅地開発計画を撤回させ市が栄区の田谷辺りの遺跡の無い耕作地を買収するなりして代替地を用意するとか、東急不動産に横浜市民反対署名12万人+市の有識者の開発反対票過半数の結果を重く受け止めさせ土地を自然保護区域として寄贈させるとか鎌倉市の鎌倉歴史文化交流館開館の先例を踏まえて東急に対して横浜市民に土地を寄付するように勧告して欲しい。
あと続日本100名城に認定され日本全国の歴史ファン城郭ファンから重要性を認められ日本の都市部屈指の保存状態を誇る港北区の小机城を早く横浜市から文部科学大臣に史跡として推薦して国指定史跡認定を受けるべきだと思っている人は物凄く多い。
この2つを行うだけでも、戦国武将で江戸時代の本牧奉行の間宮家松本城址の桜道の桜の大木の並木道の伐採を行わせた罪や、野毛山動物園の規模を縮小させた罪や、原財閥が公共福祉の理念から無料開放していた原家邸宅の三渓園を寄贈されたのに入園料を値上げした罪の全てを贖罪する事にもなるし、逆に高秀市長や細郷市長に並ぶ歴史文化保護の功績を後々数百年後の横浜市民にまで伝える事が出来るのでは無いかと思う。
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パーマー先生に話を戻す。
この人の作った煉瓦製の水道や下水道は実はつい最近まで横浜市中区の一部区間で現役で活躍していた。当時の下水管や水道管は元町公園階段の壁や関内地区の日本大通り沿いに史跡として展示されている。
日本の近代発展が独力だと思い込んでる日本人は多いが実は英国政府が多額の資金援助をしてくれたり、近代都市整備や要塞や戦艦の建造技術を供与して下さった御蔭で現代の日本が有る事をステレオタイプの右翼や左翼の両極端な連中には微塵も顧(かえり)みない奴が多い。
ハッキリ言って生麦事件や薩英戦争は完全に英国政府の陰謀だし、彼らには日本植民地化の野心さえ有って討幕運動の陰には100%フリーメイソンの関与が有ったと小生は思っているし、それを阻止する為に江戸時代初期に横浜を治めた間宮家の一族の幕末の子孫の間宮一サンが無実の罪を着て井伊家との安土桃山時代からの繋がりで鎌倉事件の犯人として人柱に成り処刑されたと小生は推測しているが、日本人の気質や能力を不幸な軍事外交衝突や民間交流を通じて知った英国だからこそ、後に日本人に多大な投資をしてくれたのだろう。
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例えば薔薇の花とウッドデッキの遊歩道でデートスポットとしても横須賀市民や横浜市民に愛される横須賀のヴェルニー公園だが、ここは江戸幕府の小栗上野介公とフランス人のヴェルニー先生が建設した横須賀製鉄所の造船所を見渡す場所だったりする。日本の明治政府がロシアのバルチック艦隊に勝利出来たのは横須賀製鉄所が有って軍艦を整備出来たからだが、これはやはり、フランス人であるヴェルニー先生の設計と英国政府の製鉄施設に関する支援が有ったからだ。
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今は運が良ければ公園の奥にはイージス艦が停泊してる様子を見る事も出来る。
旧横須賀製鉄所では当時のスチームハンマーもつい最近まで現役で使われていて、それを知った現代の英国政府がビックリしたなんて逸話も有る。
そして日本の都市発展や産業発展の基礎を築く一端を担って下さったのがパーマー先生やコープランド先生達だった訳だな。そこには幕府幹部として明治新政府に処刑された小栗上野介公の活躍も有った訳だが。そしてフリーメイソンが日本と日本人と日本の文化を評価し活かし存続させようとも動いてくれたのだと小生は推測している。
…高須医院長、末期癌らしいけれど出来るだけ長く元気に活躍して頂きたいなぁ〜。
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暫く行くとハナミズキの樹が植樹されている。アメリカのワシントンの桜並木が有名だが、実はあの桜並木は❝シドモア桜❞と呼ばれているのだが横浜から贈られ、その返礼にここにアメリカからハナミズキが贈られて植樹されたのだが…
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・・・その企画を推進したのがE・R・シドモア女史だったので、その名をとってシドモア桜と呼ばれているそうだ。因(ちな)みに、この時に桜を植林しアメリカまでの輸送を成功させた植木会社が今も横浜市に現存している。
横浜植木株式会社様ホームページより拝借 久良岐のよし
https://www.yokohamaueki.co.jp/index.html
横浜植木株式会社と言う企業だ。
この企業が現在も横浜で活躍している事はハマっ子としても日本人としても誇らしく思う。
ハナミズキの前を通り過ぎると横浜を見渡せる丘に近年設置された展望台が在る
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景観を壊さない様に近代西洋建築風に成っていてとても良いと思う。
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野毛山公園展望台
叔父の様に足が少し悪い人でも後期高齢者でも安心して風景を見られるようにバリアフリー化されていてエレベーターが設置されていて、横浜市として良い仕事をしていると思う。素晴らしい。
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現代では高層ビルが増えてしまったので海は見渡せないが、それでもランドマークタワーや観覧車も見えて家族連れで動物園に来たついでに子供に横浜の風景を見せるには良い場所だ。きっと少し大きくなって彼氏や彼女が出来たら親と来た此処(ここ)を思い出してデートに来るかも知れない。ここから見る夜景は特に綺麗だろう。もっとも、夜間はシャッターが降りるような構造が有ったので展望台には入れないかも知れないが、それでも丘から見渡す夜景はきっと綺麗でデートにも適していると思う。
う〜ん・・・
毎回家族連れやカップル向けに情報を提供しているのに小生は独り者なんだよね。
でもソレは小生の趣味が歴史で歴史好きな女性なんて絶滅危惧種だったり、同年代の女性は適齢期で既に結婚してる人が大半だったり、自分の頑固で融通の効かない性格や女性だろうが男性だろうが全く良くも悪くも区別しない言動にも問題が有るのを自覚して改善したいと思ったから叔父サンに話を聞いて貰って色んな事を叔父さんとの交流を通じてこれから学び取って行きたいと思ったんだな。
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そして、ここに来るまでに叔父さんから既に大切なアドバイスを貰った。
「嫌いな人でも相手の身に成って相手の尊敬出来る面を大切にすると良いと思う」
「どんな人も大切に接する事が仲良くなる本質だと思う」と言う事だ。
確かに叔父さんには「家族大切にしてないじゃん?」と夫や父としての責任に於(お)いては一瞬ツッコミ所が有ったし、小生の方が❝責任感❞や❝信義❞と言う点に於いては叔父よりは男として自覚は有るかもしれないが、普段から相手の立場に立つと言う事は小生は軽視しがちに成る。
自分がIQ132な上に危険予測と準備を理詰めで行い、相手の意思を無視して相手のサポートを行ってしまう。小生を依存気味に頼る人や部下達には良いかも知れないが、これは優しさでは無く押しつけに成ると思う。だから叔父にも一瞬で見抜かれた訳だ。
そして叔父の更なる一言・・・
「真面目だよね。考えを通す信念は性格だけど、堅物で押し付けに成るかもしれない」
・・・と歩き始めて30分そこいら、小生も全て自分の失敗も成功も悪い面も良かった事も包み隠さず正直に話したとは言え、的確と思われる事を幾つも言い当てられた。
そんな話をしながら歩くと水道みち「トロッコ」の歴史と言う案内板が有った。
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現代も横浜の水道は津久井の道志川から引かれているのだが、なんと横浜から津久井の道志川(津久井湖)までの水道敷設には野毛〜津久井に至るトロッコが引かれたそうだ。
…大久保利通公や西郷隆盛公が鉄道の基礎を築いて下さったので、トロッコの技術も運用出来る様に成っていたんだね。明治の元勲達に改めて感謝。
横断歩道まで戻り、野毛山動物園の入り口に移動。
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カップルや近所からの散歩客がいるが平日金曜日と言う事もあり人は凄く多くは無く丁度良い。
横浜市営なので無料なのだが、多分、市外地の地方からの移住者は存在すら知らないかも知れない。
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入口の受け付けもパンフレット配布と案内や迷子の放送やをするのが主な仕事。
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市営ながら入って直ぐ右手には売店も有り可愛いヌイグルミも沢山売っているので、今度、妹の所の甥っ子と姪っ子や弟の所の姪っ子達を遊びに連れてきてあげたいなと思う。
・・・本当はね、自分の彼女や奥さんや家族と来るのが一番幸せなんだと思うけれど、好きになる人には悉く嫌われちゃって最後通告されてやりとりも無視されちゃうし、まぁ、そうさせてしまう自分の性格の問題点の改善や足りない物を叔父から学ぶ為に今回来れて本当に良かったと思う。

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野毛山動物園
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子供の頃はゴリラさんやシロクマさんに加えて❝はま子❞ちゃんと言う象サンも飼育されていたのだが、最近の横浜市による自然や公共の福祉の軽視、歴史文化史跡軽視の風潮からか既にいなくなっていた。
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何か飼育に困らない小動物はいるらしい。
叔父と昔の野毛山動物園の記憶を掘り起こしながら歩くととても可愛い子が出迎えてくれた。
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最初は何処(どこ)にいるのか解らなかったけが樹の上で生活する動物だと言う事を知らなかったから見つけられなかったんだな。
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レッサーパンダくん。も〜クソ可愛い(笑)♡
残念なのは独身未婚の小生が一緒に見に来ているのが彼女や奥さんや自分の子供ではなく❝叔父❞と言う一点だな(笑)。
そこから先に進むと3歳の頃の記憶が鮮明に残る物が半ば放置する様に展示され残っていた。
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横浜市電だ。横浜市民から通称チンチン電車の愛称で呼ばれていた路面電車。交通量の増加で消えた。
磯子区滝頭の横浜市電保存館に沢山保存展示されていて、安価な入場料で子連れで遊ぶ事が出来る。
久良岐公園や本牧市民公園にも展示されているかな?
横浜市電保存館に関しては以前紹介記事を書いているので興味の有る人は参考にして貰うと良いと思う。
記事リンク⤵

横浜市伝保存館…格安の鉄道博物館。子供の夏休みの思い出作りにピッタリ!

子供の頃の記憶で間違ってるかも知れないが以前と置いてある場所が違うんじゃないかな〜と思った。
叔父はこの変にキリンが居たんじゃないかと話していたかな。
「そう言えば何で野毛山動物園で会おうと思ったの?」
・・・と叔父に聞いた所、叔父は「よっ君から声かけられて何となく思い浮かんだんだよ」と答えたのだがが、「もしかしたら俺の記憶が子供の頃のままだったからかな?」と再度聞き返すと「そうかもね〜」と言っていた。叔父の中では小生の記憶は子供の頃のまま止まっていたんだな。
会わない時間が長すぎたけど、又、会えて良かった。
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ここはチンパンジーがいるらしいが厩舎の中に引っ込んでいて一頭もいなかった。その代りチンパン先生の凶暴に暴れる❝ドォーン❞❝ドォーン❞と扉かなんかを叩き付ける音がして「キイ〜ッ!」と言う攻撃とも威嚇ともとれる奇声が聞こえてきて動物園なのに平和な感じとは程遠い異様な雰囲気を此処だけ感じた。
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上から見た何だか解らない元は動物がいた空の空間。
下に降りるとコンドルの飼育されている檻(おり)が有った。
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上手く撮影できてないね。
その近くに最近までシロクマが飼われていた❝空の厩舎❞が展示されていた。
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う〜ん…どうなんだコレ?
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まぁ中に入れるのは貴重な体験かも知れないけれど、大型動物を減らし過ぎじゃないのか?
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まぁ子供達が喜んでるなら別に良いのかな?
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しかし、シロクマ飼育するのって命懸けだろうね。シロクマに限らずライオンとかトラとか熊とか飼育員さんが良く殺される事件起きてるもんね。
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そんな危険性が有った事を施設を見学出来る様に開放しているのは苦肉の策とは言え子供の教育にも有意義だと思った。自分の子供いないけど(苦笑)。
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白熊舎を後にすると、次はツキノワグマの檻が近くに在った。
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丁度お食事中の時間帯だったので熊が食事している珍しい光景を見る事が出来た。
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起用に長い舌を使って穴からドングリを取り出して口の中でドングリの皮だけを噛み砕いて吐き出して中身を食べていた。てか、冬でも冬眠するとは限らないんだね。刺激が有ると普通に起きるらしい。
冬だからって安心して山城とか登ってて遭遇したら怖いな。
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銅像と説明板。
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そしてペンギンさん。みんな従姉妹兄弟(いとこ)同士の近親婚らしい。
余談だが天智天皇や天武天皇の頃まで日本の豪族や皇族も兄妹婚とか近親婚は普通の文化だったりしたんだが、現代人の感覚では考えられないね。
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ニューカレドニアかなんかにいるナントカって鳥(笑)。ズングリしてて可愛いかと思いきや神経質でコチラをチラ見しまくり行動が微妙だった。
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ニワトリさん。ここでは小動物と子供達が触れ合う事が出来る。
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ワラビーの飼育されてる場所なんだけど寒くて出てきてなかった(笑)。
叔父と話をしていてスッカリ見るのを忘れていたが、この他にも虎やキリンもいるから、無料で見物出来るし野毛での食事やランドマークタワーやミナト未来21地区にも歩いて行ける距離だから親子連れやカップルでの散歩には持って来いだと思う。
そして叔父に言われた…
「合う女性とは初対面から打ち解けるよ。」
「俺なら無理な努力しないし相手の為にも頑張り過ぎないかな」
…これは色々と受け止めるのが複雑だった。
昨年、好きな人に片思いしながら色々と準備していた一環での新たな資格取得講習で一緒に成った女の子がずっと親切に友好的に小生の近くに居てくれて肯定的に接し続けてくたのに片想いの相手に義理立てし電話番号すら聞かなかった事とか、断ったお寺の跡継ぎの話しとか、断った引き抜きの話しとか色んな事が思い出された。
それでも片想いした女(ひと)の事が好きで、ずっと変わらないと思うんだよね。
相手が何が有っても経済的にも支えられる様に投資の御金取り崩して、資格取得で高収入の年収の確約を貰って転職の準備して、それに向けて学習して、相手に釣り合うように昔の外見に戻る為に27kg痩せて。
色々やったけど相手の為には確かに叔父の言う通り独りよがりに成らず、淡い縁の期待は心の底に残しながら、もう今年は去年みたいに若(も)し小生に好意を持って好意を伝えてくれる人がいたら、そのご縁を無下(むげ)にせず、流れに任せてみようと思う。

ただやはり気がかりなのは、小生をガン無視した女(ひと)は、このまま人生1人老人に成った時に寂しい思いをする事に成ってしまうんじゃないか子供も産まず将来を一人で生きなきゃいけないんじゃないか、本当に背中合わせて生きていける信頼に足る男に会えるんだろうか?とずっとソレが喉に引っかかった骨とかみたいに心にチクチク刻まれているんだな。
どうか幸せに成ってくれます様に…

でも叔父さんの言う通り、そうやって決めつけるのを辞めるのと、もう自分の利益も少し優先しても良いのかと思うし、信頼する先輩の言う通り「執着に成るから忘れろ、相手もっと嫌われるかも知れないよ」とまで言われてしまっているし。

此処からは大人としても、相手から近づいてくれない限りは無理をしない様にしようと思う。
そして、もし小生を信頼してくれて小生も相手をリスペクト出来る出会いが有ったら今年は流れに任せて、ご縁を大切にして、全ての可能性を否定せず、男女問わず苦手な人種の人との交流も相手が小生に接して来てくれるなら人として大切にしたいと思う。

叔父さんと日ノ出町駅に向かう別れ際の会話。
叔父「よっ君、お酒好き?」
小生「叔父サン、俺酒凄く強いんだけど営業やってた頃とか父親が酒飲んで暴言吐くのとか嫌な思い出しか無くて大嫌いなんだよ」
小生「だから絶対に誰に飲み会に誘われても行かないんだ、女の子に誘われても」
叔父「そっか、じゃあ次は俺と少し飲もうか?」
小生「(嫌いっていったじゃん)!?え?」
叔父「リハビリだよ(笑)」
小生「う〜ん…叔父さんとなら良いかな?」
…ほんのチョビッと、叔父さんに再開した御蔭で何かが動き出したかも知れません。


…では、又、次の記事でお会いしましょう。