歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:チャッキラコ

前回の記事⤵
【休日雑記】07月11日~14日・・・三浦半島景勝地と聖地の旅(その③港屋~長津呂~馬の背洞門~城ヶ島商店街~楫の三郎山~灘ヵ崎散歩)。
コレの続き⤴


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城ヶ島を出発してから海南神社の例大祭を見物する為に最初に向かったのが三崎漁港の観光市場❝うらり❞の駐車場。更に駐車場から❝うらり❞に移動。
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うらり(観光市場)
うらりに来ると必ず食べる物が有って、今回もソレが目当てだった。
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三崎漁港名物の鮪を使った物で、鮪の串カツとコロッケだな。
コレが物凄くシンプルに美味い!何故、三浦市はこれをB級グルメグランプリに出店しないのか理解できない。訳の分からないトロ饅頭とか鮪ラーメンとか余計に手の込んだ鮪の良さを活かせない料理を出品してるのだが、鮪はカツやコロッケの方が調理も単純で名物として多くの店が販売させ易いし土産としても流通させ易いのは火を見るよりも明らかなはずなんだが・・・
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三崎に来た事が無い連中を連れて来ると毎回必ずコレを食べさせるが皆口を揃えて美味いと言う。
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うらりは1階のエントランスと2階に軽食出来るテーブルも有るし、買い食いにも適している。
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一応飲み物は申し訳程度の特保の御茶・・・
串カツを食べ終えて海南神社例大祭の❝屋台❞での買い食いの為に三崎銀座商店街に向けて移動開始。
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すると漁港と商店街の間に有るバス停周辺は既に活気に溢れ、山車(だし)が出て若い女性氏子衆が御囃子(おはやし)を演奏していた。
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そして屋台が沢山見える♡けれど食い気は一先ず置いておいて、神輿担ぎが始まってしまう前の氏子衆の神社への参集の様子を撮影するべく海南神社の参道へ移動・・・
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丁度、入舩地区の氏子衆が練り歩いて行く所だった。三崎漁港海南神社の例大祭は各地域がそれぞれ神輿を持ち出し、引率する役員の様な人物が小唄を謳い、それに大声で担ぎ手が呼応し掛声を上げながら神輿を高く激しく掲げ挙げ引き下ろし又持ち上げてを繰り返す。
この数組の神輿を持ち出して練り歩く様子も勇壮なのだが、その前の参集する際の各組ごとの小唄と掛け合いも見応えが有るんだな。
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ソレを見るのが目的・・・とは言え、神社の神事だし、そもそも海南神社を氏神としていた三浦家の三浦義明公や三浦義澄公、和田義盛公を尊敬する小生は神様達と殿様達の御霊に今年も参拝で来た御礼と御挨拶を申し上げる為に先ず社殿へと向かい氏子衆の横をすり抜け追い越し参詣した。
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海南神社
ここは平安時代の港だった❝うらり❞と入舩地区の間の船着き場の入江を守る位置に鎮座している。
近所に在る本宮神社が、別の主祭神として合祀される藤原資盈公と盈渡姫御夫妻の元宮で、この御夫妻は公家でありながら政争に敗れ三浦に落ち延びて来て、この地で文化発展に寄与され漁民達に教養を身に付けさせるべく現代で言う所の❝教育政策❞の一環として小唄や読み書きを教えたのが❝チャッキラコ❞と言う神事の前身と成った。
この藤原資盈公御夫妻が伝えた文化を鎌倉時代に漁民の母娘が踊り歌う様子を見物され褒め称えたのが近くの本瑞寺敷地に春の御所を構えていた初代鎌倉幕府征夷大将軍と成った源頼朝公で、これが毎年行われ現代にまで脈々と伝えられて神奈川県では恐らく数少ない❝世界遺産❞登録されユネスコ世界無形文化遺産と成った❝チャッキラコ神事❞に発展した。
平安時代末期には和田義盛公達三浦党の武将達が、源頼朝公の石橋山合戦での敗走を知り海路房総半島へ撤退する際に海を漂う中、兵糧尽きた際に漁に使う籠=筌籠(せんろう)を使って魚を捕食し命を繋ぐ事が出来たので、水神であり軍神でもあるヒンドゥー教由来の女神の弁才天様の御姿の彫像❝八臂弁財天❞と筌籠を御神体として祀った事から近代まで❝筌籠弁才天❞の別名の方が有名にも成っていた由緒有る神社だ。
世界無形文化遺産の❝チャッキラコ❞に関しては以前書いた紹介記事が有るので、興味の有る方は読んで頂くと幾らか参考に成ると思う。
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コレが以前書いた記事⤵
チャッキラコ!ユネスコに世界無形文化遺産登録されている三浦半島三崎町のお祭り。
さて、今回の例大祭に話を戻す。
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御参りを終えて鳥居の場所まで戻ると、丁度、最初の組が❝掛け合い❞の小唄を止まっては歌いしながら順番に神社境内に入って来る所だった。タイミング良いね♪
この組毎の❝掛け合い❞の迫力は音声が無いと伝わらないので、小生、今回YouTubeに動画を人生初投稿して見ました。
コレ⤵

この組、珍しく歌い手が歌詞を忘れてしまって(笑)ユーモラスな感じに成りながらも氏子衆との掛け合いが迫力有りとても良かった。歌詞の内容も良く聞くと、氏子衆への体調管理や御祭りが無事に進行する願いを込めた物で平和で活気有りホッコリと勇ましさが両立され和やかな雰囲気に包まれていて良い♪
こう言った昔ながらの伝統が続く場所が神奈川県下では少なく成っているし、この規模の行事を維持出来るのは一重に海南神社の宮司様と氏子衆の努力の賜物だと思う。
その方々の御陰でこうして例大祭やチャッキラコを楽しませて頂き、一時の間、昔の人達と同じ文化同じ空気と時間を共有させて頂けるのは非常に幸せな事に感じる。
宮司様、氏子衆皆さん祭りを守って下さってありがとう。
一頻り見物すると未(ま)だ、神社に人が集まってる内に屋台(笑)に移動して色々と物色開始・・・
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子供喜びそうな御面、最近余り御面の屋台を横浜市では見なく成って来た気がする・・・
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商店街も営業中。
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たこ焼き食べたかったけど今回は保留。
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三浦ガラス工芸館Kirari
商店街を歩いて屋台で何を食べるか物色していると、Kirariの前を通った。今回は入らなかったが、ここではガラス製品の販売や体験学習を行っていて、確か予約しなくても簡単な物だったら飛び込みで作らせて貰えたと思うが確認してないので興味が有る方は事前に問い合わせしてみると良いと思う。
うらりや三崎銀座商店街で鮪料理を食べに来るだけでなく、ここでガラス工芸品を自作するとデートに来るカップルや子連れの家族には良い思い出に成ると思う。城ヶ島散策や京急油壷マリンパーク見物、荒井浜や三浦海岸等での海水浴のレクリエーションと合わせて来ても良いかも知れない。
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今回小生は数ある屋台の中から結局、お好み焼きをチョイスした。これ、今年一番の屋台お好み焼きだった!美味しかった。
食べ終えてから少し商店街を散歩・・・
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本瑞寺の入口。ここは鎌倉時代に源頼朝公の春の御所が有った丘の入口。そこに江戸時代に入舩地区に在った本瑞寺が火災で焼失後に移転再興された。架空歴史小説❝桜の御所❞を筆者の村井玄斎が執筆した場所でもある。何度も言うが小桜姫は架空の人物で、モデルは三浦義意公の奥方の真里谷武田家の姫君で、桜のイメージは執筆場所の本瑞寺が春の御所で当時は桜の名所だった城ヶ島を眺める為の頼朝公の別荘だったイメージと、小桜姫の実家のモデルが横浜市の桜の名所の金沢文庫稱名寺の境内地、金沢城址に設定されているからで時代設定も室町時代と平安時代が故意に混ぜてあり架空小説である事が解かる設定なのだが、ここは曹洞宗の寺院なのに、それが歴史に疎い浅学な別宗教のカルト信者には理解出来ず信者獲得の為の勝手に曹洞宗の寺院なのに自分の布教活動に悪用したりされている。
もっとも、歴史を知っている人には曹洞宗の由緒ある御寺としてちゃんと認識されており、正しい仏教信者が御朱印を頂きに上がったりする親しみ易く歴史ある御寺だったりする。
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海光山 本瑞寺
城マニアも訪問する人が多く、ここは戦国時代には隣の光念寺と合わせて三崎城の曲輪(くるわ)の一つとして防衛機能を担う場所だった。つまり戦国時代までは、この真直ぐな参道は無かった筈で、源頼朝公の時代には山の上側に入口が設けられていた筈なんだな。
ここで本瑞寺の曹洞宗の御本尊釈迦牟尼仏様、ここに在った別荘に滞在していた源頼朝公の御霊、そして元の入舩地区に前身寺院を建立した三浦義意公と三崎城主で安土桃山時代の関東屈指の名将だった北条氏規公の御霊に御挨拶の参拝をしてから屋台に戻った。
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本瑞寺参道の目の前には昔懐かしい昭和チックな駄菓子屋が今も営業している。
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去年出来たばかりの御店。
ここもKirari同様に手作りの物品を販売する御店。
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好きな人は好きだろう。特に女性とか。
可也(かなり)暑かったので、少し涼みたく成っていた所に、昨年の訪問時に新しくオープンしていて気に成っていたドーナツ屋の喫茶店に入って見る事にした。
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ミサキドーナツ三崎本店
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色んなドーナッツが有って去年も凄く気に成っていた。今年は水分補給に珈琲飲むついでの冷房泥棒(笑)に入店させて頂く事に・・・
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色々有って目移りしそうだが、小生は抹茶ラテドーナツとアイスコーヒーを選んだ。
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御店も綺麗で若い人から年配の人まで入り易く良い。
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ドーナッツもチェーン店の物より個人的に美味しく感じた。
又、次回御腹がいっぱいじゃなかったら立ち寄りたいと思う。
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例大祭見物と腹ごなしを終えて❝うらり❞の駐車場へと戻り、車に乗った。
帰り、道の駅❝すかなごっそ❞に立ち寄り更に買い食い(笑)!昼食オヤツと間隔を明けず夕食と成った・・・
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鰺フライ。
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足柄茶とネギトロ巻。
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すかなごっそで売ってるネギトロ巻が美味しいのは既に知っていたが、鰺フライがスンゴイ美味くて良かった!又食べたい。
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そして更に横須賀PAでソフトクリームを食べて1泊2日で3kgリバンドした小生(笑)。
そこから又、肉と野菜と煮干しと牛乳と納豆の食事とジム通いで元の体重に戻すのに3日間かかりました。

今回の三浦の旅もとても充実したものと成り良かった。残念ながら三浦義意公と道寸公親子と三浦北条両軍の供養の写経は書き損じて後日改めて納経する事には成ったが、城ヶ島商店街の人々は親切で港屋の御飯も美味しく、城ヶ島の山百合と海の景色もとても美しく、三崎の昔からの勇壮な神事の迫力も満喫出来て、新しい御店も開拓できた。
三浦半島は小生の精神の癒しの場であり、美味しい場所(笑)でもある。
何度でも何度でも通うだろう。
三浦半島には沢山、良い旅館と美味しい御店が有るのでこれからも少しづつ紹介して行きたいと思うし、それが小生に出来る神奈川県の発展と日本防衛の基礎を作って下さった源頼朝公や三浦家の殿様達への恩返しでもあると勝手に思っていたりもする。

次は三浦のどこに行こうかな?又、港屋には宿泊に来るし、長津呂荘や城ヶ島京急ホテルにも泊まりたいし、観音崎京急ホテルや横須賀のホテルも開拓したいなと思う。

皆さんも是非、三浦半島の景色、満喫して頂きたい。本当に癒されるから…

では!又、次の記事で~!


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皆さんは神奈川県の三浦半島に富士山のビュースポットとして素晴らし場所がいくつも有る事を御存知(ごぞんじ)でしょうか?
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黒崎の鼻
〒238‐0111 神奈川県三浦市初声町下宮田付近

黒崎の鼻と言う岬に通じる直線の農道は約1.5kmに渡り富士山に向かって伸びています。
この農道、何故こんなに真直ぐかと言いますと、アメリカが関係有ったりします。
先ずは航空写真を使って説明しましょう・・・
黒崎の鼻と三崎口駅位置関係 久良岐のよし
黒崎の鼻に繋がる農道は2本有り、どちらも京浜急行電鉄三崎口駅を起点にする様に伸びています。
実はこの2本の農道、第2次世界大戦終結時に日本帝国海軍の横須賀鎮守府が米国の第7艦隊に接収された際に米軍の空港建設予定地に成り整地されました。そして、計画が頓挫してからも、そのまま真直ぐな農道として残った訳です。
もしかしたら京浜急行の三崎口駅がここに作られたのも、当初は空港建設を当て込んでの物だったのかも知れません。
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とっても綺麗な風景なので、この農道では多くの映画やドラマがロケされています。
しかし綺麗なのはこの真直ぐな農道と相模湾の先に見える富士山の風景だけではありません。
真直ぐな農道の内、北側の方を真っすぐ進むと下の写真の場所に出ます。
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・・・こんな場所、普通は通りたくないけど先に有る景色を知っているから入って行ける。
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何にも知らない他府県の人が来たら尻込みしそうな獣道にしか見えませんが、ここが絶景の富士山が見られる“海”に繋がっている道でちゃんとした公園の遊歩道なんですよ。
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少し歩けば海が見えるので諦めないで下さいね(笑)。
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この黒崎の鼻は自然の柴や笹に囲まれている日本離れした風景なのですが、それ故(ゆえ)に観光に来るには海水浴シーズンでは“蚊”が多くて大変に成ってしまう上に、それこそ海上の水蒸気で大気がガスって富士山を綺麗に見る事が出来なく成ってしまいます。CIMG5894
この写真を撮影に行った日は11月下旬で日没時間が16時半で有る事を予(あらかじ)め確認してから農道での昼の風景の写真撮影も考慮して夕日も撮影出来る様に16時に現地に到着する様に横浜市の円海山の麓の自宅を出発し、計画通りの運びに成りました。
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薄木(すすき)もとても綺麗な場所ですが…
「富士山見えないじゃん」
・・・って?イヤイヤこの風景は黒崎の鼻、つまり黒崎と呼ばれる岬の鼻っ柱に当たる先端部分なんですよ、位置的にはもっと先っぽに行くか海に降りると綺麗に富士山が見えます。
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こんな風にね!
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とっても綺麗でしょう?
ここで撮影された映画とドラマは主だったものでも以下の様な有名な物が有ります。
義経(歴史大河ドラマ)
龍馬伝(歴史大河ドラマ)
女帝
ライアーゲーム1、2
花より男子2
恋の時間
氷点
ATARU
BORDER
デカワンコ
仮面ライダーシリーズ多数
戦隊シリーズ多数
最近ではドクターX3でもロケハンされていました。
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小生が訪れた日も何かの撮影隊が着てオメカシした女性が丘の上と海辺で撮影していました。
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この芝生と海岸の風景、丸で英国スコットランド地方の海辺みたいですよね。
・・・行った事無いんだけど(笑)。
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とにかく夕日が綺麗な場所でもあり富士山も綺麗なんです。
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小生は他にも富士山の見える好きな場所が神奈川県内にいくつか有りますが、ここはトップクラスですね。
ここ黒崎に匹敵するのは例えば下の写真の鎌倉市材木座海岸とか…image
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下の写真の横浜市栄区の円海山山頂から見る日没直後の富士山とか…
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平塚市と伊勢原市に跨(またが)る富士見台から見る日没直後の大山(大山祇神)と富士山(此花咲耶姫命)の親子の山の見える風景とか…
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それとベタですが鎌倉市の稲村ヶ崎の七里ヶ浜~江ノ島と一緒に見える富士山は江戸時代に歌川広重も絵に描いている程でとても綺麗で好きですね…
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これらの場所は甲乙つけがたいのですが、中でも特に黒崎か稲村ヶ崎の富士山が綺麗だと思います。
他にも箱根の大涌谷から見る富士山とか、三浦半島の秋谷海岸立石公園から見る富士山も好きで、ブログを書き始める前の4年前までは時間が有ると良く散歩しにドライブに行っていました。
さて、今回は黒崎が舞台なので黒崎の写真に戻ります。
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三浦半島の西海岸は大陸プレートの衝突する場所で隆起する地盤なんです。だからこんな風に岩礁の磯が多く見られます。
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そんな岩礁の先に見える富士山と夕日も綺麗でしょう?
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もっと海が荒れる台風翌日なら迫力の有る波頭の飛沫(しぶき)も見えるかも知れませんね。
でも富士山が綺麗に見えるのは11月末~2月初頭までの寒い時期だけですから、荒れた海の景色を撮るなら近くの長井の荒崎海岸の方が良いかも知れません。
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夕日に合わせて訪問し成功して本当に良かった1日でした。
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同じく撮影に来ていた男性も、夕日を前にして撮影すると絵に成りますね~。
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小生は写真撮影は下手な部類だと思うので、誰でももっと上手に撮影出来るはずですよ!
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綺麗な赤富士だ・・・
そうそう、最初の方で紹介した下の写真ですが…
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実はこの黒崎の鼻の丘、戦争中に海軍の要塞が作られていました。この先の油壷湾には人間魚雷の回天の出撃用の壕なんかが存在したので、ここにも配備されていたのかも知れませんね。
幸い、三浦半島に米軍が上陸する事は無く戦争は終結したので怖い場所では無く現代では子連れの若夫婦や恋人達にも愛される散歩道です♪
帰り際に又、農道で富士山の写真を撮影しました。
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本当に良い場所なので、御正月の連休中や冬の間に是非、皆さんも撮影に訪れてみては如何でしょうか?
高速道路に接続する三浦縦貫道路に戻る途中にはスカナゴッソと言う道の駅が有ります。
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すかなごっそ
ここでは三浦名物の三浦大根や蜜柑等の農産品に加えて、名物の鮪や魚の干物が直売されています。
そして小腹が空いたら御寿司やネギトロ巻なんかも売っていますよ~♪
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この日の小生の車中での夕飯に成りました(笑)。
これから御正月に突入しますが、三浦の三崎漁港の❝紀の代❞と言う御寿司屋さんは例年1月3日からやっていて御節料理に飽きた時には御薦めです!
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鮪の皮や胃袋や白子、カマ焼き等、普通のお寿司屋さんでは食べれない鮪水揚げ漁港ならではの希少部位が食べられるお店です。
紀の代
以前お店を紹介した記事です→

御正月のレクリエーションの参考に成れば幸いです。
三崎漁港には海南神社と言う凄い神社も有ります。
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海南神社
元々は筌龍弁才天(せんろうべんざいてん)と言う名前だった神社で弁天様でした。筌龍(せんろう)と言うのは筌籠(せんろう)と言う漁具が転訛した当字で、元は源頼朝公の参謀で初代の侍所別当職(軍事長官)を務めた和田義盛公を助けて源頼朝公に仕官させた御利益に由来する社名です。
ここは平安時代までは三浦水軍の三浦家から三浦半島の総社として、そして戦勝祈願の神様として崇拝され、名将の三浦義明公やその御子息で和田義盛公の従弟に当たる三浦家当主の三浦義澄公が海南神社を大切にしていた時期の三浦家は源頼朝公の配下の中でも最強の軍団でした。
その証拠に実は源義経が立案したとされる神戸の福原攻めで行った“鵯越の逆落とし”の迂回急襲作戦は、三浦家一族で横須賀市の佐原城主“佐原義連(さはらよしつら)”公が立案した作戦と言うのが実際の所でした。そして作戦を実現したのが横浜市港北区の茅ヶ崎城主でもあった多田源氏の多田行綱公でした。
そんな名将が崇敬した御利益の強い神社が海南神社で、戦国時代にも北条家三崎水軍として活躍した武将達から崇敬を集めていました。
この海南神社で毎年1月15日に行われる❝チャッキラコ❞と言う神事は❝ユネスコ無形文化遺産❞に登録されているのですが、結構、日本人の方が知らないんですよね。
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こちらも以前書いた記事が有るので、是非参考に御覧下さい。

さて、海南神社を紹介したので、神奈川県内の凄い歴史と御利益の有る神社仏閣の纏め記事も紹介して、今回の〆にさせて頂きます。

この記事は赤字部分が未編集ですが、文字制限数の1万5千字を超えてしまったので記事を分割して再編集し索引も就ける作業をする最中ですが、一応、ほとんどが解説も掲載してありますので初詣の参考としてお役に立てたら幸いです。

皆さんにとっても良い年末年始に成ります様に~♪
では、又、次のブログ記事で♪


























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前回の記事が7月30日の休日雑記なので前後してしまうけれど、7月16日の休日雑記も兼ねた❝三崎漁港❞の❝海南神社❞の例大祭を紹介したい。

2016年07月11日が尊敬する三浦義意公の太陽暦での命日だったので連休を取り菩提寺への御参りと御廟所への献花をするがてら横須賀~観音崎~三崎~城ケ島~油壷~諸磯~三浦海岸を旅行した。
…横浜に住んでいるので車で45分程度の距離、本来は宿泊する必要も無いのだけれども三浦半島をたまにはユックリ旅して見ようと思った訳だ。
その時に、宿泊先の給仕係のオバちゃんと三崎城址のローカル知識を御教授下さった三浦市の教育委員会の方に、「週末16日に行われる海南神社の例大祭がとっても賑やかだから是非、見学に来られては如何か?」と観光の御推薦を受けていたので「是非にも!」と約束をした事を守る為にも、美味しい物を食べる為にも御祭りを見学する事にした。
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真ん中で鉾(ほこ)を持ち、天狗面で左右に部下を従えて立っているのが猿田彦(さるたひこ)を演じる氏子サン。
猿田彦は天照大神系の武御雷(たけみかずち)神等、敵方の軍勢を先導し出雲神族の神域への侵攻させた❝出雲系の神様❞で神楽等を司(つかさど)っていた。
だから祭りの先頭にたっているんだろう…

この日の祭りは12時から海南神社で神事がスタートすると三浦市役所の方に聞いていたので家を10時に出て、御寺で写経をして11時に横浜を出発したのだが、生憎(あいにく)と夏季の三浦半島の観光地はどこも繁忙期で高速道路も一般道路も全て渋滞…
三崎漁港の海南神社に到着したのは12時半頃だったが、まだ海南神社の境内では神輿の担ぎ手が気勢を発し大声を上げて町内の人々や観光客で盛り上がっていた。
どうやら三崎町の町内各地区に何基も神輿や山車が有るらしく、地区毎に順番に海南神社で出発の儀式をやるらしい…
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だから商店街にも待機している山車が沢山いたんだね…
先に出発した神輿も見かけたので「もう神社の御祭りは終わったのか?」と勘違い。
だってね…
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お好み焼きの屋台も、❝ちんちん❞焼き(笑)の屋台も観光客が全くいない!
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海南神社に向かう途中は焦って小走りに成ってしまった。
因(ちな)みに❝ちんちん焼き❞なんてハマっ子の小生も三崎町でしか見た事が無い(笑)。
なんか卑猥(笑)な名前だが、オノマトペで「ちんちんに熱い」とか言う熱さを表現する言葉が恐らく名の由来だろう。
しかし、そんな懸念は何のその、到着した海南神社は参道は人出溢れかえり、寧ろなかなか境内に入れない程だった。
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ものすっごい活気!
新興住宅地だれけの横浜市内では廃れてしまった昔ながらの御祭りの活気!
そして漁師町=三浦水軍=北条水軍の町だけあって、参加者の町民がワイルドな人が多い(笑)。
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担ぎ手たちが神輿を持ち上げ激しくゆする度に観客達から「オオぉ~っ‼」と言うどよめきと歓声と拍手が巻き起こる。
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海南神社は狭くはない境内、寧ろ中の上位の敷地が有る。この時は境内に神輿が3基残っていて氏子と参拝客と観光客でゴッチャゴチャ(笑)で狭く感じる程だった。
しかしながら、この様な活気有る御祭りは横浜に現存しないので非常に羨ましい。
実は❝ちんちん焼き(笑)❞の強烈な名前を見て思い出したのだが、多分、小生は過去に数回、この海南神社の例大祭を偶然見ていた。
この神社を支援した鎌倉時代の水軍大将で三浦家当主の三浦義澄公に引き寄せて頂いたんだなぁ~としみじみと思う。
病気で辛かった時期に、本当に三浦半島の海に癒されて回復する事が出来たのも御縁なのだろう。まぁ、当時の彼女さんの存在も有ったのだけれど、三浦家の殿様達にも、昔の彼女にも、三浦の風景にも、三浦の海にも、親切な三浦の人々に感謝しかない。
さて、海南神社はこの例大祭の外にも源頼朝公由来の❝チャッキラコ❞と言う神事が有る。2014-01-15-13-52-26
ユネスコに❝世界無形文化遺産❞に指定されている、町の御祭りだ。
※チャッキラコを紹介した以前の記事は「ココ」←クリック!
頼朝公の宿泊する各季節ごとの異なる別荘が三崎町内にいくつか在ったので、この様な頼朝公所縁(ゆかり)の祭りが伝承しているのだ。
因みに、三崎漁港だけでも❝桜の御所❞と❝椿の御所❞が嘗(かつ)て存在した。頼朝公もこの地の風景と人と食事が好きだったのだろう。同地は源頼家公や源実朝公も滞在されたそうだ。
現在では鮪の水揚げが海外勢に押され気味で江戸時代~昭和初期の活気は無いが、平安時代末期~戦国時代の鎌倉文化と水軍の町の色が現在も多く残る土地でもある訳だ。
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町の中にも幾つも山車や神輿が繰り出すので、次第に普段は過疎に成りつつある三崎漁港が全盛期の活気を取り戻していく…
その様にも感慨深いものが有る。

海南神社の夏季例大祭の賑やかさは伝わったと思う。

ここからを休日雑記代わりの07月16日の日記部分としよう。
御神輿に随伴しながら賑やかな御祭りをひとしきり見て満足したら、大好きな三崎漁港の商店街をプラプラ散歩、つい4日前にも、この三崎に宿泊した直後だけど飽きない。三崎漁港は良い…
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昭和の雰囲気を残す建物が多く有る。写真館とか蔵屋敷とか…
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駄菓子屋さんとか…
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玩具店も…
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懐かしい昭和のオモチャ屋さんぽい感じ。
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この町で育ったら、根性ねじ曲がった人間には成らなそうだ。何だか町全体で子育てしてるような人々の繋がりを感じる。
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三崎町は映画ドラマの撮影にも協力していてNPO法人❝三浦映画舎❞なんて団体がいて、休日だと上の写真の展示館で撮影された作品の撮影中の写真や芸能人のサイン等が展示されている。
仰げば尊し
現在放送中のドラマ❝仰げば尊し❞の撮影にも関与している様で、三浦半島の風景がドラマ中に多く登場する。
その事は最近、ブログで紹介したので御興味有れば見て貰うと、ロケ地が書いて有る。
】←ココをクリックで記事にリンク!

一しきり散歩して御腹が空いて来た所で、昼食をとる事にした。
昼食は城ヶ島でとると決めていた。
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前回、城ヶ島を散歩した際に気に成っていた上の写真、旅館の港屋さんが提供しているヤドカリの味噌汁。
これを食べて見たくて車に乗り移動…
港屋に行く前に北原白秋の歌碑と、記念館を見に行った。
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余り知られていないのだが城ヶ島にも砂浜が有って、そこに白秋記念館も在る。
行くには上の写真の石碑の建つ遊歩道を歩いて行くと良い。
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そこを抜けると城ヶ島大橋の橋脚の下の砂浜に出る。
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北原白秋は東京で隣家の奥方と不倫の後、その奥方の離婚成立を待って略奪愛の末に結ばれて、世間の批判から逃れる様に静かな三浦半島の最南端の三崎に新居を構えたそうだ。
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白秋記念館の職員の方に教えて頂いたのだが…
その時に作詞した歌❝城ヶ島の雨❞の歌詞の舞台がこの島なのだが、当時、姦通罪に問われたり父弟が商売に失敗したり暗い時期の作品なので歌詞も暗い描写に成ったそうだ。
…因(ちな)みに、その不倫の末、結婚した女性は松下俊子さんと言うのだが、1910~1914年の僅(わず)かな期間で結婚生活は終了したそうだ。

北原白秋関連の場所の見学を終えて、港屋に移動。
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港屋は眼前に磯が広がる。露天風呂も有り、親子連れが宿泊すれば良い夏休みを過ごせるだろう。上の写真は港屋の庭からの眺望。
しかし小生の目的はヤドカリ…
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でこれが、シラス丼とヤドカリ。
食べてみたら出汁が美味しかったが、ヤドカリはグロテスク過ぎて箸を付けれなかった(笑)。
シラス丼はただシラスを載せただけでなく、御飯に紫蘇の香りがして、とても美味しかった。
周りの客層は熟年夫婦~若いカップル、友達同士と見える連れ等、幅広い年齢層の御客さんで賑わっていた。
前回、この旅館に興味を持った時は平日の昼間に散歩に来たので余り活気は無かったが、この日は土曜日だったので非常に多くの観光客で賑わっていた。
どうも京浜急行電鉄と城ケ島・三崎町がタイアップしているらしく、その観光客が多いようだ。
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だからかは不明だが、多くの芸能人も宿泊しているようだ。
まぁ~これだけ眺望の良い旅館で新鮮な地魚料理を食べれるなら人気あるのも納得。
…いつか泊まりに来よう。

さて…
城ヶ島散歩と腹ごしらえも済み、小網代地区は移動する事にした。
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城ヶ島からは車で20分位だろうか?
小網代には戦国時代最後の三浦家当主である三浦道寸公が開基した海蔵寺と言う御寺が在るのだが、前回の訪問時が丁度、新井城落城から500年、三浦道寸公と三浦義意公の500回忌に当たり、御住職に納経を依頼されていたので約束を果たしに写経した般若心経を持参した次第だ。
小生の遠い遠い祖先は古事記にも登場する、国造で、嫡流の御子孫は大宮司家だったりするのだが、小生は延喜式神名張を編纂させ古代の信仰と文化を守ろうとなされた醍醐天皇の時代の価値観を大切にしているので宗教観的には平安時代の人々や鎌倉武士達と同じ神仏両方とも等しく大切に思っているので、神社も御寺も大好きだったりする。
それとは別に文化的な物が大好きなのでキリスト教の教会の荘厳さも又別格に好きだったりイスラム教のモスクも素敵だと思うし、キリスト教の慈愛の精神とイスラム教の友愛と互助の精神も大好きだったりする。
寧(むし)ろ無宗教の連中が嫌い…
宗教を下に見て先人への敬意も払わず文化と史跡を破壊して回るマルクス主義者とかね。
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海蔵寺は一般参拝不可、飛地の境内地の三浦道寸公・義意公の御廟所への立ち入りも一般は不可なのだが、小生は御住職に三浦家や先人に対するリスペクトと宗教的にも神仏を大切にしている事を認知して頂けたので、御寺への参詣と御廟所への参拝の自由の御許可を頂いている。
今回、尊敬する三浦家最後の殿様の御二人500周年に納経の機会を与えて頂いた事は非常に光栄だった。
どうやら、小生の納経した写経は他に依頼した32人の方の分と共に、経塚に入れられ名前が塚に残るそうだ。
これで殿様が三浦の民に愛された歴史が後世に伝わって行けば良いなぁ~と願いを込めて奉納した。
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小生は佐原三浦家と最期に敵対した北条家の善政も尊敬し、北条早雲公・北条氏綱公・北条氏康公と玉縄北条家の北条綱成公もリスペクトしている。そして北条家と対立した扇谷上杉家の中で最後の鎌倉公方に忠義を尽くした武士の鑑とも言える上杉氏定公、扇谷上杉家の家臣で北条早雲公と三浦道寸公の両方とも盟友だった名軍師の太田道灌公も尊敬している。
なので、写経の為書は三浦家の殿様の供養祈願と共に関わった方々の供養祈願ともさせて頂いた。
この様な敵味方問わずリスペクトするのが本来の神道の寛容な価値観でもあり、柔和で静かな哲学を基本とする仏教との親和性でもある訳だが、それこそ日本人の習俗の源だと思っている。
…良く遊び、最後に尊敬する方々へ日本の発展の一端を担って下さった事に対する感謝も感じた有意義な一日に成った。

帰路は横浜横須賀自動車道で帰るのだが、三浦縦貫道路を通らず、一般道から横横に移動した。
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目的は行きつけの農家、石井農園の直売所❝ザ・作兵衛❞に作兵衛ブランドの西瓜を買いに行く為(ため)だ。
ここの西瓜は独自の❝作兵衛ブランド❞で売っているのだが、本当に美味しい!
ここで夏は西瓜や瓜、秋~冬は大根や蜜柑、初春にキャベツを買いに来る様に成って、もう10年位に成ると思う。
毎年何回も買いに来る。近所に横浜南部市場や小柴ファームと言う産直の販売所が有っても、作兵衛には絶対に季節の果実と野菜を買いに来る。この石井農園が好きなんだな~。
今年は看板娘の御婆ちゃんは骨折して治療中、残念ながら会えなかった。無事に治ります様に…
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今年は家族様に普通のサイズを1つと、自分用(笑)に小玉西瓜を購入。
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中にスが入ってるから安くすると言われた通り割れていたがギッシリ実がつまっていて、しかも今年は特に良く出来ていて甘い!
てな訳で、八月中に又買いに行く事にした。
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三浦からの帰路、最早、恒例に成っている横須賀PAに立ち寄りって買い食い。
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湘南ゴールドと言う湘南地方で生産されているグレープフルーツのフレーバーのアイス。
悪くなかった。てか、なかなか美味しい。

ふむ、歩いて知識詰め込んで感謝して充実した良い休日を過ごせた。



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三崎まぐろ鉄火巻き寿司作り大会
写真は標題とは無関係(笑)。

4月19日に三崎銀座商店街で開催され ます!今年は世界(日 ) 記録(笑)?を越える 555mの鉄火巻き作りに 1200人の参加者を募集して挑戦するそうです。
受付11時〜13時。14時スタート。
祭りに参加するも良し、又は三崎漁港のレストランや寿司屋や居酒屋でマグロ料理を堪能してから、近くの「城ヶ島の絶景散策」や、武地区の「イチゴ狩り」、油壺マリンパークにイルカショーを見に行くも良し!カップルにも家族連れにも最適な観光に成る事間違い無しですよ〜!
※因(ちな)みに写真な三崎漁港の毎年1月15日の祭事で、ユネスコ世界無形文化遺産の「チャッキラコ」です。

鎌倉まつり
※写真中央の鶴岡八幡宮能舞台は、昔、有名な源義経の側室(本妻以外の妻)の静御前が鎌倉武士団の前で舞を踊った舞台。
4月19日迄開催中です。 
場所:鶴岡八幡宮ほか鎌倉市内で開催。
⚫︎源義経側室の静御前の舞を再現する「静の舞」。
⚫︎騎馬武者による弓矢の射撃を伝承する「古式流鏑馬(やぶさめ)」の射的実演。
⚫︎今年の「ミス鎌倉」のお披露目など。
歴史が好きな人や、鎌倉の落ち着いた雰囲気や伝統文化が好きな人には最適なレクリエーションです。舞や流鏑馬見学の後で小町通りで食べ歩きや、江ノ電に乗ってスラムダンクの舞台、鎌倉高校前駅横の踏み切りの情景を散歩する小旅行なんて如何でしょう?

横浜大道芸
※写真は横浜大道芸の発祥地の野毛地区にある明治時代の建築群を代表する神奈川県立歴史博物館。
明日4月18〜19日、毎年恒例に成っている横浜大道芸が開催しれます。
場所:イセザキモール1・2St.、みなとみらい21、石川商店街アイキャナルストリート、吉田町通りにて、開催されます。
ジャグリングやパントマイム、手品など様々なパフォーマーが集まり小さい子供連れ家族も楽しめもすよ〜!
中華街の中華レストランや港の観光ホテル街のレストランで外食がてら、家族恋人にはもってこいのレクリエーション!

今回の記事は目前に迫ったお祭り紹介だけですが、次回は小田原北条五代祭りに向けて小田原城の記事を書こうかな…?

では、又、次の記事で御会いしましょう♪
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ブログネタ
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みなさん、チャッキラコと言う御祭を御存知でしょうか?
多分、余り御存知無い方が多い御祭です。

毎年1月15日に行われるローカルな御祭なのですが、ユネスコに世界無形文化遺産登録されたお祭りなんです。
12月中に存在を皆さんに伝えておかなければ、御祭りを見学なさりたい方がいらっしゃった場合に開催当日までに予定が組めない方もでると思い、旬を先取りする形でブログに掲載します。

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このチャッキラコと言う神奈川県の鮪で有名な三崎漁港の海南神社で行われる御祭なんですが、実は!富士山より先に…
"ユネスコの世界文化遺産認定を受けた"
…由緒も正しく歴史も古い御祭なんです。


御祭は海南神社の有る場所に御住まいだった平安時代の貴族藤原資盈(ふじわらのすけみつ)公と鎌倉幕府の征夷大将軍源頼朝公に由来しています。

海南神社は御祭神も藤原資盈公と奥様の盈渡姫様です。
海南神社はこんな場所です…
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三崎の観光漁港「うらり」とはバスターミナルを挟んで反対側、本来の三崎町である「三崎銀座商店街」の中に神社へ通じる参道があります。

こちらの神社の成立は清和天皇の皇位継承に関する政争に巻き込まれ敗北し、大宰府に左遷されるはずだった藤原資盈公が暴風雨に遭(あ)い三浦半島に漂着(ひょうちゃく)した事に始まります。
貞観6(西暦864)年の話です。
余談ですが貞観年間と言えば"貞観の大地震"が起き、東北地方では東日本大震災を上回る規模の地震と津波被害が有った時代です。

その時代に、三浦の三崎に辿(たど)り着いて来た資盈公は推薦を受け同地の長を務める事となり、その後、房総半島の海賊を討伐するなど活躍されたそうです。
この時代、三浦半島を含めた関東一帯は平高望(たいらのたかもち)王が皇族出身武家として治めていましたので、藤原資盈公を庇護したのは後に鎌倉武士団を形成する平高望王の御一族だったと容易に推測できます。
そして三崎領主として善政を布(し)かれ、今で言う教育と福祉政策に力を注いだ藤原資盈公は同地の住民達から深く慕われたそうです。

三崎の御祭り"チャッキラコで歌われる唄(うた)の歌詞には多くの和歌や昔話が盛り込まれています"ので、恐らく資盈公と盈渡姫は「チャッキラコ」を広める事で、当時文盲だった漁民達に文字を教えたり学問を広めたのではないかと推測出来ます。
現代にも残ったご夫妻のとても偉大な業績ですね。

しかし在任僅(わず)か2年間の統治の後、資盈公は亡くなってしまったそうです。
その際、公を慕う住民達は、公の亡骸を海に水葬し、祠(ほこら)を海岸に奉(たてまつ)りました。
すなわち!
その場所が現在の海南神社本殿とは別に、商店街の中にひっそりと佇(たたず)む本来の神社の在(あ)る場所だと推測される訳です。
ここ本宮神社ね
  ↓
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資盈公と盈渡姫の漂着についてですが…
まぁ、普通に考えれば、平安京~九州筑紫(筑前)国の大宰府への航路は瀬戸内海ですし、門司港辺りまでは陸路で行く方が安全だったはずなので、資盈公の三浦半島漂着は恐らく最初から狙って行(おこな)った亡命行為だったと考えるのが自然でしょう。
当時、すでに三浦半島と房総半島は"平高望(たいらのたかもち)王"を初代とする元皇族の坂東平家が統治しており、中央の政争に勝っている方の藤原政権と対立の火花が散り始めていましたからね。 

そして相模国鎌倉郡村岡城主で鎮守府将軍の平良文公と…
良文公の甥で房総の太守だった後の神田明神の神様になる平将門公の一族は、資盈公同様に中央で政略に巻き込まれて後に大宰府に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)公の一族を庇護しています。
三男:菅原景行(かげゆき)公と五男:敦茂公は平将門公や平良文公を頼って関東に亡命してきてますから。
同じ様に資盈公も、中央の藤原家が手出し出来ない、平高望王の子孫一門を頼って計画的に亡命されたのだと推測する方が…
地勢的にも政治的にも軍事的にも自然な事だと思います。
※平高望王の一族に関わるブログ記事は「ココ」と「ココ」←クリック!

さて、そんな藤原資盈公ご夫妻の教育政策であっただろうチャッキラコは御祭りとして残り、近年ユネスコの無形文化遺産に登録された訳ですが…
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御祭り自体は未成年の"女性が舞を踊り唄を歌う"御祭りです
ですので…
何か見た目からしてロリコンっぽそうな外見の中年男性も観光客に多数いますが…
この御祭り自体は由緒も正しい御祭りなので、純粋に文化として楽しみましょう!

三崎銀座商店街の中には元廻船問屋の旧家を利用した「チャッキラコ三崎昭和館」と言う博物館や、NPO法人三浦映画社の展示館もあります。
実は三崎漁港は映画撮影のバックアップをしているんですね。
ご近所の旧三崎高校や漁港周辺で色んな映画が撮影されているので、ぜひ三浦映画社の展示館を見学されるのも良いかと思います。 
ちなみに旧三崎高校は三浦水軍の基地だった三崎城跡でもあります。

チャッキラコですが・・・
何でこの御祭りが幼女に舞わせるかと言うのも、ちゃんと由緒があるのです。
その昔、征夷大将軍と成り鎌倉幕府を開かれた源頼朝公は春の季節専用の御所を、この三崎町に持っていました。
その場所は現在「本瑞寺(ほんずいじ)」と言う御寺に成っており、鮪料理で有名な黒羽亭」のすぐ近くに有ります。 

本瑞寺の写真は生憎現在手元にありませんが、お花がとても綺麗でしたので、その写真だけはありますので載せますね。
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さて、ここの春の御所に訪れた頼朝公が、ある時、土地の漁民女性に…
「何か楽しい事無い?」
…と聞いたそうです。
で、聞かれた女性が…
「私は何にもできませんが、娘に舞を披露させますよ!」
…と答えて、母親が歌い娘が舞を披露しました。
この事がきっかけで、「チャッキラコ」が鎌倉時代以来1月15日のお祭りとして行われる事に成ったそうです。
ですから…
別にロリコンが趣向で御祭りにみんな集まる訳じゃない!
…はず、と、結婚適齢期以上の女性が恋愛対象の小生は信じる事にしています。

三崎には浅間神社もありますよ。
…人口が減ったせいで神社も寂れてきてしまってますが。 2014-01-15-14-14-27


そして!
この三崎町=三崎漁港の醍醐味と言えば!「三浦野菜」と「鮪料理」ですよね! 
その他に高級魚「松輪鯖」も名物です。
小生は先程紹介した「黒羽亭」は居酒屋として利用させていただいてます。
実際、黒羽亭は鮪の色々な部位の料理を食べれる居酒屋ですので。

で、お寿司を食べたい時は黒羽亭のお隣の「紀の代」と言う御寿司屋さんに良く行きます。
本当に美味しい御寿司屋さんでして、小生は寿司を食べる為だけに横浜から行く事も有ります。

そちらに関しては別に記事書いて紹介しますね!

三崎は港町らしくニャンコもたくさん居る街ですよ~ 2014-01-15-14-42-02
2014-01-15-14-43-25
かわいいなぁ~

隣の城ケ島と言う風景の綺麗な島とも橋でつながっていますし、油壺マリンパークと言う水族館も近く家族連れで楽しめる観光地です。
新年の家族旅行や小旅行にチャッキラコ見学とセットで如何(いかが)でしょうか?
ただ…
平日の木曜日なんですよね、2015年の01月15日。

●城ケ島の絶景に関する記事は「ココ 」←クリック! 
●紀の代と言う一押しの三崎漁港の御寿司屋さんの記事は「ココ」←クリック! 
●黒羽亭と言う鮪料理居酒屋の記事リンクは「ココ 」←クリック! 

ではでは、又、次の記事でお会いしましょう!

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