17日は年末最後の遠出に大月市~都留市~相模原市~相模湖と廻り圏央道厚木Pで買食いして帰宅してきた。
ここ暫くブログを更新していないのだが、リアでの副業と執筆が間に合わない。
何処にも行ってなかった訳じゃなくて鎌倉にはしょっちゅう出かけていたし(主に文献読みに)、県央の寒川神社や前鳥神社方面にも久々に行ったりしていた。
でもブログを書く暇が無かった。

色々考えて、今年の遊び〆を17日にして、残り半月はダイエットと溜まってる事をやるのと、義祖母の墓掃除と御世話に成った神社仏閣への御礼参りと、年末の大掃除をする事にした。

そんな訳で深夜まで働いてから、AM:2:00頃に高速道路使わずに下道で2時間半かけて山梨県大月市へ移動した。到着後はコンビニの駐車場で車中泊。
睡眠2時間前後?早朝7時半から活動開始。
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コンビニの前は旧甲州街道で、街道沿いには風情の有る建物が立ち並んでいた。
そこから最初の目的地である岩殿山を目指して移動。
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途中、岩殿城址である岩殿山が良く見える場所が在った。
この山は海抜では無くて比高(地面からの高さ)が632m、東京スカイツリーと同じ高さ有る。
今まで目の前の中央高速や甲州街道を原付や車で通過していて、いつかは登ってみたいと思いながら機会が無く、今回は大月市の猿橋や、相模原市の石楯尾神社と合わせて訪問する事にした。
遠くから見ると一枚岩の様に見えるが、実際の岩殿山は細石(さざれいし)で構成されている。
武田家滅亡の原因、小山田信茂の居城の岩殿城の麓に中央高速のトンネルが築かれたので、戦国時代当時と現在の登山口は違う。
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市営駐車場の前に、写真の軽自動車が停まっている場所が有り、その後ろに細い坂道の跡らしき地形が有る。
この地形は、駐車した際にこの路盤に気が付いて・・・
「あれ~明らかに現在の登城口が不自然でコッチの方が昔の道に見えるよな~?」
・・・と思っていたので、登山後に‟岩殿山ふれあい館”の職員さんに確認して御墨付を頂いたのだが、その軽自動車の背後の草がボーボーに生えた細い坂道が見えるが、実はこの坂道こそが本来の登城口だったそうだ。
現在は中央高速のトンネルが建設され道が寸断されているので通行禁止に成っている訳だ。
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地形を見ていつもなら其方(そちら)側から登りたい所だが流石に通行禁止のものを無理に登る訳にも行かず、普通の順路で山頂を目指した。
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岩殿山は富士山が綺麗に見える。好天に恵まれた事は神様仏様に感謝!
神様仏様と言ったのは、実はここは天台宗系の修験道の円通寺の道場として古代から戦国時代まで栄えていた場所なのだ。そしてその霊場である奇岩も山頂に極最近まで存在したのだが崩落の危険が有るとかで掘削撤去されてしまった。
天台宗の圓通寺が麓には在ったのだが、戦国時代には一時、この山自体が城に成っていたので霊場として使えなかった時期も暫く有った様だ。
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この眺望の良さなので、川沿いを進む中世の旧甲州街道廃道の‟いどみ坂”辺りと合わせて富士山信仰の霊場だったのだろう。
明治時代以前の修験道・真言宗・天台宗・臨済宗・曹洞宗・浄土宗等は古来の日本神話の神様も大切にする仏教宗派だったので、素戔嗚尊(すさのおうのみこと)=牛頭天王=武塔天神の御妃(きさき)様である木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の化身が富士山とされたので、昔の人達は富士山を見て美しいと思いながら同時に木之花咲耶姫様として遥拝(ようはい=遠くから拝む事)をした訳だ。
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途中、丸山公園が有り、そこに‟岩殿ふれあい館”が或る。ここは降りて来てから見学した。
・・・と、言うのも通過時点でまだ午前08:00ちょっと過ぎで営業時間外だったから。ここの営業時間は9時から。
この岩殿山は現代造られた登山道が有り登り易い。と言うか、本来は昔のままの道を残さないといけないのだが、中央高速のせいでそうもいかない。
先々月10月に登った静岡と山梨の県境に在る御坂城とは違い、この岩殿城は山頂を常に見上げて登れるので目的地が確認出来る事から「あとどれくらい」で到達出来るか実感が有り山登りも苦にならない。
どれ位歩けば着くか解らない道のりは疲れるから。
その点、御坂城より精神的に登り易い。
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こんな感じで、ふれあい館にあった看板の説明と実際の風景を見比べながら・・・
「あ~あそこ等辺にこんな感じの施設が有ったのか~」
・・・とか思いながら登れる。
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途中、遺構の説明もちょろちょろ有る。
小生の個人的な感想だが、この岩殿山は険阻な断崖で築城が困難な山城では有るが、実際の防御陣地面積や施設の構造を見て廻ると城としては大した事は無い様に思う。
正直、隣接市の相模原市緑区城山地区に在る北条家臣内藤家の居城、津久井城の方が構造も規模も岩殿城を上回っていると思う。
漫画家や小説家、更に学者まで小山田家は武田家の家臣と誤解してか恣意(しい=わざと)的にか説明をする連中もいるが、実際には武田家の従属同盟者に過ぎず家臣では無かった。例えるならば織田家/徳川家の関係と同じ。
そして、武田家中で最強の軍団が小山田軍団だった。この軍団は単体で何度も北条家を撃退したり、徳川家を翻弄したり活躍した。山県昌景公の赤備え隊や馬場信房隊を武田家臣団で最強とゲームの影響で思っている連中も多いが、実際は智勇兼備で軍団長としての作戦実績でも小山田信茂隊は、馬場・山県の両将を上回る。
その小山田家の居城としては余りにも防衛施設が小規模過ぎる。
丸で鎌倉時代以前の三浦家の居城、三浦半島横須賀市の衣笠城と同等、つまり多くても数百人~1000人位でしか守備出来ず、万単位の大軍団を相手にする戦国時代の籠城戦に耐えれないとの印象を受けた。
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山頂には本丸も有ったが、変電所に成っていた。
城として当たり前だが感心した事も有る。
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こんな岩山の高所にちゃんと湧水が有る。
まぁ、この水量、少なくとも秀吉が小田原を包囲した際に築いた石垣山一夜城の井戸より水量は豊富だし、北条家臣内藤家の津久井城の井戸よりも大きい。
これだけでも数百単位の将兵の飲み水なら配給に耐えるんじゃないかと思う。
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この岩殿城址を乃木大将も登られた様で漢詩を吟じている。
それを甥の正木正之中佐が揮毫して石碑が建てられた様だ。
正木姓からして旧里見家与力の三浦一族正木家の御子孫なんだろうか?
乃木大将は佐々木一族なので、武田家や小山田家とは直接関係も無く、ただ歴史マニアとして城址を訪問された様だ。
城を降りて、前日から徹夜で大月に来たので入浴もしておらず気持ち悪いので、事前に地図上から見繕(みつくろ)っておいた日帰り入浴の出来る温泉に連絡をして見た。
実は数日前から行きたいと思っていた‟日の出鉱泉”さんに電話したのだが取り次ぐ人も無く、岩殿山から車で15分と近くなので仕方なしに直接訪問して見た。
やはり御不在で「廃業されたのかな?」と思っていたら、経営者の方々が御帰宅された。
「営業は続けている」が、「事前に連絡が有れば準備する」と言った感じだそうだ。
「昼過ぎには沸かせるけど待てる?」
・・・と、親切に御主人が申し出て下さった。大月周辺の温泉は源泉が高温では無いのでどこも薪で追い炊きしているので、わざわざ小生の為に浴槽に温泉を張り沸かして下さると言うのだ。
どうも中央高速の開通以来、甲州街道の人通りも減り温泉への湯治客も減り大月市自体の観光産業が全体的に打撃を受けている様だ。
そんな背景も有り、御主人の申し出には正直感謝の念で一杯に成ったが・・・
生憎(あいにく)小生の予定上の時間が無いので「又来ますのでよろしくお願いします」とだけ伝えて、車に乗り、もう一つの候補の‟金山鉱泉山口館”に電話をかけた。
山口館も岩殿山から車で20分程度と近い。今回は運が良く、当日に宿泊客がいる事と小生と別に日帰り湯の予約が有った事で快く受け入れて頂けた。
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山口館への林道は細く車同士はすれ違えない。
しかも車道に枯れ枝や落ち葉が沢山有り、どうも遊歩道として主に登山者が使う道の様だった。
落ち葉を踏みしめる車の轍も僅(わず)かで少々不安な気持ちに成りながら、GoogleMap先生とポンコツカーナビを頼りに進むと長閑(のどか)な山荘に出た。
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山小屋と言うか自宅兼山荘と言った雰囲気。
小生の祖母が暮らした田舎に来た様な雰囲気・・・いや、それ以上に田舎(笑)。
山口館の前には渓流も在り、ここに宿泊してから山登りを楽しむ人には堪らない環境なんだろう。
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小生は山登りはもっぱら城址だけ。好き好んでゴールの見えない風景を楽しめる心の豊かさは無い(笑)。
山口館から50m位離れた場所に駐車場も5台分くらい在った。
車止めもフェンスも無いのでバックし過ぎたら渓流に真っ逆さまの駐車場だけど(笑)。
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小生は大きなホテルより、こう言った雰囲気の鄙(ひな)びた旅館が好きなので嬉しい。
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本当、昭和の山荘と言った雰囲気だった。
ちゃんと着替えもバスタオルとハンドタオルも持参して来て良かった。
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風呂は家族風呂が2つ、女性用と男性用が有るだけだが、家族や恋人同士で来ても貸切湯に出来るそうだ。
もっとも・・・
恋人同士で来る雰囲気では無いので二人とも城や山が好きなら心の底から楽しめるだろう。
・・・と言った感じの本当に山奥の長閑な山荘。でも、若い人は余りこう言う場所に来る経験も無いだろうから一度は来て、山奥でのんびり温泉に浸かる楽しみを経験するのもお勧めしたい。
宿の奥さんと色々と話していたら、結構、芸能人も来ている様で、山登りの前後に宿泊する山荘として有名な様だ。
又、こっち方面に来たら日の出鉱泉さんと合わせて温泉巡りで立ち寄りたいと思う。
御主人、奥さん、お嬢さん、御世話に成りました。又、宜しくお願いします。
金山地区を出て大月駅方面へ車で戻る途中、山奥なので廃屋が有ったり・・・
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浄照寺と言う室町時代に開かれた御寺サンが在ったりして寄り道して散策を楽しみながら大月駅の近くまで戻って来た。
岩殿山~山口館に行きしな気に成っていた饂飩(うどん)屋さんが在ったので、次の目的地に行く前に入って昼食をとる事にした。
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吉田屋と言う、山梨県名物と成った富士吉田市発祥の吉田ウドンを手打ちで提供している店だ。
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山梨県は水田を作るのに適さない地形と地盤なのだが・・・
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岩殿山から見た桂川(相模川上流域)の様子。
桂川の右手が急な段丘に成っているのが御解りだろうか?実はコレ、猿橋溶岩と言って富士山から流出した溶岩が此処(ここ)まで到達して相模川に冷やし固められた地形。だから写真の桂川左手の溶岩では無い地形は川に浸食されて一段低い地形に成っている。
溶岩の固い地盤は水捌けが良いので水田には向かなかった訳だ。だから富士山の影響を受けた山梨県の多くの土地では昔から小麦やトウモロコシが主食として良く食べられていた歴史が有る。
山梨県はホウトウやウドンの食文化が発展したのは、そのせいだろう。
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入って見たら結構な人気店の様だ。芸能人も小さな店なのに結構来ているらしい。
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小生は馬のモツ煮込みと・・・
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肉(馬)のせ月見饂飩を注文した。吉田饂飩の特徴は、讃岐うどんよりも更に歯ごたえが有る事。
小生はシッカリした感触が好きなので、前回に御坂城と甲斐一宮浅間神社を訪問して帰りに中央高速の初狩Pで馬肉のせ吉田饂飩を食べて以来、饂飩は吉田饂飩が一番好きに成った。
この吉田屋さんの饂飩、とても美味しかったので是非、この付近に観光に来る予定が有る人にはお勧めしたい。
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都留市に移動しリニア実験線駅の博物館を見学。
今は年末で年明け暫くまでリニアモーターカーは走って無いそうだ。
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その代わりと言ってはなんだが実物が常設展示と合わせて、超電導の科学実験なんかも見れた。
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液体窒素で超低温化した高磁力金属を使ったリニア実験を見せて貰えた。
電車や科学が好きな幼児~高校生くらいの子のいる家は、是非、訪れてみると良いともう。
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説明するオバ・・・係員さんの目の前には磁力で浮いた磁石金属。
中々良い実験を見せても貰えた。
季節を選べば少し先に在る甲州市でブドウ狩りやモモ狩りと併せて子供連れの夫婦やカップルのデート等のレクリエーションとしても楽しめるだろう。CIMG1873
乗れるリニア模型も有るし・・・
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綺麗なジオラマも有った。
もっとも、リニアの実物展示や、実験線が走ってるのを見られる所や電動磁石の実権以外の鉄道資料館としての機能は、京都や埼玉の鉄道博物館には遠く展示数は及ばない。しかし、ここに来る意味は有ると思う。
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なんせ実物を見られるのだから。
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一応、平常ならば一日に数回はリニアが走っているので、下の時刻表の時間に合わせて来ると良いと思う。
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見学を終えて物品を販売してる建物に移動。
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新幹線好きな甥と姪に新幹線靴下を買ってあげようと思ったが、妹に二人の足のサイズをlineで聞いても返信無かったので已(や)む無く電車の沢山かかれた茶碗を購入。
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ここで買い物をするとリニア乗車の抽選権が貰える。‟道の駅つる”で買い物もしてリニア試乗応募券にハンコを押して貰えると応募できるシステムらしい・・・
上手いぞ山梨県(笑)。素晴らしい販促活動だ(笑)。
その後、‟道の駅つる”に移動した。
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ここからもリニア実験線が走っているのを見られそうだ。線路が綺麗に見える。
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でも、直ぐ横で見学できるからリニア見学センターに行った方が良いだろう。
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中は物産展。
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桃ジュースを買ってちゃんとハンコ手に入れた。
茶碗と合わせて妹に渡そう。
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その後、大月市の猿橋地区に移動し、日本三大奇橋の一つ猿橋を見学した。
猿橋は日本でも例の少ない橋脚の無い木造橋で、建築業界では有名らしい。
実は猿橋の在る場所は、先に説明した‟猿橋溶岩”の上に在る。
富士山から流れて来た溶岩流が相模川(上流の桂川)にぶつかり急速に冷やされて固まったのだが、その溶岩が南北で一番幅が狭く近い場所まで寄った場所に建設されたのが猿橋なのだ。
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歴史は古く千数百年前に遡る伝承が有るらしい。江戸時代には猿橋と下を流れる桂川渓谷が景勝地として知られ、安藤広重が浮世絵にも描いていたりする。
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これは橋のたもとに在る大黒屋さんに在る絵。
段丘面から川底までは深さが50m近く有り、江戸時代の技術をもってしても橋脚を作るのは困難だったので、溶岩の堅い岩盤を利用して側面に穴を穿(うが)って、横向けに梁(はり)状に材木を突き出し、それを重ねて延長し橋を架ける構造に成っている。
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これを作るのに、江戸時代でもどれだけの危険が伴って、どれだけの時間を要した事か考えると先人に対して心底、敬服の念が沸いてくる。
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凄い。
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そして、この橋自体が旧甲州街道だった訳だ。
猿橋は一見の価値が有るが、その下の桂川渓谷も遊歩道も設置されていて、綺麗な風景を目で楽しむ事も出来る。
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川岸に降りる事も出来る。
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ただ、川幅の広い相模川が、ここで急に川幅が狭くなるので流れは速く深い淵ばかりなので、小さな子供連れの家族はちゃんと見て無いと危ないと思う。ママさん、パパさん、気を付けてね!
ここも岩殿城や金山鉱泉と合わせて小生オススメの見学コースだ。
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猿橋の横には大黒屋と言う御土産物屋さんが在るのだが、そこで御土産の野沢菜を買った際に、御店主の女性にこんな質問をしてみた・・・
「一帯の商店街の雰囲気が温泉街に似てますね。」
・・・と。そうした所、この猿橋一帯は旧甲州街道の中でも旅籠が立ち並んでいた場所だったそうで、中央高速の開通まで旅館が立ち並んでいた名残りで、現在も御土産屋さんが沢山有るらしい。
ただ、こんなに綺麗な桂川渓谷と素晴らしい文化財の猿橋自体を知る人も現代では少なく観光客もまばらだった。
もっと多くの人が来てくれると良いのにね。
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猿橋を後にして、相模原市緑区名倉に在る相模国延喜式内社13座の一つ石楯尾神社を御参りし御朱印を拝領。
現在の参道は昔とは違う場所に設けれている。昔の桟道とは反対の裏側から入る道に成っている。
そもそも、名倉の石楯尾神社は古代、高座郡寒川町の寒川神社、相模原市南区磯部(勝坂)の有賀(あるか)神社奥宮と並んで古代の朝廷から官位を与えられた凄く格式の高い神社なので、源頼朝公も鎌倉時代に土地を寄進したり旧地名で宮原と呼ばれた旧境内地にも7つの大鳥居を寄進したりして保護したのだが・・・
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だから随神門(たぶん、明治までは仁王門)が有るのは現在の入口とは正反対の方。
この神社は武田信玄に乱暴され略奪の被害を受けたり、明治時代に土地を縮小されたり色々と受難の歴史を超えて、今の氏子サンや先代、先々代の宮司様達によって守られて来た。
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参拝客はちゃんとこっちも歩いて欲しいな。
現在は知らない人が見ると、ただの山の中の立派な神社なのだろうが、この神社を守る為に、先代宮司様の没後は息子さん御兄弟が会社員を務めながら兼業でこの格式高い由緒正しい神社を守って宮司と禰宜を務めてらっしゃるそうだ。
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拝殿は立派で、彩色された彫像が四方にあり、扁額も凄く立派。
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訪問した際、拝殿に上がれる様に扉が開かれていたが、事前に許可を得る確認をしていなかったので外から撮影だけさせて頂いた。
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きっと昭和初期までの日本の農村部が元気だった頃、この拝殿には沢山の農家さんが集まって宮司様の祈祷を受けて農作物の豊作祈願をしたりしたんだろう。
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神殿にはちゃんと覆殿が設けられていて、風化しない様に保護されていた。歴史を知らない人間が増えて少なくなった氏子達が、歴史と由緒有る石楯尾神社を守ってる努力に感謝。
この人達の御蔭で古代の朝廷や歴代天皇や源頼朝公達が大切にして来た御神威と権威の有る神社が現在に存続していける訳だ。
御参りを終えて、御朱印を頂き、帰路に着きました。
帰りしな相模湖のイルミネーションをやっているのも思い出して見てきました。
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相模湖プレジャーランドのイルミネーションは関東最大規模で有名なのですが、入園料1700円、駐車場1000円と男一人でわざわざ見に行く金額では無いので、相模湖近くのコンビニで御茶を購入がてら、相模湖公園の無料のイルミネーションを見学。
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無料だけど、散歩するには丁度良い。きっとご近所の人も喜んでるでしょうね~。
この相模湖公園近くには貸しボート屋さんも沢山有って、昼間は船遊びも出来るのでピクニックにはもって来い。
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千葉県のドイツ村のイルミネーションも綺麗らしいですね~。今度行って見よう。
帰りは相模原市愛川町の辺りから圏央道にのり、新湘南バイパス経由で横浜に戻った。
普通に中央高速や東名や首都高速使ったら、高速料金片道だけで3000円くらい、年明けの甥姪姪姪の合計4人の御年玉出費に備え、オジちゃん節約しないとね。

今年の遠出はこれで終わり!
あとは遠くても川崎と走水に日本武尊と弟橘姫様に御礼参りに行く程度。
もう、御金は使わない(笑)。

ふむ、17日は良い休日を過ごせた。

この後、年内いっぱいは間宮家の顕彰文の改訂版の作成と、ブログの神奈川県の御利益強い神社リストに自前の写真撮影して来た場所を追記しないといけないので、基本、年明けまで新しい記事は書けないと思います。
記事内容の更新のお知らせは改めて行います。
では!皆さん、年末健やかに恙無く御過し下さい~! 

又、記事更新報告で御会いしましょう!