歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

タグ:三浦市

これ⤵再生して曲聞きながら読んでくれたら嬉しいです。

百合と萱草の咲く季節
小生の個人的に好きな花。
一番好きな花が野萱草。
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痩せた海岸でも元気に咲く花。
だいたい好きに成る女の人は野萱草が似合いそうな人。
実は中華料理の食材の金針菜は萱草の蕾なのは余り知られてないですよね(笑)?
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昨日07月07日~週末は日本は新暦(太陽暦)に合わせた七夕まつり。
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平塚駅前~平塚八幡宮の商店街では日本三大七夕祭りの一つの平塚市七夕祭りが開催されているけれど、この記事を書いている時間以外は資格の勉強してるので今年は行けない。
そしてもう直ぐ11日。
1516年の7月11日は平安時代からの武家の名門の三浦家が壮絶な日本最長3年半の籠城戦を小田原北条氏相手に戦って玉砕した日。
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小生が尊敬する戦国武将の一人で三浦家最後の当主でもある三浦義意(よしおき)公が500年前、新井城と呼ばれていた油壺マリンパーク跡地の半島の要害に籠城し、1つの局地戦としては日本最長期間の戦いを展開していた。
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相手は北条早雲こと伊勢宗瑞(そうずい)公と北条家二代当主で城攻めの名手の北条氏綱公。
三浦家は先代で隠居の三浦道寸公が、最初は伊勢原市と平塚市の境界である岡崎に有った岡崎城で10年間抵抗する。
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しかし岡崎城が北条氏綱公により陥落させられると三浦道寸公は鎌倉に敗走し弟の道香公が城主を務める住吉城に籠もった。
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今の鎌倉と逗子の市境、リビエラ逗子マリーナ近くの小坪飯島公園のプールから見た背後の丘は要害化された住吉城だった。
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そこで三浦家は再起を期して戦うが再び敗走。
小坪の社寺位置関係小坪旧道廃道
この戦いでは今は廃道の古墳時代から昭和まで使われていた逗子マリーナ前の正覺寺〜海前寺を繋ぐ山腹の切通古道で激しい撤退戦が展開された。CIMG9369
この道は実は倭建命が東征の折に通った古代東海道と考えられている。
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今も海前寺の墓地には首供養の墓がヒッソリと存在する。
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ここから披露山に抜けると、披露山公園から逗子市新宿に降りる林道と浪子不動に降りる林道、それと旧名主高橋家の前を抜ける道がそれぞれ古代東海道だったと考えられている。
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披露山公園から見る富士山の景色も中々に綺麗だったりする。
古代の人々にも景勝地だったのかも知れない。
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三浦義意公道寸公の道寸と言うのは臨済宗系の法名つまり入道号で、彼の親友であり扇谷(おおぎがやつ)上杉家の家臣として同僚でもある不敗の名軍師、太田道灌公も幼少期に北鎌倉にある室町幕府で将軍のみが住職の任命権を持つ鎌倉五山(臨済宗の東日本を統べる5つの寺院)の第一位であった建長寺で修業していたので道灌の法名を名乗っていた。
三浦道寸公の実弟で住吉城主だった道香公も実名ではなく法名が伝わっているので、どうやら仏門に入って入道号を称している訳だ。
因(ちな)みに北条家は歴代当主含め家臣団の大半の武士が初代の伊勢盛時公=北条早雲こと伊勢宗瑞公と同じく宗〇と仏教の法名を名乗っていたが、これは宗〇と言う法名が京都の臨済宗大徳寺や曹洞宗の当時の僧侶に多かったので、伊勢宗瑞公が大徳寺で修業していた事も有り家臣団は禅宗で教養を学ぶ機会が多く当時の北条家臣団が建立したり荒廃していた場所を再興した寺院も曹洞宗が多かったりする。
道香公に話を戻すと披露山に上って行く道は当時は3筋程有った様で、その内の1つが今では地域の若い人は名も忘れた秋葉神社の前の道だったりする。
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秋葉神社からの富士山と逗子マリーナの景色も又美しい。
道香公は兄と三浦家の将兵を三浦半島へ撤退させる古代の東海道での戦いの挙句、この古道のどこかで討たれたか自害した様だ。
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逗子駅近くには逗子大師こと延命寺と言う、始まりは行基サンの時代に行きつく寺院が有る。
延命寺には地元の人に慕われた三浦道香公とその家臣団の供養墓が今も守られており、御寺の檀家さんや歴史好きが現在も御参りに来る。
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この辺りは実際に古墳時代には砂州の半島か既に海の中に突き出して隆起した地形だった様で、発掘調査で古墳時代の遺物も周辺から見つかったりしている。
この奥の谷間の地域は沼間と言う地名で、平安時代末に源氏が関東における本拠地を移す以前、源頼朝公の実父の源義朝公によって今の天台宗神武寺~日蓮宗法勝寺にかけての山稜が詰め城化されていて、屋敷地は神奈川県逗子市沼間2‐23辺りに置かれていたようだ。
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逗子市の沼間は当時は沼濱と書いたのでまだ満潮に成ると海水が入る干潟がだいぶ内陸まで川沿いに広がっていたようだ。
逗子駅周辺に話を戻すと、以前も紹介した六代御前不動院は平維盛公の遺児と真言密教の高僧で源頼朝公の友人でもあった文覚上人の菩提寺でもある。
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古代東海道の逗子側の山道の入口に当たりそうなのが延命寺~六代午前不動院の辺りだろうか?と個人的には考えている。
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今は市街化して平地部分の古東海道の詳細は良くわからないけれど、六代御前の墓の横には今もハイキングコースの入口が有る。
この山稜沿いに行くと鎌倉時代の三浦家の本拠地の衣笠城へ抜ける事が出来るが、三浦道寸公は海沿いを南下して葉山町へと出たようだ。
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この立石公園も富士山の景勝地として知られており、歌川広重が江戸時代に描いている事は古参の読者の皆さんは小生のブログでも読んだ事が有ると思う。
相州三浦秋谷
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道寸公は現在は少し内陸部に移転している正行院と言う寺院の旧所在地だった今の葉山の立石公園の先の秋谷海岸のマンション辺りの岬を要害化していた様だ。
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実はこの御寺、和田義盛公と再婚した巴御前の菩提寺でもあり、和田義盛公敗死後の生死は不明なものの彼女の遺髪塚が現在も守られている。
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現在では余り手入れが行き届いておらず、地形しか塚は残ってない。
まぁ、普通に考えて正行院が巴御前の隠居寺で、居所が現在の御寺の地所だったんだろうが古文書が残らないので良く分からない。
この御寺は秋谷海岸から移転している理由が正に戦火だろうと、再興時期から思う。
和田家関連で由緒が有るのに古文書や寺宝が残らないのは、この地域が正に鎌倉時代と戦国時代に異なる2つの北条家との戦いに巻き込まれて焼かれたからだろう。
道寸公は秋谷の城で戦った事は伝わっているので、その城と言うのが海岸に突き出した岬の旧跡地時代の寺院を要害化した物だったんだろう、其処で北条家を迎え討つが再び敗走。
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最後に三浦半島南端、小網代湾と諸磯湾と油壺湾に挟まれた荒井浜の丘上、旧油壺マリンパークの半島全てを城塞化した新井城が決戦地に成った。
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実は新井城の下の海岸、荒井浜も富士山の景勝地だったりする。
この新井城を守っていたのが小生の尊敬する歴史人物の一人である三浦義意公。
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彼は房総半島の小大名で三浦氏族の正木家から海路で三浦半島へ兵糧支援を受けつつ約4年間戦い抜いた。
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その兵糧を保管したのが千駄矢倉と呼ばれた横穴式の人工洞窟だった。
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現存する弁天矢倉もその1つ。
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北条家は旧三崎高校、今の引橋のバス停近くの三浦消防署〜ベイシア辺りに陣城を築き長期戦に持ち込み少しづつ三浦氏を孤立させる。
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最後の時、三浦義意公は共に戦った領民兵士や部下を荒井浜や胴網海岸から船で房総半島や横浜方面に逃すと、自身は僅かな部下と共に海岸直上の城の武者走りと呼ばれる隘路で最後に玉砕戦を仕掛けて兵士達の逃げる時間稼ぎを行う。
生きて帰る場所の無い絶望的な決死の戦いを始める。
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三浦義意公と部下達は槍や刀ではなく金砕棒で北条兵を殴り倒し、海岸の城から油壺の湾に突き倒し或いは撲殺し或いは部下達が弓で敵を射殺し、寡兵で北条軍500人を道連れにしたと伝わる。
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史料を読む前の2017年、おおまかな話をコロナで余り営業しなくなってしまった油壺の駐車場の御土産屋の御婆さん等、地元の方達から聴いて三浦道寸公と三浦義意公の墓参りをした帰りの車中•••
三浦義意公の指揮官としての覚悟と死に様を思い、彼の気持ちを考えて咽び泣いた。
•••実は小生は留学から帰国して就職した会社がブラック企業で前任者が残業200時間超働いた挙げ句、営業中に過失運転致死を起こして小生が引継ぎ、更に中国転勤の同僚の業務も引き継がされた小生は3ヶ月休み無し毎日20時間労働を強いられて過労で鬱になり、上司はお咎め無く小生が会社から早期退職応募の紙を送りつけられて会社を辞めた。

そんな経験があり、三浦義意公の様なちゃんと責任をとる上司の話を聞き、何だか咽び泣いてしまった。
丁度、野萱草や百合の花の咲く季節の歴史と自分の思い出の話し。


今年は命日にお墓参りには行けないけれど、三浦義意公の為に近所のお寺で明日はお線香をあげたいと思う。

過去に書いた関係記事⤵

 

写真も過去写真使いまわしで余り内容濃く在りませんが、七夕の季節の思い出です。
今回の話しで紹介した三浦半島の海岸には水質がとても良く隠しビーチの様な穴場の浜辺が沢山有りますが、昭和には栄えていたのに失われた30年で多くの場所が今の学生世代には知名度が有りません。
皆さんの夏の参考にコノ記事⤵が成れば幸いです。

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※新型肺炎対応による駐車場と海の家の営業状況等は各自治体に問合せ願います。
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三戸浜海水浴場と海老ヵ浜
【三戸浜海水浴場】
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胴網海岸&横堀海岸
古代の風待ち港小網代湾(こあじろわん)
知る人ぞ知る新井城址の2つの隠しビーチ

【胴網海岸】
 観潮荘に日帰り温泉有り。
 胴網海岸
 予約制の手ぶらBBQ施設有り。
 施設利用者トイレシャワー使用可。
 横堀海岸
 食事と飲酒出来る飲食店併設。
 施設利用者トイレシャワー使用可。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )        
 両方とも知る人ぞ知る隠れビーチ◎
 小さいけれど砂浜と磯が有るよ◎
 胴網は予約制の手ぶらBBQ有り◎
 横堀は常設の飲食店あるよ◎
 両方とも城跡の一部で歴史が凄い◎
 胴網海岸は海からの城門地形だよ!
 横堀は御城の堀切状空堀跡だよ!
※3つの海岸が近くにあるから混雑
 しても空いてる場所を選べるよ◎

☞注意するpoint(•ω•)        
※コロナ禍中は三密対策に不向き。
 隠れビーチだけにキャパ少ない。
※城跡だけに超判り難い場所だよ。
 初訪問で行くのにGoogleMapの
 ナビ機能使うと迷わない。
―写真の後は👇( ՞ਊ ՞)👇解説だよぉ〜
——胴網海岸——
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——横掘海岸——
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――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
【交通】
車の場合胴網海岸、横堀海岸、荒井浜の3箇所は近在し、いずれも❝油壷駐車場❞かホテル観潮莊前の旧マリンパークの駐車場を利用する事に成るが、夏季は混んで入庫待ちに成る可能性も有るので到着は朝早い時間に成る様に出発したい所。

電車の場合も油壷駐車場の❝油壷温泉❞バス停に来る事に成るが、
小生の記憶が正しければ終バスが17時頃と絶望的に早かった筈なので、到着時に忘れず三崎口行のバスの時刻表を必ずチェックして欲しい。
【見所】
駐車場の近くには京急の運営する観潮荘と言う日帰り温泉施設も備えたホテルも有る。

帰路に就く前に海水浴の後で天然温泉に日帰り入浴する事が出来るのも魅力。
観潮荘の他にも周辺一帯に料理の美味しい民宿やペンションが多数有るので、滞在費用を抑えて数日間三浦で夏を満喫するのも良いかも知れない。

胴網海岸・横堀海岸は両方とも地元の三浦市民でも若い世代には知らない人も多い知る人ぞ知る穴場の文字通り隠れた場所に在(あ)る海岸。
両方とも砂浜と岩礁の磯が有り、二つの海遊びが出来る。
近くにヨットハーバーが有るのでヨットの⊿三角形のマストが海を走って行く優雅な景色を眺めながら飲食したり、物凄く夏らしい事が出来る。
又、胴網海岸には“油壷アウトドアセンター”と言う予約制の手ぶらBBQ施設が有り便利で利用客は建物内のシャワーと更衣室も利用させてもらえる。

横堀海岸にも常設の飲食店“みなと屋”が在り、海を眺めながら居酒屋の様にリラックス出来る。こちらも利用客は飲食店内のシャワー室を借りる事が出来る。

ただし穴場なだけに海岸としては小さく、行く前に混雑状況を上記の御店に確認した方が良い。
胴網、横堀に加えてすぐ近く徒歩圏内に荒井浜も在り3つの海岸が近在している。

もし目的地の一つが混雑していても3箇所とも海水浴場の過去実績が有るので移動しても安心して遊べるので、各海岸に有る飲食店に当日や前日に混雑状況を聞く事で混雑回避して空いてる場所に移動も出来る。
油壺や小網代の混雑時には車での来訪なら30分以内で行ける距離に大浦、三戸浜、和田長浜の海水浴場も存在するので混雑していた場合の訪問先変更の選択肢が多いのも、この油壺や小網代地域の利点。
歴史的な解説をすると、この一帯全て城跡だったりする。
この胴網海岸と横堀海岸は名前から何となく解かる人もいると思うが、実は新井城と言う平安武士~戦国大名化した三浦氏の拠点で日本最長、4年弱の籠城期間を誇った名城の一部だった。
ここに拠点が置かれた理由は古代から三浦半島新井城址の小網代(こあじろ)湾、平塚市側の相模川河口の須賀港、伊豆半島熱海市の網代港の3港が船の係留に適した地形で風力と海流を利用して船足を高め長距離の海上輸送力を確保出来た地点だったので、平安時代から戦国時代にかけて海運拠点として栄え重視されていたので水軍基地としても発展した歴史が有る。
平安時代以前、縄文や弥生時代にも当然ながら海上交通の要所だったようで、この航路を利用し伊豆諸島から“黒曜石”が輸送され交易に使われていた。
この石⤵️

黒曜石はオニキスみたいに綺麗な石だけど強度がガラス位で加工しやすく金属器が無い時代に刃物に加工された。
戦国時代には伊豆大島の染物は特産品として重宝された事もあり新井城主の三浦家が北条氏綱公に伊豆大島を奪われるまで代官を置き支配し、小網代湾から須賀、網代、伊豆大島を船が行き交っていた。
江戸城を築いた太田道灌公も主家の居城、伊勢原市の大城郭糟屋館に赴く際この海路を利用していた事が菩提寺の伊勢原市胴昌院や三浦道寸公の本拠地平塚市の岡崎城址に在る無量寺にも伝わっている。
戦国時代の三浦家の最重要拠点だった新井城址の横堀海岸は文字通り城の主郭(しゅかく:本丸)へと続く道の地面を削って空堀にして侵入路を断ち切り、行軍可能な人数を制限する真横に半島を断ち切る堀切の空堀に由来する地名。
ー横堀海岸入口が“堀切”状空堀名残りー
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新井城の岬を分断する構造体なので、横堀海岸由来の空堀跡は道の反対側にも続きが現存する。
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つまり戦国時代には、横堀海岸入口~道の反対を空堀がブチ抜いて掘られていて、戦時に撤去出来る引橋がかけられるか土橋が削り残された城外から城内主要部に侵入する外側の最終関門だった事が解る。
ー胴網海岸の“食違い虎口”地形ー
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胴網海岸は小網代湾側の城に直接登城する船着き場だった様で、砂浜から居住区域だった丘の上に続く山裾が削り取られ城壁化された切岸に成っており、道が人工的に鋭角にL字型に九十九折(つづらおり)にされており、侵入する敵を常に正面と側面から弓矢や鉄砲で十字砲火攻撃し防衛する“食違虎口(くいちがいこぐち)”構造に成っていたりする。
ちなみに三浦義意公の時代にまだ鉄砲は武士に普及してないので、防衛の主力兵器は弓矢だった。
ー胴網海岸上の名将道寸公の御廟横の“竪堀”地形ー
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三浦道寸公の御廟の横の谷も人工の竪堀が残り、胴網の食い違い虎口から敵が山腹をよじ登り真っ直ぐ丘上の曲輪群に侵入出来ない様にしてある。
人工的に地形を切り出した戦う為の戦国時代の御城に興味ある人は・・・
コレ見て見てくだされや~⤵

これも初心者にわかりやすいサイト⤵ 

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https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/628817.html
画像転載元URL⤴
こうして“城”として現地を見ると一見、古戦場で「怖そうだ」と歴史を知らない人は思いがちだが、実はここは最後の城主の三浦義意公と奥さんの真里谷(まりやつ)武田家の姫の御夫妻の縁結びで有名な地域なのでデートやBBQ合コンで来たら良縁に恵まれる事で、縁結び祈願の女性に周辺の神社仏閣と合わせて旧マリンパーク一帯の新井城址は有名だったりする。
——穴場海岸の紹介一覧へ⤵――

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※新型肺炎対応による駐車場と海の家の営業状況等は各自治体に問合せ願います。
油壷マリンパークは2021年09月30日閉園しました。
2021年の09月で閉園した油壷マリンパークは秋篠宮皇太弟殿下御夫妻が御結婚前に度々デートにいらっしゃた場所で、新井城と言う御城の跡の半島に位置します。油壷湾と小網代湾、二つの湾に挟まれた風光明媚な場所です。本来ならば記事の荒井浜の部分だけを残してマリンパーク解説部分を削除するべきかも知れませんが、多くの人の想い出の場所だったと思います。
もしかしたら学生時代に奥さん旦那さんと結婚前にデートに来たり社会人に成ってからデートに来てプロポーズされた場所だったり、結婚後に御子さんを連れて来られたりした方も沢山いらっしゃるのではないでしょうか?
マリンパークは閉園してしまいましたが、せめて小生のブログの中では皆さんの想い出と一緒に記念に記事内にマリンパークの写真と解説を削除せず残したままにして置きます。


荒井浜海水浴場
&神奈川の景勝50選の油壷湾
&
油壺マリンパーク
【京急油壷温泉キャンプパーク】
——京急油壷マリンパーク(閉園)——
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諸磯磯崎灯台
諸磯神明社
【水質】★★★★
【景色】★★★★★
【電車】★★★
 三崎口駅~バス22分~浜諸磯降車
 +徒歩3分
【 車 】 
 民宿駐車場のみ。
 青少年センター駐車場要確認。 
【休憩】
 海の家無し。公共トイレ有り。
 飲食店無し。
 宿泊施設:近所1軒、1㎞圏内に数軒
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )        
 諸磯崎灯台の景色凄く良いよ~◎
 釣船の仕立て屋いて釣り出来るよ◎
 磯遊びに最適だよ◎
 縁結びで有名な諸磯神明社◎
☞注意するpoint(•ω•)        
 海からトイレ遠いよ。
 海の家は無いよ~。
 磯遊び向きで遊泳は不向き!
 民宿の駐車場しか無いよ~。
 路上駐車スペース無いよ~!
 青少年センター駐車場は要確認。
―以下は条例違反で警察通報対象―
 漁協と地区の意向でキャンプ禁止。
 BBQはキャンプ機材を用いる事。
 
砂浜岩礁で直火焚火は通報対象。
 炭の放置も禁止、消火し持帰り。
 ゴミ放置禁止。
 上記条例違反は110番に通報を!
海藻・貝類採取は海保通報対象ー
 シュノーヶリング禁止区域。
 銛の使用禁止。
 密猟者は発見次第118番へ通報を!
―写真の後は👇( ՞ਊ ՞)👇解説だよぉ〜
——
浜諸磯海岸と諸磯崎灯台——
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——諸磯神明社、天照大神を祀る縁結びの聖地——
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―以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
公共のゴミ箱は無い地域なのでゴミは持ち帰り必須!
密漁する不届き者が増えたので地域の人がパトロールするから悪さしたら捕まるぞ!
密猟者がウェットスーツ着るのでシュノーケリングで着用しないで!
モラルの無いキャンパーが増えたので地域の人達はキャンプ禁止の意向!

【交通】
車だと周辺民宿に宿泊なら駐車場に困らないので車で来れるが基本的に公共駐車場も私設駐車場も無いので車での来訪は民宿の駐車場利用に成る。
出口荘の駐車場が時間貸ししてくれるが夏季は料金が高くなるので事前に電話で問い合わせの必要が有る。
諸磯青少年センター駐車場は青少年センターが営業していれば利用出来るが封鎖されている事も有るので観光協会に事前確認が必要。

バスだと三崎口駅から直通便が有るが便数が少ないので事前確認必須。
だいたい1時間に1本で最終19時発位だったので、バスでの訪問は到着時に必ず反対側のバス停の出発時刻確認を怠らない様に!
この交通の不便さ有ってこその穴場の絶景海岸なので、バスで苦労してでも富士山と灯台を見に行く価値有り!
【見所】
個人的に神奈川の景勝50選+1で新たに追加して欲しい程に素晴らしい景観。
海上の水蒸気の少ない秋季~春季にかけて富士山と諸磯灯台のコラボが見られる。
水質は良いが海水浴場としての実績は無く砂浜は掃除されていないので磯遊び向き。
近所に民宿が1軒、半径1㎞圏内にも宿泊施設が多数と水族館の油壺マリンパークも有るので、マリンパーク観光と合わせて宿泊観光にはうってつけ。
釣船の仕立て屋も有るのでデートや家族で釣りレジャーも楽しめる。


ここ数年、BBQの機材やゴミを捨て密漁する低モラルキャンパーが増加した為に漁業権を持つ地元の地域民によりキャンプ禁止の意向。地域民とモメルのでキャンプ目的で来ない様に。
又、バス停に近在する天照大神を祀る諸磯神明社は縁結びの御利益で有名。

諸磯神明社は戦国時代の三浦義意公と奥方の真里谷武田家の姫の夫婦の悲恋の伝承の舞台で、明治時代に都新聞に連載され流行した架空歴史小説“桜の御所”に登場する歴史上実在しない小桜姫のモデルに真里谷武田家の姫が成っているので昭和初期位迄は多くの観光客で賑わった。
——穴場海岸の紹介一覧へ⤵️――

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新型肺炎対応による駐車場と海の家の営業状況等は各自治体に問合せ願います。
城ヶ島公園と灯台と馬の背洞門
&城ヶ島BBQと城ヶ島大橋
 (神奈川の景勝50選の一つ)
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毘沙門天浜と弥生洞窟住居群
&三浦七福神白浜毘沙門天

※神奈川県庁推薦のウォーキングコース。
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新型肺炎対応による駐車場と海の家の営業状況等は各自治体に問合せ願います。
大浦海水浴場と間口漁港
劒崎と劒崎灯台
 (神奈川の景勝50選の一つ)
※個人的に推薦の避暑地。
【大浦海水浴場】
【間口漁港】
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神奈川・横須賀市で、14日も「"異臭" がする」との通報があり、消防が出動した。
14日午後3時すぎ、横須賀市安浦町で「ガスくさい臭いがする」と、近所の住民から119番通報があった。
横須賀市役所周辺でも異臭があり、消防隊員が空気を採取したという。 採取された空気は、神奈川県の環境科学センターで分析され、今週中にも結果が公表される予定。
市内では、異臭騒ぎが相次いでいることから、環境省から空気を採取する機械を40台借りるなど、対策を講じることにしている。
14日午後3時すぎ、横須賀市安浦町で「ガスくさい臭いがする」と、近所の住民から119番通報があった。
横須賀市役所周辺でも異臭があり、消防隊員が空気を採取したという。採取された空気は、神奈川県の環境科学センターで分析され、今週中にも結果が公表される予定。

横浜市や横須賀市などでは、ことし6月以降、海に近い地域を中心に異臭がするといった通報が相次ぐようになりました。

6月事案
はじめて通報が相次いだのはことし6月4日の午後8時すぎでした。
三浦市で「ゴムが焼けるような異臭がする」と消防に通報がありました。
同じような通報はこのあと徐々に北上しながら横須賀市や逗子市からも寄せられるようになり、この日は、午後10時までに消防だけで200件以上寄せられました。
このとき、横須賀市内に住む女性が気分が悪くなって救急搬送されました。

7月事案
およそ1か月後の7月17日にも再び横須賀市で同じような通報がありました。
午前10時40分ごろから30分ほどの間に横須賀市浦賀や久里浜など市の沿岸部から消防に7件の通報が相次ぎました。

8月事案
さらに3回目は8月21日でした。
午前8時半ごろから午前9時すぎにかけて横須賀市津久井や久里浜など沿岸の地域から「ガスのような臭いがする」といった通報が消防に30件以上相次ぎました。
また、横須賀海上保安部によりますと、このときは横須賀市沖の海上でも若干異臭がしたという情報があったということです。

9月事案
4回目は、9月19日でした。
午前9時半ごろまでの1時間ほどの間に横須賀市馬堀海岸や大滝町、安針台などから「ガスの臭いがする」などといった通報が7件ありました。

10月事案-1
今月に入ると通報が寄せられるエリアは横浜市にも広がりました。
今月1日午後6時半前から9時ごろにかけて中区や南区、港南区、戸塚区などから通報が寄せられたほか、横須賀市でも同様の通報があり、合わせて20件ほどでした。
10月事案-2
その2日後、今月3日にも横浜市で同じような通報が消防に相次ぎました。
午後5時ごろから夜にかけて中区や神奈川区、港北区などから25件寄せられました。
10月事案-3
そして12日も夕方、横浜駅やその周辺から消防に通報が10件相次ぎました。
県が本格的な調査に乗り出していますが、これまでのところ原因は分かっていません。

三浦半島(横須賀市・三浦市)&横浜市の異臭騒ぎ・・・

原因の可能性有るんじゃなぁ~い?
と、ずっと不安視してる事が有るんだけど、今から確証は無いので只、疑ってると言う話をするんだけど。
・・・皆はどう思う?

小生が関係有るのかな~有りそうだな~?
と思ってる事⤵️
①今年に入ってから横須賀市走水沖等の海に土砂を投棄している船がいる事。
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②東急と相鉄線の直接乗り入れ日吉⇔西谷線と市営地下鉄と関係が有る事業地域で陥没事故が起きてる事と掘削した土砂の行方が謎過ぎる。

httpswww.city.yokohama.lg.jpkurashimachizukuri

③市営地下鉄新線や神奈川東部方面線(相鉄線⇔東横線)の地下掘削現場に港南区~戸塚区と同様に亜炭層が有った可能性。
港南区の亜炭地層②
港南区の亜炭地層①
地元の人⤴️の写真と元記事⤵
亜炭関連での検索結果⤵
https://www.google.com/search


④神奈川東部方面線(相鉄線⇔東横線)、横浜市営地下鉄新線、もしくはリニア新幹線の工事で生まれる建設残土を投棄している可能性。

仮に①~④の予想が全て合わされば起きうる。
これが不幸にも全て当て嵌るなら横浜市消防局が仮にガスを採取成功しても、横浜市役所も神奈川県庁も正直に原因を話すとは思えない。



何故(なにゆえ)そう思ったかは・・・
コンナ⤵感じ。
①今年に入ってから横須賀市走水沖等の海に土砂を投棄している船がいる事。
・・・について。
この⤴情報について異臭と関連性の有無は知らないが時期が重なる事。
全く関係ない記事⤴三浦半島の観光地が新型コロナでピンチだったので助けたい一心で綺麗な景色や周辺の関係ない情報も含めて地元の人達を捕まえては雑談して廻(まわ)る中、走水の方から聞いていて既に夏に知っていた。
地元の方々の話では、土砂を投棄する船の会社は漁場を荒らされると周辺漁師から反対運動が起きない様に金銭の授受により承諾を得て土砂の投棄を行っているとの事。
異臭騒ぎと偶然でもタイミングが重なり過ぎる。

②東急と相鉄線の直接乗り入れ日吉⇔西谷線と市営地下鉄と関係が有る事業地域で陥没事故が起きてる事と掘削した土砂の行方。
・・・について。
この事件は新路線の地下工事が原因で③の部分に関わって来るかもしれない項目。古代の海で鎌倉時代まで湿地だった軟弱地盤や❝化石燃料の地層と重なってしまっている可能性が有るんじゃないかなぁ~?
横浜市役所はハマっ子じゃなくて、他地域から就職した役人が多いから横浜市内の土地の特性なんてコレっぽっちも知らないんじゃない?
実は❝ハマっ子❞かどうかの判別は横浜市歌を歌えなるか歌えないかで解る(笑)。
一部インターナショナルスクールや私立小中学校の卒業生を除いて、横浜市かを歌えない横浜市民の大部分が横浜市で育ってない。
横浜市歌を歌えない人は横浜の里山で遊んで育ってないから人工緑地と里山の違いも判らないし里山文化も理解出来ないでしょ、郷土史なんか知らない人達だらけ。
横浜は昔は半分は鎌倉郡だった横浜の鎌倉文化と幕末に神奈川県庁の場所にペリーさんが上陸して以後の近代西洋文化に里山文化の融合したのが横浜文化。
横浜市歌を歌えない人は横浜文化を理解出来ない❝非ハマっ子❞と瞬殺で見抜けたりする(笑)。
横浜市歌を歌えない人には横浜市の平地部分の大半が元々は古代海だったり市内で亜炭の採掘が埋め戻されてない空洞が有る事すら知らないと思う。
本当に横浜育ちじゃない人は、地盤の評価に関して近世以後の埋立地の軟弱地盤にしか注意は向いてないんじゃないだろうか?
しかも住宅街で一々ボーリング調査なんか出来ないでしょ?
実際に陥没事故続きで詳細な事前調査が行われているとは思えない。
横浜市の郷土史を知っていれば普通に危険性を認識出来ると思うのですよね~?
新線工事と陥没事故発生個所 久良岐のよし
丁度、道路陥没事故が頻発した地域が相鉄線⇔東横線の直接乗り入れ工事の場所と重なる・・・
この工事の掘削後、膨大な土砂はどこに廃棄されてるのでしょう?
平成狸合戦ぽんぽこの様に藤野町の谷を埋める訳に行かないし、三浦市の蛍の谷も埋め立て終わって開発してるし、横浜市栄区の深田や瀬上の渓谷の埋め立て開発とは別枠に土砂を投棄する場所を必要としているはず。
横浜市営地下鉄や相鉄線、東急東横線以外にも神奈川県内ではリニアモーターカーの建設で膨大な土砂が発生してるけど、相模原市と愛川町の志田峠の谷の埋め立てでも地元住民の同意を得ずに埋め立て計画に巻き込まれた地権者等がいて問題が発生してるし。
・・・もう、海に捨てる以外に土砂を捨てる場所は無いんじゃないかな~?

仮に最初は横須賀沖や三浦沖に捨てたけど、事件に成ったから横浜港にバシャバシャ捨ててる様な事って有り得るんだろうか?とか。
有るなら異臭発生源が横浜市に移って来たのと何か関係が有る様な気もする。

③市営地下鉄新線や
神奈川東部方面線(相鉄線⇔東横線)の掘削現場に戸塚区下倉田や港南区大久保地区と同様に亜炭層が有った可能性。・・・について。
これについては横浜ふるさと歴史財団や神奈川県の教育委員会の学者サンでなくても知っている人は神奈川県民には可也(かなり)多い。
本当に神奈川県や
横浜市域の歴史が好きな歴史オタクや郷土史家なら誰でも知ってる事ですが、横浜市戸塚区下倉田や港南区上大岡は戦時中まで❝亜炭❞と呼ばれる石炭より質が悪く❝燃やすと匂いの強烈な化石燃料❞が採掘されていたのは結構有名。

横浜市に亜炭層が有る事は結構有名だからネットで検索すれば直ぐに出るし、横浜市ふるさと歴史財団やブログに書いてる人がいる港南歴史協議会とかに問い合わせれば直ぐに解る。

横浜市の花街や赤線の文化を掘り下げて調査するのが好きな❝知の冒険❞と言うブログなんか、上大岡界隈の取材した時に亜炭にも触れていたので彼のブログが好きな水商売の歴史好きな人も思いがけず知るきっかけに成ったんじゃないかな?
何で③の亜炭の炭鉱と②で市営地下鉄や相鉄線東横線の工事の話題に触れたかと言うと、①の部分で触れたとおり横須賀沖、最初に異臭騒ぎが問題化した場所に土砂を捨ててる船がいるって話をしたけど・・・
実は亜炭って燃やすとメッチャ臭いらしいんだよね。
ざっくりコレ⤴読んでくれたらどんなモンか解るよ。
亜炭の土砂をもし海に捨ててたら、すんごい臭く成る可能性って無いのかなぁ~?
とか
船積して慎重に扱わないと圧力とか粉塵が発熱して煙り出たりして臭く成ったりしないのかな?
とか
肥料に使われるらしいから赤潮とか平気なのかな?ってのが素人だけに頭を過(よぎ)るんだよねぇ~。

そしてもう一つ、港南区上大岡や戸塚区下倉田と道路が陥没した地域も歴史的地形的に大きな共通点が有る。
縄文海進と呼ばれた地球が温暖化していた縄文時代に最大限まで海が内陸に入り込んでいた時代、日吉駅~羽沢横浜国大駅~西谷と上大岡駅周辺は古代の海の底だった。
古代の海岸線と新線工事 久良岐のよし
この通り⤴ね~。
上大岡駅前で亜炭が取れるのは実は古代の大岡湾、戦国時代には上大岡駅から離れ市営地下鉄吉野町辺りが湾の最深部に規模縮小したものの依然として蒔田湾と呼ばれた海が広がっていた。
恐らく干潟だった時代に樹木が埋没して亜炭に成っているはず。
亜炭は水分量が多い場所で生成される植物性化石燃料で、海辺の干潟だった場所だから上大岡駅辺りの丘陵地帯の山裾(やますそ)部分に亜炭の地層が出来た事が解る。
上大岡駅~関内駅の❝古大岡湾❞と全く同じ地形だったのが、❝神奈川東部方面線(相鉄線⇔東横線乗り入れ線)❞の建設予定地なんだなぁ。
亀甲山推定範囲と城址の位置 久良岐のよし
※拡大して見て下さい。

上は戦国時代の城の配置を古代の海岸線と合わせた地図です。白い部分は古代の海で鎌倉時代迄は水田や湿地帯だった場所。
その一帯は考古学的に“古鶴見湾”や“古帷子湾”と呼ばれる地域で、平安時代には湿地帯に成っていて鎌倉時代初期に川崎堀之内や神奈川区六角橋~小机一帯の領主だった佐々木(六角)泰綱公が鎌倉幕府に対して開発許可を得て水田を開発した記録も残ってたりする。
御城が古代の海岸線に面した湿地に囲まれた急な崖の上に造成されている事が解る。
更に古墳時代以前、縄文時代や弥生時代の集落や祭祀遺跡を内包したり近在する❝延喜式内社❞や式外社と呼ばれるカテゴリーの神社も古代の海岸線沿いに聖地化されている事が解る。
東京湾岸古社と海岸線の位置関係 久良岐のよし
延喜式内社式外社と古代海岸線と武蔵国府郡衙 久良岐のよし
聖地化した場所は古墳時代以後に成立した平塚八幡宮や前鳥神社を除いて、全てが古代の海の半島の先端や湾の付け根、川の合流地点、ランドマークと成る山、集落を形成するのに必要不可欠な湧水地の何(いず)れかが聖地化されている事が解ると同時に、その様な場所が農耕開始以前の人達にとって狩猟採集で生活がし易い環境だった事も解ったりするんだな~。
この通り、亜炭の地層が有る港南区上大岡~南区~中区関内地区の大岡川と中村川を挟んだ吉田新田と周辺の微高地や平地部は古代の大岡湾で海だった。
戸塚区の柏尾川沿い~鎌倉市の腰越海岸も古大船湾。そして戸塚にも亜炭層がある。
昔の海岸線
※神奈川県立生命の星・地球博物館制作古代の海岸線⤴
そして中山駅~鴨居駅~新横浜駅~片倉町駅~大倉山駅~綱島駅~日吉駅~川崎駅~鶴見駅一帯の平地も❝古鶴見湾❞と呼ばれた海の底だった。だから綱島って本当に島だったんだよね。
同様に保土ヶ谷区星川~天王町~西区平沼橋~横浜駅は古代の帷子(かたびら)湾で、後に規模は縮小しても明治時代までは横浜駅一帯は海だった。だから平沼橋って干潟だった時代の名残りが地名にも残ってる。
・・・つまり、鶴見湾
、帷子湾、大岡湾だった地域には当然ながら上大岡と同じ様に亜炭が有っても可笑(おか)しくない訳。
古代の海岸線の事を知りたい人は神奈川県立生命の星・地球博物館を見学して学芸員の先生に質問したら親切に教えて貰えますよ~♪

④神奈川東部方面線(相鉄線⇔東横線)、横浜市営地下鉄新線、もしくはリニア新幹線の工事で生まれる建設残土を投棄している可能性。
・・・について。

もし本当に神奈川東部方面線(相鉄線⇔東横線)や市営地下鉄線のトンネル掘削工事で亜炭の地層が有ったのだとして、①~③全部が行われていたら・・・
それを捨てるのに一番便利なのは漁師達に金銭面で投棄の合意を得て海に土を捨てるのが便利な気がするのよ。

仮にね、これが本当に不幸にも小生の気に成る①~④の可能性が全部本当に起こっていたりして、もし事実確認がされて事が表沙汰に成るか、成る直前に菅総理大臣が知ったら激怒するんじゃないかな?
菅総理の地盤の横浜市民を不安に陥れたり、横須賀市や三浦市に迷惑をかけたら菅総理が知った時点で激怒するでしょ。

仮に小生の懸念が丸当たりしていて亜炭なんかが原因でも臭気が無害で臭いだけなら正直に説明すれば良いのだし、事前の説明が不足して関係者が段取り悪かっただけでしょ?
絶対に臭いの原因起こした組織はいるんだから謝っちゃえば良いのに。
仮に亜炭が何かの原因で臭い出ても臭いだけでしょ、元々戸塚区や港南区で掘ってたんだし。
戦時中に家の燃料で使ってたんだし。
何か別に有害な事だから言えない事態が発生してるなら尚更に早く神奈川県とかに正直に報告した方が良いでしょ、市を複数跨いで事件に成ってるから。

まぁ小生の妄想が丸ハズレしてくれているのを願うばかり。
仮に亜炭が原因だったとして亜炭なんか海に捨てたら素人目線じゃ環境にも影響無いか少し心配だしね。
まぁ魚が汚染される事なんか無いと思うけど。
昔の京浜工業地帯の環境汚染とかに比べたら。

横浜市や鎌倉市は上の人達がダメでブレブレだから対応が心配。

まぁ・・・
「今の地下トンネル工事で亜炭の地層にぶつかってるなら、船積みした時に圧力で発熱して煙り出たり海に捨てたりしたらスッゲェ~臭く成るんじゃないのかな~?」
「横須賀の地元の人達から聞いた船の話と異臭と地下トンネル工事と横浜の地誌が何となぁ~く繋がって連動してそうだなぁ~?」
・・・とか思ってるんだけど、詳しい人教えてよ?と言う只の独り言。

誰か亜炭とかトンネル工事とか公式に調べる事が出来る立場の学者の人がいたら・・・
「違うよ」とか「可能性有るよ」
・・・とか答え出そうだけど、小生は何となぁ~く頭で繋がっても調べる権利も立場にもいないから、こうやって可能性有るかなぁ~?って皆に投げかけて見るしか無いんだよね。

まぁ、これが只の❝小生の見当違い❞な不安で終わって
れば良いなぁ~と思う。

とりあえず、この臭い事件でも新線建設でも今後もずっと誰も事故に巻き込まれたり健康を害したりしません様にぃ~。
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