歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:三浦市

2019年08月03日・・・
午前中ゆっくり色々と用事を済ませてから昼過ぎに夏らしい事をする為(ため)に車に乗り込み自宅を出発した。
本来は同行者がいるはずだったのだが、先月末に別の予定で急遽休みを調整して貰ったので3日は1人行動に成ってしまった。
目的地と言うのは、まぁ海だ。
神奈川県民でも余り知らない場所だが‟知ってる人は知っている”と言う位の知名度だが、とても綺麗な穴場の海水浴場だな。
今迄も過去記事で海水浴スポットをいくつか紹介して来たが小生がゆっくりしたくて泳ぎに行く場所を全部教えたくなかったので(笑)今まで紹介記事を書いてなかった。

そんな訳でとりあえず横浜横須賀道路に乗った。
先ずは何も食べていなかったので腹ごしらえに間食をしようと横須賀PAに立ち寄った。
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横須賀PA(下り)
※東急建設に因(よ)る瀬上沢西側と上郷深田遺跡の破壊開発計画に加担する様なGoogleMapの東急建設への協力ともとれる地図からの上郷深田遺跡や瀬上沢の蛍生息地の地点登録削除事件も有ったが、結局GoogleMapが一番優れているのでブログでは使って行きます。面目ない。
横須賀の銘菓と言えば“ふじみや”の‟梅どら”が真っ先に思い浮かぶのだが、残念ながら販路を拡大していない個人経営の菓子店なのでPAの様な場所では販売していないのだが、横須賀には“よこすか焼き”と言う美味しい“どら焼き”に似た物が有る。とりあえず、それとタコ煎餅を購入しエナジードリンクを飲みながら食べて腹を誤魔化した。
そして再出発。
この時既に14時位。三浦半島の御土産に直売所で西瓜を買うなら直行しないと遊んでからでは間に合わない時間帯だったので、先ずは小生お気に入りの農作物直売所の“ザ作兵衛”に向かう事にした。
ザ作兵衛は三浦縦貫道路を通ると三浦市に着いてから横浜方面に別の道を逆走しないといけないので、先ずは佐原インターで高速を降りてから野比を経由し津久井浜~三浦海岸と海沿いの下道を通らないと辿り着けない。なので佐原で降りてユックリ海岸沿いをドライブしながら三浦に向かった。
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ザ・作兵衛
ザ作兵衛に到着。
ここはもう10年近く通い続けてる石井農園さんの直売所。他にも高梨農園サンでも買う時も有るが、小生は海沿いの道が好きなので作兵衛に来る事が頻度的には多い。
マスコットの様な御祖母ちゃんが看板娘を勤めていたのだが数年前に骨折してから売り子は引退し、今はオカミさんと若奥さんが店番をしている。
小生の事を良く覚えて下さっていて、太ったり痩せたり物凄く体重変動が有るのに毎年色々と雑談したり余ってる野菜をサービスで少し付けて下さったり御世話になっている。
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で、三浦ブランドのシールが貼られている西瓜は御土産としても皆から喜ばれるので1000円の中玉を3つ購入したら今年も「いつもありがとうね~」と言いながら小生の拳よりもデッカイ巨大トマトを3つサービスで頂いてしまった。
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西瓜も丁度、若旦那が持って来た所だったので・・・
「美味しそうなの選んでください~」
・・・と小生が御願いしたら快く、念入りに厳選して選別して下さった。感謝。
後日談だがこの記事を書いている本日4日、姪っ子達と同行予定だった者に1個づつ御裾分けして自宅で1つ自分でも食べて見たが、今年食べた西瓜でやはり一番美味しかった!
石井さん、ありがとう!
そこから目的の“海水浴場”を目指して再出発。
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三浦の農道の風景はいつ見ても綺麗だね~♪飽きないよ。
小生が作家さんとかで場所を問わず仕事出来るなら三浦で生活したい。
農道と畑と森林の先には東京湾と房総半島か、もしくは相模湾と伊豆半島と箱根山系と富士山の風景を楽しむ事が出来る。
この時行く海水浴場は民宿も数軒ある昔ながらの大正昭和の雰囲気を留める良い海水浴場。
位置的には東京湾側なので、この写真の農道の先にも東京湾の海と房総半島の鋸山が見えている。
向かっている海水浴場の名前を明かすと“大浦海水浴場”と言う小さな湾だ。
バスも無い上に農道が入り組んでいて小生みたいに地図丸暗記してる人間でもないとカーナビが無い時代に行くのが難しくて、平成の最初の頃には少し寂れてしまったが最近、又少しづつ旅客が戻りつつ有る場所だ。
ザ作兵衛から暫く車を走らせ15分くらいだろうか?到着。
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駐車場の花壇越しに見る東京湾と鋸山の風景。
うん、夏だね♪
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駐車場から見下(お)ろすと漸く砂浜が現れる。
岸壁に隠れる様に存在する大浦海水浴場の風景はとても美しい。
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大浦海水浴場
・・・と先ずは大浦海水浴場で遊ぶコスト的な事を解説する。
駐車場は1日2000円、横浜中華街とかの駐車場より少し安い位。
駐車場を利用すると海の家の割引券が貰える。
駐車場利用者なら海の家は1人1000円。更衣室やシャワー料金も含まれる。海の家は2軒有るので便利だし、食事も出来る。
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小生は今回は北風丸サン。GoogleMapに登録無いのでリンク貼れないけど、多分、ネット検索すれば出ると思う。
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海の家だから法律の規制で常設不可能、なのでシーズンが終われば解体して保管できる構造に成っている。けど十分くつろげる。
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茣蓙(ござ)に“かき氷”の暖簾(のれん)、砂浜に海に山。なんとも日本の大正昭和の夏っぽい風景が嬉しい。小生は最近、由比ヶ浜や逗子に増えている様な音楽鳴らして騒いでチャラチャラした感じのクラブまがいの海の家を好ましく思わないので、家族連れでも安心してくつろげるような、こんな和な感じの海の家の方が好ましく感じる。無論、それは個人的な感想。
北風丸さんにカバンを預けて、スマホを持って先ずは海岸を散歩した。KIMG1529
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う~ん夏だね~♪

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この砂浜の奥に見えている岬の岩礁の方まで散策して来た。
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途中で木道が敷設(ふせつ)されていてもっと奥まで行けそうだったのだが・・・
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・・・北風丸にクロックスを置いて来て裸足でここまで来てたのでこれ以上先まで行くのは足元険しくなりそうなので引き返した。
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そして昼食をちゃんと食べていなかったので北風丸サンで“まぐろステーキ”を注文した。
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アレだな・・・
ステーキと書いて有るけど焼肉のタレ的な味。これはこれで御酒飲む人には良いツマミに成るだろう。
鮪の肉はとても美味しかったし、多分、三浦野菜のプチトマトがとても美味しかった。
この後、1時間くらい海水の中で泳いだり歩いたり半身浴したりユックリ時間を過ごしてから、この直ぐ近所なのに一回も行った事の無かった“近代要塞遺跡”に移動したのだが、そこに辿り着くのが少し大変だった。
訪問したのは遺跡だが、畑の中に突然現れる円形のコンクリートが砲台の遺構。
下の写真の“剱崎砲台跡”だ。
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剱崎砲台
ここね~、車で来る場所じゃないよ。
事前に地図見て舗装されてる道みたいだから凄くクネクネした農道みたいだけど「問題ないかな?」とか思ったら甘かった。三浦の地形良く知ってるのにナメてた。
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もうね~、そりゃ北条家が新井城に籠もる三浦勢を攻め落とすのに4年かかる地形なんだよね~。
城郭ファンにしか伝わらない表現だと思うけれど断崖と細い尾根と谷が連続する、天然の空堀と曲輪だらけ(笑)。
当然ながら農道も武者走り位細い。
・・・なので小生の車は横幅が狭いのだけど、砲台に辿り着くまで農道脇の枯れ枝でミラー擦るわドアー擦るわ悲惨な状態の上に、対抗からバイクや農業用のトラクターでも来たら完全に詰(つ)む状態だった。すれ違い何か出来ない。もうタイヤ2個分くらいで断崖にゴロゴロ車両もろとも転落して新聞記事に乗る(笑)。だからバイクの人しか来れないんだよな~。
そこに横着して車で入って来た小生は阿呆だな。
幸い、近くの第2砲台も見たら・・・
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・・・その近くに農作業車両の転回場所が有ったのでUターンして戻って来れた。
でも、この時既に日没も迫って薄暗くなり始めていたので戻り道は更に谷に落ちないか緊張感ハンパ無かった(笑)。
無事に?三浦氏の天然要塞(笑)を脱出して現代のアスファルト舗装の道路に復帰して、もう一つの目的地を目指した。1年振りの訪問かな?
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真直ぐ1.5km伸びる農道の先に夕陽が落ちる綺麗な場所。
以前にも紹介した黒崎だな。
以前の紹介記事
神奈川県内屈指の富士山遠望の景勝地・・・
黒崎の鼻は戦時中の要塞跡で米軍飛行場計画跡地

※タイトルクリックすると記事に飛びます。
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黒崎※三崎口駅前に真直ぐ延びる岬の農道
行って見たい人は京急で三崎口駅まで行って徒歩5分くらいで上の写真の道に辿り着くので電車が良いと思う。
黒崎
位置的にはコンナ感じ。
先に紹介した記事でを見て貰えると解るのだけど、ここは本来は冬に来た方が綺麗。
でも夏でも十分綺麗。
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この農道を真っすぐ進むと岬の先端、“黒崎の鼻”に辿(たど)り着くのだが、夏はもう秘密基地の様に藪に行く手を阻まれて入口が普通の人は躊躇してしまう状態。
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こんな感じに成ってる(笑)。
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もうプチ探検隊。
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臆せず進むと冬と違い富士山は見れないけど、夕日の綺麗な丘と相模湾を見る事が出来る。
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こんな感じね。
すっごい綺麗なのさ。この時は一人で来たので少し寂しい感じの夕陽に見えた(笑)。
そこで漢詩が思いついたので一首詠んで見た。
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題名:黒崎から太平洋を眺める

独来三浦俯大海
君不在此風潇潇
有花草香波鼓声
夕陽落岬萌似火
此刻依然午热同
遠望太平養生長

久良岐のよし作る♡
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まぁ2つの意味に成る様に仕込んでみてある。
遠望太平養生長は・・・
遠望太平=平和で有ります様にの願いと、遠く太平洋を望むの2つの意味。
同じ様に養生長には本来は“元気を出す”と言う意味なのだけど、そのまま“健康に長生き出来ます様に”の意味が有る。
冒頭は「一人で来て寂しいなぁ~」って意味だね。
読み下すと・・・

独来三浦俯大海
一人三浦に来たりて大海を俯す。
(一人で三浦半島(の黒崎)に来て海を見下ろしてる)

君不在此風潇潇
此(ここ)に君は在らず風瀟瀟
(一緒に遊ぶはずだった人がいなくて風がサワサワ吹いてるのが寂しく感じる)

有花草香波鼓声
草花の香りと波鼓する声有り
(夏の草いきれと波頭の岩礁に砕ける音が聞こえる)

夕陽落岬萌似火
夕陽岬に落ち火に似たり萌える
(落ちる夕陽に黒崎の岬が染められ燃えている様に鮮やかだな~)

此刻依然午热同
此の刻(とき)依然として午の熱に同じく
(夕方に成ってるのに真昼間みたいに熱いよ~)

遠望太平養生長
太平(洋)を遠く望み成長を養う。
(太平洋を眺めて元気を充電中ぅ~)

・・・みたいな?まぁ、小生別に漢文詳しい訳じゃないから間違ってるかもね(笑)。
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それから黒崎海岸を少し散歩して・・・

気分も落ち着いて「よ~し!」と成り。
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又、入口に戻った。
帰りに又、横浜横須賀道路のPAに立ち寄って夕食食べる事にした。
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横須賀PA(上り)
ここのPAは地味に三浦半島と鎌倉の特産品が揃ってて立ち寄る価値が有る。
この日は食べなかったが、横須賀海軍カレーパンなんか特に美味しい。
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食べたいのはサッパリした物だったので“三浦わかめ蕎麦”&“湘南ゴールドソフト”の神奈川縛りで夕食にした。
ワカメの香りがして美味しかったし、まぁ、そもそも立ち食い蕎麦も、ちゃんとした蕎麦も好きなので好物なのだが。湘南ゴールドソフトの方も果肉がシッカリ入ってて美味しかった。
外に出ると丁度、PAから花火大会の打ち上げ花火が見れた。
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結構大きく見えたのと方角的に横須賀港で花火大会が有ったのかな?
ついでに追加の御土産に鎌倉ハムのポークジャーキーを購入した。
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まぁ、何だかんだ、訪問先は少なかったし一人行動で寂しかったけど、良い息抜きに成ったかな?

では、今日の休日雑記はここまで。
ブランク有ったのに小生のブログ記事を読んで下さっていた皆さん、ありがとう。

では又、少しづつ書いてくのでよろしくお願いします~!





※誤削除してしまった記事の文章を改めて書いた物です、以前の文章とは少し違うと思います。

前回の記事⤵
【休日雑記】07月11日~14日・・・三浦半島景勝地と聖地の旅(その②城ヶ島宿泊:港屋)。
これ⤴の続き。


三浦半島に群生する山百合を見る為に、美味しい食事で有名なリーズナブルな宿、城ヶ島の港屋に宿泊して迎えた朝・・・
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前夜、小生独りには宿泊に大きい関東畳の8畳部屋に準備してあった御茶菓子を頂きながら持ち込んだPCパチパチ文章書き、自宅に居る時よりもリラックス出来た♪
さて、早朝から城ヶ島を散歩しようと思ったがいつも自宅では何故か安眠出来ない小生、港屋さんでは寝心地が良くて朝食ギリギリまで寝て居たく食事の8時までゆっくりしてから着替えて食事処に移動した。
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独身で仕事前にジムに通う小生は自宅では朝食を食べる事が少なく、逆にこうして旅行に行った時だけちゃんとした朝食を食べる事が出来る。
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女将さんの準備して下さった朝食はどれも美味しかった。特に厚焼き玉子とか城ヶ島名物の干物とかとても美味しかった!
朝食を頂いてから又部屋でゆっくりさせて頂いてからチェックアウトした。
前日の記事でも紹介したが、港屋さんは美味しい食事をランチタイムに提供する和食レストランとしても有名な個人経営の小規模旅館として営業していた。御主人と女将さんと数人の従業員で運営されていたのだが、一昨年御主人が亡くなられて暫く休業されていたそうだ。それを前日、御風呂の場所を従業員さんに尋ねた際に聞く事が出来てビックリした。
一人旅でのチェックインの際に女将さんと雑談に及び少し寂しそうな笑顔で「次は彼女連れて来なさいよ!」と言う励ましの様な感じで「独りはダメですよ~」と言われたのが強く印象に残っていた。
チェックアウトの際に御礼を伝えた・・・
「御主人の事、昨日初めて聞きました。」
「初めて来た時は風景の綺麗な宿だなと、様子見がてらランチに来たんです。」
「宿を再開して下さってありがとうございました。御飯、とっても美味しかったです!」
・・・と。すると女将さんがこうおっしゃった・・・
「再開すると最初は御客サンがホームページを見て「再開してるじゃないですか~♪」と問い合わせして下さったんです。」
「そうする内に御客サンがだんだん戻って来て下さって・・・」
「御客様が来て下さって仕事をしていると、寂しい事も忘れられるんです。」
・・・これを聞いて小生は・・・
「あ~やっぱり御主人亡くなって、御主人の残した港屋を守る為に歯を食いしばって頑張ってるから俺に「一人はダメですよ~」って仰ったんだな。」
・・・と、とても感じるモノが有った。
この先、小生は女将さんのアドバイスを活かして自分の家族を持てるかは解らない。だけど若(も)し、自分と一緒に成ってくれる女性と御縁が結ばれ恋人や奥さんと夏を迎える事が出来たなら一緒に港屋に泊まりに来たいと思う。そして若し恋愛する人生を再び歩む選択をしていたら奥さんや子供を大切にしたいと本当に思う。御主人の残した港屋を守る女将さんみたいに。

御礼を伝えを終えて女将さんに城ヶ島を散歩してから帰りたいので港屋の駐車場に車を停めさせて頂いても宜しいでしょうかと訊(たず)ねた所「良いですよ~♪」と快諾して下さったのでお言葉に甘えさせて頂き、長津呂~馬の背洞門~城ヶ島商店街~楫の三郎山を散歩する事にした・・・
港屋を後にして長津呂岬側に抜ける城ヶ島商店街の御店。
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美味しいご飯を提供する御店は旅館だけではないので、海辺散歩デートに最適。
若いカップルもチラホラ見かけ、夏の城ヶ島商店街は微笑ましい風景に成る。
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港屋サンから長津呂の磯へ抜ける商店街、昨夕と様子が変り御店が沢山開いていた。
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良い感じの昔ながらのゲーム屋さん。こう言う雰囲気の店が大好きな小生、しかしゲームはもう余りやらないんだ。
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長津呂荘
長津呂荘サンもホームページを拝見すると、とても美味しそうな料理の写真が並んでいる。是非、泊まりに来たいな~。
小生の妹夫婦は開業医で忙しいので、もう少し涼しく成ったら妹達の代りに可愛い甥っ子姪っ子を連れて来て港屋サンや長津呂荘サンに宿泊し長津呂崎で磯遊びさせてあげたいなぁ~。
いつか泊まりに行きます、その時は宜しく御願いします♪
長津呂~馬の背洞門の風景・・・
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昨日の寂しげで風流な人の少ない夕景の雰囲気とは打って変わって晴天の下、家族連れの海水浴客で賑わう爽快な雰囲気に包まれる長津呂の入江。
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微笑ましく少し羨ましい。もし自分に家族がいる未来を選択していたら、この人達を見習って良い夫、良い父親に成りたいと思う。
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長津呂から後ろを振り返ると港屋。女将さん、御飯とフックラ御布団ありがとうございました♪
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快晴の城ヶ島の磯で遊ぶ家族たち。幸せそうで自分の人生の将来も港屋の奥さんのアドバイスとかから色々考えたのを言葉に書いたのに消しちまった・・・
長津呂~馬の背洞門を目指して歩く風景。
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直ぐに洞門とそそり立つ断崖の壮観な風景が見えて来た。
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丁度、引き潮の時間帯だったので磯の海藻が露出していた。
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岩海苔だろうか?
馬の背洞門近くには自然の海蝕洞穴が幾つか有るが、その一つの手前には残念な事に不埒(ふらち)な輩によってBBQセットが放置されていた・・・
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・・・日本人の恥晒(はじさら)し、我々はこうは成るまいと憤りを感じる。
程無く馬の背洞門に到着。
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馬の背洞門
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この馬の背洞門は明治~大正~昭和の文化人も愛し、訪ね歩いた場所でもある。
城ヶ島には北原白秋も人妻と不義密通から略奪婚をして三崎漁港に移住した際に度々(たびたび)訪れて俳句を残していたりする。
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馬の背洞門からは海を見通せる。
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三浦市観光協会や城ヶ島観光協会もインスタ映(ば)えする景勝地として推している様だ。
小生は撮影が下手クソなのだが、きっと今の若い女性や青年ならばスマホでも良い写真が撮れると思う。恋人同士にはうってつけのデート場所だな。
この上にも遊歩道が有って、そこからは海鵜展望台を通過し城ヶ島公園へと行く事が出来る。
城ヶ島公園からは又、ここと異なった雄大な太平洋を望む景色と、貝殻で出来た砂浜を見る事が出来る。
以前書いた城ヶ島公園の紹介記事はコレ⤵
城ヶ島~三崎漁港~三浦海岸・・・美食と色々な風景を見せてくれる海岸。
今回は馬の背洞門から遊歩道は歩かず、来た道を戻り城ヶ島京急ホテル横の観光橋~楫の三郎山へと向かった。途中、多くの山百合が暑さに負けず綺麗な曙色の姿を見せてくれた・・・
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この娘達を見たくて城ヶ島に宿泊したんだ・・・
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小生にはこの夏の三浦半島の磯に咲き誇る山百合達から海辺で遊ぶ若者や女性の様な健康美を感じるんだな。そして城ヶ島や佐島や秋谷海岸の詠んだのが以前に記事に書いた自作の漢詩な訳だ。
夏曙三浦半島   
岩畔風有清香
山百合色灼灼
その時の情景と解説がこの⤴二つの記事。
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途中、山百合の他にも綺麗な紫色の花が咲いていたのだけれど、無学な小生は名を知らない。
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綺麗な海岸に咲く花達。本当に城ヶ島や佐島は夏の山百合が綺麗なので是非、夏の城ヶ島に宿泊してみるのも良いと思う。小生ももし奥さんがいる未来が有るなら奥さんを週末に楽させてあげる為にデートに誘って泊りがけで城ヶ島に来たりしたいと思う。
それが出来る人を素直に羨ましいと思うので、本当に既婚者の男性には奥さんを大切にしてあげて欲しい。
城ヶ島で一番のホテルが見えて来た・・・
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城ヶ島京急ホテル
この城ヶ島京急ホテルも本当に宿泊に来たい場所の一つなのだけれど、残念ながら単身者向けの宿泊プランが無くて今の小生は暫時(つがいがおらず)宿泊する条件を満たす事が出来ない(´;ω;`)。
でも日帰り温泉もやってるし、美味しい料理を提供しているレストランも運営しているので小生の様な御独り様でも恋人同士でも食事と入浴を楽しむ事は出来る。
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城ヶ島京急ホテルの横から綺麗な城ヶ島の海を観察出来る観光橋へ行く事が出来る。
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本当に綺麗な場所。
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観光橋から見える三浦半島の隆起した岩盤に透明度が高い海水の入り込む絶景・・・
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この磯にも山百合が沢山咲いていて綺麗。
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ふむ!今年もここでコノ娘達に会う事が出来た♪
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暑さに負けて萎んでいる子も、まだ元気に咲いている子も、これから咲く子もそれぞれだった。
今年は暖かく成るのが早かったので梅も桜も紫陽花も薔薇も躑躅も全ての開花が早かったので予想通りではあったけれど、元気な山百合が姿を見せてくれて爽やかで明るい元気を貰う事が出来た♪
ありがとうね~♪又、会いに来るね!
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観光橋からは三浦半島でユーラシアプレートとフィリピン海プレートがぶつかり捲(めく)れ上がり隆起した独特の縦の岩盤地層を良く観察出来る。海水の透明度も本当に高い。
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観光橋から見えるのが、縁結びの観音様の岩屋。
歴史事実を余り知らないカルト宗教と信仰宗教の信者が、明治時代に都新聞に掲載された❝桜の御所❞と言う架空歴史小説を事実と誤認した挙句、信者獲得の為に歴史上実在しない❝小桜姫❞の名を悪用し❝小桜姫信仰捏造❞の舞台にされてしまった。だから縁結びの観音様として地元民に大切にされたのに勝手に御神鑑や鳥居が設置されたり・・・
しかしながら昔から❝縁結びの観音様として有名❞なので、御利益は間違いないだろう。
若いカップルがここに来て御参りして結ばれて若し家族に成れたら、城ヶ島京急ホテルや長津呂荘や港屋サンに泊まって又ここに御礼参りに来たら、きっと観音様も喜んで下さると思う。
そして家族が3人に増えて又来て、子供に思い出として城ヶ島が記憶に残ると大人に成って恋人と来てくれて発展にも成るだろう。
だからこそ、聖地捏造でブランド力を貶める事は城ヶ島には不利益だと小生は憤慨する訳だ。
余談だが、正しい三浦家と小桜姫関連の知識を解説した記事を以前書いているので興味の有る人は参考に読んで下されば良いと思う。
これ⤵
小桜姫と三浦義意公の聖地巡礼向け三浦家関連の縁結びの聖地と史跡紹介の一覧。及び史実と小桜姫伝説の誤差確認記事。
さて、観光橋~商店街~バス停を目指す途中も山百合が可愛らしい姿で出迎えてくれた。
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山百合がそこかしかこに一杯の城ヶ島。
観光橋~バス停に続く商店街の御店で出会った優しい人懐っこい猫チャンに会った。
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沢山モフっても嫌がらず、寧(むし)ろノビい~っとリラックスしてくれた。
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ゴロゴロ~♪
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ありがとね、優しい猫チャン♪
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バス停周辺。
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城ヶ島バス停周辺には駐車場も有り、ここに車を停めると目の前が商店街でデート散歩にうってつけ!

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御店だけじゃなくて公衆トイレも有る。
今年はトイレに燕が巣を作っていた。
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小生もこの燕達の様に家族と来る未来は有るのだろうか(笑)?
バス停からコンモリ見える小山が城ヶ島の聖地の一つとも呼べる楫の三郎山と、その前に在る梶ノ亭。
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楫の三郎山の下の法には毎年綺麗な紫色の花が咲く。
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無学な小生は残念ながらこの花の名前も解らないが綺麗だった。
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楫の三郎山の名の由来は海南神社御祭神の一柱、藤原資盈公と盈渡姫の御家来の名前に由来し、山頂には御廟所が神社形式で祀られ、現地の人に大切に守られ信仰されている。
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藤原資盈公と盈渡姫は平安時代貴族で、三浦に移住し文化発展に寄与された。その御二人が伝えたのが現在、世界無形文化遺産に登録されている海南神社の神事❝チャッキラコ❞で、源頼朝公が藤原資盈公と盈渡姫の伝えた踊りと小唄を鎌倉時代に見物され神事として定着した。その藤原資盈公の御家臣の楫三郎公が祀られる山なのだ。
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楫の三郎山からは神奈川の景勝50選の城ヶ島大橋の風景や・・・
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長津呂と城ヶ島京急ホテルの風景や・・・
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太平洋側の灘ヶ崎の絶景・・・
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三浦半島南端、三崎漁港と三崎城址、そして観光漁港❝うらり❞と入舩地区が見える。
この三崎城址は室町時代後期の北条流の築城術なのだが、これを城郭や歴史に無頓着な小桜姫信仰の捏造に悪用しようとする連中が三崎城を三浦家滅亡の場所と歴史捏造迄しており真憤りを覚える。
岬の本瑞寺は源頼朝公の春を過ごす桜の御所の跡地なのだが、小桜姫のモデルと成った歴史人物の房総半島の小大名、真里谷武田家の姫の夫である三浦義意公の時代には城郭は無かっただろう。
そして三浦義意公の父上は扇谷上杉家から三浦家を乗っ取った三浦道寸公なのだが、そもそも平安時代の三浦家の時代は本家直轄地の港だっただろうが、城は無く新井城が三崎の防衛拠点だっただろう。
城の縄張り的にも扇谷上杉家が本拠地にするなら三方を湿地や水辺に囲まれた丘を城にするので、人口の空堀や群郭式で馬出とクランクの虎口を多用する三崎城は北条氏規公の時代の北条流の城であるのは先ず間違いない。
そして三浦家は一族を三浦半島各地に配置すると、分家としてその土地の名を名乗らせるのだが、❝三崎❞を姓にする支族はおらず、又三崎に新井(あらい)城があり、本家が代々❝荒次郎(あらいじろう/あらじろう)❞を名乗る三浦❝荒次郎❞義澄公以来の名を受け継ぎ、三浦家最後の殿様となた三浦義意公も三浦❝荒次郎❞を名乗っている事から・・・
新井城=荒次郎を名乗る人物の直轄地であると解る。
そして三崎漁港の平安時代の船着き場は入舩地区と観光市場❝うらり❞の間と解っており、三浦家氏神の海南神社の前身と成ったであろう筌籠弁才天=稲荷社もうらり側の入江を守護する位置に鎮座している。
又、海南神社に合祀された藤原資盈公と盈渡姫御夫妻が亡くなった際に水葬された平安時代の海岸の突端と伝わるのが本宮神社で、これは海南神社の氏子サンに教えて頂いた事だが当時の海南神社前~うらり~入舩地区の間が船着き場の入江として機能していた地形的な証拠に成る訳だ。
そんな歴史を辿れるのが、この楫の三郎公の祀られる楫の三郎山だったりする。
山を下りバス停に戻る。
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バス停から港屋駐車場に戻り車に乗り込むと、次の目的地の海南神社の例大祭見物に向け出発した・・・
その④海南神社例大祭と食い倒れに続く・・・

※誤って削除してしまった記事とほぼ同じ内容に成る様に書きましたが、文章表現が違ったり、三浦家支族解説等端折ってしまった部分も有りますが、御了解下さい(笑)!
では、又、この続きの記事で!

2018年07月11日・・・
新井城落城の日、尊敬する三浦義意公と御父上三浦道寸公の命日に三浦市油壷の新井城址の御廟所への献花と油壷の湾を挟んだ対岸の小網代に在る網代山海蔵寺に御参りに上がった。
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海蔵寺に向かう前にイナゲヤで仏花を購入、まぁ、仏花と言っても本当に仏花じゃなくて道寸公と義意公のイメージに合った切り花を購入した。
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そこから❝なこう❞と言う和菓子屋さんで海蔵寺様への御土産に道寸公にちなんだ❝道寸餅❞を購入して持参。
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網代山海蔵寺
※一般参詣不可(新興宗教信者による縁結びを謳った悪質な独身女性宗教勧誘団体の乱入が頻発した為)
※本来の仏教徒と神道の信者は納経可能。
三浦市三崎町小網代1508

訪問すると奥様が応対して下さり、暫くして御住職が準備を整えて今年も色々と御教授下さいました。そして三浦道寸公と義意公と三浦家北条家諸将の供養と三浦の産業発展を願う為の写経を行う台紙を3枚頂いた。
今年は御住職から金剛般若波羅蜜経を写経してみないか?と提案があったので御住職が抜粋された部分の手本と合わせて頂いた。
先に結論を言うと慣れない初見の御経の写経で3枚とも書き損じ失敗した(笑)!
そこから小生は海蔵寺の飛び地境内地である油壷マリンパーク駐車場周辺の立ち入りを許されているので、御住職に御廟所へ献花に行く旨お伝えして、海蔵寺を出発した。
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今年もやって来た油壷マリンパーク横の御廟。ここで蚊取り線香を滅茶クソ大量に焚いて蚊を追い払ってから(笑)少し高い御香を上げて、献花した。
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そこから少し海側に降りて道寸公にも献花。
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御廟所に行く途中には城址としての遺構と思われる食違い状の堀切と小さな曲輪と思われる、かつての裏門であろう場所が残っている。
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その先に道寸公の御廟所が有るが、ここも左右を裾切りされた細い断崖の先に見張り台の様な御廟所が存在しているので嘗(かつ)ての曲輪遺構だろうと思う。右手は竪堀に成っている。左手は胴網海岸と言い、ここで部下達を船で逃がし、自分は最後まで戦い果てたそうな。
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御廟を取り巻く様に右手側には土塁と思われる名残りが見て取れる。左手胴網海岸側には無いので撤去されたか当時から左手は城内側で右手竪堀が船着き場だったのかも知れない。
またまた蚊取線香だらけにして少し高い御香と花を御供えして、油壷荒井浜の縁結びと遭難した漁民を助けた強い御利益で有名な200年弱の歴史があるパワースポットの❝弁才天矢倉❞を目指して移動開始。
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荒井浜
推測だが三浦義澄公以来、代々の三浦家当主が❝荒次郎❞を名乗ったのは本来は荒(あらい)次郎と読み、元々は三浦義澄公が荒井(新井)城主だった事に由来するのかも知れない。
後に新井城と呼ばれるのは荒(あらい)と一文字では読めなかったので発音を明確にする為に荒井城とされ更に新井に転化したのだろう。今でも現地には三浦家子孫と思われる新井サンがいたりする。
油壷荒井浜は神奈川県内でも屈指の水質の良さを誇りフグが産卵に来る海岸としても知られている。
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オシャレな海の家も民宿も有る。だから知る人ぞ知る海水浴場ながら比較的裕福な階層の海水浴客が油壷湾にヨットで乗り付けて、ここに来てBBQを楽しんだりしている。
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弁天矢倉へ向かう途中、今年も綺麗な山百合が出迎えてくれた。
うん、健康的で可愛い!
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弁才天矢倉は満潮に成ると通れない磯の先の更に崖っぷちに有るのだが、ここも海蔵寺と同じく明治のエセ霊能者の書いた霊能本を元に独身女性の婚活意欲を利用した悪質な宗教勧誘する新興宗教カルトに迷惑な独身女性勧誘旅行コースにされている。
ソイツ等は歴史知識が欠如しており平安末期と室町時代の区別すら出来ず(笑)三浦義意公の奥方をモデルにした明治時代の架空歴史小説の架空の人物❝小桜姫❞をモデルにしたアホの妄言も見抜けず多くの独身女性が騙されてカルトに勧誘される被害の舞台に成っている。
因みにソイツ等の宗派は仏教や神道を普段は邪宗扱いしてる癖に都合の良い所だけ❝他宗派の神社仏閣を自分達の宗教施設の様に惹起させる宗教活動❞をここや海蔵寺や城ヶ島観音洞や岬の本瑞寺や走水神社で傍若無人に宗教勧誘旅行を勝手に行っている。厚顔無恥。
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この崖の上の洞穴が弁才天矢倉。
最も、昔から縁結びの御利益で知られていた弁才天矢倉、遭難して藤沢辺りまで漂流した漁師の命を助けた強い御利益が有るので仏教や神道に敬意を持って正しい認識で参拝すれば御利益有るだろう。
だから普通に地元の人もカルトに依存せず、縁結びの祠として宣伝して良いと思う。弁才天矢倉の正しい名前で。
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入口は崩落のせいでクッソ狭い。閉所恐怖症の人や最近のタイの洞窟の事件の事で恐怖を感じるなら入らない方が無難だろう。明かりも無いしな。
入口には勝手にカルト信者が色んな物を置いて行ってる。
卒塔婆も戒名すらない不自然さに疑問を持たない馬鹿さ。戒名が無いのは歴史上実在した人物では無く、実在の人物の真里谷城主武田家から三浦家に嫁いだ姫様をモデルにした架空の人物だから。
歴史上女性が実名が伝わる事は一般的に無い。特別な人物は伝わるが、その場合は菩提寺に伝わるので必ず戒名で伝わる。身分がハッキリした人だと実名も残るが小桜姫は明治時代の小説で作られた名前なので当然ながら戒名が無い。又、真里谷武田家も滅亡しているので記録も余り残らない。
真里谷武田家から間宮林蔵の祖先の一族の間宮家に婿に入った人物も間宮に改姓した後に無嗣断絶したので、その系統は残らない。真里谷武田家の一族の子孫は恐らく笹下間宮家臣と成って笹下城出城松本城を任されたであろう武田家と、戦国時代には❝勝❞姓を名乗って北条家臣化した幕末に活躍した勝海舟の祖先位だろう。
もっとも松本城址の武田家は何を血迷ったのか有り得ない武田勝頼舎弟の子孫を自称しているが、当時の北条家と武田家は敵対関係に有り、江戸時代初期にも旧北条家臣団と旧甲斐武田家臣団は幕府内で対立していたので甲斐武田家の子孫を間宮家が家臣に迎える筈もない。これは同族有名な系統の子孫を僭称した結果だろう。武田家と隣接する小中沢家も武田家忍者の子孫を自称しているが、そもそも、忍者ではなくて鷹匠の技能を持った武士の子孫だろう。忍者なんて職業は戦国時代に存在していない。スパイも武士だったからな。
まぁ~取材もしないガクシャ先生は松本城址に真里谷武田にしろ甲斐武田にしろ一族がいて、その家臣の子孫もいるなんて知らんだろうな。
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本当に真っ暗だよ。今年も来て、三浦の観光振興祈願と自分が成長し大願成就出来る様に祈願したけれどね。
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今ではmobile🔦ライトと言う便利な物が有るので大丈夫だけど。昔は蝋燭の火を頼りに参拝したもんだ。

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※アホが心霊写真と騒ぎそうだから前もって言っとくが、体重78kg筋肉量65kgの基礎代謝高い小生の身体から出てる❝湯気❞で霊気じゃね~からな(笑)!
・・・まぁ霊気だとしたら小生の霊気だろうか(笑)。
9回轢き逃げされて擦り傷以外に怪我した事無いし、霊夢見た事有るしな・・・
だから偽霊能者死ねと思うは本当。でもソレって感だったり、格闘技やスポーツやってたから身体が柔軟で受け身もとれただけなんだわ。
まぁ・・・金縛りも般若の面見たのも茶運び人形見たのも疲れてた時だから全部科学的に説明尽くしな。
そもそも凄い修行した高僧や高位の神官でもソンナよオカルト能力無ぇ~わ!
何の修行もしてない茶髪デブやババアが、高位の神官や高僧、天皇家に連なる血筋を超える力持ってると自称する時点でデマ。霊なんてそんな具体的なもんじゃ無いわ!何となく縁も繋がるし自然に結ばれるし、小生みたいに交通事故でも怪我しないとか、霊夢みたいので本当に問い合わせすると現実に直結するとか、そう言った物が本来の霊感なんじゃないの?
そんな見えたりしてたらよ、鎌倉市街なんかどれだけ合戦で人死んでんだ馬鹿か!
・・・とか思う。
今年も弁才天様に参拝。御参りの機会を頂きありがとうございます。
ここにちゃんと❝弁才天様❞として御参りに来る正しい仏教徒と神道の信者の女性の縁結びを成就して下さいます様お願いします。新興宗教に騙される様な女はどこいっても無責任な男に騙され遊ばれ終りだろう。
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御参り終えて・・・
やばいよやばいよ~潮が満ち始めてるよ(笑)。
ね?だからちゃんと干潮時刻みて御参り来ないとダメ!あとカルトに騙されず自分で来て、ちゃんと御参りしないとダメ!
三浦義意公と小桜姫のモデルの真里谷武田の姫に縁結び御願いするなら、ちゃんと関係する場所の歴史を勉強してからじゃないとダメ!

興味有るならコレ読んで勉強しなさいyo~♪⤴

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帰りも健康な山百合ちゃんを発見。可愛いな~。
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油壷湾側の東京大学の敷地横を通ると、遊歩道横のこの土手が実は新井城の大土塁の跡なんだが、この中には今も空堀や曲輪跡が少しだけ残ってるのを知る人は現代では少ない。
駐車場に戻り車に乗ると、一端、ザ作兵衛という行きつけの直売所で西瓜とメロンを購入。
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それが前回の記事の部分だな⤴
そこから更に三崎生鮮ジャンボ市場に移動・・・
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三崎生鮮ジャンボ市場
御昼食べてなかったので、ここで握りずしセット買って車中食べました。
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美味しかった!ここのスーパー、三浦の水産品を直売してるので御土産購入にも便利なんですよ。
そして下道で横浜市栄区方面を目指す途中、横須賀で更に買い食い。
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中井パン店
ここ、小泉孝太郎君とか、ふなっしーの中の人が学生時代にオヤツ代わりに食べた❝ポテチパン❞を売ってる店として神川県民と何故か台湾人に有名(笑)な場所。
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ポテチパン頬張りながら帰路に着く。

【休日雑記】07月11日~14日・・・三浦半島景勝地と聖地の旅(その②城ヶ島宿泊:港屋)に続く・・・




皆さんは神奈川県の三浦半島に富士山のビュースポットとして素晴らし場所がいくつも有る事を御存知(ごぞんじ)でしょうか?
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黒崎の鼻
〒238‐0111 神奈川県三浦市初声町下宮田付近

黒崎の鼻と言う岬に通じる直線の農道は約1.5kmに渡り富士山に向かって伸びています。
この農道、何故こんなに真直ぐかと言いますと、アメリカが関係有ったりします。
先ずは航空写真を使って説明しましょう・・・
黒崎の鼻と三崎口駅位置関係 久良岐のよし
黒崎の鼻に繋がる農道は2本有り、どちらも京浜急行電鉄三崎口駅を起点にする様に伸びています。
実はこの2本の農道、第2次世界大戦終結時に日本帝国海軍の横須賀鎮守府が米国の第7艦隊に接収された際に米軍の空港建設予定地に成り整地されました。そして、計画が頓挫してからも、そのまま真直ぐな農道として残った訳です。
もしかしたら京浜急行の三崎口駅がここに作られたのも、当初は空港建設を当て込んでの物だったのかも知れません。
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とっても綺麗な風景なので、この農道では多くの映画やドラマがロケされています。
しかし綺麗なのはこの真直ぐな農道と相模湾の先に見える富士山の風景だけではありません。
真直ぐな農道の内、北側の方を真っすぐ進むと下の写真の場所に出ます。
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・・・こんな場所、普通は通りたくないけど先に有る景色を知っているから入って行ける。
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何にも知らない他府県の人が来たら尻込みしそうな獣道にしか見えませんが、ここが絶景の富士山が見られる“海”に繋がっている道でちゃんとした公園の遊歩道なんですよ。
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少し歩けば海が見えるので諦めないで下さいね(笑)。
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この黒崎の鼻は自然の柴や笹に囲まれている日本離れした風景なのですが、それ故(ゆえ)に観光に来るには海水浴シーズンでは“蚊”が多くて大変に成ってしまう上に、それこそ海上の水蒸気で大気がガスって富士山を綺麗に見る事が出来なく成ってしまいます。CIMG5894
この写真を撮影に行った日は11月下旬で日没時間が16時半で有る事を予(あらかじ)め確認してから農道での昼の風景の写真撮影も考慮して夕日も撮影出来る様に16時に現地に到着する様に横浜市の円海山の麓の自宅を出発し、計画通りの運びに成りました。
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薄木(すすき)もとても綺麗な場所ですが…
「富士山見えないじゃん」
・・・って?イヤイヤこの風景は黒崎の鼻、つまり黒崎と呼ばれる岬の鼻っ柱に当たる先端部分なんですよ、位置的にはもっと先っぽに行くか海に降りると綺麗に富士山が見えます。
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こんな風にね!
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とっても綺麗でしょう?
ここで撮影された映画とドラマは主だったものでも以下の様な有名な物が有ります。
義経(歴史大河ドラマ)
龍馬伝(歴史大河ドラマ)
女帝
ライアーゲーム1、2
花より男子2
恋の時間
氷点
ATARU
BORDER
デカワンコ
仮面ライダーシリーズ多数
戦隊シリーズ多数
最近ではドクターX3でもロケハンされていました。
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小生が訪れた日も何かの撮影隊が着てオメカシした女性が丘の上と海辺で撮影していました。
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この芝生と海岸の風景、丸で英国スコットランド地方の海辺みたいですよね。
・・・行った事無いんだけど(笑)。
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とにかく夕日が綺麗な場所でもあり富士山も綺麗なんです。
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小生は他にも富士山の見える好きな場所が神奈川県内にいくつか有りますが、ここはトップクラスですね。
ここ黒崎に匹敵するのは例えば下の写真の鎌倉市材木座海岸とか…image
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下の写真の横浜市栄区の円海山山頂から見る日没直後の富士山とか…
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平塚市と伊勢原市に跨(またが)る富士見台から見る日没直後の大山(大山祇神)と富士山(此花咲耶姫命)の親子の山の見える風景とか…
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それとベタですが鎌倉市の稲村ヶ崎の七里ヶ浜~江ノ島と一緒に見える富士山は江戸時代に歌川広重も絵に描いている程でとても綺麗で好きですね…
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これらの場所は甲乙つけがたいのですが、中でも特に黒崎か稲村ヶ崎の富士山が綺麗だと思います。
他にも箱根の大涌谷から見る富士山とか、三浦半島の秋谷海岸立石公園から見る富士山も好きで、ブログを書き始める前の4年前までは時間が有ると良く散歩しにドライブに行っていました。
さて、今回は黒崎が舞台なので黒崎の写真に戻ります。
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三浦半島の西海岸は大陸プレートの衝突する場所で隆起する地盤なんです。だからこんな風に岩礁の磯が多く見られます。
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そんな岩礁の先に見える富士山と夕日も綺麗でしょう?
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もっと海が荒れる台風翌日なら迫力の有る波頭の飛沫(しぶき)も見えるかも知れませんね。
でも富士山が綺麗に見えるのは11月末~2月初頭までの寒い時期だけですから、荒れた海の景色を撮るなら近くの長井の荒崎海岸の方が良いかも知れません。
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夕日に合わせて訪問し成功して本当に良かった1日でした。
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同じく撮影に来ていた男性も、夕日を前にして撮影すると絵に成りますね~。
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小生は写真撮影は下手な部類だと思うので、誰でももっと上手に撮影出来るはずですよ!
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綺麗な赤富士だ・・・
そうそう、最初の方で紹介した下の写真ですが…
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実はこの黒崎の鼻の丘、戦争中に海軍の要塞が作られていました。この先の油壷湾には人間魚雷の回天の出撃用の壕なんかが存在したので、ここにも配備されていたのかも知れませんね。
幸い、三浦半島に米軍が上陸する事は無く戦争は終結したので怖い場所では無く現代では子連れの若夫婦や恋人達にも愛される散歩道です♪
帰り際に又、農道で富士山の写真を撮影しました。
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本当に良い場所なので、御正月の連休中や冬の間に是非、皆さんも撮影に訪れてみては如何でしょうか?
高速道路に接続する三浦縦貫道路に戻る途中にはスカナゴッソと言う道の駅が有ります。
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すかなごっそ
ここでは三浦名物の三浦大根や蜜柑等の農産品に加えて、名物の鮪や魚の干物が直売されています。
そして小腹が空いたら御寿司やネギトロ巻なんかも売っていますよ~♪
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この日の小生の車中での夕飯に成りました(笑)。
これから御正月に突入しますが、三浦の三崎漁港の❝紀の代❞と言う御寿司屋さんは例年1月3日からやっていて御節料理に飽きた時には御薦めです!
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鮪の皮や胃袋や白子、カマ焼き等、普通のお寿司屋さんでは食べれない鮪水揚げ漁港ならではの希少部位が食べられるお店です。
紀の代
以前お店を紹介した記事です→

御正月のレクリエーションの参考に成れば幸いです。
三崎漁港には海南神社と言う凄い神社も有ります。
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海南神社
元々は筌龍弁才天(せんろうべんざいてん)と言う名前だった神社で弁天様でした。筌龍(せんろう)と言うのは筌籠(せんろう)と言う漁具が転訛した当字で、元は源頼朝公の参謀で初代の侍所別当職(軍事長官)を務めた和田義盛公を助けて源頼朝公に仕官させた御利益に由来する社名です。
ここは平安時代までは三浦水軍の三浦家から三浦半島の総社として、そして戦勝祈願の神様として崇拝され、名将の三浦義明公やその御子息で和田義盛公の従弟に当たる三浦家当主の三浦義澄公が海南神社を大切にしていた時期の三浦家は源頼朝公の配下の中でも最強の軍団でした。
その証拠に実は源義経が立案したとされる神戸の福原攻めで行った“鵯越の逆落とし”の迂回急襲作戦は、三浦家一族で横須賀市の佐原城主“佐原義連(さはらよしつら)”公が立案した作戦と言うのが実際の所でした。そして作戦を実現したのが横浜市港北区の茅ヶ崎城主でもあった多田源氏の多田行綱公でした。
そんな名将が崇敬した御利益の強い神社が海南神社で、戦国時代にも北条家三崎水軍として活躍した武将達から崇敬を集めていました。
この海南神社で毎年1月15日に行われる❝チャッキラコ❞と言う神事は❝ユネスコ無形文化遺産❞に登録されているのですが、結構、日本人の方が知らないんですよね。
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こちらも以前書いた記事が有るので、是非参考に御覧下さい。

さて、海南神社を紹介したので、神奈川県内の凄い歴史と御利益の有る神社仏閣の纏め記事も紹介して、今回の〆にさせて頂きます。

この記事は赤字部分が未編集ですが、文字制限数の1万5千字を超えてしまったので記事を分割して再編集し索引も就ける作業をする最中ですが、一応、ほとんどが解説も掲載してありますので初詣の参考としてお役に立てたら幸いです。

皆さんにとっても良い年末年始に成ります様に~♪
では、又、次のブログ記事で♪


























平安時代末期~戦国時代まで続いた相模国の小大名、三浦家の聖地と江戸時代に庶民の信仰を集めた神社仏閣や弁財天を祀る洞穴が、ねつ造された嘘の歴史を流布するカルト信仰によって乗っ取られる危機に瀕しています!

以下の事を行って、史跡乗っ取りを阻止して頂きたく、歴史好きの皆さんに拡散致します!

Google mapで以下の●の地名の場所を検索して見て下さい。
( )内が正式名称
●弁財天洞
●小桜姫の祠
 (弁財天洞)
●小桜姫神社
 (諸磯神明社 摂社 若宮社)
以上の場所が明治時代設立のカルトを踏襲した新興カルトに乗っ取られ、Google map上で●表記の施設名称に書き換えれたり、小生や仲間達で正しい歴史を警告するとレビューから削除されます。

実は最後の三浦家の頭領の三浦義意公と房総半島の真里谷武田家出身の側室をモデルにして明治時代に書かれた架空歴史小説「桜の御所」に登場する架空ヒロイン小桜姫をカルトを用いて実在したかの様に広めカルト組織がそれぞれの史跡や別の神仏の崇拝場所を乗っ取ろうとしています。
実在せず、時代設定もハチャメチャな話をさも実話の様に信者や歴史に無知な女性に「縁結びの神」と悪質な情報で勧誘しては自分達の宗教施設の様に事実上乗っ取りにかかっています。
独身女性の結婚願望に付けこみ信者を増やそうとしている訳です。
ソイツ等は❝神奈川県神社庁や菩提寺、菩提寺宗派の曹洞宗とは全く無関係❞の新興宗教系統のカルトです。にもかからず、さも自分達の宗教施設の様に佐原三浦家関係の宗教施設へ、縁結び願望の有る女性達を連れまわしては歴史事実と異なる解説をして信じ込ませています。
このせいで、佐原三浦家最後の武将、三浦道寸公と三浦義意公の菩提寺の三浦氏三崎町小網代に在る海蔵寺は一般参詣不許可の対応をせざるを得ない状況に追い込まれています。

そこで以下のお願いです。
①下記3ヶ所をGoogle mapで検索して、小生達の歴史解説レビューに「」を押して頂けませんか?
●弁財天洞
●小桜姫の祠
 (弁財天洞)
●小桜姫神社
 (諸磯神明社 摂社 若宮社)
②出来れば「情報の修正を提案」から小生が( )に示した正しい名前に戻すように名前を提案して下さい。
●弁財天洞
●小桜姫の祠
 (弁財天洞)
●小桜姫神社
 (諸磯神明社 摂社 若宮社)
③可能ならばレビューに三浦家の歴史書に小桜姫の名前は登場しない事、三浦義意公の妻は真里谷武田家の姫である事、桜の御所の時代設定で架空人物の小桜姫の実家とされる金沢北条家は戦国時代の三浦義意公の佐原三浦家滅亡より200年も前に滅亡した事実、この三点をレビューに書いて頂ければ幸いです。

目的としては、縁結び目的の独身女性達がカルトに入信するのを防ぎ且つ正しい神社の名前と仏教施設としての名前をGoogle mapで取り戻し、史実を周知して頂いた上で女性の皆さんには縁結び祈願に安心して自分で来て頂ける様にする為の対抗策です。
ひいては三浦半島の観光が小説桜の御所の舞台として、そして源頼朝公や三浦家所縁の観光地として正しい形で活性化するのが最終的な目的でもあります。

無論、皆さんのお手を煩わせたく無いので出来る範囲の協力、又は拡散で結構です。

すみませんが、拡散協力願います。

三浦家について詳しい歴史は以下に纏め解説してあります。
http://yoshi-kanagawa.blog.jp/archives/64025466.html
上記URLの解説を参考にして頂ければ幸いです。

仮にカルトを利用してでも観光振興の為にやっているのならば、カルトを巻き込むのは三浦ブランドを落とすマイナス効果しか生まず、周辺自治体にも迷惑をかける行為に成ります。
三浦半島には元々源氏と平家の三浦家所縁の豊富な史跡群に加え、近代の要塞や、アメリカ文化の観光地、そして問題の三崎周辺は風光明媚な夏の観光地や冬のミカン狩りや鮪や松輪鯖や三浦大根のブランドが元々有名な場所です。もっと真っ当な宣伝をして城ヶ島や三崎をアピールして欲しいと願うばかりです。
三浦家滅亡の新井城址は日本最長の4年間に及ぶ籠城戦が展開された名城として歴史好きには有名な場所です。カルトが小桜姫の祠と名を変えて宗教活動に利用している場所も江戸時代に遭難した漁民を助けた強い御利益の在る弁財天様として庶民から崇敬された場所です。
諸磯神明社も天照大神を祀る大切な神社ですし、三浦義意公の奥方が北条勢に捉えられたと伝承する諸磯神明社摂社の若宮社も、鶴岡八幡宮の誉田別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇=八幡大菩薩)の御分霊以外に何者でもありません。神道の信者にとってとても大切な神様達の御社です。
そこをカルトで汚さないで下さい。

三浦には沢山の景勝地と近代公園や自然公園、そして史跡とヤマトタケル神話や三浦家歴史の舞台の神社やと寺も有ります・・・
三浦海岸(海水浴場)
三浦市下浦町~三崎町周辺(西瓜と三浦大根の名産地、冬季はミカン狩り、初春は苺狩り)
江奈漁港(高級ブランド鯖の松輪鯖の漁港)
剣崎灯台周辺(神奈川の景勝50選)
盗人狩り(神奈川の景勝50選)
城ヶ島大橋と城ヶ島の景勝(神奈川の景勝50選)
城ヶ島のホテルや旅館(海に面したホテル、旅館、ペンション多数)
城ヶ島公園(景勝地、自然公園)
城ヶ島灯台(景勝地)
城ヶ島長津呂崎(景勝地)
城ヶ島北原白秋記念館(北原白秋三崎在住時代の解説展示館)
三崎漁港(鮪の水揚げ漁港、昔からの名産地)
三崎銀座商店街(鮪料理専門店が並ぶ商店街)
三浦映画社(三浦半島に映画ロケとドラマを誘致するNPO、過去ロケの作品の紹介場所)
三崎城址(北条氏規公居城)
本瑞寺(源頼朝公別荘跡、後に入舩地区に三浦義意公が開基し江戸時代に現在地に移転た寺院)
油壷湾(神奈川の景勝50選:昭和の映画スターのヨット遊び場)
油壷マリンパーク(皇太子殿下と雅子妃殿下始め皇族の方々のデート場所)
新井城址(佐原三浦家終焉の城)
荒井浜(流鏑馬神事が行われる)
海蔵寺(三浦道寸公開基の寺院、三浦道寸と三浦義意公の菩提寺)
小網代の森(原生林の遊歩道)
荒崎海岸(神奈川の景勝50選)
諸磯隆起海岸(フィリピン海プレートと太平洋プレートの衝突による隆起地形観察公園)
葉山マリーナ(昭和の映画スターのヨット遊び場、商業施設)
大楠山(神奈川の景勝50選)
森戸神社(源頼朝公勧進の三島大社御分霊)
名島(源頼朝公別荘跡の水没した島)
森戸の夕照(神奈川の景勝50選:森戸神社から名島を見た夕景)
鐙摺城址(三浦義澄公拠点)
鐙摺城址出丸旗立山(伊東祐親公御廟所)
秋谷の立石(神奈川の景勝50選)
秋谷海岸(景勝地)
長者ヶ崎(神奈川の景勝50選)
佐島マリーナ(昭和の映画スターのヨット遊び場、リゾートホテルとレストラン)
天神島臨海自然教育園(自然観察公園、佐島マリーナ横)
関口牧場(酪農家、アイスクリーム製造直売)
ソレイユの丘(BBQ等の複合レジャー施設)
披露山公園(神奈川の景勝50選)
住吉城址(平安時代末期三浦義澄公が籠城し、戦国時代に北条早雲公が籠城した城址)
逗子海岸(昔は明治の侯爵達の遊び場、昭和期は太陽族、今はチャラ男にチャラ女の聖地)
逗子マリーナ(昭和の映画スターのヨット遊び場)
逗子市郷土資料館(徳川家別荘)
衣笠城址(平安~鎌倉時代の三浦本家の居城)
大善寺(衣笠城址に在る、鎌倉時代の三浦本家の学問所だった寺院)
満昌寺(源頼朝公が鎌倉幕府設立の立役者の三浦義明公供養に開基した寺院)
清雲寺(佐原三浦家の鎌倉時代~室町時代初期の菩提寺)
怒田城址(和田義盛公の平安時代の居城)
佐原城址(源義経の鵯越の逆落としの作戦を立案した佐原義連公の居城)
田浦梅林(今上天皇生誕記念に植林された4000本超の梅林の公園)
塚山公園(神奈川の景勝50選)
塚山公園按針塚(徳川家康公外交顧問のウィリアムスアダムス=三浦按針公と奥方御廟所)
どぶ板商店街(アメリカ第7艦隊の将兵が遊ぶアメリカ文化の商店街)
戦艦三笠(世界三大旗艦の一つ、東郷平八郎元帥の乗艦)
三笠公園(戦艦三笠が展示された公園、猿島へ渡る船の桟橋)
猿島要塞(明治時代の要塞、日蓮聖人の史跡、縄文時代の遺跡)
信楽寺(坂本龍馬室お龍さん菩提寺、土肥実平公持仏を祀る寺)
走水海岸(日本武尊と弟橘姫の神話の舞台)
走水神社(日本武尊の冠を社殿地下石室に埋蔵した神話の神社)
御所ヶ崎砲台史跡(日本武尊と弟橘姫の仮御所が在った、明治期に神社を壊し砲台設置)
観音崎(神奈川の景勝50選、昭和の映画スター達のリゾート地)
観音崎要塞(明治時代の要塞史跡)
観音崎灯台周辺(今上天皇と皇后様も訪問)
多々良浜(景勝地:貝殻で出来た真っ白な砂浜)
・・・等々、挙げればキリが無く・・・
どこも昭和のリゾート地として映画スター達に人気だった場所や現在の天皇陛下や明治の東郷元帥や三浦家と源頼朝公の大切にされた御寺や御城や別荘の跡、ばかりです。
もしも三浦市非公認のままの観光振興の心算なら、歴史歪曲は三浦ブランドを貶め神仏と歴史偉人を愚弄する行為です。
仮に嘘の歴史を教えられて小桜姫は実在しなかった小説の架空の人物である事を知らず、モデルが真里谷武田家の姫だと知らずに信仰してしまったなら、これからは真里谷武田家の姫様として、小説桜の御所のロケ地として三浦義意公と奥方の真里谷武田家の姫に縁結びを御願いしてみて下さい。

前日、台湾の友人夫妻来浜→ ←これの続き。2日目。
台湾の友人夫婦が横浜に遊びに来てくれた2日目・・・
この日は朝から中華街のホテルに二人をピックアップし、藤子F不二雄ミュージアムに行って来た。
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ここは完全予約制で、ローソンでチケットを購入しないと入れない。
当日券は販売していない。来館者が快適に見学する為の配慮だ。
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まぁ、関連商品も沢山売っているので、御土産にも困らない。
小生の友人は日本が大好きでいてくれて、度々遊びに来てくれるのだが、今回訪問先と成った川崎・横浜・横須賀・三浦を含めた神奈川県は初めての旅行先だそうだ。
東京が近い弊害で東京より見る場所が多いのに海外の旅客にスルーされる事の多い我が県、何とか楽しんで欲しく、事前に友人(御妻君の方)と旦那さんの要望をリサーチして訪問先を分単位で計算して計画を立てていた。
しかし、この日は小生がドジをやらかしまくった。
高速で第三京浜川崎出口を降りた際、道路が複雑な進路変更が必要で道を間違えた。
更に、のちに話すが家系ラーメン総本山吉村家を食べさせてあげる事が出来なかった。
う~ん・・・
まぁ、話を先に進めると、友人(御夫君)が幼少の頃ドラえもんが大好きだったので、ここの存在を知った友人(御妻君)が小生に行きたい候補として事前に通知してくれていたのでチケットを予約しておいた訳だ。
入場料は1000円、安い。
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屋内展示物は写真撮影が不許可なので、屋外の展示物しか撮影出来ない。
しかしながら、多言語に対応した案内解説器具を各入館者に1台づつ渡して貰えたり、原画が多数展示されていたり、藤子F不二雄先生の生涯や、作業場等が再現された展示が有り有意義に時間が過ごせる。
子供向けと言う訳では無い施設だった。
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どちらかと言えば中学生高校生大学生等、進路に迷いがちな世代が来た方が良い場所。
最低限、小学校低学年程度の読み書きが出来ないと子供も理解出来ない展示が多い。
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でも屋外に出ると、子供も喜ぶ写真撮影の為の実寸のキャラクターが展示して有ったりする。
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ドコでもドアーとか・・・
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空地の土管とドラえもん。
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映画のワンシーン等も再現されていて親子連れや大学生位のカップルで賑わっていた。
でも入場制限がちゃんとかかっているので、酷く待ち時間が有る様な事が無いので快適に見学出来た。
小生も次ぎ来る時は、自分の恋人か奥さんと一緒に来られる様に頑張らねば(笑)。
まぁ、甥っ子姪っ子を連れてくるのが先に成りそうだな。
ここをいたく気に入った二人、4時間も滞在したので後の予定に少し影響が出た(笑)。
実はこの後、車で横浜駅西口の家系ラーメンの総本山である吉村家に向かったのだが・・・
月曜日店休日だった。
直弟子の店で吉村家発祥地の杉田家が年中無休なので当然やっているものと思い込んだ小生のミス。
この日二つ目のミスだった。
友人夫妻は「明日自分達で帰りに食べに行くから良いよ~」とは言ってくれたが悔やまれるミス。
時間的にも杉田家に回る時間が無いので、やむなく、藤子不二雄ミュージアムで購入したドラえもんのどら焼きと、ドラミちゃんのメロンパンで二人に間食して凌いで貰った。
目的地を3か所目の横浜市中区の国指定名勝の三渓園に移動した。
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※写真は昨年の写真。
ここまでの移動中、友人(御妻君)の勤務先の台湾の貿易会社が日本の顧客の会社のミスで少々トラブって、休暇中なのに電話が引っ切り無しに掛かってくる。
当然三渓園を友人(御妻君)はゆっくり見る事が出来ず少々可哀想だったが、御夫君の方は御妻君に指で指示を受けながらポイントを押さえて写真撮影に勤しんだ(笑)。
この後に城ケ島で富士山を見る計画だったので、三渓園は大急ぎの1時間のみの滞在と成り御団子も食べる事無く車に乗り込んだ。
う~ん、藤子不二雄ミュージアムの滞在が1時間長かったかな。
まぁ、三浦に行けば美味しい鮪料理も食べれるので、二人のテンションも下がらずに城ケ島には17時位に到着した。
本来ならコンナ↓風景を見せてあげられるはずだったのだが・・・
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・・・三浦に到着するや否や、雹と大雨のドシャ降り。
う~ん、富士山どころじゃなかったな。
傘さしてるとは言え二人とも外套(コート)の肩がビショビショ。
仕方なしに、三崎漁港の小生行きつけの寿司の名店「紀ノ代」に移動した。
そしたら臨時休業だった(笑)
もう、ここまで踏んだり蹴ったりだと笑えて来るのだが、事前に隣に在るマグロ料理居酒屋の「黒羽亭」の事も二人に紹介して置いたので、「そちらに行こう!」と二人が言ってくれたので助かった。
あぁ!エスコートしなきゃいけない側が、なんかフォローされて胸が苦しい。
でも二人はマグロ喜んでくれて大助かり。
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※顔は差し替えてあります。
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台湾で余り食べる事の出来ない“胃袋”“白子”“卵”を前菜に、珍しい骨髄・・・
あと三浦野菜とシラスのサラダ、鮪の刺身、鮪の刺身定食、サザエのつぼ焼き、トロカツ、顎肉のステーキ
それと二人にはキリンビールプレミアム横浜仕立て?とか言うのを注文。
二人の胃袋を一杯にして、店を後にして再び出発。
帰り道、横浜横須賀道路の横須賀PAに寄りたいと希望が有って立ち寄ったら19時閉店・・・
どうかしてるぜ横須賀PA!
24時間やれや!しかも大黒ふ頭PAも同じ。
この日、最終日なのに神奈川の夜を楽しめないで帰らせる訳にはいかず、鉄オタ御妻君友人が喜びそうなので前日に大さん橋から眺めたミナト未来地区へ移動。
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少し雨が降っていた事、平日の夜という事も有り、人もまばらで写真を撮るには良い環境だったので結果的には二人にとって良かったかも知れない。
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横浜市民でも余り知らない人が多いのだが、ここは伊藤博文公が整備した新港埠頭の鉄道史跡だったりする。
二人は鉄道が好きなので小生の解説に興味を持ってくれた。
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だから、気が付かない人も多いかも知れないが赤煉瓦倉庫の前には当時の汽車の線路が今も保存されていたりする。
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この建物の反対側に移動すると、横浜ベイブリッジも綺麗に1枚の写真に収める事が出来たり、その更に少し先に行くと、下の写真の場所が在って・・・
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暗くて上手く撮影出来なかったが、明治~大正時代の横浜税関の検査場の建物の史跡も在ったりする。
何より線路の上を歩きながら綺麗な風景を見られる絶好の観光スポットな訳だ。
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サークルウォーク(鉄橋の円形歩道橋)からの眺めも良い。
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そして、ワールドポーターズの前も嘗(かつ)ての新港埠頭の史跡。
だから、昔、貨物船が通っていたランドマークタワーの真下へ真っすぐ赤煉瓦倉庫から線路が続いている。
この道を歩いて、二人とランドマークタワー下のドックヤードガーデンへ移動。
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ここ、若い人や歴史に興味の無い人は只の野外コンサートホールだと思っている人も少なくないのだが実は、日本現存最古の造船所の史跡で重要文化財なのだ。
友人(御夫君)は建築企業の監督なので、これを見て「カッコいい!」と喜んでくれた。
実は友人(御夫君)は日本の歴史に精通しており、下手な日本の大学生よりも日本文化と歴史に対する理解が深い。御父上は中国大陸の上海出身なので中国の歴史に対する理解も深く、この前日に三笠公園で清帝国の戦艦“鎮遠”の弾頭を見て西太后の暴走独裁と頤和園の建設による近代化の遅れ等を直ぐに解説していたりした。
今回、改めて自分の県を回ってみて思ったのだが、横浜は非常に台北に文化が似ている。
だから彼らと価値観が合ったりするのかも知れない。
外国の租界が置かれた歴史、外国文化の流入
南宋滅亡時に元朝に寝返らなかった蘭渓道隆和尚達、鎌倉幕府へ亡命したた忠義の真の華人達と成熟させた鎌倉文化や、三渓園で見る事の出来る、その後の武家文化
そして自然豊かな三浦の景色
これを全部合わせると、台湾の歴史背景と文化背景、そして景色その物もなんとなく似ている所が多いのかも知れない。
友人は開港記念会館を見て、台湾の総督府に似ていると言っていた。
近代の建物で日本人のデザインだから似ているかもね~と言う話もした。
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上の2枚は2014年に台北に友人を訪ねて行った際に撮影した写真。
下の2枚は2015年にブログ素材様に撮影した横浜の写真。
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うん、やっぱりソックリ(笑)。
まぁ~台湾人は日本人と同じように神仏を信仰して、文化も似ている上に風景も似ているんだから友達として意気投合出来て当たり前なんだよなって改めて思い、そして2年ぶりの友人夫妻との再会を楽しんだ休日と成った。

ホテルまで二人を送り、ロビーで暫しの別れの挨拶。
握手して「又ね!」と言ってバイバイした。
寂しいな。

残りの人生、二人に何回会えて何時間一緒に遊べるか判らないから。
一期一会の心掛け、出来るだけ、やれる事を!
さぁ、成さねば、自分の事・・・
又、元気な二人に元気に会えます様に。

先週末土曜日、学生時代の仲間との三浦半島弾丸日帰り小旅行。

友人を本牧の自宅に迎えに行き、三崎漁港に移動…
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個人的には1ヶ月間で3回目の訪問(笑)。
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三浦半島に来ると気分が晴れやかに成る。そして海風と日差しが気持ち良い。
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漁船やヨットが行き交う様も見ていて丘とは違う解放感を感じさせてくれる。
❝うらり❞と言う観光漁港の中に、小生オススメのB級グルメの屋台が有る。
鮪の串カツと鮪のコロッケだ。
その二つにサザエの壷焼を注文し、ブランチ?代わりの軽食ですきっ腹を大人しくさせた。
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写真をとっていないが、❝うらり❞の2Fはテーブル席が並んでいて、1Fで購入した特産品を食べる事も出来る。
何故外で潮風に当たりながら食べないかと言うと神奈川の三浦半島以東の海辺は非常に鳶(とんび)が多くて、折角購入した食べ物を盗られてしまうからだ。
腹を満たすと油壺に移動し新井城址の下の荒井浜を散策…
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…油壷マリンパークへ行く途中の、この道がクビレた部分は❝内の引橋❞と呼ばれる新井城址の遺構で、荒井浜の半島への敵の侵入を防ぐ❝堀切❞状の空堀の跡で、現在埋め戻されているが戦国時代当時は空堀に木製の橋が架かっていて、その橋は戦時に収納出来てしまう様に成っていた。その様な城址の橋を❝引橋❞と呼ぶ。
小生達はマリンパーク側に廻らず、新井城址の土塁残存部分側から荒井浜を目指した。
そちら側の風景は❝神奈川の景勝50選❞の一つにも選ばれている。
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この遊歩道を荒井浜目指して歩くと右手にある土と雑木林の傾斜が新井城の土塁の跡で、遊歩道敷設で削られたものの、上に登ると内側より少し高い土塁で有る事が確認出来る…
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解りずらいかな?写真の左手が土塁の海側、右手が半島陸側。
下の写真は空堀の跡。
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私有地とも市の地所とも判断がつかない境界にあるので登ってみるかどうかは個人の判断に任せます。
ここを過ぎて階段を降りると、普段は人の居ない(笑)荒井浜に夏のバカンスに来た若者や家族連れが溢れ、この時期ばかりは賑やかさに溢れている。
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小生達は、水着ギャルを❝後目(しりめ)❞に(笑)、更にこの荒井浜を通り過ぎて奥の険しい岩礁地帯へ行く。
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実は、その奥に遭難した漁師を助けた御利益の有る弁天様を祀(まつ)る洞窟がある。
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ここは中々皆見つけられない危険な場所に在る、だからこそ地元の人も大切にしている。
明治時代の小説、❝桜の御所❞に登場する小桜姫のモデル、三浦義意公の側室の真里谷武田家の姫様所縁の場所を事実誤認している人も多いが、ここは小説の小桜姫とは全く関係ない。
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しかしながら漂流した漁民を生還させたり、多くの参拝者が御縁を結んで頂けたのは事実なので、きっと新井城主だった三浦荒次郎義意公と小桜姫のモデルに成った真里谷家の姫様の御夫婦の御霊が、弁財天様を介して良縁をとりもって下さるのかも知れないね。

弁才天洞窟で小生も良縁を祈願。
これも今月2回目(笑)。
荒井浜でBBQを楽しそうにやってる水着ギャルや家族連れの前をすり抜け、海の家に立ち寄る事無く、小生達は本日のメインイベント❝ネイビーバーガー❞を食べに横須賀ドブ板通りへ移動…。
…「くそ!俺も奥さん見つけたら奥さんに水着着てもらってイチャイチャしてやる!」と思いながら(笑)。

夕食の時間が近づいて来たので、横須賀ドブ板通りを目指し車で再び移動…
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…ドブ板通りの異国情緒は神奈川県内なのに少しウキウキする。
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前回の横須賀宿泊旅行で見つけたネイビーバーガーの老舗、SURF TAKOに夕食の場所を決定。
実は、この日のメインイベントはこれだった!DSC_0019
この友人は通関士で小生とは貿易を一緒に学んだ仲間なのだが、彼とは一年に数度は会う。
小生は休日は略(ほぼ)予定がギッシリ埋まっていて、必ずと言って良い程家に居る事が無く1日に8ヵ所位の訪問地を事前に廻る準備をして訪問先でいつも最低5時間以上は歩き回っている。長いと8時間以上、運転時間を合わせると大体12時間は出掛けっぱなし。
そうで無い時は、鶴岡文庫か図書館か博物館の資料を漁って歴史関連資料をむさぼり読んでいる事が多い生活をもう3年近く送っている。もちろん、趣味の範疇。
なので、友人と遊ぶ事も少ないが、コイツとはたまに会う。
友人はチリビーンズバーガーを…
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…小生は照り焼きをチョイス。
やっぱウンマ〜(*´∀`)至福♪
この店のハンバーガーを食べたら、他所の店より遥かに美味くて衝撃を受ける。
そしてファーストフード店のハンバーガーが文字通りジャンクに感じてしまうかも知れない。

食べ終わって少し散歩しようとしたが、当日は丁度、横須賀花火大会でしかも開催時間目前…
客も町に多くてゴミゴミしていたので、我々は横浜側の横須賀港一望出きるシークレットスポットに移動。

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横浜市の横須賀港を一望出きる場所に移動。
ここからは横須賀港だけで無く八景島、伊藤博文公が大日本帝国憲法草案を纏(まと)めた場所である野島、夏島の夜景も全て一望出来る。絶景だ。
ヒントに上の写真を掲載する。興味の有る人は自分の足で歩いて探すと良い。
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三日月が綺麗だ。
散歩は郷土史に通じる。
さて、絶景で花火を楽しむつもりが…
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回りに客いない場所なので男二人で盛り上がらず数発見ると二人で・・・
「よし見たな、夏らしいことしたな。」
「そだな。みたな。」
「腹も満足だし充実したな。」
「帰るか。」
・・・終了(笑)。
友人を送り、まぁまぁ、充実した弾丸ツアーだった。

追記
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三浦から横須賀へ行く時に、行きつけの農家、石井農園の直売所のザ作兵衛で先月に引き続き又、小玉西瓜を買ったが当たり!
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三つ千円で凄く甘かった。
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石井農園の皆さん、おまけの茄子も美味しかったです。
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ありがとうございました!

ふむ、慌ただしく移動をした1日だったが振り返っても良い休日を過ごせたな。
今年の三浦の西瓜は当たり年、行くなら是非購入をお勧めする。

07月10日②の休日雑記の続き。

三連休をとり、三浦半島を旅行した11日最終日、朝は宿泊地の三崎漁港、その三崎に戦国時代に小田原北条氏が三崎衆を編成し戦国後期の三浦水軍拠点として運用した❝三崎城址❞周辺を散策し、鎌倉時代に源頼朝公が❝桜の御所❞と言う別荘を置き同地に戦国時代の初期に三浦義意(よしおき)公が開基した本瑞寺(ほんずいじ)を訪れた事、その本瑞寺と三浦義意公のイメージで創作されたのが小桜姫伝説の基に成った❝桜の御所❞と言う小説だと言う事を前回の休日雑記で紹介した…。

実はこの日、2016年07月11日は道寸公と義意公が、日本史上最長の4年間と言う籠城戦を戦い抜いた新井城(油壷マリンパークの半島が主要城址)の落城から500回忌に当たる。

この三連休、訪問の一番の目的は❝三浦道寸公と三浦義意公の命日❞の御廟所参詣と献花だった。
その為(ため)、車に乗り込み三崎漁港を後にして最終目的地の❝新井城址❞=油壷マリンパークの半島へ向かい、先ず予(あらかじ)め三浦道寸、義意公の御二方の菩提寺である❝海蔵寺❞に御住職を訪問する前に、道寸公の名を冠した❝道寸餅❞と言う銘菓を売る❝なこう❞と言う御当地の和菓子屋を訪れた。
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ここは小生、三浦に良く来るように成り始めた頃、道寸公の名を冠した看板が目に留まり道寸餅を購入して以来の御付き合いに成った。
小生は三浦家と北条家、不運にも主家古河公方家の内紛によって敵対した両家の武将に尊敬する偉人がいる。
特に崇拝しているのは、1人は小田原北条家の名将北条綱成公、もう1人が三浦義意公、両将とも智・仁・勇を兼備した名将だったが義意公は家運に恵まれず、韮山城主で北条家創業者の伊勢盛時公と其(そ)の子の氏綱公によって攻め滅ぼされる事に成った。
両家とも素晴らしい名将を多数輩出している。
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※道寸餅
道寸餅を自宅用と、海蔵寺様への奉納様に2揃(そろ)え用意して貰い、御住職との面会の準備も整い海蔵寺へ移動。
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海蔵寺は小網代の森の西の端、長い階段の上に所在する三浦義意公の御父君の三浦道寸公が開基した御寺だ。
道寸公と義意公の御廟所へ参詣の許可を御住職に頂いていたが、御寺と離れた御廟所を参詣する前に御住職に御挨拶に伺った。道寸餅は、その菓子折り。
御住職は小生と同じで、先人への尊敬や神仏への信仰心を持たない❝俄(にわ)か歴史ファン❞と❝エセ歴史学者❞が大っ嫌いな人物。
御住職がそう成ったのには、いい加減なデマの小桜姫伝説を広めた霊能者気取りの人間と、ソレを商業化しようとした連中に責任がある。
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この明治時代に流行した創作時代劇小説❝桜の御所❞を史実と鵜呑みにした無学な霊能者気取りの人物が書いた史実と全く異なる小桜姫伝説を信じ込んだ連中、つまり騙された人が大挙して押し寄せた事が有った。
先人を冒涜する行為に成る自覚もしない❝御寺マニア❞と❝縁結び巡礼の女性❞が、信仰心も先人への尊敬も無く大挙ズラズラと集団で御寺を訪問し、本堂も拝まずに帰ったり、油壷マリンパーク横の(新井城址)に飛地の海蔵寺寺領にある道寸公と義意公の御廟所に無許可で入る不法侵入が横行してしまったのだ。
御住職は、小桜姫を実在の人物と誤認して心霊スポットとして広めたエセ霊能者詐欺師に怒り、無礼不見識な女性達に嘆(なげ)いておられる。
だから、海蔵寺は一般非公開にせざるを得なく成った。
ちなみに、そのいい加減な小桜姫伝説に踊らされた霊能者気取りの人物はTVにも良く出る江原と言う人物だ。
でも本当に彼に霊感が有るなら、小説と史実の相違も気が付くだろうしウソくらい気が付いただろう。
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御住職様には、小生が平安時代の平良文(たいらのよしふみ)公以来、三浦義継公、三浦義明公等の歴代三浦家の殿様を尊敬し御廟所を参詣している事、道寸公の御実家である扇谷上杉家の所縁の神社仏閣も巡ってきている事は御存知なので❝海蔵寺参詣と御廟所への献花の自由❞を認めて頂いている。
それでも、御廟所を御参りする前には、ちゃんと御住職様には御挨拶に伺い、本堂で御参りしてから油壷の御廟所を訪問する事にしている。
この日も御住職に御会いして、改めて御廟所訪問の御許可を頂いた。
丁度御寺では500回忌もあり、経塚を建設されるそうで御住職様から小生へ最初の33人の納経者に成る様に光栄な役割を依頼されたので写経用の和紙を受け取り、一週間後に納経に来る約束をして海蔵寺を後にした。
新井城址と海蔵寺周辺の位置関係は下の衛星写真の通り近い。
正しい小桜姫神社の神社の位置新井城址周辺の位置関係 久良岐のよし
しかし、周辺は城址と言うだけあり、地形は複雑に谷が入組み直進は出来ず、車では10分程かかる。
海蔵寺の在る小網代湾は新井城址の北側の湾で、水掘り不要の半島城の頑強な守りを担っていた。
つまり海蔵寺~新井城址の遺構残存部は直線距離にして1km程と極近い。
現在、関東大震災による三浦半島の隆起と海岸の埋め立てで、小網代~新井城址まで徒歩で海辺伝いに行く事が出来るが、戦国時代は新井城址の半島の岸壁は海波に洗われていたので鎧武者の行く手を阻む海だった。
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駐車場に車を停めて、おみやげ物屋の御婆さんに久々の挨拶をしてから御廟所へ移動。
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花は近くのコンビニで売っていたので2揃え2組、合計4本の花束を購入した。
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先人への敬意から、御廟所の写真は撮影しない主義なので、御廟所入口に海蔵寺さんが建立した新井城合戦石碑を掲載する。
この奥に三浦義意公の御廟所、一段下がった恐らく戦国時代は物見曲輪か船着場だった場所に道意公の御廟所が在る。
無事、献花を終えてから、油壷の浜に降りて海沿いを散歩しながら地元の人々が弁天洞として崇敬する洞窟に向かった。
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弁天洞へは荒井浜から廻るのだが、この日は道寸公の御廟所の方の浜をユックリ散歩しながら遠回りして相模湾の景色を楽しむ事にした。
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この三浦半島の磯は場所々々で異なった風景を見せてくれて飽きない…
米が栽培できない地質なので、却(かえ)って様々な西欧野菜の栽培が盛んに成った。
東京湾と相模湾と太平洋の三方に面しているので、様々な種類の魚も獲れる。
その上、天気が良いと江ノ島~大山~丹沢~箱根~伊豆~富士山が一望出来る。
だからこそ、逗子・葉山・秋谷・佐島・三崎は明治時代~昭和中期まで別荘地として富裕層が集まった。
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そして、相模湾側は太平洋から直接潮流が流れ込む上に、人の多い湘南地区からも離れているので海水の透明度が高い。
この日は面白い写真が撮れた。
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波が、隆起した縦の地層にぶつかり真上に飛沫(しぶき)を上げる瞬間。
こんな場所をゆっくり散歩していると、岩場は段々険しく成り、そうこうするウチに❝江原が二重に勘違いして小桜姫神社と嘘の紹介をしてしまった弁天洞❞に辿(たど)り着く。
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小生はココ話しは三浦家家臣の御子孫に教えて頂いた。
一般人は探し出せないだろう。
昔からここは弁財天様が祀られる様に成ってから❝弁天洞❞だった。
先に正しい民話を教えて頂いていたので、❝霊能者気取りの人物が誤認して広めた誤った小桜姫伝説を歴史オタクの小生の知識とと三浦同寸研究会の見解で正しておく❞事にしよう。
この油壷の新井城址の弁天洞は小桜姫弁財天と言う名前では無い
ここの弁天様は昔から辨財天とだけ呼ばれていた
※何故辨財天が鎌倉文化圏で洞穴と遊水地に祀(まつ)られるか以前書いた【】の記事の中の【宇賀福神社=銭洗い弁財天】の紹介で触れているので、其れを参考にして貰いたい。
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この油壷、新井城址の弁財天様については、改めて独立記事で詳細に紹介するが、ここは❝漁師が遭難して行方不明に成った際に、折れていた弁天様の首を元通りに繋げて願掛けをしたら、行方不明に成った漁師が藤沢辺りの浜に流れ着き、生きて帰って来る事が出来た御利益の有る弁財天様❞であって、小桜姫伝説とは全く関係ない。
多分、霊能者気取りの人物は何かの明治時代の浅野と言う名のカルト宗教家が同じ様に小説❝桜の御所❞と言う本を読んで事実と誤解して書いた本か何かを更に鵜呑みにした挙句、良く調べもしないで新井城址に在る神社だから小桜姫神社として紹介してしまった訳だ
実は、小桜姫神社は油壷ではなく別にちゃんと諸磯神明社の摂社として存在する。
正確に言うと、そこは小説桜の御所の小桜姫と、地元の新井城址籠城戦の時に三浦義意公の奥方が避難した諸磯で敵勢に捕ってしった秘話が合わさり、小桜姫神社のモデルと成っている。
霊能者気取りの人間の事実誤認は御粗末過ぎて、多くの宮司様や和尚様、郷土資料を司る学芸員サンや司書サン達と交流のある小生からすれば…
「へぇ~霊能者ねぇ~(笑)」
「霊能者なら小説と本当の史実の相違点に気付くだろうに(笑)」
「まして小説の登場人物設定は金沢北条氏、この時代の北条氏は伊勢氏流北条氏で時代に誤差200年を筆者が故意に設定し事実誤認を招かない様にして下さっているのに(笑)」
「義務教育で散々習う❝鎌倉幕府❞と❝下剋上❞で勉強してる筈(はず)なのに無教養って不幸だね(笑)」
…と言った感想しか湧かない(笑)。

ところで、油壷の弁財天様は如何(いか)にも鎌倉文化圏らしい場所に祀られている。

この弁天様が洞窟にいらっしゃり、且(か)つ偶像崇拝の対象に成っているのは、三浦家や三浦半島の人々が鎌倉時代以前からの源氏の御家人であった事から、その文化を受け継いだ名残だろう。
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鎌鎌倉には銭洗い弁天=宇賀福神社と言う場所が在る。
そこを訪問すると文化の変遷に興味が無い人でも鎌倉文化の弁財天信仰には色んな神様が習合されているのが良く解る。
古代日本の豊かさの象徴の神様だったのは❝宇賀神=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)❞だ。
宇迦之御魂神は別の漢字で❝=倉稲魂命(うかのみたまのみこと)❞と書くので、名前からしても縄文後期~弥生時代頃に米穀類の水耕栽培が始まって穀物を保存できる様に成った頃に誕生された神様だろう。
日本の神の系譜で倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は、須佐之男命=素戔嗚尊(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた神様だ。
南関東の❝延喜式内社❞の古社全てが素戔嗚尊や其(そ)の御神孫の出雲系の神、又は日本武尊(やまとたけるのみこと)か伊勢系と異なる土地神様が主祭神だ。
この事実と考古学と神話の整合性から、素戔嗚尊が縄文時代から弥生時代に変革させた、つまり稲作を関東地方に導入せしめた人物が神格化さた神号(しんごう=偉大な人物に死後送られる神としての名)だろうと思っている。
素戔嗚尊が稲作を普及させた王だからこそ、その妻が奇稲田媛(くしなだひめ)と名に稲田の字が入り、子が倉稲魂命の漢字を当てられる神に成ったのだろう。
 ↓
その後、日本武尊は青銅器導入を南関東一帯に普及させて弥生時代を終わらせた人物だろう。走水神社の西暦100年代の伝承とも整合性が有る。この時代には既に先進地域だった北九州の王族達は中国と交易によって青銅器を導入していたから恐らく間違いない。古代の大将軍や関東知事として九州の叛乱を鎮定し東日本に青銅器を導入し軍事編成を整えた偉大な王子に当てられた神号が日本武尊だったのだろう。
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平安時代末期~鎌倉時代初期に成ると経済活動が米穀や海産物等の直接の備蓄出来る食物の物々交換から、❝貨幣経済❞に変わった事で豊かさの象徴が❝米穀❞から❝銭=金❞に変わった。だから源頼朝公によって財神として日本で信仰されていた宇迦之御魂神=宇賀神=倉稲魂命に、古代インドの財神である❝サラスバディー❞を漢字訳した弁財天が習合された。
だから、鎌倉文化圏や三浦半島では弁天様や宇賀神を湧水地や洞穴に祀る習慣が今も残る。

鎌倉時代~室町時代に成ると、武士達に弁財天は水神であり軍神でもある事から泉や海の航行の神様としても信仰される様に成った。
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その最も有名な場所が欽明天皇が勅願所と定めた霊場の洞穴に、源頼朝公が八臂弁財天(はっぴべんざいてん)を奉納し祀(まつ)った写真の江ノ島辨財天だろう。
関東の鎌倉御家人の関係した土地の弁天社は、この江ノ島弁財天の御分霊が多いはずだ。実際、関東の弁天社の大半は鎌倉武士団の居館跡や城址、又は武士が鶴岡八幡宮から勧進した八幡社に近在する。

幕末に成り武士の時代を変革しようとし始める維新志士たちの勢力が胎動しだす頃、伊勢神道による思想統制をされ、明治時代に成ると❝国家神道❞が正しいとされた事で水神様として弁財天と似た御神威を持つ❝一杵島姫(いちきしまひめ)❞が習合された。

明治時代に成り近代化が進むにつれて、時代遅れの印度由来~中国経由の仏教文化を否定する風潮が強く成り、更に明治政府の神仏分離令と廃仏毀釈運動で仏教経由の古代インドの神である弁財天が否定され、現存する昔は❝倉稲魂命信仰❞から始まった全国の❝弁財天❞信仰の御社(おやしろ)は❝一杵島姫❞に名を変える事に成った…

新井城址の洞穴の弁天様は遭難した漁師を生還せしめた強い霊験有る弁天様だ。
弁財天様=サラスバティー神は美の女神でもあり、2柱の男神と結婚した神話も有るので縁結びの神様としての御利益も有る
だろう。
ただし!ちゃんと小桜姫では無くて、弁財天様として崇敬すればだろう。
…それも一方的に「男と結婚させてくれ~良い彼氏と付き合わせてくれ~」と信仰心や、神社仏閣に関わった歴史偉人へのリスペクトも無くただ御願いする人は、神様にも仏様にも怒られるだろう。
小桜姫は小説の架空の人物だが、名前が小桜だったかも知れない、実在した三浦義意(よしおき)公の奥方と側室は別にいる。房総半島の小大名、真里谷武田氏の二人の姫君だ。
だから、小桜姫と呼ばれたかも知れない真里谷家の姫に縁結びを御願いする成らば、「真里谷の小桜姫様」と名を正しく呼んで、小説の架空の人物の金沢北条家の小桜姫と分けるべきだ。
もっとも、当時の女性が歴史書に名を残す事はほとんど無く、小桜姫の名が登場するのは明治時代の歴史ファンタジー小説❝桜の御所❞が最初なので、縁結びを姫君に御願いするなら「真里谷の姫様」に御願いするべきだろう。
ではどこに行けば❝三浦家の奥方様が逃げて来て敵に捕まった伝承の有る小桜姫神社のモデルに成った御社の所在地❞に行けるのか…
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明治時代に小桜姫神社のモデルに成った伝承の有る場所には、弁天洞を後にして、駐車場を戻る道すがら荒井浜の御洒落(おしゃれ)な海の家の前を通り、この新井城址を離れる必要が有る。

せっかく、小桜姫伝説(江原の嘘を含む)の場所に2箇所も関わったので、明治時代の小説❝桜の御所❞の流行で正しい小桜姫神社の❝小説のモデルに成った舞台❞として明治時代以来、地元の人々に認知されている正しい小桜姫神社にも入ってから横浜に帰る事にした。
正しい小桜姫神社の神社の位置新井城址周辺の位置関係 久良岐のよし
正しい小桜姫神社の場所は、三浦義意公の奥方が逃げて来た伝説の有る油壷湾と反対側の❝諸磯湾❞側の❝諸磯神明社❞だ。
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こちら側から湾を挟んで新井城址が見える。
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又、詳しく小桜姫伝説と小桜姫神社の真相の解説は独立記事にするが、今回は重要な事だけ書いて置こう。
江原は恐らく小桜姫神社を探そうとしたが、新井城址に神社らしいものが無いから弁天洞を小桜姫ゆかりの場所と紹介してしまったはず。
そりゃそうだ、小桜姫神社なんか昔から存在しないが、モデルに成った神社なら存在する。
だから小桜姫神社の名前を探しても見つからなかった筈だ。
しかも、明治時代の❝小説桜の御所❞の流行による観光客の増加で観光客に対応する為に小桜姫神社とされている場所も、この諸磯神明社の摂社の❝若宮社❞だから名前も根本的に違う。
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※写真は鶴岡八幡宮、神仏習合の名残で仁王像=金剛力士像が安置されたいたであろうスペースは廃仏棄釈により随神門と成っている。
※鶴岡八幡宮の東側、鎌倉国宝館や横浜国大付属小の場所は鶴岡八幡神宮寺の寺院部分だった。
※八幡宮の総本社、石清水八幡宮の本殿横には今も仏像を祀る部屋が現存し保存されている。
若宮社と言うのは、源頼朝公の時代の「鶴岡八幡宮」の事だ。鶴岡八幡宮は元々は❝元鶴岡八幡宮❞=❝由比若宮❞に在った。それを頼朝公が現在の鶴岡に社殿を造営し御遷座され奉ったので、当時の人から見て新しい鶴岡八幡宮は❝若い鶴岡八幡宮❞=❝若宮❞と呼ばれた。だから、この時代に関東で鶴岡八幡宮の御分霊を頂いて造営された八幡社は現在も名前を❝若宮八幡宮❞とか❝若宮神社❞と呼ぶ場所が多い。
しかし、八幡宮の御祭神は明治時代に成るまで❝八幡大菩薩❞と呼ばれ神仏習合の神宮寺だったので、歴代天皇家の価値観を否定する明治時代の国家神道による神仏分離令や廃仏毀釈と言う愚かな政策で、其の多くが破壊された歴史が有る。
だから、今残ってる八幡社の多くは御祭神の名前を❝八幡大菩薩❞から→❝八幡大神❞に変更して純粋神道の神様としたり、八幡大菩薩が習合された❝誉田別尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇❞の名を改めて主祭神とする事で存続させる努力をした歴史が有る。
だから、諸磯神明社の若宮社は❝小桜姫の神社❞とする事で存続を計ったのだろう…
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なので、世間で小桜姫神社と呼ばれるこの御社は❝小桜姫若宮社❞と呼ぶのが正しいと思う。
その御社は、諸磯神明社の本殿後方に並ぶ摂社の左側から二つ目の上の写真の御社だ。
これは、郷土史も読まないで適当な事を言う❝エセ霊能者❞には解らないし探し出せない場所だろう(笑)。
或いは本当に偽霊能者達に霊能力が有れば、ここを探し出せたろうに(笑)。

根本的な話しを強調し繰り返すが…
❝小桜姫❞と言う人物は歴史文献に一切出て来ないし、明治時代に成って初めて登場する名前だ。
史実では三浦義意公は、真里谷(まりやつ)武田家=房総半島の武田家の姫君が正室と側室として婚姻関係にあった。
この姫と、三浦家を攻めた北条家の立場を入れ替えて三浦家滅亡後に三浦半島~鎌倉を支配した北条家に逆襲し房総から攻め込んだのが正木家(三浦家分家)で、その合戦は❝鶴岡八幡宮合戦❞と呼ばれている。
この合戦や北条家と三浦家の立場を入れ替えて、かつ源頼朝公の桜の御所跡地に建つ本瑞寺のイメージと三浦義意公の新井城落城等を素材にして書かれたのが明治時代の小説❝桜の御所❞で、そこに登場するのが真里谷家の姫君と桜の御所のイメージをモデルにしたと思われる❝小桜姫❞と言う架空の人物な訳だ。
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※写真は城ヶ島の小桜観音。

だから、結婚したくて縁結びの小桜姫詣でをする女性陣には、いくつか諫言(かんげん)をしておこう
小桜姫の実家設定の金沢北条家は三浦義意公の生誕の約200年前に滅亡している、だから小説家も小桜姫を架空の人物でフィクションとして、色んな史実を混ぜて創作している事を念頭に置きなさい。

歴史家でも無いイカガワシイ人間が適当に書いた本を鵜呑みにしないで、自分で歴史書を読み込んで調べなさい。そんな姿勢じゃ❝ロクでも無い男に捕まる❞か❝結婚詐欺に遭う❞だろう。」

「確かに、弁天様や若宮社には御利益が有る、小説のヒロインの小桜姫の聖地(小説舞台)巡礼が流行したのが原因で、後に小説の存在と歴史を知らない後世の人によって、いつの間にか小桜姫が実在したと誤認される様に成ったが、実際には三浦義意公の奥方と側室の真里谷の姫がいたので、拝む事で真里谷の姫の御利益も得られるだろう。だから小桜姫の御名の下に縁結び祈願するなら小桜姫神社(神明社摂社社若宮社)で❝真里谷の小桜姫❞として拝みなさい。小桜姫と言う名が架空の名でも、正しい姓に美しい渾名(あだな)を加えるならモデルに成った真里谷武田家の姫様も喜んで願いを叶えてくれるだろう。」

油壷の弁天様は小桜弁天では無く弁財天なので❝弁財天❞として拝みなさい。

「普段から歴史や神様や先人に対して無関心な癖に願い事だけしている、その利己的な姿勢が出会いを遅らせるのでは?態度を改め、普段からの歴史と伝統を大切にして神社仏閣を御参りしなさい。」

「エセ霊能者に一々影響されず、利己的に縁結び巡礼するだけでなく、普段から自分の祖先神の氏神様と守護仏、或(ある)いは自分の崇拝する教会やモスクの神様を大切にして普段から信仰と文化と歴史を大切にしなさい。

まぁ、それだけ熱心に願掛けする情熱が有るなら、普通に普段から文化と伝統を大切にして、通りがかる神社仏閣を御参りしながら利己的な願掛けじゃなくて日常的に神様と仏様と御先祖様を大切にしてれば、歴史好きな男性や神職や跡取り和尚様等と知り合い、そこが男性との出会いの場に成るかもよ?

…そんな説教をしたく成る女性の何十人もの集団を見かけた三浦旅行最終日だったが、色んな神社の宮司様や御寺の和尚様と交流の有る歴史オタクの❝説教❞としてはそんな所かね。

帰りは横須賀PAで好物の日本蕎麦を食べて帰った。DSC_3598
信仰の在り方や、神社仏閣や先人に対する姿勢を考えさせられる最終日だったが、実際に廻った場所全て素晴らしく、行く先々で関わった人々も優しく親切で沢山色んな話を出来て良い三連休を過ごせた。

前回07月10日の休日雑記の続き。

07月11日の朝は、宿泊先の三崎漁港のホテルで迎えた。
ビジネスホテルでは無くPCを置くスペースが無く、酒や菓子を広げる程度のテーブルしか無かったので、夜は良く眠れた。
朝、5時頃目が覚めただろうか?
この日の朝はホテルの朝食時間の7時過ぎまで、ドライブ&対岸の城ヶ島散歩を楽しむ事にした。
出発時、当初は大好きな城ヶ島公園の方を散策するつもりだった、そちらからは富士山も見える。
しかし、城ヶ島へ渡る連絡橋を走っていて…
「いつもと反対側、そう言えば行った事無いなぁ~?」
…と気に成ったので、公園駐車場との分岐点でハンドルを切らず、正反対の島の西側に行って見る事にした。
城ヶ島周辺
「どうせ開拓するなら思いっきり反対側が良い!」と思い、本当に真西に向かって車を走らせると暫くして東側とは違う何やら昼間なら賑やかそうな商店街が見えて来た。
その商店街の辺りの駐車スペースに車を停めて散策する事にした。
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最初に来たのが❝楫(かじ)の鼻❞と言う岩礁辺り。
この地形を見ると三浦半島は南西から地盤が押し上げられ隆起し、北東は東京湾に向かって沈下しているのが
一目瞭然だ。地層が斜めに立ち上がっている。
この楫の鼻の地名の由来に成った場所が有る。
この岩礁の手前がその場所。
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楫の三郎山。
三崎町の鎮守、海南神社の御祭神でもある藤原資盈(すけみつ)公が関東に亡命して来る際に、船の楫(かじ)を操船していた三郎と言う家臣が、資盈公の安住を祈願した伝承に由来する場所。
大正時代位まで大蛇が住んでいるから登ってはいけないと言って人々は崇拝対象としてだけ拝んでいた場所らしい。
頂上には楫三郎の神社が在った。
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なんか、名の有る武将の御廟所の様な造りで普通の神社とは又違う。
思うに、ここ実は菅原資盈公か楫三郎の御廟所なんじゃなかろうか?
ならば大蛇伝説が有った事が理解できる。
さて、三浦半島の崖地には、そこかしこに黄色い綺麗な花が咲いている。
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供えられていた。
余り花に関する知識が無いので解らないが、多分、ユリ科の植物。昔から気に成っていたが、三浦半島では良く見かける花だ。
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少し歩けば直ぐに見つける事が出来る。
楫の三郎山を離れ、細い商店街の路地を抜け、港屋や城ヶ島京急ホテルと言う風景の綺麗さで有名な宿泊施設の有る方に歩いて行くと、城ヶ島西側の灯台がある。
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灯台のの前は西洋式の庭園に成っているのだが、多分、カップルの観光客を呼びこむ為に作られたであろう西洋式の庭園だった。
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早朝で観光客はいないが、灯台が開いてる時間にくれば人が多いのだろうか?
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池には綺麗な蓮の花が咲いていて、何とも西洋と東洋の混じった不思議な空間だが、赤い花弁が白い庭園にマッチしていて雰囲気が良かった。
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綺麗だな…。
ここ城ヶ島灯台は明治時代に建設された場所で、云わば建築遺産でもある。
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漁船や太平洋を往来する船達の安全の為に建てられた場所で有るから、当然古い習慣の安全祈願も残っていて、庭園内には恐らく灯台より先に、この丘の住人だったと思われる御地蔵様もいらっしゃった。
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末永く旅人と地元民を御守護下さる様に御参りして、散歩を続ける事にした。
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城ヶ島灯台の遊歩道を西側に抜けると素晴らしい眺望に行き当たる。
その周辺に城ヶ島京急ホテルや、港屋が在る。
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途中、真っ赤な素敵な大人びた雰囲気の花も咲いていた。南方の植物だろうか?
今回、こちら側に来たのは偶然だったが、とても景色が良く東側城ヶ島公園も素晴らしいが甲乙つけがたいと言うのが正直な感想だろうか?又、こちら側には宿泊に来たいと思う。
小桜姫観音周辺 久良岐のよし
位置関係は衛星写真の通りで、一目瞭然、どの旅館も眼前に磯と海が広がり素晴らしい景色を部屋から楽しめそうだ。
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小生は城ヶ島京急ホテルの前の遊歩道を歩く事にした…
遊歩道に縁結びの聖地❝小桜観音❞と書いて有ったので気に成ったのも有るが、楫の三郎山から此方(こちら)側を見た時に素敵な遊歩道が設置されており、そこに沢山のユリ?が咲いていたので歩きたいと思ったのだ。
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ふむ。やはり雰囲気の良い遊歩道だ。
❝観光橋❞と、言う名らしい。
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橋の傍の崖には沢山の鼻が咲いている。
小生、元来、梅の花が一番好きなのだが…
どうやら蝋梅(ろうばい)、山吹、そしてこの三浦半島の海岸に群生するユリの様な黄色い花の写真も沢山撮っているので黄色い花々も好みらしい。
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実に明るい、なんだか南洋の島の女性の様な雰囲気の、笑顔を振りまいている様な花だ。
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この橋の上からユリ?の花の崖伝いに奥の方へ眼をやると、何だか御社らしき物が目に留まった。
どうやらアレが小桜観音のようだ。
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橋の上から澄んだ海を見ながら、御社を目指した。
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近くに行くと何やらホタテ貝に恋人同士で祈願を書いた絵馬?代わりの願掛けがされていた。
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どうやら洞穴に作られた御社の様だが、名前も観音様であり周辺に石塔が有るので、神社としての機能は極最近に設けられたのだろう。本来は小桜観音と言う名の通り仏教的な聖地霊場だったのだろうか?
後で調べたのだが、ここは小桜姫伝説の舞台らしい。小桜姫と言うのが小生はパッとしないのだが、戦国時代の三浦家所縁の御姫様らしいと言う事は解った。
ただ、平安時代~戦国時代の三浦家滅亡までの主だった御寺の住職様や神社の宮司様と直接面識の有る小生の知識をフル稼働しても、その様な人物は三浦家には実在していなかった。
どうやら小生の尊敬する三浦荒次郎義意(よしおき)公の奥方とか側室とか伝承が有るようだが、歴史上、小桜姫と言う名の奥方様の記録は無い。
三浦義意公の奥方は本妻も側室も房総半島の小大名、真里谷(まりやつ)武田家の姫君だけだ。
民間信仰として小桜姫と名が伝わっているこの伝承の理由、この後に書くが三浦同寸研究会副会長と面会した際に、副会長の御教授と小生の知識で詳しく解る事に成った。
姫様の名前の由来は置いておいても、三浦義意公には確かに真里谷家の奥方様がいたので、その方がモデルで有るかも知れないし、仮に小桜姫として拝んでも真里谷の姫を拝んでいるのと同じ事…
きっと縁結びの御利益は有るに違いない。

散歩を進めよう。
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車に戻る途中で、商店街の港屋の支店売店の前に大量に海藻が干してあった。
天草(てんぐさ)だな。
これを煮詰めて干して寒天の原材料にする訳だ。
寒天は現在ではカロリー0のデザートとしても重宝されている。小生も御世話に成っている。
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看板を見て気に成ったのだが港屋サンではどうやら、ヤドカリをアマ蟹と言う名で料理して提供しているらしい。
気に成るので次回食べに来ようと決めた。
早朝の5時過ぎ~7時半位の約2時間の散歩だったが、綺麗な花と海を見て、思いがけず三崎町の歴史に深い関わりの有る神社と観音様を御参りする事も出来て気分良く一日の始まりを迎える事が出来た。

宿に帰ると既に朝食の準備をして下さっていた。
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小生は働く時間が不規則なので、宿に外泊する時の和食の朝食がとてもありがたく美味しく感じる。
特に三崎はマグロと干物が名物なので、このエボダイも大変美味しく頂きました。
「美味しいよ」と宿の朝食調理担当の叔母ちゃんに御礼を言うと、そこから打ち解ける事が出来て談笑しながら三浦の事を色々話しをした。
すると来週(07月16日土曜日)は三崎町の鎮守、海南神社の例大祭でとても賑やかだから是非にも見たら良いと勧められたので、翌週も来る事に決めた…
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部屋に戻り、壁の絵画を見ながらチェックアウトの準備をして、散歩でかいた汗を流す為に大浴場で贅沢な朝風呂を浴びてから、少し仮眠してチェックアウトの時間を待つ事にした…

②へ続く。









前回07月09日の休日雑記の続き。

3連休をとり、初日09日は横須賀市汐入に宿泊して横須賀の軍港の風景とドブ板通りの異国情緒とネイビーバーガーを満喫。
翌朝は早くから宿泊地周辺の町を散歩、ヴェルニー公園、ドブ板通りの人気の少ない風景を満喫した。
余り知られていないのだが、実は横須賀鎮守府(現:アメリカ第七艦隊基地)やドブ板通りには明治天皇が行幸した歴史が有る。
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だから、宿泊した地域には飲み屋街だけでなく、そこかしこに明治天皇の聖跡(せいせき=天皇や神格化された人物の史跡)が残っている。
例えば宿泊したハーバー横須賀は汐入駅の近くに在るのだが、この1本裏手の汐入駅前の通りは明治時代の横須賀街道の明治の新道なので、まだ当時横須賀港が埋め立てられ拡張される前に新道に掛かっていた橋が形式的に保存され、明治以前、平安京に住んだ歴代天皇には余り考えられなかった明治天皇の御幸(みゆき=行幸=天皇が出掛ける事)の古址である事を示す石碑も残されている。
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橋の名前もそのまま御幸橋。
日本全国に在る❝御幸通り❞や❝御幸通り商店街❞と言う名の場所は、日本国民の近代化を鼓舞し幕末の旧幕臣の子孫を慰問したりする為に明治天皇が日本全国旅した時に通りがかった名残を道路名に冠している場所が少なくないはずだ。
さて・・・
この橋(跡=暗渠)を過ぎ、汐入駅前も通り過ぎてドブ板通りに入ると、ドブ板通りの少し外れにも明治天皇の史跡が在る。
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明治天皇が宿泊した行在所(あんざいしょ)の跡地だ。
この石碑はSURF TAKOと言うネイビーバーガーの名店の直ぐ近くに存在するのだが、写真で、この道と十字路に成って左右を貫いているのがドブ板通り。
この石碑を真っすぐ上がって行くと階段の上に❝御幸学園幼稚園❞と❝諏訪公園❞がある。この同じ壇の削平地一帯が、明治天皇が横須賀鎮守府に御来訪された際の御宿泊所=行在所だった訳だ。
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諏訪公園周辺は宅地化されたり学校建設で削平地の空地も縮小しているが、明治天皇の行在所だった事を後世に伝える石碑はちゃんと建っている。
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残念ながら、小生の横須賀在住の知人達は、この聖跡の存在を知らなかった。
ハマっ子の小生に教えられて驚いていた。

一しきり朝の散歩を終えて、ホテルに戻って入浴し、この日の行動計画をGoogle MapをPCで開いた。
昼前にランチに行って見たかったホテルランチバイキングの食事に観音崎に向かい、その後、三浦半島で日本武尊神話の残る東海岸の風景と無人島を楽しむ行動計画を時間軸で再計算し、無理が無い事を再確認…
11時に宿泊していたハーバー横須賀をチェックアウトして、この日の予定を楽しむ為に車に乗って出発した。

左手に宮崎県の日南に来たんじゃないかと錯覚する様な馬堀海岸の美しい遊歩道ごしの海の風景を楽しみながら車を走らせる事20分くらいだったろうか?
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最初の目的地は観音崎京急ホテル。
明治~昭和の観光地として有名だった観音崎の美しい景勝地に建つ、料理が美味しい事で有名なホテル。
実は小生の実弟は、ここで結婚式をあげている。
ランチに来た事が無かったので、絶対に来たかった場所の一つだった。
この付近には走水海岸の❝かねよ食堂❞や❝縁結びの走水神社❞、明治の観音崎要塞の史跡群や❝観音崎灯台❞と❝多々良浜❞等があり、正に昭和のリゾート地だった事を納得させる店や場所が多い。
今挙げた観光地は全て❝カテゴリー「旅行(風景/お祭り/食事/買物)」の中の「景勝地・公園・映画ドラマのロケ地」❞か❝カテゴリー「Restaurant/Jazz-Bar/Bar/Hotel 」❞の中に過去に書いた紹介記事が有るので、御興味有る方は其方(そちら)を御覧頂きたい。
さて…
この観音崎京急ホテルは観光ホテルなのでロビーに入ると三浦半島の物産がいきなり並んでいる。
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だから、御土産にも事欠かない。便利。
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現在はアニメか何かとコラボもしている様だ。どこも観光客誘致に熱心だ。横浜の大仏次郎記念館も似たような文豪なんちゃなかんちゃらってアニメとコラボイベントを行っていたな、確か。
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ランチバイキングは浜木綿(はまゆう)と言う、三浦半島を代表する植物の名を冠したレストランで食べる事が出来る。
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ホテルのレストランだけあって、落ち着いた内装で綺麗なのだが…
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この日は、どう言う訳か年配の御姉様方が大挙押しかけてらっしゃって、少々混雑して落ち着いた雰囲気ではなかった(苦笑)。
しかし、このレストランの眺望は素晴らしく…DSC_3207
眼前には東京湾の略(ほぼ)出口に位置する観音崎の綺麗な海が見える。
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何か知らないけれど、この日はパスタやパンを食べずにサラダと肉料理を沢山食べた。
無論、美味しかった。
この付近の走水が嘗(かつ)て、倭建命(やまとたけるのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の夫婦神が房総半島目指して渡航する際に立ち寄った聖跡だったりする。
そんな訳で、この日のメインの訪問地は無人島猿島だったのだが、乗船する桟橋に移動する前に走水神社に用事も有ったので立ち寄った。
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用事は二つ有り、一つは海外から失恋💔して帰国した女性後輩が良縁に恵まれる様に、ソイツの縁結びを代理で行う事。
もう一つは、もう何回も来ているのに未(ま)だ御朱印を頂いた事が無かったので、御朱印帳に走水神社の御名前を加えさせて頂く為だった。
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御朱印に関しては既に色紙に書いて頂いた物を、倭建命と弟橘姫様の御分霊を頂いた心算(つもり)で大切にしているが、最近、延喜式内社と延喜式外社を再訪し御朱印を頂いて回っているので、自分の用事では無いが良い機会だった。
この走水神社も以前記事に書いているので、❝カテゴリー「寺社/仏閣/城址/有形文化財/伝承と伝統文化」の中の「神社(延喜式式内社と歴史千年以上の古社)」❞から探して貰えば縁結びの御所ヶ崎の砂の事を含めて書いて有るので興味が有る方は、そちらも見てくれば詳しい事が書いて有る。
さて…
猿島に渡るには、先ず、以前も紹介したが対馬海戦で東郷平八郎元帥が乗船し旗艦として活躍、現在は世界三大名鑑に選ばれて保存されている❝三笠公園❞に行く必要が有る。
三笠公園も以前の❝カテゴリー「戦艦」❞で記事に書いた。
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しかし、この日は観音崎京急ホテル同様に何故か、いつもは空いてる三笠公園駐車場が満車で、付近を車でグルグル廻り空き駐車場を探す羽目に成った…
SAIKAYAパーキングと言う場所に行き着いた。
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何か良く解らんが、アニメオタが好きそうな女の子をイメージキャラクターにしているらしく困惑したが、猿島フェリーに乗船すると駐車料金割引に成るらしく、非常に助かる。
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でも何か入り難い駐車場だ(笑)。しかしながら良い目標物には成りそうだな。
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乗船する桟橋は、戦艦三笠の真横、発券所もその近くにある。
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駐車場が満車なだけあって、フェリーも乗船客でごったがえしていた。
フェリーに乗るのは仕事で香港⇔深圳を行ったり来たりしていた頃以来、少し楽しみだった。
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出向すると海風が実に心地よい。
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乗船10分足らずだったろうか、あっと言う間に猿島に到着した。
凝灰岩の島。落石も多いが、要塞を作るには適している。
現在では緑豊かな島、そして法華宗とにとっては法華の大家の1人である日蓮宗祖師、日蓮上人所縁の霊場でもある。
しかしながら夏の猿島は…
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BBQを楽しむ若者達で賑やかです。
う~ん、猿島なんて絶海の孤島で鎌倉時代に修行の必要を感じた日蓮上人や、日本の守る為、首都東京を守る為に要塞としての猿島に赴任していた明治時代の軍人さん達は、今の風景を見ても怒りはしないだろう…
寧ろ、日本の国力が充実し自衛隊の防衛力が高まり、嘗て戦場で干戈(かんか)を交えた日米が連携して外敵が領海に入らない様に防衛している事で、横須賀近隣の市民や外国籍の観光客が幸せそうに一緒に余暇を過ごし、カップルは手を繋ぎデートしているのを見れば、走水の倭建命や弟橘姫様と一緒に喜んで彼等を見守って下さるんじゃないかと思う。

さて、この猿島、真偽の程は不明だがジブリアニメの❝天空の城ラピュタ❞でロケハンされた場所だとされている。
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豊かな自然と、コケ生(む)した煉瓦の要塞が何とも不思議な感じがする。
空気はすこぶる清々しく、鳥達の囀(さえず)りも癒される。
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とは言っても要塞なのだから当時の施設は軍事に関する物で、史跡として保護されている事も有り一部展示用に其(そ)の儘(まま)残っている。
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弾薬庫。
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このトンネル群は立坑もあり、上部の砲台に繋がっている。DSC_3287
円形の場所が砲台の跡。
現在では砲塔は撤去されているが、当時を偲(しの)ぶ有る工夫がされていて…
現地に看板をちゃんと読んで学習しながら散策しているとある事に気が付ける。
実はスマホアプリのQRコードが掲載されている説明書きが有って、そのQRコードからとあるアプリをダウンロードすると…
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スマホに映る風景に、当時の観音崎砲台の大砲や、ここ猿島砲台の大砲を画面上に再現出来る。
これを知っている観光客は少ない。
…と、言うか小生も知らないで来て説明板全て読んでいたら、その一つに仕掛けが有るのに気が付いた訳だ。
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自然を感じながら要塞を見学出来て良かった。
ただ、観音崎要塞の方が規模は大きいようだ。
観音崎要塞は以前、❝カテゴリー「近代西洋建築と文化/鉄道/艦船/史跡 」の中の「近代要塞/港/空港」❞で紹介して風景写真も掲載してある。観音崎には灯台もあり風景もより綺麗だが猿島はBBQやキャンプが出来る分、レジャー観光地としての楽しみが有って若者向けかも知れない。
海を楽しみたいのなら、猿島の方が良いだろう。
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釣りも禁止ではないようだ。
島の磯側には日蓮洞があって鎌倉時代の日蓮上人が修行をした史跡でもある。DSC_3299
日蓮宗の人にとっては訪れる価値が有る場所なんじゃないだろうか。
もっとも、落石が有るので進入禁止。
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他にも船着き場近くの休憩所には、猿島史跡に関する解説の常設展示が有って歴史好きには、こちらも楽しめる。
ふむ…
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有意義な時間を過ごせた。
猿島を離れ、あの怪しいSAIKAYA駐車場に移動する時、三笠公園から米軍横須賀ベース方向に繋がる歩道の噴水と池があるのだが…
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花が綺麗だった。
こんな↓碑文も在ったりする。
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童謡❝めだかの学校❞を作曲した茶木滋サンは、この横須賀市汐入の御出身だそうだ。
ここは何回も通っているのに、まじまじ読んだ事が無かったので良い発見に成った。
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SAIKAYAパーキングの近所が横須賀米軍基地で、信号待ちしてるとSEE YOU AGAINの看板が見送ってくれる。
アニオタSAIKAYAパーキングから車を脱出させ、この日の宿泊地である三崎漁港に向かって出発…
三浦縦貫道路と言う有料道路を使うと近いのだが、小生が好きで以前は毎週の様に散歩に来ていた三浦海岸駅から近い琴音浜を訪れた。
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ふむ、ここは変わらない。落ち着いた優しい海だ。
少し潮風に当たってから出発…
江奈漁港を経由して三崎漁港に行く事にした。
江奈漁港は江奈湾と言う荒々しい磯の海岸で、昭和中期くらいまでは富裕層が散歩に来たりする海岸沿いに遊歩道が有った。現在は自然の景観を壊す事から撤去されているが、小生は現在の江奈しか知らないので寧(むし)ろ自然の豊かな今の景観が好きだ。
…心が疲れていた時に頻繁に磯遊びに来ていた江奈漁港。
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この海と、当時の彼女にだいぶ救われた。
海に感謝をして、直ぐに三崎に出発。
途中、剣崎灯台の辺りには風力発電の風車が在ったりする。
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この付近からは、天気が良くて海上の水蒸気が少ないと富士山が綺麗に見える。
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たまたま雨天の翌日の快晴で、雲のかかり具合も水墨画の様に綺麗な夕時の富士山が見える事が出来た。
手前の延々と続く農地の風景も癒される…
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三崎漁港に着くと、既に宵の時間に成ろうかと言う頃だった。寄り道し過ぎたか?
宿泊するホテルは三崎漁港の市場の目の前。
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宿はサンポート三崎と言う、船員会館の様な船乗りの保険組合の保養所なので、1泊2食付7500円と格安だった。
ここは外観よりも内装が綺麗。
❝じゃらん❞で予約したのだが、
御酒を楽しみたい人やマグロの珍しい料理を食べたい人は、朝食付きだけのプランで宿泊して、三崎や城ケ島の商店街の寿司屋やマグロ料理専門店に行くのも良いと思う。
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小生は連休最大の目的が、翌日7月11日が油壷にあった新井城落城日から500年に当たるので、尊敬する武将の1人である三浦義意公の御廟所に献花する為に三浦に来た。
三浦に行くなら普段横浜から近く見落としがちな場所も宿泊して探訪してみようと思い立ち、横須賀や三崎に宿泊を決めた訳だ。
このサンポート三崎は家族連れや外国人の宿泊も想定しているのか、色んな柄の浴衣を自由に選べるシステムだった。
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これは女性が喜びそうだ。
部屋も綺麗だった。
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1人でツインに泊まっても仕方ないんだけどね…
ここしか空いて無かった。でも部屋の清潔感はそこそこの値段のホテルと同等くらい。
しいて言えば、コンビニが徒歩5~6分と微妙に離れているのと、料理屋の多い三崎銀座商店街も徒歩10分位離れているのが弱点だが、車で来ているので寧ろ、油壷~三崎町~城ケ島と廻る拠点には打ってつけの立地だった。
日曜日の朝にはホテルの目の前で朝市も開かれる。
食事前に、好きな三崎の商店街をフラついてみた。
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平日月曜日なので客はまばら…
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この❝黒羽亭❞はTVに良く出るマグロ料理の専門店で、目玉とか変わった部位も食べれる。
寿司が食べたい人に一押しの店が、黒羽亭の左隣の❝紀の代❞
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ここもマグロ水揚げ漁港ならではの変わった部位、マグロの皮や白子なんかも食べれるし、御店主は寿司職人としての技術も確かで人気店でもある。
小生は寿司を食べたくなると良くここに来る。
この2店は以前❝カテゴリー「和食全般/居酒屋/懐石料理/旅館」❞で紹介している。
腹時計が夕食を欲っする時間に成ったのでホテルに戻り、食堂で夕食を頂いた。
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この日の夕食の献立は、備長マグロの鍋やマグロの御造り、魚料理が数品と、写真とは別に汁物と御飯がついている。
一人旅には十分贅沢だ。これで7,500円は素晴らしいと思う。
三崎の商店街を散歩中に提灯が飾ってあったのが目に留まったので、ホテルで質問した所、2016年は7月16日が三崎町の鎮守、海南神社の例大祭だそうだ。
これを聞いて翌週の再訪を決めた。

翌日11日の休日雑記へと続く…











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