歴史オタクの郷土史とグルメ旅♪♪久良岐のよし

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タグ:三浦按針

4月5日、昼前に鎌倉に到着した。
最初の訪問先はミシェランガイドで三ッ星に成った報国寺。
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ここを訪問した理由は本当は「ついで」と言うか、本来の目的は浄妙寺で女性守護婦人病治癒の神様の淡島明神様に御参りして御守りを購入する事にあった・・・
しかし報国寺は浄妙寺の直ぐ近所。
・・・元々報国寺の竹林で抹茶を頂いてボぉ~っとして過ごすのが好きなのと、報国寺を開いた殿様が小生が顕彰活動を準備しており横浜の殿様でもある宅間上杉家初代の上杉重兼公と足利尊氏公の祖父の足利家時公だから御参りしない訳にはいかないのだ。
最近はミシェランガイドのせいで国籍問わず風景目的の参拝客が増えたので昔は静寂だった竹林も「ザワザワ」と人の話し声がする事も有り、本堂の前で殿様達に御参りして帰る事も多く、余り抹茶を飲んで帰る事も少なくなっていた。
この報国寺に来ても、最近はもっぱら抹茶を頂くのは浄妙寺に成っていたから。
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しかし、この日の陽気で一気に桜の花弁も開き庭の景色が綺麗なピンクで彩られていた事と、平日で人も余り多くは無かったので半年振り位に竹林で抹茶を飲んで帰る事にした。
丁度、臨済宗寺院専用に建長寺で改めて購入した御朱印帳も持参して来ていたので、そちらに御朱印を頂く間、竹林でゆっくりと待つ事にした。
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しかし、この桜は思いがけず御褒美を頂いた気分に成れた。CIMG2929
う~ん綺麗だ。
横浜市の桜の開花状況は、この日まだ3~5分咲きと言った所、この報国寺の在る鎌倉市浄明寺地区宅間谷は名前の通り谷合で少し涼しい場所なので、まさか桜が見事に咲いているとは思いもしなかった。
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可愛い桜、見せてくれてありがとね!来年もよろしく!
さて、一頻(ひとしき)り桜を見てホッコリしてから、凛と静かな空気の漂う報国寺の竹林へ・・・
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フランス人ぽい男性と日本人女性のカップルが竹林散策を楽しんでいらっしゃった。
二人で交代で写真を撮っていたので、「写真撮りましょうかぁ~?」声をかけたら笑顔で「お願いします!」と応じて下さった。やっぱり、恋人同士は一緒のフレームに写った方が嬉しいでしょ。
二人は再び笑顔で「ありがとうございました!」と日本語で元気に御礼を言って下さったので、何だか少し嬉しい気分に成って幸せを御裾分けして頂きました。
御二人さん、ありがと♪
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さて、竹林の中の茶屋は“休耕庵”と言う。
実は昨年改修工事が入って暫く営業していなかった。小生自身も半年来ていなかったので久々の訪問。
大きくは変わっていないが、建築用材が新しく成っていた。
ここでは“抹茶”と足利家の家紋を模した“落雁(らくがん)”を頂く事が出来る。
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先述の通り最近数年間は観光客が多く成り余り以前程のんびりするのも憚(はばか)られる事も有ったのだが、この日は小生以外に喫茶に来た観光客も3~4組しかおらずゆっくりできた。
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ここから見る竹林と谷戸構えの切岸の苔むした様子、そこに響く小さな水の流れ・・・
この風景が落ち着くんだな~。
・・・ふむ、久々に来て良かった。
竹林の石畳も再整備された様で歩き易く成っていた。
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可愛い御地蔵様達、このエリア以前と雰囲気が違う気がする?
比較する写真が無いので分からない。
写真撮影しているオッサン(笑)がなかなかどいてくれないので、諦めてオッサンごと御地蔵様を写真に収めさせて頂いた。この御地蔵さん達、近くでみたら少し可愛いいんですよ、御優しい顔で。
竹林を出て御朱印を受け取り、浄妙寺へ移動する事にした。
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報国寺で御朱印を頂くのは二度目。最初は宅間上杉家の顕彰活動で。
そうそう、本堂の横には名前は知らないけども綺麗な紫色の花が咲いていました。
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なんと言う名前なんだろう?
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御存知の方いらっしゃたら教えてください。
浄妙寺へ向かう時、報国寺交差点の手前の橋の上から滑川(なめりかわ)に目をやると菜の花がとても綺麗に咲いていました。
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近くで見たくて滑川の遊歩道に降りてみた。
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遊歩道に降りる階段横にも桜が咲いていた。
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生憎、遊歩道は菜の花の近くまでは伸びていなのだが、それでも花と同じ高さの目線で見れたので満足満足♪
う~ん、黄色が明るく爽やかだ!
この滑川の菜の花から徒歩1分で浄妙寺参道に着く。
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浄妙寺の参道も桜が咲き始めていた。こちらは未だ4分咲き位か?今週末4月の第2土曜日曜辺りは見頃に成っているだろう。鎌倉市観光協会にも確認したが、鎌倉市内の桜は概ね今週末位~漸く見頃だそうだ。
今年は気温の寒暖差が激しく鎌倉に限らず、どこも開花が遅れている様だ。
その分、大きな風が吹かなければ長い間花見も出来そうだ。
浄妙寺に着くと、山門をくぐって直ぐの拝観受付の場所で販売している淡島明神様の御守りを購入した。
無論、女性の親友達の縁者の健康祈願が主たる目的なので、御本堂に御参りした。
昨年母が子宮癌に成り手術を受ける前に、小生は御参りして母に淡島明神様の御守りを購入し渡しておいた。
その後、手術は上手く行き転移も無く、無事にいるので先月、母の御礼参りに付き合って参拝しに来たばかりだった。
その後、留学仲間の大阪の女親友の姉上が卵巣癌の手術をした事を知り、卵巣癌が遺伝性の病である事も知った。加えて愛知の歴史仲間でもある女親友の友人が子宮癌に成り転移も有った事を最近聞かされたので、友人達4人分の健康祈願と御守り購入に来た次第だ。
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淡島明神様は御本尊の並びの一番右端に鎮座してらっしゃる。
御参りに行けない人は、この写真でも良いから先ず健康祈願をして改めて参詣すると良いと思う。
御守りや、信心は要は自分の精神を健康に保つ、なんと言うか心の支え的な要素が大切なのだと思うから。
要は気持ちの問題。文字通り気持ちの問題で、ウジウジ一人で不安に成るより出来る事は何でもして、不安を払拭する事その物が既に御利益なのだろう。
そして、具体的に健康に向けて努力する。奢らず健康診断をちゃんと受け、ジムに通ったり運動をして健康を保つ、そう言う事なんだろう。
日本古来の神仏習合の神様で、まぁ~名前の通り淡路島が神格化された神様のはずだが、明治維新後の神仏分離令で、どの神様と同一視して神道に組み込むか全国の淡島神社では統一された御神格は無い。
だから小生は思うに神仏分離令は無理が有るのだよ。
日本文化から見て記録で遡(さかのぼ)れる範囲でも1400年以上は神道と仏教は融合していたののだし、そもそも大鞆別命(おおともわけのみこと)こと応神天皇の化身とされる八幡宮の神様なんか御神託で御自分の事を「八幡大菩薩」と名前を言った事が日本の記録に残っているのだから。
そして応神天皇の皇子の莵道稚郎子(じのわけのうらつこ)命なんて渡来の学問を日本で最初に導入した人物で神様に神格化された歴史が明白に成っているのだし。神話通り莵道稚郎子命が漢学を治めていたのならば仏教も学んでいただろう。少なくとも中国の道教や易学も学んでいたので、西暦300年~400年頃の古墳時代には既に日本の古代神道も大陸文化の一部が導入されていたはずだ。
無理に仏様も神様も分ける必要も無い。
本地水垂迹(ほんじすいじゃく)思想みたいに、どっちが本性とか議論する必要も無い。
日本人らしく大らかに八幡台菩薩を拝んでも応神天皇を拝んでも同じ神様で別名として認識すれば良いのだと思う。実際に、歴代の天皇家もそうされて来た訳だし。
この手の価値観は仏僧と神職でモメた事も有る様なので、小生は例えば素戔嗚尊(すさのおのみこと)ならば、もう全部の異名を一緒にして毎日御参りしている「素戔嗚尊牛頭天王武塔天神」と名を御呼びして遥拝している。
こうすれば、宮司さん達にも和尚さん達にも昔の人々にも失礼に成らないで済むんじゃないかと思ってる。
まぁ、そんな訳で、淡島明神様は淡島明神様のまま明神が付いていて良いと思う。

さて、ここからが小生のレクリエーション開始。
浄妙寺を後にして車に乗り込むと、一路、横須賀市の安針塚を目指した。
安針塚を目指す途中、住宅地の桜並木もとても綺麗だった。
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う~ん。ピンク。
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とても綺麗。なんと言うか、ブリッ子だな、この娘は。
小生は花を良く人間に例えるのだが・・・
この娘も可愛いが、小生は凛とした梅、または大木に成り人々の誇りとなる染井吉野がどちらかと言うと好む所ではある。
あと山吹や蝋梅も好きだ。紫陽花も綺麗。
でも一番好きなのは、やはり梅かな~。しかし人々を笑顔にする桜の林の存在価値も素晴らしいと思う。
ところで・・・
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この風景は按針台と呼ばれる安針塚の在る塚山公園周辺の風景なのだが・・・
安針塚と言うのは江戸幕府で徳川家康公に仕えた英国人サムライの三浦按針(あんじん)公の御廟所の事で、その御廟所の名前がそのまま京浜急行の駅名や地名に成っているのだ。
三浦按針公の本名はウィリアム・アダムスとおっしゃる。
まだ徳川家康公が豊臣政権の五大老だった頃、ウィリアム・アダムス公一行の乗った船が遭難し、九州に漂着した。家康公は彼を保護すると自らの領地である関東の相模国三浦郡に領地を与え家臣に加え海外通商の窓口、つまり外交担当の参謀として抜擢した。その際に姓も領地の在った三浦郡から三浦とし、元の姓のアダムスを日本風に文字って按針とした。
余談だが、この三浦按針公と共に家康公に仕えた白人サムライがもう一人おり、名をヤン・ヨーステンと言う。
彼も又、耶楊子(やようす)と日本風に漢字で名を改めたが、彼の居所が有った場所が東京駅八重洲口辺りだった。つまり東京駅八重洲口はヤン・ヨーステン=耶楊子公に由来しているが、これを知る人は現代でも結構多い。
そんな訳で、日本でサムライに成った外国人は数人いたのだ。
他にも宣教師が連れていたアフリカ系黒人のモザンビーク人奴隷を織田信長公が奴隷身分から解放して侍として己に近習させたのだが、この人物の名前は弥助と伝わる。元の名前はモザンビークにヤスフェと言う名前が多い事を世界ふしぎ発見!が紹介していた。この放送、とても楽しかったので良く覚えている。弥助は大砲の砲撃の名手だったそうだ。
更にイタリア人白人の山科羅久呂左衛門勝成と言う武将も織田信長公の娘婿の蒲生氏郷公に仕えていた。
外国人が登用されていた事を知る人は結構少ないが、古代の日本の朝廷でも新疆ウィグル族出身の人物が登用されていたりした歴史が有る。
まぁ、そんな事を思い出しながら車を降りてから山を登って行くと塚山公園に到着した。
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塚山公園の桜はまだ5分咲きだったが、花見に来ている人がそれなりに居た。
平日だったので、やはり人はまばらだった。
実は安針塚は初訪問。もっと墓地っぽい陰鬱な場所をイメージしていたがこれは良い!
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屋台も少ないが出ていた。
焼きそばの屋台を見て、後で昼食にしようと決め、先ずは三浦按針公に御挨拶に伺う為に御廟所を探した。
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う~ん良い所だ。
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程無く看板も見つかり、安針塚その物に関しては深い予備知識無く、現地の説明看板や石碑を読むのを楽しみにして来た。
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立派な石段、塚山公園内でも一際高所に位置する丘、この上に三浦按針公が眠ってらっしゃる。
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この説明を読む限り、この安針塚一帯は昔は逸見(へみ)村の一部だったらしい。
現在は逸見は安針塚の一つ前の駅名として残り、地域も安針塚は逸見から分離し成立した様だ。
しかし、御遺言で所領の三浦半島に戻って来られたのは、この地がイングランドに似ていたのだろうか?
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この石碑や、参道を整備したのは大正時代の人々だそうだ。
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別の石柱にも大正十三年と書いて有る。
昔の人は人種分け隔てなく帰化して日本の発展に寄与して下さった人物を、こうやって御祀りして大切に郷土の誇りとして後世に伝える努力をされていたのを、歴史が好きで色んな城址や史跡や神社仏閣を訪問すると思い知らされる。右左問わず現代の政治家とは大違いだ。文化も人も風景も平等に大切にされて守って来た大正時代の人々に感謝。
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有功国家・・・日本国に功績が有る=日本に功績を遺した。
永護江都・・・江戸の都を永きに渡り守る
・・・つまり、江戸と日本の発展を守る功績を遺された偉人と言う事だ。
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報以恩遇、東面其墓。
近代の人々も、三浦按針公の功績を感謝し、そして帰国出来なかった悲哀に色々と考えさせられたんでしょうね。
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小生の主義で御廟所の写真は掲載しないので、三浦按針公と奥方様の御廟の写真は今回も載せない。
しかし、女性の権利を守る思考が強かったプロテスタントの国出身の三浦按針公らしい、日本人の奥さんと隣同士手を繋ぐ様に並んでらっしゃった。
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そして、御廟所から後ろを見て解った。
按針公は、この丘から見る金沢八景の島々と海の風景が好きだったんだ。
もしかしたら、この風景が三浦按針公の故郷の英国ケント州ジリガムに似ているのかな?と思って調べてみたら・・・
ケント州ジリガム 三浦按針公の故郷 久良岐のよし
ビンゴ!半島と入り江に面した町で、湾内には金沢八景の様に島が幾つも有る。
三浦按針公は故郷に似ている金沢八景の見える、この丘が好きだったんだな。
御廟所で三浦按針公に、小生に神社仏閣や日本文化と史跡、日本の歴史偉人と神様に成られた先人達、そしてコープランドさんや按針公の様に日本の歴史に名を残し、発展に関与して下さった外国人の皆さん、それらの顕彰を通じて世の中の人に、昔の人々への感謝と日本文化の美しさと神社や御寺や城址の果たして来た役割を再度認識させる役割を担わせて頂ける様に、お力添えをお願いして来た。
それと、もし可能ならば日本文化や日本の風景が大好きで気の合う奥さんとも将来巡り合い、按針公の様に夫婦寄り添える人生を歩める様に縁結びも御願いし、最後に世界人種問わず親日家の人々が安寧に過ごせる様に平和の願いも伝えて来た。
御参りを終えて、御廟所の在る丘の直ぐ隣もう一つの丘に登って風景を見る事にして、有る事に気が付いた。
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実は塚山公園も神奈川の景勝50選の一つだった。
過去に小生が数か所紹介しているが、昨年末だと鎌倉の浄土宗大本山天照山光明寺裏山と周辺から見る由比ヶ浜の風景。

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それと葉山の長者ヶ崎の風景。
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それと油壷湾、油壷マリンパークの一帯は鎌倉~戦国時代の新井城址で、その風景も50選に入っている。
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横須賀市の神武寺~鷹取山の石切り場の奇岩群と大石仏。DSC_3029
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まぁ、こんな感じで全部合わせて50ヵ所も有るので挙げていると切りが無い。
親切な解説ホームページを作成して下さってる方がいるので、参考にすると良いかと思います。
http://heiwa-ga-ichiban.jp/kanagawa50/index.html
これ↑ね。
さて、話を塚山公園に戻し、安針公の御廟所とは違う展望台的な方の丘からの眺望を紹介したい。
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う~ん、こちらからの風景も綺麗だ!
桜越しに三浦半島の横須賀地域が見渡せる。
反対に目をやると・・・
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田浦梅林の山が見える。
田浦梅林については御興味の有る方はコレ→ をどうぞ。
綺麗な風景を見て満足したので、先程の屋台で焼きそばを購入して昼食にした。
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サービスで超大盛りにしてくれた(笑)。
いっつも年配の人に優しくして貰えるのは小生のキャラクターなんだろうか(笑)?
味は普通に美味しい屋台の焼きそば(笑)。
オバちゃん、御馳走様!美味しかったよ!普通に美味しいとか言ってゴメン(笑)。
食べ終わり、もう少し公園内を散策して見た。
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翌々見ると軍艦が見える。米国艦船かな?
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うん、塚山公園、良い場所だ!
また桜の季節に三浦按針公と奥方に会いに来よう。
公園から離れた場所に止めた車に戻る為、又、来たマンションの通りを抜ける。
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ベビーカーを押して花見に行く途中?の若夫婦。
幸せそうだが、実はパパさん、登り坂で結構辛そうだった(笑)。
でも羨ましいぞ!お幸せに♪
車にのり20分とちょと移動。
最終目的地の平安~鎌倉時代の三浦家の居城、横須賀市大矢部の衣笠城址に到着。
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衣笠城址、以前も紹介したのだが、旧城域に大善寺と言う御寺が在る。
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行基大僧正が開いた本は真言宗系の御寺で、分家の佐原三浦家が戦国時代の三浦家宗家と成り曹洞宗に帰依していたからか、現在は曹洞宗寺院に成っている。
そもそもは、三浦家の学問所としても機能していた学問の寺院でもある。
この御寺の副住職様に御話が有り訪問したのと、衣笠城址で最期を遂げた三浦義明公に御挨拶する為に城址の御稲荷様に3年振りに参拝する為の訪問だった。
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大善寺周辺には曲輪跡と思われる地形が沢山残っている。住宅や畑も昔の曲輪群だろう。
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御寺を訪問した際に、副住職様は若様の要件で外出中だったので、奥様に要件を御伝言頂く事にした。
前回同様、とても丁寧に応対して下さり感謝。
そして本堂で尊敬する三浦義継公と三浦義明公を始め、三浦義澄公等いつも個人的に御祈りを捧げている三浦家の尊敬する方々に御挨拶をして、御本尊様にも御参りした。
用事も済んだので、大善寺さんの裏手に在る城址残存部を久々に訪問、桜が有るので楽しみだった。
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江戸時代の城しか知らない人には城に見えない場所だけど、城好きが見ると尾根の自然地形を利用して裾切り下切岸や土塁の跡の盛り上がりなんかが見て取れる。

まぁ、興味の有る人は以前の記事↑を読んで頂けると要害性の有る地形が判ると思う。
ブログ始めたばかりの初期の記事で情報量も少ないが。
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上の写真、岩が物見の岩と伝わる場所を人工的に掘り切った反対側に当たる。
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物見岩に登ると御稲荷様の祠が在り、義明公の歌った詩が有る。
物見岩付近からは合子や経文が出土している。ここが小生の尊敬する偉人の一人である三浦義明公最後の場所だと、小生は推測している。
ここは見晴らしが良いので、戦時には指揮を執る場所だったと思う。
そして、そこを今では御稲荷様が城址に来る来客を出迎える様に待っていて下さる訳だ。
御稲荷様にいつも行く先々で御会いして旅の無事を守って下さっている御礼と、前回の参拝からの事等、色々御報告差し上げた。
御稲荷様、又、桜の頃に御参りに来ます。
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衣笠城址はまだ、桜は部分的にしか見頃では無かった。
知人から衣笠山公園の桜林は見頃だよ、と言われていたので其方(そちら)にも行くつもりだったが時間的に日没近い頃に成っていたので、この日は諦める事にした。
そうすれば、又、来年以降も衣笠山公園の桜を見るついでに義明公達と御稲荷様に会いに来る理由が出来るしね♪

ふむ。
良い休日を過ごせた。
帰り、車が赤信号で停車した所、面白い植木の有る家を見つけた。
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遊び心満載だなオイ(笑)!
きっとユーモラスな御主人なのだろう。家族思いのパパさんなのかもね~。

うん、色んな人の人生を辿りながら、綺麗な風景も見れて満足満足。

ブログネタ
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横須賀市田浦にある田浦梅林が見頃で田浦梅林祭りが開催されています。


前回記事で少し触れましたが、田浦梅林は今の天皇陛下の生誕記念に植林された広大な梅林です。
昔は山の名前を按針峰(あんじんみね)とか何とか呼んだらしいです。
隣接する町に安針塚と言うのが有るからでしょうか?
安針塚の安針とは、ウィリアム・アダムスと言う人物のアダムスを和名風にした名前で、彼は江戸時代に徳川家康に仕えたイギリス人外交顧問でした。
因(ちな)みに東京駅八重洲(やえす)口も、ヤン・ヨーステンと言う同じく徳川家康に仕えた彼の同僚の名前を和名にしたものと伝わっています。

下の航空写真真ん中辺りの山が全部田浦梅林です。
京浜急行電鉄 田浦駅から徒歩15分くらい。
行く途中には前回紹介した「梅どら」と言う梅を使った美味しいどら焼きを販売している「ふじみや」さんが有るので、田浦梅林見学のピクニックの御供(おとも)に丁度良いですよ♪


田浦梅林は住宅街を抜けないとたどり着けず、少々入り組んだ場所に入口が在りますが、案内看板代わりの旗を目印に辿(たど)って行けばつきます。

上の写真の山裾が見えれば、もうすぐ!
ここの路地が入口です。
ここを入るとニ叉路に道が分かれますが、小生のお勧めは左回りの第六天神社経由登山です。

少し登ると鳥居が有ります。
此方(こちら)側から登山すると途中、梅の林越しに横須賀市田浦の昔ながらの里山の風景を楽しめます。
更に田浦梅林の発祥地である第六天神社の前では…
撮り鉄の人なら歓喜するであろう、梅林と京浜急行電鉄のコラボした風景が見られるんです。

以下、田浦梅林から京浜急行のトンネル出口を見た風景の連続写真です。

写真みたらフォルダ内ぐちゃぐちゃで進行方向分からなくて、逆再生かも…

逆再生かも知れませんが、珍しい綺麗な風景である事は伝わりますよね?

この風景の見れる神社の第六天神は、織田信長公が武田信玄との文通の口喧嘩の中で、武田信玄が自分を「天台座主(てんだいざす=天台宗のトップ)」と書いたのに対して、信長公がトンチを効かせて自称したのが第六天神社の祭神、第六天魔王です。

農民の信仰を集めた神様で、第六天魔王は仏教とヒンドゥー教の神様です。
天台宗等、法華経を重んじる仏教宗派では魔王であり、且つ、真面目に仏教の思想を守る人間には保護者になると解釈されているそうです。
だから信長公は武田信玄が天台座主と称した際に、法華経信者を裁く立場の第六天魔王を持ち出し上から目線で信玄が吹っかけた口喧嘩を買った訳です。
武田信玄は天台座主を名乗る事で、自軍の織田領への侵攻に大義名分を付加しようとした訳です。
ところで、神道では第六天魔王に高御産巣日神(たかむすびのかみ)や天狗を当てはめる事で神主様や氏子さん達が、明治政府の廃仏毀釈政策に由る外来の神様排斥から第六天神社の御社を守り、多くの社殿を破壊の危機から守ってきた様です。
実は…
関西には第六天神社が余り無いのですが一説には豊臣秀吉が織田家を乗っ取った際に、織田信長公の天罰を恐れた秀吉により関西の第六天神社は破壊し尽くされたそうです。
第六天神社を過ぎると、梅林の遊歩道沿いに水仙が植えられたエリアに入ります。
先週の写真ですが、少しだけ水仙も梅も時期が早かった様でした。
が、それでも綺麗な花が見られましたよ。

良い眺望(ちょうぼう=ながめ)です。
この先に広場や子供用アスレチックが有ります。

途中、鶯(うぐいす)の群れに出くわしました。
可愛かったですよ〜♪

で、頂上付近に来ると、梅林越しに横須賀市の海と、更にその向こうに横浜市金沢八景の八景島の絶景が見渡せます。
昔は海も埋め立てられておらず、更に綺麗な風景だったんでしょうねぇ…。
手前が夏島かな?
写真中央が野島…
二つの島は伊藤博文公の別宅があり、大日本帝国憲法の草案が纏められた、日本法治主義の基盤が作られた場所でもあります。

展望台もあり、そこからも東京湾を眺めるれます。

この田浦梅林、元は個人の所有地でしたが、今上天皇陛下生誕記念に横須賀市に寄贈され梅が植林されたので、その寄贈者の方の記念碑もあります。
良い所でしょ?

お弁当持って御花見散歩に行くには良い場所です。
家族連れや恋人同士には尚、良いレクリエーションとなる事必定!

今週末位までが見頃です。
是非、訪れて見てくださいね〜♪

では、又、次の記事で!

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