歴史オタクの郷土史とグルメ旅♪♪久良岐のよし

熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページ→http://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

タグ:三浦義意

神奈川県の西部に行くと小田原市早川以西~湯河原にかけての海は恐ろしい程透明でとても綺麗な事を知っている人は少なくないと思います。
でも川崎市や横浜市や横須賀市、鎌倉市や厚木市や大和市や相模原市、海老名市や高座郡の人は、その西湘の更に西端に負けない程の良水質の海水浴場が直ぐ近くの三浦半島の西側に幾つか有るのを御存知の方は多くはありません。

中には現代では穴場的に成ってしまった昔の観光スポットの海水浴場も有ります。
さて、そんな訳で今日はお盆休みの為に小生推薦の良水質の場所2つと、水質は普通だけど風景が綺麗でナンパ目的やチャラい騒ぎたいだけのモラルの低い客の少ないデートや家族向けの海水浴場を紹介したいと思います。

以下、現地写真と、現地を訪問した小生の個人的感想で各項目毎に最大☆5つ~最低☆1つで評価していきます。
※水質に関しては海外のリゾート海岸を☆☆☆☆☆とした時の相対評価とします。
(参考例)
横須賀市観音崎☆☆☆←県内では良水質の水準。
逗子海岸☆☆、江ノ島☆☆←泳げる水準。
横浜市金沢区の海の公園☆←泳ぐの避けた方が良い水準、汚い。
※景色は当然個人的な感想。
※飲酒する人向けにアクセスは電車基準。
合わせてGoogle mapからアドレスとアクセスも転載して置きます。


水質個人評価1位の海水浴場…
●和田長浜(わだなはま)海水浴場
CIMG4841
CIMG4776DSC_0244
【水質】☆☆☆☆☆…最良
【景色】☆☆☆  …良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆  …駐車場無料、但し解り難い場所。
【休憩】☆☆☆  …店舗数は少ないが大規模海の家が数軒有り、飲食・トイレに困らない。
ここは平安時代末期~鎌倉時代の名将、和田義盛公が側室の巴御前と住んだ和田城の軍港でもあった砂浜なのですが、とっても神奈川の海水浴場では珍しく海水が完全に透き通っている良い水質を保っています。
海の砂は小粒の砂利なので少し歩き難いが、それをカバーして余り有る水質と景色の良さ。
しかし欠点もあり交通が若干不便で現代では過疎化で最寄りの三崎口駅から直通バスが無くなったので車で来るか最寄りの和田バス停から徒歩16分歩く上に幹線道路から離れた丘の裏側に在(あ)って目立たない。
その分、環境的にも良い事も有り自然の美しさもさる事ながらアホな客が少ない落ち着いた場所な上にちゃんとした大規模な海の家も数軒設営されています。
更に車での移動の人に朗報なのは海の家の真横の県営駐車場が無料で駐車出来ます。
又、三浦海岸や逗子海岸や由比ヶ浜や片瀬江ノ島や鵠沼海岸の様(よう)にアホみたいに人だらけにも成らないしアホみたいな人も集まらない、小さい子のいる家族やカップルが安心して遊べる環境なので昼前に来て夕方までユックリと半日過ごす事が出来ます。
又、和田義盛公と巴御前に縁結びして貰える御利益も有るかも知れませんね♪

●秋谷海岸と立石(神奈川の景勝50選の一つ)
2016-01-16-15-48-18
2016-01-16-16-33-01
2016-01-16-16-32-39
(立石公園)【水質】☆☆☆☆ …かなり良
【景色】☆☆☆☆☆…最良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆  …立石公園に公共有料駐車場有り、秋谷海岸も港が有料駐車場に成ります。
【休憩】☆☆☆☆ …この時期は周辺の民家が海の家として営業。周辺には美味しいレストラン多数。
ここの海の特徴は水質の良さと、常に凪(なぎ)で波が静かな時が多い浜辺な事。砂も細かいので歩きやすい。
夕刻には神奈川の景勝50選の一つ、秋谷海岸の立石の向こうに富士山が見え、そこに夕日が落ちる景色も見られる。又、周辺に“DON”(←クリックで紹介記事)をはじめとした数軒の有名なレストランが有り、海を眺めながら美味しい食事を楽しむ事が出来るのでデートに最適!家族連れももちろん楽しめる。
立石公園側は浜辺では無くて磯に成っているので幼稚園や小学校の年齢の小さな子に水生生物を観察させる良い場所にも成る。
とにかくロケーションが良いのだが、自然保護地域の為に鉄道のアクセスが頗(すこぶ)る悪いのは仕方が無い。天皇家の葉山御用邸や葉山マリーナも車ならそう遠くは無いので立ち寄る事も出来る。

●長者ヶ崎海水浴場(神奈川の景勝50選の一つ)と葉山町の海水浴場
DSC_2122
DSC_2123
※長者ヶ崎、梅雨時の写真なので見栄え悪いが本当は相当綺麗な風景です。
※周辺に一色海岸海水浴場や森戸海岸海水浴場も有りますので、詳しくは"葉山町の公式サイト(→ここクリック)"も参考にして下さい。【水質】☆☆☆  …良
【景色】☆☆☆☆ …かなり良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆  …駐車場有。
【休憩】☆☆☆  …夏季は周辺レストランが海の家も営業します。温泉旅館有り。
神奈川の景勝50選の一つ、長者ヶ崎が直ぐ近くの海水浴場。当然風景が良く天気が良いと夕日に萌える富士山も見る事が出来る。なので泳がなくてもドライブに来る価値もある。
近くには葉山マリーナや森戸海岸、一色海岸等の商業施設や別の海水浴場も有るので込み具合で複数視野に入れて海水浴場を選ぶ事が可能な地域。
近くに大海荘と言う昭和的な民宿規模の天然ラドン温泉の風呂を持つ日本旅館が有り、そこも海の家を営業する。又、大海荘は予約すれば宿泊しなくてもBBQだけでの利用も出来る。しかも宿泊費が安い。
※大海荘の紹介過去記事→(ここクリック!)。
※大海荘の公式ホームページ→(ここクリック!)。

●荒井浜海水浴場(神奈川の景勝50選の一つ、油壷湾から徒歩1分の海)
CIMG4580
DSC_0011
CIMG4573
CIMG4576
IMG_20160711_161347
DSC_0227
【水質】☆☆☆☆☆…最良
【景色】☆☆☆  …良
【電車】☆☆   …若干不便
【  車  】☆☆☆☆ …マリンパーク周辺に大駐車場多数有。
【休憩】☆☆☆☆☆…荒井浜にオシャレな海の家多数。周辺はレストラン、ホテルと民宿とペンション多数。更に京急油壺マリンパーク(水族館)も有る。
神奈川の景勝50選の一つ、油津湾と地続きの海水浴場。当然風景は綺麗。水質も良い。そして昭和のリゾート地と発展したが意外に穴場でホテル等の宿泊施設が多数有り、レストランや海鮮料理の食堂も多く有る。
バスの本数が少ないので駅を往復するには若干交通が不便だが、車移動なら何にも問題が無い大駐車場が周辺に幾つも有る。秋篠宮殿下と紀子様達皇族が若いころにデートに良くいらっしゃった油壷マリンパークの水族館はイルカショーも有るので、午前中に水族館を見て昼から海水浴をしたり、ホテルや民宿を予約して宿泊するなら海の家で大いに飲酒も出来る。
又、同地は戦国時代に日本最長の籠城期間を誇った新井城址でもある。その最後の城主の三浦義意公と俗に小桜姫との小説内の仮称で呼ばれる奥方の真里谷武田家姫君の夫妻は縁結びの神様仏様として現代では多くの人に親しまれている縁起の良い海水浴場であり、そして勇敢に戦った名将達の武運にも肖れる神社仏閣も周辺に多数存在する。
三浦義意公と真里谷武田の姫の縁結びの御利益の有る神社や史跡は過去の記事を参考にして下さい→(ここクリック!)。

●多々良浜海水浴場と観音崎灯台(神奈川の景勝50選の一つ)と観音崎要塞。
2015-12-16-15-08-45
2015-12-16-15-14-42
IMG_1578




昭和にリゾート地域として開発されつつも多くの自然を残す場所。特に多々良浜は余り大きくない海岸だが貝殻で出来た天然の白い砂浜でとても美しい。夏季には海水浴場として海開きされる。
又、周辺には観音崎海水浴場や走水海水浴場も有る上に、ホテルや美術館のレストラン、食博施設もあるので泊りがけでも楽しめる。観音崎京急ホテルのビュッフェ"浜木綿(はまゆう)"も有名。
※観音崎京急ホテルのビュッフェ浜木綿を紹介した過去記事→(ここクリック!)
※公式→http://www.kannon-kqh.co.jp/
特に観音崎灯台は恋人同士で散歩に行くと良い思い出作りにも成るし、御当地の観損崎は明治時代に要塞として利用されていたので赤レンガ造りの砲台跡やトンネルも沢山有り、海で泳がなくても良いピクニックにも成る。
電車でもバスでも帰りに横須賀中央駅や汐入駅で降りればドブ板通り商店街でネイビーバーガーを食べる事が出来るので、観光の幅が広い海水浴場とも言える。
※ドブ板通り周辺のネイビーバーガーの名店を紹介した過去記事→(ここクリック!)
また近隣の走水海岸には日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘姫(おとたちばなひめ)の神様の夫婦の縁結びの御利益の有る“走水神社”や、オシャレな"かねよ食堂"も有る。
※かねよ食堂を紹介した過去記事→かねよ食堂…神話の海岸の素敵な食堂?実際はレストランBar?

●城ヶ島海水浴場(神奈川の景勝50選の一つ、城ヶ島と大橋)と城ヶ島公園の海
DSC_3676
DSC_3677
※城ヶ島海水浴場
2009-01-03-15-01-44
2009-01-03-15-45-57
※城ヶ島公園の海
【城ヶ島公園】※海水浴場ではありませんが自己責任で泳げます。海の家無し。
【水質】
 海水浴場  ☆☆   …泳げる海だが漁港に面していて透明度は高くない。    
 城ヶ島公園 ☆☆☆☆☆…最高の透明度
【景色】
 海水浴場周辺☆☆☆  …北原白秋も詩を読んでいる。現代では建物も多い。 
 城ヶ島公園 ☆☆☆☆☆…北側は貝殻の砂浜と南側は切り立った崖の2種類の海と富士山も見える。
【電車】   ☆☆   …若干不便
【  車  】   ☆☆☆☆ …周辺に大規模な駐車場多数。
【休憩】   ☆☆☆☆☆…現地や周辺にリゾートホテル、旅館、民宿、レストラン、食堂、すし屋多数有り。但し海の家は未確認。海水浴客は良く見かける。
神奈川の景勝50選の一つ:城ヶ島と大橋、そして神奈川屈指の景勝地の城ヶ島公園を抱える明治時代からのリゾート地。対岸には鮪(まぐろ)の水揚げされる観光漁港として有名な三崎漁港も有り、車で行くならば1日楽しめる。
海水浴場側の海は横浜の海水浴場より綺麗だが、物凄く透明な訳では無い。しかしながら城ヶ島公園の保護された海の透明度は神奈川県内随一の水質の良さを誇っている。
車なら油壷マリンパークも近く、先述の通り三崎漁港も近く、周辺を含めると城ヶ島で1泊2日滞在したい所。とにかく美味しい海鮮料理の店が多いので、食べる事にも比重を置くなら間違いのない観光地。
但し海の家は未確認。海水浴客は良く見かける。多くの海水浴客はペンションや旅館の客と思われる。
BBQも出来る。
三崎漁港の鮪料理の名店
紀の代を紹介した記事はココをクリック!
黒羽亭を紹介した記事はココをクリック!
又、三崎漁港ではユネスコに世界無形文化遺産登録された御祭り「チャッキラコ」も1月に開催される。
チャッキラコを紹介した記事はココをクリック!

この他にも風景と水質の優れた海辺も多数有るのですが、海水浴場では無い泳げない場所や海の家の無い場所、紹介しなくてもメジャー過ぎる場所ばかりなのでここまでにしておきます。

皆さんの夏の参考に成れば幸いです。
では!又、次の記事で御会いしましょう!











2017年07月11日・・・
昨年に引き続き三浦市三崎町小網代(こあじろ)の網代山海蔵寺を参拝。
CIMG4562
昨年の電話での交流から始まり、学僧気質の正しい禅宗寺院の在り様を大切にされておられる御住職様に気に入って頂けて以来、折に触れて参拝に上がっている。
・・・しかし、07月11日は小生にとっても御住職様にとっても大切な1日なのだ。
501年前のこの日、小生が尊敬し御住職様がその菩提を弔う三浦義同(よしあつ)入道道寸公と御曹司の三浦義意(よしおき)公が海蔵寺の直ぐ近くに在った新井(荒井)城で討ち死にした。
日本記録であろう4年間の籠城戦を戦い抜いた後、房総からの援軍が絶え兵糧も尽き、最後の1日・・・
決戦に及ぶ段に成り父上道寸公から当主の座を継いでいた義意公は責任の無い部下や下級武士や農兵を船で房総半島に逃がして、自身は手勢を率いて時間稼ぎをし命絶えるまで戦ったんだな。
これは途轍もない事で、先ず4年間、同盟者からの物資補給が有ったとしても城から出られない絶体絶命の状況で兵士の士気を保ち尚且つ支持を受け続けるだけの人望と才覚が有ったと言う事だ。
普通は籠城しても数ヵ月と持たない。
この三浦義意公を除いて他には、もう御一方尊敬する人物である玉縄城主北条綱成公が河越合戦の際に半年間の籠城に成功したことが“奇跡”とされる大活躍とされている。半年で奇跡の大活躍、それを4年間・・・

そして自分が楯に成り末端の部下を逃がす。そんな社長、今いるか?

海蔵寺はそんな三浦道寸公と三浦義意公の菩提寺な訳だな。

御住職に挨拶し少し雑談を交えてから、供養の納経用の海蔵寺専用の奉書を頂き御寺を後にした。
海蔵寺がこれからも多くの人に大切にされますように。
CIMG4563
現在は主要部分が油壷マリンパークと成った新井城址に移動。
この駐車場の右手に三浦義意公の御廟所が現存する。
CIMG4565
墓石の写真を載せる訳に行かないので卒塔婆(ストゥーパ)の写真を。三浦道寸公が御父上で事実上の最後の当主なので、その名前が書かれているが駐車場近くのコチラの御廟所が三浦義意公の御廟。
近くのスーパーで買って来た仏花と、持参した少し高い御香を焚いて三浦義意公に久しぶりの訪問の御挨拶といつも御守護頂いている御礼を申し上げた。
そして少し下に移動・・・
CIMG4566
ここは下の海岸に出る道なのだが、恐らく戦国時代当時は海からの虎口で船倉へ繋がっていた場所だ。
CIMG4567
途中、少し解説の有る看板も有る。
CIMG4568
この道は見事に食い違いに成っている。
CIMG4569
風化しているが土塁の名残と思しき盛り上がりも有る。
そこを進むと海へと降りる分岐点に三浦道寸公の御廟所が有る。
CIMG4570
これだけ遠くから撮影したら道寸公も「無礼!」とは怒らず、「致し方なし、許す。」と言ってくれそうなので、遠くからの様子の写真を掲載します。
まぁ、命日なので小生は訪問し、尊敬する御二人にいつも御守護頂いている御礼と尊敬の念を伝えに御挨拶に今年も来た訳だ。
道寸公の人生も波乱に満ちていて、御本人は扇谷上杉家の出身で養祖父の三浦時高公に当初は認知されていたものの、三浦時高が老齢に至った頃に遅い実子が出来ると、道寸公と実父の三浦高求公は廃嫡され追放された。しかし、同僚の大森氏頼公や太田道灌公や今川家臣の北条早雲こと伊勢盛時公からは才覚を支持されていたので逆に新井城を奪取し三浦時高公を追放して三浦家の乗っ取り実家に帰る事に成功した幼いころから波乱に満ちた人生を歩んだ人物だ。
更に波乱が有り、主君であり弟の扇谷上杉定正公が事も有ろうに主家の古河公方家や敵の山内上杉家と同盟したり離反したり親友であり主家の軍師だった太田道灌公を暗殺してしまったりハチャメチャな事をしまくったせいで扇谷上杉家家臣同士でも方針が混乱し敵味方に分かれて争う事と成り、当初は三浦道寸公と協力者だった伊勢盛時公とも敵対関係に陥り、結果的に武運無く負けて滅亡したのが1516年07月11日だった訳だ。
小生は特に建勲神織田信長公と東照大権現徳川家康公、そして太田道灌公、三浦家と争った北条早雲公や北条氏綱公、その跡継ぎの北条氏康公と義兄弟の北条綱成公、その綱成公の家老の間宮家の殿様達、他にも数人の殿様を尊敬しほぼ毎日、菩提寺や関係した神社で頂いた御朱印を御分霊とし、心の中で礼拝している。
部下達に好かれ、部下の命を大切にして逃がした二人の殿様達。
本当の英雄とはそういう人なのだと思う御二人だ。
そんな道寸公と義意公の眠る新井城址は風景が美しい・・・
CIMG4572
砂浜に降りて歩いた。夕刻16時位だったろうか。
CIMG4573
実はこの砂浜の岸壁にも歴史史跡が有る。
CIMG4574
この四角に掘られた穴、千駄矢倉と呼ばれた8つの物資保存庫として戦国時代には機能していた。
CIMG4575
今ではそんな事を知る人は少なく、ただただ美しい海と、そこに有る民宿と海の家に遊びに来る客で休日は賑わう。
CIMG4577
小生の訪問日は水曜日で夕刻だったので海水浴客はいなく静かでともてよかった。CIMG4576
素敵な海の家なのだが、まだ食事に来た事が無い。いずれ甥っ子と姪っ子を連れて宿泊に来たいと思う。
CIMG4578
三浦半島も三浦海岸等、東京湾も横須賀市や横浜市に近い場所は海水がクソ汚いしアオサだらけだが、城ヶ島や荒井浜や秋谷海岸等の相模湾側まで来るととても綺麗だ。
CIMG4580
本当に綺麗なんだな。
CIMG4581
周辺には民宿や旅館も多いので、個人的に首都圏の人や県外からマイナーな宿泊地域を探したい人にはおススメの場所が三浦市三崎町界隈だ。
海辺を後にして駐車場に戻る途中、辛うじて残された土塁の一部と神奈川の景勝地50選の石碑の横をいつもどおり通る。
CIMG4582
CIMG4584
北原白秋が不倫からの略奪婚していた時期に三崎町の城ヶ島の対岸、今の三崎漁港に住んでいたので、三浦市内には北原白秋関連の場所がいくつか有ったりする。
CIMG4583
まぁ、こんな感じに新井城址にも説明も有ったりする。
CIMG4585
東大の敷地の中には土塁と空堀が少し残っている。
帰り、三浦家の御家臣の御子孫と雑談をした。頂いたコーヒーを飲みながら今年も色々と話して「来年も又来るね~!」と御挨拶。地元で殿様に誇りを持って下さってる人と交流するのは楽しい。
知らない人とも共通の話題が有ると直ぐに打ち解けられるのが小生の自覚できる唯一の長所だろうか(笑)。
但し、その話題も歴史に限るので大分と門戸は狭いがニッチな人は何処に行っても探せばいるので、特に和尚様や神社の神職の皆さんに気に入って頂ける機会が多かったりする。学者と異なって小生の場合本気で神社仏閣に関わった殿様や御姫様を尊敬して郷土史読み込んでから訪問したり知らない事は正直に「教えて下さい」って御願いして回るからね。営業と一緒だわ。
三浦の人々と話し終え車に乗り込み、この日の宿泊地で最終目的地の佐島へ移動・・・

CIMG4587
実はずっと宿泊したくて距離が近くてしていなかったホテルが有ったのだが、それが当日最終目的地だった。
CIMG4589
佐島マリーナホテルだな。
小生の様な貧乏歴史オタクが一人で宿泊するにはオンシーズンだと高くて尻込みする綺麗なホテルなのだが、実は佐島マリーナホテルはオフシーズンの梅雨時には一人での宿泊でも12000円で泊まれるプランが有ったりする。それに小生は旅行サイトのポイントが2000円分有ったので、今回はなんと10000円での宿泊を予約出来たのだ!嬉しい!
いつもは近くの“海辺”と言う風景の綺麗な食堂に食事に来て周辺の海岸を散歩して終りだったのだが・・・
まぁ、家から車で30分ちょいだしね。
今回は思いっきって連休に成る様に休暇申請もして宿泊に来てみた。安いし!
このホテルは本当に眺望が素晴らしい。
CIMG4590
これもホテル内から見た風景。
CIMG4594
これは南向きの部屋から見た風景。
CIMG4597
普段はヨットで遊びに来る宿泊客が多い。
凄く大きいホテルではないが清潔感と落ち着いた雰囲気が漂っていてとても良い。
CIMG4600
ヨットハーバーのホテルだけあって船に関する装飾品が多い。
CIMG4605
CIMG4606
何とも可愛らしい。
小さいが御土産物屋も有ったので、観光先で手荷物持たないでもここで買って発送出来る。
CIMG4603
まぁ服はアレだな要らない。
CIMG4609
部屋はここ数年間で宿泊したホテルの中で一番広かった。
CIMG4619
小生の中国の友人が某市内最高のホテルマンの認定をされて支配人に成っていた奴なのだが、ソイツの力でホテルに泊めて貰う時以来の広さ(笑)。
あと中国の姉ちゃんに等しい「姉ちゃん」と小生が呼ぶ人の力で泊まるホテルとか(笑)。
いずれにしても自分の力じゃない(笑)。

まぁ、普段は大正昭和チックな旅館が好きで、そんな場所にばっかり宿泊するか、ビジネスホテルに宿泊して食べ物に御金を費やしているので、当然まともなホテルに来たのが国内で久しぶりな訳だ。
CIMG4601
お腹が空いていたので夕食どうしようかなぁ~と館内のレストランを見に来た。
CIMG4602
値段は死ぬ程高くない。しかし低予算庶民の小生(笑)、葉山牛ハンバーグディナー3630円に目を付け、一考・・・
「今から三崎漁港に行っても良いし、葉山マリーナに行って食事しても良いし、秋谷のDONに言っても良いな~。」
「でも三崎漁港は週末に納経に又海蔵寺行く帰りに寄れるし。」
「佐島マリーナに来て葉山マリーナに行くとか薄情だし。」
・・・と言う訳で出掛けるのも面倒臭くなり、このホテルのレストランで食事する事に決定!
CIMG4611
店内の様子を撮影し忘れた。
海に面した素敵なレストランだが既に日没で真っ暗だったから店の様子を撮影するのは明日で良いや(笑)!と思ったのかな。
CIMG4612
食前にジンジャーエールフロートを頼む小生は御子様なのだろうか?
以前も書いたが小生は酒が基本的に嫌い。神社での神事の際に有難く御神酒を頂くか、県内外各地の梅の名産地で梅酒を購入してきて香りを楽しむ為に飲む位。
CIMG4613
前菜から三浦半島尽くし!全て三浦野菜らしい。地産地消を地で行く店。良いね。
アホなので野菜の名前は忘れた(笑)。
CIMG4614
ビシソワーズ美味しかった。
CIMG4617
そしてお待ちかねのハンバーグ!ホテルのハンバーグやっぱり美味しいなぁ~。
比較したら双方に失礼だが、横須賀どぶ板通りのアメリカンなハンバーガーも美味しいが、やはり同じハンバーグでもホテルメイドとアメリカンなハンバーガーではカテゴリーが違うんだな~と味わいながらしみじみ。
先日、鎌倉で葉山牛ステーキランチを予算不足で食べ損なったばかりなので「取り返したぜ!」と一人で満足感に浸る(笑)。
CIMG4615
美味しいパンは御替りし放題で、小生遠慮して頼まなかったらウェイターさんが何度も小生の食欲を察したのか(笑)御替り勧めて下さり御腹も十分に満たされた。
ハンバーグのソースすくって食べちゃった(笑)!
CIMG4618
デザートも可愛く美味しかったですよ~。
う~ん。彼女が出来たら宿泊に来たいな。きっと喜んでくれるんじゃないかと思う。
しかし、恐らくは甥っ子と姪っ子達を連れて来て宿泊し、隣の天神島の海で遊ぶ「オジちゃん」としての再訪に成るだろう(笑)。
この日は部屋でユックリ寝る心算がアホな小生は普段連休無いのでここぞとばかりに持ち込んだPCでブログを更新したり間宮家と宅間上杉家と蒔田吉良家と玉縄北条家の顕彰文草庵を書きまくったり、気が付いたら寝ずに朝に成っていた・・・
せっかく泊まったのに(笑)。
CIMG4624
翌朝、忘れずにレストランの写真を許可を貰って撮影!
CIMG4620
う~ん!綺麗だ。
オフシーズンの平日と言う事も有り宿泊客は小生の他に家族連れが数組30人位いたかなと言う感じだったと思う。
なので、ウェイターさんから質の高いサービスをフル提供して頂けて大満足。
CIMG4623
朝食はビュッフェだが、三浦野菜が食べ放題で有難い。
オムレツやスクランブルエッグは来てから調理してくれるので当然暖かい。
パンと御飯が有った。死ぬほど品数が多い訳じゃないが普段、野菜をコンビニの袋のサラダでしか毎日食べていない家で食事をする暇の無い可哀相な人(笑)なので暖かい食事に嬉しく思ってしまう。
ウェイターさん、そしてホテルの皆さん、落ち着いた良い時間を過ごす事が出来ました。
ありがとうございます!又、御世話に成ります!
朝食を食べ終わったのが9時位、チェックアウトのリミットが11時だったので、少し外を歩いてから部屋で仮眠して置こうと思い先ずは外出。
CIMG4625
ホテルのすぐ横の天神島臨海自然教育園を散歩。もはやホテルのプライベート遊歩道状態(笑)。
CIMG4626
ハマオモトこと浜木綿(はまゆう)が沢山咲いていた。
CIMG4627
う~ん、プチ南国に来た気分。
CIMG4628
暴風雨が数日前に在ったので、海には流木が多かったが、それでも綺麗な海の景色と浜風に癒される。
CIMG4631
ホテルが見える。本当に海に突き出してるんだな。
そう言えば佐島マリーンナホテルのアドレスも掲載して置こう。

CIMG4629
もう少し歩いてみようと思い、公園を一周して見る事にした。
CIMG4632
快晴!う~ん気持ちが良い。
CIMG4635
時期的に山百合もとても綺麗だった。昨年のこの時期は三崎漁港に宿泊し城ヶ島を朝に散歩してやはり山百合を見ていたかな?三浦は半島はどこも綺麗だが、特に秋谷海岸と佐島と城ヶ島が小生は好きだし、都会の他府県から友人が来ると連れて行く。みんな城ヶ島や三崎の鮪にはとても満足してくれるし、この佐島の風景や城ヶ島の風景も気に入ってくれる。
CIMG4636
因みに砂浜も有るが三浦半島は他地域より隆起の速度が速いので砂浜よりも傾斜のきつい岩礁が多く磯の風景を楽しめる。
CIMG4637
小生は由比ヶ浜と七里ヶ浜の砂浜、三浦海岸琴音浜の砂浜、観音崎の多々良浜も好きだが・・・
CIMG4638
この佐島の天神島臨海自然教育園の砂浜も好きだ。ここは貝殻で出来た砂浜なので比較的白い砂浜なんだな。
まぁ、海水浴には向かない。岩礁だから。でも子供に自然観察させる水生生物を見るには適しているし海水がとても綺麗なので足を浸して磯遊びするカップルも稀に見かける。
メジャーな汚い海に行くより二人の時間を楽しめて良い選択だろう。
CIMG4639
沖合には笠島が見える。
近くにはこの風景を見ながら食事が出来る和食の食堂“海辺”が在って、そちらにはしょっちゅう来ている。
CIMG3642
本当にロケーションが綺麗な店で、小生の御薦めの場所だ。
2016-01-16-14-16-42
料理も美味しい。
2016-01-16-14-16-54
特に金目鯛の煮つけと刺身のついた定食が御薦め!
海辺のアドレスも紹介して置こう。

浜辺を散策し終り、ホテルに戻る途中に天満宮が在る。
CIMG4642
だから佐島マリーナの手前は天神島と呼ばれる。
ここの氏子さんは福本一族だらけ!
CIMG4643
他にも三浦半島には石渡と言う苗字も有るが、この石渡一族は三浦半島東側東京湾側に多く、福本一族は西側相模が湾側に多い。佐島の近くには福本寺なんて寺院も有ったりする。
福本氏は近世~近現代では漁師一族だが、戦国時代の三崎衆で横浜市港南区永谷城主であり祖先が足利尊氏公の従兄弟で関東管領も務めた宅間上杉家の永谷城の居住部分と推測されている伊予殿根と呼ばれた地域からそう遠くない鎌倉街道側防衛拠点となる丘近くには福本家が住んでいる。恐らく横浜市港南区の福本家は上官の宅間上杉規富(のりとみ)公に与力として仕え、この佐島界隈から現在の横浜、昔の鎌倉郡永谷郷に移住して現代に至るのだろう。つまり、この佐島が港南区の福本氏の出自だと思われる。
更に福本家の前身は恐らくは鎌倉幕府初代侍所別当の和田義盛公の水軍の将だろう。近くの長坂の無量寺は和田義盛公の開いた御寺だし、隣の芦名地区は和田義盛公の御子孫で奥州の大名芦名家の発祥地であり、最近宅地造成された辺りは芦名城の推定城域だったりする。
CIMG4641
港町なので猫チャンにも会えた。また来るねぇ~♪
1日宿泊した筈なのにホテルで1時間仮眠をして(笑)からチェックアウトして、三浦市下宮田の行きつけの農園、石井農園の直売所のザ作兵衛に立ち寄ったが生憎休みだったので、違う店某直売所で西瓜を買ったが美味しくなかったので写真載せない。
ザ作兵衛は外れ無く絶対に甘いのに・・・
週末に納経で海蔵寺再訪の際にザ作兵衛での西瓜購入にリベンジするとこの日の夜に誓った。
CIMG4645
さて、帰り、御昼時も少し過ぎていたので横浜横須賀道路の横須賀PAで名物を食べて帰る事にした。
CIMG4646
横須賀海軍カレーパン
横須賀ビーフシチューパン
湘南名物のグレープフルーツ、湘南ゴールドのサイダー
CIMG4647
しかしアレだな、写真で改めて見るとシチューだかカレーだが見分けが付かん(笑)!
CIMG4648
多分こっちがカレー。
両方とも美味しいので、横須賀PA立ち寄る機会が有る人には是非お勧め!
この時に新商品の岡山白桃ソフトクリームを発見して「横須賀で何故に岡山?」と思ったが、週末に再訪する際に絶対に食べるとこれも決定!
う~ん!
佐島マリーナの御蔭で夏季繁忙期と家での仕事で12時間働き内職の某執筆等で連日最低14時間以上働きボロボロの心身も癒され、美味しい物も食べて、殿様にも命日にいつも守って下さる感謝の挨拶出来て、海蔵寺の御住職様とも三浦の御家臣の子孫とも御話で来て良い休日に成った!
ちなみに小生は三浦の殿様も尊敬し同様にライバル北条家の殿様達も尊敬している。
だから、民百姓の為に働いた英雄は英雄で敵も味方も大好きなんだな。これを小生は自分で日本神道に近い考え方だと思っている。

さて、次は週末に海蔵寺に納経し、天然記念物地形の諸磯隆起海岸の写真撮影と三崎漁港海南神社こと筌籠辯財天の例大祭を見学し、紀ノ代で美味しい鮪を食べた休日雑記を書くと思います!

では、又、次の記事で~!
皆さん、蒸し暑い日が続きますので夏バテしませんように~!
ちゃんと御飯食べて、水分補給して下さいね~。

あと、週末は横浜市長選挙です。
ちゃんと林文子市長の支持母体がどんな人達なのか、連投させて問題な支持勢力が背後にいないのか、何でカジノ作りたがってるのに公約に掲載していないのか理由を調べて選挙行って下さい・・・
以下記事参考までに。



平安時代末期~戦国時代まで続いた相模国の小大名、三浦家の聖地と江戸時代に庶民の信仰を集めた神社仏閣や弁財天を祀る洞穴が、ねつ造された嘘の歴史を流布するカルト信仰によって乗っ取られる危機に瀕しています!

以下の事を行って、史跡乗っ取りを阻止して頂きたく、歴史好きの皆さんに拡散致します!

Google mapで以下の●の地名の場所を検索して見て下さい。
( )内が正式名称
●弁財天洞
●小桜姫の祠
 (弁財天洞)
●小桜姫神社
 (諸磯神明社 摂社 若宮社)
以上の場所が明治時代設立のカルトを踏襲した新興カルトに乗っ取られ、Google map上で●表記の施設名称に書き換えれたり、小生や仲間達で正しい歴史を警告するとレビューから削除されます。

実は最後の三浦家の頭領の三浦義意公と房総半島の真里谷武田家出身の側室をモデルにして明治時代に書かれた架空歴史小説「桜の御所」に登場する架空ヒロイン小桜姫をカルトを用いて実在したかの様に広めカルト組織がそれぞれの史跡や別の神仏の崇拝場所を乗っ取ろうとしています。
実在せず、時代設定もハチャメチャな話をさも実話の様に信者や歴史に無知な女性に「縁結びの神」と悪質な情報で勧誘しては自分達の宗教施設の様に事実上乗っ取りにかかっています。
独身女性の結婚願望に付けこみ信者を増やそうとしている訳です。
ソイツ等は❝神奈川県神社庁や菩提寺、菩提寺宗派の曹洞宗とは全く無関係❞の新興宗教系統のカルトです。にもかからず、さも自分達の宗教施設の様に佐原三浦家関係の宗教施設へ、縁結び願望の有る女性達を連れまわしては歴史事実と異なる解説をして信じ込ませています。
このせいで、佐原三浦家最後の武将、三浦道寸公と三浦義意公の菩提寺の三浦氏三崎町小網代に在る海蔵寺は一般参詣不許可の対応をせざるを得ない状況に追い込まれています。

そこで以下のお願いです。
①下記3ヶ所をGoogle mapで検索して、小生達の歴史解説レビューに「」を押して頂けませんか?
●弁財天洞
●小桜姫の祠
 (弁財天洞)
●小桜姫神社
 (諸磯神明社 摂社 若宮社)
②出来れば「情報の修正を提案」から小生が( )に示した正しい名前に戻すように名前を提案して下さい。
●弁財天洞
●小桜姫の祠
 (弁財天洞)
●小桜姫神社
 (諸磯神明社 摂社 若宮社)
③可能ならばレビューに三浦家の歴史書に小桜姫の名前は登場しない事、三浦義意公の妻は真里谷武田家の姫である事、桜の御所の時代設定で架空人物の小桜姫の実家とされる金沢北条家は戦国時代の三浦義意公の佐原三浦家滅亡より200年も前に滅亡した事実、この三点をレビューに書いて頂ければ幸いです。

目的としては、縁結び目的の独身女性達がカルトに入信するのを防ぎ且つ正しい神社の名前と仏教施設としての名前をGoogle mapで取り戻し、史実を周知して頂いた上で女性の皆さんには縁結び祈願に安心して自分で来て頂ける様にする為の対抗策です。
ひいては三浦半島の観光が小説桜の御所の舞台として、そして源頼朝公や三浦家所縁の観光地として正しい形で活性化するのが最終的な目的でもあります。

無論、皆さんのお手を煩わせたく無いので出来る範囲の協力、又は拡散で結構です。

すみませんが、拡散協力願います。

三浦家について詳しい歴史は以下に纏め解説してあります。
http://yoshi-kanagawa.blog.jp/archives/64025466.html
上記URLの解説を参考にして頂ければ幸いです。

仮にカルトを利用してでも観光振興の為にやっているのならば、カルトを巻き込むのは三浦ブランドを落とすマイナス効果しか生まず、周辺自治体にも迷惑をかける行為に成ります。
三浦半島には元々源氏と平家の三浦家所縁の豊富な史跡群に加え、近代の要塞や、アメリカ文化の観光地、そして問題の三崎周辺は風光明媚な夏の観光地や冬のミカン狩りや鮪や松輪鯖や三浦大根のブランドが元々有名な場所です。もっと真っ当な宣伝をして城ヶ島や三崎をアピールして欲しいと願うばかりです。
三浦家滅亡の新井城址は日本最長の4年間に及ぶ籠城戦が展開された名城として歴史好きには有名な場所です。カルトが小桜姫の祠と名を変えて宗教活動に利用している場所も江戸時代に遭難した漁民を助けた強い御利益の在る弁財天様として庶民から崇敬された場所です。
諸磯神明社も天照大神を祀る大切な神社ですし、三浦義意公の奥方が北条勢に捉えられたと伝承する諸磯神明社摂社の若宮社も、鶴岡八幡宮の誉田別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇=八幡大菩薩)の御分霊以外に何者でもありません。神道の信者にとってとても大切な神様達の御社です。
そこをカルトで汚さないで下さい。

三浦には沢山の景勝地と近代公園や自然公園、そして史跡とヤマトタケル神話や三浦家歴史の舞台の神社やと寺も有ります・・・
三浦海岸(海水浴場)
三浦市下浦町~三崎町周辺(西瓜と三浦大根の名産地、冬季はミカン狩り、初春は苺狩り)
江奈漁港(高級ブランド鯖の松輪鯖の漁港)
剣崎灯台周辺(神奈川の景勝50選)
盗人狩り(神奈川の景勝50選)
城ヶ島大橋と城ヶ島の景勝(神奈川の景勝50選)
城ヶ島のホテルや旅館(海に面したホテル、旅館、ペンション多数)
城ヶ島公園(景勝地、自然公園)
城ヶ島灯台(景勝地)
城ヶ島長津呂崎(景勝地)
城ヶ島北原白秋記念館(北原白秋三崎在住時代の解説展示館)
三崎漁港(鮪の水揚げ漁港、昔からの名産地)
三崎銀座商店街(鮪料理専門店が並ぶ商店街)
三浦映画社(三浦半島に映画ロケとドラマを誘致するNPO、過去ロケの作品の紹介場所)
三崎城址(北条氏規公居城)
本瑞寺(源頼朝公別荘跡、後に入舩地区に三浦義意公が開基し江戸時代に現在地に移転た寺院)
油壷湾(神奈川の景勝50選:昭和の映画スターのヨット遊び場)
油壷マリンパーク(皇太子殿下と雅子妃殿下始め皇族の方々のデート場所)
新井城址(佐原三浦家終焉の城)
荒井浜(流鏑馬神事が行われる)
海蔵寺(三浦道寸公開基の寺院、三浦道寸と三浦義意公の菩提寺)
小網代の森(原生林の遊歩道)
荒崎海岸(神奈川の景勝50選)
諸磯隆起海岸(フィリピン海プレートと太平洋プレートの衝突による隆起地形観察公園)
葉山マリーナ(昭和の映画スターのヨット遊び場、商業施設)
大楠山(神奈川の景勝50選)
森戸神社(源頼朝公勧進の三島大社御分霊)
名島(源頼朝公別荘跡の水没した島)
森戸の夕照(神奈川の景勝50選:森戸神社から名島を見た夕景)
鐙摺城址(三浦義澄公拠点)
鐙摺城址出丸旗立山(伊東祐親公御廟所)
秋谷の立石(神奈川の景勝50選)
秋谷海岸(景勝地)
長者ヶ崎(神奈川の景勝50選)
佐島マリーナ(昭和の映画スターのヨット遊び場、リゾートホテルとレストラン)
天神島臨海自然教育園(自然観察公園、佐島マリーナ横)
関口牧場(酪農家、アイスクリーム製造直売)
ソレイユの丘(BBQ等の複合レジャー施設)
披露山公園(神奈川の景勝50選)
住吉城址(平安時代末期三浦義澄公が籠城し、戦国時代に北条早雲公が籠城した城址)
逗子海岸(昔は明治の侯爵達の遊び場、昭和期は太陽族、今はチャラ男にチャラ女の聖地)
逗子マリーナ(昭和の映画スターのヨット遊び場)
逗子市郷土資料館(徳川家別荘)
衣笠城址(平安~鎌倉時代の三浦本家の居城)
大善寺(衣笠城址に在る、鎌倉時代の三浦本家の学問所だった寺院)
満昌寺(源頼朝公が鎌倉幕府設立の立役者の三浦義明公供養に開基した寺院)
清雲寺(佐原三浦家の鎌倉時代~室町時代初期の菩提寺)
怒田城址(和田義盛公の平安時代の居城)
佐原城址(源義経の鵯越の逆落としの作戦を立案した佐原義連公の居城)
田浦梅林(今上天皇生誕記念に植林された4000本超の梅林の公園)
塚山公園(神奈川の景勝50選)
塚山公園按針塚(徳川家康公外交顧問のウィリアムスアダムス=三浦按針公と奥方御廟所)
どぶ板商店街(アメリカ第7艦隊の将兵が遊ぶアメリカ文化の商店街)
戦艦三笠(世界三大旗艦の一つ、東郷平八郎元帥の乗艦)
三笠公園(戦艦三笠が展示された公園、猿島へ渡る船の桟橋)
猿島要塞(明治時代の要塞、日蓮聖人の史跡、縄文時代の遺跡)
信楽寺(坂本龍馬室お龍さん菩提寺、土肥実平公持仏を祀る寺)
走水海岸(日本武尊と弟橘姫の神話の舞台)
走水神社(日本武尊の冠を社殿地下石室に埋蔵した神話の神社)
御所ヶ崎砲台史跡(日本武尊と弟橘姫の仮御所が在った、明治期に神社を壊し砲台設置)
観音崎(神奈川の景勝50選、昭和の映画スター達のリゾート地)
観音崎要塞(明治時代の要塞史跡)
観音崎灯台周辺(今上天皇と皇后様も訪問)
多々良浜(景勝地:貝殻で出来た真っ白な砂浜)
・・・等々、挙げればキリが無く・・・
どこも昭和のリゾート地として映画スター達に人気だった場所や現在の天皇陛下や明治の東郷元帥や三浦家と源頼朝公の大切にされた御寺や御城や別荘の跡、ばかりです。
もしも三浦市非公認のままの観光振興の心算なら、歴史歪曲は三浦ブランドを貶め神仏と歴史偉人を愚弄する行為です。
仮に嘘の歴史を教えられて小桜姫は実在しなかった小説の架空の人物である事を知らず、モデルが真里谷武田家の姫だと知らずに信仰してしまったなら、これからは真里谷武田家の姫様として、小説桜の御所のロケ地として三浦義意公と奥方の真里谷武田家の姫に縁結びを御願いしてみて下さい。

前回の記事が7月30日の休日雑記なので前後してしまうけれど、7月16日の休日雑記も兼ねた❝三崎漁港❞の❝海南神社❞の例大祭を紹介したい。

2016年07月11日が尊敬する三浦義意公の太陽暦での命日だったので連休を取り菩提寺への御参りと御廟所への献花をするがてら横須賀~観音崎~三崎~城ケ島~油壷~諸磯~三浦海岸を旅行した。
…横浜に住んでいるので車で45分程度の距離、本来は宿泊する必要も無いのだけれども三浦半島をたまにはユックリ旅して見ようと思った訳だ。
その時に、宿泊先の給仕係のオバちゃんと三崎城址のローカル知識を御教授下さった三浦市の教育委員会の方に、「週末16日に行われる海南神社の例大祭がとっても賑やかだから是非、見学に来られては如何か?」と観光の御推薦を受けていたので「是非にも!」と約束をした事を守る為にも、美味しい物を食べる為にも御祭りを見学する事にした。
DSC_3615
真ん中で鉾(ほこ)を持ち、天狗面で左右に部下を従えて立っているのが猿田彦(さるたひこ)を演じる氏子サン。
猿田彦は天照大神系の武御雷(たけみかずち)神等、敵方の軍勢を先導し出雲神族の神域への侵攻させた❝出雲系の神様❞で神楽等を司(つかさど)っていた。
だから祭りの先頭にたっているんだろう…

この日の祭りは12時から海南神社で神事がスタートすると三浦市役所の方に聞いていたので家を10時に出て、御寺で写経をして11時に横浜を出発したのだが、生憎(あいにく)と夏季の三浦半島の観光地はどこも繁忙期で高速道路も一般道路も全て渋滞…
三崎漁港の海南神社に到着したのは12時半頃だったが、まだ海南神社の境内では神輿の担ぎ手が気勢を発し大声を上げて町内の人々や観光客で盛り上がっていた。
どうやら三崎町の町内各地区に何基も神輿や山車が有るらしく、地区毎に順番に海南神社で出発の儀式をやるらしい…
DSC_3656
だから商店街にも待機している山車が沢山いたんだね…
先に出発した神輿も見かけたので「もう神社の御祭りは終わったのか?」と勘違い。
だってね…
DSC_3611
お好み焼きの屋台も、❝ちんちん❞焼き(笑)の屋台も観光客が全くいない!
DSC_3609
海南神社に向かう途中は焦って小走りに成ってしまった。
因(ちな)みに❝ちんちん焼き❞なんてハマっ子の小生も三崎町でしか見た事が無い(笑)。
なんか卑猥(笑)な名前だが、オノマトペで「ちんちんに熱い」とか言う熱さを表現する言葉が恐らく名の由来だろう。
しかし、そんな懸念は何のその、到着した海南神社は参道は人出溢れかえり、寧ろなかなか境内に入れない程だった。
DSC_3618
ものすっごい活気!
新興住宅地だれけの横浜市内では廃れてしまった昔ながらの御祭りの活気!
そして漁師町=三浦水軍=北条水軍の町だけあって、参加者の町民がワイルドな人が多い(笑)。
DSC_3628
担ぎ手たちが神輿を持ち上げ激しくゆする度に観客達から「オオぉ~っ‼」と言うどよめきと歓声と拍手が巻き起こる。
DSC_3625
海南神社は狭くはない境内、寧ろ中の上位の敷地が有る。この時は境内に神輿が3基残っていて氏子と参拝客と観光客でゴッチャゴチャ(笑)で狭く感じる程だった。
しかしながら、この様な活気有る御祭りは横浜に現存しないので非常に羨ましい。
実は❝ちんちん焼き(笑)❞の強烈な名前を見て思い出したのだが、多分、小生は過去に数回、この海南神社の例大祭を偶然見ていた。
この神社を支援した鎌倉時代の水軍大将で三浦家当主の三浦義澄公に引き寄せて頂いたんだなぁ~としみじみと思う。
病気で辛かった時期に、本当に三浦半島の海に癒されて回復する事が出来たのも御縁なのだろう。まぁ、当時の彼女さんの存在も有ったのだけれど、三浦家の殿様達にも、昔の彼女にも、三浦の風景にも、三浦の海にも、親切な三浦の人々に感謝しかない。
さて、海南神社はこの例大祭の外にも源頼朝公由来の❝チャッキラコ❞と言う神事が有る。2014-01-15-13-52-26
ユネスコに❝世界無形文化遺産❞に指定されている、町の御祭りだ。
※チャッキラコを紹介した以前の記事は「ココ」←クリック!
頼朝公の宿泊する各季節ごとの異なる別荘が三崎町内にいくつか在ったので、この様な頼朝公所縁(ゆかり)の祭りが伝承しているのだ。
因みに、三崎漁港だけでも❝桜の御所❞と❝椿の御所❞が嘗(かつ)て存在した。頼朝公もこの地の風景と人と食事が好きだったのだろう。同地は源頼家公や源実朝公も滞在されたそうだ。
現在では鮪の水揚げが海外勢に押され気味で江戸時代~昭和初期の活気は無いが、平安時代末期~戦国時代の鎌倉文化と水軍の町の色が現在も多く残る土地でもある訳だ。
DSC_3655
町の中にも幾つも山車や神輿が繰り出すので、次第に普段は過疎に成りつつある三崎漁港が全盛期の活気を取り戻していく…
その様にも感慨深いものが有る。

海南神社の夏季例大祭の賑やかさは伝わったと思う。

ここからを休日雑記代わりの07月16日の日記部分としよう。
御神輿に随伴しながら賑やかな御祭りをひとしきり見て満足したら、大好きな三崎漁港の商店街をプラプラ散歩、つい4日前にも、この三崎に宿泊した直後だけど飽きない。三崎漁港は良い…
DSC_3653
昭和の雰囲気を残す建物が多く有る。写真館とか蔵屋敷とか…
DSC_3530
駄菓子屋さんとか…
DSC_3605
玩具店も…
DSC_3606
懐かしい昭和のオモチャ屋さんぽい感じ。
DSC_3607
この町で育ったら、根性ねじ曲がった人間には成らなそうだ。何だか町全体で子育てしてるような人々の繋がりを感じる。
DSC_3662
三崎町は映画ドラマの撮影にも協力していてNPO法人❝三浦映画舎❞なんて団体がいて、休日だと上の写真の展示館で撮影された作品の撮影中の写真や芸能人のサイン等が展示されている。
仰げば尊し
現在放送中のドラマ❝仰げば尊し❞の撮影にも関与している様で、三浦半島の風景がドラマ中に多く登場する。
その事は最近、ブログで紹介したので御興味有れば見て貰うと、ロケ地が書いて有る。
】←ココをクリックで記事にリンク!

一しきり散歩して御腹が空いて来た所で、昼食をとる事にした。
昼食は城ヶ島でとると決めていた。
DSC_3456
前回、城ヶ島を散歩した際に気に成っていた上の写真、旅館の港屋さんが提供しているヤドカリの味噌汁。
これを食べて見たくて車に乗り移動…
港屋に行く前に北原白秋の歌碑と、記念館を見に行った。
DSC_3666
余り知られていないのだが城ヶ島にも砂浜が有って、そこに白秋記念館も在る。
行くには上の写真の石碑の建つ遊歩道を歩いて行くと良い。
DSC_3677
そこを抜けると城ヶ島大橋の橋脚の下の砂浜に出る。
DSC_3670
北原白秋は東京で隣家の奥方と不倫の後、その奥方の離婚成立を待って略奪愛の末に結ばれて、世間の批判から逃れる様に静かな三浦半島の最南端の三崎に新居を構えたそうだ。
DSC_3671
白秋記念館の職員の方に教えて頂いたのだが…
その時に作詞した歌❝城ヶ島の雨❞の歌詞の舞台がこの島なのだが、当時、姦通罪に問われたり父弟が商売に失敗したり暗い時期の作品なので歌詞も暗い描写に成ったそうだ。
…因(ちな)みに、その不倫の末、結婚した女性は松下俊子さんと言うのだが、1910~1914年の僅(わず)かな期間で結婚生活は終了したそうだ。

北原白秋関連の場所の見学を終えて、港屋に移動。
DSC_3678
港屋は眼前に磯が広がる。露天風呂も有り、親子連れが宿泊すれば良い夏休みを過ごせるだろう。上の写真は港屋の庭からの眺望。
しかし小生の目的はヤドカリ…
13737628_1043711782378242_4993883203102795178_o
でこれが、シラス丼とヤドカリ。
食べてみたら出汁が美味しかったが、ヤドカリはグロテスク過ぎて箸を付けれなかった(笑)。
シラス丼はただシラスを載せただけでなく、御飯に紫蘇の香りがして、とても美味しかった。
周りの客層は熟年夫婦~若いカップル、友達同士と見える連れ等、幅広い年齢層の御客さんで賑わっていた。
前回、この旅館に興味を持った時は平日の昼間に散歩に来たので余り活気は無かったが、この日は土曜日だったので非常に多くの観光客で賑わっていた。
どうも京浜急行電鉄と城ケ島・三崎町がタイアップしているらしく、その観光客が多いようだ。
DSC_3680
だからかは不明だが、多くの芸能人も宿泊しているようだ。
まぁ~これだけ眺望の良い旅館で新鮮な地魚料理を食べれるなら人気あるのも納得。
…いつか泊まりに来よう。

さて…
城ヶ島散歩と腹ごしらえも済み、小網代地区は移動する事にした。
DSC_3683
城ヶ島からは車で20分位だろうか?
小網代には戦国時代最後の三浦家当主である三浦道寸公が開基した海蔵寺と言う御寺が在るのだが、前回の訪問時が丁度、新井城落城から500年、三浦道寸公と三浦義意公の500回忌に当たり、御住職に納経を依頼されていたので約束を果たしに写経した般若心経を持参した次第だ。
小生の遠い遠い祖先は古事記にも登場する、国造で、嫡流の御子孫は大宮司家だったりするのだが、小生は延喜式神名張を編纂させ古代の信仰と文化を守ろうとなされた醍醐天皇の時代の価値観を大切にしているので宗教観的には平安時代の人々や鎌倉武士達と同じ神仏両方とも等しく大切に思っているので、神社も御寺も大好きだったりする。
それとは別に文化的な物が大好きなのでキリスト教の教会の荘厳さも又別格に好きだったりイスラム教のモスクも素敵だと思うし、キリスト教の慈愛の精神とイスラム教の友愛と互助の精神も大好きだったりする。
寧(むし)ろ無宗教の連中が嫌い…
宗教を下に見て先人への敬意も払わず文化と史跡を破壊して回るマルクス主義者とかね。
DSC_3684
海蔵寺は一般参拝不可、飛地の境内地の三浦道寸公・義意公の御廟所への立ち入りも一般は不可なのだが、小生は御住職に三浦家や先人に対するリスペクトと宗教的にも神仏を大切にしている事を認知して頂けたので、御寺への参詣と御廟所への参拝の自由の御許可を頂いている。
今回、尊敬する三浦家最後の殿様の御二人500周年に納経の機会を与えて頂いた事は非常に光栄だった。
どうやら、小生の納経した写経は他に依頼した32人の方の分と共に、経塚に入れられ名前が塚に残るそうだ。
これで殿様が三浦の民に愛された歴史が後世に伝わって行けば良いなぁ~と願いを込めて奉納した。
DSC_3686
小生は佐原三浦家と最期に敵対した北条家の善政も尊敬し、北条早雲公・北条氏綱公・北条氏康公と玉縄北条家の北条綱成公もリスペクトしている。そして北条家と対立した扇谷上杉家の中で最後の鎌倉公方に忠義を尽くした武士の鑑とも言える上杉氏定公、扇谷上杉家の家臣で北条早雲公と三浦道寸公の両方とも盟友だった名軍師の太田道灌公も尊敬している。
なので、写経の為書は三浦家の殿様の供養祈願と共に関わった方々の供養祈願ともさせて頂いた。
この様な敵味方問わずリスペクトするのが本来の神道の寛容な価値観でもあり、柔和で静かな哲学を基本とする仏教との親和性でもある訳だが、それこそ日本人の習俗の源だと思っている。
…良く遊び、最後に尊敬する方々へ日本の発展の一端を担って下さった事に対する感謝も感じた有意義な一日に成った。

帰路は横浜横須賀自動車道で帰るのだが、三浦縦貫道路を通らず、一般道から横横に移動した。
DSC_3688
目的は行きつけの農家、石井農園の直売所❝ザ・作兵衛❞に作兵衛ブランドの西瓜を買いに行く為(ため)だ。
ここの西瓜は独自の❝作兵衛ブランド❞で売っているのだが、本当に美味しい!
ここで夏は西瓜や瓜、秋~冬は大根や蜜柑、初春にキャベツを買いに来る様に成って、もう10年位に成ると思う。
毎年何回も買いに来る。近所に横浜南部市場や小柴ファームと言う産直の販売所が有っても、作兵衛には絶対に季節の果実と野菜を買いに来る。この石井農園が好きなんだな~。
今年は看板娘の御婆ちゃんは骨折して治療中、残念ながら会えなかった。無事に治ります様に…
DSC_3696
今年は家族様に普通のサイズを1つと、自分用(笑)に小玉西瓜を購入。
IMG_20160716_205713
中にスが入ってるから安くすると言われた通り割れていたがギッシリ実がつまっていて、しかも今年は特に良く出来ていて甘い!
てな訳で、八月中に又買いに行く事にした。
DSC_3691
三浦からの帰路、最早、恒例に成っている横須賀PAに立ち寄りって買い食い。
DSC_3695
湘南ゴールドと言う湘南地方で生産されているグレープフルーツのフレーバーのアイス。
悪くなかった。てか、なかなか美味しい。

ふむ、歩いて知識詰め込んで感謝して充実した良い休日を過ごせた。



07月10日②の休日雑記の続き。

三連休をとり、三浦半島を旅行した11日最終日、朝は宿泊地の三崎漁港、その三崎に戦国時代に小田原北条氏が三崎衆を編成し戦国後期の三浦水軍拠点として運用した❝三崎城址❞周辺を散策し、鎌倉時代に源頼朝公が❝桜の御所❞と言う別荘を置き同地に戦国時代の初期に三浦義意(よしおき)公が開基した本瑞寺(ほんずいじ)を訪れた事、その本瑞寺と三浦義意公のイメージで創作されたのが小桜姫伝説の基に成った❝桜の御所❞と言う小説だと言う事を前回の休日雑記で紹介した…。

実はこの日、2016年07月11日は道寸公と義意公が、日本史上最長の4年間と言う籠城戦を戦い抜いた新井城(油壷マリンパークの半島が主要城址)の落城から500回忌に当たる。

この三連休、訪問の一番の目的は❝三浦道寸公と三浦義意公の命日❞の御廟所参詣と献花だった。
その為(ため)、車に乗り込み三崎漁港を後にして最終目的地の❝新井城址❞=油壷マリンパークの半島へ向かい、先ず予(あらかじ)め三浦道寸、義意公の御二方の菩提寺である❝海蔵寺❞に御住職を訪問する前に、道寸公の名を冠した❝道寸餅❞と言う銘菓を売る❝なこう❞と言う御当地の和菓子屋を訪れた。
DSC_3543
ここは小生、三浦に良く来るように成り始めた頃、道寸公の名を冠した看板が目に留まり道寸餅を購入して以来の御付き合いに成った。
小生は三浦家と北条家、不運にも主家古河公方家の内紛によって敵対した両家の武将に尊敬する偉人がいる。
特に崇拝しているのは、1人は小田原北条家の名将北条綱成公、もう1人が三浦義意公、両将とも智・仁・勇を兼備した名将だったが義意公は家運に恵まれず、韮山城主で北条家創業者の伊勢盛時公と其(そ)の子の氏綱公によって攻め滅ぼされる事に成った。
両家とも素晴らしい名将を多数輩出している。
DSC_3600
※道寸餅
道寸餅を自宅用と、海蔵寺様への奉納様に2揃(そろ)え用意して貰い、御住職との面会の準備も整い海蔵寺へ移動。
DSC_3545
海蔵寺は小網代の森の西の端、長い階段の上に所在する三浦義意公の御父君の三浦道寸公が開基した御寺だ。
道寸公と義意公の御廟所へ参詣の許可を御住職に頂いていたが、御寺と離れた御廟所を参詣する前に御住職に御挨拶に伺った。道寸餅は、その菓子折り。
御住職は小生と同じで、先人への尊敬や神仏への信仰心を持たない❝俄(にわ)か歴史ファン❞と❝エセ歴史学者❞が大っ嫌いな人物。
御住職がそう成ったのには、いい加減なデマの小桜姫伝説を広めた霊能者気取りの人間と、ソレを商業化しようとした連中に責任がある。
DSC_3550
この明治時代に流行した創作時代劇小説❝桜の御所❞を史実と鵜呑みにした無学な霊能者気取りの人物が書いた史実と全く異なる小桜姫伝説を信じ込んだ連中、つまり騙された人が大挙して押し寄せた事が有った。
先人を冒涜する行為に成る自覚もしない❝御寺マニア❞と❝縁結び巡礼の女性❞が、信仰心も先人への尊敬も無く大挙ズラズラと集団で御寺を訪問し、本堂も拝まずに帰ったり、油壷マリンパーク横の(新井城址)に飛地の海蔵寺寺領にある道寸公と義意公の御廟所に無許可で入る不法侵入が横行してしまったのだ。
御住職は、小桜姫を実在の人物と誤認して心霊スポットとして広めたエセ霊能者詐欺師に怒り、無礼不見識な女性達に嘆(なげ)いておられる。
だから、海蔵寺は一般非公開にせざるを得なく成った。
ちなみに、そのいい加減な小桜姫伝説に踊らされた霊能者気取りの人物はTVにも良く出る江原と言う人物だ。
でも本当に彼に霊感が有るなら、小説と史実の相違も気が付くだろうしウソくらい気が付いただろう。
DSC_3551
御住職様には、小生が平安時代の平良文(たいらのよしふみ)公以来、三浦義継公、三浦義明公等の歴代三浦家の殿様を尊敬し御廟所を参詣している事、道寸公の御実家である扇谷上杉家の所縁の神社仏閣も巡ってきている事は御存知なので❝海蔵寺参詣と御廟所への献花の自由❞を認めて頂いている。
それでも、御廟所を御参りする前には、ちゃんと御住職様には御挨拶に伺い、本堂で御参りしてから油壷の御廟所を訪問する事にしている。
この日も御住職に御会いして、改めて御廟所訪問の御許可を頂いた。
丁度御寺では500回忌もあり、経塚を建設されるそうで御住職様から小生へ最初の33人の納経者に成る様に光栄な役割を依頼されたので写経用の和紙を受け取り、一週間後に納経に来る約束をして海蔵寺を後にした。
新井城址と海蔵寺周辺の位置関係は下の衛星写真の通り近い。
正しい小桜姫神社の神社の位置新井城址周辺の位置関係 久良岐のよし
しかし、周辺は城址と言うだけあり、地形は複雑に谷が入組み直進は出来ず、車では10分程かかる。
海蔵寺の在る小網代湾は新井城址の北側の湾で、水掘り不要の半島城の頑強な守りを担っていた。
つまり海蔵寺~新井城址の遺構残存部は直線距離にして1km程と極近い。
現在、関東大震災による三浦半島の隆起と海岸の埋め立てで、小網代~新井城址まで徒歩で海辺伝いに行く事が出来るが、戦国時代は新井城址の半島の岸壁は海波に洗われていたので鎧武者の行く手を阻む海だった。
DSC_3556
駐車場に車を停めて、おみやげ物屋の御婆さんに久々の挨拶をしてから御廟所へ移動。
DSC_3557
花は近くのコンビニで売っていたので2揃え2組、合計4本の花束を購入した。
IMG_20160312_164451
先人への敬意から、御廟所の写真は撮影しない主義なので、御廟所入口に海蔵寺さんが建立した新井城合戦石碑を掲載する。
この奥に三浦義意公の御廟所、一段下がった恐らく戦国時代は物見曲輪か船着場だった場所に道意公の御廟所が在る。
無事、献花を終えてから、油壷の浜に降りて海沿いを散歩しながら地元の人々が弁天洞として崇敬する洞窟に向かった。
DSC_3562
弁天洞へは荒井浜から廻るのだが、この日は道寸公の御廟所の方の浜をユックリ散歩しながら遠回りして相模湾の景色を楽しむ事にした。
DSC_3567
この三浦半島の磯は場所々々で異なった風景を見せてくれて飽きない…
米が栽培できない地質なので、却(かえ)って様々な西欧野菜の栽培が盛んに成った。
東京湾と相模湾と太平洋の三方に面しているので、様々な種類の魚も獲れる。
その上、天気が良いと江ノ島~大山~丹沢~箱根~伊豆~富士山が一望出来る。
だからこそ、逗子・葉山・秋谷・佐島・三崎は明治時代~昭和中期まで別荘地として富裕層が集まった。
DSC_3569
そして、相模湾側は太平洋から直接潮流が流れ込む上に、人の多い湘南地区からも離れているので海水の透明度が高い。
この日は面白い写真が撮れた。
DSC_3574
波が、隆起した縦の地層にぶつかり真上に飛沫(しぶき)を上げる瞬間。
こんな場所をゆっくり散歩していると、岩場は段々険しく成り、そうこうするウチに❝江原が二重に勘違いして小桜姫神社と嘘の紹介をしてしまった弁天洞❞に辿(たど)り着く。
IMG_20160711_155541
小生はココ話しは三浦家家臣の御子孫に教えて頂いた。
一般人は探し出せないだろう。
昔からここは弁財天様が祀られる様に成ってから❝弁天洞❞だった。
先に正しい民話を教えて頂いていたので、❝霊能者気取りの人物が誤認して広めた誤った小桜姫伝説を歴史オタクの小生の知識とと三浦同寸研究会の見解で正しておく❞事にしよう。
この油壷の新井城址の弁天洞は小桜姫弁財天と言う名前では無い
ここの弁天様は昔から辨財天とだけ呼ばれていた
※何故辨財天が鎌倉文化圏で洞穴と遊水地に祀(まつ)られるか以前書いた【】の記事の中の【宇賀福神社=銭洗い弁財天】の紹介で触れているので、其れを参考にして貰いたい。
IMG_20160711_155624
この油壷、新井城址の弁財天様については、改めて独立記事で詳細に紹介するが、ここは❝漁師が遭難して行方不明に成った際に、折れていた弁天様の首を元通りに繋げて願掛けをしたら、行方不明に成った漁師が藤沢辺りの浜に流れ着き、生きて帰って来る事が出来た御利益の有る弁財天様❞であって、小桜姫伝説とは全く関係ない。
多分、霊能者気取りの人物は何かの明治時代の浅野と言う名のカルト宗教家が同じ様に小説❝桜の御所❞と言う本を読んで事実と誤解して書いた本か何かを更に鵜呑みにした挙句、良く調べもしないで新井城址に在る神社だから小桜姫神社として紹介してしまった訳だ
実は、小桜姫神社は油壷ではなく別にちゃんと諸磯神明社の摂社として存在する。
正確に言うと、そこは小説桜の御所の小桜姫と、地元の新井城址籠城戦の時に三浦義意公の奥方が避難した諸磯で敵勢に捕ってしった秘話が合わさり、小桜姫神社のモデルと成っている。
霊能者気取りの人間の事実誤認は御粗末過ぎて、多くの宮司様や和尚様、郷土資料を司る学芸員サンや司書サン達と交流のある小生からすれば…
「へぇ~霊能者ねぇ~(笑)」
「霊能者なら小説と本当の史実の相違点に気付くだろうに(笑)」
「まして小説の登場人物設定は金沢北条氏、この時代の北条氏は伊勢氏流北条氏で時代に誤差200年を筆者が故意に設定し事実誤認を招かない様にして下さっているのに(笑)」
「義務教育で散々習う❝鎌倉幕府❞と❝下剋上❞で勉強してる筈(はず)なのに無教養って不幸だね(笑)」
…と言った感想しか湧かない(笑)。

ところで、油壷の弁財天様は如何(いか)にも鎌倉文化圏らしい場所に祀られている。

この弁天様が洞窟にいらっしゃり、且(か)つ偶像崇拝の対象に成っているのは、三浦家や三浦半島の人々が鎌倉時代以前からの源氏の御家人であった事から、その文化を受け継いだ名残だろう。
IMG_20160615_142609
鎌鎌倉には銭洗い弁天=宇賀福神社と言う場所が在る。
そこを訪問すると文化の変遷に興味が無い人でも鎌倉文化の弁財天信仰には色んな神様が習合されているのが良く解る。
古代日本の豊かさの象徴の神様だったのは❝宇賀神=宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)❞だ。
宇迦之御魂神は別の漢字で❝=倉稲魂命(うかのみたまのみこと)❞と書くので、名前からしても縄文後期~弥生時代頃に米穀類の水耕栽培が始まって穀物を保存できる様に成った頃に誕生された神様だろう。
日本の神の系譜で倉稲魂命(うかのみたまのみこと)は、須佐之男命=素戔嗚尊(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の間に生まれた神様だ。
南関東の❝延喜式内社❞の古社全てが素戔嗚尊や其(そ)の御神孫の出雲系の神、又は日本武尊(やまとたけるのみこと)か伊勢系と異なる土地神様が主祭神だ。
この事実と考古学と神話の整合性から、素戔嗚尊が縄文時代から弥生時代に変革させた、つまり稲作を関東地方に導入せしめた人物が神格化さた神号(しんごう=偉大な人物に死後送られる神としての名)だろうと思っている。
素戔嗚尊が稲作を普及させた王だからこそ、その妻が奇稲田媛(くしなだひめ)と名に稲田の字が入り、子が倉稲魂命の漢字を当てられる神に成ったのだろう。
 ↓
その後、日本武尊は青銅器導入を南関東一帯に普及させて弥生時代を終わらせた人物だろう。走水神社の西暦100年代の伝承とも整合性が有る。この時代には既に先進地域だった北九州の王族達は中国と交易によって青銅器を導入していたから恐らく間違いない。古代の大将軍や関東知事として九州の叛乱を鎮定し東日本に青銅器を導入し軍事編成を整えた偉大な王子に当てられた神号が日本武尊だったのだろう。
 ↓
IMG_20160615_143906
平安時代末期~鎌倉時代初期に成ると経済活動が米穀や海産物等の直接の備蓄出来る食物の物々交換から、❝貨幣経済❞に変わった事で豊かさの象徴が❝米穀❞から❝銭=金❞に変わった。だから源頼朝公によって財神として日本で信仰されていた宇迦之御魂神=宇賀神=倉稲魂命に、古代インドの財神である❝サラスバディー❞を漢字訳した弁財天が習合された。
だから、鎌倉文化圏や三浦半島では弁天様や宇賀神を湧水地や洞穴に祀る習慣が今も残る。

鎌倉時代~室町時代に成ると、武士達に弁財天は水神であり軍神でもある事から泉や海の航行の神様としても信仰される様に成った。
IMG_3526
その最も有名な場所が欽明天皇が勅願所と定めた霊場の洞穴に、源頼朝公が八臂弁財天(はっぴべんざいてん)を奉納し祀(まつ)った写真の江ノ島辨財天だろう。
関東の鎌倉御家人の関係した土地の弁天社は、この江ノ島弁財天の御分霊が多いはずだ。実際、関東の弁天社の大半は鎌倉武士団の居館跡や城址、又は武士が鶴岡八幡宮から勧進した八幡社に近在する。

幕末に成り武士の時代を変革しようとし始める維新志士たちの勢力が胎動しだす頃、伊勢神道による思想統制をされ、明治時代に成ると❝国家神道❞が正しいとされた事で水神様として弁財天と似た御神威を持つ❝一杵島姫(いちきしまひめ)❞が習合された。

明治時代に成り近代化が進むにつれて、時代遅れの印度由来~中国経由の仏教文化を否定する風潮が強く成り、更に明治政府の神仏分離令と廃仏毀釈運動で仏教経由の古代インドの神である弁財天が否定され、現存する昔は❝倉稲魂命信仰❞から始まった全国の❝弁財天❞信仰の御社(おやしろ)は❝一杵島姫❞に名を変える事に成った…

新井城址の洞穴の弁天様は遭難した漁師を生還せしめた強い霊験有る弁天様だ。
弁財天様=サラスバティー神は美の女神でもあり、2柱の男神と結婚した神話も有るので縁結びの神様としての御利益も有る
だろう。
ただし!ちゃんと小桜姫では無くて、弁財天様として崇敬すればだろう。
…それも一方的に「男と結婚させてくれ~良い彼氏と付き合わせてくれ~」と信仰心や、神社仏閣に関わった歴史偉人へのリスペクトも無くただ御願いする人は、神様にも仏様にも怒られるだろう。
小桜姫は小説の架空の人物だが、名前が小桜だったかも知れない、実在した三浦義意(よしおき)公の奥方と側室は別にいる。房総半島の小大名、真里谷武田氏の二人の姫君だ。
だから、小桜姫と呼ばれたかも知れない真里谷家の姫に縁結びを御願いする成らば、「真里谷の小桜姫様」と名を正しく呼んで、小説の架空の人物の金沢北条家の小桜姫と分けるべきだ。
もっとも、当時の女性が歴史書に名を残す事はほとんど無く、小桜姫の名が登場するのは明治時代の歴史ファンタジー小説❝桜の御所❞が最初なので、縁結びを姫君に御願いするなら「真里谷の姫様」に御願いするべきだろう。
ではどこに行けば❝三浦家の奥方様が逃げて来て敵に捕まった伝承の有る小桜姫神社のモデルに成った御社の所在地❞に行けるのか…
IMG_20160711_161347
明治時代に小桜姫神社のモデルに成った伝承の有る場所には、弁天洞を後にして、駐車場を戻る道すがら荒井浜の御洒落(おしゃれ)な海の家の前を通り、この新井城址を離れる必要が有る。

せっかく、小桜姫伝説(江原の嘘を含む)の場所に2箇所も関わったので、明治時代の小説❝桜の御所❞の流行で正しい小桜姫神社の❝小説のモデルに成った舞台❞として明治時代以来、地元の人々に認知されている正しい小桜姫神社にも入ってから横浜に帰る事にした。
正しい小桜姫神社の神社の位置新井城址周辺の位置関係 久良岐のよし
正しい小桜姫神社の場所は、三浦義意公の奥方が逃げて来た伝説の有る油壷湾と反対側の❝諸磯湾❞側の❝諸磯神明社❞だ。
DSC_3578
こちら側から湾を挟んで新井城址が見える。
DSC_3581
又、詳しく小桜姫伝説と小桜姫神社の真相の解説は独立記事にするが、今回は重要な事だけ書いて置こう。
江原は恐らく小桜姫神社を探そうとしたが、新井城址に神社らしいものが無いから弁天洞を小桜姫ゆかりの場所と紹介してしまったはず。
そりゃそうだ、小桜姫神社なんか昔から存在しないが、モデルに成った神社なら存在する。
だから小桜姫神社の名前を探しても見つからなかった筈だ。
しかも、明治時代の❝小説桜の御所❞の流行による観光客の増加で観光客に対応する為に小桜姫神社とされている場所も、この諸磯神明社の摂社の❝若宮社❞だから名前も根本的に違う。
2015-01-07-17-53-20
※写真は鶴岡八幡宮、神仏習合の名残で仁王像=金剛力士像が安置されたいたであろうスペースは廃仏棄釈により随神門と成っている。
※鶴岡八幡宮の東側、鎌倉国宝館や横浜国大付属小の場所は鶴岡八幡神宮寺の寺院部分だった。
※八幡宮の総本社、石清水八幡宮の本殿横には今も仏像を祀る部屋が現存し保存されている。
若宮社と言うのは、源頼朝公の時代の「鶴岡八幡宮」の事だ。鶴岡八幡宮は元々は❝元鶴岡八幡宮❞=❝由比若宮❞に在った。それを頼朝公が現在の鶴岡に社殿を造営し御遷座され奉ったので、当時の人から見て新しい鶴岡八幡宮は❝若い鶴岡八幡宮❞=❝若宮❞と呼ばれた。だから、この時代に関東で鶴岡八幡宮の御分霊を頂いて造営された八幡社は現在も名前を❝若宮八幡宮❞とか❝若宮神社❞と呼ぶ場所が多い。
しかし、八幡宮の御祭神は明治時代に成るまで❝八幡大菩薩❞と呼ばれ神仏習合の神宮寺だったので、歴代天皇家の価値観を否定する明治時代の国家神道による神仏分離令や廃仏毀釈と言う愚かな政策で、其の多くが破壊された歴史が有る。
だから、今残ってる八幡社の多くは御祭神の名前を❝八幡大菩薩❞から→❝八幡大神❞に変更して純粋神道の神様としたり、八幡大菩薩が習合された❝誉田別尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇❞の名を改めて主祭神とする事で存続させる努力をした歴史が有る。
だから、諸磯神明社の若宮社は❝小桜姫の神社❞とする事で存続を計ったのだろう…
DSC_3593
なので、世間で小桜姫神社と呼ばれるこの御社は❝小桜姫若宮社❞と呼ぶのが正しいと思う。
その御社は、諸磯神明社の本殿後方に並ぶ摂社の左側から二つ目の上の写真の御社だ。
これは、郷土史も読まないで適当な事を言う❝エセ霊能者❞には解らないし探し出せない場所だろう(笑)。
或いは本当に偽霊能者達に霊能力が有れば、ここを探し出せたろうに(笑)。

根本的な話しを強調し繰り返すが…
❝小桜姫❞と言う人物は歴史文献に一切出て来ないし、明治時代に成って初めて登場する名前だ。
史実では三浦義意公は、真里谷(まりやつ)武田家=房総半島の武田家の姫君が正室と側室として婚姻関係にあった。
この姫と、三浦家を攻めた北条家の立場を入れ替えて三浦家滅亡後に三浦半島~鎌倉を支配した北条家に逆襲し房総から攻め込んだのが正木家(三浦家分家)で、その合戦は❝鶴岡八幡宮合戦❞と呼ばれている。
この合戦や北条家と三浦家の立場を入れ替えて、かつ源頼朝公の桜の御所跡地に建つ本瑞寺のイメージと三浦義意公の新井城落城等を素材にして書かれたのが明治時代の小説❝桜の御所❞で、そこに登場するのが真里谷家の姫君と桜の御所のイメージをモデルにしたと思われる❝小桜姫❞と言う架空の人物な訳だ。
DSC_3446
※写真は城ヶ島の小桜観音。

だから、結婚したくて縁結びの小桜姫詣でをする女性陣には、いくつか諫言(かんげん)をしておこう
小桜姫の実家設定の金沢北条家は三浦義意公の生誕の約200年前に滅亡している、だから小説家も小桜姫を架空の人物でフィクションとして、色んな史実を混ぜて創作している事を念頭に置きなさい。

歴史家でも無いイカガワシイ人間が適当に書いた本を鵜呑みにしないで、自分で歴史書を読み込んで調べなさい。そんな姿勢じゃ❝ロクでも無い男に捕まる❞か❝結婚詐欺に遭う❞だろう。」

「確かに、弁天様や若宮社には御利益が有る、小説のヒロインの小桜姫の聖地(小説舞台)巡礼が流行したのが原因で、後に小説の存在と歴史を知らない後世の人によって、いつの間にか小桜姫が実在したと誤認される様に成ったが、実際には三浦義意公の奥方と側室の真里谷の姫がいたので、拝む事で真里谷の姫の御利益も得られるだろう。だから小桜姫の御名の下に縁結び祈願するなら小桜姫神社(神明社摂社社若宮社)で❝真里谷の小桜姫❞として拝みなさい。小桜姫と言う名が架空の名でも、正しい姓に美しい渾名(あだな)を加えるならモデルに成った真里谷武田家の姫様も喜んで願いを叶えてくれるだろう。」

油壷の弁天様は小桜弁天では無く弁財天なので❝弁財天❞として拝みなさい。

「普段から歴史や神様や先人に対して無関心な癖に願い事だけしている、その利己的な姿勢が出会いを遅らせるのでは?態度を改め、普段からの歴史と伝統を大切にして神社仏閣を御参りしなさい。」

「エセ霊能者に一々影響されず、利己的に縁結び巡礼するだけでなく、普段から自分の祖先神の氏神様と守護仏、或(ある)いは自分の崇拝する教会やモスクの神様を大切にして普段から信仰と文化と歴史を大切にしなさい。

まぁ、それだけ熱心に願掛けする情熱が有るなら、普通に普段から文化と伝統を大切にして、通りがかる神社仏閣を御参りしながら利己的な願掛けじゃなくて日常的に神様と仏様と御先祖様を大切にしてれば、歴史好きな男性や神職や跡取り和尚様等と知り合い、そこが男性との出会いの場に成るかもよ?

…そんな説教をしたく成る女性の何十人もの集団を見かけた三浦旅行最終日だったが、色んな神社の宮司様や御寺の和尚様と交流の有る歴史オタクの❝説教❞としてはそんな所かね。

帰りは横須賀PAで好物の日本蕎麦を食べて帰った。DSC_3598
信仰の在り方や、神社仏閣や先人に対する姿勢を考えさせられる最終日だったが、実際に廻った場所全て素晴らしく、行く先々で関わった人々も優しく親切で沢山色んな話を出来て良い三連休を過ごせた。

07月10日①の休日雑記の続き。

2016年07月10、早朝の城ヶ島散歩を終え、ホテルに帰り用意されていた朝食を美味しく頂いた後、朝風呂に入り、その後の予定を確認してからチェックアウトの時間までユックリ二度寝させて頂いた。
この日の昼前の散策予定は三崎城址と、当時から存在する周辺の史跡。そして三崎町の観光漁港うらりでの昼食がわりの買食いだった。

ホテルを出て、三崎漁港の駐車場に車を移動し、最初に訪れたのが商店街を抜けた先に在る北条湾…
DSC_3459
ここは現在、漁船の係留される場所に成っているが、戦国時代末期には三崎城の城将、北条氏規(うじのり)公が三崎城主として管理する三浦半島水軍の根拠地として漁船の他に軍船も係留されていた軍港だった。
北条家の水軍基地だったから❝北条湾❞と現在呼ばれる訳だ。
不運な運命で、主家古河公方家の外交政策によって、それまで同輩(ともがら)だった小田原北条家と佐原三浦家は敵対せねばならぬ間柄に成ってしまう。
これが、前回の休日雑記で紹介した❝小桜姫と言う架空の人物❞が明治時代に作り出された物語の基に成った史実だ。しかし小桜姫の基に成った奥方はいた訳で…DSC_3482
まぁ、その話は又、改めて解説するとして、釣鐘状の形をした北条湾の付け根に行くと橋が架かっていて、その名も❝北条橋❞と言う。そして写真右手に見える丘一帯が三崎城址だ。
成る程、海は穏やかで城址は江戸時代の石垣城では作り出せない扇谷上杉流と北条流の築城術のコラボ城址らしく、堅固さの基に成った自然の断崖が城郭外側に構えている。
北条湾の直ぐ横には❝諏訪神社❞が在る…
DSC_3465
城しか調べない学者、戦史しか調べない学者、宗教哲学しか調べない神職僧侶がいるが歴史と言うのは自称❝歴史オタク❞の小生に言わせれば、宗教施設の伝承や記録、城址周辺の地形、城主の崇拝した神様の種類と仏教の宗旨を把握していないと色んな事を見落としてしまう。
例えば戦国時代の北条家は軍神として、この❝諏訪神❞か❝八幡大菩薩❞を城の守護神として城址近くに祀る傾向が有る。
南関東の山城として良く雑誌でも紹介される津久井城・伊豆箱根山中城等は、正にその典型だ。
ここ三崎町の諏訪神社はきっと多くの水軍武将達の崇敬を集めた事だろう。
DSC_3467
ところで、戦国時代も後半に成ると、北条家は初期に編成していた❝五色備え❞と言う方面軍制度を解体し、軍隊編成を地方別所属制に切り替える。
この三崎城は❝三崎衆❞の拠点と成り、鎌倉郡の一部と三浦半島の武将達で構成される編成と成った。
そこに小生の町、横浜市の❝宅間上杉家❞の殿様も三崎城主:北条氏規公の与力として編成された。名を宅間上杉規富(のりとみ)公とおっしゃった。
氏規公から一字拝領した様で、名には❝規❞の字が入っている。宅間上杉家の通し名は❝憲(のり)❞後に❝乗(のり)❞の字に成っていた。宅間上杉規富公も恐らく最初は❝上杉乗富❞と名乗っていただろう。
さて、この諏訪神社は改めて、いつか解説記事を書くとして…
DSC_3481
ここから三崎城址の遠景を見て、改めて三崎城址の丘の東端の一帯は雑木林もあり土塁等の遺構が有りそうだと推測、地形的にも武士達の住む根古屋(ねこや=城将達の集落)とする谷戸(やと=谷の入口に関所を設けた住宅地)に打ってつけの地形だったので、登城口として怪しそうだと推測した…
三崎城推定範囲 久良岐のよし
諏訪神社を降りて、付近の住人の方に質問をした所やはり上に登れる歩道が有るとの事で、そちらから散策する事にした。
三崎城も、いずれ詳細に解説を書くので今回は端折(はしょ)って散歩した時の写真を載せると…
DSC_3483
もう、如何にも北条家の山城でございと言った定番の細さと屈曲した道。
多くの現地を自分の足で廻って自分の目で確認しないバカ学者と雑誌記者と自称歴史家は「三崎城址は跡形も無い云々」書くが、小生が地元の人に現地でリサーチして実際に登って見ると土塁も一部現存し、更に大堀切なんかがちゃんと生活道路としても残っていた。
DSC_3490
その場所は戦没者慰霊堂、ここが三崎城址東端で諏訪神社から見えた雑木林だ。
あの細い道を登ってくると、腰曲輪と思しき崖の上の削平地が有り、そこから台地上に繋がる場所には大人数の通行を制限し行く手を阻む構造の土塁状の盛土と、土塁を切った入口状の道が現存していた。
これ、御城ファンなら小生ならずとも見た瞬間に…
「あ、これ多分搦め手の虎口だな」
…と、解るだろう。
DSC_3499
この削平地を囲むように土塁状の盛土が残っている。もう間違いなく当時の土塁遺構だろう。
土塁はここしか確認出来なかったが三崎城址は、ここを通り過ぎて更に旧三崎中学校を過ぎると、閉鎖された福祉施設辺りの地形は出丸の様な掘り切られた場所に橋を架けて有ったり、土塁は現存しないモノのそこかしこに縄張りを予測可能な地形が残っている。
旧三崎中学校の前には城址案内看板が有った…
DSC_3506
が!
DSC_3507
…しかし看板の白化が激しくて見えない(笑)。
丁度、先程の土塁や堀切と推測した場所の成否も確認したかったので、市役所に移動。
市役所の方を通じて、三崎町の教育委員会で三崎城址に御詳しい方にアポを取って頂いて、詳細を御教授頂く機会を得る事が出来た。幸運だ。
DSC_3512
なんと、三浦市役所の来朝者対応部門以外の各施設は旧三崎中学校の校舎に移転しており、なんだか不思議な感じだった。
もう丸っきり中学校の校舎。日本の中学校に入ったのはもう云十年ぶりだ。
昼の中学校にオタクが忍び込んで変な事をしている様な危ない感じ(笑)?
ここでは、城址が破壊される前にちゃんと編纂した資料が有り、赤星直忠氏著作の「三浦半島城郭史」と言う本を御紹介頂き縄張り図もコピーを下さった。
そして、小生の質問に一々丁寧に御回答下さり、この縄張り図を渡される前に話した小生の推測が完全に調査内容と一致する事から御関心頂けたのは、歴史オタク冥利に尽きる今回の旅で一、二、の光栄な出来事だった。
image
因みに入手した縄張り図はこれ。
小生が予想出来無かった事もいくつか有って…
・旧三崎中学校を取り巻く車道が、実は埋め立てられた空堀の跡だった事
・北東の谷は自然地形では無く、人工的に掘り切られた大空堀の跡だった事
・現在の旧中学校と市役所付近の失われた土塁の構造
・旧中学校校庭に大手口からの最期の関門の❝馬出し状の枡形❞が存在した事
…これらは三崎町教育委員会の方に詳細に御教授頂けなければ解らない失われた遺構だったので、本当に三崎市役所と三崎町教育委員会の皆さんには感謝しないといけない。
いずれ、宅間上杉家の殿様達の顕彰文を書く際に、この感謝の便も盛り込みたい。

さて、三崎城址は改めて事細かに書くとして、城址の一角に在る本瑞寺に久々に御参りに行って来た。
DSC_3524
ここも改めて解説記事を書くが、鎌倉時代には源頼朝公の別邸で❝桜の御所❞と呼ばれた。最初本瑞寺は現在の三崎銀座商店街の在る入舩(いりふね)地区に室町時代、三浦義意公が御寺を開基された。しかし三崎町が大火に度々遭い類焼したので、現在の旧頼朝邸桜の御所の旧跡地に江戸時代末期に移転して来た。
そして、先程話した古河公方の外交政策が元で勃発した北条家と三浦家の抗争と、この桜の御所のイメージを合わせて明治時代に村井弦斎によって執筆された❝創作小説「桜の御所」❞の架空の登場人物が前回の休日雑記で書いた小桜姫なのだ。
…つまり、これが小桜姫の由来、実在しなかった歴史事実と矛盾して、現在小桜姫信仰が熟女や独身女性に人気に成った正体だ。
この❝小説:桜の御所❞は都新聞(現:東京新聞)に掲載された連続時代小説で、現在の人気ドラマの様に凄まじい反響があり、そのロケ地とも言うべき三浦半島のモデルに成った場所に、いまで言う❝聖地巡礼❞の様に全国から旅行に行く人々が増え、そのモデルと成った神社仏閣や城址に参拝客が増えた。
DSC_3526
これが時代が下って、訳の分からないエセ霊能者❝浅野馮虚(ひょうきょ)❞と言う歴史を知らない人物が❝実話❞と勘違いして❝霊的(笑)❞に研究して本を執筆したので世間の混乱に拍車をかけてしまった(笑)。
実際には三浦義意公の本妻も側室も二人とも房総半島の真里谷(まりやつ)武田氏の姫君で、小説内に登場する小桜姫は金沢北条氏と設定されている(笑)。
三浦義意公は室町時代1500年代初頭の人物。架空の人物である小桜姫の家、金沢北条氏はそれよりも200年近く前の鎌倉幕府滅亡時に滅亡した家で、戦国時代の北条家とは全く関係が無い(笑)。これは原作者の村井弦斎が、読者を勘違いさせない為に架空の話とわざわざ解る様にした設定だった筈なのだが…
大体の女性は学生時代に真面目に歴史なんか勉強しないし、根本的に歴史に興味何か無いから、エセ霊能者の勘違いを鵜呑みにして騙される。
もっとも、浅野馮虚(ひょうきょ)の名を、日本語で訓読みに翻訳すると…
浅野馮虚(ひょうきょ)→馮虚(ひょうきょ)→馮(つく)虚(うそ)→うそつき
…と成る(笑)。だから、浅野馮虚自体も恐らく詐欺の自覚が有ったか、ギャグや三文霊能雑誌程度のつもりで執筆活動をしたのに人気が有る案件だったので妄信する輩が増えてしまったのだろ。
では、小桜姫関連の信仰が御利益が無いかと言えば…そんな事は無い。御利益は有る。何故なら小桜姫のモデルに成ったであろう三浦義意公の御正妻と側室の真里谷家の姫君は存在したから。
これについては、改めて次回の休日雑記で小生が古文書漁った知識と、三浦道寸研究会の副会長様の御見解と合わせて詳細に話そうと思う。
…エセ霊能者、本職の神職・僧侶・歴史家をナメるなよ!
三浦義意公の開基したこの本瑞寺の檀家サンが歴史を編集した小説を頂いたり、詳しく説明をして頂けたり大変、良くして頂けた。感謝。

ついでに言っておくと…
縁結びの御利益が欲しい女性は、「クレクレ言うだけじゃなくて、ちゃんと先人を敬い歴史を勉強し、御墓参りをして、三浦道寸公や三浦義意公が開いた神社仏閣や城址を廻り、小桜姫と言う架空の名前だけでは無くて❝真里谷の姫❞と実際の実家の名前で尊敬の念を表しなさい」って事だ。
…歴史を知らない偽霊能者のデマに踊らされた挙句、先人に「クレクレ」言うだけの乞食みたいな願掛けして感謝も表せないと天罰が下るぞ!
IMG_20160711_114542
さて、散歩に戻る。
本瑞寺の山門を下ると、実は三崎の鮪料理店として有名な❝黒羽亭❞と、寿司屋❝紀の代❞の前に出る。
以前、紹介記事を書いているので興味有る方は参考にしてもらいたい。
※【カテゴリー:旅行(風景/お祭り/食事/買物)】の中の【和食全般/居酒屋/懐石料理/旅館】の分類で書いて有るので、その中に解説記事が有る。
この三崎の商店街は昭和の風情と幕末~大正期の蔵屋敷の名残がある町で、遠洋漁業が海外拠点主流に成り寂れたが古い街並みは、ユネスコ世界無形文化遺産の❝チャッキラコ❞と言う祭りや、夏の海南神社の例大祭には活気が戻り漁師町の様相を復す。
2014-01-15-13-48-11
チャッキラコについては以前記事に書いて有るので【カテゴリー:お祭り】から探して貰えば詳しく書いて有る。
平日で人気の少ない商店街を抜けて、三崎の観光漁港❝うらり❞へ買い食いに向かった。
DSC_3533
ここには小生オススメのB旧グルメが有る。
三崎町観光協会は何故か三崎鮪ラーメンやトロ饅なんてゲテモノをプッシュするのだが、もっとシンプルで凄く美味しい物がここには有る。
DSC_3536
この店で売ってる❝鮪の串カツ❞と❝鮪コロッケ❞だ。
小生は10年ほど前に三崎漁港に良く遊びに来る切っ掛けが出来て、それ以来、三崎に来ると絶対にここの鮪串カツを食べる。
DSC_3537
値段も安いし、本当に美味しいから是非、皆にも食べて欲しい。
DSC_3538
小生は新商品の鮪軟骨入りのメンチ串揚げと、コロッケと串カツの三個をこの日の昼食にした。
ふむ、美味だ!本来B級グルメってこういうシンプルな物の筈だし、これは本当に美味しいし、どの店でも作れるのだから三崎町はこれを特産品にするべきだと思う。
これなら御土産にもなるんじゃないかな?
❝うらり❞は観光漁港なので他にも鮪の珍しい部位の肉が売っていたり…
DSC_3535
豊富な海産品、三浦の農産品もそろっている。
DSC_3534
城ヶ島に磯遊びに来たり、三崎に鮪を食べに来たら、是非、この❝うらり❞にも顔を出すと、良い御土産が揃う。
あと、今回写真は無いが黒羽亭の❝トロカルビ串❞と言うスパイス効いたタレで付け込んだ鮪の干物も御進めの逸品だ。黒羽亭は❝うらり❞に出店していないので、店で購入するしかない。

さて…
三崎漁港と三崎町の散策を満喫し、三浦市役所と三崎町の教育委員会の方、本瑞寺サンに大変親切にして頂いた事を感謝しつつ、今回の3連休とってまで三浦に来た目的の本命、❝三浦道寸公と三浦義意公の500回忌の献花❞をする為、車に乗り込み油壷に移動した…

→③へ続く。

↑このページのトップヘ