根岸森林公園の梅園
日本初の西洋式競馬場跡の遺構の残る公園の梅園✿
旧横浜競馬場一等馬見所と馬の博物館🏇
近くにはユーミンの歌の舞台ドルフィン🐬
縣下名勝史蹟四十五佳選の白滝不動尊も有るよ!
【根岸森林公園】
【馬の博物館】
【旧一等馬見所】
【ドルフィン】
【白滝不動尊】
【景色】 根岸森林公園の広大な芝生
✿✿✿✿
森林公園の梅園
✿✿✿
根岸競馬場一等馬見所
✿✿✿✿
【電車】
JR山手駅~徒歩
・・・所要時間17分✿✿
JR根岸駅~桜木町駅行バス乗車~
~滝の上バス停降車~徒歩01分。
・・・所要時間08分✿✿✿✿
【 車 】✿✿✿✿
根岸森林公園第一駐車場
収容台数・・・100台
根岸森林公園第二駐車場
収容台数・・・100台
※土日祝は駐車場入場待ち可能性大
【休憩】✿✿✿
公共トイレ有り。
自動販売機有り。
レストハウス(喫茶店)有り。
近くにレストラン・ドルフィン有り。
【梅の見頃】
2月中旬~3月初旬。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )
広大な芝生の景色が気持ち良い◎
桜の季節の景色も綺麗だよ~◎
森林公園は実は日本初の競馬場跡◎
ポニーの厩舎が見学出来るよ~◎
馬の博物館◎
近代西洋建築の旧一等馬見所必見◎
ユーミンが❝海をみていた午後❞の
歌詞に書いた舞台のドルフィン◎
近くに昔の観光名所、白滝不動尊◎
☞注意するpoint(•ω•)
梅花300本弱で凄く多い訳じゃない。
駐車場が土日祝に入場待ちの可能性。
広いからトイレ先に済ませてね。
――森林公園の梅園――
――森林公園の芝生――
――旧一等馬見所――
――ポニーセンターの景色――
――馬の博物館――
――桜の季節の景色――
――レストラン・ドルフィン――
――白滝不動尊の景色――
―以下は詳細解説( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵―
【交通】
―電車・バス―
JR根岸駅からバスが根岸森林公園の近くの滝の上バス停まで来られるので便利。
また根岸駅~徒歩だと来る道に縣下名勝史蹟四十五佳選に選ばれた白滝不動尊やユーミンが荒井由実時代に❝海をみていた午後❞と言う曲の歌詞にしたドルフィンと言うレストランも有ったりして良い散策に成る。
〈バス〉
〈徒歩〉
JR山手駅~だと徒歩17分と少し歩くが山手駅周辺も歴史史跡が多く良い歴史散策に成る。
君が代と吹奏楽とテニスの発祥地の妙光寺、日本のビール発祥地で麒麟麦酒創業地のキリン公園、昔ながらの立派な日本建築の銭湯のいなり湯等、以前紹介した場所も多く有るので山手駅~徒歩コースの選択肢も捨てがたい。
【見所】
梅園は中規模で280本のよく手入れされた梅の綺麗な景色を見る事が出来、桜の季節も綺麗。
広大な芝生では通年ゆっくり時間を過ごせる良い場所。
根岸森林公園のポニーセンターでは馬が見れる他、日本最初の西洋式競馬場跡の一等馬見所と言う観戦席が現存する。
また日本初の競馬場跡なのでJRAが馬の博物館やポニーセンターを運営しており実際に馬を見学したり競馬の歴史を学ぶ事が出来る。
近くにはユーミンが曲の歌詞にしたレストランのドルフィンや、神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選に選ばれていた旧景勝地の白滝不動尊等が有るので合わせて散歩すると1日有意義に時間を過ごせる。これらについては【歴史】の項目で解説したい。
参考散策路⤵
【歴史】
根岸森林公園は日本初の西洋式競馬場で、とにかく広大な芝生が広がっており週末ともなると小さな子供のいる御夫婦や若い恋人同士がレジャーシートを広げてくつろいだり散歩したり、レストハウス前の席で珈琲を飲んだりと市民憩いの場に成っている。
梅の季節、桜の季節ともに景色も良い。
幕末~近代の西洋式競馬場跡なだけあり現在も立派な近代西洋建築の競馬の観戦者用の一等席が現存しており、これは必見。梅を見るついでに是非見ておきたい所です。
こちら側には児童用の遊具も設置されているので、子連れで梅園を散歩した後に子供が芝生で遊ぶのに飽きてしまったら遊ばせるのにも最適です。
この旧根岸競馬場一等馬見所については、以前❝あぶない刑事❞のロケ地や日本初のアーク溶接で建造された旧高島線引き込み線の瑞穂鉄橋等と合わせて紹介しているので御興味有る方は御覧下さい。
更に日本初の競馬場跡なので公園内にはJRAの馬の博物館やポニーの厩舎もあり見学出来るので、ポニー舎は子供も関心を持つでしょうし、高校生や大学生~社会人の恋人同士の大人デートならコチラの博物館も合わせて見学しても良いかもしれない。
他にも、この地域自体が鎌倉時代から景勝地としてう有名だった上に幕末~終戦直後に外国人居留地だった歴史があり、競馬場近くの遊歩道コースとして整備されていた。
更に戦後に米軍居留地になっていた名残りから、昭和ポップスの歌の舞台にもなっている。
以前、紹介記事にした事の有る、ユーミンこと松任谷由実が独身時代の荒井由実時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲の歌詞にまんま書いている❝ドルフィン❞と言うレストランが直ぐ近くに有る。
もしデートなら、ここで昼食を食べても良いかも知れない。
ドルフィンソーダを注文すると、海を見ていた午後を店内で流してくれる。
ドルフィンの前の道は幕末からある不動坂と呼ばれた散策路だったのだが、戦前には神奈川の❝縣下名勝史蹟四十五佳選❞にも選ばれている❝白滝不動尊❞への参道として栄えて昔は多くの旅館や茶屋が並んでいた場所です。
この根岸は鎌倉時代からの景勝地から本牧~根岸~磯子~杉田~富岡~追浜に続く海岸の断崖絶壁と森林は屏風ヶ浦の異名で呼ばれ観光名所だった。
また歴史的には縄文時代~弥生時代の遺跡が多く出土した地域でもあり湧水地や滝が古代の人々にとって聖地化する場所が多く、そこを平安時代~鎌倉時代に神道、修験道、真言宗、天台宗、時宗、曹洞宗、臨済宗等が宗教施設を建設して神社化や仏教寺院化して行く事が多い。その例に漏れず白滝不動尊や滝の上の地名由来に成った白滝が存在した。
現在では寂れているが、これは昭和後期~平成の乱開発の景観悪化と観光名所だった滝の水量減少に原因がある。
ここは先述の通り白滝不動尊は神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選の一つに選ばれた名所でした。鎌倉時代~昭和初期まで景勝地だった事から参道には旅館や茶屋が建ち並び栄えたいました。
周辺は古代からの聖地で多くの縄文~弥生時代の遺物が多く発掘されているだけあり、古墳時代も重要な役割を担った地域で本牧半島は古墳時代も重要な場所で軍馬の生産地だでした。
更に時代が下ると平安末期に坂東武者にも重要視され三浦家の一族、久良木三郎公が久良岐郡に入植し今の中村町~岡村町辺りを拠点に周辺を統治していました。
当然ながら海上交通の要所であり、更には軍馬生産地だったので武士文化が早くから根付いた土地だった訳です。
比較的近くの本牧神社も昔は現在地と違う旧海岸線の元は本牧鼻十二天と呼ばれた場所が元宮でした。
現在は立ち入る事の出来ない北方消防出張所裏手の小山が昔は海に突き出した本牧半島の1番先の岬で、そこが古くから海上交通の要衝でランドマークに成る地形だった事から聖地化されて室町時代には関東管領上杉家等から崇敬を集めていましたが、軍用地になる際に移転させられました。
源頼朝公が今の横浜市役所新庁舎の場所に勧進し開いた洲乾弁財天やヤマトタケル神話の御所ヵ崎が砲台建設で廃社にされたのと同じですね〜。
また根岸の隣の磯子は平安末期〜鎌倉時代〜室町時代初期は平子氏の磯子城がありましたし、戦国時代にも北条家最強の黄備え隊の大将、北条綱成公が別荘を築き後に寺院化された龍珠院と言う御寺が今も存続していたりします。
この久良岐の丘〜本牧半島は、古代の聖地や神社化される典型的な地形が多く、白滝不動尊も例に漏れず丘陵から海岸に降りる重要な道でもあり海岸線に突き出した崖地の湧水地や滝も有り、鎌倉時代に湧水や滝に祀られる不動明王を御神体として仏教と密接な真言宗修験者により❝神社❞として開かれました。
この神奈川県域や多摩〜秩父地方は天台宗と真言宗、両方と密接な歴史を持つ修験道が栄えた地域なので、江戸時代に徳川家による宗教改革で修験者が真言宗か天台宗に明確に属す以前の修験道文化の名残を持つ寺院や神社も沢山有ります。
この周辺地域を平安時代の中頃に治めた久良木三郎の御子孫が岡村の磯子城主平子氏と石川氏でした。
平子氏の更に分家が石川町の石川家で、幕末にはペリー提督の接待を担当し周辺の奉行職を務めた。
平子氏からは鎌倉氏に養子が入っており、この鎌倉氏の著名な鎌倉景正公の御子孫には上杉謙信の祖先の長尾定景公がいる他、有名な頼朝公近臣の梶原景時公、大庭景義公、藤沢にある時宗の総本山遊行寺を発展させた俣野景久公等がいる。
しかし、景観の悪化後は参拝客すらまばらに成ってしまいました。
で!
話を白滝不動尊を取り巻く景観や環境悪化に戻すと、神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選に選出された横浜が誇る名瀑府だった白滝は、戦後の周辺乱開発による宅地化で滝に集まっていた沢が暗渠の雨水水道管かされてしまい、更に平成に滝之上地区の水源地下水脈がマンション建設で断ち切られて現在では滝の水量は水道の蛇口を捻った程度しか無い悲しい状態になっています。
当然ながら戦後の海岸線の本格的な埋め立てと工業地帯化で眺望も失われたが、ユーミンが近くのドルフィンからの景色を❝海を見ていた午後❞の歌詞にしているので、平成に入るまでは眺望はそれなりに良かった事は間違いない。
この地域を宅地開発した土建屋、周辺の乱開発された住宅に住む住人が、ここを復興する責任が有ると思います。
典型的な聖地化する本牧半島の湧水地や地形から修験道の神社化した鎌倉時代の武士文化の聖地、江戸~近代の人々に愛された景勝地を維持出来なかった責任を感じて欲しいし、せめて祭礼は盛大に行って欲しいですね。
また、元々は沢だった雨水の下水管を複数繋ぐだけで滝の水量を戻す事が出来るのも明白な事実ですが、何なら水道局に雨水下水道化で失った水量を戻す様に雨水水道管を白滝に接続する様な働きかけを行う責任が有るだろうかとも思います。
沢が唱歌❝春の小川❞の舞台の渋谷川の様に下水道化のみならず汚水の下水管にされているならば二度と聖地の白滝不動尊を滝の名所として復興する事は出来ませんね〜。
せめて、この地域を愛している地元民の方には白滝不動尊を大切にして頂きたいものですね。白滝不動尊については、いずれ史料をあつめて解説記事にしたいと思います。
——梅花の名所一覧へ⤵——
日本初の西洋式競馬場跡の遺構の残る公園の梅園✿
旧横浜競馬場一等馬見所と馬の博物館🏇
近くにはユーミンの歌の舞台ドルフィン🐬
縣下名勝史蹟四十五佳選の白滝不動尊も有るよ!
【根岸森林公園】
045-641-9185
045-662-7581
【馬の博物館】
045-662-7581
045-681‐5796
旧本寺宝積寺:045-681‐5796
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森林公園の梅園
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根岸競馬場一等馬見所
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【電車】
JR山手駅~徒歩
・・・所要時間17分✿✿
JR根岸駅~桜木町駅行バス乗車~
~滝の上バス停降車~徒歩01分。
・・・所要時間08分✿✿✿✿
【 車 】✿✿✿✿
根岸森林公園第一駐車場
収容台数・・・100台
根岸森林公園第二駐車場
収容台数・・・100台
※土日祝は駐車場入場待ち可能性大
【休憩】✿✿✿
公共トイレ有り。
自動販売機有り。
レストハウス(喫茶店)有り。
近くにレストラン・ドルフィン有り。
【梅の見頃】
2月中旬~3月初旬。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )
広大な芝生の景色が気持ち良い◎
桜の季節の景色も綺麗だよ~◎
森林公園は実は日本初の競馬場跡◎
ポニーの厩舎が見学出来るよ~◎
馬の博物館◎
近代西洋建築の旧一等馬見所必見◎
ユーミンが❝海をみていた午後❞の
歌詞に書いた舞台のドルフィン◎
近くに昔の観光名所、白滝不動尊◎
☞注意するpoint(•ω•)
梅花300本弱で凄く多い訳じゃない。
駐車場が土日祝に入場待ちの可能性。
広いからトイレ先に済ませてね。
――森林公園の梅園――
――森林公園の芝生――
――旧一等馬見所――
――ポニーセンターの景色――
――馬の博物館――
――桜の季節の景色――
――レストラン・ドルフィン――
――白滝不動尊の景色――
―以下は詳細解説( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵―
【交通】
―電車・バス―
JR根岸駅からバスが根岸森林公園の近くの滝の上バス停まで来られるので便利。
また根岸駅~徒歩だと来る道に縣下名勝史蹟四十五佳選に選ばれた白滝不動尊やユーミンが荒井由実時代に❝海をみていた午後❞と言う曲の歌詞にしたドルフィンと言うレストランも有ったりして良い散策に成る。
〈バス〉
〈徒歩〉
JR山手駅~だと徒歩17分と少し歩くが山手駅周辺も歴史史跡が多く良い歴史散策に成る。
君が代と吹奏楽とテニスの発祥地の妙光寺、日本のビール発祥地で麒麟麦酒創業地のキリン公園、昔ながらの立派な日本建築の銭湯のいなり湯等、以前紹介した場所も多く有るので山手駅~徒歩コースの選択肢も捨てがたい。
【見所】
梅園は中規模で280本のよく手入れされた梅の綺麗な景色を見る事が出来、桜の季節も綺麗。
広大な芝生では通年ゆっくり時間を過ごせる良い場所。
根岸森林公園のポニーセンターでは馬が見れる他、日本最初の西洋式競馬場跡の一等馬見所と言う観戦席が現存する。
また日本初の競馬場跡なのでJRAが馬の博物館やポニーセンターを運営しており実際に馬を見学したり競馬の歴史を学ぶ事が出来る。
近くにはユーミンが曲の歌詞にしたレストランのドルフィンや、神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選に選ばれていた旧景勝地の白滝不動尊等が有るので合わせて散歩すると1日有意義に時間を過ごせる。
参考散策路⤵
【歴史】
根岸森林公園は日本初の西洋式競馬場で、とにかく広大な芝生が広がっており週末ともなると小さな子供のいる御夫婦や若い恋人同士がレジャーシートを広げてくつろいだり散歩したり、レストハウス前の席で珈琲を飲んだりと市民憩いの場に成っている。
梅の季節、桜の季節ともに景色も良い。
幕末~近代の西洋式競馬場跡なだけあり現在も立派な近代西洋建築の競馬の観戦者用の一等席が現存しており、これは必見。梅を見るついでに是非見ておきたい所です。
こちら側には児童用の遊具も設置されているので、子連れで梅園を散歩した後に子供が芝生で遊ぶのに飽きてしまったら遊ばせるのにも最適です。
この旧根岸競馬場一等馬見所については、以前❝あぶない刑事❞のロケ地や日本初のアーク溶接で建造された旧高島線引き込み線の瑞穂鉄橋等と合わせて紹介しているので御興味有る方は御覧下さい。
更に日本初の競馬場跡なので公園内にはJRAの馬の博物館やポニーの厩舎もあり見学出来るので、ポニー舎は子供も関心を持つでしょうし、高校生や大学生~社会人の恋人同士の大人デートならコチラの博物館も合わせて見学しても良いかもしれない。
他にも、この地域自体が鎌倉時代から景勝地としてう有名だった上に幕末~終戦直後に外国人居留地だった歴史があり、競馬場近くの遊歩道コースとして整備されていた。
更に戦後に米軍居留地になっていた名残りから、昭和ポップスの歌の舞台にもなっている。
以前、紹介記事にした事の有る、ユーミンこと松任谷由実が独身時代の荒井由実時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲の歌詞にまんま書いている❝ドルフィン❞と言うレストランが直ぐ近くに有る。
もしデートなら、ここで昼食を食べても良いかも知れない。
ドルフィンソーダを注文すると、海を見ていた午後を店内で流してくれる。
ドルフィンの前の道は幕末からある不動坂と呼ばれた散策路だったのだが、戦前には神奈川の❝縣下名勝史蹟四十五佳選❞にも選ばれている❝白滝不動尊❞への参道として栄えて昔は多くの旅館や茶屋が並んでいた場所です。
この根岸は鎌倉時代からの景勝地から本牧~根岸~磯子~杉田~富岡~追浜に続く海岸の断崖絶壁と森林は屏風ヶ浦の異名で呼ばれ観光名所だった。
また歴史的には縄文時代~弥生時代の遺跡が多く出土した地域でもあり湧水地や滝が古代の人々にとって聖地化する場所が多く、そこを平安時代~鎌倉時代に神道、修験道、真言宗、天台宗、時宗、曹洞宗、臨済宗等が宗教施設を建設して神社化や仏教寺院化して行く事が多い。その例に漏れず白滝不動尊や滝の上の地名由来に成った白滝が存在した。
現在では寂れているが、これは昭和後期~平成の乱開発の景観悪化と観光名所だった滝の水量減少に原因がある。
ここは先述の通り白滝不動尊は神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選の一つに選ばれた名所でした。鎌倉時代~昭和初期まで景勝地だった事から参道には旅館や茶屋が建ち並び栄えたいました。
名前の由来の滝は嘗(かつ)ては二段の滝で幅5m、落差20mを誇り、眼下に広がっていた海岸の船着き場に江戸や遠くは房総半島、三浦半島から船で参拝客が多く訪れ栄えていたが平成期に周辺乱開発で極端に水量は失われてしまいました。
昔の写真を纏めた書籍等は横浜市立中央図書館等で閲覧する事が出来ます。
周辺は古代からの聖地で多くの縄文~弥生時代の遺物が多く発掘されているだけあり、古墳時代も重要な役割を担った地域で本牧半島は古墳時代も重要な場所で軍馬の生産地だでした。
更に時代が下ると平安末期に坂東武者にも重要視され三浦家の一族、久良木三郎公が久良岐郡に入植し今の中村町~岡村町辺りを拠点に周辺を統治していました。
当然ながら海上交通の要所であり、更には軍馬生産地だったので武士文化が早くから根付いた土地だった訳です。
比較的近くの本牧神社も昔は現在地と違う旧海岸線の元は本牧鼻十二天と呼ばれた場所が元宮でした。
現在は立ち入る事の出来ない北方消防出張所裏手の小山が昔は海に突き出した本牧半島の1番先の岬で、そこが古くから海上交通の要衝でランドマークに成る地形だった事から聖地化されて室町時代には関東管領上杉家等から崇敬を集めていましたが、軍用地になる際に移転させられました。
源頼朝公が今の横浜市役所新庁舎の場所に勧進し開いた洲乾弁財天やヤマトタケル神話の御所ヵ崎が砲台建設で廃社にされたのと同じですね〜。
また根岸の隣の磯子は平安末期〜鎌倉時代〜室町時代初期は平子氏の磯子城がありましたし、戦国時代にも北条家最強の黄備え隊の大将、北条綱成公が別荘を築き後に寺院化された龍珠院と言う御寺が今も存続していたりします。
この久良岐の丘〜本牧半島は、古代の聖地や神社化される典型的な地形が多く、白滝不動尊も例に漏れず丘陵から海岸に降りる重要な道でもあり海岸線に突き出した崖地の湧水地や滝も有り、鎌倉時代に湧水や滝に祀られる不動明王を御神体として仏教と密接な真言宗修験者により❝神社❞として開かれました。
この神奈川県域や多摩〜秩父地方は天台宗と真言宗、両方と密接な歴史を持つ修験道が栄えた地域なので、江戸時代に徳川家による宗教改革で修験者が真言宗か天台宗に明確に属す以前の修験道文化の名残を持つ寺院や神社も沢山有ります。
この周辺地域を平安時代の中頃に治めた久良木三郎の御子孫が岡村の磯子城主平子氏と石川氏でした。
平子氏で著名な平子有長公は源義朝公の暗殺未遂事件である曾我兄弟の敵討ちの際に、犯人の曽我兄弟に対して最初に抜刀して打ち掛かり仁田忠常公と共に曾我兄弟を逮捕した名将です。
平子有長公については以前、岡村天満宮の記事で少し紹介しているので御興味有る方は下のリンクから記事を御覧下さい。
平子有長公については以前、岡村天満宮の記事で少し紹介しているので御興味有る方は下のリンクから記事を御覧下さい。
平子氏の更に分家が石川町の石川家で、幕末にはペリー提督の接待を担当し周辺の奉行職を務めた。
平子氏からは鎌倉氏に養子が入っており、この鎌倉氏の著名な鎌倉景正公の御子孫には上杉謙信の祖先の長尾定景公がいる他、有名な頼朝公近臣の梶原景時公、大庭景義公、藤沢にある時宗の総本山遊行寺を発展させた俣野景久公等がいる。
実はこの上杉謙信公の祖先の長尾定景公の本拠地が横浜市栄区でした。
以前、その長尾城址を記事にした事が有ります。
御興味有る方は下のリンク⤵から記事を御覧下さい。
以前、その長尾城址を記事にした事が有ります。
御興味有る方は下のリンク⤵から記事を御覧下さい。
初期に書いた記事で余り情報が少ないので、後に歴史仲間と撮影した現存する空堀等の追加掲載のリニューアルもする予定です(いつになるか分かりませんがwww)。
また長尾城は戦国時代に玉縄城に取り込まれ玉縄城の一部に成っていたので、その解説をした記事もリンクを張り付けておきます。
白滝不動尊は近代以前の江戸時代までは、磯子区上町の宝積寺が本寺でした、しかし明治政府の神仏分離令と仏教制度改革で本寺末寺と言う会社で言うと本社と支社を切り離すような事が有り、更には神社や尾寺の所有地である社領寺領も明治政府や戦後にGHQに没収されて廃寺や廃社に追い込まれた神社や寺院も多く有りました。
しかし、ここは景勝地だったので明治以降に神仏分離令で村の鎮守の社格を無くされても観光名所として栄えて存続出来た様です。また長尾城は戦国時代に玉縄城に取り込まれ玉縄城の一部に成っていたので、その解説をした記事もリンクを張り付けておきます。
白滝不動尊は近代以前の江戸時代までは、磯子区上町の宝積寺が本寺でした、しかし明治政府の神仏分離令と仏教制度改革で本寺末寺と言う会社で言うと本社と支社を切り離すような事が有り、更には神社や尾寺の所有地である社領寺領も明治政府や戦後にGHQに没収されて廃寺や廃社に追い込まれた神社や寺院も多く有りました。
しかし、景観の悪化後は参拝客すらまばらに成ってしまいました。
で!
話を白滝不動尊を取り巻く景観や環境悪化に戻すと、神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選に選出された横浜が誇る名瀑府だった白滝は、戦後の周辺乱開発による宅地化で滝に集まっていた沢が暗渠の雨水水道管かされてしまい、更に平成に滝之上地区の水源地下水脈がマンション建設で断ち切られて現在では滝の水量は水道の蛇口を捻った程度しか無い悲しい状態になっています。
当然ながら戦後の海岸線の本格的な埋め立てと工業地帯化で眺望も失われたが、ユーミンが近くのドルフィンからの景色を❝海を見ていた午後❞の歌詞にしているので、平成に入るまでは眺望はそれなりに良かった事は間違いない。
この地域を宅地開発した土建屋、周辺の乱開発された住宅に住む住人が、ここを復興する責任が有ると思います。
典型的な聖地化する本牧半島の湧水地や地形から修験道の神社化した鎌倉時代の武士文化の聖地、江戸~近代の人々に愛された景勝地を維持出来なかった責任を感じて欲しいし、せめて祭礼は盛大に行って欲しいですね。
また、元々は沢だった雨水の下水管を複数繋ぐだけで滝の水量を戻す事が出来るのも明白な事実ですが、何なら水道局に雨水下水道化で失った水量を戻す様に雨水水道管を白滝に接続する様な働きかけを行う責任が有るだろうかとも思います。
沢が唱歌❝春の小川❞の舞台の渋谷川の様に下水道化のみならず汚水の下水管にされているならば二度と聖地の白滝不動尊を滝の名所として復興する事は出来ませんね〜。
せめて、この地域を愛している地元民の方には白滝不動尊を大切にして頂きたいものですね。白滝不動尊については、いずれ史料をあつめて解説記事にしたいと思います。
——梅花の名所一覧へ⤵——