歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

タグ:中区

根岸森林公園の梅園
日本初の西洋式競馬場跡の遺構の残る公園の梅園
旧横浜競馬場一等馬見所と馬の博物館🏇
近くにはユーミンの歌の舞台ドルフィン🐬
縣下名勝史蹟四十五佳選の白滝不動尊も有るよ!
【根岸森林公園】
【馬の博物館】
【旧一等馬見所】
【馬の博物館】
 根岸森林公園の広大な芝生
 ✿✿

 森林公園の梅園
 

 根岸競馬場一等馬見所
 ✿

【電車】
 JR山手駅~徒歩 
 ・・・所要時間17分
 JR根岸駅~桜木町駅行バス乗車~
 ~滝の上バス停降車~徒歩01分。
 ・・・所要時間08分

【  車  】

 根岸森林公園第一駐車場
 収容台数・・・100台
 根岸森林公園第二駐車場
 収容台数・・・100台

※土日祝は駐車場入場待ち可能性大
【休憩】✿✿✿
 公共トイレ有り。
 自動販売機有り。
 レストハウス(喫茶店)有り。
 近くにレストラン・ドルフィン有り。
【梅の見頃】
 2月中旬~3月初旬。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )        
 広大な芝生の景色が気持ち良い◎
 桜の季節の景色も綺麗だよ~◎
 森林公園は実は日本初の競馬場跡◎
 ポニーの厩舎が見学出来るよ~◎
 馬の博物館◎
 近代西洋建築の旧一等馬見所必見◎
 ユーミンが❝海をみていた午後❞の
 歌詞に書いた舞台のドルフィン◎
 近くに昔の観光名所、白滝不動尊◎
☞注意するpoint(•ω•)         
 梅花300本弱で凄く多い訳じゃない。
 駐車場が土日祝に入場待ちの可能性。
 広いからトイレ先に済ませてね。
――森林公園の梅園――PXL_20230218_055429790.MP
PXL_20230218_054957294.MP
PXL_20230218_054708886.MP
PXL_20230218_054736245.MP
PXL_20230218_054741869.MP
PXL_20230218_054802725.MP
PXL_20230218_055039872.MPPXL_20230218_055145943.MP
PXL_20230218_055201565.MP
PXL_20230218_055346001.MP
――森林公園の芝生――
PXL_20230218_054518124.MP
PXL_20230218_054455726.MP
PXL_20230218_054329195.MP
PXL_20230218_062256790.MP
――旧一等馬見所――
CIMG3066
PXL_20230218_061710089.MP
PXL_20230218_061818689.MP
PXL_20230218_062001811.MP
PXL_20230218_062225112.MP
――ポニーセンターの景色――
DSC_0104
DSC_0106
DSC_0108
DSC_0110
――馬の博物館――
DSC_0112
DSC_0113
DSC_0121
DSC_0127
――桜の季節の景色――

CIMG3046
CIMG3047
CIMG3048
CIMG3051
CIMG3056
CIMG3060
CIMG3067
CIMG3068
CIMG3071
――レストラン・ドルフィン――
DSC_0129
DSC_0130
DSC_0134
DSC_0135
――白滝不動尊の景色――
PXL_20230218_050033705.MP
PXL_20230218_050555411
PXL_20230218_051419420.MP
PXL_20230218_052041409.MP
PXL_20230218_052023465.MP
PXL_20230218_052222540.MP
PXL_20230218_052232673.MP
PXL_20230218_052716153.MP
PXL_20230218_052800339.MP
PXL_20230218_052907283.MP
PXL_20230218_053007822.MP

―以下は詳細解説( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵―
【交通】
―電車・バス―
JR根岸駅からバスが根岸森林公園の近くの滝の上バス停まで来られるので便利。
また根岸駅~徒歩だと来る道に縣下名勝史蹟四十五佳選に選ばれた白滝不動尊やユーミンが荒井由実時代に❝海をみていた午後❞と言う曲の歌詞にしたドルフィンと言うレストランも有ったりして良い散策に成る。
〈バス〉

〈徒歩〉

JR山手駅~だと徒歩17分と少し歩くが山手駅周辺も歴史史跡が多く良い歴史散策に成る。
君が代と吹奏楽とテニスの発祥地の妙光寺、日本のビール発祥地で麒麟麦酒創業地のキリン公園、昔ながらの立派な日本建築の銭湯のいなり湯等、以前紹介した場所も多く有るので山手駅~徒歩コースの選択肢も捨てがたい。


【見所】
梅園は中規模で280本のよく手入れされた梅の綺麗な景色を見る事が出来、桜の季節も綺麗。
広大な芝生では通年ゆっくり時間を過ごせる良い場所。
根岸森林公園のポニーセンターでは馬が見れる他、日本最初の西洋式競馬場跡の一等馬見所と言う観戦席が現存する。
また日本初の競馬場跡なのでJRAが馬の博物館やポニーセンターを運営しており実際に馬を見学したり競馬の歴史を学ぶ事が出来る。
近くにはユーミンが曲の歌詞にしたレストランのドルフィンや、神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選に選ばれていた旧景勝地の白滝不動尊等が有るので合わせて散歩すると1日有意義に時間を過ごせる。
これらについては【歴史】の項目で解説したい。
参考散策路⤵



【歴史】
根岸
森林公園は日本初の西洋式競馬場で、とにかく広大な芝生が広がっており週末ともなると小さな子供のいる御夫婦や若い恋人同士がレジャーシートを広げてくつろいだり散歩したり、レストハウス前の席で珈琲を飲んだりと市民憩いの場に成っている。
梅の季節、桜の季節ともに景色も良い。
PXL_20230218_055429790.MP
CIMG3047
幕末~近代の西洋式競馬場跡なだけあり現在も立派な近代西洋建築の競馬の観戦者用の一等席が現存しており、これは必見。梅を見るついでに是非見ておきたい所です。
PXL_20230218_061818689.MP
こちら側には児童用の遊具も設置されているので、子連れで梅園を散歩した後に子供が芝生で遊ぶのに飽きてしまったら遊ばせるのにも最適です。
この旧根岸競馬場一等馬見所については、以前❝あぶない刑事❞のロケ地や日本初のアーク溶接で建造された旧高島線引き込み線の瑞穂鉄橋等と合わせて紹介しているので御興味有る方は御覧下さい。

更に日本初の競馬場跡なので公園内にはJRAの馬の博物館やポニーの厩舎もあり見学出来るので、ポニー舎は子供も関心を持つでしょうし、高校生や大学生~社会人の恋人同士の大人デートならコチラの博物館も合わせて見学しても良いかもしれない。

他にも、この地域自体が鎌倉時代から景勝地としてう有名だった上に幕末~終戦直後に外国人居留地だった歴史があり、競馬場近くの遊歩道コースとして整備されていた。
更に戦後に米軍居留地になっていた名残りから、昭和ポップスの歌の舞台にもなっている。

以前、紹介記事にした事の有る、ユーミンこと松任谷由実が独身時代の荒井由実時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲の歌詞にまんま書いている❝ドルフィン❞と言うレストランが直ぐ近くに有る。

もしデートなら、ここで昼食を食べても良いかも知れない。
ドルフィンソーダを注文すると、海を見ていた午後を店内で流してくれる。
ドルフィンの前の道は幕末からある不動坂と呼ばれた散策路だったのだが、戦前には神奈川の❝縣下名勝史蹟四十五佳選❞にも選ばれている❝白滝不動尊❞への参道として栄えて昔は多くの旅館や茶屋が並んでいた場所です。



この根岸は鎌倉時代からの景勝地から本牧~根岸~磯子~杉田~富岡~追浜に続く海岸の断崖絶壁と森林は屏風ヶ浦の異名で呼ばれ観光名所だった。
また歴史的には縄文時代~弥生時代の遺跡が多く出土した地域でもあり湧水地や滝が古代の人々にとって聖地化する場所が多く、そこを平安時代~鎌倉時代に神道、修験道、真言宗、天台宗、時宗、曹洞宗、臨済宗等が宗教施設を建設して神社化や仏教寺院化して行く事が多い。その例に漏れず白滝不動尊や滝の上の地名由来に成った白滝が存在した。
PXL_20230218_050033705.MP
現在では寂れているが、これは昭和後期~平成の乱開発の景観悪化と観光名所だった滝の水量減少に原因がある。


ここは先述の通り白滝不動尊は神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選の一つに選ばれた名所でした。鎌倉時代~昭和初期まで景勝地だった事から参道には旅館や茶屋が建ち並び栄えたいました。
名前の由来の滝は嘗(かつ)ては二段の滝で幅5m、落差20mを誇り、眼下に広がっていた海岸の船着き場に江戸や遠くは房総半島、三浦半島から船で参拝客が多く訪れ栄えていたが平成期に周辺乱開発で極端に水量は失われてしまいました。
昔の写真を纏めた書籍等は横浜市立中央図書館等で閲覧する事が出来ます。


周辺は古代からの聖地で多くの縄文~弥生時代の遺物が多く発掘されているだけあり、古墳時代も重要な役割を担った地域で本牧半島は古墳時代も重要な場所で軍馬の生産地だでした。
更に時代が下ると平安末期に坂東武者にも重要視され三浦家の一族、久良木三郎公が久良岐郡に入植し今の中村町~岡村町辺りを拠点に周辺を統治していました。
当然ながら海上交通の要所であり、更には軍馬生産地だったので武士文化が早くから根付いた土地だった訳です。
比較的近くの本牧神社も昔は現在地と違う旧海岸線の元は本牧鼻十二天と呼ばれた場所が元宮でした。

現在は立ち入る事の出来ない北方消防出張所裏手の小山が昔は海に突き出した本牧半島の1番先の岬で、そこが古くから海上交通の要衝でランドマークに成る地形だった事から聖地化されて室町時代には関東管領上杉家等から崇敬を集めていましたが、軍用地になる際に移転させられました。

源頼朝公が今の横浜市役所新庁舎の場所に勧進し開いた洲乾弁財天やヤマトタケル神話の御所ヵ崎が砲台建設で廃社にされたのと同じですね〜。
また根岸の隣の磯子は平安末期〜鎌倉時代〜室町時代初期は平子氏の磯子城がありましたし、戦国時代にも北条家最強の黄備え隊の大将、北条綱成公が別荘を築き後に寺院化された龍珠院と言う御寺が今も存続していたりします。

この久良岐の丘〜本牧半島は、古代の聖地や神社化される典型的な地形が多く、白滝不動尊も例に漏れず丘陵から海岸に降りる重要な道でもあり海岸線に突き出した崖地の湧水地や滝も有り、鎌倉時代に湧水や滝に祀られる不動明王を御神体として仏教と密接な真言宗修験者により❝神社❞として開かれました。
この神奈川県域や多摩〜秩父地方は天台宗と真言宗、両方と密接な歴史を持つ修験道が栄えた地域なので、江戸時代に徳川家による宗教改革で修験者が真言宗か天台宗に明確に属す以前の修験道文化の名残を持つ寺院や神社も沢山有ります。
この周辺地域を平安時代の中頃に治めた久良木三郎の御子孫が岡村の磯子城主平子氏と石川氏でした。
平子氏で著名な平子有長公は源義朝公の暗殺未遂事件である曾我兄弟の敵討ちの際に、犯人の曽我兄弟に対して最初に抜刀して打ち掛かり仁田忠常公と共に曾我兄弟を逮捕した名将です。
平子有長公については以前、岡村天満宮の記事で少し紹介しているので御興味有る方は下のリンクから記事を御覧下さい。

平子氏の更に分家が石川町の石川家で、幕末にはペリー提督の接待を担当し周辺の奉行職を務めた。
平子氏からは鎌倉氏に養子が入っており、この鎌倉氏の著名な鎌倉景正公の御子孫には上杉謙信の祖先の長尾定景公がいる他、有名な頼朝公近臣の梶原景時公、大庭景義公、藤沢にある時宗の総本山遊行寺を発展させた俣野景久公等がいる。
実はこの上杉謙信公の祖先の長尾定景公の本拠地が横浜市栄区でした。
以前、その長尾城址を記事にした事が有ります。
御興味有る方は下のリンク⤵から記事を御覧下さい。
初期に書いた記事で余り情報が少ないので、後に歴史仲間と撮影した現存する空堀等の追加掲載のリニューアルもする予定です(いつになるか分かりませんがwww)。
また長尾城は戦国時代に玉縄城に取り込まれ玉縄城の一部に成っていたので、その解説をした記事もリンクを張り付けておきます。

白滝不動尊は近代以前の江戸時代までは、磯子区上町の宝積寺が本寺でした、しかし明治政府の神仏分離令と仏教制度改革で本寺末寺と言う会社で言うと本社と支社を切り離すような事が有り、更には神社や尾寺の所有地である社領寺領も明治政府や戦後にGHQに没収されて廃寺や廃社に追い込まれた神社や寺院も多く有りました。
しかし、ここは景勝地だったので明治以降に神仏分離令で村の鎮守の社格を無くされても観光名所として栄えて存続出来た様です。
しかし、景観の悪化後は参拝客すらまばらに成ってしまいました。
で!
話を白滝不動尊を取り巻く景観や環境悪化に戻すと、神奈川の縣下名勝史蹟四十五佳選に選出された横浜が誇る名瀑府だった白滝は、戦後の周辺乱開発による宅地化で滝に集まっていた沢が暗渠の雨水水道管かされてしまい、更に平成に滝之上地区の水源地下水脈がマンション建設で断ち切られて現在では滝の水量は水道の蛇口を捻った程度しか無い悲しい状態になっています。
PXL_20230218_050518395.MP
当然ながら戦後の海岸線の本格的な埋め立てと工業地帯化で眺望も失われたが、ユーミンが近くのドルフィンからの景色を❝海を見ていた午後❞の歌詞にしているので、平成に入るまでは眺望はそれなりに良かった事は間違いない。
この地域を宅地開発した土建屋、周辺の乱開発された住宅に住む住人が、ここを復興する責任が有ると思います。
典型的な聖地化する本牧半島の湧水地や地形から修験道の神社化した鎌倉時代の武士文化の聖地、江戸~近代の人々に愛された景勝地を維持出来なかった責任を感じて欲しいし、せめて祭礼は盛大に行って欲しいですね。

また、元々は沢だった雨水の下水管を複数繋ぐだけで滝の水量を戻す事が出来るのも明白な事実ですが、
何なら水道局に雨水下水道化で失った水量を戻す様に雨水水道管を白滝に接続する様な働きかけを行う責任が有るだろうかとも思います。
沢が唱歌❝春の小川❞の舞台の渋谷川の様に下水道化のみならず汚水の下水管にされているならば二度と聖地の白滝不動尊を滝の名所として復興する事は出来ませんね〜。
せめて、この地域を愛している地元民の方には白滝不動尊を大切にして頂きたいものですね。白滝不動尊については、いずれ史料をあつめて解説記事にしたいと思います。
——梅花の名所一覧へ⤵——

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

小生、資格取得の為に習い事を始めてしまいまして以前の様に丸々週末連休はおろか1日フルに使って歴史散策をするのが難しく成ってしまい、ブログを書く暇も以前の様に確保が出来ず更新も滞っています。
でも写真だけ有ればInstagramにサクッとリール動画にして投稿出来て、それをダウンロードしてYouTubeにショート動画として再UPしてここに再投稿すると言う形なら更新滞らないかも?と思い始めた今日この頃・・・
今日は週末。
週末は習い事の試験で横浜方面に行かねばならぬので自転車で出掛ける用事が有る事が多く、本日は自転車でサクッと片道45分の行き帰りにちょっとだけ寄り道して自由時間を合計1時間半確保してブログを書き始めた頃に紹介した「横浜」の地名由来の寺院の南区堀之内の寶生寺と、三渓園の梅を見に慌ただしく行ってまいりました。
そのリール動画がコレ⤵



[寳生寺]
寳生寺は横浜の地名初出典の御寺。徳川幕府の二代佐渡金山奉行、初代生野銀山代官、本牧代官を務めた間宮直元公の願文が御本尊の十一面観世音菩薩から発見された際に、その古文書に横浜の地名が登場する。
以前紹介した記事リンク⤵  


今日、撮影してきた写真はこんな感じ。
PXL_20230211_050615837.MP
PXL_20230211_050702413.MPPXL_20230211_044850616.MP
PXL_20230211_050735476.MP
PXL_20230211_050719770.MP
PXL_20230211_045939356.MPPXL_20230211_044510659.MP
PXL_20230211_045047573.MPPXL_20230211_045228224.MP
PXL_20230211_045258184.MP
PXL_20230211_045333102.MP
PXL_20230211_045122884.MPPXL_20230211_045150696.MP


[三渓園]
三渓園は元々は横浜銀行(第二銀行)やニューグランドホテル、富岡製糸場を経営していた原財閥総帥の原三溪の私邸で明治時代から私邸敷地内の庭園を公園として開放していた。太平洋戦争敗戦によりアメリカに降伏すると日本国の全ての財閥と貴族は解体され彼等の私財はGHQの接収対象にされる事が解り日本文化消滅の危機に際して、三渓園は原家から横浜市へ寄贈する形で貴重な建築文化財群の消滅を免(まぬが)れた。
以前の記事リンク⤵ 

PXL_20230211_053446231.MP
PXL_20230211_063915806.MP
PXL_20230211_063628926.MP
PXL_20230211_053600501.MP
PXL_20230211_055456637.MP
PXL_20230211_054241622.MP
PXL_20230211_054419797.MP
PXL_20230211_054516631.MP
PXL_20230211_054738799.MP
PXL_20230211_054558830.MP
PXL_20230211_054645206.MP
PXL_20230211_054807466.MP
PXL_20230211_055025935.MP
PXL_20230211_055116164.MP
PXL_20230211_055324860.MP
PXL_20230211_055753774.MP
PXL_20230211_060009165.MP
PXL_20230211_060036101.MP
PXL_20230211_060600957.MP
PXL_20230211_060702412.MP
PXL_20230211_060755094.MP
PXL_20230211_060855502.MP
PXL_20230211_060930284.MP
PXL_20230211_061105554.MP
PXL_20230211_061206150.MP
PXL_20230211_061225403.MP
PXL_20230211_061443028.MP
PXL_20230211_061540143.MP
PXL_20230211_061558725
PXL_20230211_061618828.MP
PXL_20230211_062026216.MP
PXL_20230211_062033017.MP
PXL_20230211_062048733.MP
PXL_20230211_062053666.MP
PXL_20230211_061417371.MP
PXL_20230211_062358758.MP
PXL_20230211_062439980.MP
PXL_20230211_060615479.MP
PXL_20230211_062717310.MP
PXL_20230211_062630489.NIGHT
PXL_20230211_062817261.MP
PXL_20230211_062847258.MP
PXL_20230211_062933005.MP
PXL_20230211_063127319.MP
PXL_20230211_063225255.MP
PXL_20230211_063818501.MP

さて・・・
三渓園を含め、多くの文化財は第二次世界大戦の敗戦時にGHQによる貴族階級解体や神社仏閣の境内地接収により消滅の危機に瀕していました。しかし横浜の三渓園や東京都の旧前田侯爵邸の様に旧富豪階級の人々から国や地方自治体へ寄付と言う形でGHQによる文化財破壊や接収を免れた場所も数か所在りました。

戦争での戦闘や戦後処理だけでなくトルコとシリアでは大地震で多くの人命とともに重要な建築文化財も旧市街区で町ごと破滅されてしまいました。


ロシア、ウクライナは交戦中ですね・・・

既にウクライナ国内では多くの文化財が失われています。
ウクライナ国民もロシア国民も元々は友好的な関係でしたが、双方の指導者の思想的な不協和音と外交的な対立から軍事衝突が頻発し、とうとう昨年からの大規模な戦争に発展してしまいました。
小生は歴史オタクとして日本が第一次世界大戦で戦勝国側にいた時と第二次世界大戦での敗戦時にも、日本と交戦国との間で発生した全ての事件の経験から強く願う事が有ります。

・・・ロシアだろうがウクライナだろうが、ウクライナだろうがロシアだろうが・・・
敢えて平等に国名入れ替えて繰り返し言いましたが、どちらが勝とうが負けようが敗戦する側が日本人が経験した第一次〜第二次大戦中の尼港事件〜日中戦争〜三光作戦〜無能な指揮官の無謀な命令による日本の若者が多く無駄死にしたインパール作戦~アメリカによる在米日本人強制収容〜国家総動員法施行〜無差別空爆〜核兵器使用〜ソ連の同盟破棄~ソ連によるシベリア強制収容~戦後の朝鮮進駐軍・・・
それ等に関する加害者側被害者側両方の経験と同様の経験をしないで済む様に心から願います。




それらの事件では日本も交戦国も経験した無抵抗な婦女子に対する強姦事件や男性に対する虐殺や交戦国民への略奪や私財没収の様な酷い目に、これ以後ウクライナ人もロシア人も双方が遭わない様に心から願います。
小生が信仰する日本の神々と仏教の諸仏、彼等の信仰する東ローマ正教の系譜の宗派のキリスト教のマリア様とイエス様とイエス様の信仰した神にロシア・ウクライナ戦争の終結と両国の双方に分かれて暮らす家族や親戚が分断されないで済む様に願います。

また戦争はいずれ決着がつくかも知れませんが、勝者と勝者の支持国が国際法を堅持し理性的に対応する事を心より願って止みません。
それと既に起きてしまった事に関して死者の供養と被害者被災者の生存者に対するケアをして欲しいと、それはロシアにもウクライナにも、暗躍する中国にもイランにもアメリカにもフランスにもドイツにも主義主張を超えて責任取って適切に行う様に願います。

また、リトアニア、エストニア、ラトヴィアとモルドバ、ポーランド、フィンランドの方々の恐怖にも共感します。

言うまでもなく多大な被害を受けているウクライナの方々にも早く平安と復興の時が刻まれ始める様に心から願います。また家族と財産を失い多くの隣人の死を目の当たりにしてしまった心の傷が少しでも癒される様に願います。
絶望的な廃墟になってしまった多くの都市に、新たな復興都市が築かれ元居た方々の中の生存者が少しでも多く戻る事が出来て、皆さんの御孫サンの世代には開戦前よりも幸福な生活が築けます様に願います。

そして訳も分からないまま西欧諸国から隔絶され先進国から自国が悪役のレッテルを貼られクレジットカードが使えなくなり好きだった日本に来られなくなったロシア国民の皆さん。
本来は親日家が多く穏やかで静かな人の多いロシア国民の皆さん、優しい兄や弟や息子さんを無謀な作戦で亡くされてしまったご家族の皆さんの悲しみも皆さんの神様に癒されますように。
皆さんが多くの国と国交と民間レベルでの友好関係が戻る日が早く来る事を心から願います。

日本で生きる為に友人として友情を育んだ在日ロシア人とウクライナ人の方々が日本で仲良く友人でい続けている様に、両国が開戦前より御互いを理解し尊重する努力を行い和解する努力を怠らない未来が訪れる事を願います。


戦争は嫌だね。
でも日本が戦争に成らないのは自衛隊で日頃安住の生活を制限されて数週間~数ヶ月単位で家に帰らないまま海上で仕事に励んだり、地上で災害救助に励んでくれる自衛官が小生の親族にも友人にもいたりして、その方々の努力が有って日本が侵略されないでいられる事も感謝しています。
なんで戦争したがる国がいるのかね・・・
まぁ、今の戦争を長引かせているのは双方の陣営に加担してる老害と武器商人でしょ。
日本もだけど、65歳で政治家も定年制にして頂戴。
・・・早くロシアとウクライナの戦争が終わりますように。

小生は将来、ロシアか台湾で働きたいと思っています。
台湾は実は親日国として知られている一方で中国での商売で既得権益を得ている人は今の国民党の媚中で知られる様に、自分の利益を守る為に反日的な発想の人も多くいます。
逆に台湾は台湾と思っている人には親日家が多くいます。
それ以外にも小生の台湾人の友人の様に自分は祖父母が大陸から来た中国人と認識していても超親日家の人もいて複雑だったりします。
ロシアは実は台湾並みに親日家が多いのですが、政治的な理由で当然ながら日本を嫌いな人もいます。

まぁ、どうせ働くなら少しでも日本と日本文化と日本人を好きに成って貰う為に働けたら良いなと思っています。
ロシアはこの先、過酷な状況に陥る様に感じています。
それを喜ぶのはアメリカよりも中国だとも思っています。資源の豊かなロシアは商工業では弱い国ですから当然ながら今のウクライナ戦争で必要と言われる1000兆円とも言われる戦費は、中国から借りまくってる事でしょう。
ロシアは戦争に勝たないと中国人の過酷な借金取立てに遭い従属国にされるのが分かっているから絶対に戦争を止めれないと小生は思っています。
そしてウクライナの国土はウクライナ軍、ロシア軍と言う人命を使った武器商人達による兵器見本市化されており、またウクライナとロシアの資源を狙う国々が戦争継続の黒幕だとも思っています。
ロシアも戦争を止めれませんが、アメリカ・フランス・ドイツ・イタリア・トルコ・イラン・中国が武器供与したり自国の立場の優位性を確保する道具にしたりと両陣営とも決定的な優位に成る様な武器供与を誠心誠意行わないのは、ウクライナもロシアも双方とも仲間のフリをしている連中が実は本当の敵だからだと思います。

ウクライナも本当に信用して良いのはイギリスとフィンランドとバルト三国位じゃないでしょうか?
日露戦争の時も本当に日本にかけてくれたのは英国と英国のユダヤ系の人々だった訳ですしね。
フィンランド、バルト三国にとっては他人事じゃないでしょう、そして日本人にとってもね。
逆にロシアが信頼するべきは嘗ての陣営の枠を超えて、民間人レベルでは相性の良い日本人だったんじゃないかな~?と観察していて思います。
中国は、香港や台湾と日本との関係を見ても分かる通り、協力を仰いだり重視してる大切にしてると言っても頭が変われば背中から刺してくるし平気で友人を地獄に落として財産を奪おうとする国なのは、胡錦涛さん以前と習近平政権以後でハッキリ日本に対する外交軍事政策が友好共栄→敵対に代わっている事からも明白ですよね。
今ロシアが疲弊して急速に戦費を増大させ尚且つ若いロシア人男性が多く戦死しているのを一番喜んでいるのはアメリカじんではなく、ロシアを資源の出所くらいにしかみていない中国人とドイツ人とフランス人でしょ。

ロシア人ともウクライナ人とも誠実に向き合えるのは一見してウクライナに武器供与せず非協力的に見えたり、国としてのロシアとは外交的に対立している日本人だと思うのです。
日本だけが戦勝国と敗戦国の両方を経験してるし、人間同士が殺しあってる場合じゃないってのは災害国だから良く解ってますしね。
日本は中国と違って政治では裏表有りませんし、フランスのマクロンの様に他国を利用したり他国の産業を盗み取ろうとしたりもしませんし、ドイツの様に二枚舌なんて出来ませんしね日本の国会議員は外交音痴ですしwww。

戦争はね~、負けると文化が無くなるし戦場に成っても文化財が無くなるし、だから始めると止めらんないんですよね、原爆が落ちるか主戦論者の指導者が死ぬ迄。
豊臣秀吉が死んで徳川家康公が登場したり、相手が男女問わず性交依存って私欲にしか興味が無い様なバカ殿がたまたま国外戦争反対のお爺ちゃんの真似っこ乞食で依怙贔屓されて権力闘争に勝って、実際は後継者第一候補だった徳川忠長公が自害させられて、明への援軍派兵論者の徳川忠長公が自害させられた事で戦争起きずに済んだみたいな超展開でも起きないと、ウクライナとロシアの戦争は止まらないし、以後の紛争継続の火種も消せないでしょ。

さて、明日中(本日2023年02月12日)に先週書きかけていた記事をUPします。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昨日、三渓園に行ってきました。
PXL_20221126_051321255.MPPXL_20221125_102026919
国指定名勝 横浜三溪園 
(旧原財閥総帥 原三渓私邸)
結論から言うと2022年の見頃は12月第一週位迄かと思います。
PXL_20221126_055612736.MP
PXL_20221125_093233575.NIGHT
ちょっと11月末週末現在の三渓園の様子を紹介する前に・・・
三渓園がどんな場所かと言う解説記事は過去に記事を書いているので、ソチラを参考に読んでみて下さい!
下にリンクを貼ります。


私事ですが実は先週の水曜日から微熱と頭痛が激しくてコロナ抗原検査キットでも陰性で、仕方なく休んでも改善せず祭日でもやってる病院を受診しようとしたのですが多くの病院で発熱外来を拒否られて、その中で1軒だけ翌日に発熱外来の予約を受けてくれた病院に行きまして。会社を休む事3日目で漸くPCR検査を受けられました。
で、昨日結果が出まして目出度くと言うか普通に陰性でして、御医者様曰くストレス性の発熱と頭痛だろうと言う事でした。
そんな訳で頭は痛いのですが、こう言う時は気分転換をしないと自分が潰れます。
幸い昨日の午前中にPCR陰性の結果も出たし、家に閉じこもる必要が無く成ったので三渓園に紅葉を見に行く事にしました。
最近離婚して独身に戻り自由に景勝地散歩出来る様に戻った20年来の友人(それも鬱展開だけどね)がいるので、ソイツを誘って御互いの気晴らし兼ねて食事と紅葉狩りに三渓園に行ってきました。
まぁ、三渓園を歩いてる間も頭痛は収まらなかったのですが。
PXL_20221126_022148566.MP
最初は横浜駅で待ち合わせしたのだけど、ソイツが神奈川区の市営地下鉄沿線住人なのでバスの発着の都合が良い桜木町に待ち合わせを変更、桜木町~バスで本牧で降車して先ず腹ごしらえ。
山手~本牧~三渓園の商店街には様々な飲食店が有るので友人と和食が良いか洋食にするかバスを降りてから食べたい物を相談、向かったのは以前から気に成っていたラ・オハナ。
PXL_20221126_034520699.MP
ラ・オハナ 横浜本牧店
この店はスカイラークグループの展開するハワイ料理の店で、なんと1号店。初入店だったが値段もそんなに高くなく何より店の内装も綺麗で可愛く料理も美味しかった。
小生は平素アルコールは飲まないのでスムージー。
PXL_20221126_035129797.MP
友人はハワイのビールとアサヒの生ジョッキを飲んだ。
頼んだ料理はシェアして食べたので、昼から居酒屋にいるようなでも料理は洋食。
PXL_20221126_041127138.MP
PXL_20221126_041134491.MP
PXL_20221126_034743491.MP
PXL_20221126_035134603.MP
サーロインステーキ、ガーリックシュリンプ、コブサラダ、バッファローチキン。
あと写真撮り忘れた小生がアルコール飲まないので頼んだ牛テールスープ。
めちゃ美味い上に、+スムージー、+アルコール2杯、これだけ頼んで7700円くらいだった!
料理の質と味と店の綺麗さからしたら安いでしょ。
で、案の定頼み過ぎで二人とも腹パンパン。
丁度良い腹ごなしに三渓園迄の900m+三渓園で半日散歩に向かう。

PXL_20221126_050536246.MP
亀の子石神社
途中に有るのが亀の子石神社。
何かここは喉の病気の治癒の御利益の昔から土地の人々が信仰していた神社で、亀を供養したら亀が石に成って、それが御神体らしい。その亀の御利益で喉の病気が治るとか確か説明看板に書いて有ったけど余り詳しく覚えていない。
亀の子石神社を過ぎて直ぐに三渓園の正門。
昼到着時は撮影を忘れたので、帰りの夜間ライトアップの写真で失礼します。
PXL_20221125_090425679.NIGHT
国指定名勝 横浜三溪園 
(旧原財閥総帥 原三渓私邸)
う~ん素敵!
ここからは余り詳しい解説抜きに見た順路順に写真を掲載していきます。
さて正門をくぐると池越しに見る三重塔。
PXL_20221126_051321255.MP
夜間ライトアップ期間の三渓園を見るなら日没は17時位ですから、15時位から行ってゆっくり昼間の内に紅葉の様子を見た方が良いでしょう。
PXL_20221126_051442602.MP
そして一通り見て廻り茶屋で団子を食べてると16時30分位から夜間ライトアップが始まり、夜と昼の景色を両方見られます。
池の右手を進むと珍しい日本建築なのに車寄せの有る家屋。
PXL_20221126_051757270.MP
これが三渓園が原財閥の私邸だった時に母屋だった場所で、現在は結婚披露宴等でも使える様です。
PXL_20221126_052059336.MP
池の途中、藤棚の有る辺りから見る景色が小生は一番好きなのですが、余計な火力発電所の煙突が真ん中に飛び出ているのは御愛嬌(笑)。
この景色も夜に成ると池にライトアップされた三重の塔が映り込んで綺麗ですよ♪
その様子はまた後で。
池を進むと右手に一見行止まりの様なエリアが有りますが、ソチラに進んで下さい。
三渓園
上の衛星写真をクリックして拡大して見て下さい、三渓園の池の右上、臨春閣と言う建物が有りますが、ソチラが戦国時代~江戸時代の大名が使っていた建物が多く移築され保護されているエリアです。
この緑地帯全部が原家の私邸で、戦前に財閥解体まで在住されていた頃から市民に公園としても公開されていました。
PXL_20221126_052404429.MP
右手に回ると紅葉の綺麗な直線の道が現れ、この奥に沢山の比較的古い建築文化財が集まっています。
でもこの通りのすぐ右手にも綺麗な通路が有ります。
昼の写真を撮影し忘れたので先に夜の写真を御見せします。
PXL_20221125_091715724.NIGHT
この通路の入口の門は京都の平安神宮の近くに有った西方寺の門でした。
門をくぐると昼も夜も素敵な雰囲気の石畳の道が現れます。
PXL_20221126_052505413.MP
この道を真っ直ぐ進んで左手に折れると先程の紅葉の道に復帰します。
PXL_20221126_052407745.MP
この奥に進むと臨春閣と言う池の傍に素敵な建物が現れます。
PXL_20221126_052950629.MP
PXL_20221126_052956588.MP
この建物が江戸時代の紀州徳川家が紀ノ川沿いに建てていた別荘です。
更に進むと御堂が見えます。
PXL_20221126_053213706.MP
この御堂は元々は京都の臨済宗大徳寺に豊臣秀吉が母親の病気平癒祈願に建てた物で、明治時代の廃仏毀釈で仏教施設が弾圧された際に他の建物同様に原家が買い取り移築して保護した物です。
この背後の銀杏が綺麗なので、また後で写真を順路ごとに御見せします。
ここを進むと橋に紅葉が映える素敵な場所が有ります。
PXL_20221126_053343813.MP
小生はここが三渓園のビュースポットの内に五本指に入る1つだと思っています。
この横の紅葉は今が見頃でした。
PXL_20221126_053552805.MP
橋を渡ると右手に臨春閣があり、狩野探幽等が描いた襖絵や秀吉家臣から大名に成った藤堂高虎が使っていた手水の鉢などが有ります。
更にここを進むと山側の綺麗な日本建築が多く山間に見えてきます。
PXL_20221126_053701013.MP
先には旧鎌倉の心平寺の本堂が見えてきます。
PXL_20221126_054124399.MP
この辺りの紅葉はハッキリと紅葉してる樹と今年は紅葉し無さそうな樹がハッキリ分かれています。
階段を下りて別の道に進みます。
階段の下から右手に又山道を進むと聴秋閣と言う建物が有ります。
PXL_20221126_054847073.MP
その裏側の山道は紅葉シーズンのみ公開される三渓園最大の紅葉スポットです。
今年はこれから紅葉する部分が未だ有りますが、紅葉する前に海が近いので塩害で枯れている葉も多く有りますね。
ここが一番の紅葉スポットと言う理由は普段非公開の聴秋閣の道からは紅葉と聴秋閣越しに三重塔を撮影することが出来るんですね。
PXL_20221126_054925814.MP
構図は良いでしょ?
今年は11月末時点では未だ紅葉の発色が良くない樹も多いですね。
PXL_20221126_054937201.MP
発色悪くてもソレなりに綺麗。
下は過去写真ですが綺麗でしょ?
CIMG5746
でもこの写真を撮影した頃は三重塔が見える構図が有る事に気が付いていませんでした(笑)。
さて、同行した友人はこちらのエリアに紅葉シーズン入るのが初めてだったらしく未だ発色の悪い状態でも満足だったようです。
聴秋閣を下りて右手に回ると、先程の秀吉が母の為に建てた建物の裏手に回れます。
PXL_20221126_055225046.MP
そこから見る大銀杏の葉の絨毯と空を覆う緑と黄色の天蓋がとても美しい。
こちらは今週中にもう見頃は終わるかな?
他の紅葉は週末以後も見頃の場所も有りそうです。
PXL_20221126_055612736.MP
銀杏の順路を進むと臨春閣の前に戻ります。
で、三渓園の正門から見える大池の方に戻る途中、先程の紅葉の真っ直ぐな道の横に三渓記念館と言う三渓園の資料館兼美術館が有り、屋内の椅子に座って三渓記念館の小池の紅葉の景色をゆっくり見る事が出来ます。
PXL_20221126_060207359.MP
PXL_20221126_060221440.MP
他にも多くの美術品も展示されているので、ここも必見です。
さて、昨日は偶然猿回しの芸を見る機会が有りました。
PXL_20221126_062203503.MP
PXL_20221126_062751176.MP
予想外に大きくて余り可愛くなかった(笑)。
三渓園は通常、三重塔は非公開ですが、現在は池の前の茶屋の右手側の登り道から三重塔を見に行く事が出来ます。
PXL_20221126_064050234.MP
この三重塔は京都の燈明寺から移築された物です。
燈明寺の裏は現代では埋め立て地に成った工業地帯の海が広がっています。
三渓園側を見ると海側の横浜とは異なる田舎の様な景色が広がっています。
PXL_20221126_064203938.MP
ここから下に直接降りる事は普段出来ないのですが今の期間は通行が昼の間だけ出来ます。
PXL_20221126_064253996.MP
まぁ、御覧の通り傾斜が急なので普段は通れないんでしょうかね。
そこから降りると三渓園の左奥のスペースに辿り着きます。
三渓園
上のGoogleMap衛星画像で初音茶屋と表示されているエリアですね。
PXL_20221126_064527557.MP
こちら側も紅葉がちらほら有り、渓流があるので又、臨春閣のエリアと異なる田舎の様な景色を楽しむ事が出来ます。
PXL_20221126_064553938.MP
こちらは椿も綺麗でしたよ。
PXL_20221126_064637979.MP
そこから奥に進むと移築された北鎌倉の東慶寺の旧本堂が有りますが、そこまで渓流が続きます。
PXL_20221126_064903914.MP
PXL_20221126_065046708.MP
残念ながら旧東慶寺本堂は修繕中で見学できないので渓流の奥に進むと左奥に岐阜県から移築された豪農の合掌造りの家屋を見学できます。
PXL_20221126_064944851.MP
その手前の紅葉も綺麗でした。
PXL_20221126_070410872.MP
この頃、丁度友人と見学しだして16時も過ぎて空が薄暗く成る時間帯でした。
PXL_20221126_065228820.MP
この建物の中にも会入れるので皆さんも見学されてみて下さい。
PXL_20221126_070039869
今回撮影していませんでしたが、火が焚かれた囲炉裏や当時の生活空間や執務空間、台所なども見学できます。
田舎が無い都市出身の方々には良い経験に成ると思います。
さて、合掌造りの建物を見学終わり、友人と茶屋目指して戻る途中も景色は素敵です。
PXL_20221126_070729363.NIGHT
横笛庵と紅葉。
う~ん、今年は伊勢原市大山の紅葉は発色が良かったのに三渓園は紅葉せずに枯れちゃってる葉がやはり少し多いかもしれない。
PXL_20221126_070853814.NIGHT
発色悪くても綺麗ですし、未だこれから紅葉も深まるでしょう。
下の建物は旧燈明寺本堂。
PXL_20221126_071030673.NIGHT
この建物は戦前は無く、この本堂の裏には神社が有ったのですが第二次世界大戦中に空爆で神社が壊され、燈明寺の旧本堂をコチラに移したそうでうす。
PXL_20221126_071114021.NIGHT
本堂には観音様が祀られていて拝む事が出来ます。
PXL_20221126_070814077.NIGHT
この御地蔵様を過ぎると橋が有り、そこから見る景色も綺麗です。
PXL_20221126_071619295.NIGHT
良いでしょ?
夕暮れ時に成るとこの橋の上から川に映る三重塔が綺麗ですよ。
PXL_20221126_071747516.NIGHT
これから三渓園に紅葉を見に行く人は是非、こちらも暗く成る寸前と暗く成ってから歩いて見て下さい。
さて、ここから友人と池の横の茶屋で団子で休息、友人はビール、小生はノンアルのレモン酎ハイ風の飲み物。
PXL_20221126_073213044.MP
PXL_20221126_073716626.NIGHT
オススメは黒蜜きな粉。
一服してから又散策開始。
PXL_20221126_075328773
うむ、段々と夜は夜の綺麗さが際立ってきましたな。
PXL_20221126_075714549
また入り口側から夜景の風景を今度は順路説明なしで張り付けまくって今日のブログを終わります。
PXL_20221125_090425679.NIGHT
PXL_20221125_090633076.NIGHT
PXL_20221125_091014844.NIGHT
PXL_20221125_100953637
PXL_20221125_101339836
PXL_20221125_101730609
PXL_20221125_102026919
PXL_20221125_101820630
PXL_20221125_091014844.NIGHT
PXL_20221125_091420628.NIGHT
PXL_20221125_091520753.NIGHT
PXL_20221125_091715724.NIGHT
PXL_20221125_091905418.NIGHT
PXL_20221125_091918055.NIGHT
PXL_20221125_091944548.NIGHT
PXL_20221125_092033299.PORTRAIT
PXL_20221125_092126720.PORTRAIT
PXL_20221125_092252251.NIGHT
PXL_20221125_092522219.NIGHT
PXL_20221125_092803122.NIGHT
PXL_20221125_093011834.NIGHT
PXL_20221125_093052647.NIGHT
PXL_20221125_093233575.NIGHT
PXL_20221125_093446019.NIGHT
PXL_20221125_093644820
PXL_20221125_094232178.PORTRAIT
PXL_20221125_094418794.NIGHT
PXL_20221125_094433877.NIGHT
PXL_20221125_094556173.NIGHT
PXL_20221125_094713673.NIGHT
PXL_20221125_095920323.NIGHT
PXL_20221125_095956895.NIGHT
PXL_20221125_100116158.NIGHT
PXL_20221125_100423214.NIGHT
PXL_20221125_100608931
PXL_20221125_100852365
さて、三渓園綺麗だったでしょうか?
例年神奈川県内の紅葉の見ごろは11月下旬~12月中旬ですが今年は1週間くらいは早目な漢字でしょうか?
是非今週中~週末~来週頭位に紅葉を見に行ってみて下さい。
御参考までに⤵


今週中、金曜日の夜中に書けたら鎌倉の紅葉名所の個別紹介を書きたいと思います。
では皆さん、又次の記事で御会いしましょう~♪
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

先週は山下公園一帯での護衛艦一般公開を見物に行きました。


その際に2022年は11月中旬が山下公園の銀杏並木の見頃だろうと思ったので、今朝11月13日は朝から往復31km自転車で運動がてら大岡川沿い並木道~横浜スタジアムから日本大通りの銀杏並木~大桟橋~山下公園の銀杏並木~山下公園の秋の景色~元町から山手の洋館街の景色をサイクリングに行って写真を撮影して来ました。
PXL_20221113_012259272.MP
山下公園前の銀杏並木は未だ黄色に発色していない樹も多いですが既に散り始めているので、今が見頃だと思います。
神奈川県では12月初旬が恐らく紅葉の見頃なので、次の金曜日位から、また紅葉の名所の個別記事を書き足して行きたいと思います。

鎌倉市内は未だ一覧に掲載して無い神社仏閣の紅葉名所も多いですが、上の記事で既に紹介している場所も結構あるので皆さんの来月の紅葉狩りの参考に成れば幸いです。

さて、今日は解説や紹介記事と言う訳ではなく休日雑記として今日のサイクリングで見て来た場所を紹介しながら、その中で山下公園や日本大通りの銀杏並木を含めて横浜の初秋の景色を皆さんにも御覧頂きたいなと思います。

さて今日見て来た風景ですが・・・
PXL_20221112_235442692.MP

瑞應山 蓮華院 弘明寺三浦半島横須賀市の曹源寺と言う御寺が有ります。この前身を三浦郡衙と考えるのが神奈川県では一般的だったりするのと同じ例ですね。

ここは戦国時代には北条家臣団で玉縄北条家付家老を務めた間宮家の間宮信元公の菩提寺か関与した寺院だった可能性も有りますが、それは間宮康俊公の戒名の通説が誤りだと小生が暴露した解説ブログ記事でも紹介した事が有ります。
いずれにせよ、古代には国府直轄の寺格を持つ寺院だった事は郡衙であろうとなかろうと間違いない上に、源頼朝公や間宮家が信仰し支援した寺院だった事も間違いない訳ですね。
PXL_20221112_235442692.MP
小生は最近、自分のやり遂げると考えていた事を1つ実現したので、その御報告と心願成就させて頂いた御礼に弘明寺に御参りに来ました。
他にも複数の神社仏閣に参拝していたので、自転車通勤の仕事帰りに遠回りして鎌倉市内や横浜市内から御礼回りもしていってます。
今回は弘明寺サンだった訳ですね。
弘明寺は山門の仁王様の間を通ると直ぐに観音様の御堂が有ります。
PXL_20221112_235610387.MP
こちはら御本尊の十一面観音様ではありませんが、何だかマリア様に似ているな~と思うのは小生だけでしょうか?
弘明寺は階段を上がるととても古い御本堂が見えます、まぁ境内の規模としては現在は中の上くらいの規模の寺院ですが古い伝統は良く守られ毎月8の付く日は参道の商店街で縁日が行われる他、護摩行で御焚き上げを行って下さいます。
今月は8の付く日が週末ではないので、11月13日に日曜日のサイクリングついでに御礼回りに上がった次第です。
この御寺は元々は弘明寺商店街も京浜急行弘明寺駅も弘明寺公園も周辺住宅街も全てが御寺の境内地でしたが明治政府の仏教弾圧で弘法大師様と源頼朝公が大切にした弘明寺も被害を受けて無住職に成り土地も政府に接収されて現代の規模に縮小し、多くの寺宝も散逸してしまいました。
しかし周辺の真言宗の御住職達の御尽力で護摩行は維持され、市指定文化財の観音様も現存していたりします。
PXL_20221113_000824185.MP
小生は弘明寺の観音様や不動明王様、弁才天様を特に進行しており毎日、弘明寺の仏様にも遥拝しています。
PXL_20221113_000441645.MP
朝の9時頃に御礼参りを済ませて❝おみくじ❞を引いたところ大吉が出たので今日は持ち帰って来て御籤ノートに張り付けるつもりです。
PXL_20221113_000422938.MP
PXL_20221113_000543183.MP
そこから自転車で鎌倉街道では無く弘明寺商店街の真ん中から大岡川沿いの道に出て、川沿いに山下公園の有る横浜市中区を目指す事にしました。
PXL_20221113_002411403.MP
う~ん、まだ椛や楓は紅葉していませんが、既に他の広葉樹は紅く染まり大岡川の景色も綺麗ですね。
春の桜シーズンは桜の並木が満開の頃も綺麗ですが、桜の紅葉も悪くないですね。
そのまま大岡川を太田橋~末吉橋へと進み、そこから伊勢佐木長者町に入って、伊勢佐木長者町~横浜スタジアムを目指しました。
PXL_20221113_004506079.MP
スタジアムから一直線に象の鼻パークに延びる日本大通は銀杏並木が素敵なんですね~。
横浜スタジアムの彼我庭園は昨晩紅葉の様子を見に行きましたが、やはり未だ見頃ではありませんでした。
PXL_20221112_115422003.NIGHT
昨晩の彼我庭園は紅葉は未だ未だでしたが、人が誰もおらずライトアップの池の椛のリフレクションが綺麗でしたよ!
彼我庭園の紅葉に関しては以前に紹介記事を書いているので御参考にして頂ければ幸いです。

中華街や山下公園や赤煉瓦倉庫を11月末~12月中旬に訪れる予定の有る方は、是非お立ち寄り下さい。
さて、昨晩は彼我庭園を偵察しましたが今日は銀杏並木が主目的。
横浜スタジアムのある日本最初の近代西洋式公園の横浜公園を東口から出ると一直線に伸びる銀杏並木が見えます。
PXL_20221113_004631203.MP
日本大通りの銀杏並木
実は日本初の西洋式街路

この日本大通は道自体が日本初ですが、日本の海外郵便発祥地の港郵便局やガス灯発祥地、近代消防発祥地等の日本初が色々と集まっている場所で、近代西洋建築も多く残っています。
PXL_20221113_004746617.MP
日本新聞博物館(旧横浜商工奨励館)
横浜市認定歴史的建造物
この日本新聞博物館の建物も横浜市認定歴史的建造物ですから旧横浜商工奨励館の部分は非常に重厚で威厳の有る作りに成っています。
PXL_20221113_004805174.MP
そこから横浜スタジアムの方向を見ても良い景色ですね。
更に海側に進むと左手には横浜3塔の1つKINGこと神奈川県庁があり、こちらも文化財です。
PXL_20221113_004926299.MP
神奈川県庁
横浜3塔の1つKING

この神奈川県庁は近代西洋建築で以前に紹介した事が有りますが、色んなドラマや映画のロケ地に成っており、以前の記事でも紹介しています。
下の「カテゴリー:日本建築・西洋建築」の記事の中で神奈川県庁含めて複数の一帯の近代西洋建築を紹介しているので、御興味有る方の参考に成れば幸いです。

県庁舎は以前は水曜日だけ限定一般公開されていましたが、コロナ後にどうなっているかは確認していせんので、御興味の有る方は直接電話で確認してみると良いと思います。
PXL_20221113_005033089.MP
この神奈川県庁の反対側にも歴史的な建造物が現存しています。
旧英国総領事館ですね。
PXL_20221113_005114451.MP
横浜開港資料館(旧英国総領事館)
ここも先程リンクを貼ったカテゴリー内の記事で紹介しているので、御興味有る方は御覧下さい。
この開港資料館の目の前が象の鼻パークです。
今日11月13日は中区区民祭が開催されており、伊勢崎町警察署や消防団の方々がパトカーや消防車を展示していました。
PXL_20221113_005450434.MP
小さな子供用の親子連れの子供さんに試乗させてあげる為の小さな白バイも展示されていました。
PXL_20221113_005541242.MP
白バイ隊の可愛い(笑)婦警さんを見かけたので・・・
「婦警さんを白バイと一緒に撮影させて頂いても平気ですか~?」
・・・と聞いたところ快諾して下さいました。
PXL_20221113_005618721.MP
マスクしてるけど可愛かったよ(笑)。
で、小生はだいたい先頭切って何でもやったり聞いたりするタイプなのですが、小生がホワイトエンジェルス(女性白バイ隊)の婦警さんに写真撮らせて貰ったのを見て、周りのオッサン達が「私も良いですか!」と複数にたかり始めたので自分の事を差し置いて・・・
「写真撮らせてもらいたくて悶々として婦警さん見てたのか?キモイなオマエ等(笑)」
・・・とか思いながら他のパトカーとかを見物してから移動しました。
PXL_20221113_005757523.MP
PXL_20221113_005811198.MP
PXL_20221113_005825849.MP
岸壁側に行くと通称大桟橋の国際客船ターミナルに今日は飛鳥Ⅱが停泊しているのが見えました。
PXL_20221113_010324921.MP
デカイよね~。
ここまで朝食も食べてなかったので、コープ大桟橋店にある港湾職員の組合の立ち食い蕎麦の食堂で少し遅い朝食をとる事に。
PXL_20221113_010628925.MP

横浜港湾飲食企業組合 大桟橋食堂

(大桟橋総合ビル内)

港湾労働者の食堂はどこも早くて有る程度美味いので間違い無い。
ここに入った事は無いですが、絶対に間違いないので迷う必要なしっ!
PXL_20221113_010905430.MP
叔母ちゃん一人で奮闘。
頑張ってる。
PXL_20221113_010929040.MP
叔母ちゃん、牛肉蕎麦美味しかったよ~♪
牛丼も提供しているので、この蕎麦の具は牛丼の頭だった様です、そりゃ美味いわ。
食べ終わると今度は山下公園通りの銀杏並木見物に移動。
PXL_20221113_011801958.MP
右手にジョナサン、ここを少し進むと左手は山下公園です。
ここから元町商店街の入口の❝元町中華街駅❞まで約1kmの銀杏並木が続き秋には綺麗に黄色く色付き観光名所を更に飾り付けてくれます。
PXL_20221113_011719656.MP
山下公園前銀杏並木
今日は銀杏並木の撮影に訪れて直ぐに奇跡が起きました!
最初の横断歩道で青信号を待って道路の中央に写真を撮りに出た所で下の写真の車がスス~っと来て止まったのです。
PXL_20221113_012131103.MP
これを見て・・・
「アっ!あの人だ」
・・・と直ぐに解りました」
この車はレパードと言って、20年前の❝あぶない刑事❞シリーズで主人公の一人、柴田恭兵サン演じる大下勇次がドラマ中に警察車両として乗車していた車なのですが、この車で横浜を流す人はこの人しかいないのです。

この記事⤴で、あぶない刑事とStarDustと言うBarの紹介で参考にリンクを貼らせて頂いた有名な❝あぶない刑事❞の大下勇次の成り切りで20年前のレパードを改造し勇次コスでYouTubeに動画を上げている方だと一目でわかったんですよ!

この動画カッコ良いでしょう!
で、直ぐに車の助手席側に回って写真撮らせて下さい!とジェスチャーして会釈した所、快く会釈をして下さったので撮影させて貰いました。
PXL_20221113_012148125.MP
メチャカッコ良い!
こうやって旧車をドラマのまま綺麗に乗ってる方は走る博物館同然で本当に感謝しかないですね。
で、レパードも走り去ったので銀杏並木撮影に復帰。
PXL_20221113_012416392.MP
PXL_20221113_012459995.MP
歩道の銀杏並木も綺麗ですなぁ~。
でも銀杏は臭いっ!
PXL_20221113_012514034.MP
チャリンコで踏みまくり~。
でも臭くても綺麗な者は綺麗っすな~。
PXL_20221113_012700014.NIGHT
PXL_20221113_012705338.NIGHT
暫く歩道側を歩いてから山下公園内に移動。
PXL_20221113_013309090.MP
後ろはニューグランドホテルと横浜マリンタワー、マッカーサー元帥が戦後しばらく滞在して自宅代わりにしていた部屋があるホテル。
PXL_20221113_013320987.MP
秋でもこんな色とりどりの花が観光客を出迎えてくれるんですね~。
マリンタワーは灯台でしたが周囲に高層建築が増えて灯台の役割は早々と無く成り、今ではただの観光施設ですが素敵なカフェや夜間ライトアップで観光名所として今月から営業再開されました。
ここは昼だけでなく夜も綺麗ですよ~。
PXL_20221112_113813487
PXL_20221112_114019002.NIGHT
さて、昼の今日の景色に戻ります。
PXL_20221113_013320987.MP
PXL_20221113_013418726.MP
薔薇園は秋でもバラや色んな花が綺麗です。
PXL_20221113_013500101.MP
PXL_20221113_013547866.MP
PXL_20221113_013702071.MP
PXL_20221113_013833471.MP
山下公園も大桟橋や赤煉瓦倉庫と合わせて歩いて地続きですし遊歩道が有るので観光地として訪れる価値が有ります。
今回は元町の山手側の洋館街の景色を見て廻る予定なので、赤煉瓦倉庫側には歩かず反対側に出ます。
PXL_20221113_014103558.MP
PXL_20221113_014255050.MP
元町に行く途中、マリンタワー周辺の山下公園通りの銀杏も綺麗でした。
山下公園通りと日本大通りの銀杏並木は今週末の19~20日迄が見頃かも知れません。
来週には葉が散ってしまうと思いますよ。
さて、チャリンコで頑張って元町の谷戸坂の急坂を登り、山手本通りの洋館街の景色を見て廻りました。
洋館は無料で入館出来るので、もう小生はさんざん見学済みなので今回は景色だけ。

洋館についたは以前、上の記事⤴映画のL💛DKのロケ地でも、西洋建築のカテゴリーでも紹介しているので興味が有る方は過去の紹介記事を御覧下さい。
さて、今回は山手本通り沿いの景色。

横浜聖公会の聖堂
PXL_20221113_015221795.MP

山手234番館
PXL_20221113_015335550.MPPXL_20221113_015409434.MP

エリスマン邸
PXL_20221113_015458142.MP
うん、秋らしい爽やかな洋館と木々の写真が撮影出来て満足。
これらの洋館は文化財ですが横浜市が高秀市長の時代に買い取って保存しているので無料で見学できます。神戸の洋館は有料で不便な場所に在りますが、こちらは見学し易い丘の尾根を削平した住宅街に密集しているので、良い横浜観光のコースにも成っていますよ。
ここを見終わってから元町公園の中を自転車で降りて、中華街の媽祖様と関帝廟を参拝して帰路につきました。
PXL_20221113_020317050.MP
PXL_20221113_020418513.MP
PXL_20221113_020742266.MP
途中、伊勢佐木長者町の近くの大通り公園にも立ち寄り景色を見て帰りました。
PXL_20221113_021709333.MP
PXL_20221113_021914490.MP
石の広場と言いますが、綺麗な公園で整備されているのですが現代では只の周辺住宅街の方々が散歩する程度で観光地化出来なかった場所です。
鎌倉街道か環状3号に出ると小生の家に帰るには近いのですが、帰路も鎌倉街道は直接進まず車の少ない景色の良い大岡川沿いを遡上する事にして野毛に戻りました。
野毛古い歓楽街で雰囲気の良い居酒屋が密集する楽しい場所なのですがラブホテルや風俗店も多く有ったりして、横浜の裏の面も持つ地域が伊勢佐木長者町~曙町~福富町~野毛町だったりします。
PXL_20221113_022412103.MP
いや~新しいラブホテルのビルってオシャレですね(笑)。
ありふれたマンションよりセンス良いですよ。
PXL_20221113_022417400.MP
大岡川には桜並木と大きな橋が幾つも有るので景色も素敵です。
野毛と言えばスナックが沢山入った川沿いの建物が特徴的です。
PXL_20221113_022433522.MP
夜だとこんな感じ。
KIMG3200
飲み屋が集まってます。
これ撮影したの多分深夜だったので全然客がいませんが、夜22時くらいは未だ未だすごく賑やかです。
PXL_20221113_022716208
PXL_20221113_022610371.MP
まぁ、そんな街なので野毛は風俗店が普通に点在しており子供を連れて歩くには余り良い場所では現代では無く成ってしまっています。
でも野毛を過ぎれば川沿いは気持ちの良い道が続きます。
PXL_20221113_023013478.MP
日ノ出町と黄金町の間位、ここは桟橋があって将来的に遊覧船の定期便が運航する計画が有ったりしますが、未だ計画段階です。
PXL_20221113_023427761.MP
丁度、長者町の立派な石造りの長者橋のたもとですね。
実はここ、作家でヤクザ?だった長谷川伸の出身地らしいです。
PXL_20221113_023041316.MP
余り現代では知ってる人はいないと思います。
小生は存じ上げませんでした。
PXL_20221113_023727764.MP
川沿いの桜並木も葉がオレンジ色に成り綺麗ですね。
PXL_20221113_023941061.MP
太田橋から見る大岡川の桜並木も綺麗でした。
反対側は珍しい光景が見れましたよ。
PXL_20221113_023953009.MP
サップで川下りをする集団、あまり見ないですね~。
このまま弘明寺から港南中央に抜けて円海山方面に山を登り、帰宅。
朝の08時半位に家を出て約4時間の自転車の小旅行を行い、帰宅したのは13時くらいでした。
とても充実した日曜日を過ごす事が出来ました。

では来週からは又、去年の続きで紅葉の名所シリーズ❝鎌倉編❞と富士山の景勝地カテゴリーの記事を書き足して行きたいと思います。



では皆さん、又、次の記事で御会いしましょう~♪


























このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


前回の記事⤴で速報を出した横浜港での護衛艦一般公開ですが、小生も見てきました。
前回の記事に海上自衛隊のイベント公式を貼り付けましたが、11月05日、小生が一番見たかった護衛艦❝くまの❞の一般公開で乗艦するには御前09時から先着順で配布される整理券857名分の内の1枚を受け取った人だけが見られるのですが、先週横須賀で大人気の内に終わった国際観艦式で❝いずも❞に余裕で乗艦出来た体験から当日の朝嘗め腐っていました。
余談ですが小生は減量の為に現在車に乗らず自転車生活をしていまして、06月末から11月06日現在時点で17kgの減量に成功しました。
なので当然ながら昨日11月05日(土)も円海山の麓の自宅から大桟橋は自転車で50分程度の距離の良く週末に走って行ってる場所なので、先週の横須賀の観艦式の体験から09時の整理券配布なら09時チョイに到着すれば良いだろう位に余裕ぶっこいて朝の08時半位に家を出発しました。
そして失敗・・・
なんと見たかった護衛艦くまのの整理券は9時を待たずに自分が出発した朝の08:30には並んだ観覧希望者が定員に成ってしまったので時間を切り上げて配布されてしまったのでした。
09:15分頃に到着したら駐輪場の前で自衛官の方が「整理券配布終了」のプラカードを持っているのに愕然としました。
・・・いや~、横須賀市は人口40万人しかいませんし交通の便が都市部の人には少し遠いので見学者が少なかったんですね。横浜市の桜木町~関内エリアは都心からも来やすいのでベテランファンはそりゃ~横浜港での一般公開を狙いますよね。
PXL_20221105_002403601.MP
しかし全く見れなかった訳でなく岸壁まで行き近くで撮影して、配布物も貰う事が出来ました。
何故乗艦したいのかと言うと前回も紹介しましたが乗艦すると御朱印ならぬ護朱印を配布して頂けるんですよ。
下は前回の横須賀の国際観艦式での一般公開で拝受した護朱印です。
img155
img156
img157
余り御朱印や歴史に興味が無い方は御存知無いと思いますが・・・
戦前の戦艦も現代の護衛艦も神社の御分霊を分祀し艦内で祀っています。
護衛艦は鋼鉄の動く神社なんですね。
プリントアウトされた無料で配布される物ですが神道や仏教好きにはちゃんと社寺の御朱印と同じ意味と価値が有る物です。
小生が一番乗艦したかった❝くまの❞は最新鋭のステルス艦です、つまり敵の探知網に引っ掛かり難い護衛艦な訳ですね。なので他の護衛艦と比較して刺激的なスタイルをしています・・・
PXL_20221105_003151568.MP
・・・ごめんなさい(笑)、これはイベントで展示されている護衛艦くまのの前代大戦中の❝重巡洋艦熊野❞をゲーム❝艦隊これくしょん❞で擬人化された熊野です。ちょっと服装がゲームとは違う様です。
まぁ、ステルス護衛艦に生まれ変わったので服装も変えたのかな(笑)?
実物の❝くまの❞は実際に艦船として変わった形をしています。
小生の撮影した写真で一緒に見て見ましょう。
下の写真は護衛艦しらぬい、一般的な護衛艦はこのしらぬいの様な形をしています。
dd120
では❝くまの❞をみて見てみましょう。
下の写真がくまの、何だか面が少ない様に思いませんか?
PXL_20221105_002611928.MP
極力、相手のレーダーに反射する面を少なくしている様に見えますよね。あと特徴的なピラミッドの様なフォルムですね~。
本当に特徴的。
PXL_20221105_003113647.MP
船の番号が❝2❞ですね、これ珍しくてほとんどの艦船は三桁の番号が付けられています。
例えば後で見に行く事に成った❝あたご❞は177番、先日見に行った❝いずも❞は183番です。
ステルス艦が特別な意味を持って建造されている事が解りますね~。
ちなみに、この時に大桟橋の対岸の山下埠頭には❝もがみ❞が停泊していたのですが、ステルス艦の1番艦は❝もがみ❞なので❝1❞の数字が割り当てられています。
CIMG0795
※クリックして拡大して下さい。手前に停泊しているのが❝もがみ❞です。
さて、女性は世界では数量の単位は女性の単位で数えられる物なのでゲーム❝艦隊これくしょん❞でも女性化されています。
PXL_20221105_004131527.MP
凄い人が並んでますね~。
女性には失礼ですが岸壁を進んでお尻側(笑)を見てみましょう。
PXL_20221105_003957741.MP
この後ろの格納庫に、哨戒(偵察)用のヘリコプターが格納されているのですが岸壁からでは見えませんでした。
CIMG0804
くまのは空母として運用される事が前提に成ってる❝いずも❞のミサイル迎撃システムが機関砲だったのに対してミサイルポットが装備されており、何だかガンダム臭を感じたのはZZガンダムを見て育った世代の小生だからでしょう(笑)。
1日艦長の内田理央チャン、一緒に写真撮って欲しかったなぁ~(笑)。
CIMG0803CIMG0810
綺麗!
前回のいずもでは1日艦長でウルトラマンZの俳優、平野君に一緒に写真を撮影して貰えたんで、多分、くまのに乗艦出来た人は一緒に撮影出来たんでしょうね。
停泊しているのが大桟橋なので、大桟橋の展望デッキ❝象の背中❞に移動しましょう。
PXL_20221105_013826710.MP
ここは横浜が一望出来て綺麗です。もし観光で横浜に来られる方が読者にいらっしゃったらここは必見ですよ。
PXL_20221105_014244320.MP
陸を向いて左手にくまのが停泊していますが、岸壁から見たのとそう違いは有りませんでした。
反対側は米軍から今年返還された瑞穂埠頭です。
PXL_20221105_013610634.MP
瑞穂埠頭に沢山の護衛艦が停泊しているのが見えました。
その西側には❝ミナト未来21地区❞があり、ハンマーヘッドでは❝しらぬい❞が公開されてました。
PXL_20221105_013617746.MP
本来は❝くまの❞を見てから赤煉瓦倉庫に行って12時から米軍第七艦隊のブラスバンドの演奏を見物して、その後にしらぬいを見学する予定だったのですが、くまのに乗艦出来なかったので予定を変更し山下埠頭に回って❝くにさき❞と❝あたご❞の2艘にいっぺんに乗艦する作戦に変更。
PXL_20221105_014846692.MP
山下公園を経由して行く必要が有り徒歩だとちょっと歩きますが、自転車で来ているので大して時間もかからず山下埠頭に到着しました。
PXL_20221105_020705479.MP
PXL_20221105_020404610.MP
う~ん、ガンダムとイージス艦が一緒に見えるってのも良いですね。
これを見て後から港の見える丘公園に移動すればもっと良い写真が撮れるのでは?と思い、後でソッチに移動しましたが、先ずは あたご と くにさき の話。
PXL_20221105_021032956.MP
11時半に輸送艦くにさきの受け入れ終了で11時にすんなりと行列に並ぶ事が出来たので又余裕ぶっこいてたらとんでもない事に成りました。
PXL_20221105_022154577.MP
すげ~並んでる。
PXL_20221105_022454075.MP
PXL_20221105_023033657.MP
ヤバいよねこれ。
実際ここから1時間以上全く列は動かなくなりました。
そうこうしてる最中に❝くにさき❞の公開受付終了www。
またもや目論見が甘かった(´;ω;`)!
PXL_20221105_030231808.MP
しかし❝くにさき❞の出航準備を見る事が出来ました。
PXL_20221105_031649333.MP
そうこうしてる内に❝くにさき❞の公開が終わり、乗艦客が下船すると漸く❝あたご❞の公開待ちの列として小生のいる行列も動き出しました。あたごの乗艦受付の手前に見学したかった❝くにさき❞の艦これのキャラのパネルが展示されていました。
PXL_20221105_031538931.MP
漸(ようや)く見えた、あたごの御尻。
PXL_20221105_031925680.MP
乗艦迄まだまだ列が続きますが、受付終了が14:30でこの時点でまだ12時半位だったので、あたごにだけは乗艦出来るのは確定し一安心。
PXL_20221105_032611341.MP
あたごに乗る寸前に、くにさきが離岸開始。
PXL_20221105_032516074.MP
離岸する際に押して離岸を誘導する船も寄って来ました。
くにさきの出航はあたごの上から見られると思い、そのまま行列から外れず、あたごに無事乗艦しました。
PXL_20221105_032820356.MP
格納庫が2つ有り、ヘリコプターを2機搭載しています。
その手前に艦これの重巡洋艦愛宕のキャラのパネルが有りました。
PXL_20221105_032805544.MP
さて、船尾の方に行くと横浜港が綺麗に見渡せました。
PXL_20221105_033147119.MP
前に見切れているのがステルス艦もがみです。
ここから離岸せんとする、くにさきも見えました。
PXL_20221105_033116145.MP
くにさきの出航は未だ暫く先に成りそうだったので、あたご船尾の見学の為に、あたごの中💛に移動してスカートを除きました。
PXL_20221105_033240245.MP
故意に変態的な表現をしましたが(笑)、スカートと言う装備が艦内に実際に有るんです。
PXL_20221105_033324332.MP
これなんですが、上の写真はあくまで展示の為に置いて有るのですが海上自衛官の友人に教えて貰った所、これもステルス艦にも備わってるステルス性を高める装置だそうです。
恐らく、一部分しか展示されてないからコレが全てではないでしょうね。
PXL_20221105_033451263.MP
これは魚雷の発射口の扉か何かだったと思います。
PXL_20221105_033517305.MP
PXL_20221105_033536201.MP
そこかしこに親切な展示解説が有りました。
PXL_20221105_033608340.MPPXL_20221105_033616726.MP
船尾側の甲板に出ると主砲や迎撃ミサイルの発射口が有り、イージス艦の特徴的なレーダー等も見る事が出来ました。
PXL_20221105_033722795.MP
PXL_20221105_033833099.MP
PXL_20221105_033836375.MPPXL_20221105_034623715.MP
PXL_20221105_034641566.MP
正面から見るとカッコ良いですよ、イージス艦は。
PXL_20221105_034245306.MP
実はこの写真を撮影した直後に、第三艦隊の鈴木司令官と御話させて頂き写真を御一緒に撮影して頂く機会が有りました。
芸能人ではないので写真掲載は差し控えます(笑)。
PXL_20221105_033901148.MP
PXL_20221105_033856920.MP
座らないでね~と言う警告が何か可愛らしい猪なので何でだろうな~と思ったら、後で海自の友達とあたごの護朱印のデザインについて考察した結果、何で猪があたごに使われていたかも解りましたので後で解説します。
下船する際に護朱印を拝受させて頂けました。
PXL_20221105_035402999.MP
さて、先程話題に取り上げた猪の考察をしてみましょう。
PXL_20221105_033901148.MP
これ、恐らくですが❝あたご❞は旧重巡洋艦愛宕同様に京都の愛宕山から名前を命名されています。
愛宕山は古くから神仏混交の聖地で愛宕大権現として有名でした。
今回の記事の最初の方でも解説しましたが、護衛艦は戦時中の艦船と同じく神社から各艦毎に守護神の御分霊を勧進しておりミニ神社の様な存在です。
埼玉県飯能市の円泉寺の御住職がブログで愛宕大権現について画像付きで解説されているので、先ずはソチラを御覧下さい。

愛宕はその名前通り愛宕神社から愛宕大権現を守護神として勧進しているので、愛宕大権現で聖獣として扱われている猪はこの艦の守り神の使いと言う事ですね。
img166



護朱印にも猪や神仏混淆の神様や仏様がデザインにされていました。
中央の楯と剣のデザインに愛宕大権現の脇侍や従者の神仏が表現されています。
楯には上に猪、右に愛宕大権現と同一視されている天狗、左に愛宕大権現が描かれており、愛宕大権現の脇侍の仏様である不動明王様と毘沙門天様が持つ劔が交差してデザインされており、炎のデザインも正に不動明王と毘沙門天が背中に背負っている炎を重ねたデザインに成っているんですね。
これ考えたの自衛官だったら歴史知識も深く美術的なデザイン能力も高い方ですね~。
さて愛宕を下船すると、くにさきが港から出て行く最中でした。
PXL_20221105_040803375.MPPXL_20221105_040419807.MP
乗りたかったなぁ~。
まぁ仕方ない。
山下埠頭から見るミナト未来21地区と山下公園の氷川丸は良い景色でしたよ。
PXL_20221105_035715136.MP
PXL_20221105_035721996.MP
そこから山下公園に秋を感じに移動する途中、横浜名物のガンダムへ駅から直行できる連結バスが停まっていました。
PXL_20221105_041010486.MP
山下公園の方はと言うと、少し秋模様に色も染まって来ていました。
PXL_20221105_041957170.MP
PXL_20221105_042011462.MP
PXL_20221105_042017072.MP
昼も過ぎたので中華街に移動して食事をする事に・・・
PXL_20221105_042746847.MP
PXL_20221105_042539035.MP
・・・横浜名所の1つ山下公園前の銀杏並木は今月中旬ぐらいが見頃ですかね~。
取り敢えず、美味しいけど臭い銀杏、沢山落ちてて酷い臭いだった。
PXL_20221105_042810621.MP
そしてマックのドナルドが経年劣化で損傷していて・・・
PXL_20221105_043214304.MP
PXL_20221105_043220151.MP
めちゃ怖ぇ~!マクドナルドさん、色塗り直して補修してあげて~(笑)!
PXL_20221105_043408571.MP
途中でニューグランドホテルの中庭も久々に見て中華街へ。
PXL_20221105_044457214.MP
PXL_20221105_044427624.MP
うん、人手が戻って来て嬉しい!
残念ながら横浜聘珍樓本店は100年以上の歴史に幕を閉じて潰れてしまったけど。
https://www.heichin.com/wp-content/uploads/2022/06/20220602.pdf

昨日は小生が学生時代に良く食べた福満園のランチに。
PXL_20221105_044653546.MP
1000円でメイン、御飯、スープ、ザーサイ、デザートが食べられるんですよ!
入口からは解り難いのですが、中は明るく女性客や家族連れが沢山来店する御店です。
PXL_20221105_050900750.MP
昨日は小生はエビチリ定食に追加で大根餅を食べました。
PXL_20221105_045502614.MPPXL_20221105_052153235.MP
これで1000円て安いでしょ?中華街来てランチ食べずに立ち食いして1000円以上コスパ悪い物食べてる人達を横浜の地元民は「カッペ可哀想ぅ~」と思ってみてたりします、主に中華街詳しい部類の小生とか( ´艸`)。
PXL_20221105_051236884.MP
この福満園の大根餅は干し海老の旨味が良く出て味と香りが良く、表面はパリパリ中モチモチで本当に美味しい。
オススメです。
食事を終えてガンダムとあたごを撮影する為に港の見える丘公園に移動。
PXL_20221105_062135115.MPPXL_20221105_062140255.MP
この公園は景色が良く、周辺に素敵な無料見学出来る洋館が多数有るので横浜観光では是非抑えて置きたい観光スポットの1つです。

以前、映画版L💛DKのロケ地としても紹介していますので、横浜観光にいらっしゃる方は是非、上の記事の洋館を訪れて見て下さい!
CIMG0870CIMG0871
さて、港の見える丘公園の展望所へ移動すると思った通り、あたごとガンダムを一緒に撮影出来ました。
でも、全長165mの❝あたご❞が大きすぎて18mのガンダムはちょっと小さいですね~。
ただ、他にラッキーな物が見れました。
CIMG0872
ハンマーヘッドに停泊してた潜水艦の出航です。
良く見ると見物客の見送りに応えるように潜水艦の上に海自の自衛官の方が立っていらっしゃるんですよ。
さて、そんな訳で朝08:30分から行動してこの時既に16時位だったかな?
帰路、港南台目指して帰る途中に大岡川沿いの橋の上で町の景色が川面に綺麗に映り込むリフレクションの夕焼けを見えました。
PXL_20221105_071614273.MP
良い休日を海上自衛官の皆様の御蔭で過ごせました、感謝。

来週まだ東京で受付は終了し乗艦は出来ませんが、もがみ と くまの を岸壁から見る事は出来ますよ!
詳しくは以下の公式を御覧下さい。

本日のブログはここまで、では、次の記事で又、御会いしましょう~♪
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

時間が無いので速報だけ共有します!
本日、横浜港各所で下記の通り護衛艦の一般公開が行われます!
山下埠頭(山下公園の先、ガンダムの奥)
くにさき
lst4003
あたご
ddg177
もがみ
ffm1

横浜新港埠頭(赤煉瓦倉庫近く)
横浜ハンマーヘッド しらぬい
dd120
潜水艦
ss


国際客船ターミナル
くまの
ffm2

詳しくは下記公式を御覧下さい!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


皆さん、暦の上では秋に差し掛かり夏もいよいよ終わりかと思いきや未だ未だ暑い日も続きますね~。
体調は如何ですか?
ところで昨日2022年09月10日は中秋の名月。月を見て御団子を食べ、昔の人は和歌を詠む風流な日でした。
日本の中秋の名月の習慣は実は古代中国の農歴(陰暦=月齢の暦)の中秋節を由来にした日本でも千数百年続くイベントです。
小生はハマっ子です。中華街の有る長崎市民、神戸市民の皆さんと横浜市民は台湾と中国大陸の人々と同じく唐王朝時代の長安に留学した古代の日本人と同様に月餅を食べる事が出来ます。
まぁ、唐時代に月餅が今と同じだったか、はたまた原型は日本の団子に近かったのは不明ですが・・・
つまりですね、小生は日本文化と台湾や中国文化の両方の良い所を尊重して月見団子も月餅も月見バーガーも全て食べる権利が有る訳ですwww。
で、中秋の名月を見に行くと決めていたのですが、当日は夜明けに❝月の入り❞から見る計画をしていました。
KIMG6952
・・・昨日の月の入りは御前03時23分だったのに、時差が5時間以上有る海外の友達と話してたりして寝るのが遅く成り起きたら既に04時だったwww
まぁ、前日の雲レーダーでは富士山が見える筈なので朝05時21分の昇る朝陽に照らされた富士山を見に地元の円海山に登りました。
海上保安庁の施設周辺の南側から見える筈の富士山は見えず、北側の朝陽も朝焼けは見えたけど雲が多くて富士山は見えませんでした~。
CIMG0667
円海山頂上付近北側の眺望
あ、月の話をしたので少し日本の暦の話を・・・

欧州人は月をギリシャ神話の女神セレネやローマ神話のアルテミスから女性視する。ところが日本人にとって月は男神の月読神であり太陽より重要だった。
稲作が弥生時代に普及して太陽信仰が中心に成る以前の話。
稲作が普及すると天照大神を信仰する部族、つまり天皇家の祖先の大王(おおきみ)家が力を付けた。卑弥呼の登場。
つまり稲作と一緒に青銅器や鉄器等の金属加工技術だけではなく、原初の軍事制度が導入されたって事。
ちなみに、今の太陽暦は明治時代に導入された物で、一応それまではアジア諸国と同じ農歴=陰暦=月齢で日本も暦を作っていた。
月齢だと正月は丁度、春分の日に当たる。この春分は中国文化の農歴の春節つまり中華文化由来、端午の節句も七夕も元旦も全部そう。
だから日本で春分の日をやってる頃に台湾や中国や東南アジアでは春節=旧正月を今でも祝ってる。
旧正月を初め、本来の日本の季節感は実は太陽暦より約1ヵ月程遅い。
だから太陽暦の01月~12月に旧歴の月区分の睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走(臘月)も、太陽暦だと水無月は梅雨時にかかるけど旧暦では水無月の読んで字のごとく渇水期の07月~08月に当たるし、夏の終わり気温も下がり始めて長月も夜長の月を楽しむ丁度今位の季節に当たる。11月、秋に成ると出雲国に古墳時代位迄は諸豪族が集まって国会みたいなのを開いていたらしいので全国の国主の相模守(さがみのかみ)等の守(かみ)や左馬頭(さまのかみ)等の頭(かみ)の由来の漢字の神を当て嵌められた日本語の❝かみ❞が集結したらしい。
つまり❝かみ=豪族王/部族長❞である事が解る。
これが古墳時代の応神天皇=大鞆別(オオトモワケ)命~3代の間に中国の学問や国家制度を導入した頃に色々と変わって行ったようで、それまで半年を1年としていた古代の日本の暦も廃止された。
それが応神天皇の皇子で次代の天皇(大王)を継いだ仁徳天皇と菟道稚郎子兄弟が漢帝国皇帝の後裔である阿智使主から学問を教わったと伝わり、その次代の大王と成った履中天皇を境に歴代天皇の寿命が現代人と同じ様な寿命年齢に成っている事からも解ったりする。
それ以前の古代天皇の寿命が120歳だったりするのは、半年を1年とカウントしていた証拠なんだね。
この名残が神社の夏越大祓と冬越大祓として現代にも残っている茅の輪くぐりの祭禮だったりする。
そして現代は明治時代に定められた皇紀では2682年とされるけれど、この考古学的な半年=1年カウントを歴代天皇の仁徳天皇以前に当てはめると寿命が通常の肉体を持つ現人神であった事が良く解る普通の寿命に変わり、更に現在の皇紀が正確には300~400年程余分に長くカウントされている事も解る。
すると更に何が解るかと言うと・・・
実は皇紀が正に縄文時代と弥生時代の転換点の時期に当て嵌まる事が解る。
稲作と米食を日本文化だと思っている日本人が多いけれど、これは渡来文化であり、戦時食料として大量輸送を容易にする米と馬の登場が日本に戦乱を生み、支配階層の統合が起きて大王家が誕生した生々しい戦乱の歴史も紐解ける。
月を初め、暦と言うのは文化と密接に関連していて大切なんですね~。
日本がアジア人を辞めて欧州の仲間に入ろうとした明治時代、暦を月齢の農歴=陰暦から太陽暦に変えたのは言うなれば自分達の文化を否定する行為でも有った訳。
そう言えば秋篠宮家の眞子ちゃんも少し月に関係が有る・・・
小室圭君が眞子チャンと記者会見する際に眞子チャンを月扱いしたのは、彼は日本文化には興味は無く感覚的に欧州的な自由主義者なバックグラウンドが垣間見えていたんだね。
眞子チャンも皇室出身だけどキリスト教徒で神道よりも、そっちの方が性に合っているのでしょう。
まぁ、眞子ちゃんはちょうどセーラームーン世代でもある・・・
皇室がTVアニメを見て育つかは謎だけど(笑)。
・・・眞子ちゃん、幸せに成っておくれ!
小室君、弁護士に合格して高所得に成り見事に眞子ちゃんに日本文化ではなく欧米文化の生活の中で幸せにして上げてね!
君達は日本文化よりソッチが合ってる。
月に対する認識の差からもね。

まぁ、僕も女神様と早く会いたいわ~www。

では皆さん、次の記事で御会いしましょう~♪
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

みなさ~ん!今週末の予定は決まりましたか~?
横浜市中区生まれ、祖母も横浜シルク商の家に生まれた、ガチガチのハマっ子の久良岐のよしから皆さんに週末の予定に一つ提案がありますよ~!
色々と大変な状況の隣国、日本の友邦の台湾の御祭りがミナト未来21地区の赤煉瓦倉庫で開催中です~!

今週末14日が最終日です。
皆さん既に海水浴にも行ってしまって「何しよっかなぁ~?」と思ってらっしる方も多いのではないでしょうか?


そこで小生から皆さんへ、週末の予定の提案です!
臺灣祭りは横浜屈指の観光スポットの赤煉瓦倉庫で開催されている訳ですが、この周辺は狭い範囲にギュッと横浜観光でベタな(笑)コースが集まっています。
なので皆さん、臺灣祭りで美味しい台湾料理を食べるついでに横浜観光をして週末を過ごされては如何でしょうか?
具体的にコースを提案させて頂きたいと思います・・・

元町でショッピング~洋館街散歩~山下公園で潮風を感じ~赤レンガ倉庫で台湾祭~汽車道を歩いて~ランドマークタワーで夜景を見て~桜木町駅から帰る。

・・・なんて休日は如何でしょう?
散歩コースは以下のコースならギュッと1日で沢山の場所を見物出来て良い散歩に成ります。
皆さんにGoogleMapを使って御提案させて頂きたいと思います~♪
横浜中心街さんぽコース 久良岐のよし案
スタートはJR石川町駅/みなとみらい線元町中華街駅!
山手の洋館街を散策して港の見える丘公園のフランス領事館跡を経由して山下公園へ・・・
山下公園から大さん橋を経由し赤煉瓦倉庫へ。
勿論これを逆回りで廻っても素敵なコースなのですが、コースに組み込んだ元町の洋館街は無料で見学出来る分、夕方で閉館してしまうので先に回った方が良いでしょう♪
・・・そして台湾祭で美食を堪能した後は汽車道の夜景を楽しみながら日本丸メモリアルパークへ出てランドマークタワーの展望台から横浜の夜の街灯りを見ながら展望台のスカイカフェで一服。
家族連れは御子さん疲れちゃう前に桜木町から電車で帰宅!
恋人同士はまったり良い雰囲気に成った所で彼氏彼女と桜木町から徒歩10分の横浜最大の飲み屋街、野毛町に行くのも良し、野毛の途中のホテル街に消えるもよし💛
順路は下の地図をクリックして参考にして下さい!



スマホで見てる場合は地図左上の❝その他オプション❞と言う字をクリックすれば、そのままGoogleMapのアプリ画面に切り替わりますよ~♪
さてさて、ではココからは台湾祭のホームページを一緒に見て見ましょう~!
台湾祭 公式
ホームページに掲載されている料理の写真から見て、臺灣の夜市で食べられる有名な料理やB級グルメ的な台湾唐揚げ等、種類豊富な出店件数を誇っているようです。
残念ながら1ヵ月で8kg減量した小生は、まだ減量中なので今回は見て廻るだけにして置こうと思いますが、ここに行けば台湾に行けなくても色んな料理が食べられて良いですね!
しかも台湾祭に食事に来た人には来場得点として御土産の配布迄有るそうです♪
台湾祭公式
これはもう、ミナト未来21地区~大さん橋~山下公園~元町洋館街の辺りを週末散歩する予定の有る人は、赤レンガ倉庫に台湾料理食べに行くしかないでしょう!

さてさて、もう一度公式ホームページのリンクを下に貼って置きますので、皆さん週末の予定の御参考にどうぞ~!
併せて洋館街を紹介した過去記事のリンクも貼って置きますね!

ついでに、ちょっと懐かしい横浜の雰囲気の方が好きっ!と言う人にも過去記事を紹介します。
ミナト未来21地区から徒歩20分、タクシーなら直ぐの瑞穂埠頭は、❝あぶない刑事❞のロケ地にも何回も成った昭和末~平成初期の雰囲気を残すBARが有ります。

StarDustと名前を聞いたら解る人には解る、小さいけど雰囲気の良い御店で、瑞穂埠頭は昔は米軍基地で現在も一部米軍の用地が残っているので仕事終わりの米兵サンも飲みに来たりしており、コロナ禍で山下公園~大さん橋沿いの老舗のCJカフェやJackCafeが移転や閉店してしまいましたが、ここに来るか、少し裏道に入った❝The Hof Brau❞や横浜中華街の中の❝WindJammerに行けば、まだまだ昔ながらのアメリカ文化の横浜らしいBARやCafeやJazzを体験できます。



元町中華街~ミナト未来21地区~伊勢佐木長者町~野毛町は狭い範囲にギュッと近代明治~昭和の横浜らしい場所と、平成以後の新しい街並みが住み分けられつつ上手く景観に行かされている上に、こんな楽しい御店も未だ未だ沢山有ります。
是非!皆さんも、この週末に臺灣文化と横浜の近代西洋文化と未来都市的な景色を満喫して見て下さいな!
ちなみに赤煉瓦倉庫周辺はコンナ夜景が見れますYo~♪
※最近、小生は減量の為に毎日天気が良ければミナト未来まで往復25km自転車で走ってるのですが、その際に撮りためたスマホ写真が皆さんの旅の写真撮影の構図の参考には成るかと思います。
——日本丸メモリアルパーク——
KIMG6649KIMG6654
KIMG6655
KIMG6658
——横浜コスモワールド周辺——
KIMG6696
KIMG3167
——臨港パーク~女神橋~ハンマーヘッド——
KIMG6703
KIMG6719
KIMG6722
KIMG6723
KIMG3168
KIMG3174
——ナビオス横浜~汽車道——
CIMG2780
CIMG2781
DSC_2688
DSC_2712
——赤煉瓦倉庫——
DSC_2691
DSC_2683
DSC_2685
CIMG4632DSC_2685
CIMG4652DSC_2686
CIMG4644
——象の鼻パーク~大桟橋——
KIMG3159
KIMG3158
KIMG3160
KIMG6727
KIMG3204
KIMG3162
KIMG3147
CIMG3192
CIMG3191
CIMG3188
KIMG6123
CIMG3183
CIMG3174
CIMG3177
KIMG6119
——山下公園——
KIMG3194
KIMG3195
——夜の中華街——
DSC_3528
KIMG3183
KIMG3186
CIMG2796
——元町商店街——
KIMG3179
KIMG3180
——野毛町の飲み屋街——
KIMG3149
KIMG3200
KIMG3201
では皆さん、良い週末を御過ごし下されやぁ~♪

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

皆さんは京浜急行横浜駅と平沼橋駅の間に戦争中に廃駅に成り更に横浜大空襲で被害を受けて再利用計画も無くなった鉄道史跡が現存している事を御存知ですか?
KIMG5534
平沼駅跡
太平洋戦争中の横浜大空襲で被害を受けた戦争史跡である京浜急行の平沼駅は昭和六年(1931年)12月26日に開業しましたが、戦時中の昭和十九年(1944年)11月20日に廃駅に成りました。
KIMG5533
今も当時のプラットホームが残っています。
丁度、現在の平沼商店街の上を通過するのですが、この平沼商店街は実は横浜市の埋立地域で最初期に整備された野毛の富豪達が住んでいた旧高級住宅街~新規開業された横浜駅を結ぶ“横浜道”と呼ばれた近代の道がそのまま商店街に成っているんです。
有名な話ですが横浜駅は現在で三代目です。
初代が桜木町駅、二代目がほぼ市営地下鉄高島町駅一帯、今が三代目。

武蔵野鉄道(西武鉄道)の初代社長や貴族院議員(参議院議員)を務めた平沼専蔵の住宅跡の野毛山住宅亀甲擁壁辺りは浅野財閥や原財閥の当主の屋敷地で、その名残が野毛山公園に成っています。
そんな高級住宅地から現在はJRで寸断されてしまった初代平沼橋=元平沼橋まで一直線に“横浜道”が通っていました。
「何でコンナ場所に御金持ちが切通し道や埋立地の道を作ったの?」
・・・と皆さん思いますよね?
先程のGoogleMapのナビで表示した経路に高島町駅を組み込んで有る事に皆さん気付きましたか?
初代横浜駅が出来てから、明治時代初期には既に“横浜道”は旧東海道保土ヶ谷方面からの旅客用の道と、御金持ちの住んでた野毛から初代横浜駅~東海道に向かう道として整備されている事が明治時代の地図を見ると良く解ります。
下の迅速測図は明治時代の帝国陸軍が製図した物で、現在、農研機構サンがWeb版とGoogleEarth版のアプリを無料提供して下さっています。
※クリックして拡大して見て下さい。
横浜道と初代~三代横浜駅 久良岐のよし
横浜道と初代~三代横浜駅衛星画像 久良岐のよし
衛星写真と見比べると、現在の戸部通りと名前を変えている道が昔の横浜道だった事と、その道が元平沼橋に繋がっていた事が一目瞭然ですね。
二代目横浜駅が完全に海だった場所に作られていたので関東大震災を乗り切る事が出来ず倒壊してしまった原因が地盤の弱さだった事も解ります。
この道は現在の三代目横浜駅が出来てからも活用されていた様ですが平成の中頃にJR線の踏切が撤去され通行不可に成ってしまった時点で平沼商店街の先で行き止まりにされてしまい、元平沼橋とは分断され商店街の賑わいは衰退してしまいました。
KIMG5535
元平沼橋側に残る平沼商店街の角には戦後直ぐに開業した昭和二十五年(1950年)創業の日本蕎麦の名店、角平が今でも営業しており多くのビジネスマンに愛されています。

他にも様々な賞を獲得している和菓子の名店、寿ヾ㐂(スズキ)家菓子舗も有りますが、当時の賑わいを辿れる街並みは令和四年(2022年)現在、ほぼ無くなってしまいました。
平沼駅に話しを戻しますと、こちらはJRではなく京浜急行電鉄の駅でした。 
KIMG5537
この平沼駅の廃止の経緯は戦争と密接に関係していました。
開業からの変遷を箇条書きにしてみましょう。
昭和六年(1931年)12月26日に京急平沼駅開業。
昭和十二年(1937年)07月に日中開戦。

昭和十六年(1941年)に日本の中華民国侵攻に対して、元同盟国のアメリカ・イギリス・中華民国・オランダ等の連合国による経済制裁“ABCD包囲網”が行われ原油輸入が途絶えて日本のエネルギー政策が立ち行かなくなる。


昭和十七年(1942年)4月にはABCD包囲網の影響から、日米開戦直前に配電統制令が施行され電気発電会社が統合され国の管理下に置かれた。
配電統制令は日米開戦を想定した制度だった様で12月に真珠湾攻撃しアメリカに対して宣戦布告を行わず開戦するに至る。

昭和十七年(1942年)の日米開戦後のミッドウェー海戦大敗北に始まる太平洋戦争での戦況悪化で燃料不足から電力確保が困難な状況に陥る。
昭和十八年(1943年)06月30日から戦局の悪化により平沼駅は休業。
昭和十九年(1944年)11月20日に平沼駅は廃止。
昭和二十年(1945年)05月29日に米軍による横浜大空襲。

――横浜大空襲の彼我の損害――
ー日本軍ー
[戦力]
厚木海軍飛行場所属
第三〇二海軍航空隊
航空機数不明。
横浜市、横須賀市、三浦市、鎌倉市、藤沢市内各地に高射砲配備
[死者]
10,000人/横浜市総人口951,000人
※死亡率1.05%
[被災]
311,218人
※被災率32.7%
ー米空軍ー
[戦力]
マリアナ基地所属
米第21爆撃機集団
B-29爆撃機・・・517機
P-51戦闘機・・・101機
[損害]
航空機合計・・・175機
戦況としては厚木の海軍航空部隊の活躍や横浜市内~三浦半島各所に設けられていた高射砲部隊が善戦して米軍航空機へ大損害を与えたが、いかんせん大軍団には太刀打出来ず横浜市の生活インフラが徹底的に破壊されて、平沼駅も廃止後も再建待望論が有ったが空襲の被害を受けた事も有り、廃駅後は駅敷地にくっつくように私有地の建物が駅と同じ高さまで建ち並んでしまい駅拡張も再開も困難に成り現代に至ります。
戦争史跡としても価値が有るが整備公開の予定は無く、京急としては駅を再開業したい所だけれども既に私有地が駅跡を取り囲んでいて不可能な状態。
昭和後期の好景気の時代に再開待望の機運も有りましたし、もしJRが平成14年に踏切を存続し横浜道を分断せずにいれば更に需要が高くなり京急平沼駅は再開業出来たかも知れませんね。
隣に橋をかければ良いと言う訳ではなく、別に開かずの踏切は歩行者専用に変える等して残し対応すれば良かったのにねぇ~と個人的には思います。

世間では戦争をしたがる国がいて、攻め込まれた国が似た様な状況に成っているのを見て、ふと横浜大空襲の歴史と平沼橋と近代の成長著しかった時代の横浜の歴史を思い出してブログに書いて見ました。

以前書いた鬼滅の刃の時代考証も合せて読んで頂けれたら昭和の時代の農村の生活が良く解ったりするかと思います。
鬼滅の刃の主人公達が生きた時代に多くの人が行き交った横浜道ですが、元平沼橋と反対側の野毛側についても少し紹介して置きたいと思います。
実は野毛地域は御金持ちが沢山住んでいたからかは解りませんが、横浜の国家神道の中心として伊勢山皇大神宮が開かれたり有名な成田山の別院が開かれたりして、横浜のみならず神奈川県内外からの観光客が集まる様に成り、成田山横浜別院や伊勢山皇大神宮の参道には旅館街が形成される程でした。
KIMG6658
成田山 横浜別院 延命院
通称:野毛山不動尊

横浜市民なら1度は横浜市立中央図書館か野毛山動物公園に行った事が有るとは思うのですが、伊勢山皇大神宮よりも図書館と成田山の所在する側に近代に野毛地区が栄えた旅館街の名残が残っています。
KIMG6657
何だか雰囲気の有る路地ですよね~?
この路地沿いに今でも時代が止まったかのような看板が、旅館が消滅した後も幾らか残っていたりします。
KIMG7506
最近では古い建物がエモく感じる人が多いらしく、センスに富むユトリ世代くらいの経営者達の飲食店がポツポツ入居し始めています。
KIMG7507
小生は幼かった頃に野毛山動物園に連れて来られたり学生時代に予備校に行った帰りや予備校の無い日に自転車で中央図書館まで遠距離はるばる来て自習してた思い出が有ります。
まぁ~当時の小生のグループはキチガイな程にチャリの行動範囲が広くて、中学生の時に自転車こいで茅ヶ崎市のキャンプ場に行ったり伊勢原市の日向薬師まで行ったり小田原城を見に行ったりした事も有りますし、自転車で鎌倉市の由比ヶ浜にもしょっちゅう行ってました。
DSC_0579

DSC_0581
野毛山住宅亀甲積擁壁
旧平沼専蔵邸石垣
普通の観光客はこの地域を自転車でプラプラはしないと思いますが、横浜道から野毛山住宅亀甲擁壁(旧平沼専蔵邸石積み)まで来ると、目の前は横浜市立中央図書館で昔の写本を閲覧したりDVDで映画鑑賞も出来ます。
KIMG7508
車だと駐車場が近くに無くて不便ですが日ノ出町駅から直ぐ、桜木町駅からも徒歩圏内なので野毛の飲食店街で夕食の前に昼下がりフラっと散歩するには適している立地です。
野毛はコロナ禍で寿司居酒屋の名店❝秀吉❞が聘珍樓横浜本店同様に倒産してしまい、樹木希林サンの御実家の叶家までも一度閉店しましたが、叶家については自社ビルだった事や復活を望む声が多かった事から規模縮小し復活しています。
他にも戦後直ぐに開かれた洋食店のセンターグリルやミツワグリル、美味しい鯨肉の刺身を食べさせてくれる文次郎野毛店や横浜くじら、昔からリーズナブルで知られる焼き鳥と満州焼きの庄兵衛・・・

御酒を飲まない小生でも通う御飯の美味しい店が昔から野毛地区には沢山有り、紹介していない場所にもホルモン専門店や焼肉屋、美味しい中華店や居酒屋やスナック等が沢山あります。
KIMG7514
DSC_0144
ですから例えば横浜駅西口から昼過ぎに散歩開始~元平沼橋~平沼商店街の名残を散歩し~横浜道を辿り~伊勢山皇大神宮と成田山を参詣し~野毛山動物園を見物~野毛商店街に夕方到着し夕食~そのまま福富町の韓国人街の韓国料理や伊勢佐木長者町の中華料理店で飲みなおしJR関内か市営地下鉄伊勢佐木長者町から帰宅なぁ~んてのも良いかと思います。

逆回りで散策しても良いかも知れませんね!
なんせ無料で散歩できる野毛山動物園は横浜道や野毛商店街の目と鼻の先、近代横浜の名残散歩にはもってこいの目的地です。
CIMG8026
横浜市立野毛山動物公園
(入園無料)
野毛山動物園は気分転換をするには良い場所です。
CIMG8031
CIMG8042
CIMG8051
何か昔と比べて大分と動物が減らされてシロクマ舎なんてハリボテに成ってしまいました。
ズーラシアとか金沢自然動物公園とか交通の不便な動物園じゃなくて、こっちに力入れたら良いのになぁ~と思うんですよねぇ~。
CIMG8010
実は野毛山公園は日本初の近代上水道遺跡でも有り、動物園が撤去された公園側には、その史跡が残っていたりします。
CIMG8012
CIMG8013
更に野毛山公園には展望台も有ったりします。
まぁ、みなと未来21地区や桜木町の高層ビル街化で眺望は悪く成ってますが無料なので横浜道と水道道散策や野毛山動物園デートに行かれたカップルや家族連れは一見して置いても良いかと思います。
CIMG8016
野毛山公園展望台
(入園無料)
野毛山~平沼の発展した時代、日本はチャレンジし変わる事で強い経済力を持っていた訳ですが・・・
天皇家を軽視し世の中を混乱させ各地の神社の儀式を途絶させて日本文化を衰退させた室町幕府足利家を追放して古来の宮廷祭祀を復活させた織田と国内の戦乱を収束させた豊臣政権。
江戸幕府否定し日本が外国の植民地に成らない様に明治維新後の近代化を進めた薩長土肥同盟を中心に設立された新政府。
それ等の時代の様に昭和の良い部分だけ残しつつ、昭和〜平成時代の悪しき部分とデジタル導入の情報管理手段更新が遅れた部分と未だに労基法違反ブラック体質な生産効率の悪い仕事の仕方をマルッと意識ごと捨て去り改めて、現役世代が下剋上し頑張ってみるっきゃ無さそうですね・・・
江戸時代生まれ近代文明開化を成し遂げた散切り頭のサムライ達みたいに。
・・・じゃないと日本は東芝、SANYO、SHARP、レナウン、山一證券みたいに外国に食い物にされて死ぬ。

では皆さん、日本は死にそうですが自分は死なないで下さいね、辛い事が有っても。
辛い事が有ったら平沼駅跡見て空襲が無い時代に生きている平和を噛みしめ、野毛山動物園で動物に癒されて忘れちゃってください!
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

有名鉄道系Youtuberのスーツ君は横浜国大生だったのですが、昨年末に卒業しこの程、横浜国大の卒業式後に参加されたそうです。
その後で“卒業旅行”と称してコスパの良い無料で見学出来る観光スポットを多く巡る横浜観光を提案する動画を製作し紹介して下さってました。

小生は動画⤴にコメントを残す形で再生時間ごとに各所の解説を共有したのですが、その場所の解説は出来ても住所や公式ホームページリンクや写真付解説の情報共有までは出来ないので、こちらのブログでその辺りの情報を捕捉して解説してみたいと思います。
スーツ旅行チャンネルは鉄道系Youtuberなのに何故か電車に乗らずチャリンコで東海道や中山道の旧宿場町を全て辿るとか意味不明に且つ緻密に計画を立てて身体を貼って郷土史と旧道の景色を紹介したりしています。

実はスーツ君、以前シーサイドラインの全駅の車窓動画をUPしてくれていたので、各駅の解説を捕捉したブログ記事を書いた事が有ります。
彼の行動理念は常に公益に資する事と自分の娯楽を両立させる素晴らしい物が有り、昔の人の言う所の積徳積善や明治天皇の仰った公益世務や孫文先生の仰った天下為明の様な気概を個人的には感じます。
今回は学生向けの低コスト観光スポットを紹介してくれています。
ハマっ子としては素晴らしい動画を補強し、より市内外の観光客に役立てて頂きたく以下に小生が彼の動画に残したコメントをコピペし、そこにGoogleMapリンクと解説の参考写真等を補記していきたいと思います。

※この記事は直接動画にリンクしていないので、上の動画をPCで見る方は2画面開いて片方は彼の動画と私のコメント欄を開き再生、もう一つの画面でこの記事の解説捕捉を読んで頂くとより観光の参考として役に立つと思います。


——では、以下情報補足です~——

今回スーツ君が歩いたコースを地図に起こすとこんな感じです。
歩行距離は6.1km、丁度良い御散歩の距離ですね~。
では動画の再生時間毎に解説して行きます、スーツ君の今回の動画と合わせて皆さんの休日の参考にして頂ければ幸いです。
00:00 冒頭は中華街大通り
2015-07-29-13-01-52
中華街大通りスーツ君歩いてるのは中華街大通り。
食事してるのは華正楼新館、実はモデルの“はな”チャンの実家。

華正楼、聘珍楼、萬珍楼、同発、順海閣、大珍楼、重慶飯店、北京飯店が老舗として有名で、中でも華正楼、聘珍楼、萬珍楼は客単価が比較的高めで会社接待や宴会、結婚式披露宴などで日本の景気が良かった頃は常時予約でいっぱいな程賑わった。
華正楼はお土産の肉饅と月餅が中華街手土産として有名。
個人的にお土産は奶油栗子と言う栗入り月餅がオススメ!
ちなみに聘珍楼は創業100年超、現オーナーは創業家と既に異なるが中華街の顔的な林サン、萬珍楼のオーナーは兄弟。
同発は漫画“美味しんぼ”の北京ダック回の舞台、中華街でも北京ダックの鴨を釜でローストして焼く店は今では余り多くない。
リーズナブルな所では順海閣等比較的高級な店も3000円前後で7品前後出すコスパ良いコースの店も有る。
獅門酒楼や隆昌園等の中規模店のランチは美味しだけでなくデザートまででて1000円切る店も多い。それと山東の水餃子は中国で食べる美味しい餃子LV。
他にも食べ放題以外なら美味しい店は多いので300店近い中からスーツ君の様に開拓するのは通への登竜門で楽しい。
※コメントには残してませんがランチタイムの中華街はワンコインでランチセットを提供する店も有れば良い店も1000円前後で主蔡1品+スープ+ライス+点心(副菜)+デザートを提供するコスパの良い店が沢山有ります。
高級中華料理店も7品位だすコースを2000円~3000円でランチタイムに提供する店も有るので、是非ご自分達で御散歩しながら御店を選んで見て下さい。
※学生がデートで肉饅や小龍包立ち食いで1000円使ってしまうのは実は凄くコスパ悪いんですよ~。

00:33~ 代官坂
DSC_1679
代官坂 旧石川代官所長屋門
港の見える丘に通じ、庄屋の石川家の長屋門が残ってる。
近くに日本最初のパン屋さんのウチキパンが今も営業しているよ~。
CIMG8925
ウチキパン 日本初のパン屋
この石川家は祖先が平子氏、平子有長公は曽我兄弟による源頼朝公暗殺を阻止した人物として有名だよ~。平子氏の更に祖先が平安時代末に旧久良岐郡を統治した久良木三郎で源氏の与力の三浦氏の分家だよ~。
江戸時代の庄屋さんてのは豊臣秀吉や徳川家康公に敗戦し帰農した元武士と言う歴史を辿れる場所でもあるよ~。

※コメントには残してませんが、代官坂を真っ直ぐ行くのではなくスーツ君は代官所の長屋門の少し手前を左折して元町公園の方へ行き、そこから外人墓地の参道に入っていると思われます。
このスーツ君の進路より元町公園へ入ってから右回りに元町公園を登る額坂と言う細い階段を上り山手地区の台地に上がると、エリスマン邸、ベーリックホール、山手234番館をはじめ多くの洋館があり何処(どこ)も入館料無料で見学出来ます。

又、洋館で営業している“えの木てい”と言う可愛いカフェが有り、女性客に人気で横浜市民のデートコースの名所にも成っていたりします。
なので当然ながら色んなドラマや映画でロケ地になっており、小生が以前紹介記事も書いているので御興味有る方は是非、以下のリンクから御覧下さい。

これらの全てが元町公園の額坂を上がって来た場所~外人墓地~港の見える丘公園の500mたらずの道上に有るので是非、元町~代官坂~元町公園入口~額坂を経由して山手地区散歩に訪れる事をオススメします。

00:43 外人墓地
DSC_1839
横浜外国人墓地
ペリーさんの配下兵士を埋葬したのが始まりだよ~。
元は増徳院と言う大寺院の境内だったよ~。
外人墓地に麒麟麦酒の前身の創業者もコープランドさんも土葬で眠ってるよ~。
今ブランド化してる麒麟麦酒のスプリングバレーブルワリーの前名ジャパンブルワリーをコープランドさんが作った。
一般非公開に成ったのは団塊~バブルが昔、夜の外人墓地で青カンする不届き者が絶えなかったのと治安維持と聞いた事が有る。
DSC_1857
DSC_1856
※コープランドサンについては以前、記事で紹介しているので御興味有る方は以下のリンクから紹介記事を御覧下さい。

この外国人墓地から麒麟麦酒発祥地のキリン公園の麒麟麦酒開源記念碑までは徒歩6分で行く事が出来ます。
もし麒麟麦酒愛飲家(笑)の方でしたら隣の北方小学校ののグラウンドの地下にはスプリングバレーブルワリー⇒ジャパンブルワリー⇒麒麟麦酒時代の水源が保存されてるのですが一般非公開で、キリン公園自体は記念碑が有るだけですが行く価値は有ると思います(笑)。


02:32 港の見える丘公園

KIMG6064
港の見える丘公園~
旧フランス領事公邸遺構

今回はスーツ君はスルーしたけど、港の見える丘辺りの洋館街も神戸と違い横浜は無料で入館出来るから機会あれば行くと良い観光に成るよ~。
※コメントには残しませんでしたが、港の見える丘公園と山下公園のバラ園、そして平沼駅近くの横浜イングリッシュガーデンは薔薇の季節とにかく素晴らしいので是非訪れてついでに横浜観光をしてみては如何でしょうか?
御興味有る方は是非以下のリンクの記事が参考に成るかと思います。

先程紹介した近くの“えの木てい”も可愛いカフェで散歩後のティータイム休憩に適していますが、この港の見える丘公園の横のKKRポートヒル横浜のレストランはベイブリッジを正面に見ながら御茶出来るロケーション最高の場所です。

“えの木てい”かKKRポートヒル横浜で御茶するか、はたまた付近のレストランやカフェを自分で開拓するか選ぶのも元町~山手散歩の醍醐味かも知れませんね~♪

05:32 中村川(山下橋)

※スーツ君が中村川を見ていたのは山下橋。その横のメガドンキは平成初期まで“海岸(バンド)ホテル”と言う老舗ホテルで石原裕次郎サン等、昭和の映画スターが良く御酒を飲みに来ていた場所だったが埋立による景観悪化で廃業し、ドンキホーテが入居した。
中村川は昔、アザラシのタマちゃん騒ぎが有った川の一つだよ。
スーツ君が歩いた中華街の辺りは昔、川は無く元町と地続きの洲乾浜と呼ばれた砂丘の半島があり、半島の先端には神秘的な淡水の湧水源の泉が有って源頼朝公がそこを弁天社を開いたよ。幕末の廃仏毀釈で神仏習合の弁天信仰は弾圧され軍に接収され今は横浜市新庁舎がソコに建てられたよ~。
潰された弁天社は厳島神社に改称され御祭神も壱杵島姫に変えられ伊勢佐木長者町と元町に分祀されたよ~。

※この元町厳島神社については以前、休日雑記と言う自分の散歩日記カテゴリーの記事で紹介しているので興味が有る人は上の記事を御覧下さい。
ペリー艦隊の上陸
※後で捕捉を書きますがペリーさんが上陸したのが洲乾浜の名残りの埋立地の海岸。
絵の木の場所が開港資料館の庭に残る玉楠木。現在の玉楠木は三代目。
この洲乾浜の岬を起点にして内陸に市営地下鉄吉野町駅辺りまで有った入江を埋め立てたのが吉田新田で、吉田新田の治水の排水路として洲乾浜を開削し中村川が海に繋げられたよ~。
この洲乾浜が横長の半島だった事から横浜と呼ばれ半島上の人口300人位の横浜村が横浜市の地名由来だよ~。
横浜の字が確認出来る最古の文書は間宮林蔵や杉田玄白の本家の間宮家の祖先で安土桃山~江戸時代の横浜市長に当たる本牧奉行と佐渡(金山)奉行第二代、但馬(生野銀山)奉行を務めた間宮直元公の書いた南区の宝生寺の古文書だよ~。
間宮直元公は徳川家康公の大坂城攻めで豊臣軍が防衛の為に木津川堤防決壊させて自ら水浸しにした市街地の水抜と鉄壁の大坂総堀埋め立てを献策した軍師だよ~。※スーツ君の動画にはコメントしませんでしたが、明治時代の横浜の地形の話は瑞穂鉄橋と田浦引込線の紹介記事で触れているので御参考に以下の記事を御覧下さい。

※宝生寺と間宮直元公の解説も、以前に神奈川県立金沢文庫の企画展で撮りあがられた際に紹ブログで介しているので御興味有る方は下のリンクから記事を御覧下さい。


06:03 山下公園~氷川丸
CIMG3103

山下公園~氷川丸
山下公園に係留されている氷川丸でチャップリンも日本に渡航して来たよ。
スーツ君の解説通り関東大震災で倒壊したり類焼した瓦礫で埋め立て、災害時の避難場所として公園が設けられた。
CIMG3118
2022年現在、AIとかじゃない時代遅れのPCR制御だけど動くガンダム立像も有るよ、ただしガンダムは入館料必要。
※この写真は港の見える丘公園から撮影。

12:08山下臨港線プロムナード
822
山下公園~赤レンガ倉庫の遊歩道は昭和末まで横浜開港記念日にSL走らせてたよ。
※入口は山下公園、大桟橋前の象の鼻パーク、赤レンガ倉庫前の合計3箇所。


12:40 象の鼻パーク~
~国際客船ターミナルの眺望。

CIMG3169
国際客船ターミナル(大桟橋)~
~象の鼻パーク
地下には幕末の神奈川運上場跡の荷物運搬に使った手押し貨車のレールが埋蔵されており一部ガラス張りの床で地下に保存されてる様子が見れるよ。
下の写真が象の鼻。
828
※コメントには残しませんでしたが、この象の鼻パークや大桟橋は夜景もとても美しいので、昼は元町を散策して夕方~夜にかけて来るのも良いかも知れません。
CIMG3188
大桟橋の屋上は芝生と木製のデッキになっていてインターコンチネンタルホテル~クイーンズスクエア~コスモクロック~横浜ランドマークタワー~赤煉瓦倉庫を一望できます。
運が良ければ飛鳥Ⅱが停泊している所の写真も撮影出来ます。
大桟橋の駐車場は最大料金が周辺の駐車場では比較的安く収容台数も多く先ず満車に成らないので自動車での訪問の方には中華街~山手洋館街~山下公園~赤煉瓦倉庫観光が目的の方にはオススメです。

周辺には元々は海沿いに有った老舗のJackCafeやThe Hof Brau等のハマっ子に愛されるオシャレな昔からのレストランやカフェが周辺に多数有る他、新しい店のも海岸通りに多数出展してますので山手地区同様に好みの場所を御自分で探すのも良い地域です。

16:41 神奈川県庁本庁舎
KIMG2113
神奈川県庁(横浜3塔のキング)県庁は建物も立派な近代西洋建築で毎週水曜日に無料公開されてて屋上にも登れるよ~。キングこと神奈川県庁については過去に記事で紹介しているので、以下にリンクを貼っておきます。



20:29 開港記念会館(ジャック)
2015-08-05-14-54-15
横浜開港記念会館(横浜3塔のジャック)
ジャックは内装もとても綺麗で時間に余裕が有るなら立ち寄るのも一見の価値は有るよ~。
横浜税関(クイーン)は税関博物館に成っていて、麻薬の密輸摘発例の解説や金塊の過去のコンテナを偽装した密輸手段の展示なんかを見学出来るよ~。横浜3塔については過去に紹介記事を書いているので、以下にリンクを貼っておきます。




21:46 赤レンガ倉庫
CIMG4652

横浜赤レンガ倉庫(旧新港埠頭税関倉庫)雨上がりの夜に訪れると赤レンガ倉庫の前の石畳と線路が街明かりに綺麗に浮かび上がり昔にタイムスリップしたような景色を見れるよ~。
DSC_2683
DSC_2686

スーツ君が行かなかった裏側には列車のプラットホームや関東大震災で倒壊した税関施設も保存されているから鉄オタや歴史オタは嬉しいと思うよ~。

27:12 ナビオス横浜(ホテル)と汽車道
CIMG2780
ナビオス横浜(ホテル)~汽車道ナビオス横浜一帯は昔の新港埠頭の貨物線路が遊歩道に成っていてランドマークタワー(桜木町駅:みなと未来駅辺り)まで歩いて景色を楽しめるよ~。DSC_2712
途中昔の鉄橋も歩くので非日常感が有り色んなドラマや映画のロケ地にいる実感が感じられるよ~。
昔の運河の埋め残された海の入江の岸壁には綺麗な結婚式場や商業施設がライトアップされていて歴史興味無い人も一見の価値有り!

29:48 ドックヤードガーデンと日本丸
DSC_2690
ドックヤードガーデンと日本丸ランドマークタワー下にはドックヤードガーデンが有り運が良ければコンサート等も無料で見れるかも。
何気に明治二十九年(1896年)に建造の日本現存最古の商船用石造りドックで正式名は“旧横浜船渠第2号ドック”だよ~。
日本丸はスーツ君のが詳しい。

31:30 東横線跡地遊歩道
駅前も遊歩道化されているけど、京急神奈川駅近くの旧神奈川宿の台町にある東横フラワー緑道(高島山トンネル)も一見の価値有るよ~。

CIMG9812
東横フラワー緑道(高島山トンネル)
CIMG9811
こう言う昔は線路だった場所を、小さな御子さんがいるパパさんなんか電車を青木橋の上から見てから一緒に散歩に来ると御子さん喜んでくれるかもしれませんね~。
余談ですが、この初代横浜駅~神奈川駅一帯を戦国時代に治めていた青木城の城主が北条家臣の多米元忠(ためもとただ)公で歴史オタクには有名な河越野戦で活躍した戦国時代の北条家を代表する名軍師でも有ります。
多米元忠公に関しては過去に紹介記事を書いているので興味の有る人は以下のリンクから御覧下さい。

今回のスーツ君の動画の最後の機関車は、スーツ君の解説が正しければ西郷さんが新橋~初代横浜駅まで開通時に試乗したのと同型なのかな?
この明治の機関車は初見でした、スーツ君紹介ありがとう。
以上、スーツ君の動画の解説補強でした~。
実は小生も外国や関西から友人が遊びに来ると案内するコースがドンピシャで今回のスーツ君の歩いたコースでした。
もし横浜に観光に行かれる方は、今回スーツ君が歩いたコースは本当に理想的な横浜観光コースだと思いますので小生からも推薦させて頂きます。

ついでに今回のスーツ君の動画と小生の記事では鉄道史跡の汽車道や山下臨港プロムナードを紹介しましたが、小生から今現在、消滅の危機に瀕している日本現存最古の十字交差線路と日本最古のアーク溶接建造鉄橋が神奈川県内に存在するので、その存在を取り上げ保護と都市の景観に組み込んだ再活用を訴えた解説記事のリンクを以下に貼らせて頂き、今回の記事の〆にしたいと思います。

では、次の動画で又お会いしましょう~♪

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ