正月元日は仕事始めだった。
しかし、今年は2~3日に連休にしてあったので、本来の小生の定休4日水曜日と合わせると3連休と久々の正月連休となった。
昨年年末は前回の休日雑記で書いたが大凡、以下の様な動きをしていた。
21日、川崎市高津区の橘樹神社に弟橘姫様に1年間の御礼参りに行って来た。無事に1年間、間宮家や歴史偉人の顕彰活動で旅行が出来たのも御加護頂いた御蔭。
31日は横浜で一番の智慧の神様と崇拝し土地神様と拝む永谷天満宮で歳末の大祓いに参加して菅原道真公、菅原景行公、菅原淳茂公と宅間上杉重兼公、宅間上杉富朝公、宅間上杉規富公に1年間の御礼参りをして終える事を出来たので昨年は良い〆括りの大晦日と成った。
永谷天満宮の宮司様、禰宜様、職員様、氏子様、皆さんの御蔭です。ありがとうございます。

2017年元日は早朝日出前に起きて走水神社に初詣に御参りに上がった。車を走らせている最中に夜明けを迎えたが、位置的に房総半島の向こうに日が昇るので初日の出は当然見られなかったが、正月早々に走水神社で日本武尊と弟橘姫御夫妻の御神霊と、御二柱の神様の存命中に御仕えした大伴黒主久応公の御神霊に本殿で御参りし、と奥宮の須賀神社、神明神社、諏訪神社にも御参りをした。
帰路、嘗て日本武尊と弟橘姫御夫妻の御住まいだった御所ヶ崎と呼ばれた岬の近くから、走水の海岸線の先に綺麗な富士山も見る事が出来た。
陽気な酔っ払い兄さんと握手すると言う意味の解らない珍事も起きたが上々の1年のスタートと成った。
そして仕事始め。

そして正月02日早朝5時頃…
この日は最初に小生の智慧の神様、横浜に於ける土地神様の御居す永谷天満宮に今年の初詣をする事から始まった。
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考え事が有ると、しょっちゅう車でドライブがてら近くの拉麺の名店の神勝軒での食事も兼ねて御参りする永谷天満宮。
正月の雪洞(ぼんぼり)に浮かび上がる永谷天満宮の参道は非現実感が漂い幻想的だった。
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例年、正月この時間帯に参拝する事は無かったので、良い経験が出来た。
早朝にも関わらず、他にも参拝客が数名いた。
世の中、まだまだ神社や御寺を大切にする日本文化が好きな人が多いんだな。
車に乗ると、永谷天満宮の前の環状二号線を走り、港北区から第三京浜道路に入り川崎市高津区を目指した。
昨年末、御礼参りに上がった橘樹神社で弟橘姫様に「正月が来たら新年の御挨拶に伺います」と誓いを立てていたからだ。
第三京浜にのってさえしまえば横浜と川崎は車で30分と近い。
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到着したのは6時位だったろうか?
既に空が明るく白んでいた。
現在は住宅が立ち並ぶ子母口富士見台古墳こと弟橘姫の御陵を背後に抱えるこの遥拝所である橘樹神社も、朝の清々しい空気が気持ち良かった。
弟橘姫様に今年もここ数年来の御願いをした。
早く神社仏閣歴史史跡と自然公園の保護を担い歴史顕彰活動で社会の役に立てますようにと、公人としての御願い。
私事の些細な願い。
人としての世界中の日本の環境や歴史と文化と伝統を好きな‟親日家”の民が国籍人種問わず平等に平穏に無事に過ごせるように、仮に災害に直面しても、自分を含めてその様な人間達が率先して復旧を担い周囲の人に安心を与える事が出来る様にと御願い。
・・・日本人と日本文化が嫌いな人は独力で何とか勝手にすれば良い(笑)。
昨年中1年間の御礼を改めて御伝えした上で今年も昨年と同じ心願を御伝えした。
神社からの御参りだけではなく、ちゃんと今年も古墳にも御挨拶に行った。
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・・・と言っても、古墳は橘樹神社裏の円形の丘の住宅地全部で、現存するのは頂点部分のみ。
一応、その頂点で御参りして、そこから風景を見てから立ち去るのが去年から始まった正月の習慣に成った。
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今年は空が白み、雲も多くて朝日は見えなかった。
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でも、改めて登ってみると、シン・ゴジラが進撃して来た武蔵小杉の風景が見える事に気が付いた。
まぁ、ゴジラが進撃した道は旧鎌倉街道を通り途中から綱島街道に入り、更にこの橘樹神社の横を通る中原街道を歩いているはずだからね。奇しくも、古墳時代の古代人が切り開いたルートを通っているんだな。
それ以前は、その一帯は海の底なので歩いて通れる道では無かった訳だ。
だからこそ、橘樹神社の裏の宅地に成ってしまった、この弟橘姫の古墳の丘は、昔は海に面していて弟橘姫の髪飾りが流れ着いた伝承が有る訳だ。
そんな事を思い出したり、次の目的地の相模国五之宮平塚八幡宮や二之宮川勾神社へ高速道路を使って行くと到着時間が早く成り過ぎてしまう事も有り、古墳時代の人を真似て下道の中原街道を車でゆっくりと走る事にした。
ゆっくりとは言っても、車だと川勾神社の在る大磯町の先の二宮町まで早朝なら休まなければスピードを出さなくても1時間半で到着できる。
橘樹神社~中原街道経由~川勾神社 久良岐のよし
小生が今回走った中原街道は古代の街道を徳川秀忠公が整備した街道を現代の国土交通省が再整備した言うなれば新道。とは言っても、当時と大きくルートを外れてはいないはず。
道も行き当たりばったりで思い付きで走る事にしたので事前調査なんぞしていない。
道路の【中原街道】と言う標識を目標にしながら、サブでカーナビに川勾神社を目的地登録して走って見たら意外な事に気が付いた。
江戸時代の中原街道は、家康公の鷹狩場だった平塚の中原御殿に行く為に再整備されているのだが、これが又、行く先々に悉く平安時代に築城された古城と、平安時代の人からしても古いと認識の有った延喜式内社の傍を通り抜ける道なんだな。
昔は湘南地区は海で全ての古道は湘北地区とも言うべき現在の高座郡を通り過ぎていたのだが、中原街道沿いに延喜式内社が集中していると言う事は、東海道よりも昔は中原街道の方が重要な道だったのかも知れない。
もっとも、古代の東海道と言うのは読んで字の如く、船で渡る場所が多い海の道だったのを知る現代人は少ない。
古東海道 国土交通省から画像拝借 久良岐のよし
国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所のホームページに掲載されている古代の街道。
これに縄文時代の海岸線を重ね合わせて、延喜式内社と城を表示すると面白い事が解る。
昔の海岸線と古道 久良岐のよし
緑の部分が古代の陸地、白いのは弥生時代の頃まで海だった部分。
縄文時代の氷河期が終わると急速に温暖化が進み、1万年前~6000年前の4000年で海岸線は現在よりも内陸に後退して海老名市近くまで海だったので、現在の中原街道は弥生時代以降、古墳時代位に整備されている古道が元に成っているのが良く解る。
対して、更に北の寒田神社~比々多神社~小野神社~深見神社~一ノ関城~杉山神社の目の前を通り過ぎて橘樹神社に至る矢倉沢往還は古代から陸地だった事が解る。つまり、矢倉沢往還沿いに存在する神社の方が古くから人が住んで居た集落に近在する訳だ。
そして面白いのが、この現実の通り、その延長線上には方形周溝墓が大量に存在する大塚歳勝土も所在する。方形周溝墓は中国江蘇省や福建省を含む南方海洋民族由来、円墳や前方後円墳は半島経由の文化由来、方形周溝墓は古墳時代や横穴式墳墓より古い時代の古墳だ。つまり朝鮮系渡来人の影響を受ける前の縄文人や弥生人の御墓。
現在の日本語は朝鮮語の漢字の発音に多く毒されていたりするが、古事記にも通じる古語は南方の沖縄県に多く残っていたりする。例えば以前も書いた事が有るが、黄泉平坂と言う言葉が有る。
古代語も調べずに江戸時代の価値観で本居宣長と言う人物が翻訳してしまった物では「黄泉平坂=あの世へ通じる洞窟」とか訳の分からないオカルトな神話に成ってしまっている。
所が琉球語だと無理なく翻訳できる。
平坂と言うのは現代日本人の価値観では「平=平地」「坂=坂道」を指す。
上り下りも坂道は坂道。
所が琉球語には現代日本で藤原氏による朝鮮語の影響と漢字の誤植で消えた意味が復活する。
琉球語では「坂(さか)=下り坂」「平(ひら)=上り坂」を指す。
つまり黄泉平坂は「黄泉(よみ)と言う国に繋がる上り下りの峠道」と言う、何とも自然な翻訳が可能に成る。
そんな事は、この日は当初は全く、そんな事は考えてはおらず・・・
「あれ?茅ヶ崎城の近くだ」
とか
「あれ?杉山神社この近所だよな」
とか
「あれ?寒川だ、寒川神社の近くだ。」
とか考えている内に、点と線が繋がり、寒川に着くころには確信に変わってた。
中原街道こそ古墳時代の主要街道だった筈と。
昔の海岸線と古道 久良岐のよし
しかも面白い事に矢倉沢往還も中原街道も両方、橘樹神社の前を通過する。やはり、橘樹神社一帯が古代豪族の集落から郡衙に発展したと考えられている通説は正しい様だ。
ところで、綾瀬市の手前、大和市に入った頃、偶然前日、大和市の上和田地区に住む知人から存在を聞いていた‟左馬神社”と言う場所の近くを通り、その看板を見かけた。知人は歴史は少しかじっているが、山好きで山登りのついでに神社仏閣を巡る程度なので、深くは知らず「源氏の誰かが上和田に関係有るらしく云々・・・」と言っていた。
興味も有り、左馬と名の付く神社で有るからには左馬頭(さまのかみ)源義朝公所縁の神社だろうと小生は推測していたので、寄り道し参拝、確かめてみる事にした。
左馬神社は住宅街の広がる上和田地区に在って、中々に境内が広く村の鎮守の杜(もり)と言った感じの雰囲気の良い神社だった。
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解説を見てみると歴史は江戸時代に始まるそうで、そんなに歴史は古くなく江戸時代の名主の渡辺兵左衛門さんが、近郷の別の左馬神社から源義朝公の御分霊を勧進して開いたそうだ。
渡辺さん、江戸時代には名主だが恐らく祖先は玉縄城主北条綱成公の部下だった筈だ。名主=在地武士の子孫である事、名乗りに左衛門の官途が含まれる事、場所が大和市南東部である事、これは玉縄北条家家臣団だった可能性が高い。
余談だが、この上和田地区には上和田城と言う御城が平安時代末期~鎌倉時代初期に築城されていて、築城者は和田義盛公と伝承する。源氏の与力だった武将の中でも大幹部だ。和田さんの支配地だったから上和田なんだろう。恐らく下和田地区も有るのかもしれない。
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立派な御神木もあり、近所の子供が遊びに来るには良い神社。昔ながらの庶民に近い江戸時代の神社の雰囲気。明治以降は神社は仰々しい所に変化してしまって親近感を持てなくなった人も多いはずだから。
上和田を出発してすぐ、米軍の厚木基地の横を通過した。
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沖縄もこんな感じなんだろうか?
幸い、神奈川県の米兵さん達は素行が良い。と言うか、沖縄県の犯罪発生率は県民自体の犯罪発生率が他府県より高い事実を知る人は余りいないのかも知れない。産業が少なく所得も低いので必然的に犯罪発生率が高く成ってしまうのだろうか?
米軍が撤退すれば沖縄県は更に産業が無くなるし、米軍基地返還派はどうする心算なのだろう?
あの反対活動をして、機動隊に暴行を加えている活動家達が関西弁をしゃべる連中ばかりと言う事実を知る人も本土では少ない。
TVや新聞の偏向報道なんぞアテにせず、もっと年配者は自分で旅行も兼ねて渦中の場所に行って自分の目で情報を拾う努力をするべきだと思う。さもないとマスコミの扇動に右往左往するだけ。
そんな事を考えて走っていると、目の前、宮原と言う辺りだったか。富士山が綺麗に見えた。
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この辺りは宮原と言う地名からも、そして近くに神崎と言う場所が有る事からも、もしかしらた古代に寒川神社の飛び地か前身の神社か、別に由緒有る神社が存在したのかも知れない。
寒川神社の参道近くを通り過ぎ、当初の目的地だった平塚八幡宮の近所も時間が早すぎるので通り過ぎ大磯町に入る頃に成ると、東海道に合流した。
正面に高麗山が見える。
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現在では高来神社と名を変えているが、元々、高麗山山上に社殿が有り明治時代までは高麗神社と呼ばれ、神功皇后に伴って日本に渡来した人々が住んだ地域と考えられている。
帰りに時間が有れば立ち寄ろうと思いながら車を走らせた。
東海道は走ると直ぐに雰囲気で解る。
東海道として、この季節の風物詩の決定的な風景も出て来た・・・
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箱根駅伝の各大学応援団の幟(のぼり)だ(笑)。
これ見て直ぐに思った・・・
「しまった!絶対に途中で駅伝の交通規制に引っかかる!」
・・・と。まぁ、直ぐにそれも楽しめば良いや♪と思い、交通規制がかかる時間帯をどっかの神社行く度にリサーチして、通過時間は沿道で応援しようと決めた。
道幅、両側の店にたまに古い店舗が残っている、所々に残る松の並木・・・
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この辺りまで来ると本当に東海道らしい感じが残っている。
富士山も東海道中の雰囲気を醸し出してくれている。
そこから更に20分位走っただろうか?
長閑な田園が広がる丘に川勾神社は鎮座している。
正月に来た事無かったが、繁忙期は交通整理の誘導員が居るらしい。
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参道の雰囲気は田舎の空気感が凄く良い。
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川勾神社の石柱道標。
揮毫したのは中将上村~と有るので明治時代に活躍された上村彦之丞海軍中将だろう。
あの弟橘姫様の御所ヶ崎にあった御神霊を遷座し走水神社に保護した明治の元勲達の中の1人だ。
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大正七年に参詣にいらっしゃった様だ。
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この写真だと良く見えないが、石段の上には恐らく昔は仁王門として使われていたであろう茅葺の門がある。
石段手前左手に伊藤博文公と伊達時と言う人物が川勾神社を支援したらしい解説が有る。
伊達時と言う人物は苗字からして奥州伊達家の血縁者と思われるが、不勉強で存じ上げない。CIMG2098
湘南地区の延喜式内社らしい、近郷の人々が訪れる人とのつながりの温かみを感じる神社。
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まだデジタル写真を撮影していなかったので、ブログの神社仏閣まとめの記事掲載の為に撮影に来た。
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この日は正月2日目だったので屋台も出ていて、ここで朝食にタコ焼きを食べる事にした。
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まぁ、屋台の大きなたこ焼き。御腹すいていたので美味しかった。
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参拝客もそれなりに居て楽しかった。
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アルバイト(笑)の巫女さん達も頑張ってらっしゃいました。
私語が多いが、そこは長閑さの一つとして愛嬌の内(笑)。
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焚火にいぶされる匂いも心地良い。
さてさて、今回の記事も訪問先が多く長くなりそうなので、前後半に分けて今回はここまでを【前半】とさせて頂きます。
では、次回はこの続き、【二宮町】川勾神社~【大磯町】六所神社~箱根駅伝見物~神揃山で迷子~大磯城山公園古墳群~高久神社~【平塚市】平塚八幡宮~【伊勢原市】比々多神社~横浜帰宅までを書きたいと思います。