拉麺好きなら誰でも知っている名店が神奈川県には多く有ります。
今、悲しい理由では無く海外に活動の中心を切り替えると言う意味で名店が一つ閉店します。
ラーメンフリークなら知らない人のいない店、神奈川県海老名市の中村屋、神奈川淡麗系と言うジャンルの発祥地です。
実は神奈川県は拉麺の巨匠を輩出する地勢の様(よう)です。
これは主要な高速道路や国道が神奈川県を多く通る事から東京に入る前にドライバー達が車を停める場所の確保出来る神奈川県内で食事をする機会が多く拉麺文化の発展が他地域より少しだけ早く進みやすい環境が有ったみたいです。
偶然ですが、戦国時代の城や江戸初期の陣屋は町を守る為では無く敵軍の侵攻を阻止する為に交通の要所に作られます。ですから昔の繁盛店は近くに城跡や陣屋跡も有ったりします。
幹線道路や利用者の多い道沿いに有り必然的にドライバーが集まって来やすくなるので一目瞭然で繁盛しているのが判り、それを見た一般人から口コミが更に広まり繁盛店に成ると言うのが、ラーメンブーム初期の1980~1990年代の傾向だった様です。
ただ繁盛店も立地だけでは飽きられてしまう訳ですから、今も生き残っている店は当然ながら努力を止めなかった御店主の御店と言う事も判ります。
小生が一番好感を持っており、憧れと同時に尊敬もしている人物が拉麺職人であり拉麺と言うジャンルを和食並みに繊細で高度な「料理のジャンル」に革新昇華させてラーメン業界の「ニューウェーブ」と言われた中村栄利サンです。
2月5日にアメリカから帰国して、13日の閉店日の営業終了まで中村サン自ら昔の様に「天空落し」で麺上げを全て担当して下さるそうです。
この中村社長は拉麺職人と言う職業自体も「シェフ」と他の料理人やマスコミから言わ強(し)める存在に地位を向上させた現代の料理界の偉人の一人で既に歴史に名を刻んでいる人物です。
この中村サン社長に成り中村屋を最初に高座渋谷で開業した頃に成ると立地よりも味が完全に重視され、不便な目立たない立地でも東京の「六厘舎」、横浜の「くり山」等の繁盛店が登場してきます。
一気に日本のラーメンのクオリティが進化したのが「ニューウェーブ系」の時代だったと思います。
中村さんは未だ明確な神奈川淡麗系等のジャンル分けが浸透する前の「ニューウェーブ系」の一人として有名に成った人な訳ですが、ニューウェーブ以前の立地+味+拘りで繁盛した先輩達の中にも中村サン御自身がYoutubeのライブ配信で名を上げていた「御世話に成った」とする人が当然ながら何人かいます。
今回はその中で3人、神奈川県のシェフを紹介しますが日本全国区で有名な誰でも知っている方達ばかりです。
支那そばや 佐野実 社長
神奈川淡麗系と言う名が出る前からの醤油拉麺の名店。
藤沢に開業後、横浜ラーメン博物館に出店、その後、自分の地元の戸塚本店に本拠を移す。
つけ麺の神様の山岸サンが認めた天才にして拉麺にストイックな拉麺の鬼。多くの店に影響を与えた。
早くに亡くなってしまったが今でも佐野サンを慕って戸塚本店に拉麺を食べに来る客は本当に多い。
今でもその拘りは御弟子さんやご家族に引き継がれレシピの中で脈々と生きている。
この人の拉麺は人を感動させる事が出来るのは、ストイックで本当に研究熱心だった現実的な努力が惜しみなく注ぎ込まれているからだと思う。
小生も知らない藤沢店時代は相当厳しかったらしいけれども、晩年はだいぶ柔らかく成り後進の育成に活躍されていた。今の「支那そばや」は御家族と御弟子さんの代に成り店の雰囲気も和やかで女性客も非常に増えて、小生も関西や外国から友人が来るとここに拉麺を食べに連れて行くが皆賞賛すると同時に醤油拉麺に対するハードルが初回から爆上がりし他の店主が可哀想だったりもする。
吉村家 吉村実 社長
家系豚骨醤油拉麺の総本山。
吉村実社長が現在の新杉田駅近く、杉田屋の道を挟んだハス向かいに開業した店で在来の横浜拉麺を工夫して確立したジャンルが家系豚骨醤油拉麺だった。後に現在の横浜駅西口に移転するに際し、東大卒で会社員を辞してまで自分の弟子に成った津村サンに杉田の地盤を託して旧吉村家の近所に津村サンの杉田家が開かれ現存する。
吉村社長がいなかったら家系と言う単語すら現代に存在していなかった。
個人的な思い出として、小生は幼少期に屏風浦に住んでいて親が好きで良く食べに連れて行かれた店。
ある日に良くスープを吸う厚手の海苔を母が「海苔が美味しい」と言ったら吉村サンが「持ってけよ!」と言って束で海苔を分けてくれたり、子供ながらに「美味しい~」と言うとニコニコと声をかけてくれた優しいオジサンが目の前でたまに弟子をブン殴ってた(笑)。
良く弟子を殴るけど多くの弟子を独立冴えて自分でやってける所まで育て上げる「親方」。パワハラは現代では無理だけど(笑)、この人のは弟子と客の事をメチャクチャ考えてる人。
今でも尊敬している自分の幼少期に見たラーメン屋の優しいオジチャン。
なんつッ亭 古谷一郎社長
熊本県人吉市の名店の好来ラーメンで修行し、自身の故郷である秦野市で熊本豚骨ラーメンに「黒マー油」で豚骨ラーメンの獣臭さを香ばしい香味に変えた豚骨ラーメンを提供する女性ファンとファミリー層の需要を開拓した偉大な拉麺店。なのでラーメン屋なのにアイスクリームや子供が喜ぶ仕掛けもちゃんと有る。
ただ元ヤンキーなので周りの面倒をみたり仲間の事を考え過ぎる真面目男で拉麺業界の事を考え過ぎた結果、政治家に立候補した際に左派系野党側から立候補したもんだから一次期は右派の御客さんにソッポ向かれちゃったり、それなりにヤンチャな面も残している方。
御客様が「御馳走様」「美味しかったです」と言うと一人一人に対して「ありがとう」と声を返してくれる好人物でも有る。TV番組の企画で閑古鳥が無く高速道路のフードコートの再生でも安易にコスパしか考えない経営者に職人として料理にプライドを持つように諭したり、本当に面倒見の良くアイディアも豊富な人物で中村サンの少し上の兄貴分的な世代に当たる。
さて、そんな訳で皆さんもTVで見た事が有る様な拉麺に新たなジャンルを確立した巨匠達がいて、その中の一人がイケメンであり研究家として熱心な中村屋の中村栄利社長なのですが、この人の凄さは半端ない。何と特定の師匠がおらず、自分で1から研究し有りとあらゆるジャンルの料理の良さを研究し、23年前のオープンから暫くして世間に知られる様になると多くの評論家や各ジャンルの料理界の巨匠達から「若いのに大した奴だ」と可愛がられる様に成り、更にそのフレンチや拉麺界の巨匠達からもアイディアを吸収し「神奈川淡麗系」を確立させて、更に10年前に渡米し「NAKAMURAYA」をオープンし今でもニューヨークで成功を収めているラーメン業界の革新と進化の先頭に立ち続けている事に有ります。
中村屋 中村栄利社長
最初は由緒有る源頼朝公の配下として活躍した東郷平八郎元帥の御先祖様でもある渋谷重国公の治めた土地の高座渋谷に中村屋を開業した。
特定の師匠について拉麺を修行した訳では無くアメリカ留学中の4年間に自分で拉麺スープを研究し、帰国後に幼馴染でずっとフラれ続けてから交際した奥様と結婚する為にラーメン屋を開業した。
そこから御苦労もされながら研究を止めず、新たな工夫を加味して行き拉麺が料理として大きく評価される革新を成し遂げ「ニューウェーブ」を巻き起こした人物。
釜で焼いた叉焼や煮豚だけではなく今では当たり前の燻製させたり料理を提供する前に「炙り」温め芳(こう)ばしく焼いた香り付けまで行い提供する工程を取り入れたり、スープも様々な素材を研究し取り入れる等、開業からわずか23年間で日本の拉麺業界発展の中心に間違いなく居た内の一人で、その功績は例えるなら拉麺業界で渋沢栄一公までとは行かずとも原三渓サン、松下幸之助サンに匹敵する大勝軒の山岸さん、佐野実さん、吉村実社長、と並ぶ日本が世界に誇る拉麺職人だと断言できる。
世界に誇る日本のラーメンの革新的発展に貢献した歴史偉人の一人である事は間違いない。
そんな中村さんの御店があと2日、2022年02月13日で日本国内の店舗は完全休業に入ると衝撃の告知がホームページで有りました。
日本の中村屋は、入居するAEONの立体駐車場が建物老朽化により解体工事が決まり、テナントの契約を更新せず撤退が決まりました。
中村社長の現在の本拠地であるニューヨーク店は継続されますが、02/13が国内で中村屋を食べられる最後のチャンスです。
小生のブログは観光地として歴史散策の場所としても価値の有り且(か)つ歴史偉人と御縁の有る横浜市の史跡や神社仏閣が消滅する事を嘆いたりする記事も多く有ります。
しかし今回の日本における中村屋の無期休業はラーメンファンにとって悲しい事では無く彼がニューヨークの店に今まで以上に専念する事で「日本のラーメン」を世界に広める花道が開かれた訳ですから、一つの節目でありおめでたい事だと思います。
麺処 中村屋 海老名本店
そんな訳で小生は12日、13日の土日は混雑必至なので昨日、一足先に最後の営業の味を食し脳に刻み付けに行ってきました。
写真の様に小生は18時の午後からの営業に合わせて18時ちょい位に行った時には店前+隣のスペースに3列、合計80名程の待ちが出来ていました。店舗内に入ってる客数を考えると昨日の段階では午後の開店直後で100名待ちと言う事に成るなので、本日12日、明日の最終営業の13日は更に待つ可能性が有るかと思います。
80名待ちで入店するまでに要した時間は約2時間でした。
下の写真の1列が約20人で、1列進むのに30分の所要時間でした。
昨日でも昼間は2,00人位並んだそうなので今日では無く明日の最終日に行かれる方は長期戦覚悟した方が良いかと思います。
店が想定して準備しているのは600食前後の様です。
また昨日小生は夕方の開店直後に訪問したのにも関わらず昼間の来客が多かった為に特中村等の人気商品は並んで1時間しない間に売り切れてしまいました。
それと日本での最後の営業に往年のファンが多く訪問する事を想定して、中村社長が今回の閉店に合わせて帰国した当初より「大盛り販売停止」し、複数杯の提供も中止しているそうです。
小生のオススメは問答無用で「特中村屋」、具材がフルに乗っています。それと「柚子ラーメン」も激ウマなので捨てがたいデスヨ!
御飯物のサイドメニューは「日替わり賄い飯」がダントツでオススメです。ゴロゴロとした叉焼が香ばしく、普通にコレ単品で台湾旅行行ってルーロ―ファン食べる位の価値が有ります。
昨日は18時チョイに並び始めて1時間しない内に「特中村屋」が売り切れとアナウンスされたので、恐らくどうしても召し上がりたい方は開店1時間以上前から並んでいないと厳しいかと思います。
タイムリーな情報は上記のQRコードでフォローすれば、御店の情報等を読みながら時間つぶせますね!
それと中村社長はYoutubeチャンネルも持っていて昨年のコロナ自粛でNYの飲食店が営業出来なかった時期に小生達ファンと交流していた動画や、御本人が交友関係の有る有名店主達とコラボされて拉麺論議している動画等も有り見応えあります。
店の前まで列が来ると、今度は道路での待機で壁が無いので寒いので、皆さん重ね着やカイロ持参して訪問される事をお勧めします。
それと待っている間に2人程諦めたのか離脱されましたが、一人は何も考えず持参した水筒で水分を引っ切り無しに補給していたので尿意を催して大人なのに漏らす訳にいかずに離脱せざるを得なかったようです。
なので長時間並ぶ事に成りますから、訪問前に水分は余り補給せずに行かれた方が良いと思いますし、一人での訪問であればトイレにもちゃんと行った方が良さそうです。
寒い中2時間~今日以降は更に長時間待つのは生理現象との戦いになりそうです(笑)。
もちろん、デートで来られたり御友人と行かれるのであれば問題ないでしょう。
料理が美味しいので、そんな下らない失敗しなければカップルのデートでも良い思い出が200%上回りますよ♪
ちなみに昨日注文したメニューです⤵
らーめん(830円)+味玉(120円)
日替わりまかない飯(380円)
ね?さっきオススメしたけどビジュアルからして美味そうでしょう~(笑)?
あと昨日、中村屋の営業終了後の中村社長がYoutubeチャンネルのRatubeでライブ配信中にLiveチャットで小生が「作業風景盗撮しちゃいました!」と別に撮影して良いのを知った上で自己申告した所・・・
中村社長から周知の為もあり「店内の写真撮影して良いデスヨ!」
・・・と、許可が下りました(笑)。なので皆さんも最後の店内の様子と中村社長が有名に成った湯切りの方法の「天空落し」をやっている所も写真撮影して記念にしてみては如何でしょうか?
ちなみに、上の写真で左奥のオシャレな革製のエプロンをつけているのが中村社長が湯切りしているところですね。
実は中村社長がアメリカに居る間に日本の営業を任せられている店長の「マダさん」にも小生は訪問する度に「店内の写真撮影して良いですかぁ~?」確認をとって、普段から撮影して写真を撮り溜めてあるので、未だ行った事が無い人の参考に貼り付けて置きます。
この屋号の扁額は元は中村さんの御爺ちゃんが万屋を本厚木で営業していた時代の店頭掲示されていた物で、それを中村屋創業地の高座渋谷で開業した時に使っていた物だそうです。
昭和の木製で立派な扁額なんですね、恐らく神社や御寺の扁額の職人さんが作った物でしょう。
看板職人には作れませんからね。
店内の音楽も内装も金属的な何だか海外の若い人が集まるCaféやBarの様になっておりオシャレなんです。
この店内の雰囲気が本当に良くラーメン屋っぽくなく地方や海外の友人を連れて行くととても好評でした。
下の写真は特中村屋+味玉+海苔増し。
柚子らーめん+味玉
小生は基本的に「柚子らーめん」がお気に入りで、数ヵ月に1回程度の来訪頻度でしたが柚子らーめんばっか注文してました。
友人が来ると贅沢に「特中村屋」を注文するパターンが多かった。
もう本当、写真で既に拉麺が「綺麗」で「良い匂い」がしてきそうでしょ?
昨日も寒い中、往年のファンと若いカップル等が来ていましたが皆、舌と目と鼻と喉で中村さんの手作りの最後のラーメンを味わって記憶して幸せだったと思います。
中村屋は明日、2022年02月13日で日本での営業を休止し撤退します。
「食べたい!」
・・・と思った皆さん、是非、後悔無き様に。
ちょうど中村屋の目の前にはAEONの映画館も有りますし、普通に拉麺だけでなくデートで来ても良いと思います。
歴史好きで車移動なら近くに鎌倉殿の13人で登場するかもしれない「海老名季貞公」や「海老名季久公」と古代の朝廷から崇敬され保護を受けた延喜式内社の「有鹿神社本宮」も有ります。有鹿神社は縁結びの有鹿比売(あるかひめ)と有鹿比古(あるかひこ)の夫婦神様を祀る神社で農業や繁栄の神様でもあります。他にも天智天皇の命令で作られた相模国分寺の史跡公園や周辺一帯に多く有った古墳群からの出土品の歴史解説展示の有る「海老名市温故館」が近所に在(あ)ります。
車で20分くらいの場所には倭建(やまとたける)が立ち寄り源頼朝公の重臣の渋谷重国公が支援した綾瀬市の「五社神社」も有り、車で五社神社から直ぐの所には神奈川県の特産品の高座豚のハム等の加工食品の直売所の「高座豚手作りハム」も有ります。
その高座豚手作りハムの直ぐ近くにはツーリング客で賑わう手作りソフトクリーム工房の「カナサシファーム」も有ります。
なので海老名~綾瀬の車での移動半径30分以内には映画鑑賞だけなく歴史散策も出来て1日過せますYo~♪
さて、そんな訳で中村屋の営業は残すところ今日12日半日間+明日最終営業の13日だけとなりました。
昨日の営業終了後、中村さんが自分のチャンネルで古参のファン相手にライブ配信していた動画、順番待ちの時に見てみて下さい。
美味しい物で人を幸せにする仕事って素晴らしいですね~。
中村サン、23年間神奈川県で営業を続けて下さってありがとうございました。
これからはアメリカで生活したいと言う御自分達の夢と、アメリカでの拉麺文化普及に力を注いで御自分達の幸せも今まで以上に満喫なさってくださいね~。
―—2022/02/13、最終営業終了後に追記――
最終日、独立したOBの皆さんが結集する胸熱展開、Tweet拝見したファンは感動したと思います。
例えばアメリカで御嬢さん達が大学に入学されて1人暮らしを始め子育てが一段落したり、御嬢さんが御婿さん連れて来てNYの跡継ぎが出来たりした節目で中村御夫妻が・・・
「やっぱり厚木や高座郡の生活が性に合ってるな~」
「老後は神奈川の田舎で過ごしたいな~」
・・・と思ったら、いつでも僕等は待ってますから。又、ひょうひょうと「中村屋日本店復活!」とか、皆も年取ってると思いますけど感動するでしょうし厚木市や大和市や綾瀬市の市民は大歓迎して出迎えてくれると思いますよ。
私もその頃は横浜市を捨てて横須賀市民に成ってるでしょうが、横須賀から花輪を出して御祝いに駆け付けますし、皆も同じ気持ちだと思います。
この先、一時帰国でもされたら三浦半島に釣りに行きませんか?中村さんの大好きな釣りと食材探し旅に。
三浦市の松輪鯖に黄金鯵に三崎の鮪、逗子~横須賀~三浦の蛸、鎌倉~逗子の鯵に生シラス。
ヤマトタケル神話の横須賀市走水海岸の海苔、横浜の柴漁港の穴子に蝦蛄に海鼠。
高座郡綾瀬の高座豚、横浜の横浜牛にハマポーク、三浦半島の葉山牛、山北町かどやファームの足柄牛。
今、悲しい理由では無く海外に活動の中心を切り替えると言う意味で名店が一つ閉店します。
ラーメンフリークなら知らない人のいない店、神奈川県海老名市の中村屋、神奈川淡麗系と言うジャンルの発祥地です。
実は神奈川県は拉麺の巨匠を輩出する地勢の様(よう)です。
これは主要な高速道路や国道が神奈川県を多く通る事から東京に入る前にドライバー達が車を停める場所の確保出来る神奈川県内で食事をする機会が多く拉麺文化の発展が他地域より少しだけ早く進みやすい環境が有ったみたいです。
偶然ですが、戦国時代の城や江戸初期の陣屋は町を守る為では無く敵軍の侵攻を阻止する為に交通の要所に作られます。ですから昔の繁盛店は近くに城跡や陣屋跡も有ったりします。
幹線道路や利用者の多い道沿いに有り必然的にドライバーが集まって来やすくなるので一目瞭然で繁盛しているのが判り、それを見た一般人から口コミが更に広まり繁盛店に成ると言うのが、ラーメンブーム初期の1980~1990年代の傾向だった様です。
ただ繁盛店も立地だけでは飽きられてしまう訳ですから、今も生き残っている店は当然ながら努力を止めなかった御店主の御店と言う事も判ります。
いつも中村屋をご利用頂き誠にありがとうございます。
— 麺処 中村屋海老名 (@tenkuu_otoshi) February 4, 2022
本日より店主中村が店頭に立ち営業を致します🔥
そして、1人でも多くのお客様にラーメンを提供させて頂く為に、誠に勝手ながら【麺大盛り】の提供を終了させて頂きます。
御理解賜りますようお願い申し上げます。 pic.twitter.com/qlznjUVJEf
小生が一番好感を持っており、憧れと同時に尊敬もしている人物が拉麺職人であり拉麺と言うジャンルを和食並みに繊細で高度な「料理のジャンル」に革新昇華させてラーメン業界の「ニューウェーブ」と言われた中村栄利サンです。
2月5日にアメリカから帰国して、13日の閉店日の営業終了まで中村サン自ら昔の様に「天空落し」で麺上げを全て担当して下さるそうです。
この中村社長は拉麺職人と言う職業自体も「シェフ」と他の料理人やマスコミから言わ強(し)める存在に地位を向上させた現代の料理界の偉人の一人で既に歴史に名を刻んでいる人物です。
この中村サン社長に成り中村屋を最初に高座渋谷で開業した頃に成ると立地よりも味が完全に重視され、不便な目立たない立地でも東京の「六厘舎」、横浜の「くり山」等の繁盛店が登場してきます。
一気に日本のラーメンのクオリティが進化したのが「ニューウェーブ系」の時代だったと思います。
中村さんは未だ明確な神奈川淡麗系等のジャンル分けが浸透する前の「ニューウェーブ系」の一人として有名に成った人な訳ですが、ニューウェーブ以前の立地+味+拘りで繁盛した先輩達の中にも中村サン御自身がYoutubeのライブ配信で名を上げていた「御世話に成った」とする人が当然ながら何人かいます。
今回はその中で3人、神奈川県のシェフを紹介しますが日本全国区で有名な誰でも知っている方達ばかりです。
支那そばや 佐野実 社長
神奈川淡麗系と言う名が出る前からの醤油拉麺の名店。
藤沢に開業後、横浜ラーメン博物館に出店、その後、自分の地元の戸塚本店に本拠を移す。
つけ麺の神様の山岸サンが認めた天才にして拉麺にストイックな拉麺の鬼。多くの店に影響を与えた。
早くに亡くなってしまったが今でも佐野サンを慕って戸塚本店に拉麺を食べに来る客は本当に多い。
今でもその拘りは御弟子さんやご家族に引き継がれレシピの中で脈々と生きている。
この人の拉麺は人を感動させる事が出来るのは、ストイックで本当に研究熱心だった現実的な努力が惜しみなく注ぎ込まれているからだと思う。
小生も知らない藤沢店時代は相当厳しかったらしいけれども、晩年はだいぶ柔らかく成り後進の育成に活躍されていた。今の「支那そばや」は御家族と御弟子さんの代に成り店の雰囲気も和やかで女性客も非常に増えて、小生も関西や外国から友人が来るとここに拉麺を食べに連れて行くが皆賞賛すると同時に醤油拉麺に対するハードルが初回から爆上がりし他の店主が可哀想だったりもする。
吉村家 吉村実 社長
家系豚骨醤油拉麺の総本山。
吉村実社長が現在の新杉田駅近く、杉田屋の道を挟んだハス向かいに開業した店で在来の横浜拉麺を工夫して確立したジャンルが家系豚骨醤油拉麺だった。後に現在の横浜駅西口に移転するに際し、東大卒で会社員を辞してまで自分の弟子に成った津村サンに杉田の地盤を託して旧吉村家の近所に津村サンの杉田家が開かれ現存する。
吉村社長がいなかったら家系と言う単語すら現代に存在していなかった。
個人的な思い出として、小生は幼少期に屏風浦に住んでいて親が好きで良く食べに連れて行かれた店。
ある日に良くスープを吸う厚手の海苔を母が「海苔が美味しい」と言ったら吉村サンが「持ってけよ!」と言って束で海苔を分けてくれたり、子供ながらに「美味しい~」と言うとニコニコと声をかけてくれた優しいオジサンが目の前でたまに弟子をブン殴ってた(笑)。
良く弟子を殴るけど多くの弟子を独立冴えて自分でやってける所まで育て上げる「親方」。パワハラは現代では無理だけど(笑)、この人のは弟子と客の事をメチャクチャ考えてる人。
今でも尊敬している自分の幼少期に見たラーメン屋の優しいオジチャン。
なんつッ亭 古谷一郎社長
熊本県人吉市の名店の好来ラーメンで修行し、自身の故郷である秦野市で熊本豚骨ラーメンに「黒マー油」で豚骨ラーメンの獣臭さを香ばしい香味に変えた豚骨ラーメンを提供する女性ファンとファミリー層の需要を開拓した偉大な拉麺店。なのでラーメン屋なのにアイスクリームや子供が喜ぶ仕掛けもちゃんと有る。
ただ元ヤンキーなので周りの面倒をみたり仲間の事を考え過ぎる真面目男で拉麺業界の事を考え過ぎた結果、政治家に立候補した際に左派系野党側から立候補したもんだから一次期は右派の御客さんにソッポ向かれちゃったり、それなりにヤンチャな面も残している方。
御客様が「御馳走様」「美味しかったです」と言うと一人一人に対して「ありがとう」と声を返してくれる好人物でも有る。TV番組の企画で閑古鳥が無く高速道路のフードコートの再生でも安易にコスパしか考えない経営者に職人として料理にプライドを持つように諭したり、本当に面倒見の良くアイディアも豊富な人物で中村サンの少し上の兄貴分的な世代に当たる。
さて、そんな訳で皆さんもTVで見た事が有る様な拉麺に新たなジャンルを確立した巨匠達がいて、その中の一人がイケメンであり研究家として熱心な中村屋の中村栄利社長なのですが、この人の凄さは半端ない。何と特定の師匠がおらず、自分で1から研究し有りとあらゆるジャンルの料理の良さを研究し、23年前のオープンから暫くして世間に知られる様になると多くの評論家や各ジャンルの料理界の巨匠達から「若いのに大した奴だ」と可愛がられる様に成り、更にそのフレンチや拉麺界の巨匠達からもアイディアを吸収し「神奈川淡麗系」を確立させて、更に10年前に渡米し「NAKAMURAYA」をオープンし今でもニューヨークで成功を収めているラーメン業界の革新と進化の先頭に立ち続けている事に有ります。
中村屋 中村栄利社長
最初は由緒有る源頼朝公の配下として活躍した東郷平八郎元帥の御先祖様でもある渋谷重国公の治めた土地の高座渋谷に中村屋を開業した。
特定の師匠について拉麺を修行した訳では無くアメリカ留学中の4年間に自分で拉麺スープを研究し、帰国後に幼馴染でずっとフラれ続けてから交際した奥様と結婚する為にラーメン屋を開業した。
そこから御苦労もされながら研究を止めず、新たな工夫を加味して行き拉麺が料理として大きく評価される革新を成し遂げ「ニューウェーブ」を巻き起こした人物。
釜で焼いた叉焼や煮豚だけではなく今では当たり前の燻製させたり料理を提供する前に「炙り」温め芳(こう)ばしく焼いた香り付けまで行い提供する工程を取り入れたり、スープも様々な素材を研究し取り入れる等、開業からわずか23年間で日本の拉麺業界発展の中心に間違いなく居た内の一人で、その功績は例えるなら拉麺業界で渋沢栄一公までとは行かずとも原三渓サン、松下幸之助サンに匹敵する大勝軒の山岸さん、佐野実さん、吉村実社長、と並ぶ日本が世界に誇る拉麺職人だと断言できる。
世界に誇る日本のラーメンの革新的発展に貢献した歴史偉人の一人である事は間違いない。
そんな中村さんの御店があと2日、2022年02月13日で日本国内の店舗は完全休業に入ると衝撃の告知がホームページで有りました。
日本の中村屋は、入居するAEONの立体駐車場が建物老朽化により解体工事が決まり、テナントの契約を更新せず撤退が決まりました。
中村社長の現在の本拠地であるニューヨーク店は継続されますが、02/13が国内で中村屋を食べられる最後のチャンスです。
小生のブログは観光地として歴史散策の場所としても価値の有り且(か)つ歴史偉人と御縁の有る横浜市の史跡や神社仏閣が消滅する事を嘆いたりする記事も多く有ります。
しかし今回の日本における中村屋の無期休業はラーメンファンにとって悲しい事では無く彼がニューヨークの店に今まで以上に専念する事で「日本のラーメン」を世界に広める花道が開かれた訳ですから、一つの節目でありおめでたい事だと思います。
麺処 中村屋 海老名本店
046-233-7278
写真の様に小生は18時の午後からの営業に合わせて18時ちょい位に行った時には店前+隣のスペースに3列、合計80名程の待ちが出来ていました。店舗内に入ってる客数を考えると昨日の段階では午後の開店直後で100名待ちと言う事に成るなので、本日12日、明日の最終営業の13日は更に待つ可能性が有るかと思います。
80名待ちで入店するまでに要した時間は約2時間でした。
下の写真の1列が約20人で、1列進むのに30分の所要時間でした。
昨日でも昼間は2,00人位並んだそうなので今日では無く明日の最終日に行かれる方は長期戦覚悟した方が良いかと思います。
店が想定して準備しているのは600食前後の様です。
また昨日小生は夕方の開店直後に訪問したのにも関わらず昼間の来客が多かった為に特中村等の人気商品は並んで1時間しない間に売り切れてしまいました。
それと日本での最後の営業に往年のファンが多く訪問する事を想定して、中村社長が今回の閉店に合わせて帰国した当初より「大盛り販売停止」し、複数杯の提供も中止しているそうです。
小生のオススメは問答無用で「特中村屋」、具材がフルに乗っています。それと「柚子ラーメン」も激ウマなので捨てがたいデスヨ!
御飯物のサイドメニューは「日替わり賄い飯」がダントツでオススメです。ゴロゴロとした叉焼が香ばしく、普通にコレ単品で台湾旅行行ってルーロ―ファン食べる位の価値が有ります。
昨日は18時チョイに並び始めて1時間しない内に「特中村屋」が売り切れとアナウンスされたので、恐らくどうしても召し上がりたい方は開店1時間以上前から並んでいないと厳しいかと思います。
タイムリーな情報は上記のQRコードでフォローすれば、御店の情報等を読みながら時間つぶせますね!
それと中村社長はYoutubeチャンネルも持っていて昨年のコロナ自粛でNYの飲食店が営業出来なかった時期に小生達ファンと交流していた動画や、御本人が交友関係の有る有名店主達とコラボされて拉麺論議している動画等も有り見応えあります。
店の前まで列が来ると、今度は道路での待機で壁が無いので寒いので、皆さん重ね着やカイロ持参して訪問される事をお勧めします。
それと待っている間に2人程諦めたのか離脱されましたが、一人は何も考えず持参した水筒で水分を引っ切り無しに補給していたので尿意を催して大人なのに漏らす訳にいかずに離脱せざるを得なかったようです。
なので長時間並ぶ事に成りますから、訪問前に水分は余り補給せずに行かれた方が良いと思いますし、一人での訪問であればトイレにもちゃんと行った方が良さそうです。
寒い中2時間~今日以降は更に長時間待つのは生理現象との戦いになりそうです(笑)。
もちろん、デートで来られたり御友人と行かれるのであれば問題ないでしょう。
料理が美味しいので、そんな下らない失敗しなければカップルのデートでも良い思い出が200%上回りますよ♪
ちなみに昨日注文したメニューです⤵
らーめん(830円)+味玉(120円)
日替わりまかない飯(380円)
ね?さっきオススメしたけどビジュアルからして美味そうでしょう~(笑)?
あと昨日、中村屋の営業終了後の中村社長がYoutubeチャンネルのRatubeでライブ配信中にLiveチャットで小生が「作業風景盗撮しちゃいました!」と別に撮影して良いのを知った上で自己申告した所・・・
中村社長から周知の為もあり「店内の写真撮影して良いデスヨ!」
・・・と、許可が下りました(笑)。なので皆さんも最後の店内の様子と中村社長が有名に成った湯切りの方法の「天空落し」をやっている所も写真撮影して記念にしてみては如何でしょうか?
ちなみに、上の写真で左奥のオシャレな革製のエプロンをつけているのが中村社長が湯切りしているところですね。
実は中村社長がアメリカに居る間に日本の営業を任せられている店長の「マダさん」にも小生は訪問する度に「店内の写真撮影して良いですかぁ~?」確認をとって、普段から撮影して写真を撮り溜めてあるので、未だ行った事が無い人の参考に貼り付けて置きます。
この屋号の扁額は元は中村さんの御爺ちゃんが万屋を本厚木で営業していた時代の店頭掲示されていた物で、それを中村屋創業地の高座渋谷で開業した時に使っていた物だそうです。
昭和の木製で立派な扁額なんですね、恐らく神社や御寺の扁額の職人さんが作った物でしょう。
看板職人には作れませんからね。
店内の音楽も内装も金属的な何だか海外の若い人が集まるCaféやBarの様になっておりオシャレなんです。
この店内の雰囲気が本当に良くラーメン屋っぽくなく地方や海外の友人を連れて行くととても好評でした。
下の写真は特中村屋+味玉+海苔増し。
柚子らーめん+味玉
小生は基本的に「柚子らーめん」がお気に入りで、数ヵ月に1回程度の来訪頻度でしたが柚子らーめんばっか注文してました。
友人が来ると贅沢に「特中村屋」を注文するパターンが多かった。
もう本当、写真で既に拉麺が「綺麗」で「良い匂い」がしてきそうでしょ?
昨日も寒い中、往年のファンと若いカップル等が来ていましたが皆、舌と目と鼻と喉で中村さんの手作りの最後のラーメンを味わって記憶して幸せだったと思います。
中村屋は明日、2022年02月13日で日本での営業を休止し撤退します。
「食べたい!」
・・・と思った皆さん、是非、後悔無き様に。
ちょうど中村屋の目の前にはAEONの映画館も有りますし、普通に拉麺だけでなくデートで来ても良いと思います。
歴史好きで車移動なら近くに鎌倉殿の13人で登場するかもしれない「海老名季貞公」や「海老名季久公」と古代の朝廷から崇敬され保護を受けた延喜式内社の「有鹿神社本宮」も有ります。有鹿神社は縁結びの有鹿比売(あるかひめ)と有鹿比古(あるかひこ)の夫婦神様を祀る神社で農業や繁栄の神様でもあります。他にも天智天皇の命令で作られた相模国分寺の史跡公園や周辺一帯に多く有った古墳群からの出土品の歴史解説展示の有る「海老名市温故館」が近所に在(あ)ります。
車で20分くらいの場所には倭建(やまとたける)が立ち寄り源頼朝公の重臣の渋谷重国公が支援した綾瀬市の「五社神社」も有り、車で五社神社から直ぐの所には神奈川県の特産品の高座豚のハム等の加工食品の直売所の「高座豚手作りハム」も有ります。
その高座豚手作りハムの直ぐ近くにはツーリング客で賑わう手作りソフトクリーム工房の「カナサシファーム」も有ります。
なので海老名~綾瀬の車での移動半径30分以内には映画鑑賞だけなく歴史散策も出来て1日過せますYo~♪
さて、そんな訳で中村屋の営業は残すところ今日12日半日間+明日最終営業の13日だけとなりました。
昨日の営業終了後、中村さんが自分のチャンネルで古参のファン相手にライブ配信していた動画、順番待ちの時に見てみて下さい。
美味しい物で人を幸せにする仕事って素晴らしいですね~。
中村サン、23年間神奈川県で営業を続けて下さってありがとうございました。
これからはアメリカで生活したいと言う御自分達の夢と、アメリカでの拉麺文化普及に力を注いで御自分達の幸せも今まで以上に満喫なさってくださいね~。
―—2022/02/13、最終営業終了後に追記――
本日最終営業日!中村屋OBが営業にはいっております🔥 pic.twitter.com/GdMS1OjTaN
— 麺処 中村屋海老名 (@tenkuu_otoshi) February 13, 2022
最終日、独立したOBの皆さんが結集する胸熱展開、Tweet拝見したファンは感動したと思います。
例えばアメリカで御嬢さん達が大学に入学されて1人暮らしを始め子育てが一段落したり、御嬢さんが御婿さん連れて来てNYの跡継ぎが出来たりした節目で中村御夫妻が・・・
「やっぱり厚木や高座郡の生活が性に合ってるな~」
「老後は神奈川の田舎で過ごしたいな~」
・・・と思ったら、いつでも僕等は待ってますから。又、ひょうひょうと「中村屋日本店復活!」とか、皆も年取ってると思いますけど感動するでしょうし厚木市や大和市や綾瀬市の市民は大歓迎して出迎えてくれると思いますよ。
私もその頃は横浜市を捨てて横須賀市民に成ってるでしょうが、横須賀から花輪を出して御祝いに駆け付けますし、皆も同じ気持ちだと思います。
この先、一時帰国でもされたら三浦半島に釣りに行きませんか?中村さんの大好きな釣りと食材探し旅に。
三浦市の松輪鯖に黄金鯵に三崎の鮪、逗子~横須賀~三浦の蛸、鎌倉~逗子の鯵に生シラス。
ヤマトタケル神話の横須賀市走水海岸の海苔、横浜の柴漁港の穴子に蝦蛄に海鼠。
高座郡綾瀬の高座豚、横浜の横浜牛にハマポーク、三浦半島の葉山牛、山北町かどやファームの足柄牛。
横浜小野ファーム~横須賀関口牧場~藤沢飯田牧場~海老名カナサシファーム~愛川町服部牧場~伊勢原の柏木牧場と石田牧場~小田原牧場の牛乳とアイスクリーム。
横浜のハマ梨、三浦の三浦大根にカボチャに西瓜にメロンに蜜柑に苺、秦野の落花生、厚木~伊勢原~小田原の柿や蜜柑。
横浜のハマ梨、三浦の三浦大根にカボチャに西瓜にメロンに蜜柑に苺、秦野の落花生、厚木~伊勢原~小田原の柿や蜜柑。
横須賀の田浦梅林の梅に小田原曽我梅林の曾我十郎梅に横浜原産で曾我梅林に移植された幻の杉田梅。
横浜大倉山梅林と横須賀田浦梅林と小田原曽我梅林の梅酒。
横浜大倉山梅林と横須賀田浦梅林と小田原曽我梅林の梅酒。
ラーメンに使える食材がその中に幾(いく)つ有るかは知りませんが(笑)、中村サンがアメリカにいても帰って来ても神奈川県の食材達と一緒に神奈川県や全国のラーメンファンの皆が喜んで御夫婦の帰還を出迎え、神奈川県の1次生産者達も食材探しに協力してくれるでしょう。
ですから安心してNYでラーメンシェフとしても中村家の家族のパパとしても良き夫としても海好きな男としてもアメリカの生活を楽しんで下さい。
ちゃんと好きなキャンプやイカ釣り行って息抜き忘れないで下さいね~♪
今回の中村家の記事は一先(ひとま)ずここまで!
次の中村屋の記事は小生がNYの中村屋に食べに行く時。
では、皆さんも美味しい拉麺で幸せに成ります様に~♪
又、次の記事で御会いしましょう~!
ですから安心してNYでラーメンシェフとしても中村家の家族のパパとしても良き夫としても海好きな男としてもアメリカの生活を楽しんで下さい。
ちゃんと好きなキャンプやイカ釣り行って息抜き忘れないで下さいね~♪
今回の中村家の記事は一先(ひとま)ずここまで!
次の中村屋の記事は小生がNYの中村屋に食べに行く時。
では、皆さんも美味しい拉麺で幸せに成ります様に~♪
又、次の記事で御会いしましょう~!