歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:仰げば尊し

皆さん、海苔に季節が有るのを御存知ですか?
空気が乾燥している今の季節が出荷初めの時期で、新海苔が美味しい季節でもあります。

実は走水海岸は海苔の名産地で、未だに正真正銘の江戸前の海苔、しかも房総半島と三浦半島の入口の比較的綺麗な水域の海苔を養殖しているので、本当に走水の新海苔は美味しいんですよ!
小生の御勧めの店は…
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ながつか水産さん。
TEL:046-842-9832
〒239-0811 神奈川県横須賀市走水1丁目2−21
走水海水浴場の駐車場の直ぐ近くに在り比較的解り易い。
他にも沢山、海苔の生産者が直売しているので、御自分で御気に入りの店を探すのも良いかと思います。
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もし、❝料理旅館やまに❞や❝かねよ食堂❞で食事する人、もしくは走水神社や観音崎方面に観光に行く人は立ち寄って見ると良いと思う。
かねよ食堂
TEL:046-841-9881
〒239-0811 神奈川県横須賀市走水1丁目1−6−4
この、ながつか水産サンが在る走水海岸一帯は、神奈川県立野庭高校(廃校)吹奏楽部の実話をモデルにした昨年のドラマ❝仰げば尊し❞のロケ地で、近隣の店舗が沢山登場して居たりする。
仰げば尊し
付近には縁結びの御利益強く若い人が良く訪れ、料理人からも崇拝されている走水神社も存在する。
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更に日本武尊と弟橘姫の夫婦が住んで居た御所ヶ崎があり・・・
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その真横の砂浜が正に、ながつか水産さんの所在する走水海水浴場だたりする。
近所には観音崎要塞史跡とカップルのデートコースに成っている観音崎灯台・・・
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観音崎灯台&観音崎要塞跡
TEL:046-841-0311
〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1187
そして真っ白な砂浜の多々良浜が有り・・・
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多々良浜
〒239-0813 神奈川県横須賀市鴨居4丁目1120
カップルや家族連れで泊まりたい、昔から御金持ちの東京近郊のリゾートホテルとして有名だった観音崎京急ホテルなんかもある。
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ここはランチビュッフェも有名。
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いつも多くの観光客で賑わっている。
観音崎京急ホテル
TEL:046-841-2200
〒239-0811 神奈川県横須賀市走水2丁目2−1157−2
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ホテルの目の前は東京湾の入口の太平洋側に面した海で風景が綺麗。
ここは客層もおかしくて、駐車場にポルシェ軍団とかフェラーリ軍団とか、御金持ちの好きな車種縛りの団体が押し掛ける。小生は軽乗用車なので、たまに行くと「なんだかなぁ~」と自分で思ったりする(笑)。

まぁ、そんなこんなで、海苔の名産地なんですが、ついでも観光も楽しめるって紹介でした。

神奈川県横浜市港南区野庭町1853
【営業】定休日:月曜日・火曜日・水曜日 AM11:30~PM15:00
【業態】Cafe (ランチタイム専門)
【アクセス】バス停深田橋から徒歩5分。※駐車場5台程度。
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実はここ、千葉県に在った臼井城から室町時代頃に野庭に移住して来た殿様の御子孫の御店です。
同地は旧鎌倉郡域の横浜市港南区野庭の緑地保存地域です。
その自然に囲まれた場所にに"カフェこやぎ"と言う店が在りますこの辺りは閑静な場所で鎌倉時代の雰囲気を留める谷間に成っていますそれだけに、この店では鎌倉の浄明寺地区や佐助地区に来たような錯覚の中でゆっくりした時間を過す事が出来ます。田舎でしょ?
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この様に横浜市内ながら緑豊かな谷戸(やと)に在るカフェなので、清清しい空気の中でランチや蕨餅(わらびもち)を頂く事が出来ます蕨餅と焙茶(ほうじちゃ)setは500円、ランチsetも1000円程度と御手頃ランチや昼下がりにまったり時間を過ごすのにはうってつけ。
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お子様ランチも有るので小さいお子様がいる御夫婦は安心してこられますね~しかもここは子供が喜びそうな生物もいます。もう店名でネタバレですね(笑) ?山羊(やぎ)です。
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でも「開店当時は子ヤギだったのに大きくなっちゃった」って御店主が言ってました(笑)。
食事をしだすと、こっち向いてメェ~メェ~もの欲しそうに鳴いてくれたり、可愛さアピールしてくれましたよ店の入口は元々農家で池田梨園と言う果樹園だった時代のままなので少し判り難(にく)いかも知れません。
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このアングルだと解るかな?
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車は5台ほどお庭に停められるそうです。
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元々梨の果樹園だったそうですが、現在は梨の樹は伐採されて、代わりに市民に畑地として貸し出されていて長閑(のどか)な田舎の風景。
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本当に横浜?
・・・と自然の無い横浜市の住宅街や商業地で育った若者は思うかな。
この空気感が、旧鎌倉郡らしい風景。
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本当に鎌倉市の浄妙寺地区とか十二所(じゅうにそ)とか佐助地区に来た様な感じ冒頭で少し書きましたが、この御店主一家は平安末期~室町時代中期までの臼井城主の御子孫に当たります。武家の名門、千葉家の分家が臼居家で、このcafeこやぎ周辺には臼居さんだらけです。
臼居さん一族の根本的な祖先は桓武天皇です。
醍醐天皇の時代に、醍醐天皇の忠臣で旧鎌倉郡村岡城主で鎮守府将軍を務めた平良文(たいらのよしふみ)公と言う人物がいて、その方が千葉家の御先祖様。
※下の写真は藤沢市の村岡城址公園。地形以外には何も遺構は残らない。
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ですから平良文公の御子孫は全員が臼居さんの家の親戚だったりします。
列挙すると・・・
●房総半島の千葉一族。
●三浦半島の三浦家と芦名家・朝比奈家等の一族。
●鎌倉藤沢の御霊神社の宮司を務めていた村岡家と俣野家・長尾家・大庭家一族。
●高座郡や綾瀬の渋谷家一族。
●湯河原の土肥家一族。
●南足柄の土屋家一族。
ついでに上杉謙信や東郷平八郎元帥も遠い親戚ですね。
・・・その歴史の入口に成る場所が、cafeこやぎの直ぐ近くに在ります。
野庭神社です。
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野庭神社…戦国時代の野庭関城域に存続する神社。←以前書いた野庭神社紹介記事。
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この説明は色々と登場人物や神様の名前が間違っているので、ブログ記事の中で訂正を表記してあります。
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野庭の臼居家の初代は臼居杢右衛門(もくうえもん)胤知(たねとも)公と言う人物です。
臼居家は最初、姓を臼井と書きました。
臼井家初代の祖先は千葉家の分家で、鎌倉幕府重鎮として有名な千葉常胤(つねたね)公の祖父の千葉常兼(つねかね)公に辿(たど)り着きます。
その千葉常兼公の子が臼井姓を名乗り、更に戦国時代に野庭に移住したのが❝臼居 杢右衛門 胤知❞ 公です。
千葉の方は臼井なので、野庭に移住以降に❝臼井❞から字を改め❝臼居姓❞を名乗り出した様ですね。
戦国時代初期の臼居家が臼井から退去した当時、臼井城周辺は北条家・千葉家・里見家・古河公方家が領土争いを行う係争地でした。
九曜紋
千葉家(臼井家の本家で主君、下総国の大名)
蔦の葉紋
臼井家(臼居さんの御先祖)
三つ鱗紋
北条家(伊豆国・相模国・武蔵国を支配し、千葉家を従属支配する大大名)
二つ両引き
里見家(安房国・上総国を支配し、千葉家・北条家と敵対する大名)
臼井城と周辺それぞれの家の主要な御城の位置。
臼井城周辺 久良岐のよし 
里見家(安房国・上総国の大名)画像の中心の上に在るのが臼井城。
臼居家の祖先は元は今の千葉県北部に当たる下総国印旛郡の臼井城主でした。
臼居家の家紋は蔦の葉紋(つたのはもん)と言いますが、恐らく千葉県時代は千葉家と同じ九陽紋だった可能性が有ります。臼居杢右衛門公は戦国時代に千葉家臣団の内紛により千葉胤富(たねとみ)公の重臣の原胤貞(たねさだ)公に攻められて臼井家の家政は原胤貞公に乗っ取られてしまいました。
臼井城の実権が原氏に乗っ取られた後、cafeこやぎの御店主や周辺の臼居さん達の御祖先の臼井杢右衛門さんは臼井の地を離れた様です。
因みに、この原胤貞公は臼居杢右衛門さんの母方の祖父に当たります。
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※写真は臼井家と争った原家の支城の弥富城から見た風景。
土着の年代は弘治3年(1557年)08月15日に野庭に入郷したと鎌倉の浄土宗大本山光明寺に残る臼居家の家系図に書かれている事から、2016年現在から461年前の夏、まだ十代前半だった杢右衛門公は横浜市に移って来たと解ります。
中学生か小学校高学年位の年齢で家臣に付き添われて、野庭まで逃げて来たんですね。

この年、実は原胤貞公が臼井家の家政を代行していたのですが上総(かずさ)国の大名、里見家の家臣で最強の正木時茂公に臼井城を攻め落とされて原一族も臼居一族も臼井城から退去しました。
臼居杢右衛門公は、この年、里見家と対立する小田原の北条家に臣従して家臣に成り、野庭に土着しました。
杢右衛門公の実兄に当たり、本家の臼井久胤公は結城城主の結城晴朝公の所に逃亡しました。この時に臼井久胤公は14才だったと伝わっています。
つまり、久胤公の年齢から弟の杢右衛門さんがまだ子供だった事も解る訳です。

杢右衛門さんの奥方は鶴野姫と伝わっています。鶴野姫の父上は、今の東横線の日吉辺りの殿様だった中田加賀守と言う方でした。つまり北条家臣と成った御縁で結婚相手との御縁も出来た様ですね。
不幸の後の普通の幸せかな?
まぁ、中田加賀守は白備え隊小机衆に属しており、そこそこの有力者だったので政略結婚的な意味も有ったかも知れませんね。
しかし杢右衛門さんや中田加賀守が仕えた北条家は豊臣秀吉によって滅ぼされてしまいます。
杢右衛門さんは武士では無くなりましたが、ちゃんと領地運営を考えていた様です。
江戸時代は日本屈指の尼寺として有名だった北鎌倉の松岡御所こと松岡山東慶寺の寺領として開拓する契約を結んだようです。
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そうして武士で無くなりましたが野庭の地の開発権を得て庄屋と成りました。でも他の大名家の支配地だったら郷士とか言われた身分に相当するかも知れないですね。
東慶寺の事は昨年公開の映画❝駆込み女と駆出し男❞の舞台に成った時に紹介した記事を書いたので、興味が有る人は読んで見て下さい。
駆け込み女と駆け出し男
※女性救済の寺院、北鎌倉の東慶寺と映画「駆込み女と駆出し男」←この記事。
そんな歴史が有る事から、この周辺一帯には臼居杢右衛門公の一族が現在も多く居住し、それぞれの分家に住した土地由来の屋号が有ります。
まぁ、そんな訳で杢右衛門さんが東慶寺と関わりを持った理由は、そもそも野庭一帯の土地が鎌倉幕府や東慶寺と所縁(ゆかり)の土地だからでもあります。
実は、この背後の丘一帯は鎌倉時代~戦国時代に野庭関城と言う御城でした。
その事を最近、とあるブログ記事で紹介しました。
※仰げば尊しと野庭関城を紹介したブログ記事←ここクリック!
仰げば尊し
以前、❝仰げば尊し❞と言う今年2016年の夏の間に放送していたドラマのモデルに成った実話の舞台、野庭高校を紹介した記事でも書いたのですが…
cafeこやぎや野庭神社の在る旧野庭高校(横浜市港南区野庭町1660)の前の谷が野庭関城の外堀だったんですね。
野庭神社の位置 久良岐のよし
横浜市は教育委員会がちゃんと歴史伝承を市民に伝えたり残したりする努力をしないので、野庭関城と言う御城が在った事自体を御存知(ごぞんじ)無い人の方が多いかも知れません。
野庭関城の本丸は今の野庭中央公園辺りだと伝わっています。
野庭関城を築城した和田義盛公は征夷大将軍の源頼朝公の存命中に初代の侍所別当(防衛大臣に相当)を務めた偉い人物です。
ここは鎌倉幕府執権北条家による源頼朝公一族の暗殺事件が連続して起きた際に、和田義盛公は二代将軍頼家公の遺児の千寿丸様を旗頭にして逆賊北条時政と北条義時を誅滅しようとしました。しかし、その際に和田義盛公は一族の内で最も有力な三浦義村が裏切り同調しなかった為に中村党と呼ばれた西湘地域の御家人と供に鎌倉の材木座海岸で敗戦し滅亡しました。
その後、中村党の残党で今の小田原辺りに勢力を誇っていた土肥実平(どいさねひら)公と泉親平(いずみちかひら)公の残党が野庭関城に籠城し、北条家と戦い忠義を尽くした歴史が伝わっています。
戦国時代にも城塞として活用され、小田原城主北条家の重臣の石巻康保(いしのまきやすもり)公や名奉行として記録の残る安藤良整(あんどうりょうせい)公が城代を務めていました。
昭和期に教育委員会が保護も調査も怠ったまま団地が建設されたので野庭関城址は現存せず縄張り図も作られていません。残念ですね。
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まぁ、そんな歴史がcafeこやぎ周辺地域に在ります。
ヤギさんが生活出来る緑地保存地域なので、今でも鎌倉郡だった頃の雰囲気を味わう事が出来るし歴史も田舎の風景に何となく詰まってる訳です。
後半の歴史解説は少し余計だったかも知れませんが、cafeこやぎ、ゆっくり時間を過せる良い場所です。
お近くの方は子連れで行って見るのと安心して御茶も飲めますし、大人だけで行って美味しい御茶と葛餅を頂きながらボぉ~っと過したり読書するのも良いと思います。

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう

好きな人がいる事
好きな人がいること
フジテレビ系放送局で放送開始されました。
小生が休日によく散歩に行く風景が沢山出ます。
1人のパティシエの女の子が、レストランを経営するイケメン3兄弟と同居し、恋をしながら成長していく話です。
好きな人がいる事2
是非、見てみて下さい。

一番上のドラマタイトルをクリックすると、公式ホームぺージにリンクします。

もう一作品、神奈川県が舞台のドラマが始まります…

廃校と成った旧神奈川県立三崎高校と野庭高校の卒業生に捧げる・・・
仰げば尊し
仰げば尊し
小生が住む横浜市に10年くらい前まで実在した神奈川県立野庭(のば)高校と、全国優勝常連だった吹奏楽部の物語です。
野庭高校は劇中で、とんでもない不良高校に描かれていますが、実際横浜市内で下から1、2番目の学力の普通科高校でした。
その高校を、これまた実在した❝中澤忠雄❞先生をモデルにした、寺尾聡さん演じる樋熊迎一が吹奏楽部を率いて学校を変えていく物語です。
仰げば尊し1
その学力底辺の野庭高校は、中澤忠雄先生の率いる吹奏楽部があれよあれよと言う間に全国で連戦連勝の優勝常連校に育って行き、全国から吹奏楽を志す中学生が受験する音楽の名門高校に生まれ変わった話です。
2016年7月17日放送開始です。詳しくは画像上のドラマタイトルをクリックして公式ホームページを御覧下さい。
仰げば尊し⇐クリック!
きっと面白いので、是非、皆さんに見て欲しいと思います。

この野庭高校は劇中では❝美崎(みさき)高校❞に名前が変わっています。多分、ロケ地が神奈川県三浦市三崎町だからでしょうか?
猿島が見える海辺も出るので横須賀市の馬堀海岸もロケ地の様ですね。他にも日本武尊と弟橘媛神話の舞台の走水海岸、三崎町三崎漁港の風景も登場していました。
学校の校門前や屋上の風景は野庭関城址である野庭団地が見えるので、本当に旧野庭高校で撮影している様です。

さて…
小生のブログは腐っても歴史解説と郷土史とグルメ探訪のブログなので野庭高校に関連する歴史を…

余談ですが、このドラマの舞台となる美崎高校のモデル野庭高校の一帯は鎌倉時代に築城され安土桃山時代まで城塞として活用された❝野庭関城❞の城址なんです
旧野庭高校の西を流れる川と畑地は、鎌倉時代~戦国時代水掘りと水田、沼掘りでした。丁度ドラマの校門のシーンで見える一段下の茂み辺り一帯ですね。屋上のシーンで見える野庭団地の中心地の野庭中央公園が本丸と伝わっています。
位置関係はこんな感じ…
旧神奈川県立野庭高校と野庭関城の位置関係 久良岐のよし
残念ながらアホの神奈川県教育委員会と横浜市教育委員会が保護を怠った為に城址は団地建設で破壊されましたが、一時、中澤忠雄先生と吹奏楽を志す生徒達によって日本に誇る❝音楽の拠点❞として有名に成ったのはせめてもの先人への手向けに成ったでしょうか?
この城を築城したのは、義務教育で誰もが習う鎌倉幕府の初代侍所別当を務めた和田義盛公です。
戦国時代には名奉行として有名な安藤良整公や北条氏康公の近臣だった石巻康保公等が城将を務めた城でした。
この城は、鎌倉幕府初代征夷大将軍の源頼朝公と御子息で二代将軍の頼家公が暗殺された(小生は頼朝公の死因は稲毛氏と北条氏によるヒ素中毒毒殺未遂後の直接暗殺と推測している)後に義挙した泉親衛(いずみちかひら)公と和田義盛公に同調した土肥実平(どいさねひら)公の一族郎党が野庭関城に籠城し、壮絶に討死にした忠義の城としての歴史も有ります。
そんな誠実な名将達の城跡の高校に赴任した中澤忠雄先生が底辺高校の生徒達の才能を引き出して全国優勝するまでに導いたのは、浪人だった源頼朝公に忠義を尽くしてとうとう鎌倉幕府を開闢せしめた和田義盛公や土肥實平公の偉業を再現したかの様な物語ですね。

和田義盛公は鎌倉市の材木座で討ち死にしてしまいました。
しかし、野庭城の周辺には3軒ほど和田姓の御子孫が昭和期まで在住されていました。
和田義盛公と配下の武士達は鎌倉市の和田塚(正式名:無常堂塚)に葬られました。
和田塚(無常堂塚)の場所 久良岐のよし
和田塚には地表に露出した当時の武士達の人骨片がムキ出しに成っています。
近隣の学校の❝校庭でキラキラ光る砂のようで砂とは違う物も、人骨が破砕されて光に反射している❞のだと、小生や鎌倉市の古老と似たような知識を司馬遼太郎先生も❝街道を行く❞シリーズの三浦編で紹介していたと思います。
因(ちな)みに鎌倉市は、何処(どこ)を掘り返しても人骨が出ます。そりゃそうですよね…
和田合戦・宝治合戦・新田義貞による鎌倉攻め・中先代の乱・足利尊氏公の鎌倉奪還戦等々、歴史の節目毎に多くの武士が戦って亡く成ってますから。
でもね、❝心霊現象がどうとか言う偽霊能者❞は根本的に解ってないんですよ。
武士は戦死する事も勝つことも「武運」と言い信念の末の戦死は名誉な事であった訳ですから、仮に彼(あ)の世が有っても人を祟ったりはしません。
寧(むし)ろ神道の考え方では荒神様は強力な守り神に成って下さる訳ですし、現在の日本の繁栄や、鎌倉で仲良くデートするカップルを見たら、和田義盛公も平和な時代の恋人を微笑ましく見守って下さる事でしょう…
それは野庭高校の生徒達に吹奏楽で天下を取らせて下さったようにね。

ささ!
歴史は現代に繋がりますが、歴史を映像化するのもドラマにしか出来ない事です。
現代の江ノ島の美しい風景や、吹奏楽で落ちこぼれ高校から日本一の高校に成った野庭高校の歴史、是非!ドラマで楽しんでみて下さいな♪

では!次は先週末の休日雑記の続きか、大庭城の紹介記事で御会いしましょう!

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