神奈川の景勝50選の1つで作延城跡
神奈川の景勝50選の湿生園
【電車】★★★★★
南武線久地駅~徒歩13分
【 車 】★★★★★
112台駐車可能
【休憩】★★
公園管理事務所のトイレのみ。
事務所にアイスと飲料の自販機。
☞オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )
神奈川の景勝50選の1つだよ◎
紅葉多くないけど湿生園の景色◎
丘の上は縄文時代の遺跡だよ◎
公園内や墓地に作延城址の空堀◎
事務所で勾玉製作キット販売◎
☞注意するpoint(•ω•)
紅葉は谷間にあるので写真撮影を
するには太陽の一番高い時間帯に
注意!
——以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵——
南武線の久地駅から徒歩で14分程度と交通の便は比較的良く、車も112台分の駐車場非常に便利。
作延城の石碑の在る緑ヶ丘霊園も駅から歩いて来る途中なので、公園墓地内の大空堀の残存地形等も合わせて散策出来る。
【見所】
紅葉は物凄く多い訳ではないが開発の進んだ川崎市内に在って貴重な緑地に成っている。
渓流と湿地に紅葉の紅色が美しい。
神奈川の景勝50選に選ばれているが、東高根森林公園や緑ヶ丘霊園整備で却(かえ)って森林が切り開かれてしまい昔程の自然は無いが、東高根森林公園は紅葉だけでなく湿生園も在るので季節毎に散歩を楽しめる。
【名物】
勾玉
東高根森林公園の公園事務所内で子供にも歴史に興味を持って貰う為に勾玉製作キットが300円で販売されている。
禅寺丸柿
川崎市の王禅寺は昔は日本の甘柿の原種❝禅寺丸柿❞の発祥地だった。戦後に川崎市による無軌道な都市開発で多くの柿木は伐採された事から、平成十九年(2007年)に国が動き辛うじて7本の原木が文化財指定され保存された。現在では柿の名産地の名残は略ない。
【歴史と偉人】
東高根森林公園~緑ヶ丘霊園を含む作延城跡は平安時代末期~鎌倉時代にかけて秩父氏の分流で畠山重忠公の一族の稲毛重成の領土だった。戦国時代にも小田原城主北条家により支配され作延城が利用されえていた事が伺える。
川崎市教育委員会は作延城に関して❝遺構は未発見❞❝全て自然地形❞とアナウンスするが実は調査に際して一人も城郭の専門家を入れていなかった。逆に公園部分の地形には180°反対の重機を入れて造成したからと支離滅裂な説明をする学芸員もいる。更には発掘調査資料には一般開示を禁止している物も有るので城址遺構ではないエビデンスが無い。

そして迅速測図と現在の残存地形、この丘陵と別丘陵の傾斜を比較すれば東高根森林公園~緑ヶ丘霊園の全てが城砦だった可能性が有る。
恐らく大手口は丘陵西側、西端が現在の❝川崎市役所こども本部長長尾小学わくわくプラザ❞辺りだろう。そこに大堀切城の台地を食い違い構造にする空堀地形が有る。東端が現在の作延城の石碑が有る辺りで、東高根森林公園の遺跡広場も重要な曲輪だったと思われる構造に成っている。

遺跡広場その物も出丸と思われ公園化とは無関係な横矢掛かり、竪堀が等高線図にも現れている。

公園墓地の丘との間の湿生園にも自然地形では有りえない竪堀が連続する畝堀が記録されている事から川崎市教育委員会の見解が苦しい言い訳な事が解る。これを川崎市が公園化で重機が入っているから云々とアヤフヤな回答しかしないが、実は彼等は開発前の詳細地形を把握していない上に城址ではないと言う証拠も提示していない。川崎市の言い分としては「建物の遺構が出土していないから」と苦しい事しか回答しないが、そもそも中世城郭に近世城郭の様な建物群が有ると思ってる辺り既に学芸員なのに非城郭専門家で城ファンの怒りを買う原因にも成っている。更に言えば終戦直後の農地改良で土塁撤去や削平部分が削り取られているので建物遺構が無い場所の方が多くて当たり前。
作延城は横浜市の矢上城、大曽根城、小机城、蒔田城、笹下城、藤沢市大庭城、横須賀市衣笠城、三浦市新井城、三崎城、伊勢原市糟屋館、平塚市の岡崎城と同規模の城塞“群”だった可能性が有る。