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タグ:佐々木高綱

ブログネタ
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食欲の秋…拉麺美味しいよね。

横浜市港南区下永谷に神勝軒と言う「つけ麺」の店が在ります。
「つけ麺」と言うジャンルを拉麺界に創生した偉大な拉麺職人の故:山岸翁の御弟子サンの店です。
ちゃんと大勝軒で修行された事と山岸翁へのリスペクトを店内の看板にも掲示している大勝軒系の血脈の店。
この様に創始者をリスペクトする姿勢は素晴らしい。
御当地横浜の家系には、家系創始者の吉村社長の弟子でも無いのに自称家系名乗る不遜な輩が溢れかえり偽家系だらけ…
この神勝軒の山岸さんへのリスペクトは評価に値する。

正統の大勝軒の暖簾分け1号店も横浜駅西口に在り、其方の店長サンは今は山岸翁の跡を継ぎ横浜だけでなく大勝軒本店の大将に…
なかなか横浜駅西口や大勝軒本店に行けない時に、神勝軒で腹を満たし、つけ麺文化を残して下さった山岸翁に感謝を示すのも風流でよし。
店内は建築古材を活用した内装で、落ち着いて雰囲気が良いです。
カウンターは木製の一枚板で高そうな材木です。…写真撮り忘れました(笑)。
厨房はこんな感じ。
この日は…
特製つけ麺に
中盛り 味玉 焼豚 海苔増し
…を頂きました。
美味しそうでしょ?
麺を完食したら…
「スープ割りお願いします!」
…と、言うと、スープにネギ等を足して飲むスープにしてくれます。
コレはつけ麺店ならではの風習みたいなもんで、大概のつけ麺自慢の店はやってくれますよね。

こちらの店で山岸翁の血脈の味を身近に感じて、大勝軒本店や大勝軒横浜駅西口店近く行く時は其方にも寄りたい。

余談ですが神勝軒のお向かいに在った家系総本山の吉村家の直弟子が店長だった環2家が8月30日で閉店しました。
閉店日から2日後だったのですが、灯りがついていました。
吉村社長、店を売却するとブログに書いていたので、もう売れたんでしょうか?
吉村社長の直弟子の本物の家系だっただけに残念です。
環2家は店員同士が仲悪く接客の際に怒号が飛び最悪な雰囲気だったが美味しい日は美味しかっただけに、吉村社長の下で接客マナー再建し続けて貰いたかった。
吉村社長のブログに書いて有った「光くん」と言う店員が辞めたのが、環2家をたたむきっかけらしいが…

この地域、実は拉麺文化発展させる地域とも言えます。
実は御城の在った地域には、美味しい拉麺店が近くに在るんです!
そして、それは地勢上の必然なんです。
其れは神勝軒の附近の周辺 文化と地理の 情報を先ず見れば一目瞭然なんですが…
先ずは見ましょう。
有名ラーメン店と城址と交通の相関地図
永谷の周辺街道
⚫︎古鎌倉街道
江戸時代の鎌倉街道成立より更に以前、平安時代から使われた鎌倉街道の古道がこの地域を貫いている。
⚫︎鎌倉街道
鎌倉時代迄の古鎌倉街道とは違う筋だが、現代、整備された鎌倉街道が永谷地区近くに通る。
⚫︎古東海道/東海道
江戸時代以前の古東海道を江戸幕府が再整備した東海道が、永谷地区の直ぐ近くに通っている。
⚫︎環状2号線
神勝軒は環状2号線に在る。現代整備された横浜の中心部から放射状に続く国道16号線、横浜上麻生道路、川崎街道、中原街道、八王子街道、鎌倉街道の一般道に加え第三京浜高速道路、横浜横須賀高速道路、東名高速道路、首都高速道路湾岸線&横羽線等のアクセス向上を目指して造られた新しい街道。
永谷周辺の有名ラーメン店と城址
※超有名店だけとりあえず記載しますが、地図上の印つけた店は全て雑誌TVに良く掲載される有名店です。
⚫︎新横浜拉麺博物館
日本最初の拉麺博物館。
永谷地区からは車で環状2号線を15〜20分程の距離の新横浜駅附近には拉麺博物館が在る。
新横浜駅は東海道新幹線「のぞみ」の停車する重要駅でもある。
⚫︎支那そばや本店
※港南区永谷地区は隣区の戸塚区との境界に位置する。
永谷地区から東海道を車で15〜20分程の戸塚駅近く。山岸翁と同じく拉麺の大家として名の知れた「拉麺の鬼、佐野実」こと故:佐野氏の「支那そばや」本店。この店の支那そば(醤油ラーメン)は一般的な醤油ラーメンのイメージから想像も付かない発展をさせた拉麺で、拉麺ブームの火付け役に成った名店。
残念ながら、つけ麺の大家:山岸翁が没すると、後を追うように佐野氏も世を去ってしまったが、その味は御弟子さんがシッカリと受け継いでいる。 
⚫︎杉田家(元:吉村家本店)
永谷地区から環状2号線と国道16号線を車で15分の距離。
豚骨醤油:家系拉麺の創始者の吉村社長が最初に店を構えた店舗。今は直弟子が支店として引継ぎ店長を務める。 家系拉麺の発祥地。
吉村社長のいる吉村家は、横浜駅西口近くで営業中でいつも大行列。
⚫︎環2家
永谷の神勝軒の目の前。環状2号線を挟んで対面に在ったが、先月2015年8月30日を以て閉店した。
家系拉麺創始者の吉村社長直弟子が店長を務める吉村家直営店で毎日大行列だったが、従業員の離脱により吉村社長が店を閉めてしまった。吉村社長のブログによれば店舗売却予定らしい。
⚫︎
本牧家
元々、本牧家の屋号は吉村家の吉村社長の店だった事に由(よ)る。
元弟子の神藤隆が本牧家店長を任されていた時代に造反し、従業員引き連れて辞めて神奈川区六角橋に六角家を作ってしまった為、吉村社長が怒り狂って閉店、現在のオーナーに売却してしまった店。
正統な家系吉村家の系統とは別系統で「家系亜種」と呼ばれる家系の派生店。
六角家の方は新横浜ラーメン博物館の開店当初は、御当地横浜のラーメン店として同地には入店していたが現在は出店していない。六角家本店は名前の由来の神奈川区六角橋に営業中。
⚫︎壱六家
正統派吉村家系とは異なる家系亜種に分類される拉麺店。
昔からの人気店で、一時期は支店も多数出店した。現在は元々の国道十六号沿い磯子駅近くの本店は特に大人気営業中。
⚫︎貞昌院と永谷天満宮
永谷天満宮は全国の天神様の御祭神である菅原道真公の御子息5男、菅原淳茂公の居館跡の天神様。
そこに室町幕府足利尊氏公の従兄弟の御子孫で鎌倉府で関東管領も務めた家系の宅間上杉家の殿様が開いた天満宮。
御神体は道真公が鏡を見て遺品として自ら手彫りした道真公御自身の木製像。
この木像は日本に三体だけあり、福岡の太宰府天満宮、大阪の道明寺天満宮、横浜の永谷天満宮に其々安置され、以上三社の天満宮は日本三体天満宮と呼ばれる。
貞昌院は曹洞宗の寺院で永谷天満宮の別当寺。開基の宅間上杉家が曹洞宗に帰依した小田原北条家臣だった事による。
⚫︎永野城址
神勝軒の向い側の緑地は室町幕府創始者の足利尊氏公の従兄弟の血筋に当たる宅間上杉家の殿様の居城の永野城址。
⚫︎野庭関城址
永谷地区から車で5分の場所に曾て在った城。
鎌倉幕府の初代の侍所別当(防衛大臣)を務めた和田義盛公が築城した城で、鎌倉古道と鎌倉街道を押さえる位置に在る。
戦国時代まで活用され、安藤良整公等の名将が城代を務めた。
⚫︎笹下城址
永谷地区から車で5〜10分の笹下地区に曾て在った城で、北条家の水軍を纏めた間宮家の居城。杉田港や六浦道(笹下釜利谷道路)、鎌倉街道を押さえ鎌倉の防衛と東京湾防衛を担った城。
⚫︎今井城址
永谷地区から直ぐ車で10〜15分の環状2号線今井インター近く、保土ヶ谷区の平安時代末期の信州出身の武将の旭将軍こと源朝臣木曽義仲の重臣だった今井兼平の城址と伝わる。戦国時代末期まで城として機能し江戸時代に成り廃城すると陣屋が置かれた。
つまり当時も交通の要所だった。
義仲の妻の巴御前は幕府に投降し和田義盛公に再嫁しているので、今井兼平も投降した可能性は高い。又はその一族が城主か?
⚫︎鳥山城址と三会寺と鳥山八幡宮
全て 港北区鳥山地区、永谷地区から環状2号線を車で 15〜 20分程 離に在る歴史史跡
平安時代末期、鎌倉幕府を開いた源頼朝公の与力、近江国宇田源氏の名将:佐々木高綱公が築城した居館が鳥山八幡宮の敷地で、その背後の丘は詰めの城。
三会寺(さんねじ)は源頼朝公が佐々木高綱公に命じて鎌倉の鬼門に当たる鳥山地区の旧街道沿いに築いた鎌倉鬼門鎮護の寺院。
⚫︎小机城址
永谷地区から車で20〜25分程の所。
新横浜日産スタジアム近く、室町時代〜戦国時代の城址で北条家白備え隊の居城。白備えは小田原北条家の主力部隊の1つ、北条家には五色の軍装で色分けされた5軍団が有り、その1つ。
城主は北条家の宿老であった北条幻庵公、城代は北条家の家老の笠原信為公。

※上記の城址は既に記事に書いてあるので
画面上、PCでは右側、携帯では下の方に表示される【カテゴリ】から「城址」「北条家五色備え」「神社」のいずれかから検索してみて下さい。
ここまで拉麺と関係ない事を、良く読んで下さいました(笑)。
では何で、この地域が拉麺文化発展の土壌に成ったかですが…
既に勘の良い方は地理と史跡を見て気が付いてますよね?
この地域は交通の要所だから、拉麺文化を客として下支えして来たトラックやタクシーの運転手の往来が多いんです!

この東海道(国道1号線)と環状2号線のクロスする附近は、拉麺文化醸成の地であり、奇しくも永野城、野庭関城、笹下城、小机城、鳥山城、今井城など交通の要所を押さえる位置に築かれた城が神勝軒の在る永谷地区や環状2号線周辺に在るのは当然!
現代の物流の観点と、武士達の街道を押さえる防衛観念はリンクしているからなんですね。
武士は敵軍の自領への侵攻を防ぐ為に、街道や水運の要所に城を築城(ちくじょう:城を造る事)します
そしてラーメン店はトラックの往来が多い街道沿いに運転手の来店が多く見込めるので、沢山の拉麺店が出店する事に成り、結果的に拉麺文化発展の土壌には城跡が近くに在る場合が多く成る訳ですね。

ね?
歴史と郷土の食文化って凄く関連が在るでしょう?
それが小生のブログタイトルの由来でもある訳です。

次は映画とドラマの「HERO」公開中につき、ロケ地の横浜の旧中心街の日本大通り地区の近代西洋建築遺産を紹介します。

では!又次の記事で!

ブログネタ
春の花、どの花のどんな姿が好き? に参加中!
明日、2015年04月05日に小机城址祭りが今年も開催されます。
戦国時代、1500年代初めに小机城代を務めた笠原信為(のぶため)公を顕彰(けんしょう=リスペクト)したお祭りです。
殿様の信為公役は毎年、横浜市港北区長さんが演じます。
※小机城と笠原信為公について書いた以前の記事も有るので御参考にどうぞ!
⚫︎小机城址記事は「ココ」←クリック!
⚫︎笠原信為公の記事は「ココ」←クリック!
お祭りでは武者行列パレードがJR小机駅近くの鳥山町の三会寺(さんねじ)からスタートし、小机駅前を通り小机城址でイベントが行われます。
因(ちな)みに、小机城址近くの鳥山町も歴史偉人と関わりが深く、鎌倉幕府の初代征夷大将軍、源頼朝公の重臣として有名な佐々木高綱(たかつな)公が領主を務めた地域でした。
高綱公と言えば宇治川合戦などで大活躍した坂東武士の中の鑑(かがみ)と言っても過言では無い名将です。
実は三会寺や近くの鳥山八幡宮は佐々木高綱公の開いた寺社でもあります。
つまり、昔からこの地域は関東武士団の根拠地の一つだった訳です。

※佐々木高綱公の城跡の鳥山八幡宮と、開基した御寺の三会寺記事は以下を御参考にどうぞ。
⚫︎鳥山八幡宮の記事は「ココ」←クリック!
⚫︎三会寺を紹介した記事は「ココ」←クリック!

武者行列が住宅街を歩くシュールな絵面も何ですが、数十m置きに模擬鉄砲隊の砲撃演武も有りますよ。
小机城址の桜満開の本丸では出陣式などの演目等も行われます。
屋台も出ますよ!
近隣の小・中学生も可愛らしい武者に扮して参加してます(笑)。
横浜市民にとっては地元と誇りを今に伝えるローカルなお祭りですが、他地域の方も楽しめるので是非見学してみて下さい!
※雨天順延

では、又、次の記事で!

横浜市港北区鳥山に残念な事に神主不在に成ってる、立派な八幡神社があります。
ここ、地元の人も移民だらけで知らない人が多いのですが、実は、征夷大将軍源頼朝公の与力で平安時代後期〜鎌倉時代の名将、佐々木高綱公の居館跡なんです。
高綱公と言えば源義経と共に京都に攻め上り、宇治川の合戦や木曽義仲追討戦で大活躍された滋賀県出身の名将です。
しかし周辺住民は、現在、鳥山八幡宮が高綱公の屋敷跡と知らない人だらけで神社の手入れも本殿以外は疎かにされ旧参道や周辺の環境は余り良くなく、神社の由来を記した看板さえありません。
移民の多い鳥山周辺の住民はほとんど御存知(ごぞんじ)無いようです。

実は、この一帯は、佐々木高綱公が源頼朝公の命令で開基した三会寺(さんねじ)が鎮座していたり、高綱公が宇治川の合戦の戦功により頼朝公から下賜(かし)され拝領(はいりょ)した名馬「生唼(いけずき)」が葬られた場所に建てられた馬頭観音(ばとうかんのん)の御堂も近くに在ったり、佐々木家所縁の史跡が沢山有ります。
陸上部の生徒や運動会で活躍したい学生サンは、この馬頭観音に御参りしたら"名馬生唼"の御利益に肖(あやか)れるかも知れませんよ?
歴史的にも高綱公の兄の佐々木家嫡流御曹司の佐々木定綱公の嫡孫に当たる佐々木泰綱公が幕府の命令で、この鳥山地区一帯を開墾した事も古文書に記されています。


この鳥山の八幡社の石段の手前右側には小さな祠(ほこら)があります。

実はこの祠も凄い場所の筈です。
源氏系の武士や、頼朝公の御家人の中には八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ=八幡宮の御祭神)と、弁財天を信仰する武将が多くいました。
そして、弁財天様はだいたいが池の真ん中に島を築いて、そこに祠を築いて祀ったようです。
その事は、鶴岡八幡宮に白幡弁財天が祀られている事や、頼朝公が江ノ島弁財天を信仰した事、戦国時代の小田原北条家が八幡神を信仰した事も滝山城址に弁天池が設けられている事からも証明となります。
ご覧の通りの惨状で、鳥山の八幡社の弁天堂と思われる場所は荒れ放題です。
しかし良く見ると祠の手前には土砂に埋もれた石橋があり…
背後の「切岸(きりぎし=人工的に削った崖)」から湧き出る細い滝も確認出来ます。
今は手入れする氏子もいなくなり土砂で埋もれてしまってますが、恐らく昔は背後の滝から石橋まで池が広がっており、弁天様の祠と思われる場所は、多くの弁財天の祠と同じ様に池の中に浮かぶ島になっていたのでしょう。
この弁天様は財運の神様であり、強運付与の神様ですので、学生は勝負事や試験の前に御参りすると御利益が有るので受験前や部活の試合前に御参りしてみたら御利益有るかも知れませんよ~♫
しかも八幡神社の八幡神=応神天皇は軍神で勝負事にまつわる神様ですから。
だから源氏与力の鎌倉武士から崇拝された訳ですが…

さて、話を神社の地形と歴史に戻します。
神社本殿周辺の地形は鎌倉報国寺のように切岸に囲まれた谷戸(やと)状の館だったと推測が成り立ち、平安時代〜鎌倉時代の鎌倉武士の屋敷が谷戸に作られる事が多かった事から時代的にも佐々木高綱公の屋敷跡の伝承と符合します。
神社は鳥山の裾野部分にあり、恐らく位置的に平時の屋敷だったのでしょう。
背後の鳥山が詰めの城として機能していたのだとおもいます。
これは神奈川県藤沢市の大庭城址、同横須賀市舟倉の怒田城、同川崎市井田の井田城址、東京都日野市の平山城祉等の同時代の城とも地形的に相似しています。

神社は参道から立派だった名残があります。

いまでは鳥山山頂の住宅地への通り道としてしか認識されていないようですが…

どうぞ周辺住民の皆様
佐々木高綱公が残してくださった歴史と地域の誇りを、神社と馬頭観音、そして神社の御神木と共に大切になさって下さい。

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