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タグ:円海山

今年も円海山で蛍が見れる季節に成りました。
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今月の写真です。
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観察マナーについても色んな考えも有れば何も考えていない人、自分達のローカルルールをさも当たり前の様に押し付ける人もいて千差万別、これも文末で解説したいと思います。
蛍、小生の小さいころ、ん十年も昔はもっとわさわさ見れたのですが、横浜市教育委員会の怠慢と林文子市長による円海山の開発容認で横浜市最大規模の自然公園ごと絶滅の危機に瀕しています。
瀬上沢蛍の観察可能な場所 久良岐のよし
個体数の激減の原因は過去に開発されてしまった庄戸地区とみどりが丘の宅地化による環境の悪化、それに加えて過去の横浜市による誤った公園整備によって天然のフナが居た瀬上沢が重機で荒らされてしまったり蛍だけでなく生態系も破壊してしまった訳ですが・・・
現在、僅かに生き残った蛍に止めを刺そうとしている組織がいます。
それが東急グループの土地買収による宅地化構想と、歴代市長が守って来た円海山の自然環境保全を事実上放棄して東急に対して土地放棄や買収等の対価を払う等の対案を示さず、それどころか円海山の林道整備すら放棄して丸で段階的に宅地化を容認する構えの様な言動しか現状していない林文子市長と円海山の史跡と自然環境の保護を怠っている横浜市教育委員会です。
過去の記事の転載も交えて説明したいと思います。

先ず、円海山その物を知らない人が多いと思います・・・
円海山は横浜市栄区港南区金沢区磯子区にまたがり鎌倉に続く自然公園です。 
鎌倉横浜に古代文化の基礎を醸成した地域でもあります。
この円海山、実は横浜市で一番標高の高い山で、天気が良いとこの様に頂上近くからは富士山も綺麗に見えます。

実はこの山、歩いて鎌倉まで行ける遊歩道があり、それらは「鎌倉早駆けの道」と言う史跡でもあります。
更に‼︎
蛍(ほたる)の横浜市内での貴重な生息地なんです!
その場所は瀬上池と、その池に注ぐ自然の沢を集めた池から再び流れる貴重な水源地帯の瀬上沢です。
この小川が瀬上沢ですが、こんな不必要な護岸工事が横浜市の建設利権の為か環境整備局の不見識か行われてしまったせいで天然のフナは姿を消しました。
当時、環境整備局の前身組織の負の遺産ですね。挙句の果てに保持が怠られているのが現状です。
歴代市長から保護され多くの市民の憩いの場として解放されてますが、小生も子供の頃よく、ザリガニを採(と)りに来たり野山を駆け巡りに友達と遊びに来ていました。釣りはやりませんでしたが友人達はよくフナを釣りに瀬上池や瀬上沢にも来ていました。
子供が自由に川遊び出来る横浜南部の最後の水源地帯がこの円海山の沢で、特にこの瀬上沢と大岡川源流笹下川上流の金沢区の大谷戸(おおやと)側の沢が状態が良いんです。
写真は円海山大谷戸広場側です。
昔ながらの貴重な里山保存区域です。綺麗な昔ながらの鎌倉近隣の原風景でしょ?
本当、貴重な自然と里山なんです。

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金沢市民の森側、大谷戸広場付近は護岸工事されずに一部上流だけ源流が昔のままの沢の姿を保っています。

写真撮影した季節は冬で川で遊ぶ子供も流石にいませんが…
此処(ここ)瀬上沢には貴重な淡水の貝の化石群の地層が露出した場所があり、更に奈良時代の古代のタタラ製鉄の史跡も出土した場所でもあり…
 
灌漑水田史跡でもあり、重ねて言いますが平安〜室町時代の鎌倉早駆けの道と合わせて非常に貴重な史跡群でもあります。
 
昔の市長達の遺志を踏みにじる東急と林さん。
東急の土地買収で茅が生えて「神社に売るんか(笑)!」ってのが現状です。
以前の市長達により、瀬上池周辺は遊歩道や釣り用の桟橋が設けられていて新春にもなると釣りをする子供や、お弁当作ってピクニックに来た家族連れなんかで、ほのぼのとした空気が感じられる場所です。しかし多くの林道は林市長に成ってから保全されず、通行止めの箇所が異常増加中・・・
今の横浜市長の林文子さんは、どうも保護に熱心ではなく寧ろ開発準備してる側のようですが、昔からの地域のボランティアが自主的に子供の遊び場を守って下さってます。
だから幼稚園小学生くらいのお子さんがいる御家族には暖かく成れば、オススメの自然の中の水遊び場ですよ!
この池が瀬上池。
小生が子供の頃、友人達は釣りが自由に出来るここに来てはフナや鯉なんかを釣っていました。
…小生は、もっぱらザリガニ専門でしたが(笑)。

しかし、最近は今の林横浜市長の施政下で、倒木の処理などが放置され林道が通行止めにされてしまっている所が多くあります。
この下の写真の「尾根道から護念寺への道」も、さも通行出来るような案内板ですが、実際は鉄柵で封鎖され市民が通行出来なくされています。
別に道が崩落している訳ではありません。
横浜市が業者に開発させる前振り?

しかも、此(こ)の道の先は古典落語「強情灸」の舞台になり江戸時代から昭和初期まで、お灸治療の本場峰の灸として観光客と治療客で栄えた竹林の美しい円海山護念寺に通じているので、早く再開通させるべき所なんです。
※円海山護念寺の風景と歴史については「ココ」←クリック!
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ついでに言えば、昔は護念寺の本院だった阿弥陀寺は浄土宗の総本山である知恩院の住職を務められた了鑑大僧正を輩出した名刹だったりもします。最古参の旦那は苅部(かるべ)氏で、元は戦国時代に鎌倉公方代理を務めた蒔田吉良家の吉良頼康公の重臣の子孫に当たります。
蒔田吉良家は戦国時代初期には世田谷を本拠地にした足利家の中で一番格の高い足利家の一族でした。
北条家に従属しながらも吉良様や蒔田御所と敬意を特に払われた高貴な殿様の重臣だったのが苅部家です。
蒔田吉良家は戦国時代末期には横浜市南区の蒔田城を本拠地にして、鎌倉公方代理を務めたので蒔田御所と呼ばれていました。
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上の写真は世田谷豪徳寺の三重塔です。豪徳寺の所在地が蒔田吉良家の初期と終焉の頃の居城の世田谷城址です。
この苅部一族の菩提寺の在る円海山一帯を江戸時代に抑えていたのが氷取沢領主として徳川家康公直属の旗本と成った北条旧臣の間宮綱信公や間宮家本家の笹下間宮の間宮直元公です。
生野代官所位置関係 久良岐のよし
上の画像は朝来市教育委員会様に提供頂いた資料をGoogle earthに張り付けた生野代官所の縄張り図です。
間宮直元公は但馬銀山や金山を含めた但馬国内の江戸幕府直営の施設や領地を治める但馬奉行として生野代官所に居り、同時に現在の横浜市中部沿岸部を治める本牧奉行を務め、徳川家康公からも信任が厚かった人物です。
大久保長安が経営失敗して業績不振だった佐渡金山の業績を好転させるべく、徳川家康公の命令で但馬銀山経営のノウハウを持って佐渡に支援に行き、瞬く間に業績を好転させた事から大久保長安の失脚後は佐渡奉行も兼任した名経営者の御奉行様でした。
更に大坂城の真田丸や総構えの埋め立て作戦を立案し、直接徳川家康公に献策したのも間宮直元公でした。
その菩提寺が円海山山麓、笹下川を挟んで反対に位置する場所に在る妙蓮寺です。
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ここには昭和期まで御神廟に間宮直元公の彫像が祀られていましたが、残念ながら火災で焼失してしましました。
新編武蔵風土記稿 間宮直元公木造 久良岐のよし
新編武蔵風土記稿に掲載されているのが上の写生図。
下は間宮一族の間宮さんが焼失前に撮影した実物の画像です。
間宮直元公木造 妙蓮寺旧蔵も火災で焼失 久良岐のよし
円海山から釜利谷に抜け鎌倉に至る六浦道=金澤道、つまり現代の笹下釜利谷道路と円海山の間道を抑えたのが間宮綱信公です。
間宮綱信公は北条家の外交官として織田信長公にも謁見した人物で、八王子城主で北条家No,2の北条氏照公の付家老(つけがろう=組織上の補佐役だが家臣では無く、主家の家臣のまま出向した家老)を務めた人物です。
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上の写真は八王子城址。現代では日本100名城の一つにも選定されていますが、この城の縄張り、つまり設計を担当したのが間宮綱信公と八王子の現地では伝わっています。
残念ながら八王子城は要害部の完成前に農民と姫様や僅かの守備軍しかいない状況で、豊臣秀吉の配下と成った上杉景勝公、真田昌幸公、前田利家と裏切者の大道寺政繁の大軍勢によって攻め落とされてしまいました。
元は吉良家の北条家臣化後の北条家臣として間宮家の同僚に当たる苅部家、そして北見(喜多見)家、そして北条氏照公与力の重臣として間宮綱信公の格下同僚だった金子家、間宮本家の仕えた玉縄北条家で間宮家の格下同僚だった岡本家等、現在も円海山周辺には多くの旧北条家臣団の苗字が残るのは、江戸時代に間宮家が幕府の奉行職を歴任し、大変栄えたので北条家解体後に元同僚の伝手(つて)で間宮家に与力として仕えた為でしょう。

円海山からは、そんな戦国時代の偉人達の足跡も辿る事が出来ます。
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そして現在では余り知る人も少なくなりましたが古代の神々の参謀を務めた思金神を祀る思金神社も瀬上沢の先に在ります。
この思金神社に合祀された廃社の旧白山社も瀬上沢と山を挟んで反対側、市の教育委員会が自然保護を怠った庄戸地区に在り、その参道の前を流れる鼬川に掛かる橋は昇龍橋と言います。
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横浜市教育委員会では無く神奈川県土木部道路整備課によって神奈川の橋100選に選定されました。
この鼬川周辺も昔は蛍を見る事が出来ましたが、先述の通り自然環境の悪化で今では・・・
思金神社の丁度反対側の辺り、瀬上川の河畔には昔の水田への灌漑施設の隧道が残っています。
 
ここは円海山で貴重な淡水の貝の化石群地層が露出している場所です。
昔の人が、灌漑水田に水を引き入れる為に作った手掘りの隧道(すいどう=トンネル)のある壁面と地続きの山が全て化石群の地層です。
以前は子供も自由に出入りして遊べました。
周辺を東急が宅地開発しようとしはじめた頃に横浜市大が保護を試みましたが、最近は東急が自然環境保全地である事や市民の憩いの場である事を無視し、周辺から市民を締め出し開発準備を始めてしまっています。
昔からの文化醸成地や市民の憩いの場を蹂躙する東急建設と、それを容認する環境整備局そして陳情を見殺しにする現横浜市長の林文子市長の暴挙ですね。
林文子市長は事前の保護も開発阻止も自然環境保護の先手も打たず陳情に対して・・・
「地権者が開発したいんだから邪魔出来ねぇ~し知らね」
・・・と言う事を言っています。
彼等がもし、無碍にこの瀬上沢一帯を開発したら、この自然環境は2度とは戻りません。

庶民に阻止は出来るか微妙ですが、もし開発すれば近隣に留まらず、貴重な自然公園に連なる遊歩道や沢の自然環境を破壊した歴史を事実としてどの政党が支持した、どの市長の時代に、どの土建屋が瀬上沢と遊歩道の自然環境を破壊したか歴史偉人達の遺産を踏みにじったか我々で語り継いで行きますよと。
林市長、東急さん、きっと瀬上沢の重要性再認識してくれると…

皆んなで淡々と事実拡散するしか蛍の住める環境を含めた自然環境を守るには出来ません。
近隣の歴史を語り継いできた寺院や神社の鎮守の森でもありますから。
執政者と開発業者の責任者の名前と経営者の名前を負の歴史として記録して永久に地域で残します。
それが民主主義で出来る事。
陳情に色良いレスポンスないんだから、やったら責任は歴史に刻んで後世に判断して貰いましょう。
この他にも円海山だけでなく横浜市内には腐る程、間宮家関連、蒔田吉良家関連の神社仏閣が有り、円海山の開発が進めが情報も檀家氏子で共有し更に間宮会から世間にも拡散されて行く事に成るでしょう。
この手の自然保護活動と破壊に関心の高い新聞社も間宮家の研究に熱心な某所に出入りしていますし。
東京の蒔田吉良家臣団の御子孫とも連携出来ますしね~。

まぁ、今なら東急さんも林市長も横浜の自然環境を守った偉大な英雄に成れるかも知れないけど。

さて、皆さん、円海山と瀬上沢の自然環境と風景と歴史が非常に貴重で、尚且つ子供が安心して遊べる自然公園である事は御理解頂けましたでしょうか?

瀬上池手前に使われていない畑があります。
あそこを自転車用の駐輪場にし、山頂のスポーツ広場を休日に駐車場として解放し尾根道に歩道を繋げ、昔みたいに家族連れも行きやすい環境を整えて欲しいな〜とか改善案はあるんですがね〜。

円海山は横浜市民や鎌倉市民にとって大切な場所なんですね。

この綺麗な風景と自然と歴史…
我々が先人から受け継いだ様に、何とか次代の更に先の子孫達まで残してあげたいですね。
円海山は文化なんです。

さて蛍が見える場所は横浜市栄区の旧上郷高校、今の栄高校のすぐ下の谷に流れる瀬上沢です。 
瀬上池の位置
今月の写真を交えつつ、観察or鑑賞マナーについて書いてみます。
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先ず、小生の様にフラッシュを焚いた蛍その物の写真を撮影したい方は以下の点に留意するべきです。
●他の鑑賞者のいる時間帯にフラッシュを焚いて撮影しない・・・他の人が蛍の光を見えなく成ります。
※小生は毎回深夜の1時~4時頃、誰もいない中、必要が有れば川に入って撮影しています。
※蛍はフラッシュ焚いて撮影しても、連写しないで数十秒間を置けば光る事を止めません。
●暗がり対策で持参した懐中電灯で照らし続けるのは止めましょう。
※フラッシュより観察や位置確認の為でも懐中電灯で照らし続ける方が蛍が光るのを止めてしまします。
●深夜遅くて暗くて怖かろうが1人で行ってヒッソリと撮影&観察した方が良いでしょう。
※複数人で言って話し声や大勢の気配がすると逃げてしまいますし、何より深夜に御近所に民家も1軒有るので迷惑に成ります。
※先述の通り、小生は必要が有れば川に足つかったりしながら、蛍の見える位置に回り込んで撮影します。蛍を動かしたり捕まえて撮影しない為の行動です。
●深夜に大勢で鑑賞会なんて絶対にするなよ。近所迷惑だから。
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以下当たり前の事。
●円海山は火気厳禁です。タバコはポイ捨て以前に吸うな馬鹿野郎。当然花火も焚火もするな。
●大勢で押しかけるな。家族や少数の友人と行き静かに鑑賞しないと近所住人に迷惑。
●他の鑑賞者がいる状況でフラッシュ撮影するな。先述の通り。
※どうしてもやりたければ、小生の様に深夜に懐中電灯も持たずに一人で行って、時間間隔空けながら撮影しましょう。そうすれば迷惑にも成らないし蛍も光るのを止めません。
●18歳以下の学生は夜間外出を控えましょう、根本的に22時以降に蛍を鑑賞していたら警察に補導されますよ。当該地域周辺は警察官が巡回しています。
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この写真はフラッシュ焚いた数十秒後に再撮影した写真。
あと、蛍が尻の光を点滅すると思ってる人いますけど、蛍って点灯しっぱなしの子もいるんですよ~。
この子は点灯しっぱなしの子でした。

さて、こんなマナーみたいなものを言わなきゃいけない程に蛍が珍奇な存在に成ってしまったのが小生が小さい頃の田舎的な風景や蛍の多さからは想像もつきません。
昔は、多分他府県の人も同じ経験をしていると思いますが・・・
「蛍見に行こう~!」(多人数でわいわい)
「あら危ない懐中電灯もって行きなさい(おばちゃん)」(蛍照らしまくりの観察しまくり)
「蛍綺麗だね~!」(横で花火)
・・・小生の場合、育った年代的にも円海山や上郷の宅地化は進んでいませんでしたし、祖母の住む田舎が有ったり、幼馴染が引っ越した千葉県も自然が豊かだったりで、普通に宅地の傍の農道や自宅の近くの湧水の農業用の池の周りに昔は蛍がいたんです。円海山の瀬上沢も近所だから遊びに良く行きましたしね~。千葉の印旛沼辺りじゃ田圃に農薬撒いた翌日もスンゴイ蛍沢山見れたしね。
きっと学生時代にファミコンで遊んでキン肉マンとかドラゴンボール見てた世代までの人なら同じ経験をして育っている人は多いと思います。

円海山に蛍をわざわざ保護しないといけない環境にしたのは横浜市ですが、その蛍の生息できる環境に止めを刺す開発を行いたいのが東急不動産で、それを容認する発言を回答したのが林文子市長です。
ただ多分、横浜市よりも現状では東急建設に理性が有って踏みとどまってくれて様子を見ているんだと思います。横浜市役所は内部の連携が目茶目茶で林市長が統治出来てるのかも謎。
あと14年で樹齢100年に成る桜並木の街路樹を伐採させたり、調査もせずに城址の空堀を掘削したり盛土して宅地化する案を容認する横浜市歌も歌えない奴が務める横浜市建設指導部と違い、本来は伊勢神宮から天照大神の御分霊を勧進し東横神社を開基し自然や文化の保護に意識が高かった❝昔の東急東横線の五島慶太社長❞始め過去の歴代社長は今の東急建設を見たらどう思いますかね?きっと苦虫を噛み潰したような表情で天罰落としたいと思っている事でしょう。なんせ東横神社は伊勢神宮から勧進した天照大神と合祀された渋沢栄一公が御祭神、自然守護の象徴たるお伊勢様と経済世民と愛国を両立した渋沢栄一サンを東急グループは守護神としている訳だが・・・
この事を恐らく東急建設の現経営陣は知らんだろうな。
これを機に、林市長と横浜市と東急建設に瀬上沢の横浜市による土地買上げと当該地域への広域自然保護区認定を改めて行って貰える様に、皆さんで陳情して頂けると幸いです。
●林文子市長への陳情窓口
林文子事務所 〒231‐0007 横浜市中区弁天通4-53-2 DOMONビル2F
TEL:045‐228‐9780
横浜市教育委員会庶務課
TEL:045-671-3240
●東急建設
http://www.tokyu-cnst.co.jp/company/
〒150-8340 東京都渋谷区渋谷1-16-14 渋谷地下鉄ビル
代表番号 TEL:03-5466-5020
土木本部 TEL:03-5466-5152
建築本部 TEL:03-5466-6186
営業本部 TEL:03-5466-6299
・・・個人的には東急不動産と林市長には横浜市の自然と古来の文化醸成地を守った英雄に成って頂く道を選択して頂き担当者さんや林市長に歴史に良い意味で名を残して頂きたい。
まぁ、庶民に合法的に出来る事は語り伝え記録を残す事と陳情と、次の選挙での投票だけ・・・。

横浜桜は2017年4月1日現在、三分~六分咲きです。

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血縁は無いけど実祖母よりお世話に成った横浜の義祖母の御墓参りに行ってきました。
小生の血縁の無い義祖母は入院していた病院の近くの久良岐公園の桜が満開の4月1日に亡くなった。
義祖母の実家は横浜のシルク貿易商で、義祖母が幼い頃は比較的裕福で屋敷に住んでいたそうだ。
しかし家業の生糸貿易が化学繊維にとって代わられると義祖母の家は貧乏に成った。
義祖母は結婚もしたが相手が問題の有る人で、両親に実家に連れ戻されてからずっと独り身だった。
だから小生を可愛がってくれた。
その義祖母が入院して1ヵ月後位に病院の近くの久良岐公園の桜が美しく満開に咲き誇った。
久良岐公園の桜林と磯子区森の桜並木の美しさを知ったのもこの義祖母の入院の時だ・・・2015-04-01-12-01-34
※久良岐公園の桜林(2015年撮影)

・・・あれから月日は流れ、命日に御参りするのは血縁の無い我家を代表して墓参した小生だけ。
あの時に義祖母の通夜直前に病院に群がった義祖母の遠縁の親戚連中は、本日義祖母の命日17:00少し過ぎに小生が墓参した時点で誰も来た形跡は無かった。
土曜日なのにも関わらず。何故判るかって?
だって花も枯れたままだったからな。
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バァちゃん、小さい時に可愛がってくれてありがとうね!
いつも心の中で信奉する神社仏閣の神様仏様と尊敬する歴史偉人と祖先神と親族と恩人への御祈りの時にバァちゃんの事も思い出してるけれど、桜の季節に成ると、亡くなった日の事や可愛がってくれた事、川崎大師に行く時にいつも持って来てくれたコアラのマーチとヨーグル、緑区に梨狩りに毎年の様に一緒に行った事を思い出すよ!
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義祖母の墓地には美空ひばりサンや南極探検の白瀬中尉の御墓もある。
この墓地と桜の大木の並木の“有った”丘は奇しくも小生の尊敬する間宮康俊公や間宮康信公、康俊公の嫡孫で江戸時代初期の名奉行の間宮直元公の居城笹下城の出城松本城跡の指揮所跡で石碑も有り、昭和8年(1933年)に植林された大量の桜の並木が綺麗な場所"だった"。
しかし、桜の大木に成長し観光名所に成っていた並木道も、無文化な極左派(当時)の支持で当選した林文子市長の施政下で伐採された。
3年前に伐採されていなければ僅か、あと14年で日本屈指の樹齢100年の桜並木に成っていたのに。
更に松本城址"陣ヵ台"の石碑も撤去され姿を消した。新編武蔵風土記稿にも掲載されている事項にも関わらずだ。
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 今日、義祖母の命日は今年の横浜市港南区桜道の桜祭りだった。
しかし、以前の賑わいが有る訳もない。
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同じ場所とは思えない寂しさ・・・
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屋台の店主、商店主の人達とも話をした。
批判しか湧いて来ない。
バァちゃんの命日の墓参りに来る時や桜祭りの時に楽しみだった、お好み焼き屋“名勝”も桜の伐採で書き入れ時の客足が遠のき閉店してしまった・・・
祭りの賑わいと、横浜市民の誇りだった歴史と、風景を返して欲しい。
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林文子市長!貴女の政治で伐採され消えた桜の風景を返して下さい!
寂れても来てくれる屋台の皆、ありがとうね。
ごめんね、駄目な市長選んじゃって。
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林文子市長!昔の桜祭りの賑わいと桜の大木の並木が満開に成るのを楽しみにしていた横浜市南部地域の市民に返して下さい!
本当に市長として郷土愛が有るならば、あと少しで樹齢100年の桜並木に成るはずだった桜道の並木を伐採した事と陣ヵ台の石碑を撤去した事と笹下城の最後の残存部の本丸周辺の地形破戒開発をさせた責任とって下さい!責任とれないでしょ?責任とれないならば・・・
神社仏閣保護と徳川幕府の成立に多大な貢献をした横浜の間宮家の偉業、そして室町幕府の成立と関東の神社仏閣の保護に間宮家同様に活躍した蒔田吉良家の偉業、宅間上杉家の偉業、そして横浜に深く関り武士文化の基礎を築いた源頼朝公、北条政子様、源範頼公の事も、自分の印象操作をマスコミや支援者使って熱心にしている様に顕彰して下さい。
そして直ちに開発利権で横浜市南部の市民の誇る最後のホタルの大生息地域の瀬上沢と瀬上池周辺を東急不動産に開発させるのを止めて下さい!
・・・貴女の統治する横浜市が今在るのは先人達の業績と我々市民と明治大正の原財閥や浅野財閥や商人達が関東大震災復興に財産を投じて下さった御陰です。その方々は横浜市域のみならず日本としての日本文化と風景も守って下さった方々です。
貴女は今、米軍から譲り受けた子供達のスポーツ広場を奪い、待機児童0化に失敗し、南本牧埋め立て工事で海洋自然環境を破壊している上に工事が遅れ海運業者と通関業者に迷惑をかけ、自然公園宅地造成や街路樹の伐採で陸の緑も消し、史跡を未調査のまま破壊まで行っています。
そして日本でも良好な保存状態に入る小机城址を史跡としての市の文化財認定もしない。
貴女が市長を務めた一人の代で、どれだけの物と文化と風景を横浜市から消し去る心算ですか?
せめて、まだ在る物を守りながら開発利権とは無縁の自然と史跡と文化保護に御金を使う政治家に成って見ては如何でしょうか?
文化保護史跡保護も、綾瀬市や小田原市の様に上手く業者を活用すれば新たなジャンルで健全な権益に成ります。
地形を掘削せずに城址縄張りを利用した児童公園化なら史跡と児童公園の両立も、掘削をしない擁壁を用いた盛土の宅地化なら埋蔵保護も可能でしょう。
そして、市民の思い出と先人の残した風景と歴史と文化を奪わないで下さい。

もし、今までの自然と文化と史跡破壊が林市長では無く市職員の所業ならば、ソイツを吊し上げて正義を示して下さい。仮にそれが実現するなら、その土木開発担当役人の糾弾と市長支持に我々も回ります。


今朝~夕方まで散歩してた場所…


【しじま】
朝焼けのベイサイドマリーナ
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ポケモンGOやってるカップルが仲良しさんで微笑ましかった。
【朝方】...
柴漁港と名物の小柴の穴子天丼
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最近、忙しくて来れてなかった。癒しの郷土料理。
【正午】
金沢文庫博物館
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涼しい所で歴史を御勉強。

【昼下がり】
称名寺と境内地の稲荷山(金沢城址)
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参道の並木の木陰と心地良い風は天然のクーラー…
コンクリートジャングルにも緑を増やせば良いのに。
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称名寺は安らぎの場…
そしてポケスットップが大量、レアポケモンも沢山出たなこれ…
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称名寺の境内の稲荷山の眺望は…
多くの❝島だった❞地形に、埋め立てられた宅地を脳内で削除し海に書き換えなくても十分綺麗。
でも横浜市が愚かな埋め立てを行わなければ金沢八景と呼ばれた景勝地は更に美しかっただろう。
御老人夫婦が仲良く御弁当を広げていた。
もし結婚する事が有れば、この御夫婦を御手本にしたい。

【暮れ】
氷取沢市民の森と大谷戸広場付近の笹下川(大岡川本流)の源流と氷取沢神社(旧間宮綱信邸宅から現在地へ移転)
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ココか円海山の頂上か瀬上池で鳥のさえずりを聞くのが癒し。
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源流。泥岩と関東ローム層の山を削り流れる笹下川源流は沢と言うより沼なんだな。
これは鎌倉も同じ。
本来なら三浦半島の様に、沢蟹だけでなく陸生の蟹も沢山生きていた円海山の沢。
人が生物を消してしまった。
一見綺麗な大谷戸広場の沢も、下流の笹下川の分水路の建設で魚の遡上も無く成り魚類は絶滅してしまった。
反対側の瀬上池と瀬上沢も林文子市長が東急グル―プと結託し開発し同じ様に天然の蛍やフナを絶滅させようとしている…。
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氷取沢神社は間宮家と関係が有る…
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元々は背後のマンション団地の位置に在ったが、立ち退かされ現在の位置に遷座させられた。
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氷取沢神社の旧社地が、北条家の外交官として織田信長公にも面会し、日本100名城の一つ八王子城を設計し北条氏照公の付家老を務めた間宮綱信公の屋敷跡だった…
場所を移転してしまっては、神社を建てて氷取沢間宮家家老の岡本家が殿様の旧跡を守って来た意味が無い。
…しかしながら、ここに来れば間宮綱信公や御子孫の間宮士信公に御挨拶が出来る。
【黄昏】
円海山の森林越しの鎌倉遠景
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横浜最期の自然大森林…
まだ空が黄色に成り始めた時間、青い空が残っていた。緑が美しく、ここも鳥のさえずりが癒してくれる。

【宵~夜へ】
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ポケモンGO御散歩の成果…
どうやら円海山周辺は山と川と池が多い関係で、色んなレアポケモンが出るらしい。
オッサンがポケモンやりながら御朱印も集めて歴史資料も収集して…脂肪も収集。
脂肪はもう要らない。
まぁ、歩いて山登ってして、汗かいて天丼はチャラかな。

ふむ。
普通、でも休日らしい休日。良かった。
信奉する神仏と、尊敬する歴史偉人と日本の発展に寄与して下さった近代の横浜の外国人の皆さんに小生と多くの日本文化を愛する民と善良な世界の人々を今日も1日御加護頂いた事を感謝。

ブログネタ
年末年始の過ごし方は? に参加中!
古代神話時代に首相を務めた思金神を御祀りする、横浜市栄区(鎌倉郡域)の思金神社に初詣に行って来た。
横浜市は久良岐郡・鎌倉郡・都筑郡・橘樹郡から構成されて成立した土地。
横浜市と隣の川崎市と三浦半島、それと海を隔てて隣県の千葉は、中国史観での日本史の空白時代を埋める日本武尊神話と伝承の舞台の土地でもある。
最初は歴史人物としても尊敬する菅原道真公を御祭神とする日本三躰天神社の永谷天満宮に行ってみたけど最近は参拝客が多く待ち時間が長そうだったので、仕事が休みの明日改めて御参りする事にした。
そして思金神社へ…
今日は正月なので神楽殿や仮設売店には綺麗な巫女さんが何人かいました。
今日、御参りした思金神は、小生が崇拝する京都阿弥陀寺と建勲神社の建勲神(織田信長公)、三浦半島走水神社と川崎子母口橘樹神社の日本武尊と弟橘媛様、天満様の菅原道真公と共に尊敬し崇拝する存在。
天照大御神が天の岩戸に引きこもった際に、天の岩戸を開く手立てを立案し指揮された神様ですね。
お祭で天照大御神を誘いだした方なのでお祭り好き神様なんでしょうか?
 
思金神社の↑御神輿。
思金神は、その神話の経営者的、参謀的役割から、商工業や学問の神様としての御利益が有るとされています。

小生は先に述べた神様以外に、北鎌倉東慶寺の天秀尼様・鎌倉玉縄龍寶寺の北条綱成公・伊勢原上粕屋洞昌院の太田道灌公・横浜金沢富岡八幡宮の源頼朝公・鎌倉鶴岡八幡宮の源義家公・藤沢二傳寺の平良文公・京都誠心院の和泉式部様も神仏に等しく崇敬しています。
特に北条綱成公は信長公、菅原道真公に次いで崇拝する御方です。
無論、地元横浜の殿様の間宮康俊公も尊敬しています。
近世近代の偉人では、高田屋嘉兵衛さん、河合継乃助さん、坂本龍馬さん、孫文先生、柴五郎さん、東郷平八郎元帥、秋山好古さん、西郷菊次郎さん、原三渓さん、八田與一さんを特に尊敬しています。
神社や御寺は、古代人や有史以来の先人の記憶を伝える場所でもある訳です。
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初詣や節目節目の祭事は、先人の記憶を引き継ぐ意味も有ると個人的に思っています。
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神社に鏡が祀られるのも、卑弥呼の時代位に加わった習慣かも知れませんね。
あの時代から盛んに銅鏡が製造されだした様ですから。
思金神社本殿の前には霊石も展示してあります。
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自由に触って良いので小生もハグしてきました。

この思金神社は、横浜市鎌倉郡域の原風景を良く保存し留めている…
小生は、この神社の自然が好きです。
この思金神社周辺からは古代の踏鞴製鉄場遺跡も出土し古墳も多数在る古代からの文化醸成地でもある。
平安時代末期には、この鎌倉郡の村岡に平良文公が居城を置き、後の鎌倉武士団を形成する子孫達が南関東の土地を開拓して行きました。
この近所には公田や河内の地名が今も残り、源義家公の伝承の神社も近隣に点在し河内源氏の歴史の足跡を辿れる地域でもあります。
そして、横浜市内の貴重な原生林の自然保護区でもあるのが、この神社の在る円海山です。 
更には、円海山の沢の清流を集めた瀬上池から流れる瀬上沢は、横浜で絶滅寸前の貴重なホタルの生息地であると同時に、灌漑水田の史跡でもあります。
この丘の地盤の地下地層自体も貴重で保護すべき所で、淡水生の大型貝の化石が群在する地層が含まれています。
だから特別に自然を破壊せず保護しないといけない地域な訳です。
自然崇拝をした古代人達の史跡の近くの思金神社は、古代日本の宗教観と伝統を受け継ぐ神社らしく 、境内からは富士山が綺麗に見えます。
本殿横に看板が有ります。
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この道を通ると、途中にホタルの生息地の瀬上沢のせせらぎや、古代人の蹈鞴(たたら)製鉄場遺跡などを抱える古(いにしえ)からの文化と自然を有する横浜屈指のパワースポットの円海山に建つ神社らしく、展望台手前には水神様の御社も在ります。
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この奥が富士山の見える展望台です。
今日の富士山は頂上が雪化粧をしていて、特に美しかったです。
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今年一年間、自分は社会の為に役に立つ事を成し遂げられるだろうか?
出来る事はやってみよう…

皆さん、今年一年、又、宜しく御願いします!
御互いに実り多き一年に成ります様に~♪

では、又、次の記事で御会いしましょう!
次こそ観音崎灯台周辺紹介の記事の【後編】を書きます。

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日本の政治 に参加中!
円海山を御存知ですか?
今、その円海山と言う山の「瀬上沢」と言う沢で蛍を見る事が出来ます。
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画面ぶれててすいませんね、街灯の無い真っ暗な農道での撮影…携帯ではこれが限界でした。

6月7日、横浜市港南区磯子区栄区にまたがり鎌倉まで繋がる横浜最後の大森林、そして平安時代からの武士達の駆けた鎌倉早駆けの道の史跡が林道として残る円海山に蛍を観察に行ってきました。

蛍が見える場所は横浜市栄区の旧上郷高校、今の栄高校のすぐ下の谷に流れる瀬上沢です。
瀬上池の位置
この栄高校の有る場所一帯は奈良時代からのタタラ製鉄遺跡が出土した史跡だった場所であり、その瀬上沢も奈良時代から今に灌漑水稲耕作を今に伝える文化醸成地であります。
大げさでは無く、この一帯の田畑は農業の史跡であり、古代からの灌漑施設の史跡とも言えます。

今日、蛍は5~6匹出てきて可愛いオシリの優しい光をホワ~と照らしてくれました…
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携帯だから良く写せないけれど、それでも優しい光がわかりますよね~♪

小生が子供の頃は、良く瀬上池にザリガニを獲りに自転車で行って、みんなで瀬上沢で水遊びしたり瀬上池で釣りをしたり、林道を駆けずり回って遊んでいました。
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昔はもっともっと沢山の可愛い蛍が見れたんです。
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左上の2匹の蛍君達…オシリが光ってるの判りますか?
昔わね~瀬上沢には天然のフナもいたんですよ~!
今でも瀬上池にはいますけれど、もう、瀬上沢にはフナはいません…


この瀬上沢周辺、局地的に見るとぱっと見は有り余る自然に囲まれているようですが…
瀬上沢

少し離れて見てみると…
瀬上池の位置
…丘の上を宅地開発されてしまい自然環境が劣化したせいで蛍も激減し、フナも消えました。
沢蟹も減り、トンボの幼虫のヤゴのエサになるカワニナも減り…
この瀬上沢も自然環境が崩壊寸前、歴代市長の御蔭で首の皮一枚、繋がっている状況でした…

が!

近年、歴代市長や市民の意志を踏みにじり、ふとどきにも!この沢の自然環境にトドメをさして宅地開発しようとする業者とそれを止めない市長が出てきてしまいました。
東急グループと、その労組と、林市長です。

蛍を消し去る意志が無かろうが、宅地化した瞬間に間違いなく蛍は消えます。
結果的に消えてしまえば、自然環境を破壊したのは開発した業者」と、その業者の労働者の代表の「労組」と、歴代市長の「里山思想に基づく円海山の保護」と乖離した「開発容認する市長」です。
つまり、この瀬上沢においては「林文子市長」と「東急グループの労働者」と「東急グループの経営者」と言う事に成ります。

皆さん、横浜市にこんな素晴らしい自然環境が首の皮一枚つながった程度の危うい状況で残っているのを知っていましたか?
円海山は横浜市で一番高い山なので風景も綺麗です…
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この通り、まだ神社や御寺が生活に密着していた昔の古代~戦前、多くの関東地方の先人が「此花昨夜姫(このはなさくやひめ)」の化身として仰ぎ見た富士山も綺麗に見えます。

先に述べましたが、円海山の林道は鎌倉武士達が利用した古道の史跡で、今でも朝比奈峠の朝比奈切通しへ通じています。
皆さん、蛍を見に行って古代人から受け継いだ自然を鑑賞してみませんか?
可愛い蛍君達に、弱ってしまった自然の中、ギリギリ残った儚(はかな)い可愛さを見せてもらい、瀬上沢の自然の大切さを感じて見ませんか?

円海山に富士山を見に行って、先人達が女神さまとして拝んだその美しい姿を心で感じてみませんか…?

この円海山は文化醸成地だったので、以前のブログ記事で紹介した竹林の風景が美しく古典落語「峰の灸」の舞台に成った「円海山護念寺」と言う御寺や…
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元々は護念寺の本院だった安養山 峰の阿弥陀寺も在ります。
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この阿弥陀寺は浄土宗総本山である京都の知恩院の第四十六世、了鑑大僧正を排出した由緒の有る御寺でも有ります…

瀬上池と瀬上沢の近く、山の反対側には思金神社も有ります。
この神社の御祭神の「思金神」は日本神話で知性を司る神様で、天照大神が天岩戸に御隠れに成った際、天照大神を表に御導きする作戦を考え周囲の神々に指示を出した名参謀です。
こんな知識の神様が鎮座し、大僧正を排出し、古典落語の舞台にも成った円海山ですが…
可愛い蛍も「瀬上沢」で待ってくれていますよ~!

皆さん、鎌倉文化や古代人の歴史を刻んだ円海山、是非、この機に散歩しみて下さい。

注意!
蛍を鑑賞する際は以下の事を順守して下さい!

蛍を見に行く時は大人数で行かない!…大人数の集団だと虫さんがビックリして逃げてしまします!
暑くても長袖長ズボンに虫よけちゃんと塗って行くのをお勧めします。…自然の中、夏、当然、蚊がいます。
タバコを吸わないで!…火事の元な上に、匂いで虫が逃げます。そもそも条例で禁止されています。
火気厳禁!…当たり前。見かけたら通報します。
ゴミは持ち帰れバカ野郎!…そもそも自然公園でゴミを出すな。
夜中に騒ぐなバカ野郎!…風流の欠片も無い事をするなら来るな!騒ぐなら昼間の川遊びにしろ!てか祭りに行って騒げ!てか寧ろ日本人辞めてどうぞ!
以上、宜しく。



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この間、小田原城の記事を書きましたが…
小田原城には江戸時代、大地震で天守閣が傾いた歴史が有ったりします。
大正時代にも神奈川は皆さん御存知の「関東大震災」が起きました。
関東地方全体では105,000人弱が死亡したこの大地震、神奈川県では約3万人超の方が亡くなりました。
大地震発生した時に水の確保?する準備出来てますか?
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横浜市には富士山系の水脈の湧水が沢山有り、昔は飲み水にされていました…
その水源を2ヵ所、この記事の最後に紹介しますね!
何故この話をするかは、以下に書いてみますので、ゆっくり読んで見て下さい。

最近、地震や噴火、本当に多いですね?
と、言うかここ数百年が偶々(たまたま)地震や噴火が少なく気温が低めだっただけでしょうかね~?

さて…
地震が起きると一番怖いのは建築物の崩壊よりも建築物密集地の火災です。
横浜市の様な市街地で火災が起きるとどうなるか、実は江戸時代の文献を読むと良く解ります。
都市型大火災の説明を江戸時代の火災記録で行う前に…

大地震起きて都市壊滅したら一番困る事って何かって「通信」とか直接命の関わらない事じゃなくて「水」の確保なんですよね。
これは関東大震災を経験した祖母からも聞いた事です。
そして、井戸がほぼ使われなくなり大正時代より水道の普及した現代は、もし大震災で都市が壊滅したら前回の関東大震災より更に困る事に成るでしょうね?
水道管は破裂し、水道からは水が出なくなります

火災を消火出来ない。
飲み水も無い。
水洗トイレしか無いからトイレが使用不能に成り「野糞」するしかないのにアスファルトで固められた地面には簡易トイレも掘る事が出来ない、だから感染性腸炎なんかの病気が流行する。
その中でも飲み水が無いのが一番深刻な問題に成りますね。

横浜市は明治~大正時代に全国でも先駆けて水道網が整備されていた都市の一つです。
その弊害で、老朽化した煉瓦製や陶器製の水道管が使われている地域も少なくなく

前の横浜市長の中田サンは優秀な政治家だったので、この歴史事実を把握しており、中田市長の時代から横浜市は水道管を耐震の物に取り換える事業を開始しています。
しかし、それ以前は市内で水道管が破裂し数十mの高さに水道水が噴出する事もたまに有りました。
これには横浜市の給水施設と地形が関連しています。
円海山の配水施設
横浜市南部は水道水の供給を、円海山と言う山の配水施設から行(おこな)っています。
小生のブログで何回か紹介している円海山は蛍が見れる水源が有るだけでなく、山頂は標高が300m超あり関東平野南部に位置する横浜市内で一番高い場所でもあります。
そこから高低差を利用し、サイフォンの原理で市内に水道水を供給する施設が有ります。
その水は山梨県を経由し丹沢山系から注ぐ相模川から給水し、鎌倉市と横浜市の市境近く戸塚区の小雀浄水場で処理されています。

この円海山からの水圧に、横浜市内、特に山から一気に水が駆け下ってきて最初に標高が一番低い場所の水道管にブチ当たる磯子区では古い水道管が水圧に耐えれず、過去に磯子駅前の水道管が破裂し隣りの商業ビルよりも高く水道水が巨大噴水の如(ごと)く吹き上がってしまった事も有りました(笑)。
ですから、直下型大地震が横浜市を直撃すれば至る所で水道管が大噴水化する懸念が有り、中田市長の政策は市長が代替わりした現在でも受け継がれている訳です。

さて、いくら水道管を交換しても、きっと何処(どこ)かで破裂するでしょうね。
絶対に水道水が来ない地域も出てくる訳です。
先述の通り火災を消火出来ず、崩落した建築物の粉塵を抑える散水も出来ない訳です。
関東大震災の時、横浜市の旧中心部の関内地区では壊滅した市街地の瓦礫を海に集めて沿岸部を埋め立て、次の大地震に備えて火災からの非難施設を建造しました…
山下町周辺
それが上の衛星写真右上の山下公園です。
繰り返しますが、ここは関東大震災の瓦礫で作られた先人が我々子孫に残して下さった震災発生時の避難所なんです。
写真の中に横浜スタジアムも写っていますが…
横浜スタジアム周辺の公園は「横浜公園」と言う公園です。
ここは近代日本初の西洋式公営公園でして、元々は幕末に外国人向けの港崎遊郭と言う遊郭(ゆうかく=売春する料亭)の密集地帯でした。
豚屋火事と呼ばれる大火災が発生し多くの遊女が犠牲に成った場所でもありました。
そこに明治政府が公園兼災害時の避難場を設けるべく、リチャード・ブラントンさんと言うスコットランド人の土木設計技師に依頼し建設されました。
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この写真に見える一帯が全て港崎遊郭でした。
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因みに、すぐ横に在る首都高速横羽線の山下公園入口が有りますが、この首都高横羽線が走っているトンネルが昔は掘割(ほりわり=水掘り)でした。
その掘割の海岸側を関内と呼び、幕末ここに関所があり内側が外国人居留地に成っていました。
つまり、港崎遊郭は関内=外国人居留地に在った訳です。ここには日本初の西洋式ホテル「横浜ホテル」も在りました。
横浜中華街は関内で最初に埋め立てられた場所でもあります。
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丁度(ちょうど)、豚屋火事の話題に触れたので、都市型の建築物密集地で大火災が発生するとどうなるか…
次は、そちらを説明したいと思います。
江戸時代、実は江戸の町は数回の大火災に遭(あ)い、大量の死傷者を出しました。
この横浜の豚屋火事でも沢山の人が亡くなったそうです。
当時の文献を読むと…
例えば「明暦の大火」と現代人は教わる「振袖火事」と言う大火災が有ります。
この火事は元々は、その振袖を着た町娘が次々と急逝するので、最後の振袖のオーナーの親が娘の供養の為に呪われた振袖を御寺で「御炊き上げ(おたきあげ=宗教的に焼却)」して貰おうとした所、その火の付いた呪いの振袖が強風で飛散してしまい江戸中を焼き尽くしてしまいました。
この火の勢いは凄まじく、江戸城の天守閣もその時に消失しました。
この時、川向こうへ逃げようとしても逃げる場所も無く炎に焼き殺される人が続出しましたが…
更に怖いのは、空き地に逃げた人も焼け死んだんです。

都市で大火災が起きると、熱風で吹き上げれた火柱が集まり炎の竜巻が起きるそうです。
その炎の竜巻が空き地の隣接する類焼地帯から上空を跨(また)いで襲って来て、空き地に逃げ込んで密集している人々を生きたまま火炙りにしてしまうそうです。
だからこそ、現代の都市計画は幹線道路の道幅を広くとり、類焼するスピードを遅らせようとしている訳です。

さてさて…
大震災が発生すると大火災も発生する訳ですが、大正時代と異なりオフィス街に木造建築物は少なく前回の関東大震災程には火災で死傷する人はいないでしょう。
…とは言っても被害は大きいし、水道管が使い物に成らないと飲み水も無く災害用の備蓄(びちく)飲料水も数日間しかもたないでしょう。
実は大正の関東大震災で水道水の供給が止まった際に、横浜の人々を救ったのが冒頭で写真を掲載した場所の湧水なんです。

「打越の霊泉」と言います。
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この打越の霊泉に行くには近くにある「打越橋」と言う鉄橋を目標にして下さい。
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この鉄橋の少し手前に打越の霊泉が在ります。
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現代の志(こころざ)し高い地元町内会長さんが石碑にも残し、後世に伝えて下さっていますが横浜市民にも知っている人は少ないでしょう。
ここにはJR元町駅から徒歩で行けますし、みなとみらい線の中華街元町駅からでも行けない事はありません。
水を汲みに行きたいなら運搬するでしょうから車をすすめます(笑)。
関東大震災で水道管が使い物に成らなくなって給水出来なくなった時、関内や元町周辺の人々はこの湧水の御蔭でインフラ復旧まで持ち堪(こた)えれたそうです。
関内は埋め立て地「吉田新田」の一部ですからね…井戸掘ると海水しか出なかったんですよ。

ここと、近所の中区本牧側、下の写真ワシン坂にも「ワシン坂の霊水」が在ります。
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ワシン坂一帯の丘は、ジブリ映画「コクリコ坂」のモデルに成った場所でもあります。
観光地「港の見える丘公園」も徒歩圏内です。

実はこの2ヶ所の霊水、両方とも富士山系水脈のバナジウム天然水で腐り憎く良質な軟水で、その長期保存が効く性質から幕末に横浜が開港されると、外国船に飲料水として補給されていました。
現代では付近が開発され、ビル建設の基礎工事などで水質が安定せず、飲用を推奨出来ない水源と管理上便宜的に看板が有りますが…
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小生はこの水を以前、汲んでよく家で御茶を淹(い)れていました。
この水は美味しく、煎茶を淹れるのに適しています!御茶に甘みが増すんですよ!
特に民主党政権時代の2011年03月11日に当時の無能な菅直人内閣と枝野官房長官が福島原発の放射能飛散に対応しきれず対応が遅れた時期、小生は水道水の安全性が確認されるまでワシン坂の霊水をタンクに汲んで持ち帰り、煮沸してから飲用としていました。
関係ないですけれど、この本牧半島地域を江戸時代に本牧奉行として治めたのが、笹下城主間宮家の子孫の笹下間宮直元公とその御子孫でした。
※打越の霊泉とワシン坂の霊水を飲んでみたい人は、自己責任でどうぞ(笑)。

この水脈を利用して日本初の麦酒(ビール)醸造所として開かれたのが今の中区の横浜市立北方小学校の敷地一帯に建設された「スプリングバレーブルワリー」でした。
このスプリングバレーブルワリーの創業者はウィリアム・コープランドさんで、ノルウェー系アメリカ人でした。
コープランドさんは晩年余り幸せでは無く、その後、彼の事業を引き継いだのが、三菱財閥とその創始者の岩崎弥太郎でした。
余談ですが…
キリンビールのロゴの「麒麟」は「龍」と「馬」を足した様(よう)な架空の動物ですよね?
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何でこのデザインにしたかってのは有名な話で、麒麟麦酒の出資者の岩崎弥太郎とグラバーさんが共通の友人だった「坂本龍馬」サンをリスペクトして後世に偉業を伝える為に麒麟をデザイン化したと伝わっていますが…
実は神奈川県、坂本龍馬先生と所縁が有ります。
奥さんの「お龍サン」の「終の棲家(ついのすみか)」は、横須賀市でした。
お龍さんが龍馬さんに先立たれ未亡人に成ってから働いていたのが、京浜急行神奈川駅の近くに現在も営業している料亭「田中家」でした。
その京急神奈川駅の目の前に「神奈川台場」と言う砲台を設計したのが、龍馬サンの師匠の勝海舟先生でした。
今回の記事で紹介した麒麟麦酒の創業地と、2ヶ所の湧水や山下公園の位置関係はこんな感じ…
水源と周辺位置関係

話が脱線しましたが…
買える水は直ぐに備蓄が尽きますよ?
皆さん、先人の教訓を活用する為にも少し歴史を調べて、御近所で飲用出来る湧水を知っておくのも何かの助けに成るかもしれませんよ?

ブログネタ
節分は豆まき派? 恵方巻き派? に参加中!
関東では節分に豆撒きをし、関西圏で恵方巻きを食べる様に、地域住民に根ざした文化は、それぞれ由来に成った文化醸成地が有ります。

横浜市港南区栄区金沢区磯子区にまたがり鎌倉に続く自然公園が有るのを皆さん御存知(ごぞんじ)ですか?
鎌倉横浜に古代文化の基礎を醸成した地域でもあります。
この円海山、実は横浜市で一番標高の高い山で、天気が良いとこの様に頂上近くからは富士山も綺麗に見えます。

実はこの山、歩いて鎌倉まで行ける遊歩道があり、それらは「鎌倉早駆けの道」と言う史跡でもあります。

更に‼︎

蛍(ほたる)の横浜市内での貴重な生息地なんです!
その場所は瀬上池と、その池に注ぐ自然の沢を集めた池から再び流れる貴重な水源地帯の瀬上沢です。
歴代市長から保護され多くの市民の憩いの場として解放されてますが、小生も子供の頃よく、ザリガニを採(と)りに来たり野山を駆け巡りに友達と遊びに来ていました。
子供が自由に川遊び出来る横浜南部の最後の水源地帯がこの円海山の沢で、特にこの瀬上沢と大岡川源流笹下川上流の金沢区の大谷戸(おおやと)側の沢が状態が良いんです。
写真は円海山大谷戸広場側です。
昔ながらの貴重な里山保存区域です。
綺麗な昔ながらの鎌倉近隣の原風景でしょ?
本当、貴重な自然と里山なんです。

今は冬で川で遊ぶ子供も流石にいませんが…
此処(ここ)瀬上沢には貴重な淡水の貝の化石群の地層が露出した場所があり、更に奈良時代の古代のタタラ製鉄の史跡も出土した場所でもあり…
灌漑水田史跡でもあり、重ねて言いますが平安〜室町時代の鎌倉早駆けの道と合わせて非常に貴重な史跡群でもあります。

以前の市長達により、瀬上池周辺は遊歩道や釣り用の桟橋が設けられていて新春にもなると釣りをする子供や、お弁当作ってピクニックに来た家族連れなんかで、ほのぼのとした空気が感じられる場所です。
今の横浜市長の林文子さんは、どうも保護に熱心ではなく寧ろ開発準備してる側のようですが、昔からの地域のボランティアが自主的に子供の遊び場を守って下さってます。
だから幼稚園小学生くらいのお子さんがいる御家族には暖かく成れば、オススメの自然の中の水遊び場ですよ!
この瀬上池は釣りが自由に出来て、フナや鯉なんかが小生子供の頃は釣れました。
…小生は、もっぱらザリガニ専門でしたが(笑)。

しかし、最近は今の林横浜市長の施政下で、倒木の処理などが放置され林道が通行止めにされてしまっている所が多くあります。
この下の写真の「尾根道から護念寺への道」も、さも通行出来るような案内板ですが、実際は鉄柵で封鎖され市民が通行出来なくされています。
別に道が崩落している訳ではありません。
横浜市が業者に開発させる前振り?

しかも、此(こ)の道の先は古典落語「強情灸」の舞台になり江戸時代から昭和初期まで、お灸治療の本場峰の灸として観光客と治療客で栄えた竹林の美しい円海山護念寺に通じているので、早く再開通させるべき所なんです。
※円海山護念寺の風景と歴史については「ココ」←クリック!

円海山で貴重な淡水の貝の化石群地層が露出している場所は、下の写真の場所です。
昔の人が、灌漑水田に水を引き入れる為に作った手掘りの隧道(すいどう=トンネル)のある壁面と地続きの山が全て化石群の地層です。

以前は子供も自由に出入りして遊べました。
周辺を東急が宅地開発しようとしはじめた頃に横浜市大が保護を試みましたが、最近は東急が自然環境保全地である事や市民の憩いの場である事を無視し、周辺から市民を締め出し開発準備を始めてしまっています。
マジなんだかな〜?
昔からの文化醸成地や市民の憩いの場を蹂躙する暴挙だろ、これ。

彼等がもし、無碍にこの瀬上沢一帯を開発したら、この自然環境は2度とは戻りませんね。

庶民に阻止は出来るか微妙ですが、もし開発すれば近隣に留まらず、貴重な自然公園に連なる遊歩道や沢の自然環境を破壊した歴史を事実としてどの政党が支持した、どの市長の時代に、どの土建屋が瀬上沢と遊歩道の自然環境を破壊したか我々で語り継いで行きたいと思います…
林市長、東急さん、きっと瀬上沢の重要性再認識してくれると…
…くれるかな〜?
皆んなで淡々と事実拡散するだけですね。
近隣の歴史を語り継いできた寺院や神社の鎮守の杜でもありますから。
過去帳にも歴史として残るし…。

さて、皆さん、円海山と瀬上沢の自然環境と風景と歴史が非常に貴重で、尚且つ子供が安心して遊べる自然公園である事は御理解頂けましたでしょうか?

瀬上池手前に使われていない畑があります。
あそこを自転車用の駐輪場にし、山頂のスポーツ広場を休日に駐車場として解放し尾根道に歩道を繋げ、昔みたいに家族連れも行きやすい環境を整えて欲しいな〜とか改善案はあるんですがね〜。

円海山は横浜市民や鎌倉市民にとって大切な場所なんですね。

この綺麗な風景と自然と歴史…
我々が先人から受け継いだ様に、何とか次代の更に先の子孫達まで残してあげたいですね。
円海山は文化なんです。

あ、そうだ!
前回の記事投稿から10日も間を空けて済みませんでした!

では皆様、又、次のブログ記事でお会いしましょう!

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風景写真 に参加中!
横浜市は余所(よそ)の地域の人から見ると「みなと未来21地区」や「中華街」や「山下公園」や「外人居留地」のイメージくらいしか無いそうですが…

とんでもない!
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里山に囲まれた素敵な古民家の御庭でしょ?
これ、昔は鎌倉郡だった横浜市栄区の鍛冶ヶ谷と言う地域にある「旧小岩井家住宅」です。
小岩井家は元々は、この地域の庄屋(しょうや=村長)さんだった御宅なので、その邸宅は茅葺屋根の立派な造りの古民家です。

何だか田舎の御婆ちゃん家に来たみたいでしょ?
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…もっとも、貴方(あなたの)の祖父母の住む家がこんなに立派な茅葺屋根の家だったら、そりゃもう大金持ちですね(笑)。
何故なら家の作りの立派さもさることながら…
茅葺(かやぶき)屋根の家は、藁葺(わらぶき)屋根の家と異なり大変に高価なんですよ。
屋根を葺(ふ)き替(か)えるだけで4000万円以上かかると言われています。
更に庄屋様の御宅ともなると平屋の入り母屋(おもや)作りなので、かなり大きな母屋と若夫婦の住む別棟の離れが有ったりします。

この素敵な古民家…
実は無料公開されているばかりか、「本郷ふじやま公園」と言う緑地公園の一部なんです。

ですから…

「あれ?昭和初期に来たのかな?」とタイムスリップをした錯覚さえしそうな風景が庭先には広がっています。
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ヨコハマの子供たちが丸で「カッペ(笑)」の様にのびのび元気に遊んでいます。
横浜市は「里山思想」に基づいた都市計画がなされており、どんなに市街の中心地にいっても必ず、この様な里山が保存されているんですね。
ただし、その里山が必ず文化的に大切な場所とは限りませんが。

ここでは少し昔まで日本中にあった風景を垣間見れます。
昔の家の土間(床が靴履いて歩く屋内)の炊事場(キッチン)とか…
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一般人用の玄関入ってから靴脱ぐ土間とか…
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今じゃ少なくなった縁側とか…。
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本当、懐かしいな~。

離れもあるので、何だか昔の農村を訪ねて来たような雰囲気です。
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立派ですよね~?
お正月はここで餅つき大会も行われますし、春には凄く立派な桜の木に花が咲き誇ります。
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この下の写真は長屋門と言います。
長屋門は江戸時代、ある程度の格式の有る家にしか造る事が認められなかった建物です。

もうこれ、古民家好きにはヨダレだらだら出るくらい堪らないんじゃないかな(笑)?
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御屋敷と呼ぶのが相応(ふさわ)しい外観ですね。
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さて、ここからが歴史的な話題の本題部分です。

以下、文章だらけですが、歴史好きと特に横浜市栄区民にとっては読む意味が有ると思うので、どうぞお付き合いください!

この旧小岩井家が治めた地域は鍛冶ヶ谷村でした。
今のJR京浜東北線本郷台駅から少し離れた鍛冶ヶ谷地区一帯ですね。
その鍛冶ヶ谷を中心としていくつかの村が明治時代に合併され「本郷村」が設置されました。
それが本郷台の地名の由来ですね。

鍛冶ヶ谷はその名の通り、武具製造の鍛冶職人が昔から住む地域でした。
どれくらい昔かと言うと…
恐らくは平安時代中期です。

この鍛冶ヶ谷の付近には古代から武具製造や蹈鞴(タタラ)製鉄に関わる地域が多数有りました
その名残は今も地名に残っています。
…港南区の"日野"→日野=火野…この地域は実際、鎌倉幕府の初代侍所別当和田義盛公が建設した野庭城と言う御城もありましたが、お隣の上郷には平安時代より更に古い奈良時代からのタタラ製鉄の遺跡が発見されています。
そして隣の金沢区にはそのまま金沢の地名と釜利谷と言う地域もあり、いずれも製鉄に関わる地名です。
西暦110年頃には日本武尊が鎌倉の先ある三浦半島に遠征して来ているので、この一帯は早くから開けていたようです。

さて…
鍛冶ヶ谷一帯に話題を戻します。
実はこの鍛冶ヶ谷一帯、小生は関東人が軍神と崇(あが)める平安時代の名将、陸奥守(むつのかみ)鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)を歴任した関東の武士団の棟梁、源朝臣(みなもとのあそん)八幡太郎(はちまんたろう)義家(よしいえ)公の兵站(へいたん=補給基地)だったと推測しています

因みに源義家公は鎌倉幕府初代征夷大将軍源頼朝公の4代前の祖先です。

何故(なぜ)、鍛冶ヶ谷一帯が義家公の兵站だったと推測するかと言うと、旧鎌倉郡村岡郷=現藤沢市村岡の村岡城を拠点にした、鎮守府将軍の平良文公は源苑(みなもとのあつる)と一騎打ちの後に盟友となり共に源氏と平氏は関東の発展に協力し尽力する事を約束しあいました。
※平良文公に関する過去の記事は「ココ 」←クリック!

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(軍神と言われた源義家公)

その平氏と源氏の盟約を体現する様に、後に源義家公が前九年後三年の役に出征すると、坂東平氏はこぞってその幕下(ばくか=組織に入る)に入り協力します。
その時に鎌倉御家人の祖となる二人の名将が参陣しています。
一人目は鎌倉景政公…関東では御霊神社の祭神として信仰されています。
二人目は三浦為継公…御子孫には鎌倉御家人の三浦氏や和田氏、戦国大名芦名氏や正木氏や三浦氏がいます。
※三浦為継公に関する過去記事は「ココ 」←クリック! 

実はこの二人は従弟同士で、更に平良文公の子孫です。
つまり良文公以来の源家との盟約が履行されていた訳です。
この時、平家側は義家公に対し、居住地等を提供しています。
その場所が今の鎌倉市扇谷(おおぎがやつ)地区にある「亀ヶ谷(かめがやつ)にある寿福寺」のある場所
とその一帯なんですね。
亀ヶ谷は狭い地域です。
源頼朝公が鎌倉幕府を開く以前、実はこの父祖の故地(こち=ゆかりの土地)である亀ヶ谷に幕府を開こうとしたのですが、狭すぎて御家人達から反対され、やむを得ず鶴岡八幡宮の東側の大蔵地区に大蔵幕府を開いたなんてエピソードがある位なんです。
ですから鍛冶ヶ谷では軍隊の物資補給や武具補修の職人集団や商人を住ませる町形成はままならないんですね。
その亀ヶ谷から徒歩でも行ける距離には、現在でも源義家公と関連の有る地名や施設名が溢(あふ)れかえっているんですね。

亀ヶ谷の有る場所から現在の北鎌倉は歩いて15分程の距離ですが、その北鎌倉から20分位歩くと鍛冶ヶ谷の最寄駅の本郷台地区に至ります。
この鍛冶ヶ谷を含めた本郷台地区には、「河内」と「公田」と言う地名の場所が有ります。
河内とは大阪市の東部にあった国の名前です。
何故、唐突にこの地名が旧鎌倉郡、現横浜市栄区に出て来るんでしょうか?

実は源義家公以来、関東武家の盟主(めいしゅ=主従ではない協力関係のリーダー)としての立場を築きますが、この義家公の家の「源家」は源家の中でも河内源氏と呼ばれた今の大阪府羽曳野(はびきの)市を本拠地とした一族なんです。
そして、その羽曳野市の有る場所は、昔は「河内国」と国名を呼ばれた地域なんですね。
恐らく、亀ヶ谷に住んで居た義家公の荘園だったから河内の地名が横浜市栄区に残っているんでしょうね。

更に「公田」の意味ですが…
公方(くぼう=将軍)様+田畑…公方様の田畑…公方の田…公田となる
訳です。
この栄区本郷台の「公田地区」と「河内地区」は隣合わせの位置です。
そして更にその隣にあるのが鍛冶ヶ谷です。
つまり、町形成の不可能な亀ヶ谷に住む義家公は、公田一帯に生活用の食糧補給の荘園を坂東平家の武士から提供されており、武器を鍛冶ヶ谷で補給していたのだと考えるのが自然なんです。
港南区の日野や栄区上郷地区のタタラ製鉄所で製造された鉄で、隣村の鍛冶ヶ谷の鍛冶職人が義家公率いる源氏軍の武具補給補修を担っていたんでしょう。

ここから源氏と与力の平氏や菅原氏や橘氏や丸子氏が出撃して清原氏や藤原氏との死闘を演じたんですね…
その前九年後三年の役や関東の武士団の繋がりの話は過去に「永谷天満宮」の記事でも触れていますので、ご興味ああれば御覧下さい。
※永谷天満宮と菅原氏と平氏の関係に関する記事は「ココ 」←クリック!

余談ですが、鎌倉市は現在でも伝わる有名な刀鍛冶のブランドが有ります。
以前の記事で紹介した名刀「正宗」の工房ですね。
※過去の関連記事「ココ 」←クリック!

今回は八幡太郎義家公の話に話題を広げる事で、たまたま大阪府と神奈川県の関連に話が及びましたが、実は神奈川県は古代から大阪府と京都府と御縁があり、御互いの土地は本来は兄弟の様な協力関係にあったんです…
ま、その噺(はなし)は又、気が向いたらします(笑)。

今回も長くなってしまいましたね。
でも今は新興住宅地の本郷台も、鎮守府将軍様の根拠地だったかもしれないと言う、失われた歴史と誇りを皆さんに再認識して頂ければ幸(さいわい)です。

ではでは…又、次の記事でお会いしょましょう!

前回のブログ「コレ←(クリック!) 」で「峰の灸」こと古典落語「強情灸」の舞台、横浜市磯子区峰の「護念寺」と、その風景と強情灸の小噺を紹介しましたが…
今日は、その続きです。

先に紹介しました「護念寺」は、少し触れましたが、元々は同じ磯子区峰と港南区港南台の中間にある「阿弥陀寺」の末寺と言うか奥院だったんです。
正式な名前は・・・
安養山 峰の阿弥陀寺です。
峰の地名に護念寺の本院だった頃の名残が有りますね。

ですから阿弥陀寺も歴史が有り御寺の雰囲気が、とても素敵です。
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山門をくぐってくると、この石畳のアプローチが出迎えてくれます。
夕方に訪れたので、境内の灯篭に火が点(とも)り、神秘的な雰囲気でした。
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この阿弥陀寺、名前が阿弥陀寺だけあって法然上人の開いた「浄土宗」に属す御寺です。
つまり、総本山が京都市東山区の知恩院、大本山には京都市左京区百万遍の智恩寺が在ります。

その大本山の智恩寺は、鎌倉時代末期~室町時代初期の変遷期、後醍醐天皇の治世に京都で疫病が流行った時に、後醍醐天皇の勅願(ちょくがん=直々の願懸け命令)で僧侶が疫病退散の御経を読み上げた所、その疫病が治まったので…
後醍醐天皇が僧侶に「いったい何回御経読んだら効果あったの?」
…と言う主旨の質問をされた際に、僧侶が「百万遍は読みましたよ」と言う様な事を答えたので、それ以降、百万遍智恩寺と呼ばれる様に成ったそうです。
小生は個人的に、この智恩寺がとても好きで、よく週末に智恩寺の近くの京阪電車出町柳駅から歩いて来る途中の商店街で「太巻き寿司」を買って、お散歩がてら智恩寺に行き、境内の御堂の階段に腰かけて御弁当代わりに食べてから、御堂に上がらせて貰って御参りしてました。
智恩寺は毎月縁日もやるんですよ。

そこのお坊さんが「何にも無くてもいいから、疲れた時や何も考えたくない時はココに来てゆっくりしていったらえええんやで」と言って下さり、色々有って当時人生の分岐点で疲れ切っていた時に非常に安らぎの一助に成った事は今でも感謝しています。

念の為に言っておきますが、小生は仏教も好きですが、神道も信仰しています。
主に菅原道真公=天神様と、織田信長公=建織田神(たけしおりたのかみ)様を尊敬し、天神様には良く御参りに行きます。
つまり、仏教の果たした文化的な役割を評価しつつ、神道の自然崇拝と偉人啓蒙を大切にしている鎌倉武士と同じ様な宗教観なのだと思います。
それを一言で表すと…
菅原道真公の座右の銘「和魂漢才」と言う言葉に近いと思いますが、小生は小者なのでそんな立派な言葉を引用するのは烏滸(おこ)がましいと自覚しています。

そんな浄土宗の阿弥陀寺と智恩院ですが…
以前紹介した、藤沢市渡内の二傳寺(にでんじ)も浄土宗です。
二傳寺は小生と御縁の有る鎌倉武士団と平氏系大名の祖先の鎮守府将軍平良文公の墓所のある御寺です。
平良文公と二傳寺の記事は「ココ 」←クリック!

さて、阿弥陀寺に話を戻すと…
こちらでは阿弥陀如来の他に観世音菩薩も祀られていらっしゃる様です。
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本堂脇の御堂に「観世音菩薩」の文字が掲げられています。

実は京都にも阿弥陀寺が有ります。
そちらは曾(かつ)て織田信長公も信仰した御寺でして…
本能寺の変の際に、信長公と交流浅からぬ阿弥陀寺の当時の住職が明智軍の移動後、必死に信長公の遺歯等を探し出し埋葬した事でも知られています。
信長公の記事は「ココ 」←クリック!


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横浜市の阿弥陀寺は、訪れたのが夕暮れ時だったせいもあり、本堂もとても神秘的に暗がりの中に照らされた仏様がうかびあがって見えました。

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実は先月2015年4月に御住職と面会の機会を頂き御朱印を頂き、この阿弥陀寺について御伺いした際に
御教授頂いたのですが、何と!この阿弥陀寺からは浄土宗総本山知恩院の第46世住職を務めた了艦大僧正を排出しているそうです!
古代、日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その御妃様の乙橘姫(おとたちばなひめ)が三浦半島や横浜市の基(もと)に成った久良岐(くらき)郡と橘(たちばな)郡を訪問し、小田原北条家も京都から様々な文化を吸収しましたが、本当に神奈川県は京都文化や中央の神社仏閣と縁が深いですね…。

さて、昔は神仏習合と言いまして、大らかな日本人の性質に合わせて仏教は神道の神様の一部の様に神様と仏様とは等しく人々がら大切にされていました。
なんせ、昔の仏教は学問所(学校)として機能していた訳ですからね、そして神社は祖先や御近所や地域との繋がりを維持し季節の神事と合わせて共同で農作業を行ったりする組織の役割を「氏子」と言う形で担(にな)ってました。

ですので、この阿弥陀寺よりも恐らく昔から在(あ)った"白山神社"がすぐ隣の一段高い丘の上に有ります。
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しかし、こちらは明治政府の唯一の愚策「一村一社」政策で一度、上笹下(かみささげ)神社として、今の磯子区洋光台近くの栗木地区に在ります"栗木神社"に合祀されてしまい、他の神社がそうであったように廃れてしまいました。
昭和中期に地元有志により、改めて白山神社として御当地に復活を果たしましたが、鉄筋コンクリートの本殿になってしまい、しかも両脇の摂社(せっしゃ)はどちらの神様か今では地域の方でも御存知無くなってしまっています。
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小生が思うに鳥居が神明鳥居と言う形式ですので、片側は神明神社のはずです。
もう片側は古代から関東にある神社のパターンだと須賀神社か諏訪神社のはずなんですが…
全く確証が無く解りません。

明治政府による一村一社では何故か、関東の武士団の祖先の豪族達に平安時代以前から信仰されていた「八雲神社」や「須賀神社」や「諏訪神社」や「熱田神社」が他の村社格付けされた神社に吸収させられ、村々から姿を消していきました。 
この白山神社も同様に栗木神社に統合されました。
栗木神社は国常立尊(くにのとこたちのかみ)を祀(まつ)っているそうです。
国常立尊は歴史的には伊勢系神道で重視されている神様のようです。

つまり…
栗木神社に統合された白山神社も然(しか)り、関東で一村一社政策のあおりで潰された神社は出雲系の神社が多いみたいですね~。
何か意図が有ったんでしょうか?

でも、今ではいくつかの神社が規模はつつましやかに成っても、改めて地域の氏子さん達に勧進されて、元の場所に帰って来ているみたいです。

笹下城の若宮曲輪(わかみやくるわ)跡にある若宮御霊神社の例も、こちらの白山神社と同様ですね。
笹下城の記事は「ココ」と「ココ」←クリック!

白山神社と阿弥陀寺の横には今では横浜横須賀高速道路が、昔の村を分断するかの様に通っています。
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この道路が出来た事で潰れた鎌倉古道ですが、港南台から程近い清水橋と言う地域に戦国時代の昔、箱根の風魔忍者を管理した北条幻庵公の別宅があり、そこからこの道と、鎌倉街道を風魔忍者達も歩いていた事を考えると…
コンクリートとアスファルトで舗装された道でもロマンがわずかばかり感じられますね。

では…
又、次の記事でお会いしましょう!

ブログネタ
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横浜市港南区~磯子区峰~金沢区氷取沢にかけて円海山と呼ばれる山がありまして・・・

風景がとても横濱と思えない綺麗さなんです。 IMG_5684

今では静寂な森の中の古道沿いにある阿弥陀寺と言う御寺と、昔は阿弥陀寺の奥院だった護念寺と呼ばれる御寺ですが、実は江戸時代~昭和初期まで凄く有名で、日々参拝客が蟻の行列の様に大量に列をなして訪れた名古刹なんです。

実はこの護念寺ですが、お灸治療の大本山とも言うべき御寺でして、古典落語「強情灸」の舞台でもあるんですね。
ですから、この御寺は「峰の灸」の別名でも呼ばれています。
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かつて、磯子区杉田〜港南区笹下にかけて点在した広大な杉田梅林は、江戸からの江戸っ子観光客で賑わっていました。

船で磯子区杉田の聖天川までクルージングし海からの屏風ヶ浦の美しい風景を楽しみながら、杉田梅林を見学に来る訳ですね。残念ながら杉田梅林は教育委員会が開発容認し消滅しました。…明治天皇や皇族もよくいらっしゃった美しい風景と最高級の梅のブランド杉田梅を教育委員会が消失させたんですね。

で、その江戸時代から昭和初期の観光コースに峰の灸も入っていたし、純粋な治療客も沢山いました。

横浜横須賀道路と言う高速道路の開通で阿弥陀寺と鎌倉古道が寸断され、鉄道の駅からも遠い事から、昭和の高度経済成長期に成ると段々、参拝客も減ってきてしまいましたが・・・
今でも慢性的に体の痛みがある人がココに来て治療を受ける、お灸の本場なんです。

もっとも・・・
小生はソンナ歴史も知らなかった20歳の頃、原付バイクでフラっと田舎道の風景を探して立ち寄って、その聖地のような清々しい空気感に呼びこまれて迷い込んだ御寺なんです。
その時は、竹林の風景の美しさと、何だか…
「あ~横浜市が久良岐郡と呼ばれた頃の風景はこんな感じで美しかったんだろうな~」
・・・と思っただけでした。
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この護念寺は清浄園と言う公園墓地に至るまでのアプローチが昔の鎌倉古道なので、とても神秘的な風景が残っているんです。
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素敵でしょう?
丸で鎌倉の隠れ家に来たような・・・
神様の住んでる御社(おやしろ)でもありそうな雰囲気ですよね?

紅葉もチラホラとあり、この季節はここに来てヒンヤリとした空気を吸い込むと、何だか生きてる感じが凄く静かに感じられるんです。
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この、静かに遠慮気味に色づく紅葉達の奥に御念寺の本殿があります・・・
今日は前に車が数台とまっていたので美しい風景にならないと思い写真に写しませんでした。

本殿を過ぎるとマイナスイオンでヒンヤリとし、静寂な神聖な霊気を感じる様な竹の隧道が出迎えてくれます。

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この竹の道を過ぎると、清浄園と言う墓地に辿(たど)り着きます。
そこからは横浜港が一望でき、ランドマークタワーやベイブリッジが見えます。

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今日は生憎の曇天でしたが、紅葉に色づく円海山の眺望に満足できました。
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実はこの円海山、昔の久良岐郡と現在の横浜市で一番標高の高い山なんです。
…と、言っても300mくらいですが、それでも海から2km程度内陸に入っただけの沿岸部なのでだいぶん高低差があります。
何でこんな場所に鎌倉古道が有るかと言えば、よくブログで説明するのですが古代~平安時代~鎌倉時代は海面が今より高く、又、治水技術も発達しておらず川も良く氾濫していたので道は洪水の影響を受けにく尾根に沿って開設されたんです。
だから川に沿って蛇行したり湿地を避けて遠回りしたり、歩きにくい峠道が多かったんですね。

素敵な場所でしょう?

冒頭で申し上げましたが、この護念寺は峰の灸、古典落語「強情灸」の舞台なので、せっかくの機会ですし、強情灸を御存(ごぞん)じ無い方(かた)の為にその噺(はなし)を紹介します。

護念寺の本山であった「阿弥陀寺」と「白山神社」の話は、また改めて別記事「ココ」(←クリック!)にまとめましたので別に御覧頂ければ幸いです!

【強情灸】
通りかかった知り合いが唸っているので、気になった男、家に招き寄せる。
聞けば何でも体がだるいので、""という店に灸を据えてもらいに行ったらしい。


「このお灸な、凄まじく熱いんで評判なんだよ。気の弱い奴なんかな、一つ据(す)えただけで…
「ギャー!!」
なんて天井突き破って飛んでっちまうんだと」

余りにも熱すぎるので、せっかく来た人が怖気づくぐらいだが…
それでも"効く"という評判のおかげで店の前は長蛇の列。
仕方がないから、番号札を配って据えてもらっているらしい。


俺がもらったのが"への36番"行列のどん尻だぜ?これじゃ日が暮れちまう…
「帰ろうかな」
…って思ったらよぉ!
先に並んでた綺麗なお嬢さんが先客が熱がってるんで心配(不安)に成っちゃったんだろ?
…俺に
「ねえ、アタシと代わってくれませんか」
なんて…
「ええ!ようござんす♪」
…と、喜んで代わりましたとも。

早速内に入ると、店の者が…
「うちの灸は熱いですよ。大丈夫ですか?」


頭にきた友人、上半身裸になるや…
「さあ据えてくれぃ!」
…と怒鳴る。

灸を36箇所に据えると言われ、なおも意気がった友人…
「全部いっぺんに据えろ(怒)!」と一喝。
啖呵に店の者も釣り込まれ、本当に全部いっぺんに据えてしまった。

一つで飛び上がるような灸を、36個いっぺんに据えたんだからどうなるか?


身体中から煙が上がる…不動明王みたいになっちまったが…"ここで逃げたらカチカチ山のおタヌキ様"だ。
我慢して唸ってたら…
店にいた奴らがみんな寄ってきてヨ!
「この人、本当に人間かい?」
「神様の化身でしょう」
…なんて感心してやがんだよ。
…その中にね、さっき俺と札を取り替えたお嬢さんがいてさ、俺の顔を見てポーッとなってんだ。
「あぁ…たくましい人ね、お嫁になるならこんな人が」
…なんて思ってやしないかと。

自業自得で熱い目に遭ってきて帰り道で唸っているような間抜けの(笑)、体(てい)もないノロケ話を聞かされ、呼び込んだ方の男は面白くない。
元来こちらも同類の馬鹿である…
「たかだか灸ぐらいで威張るな!」
…と、奥から藻草(もぐさ)を持ってきて、腕に山盛りに積み上げるや早速点火(笑)♪


「活火山だよコリャ(笑)…見てろ!今に火が回ってくるから(笑)」
火勢が強まり、煙が上がる。
男、脂汗を流しつつ歯を食いしばる。

「うう(汗)…」
「…灸ぐらいで威張るな、石川五右衛門なんか、油で茹でられたのに平気で辞世の句を詠んでたぞ!」
「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ…ってな!」
「八百屋お七なんか、15歳で火炙(ひあぶ)りだぞ?」

…それに比べりゃこんな物…お七…五右衛門…お七…

ぎゃぁあぁっつ!」

とうとう辛抱堪(たま)らず藻草を払い落とし、なおも「五右衛門んん…」と唸っている男に、友人が意地悪く声をかける…

「五右衛門がどうしたって(笑)?」
「…」
「……」

「………さぞ熱かったろう」

以上、久良岐のよしがお届けしました「強情灸」、楽しんでいただけましたでしょうか?ではでは、次回は護念寺の本院だった円海山、峰の阿弥陀寺と白山神社の記事でお会いしましょう!

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