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蘇州市と言う町を御存知でしょうか?
若い世代は平原綾香の歌う「蘇州夜曲」を聴いた人もいると思いますが、その歌詞の舞台の風流(だった)町です。

蘇州市は約2500年前に造られた都市ですが、昔の名前の方が日本人には馴染みが有ります…

綺麗でしょ?東洋のベニスと欧州人は呼びます。
でも環境汚染が酷くて、夏に成るとメタンガスがボコボコ湧きます。
しかし平江区や滄浪区、上塘街や同里など、古い町並みが残る地区の風景は本当に綺麗です。
蘇州の古い道を歩けば普通にこんな風景に出くわします。

蘇州の昔の都市名は春秋時代の「呉王国」の首都「呉」ですね。
諺(ことわざ)の呉越同舟や臥薪嘗胆は、この町から産まれた言葉です。
昔は孫子の兵法の名軍師「孫武」が住んでいた町です。孫武が使えた主君の呉王夫差(ふさ)が臥薪嘗胆の故事の由来に成った人物です。
ですから夫差の父君の呉王闔閭(こうりょ)の古墳「虎丘」も現存しています。
司馬遼太郎先生も、「街道を行く」シリーズの取材で、この蘇州を旅しています。

三国時代には呉郡と呼ばれた地域です。
三国志で有名な呉王「孫権」と劉備の後妻「孫尚香」の母親の「呉夫人」の出身地である為(ため)、孫権が母親の呉夫人の菩提を弔う為に建立した北寺塔と呼ばれる廟所の望楼(ぼうろう=展望台)も有ります。
※フィルム写真しか手元になくて掲載出来ません!

そんな町なので、蘇州市の中心部には未(いま)だ当時の呉城域を守っていた水堀に囲まれています。
外堀の形が完全に判(わか)るでしょ?
水堀の幅、最短でも実に30mを軽く超え最大幅50m超有ります。
更にその外堀は二重構造に成っており、侵入経路は陸路の城門と別に水門も設けられていました。
旧城域南東部、相王路と言う道の南端と竹輝路と言う道の交差点にある桂花公園に、当時の船舶用の城水門が復原され拝観無料で公開されています。

この蘇州、明の時代まで「美女の産地」としても有名でした。
現代ではブスも…ゲフンゲフンっ=3
美女もいますよ、そりゃ( ̄д ̄;)。
でも蘇州を含めた江南地方は奥さんは家事をせずお姫様みたいに大切にされる地域性なので、家事は旦那様、育児は祖父母がします。
呉王の家系の姓が「姫」氏だったからカカァ天下なんだろうか(笑)?

この町には、漢詩の授業で習う唐の時代の大詩人「李白」が太守(たいしゅ=市長)として赴任していた事もあり、彼が蘇州市園区の金鶏湖に建設した堤(つつみ)は今も現存し「李公堤」と呼ばれる観光名所に成っています。
綺麗な所でしょう?
でも自国文化に興味の無かった中国人、ここや平江区を観光地化再顕彰し始めたのはつい最近です。

この李公堤には、300年以上の歴史の有る蘇州料理の名店「得月楼」の支店が有ります。
店は綺麗だけど…
料理も美味しいけれど…
観光地価格で本店よりクソ高い!
友人と3人で2万円超えた!
本店なら3人で1万円位で良いもの食べれます。
食事するなら余り李公堤はお勧め出来ません!
ちなみに、蘇州料理と杭州料理は合わせて江南料理と呼ばれますが、明帝国初代皇帝の朱元璋がこの地方の建業=南京と言う町を首都にした事から、江南料理が宮廷料理の原型に成ったんだそうです。

もし蘇州で料理食べるなら以下が蘇州名物料理です。
⚫︎松鼠桂魚=白身魚の唐揚げ甘酢餡掛け
⚫︎小籠包
⚫︎茭白肉絲=マコモ茸と豚肉細切り炒め
※マコモ茸が特産品
⚫︎陽澄湖大閘蟹(螃蟹)=陽澄湖産の上海蟹
※上海蟹は蘇州の陽澄湖産が最高級品

で、得月楼の本店が有るのが…
下の写真の観前街。
因(ちな)みに得月楼の他に、観前街には「松鶴楼」など、「老字号」と呼ばれる古い名店がいくつも有ります。
四川料理の「川福楼」も、なかなか美味しいです。

観前街、その町の名前からも何となく解ると思いますが…
中心には仏教と道教の融合した廟所が有ります。
そして、この観前街は位置的にも蘇州市の中心部に在(あ)ります。
この、観前街こそが、小生は位置的にも廟所があり聖地化されている事からも、古代呉王夫差の王宮の所在地だったはずと推測しています。

因みに、この観前街には沢山のチャイナドレスをオーダーメイドしてくれる店が有ります。
シルクが特産品ですからね。
でも!
旗袍(チーパオ)=チャイナドレスは中国文化の衣装ではありません!よ。

セクシーでしょ?チーパオ。
だって、これ、満州族=女真族の庶民の女性が王様を悩殺して妃(きさき)に選ばれる為に作り出した男を口説く為の衣装ですから(笑)。
だから…
ボディコン+深いスリット=悩殺
…のデザインに成ってるんですよ。

この満州族のチャイナドレス、元はこんなエロくはないダボダボの普段着だったらしいです。
それを、清朝の初代皇帝ヌルハチの妃に成った女性が、こんなエロい感じにしたんです。
彼女は庶民だったんですが、ヌルハチの来訪予定をどう知ったかは分かりませんが、このボディコン太もも丸見えドレスを着て、これ見よがしにヌルハチの通り道で労働をしたそうです。
…で、ヌルハチは釣られたと。
この話、聞いた話なので真偽は不明ですが、とりあえずチャイナドレスが華人文化由来で無い事は間違えありません。

でも綺麗ですよね(笑)?
写真はネットからの借用ですが、昔、日本でもデビューしてた中国系アメリカ帰化人で女優の劉亦菲(リウ・イーフェイ)さんです。

チャイナドレスは清楚ってイメージでは無いですね。

本来の華人文化の女性の衣装は、唐装と呼ばれる衣装です。

日本の和服に似てますよね。
でも着こなしが、まだエロいです。
後宮(こうきゅう=皇帝のハーレム)の人達の衣装ですね、この衣装の参考資料。

更に時代を三国時代に遡ってみましょう…


又々、借り物画像で申し訳無いんですが…
写真は三国時代の赤壁の戦いをテーマにした映画「赤壁(レッドクリフ)」で孫権の参謀:周瑜の奥さん「小喬(しょうきょう)」を演じた時の台湾女優の林志玲(リン・ジーリン)さんです。

もう、三国時代に遡るとほぼ和服に近い形状ですよね〜。

日本の時代劇に出て来ても変じゃないレベル。
大和撫子そのもの。
※因みに三国時代の華人は日本文化と同じで椅子を普段使わず床で生活してました。

和服を来ている女性は上品に見えますが…
和服は別の呼び方で「呉服」と言いますよね?

実は日本人が日本独自の文化だと思っている物には、多く中国文化由来の物が有ります。
例えば「琴」ですが…
これは、そのまんま中国の古箏(グージェン=古式の琴)です。
そして神前で奏でられる雅楽の竜笛や笙や太鼓でさえ中国の楽器です。
ですから本当に和楽器と呼べる物の中には実は多くの中国楽器が含まれています。
しかし、日本に残り中国で滅んだ華人文化も多いはずです…
唐装や礼儀や床上での生活様式の様に。
何故ならモンゴルや清朝の様な異民族に支配される度に華人文化は少しづつ放棄され、極め付けは文化大革命で前文化は抑圧されましたから。

和服は中国大陸が漢帝国だった頃の衣装に似ていますが…
実は昔、日本は絹織物を中国大陸生産の輸入品に頼っていたんです。
その輸入品産地が現在の中国江蘇省蘇州市なんです。
…つまり日本は北九州に在った委奴=伊都(いと)国もしくは奴(な)国の王が帥升の頃〜平安時代の初めまで、この蘇州一帯の絹織物を輸入していた訳です。
蘇州は今でも絹織物の産地ですが、日本でも当時〜日本の戦国大名の大内氏による中国交易の中心だった山陰山陽地方を今でも「中国地方」と呼び…
三国時代に呉からの亡命者を受け入れた町が「呉(くれ)市」と、その地名にも歴史背景が滲み出ています。

更に日本神話の天孫降臨の聖地高千穂の在る宮崎県には夫差の子孫と言う呉太伯の墓と呼ばれる場所が有ったり、鹿児島県には呉太伯を祀(まつ)る鹿児島神宮が有ります。
もしかしたら、呉→台湾→日本ルートで来日した呉太伯のモデルがいて、神様の中の1人くらいは夫差の子孫がいて稲作や金属加工を日本に伝えていたかも知れませんね。

ところで、蘇州は独自の文化芸術があります。
昆曲と評弾(ぴんたん)と呼ばれる芸能です。
写真は評弾を演じている所です。
評弾と言うのは日本の落語の様な内容の古典小噺(こばなし)を、楽器を演奏しながら蘇州語で歌う芸術です。
…小生は好きなのですが、中国の若者は口程の愛国心も郷土愛も文化意識もなく、聴きに来るのは地元の御老人ばかりでした。
評弾は観前街や同里、十全街の茶館か、平江区の戯曲博物館で聴く事が出来ます。

本来、蘇州は風流で良い文化が有るのにな〜。
…もったいない。
蘇州・無錫・上海一帯は点心も有名で小籠包も美味しいのにな〜。
餛飩(ホンドゥン=雲呑(ワンタン))も名物。
お勧めの店は「熙盛源」。
十全街と鳳凰街の十字路近くに在ります。
1人500円位で極ウマ小籠包がお腹いっぱい食べれます。
因みに本店は「無錫旅情(むしゃくりょじょう)」と言う曲で、年輩世代は知ってる人も多い蘇州の隣りの無錫市に在ります。

しかし、蘇州文化と風景と食事は日本人に合っていて、経験者として旅行先に推薦できます。
ま〜日中関係クソ悪いし、三国志や華人文化も好きな小生でも中国政府は胸くそ悪いですが…
もし中国旅行に行くなら蘇州は良い所ですよ〜と言う紹介と、日本と関係している文化歴史の紹介でした!
上海からも動車=パクリ新幹線で30分だから上海とセットで旅行出来ますしね〜。

では、又、次のブログ記事でお会いしましょう♫