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休日雑記 2017年06月24日の訪問先その①・・・【横浜市栄区~鎌倉市~藤沢市】JR大船駅~湘南モノレール江の島駅~レザークラフトすずき~江島道標~岩本楼
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コレの続き。
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前回、江ノ島の鳥居をくぐった直ぐ近くに有る旅館、岩本楼が明治時代まで江ノ島神社を含めた欽明天皇以来の天皇家の聖地としての江ノ島とその洞穴の管理を任されていた別当寺の‟岩本院”と言う寺院が前進だった事、明治以降に廃仏毀釈で旅館に転業し岩本楼と言う立派なホテルに成った事、そして岩本楼様の御厚意で宿泊客ではないのに資料館を見学させて頂き、又、昔の話もいくつか伺った事を書いて記事を一区切り着けた。
・・・現実社会での仕事が忙しく、そこから記事更新に10日間近く開いてしまったが、今日はそこからの続き。
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岩本楼さんの門を出て江ノ島神社の参道に復帰する。
すると目の前の階段の先に真っ赤な江ノ島神社下社の明神鳥居と唐様式の瑞心門が見えて来る。
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ふむ、美しい。ここに来ると一層「江ノ島に来たぞ~!」と言う感じに成る。
江ノ島神社の御祭神は恐らく最初は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)=宇賀神だったはずだ。
そこに源頼朝公によって、宇賀神と同一視された弁才天様が祀られ、江ノ島弁才天として有名に成った。
弁才天様は名前が御神威を中国語訳した名前で、本来は一部分が仏教の元に成った古代ヒンドゥー教の神様サラスヴァティー神だ。
大変に美人な神様で男の神様からモテモテだったので江ノ島神社は女性にとって縁結び、もとい女性的な魅力の向上の御利益が有る訳だが、それよりも本来は水神様、軍神、音楽神そして財神としての性格が強い神様だった。
・・・まぁ、こんな女性が奥さんだったら良妻賢母間違い無いだろうが釣り合いの取れる旦那様はヒンドゥー教でサラスヴァティ神の旦那様とされたシヴァ神こと大黒天様みたいに最強最高の喧嘩の強さと社会的な強さを兼ね備えた完全無欠の男性じゃないとダメなんだろう。
・・・はい、小生は弁天様みたいな女性の旦那様に成る資格落第ぃ~(笑)。
源頼朝公 拝借画像 久良岐のよし
まぁ、そんな弁天様なので水神様と同時に軍神として特に源頼朝公も信仰した訳だ。
ついでに宇迦之御魂神=宇賀神様は御稲荷様の神様として存続している。
そもそも古代人にとっての財産は飲んでも病気に成らず夏にも枯れない水源だった。だから宇賀神様が湧水地に祀られた。
弥生時代~古墳時代に成ると農耕が全国に普及し豊かさの象徴が米に変わった。だから宇迦之御魂神に倉稲魂神(うかのみたまのかみ)の字が当て嵌められた。
そして更に平安時代末期に成り貨幣経済が導入されて豊かさの象徴が「金銭(きんせん)=貨幣」に成ると、財神で水神としての弁天様が倉稲魂神様に習合された。この段階が源頼朝公達の頃の話し。
ところが明治時代に成ると、森有礼等のキリスト教に改宗したりイギリスやら欧米列強の影響を受けた明治の政治家達がプロテスタントを模した国造りを進める中で、日本の宗教改革もとい弾圧を始めた。
神仏分離令と廃仏毀釈だ。
宗教改革と言いながら、アジア由来の仏教を弾圧し日本古来の神様と無理矢理切り離してしまった訳だ。
そして明治に正しい神仏分離に失敗し、弁天様は壱岐嶋媛(いちきしまひめ)の女神様が水神だったので、日本の神様の名前に変える為に歴史を知らない宗教改革者によって宇賀神では無くて壱岐嶋媛命とされた。

日本が有史で仏教を導入したのは西暦600年前後、しかし実際は応神天皇こと大鞆別命(おおともわけのみこと)は神託で自らの別名を“八幡大菩薩”と名乗っており更には、その皇子の菟道稚郎子(うじのわけのいらつこ)命が日本で最初にアジアの学問を導入した事が知られている事から、西暦300年代には既に日本の神様の中には大陸から移住して来た人と供にインドや中国から大陸の神様も日本に移ってきて日本の神様と仲良く祀られ、そして日本の神社様式で正しく祀られていたり、奈良時代にも成ると御寺でも日本の神様も大切に祀られていた訳だ。
ところがプロテスタントは一神教であり救主キリストを生んだ女性マリア様を崇拝する宗教だ。だからか知らんが明治の浅はかな宗教改革者は本来は地位の序列等無い日本の神様、それぞれの個性を尊重し得手も不得手も有る神様達、助け合ったり喧嘩したりする日本の活きた神様を女性の太陽神である天照大神を頂点として再編成してしまった。
これは天皇家の祖先神なのでやむを得ない事なのだが、本来は大祓(おおはらえ)の祝詞(のりと)でも、古事記でもそうである様に国を生んだ神様は伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)だった訳だ。
その宗教改革のどさくさに紛れて明治政府は神社や御寺の収入源だった田畑や町の土地を没収し、結果的に神社も御寺も荒廃してしまった所が非常に多かった。特に神社は遷座(ぜんざ=神様の引っ越し)・合祀(ごうし=他の神様の神社に同居させる)の名の元に社殿を破壊され永久にこの世から失われた場所も多かった。
もっと酷いのは宗教改革をする立場の人間が神様の習合(しゅうごう=他の神様と同一視される事)の経緯を知らず、全く見当違いな神様を仏教と神道の分離時に海外の神様を日本の神様の名前に戻すのでは無く変更してしまった訳だ。
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現在の江ノ島神社は宗像三女神が御祭神とされるが、これは日本の天皇家の歴史の2600年の日本の歴史の中で明治以降のたかだか200年足らずの明治政府が唯一失敗した宗教改革の浅い間違った歴史でしかない。
本来の弁才天様の前身の神様はインドのサラスヴァティ神だが、日本では宇迦之御魂神に習合されている。だから日本全国の洞窟の湧水地に祀られていた宇迦之御魂神の神社に、弁財天様も祀られる様に成った訳だ。だから神仏分離を行うのであれば実際は弁天様は宇賀神に名前を改めなければいけなかったのだが、そんな事すら明治に宗教改革の名の下に多くの神社仏閣の規模を縮小させ、本来は自然崇拝の聖地と一体の神社をキリスト教の教会の様に神社の建物と十字架の代わりの鏡(かがみ)を拝む宗教に改革してしまった訳だ。
そもそも御神鏡が日本に最初に来たのは卑弥呼の時代、三国時代の中国の魏帝国からの下賜品が送られて以降でしかない。まぁ、古代豪族と直結した格式高い神社に鏡が祀られているのは、その神社の有る場所に宮殿を置いていた古代豪族が邪馬台国に直結した古い場所だとの証明に成る訳だが、そこから既に海外の影響を排除しきれていないし文化から海外の影響も受けながら発展して来た日本の歴史を切り離せていない。
ハッキリ言って中途半端で詰めが甘い。だから森有礼は不敬な人間で中途半端で、日本神道を利用して別物に作り替えようとしてプロテスタントの意識が抜けきれずボロが出て、伊勢神宮の社伝に靴を履いたままで土足参詣して保守派に切り殺された訳だ。
プロテスタントも素晴らしい面が有るが、彼の場合、プロテスタントを政治利用して己の思うが儘に文化を変えたのが天罰を受けた原因だろう。
因(ちな)みに森有礼等と異なり伊藤博文公は横浜市金沢区野島の金沢別邸で大日本帝国憲法の起草をした際に、二宮町の延喜式内社の二宮川匂神社や、金沢区の寶勝寺等を参拝しており古来の日本の宗教文化を大切にされていた。

日本の神様と仏教の仏様とインドの神様が仲良くしてからの歴史は約1700年、天皇家の2600年の歴史の中でも大半を占める。これを無理に引き剥がす理由は「西欧化」を目指した事以外に無い訳だ。
実際、明治以前は日本の神道も偶像崇拝の場所も多かった。仏像の様に御神像を御神体として祀っていた場所だな。鏡ではなくて。
所が明治以降、その御神像は日本社会から一斉に消えた。偶像崇拝を禁止するプロテスタントの影響をモロに受けた森有礼等大悪人達の所業だろう。
消えた御神像はどこに行った?転売されて利権に成ったよな?
もしくは心有る宮司様は御金を払って知り合いの御寺に管理を御願いして神様と「さようなら」する羽目に遭った訳だ。
だから言う、日本の宗教は江戸時代の価値観に戻すべきだ。
但し条件付きで、「本地垂迹」等とアホらしいどっちが上位かと議論する輩は僧籍も神職も取り上げてしまえば宜(よろ)しい。どっちも裏でどっちも表。もしくは別々だけれど一緒に祀るそれで良い。
大切な事は神様は日本文化に従って日本の神社様式で祀る事、御寺では仏様と同じ様に昔の和尚様達の様に仏壇に御祭りして御経をあげて庶民と世の中の平安を祈願して頂ければ宜しい。
そう、個人的に思う。
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さて、そんな事も有ったが江ノ島神社は日本古来の伝統を守り宇賀神様と弁天様を別々にしたがちゃんと両方とも大切に残された。残した上で明治政府の宗教改革者の不見識も飲んで、ちゃんと日本の古い神様として水神様としての宗像三女神様達を御祭した訳だ。
だからね、江ノ島神社の弁天様は仏教の法具を持ってらっしゃるんです。昔のままね。
こんな江ノ島神社、歴史を知らないネトウヨと新宗教にまみれ保守派に似て非なる右翼の石原慎太郎達の所属するカルト団体は江ノ島に来たら発狂するんじゃないかと思う(笑)。
しかし、ここはそんな偽保守派を頭から叩き潰す事の出来る歴史偉人が愛した場所で、日本を守った明治の元勲達が森有礼達とは異なり古来の価値観を大切にして来た事を知る事も出来るんだな。
児玉源太郎
ここは初代台湾総督を務めた児玉源太郎先生が愛した場所で、対ロシア戦略を練った島だった。
江ノ島の文化と風景と食べ物が大変に御好きだったそうだ。
台湾の初代総督も務めた方なのだが・・・
没後も台湾の人々から尊敬され、台湾の人により児玉神社が開かれ江ノ島から日本人を見守って下さっている。
今の石原慎太郎をはじめとした一派の自称保守の偽保守はハッキリ言って浅い。
奴等は西南戦争を起こした西郷さんや京都の文化財や天皇家を守った新選組の近藤さん達、幕末英雄の面々が既に明治天皇に赦免されている事すら知らずに「現代で罪を許し靖国に祀る云々・・・」あのな、明治天皇に許されていて、日本の為に命を落とした人も、敵国人で勇敢に戦った人も、あらゆる犠牲者も靖国に平等に祀られているんだからとっくに明治天皇に功績を認め許された時点で靖国に合祀されているんだよな、近藤さんも西郷さんも。もしされていないのなら、靖国の存在意義に疑問が出る訳だ。
そもそも児玉源太郎先生は日本文化も西洋文化も優れた物は隔(へだ)て無く愛された訳だ。
さて、そんなこんなで江ノ島は児玉源太郎先生が愛した場所なのだが、現代ではシラスが江ノ島や湘南の名物として有名だが当時~昭和初期まではサザエが名物だった。
そして明治時代に登場したのが親子丼、親子丼とサザエを合わせた名物が江ノ島の名物だったのだが、これはもう少し後で実物の写真を御店したいと思う。
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江ノ島は5ヵ所の聖地霊場から構成されている。
辺津宮・・・恋人達で賑わう一番神社らしい場所、ここで御朱印も頂ける。弁天様を祀る御堂も在る。
中津宮・・・慈覚大師が造営した御堂が前身。とても彫刻の綺麗な場所。
奥津宮・・・本宮。八方睨みの亀の天井絵や、源頼朝公奉納の石鳥居が現存する。
龍宮(わたつみのみや)・・・龍神を祀るとされるが綿津見大神の事、神話では素戔嗚命(すさのおうのみこと)が海の統治を任されている事や素戔嗚命の御神孫の安曇一族の祖先神が綿津見大神とされ、その前身が五十猛(いそたける)神なので、五十猛神の別名と考えた方が自然だろう。
岩屋・・・そもそもの江ノ島神社の始まりの聖地。ここを天皇家の勅願所に欽明天皇が定めた当時は神社は存在せず、洞穴そのものが聖地だった。海辺の洞窟にも関わらず飲用に耐える清涼な清水が湧き出る聖地。
・・・史実を元に話すと、大体そんな感じだな。
瑞心門を抜け、石像の弁天様の前の階段を過ぎると辺津宮の手水社が在る。

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石灯籠がとっても立派!欽明天皇、そして源頼朝公、北条時頼公、北条時宗公、そして戦国時代の北条氏康公が参詣して不利な合戦で奇跡の大勝利をした御利益に預かる人が鎌倉時代から絶えないので経済的にも豊かな神社として存続出来た訳だな。
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今回の辺津宮訪問は初夏の6月末、既にとても多くの人で賑わっている。
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辺津宮を正面に向いて右手に社務所が有り、そこで御朱印を頂ける。
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2種類有って、聖地としての江島神社の御朱印、そして昔は岩本楼が祀っていた弁天様の御朱印。
小生は両方拝領する事にした。
江島神社の御朱印を延喜式内社・式外社専用の御朱印帳に、弁天様を御稲荷様やなんかの御朱印帳に頂いた。
待つ間参拝・・・
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流石、弁天様を本来祀る神社だけあり、欄間には素晴らしい弁天様や天女達の彫刻。
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良く見ると彩色の名残が有るので、昔は朱・青・金等に彩られた極彩色の神々しい彫刻だったんだろうか?社殿は比較的新しく見受けられる。恐らく昭和の再建か改修が入ってるだろう。
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参拝を終えると御朱印も書き終わっていたので受領し、頼朝公が岩屋に祀った八臂弁財天様を拝みに弁天堂へ移動。
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写真撮影は出来ないので外観だけ。この中には文化財の八臂弁財天様と女体の弁天様像が鎮座している。
江島神社に来てココと洞穴を御参りしないのは全く意味が無いのと同じ。
ちゃんと御参りし、弁天様と、弁天様を信仰した頼朝公にも毎日御守護頂いている御礼を告げた。
弁天堂を出て山頂を目指す道に行くと直ぐに八坂神社が有る。
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余り大きくは無いが、町の中に在ったら普通に立派な規模に入る社殿だ。
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素戔嗚命が御祭神の神社、やはり海の神様なので江ノ島の漁民から崇敬を集めたようで、廃仏毀釈の影響もなんのその、牛頭天皇としての素戔嗚命を祀る天王祭りが今でも行われているそうだ。
これは尾張の津島大社と同じだな。
織田信長公
余談だが織田信長公の祖先は福井県劔神社の宮司家で代々、牛頭天王こと素戔嗚命を御祀りしていた事は小生のブログ読者の方々は既に知っていると思う。
だから尾張の津島大社の祭礼に、若い頃の信長公は飛び入り参加して庶民と一緒に踊ったり家臣達と笛を吹いたりして農民や町人と友達の様な関係を築いていたそうだ。
何とも、庶民を愛した信長公らしい逸話だ。
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八坂神社を後にして先に進む・・・
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・・・すると今度は秋葉社と稲荷社が合祀された御社が在る。
う~ん・・・弁天様と同一視されていた御稲荷様が更に別の御社にいらっしゃって各時代の変遷関係無いけど、これはこれで個性が有って良いかな。秋葉社は秋葉権現と呼ばれた火事除けの神様だな。軍神としても信仰された神様だ。
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これは南宋の文化人が寄贈した石碑らしいのだが、数百年の経過により字が磨滅して読めなかった。
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説明は有るので参考にすると良いかと思う。
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現代の石碑。
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猿田彦大神。山の神様。
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これを石碑に揮毫した阿部石年さんは儒学者で書道の名人でもあったらしい。良く知らん。
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江島神社のザックリした道案内が弁天様の琵琶に成っていて可愛かったりする。
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参道には紫陽花が咲いていて6月24日当日は見頃だった。まぁ、本来の目的は江ノ島の岩本楼と江島神社散策の後に鎌倉の長谷寺で紫陽花見物だったので、時期的には綺麗で当然だな。
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あと小さい花壇も有った。
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そうこうしていると中津宮への階段を上がり、大きな石灯籠が見えて来て、中村座の字が掘られている。ふむ、これが中村勘九郎さんの御先祖様が奉納した物なんだな。江戸時代の立派な灯篭。
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小生は辺津宮よりも中津宮の方が落ち着いているし神社らしい神社で好きだ。
ここでは結婚式も挙げられるそうだ。江ノ島は旅館も有るし観光地として有名なので、地方から友達や親戚を招いて江島神社で結婚式やって旅館に皆で泊まったら良い思い出に成りそうだな。
きっと、そうやって幸せな夫婦に成り添い遂げた男女も多いだろう。
そんな幸せを御裾分けして頂ける場所な訳だ。
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美しい恋したい・・・目下、独身の小生を代弁する言葉だが小生は美しくないので慎ましく幸せに恋したい(笑)。
中津宮を過ぎて山を登ると山頂のサムエルコッキング園と展望台。
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恋人達の聖地だ。小生には関係ない(笑)のでスルー(笑)。
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暫く行くと下り坂に成るが、この一角には多くの民宿や旅館、食事処が有って面白い。
妹が愛媛県松山市でまだ大学生だった頃、妹が友達を連れて帰省した際に二人をここに連れて来てあげたのを思い出し、当時食事した店を探す事にした。
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階段降りて直ぐ見つかった(笑)。
海花亭さん。ここで昔からの名物の江ノ島丼や現代の名物のシラス丼、他にもお刺身や色んな和食を食べる事が出来る。
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確か旅館もやってらっしゃったと思う。最初に来た時は浴衣の宿泊客がいたから。
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ここは展望席が有り涼しい浜風に当たりながら食事が出来て気持ちが良い。
小生は当然、江ノ島丼を注文。
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まぁ、最初の方で書いたけれども、江ノ島丼と言うのはサザエの卵とじ丼の事。
江戸時代~明治時代~昭和初期、まだまだ鶏卵は庶民は普段口にする事の少ない滋養強壮の食べ物だった。それに明治生まれの親子丼と江ノ島名物のサザエをアレンジして出来たのが江ノ島丼な訳だ。
きっと味は皆さんの想像通り・・・
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・・・親子丼(笑)。でもサザエ。
因みにサザエやカタツムリなんかは滋養強壮勢力増強の効果が有るので、卵と合わせて江戸庶民や明治の人々にとっては体力の付く食べ物だったんだろう。
現代人の小生には身近な味付けの食べ物だが。
きっと児玉源太郎先生も旅順攻略の作戦を立てながら、この江ノ島丼を食べたりしたんだろう。
同じ物を食べられたかも知れないと思うと何だか嬉しい(笑)。
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展望台を見上げながら清々しく食事をさせて頂きました。海花亭の皆さん、ありがとうございました!
海花亭を出ると横に御寺が在る。
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江ノ島大師、最福寺別院、真言宗。まぁ、近年の造営なので歴史は浅い。岩本楼が修験道寺院を止めて久しいので、修験道と関係の深い真言宗の寺院が開かれたのだろう。
そこの前を通り過ぎて注意しながら道の脇を見ていると、宗教史跡が有る。
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時宗を開いた一遍上人の所縁の場所。
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この付近は頂上で海辺の岩屋の水を汲みに行くのも不便だったのだが、一遍上人が井戸の水脈の掘りあて島民の生活を助けたそうだ。
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ふみ、庶民を助ける事を実践された素晴らしい逸話だな。
今回、改めてこうやって全ての石碑等を見て回ると時間が経つのが早く、実は島を離れるまで4時間位江ノ島の中を歩き回っていた様だ。
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更に先に進むと山二つと呼ばれる景勝地に出る。
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実はこの下にも古代からの霊場が有るのだが、降りる術が見つからない(笑)。
仕方が無いので先に進む。
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江戸時代からの鎌倉名物の女夫饅頭(めおとまんじゅう)の店が今でも沢山有る。
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そして又、宗教的な史跡。
今度は木食上人の所縁の場所。木食上人は真言宗の僧侶で法名を行勝とおっしゃった。
台風や長雨を止める祈祷等を得意としたそうだが、要は農民の味方、精神的な支柱だった人物な訳だ。
当然、祈祷をする以上、日本の神様への知識も深かっただろうし、だからこそ水に纏わる江ノ島の霊場に修行に来ていたのだろう。
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帰りに行こうと思って行くの忘れた(笑)。
この近くに凄い種類が豊富なソフトクリームの店が在った。
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これ、カップルならシェアして食べたら良い思い出に成りそうだ。
・・・ワサビ味とかシラス味は御免こうむるが(笑)。
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そして、もう一つ文化財。
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サルが沢山彫刻された珍しい庚申塔。
普通は見ざる聞かざる言わざるの三猿と、何か仏様や神様が彫られているんだけれど、ここは猿が沢山で可愛らしかった。
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謂(いわ)れは良く解らないらしい。
奥津宮に辿り着くと紫陽花が綺麗だった。
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もしかしたら長谷寺に間に合わないかも知れないので、ここで紫陽花をジックリ見学して置いた。
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健気に咲いてカップルを楽しませていた。偉いな君達。小生は中々人の役に立つ事を出来ず自分に不甲斐無さを感じる事が多いんだよ。君達は存在するだけで偉い。
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ふむ、心を癒してくれた紫陽花君達、ありがとう。
この場所が奥津宮の参道、神社の最深部の入口となる。CIMG4351
そして、この石の鳥居が源頼朝公の建てた物だそうだ。良くも応長の大地震、明暦の富士山噴火、関東大震災を乗り越えて現存していてくれた物だ・・・。
その手前右側に石碑が有る。
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字が摩耗して読めね~。
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ので看板を見てね(笑)。
その近くに亀石と言う名石がある。これも宝物の一つだ。CIMG4356
今は木に埋もれているが、これが鎌倉十石の一つに挙げられた名石らしい。
確かに亀に見えるんだな。これが天然の造形だから価値が有る訳だ。
その左手前に力石が有る。
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古い神社には良く有るのだが、昔の力持ちがこれを持ち上げて力比べをしたんだな。
多分、現代人の中で可成り力の有る小生でも持ち上がるかどうか。
実は江戸時代の人の男性平均身長は150~160cm程度。しかし飛脚の人達や肉体労働の町人の幕末の写真を見るとビックリするのだが、誰も彼もがプロレスラーの様なガタイをしている。
有名な話だが、武士は絶対に火消しやなんかに喧嘩を売らなかったそうだ。絶対に負けるから。
江戸時代当時の武士は既に官僚化が進んでモヤシが多かったそうだ。刀を抜けば殺人未遂だし、当時は士分は庶民を守るべき立場だったので庶民を傷つける事は実は当たり前なのだが許されなかった事を知る人は少ない。切り捨て御免なんてのを信じている奴はド阿呆で、武士側に落ち度が有れば普通に犯罪が成立する訳だ。
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そして山田検校の碑。
これ、①の記事で紹介した江戸時代の針治療のお医者様だね。江戸時代の名医らしい。
そしていよいよ奥津宮。
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明治以降の説明に価値を感じない小生。その前の1000年間の江ノ島の歴史の方が大切。
とは言え、宗像三女神様達も海上交通の安全を守って下さる大切な神様なので、ちゃんと御参りして来た。
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ここは拝殿の屋根に文化財が有るので絶対に御参りして天井を見上げて欲しい。
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八方睨みの亀。
ガメラみたいだ・・・
奥津宮の少し先に龍宮が在る。
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どうやらこの祠の真下が、江ノ島の古来からの聖地の洞窟らしい。
ここ自体は新しい礼拝所で、小生は特に・・・
御参りは外から拝んで岩屋を目指して先に進む事にした。
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にゃ~ん♡
江ノ島は島民に愛される猫ちゃん達が多くて癒される場所でもあるんだにゃ。
今回も歩く先々で猫ちゃんにモフらせて頂いた♡
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人懐っこい♪
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どの子も肥えとる(笑)。
それだけ可愛がられてるんだろう。
さて!
神社としての江ノ島はここまで、ここから先は原始宗教に繋がる岩屋部分、続きの③の記事で又、紹介します~♪
→その③

今日は休暇とってるので夜はユックリ某所旅館で過ごしながらブログ書きます。





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北鎌倉駅の真横に香下庵と言う、元々は茶室だった場所を茶店に改装した軽食甘味処が存在します。
先日、東慶寺と圓覚寺に観梅に行った際に・・・
「せっかく北鎌倉に来たのだから北鎌倉発祥の“けんちん汁”を食べて帰りたいなぁ~」
・・・等と思いながら歩いていた所、店頭に美味しそうなけんちん汁とデザートのリンゴのコンポートの1000円のセットの写真に魅(ひ)かれて入店して見ました。
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この狭い歩道を挟んで直ぐ店舗。
茶室だった部分を改装して店舗にしてるのですが、目の前が北鎌倉駅で横須賀線の往来を庭の梅の木越しに見る事が出来て、凄く旅行に来た気分に成ります。
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料理を待つ事暫く、期待通り、綺麗な盛り付けのリンゴさんと蕨の煮物の小鉢、そして焼餅の入った❝けんちん汁❞が来ました。
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見た目も綺麗でしょ?
食べた小生の感想として、この香下庵サンのけんちん汁は過去最高レベルの美味しさでした!
味が良く沁(し)みてとても美味しい!
そしてリンゴのコンポートも優しくとても美味しゅうございました♪
昼食としては男性には少な目かも知れ前んが、他にもアンミツや御団子も有るので甘味類を追加注文すると御腹一杯に成るでしょうし、一般的に旅客は鎌倉駅に移動して小町通りで食べ歩きしたりもするでしょうから、本当に旅の軽食としては持って来い、しかも鎌倉名物の料理を食べれて嬉しい御店ですね!
※ただし注意!
この❝けんちん汁❞は冬季限定だそうで、初春の頃、もうすぐ期間終了だそうです!
ですから、召し上がりたい方は梅の咲いている内に北鎌倉を訪れて、事前に電話連絡で食べたい事を伝えて有無を確認した方が良いと思います。
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ところで、食事の席から見た風景はこんな感じです。
梅の花の向こうに北鎌倉駅と東海道線の線路が見えます。
本当に旅をしに来た感じが味わえますよね~♪
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まぁ・・・
小生は横浜と鎌倉の境目に住んで居る上に、月に4度は古書を閲覧しに鎌倉の神社仏閣や周辺の図書館や博物館を訪れているので、毎週が鎌倉旅行状態なのですが(笑)。

でも、こうやって何となく季節の変わり目を感じられて、鎌倉市から遠方の人も近くに住む人も分け隔てなく癒してくれる仏様や神様と自然の風景と人の作った日本庭園の美しさを享受できるんです。
・・・これだけでも幸せだと本当に思います。
こういった文化と史跡を残して下さった明治時代以前の先人の皆さん、ありがとうございます。
そして、神社仏閣と自然の保護に努めて下さった歴代宮司様、和尚様、氏子サン、檀家さん、ありがとうございます。
源頼義公、義家公、義朝公、頼朝公、頼家公、実朝公、そして足利家鎌倉公方歴代将軍様、戦国時代の北条家の殿様方と配下の武将の皆様、徳川秀忠公、本当にありがとうございます。
皆さんの御蔭で現代人も心を休める事が出来ます。

そして、香下庵の女将さん、美味しい御雑煮風のけんちん汁、ありがとう!
出来れば・・・季節限定じゃなくて一年中食べたいなぁ(笑)。

香下庵茶屋
住所:〒247-0062 神奈川県鎌倉市山ノ内492
電話:0467-25-0411
香下庵茶屋場所 久良岐のよし
北鎌倉駅裏手、徒歩1分。円覚寺参道踏切を渡って左手。

2016年6月18日
休み恒例の仕事明け、郷土史雑誌の原稿PCで書き書き徹夜…...
恒例の寝ずに朝からお出掛け。
横浜

首都高速

江戸の下町の深川(江東区平野)に移動。
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日蓮宗の妙栄山本立院を訪問。
この御寺は日本人なら高校で勉強する江戸時代の地理学者で樺太探検で有名な「間宮林蔵」公の菩提寺。
間宮家の顕彰活動の一環で御住職様に面会。
ついでと言う訳では無くて、面会の際に御朱印も頂いた。
本立院に寺号が無いのは、この寺院はそもそも近在する大寺院の浄心寺の塔頭だったからで、寺院としては新田(称:清水)秀純公により開基された。
間宮林蔵公の御廟所は御寺から徒歩5分程離れた場所に在る。
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これは、本立院や浄心寺が本来の場所から移転して来たらだ。
元々は永代橋の傍に所在したそうだ。
浄心寺が先に幕府によって現在地に移転され、残った本立院も明治政府によって現在地に移転させられた。
寺域に広くはなかった。だから寺院その物と寺域が離れた飛び地に成っている訳だ。
しかしながら、間宮林蔵先生の御廟所は大正時代に政府によって改めて史跡認定を受けている。
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まだ東京都じゃなくて東京府だった時代だね。
和尚様はとても親切で笑顔の素敵な方でした。色々と親切に御教授下さいました。
因みに、元の寺院の在った永代橋付近の位置関係を再確認。
これを見ると、元々、この本立院の在った永代橋周辺は越中島が近いのが解る。
深川周辺
実は越中島に住んでいた榊原家の殿様は、間宮林蔵先生と遠縁の親戚に当たる。
杉田間宮家から榊原家に嫁いだ姫様の子が榊原越中守その人なのだ。
そして、この地域には間宮林蔵先生の邸宅もこの周辺に在り、林蔵公の師である伊能忠敬先生や佐久間象山先生等、幕末に活躍した人々の御屋敷がこの一帯に在った。
因みに本立院を開基した人物の新田秀純公は、徳川家が自称「新田家の子孫」だったので、徳川家に気を使って新田姓を名乗らず母方の清水姓を名乗ったそうだ…
清水と言えば小田原城を本拠にした戦国大名北条家の重臣の姓だ。
間宮家も同じく北条家臣、これは偶然の一致ではないだろう。この一帯には旧北条家臣団が多く住んでいた様だ。
伊能忠敬先生の弟子の中で際立って優秀だった人物が二人いて、一人が間宮林蔵先生、もう一人は高橋景保先生。高橋家も恐らく旧北条家重臣高橋家の子孫に当たるのだろう。
この地域は凄い…
ここに住んだ偉人は松平定信公、鶴屋南北先生、滝沢馬琴先生、市川団十郎…
幕末は伊能忠敬先生、間宮林蔵先生、佐久間象山先生、伊東甲子太郎等。
もう、江戸時代後期は深川を中心に回っていたと言っても過言じゃない。

その深川の偉人達の足跡を辿(たど)る為に深川江戸資料館に移動、見学。
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ここは下町深川の江戸文化と相撲文化を伝える場所。
何故相撲かと言うと、江戸三大相撲と呼ばれた江戸時代の大相撲の一つが深川地域の富岡八幡宮で開かれていたからだ。
ここの博物館は小規模だが素晴らしい…
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人物解説は歴史入門者にも解り易い展示の仕方。御洒落だ。
何よりも素晴らしいのは…
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施設内に江戸時代の下町深川が再現されていて…
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実際に建物に入って展示物に自由に触れて良い。
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庶民の文化が良く展示されている。
これは立ち食い蕎麦の屋台で、御蕎麦屋サンはこの担げる屋台で夜店を出した。
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庶民の家や商家にも靴を脱げば上がり込んでよい。
縁側から裏庭を見たりも出来る。
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江戸の古地図も展示してあり、解説員の方は江戸時代全般の江戸の民俗や地理、深川の歴史人物の事は結構詳しく質問しても答えて頂けた。つまりボランティア解説員の方々の知識は結構詳しいレベル。
無論、歴史については小生の方が詳しくたまに質問の回答につまってらっしゃったが、解説員の方の方が江戸の町には当然詳しく、例えば上の写真の四角で囲まれたのが吉原(遊郭)で、その四角い囲いが当時は水掘りだった事等を教えて頂けた。
小生、遊郭の場所は知っていたけれど水掘りで囲まれていたとは知らなかった。
小さい博物館だったが、とても有意義な時間を過ごせた。そして結構、拝観者が多い事も意外だった。
因みに、この日は無料の落語講演も有った。

博物館を出たら御腹が空いたので食事をする事にした。
深川と言えば❝名物は深川飯❞なので、店を探したら深川江戸資料館の周辺に3軒も深川飯専門店が有った。
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小生が選んだ店は比較的入り易そうな❝深川釜匠❞と言う店。
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深川セットと言う名前だったと思う…
名物の深川飯と深川丼の両方が出てくるセットを食べた。
アサリで炊いた深川飯とアサリ汁かけた深川飯の丼ぶり深川丼が予想を上回って美味かった!
もっと生臭い香りを想像していたがとんでもない!
香りは釜飯の香ばしさが立ち、そして旨味がスンゴイんだよ!又食べに来たいと思う一品。

歴史で学ぶ寛政の改革を行った「松平定信」公の菩提寺、霊巌寺で御廟所と御本堂を御参り。
霊巌寺は深川江戸資料館のすぐ隣り。DSC_2610
松平定信公の御廟所は中には入れないが門の外から見える様に成っていて誰でも外から御参り出来る。
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定信公に御参り出来て光栄です。
この日は間宮林蔵先生と松平定信公と言う日本の為に偉大な功績を残した御二方に御参り出来て非常に充実出来た。
御参りの後、御朱印を頂いた。ただ、御朱印は御住職のいらっしゃる日にしか頂けないらしい。
ここは他にも江戸六地蔵と言われた地蔵菩薩も有り巡礼者も多い。
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銅製で珍しい。

深川の富岡八幡宮へ移動。
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ここが江戸三大相撲の一つだった史跡は残っていない。
同じく江戸三大相撲の一つだったのだが、小生が蒔田吉良家の顕彰活動で御世話に成っている世田谷八幡宮。
世田谷八幡宮には江戸時代からの土俵が現存していて、現在も奉納相撲が行われる。
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…日本人の中では身長体格ともに大柄な小生、しかし、この横綱の方が手も遥かに大きい。
この様に、史跡としての土俵等は残っていないが、歴代横綱に関する身長やなんかの記録が石碑に刻まれている。
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深川の富岡八幡宮、前に横浜市金沢区の富岡八幡宮の解説で書いたが、元々は横浜の金沢区富岡に鎌倉時代、源頼朝公が神戸の西宮から蛭子様を勧進した神社が本社だ。
横浜の富岡八幡宮は応長の大津波が発生した際に、神社の背後の村が無事だった事から波除八幡の名で有名に成った。江戸時代の深川は高潮が大敵だったので、江戸の庶民がこの逸話から、横浜より富岡八幡宮の御分霊を頂いて深川に勧進されたのが始まりだ。
もっとも東京の人は、この立派な深川の富岡八幡宮の由来を知る人はいないだろう。
この富岡八幡宮の境内社に七渡弁財天がある。
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ここは深川富岡八幡宮より以前から既に存在した神社。
その由来は社紋を見たら容易に推測出来た。
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北条三鱗に浪切紋。
これは鎌倉の銭洗い弁財天、横浜の元町にある元町弁財天と同じ社紋だ。
この社紋を使える場所は、鎌倉幕府の北条家と直接所縁の有った場所、更に言えば源頼朝公をリスペクトしていた北条時頼公の関与した可能性が高い。
銭洗い弁財天、元町弁財天は共に源頼朝公が御社を造営した神社で、後に北条時頼公が崇敬した場所だ。
恐らく、この深川の富岡八幡宮も同様の歴史が有るか、若(も)しくは、銭洗い弁財天か元町弁財天から御分霊を勧進した神社なのだろう。
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七渡辨財天の横には稲荷大明神様…
どこに行ってもいつもいらっしゃる御稲荷様(笑)。御城に行っても絶対に御参りの機会が有る(笑)。
ちゃんと今回も御参りし御挨拶して来た。
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なんか松尾芭蕉の神社も在るらしいのだが、残念ながら場所が解らなかった。

夕方は17:30から歯医者、それに合わせて横浜に戻った。
歯医者通院の理由は10年程前、梅干しの種の中身を食べたくて殻を噛み砕いた際に自分の歯の根っこが割れてしまい、歯の根に金属入れて差し歯にしてあった。
でも結局、ヒビが細菌感染して歯根周辺の骨が溶けだしたので今日抜歯した。
その際、自分の血液から骨に成る成分を作る治療を施して貰ったが保険適応外の最新治療なので治療費6万円近く。
まぁ、将来インプラントにする為の土台の骨再建だから良いね。
抜いた歯を見たら、やっぱり根っこ全部虫歯に感染してた。
抜歯した歯も10年間延命してくれて良く頑張ってくれた、ありがとうね。

歯医者がメインイベントに成りかけた一日だけれど、帰りに行きつけの肉屋さんで焼き鳥買って来て満足、でも麻酔が効いてて直ぐに食べれなかったし、片側の歯でしか噛めなかったので食べ難かった。

これで、しばらく固形物食べれない事に気が付いた。仕方ないね。

まぁ、回った件数は少ないけれど、すごく親切な和尚さんと沢山御話出来て充実した1日でした。

自宅のある横浜を出発したのは午前11時頃…
北鎌倉までは車で1時間とかからないで到着する。
渋滞に捲き込まれてやっと60分程度、普段なら40分くらいだろうか?

小生の仕事は連休が無い。
世間がゴールデンウィークも仕事した分、本来、6月1日には休暇を使って一週間ぶっ通しで京都~愛知に行ってるはずだった。
京都の阿弥陀寺様に、昨年の間宮家の顕彰活動で訪問した際に追善供養に参加する様に御声がけ頂いていたからだ…
めちゃくちゃ贅沢してやる心算で半年超かけて30万円旅費を積み立てていた。
移動にタクシー借り切って、食事は全て有名な料亭や西洋料理のレストランを予約して食べるつもりだった(笑)。
…しかし、熊本大地震が発災。
京都行の旅費は全て熊本に送ってしまった。

でも、せっかく休むつもりだったのをキャンセルして何もしないのも癪(しゃく)に障(さわ)る。
けど、今月の小遣いは京都に行くいは足りない…
「そうだ!鎌倉に行こう(2週間に一回は来てる)‼」と、成った訳だが、断念した旅行を諦めたくない。
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で、こうなった。
「車で一瞬で帰宅できる距離だけど、宿泊しちゃえば良いんジャネ?」
…てな感じで三浦半島に宿泊中。
1週間ブっ通しの休暇をキャンセルして日曜日1日だけ休暇にし1泊2日の連休。

長者ヶ崎の砂浜に面しロケーション最高の家族経営の旅館「大海荘」。
今は持ち込んだPC叩いてる訳だ。
結局、京都に行かなかった分、❝作家ゴッコ❞みたいな(笑)プチ贅沢な土曜日を
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ここは海辺まで徒歩30歩(笑)と近い。
そして、この長者ヶ崎は❝神奈川の景勝50選❞の一つだ。当然風景は綺麗。
朝食だけの素泊まりで6,500円。家族経営なので規模は小さいが部屋は清潔。
でも天然ラドン温泉。風呂トイレは昭和初期の旅館らしく共用。
車で10~15分程度の近所には以前も記事で紹介した秋谷海岸の地魚地野菜のイタリアン「DON」や、佐島マリーナの海に張り出したウッドデッキの最高のロケーションで食事出来る「海辺」なんてレストランも有る。
だから、ちょっと三浦半島のドライブ兼ねて、もの凄く美味しい料理店でランチをとる事も出来る。
素泊まりにすれば逗子マリーナや葉山マリーナの御洒落なレストランで食事も出来る訳だ。
夕食付にすると8000円。
事前に相談すれば、旅館の庭先では天候に関係なく屋根の下でBBQも出来る。
夕食をBBQに変えるのも家族連れやカップルには良いかも知れないが…
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小生は一人旅なので、和食を頂いた。
葉山だけあって御刺身と魚の天ぷら美味しかった。
サーファーや夏休みの子供連れ家族の海水浴や鎌倉旅行兼ねた旅には丁度良いだろう。
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雰囲気は外観がオシャレな海の家、中は典型的な大正~昭和の日本旅館。
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小さい家族経営の旅館らしく、ロビーもこんな感じ。
江戸時代の旅籠もこんな規模が多かった。坂本龍馬サンの定宿の寺田屋とか近江屋とかね。
小生が箱根で良く宿泊する温泉も、家族経営だが築100年の小さい旅館だったりする。
小生はホテルより日本旅館が好きなので、プチ旅行でシティホテル泊まるよりも風景の綺麗な葉山は長者ヶ崎のこの旅館が好きだ。
本当、帰ろうと思ったら、横浜横須賀道路で30分チョイ(笑)。でも近くに宿泊するチョットした贅沢に満足(笑)。

本当に車移動なら海水浴や鎌倉旅行にロケーション良いからオススメしたいんだよね。
この旅館の部分は別記事でもう少し追記して紹介しようと思う。

こっから6月4日の訪問地域。
昨日は珍しく余り多くの場所を訪問しなかった。
行ったのは北鎌倉と宿泊地の海岸だけ…
●明月院…紫陽花の名所。
●鎌倉五山(と言う飯茶屋)。
●長寿寺…足利尊氏公の菩提寺。
●亀ヶ谷の切通…鎌倉七口(昔の鎌倉の出入り口は7ヵ所の切通ししか無かった)の一つ。
●建長寺…臨済宗の大本山、歴史の授業でも習う鎌倉五山の第一位の禅宗寺院で道場。
●半蔵坊…建長寺の守護神として裏山に鎮座する塔頭とは異なる修験道の神社。天狗様。

横浜を出て35分位だろうか?無事北鎌倉駅近くに到着し車を駐車。
先ず訪れたのが第一の目的地だった紫陽花の名所、明月院。
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昨日は6~7分咲き。
ここは紫陽花が綺麗なだけでなく、鎌倉武士文化中興の祖とも言える北条時頼公の菩提寺でもある。
又、中の草庵で御抹茶と和菓子を頂く事も出来る。
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当然、紫陽花は6分咲きでも綺麗だった。
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明月院は初めてではないのに、今まで裏の庭園(拝観料500円別途)に足を運んだ事が無かった。
警備院サンに質問したら菖蒲が見頃との事で、これも良い機会と思い足を運んでみたら…
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…これが予想外の美しさ!なんで今まで来なかったのか!
そして発見も有った…
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なんか菖蒲庭園の奥に❝通せん棒❞されている場所があり、その更に奥の右側には不自然なツタに覆われた路盤と思しき地形が見えた。古道の跡に見えたので、御寺の園芸部の職員さんや寺事務所の方に質問した所やはり、このツタに覆われた場所は古道の跡で、ここは表通りを通らず此(こ)の道を通って直接、臨済宗大本山の建長寺サンや円覚寺サン行ける昔の古道だそうだ。
今では、御寺同士の関係性は本山末寺の関係よりも現代の法律による土地の所有権等の事で各自境界が明確に成っているので封鎖されているそうだ。
ここを通れば山の尾根伝いに、関東の臨済宗の大本山の建長寺や円覚寺に行ける訳だ。
裏庭だけでなく、通常の順路も紫陽花以外に躑躅(つつじ)が綺麗だった。
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海の向こうに紅葉した山々を表現したような枯山水なのかな?
ところで、不敬無礼無秩序な輩が竹林に落書きをしていたので晒して置こうと思う。
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久保寺誠、松本、この両名の身の上にに釈迦牟尼仏と北条時頼公の仏罰と祟りが降りて以後、悪事を行えなく成ります様に。
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ちゃんと御寺サン書いてるでしょう?

明月院を出てから表通り(鎌倉街道)に移動する途中の風景…DSC_2055
少し趣が京都の哲学の道に似てるかな?水路沿いに在る邸宅は全て石橋が掛かっている。
この地域は山ノ内と呼ばれる場所で、その名の通り、関東管領山内(やまのうち)上杉家の邸宅がこの谷戸の奥には在った。つまり、この道を山内上杉家の歴代殿様や配下武将達が行き交(か)っていた訳で、恐らく上杉謙信も関東管領就任の前後は、この辺りに宿泊したんだろうか。
因(ちな)みに玉縄城の目と鼻の先なので、仮に宿泊したなら危険が伴い防備を怠れなかったはず。
明月院を出て鎌倉街道に復帰するとすぐに鎌倉五山と言う茶屋が有って…
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北鎌倉名物の建長寺汁(けんちんじる)を食べる事が出来る。
けんちん汁は、建長寺発祥の料理なんだな。
御寺の精進料理なので、本来のケンチン汁には肉魚は一切入っていない。
ベジタリアン歓喜の料理。素朴で小生は好き。でも魚食べたい。
美味しく頂きました。

その後は臨済宗大本山建長寺へ…
行こうと思って歩いていたら、普段は一般参拝不可の長寿寺サンが特別公開を行っていた!
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ここは室町幕府初代征夷大将軍の足利尊氏公の関東における菩提寺で、寺の開基(かいき=オーナー)は尊氏公の御子息で鎌倉公方の足利基氏公と言う、由緒正しい格の高い御寺サン。
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庭園も見事だったが、御住職様と御話しさせて頂く機会があり、有意義な時間を過ごせた。
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秋に奉拝出来たらきっと庭の紅葉が綺麗な枯山水の御庭。
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尊氏公は南朝の後醍醐天皇とは政権運営で対立したが、明朝の文化と日本の武士文化を融合した華美と質実を領有した室町文化の礎を築いた偉人である。尊敬すべき先人だ。

ここを出るとすぐの所に鎌倉七口の切通しの一つが在る…
亀ヶ谷(かめがやつ)坂の切通し。
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この切通の先には河内源氏の幼き日の源頼朝公や源義朝公が住んだ源氏の邸宅跡寿福禅寺が在る。
現代は少し広く開削さえているが、当時は人が2人程度しか横に並んで歩けない幅に、騎馬武者が侵入困難な程に急角度で屈曲させた喰い違い虎口(こぐち)が全ての切通しに設けられていて鎌倉市街防衛の要だった。
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事実、新田義貞は鎌倉の切通しを突破できず、一年に数回の大干潮を待って稲村ケ崎の海中に露出した磯から侵入してやっと鎌倉を攻略できた。

ここを歩いていたら、鎌倉文化らしい路地の壁面に掘られた地蔵菩薩様がいらっしゃったので、鎌倉を旅する人達と地域の方々の安全と御地蔵様御自身が末永く存続する様に御祈り申し上げて来た。
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御地蔵様の周りの壁面の形状を見るに、元々は矢倉に掘られていたのが、矢倉部分が崩壊して露出したのだと推察出来る。

そして、いよいよ臨済宗鎌倉五山第一位の建長寺へ…
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ここは桁違いの規模を現在でも維持していて、だいぶん減少したものの塔頭寺院もいくつか現存している。
又、明治時代以前の神仏習合の文化も維持していて、境内の奥院と言う場所には神仏習合山岳信仰の象徴である天狗様を祀る半蔵坊と言う寺の名前の神社が有る。
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総門をくぐると・・・
更に中には立派な門。

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京都の大寺院の南禅寺よりも大きい門。
南禅寺は立派な御堂が現存しているから甲乙つけがたい。
規模は京都の同じ臨済宗の大徳寺にも勝るとも劣らないが、鎌倉は度々戦火に捲き込まれているので大徳寺の方が塔頭寺院は多く現存している。
詳しい事は、いずれ建長寺様だけの記事を改めて書くとして、見所としては徳川秀忠公の奉献された金ピカの唐門なんかも有る。
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奥のやつね。

半蔵坊へ移動。
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半蔵坊は建長寺オリジナル御朱印帳を持つ人だけが入れる。
参道は少し歩く。
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正に神仏を共に大切にされた歴代天皇と武士達の価値観を大切に受け継がれいる証拠。
御寺の守護神として神社がある。
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そして山岳信仰の天狗様。
こちらからは、晴れていると相模湾が一望出来る。
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生憎の曇天で相模湾と曇り空が一体化してしまった(笑)。

その後、建長寺様の参拝を終えて、昨晩から宿泊している葉山の海辺に在る「大海荘」さんへ移動。

で、記事冒頭の長者ヶ崎に戻る。
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昨日は曇天だが、なんとか富士山が見えた。
良い一日でした。

さぁ、チェックアウトだ…
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久しぶりに食べた朝ごはんも美味しかった!
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長者ヶ崎も朝から散歩出来て、朝風呂にラドン温泉にも入れたし満足!
さてさて…もうすぐチェックアウトの時間。

今日は何をしようかな?
生憎雨天、鎌倉の紫陽花は満開の来週に長谷寺を再訪するとして…
…三浦も雨では佐島マリーナの「海辺」と言うレストランに行こうと思ったが、それも変更。
やはり鎌倉に行くか!
う~ん、三崎漁港に行こうか?作兵衛の菖蒲園も見頃だろうし。

そんな休日雑記でした。


数週間くらいの期間に成ると思いますが、しばらく間宮家と寄親の玉縄北条家の顕彰活動、それと熊本支援の活動に専念するので休日雑記は途絶えると思います。
しかしながら、川越市や東京江東区越中島とに出向く用事は有るので、もしかしたら、その休日雑記は書くかも。でも人との面会が主要目的だから記事にしようが無いかな?
もっとも、解説記事は時間に余裕有る時に書きますので(記事ネタのリザーブ大量に有る)ので、PCさえ持って行けばどこでも更新します。

そんな訳で、多分、しばらく書かない休日雑記ですが・・・

水曜日の休日雑記。
この日は鶴岡文庫(鶴岡八幡宮の図書資料室)や金沢文庫博物館の資料閲覧に行く用事が有って、金沢の風景も眺めたくなり少し遠回りして丘の上を走った。
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この金沢の丘からの眺めが大好きだ。

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特に秋の称名寺の裏、金沢城址の稲荷山から眺める六浦湾は秀逸。

そこから金沢文庫博物館に向かう前に気に成り行ってみたいと思った料亭金沢園の写真を撮りに立ち寄る。
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昭和5年以来の伝統建築。...
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でも営業しておらず昼食とれなかった。
ぐるなびとかで、心無い書き込みを書いたクズがいるが、ここは建物その物が文化財級の昭和建築で素晴らしい。
そしてランチタイムには小柴の名物アナゴ丼が食べられる良い場所だったのに…
公式ホームページリンクは「ココ」←クリック!
残念な気持ちのまま、金沢文庫に移動。
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金沢文庫博物館と鎌倉の鶴岡文庫では色々と相談し、学芸員サンと司書サンの研究成果を御教授頂いた上、小生の情報と照らし合わせて少し解った事が有った。
ほんの少し源義家公の伝承の検証が前進・・・
これで御世話に成っている東京の八幡宮の禰宜サンの助けにも成れるかも知れない。
実際に鎌倉古道をいつか岩手県まで自分で歩いた方が、より収穫が有りそうだ。
何泊かかって、経費はいくらかかるんだろう?
しかし八幡大菩薩を信仰した玉縄北条家の北条綱成公と北条氏繁公、その与力の間宮康俊公の顕彰をするには源義家公の足跡を辿る事も必要な事かな…
これもライフラークに成りそうだ。

帰路
昼食と夕飯を兼ねて江戸文化のファストフード、握り寿司をチャチャッと食べて帰宅。
おしどり寿司で食事。
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この日は北条家所縁の「小田原三昧」と言うのがあったので、それを先ず頂いた。美味いなぁ~♪
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あと、本マグロの極上大トロ。
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好物の卵とイカ三昧と海苔汁。
御馳走様でした。いつもながら美味しかったです。

あ~!
調べ物多すぎて、無駄に体デカくても体が一つじゃ足りないし1日24時間じゃ足りないよ…
もっと効率よく動かなければ。
その為にはより多くの知識を抱え込んで、点を線で繋いで動く情報の関連付けをもっともっと高めなければ。

佐島マリーナの入口には笠島マリーナと言う小さな船着場があります。
そこに「海辺」と言う名前の
素敵な海鮮和食のレストランがあります。
なんと、海に張り出したウッドデッキにテーブル席が並び、目の前には相模湾の澄んだ海と天神島と言う御社がある神秘的な無人島が見える最高のロケーションで食事が出来るんです。
入口は少し判り難い場所です。
 
位置関係はこんな感じ。
入口は↓こんな感じ。
天気が良ければ、さっきの屋外席に通されます。
ここは本当に眺望が最高のレストランです。

料理も最高のレストラン!
高級な寿司屋で食べる刺身くらいの美味しい刺身定食や金目の煮付けが付いた定食が食べれます!
刺身盛合せ、鮪佃煮、切干し大根煮物、お新香、アラ汁、ご飯はお代わりし放題、金目の煮付け…
これで3000円は安い!
金目の煮付け無しの刺身定食は2000円弱。
是非皆さんも御堪能あれ!

さて…
ここ、実は徒歩1〜2分の距離に「天神島臨海自然教育園と言う名前の海浜公園があります。
ですから食事がてら、お子さんのいる御家族は子供に海で水遊びさせたり、海洋動物の自然観察をさせる事も出来ますし、大人の男女カップルで散歩しても良い休日を過ごせる場所です。
この佐島の海は神奈川とは思えない海の透明度の高さでして。

佐島に渡る橋の下は見事に水が無いように見える程透明な事が分かります。
海辺は砂浜ではなく磯です。
近所の子供ものびのび遊んでいました。
この佐島は自然も豊かで、様々な動植物も観察でき、説明の看板があります。
更に、冒頭で言いましたがロケーションも最高で、海を挟んだ天神島の風景はとても綺麗です。

浜辺には望遠鏡が置いてあり望遠鏡越しに天神島をみれますよ〜。

素敵なレストランに素敵な海岸でしょ?
是非、皆さんも行ってみて下さい!

【海辺】
横須賀市佐島3-8-2
TEL:046-857-4353

【天神島臨海自然教育園】
横須賀市佐島3-7-2

【交通手段】
JR逗子駅or京急新逗子駅から"佐島マリーナ前行き"バス乗車→終点で降車(約35分)。

ブログネタ
旬なニュース#02 に参加中!
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今年も大山で灯篭祭りが開催されます。
※詳細については「大山ケーブル公式ホームページ 」←ここクリックしてご覧ください!
大山ケーブルは大山の中腹から大山阿夫利神社の登山電車を運行する小田急電鉄グループの会社なのです。
灯篭祭りは、大山ケーブルと近隣の小中学校の生徒さんや父母会、大山阿夫利神社、その参道に連なる温泉旅館や造酒屋、御土産の商店街さんが一丸となって古代からの聖地大山を多くの方々に知って頂く為に行っている御祭りです
その夜景は期間限定、今の季節と秋の一時の灯篭祭りの期間しか見る事が出来ません。
何故なら「ケーブルカー」の夜間運行が灯篭祭りの季節しか行われないからです。
※今年はケーブルカーの交換と設備の再整備の為にケーブルカーは10月01日まで運行停止中です!
でも、昭和初期までは大山巡礼の登山客が関東中から集まって、「大山講」と言うグループ参拝客が大山を目指して歩いてくる街道が、今も関東中に巡る「大山街道」だったんです。
で、昭和初期まで、先導師(せんどうし=山伏)の人達が大山講が登山で大山の中腹にある大山寺と大山阿夫利神社や頂上の聖地まで参詣するのを登山道案内する役目を担ったんです。
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このポスターは神奈川県庁に掲示されています。
神奈川県や横浜市でも同じ県下の伊勢原市の灯篭祭りをバックアップしており、駅に大山の今回のイベントポスターは見かける事が出来ます。
で、大山ケーブル開業50年目、初のケーブルカー交換に伴う施設再整備で運行停止中な訳ですが、そこを逆手にとって、この季節今も賑わう登山客向けのイベントとして今年は大山灯篭祭りを企画されたようです。
素晴らしい!
登山で大山山頂に登り御参りし、中腹の大山阿夫利神社から夜景を見て、徒歩で下山し参道の先導師の方々が江戸時代から営まれている温泉旅館で大山の清水で造られた日本酒や豆腐料理に舌鼓を売ってから温泉にで疲れを癒し…
ゆっくり一泊するとか、凄く風流ですよね!

※大山阿夫利神社と大山の参道の温泉街については以前お記事にしたので、過去記事のリンクを下に貼って置きます。
●大山阿夫利神社の記事は「ココ 」←クリック!
●大山の温泉街名物の豆腐料理については「ココ 」←クリック!
●大山信仰と関連深い比々多神社の記事は「ココ 」←クリック!

大山の歴史について詳しい事は上記の記事をご覧頂ければ良く解ると思います!

では、以下に大山の風景写真を列挙してみますので、気に入って頂けたら是非!江戸時代の人々の様に粋な大山で温泉と夜景と豆腐料理と日本酒を楽しみに訪れて見て下さい!
2013-11-28-12-20-46
2014-07-27-19-04-51
2014-08-17-19-34-14
2014-07-27-19-06-56
2014-08-17-19-34-41
2014-08-17-19-30-41
2014-08-17-19-02-09
2014-08-17-18-23-53
2014-08-17-19-00-52
2014-07-27-16-21-35
2014-08-17-17-06-16
2014-08-17-17-18-27
2014-08-17-17-24-02
2014-08-17-17-24-09
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昨日、友人夫婦と今年の紅葉を見に三渓園に行って参りました。
まだ少しだけ時期が早かったみたいです。
多分…
来週半ば〜末位に成ると見頃が到来と言った所でしょうか?

しかし、ちゃんと満喫してきました!
お団子さん♪


風景は相変わらず綺麗でしたよ!
建築文化財群と自然の融合は見ているだけで安らぎます。
飛騨から移築された合掌造り家屋の囲炉裏(いろり)の煙が良い香りでした。
※注:実際に燃えています!
茅葺屋根の家屋なので囲炉裏の煙で家屋全体を燻(いぶ)さなければいけないんです。
そうする事で、薬品に頼らない自然な防腐防虫効果が期待でき…
更に囲炉裏の火からでるヤニが着(つ)いた木材を布で磨くと黒く綺麗に光沢が出るんですね。
素敵♡美しい…
活けてある紅葉も綺麗。

昨日は菊花の品評会もやっていました。

来週末に又、紅葉の写真撮影に三渓園行く心算です〜。

ではでは、また別の記事で!

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