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タグ:喜多屋

金沢文庫称名寺で黄色の菖蒲が見頃と聞きましてお散歩して参りました~。
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金澤山 彌勒院 稱名寺
秋晴れと桜の季節の印象が強い称名寺。
今の季節と言えば例年、野島の伊藤博文金沢別邸やキャンプ場か三浦半島の海側に散歩に行く事が多く、蚊の出始める直前の称名寺の菖蒲をゆっくり見に来た事が有りませんでした。
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橋の両脇から池の畔(ほとり)のあらゆる所
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可愛らしい黄色い花が群生していて気持ちを明るく爽やかにしてくれます。
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参拝客もこの季節は多くはなく、ゆっくり散歩出来ます。
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でも菖蒲も少し有名らしく凄いカメラを持って来ている人が何人かいらっしゃいました。
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う~ん、桜も良いけど緑と黄色に朱塗りの橋、山の緑に空の青がとても綺麗~♪
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まだまだ蕾(つぼみ)の花弁が開いていない株も多く、あと1週間は楽しめそう♪
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来週、又、菖蒲を見に来よう!
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柴漁港 小柴のどんぶりや
柴漁港の天丼小屋に小柴の穴子の天丼食べて、ついでに海の公園をランニングしよかな!
小柴の穴子天丼と小柴の蝦蛄刺身 久良岐のよし
皆さんも称名寺と海の公園、セットでお散歩しては如何でしょう?
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喜多屋旅館 CaféDining ぼたん近くに在る明治時代の日本建築文化財の旅館、喜多屋のカフェ部門ぼたんでランチやお茶したりも出来ます。
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八景島シーパラダイスも近いですし、海でも遊べるので良い休日を過ごせますよ~♪

本当は昨日、北条家臣中田加賀守の記事を書く筈だったのですが忙しくて今日も書けていません(笑)。
でも週末に行った横浜市金沢区の称名寺、金沢文庫駅の名前の由来の御寺サンの参道と境内の桜が丁度、9分咲きで見頃だったので、歴史解説記事代りにその写真を掲載します。

きっと今週中に見に行けば、まだまだ見頃だと思いますよ♪

御近所は喜多屋と言う明治時代の料亭を旅館&Caféに業種替えしたオシャレな店や、小柴の柴漁港天丼小屋、もう少し歩けば海の公園や八景島シーパラダイスが在り、レジャーやランチのついでに桜散策には持って来いの場所ですよ!
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金澤山 彌勒院 稱名寺・・・真言律宗別格本山
(きんたくさん みろくいん しょうみょうじ)
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とっても春は雰囲気の良い御寺なので、是非足を延ばして見ては如何でしょうか~?
この御寺は鎌倉時代の名将、北条実時公の邸宅跡を寺院化した場所で、真言律宗別格本山の格式を持つ御寺です。北条実時公の金沢北条氏は鎌倉幕府の重鎮で六波羅探題と言って今の関西地方を治める役職を担った家柄でした。
恐らく全時代の武士を通じて屈指の、戦国時代の細川藤孝公以上の文化人だったので北条実時公が収集した経典や花器仏具等は膨大な量に及び、更に後に鎌倉公方とも密接な関係に成った寺院だったので多くの古文書も残る事から歴史学者には「東の正倉院」の異名で呼ばれた場所でした。
御寺の境内の隣の谷に北条実時公が収集した文化財を保管するする称名寺の文庫が有ったので、そこが文庫谷(ぶんこがやつ)と呼ばれる様になり、それが地名と京浜急行金沢文庫駅の駅名由来に成ったんです。

実は今年に入ってから先月迄、国家資格をいっぺんに3つ取得したり、今月から仕事で使えそうな別の資格の勉強も始めるので今週末までちょっと忙しくて、中田加賀守の矢上城の記事を書けるか分かりませんが出来るだけ週末にはUPする様にしますね!余り濃い内容には成らないとは思いますが、久しぶりに地形の解説なんかも入れたいと思っています。

ささ!今年は桜がベストコンディション!
皆さんにも小生にも今年の桜同様に元気いっぱい明るい良い年に成ります様に~♪







今月は休日も色々と遊びでは無くて人に会う用事が立て込み、週末なのにスーツや少しカジュアルだけどカチっとした格好で過ごし慌ただしかった。
そして今日(現時点では前日)10月27日の日曜日は久しぶりに休日らしい日を過ごす事が出来た・・・

今月中旬、はまレポの記者もやってるブロガーの❝知の冒険❞サンの中の人(笑)と初対面した時以来、やっと今月2回目の完全な休日だった。
知の冒険さんは近世~近代の色町の文化や、現代に影響を与えた民間事故の記録等を掘り下げるニッチなジャンルの歴史オタク記者で、小生の知らない事を多く知っていて記事も面白い。
知の冒険ホームページ⤵
https://chinobouken.com/

今日会ったのは知の冒険の中の人(笑)ではなくて、鎌倉市の文化的な仕事をしている歴史仲間と言いましょうか、何と言うか安心して色々と将来の事も話せる先輩と言うか、こんな大人に成りたいなと思う先輩。
日本と中国の歴史と文化が好きで小生より色々と詳しい人。
奥さんも美術品とか好きで御夫婦で文化的な事が好きらしい
共通する文化が好きな人同士で夫婦に成った先輩の話を聞いて正直に羨ましいなと思う。でも今日会ったのは旦那さんの方の先輩。
以前は仕事で御一緒する機会が良く有ったのだが最近は顔を合わす機会が無くて・・・
「どうされていらっしゃるだろうか~?」
「こちらも色々と人生の岐路に差し掛かり近況報告も有るし、お会いしたいなぁ~」
・・・と思い、久しぶりに今月中旬に連絡をとって約束をしていた。

朝方、午前11時に先輩が住む鎌倉市の浄明寺地区近くの某駐車場で待ち合わせをして先輩をピックアップした。当初の計画では何ヶ所か小生がランチの候補地を先輩に提案して、先輩は佐島マリーナの❝海辺❞と言う和食レストランをチョイスしたのだが朝方暴風雨で昼近くに成っても天気が安定しなかった事と、先輩はよりにもよって前日に飲み会で❝刺身❞をたらふく食べていて生物を立て続けに食べさせるのも悪いと思い予定変更を早朝にメールで提案しておいた・・・
「鎌倉から近い金沢区の❝柴漁港の天丼小屋❞か❝喜多屋❞にランチ変更しませんか?」
・・・と提案した所、喜多屋をチョイスされたので車で先輩をピックアップして朝比奈峠を越えて金沢区へと出発した。実はこの先輩が小生に博物館のチケットや鎌倉市の調査報告書等を下さる人なんだな。

先輩から15時迄に鎌倉に戻りたいと事前に申告されていたので、それに合わせて食事以外に何ヶ所か喜多屋付近の歴史観光地を車中で推薦した。
・野口英世博士がペストの日本上陸を食い止めた旧横浜検疫所の長浜野口記念公園
・金澤山彌勒院稱名寺
・野島の伊藤博文公金沢別邸
先輩は神奈川県立金沢文庫(博物館)は仕事で用事が有り珍しくも無いと思い、敢(あ)えて選択肢として提案しなかった。まぁ、仏像に詳しい御方だし。
で、浄明寺地区某所から車を走らせる事20分位だろうか?直ぐに長浜野口記念公園の長浜ホール(旧横浜検疫所)に到着した。
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長浜ホール(長浜野口記念公園内、旧横浜検疫所事務所棟)
ここに来るのは小生2回目で、今年初春にも紹介記事も書いている。
以前書いた記事⤵
旧長濱検疫所の細菌検査室  野口英世記念公園内に保存される明治時代の建築遺産にして医療文化史跡・・・横浜市金沢区長濱。
今年初頭に写真撮影に訪れた際は旧横浜検疫所事務所棟の❝長浜ホール❞はペンキ塗り直しで外観撮影が出来なかった。今日は外観も化粧直しされ、素敵な近代西洋建築としての価値を自負する様に立派な姿を見せてくれていた。
先ずは管理室の職員さんに確認して1Fの展示を見学した。
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綺麗な応接室の様な階段下のエントランス。
その横に簡単な説明が有り、詳しい内容は別棟の❝旧細菌検査室❞に展示されている。
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長浜ホールの方には福島県の野口英世先生の生家の模型とか・・・
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・・・明治時代当時の周辺のジオラマとかが展示されていて、埋立による地形変化前の様子が良く解る。現在は目の前に団地が広がる長浜野口記念公園だが、当時は埠頭に囲まれ横浜港に入港する前の船を停泊させて防疫検査を行っていたんだな。
言い換えれば明治時代の日本における感染病原菌防疫の最終防衛ラインが、この横浜市金沢区長浜地区だった訳だ。
長浜ホールをサクっと見学してから旧細菌検査室にも行き、野口先生の人生の解説展示をたっぷり見て、それから細菌検査室内にも先輩を案内した。
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簡単な野口先生の足跡。
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細菌検査室内の様子とかは以前の記事でも紹介したので端折るが当時の機材がそのまま展示されているのだが見学すれば皆例外なくこう思うはず・・・
「え~!当時こんなショボい機材でペストから日本を守ったの‼」
・・・ってね。本当に野口英世先生の偉大さが判るから、横浜市の小学校は付近の横浜市南部市場で働く人の見学と八景島シーパラ遠足と合わせて社会科見学遠足させるべきだと小生は思う。
見学を終えて先輩と車に戻り、そこから10分かかるかかからないかで喜多屋に着いた。
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喜多屋 & CaféDiningぼたん実はつい最近も知の冒険サンとオフ会で来たばかり!歴史好きな人はいくつか食事処を提案しても皆ここに来たがる。歴史好きだけでなく女性にも人気が有るので、着いた頃には若い女性の友達同士らしい二人組や近隣の夫婦らしい御客様で昼の12時前に既にほぼ満席の賑わいを見せていた。
先輩は昔からの横浜の名物の❝小柴の穴子❞の天ぷらを食べれるランチを、小生は秋刀魚を使ったランチを注文したのだが・・・
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御店の人の間違いで小生には横浜の新名物❝ハマポーク❞と柿のソテーが調理されて来た。一応、御店の人に注文と違う事を伝えた。
「僕が注文したのは秋刀魚の料理なのですが・・・」
「もし、まだ秋刀魚を調理して無ければコレでも結構です。でも一応、他の御客サンと間違えでは無いか確認して頂けませんか?」
・・・と申告した所、御店の調理担当の方の配慮で「秋刀魚の料理も後から出すのでハマポークのソテーもサービスさせて下さい。」と何ともラッキーな展開に成った。
「結構ですよ、御気遣い無く。」
・・・と再度言ったのだが店員さんが謝罪として料理を提供して下さったので、先輩と半分こして食べた。
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ハマポークも秋刀魚もとっても美味しかった!
でも・・・う~ん・・・男同士で料理シェアするって変な気分だった(笑)。早く奥さん見つけて奥さんと料理半分こ出来る様に成らんといけないなぁ(笑)。

この時に先輩にも披露した小話を皆さんにも紹介すると、心理テストで実は飲食店で間違えて提供された料理を店員に間違いを告(つ)げず食べる人は不誠実で異性に対しても恋人がいても別の異性から告白され浮気のチャンスが有れば拒まず肉体関係を安易に持ってしまう確率が高いそうだ。
そりゃそうだ、来る者拒まずって事だからね、そうなるだろう。更に食べてから店員に「自分が注文した物を出せ」と喚く奴は悪人で相手に間違いを告げず騙して食べてしまい食べてから言う訳だから妻子がいても相手に何も教えず不倫して、相手が本気に成ってから妻子がいる事を告げて異性を捨てるクソ野郎って事に成るな。
・・・先輩は笑いながら聞いていたが、本当に結婚前からの彼女とは結婚せずに別の女性と結婚し子供まで作りながら彼女と別れず不倫して、挙句の果てに「好きでも無い女と腐れ縁で結婚前から続いている」なんて言い腐る悪人も小生の知ってる男性にいる。

まぁ、そんな事を思い出したりした。
このランチは1500円でデザートも付く。小生と先輩は二人共、栗のクリームブリュレを頼んだ。
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これもとても美味しかった。
食事を終えてから文化財していされている喜多屋の館内を少し見学させて頂いたのだが、生憎(あいにく)と昨日は研修旅行客で満室になっており客室の見学は出来なかった。
しかし明治時代の建物で、大正時代には確実に存在して品川~横浜~現在地へと移築されて来た浴室だけは御厚意で見学させて頂けた。
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写真は以前の物だが、大正ガラスのステンドグラスがとても綺麗な御風呂。
喜多屋については以前、紹介記事を書いているので御興味有る方は其方も御覧頂ければ客室の写真が掲載して有ります。
これ記事⤵
金沢区の喜多屋は元料亭の日本建築文化財の旅館&cafe。
館内を少し見学させて貰ってから鎌倉の入口朝比奈峠へ向かう途中に在(あ)る横浜市がマンション建設容認して破壊させた上行寺東遺跡の模造復元地にも先輩を案内して来た。
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上行寺東遺跡模造再現地
ここを横浜市は遺跡として主張するが、正確には背後のマンション敷地が昔の遺跡跡地。破壊直前、高名な東大や有名大学の歴史学者や神奈川県の郷土史家や地元住民たちが多く保護を要求し破壊反対したのに横浜市は文化保護意識が低く、日本屈指の矢倉研究の貴重な遺跡だった上行寺東遺跡を消滅を容認させてしまった。その批判が殊(こと)の外(ほか)大きく成ると、今度は横浜市教育委員会は批判の矢面に立たされた事に恐怖して慌てて強化プラスチックで模(かたど)りして、この偽物遺跡を造った挙句に❝保護❞と嘘の主張を始めたのだが・・・

・・・残念ながらその嘘は記録フィルムで拡散され、ライオンズヒルズ金沢八景が言うなれば壮大な事故物件に等しい程に開発中に敷地から夥(おびただ)しい武士や僧侶の人骨が掘り返された事は歴史家や正義の横浜市民達の知る所に成っている。
まぁ事故物件どころの騒ぎでは無いな、源頼朝公と文覚上人と言う鎌倉時代の偉人が建立した寺院跡なので壮大な聖地&墓地を破壊した訳だ。
横浜市は現在も12万人弱も開発反対署名が集まり、横浜市の有識者で評議し議決で過半数も反対した❝円海山瀬上沢流域一帯の横浜市最大最後の蛍群生地❞すら、林市長以下役人と東急グループはその反対を無視して東急グループに開発させ様としており、現在多くの横浜市南部地域の市民から東急諸共批判にさらされていたりする。
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詳しくは蛍観察出来る場所の様子や歴史を合わせて以前、記事で紹介しているので御興味有る方はソチラも御覧頂ければ宜しいかと思う。
これ⤵
円海山で蛍が観察出来る季節です。横浜市磯子区~金沢区~栄区~港南区に跨る横浜市最大最後の自然保護区。
上行寺東遺跡のハリボテを文化財を大切にする鎌倉市に住む先輩はコンコン叩きながら笑っておられたが、横浜市の築地育ちでハマっ子ではない林横浜市長と同じく、現在の鎌倉市長も郷土文化歴史への知識が欠落した上に物事を自分一人で判断出来ない人で、釈迦堂切通しや釈迦堂口遺跡や名越邸址等の重要な歴史史跡&文化財の保護や住宅道路や散策路の再整備を行わず放置したまま❝とりあえず封鎖❞したまま放置していたり、先年から問題に成っている北鎌倉の隧道も市民と土建屋の板挟みのまま保護も補強もせずに放置して無能振りを晒して鎌倉市職員や教育委員会や文化意識の高い市民からも白い目で見られているそうだ(笑)。
一頻(しき)り上行寺東遺跡の❝ニセモノ(笑)❞を見物してから先輩を鎌倉に送る為に車に乗り込み、車中で先輩にずっと疑問に思っていた鎌倉市のとある遺跡について質問をした・・・
「そういえば今年の正月に鎌倉幕府初代政所別当の大江広元公の所領だった厚木の毛利台に行って来たのですが、大江広元公の御廟所の矢倉って法華堂では無くて十二所山中に有ると言うのは知っているのですが、場所御存知ですか?」
・・・と質問をした所、実際の所、伝承によって大江広元公の御廟所と伝わる矢倉が十二所山中に在るそうで先輩も調べに行ったのだが結局詳しい事は解らなかったとの事だった。でも十二所の朝比奈峠入口近くに「❝大江広元公邸址❞は在るよ、案内しようか?」と思いもよらない回答が出て来たので、近くのコンビニに車を停めて先輩の案内で石碑を見に行って来た。
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本当に熱心な大正時代の鎌倉町青年団、この先人の御陰で小生達現代の若い世代は史跡の場所を確認する事が出来る。先輩と鎌倉町青年団の先人達に感謝。
先輩を御自宅近くの某駐車場まで送り別れ、一度帰宅してから今度は夕刻に❝小机城址竹灯籠祭り❞を見物に行って来た。
2018年度小机城址竹灯籠祭りポスター
昨年は大雨で中止に成り見物出来なかったんだな、毎年行ってたのに。
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今年は5千本の伐採した竹で作ったキャンドルの展示の仕方を例年とは変え、順路の導線が混雑しない様に工夫されており非常に見易(やす)かった。
・・・あ~、来年の竹灯籠祭りは大切な女性を連れて来てあげられたら良いのになと思いながら一人で見物。
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今年は今までと少し違って時期的にハロウィンも意識しているのだろうか(笑)?
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綺麗綺麗!
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近所の小机小学校と城郷小学校の生徒達によるキャンドル作品も出展されていた。
うん!こう言う事を子供の頃にやっていると自分の地元に関わった歴史偉人が凄い人だったって大人になって改めて知る事が出来るんだな!
小机城代だったのは戦国時代の関東の覇者、北条家で家老と外交を務めた笠原家、特に有名なのは笠原信為公だな。KOEIは横浜の歴史ゲーム会社なのに歴史知識が浅い奴等ばっかで笠原信為公や間宮康俊公等、東海地方の武将を痛撃した名将達を登場させなかったり登場させて以後も実績に反して低評価のままにしていたりするのだが、こうやって子供の頃に歴史偉人の足跡を学ぶ機会を得ていると、人のデマや噂に騙されず自分で情報を確認する分析力も身に付く。
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何か可愛らしいキャンドルが多かったな。
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竹取物語の再現は少し不気味だった(笑)。
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でも今年は部分部分にキャンドルを集中さえた御陰で竹が幻想的に照らされとても見応えが有った!
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日本の竹ファンクラブの皆さん、今年もご苦労様でした。
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この活動は非営利団体❝日本の竹ファンクラブ❞がボランティア活動で行っている。
ホームページ→http://takefan.jp/
誰でも参加出来るので御興味有る方は是非、御連絡を!皆さん喜ぶと思います。
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今年は残念ながら昼まで天候不順で雨もパラパラしていたので屋台が無かった。
でも住宅街の駐車場で地元の人が焼き鳥の屋台を出していたので晩御飯代わりに6本購入して頂きました。
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とても美味しかったですよ♪
小机城に関しても以前に解説記事を書いているので、御興味有る方は記事を読んで見て下さい。
中には城の解説、各武将の関連解説記事へのリンクも貼ってあります。
コレ⤵
2017年度 小机城市民の森竹灯籠まつりは10月28日に開催!小机衆家臣団の紹介も!
城からの帰り道、月明かりと日産スタジアムが綺麗に見えた。
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もう涼しく成りスッカリ秋の夜空だなぁ~。
そうそう、先輩からこんな御土産を頂きました。
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鎌倉市の調査報告書。これ去年の奴なんでとても楽しみにしていた物。必要なくなった分を下さいました。内容も当然、小生の興味対象ばかり。
先輩、ありがとうございました♪

さて、次回は何か歴史解説記事を書きたいなぁ~。




神奈川県立金沢文庫(博物館)で東京国立博物館に続き鎌倉時代の大仏師“運慶”とその弟子達の作品である仏像御神像が企画展『運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説ー』として展示開催中です!
金沢文庫公式 運慶
金沢文庫公式 運慶2
神奈川県立金沢文庫
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この企画展は面白く、個人的には皆さんに時刻方位を表した複数の干支を冠した守護神像に注目して頂きたい所です。
昔も今も見事な仕事をする職人もいれば、適当な仕事をそこそこしてヒューマンスキルだけで出世するカスもいるんだな~(笑)なんて❝昔の僧侶の粗探し❞を出来たりします(笑)。
実は方角と時刻を示す守護神(仏)像、頭に方角と時刻を表す干支が彫られており素晴らしい造作の彫刻で迫力も躍動感も有る製作した仏師の気概と仏様の魂を感じる様な木製彫像なのですが…
この仏像群に相当する方角干支を定めた解説書を描いた昔の僧侶が適当な人物で“仏像のポーズ”だけを適当に見て方角守護仏として確定してしまい、仏像の頭の冠に掘られた動物と方角がアベコベに混乱してしまっていたりします(笑)。
この僧侶に限らず、各時代に適当な役人や僧侶神官と言うのは昔から居た様で、特に教養の低かった徳川家臣団が江戸幕府運営をハチャメチャにしていた江戸初期等は寺領社領の保証の為に発行する朱印で寺社名を誤記したまま朱印状発給してしまったり・・・
江戸後半に編纂された“寛政譜”や“寛政重修諸家譜”等の幕府発行の公文書でも武士の家系図で採用している各時代の武将の名前が誤記だらけだったり、戒名と法名と雅号の区別すら出来てない担当筆者の低教養が現代に晒されていたりします。
まぁ、だから徳川幕府は肝腎な役割は旧北条家臣団や旧武田家臣団じゃないと運営できなかったんですけどね、徳川家ってのは幕府開くまで統治力がとにかく低く領内で内戦と離反ばかり起きていましたから。吉宗の頃までは目安箱すら無く譜代旗本の領地では不正課税が横行したり目茶目茶でした。その幕府も混乱した初期からの脱却は旧北条・武田家臣団に頼り美味い所を搾り取ってポイして、幕末に混乱すると再び旧北条家臣団の子孫達に頼る幕閣ってなんなんでしょうね(笑)。
ついでに言えば昔、❝東の正倉院❞と渾名されたのが、今回の企画展を行っている鎌倉時代から存続する❝金沢文庫❞なのですが、ここから多くの寺宝や古文書を横領した挙句の果てに管理不行き届きで此の世から消失させたのも徳川家でした。
・・・とは言っても戦乱を終わらせて庶民が文化を成熟させる時代を齎した功績は素晴らしく、物事は一つの側面から見える事が全てでは無いと言うのが解るのが徳川家と幕府の歴史と今回の企画展の十二神将なんですね。
今回の企画展『運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説ー』は、そう言った風に方角守護仏の冠とイイ加減適当な仕事をした先人に誤確定された方角と仏像の冠の干支の不整合を見て・・・
「あぁ~先人の中にも三井不動産レジデンシャルの傾きマンションや消えた年金問題と同じでイイ加減適当なフザケた仕事する奴がいたんだなぁ~」
・・・と言う目で見学したり・・・
「あ~、昔の本当に魂を込めて仕事をしていた人達は何と素晴らしい事か」
・・・と、一つの物からを二つの視点で見る事が出来たりするとても面白い展示と言うのが個人的な感想です。
金沢山稱名寺
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隣は美しい二重橋のかかる、真言宗律宗別格本山の高い格式を持つ❝金沢山稱名寺❞も在り合わせて散歩すると良いですよ♪
小柴の丼屋
小柴の穴子天丼と小柴の蝦蛄刺身 久良岐のよし
近くには美味しい金沢(かねさわ)名物の穴子を食べれる❝小柴の丼屋❞や・・・
喜多屋
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・・・与謝野晶子達も歌会等を開いた料亭金沢園から旅館&カフェとしてリニューアルした❝喜多屋❞も在ります。
是非、この機に周辺散策と合わせて企画展『運慶ー鎌倉幕府と霊験伝説ー』を見学しては如何でしょうか?

金沢文庫と言っても駅の名前でも土地の名前でも無くて博物館の金沢文庫ですが、そちらで現在、弘明寺と並んで横浜市を代表すると言っても過言では無い名古刹の寶生寺の文化財の数々が特別展示されています。
県立金沢文庫様より拝借 寶生寺特別展ポスター 久良岐のよし
画像は神奈川県立金沢文庫様の公式ホームページより転載させて頂きました。
県立金沢文庫様より拝借 寶生寺特別展ポスター裏面 久良岐のよし
【神奈川県立金沢文庫】 分類:博物館/史料館
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今回、金沢文庫で特別展を行っている寶生寺(ほうしょうじ)の文化財ですが、根本的に横浜には寶生寺と言う御寺が有ると言う事を御存知無い方も多いと思いますので以前書いた解説記事へのリンクを以下に貼って置きます。
リンク→寶生寺・・・横浜市南区に在る鎌倉~江戸時代の名将達が保護した古刹
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上の写真は寶生寺の石段と山門です。
実はこの御寺の文献が横浜の地名の登場する現存最古の古文書なんです。
今回の特別展での展示物は文献と経典がとても多く、通好みの展示と成っています。
特に有名な人物は二人・・・
1人目は太田道灌公。
歴史好事家(オタク)なら誰もが知っている関東最高の合戦無敗の名軍師で築城家。
この太田道灌公が小机城址包囲戦の最中に寶生寺の御住職から陣中見舞いに「山芋」を頂いていた返礼の手紙(笑)とか・・・
2人目は間宮直元公。
江戸時代の横浜市長の前身、初代の本牧奉行。本牧奉行だけでなく但馬奉行と生野(銀山)代官と佐渡(金山)代官を兼任した人物。
徳川家康公の軍師格で本領は1000石ながら多くの奉行職を兼任していたので実際の収入は現代の円に換算すると8億円近く(笑)。更に縁故も実力も凄く、伯母の“於久(おひさ)の方”は徳川家康公の側室に成り姫様を生んでいたので家康公の外戚扱い、経営手腕と実務力も素晴らしく有名な大久保長安が代官だった佐渡金山が経営不振に成ると家康公の命令で生野銀山の部下と工夫を引き連れて瞬く間に業績改善したばかりか、その人生の最後には“大坂城総掘り埋立作戦”を立案し直接家康公に進言した名軍師。
その間宮直元公が寶生寺の御本尊を極彩色に修理した際の修理願文が御本尊の解体修理の際に発見され今回展示されたいます。
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・・・上は今回の展示物一覧です。
すみません家のスキャナー壊れて使えないのでデジカメ写真で失礼。
つまり、横浜市に御縁の有る名将二人の手紙や起請文を始め恐ろしい数の古文書が展示されている訳ですが・・・
県立金沢文庫様より拝借 寶生寺特別展ポスター 久良岐のよし
一緒に今回特別展示されている寶生寺の御本尊が、その間宮直元公が修理させた仏像であり今回の特別展示のポスターのアイコンに成っている訳です。
太田道灌公の小机城攻囲中、今回の展示の寶生寺の高僧だけでなく、他に日蓮宗の寺格の高い御寺等からも高僧が食べ物持って(笑)陣中見舞いに太田道灌公に会いに来ている歴史事実も有るので、今回の寶生寺に対する太田道灌公の文書は、そんな小机城攻囲戦が太田道灌公の才覚によって相当な余裕を持って行われていた事を窺い知る事が出来ます。

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一応、金沢文庫自体を御存知無い方も多いと思いますので御説明致します・・・
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金沢文庫と言うのは元は鎌倉幕府で六波羅探題やブービー賞で執権を務めた日本武士最高の教養を誇った金沢北条家の邸宅の書庫から派生した日本最初の武家私設図書館の事で、金沢北条家の邸宅を寺院化した真言宗の別格本山の金沢山稱名寺(しょうみょうじ)と言う御寺に江戸時代まで管理されて西の正倉院に対して“東の正倉院”の異名で渾名(あだな)された多くの文化財を持つ文庫でした。
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ですから今も金沢文庫(博物館)の横には綺麗な稱名寺の庭園が広がっています。
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春には御覧の通り参道の桜も綺麗な御寺です。
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この稱名寺や金沢文庫の近く、歌川広重が描いた景勝地の“金沢八景の一つ野島”に別宅を構えていたのが明治の元勲伊藤博文公でした。
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野島の金沢別邸に住んでいた伊藤博文公は古来の天皇の価値観を大切にされ神仏共に大切にされた方だったので、明治に森有礼等によって宗教改革が行われ“廃仏毀釈”“神仏分離令”が発布され稱名寺が寺領を失ったり神社を取り壊されたり荒廃し、御寺に因(よ)る文化財売却が横行した際に非常に文化的に危機感を持たれ、金沢文庫の多くの文化財を守る為に稱名寺境内に“金沢文庫”を再建しました。
これが昭和5年に県立化され、更に本来の鎌倉時代の文庫の所在地だった稱名寺と隣の谷の“文庫谷(ぶんこがやつ)”に新築されたのが現在の神奈川県立金沢文庫(博物館)です。

金沢文庫の今回の特別展示は仏教文化的にも戦国好きにも堪らない展示内容と成っています。・・・興味無い人には可也(かなり)地味だけどね(笑)。
特別展示を見るだけでもとても価値が有りますが、隣の稱名寺も綺麗。
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【金沢山稱名寺】そして近くには元料亭の建築文化財の宿、喜多屋も有るのでランチタイムに喜多屋のcafeで食事する事も推薦します!
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もしランチタイムに伺う時に事前に食事を予約して、その際に客室に空室が有るか確認した上で「見学させて頂けませんか?」と御願いすると、客室の状況と従業員の方の状況次第では下の旧料亭部分の宿泊客室も見学させて頂けるかも知れません。
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【喜多屋】

以前喜多屋を紹介した記事リンクはコチラ→

そして、もう一つ・・・
もし皆さんが金沢文庫博物館に訪問するのが金・土・日曜日ならTV鉄腕ダッシュにも度々登場している金沢柴漁港の江戸時代からの名物の小柴の穴子を“小柴のどんぶりや”で天丼に調理して漁協婦人部が提供しているので朝水揚げされた新鮮な穴子天丼を食べる事も出来ます。
小柴のどんぶり屋 久良岐のよし
小柴の穴子天丼と小柴の蝦蛄刺身 久良岐のよし
※朝11時~13時位の間で売り切れますので御注意!
【小柴のどんぶりや】
八景島シーパラダイスも近いので、合わせて訪問すれば子供も楽しめますよ~♪

さて、金沢文庫の特別展示、寶生寺展に歴史好きなら一見の価値が有る事がお判り頂けたでしょうか?
展示解説も時間毎に有るので、訪れる前に事前に金沢文庫へ電話して確認するとより楽しめると思います。
そして周辺には綺麗な稱名寺や美味しい御店が沢山有ります!
是非!週末にでも訪れて見て下さい。

では・・・又、次は解説記事で御会いしましょう~♪















横浜市金沢区の八景島シーパラダイスや鉄腕ダッシュに度々登場する柴漁港の近くには金沢園と言う元料亭が存在します。この金沢園は昭和四年(1929年)に桜木町から移転して来た料亭で、その開業年は何と大正五年(1916年)に遡(さかのぼ)ります。
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その金沢園は昭和~平成を通じてずっと金沢区柴で営業を続け、大正時代に桜木町で建設され昭和四年に現在地に移築された建物は文化財にまで成りました。
そして平成27年、旅館喜多屋としてリニューアルオープンし、料亭時代の厨房を利用してオシャレなcafeとしてもランチタイムやディナータイムに営業を開始しました。
昔は料亭内から海が一望で来た景勝地で、その景勝は鎌倉時代に清朝(満州族=女真族の愛新覚羅家)によって滅ぼされた中国の明帝国から日本に亡命して来た東皐心越によって「金沢八景」と愛称で呼ばれた程の絶景が金沢区柴~乙舳~小泉(釜利谷周辺)~六浦~野島~内川橋~平潟湾の一帯にかけて江戸時代には大変に多くの観光客で賑わいました。
そんな訳で現在、喜多屋と成っても店の建物は文化財として価値が有り美しい造りで宿泊客を持てなし、cafeでの食事を楽しみに来る御客様には昔の薪を焚いて火を起こす窯で調理していた時代の煤(すす)が磨き込まれて黒光りする雰囲気有る旧厨房で食事を楽しむ事が出来る、とてもオシャレな店として復活しました。
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駐車場には昔の料亭時代の名残の池と石橋も有ります。
さて、客は先ず暖簾(のれん)をくぐり下の写真の玄関で靴を脱ぎます。
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靴を脱ぎ振り返ると料亭の頃のとても煌(きら)びやかな掛け軸や壁の欄間が御客様を出迎えてくれます。
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この店は予約無くてもランチを食べる事が出来るので、八景島で遊んだり稱名寺を散歩する際に御薦めです。
玄関から中に入り右手に進むと旧厨房が“cafeぼたん”として営業しています。
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何と目の前で料理をしている所を見ながら食事が出来ます。これは外国人の御客様に好評でしょうね。
日本人でも見ていて楽しいし、料理が好きな御子様なんかを連れて行けば良い影響を受けるんじゃないでしょうか?
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メニューはオシャレだけど価格はとてもリーズナブル、御子様ランチも有るので子連れのママさん達も安心して子連れ友達同士で来る事が出来ます。
まぁ…元料亭、今も旅館のレストランなので「ぎゃーぎゃー」と騒ぐ子等は連れて行くべきでは無いと思うし、逆にママさん達が日本人らしく子供を厳しく躾(しつ)ける良い機会にも成るかと思います。
小生は写真撮影に訪問したこの日は“国産地鶏の幽庵焼きオレンジ風味”の定食にしました。
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料理も和風に洋食のエッセンスを足していて横浜の開港以来の鎌倉武士文化と西洋文化のコラボを楽しむ様(よう)な献立が多いですね。
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この幽庵焼き、とても美味しかったです!
これにデザートのジンジャープリンが付いて1500円はとてもお得。
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食器も料亭金沢園から引き継いでいるそうで、とても美しい鎌倉彫の椀に汁物が入っていました。
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この写真を知り合いの博物館の女性職員達に見せたら「うわ~綺麗♪」と感心していました。
価格の話もしましたが、女性達が魅力を感じる御店としてどうやらコンセプトの確立に成功した様ですね。

さて、食事が終わり、館内を従業員の方に案内して頂く事が出来ました・・・
実は小生、この写真撮影の為の訪問に際し、1ヵ月程前に直接御挨拶に訪問し日を改めて館内の見学と写真撮影の申し込み、つまり素人取材の御相談にあがっていました。
・・・なので、今回の訪問で従業員の方に御話を通して頂き、食事後に旅館の客室としてリニューアルした元料亭客室部分で空室チェックイン前の部屋を見学させて頂く事が出来ました。
※見学したい人は訪問前に事前に客室の見学の可否を相談して下さい。小生の場合は事前に交渉しアポをとっています。通例だと思わないで下さいね~。
先ず案内されたのが1Fの客室に通じる廊下。
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ともても風情が有る。
下は金沢区野島の伊藤博文公金沢別邸。
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やはり明治に建てられた同じ金沢区の野島公園にある伊藤博文公の別邸に少し似ている印象を受けた。
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1Fには2人部屋の客室。元々料亭だったので書院造だ。
昔の日本人は男性平均身長も160cm位で体躯も小柄だったし、これで十分に広かったのだろう。
書斎といった印象を受ける。
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通路に戻り奥に進むと厠(かわや)すなわちトイレが有る。
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ここも大正モダンな和風建築がそのまま活用されている。勿論、必要な部分は現代の物に成っている。
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2Fに上る階段の奥にも客室が在る。
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うん、良い感じ。今度関西や台湾の友達が遊びに来たら横浜市内の味気ないホテルじゃなくて、ここの喜多屋か三浦の民宿やペンションか横須賀の米国軍人が宿泊するホテルに泊めてあげよう。
きっと喜多屋に泊めてたら皆、横浜にこんな場所が有るのかと喜んでくれるだろう。
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こちらは少し広めの部屋。3人部屋の様だ。
昔はこの部屋で4~6人位で宴会をやったのだろう。
料亭時代から宿泊も出来た様で、風呂も大正の素敵なタイル貼りの浴室だった。
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まぁ、本格的な旅館では無かったので、2つ有る浴室の内のコチラは大浴場ではない。
窓のガラスは大正時代の色ガラスだそうで、何だか教会のステンドグラスの様で日光を取り込んで素敵な淡い色に光っている。
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コチラも窓のガラスが美しい!
浴室はもう一つ有り、こちらは少し広い。家族4人でも同時に入れそうだ。
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色が暖かい。
大山阿夫利神社の参道に多く有る宿坊も大正時代や昭和初期の再建の場所が多いが浴室はやはりコンナ感じだ。富士山の溶岩で浴槽周辺を装飾されタイル張り。
浴室を出て階段を上る。
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階段の上からは昔は海が見える絶景だった大広間が存在する。
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とっても!立派な部屋。
昭和の映画スターの勝慎太郎さんが良く宴会をしていた京都の老舗すき焼き店の三嶋亭の大広間もこんな感じだった。一昨年三嶋亭で友人と食事をした際に店の御厚意で店内を見学させて頂けたのでたまたま知っている。
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部屋の周りも雰囲気が良い。
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現在では目の前にマンションが建ってしまい、更にアフォの横浜市が景勝地だった海を埋め立ててしまい眺望は失われたが横浜市内に在って豊かな緑が残っている御庭。
これも外国人の観光客には好まれるだろう。
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大広間の書院造りは大名屋敷に負けない程に立派だった。
さて、店の解説はここまでにして、少し周辺の地理の解説をしようと思う。
…と、その前に店の住所と連絡先を紹介して置こう。

この喜多屋の前身の金沢園が料亭として栄えていた頃周辺の風景は景勝地として政治家や財界や多くの文化人に愛され、昭和の初期まで、その景勝は大半が残っていた。
その景観は素晴らしく小生の顕彰する戦国時代の関東最強武将、北条綱成公の家老だった間宮康俊公の親族が代々江島神社奥津宮別当を務めたのだが間宮一族の治めた江の島を愛した与謝野晶子サンや、高浜虚子が歌会を開いたり滞在されたりしていたそうだ。
その当時の金沢区の風景はこんな感じだった…
金沢地形図 久良岐のよし
…戦後の昭和に他府県カッペ移民役人だらけの横浜市に破壊される前の"日本屈指の景勝地"金沢八景の地形。
京都の天橋立(あまのはしだて)に瀬戸内海の風景を足した様な絶景が広がっていました。

残念ながら横浜市は現在の林文子市長を含め日本文化や武士文化や歴史に興味の無い極左派やヤクザの親類と交流に深い人物が市長を務める事が多かったり、県外からの移転者が市の役人として多く採用された弊害で神社仏閣を含めた宗教的な自然の境内地の価値や、鎌倉時代の武士や江戸時代の庶民や外国人から愛された景勝地を、建設利権の為に多く埋立て或(ある)いは破壊してきました。
昔、浮世絵師の歌川広重が乙舳帰帆(おっともきはん)や称名晩鐘(しょうみょうばんしょう)と言う絵で描いた美しい風景が昭和初期まで存在したり、源頼朝公が伊豆(静岡県三島市)の三嶋大社から勧進した御分霊を祀って開かれた瀬戸神社の鎮守の森の山も横浜市役所の役人達によって破壊されてしまいました。
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この風景は日本の名だたる歴史偉人達にも愛され、例えば近くの洲崎地域の龍華寺は前身寺院が六浦地区に在った頃、源頼朝公と文覚上人によってその景勝地を望む丘に御寺が開かれました。
新田義貞の鎌倉乱入等で新田軍等の放火と略奪の戦災に遭い廃寺と成った跡、横浜市と縁の深い菅原道真公の御子孫と関東最強の名軍師太田道灌公によって現在の寺町(洲崎)地区に龍華寺は復興されました。すると、その金沢八景の美しさは日本レベルで有名に成り北条早雲公、徳川家康公等が龍華寺に滞在され金沢八景の景色を楽しまれたそうです。
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鎌倉時代にも喜多屋の近くの金沢山稱名寺が鎌倉幕府の重鎮で執権も輩出した金沢北条家の邸宅に成り、後に邸宅は稱名寺として寺院化され現在に至るのですが、その景色も美しく江戸の市民が観光に訪れる場所の一つでした。そして、それ等の八ヵ所の景勝地として有名に成っていた風景を海の上から見た景色を歌川広重が絵にして“金沢八景”の地名は江戸から昭和初期まで南関東最高の景勝地として多くの人々の知る所と成っていたのですが…
戦後の横浜市役所に他府県出身の役人や、極左翼閥や非保守多国籍ヤクザと結託した役人や左派市長が横浜市を統治する度に不思議と海は埋め立てられ、金沢八景の景観は全滅しました。
そして海の公演も埋め立てられ、金沢園も商売が厳しくなった訳です。
この金沢区の埋め立てによる大景観破壊の被害、海の公園と八景島の建設による景観の悪化で客足も遠のいて、平成25年頃には経営がかなり難しく成っていました。そこを現在の喜多屋の運営会社さんが文化財と歴史を活かしてオシャレな店に復活させるプロフェッショナルな粋な企業だったのですが、その経営によって現在見事に復活した訳です。
同じ様な努力をされている西区の坂本龍馬の奥さんお龍さんが働いていた料亭田中家さんや、南区弘明寺の同じく料亭旅館で建築文化財に成るべき価値の有る中里温泉さんと3すくみで頑張って行って欲しいと思います。

本当に、この現在の喜多屋の運営者さんの努力は素晴らしいと思います。
そして料理も美味しい!
是非、この存在を皆さんに知ってもらいたく、お盆休み最後の週末に八景島や海の公園に訪れる人がいたら是非!ここでランチやディナーを召し上がれば良い思い出に成るので推薦させて頂きます。

今回金沢八景の解説で紹介した場所は過去に記事に書いていますので、ブログの「タグ」の一覧から興味の有るタグを選んでクリックして頂ければ関係の記事が出ると思います。

では、今回は喜多屋の解説でしたが、次回は金沢八景の地名の初出典と成った場所、能見堂と青ヶ台城の解説をしたいと思います!
では!又、次のブログ記事で御会いしましょう!

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