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タグ:城ヶ島

※誤削除してしまった記事の文章を改めて書いた物です、以前の文章とは少し違うと思います。

前回の記事⤵
【休日雑記】07月11日~14日・・・三浦半島景勝地と聖地の旅(その②城ヶ島宿泊:港屋)。
これ⤴の続き。


三浦半島に群生する山百合を見る為に、美味しい食事で有名なリーズナブルな宿、城ヶ島の港屋に宿泊して迎えた朝・・・
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前夜、小生独りには宿泊に大きい関東畳の8畳部屋に準備してあった御茶菓子を頂きながら持ち込んだPCパチパチ文章書き、自宅に居る時よりもリラックス出来た♪
さて、早朝から城ヶ島を散歩しようと思ったがいつも自宅では何故か安眠出来ない小生、港屋さんでは寝心地が良くて朝食ギリギリまで寝て居たく食事の8時までゆっくりしてから着替えて食事処に移動した。
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独身で仕事前にジムに通う小生は自宅では朝食を食べる事が少なく、逆にこうして旅行に行った時だけちゃんとした朝食を食べる事が出来る。
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女将さんの準備して下さった朝食はどれも美味しかった。特に厚焼き玉子とか城ヶ島名物の干物とかとても美味しかった!
朝食を頂いてから又部屋でゆっくりさせて頂いてからチェックアウトした。
前日の記事でも紹介したが、港屋さんは美味しい食事をランチタイムに提供する和食レストランとしても有名な個人経営の小規模旅館として営業していた。御主人と女将さんと数人の従業員で運営されていたのだが、一昨年御主人が亡くなられて暫く休業されていたそうだ。それを前日、御風呂の場所を従業員さんに尋ねた際に聞く事が出来てビックリした。
一人旅でのチェックインの際に女将さんと雑談に及び少し寂しそうな笑顔で「次は彼女連れて来なさいよ!」と言う励ましの様な感じで「独りはダメですよ~」と言われたのが強く印象に残っていた。
チェックアウトの際に御礼を伝えた・・・
「御主人の事、昨日初めて聞きました。」
「初めて来た時は風景の綺麗な宿だなと、様子見がてらランチに来たんです。」
「宿を再開して下さってありがとうございました。御飯、とっても美味しかったです!」
・・・と。すると女将さんがこうおっしゃった・・・
「再開すると最初は御客サンがホームページを見て「再開してるじゃないですか~♪」と問い合わせして下さったんです。」
「そうする内に御客サンがだんだん戻って来て下さって・・・」
「御客様が来て下さって仕事をしていると、寂しい事も忘れられるんです。」
・・・これを聞いて小生は・・・
「あ~やっぱり御主人亡くなって、御主人の残した港屋を守る為に歯を食いしばって頑張ってるから俺に「一人はダメですよ~」って仰ったんだな。」
・・・と、とても感じるモノが有った。
この先、小生は女将さんのアドバイスを活かして自分の家族を持てるかは解らない。だけど若(も)し、自分と一緒に成ってくれる女性と御縁が結ばれ恋人や奥さんと夏を迎える事が出来たなら一緒に港屋に泊まりに来たいと思う。そして若し恋愛する人生を再び歩む選択をしていたら奥さんや子供を大切にしたいと本当に思う。御主人の残した港屋を守る女将さんみたいに。

御礼を伝えを終えて女将さんに城ヶ島を散歩してから帰りたいので港屋の駐車場に車を停めさせて頂いても宜しいでしょうかと訊(たず)ねた所「良いですよ~♪」と快諾して下さったのでお言葉に甘えさせて頂き、長津呂~馬の背洞門~城ヶ島商店街~楫の三郎山を散歩する事にした・・・
港屋を後にして長津呂岬側に抜ける城ヶ島商店街の御店。
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美味しいご飯を提供する御店は旅館だけではないので、海辺散歩デートに最適。
若いカップルもチラホラ見かけ、夏の城ヶ島商店街は微笑ましい風景に成る。
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港屋サンから長津呂の磯へ抜ける商店街、昨夕と様子が変り御店が沢山開いていた。
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良い感じの昔ながらのゲーム屋さん。こう言う雰囲気の店が大好きな小生、しかしゲームはもう余りやらないんだ。
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長津呂荘
長津呂荘サンもホームページを拝見すると、とても美味しそうな料理の写真が並んでいる。是非、泊まりに来たいな~。
小生の妹夫婦は開業医で忙しいので、もう少し涼しく成ったら妹達の代りに可愛い甥っ子姪っ子を連れて来て港屋サンや長津呂荘サンに宿泊し長津呂崎で磯遊びさせてあげたいなぁ~。
いつか泊まりに行きます、その時は宜しく御願いします♪
長津呂~馬の背洞門の風景・・・
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昨日の寂しげで風流な人の少ない夕景の雰囲気とは打って変わって晴天の下、家族連れの海水浴客で賑わう爽快な雰囲気に包まれる長津呂の入江。
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微笑ましく少し羨ましい。もし自分に家族がいる未来を選択していたら、この人達を見習って良い夫、良い父親に成りたいと思う。
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長津呂から後ろを振り返ると港屋。女将さん、御飯とフックラ御布団ありがとうございました♪
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快晴の城ヶ島の磯で遊ぶ家族たち。幸せそうで自分の人生の将来も港屋の奥さんのアドバイスとかから色々考えたのを言葉に書いたのに消しちまった・・・
長津呂~馬の背洞門を目指して歩く風景。
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直ぐに洞門とそそり立つ断崖の壮観な風景が見えて来た。
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丁度、引き潮の時間帯だったので磯の海藻が露出していた。
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岩海苔だろうか?
馬の背洞門近くには自然の海蝕洞穴が幾つか有るが、その一つの手前には残念な事に不埒(ふらち)な輩によってBBQセットが放置されていた・・・
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・・・日本人の恥晒(はじさら)し、我々はこうは成るまいと憤りを感じる。
程無く馬の背洞門に到着。
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馬の背洞門
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この馬の背洞門は明治~大正~昭和の文化人も愛し、訪ね歩いた場所でもある。
城ヶ島には北原白秋も人妻と不義密通から略奪婚をして三崎漁港に移住した際に度々(たびたび)訪れて俳句を残していたりする。
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馬の背洞門からは海を見通せる。
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三浦市観光協会や城ヶ島観光協会もインスタ映(ば)えする景勝地として推している様だ。
小生は撮影が下手クソなのだが、きっと今の若い女性や青年ならばスマホでも良い写真が撮れると思う。恋人同士にはうってつけのデート場所だな。
この上にも遊歩道が有って、そこからは海鵜展望台を通過し城ヶ島公園へと行く事が出来る。
城ヶ島公園からは又、ここと異なった雄大な太平洋を望む景色と、貝殻で出来た砂浜を見る事が出来る。
以前書いた城ヶ島公園の紹介記事はコレ⤵
城ヶ島~三崎漁港~三浦海岸・・・美食と色々な風景を見せてくれる海岸。
今回は馬の背洞門から遊歩道は歩かず、来た道を戻り城ヶ島京急ホテル横の観光橋~楫の三郎山へと向かった。途中、多くの山百合が暑さに負けず綺麗な曙色の姿を見せてくれた・・・
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この娘達を見たくて城ヶ島に宿泊したんだ・・・
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小生にはこの夏の三浦半島の磯に咲き誇る山百合達から海辺で遊ぶ若者や女性の様な健康美を感じるんだな。そして城ヶ島や佐島や秋谷海岸の詠んだのが以前に記事に書いた自作の漢詩な訳だ。
夏曙三浦半島   
岩畔風有清香
山百合色灼灼
その時の情景と解説がこの⤴二つの記事。
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途中、山百合の他にも綺麗な紫色の花が咲いていたのだけれど、無学な小生は名を知らない。
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綺麗な海岸に咲く花達。本当に城ヶ島や佐島は夏の山百合が綺麗なので是非、夏の城ヶ島に宿泊してみるのも良いと思う。小生ももし奥さんがいる未来が有るなら奥さんを週末に楽させてあげる為にデートに誘って泊りがけで城ヶ島に来たりしたいと思う。
それが出来る人を素直に羨ましいと思うので、本当に既婚者の男性には奥さんを大切にしてあげて欲しい。
城ヶ島で一番のホテルが見えて来た・・・
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城ヶ島京急ホテル
この城ヶ島京急ホテルも本当に宿泊に来たい場所の一つなのだけれど、残念ながら単身者向けの宿泊プランが無くて今の小生は暫時(つがいがおらず)宿泊する条件を満たす事が出来ない(´;ω;`)。
でも日帰り温泉もやってるし、美味しい料理を提供しているレストランも運営しているので小生の様な御独り様でも恋人同士でも食事と入浴を楽しむ事は出来る。
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城ヶ島京急ホテルの横から綺麗な城ヶ島の海を観察出来る観光橋へ行く事が出来る。
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本当に綺麗な場所。
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観光橋から見える三浦半島の隆起した岩盤に透明度が高い海水の入り込む絶景・・・
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この磯にも山百合が沢山咲いていて綺麗。
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ふむ!今年もここでコノ娘達に会う事が出来た♪
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暑さに負けて萎んでいる子も、まだ元気に咲いている子も、これから咲く子もそれぞれだった。
今年は暖かく成るのが早かったので梅も桜も紫陽花も薔薇も躑躅も全ての開花が早かったので予想通りではあったけれど、元気な山百合が姿を見せてくれて爽やかで明るい元気を貰う事が出来た♪
ありがとうね~♪又、会いに来るね!
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観光橋からは三浦半島でユーラシアプレートとフィリピン海プレートがぶつかり捲(めく)れ上がり隆起した独特の縦の岩盤地層を良く観察出来る。海水の透明度も本当に高い。
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観光橋から見えるのが、縁結びの観音様の岩屋。
歴史事実を余り知らないカルト宗教と信仰宗教の信者が、明治時代に都新聞に掲載された❝桜の御所❞と言う架空歴史小説を事実と誤認した挙句、信者獲得の為に歴史上実在しない❝小桜姫❞の名を悪用し❝小桜姫信仰捏造❞の舞台にされてしまった。だから縁結びの観音様として地元民に大切にされたのに勝手に御神鑑や鳥居が設置されたり・・・
しかしながら昔から❝縁結びの観音様として有名❞なので、御利益は間違いないだろう。
若いカップルがここに来て御参りして結ばれて若し家族に成れたら、城ヶ島京急ホテルや長津呂荘や港屋サンに泊まって又ここに御礼参りに来たら、きっと観音様も喜んで下さると思う。
そして家族が3人に増えて又来て、子供に思い出として城ヶ島が記憶に残ると大人に成って恋人と来てくれて発展にも成るだろう。
だからこそ、聖地捏造でブランド力を貶める事は城ヶ島には不利益だと小生は憤慨する訳だ。
余談だが、正しい三浦家と小桜姫関連の知識を解説した記事を以前書いているので興味の有る人は参考に読んで下されば良いと思う。
これ⤵
小桜姫と三浦義意公の聖地巡礼向け三浦家関連の縁結びの聖地と史跡紹介の一覧。及び史実と小桜姫伝説の誤差確認記事。
さて、観光橋~商店街~バス停を目指す途中も山百合が可愛らしい姿で出迎えてくれた。
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山百合がそこかしかこに一杯の城ヶ島。
観光橋~バス停に続く商店街の御店で出会った優しい人懐っこい猫チャンに会った。
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沢山モフっても嫌がらず、寧(むし)ろノビい~っとリラックスしてくれた。
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ゴロゴロ~♪
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ありがとね、優しい猫チャン♪
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バス停周辺。
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城ヶ島バス停周辺には駐車場も有り、ここに車を停めると目の前が商店街でデート散歩にうってつけ!

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御店だけじゃなくて公衆トイレも有る。
今年はトイレに燕が巣を作っていた。
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小生もこの燕達の様に家族と来る未来は有るのだろうか(笑)?
バス停からコンモリ見える小山が城ヶ島の聖地の一つとも呼べる楫の三郎山と、その前に在る梶ノ亭。
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楫の三郎山の下の法には毎年綺麗な紫色の花が咲く。
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無学な小生は残念ながらこの花の名前も解らないが綺麗だった。
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楫の三郎山の名の由来は海南神社御祭神の一柱、藤原資盈公と盈渡姫の御家来の名前に由来し、山頂には御廟所が神社形式で祀られ、現地の人に大切に守られ信仰されている。
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藤原資盈公と盈渡姫は平安時代貴族で、三浦に移住し文化発展に寄与された。その御二人が伝えたのが現在、世界無形文化遺産に登録されている海南神社の神事❝チャッキラコ❞で、源頼朝公が藤原資盈公と盈渡姫の伝えた踊りと小唄を鎌倉時代に見物され神事として定着した。その藤原資盈公の御家臣の楫三郎公が祀られる山なのだ。
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楫の三郎山からは神奈川の景勝50選の城ヶ島大橋の風景や・・・
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長津呂と城ヶ島京急ホテルの風景や・・・
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太平洋側の灘ヶ崎の絶景・・・
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三浦半島南端、三崎漁港と三崎城址、そして観光漁港❝うらり❞と入舩地区が見える。
この三崎城址は室町時代後期の北条流の築城術なのだが、これを城郭や歴史に無頓着な小桜姫信仰の捏造に悪用しようとする連中が三崎城を三浦家滅亡の場所と歴史捏造迄しており真憤りを覚える。
岬の本瑞寺は源頼朝公の春を過ごす桜の御所の跡地なのだが、小桜姫のモデルと成った歴史人物の房総半島の小大名、真里谷武田家の姫の夫である三浦義意公の時代には城郭は無かっただろう。
そして三浦義意公の父上は扇谷上杉家から三浦家を乗っ取った三浦道寸公なのだが、そもそも平安時代の三浦家の時代は本家直轄地の港だっただろうが、城は無く新井城が三崎の防衛拠点だっただろう。
城の縄張り的にも扇谷上杉家が本拠地にするなら三方を湿地や水辺に囲まれた丘を城にするので、人口の空堀や群郭式で馬出とクランクの虎口を多用する三崎城は北条氏規公の時代の北条流の城であるのは先ず間違いない。
そして三浦家は一族を三浦半島各地に配置すると、分家としてその土地の名を名乗らせるのだが、❝三崎❞を姓にする支族はおらず、又三崎に新井(あらい)城があり、本家が代々❝荒次郎(あらいじろう/あらじろう)❞を名乗る三浦❝荒次郎❞義澄公以来の名を受け継ぎ、三浦家最後の殿様となた三浦義意公も三浦❝荒次郎❞を名乗っている事から・・・
新井城=荒次郎を名乗る人物の直轄地であると解る。
そして三崎漁港の平安時代の船着き場は入舩地区と観光市場❝うらり❞の間と解っており、三浦家氏神の海南神社の前身と成ったであろう筌籠弁才天=稲荷社もうらり側の入江を守護する位置に鎮座している。
又、海南神社に合祀された藤原資盈公と盈渡姫御夫妻が亡くなった際に水葬された平安時代の海岸の突端と伝わるのが本宮神社で、これは海南神社の氏子サンに教えて頂いた事だが当時の海南神社前~うらり~入舩地区の間が船着き場の入江として機能していた地形的な証拠に成る訳だ。
そんな歴史を辿れるのが、この楫の三郎公の祀られる楫の三郎山だったりする。
山を下りバス停に戻る。
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バス停から港屋駐車場に戻り車に乗り込むと、次の目的地の海南神社の例大祭見物に向け出発した・・・
その④海南神社例大祭と食い倒れに続く・・・

※誤って削除してしまった記事とほぼ同じ内容に成る様に書きましたが、文章表現が違ったり、三浦家支族解説等端折ってしまった部分も有りますが、御了解下さい(笑)!
では、又、この続きの記事で!
mixiチェック

前回の❝休日雑記❞これ⤵
【休日雑記】07月11日~14日・・・三浦半島景勝地と聖地の旅(その①小網代海蔵寺~油壷扇谷上杉流三浦家御廟所~荒井浜~弁才天矢倉~ザ作兵衛)。
それ⤴の続き・・・

11日、油壷マリンパークの半島に在った新井城の落城した日、三浦義意公と道寸公の親子の命日に御廟所に御参りした。そこから帰宅し、改めて週末に三浦半島訪問。
この日の午前中は用事が有って中区にお出掛け、午後も良い時間に成り日没の2時間位前を目標に宿泊予定の城ヶ島に到着する様に中区を出発。
横浜横須賀道路で三浦市を目指す。
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夕刻近く、まだ昼食を食べていなかった小生は横浜横須賀道路の横須賀PAで昼食を食べる事にした。
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上下線ともに売っている名物の❝横須賀海軍カレーパン❞を食べたかったので。
本当は午前中に急な用事が入っていなければ、朝から横須賀で軍港ツアーのクルージング観光をしてドブ板通りでネイビーバーガー食べる予定だったが時間無く実行に至らなかったので、せめて横須賀らしい物を食べて置きたかったから。

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葉山みかんサイダーと鮪カツと海軍カレーパンを購入。

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う~ん・・・
個人的な感想としては上り線の売店の海軍カレーパンの方が美味しい様に感じた。まぁ、個人の感想なので皆さんは気にしないで良いと思う(笑)。
食事を終えて、少し休憩してから再出発。

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城ヶ島バス停傍に広がる城ヶ島の御土産物屋の商店街、ここは昭和の趣の中に何だか明治大正の文豪達が歩いた事の雰囲気が残る様な気がするのは小生の思い込みだろうか?
江ノ島の江島神社の参道~奥津宮に続く商店街や鎌倉市長坂の下地区~長谷観音~下馬の商店街に似た雰囲気が有るかな?
城ヶ島の商店街を抜けて直ぐの所に宿泊予約した港屋は在る。

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港屋この港屋、2年前に三崎漁港のサンポート三崎に宿泊した際に早朝城ヶ島散歩に来て・・・
「あ~、風景の良い旅館だな。ここに宿泊して夕焼けを見て、早朝に磯を散歩したらさぞ気持ち良かろう」
・・・と思い、後日、偵察も兼ねて昼食を食べに訪れたらとても美味しくて今度は宿泊しようと決めていた場所だった。
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その日食べた料理の一部、シラス丼と❝あまがに❞の味噌汁。城ヶ島では❝ヤドカリ❞を❝あまがに❞と呼び料理の食材としている。味噌汁も美味しい出汁が出ていた。
その時の思い出は御主人が調理場を切り盛りしておられ、奥様が旅館全体を仕切りながら調理場もフォローしていると言う印象だった。
元々、河内源氏の棟梁で鎌倉幕府初代征夷大将軍と成った源頼朝公の最大の支援者であり平安時代を代表する忠義の名将の三浦義明公や、その孫で実務力と戦略眼に長けた和田義盛公を非常に尊敬している小生、その故地である三浦半島には小生個人的に恩義が有る。
過労で元気が無くなっていた時に休みに三浦半島に来て何もせずに1日海を見て過ごしていると頭真っ白のままでも何となく穏やかな時間が過ぎて行き、又は当時はまだミシェランガイドに掲載されておらず客の少なかった鎌倉の報国寺の竹林で抹茶を飲みながら緑の笹の葉から差す優しい木漏れ陽を見ていると心が落ち着い少しづつ元気に成り本来の行動力と元気を取り戻す事が出来た。
だから三浦半島には恩義が有り、だからこそ年に数回三浦半島の小さな旅館を宿泊して廻っては紹介したり、現代の若い衆が余り知らないインスタ映えする様な景勝地を紹介したりしている。先々出版物で三浦市の観光業の一助に成れば良いなとも・・・
それで今年は港屋に来た。この港屋はとにかく眺望が良い。
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部屋は全室オーシャンビューで目の前は城ヶ島の長津呂と言う景勝地だ。
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この先、港屋は定宿にしたいなと思うし、年に数回三浦半島に泊まるから城ヶ島の他のホテルやペンションにも宿泊して宣伝出来たら良いなと念願している。
少し話は港屋からズレるが、小生は坂東平氏の祖先の平将門公や平良文公を尊敬している。
その板東平氏は、朝廷を簒奪していた藤原一族と宗教的政治的に戦いを繰り返した桓武天皇の皇孫である。
❝遷都❞によって藤原政権と興福寺等の僧兵を切り離し霊的にも天皇と古代豪族中心の社会を取り戻そうとした桓武天皇の皇孫が関東を開拓した。
それが平高望(たいらのたかもち)王とその御子孫である平将門公や鎮守府将軍の平良文(たいらのよしふみ)公だ。
それも有り更に御子孫に当たる三浦家の殿様をリスペクトしている。
だから小生が三浦家と三浦半島に恩返しするのは当たり前なんだな。それは小生に御利益を授けて下さった神社仏閣の神仏に対する恩義と同じ程に感じている。
港屋、宿泊して見たら小生一人にはとても部屋が広かった!
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デッカイ関東の畳で8畳も有った。部屋も綺麗。景色も綺麗。
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御茶菓子、御茶、コーヒーが有った。
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バスタオル、タオル、浴衣。これなら日帰り旅行に来た恋人同士で当日いきなり宿泊したくなっても大丈夫だね。下着はコンビニで売ってるし・・・て城ヶ島コンビニ無いから島外の三崎町で買わないといけないけど。
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部屋風呂は無いものの洗面所含め部屋の施設は綺麗だ。
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トイレもウォシュレット。民宿的な規模の旅館としてはかなり頑張ってる事が解かる。
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館内も白基調で明るい感じ。
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ゴテゴテしてなくて落ち着いていて小生は好きかな。
部屋に荷物を置くと夕日の時間に海を眺めながら夕食をとる予定で散歩に行く事にした。

そうそう、以前は昼食時の食堂としてもやってらっしゃったのだが現在は宿泊客しか受けないとの事、港屋サンの御飯を食べたいなら宿泊して夕食を食べるしか今は無い。小生は当初は❝朝食のみ❞の単独宿泊9000円のプランで予約して、夕食は三崎漁港に行こうと思って。無論、一人だから割高なだけで二人以上で宿泊ならかなり安い。二人以上で一泊二食付で9000円で泊まれて更に立派な食事が付く訳だ。
小生は独りの一泊朝食付で予約していたのだがチェックインした際に・・・
「あ~、どうせ御金を払うなら城ヶ島で食事をした方が地域の為に成るし、三崎はしょっちゅう行ってるから夕方~日没までゆっくり城ヶ島を満喫して過ごした方が良い。」
・・・と思い直した。
到着して直ぐ女将さんに唐突に・・・
「やっぱり港屋サンの夕食を食べたいと思い直したのですが、急遽何か準備して頂く事は可能でしょうか?」
・・・と御相談差し上げたら「良いですよ、それでしたら3000円のコース等準備できますが如何でしょうか?」と言う趣旨の事をもっと優しい口調で提案して下さったので、それで食事時間を日没の19時に御願いしてプランを変更して頂いた。わがまま言ったのに臨機応変に対応して下さってありがたい。
港家を出て先ず、商店街に戻り御土産物屋サンを物色した。
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うん、この雰囲気大好きだ。まだ夏休み前だし、もう日没も近い時間だったのでバスも少なくなる事も有り観光客は少なく昼の賑やかな感じとは違い❝鄙びた雰囲気❞を醸し出していて、コレも情緒有り良い。
そこから城ヶ島灯台に登って見た。
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ここも夕方来ると雰囲気が違うんだね~!
昼来ると真っ青な空と、周りの海と暑い夏の空気感が凄い場所だけど夕方、何だか泣きそうな位の不思議な懐かしい雰囲気が出迎えてくれた。
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夕日が真っ赤じゃなくて未だ黄金色に光り、翼の様にV字に広がる白色と灰色の雲と相まって、映画の1シーンでも使えそうな感じ。
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灯台から港屋が見える。
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灯台から海岸の法に降りて来ると、2年前と同じ真っ赤な御花が出迎えてくれた。
う~ん・・・今年は梅も桜も躑躅も薔薇も紫陽花も開花が早かったから、名前も知らないこの赤い娘達ももう見頃が少し過ぎた位だった。でも綺麗だね。
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海岸を歩く。
翌朝、改めて山百合を見る散策をする予定は有るが、夕刻の長津呂~馬の背洞門を歩いた事が無かったので散歩して見た。
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夕日がハッキリ見えないけれど、優しい光を感じられる天気だった。
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港屋が見える。港屋の前には長い自然地形の入江が広がる。
この手前の入江が恐らく❝長津呂❞なんだろう。
地名の由来は良く解らないが恐らくこんな感じだろう・・・
長・・・長い。
津・・・港や船溜まりの意味、つまり津波だと港で破壊的な威力に成る波の意味が有る。
呂・・・古来は岩屋(いわや)や岩窟(がんくつ)の意味。
・・・漢字本来の意味のままだろう、この長細い自然の隆起して露出した海底の柔らかい地層が海蝕され出来た入江が昔は漁師の船溜まりとして利用されていたんだろうと推測する。詳しい事を地元の人に聞くのを忘れたので実際の所は未だ解らない。又、改めて聞いてみようと思う。
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馬の背洞門目指して歩くと、自然の岩盤を明らかに四角いプール状にくり抜いた岩場が有った。
何だろう?昔何かに利用する目的が有って削岩された場所なのは間違いない。今では穴が開いて海に繋がっている様で波に合わせて水面が満ち引きしていた。
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磯釣り客がいた。波にさらわれないか見ている方がハラハラする。
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少し東に向けて海辺の磯を歩くと馬の背洞門が見えて来た。
もっと先に進む。
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お!っと思った。今年の城ヶ島も岩場には山百合が沢山!
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うん、綺麗だ!この子達に会いに来たんだ今年も夏の三浦に♪
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でもユックリ鑑賞するのは真っ青な快晴の天気予報の翌朝に、日没も近いので先を急ぐ。
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小生は写真撮影が下手くそだが、今時女子や学生諸君はスマホでももっと上手に撮影出来るだろうねぇ~!絶景!
更に前にズンズン進む。
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・・・と、ここで更に先に進み全部見てしまうと翌朝の楽しみが減るので旅館に戻る事にした。
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戻る時もチラホラ山百合サン達・・・
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う~ん綺麗だ!
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馬の背洞門は城ヶ島の中央南、港屋は西南側に在るので帰路は西を向く事に成る。自然に夕陽に向かって歩みを進める訳だが、陽光を背にした岩礁の景色も美しい。
穏やかさと荒々しさが両立されている余り見られない景色。これも夕陽だから出る雰囲気なのかも知れないと思うとラッキーに感じ散歩していて独りの寂しさも紛れた(笑)。
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港屋の近くに観光案内図も有って参考に成った。
旅館に戻り御風呂をに入った。
風呂は現在は内風呂だけ、以前は露天風呂も利用できたが今は暫時人手不足で利用中止との事。でも内風呂が貸し切りなので満足。
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早い者勝で鍵かけて自由に入浴して良いんだって♪
風呂の場所を聞く時に従業員の方に初めて聞かされた・・・
実は港屋、一昨年の7月小生が食事に訪れた後に大将が亡くなってしまったそうだ。そして暫く営業休止していたのが数ヵ月前から再開したのだが、再開以来、女将さんが一人で頑張って切り盛りし従業員さんと一緒に料理も質を落とさず頑張っている。
・・・こう、頑張ってる人の話を聞くと本当に応援したくなる。泊まる事が出来て良かった。
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御風呂は流石に内風呂とは言え一人では広すぎる位。
これなら家族で来ても子供2人~3人+夫婦で皆一緒に仲良く入っても大丈夫!宿泊していれば目の前の長津呂で海水浴&シュノーケリング楽しんでから海の家代りにも御風呂に入れるね。
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旅館食堂前の風景。露天風呂からもこの風景と夕陽が見えるのだが、今は管理者が女将さん一人なのと人手不足で残念ながら露天風呂は暫時使えないが食事しながら同じ風景が楽しめる。
いつか女将さんを慕う御客サンに港屋再開が更に周知され、そして料理と景色を気に入る若いカップルの宿泊も増えて、更に人を雇える様に成り、そしてこの景色を又露天風呂で楽しめる日が来る事を切に願う。
そう言えば女将さんにチェックインの時に言われた!
「独りはダメですよ~(笑)!」
・・・って、独身の小生に向けて「早く恋人連れてきてください(笑)」ってジョークと合わせた言葉かと思ったけど、もう会えない御主人の為にも頑張って旅館再開した女将さん御自身の事も表した言葉だったんだね。
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食堂からも御覧の景色。
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部屋も別の客とはパンテーションで部屋ごとに仕切られているので家族連れや恋人同士で他を気兼ねせずに食事が楽しめる様に配慮されていた。
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小生は❝アンチ❞アルコール人間なので旅先気分だけ楽しめれば充分、なのでノンアルコールビールを注文した。もしかしたら夜中に車で三崎町に行くかも知れないと思ったしね。
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そしてカンパーイ♪独り旅だけど楽しい。
本当はちゃんと大切にしなきゃいけない伴侶と結ばれて夫として奥さんを週末の小旅行御泊りデートで連れて来て「奥さんが一緒に居てくれたらもっと楽しいだろうな」とも思いながら・・・
料理は3000円のコースだが充分品数が出て来た。
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先ず、自家製イカの塩辛、アカモク、鮪角煮、サラダ。
このイカの塩辛が港屋オリジナルの自家製で絶品!御土産でも販売しているのだが、小生は実は市販のイカの塩辛が生臭く感じ食べられない。しかしコレは一口食べて「うんまぁ~(*´ω`*)♡」と思った。
そして・・・
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バチ鮪、イカの刺身。一人分にしては多くて嬉しい♪当然ながら美味い!
何を隠そう、鮪も獣肉も油の多い部位より赤身が好きな小生、これは本当に御馳走なのだがバチ鮪の赤身として港屋サンの御刺身美味しかった!
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そしてメインディッシュの鮪のカマ焼き!
本当ね、これ全部三崎漁港でアラカルトで頼んだらエライ値段に成るよ。
ほぼ体重80kgの男の小生1人分でも少し多く感じる位の量で色んな種類食べれて3000円なら、一人での宿泊で朝食付き9000円+3000円コース=12000円でも安いよ。
これで普通に2人以上で宿泊すれば更に良い料理で1泊1人9000円でしょ?良心的過ぎる!
御主人亡くなったばかりで大変なのに、料理の内容下げないで頑張ってる女将さんの努力を感じる。
写真撮影し忘れたけど、美味しい味噌汁と御飯も出て来たよ。
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そして食後はココアムース。
これで3000円は凄い!この品数を三崎漁港で一人で食べたら凄く高く成ってしまうし量が多く成り食べきれないだろう。このコースを気転を利かせて提供して下さった女将さんに感謝!
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部屋に戻り陽が沈んで濃紺の宇宙の色に戻りつつある空を眺めた。
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夜、部屋に戻ると持ち込んだPC広げて少し物書きしてからPCは片づけ、TVを付けてから海蔵寺で受け取った写経の台紙と御住職が抜粋した金剛般若波羅蜜経の御手本を広げチャレンジした・・・
ここが前回の休日雑記で行ってた「結論から言うと写経は3枚とも書き損じた(笑)」の部分。
・・・3枚とも書き損じて失敗、それから「まぁ~失敗したら日を改めて納経するか!」と直ぐに思い直し、「どうせなら金剛般若波羅蜜経の全文、自分で読んで見て抜粋じゃなくて全部分写経しよう!」とポジティブな方針転換を決めた。改めてPC開いて未読の金剛般若波羅蜜経を調べると全文が愛知県西尾市の岩瀬文庫サンが画像データ化して公開して下さっていたので、改めて写経する御手本も見つかった。
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この後は御土産物屋で購入していた❞いか太郎❞を食べながら、部屋のTVを見て、暫くすると眠く成ったので就寝した。
実は自宅の自分の部屋で寝るのは落ち着かず寝付き悪い小生、この旅館では本当にグッスリと眠れたのだが、不思議とそれ以後、自宅に戻ってもグッスリ眠れる様に成った!
城ヶ島の風土が小生の不眠症気味に成っていたのを解消してくれた様だ。城ヶ島に感謝!

→その③港屋~長津呂~馬の背洞門~城ヶ島商店街~楫の三郎山~灘ヵ崎散歩に続く・・・



















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留学初期にほぼ毎日食事通学旅行で皆でつるんでたいたのだが、その留学仲間の一人である大阪のITが都内に出張で来てるので先週末に観光案内して来た。
出張先が渋谷の近くだそうで田園都市線でアクセス便利だし新大阪から新幹線で一本と言う事で、宿を新横浜駅近くのホテルを予約したらしい。
一ヶ月前から小生が作成中の神奈川観光の刷子原稿を送り行きたい場所はリサーチ済み。
そのITの仕事はニッチな産業のデザイナーだが廃墟マニアと言う趣向が有ると今回、訪問に当たって事前に行きたい場所の趣向を聞いた際に発覚し、とても意外だった。
かれこれ人生の半分近くの年数関わり、歴代の彼氏がどんな人物かも知っているのだが廃墟が好きなんて趣向は全く知らなかった。

そんな訳で近代の廃墟廻りを今回の観光案内の目的地にした。待ち合せもホテルに朝9時に迎えに行くと申し合わせて有り万全だった。
後は天候次第で臨機応変に訪問地を雨天仕様に組み替えるだけ。
んな訳で時系列で当日の行動を紹介するとこうなる。

04:00前後
早朝、睡眠少しで起きてしまい、小机城の紹介記事のリニューアルの為に加筆していた。

08:00
自宅を出発。新横浜駅へ向かう途中のコンビニATMで現金引き出しノンカロリーのレッドブル飲んで無理矢理に脳内シャキッとさせる。
09:00
迎えに新横浜駅前に到着。
大阪の親友ITはちゃんと寝れた様でシャキッとしてた。因みに留学で知り合った親友だが、たまたま小生とは祖先が同族。でも外見は似ても似つかない。
しかし好きな物は割りと似ていて気は合うし漫画も好き、廃墟好きと歴史好きも似ている。
奴は家具や革製品を、小生は銀の指環や組紐のブレスレットを造るのが趣味と言う工作好きなのも似てる。
関西に土着した奴の祖先は弥生系と古墳時代の渡来系との混血が進んでおり小生の如き胴長短足の縄文遺伝子は最早体形にも頭蓋骨にも名残が無い(笑)。多分、はた目に見て美人の部類だろう。
同氏族だからでも外見でもなくリスペクト出来るし信頼もしている。
まぁ、気が合う訳だ。
小生の親友は皆、そんな奴が多い。
09:45
野島に到着。
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季節柄、野島の海には昭和まで江戸前と呼ばれた東京都大田区~神奈川県川崎市~横浜市~横須賀市~三浦半島の東京湾沿岸部で盛んだった“海苔ひび”を見る事が出来た。
海苔“ひび”の“ひび”は現在では国語辞書にも元の漢字が掲載されていないが、小生は竹で海を囲った様子から轞(ひび)が語源では無いかと思う。この轞と言う漢字は三国志好きなら知っている古代中国の囚人や罪人を護送する際に用いた轞(jian=和音読み:ケン/カン)の事だと推測している。
盧植
三国志演義で後の蜀の皇帝と成る劉備と同郷であり学問の師匠に当たる“盧植(ろしょく)”先生が朝廷を私物化した奸臣の董卓の事を大将軍の何進に諫言(かんげん=上司への忠告)をした事で後に逆に逮捕されてしまったのだが、その際に乗せられていた護送車のアレが“轞(jian)”だな。
轞は文字通り、檻(おり)+車の構造物だ。
罪人を護送しながら晒し者にする為に檻(おり)の下に車輪を付けた構造、解り易く言うと馬車の幌(ほろ)が監獄(かんごく)に成った物だ。
この轞(jian)を日本語では訓読みで“轞(ひび)き”と呼んだ様(よう)だが、日本語辞書の解釈では護送車を引く音の形容詞と説明している物も有るがハッキリ言って辞書の筆者が知らないだけで轞は護送車その物の事だ・・・
まぁ轞は日本語にするなら護送車しか今が無いのだが敢えて言うなら“見せしめ晒(さら)し囚人輸送車”とでも言う物だろうか。
・・・もしかしたら轞の漢字は“車”+“監”で轞だが、現代では失われた発音として海苔が東京湾の大森海岸で開始された当時には"監(カン)”の発音の訓読み自体が"監(ひび)”だったのかも知れない。
そう言えば格子(こうし)状に割れる事を“ヒビが入る”とも言う。
そうなると現代では漢字の伝わらない"海苔ひび”の"ひび”は檻(おり)に似ている事から檻(おり)と書いて檻(ひび)と読む訓読みがもう一つ有ったのかも知れないと思う。
まぁ、檻(おり/ひび)は監獄(かんごく)を指すし、監獄(かんごく)って書いて檻(おり)を指す時点で小生の推測は100%間違い無いだろう。
恐らく海苔ひびの漢字は“海苔ひび=海苔檻”か“海苔轞”だった筈だ。
因(ちな)みに、今現在、江東区と大田区で帰属を巡ってモメている埋立地の人工島一帯が昔は大田区の海域で江戸前海苔の生産で有名だった地域だ。
歴史好事家(オタク)として個人的な意見だが、江東区はどの面下げてアソコを江東区の区域と主張するのか理解出来ない、ハッキリ言って片腹痛い(笑)。
折衷案を出した裁判官は歴史的な素養が乏し過ぎる(笑)。
あの一帯は昔から大田区だったのだから、江東区は引き下がるべきだと同じ海苔の名産地だったのに自民党に漁業権を捨てさせられた横浜市民の漁民の心痛と大田区の漁民の立場を重ねて思う所が有る。

もっとも、この風景を見て一緒に来たITはソンナ事は微塵も考えていなかったかも知れない(笑)。
まぁ、今回大阪から出張に前乗りして神奈川に遊びに来た親友は女性ながら"廃墟マニア”と変わった趣味の持ち主なので、今回は先(ま)ず野島掩体壕(旧海軍零式艦上戦闘機の格納庫)に連れて来た訳だ。
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この掩体壕=格納庫は実際には零戦の格納庫としては使用されなかった。
隣の日産自動車追浜工場とテスト用走行コースの敷地が横須賀鎮守府海軍飛行場だったので、当時は滑走路から先に在る野島に格納庫を作り米軍のB21爆撃機から戦闘機を守る計画が進行していた訳だ。
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説明の看板でも解る通り、戦時中の物資不足でコンクリート擁壁は入口と出口の先に掘削された部分だけに止まり、中心部はまだ完全な幅に広げられてもいなかった。
幸い、この基地が利用される前に戦争は終結したので戦争史跡として現存している。
明治時代の軍人と違って太平洋戦争末期当時の無責任に成っていた海軍の上級将校達は内陸の現在の慶応大学日吉キャンパスの地下に基地を掘って隠れてしまっていた。
そうこうする内に末端の将校は頑張っていたが、無駄に本土に戦火を及ばせた戦争末期には物資が不足し、この野島掩体壕ばかりか日吉の海軍参謀本部でさへ物資不足で入口のみ煉瓦とモルタル造りで奥は素掘りのままと悲惨な状況だった訳だ。
こんな状況で勝てる訳が無い。
そもそも陸軍の暴走で英国との条約を無視して万里の長城を超えて中国侵攻をしてしまったので英国による日本の満州宗主国としての地位保証も破棄される事に成ってしまった上、素人の小生すら理解している“兵站”の確保を陸軍は楽観的に無視、結果、日中戦争は完全に無益な物で更に収拾不可能に成り海軍の足を引っ張り、真珠湾攻撃にしても有利な状況で和睦を成立させて満州利権を連合国に承認させると言う目的が有ったのだが、開戦前に「3年かかったら負けますよ」と言う主旨の発言をしていた山本五十六サンも既に戦死して連合国と不利な現実を直視し和睦を提言する人もいなかった。
その間にも今日左翼を煽る様に当時は“朝日新聞が軍部と民衆を煽り捲って戦争へと向かわせた”のだが、そんな痴れ者の朝日新聞がプロパガンダで支持した当時の陸軍政府(一夕会)は当時の外務省の外交敗北と責任をすり替えようとしたが、ハッキリ言って越権行為の外交交渉を陸軍が勝手にやった挙句に条約を無視して全てを水泡に帰したのが日本斜陽の始まりだったと言う歴史も知っておかないといけないと思う。
だからと言って“鼻から日本文化破壊と日本の共産主義国化を目指して中国共産党やソビエト(ロシア)を誘引しようとする日本共産党や極左テロリストの支援を受けている政党政治家の主張はそもそも“外患を招く内憂”であり獅子身中の虫でしかない。
実はそう言った近代の歴史を知れるのが、この野島掩体壕と伊藤博文邸だったりする。
野島掩体壕から南側に回り、時計回りに反対の西側の出口に行く途中に野島稲荷神社が在る。
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ここは旧紀州徳川家金沢野島屋敷の鎮守の神社だな。親友のITは横浜市に紀州徳川家と所縁の場所が在(あ)るとは知らず意外だった様だ。
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この野島稲荷は鎌倉文化の影響を色濃く残しており、境内社は壁面に掘った横穴の中に御社が其々(ぞれぞれ)祀られている。
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この横穴は“矢倉(やぐら)”と呼び、平安時代からの関東武士団の墳墓や宗教施設に見られる様式で壁面に人工的に掘られた横穴の事を指す。
鎌倉武士には矢倉に祠(ほこら)や石仏や供養塔を祀る事が多かった。関西や中部地方からは想像がつかないかも知れないが、鎌倉武士の葬送は火葬も多く五輪の塔の真ん中に骨壺を納骨する四角いスペースが存在しており、地下に埋める形式と五輪の塔の中に収納するケースが両方存在した。
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武士の墓の構造は横須賀市衣笠に在る薬王寺廃寺の三浦義澄公の御廟の墓石を見ると解り易い。
納骨スペースが大きな四角の箱状の造りに成っている。残念ながら不届き物が骨壺を盗掘する際に箱状の構造物を破壊されているが、そのせいで納骨スペースの存在が目視で理解出来る状態に成っている。
恐らく、身分の高い武士の御廟所が一人に一つの菩提寺(ぼだいじ=供養する為の御寺)が築かれる様に成って来た鎌倉時代初期に成ると寺院に御廟所を設(もう)ける際は矢倉の掘れない地形の場合、五輪塔に納骨し其処を築地塀(つきじべい=数層に土と瓦を重ねて作る土塀)や石柱で取り囲んだのだろう。
まぁ野島稲荷神社の場合は・・・
礼拝所である神社なので矢倉には神様が祀られている訳だ。

野島稲荷神社から野島掩体壕の西側入口へ回る途中、野島掩体壕を含めた“野島砲台=野島要塞”の名残の塹壕が数ヵ所剥き出しで現存している。
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戦後に防空壕の入口はコンクリートで塞ぐ命令が施行されたので、中に入る事は現在では出来ない。
それでも戦時中に野島が要塞化されていた事を見る事が出来る訳だ。
そこから掩体壕西側の入口を見て、伊藤博文金沢別邸に移動した。
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余り日本国民のみならず、横浜市民でさえ知る人は少ないが金沢区の瀬戸神社の辺りと野島と夏島は昔は別荘地で、そこの宿を転々と変え宿泊しながら伊藤博文公等が明治憲法の草庵を起草した場所の一つが野島だったりする。
昔は金沢八景と呼ばれ源頼朝公以来、有力者と文化人に昭和初期のアホの横浜市の建設利権に因(よ)って海が埋め立てられるまで、その別荘地として景勝地としての文化は続いた。
伊藤博文公も野島の風景を紀州藩主徳川頼宣(よりのぶ)公と同じく愛されたので、終いにはここに金沢別邸つまり別宅を構えてしまった訳だ。
そして・・・
ここは日本と韓国が友好国で無二の友邦に成れたかも知れない韓国皇室のキーマンが愛した場所でも有ったのだが、それも知る人は少ないだろう。
・・・まぁ、“金沢八景”と“伊藤博文公金沢別邸”については以前に解説記事を書いているので御興味の有る方は以下の記事タイトルをクリックして過去記事を御覧頂くと良いと思う。





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さて、野島の伊藤博文公の別宅は実は明治天皇も利用した建築文化財であり“御所”だったと言う事実は伊藤博文金沢別邸の存在その物より更に知らない人が多い。
実は、この建物は明治天皇の旧赤坂仮御所の“御会食所”を解体移築した物である。
説明すると、明治天皇は赤坂の仮御所に御住いだったのだが、明治時代に欧米列強に倣(なら)って西洋式の御所と公館と接待所を新設するまでの御住いであり、接待所だった。
伊藤博文公御自身は神道形式の御廟所に埋葬されていらっしゃるが、実は仏教文化も大好きで金沢別邸からそう遠くない氷取沢の宝勝寺にも良く参拝してらっしゃって武士時代の遺物を奉納してらっしゃったりする。古来の神仏習合の文化が御好きだったようだ。だから明治時代の近代建築よりも和風の木造住宅が本当は好きだったみたいだ。
まぁ、こんな他府県民にとって意外な歴史が凝縮した場所が野島なのだ。
一頻り散歩して腹も減った(ITには朝食食べずに空腹にして置く様に要請してあった)ので昼食には少し早い11時少し前、ブランチに小柴の柴漁港へ移動し古来の横浜名物の穴子と地魚の天丼を食べに移動した。
11:00
鉄腕DASHで良く登場する芝漁港に到着。
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ここはTVでロケも来るが小生が好きで良く見るYouTubeのキャンプ動画投稿者“ソータロー”が漁協の許可を得た上で一般人が釣りが不可能な漁港内で夜釣りをした事でやっかみの対象と成り“密猟者”扱いされ“炎上した場所(笑)”だったりもする。

※一般釣りマニアのやっかみで炎上した動画は削除されてた(笑)。
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小柴のどんぶり屋で当日水揚げされた横浜名物の穴子を食べる事が出来る。
いつもは開店前に人が並びあっと言う間に品薄に成るのだが、ITの日頃の行いが良いのか運良く客は小生達を含めて未(ま)だ3組しか来店してなかった。
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穴子の三色天丼と地魚天丼を注文。
そして、この日はカワハギの煮付け定食が有ったので、カワハギの煮付けだけ食べたかったので米無しで注文をした。
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結果的に“かき揚げ”がもう一つ付いて来てしまい二人で朝から天麩羅三昧、胃袋もキャパオーバーに成った。腹も満たされ、次の廃墟、猿島へと向け移動。
11:20
横須賀海岸通りの駐車場に到着。
SAIKAYAパーキングと言う美少女アニメオタクが好きそうな(笑)アイコンが目印の駐車場はフェリーの乗船券が駐車料金割引券代わりに成るのを、去年の猿島散策で知っていたので今回も利用・・・
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何と300円も安く成るんだな。
・・・ITに小生の趣向と誤解されない様に(笑)ちゃんと割引券の説明した。小生はロリコンでは無いし、適齢期以上の女性にしか女性としての認識も持てない上に、どちらかと言うと同世代の女性が恋愛対象なのだが、そんな事を一々説明すると親友でもIT「何なんコイツ必死に弁解してホンマはロリコンとちゃうん⁉」と思われそうなので、2次元のSAIKAYAキャラ説明で深追いしないで置いた(笑)。
徒歩で三笠公園に移動。
ここから5分程度の距離と近く非常に便が良い。
11:30
三笠桟橋に到着。
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三笠桟橋は文字通り“世界三大記念艦の三笠”の横に有る桟橋で、桟橋の前で乗船券を購入出来る。
乗船券は純粋な船賃1200円(往復)+入島税300円と安い。
丁度タイミング良くチケット売り場に到着した頃に乗船時間と成り、ギリギリ待つ事無く猿島行きの遊覧船に乗船出来た。
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三笠桟橋~猿島は10分の航路と非常に近い。
この日は三連休最終日と言う事も有って大変な賑わいだった。
もう5分遅れたら定員オーバーで次便まで乗船出来なかっただろう。まぁ、そんな場合も想定して、その場合は三笠公園の売店で横須賀土産の物色と戦艦三笠に乗艦して時間を潰す計画だった。
バッチリ、小生の旅行は毎回ヌカリは無い(自画自賛)。
11:45
猿島桟橋に到着。
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今回初めて知ったのだが、何と猿島の休憩所兼売店の3F事務所でガイドツアー(200円)に入れる。
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小生は一度来ているし大体の解説を出来る知識を有している心算(つもり)だったので・・・
「ツアーに入る必要も無いかな。」
・・・と内心思いながら、ここはゲストであるITの意思を尊重すべきと思い確認。
小生「ツアーに入って専門的にガイド聞いて見たいか?それとも自分達で自由に回る?」
IT「ツアーに入ってみよう」
・・・このITの判断は正しかった。
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島内の明治時代の要塞跡を見学ツアーに入ると、一般では見学できない場所も入る事が出来たり小さな疑問も質問するとガイドさんが詳細な解説で回答を下さった。
例えば直接歴史とは関係無いが・・・

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・・・ツワブキの花。小生はこれが食べられる野草のツワブキと知らなかった。綺麗だなと思い写真を撮っていたら団体の先頭を歩くガイドさんが「黄色い花はツワブキです」と解説をして下さった。
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この構造物は通風孔かと思っていたら、中の穴は兵舎として利用されていたそうで明り取りの穴だったそうだ。
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この壁面の穴も質問する前に解説が有った。これは送電線を固定する金具を埋め込むモルタルのブロックが嵌(は)められて有った跡そうだ。
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この写真の様な金具が嵌っていたそうだ。
自然の砂岩の場所には煉瓦の様に直接金具を埋め込めないので方形のブロックに金具を取り付けてから砂岩に嵌め込んだ訳だ。
ここに島の浜辺近くの発電所から電気の送電線が伸びて、各砲台や兵舎へと電力が供給されていた訳だ。
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これはガイドさんがツアー客に質問する前に小生は正体を当てていた施設だ。
実はトイレの跡。
写真撮影するの忘れたが、実は下部に配水構造が有り便器が嵌っていた様な跡が有る左側のモルタルと、右側は壁状のモルタルの下が配水構造に成っていたので直ぐに解った。
三笠の小便のトイレに右側のモルタルの設計が似た構造だったのだ。
先に進むと今度はレンガの積み方に関して講義が始まった。
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この様に長辺と短辺を交互に並べ重ねて行くのを“フランス積み”と言うのだが、小生はこれを知らなかった。
これに対して横一列毎に長辺だけを並べ更に上に短辺だけを並べる積み方を“イギリス積み”と言う。
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このイギリス積みに関しては小生はたまたま本で見て知っていた。この写真の場所は変わっていてフランス積みとイギリス積みを両方一箇所で見られる日本でも珍しい近代史跡だそうだ。
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煉瓦の積み方の講義の次に、一般観光客は見学不可な弾薬庫内部の案内が始まり正直予想外の幸運。
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内部は漆喰で固められており、当時は白く綺麗な洋館の内部の様だ感じだっただろう事を推測出来る。
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天井には穴がポコポコ開いており、小生はコレをITに「空気孔かな?」と見当違いな予想を問いかけたらガイドさんによると“伝声管”の配管がココに通されていたそうだ。
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この弾薬庫は外部からは判り難いが2階建て構造に成っているらしい。
その2Fには砲台への弾薬補給の指示を出す人が居り、その伝令を配管を通じて糸電話の要領で行っていた訳だ。
だから当然ながら弾薬を2Fに送る人力のエレベーターも存在しており、今もその穴を見る事が出来る。
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こんな素晴らしい史跡なのだが、残念な馬鹿はいつの時代もいる様で、今の団塊~バブル世代が戦後に無断上陸して猿島要塞史跡に落書きをして回ったそうだ。
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おい石井智樹見てるか?
オマエのアンチモラルで低文化な落書きは、施錠の向こうで末代まで消される事無く晒し者にされ続けるぞ(笑)。反日文化テロリストと同類の己の傍若無人な振舞い、子々孫々まで恥として晒されれば良い。
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2Fと砲台の有る上部へは写真の様に階段を登って移動していたそうで、弾薬庫や兵舎の中から登れた訳では無いそうだ。
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今でも立派な煉瓦組みのトンネルも残っている。
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このトンネルの横にも多数の外へと通じる階段が設置されており、更に階段の途中にも先程の弾薬庫の様に横に伸びる穴状の構造物が有るそうだ。
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トンネルはともて趣が有り、ヨーロッパの城内を散策している様な感覚だな。
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最期に猿島の北端の砲台跡の開けた場所を抜け海辺に出て解散と成ったのだが、ここでも猿島要塞と同じ役割をした東京湾に浮かぶ明治時代の人工島要塞の東京湾第1海堡と第2海堡の解説が有った。
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実は東京湾には陸軍大将だった山縣有朋公によって建設された人工島の要塞が3つ在った。その内、第1海堡と第2海堡が現存していて第3海堡は前東京都知事の石原慎太郎に因って撤去された際にライオンズクラブによって解体され追浜の日産自動車の工場近くに移築され展示されていたりする。
そこ等辺の事も過去の記事で解説しているので、興味の有る人は以下の記事タイトルをクリックして解説を読んで見てくれると良いと思う。

望遠鏡やカメラのファインダー越しでないと目視し難いのだが、猿島からも第1海堡と第2海堡がガイドさんの言う通りに見る事が出来た。
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灯台が有る方が東京湾第一海堡。
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奥に見えるのが富津岬の直ぐ傍に在る第一海堡。
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繰り返しに成るが第三海堡は日産追浜工場近くの夏島地区の岸壁に移築されている。
ガイドさんの薦めもあり、島の海辺に在る通称“日蓮洞”と呼ばれる日蓮宗信者にとって聖地である縄文時代からの貝塚が発見されている洞窟も見学した。
島の北端の西側に当たる。
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この洞窟は江ノ島に繋がっていると昔から伝承しているが、ガイドさん曰(いわ)く・・・
「江ノ島の方では江ノ島の洞穴は富士山に繋がってると解説しています(笑)。」
・・・との事(笑)。江ノ島のガイドと真偽確かめ様と画策中らしい。
そこから日蓮洞と反対側の島の北東に移動。
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途中、又、要塞の中も通る。しかしココを抜けると入口に戻ってしまうのでトンネルは抜けないで山側に行った。
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・・・このショボい見張り台と言うか展望台、実は“仮面ライダーのロケ地”“ショッカーの秘密基地の入口”の設定の場所らしい(笑)。
ガイドさんによると、なのでコスプレイヤーの聖地に成っていて猿島全体含めてコスプレした女の子達が良く自分の写真集を作る際に撮影の為に来るらしい。実際、この日もコスプレした女性達が数人来ておりカメラマンが撮影していた。
まぁ、人畜無害な趣味なので、御寺や神社で撮影して場の雰囲気を乱すよりは猿島で撮影してくれた方が良いかと思う。
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こちら側から山の尾根伝いに島の桟橋方面に戻ると、砲台上部構造も見学出来る。
この穴を使い1F弾薬庫から弾薬を補給し、方形の小さい穴に弾薬を仮置きしたのだろう。
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関西には中々こう言った場所が残っていないらしく、和歌山県の方まで行かないと戦争史跡の廃墟は無いそうだ。
一頻(しき)り見学を終えて時間に合わせて桟橋に戻る。
14:45
ギリギリ乗船定員20人前位で乗船する事が出来た、ラッキー♪
14:55
三笠桟橋に到着。
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三笠公園に着いたら先ず、戦艦三笠の写真撮影タイム。そして三笠公園売店で御土産を物色。
余り興味を引く物は無かったようで、ITの要望で三笠公園前の古着屋に移動。
ここも気に入る衣服は見つからなかったそうで、駐車場に戻った。
15:30
駐車場から三浦半島三崎町へ出発。
16:10
城ヶ島第2駐車場に到着。
実は最初は城ヶ島公園の第1駐車場に行ったのだが、第1駐車場は17時で閉門施錠される為に管理人のオジちゃんのアドバイスで17時以降も出庫可能な第2駐車場に移動したと言う次第だ。
第2駐車場から城ヶ島公園はそれ程遠くない。
16:15
第2駐車場から徒歩で神奈川県立城ヶ島公園に到着。
すると綺麗な黒猫様が御出迎えして下さり、寛大な事におおいに“モフらせて”頂けた。


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凄く綺麗な毛並みと顔立ちの猫様。
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可愛かったな~。
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顔を洗っていたので「明日は雨だな」と言ったら、どうやら関東ローカルの迷信らしい。
それもとITが知らないだけなのだろうか。
取り合えず、翌日の天気は雨ではなかった(笑)。
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城ヶ島の海岸の夕景と富士山を見物予定が海がガスって秋季には珍しく富士山見えず。しかし夕陽と海と岸壁の風景は相変わらず綺麗だ。
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城ヶ島は展望台の近くに海岸に降りる階段が在る。
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そこを降りるとこんな風景が見れる。
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本当は今の季節、もっと水蒸気が少なく富士山も見えるのだが、生憎(あいにく)と低い所に雲が掛かっており富士山も今回は見られず日没も途中までしか見られなかった。
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釣り船は見えた。これはこれで風情が有る。
3月に台湾の友人夫妻を連れて来た時は雹(ヒョウ)が降った不運に比べれば綺麗な風景も見れて良かったのだろう。ITも満足してくれた様だ。
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日没後の夕闇迫る時間帯だが、小生達の他にも散策する観光客が数組居た。
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展望台に戻る階段は季節柄、薄木(ススキ)が茂って秋らしく綺麗な風景を見せてくれた。
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そして黒猫様と他の茶虎猫様達が再び見送って下さった(笑)。
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でもコイツ等、愛想悪かった(笑)。黒猫の神対応に感謝♪
写真を撮影するのを忘れたが実は城ヶ島も猿島や野島と同じく戦争史跡の廃墟が有り、明治~大正時代の砲台跡が花壇として保存されている他、岸壁には猿島要塞の弾薬庫と同じ構造物が残っているが弾薬庫の方は一般見学は不可能だ。
腹も空いたので夕食に三崎漁港に鮪を食べに移動する事にした。
17:10
駐車場に戻り城ヶ島を出発。
17:25
三崎漁港に到着。
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三崎漁港の鮪を夕食にしたのは、ITに折角なので神奈川名物を食べさせてあげたいと思い事前に・・・「葉山牛と、三崎漁港の鮪料理と、鎌倉野菜と海鮮のイタリアンとどれが良い?」
・・・とリサーチして「肉より魚、鮪食べたい」と回答が有ったからだった。
しばし三崎漁港の商店街を散策し鮪漁で栄えた頃の倉屋敷の外観を見物して廻り店の選定に入る。
17:45

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有名な鮪料理専門居酒屋の“黒羽亭”か・・・
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・・・鮪稀少部位を食べれる行き付けの寿司屋“紀の代”から好きな方をITに選ばせ“紀の代”に入店。
3月に台湾の友人もこの店に連れて来てあげたかったのだが生憎と当日は店が開いてなかった。ITはラッキーだったな。
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まぐろ寿司(インド鮪赤身漬け、中トロ、大トロ、備長鮪のトロの握り)、鮪サラダ、ワタ(鮪の胃袋湯引き)、皮ポン(鮪の皮のポン酢和え)、鮪のカマの焼き、鮪のツミレのお吸い物を食べる。
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鮪丼(大トロ、鮪ユッケ、漬け鮪、ネギトロ)、ネギトロ巻きを追加(笑)。
※因みに、この日、小生は先月ダイエット8㎏成功したのが1日で2㎏リバウンドした(笑)。
ITも美味しい美味しいと満足してくれた様で何より。
臺灣の友人が来た時も中国人の同僚が帰国する際もここに連れて来たが、一緒に来た人が自分の美味しいと思う店に連れて行って喜んでくれると嬉しいもんだな。
そして気兼ねなく安心して御腹いっぱに食べてくれる様子を見るのも嬉しい。
自分が大切に思う人達が幸せそうにしている様子を見るのは嬉しいもんだ。自分の御腹も幸せに成るしねぇ~(笑)♪
18:50
三崎町を出発。
19:20
横須賀PA(上り)に到着。
横須賀土産を物色。
海苔と葉山牛の佃煮と海苔と鎌倉の蛸の佃煮を購入し神奈川土産に渡す。
写真は撮り忘れた。
19:50
小生の地元、横浜最高峰の栄区の円海山(海抜たった300m)に到着。
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横浜の中心部の夜景を見物。去年の出張でITを案内した中華街~大桟橋界隈を指さし、みなと未来地区とベイブリッジの位置を解説。
一頻り夜景を見て新横浜のホテルへ送り届ける為に出発。
運転中に春に出張来るらしいので遊ぶ計画を相談。此方(コチラ)も間宮直元公の顕彰活動と城マニアの趣味で但馬地方に行く予定が有るので一応、ザックリと訪問予定地を伝え予定の擦り合わせを相談をしておいた。
20:20
新横浜駅近くのホテルに到着。
うむ、留学最初の半年の仲間達とは毎日皆で食事をし皆であちらこちら旅行して廻ったので、IT等初期の仲間と遊ぶと何だか留学中を思いだし面白い。
そして、未だに色んな事を相談する関係であり、ベタベタせず数ヵ月に一度のやり取りでも信頼関係が絶えない位信頼出来る奴。
それでなくても古馴染が訪ねて来てくれるのは嬉しいね。

子曰学而時習之不亦説乎
有朋自遠方来不亦楽乎
人不知而不慍不亦君子乎。

儒教は年長者の失態の責任追求を許さない組織の自浄能力を昨日不全させるばかりか実力主義も認めない年功序列の腐敗の温床で大嫌いだけど、論語のこの一文は気持ち解るかな~。
ITの御陰で有意義な時間を過ごす事が出来た1日だった。
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因みにITの土産は何故か鹿児島の醤油と煎餅だったが、この醤油がイカ刺しに付けて食べたら凄く美味かったので個人的に大瓶で取り寄せようと思う。
ありがとうIT!次は関西か又、神奈川か。又な!

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前回の記事が7月30日の休日雑記なので前後してしまうけれど、7月16日の休日雑記も兼ねた❝三崎漁港❞の❝海南神社❞の例大祭を紹介したい。

2016年07月11日が尊敬する三浦義意公の太陽暦での命日だったので連休を取り菩提寺への御参りと御廟所への献花をするがてら横須賀~観音崎~三崎~城ケ島~油壷~諸磯~三浦海岸を旅行した。
…横浜に住んでいるので車で45分程度の距離、本来は宿泊する必要も無いのだけれども三浦半島をたまにはユックリ旅して見ようと思った訳だ。
その時に、宿泊先の給仕係のオバちゃんと三崎城址のローカル知識を御教授下さった三浦市の教育委員会の方に、「週末16日に行われる海南神社の例大祭がとっても賑やかだから是非、見学に来られては如何か?」と観光の御推薦を受けていたので「是非にも!」と約束をした事を守る為にも、美味しい物を食べる為にも御祭りを見学する事にした。
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真ん中で鉾(ほこ)を持ち、天狗面で左右に部下を従えて立っているのが猿田彦(さるたひこ)を演じる氏子サン。
猿田彦は天照大神系の武御雷(たけみかずち)神等、敵方の軍勢を先導し出雲神族の神域への侵攻させた❝出雲系の神様❞で神楽等を司(つかさど)っていた。
だから祭りの先頭にたっているんだろう…

この日の祭りは12時から海南神社で神事がスタートすると三浦市役所の方に聞いていたので家を10時に出て、御寺で写経をして11時に横浜を出発したのだが、生憎(あいにく)と夏季の三浦半島の観光地はどこも繁忙期で高速道路も一般道路も全て渋滞…
三崎漁港の海南神社に到着したのは12時半頃だったが、まだ海南神社の境内では神輿の担ぎ手が気勢を発し大声を上げて町内の人々や観光客で盛り上がっていた。
どうやら三崎町の町内各地区に何基も神輿や山車が有るらしく、地区毎に順番に海南神社で出発の儀式をやるらしい…
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だから商店街にも待機している山車が沢山いたんだね…
先に出発した神輿も見かけたので「もう神社の御祭りは終わったのか?」と勘違い。
だってね…
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お好み焼きの屋台も、❝ちんちん❞焼き(笑)の屋台も観光客が全くいない!
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海南神社に向かう途中は焦って小走りに成ってしまった。
因(ちな)みに❝ちんちん焼き❞なんてハマっ子の小生も三崎町でしか見た事が無い(笑)。
なんか卑猥(笑)な名前だが、オノマトペで「ちんちんに熱い」とか言う熱さを表現する言葉が恐らく名の由来だろう。
しかし、そんな懸念は何のその、到着した海南神社は参道は人出溢れかえり、寧ろなかなか境内に入れない程だった。
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ものすっごい活気!
新興住宅地だれけの横浜市内では廃れてしまった昔ながらの御祭りの活気!
そして漁師町=三浦水軍=北条水軍の町だけあって、参加者の町民がワイルドな人が多い(笑)。
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担ぎ手たちが神輿を持ち上げ激しくゆする度に観客達から「オオぉ~っ‼」と言うどよめきと歓声と拍手が巻き起こる。
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海南神社は狭くはない境内、寧ろ中の上位の敷地が有る。この時は境内に神輿が3基残っていて氏子と参拝客と観光客でゴッチャゴチャ(笑)で狭く感じる程だった。
しかしながら、この様な活気有る御祭りは横浜に現存しないので非常に羨ましい。
実は❝ちんちん焼き(笑)❞の強烈な名前を見て思い出したのだが、多分、小生は過去に数回、この海南神社の例大祭を偶然見ていた。
この神社を支援した鎌倉時代の水軍大将で三浦家当主の三浦義澄公に引き寄せて頂いたんだなぁ~としみじみと思う。
病気で辛かった時期に、本当に三浦半島の海に癒されて回復する事が出来たのも御縁なのだろう。まぁ、当時の彼女さんの存在も有ったのだけれど、三浦家の殿様達にも、昔の彼女にも、三浦の風景にも、三浦の海にも、親切な三浦の人々に感謝しかない。
さて、海南神社はこの例大祭の外にも源頼朝公由来の❝チャッキラコ❞と言う神事が有る。2014-01-15-13-52-26
ユネスコに❝世界無形文化遺産❞に指定されている、町の御祭りだ。
※チャッキラコを紹介した以前の記事は「ココ」←クリック!
頼朝公の宿泊する各季節ごとの異なる別荘が三崎町内にいくつか在ったので、この様な頼朝公所縁(ゆかり)の祭りが伝承しているのだ。
因みに、三崎漁港だけでも❝桜の御所❞と❝椿の御所❞が嘗(かつ)て存在した。頼朝公もこの地の風景と人と食事が好きだったのだろう。同地は源頼家公や源実朝公も滞在されたそうだ。
現在では鮪の水揚げが海外勢に押され気味で江戸時代~昭和初期の活気は無いが、平安時代末期~戦国時代の鎌倉文化と水軍の町の色が現在も多く残る土地でもある訳だ。
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町の中にも幾つも山車や神輿が繰り出すので、次第に普段は過疎に成りつつある三崎漁港が全盛期の活気を取り戻していく…
その様にも感慨深いものが有る。

海南神社の夏季例大祭の賑やかさは伝わったと思う。

ここからを休日雑記代わりの07月16日の日記部分としよう。
御神輿に随伴しながら賑やかな御祭りをひとしきり見て満足したら、大好きな三崎漁港の商店街をプラプラ散歩、つい4日前にも、この三崎に宿泊した直後だけど飽きない。三崎漁港は良い…
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昭和の雰囲気を残す建物が多く有る。写真館とか蔵屋敷とか…
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駄菓子屋さんとか…
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玩具店も…
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懐かしい昭和のオモチャ屋さんぽい感じ。
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この町で育ったら、根性ねじ曲がった人間には成らなそうだ。何だか町全体で子育てしてるような人々の繋がりを感じる。
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三崎町は映画ドラマの撮影にも協力していてNPO法人❝三浦映画舎❞なんて団体がいて、休日だと上の写真の展示館で撮影された作品の撮影中の写真や芸能人のサイン等が展示されている。
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現在放送中のドラマ❝仰げば尊し❞の撮影にも関与している様で、三浦半島の風景がドラマ中に多く登場する。
その事は最近、ブログで紹介したので御興味有れば見て貰うと、ロケ地が書いて有る。
】←ココをクリックで記事にリンク!

一しきり散歩して御腹が空いて来た所で、昼食をとる事にした。
昼食は城ヶ島でとると決めていた。
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前回、城ヶ島を散歩した際に気に成っていた上の写真、旅館の港屋さんが提供しているヤドカリの味噌汁。
これを食べて見たくて車に乗り移動…
港屋に行く前に北原白秋の歌碑と、記念館を見に行った。
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余り知られていないのだが城ヶ島にも砂浜が有って、そこに白秋記念館も在る。
行くには上の写真の石碑の建つ遊歩道を歩いて行くと良い。
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そこを抜けると城ヶ島大橋の橋脚の下の砂浜に出る。
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北原白秋は東京で隣家の奥方と不倫の後、その奥方の離婚成立を待って略奪愛の末に結ばれて、世間の批判から逃れる様に静かな三浦半島の最南端の三崎に新居を構えたそうだ。
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白秋記念館の職員の方に教えて頂いたのだが…
その時に作詞した歌❝城ヶ島の雨❞の歌詞の舞台がこの島なのだが、当時、姦通罪に問われたり父弟が商売に失敗したり暗い時期の作品なので歌詞も暗い描写に成ったそうだ。
…因(ちな)みに、その不倫の末、結婚した女性は松下俊子さんと言うのだが、1910~1914年の僅(わず)かな期間で結婚生活は終了したそうだ。

北原白秋関連の場所の見学を終えて、港屋に移動。
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港屋は眼前に磯が広がる。露天風呂も有り、親子連れが宿泊すれば良い夏休みを過ごせるだろう。上の写真は港屋の庭からの眺望。
しかし小生の目的はヤドカリ…
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でこれが、シラス丼とヤドカリ。
食べてみたら出汁が美味しかったが、ヤドカリはグロテスク過ぎて箸を付けれなかった(笑)。
シラス丼はただシラスを載せただけでなく、御飯に紫蘇の香りがして、とても美味しかった。
周りの客層は熟年夫婦~若いカップル、友達同士と見える連れ等、幅広い年齢層の御客さんで賑わっていた。
前回、この旅館に興味を持った時は平日の昼間に散歩に来たので余り活気は無かったが、この日は土曜日だったので非常に多くの観光客で賑わっていた。
どうも京浜急行電鉄と城ケ島・三崎町がタイアップしているらしく、その観光客が多いようだ。
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だからかは不明だが、多くの芸能人も宿泊しているようだ。
まぁ~これだけ眺望の良い旅館で新鮮な地魚料理を食べれるなら人気あるのも納得。
…いつか泊まりに来よう。

さて…
城ヶ島散歩と腹ごしらえも済み、小網代地区は移動する事にした。
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城ヶ島からは車で20分位だろうか?
小網代には戦国時代最後の三浦家当主である三浦道寸公が開基した海蔵寺と言う御寺が在るのだが、前回の訪問時が丁度、新井城落城から500年、三浦道寸公と三浦義意公の500回忌に当たり、御住職に納経を依頼されていたので約束を果たしに写経した般若心経を持参した次第だ。
小生の遠い遠い祖先は古事記にも登場する、国造で、嫡流の御子孫は大宮司家だったりするのだが、小生は延喜式神名張を編纂させ古代の信仰と文化を守ろうとなされた醍醐天皇の時代の価値観を大切にしているので宗教観的には平安時代の人々や鎌倉武士達と同じ神仏両方とも等しく大切に思っているので、神社も御寺も大好きだったりする。
それとは別に文化的な物が大好きなのでキリスト教の教会の荘厳さも又別格に好きだったりイスラム教のモスクも素敵だと思うし、キリスト教の慈愛の精神とイスラム教の友愛と互助の精神も大好きだったりする。
寧(むし)ろ無宗教の連中が嫌い…
宗教を下に見て先人への敬意も払わず文化と史跡を破壊して回るマルクス主義者とかね。
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海蔵寺は一般参拝不可、飛地の境内地の三浦道寸公・義意公の御廟所への立ち入りも一般は不可なのだが、小生は御住職に三浦家や先人に対するリスペクトと宗教的にも神仏を大切にしている事を認知して頂けたので、御寺への参詣と御廟所への参拝の自由の御許可を頂いている。
今回、尊敬する三浦家最後の殿様の御二人500周年に納経の機会を与えて頂いた事は非常に光栄だった。
どうやら、小生の納経した写経は他に依頼した32人の方の分と共に、経塚に入れられ名前が塚に残るそうだ。
これで殿様が三浦の民に愛された歴史が後世に伝わって行けば良いなぁ~と願いを込めて奉納した。
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小生は佐原三浦家と最期に敵対した北条家の善政も尊敬し、北条早雲公・北条氏綱公・北条氏康公と玉縄北条家の北条綱成公もリスペクトしている。そして北条家と対立した扇谷上杉家の中で最後の鎌倉公方に忠義を尽くした武士の鑑とも言える上杉氏定公、扇谷上杉家の家臣で北条早雲公と三浦道寸公の両方とも盟友だった名軍師の太田道灌公も尊敬している。
なので、写経の為書は三浦家の殿様の供養祈願と共に関わった方々の供養祈願ともさせて頂いた。
この様な敵味方問わずリスペクトするのが本来の神道の寛容な価値観でもあり、柔和で静かな哲学を基本とする仏教との親和性でもある訳だが、それこそ日本人の習俗の源だと思っている。
…良く遊び、最後に尊敬する方々へ日本の発展の一端を担って下さった事に対する感謝も感じた有意義な一日に成った。

帰路は横浜横須賀自動車道で帰るのだが、三浦縦貫道路を通らず、一般道から横横に移動した。
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目的は行きつけの農家、石井農園の直売所❝ザ・作兵衛❞に作兵衛ブランドの西瓜を買いに行く為(ため)だ。
ここの西瓜は独自の❝作兵衛ブランド❞で売っているのだが、本当に美味しい!
ここで夏は西瓜や瓜、秋~冬は大根や蜜柑、初春にキャベツを買いに来る様に成って、もう10年位に成ると思う。
毎年何回も買いに来る。近所に横浜南部市場や小柴ファームと言う産直の販売所が有っても、作兵衛には絶対に季節の果実と野菜を買いに来る。この石井農園が好きなんだな~。
今年は看板娘の御婆ちゃんは骨折して治療中、残念ながら会えなかった。無事に治ります様に…
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今年は家族様に普通のサイズを1つと、自分用(笑)に小玉西瓜を購入。
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中にスが入ってるから安くすると言われた通り割れていたがギッシリ実がつまっていて、しかも今年は特に良く出来ていて甘い!
てな訳で、八月中に又買いに行く事にした。
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三浦からの帰路、最早、恒例に成っている横須賀PAに立ち寄りって買い食い。
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湘南ゴールドと言う湘南地方で生産されているグレープフルーツのフレーバーのアイス。
悪くなかった。てか、なかなか美味しい。

ふむ、歩いて知識詰め込んで感謝して充実した良い休日を過ごせた。



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前回07月10日の休日雑記の続き。
07月11日の朝は、宿泊先の三崎漁港のホテルで迎えた。
ビジネスホテルでは無くPCを置くスペースが無く、酒や菓子を広げる程度のテーブルしか無かったので、夜は良く眠れた。
朝、5時頃目が覚めただろうか?
この日の朝はホテルの朝食時間の7時過ぎまで、ドライブ&対岸の城ヶ島散歩を楽しむ事にした。
出発時、当初は大好きな城ヶ島公園の方を散策するつもりだった、そちらからは富士山も見える。
しかし、城ヶ島へ渡る連絡橋を走っていて…
「いつもと反対側、そう言えば行った事無いなぁ~?」
…と気に成ったので、公園駐車場との分岐点でハンドルを切らず、正反対の島の西側に行って見る事にした。
城ヶ島周辺
「どうせ開拓するなら思いっきり反対側が良い!」と思い、本当に真西に向かって車を走らせると暫くして東側とは違う何やら昼間なら賑やかそうな商店街が見えて来た。
その商店街の辺りの駐車スペースに車を停めて散策する事にした。
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最初に来たのが❝楫(かじ)の鼻❞と言う岩礁辺り。
この地形を見ると三浦半島は南西から地盤が押し上げられ隆起し、北東は東京湾に向かって沈下しているのが
一目瞭然だ。地層が斜めに立ち上がっている。
この楫の鼻の地名の由来に成った場所が有る。
この岩礁の手前がその場所。
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楫の三郎山。
三崎町の鎮守、海南神社の御祭神でもある藤原資盈(すけみつ)公が関東に亡命して来る際に、船の楫(かじ)を操船していた三郎と言う家臣が、資盈公の安住を祈願した伝承に由来する場所。
大正時代位まで大蛇が住んでいるから登ってはいけないと言って人々は崇拝対象としてだけ拝んでいた場所らしい。
頂上には楫三郎の神社が在った。
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なんか、名の有る武将の御廟所の様な造りで普通の神社とは又違う。
思うに、ここ実は菅原資盈公か楫三郎の御廟所なんじゃなかろうか?
ならば大蛇伝説が有った事が理解できる。
さて、三浦半島の崖地には、そこかしこに黄色い綺麗な花が咲いている。
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供えられていた。
余り花に関する知識が無いので解らないが、多分、ユリ科の植物。昔から気に成っていたが、三浦半島では良く見かける花だ。
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少し歩けば直ぐに見つける事が出来る。
楫の三郎山を離れ、細い商店街の路地を抜け、港屋や城ヶ島京急ホテルと言う風景の綺麗さで有名な宿泊施設の有る方に歩いて行くと、城ヶ島西側の灯台がある。
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灯台のの前は西洋式の庭園に成っているのだが、多分、カップルの観光客を呼びこむ為に作られたであろう西洋式の庭園だった。
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早朝で観光客はいないが、灯台が開いてる時間にくれば人が多いのだろうか?
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池には綺麗な蓮の花が咲いていて、何とも西洋と東洋の混じった不思議な空間だが、赤い花弁が白い庭園にマッチしていて雰囲気が良かった。
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綺麗だな…。
ここ城ヶ島灯台は明治時代に建設された場所で、云わば建築遺産でもある。
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漁船や太平洋を往来する船達の安全の為に建てられた場所で有るから、当然古い習慣の安全祈願も残っていて、庭園内には恐らく灯台より先に、この丘の住人だったと思われる御地蔵様もいらっしゃった。
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末永く旅人と地元民を御守護下さる様に御参りして、散歩を続ける事にした。
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城ヶ島灯台の遊歩道を西側に抜けると素晴らしい眺望に行き当たる。
その周辺に城ヶ島京急ホテルや、港屋が在る。
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途中、真っ赤な素敵な大人びた雰囲気の花も咲いていた。南方の植物だろうか?
今回、こちら側に来たのは偶然だったが、とても景色が良く東側城ヶ島公園も素晴らしいが甲乙つけがたいと言うのが正直な感想だろうか?又、こちら側には宿泊に来たいと思う。
小桜姫観音周辺 久良岐のよし
位置関係は衛星写真の通りで、一目瞭然、どの旅館も眼前に磯と海が広がり素晴らしい景色を部屋から楽しめそうだ。
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小生は城ヶ島京急ホテルの前の遊歩道を歩く事にした…
遊歩道に縁結びの聖地❝小桜観音❞と書いて有ったので気に成ったのも有るが、楫の三郎山から此方(こちら)側を見た時に素敵な遊歩道が設置されており、そこに沢山のユリ?が咲いていたので歩きたいと思ったのだ。
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ふむ。やはり雰囲気の良い遊歩道だ。
❝観光橋❞と、言う名らしい。
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橋の傍の崖には沢山の鼻が咲いている。
小生、元来、梅の花が一番好きなのだが…
どうやら蝋梅(ろうばい)、山吹、そしてこの三浦半島の海岸に群生するユリの様な黄色い花の写真も沢山撮っているので黄色い花々も好みらしい。
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実に明るい、なんだか南洋の島の女性の様な雰囲気の、笑顔を振りまいている様な花だ。
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この橋の上からユリ?の花の崖伝いに奥の方へ眼をやると、何だか御社らしき物が目に留まった。
どうやらアレが小桜観音のようだ。
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橋の上から澄んだ海を見ながら、御社を目指した。
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近くに行くと何やらホタテ貝に恋人同士で祈願を書いた絵馬?代わりの願掛けがされていた。
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どうやら洞穴に作られた御社の様だが、名前も観音様であり周辺に石塔が有るので、神社としての機能は極最近に設けられたのだろう。本来は小桜観音と言う名の通り仏教的な聖地霊場だったのだろうか?
後で調べたのだが、ここは小桜姫伝説の舞台らしい。小桜姫と言うのが小生はパッとしないのだが、戦国時代の三浦家所縁の御姫様らしいと言う事は解った。
ただ、平安時代~戦国時代の三浦家滅亡までの主だった御寺の住職様や神社の宮司様と直接面識の有る小生の知識をフル稼働しても、その様な人物は三浦家には実在していなかった。
どうやら小生の尊敬する三浦荒次郎義意(よしおき)公の奥方とか側室とか伝承が有るようだが、歴史上、小桜姫と言う名の奥方様の記録は無い。
三浦義意公の奥方は本妻も側室も房総半島の小大名、真里谷(まりやつ)武田家の姫君だけだ。
民間信仰として小桜姫と名が伝わっているこの伝承の理由、この後に書くが三浦同寸研究会副会長と面会した際に、副会長の御教授と小生の知識で詳しく解る事に成った。
姫様の名前の由来は置いておいても、三浦義意公には確かに真里谷家の奥方様がいたので、その方がモデルで有るかも知れないし、仮に小桜姫として拝んでも真里谷の姫を拝んでいるのと同じ事…
きっと縁結びの御利益は有るに違いない。

散歩を進めよう。
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車に戻る途中で、商店街の港屋の支店売店の前に大量に海藻が干してあった。
天草(てんぐさ)だな。
これを煮詰めて干して寒天の原材料にする訳だ。
寒天は現在ではカロリー0のデザートとしても重宝されている。小生も御世話に成っている。
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看板を見て気に成ったのだが港屋サンではどうやら、ヤドカリをアマ蟹と言う名で料理して提供しているらしい。
気に成るので次回食べに来ようと決めた。
早朝の5時過ぎ~7時半位の約2時間の散歩だったが、綺麗な花と海を見て、思いがけず三崎町の歴史に深い関わりの有る神社と観音様を御参りする事も出来て気分良く一日の始まりを迎える事が出来た。

宿に帰ると既に朝食の準備をして下さっていた。
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小生は働く時間が不規則なので、宿に外泊する時の和食の朝食がとてもありがたく美味しく感じる。
特に三崎はマグロと干物が名物なので、このエボダイも大変美味しく頂きました。
「美味しいよ」と宿の朝食調理担当の叔母ちゃんに御礼を言うと、そこから打ち解ける事が出来て談笑しながら三浦の事を色々話しをした。
すると来週(07月16日土曜日)は三崎町の鎮守、海南神社の例大祭でとても賑やかだから是非にも見たら良いと勧められたので、翌週も来る事に決めた…
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部屋に戻り、壁の絵画を見ながらチェックアウトの準備をして、散歩でかいた汗を流す為に大浴場で贅沢な朝風呂を浴びてから、少し仮眠してチェックアウトの時間を待つ事にした…

②へ続く⤵️










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