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タグ:報国寺

ブログネタ
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【注意事項】
※通行止め
2019年11月現在、台風15号19号の影響による倒木で鎌倉市内の以下の紅葉の名所は通行止めです。
●浄智寺~葛原岡~化粧坂~源氏山のハイキングコース
●建長寺~横浜市円海山に続く天園ハイキングコース
●報国寺~衣張山~釈迦堂切り通しのハイキングコース

さて、秋も深まり11月下旬にもなると紅葉の季節です。
過去に書いた記事をベースに新しい写真に差し替え、アドレスも掲載し何ヶ所か追記して紅葉の名所紹介をリニューアルします。

【紹介箇所】
東京都中央区  
浜離宮恩賜庭園

東京都世田谷区 
大谿山豪徳寺~世田谷八幡宮
 
横浜市中区   
国指定名勝:横浜三渓園

鎌倉市雪ノ下  
鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館

鎌倉市浄明寺  
功臣山報国寺~華頂宮邸~稲荷山浄妙寺

伊勢原市大山  
大山国定公園~雨降山大山寺~大山阿夫利神社

秦野市曽屋   
弘法山公園~鶴巻温泉

秦野市今泉   
震生湖~福寿稲荷社

南足柄市大雄町 
大雄山最乗寺

足柄下郡箱根町 
公時神社~金時山周辺

【浜離宮恩賜庭園】
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中島の御茶屋では抹茶と和菓子を頂く事が出来る。
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【偉人】
甲府藩主松平綱重、
ドイツ帝国フリードリヒ皇太子、アメリカのグラント大統領、ハワイ王国カラカウア国王等。
江戸時代の寛永年間に徳川幕府四代将軍徳川家綱公の実弟で甲府藩主の松平綱重公が海を埋立て屋敷地として造成した。その後は徳川将軍家の鷹狩場として利用され、明治に成り天皇家の所有を経て恩賜公園として開放された。
【交通】
一般車両向けの駐車場が無いので、車で行く場合は築地市場の駐車場に停めてから徒歩で来ても5分程度と近い。公共交通機関の方が便利だろう。
【周辺】
築地場外市場や場内市場も近く、築地本願寺等の見所も有るので合わせて訪問すると良い。
【記事】
浜離宮と周辺紹介記事は「ココ」←クリック!

【豪徳寺と世田谷八幡宮】(井伊家菩提寺と世田谷城鎮護の神社)

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豪徳寺は戦国武将で徳川四天王の井伊直政公の跡継ぎ、彦根藩第二代藩主の井伊直孝公以来の井伊家菩提寺。戦国時代には鎌倉公方の代理も務めた蒔田吉良家最期の本拠地として機能した世田谷城だった寺院。
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井伊家所縁の御寺だけあり規模が大きい上に、まねき猫の発祥の御寺でもある。
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豪徳寺の寺務所で大小各種の招き猫を購入出来ます。御朱印もやってる。
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NHK大河ドラマ“女城主直虎”の人気で観光客も増えている。紅葉の名所としては規模は多くないが境内には素晴らしい仏塔があり美しい紅葉の景色が撮影出来るので外国人にも有名。
【名物】
招き猫
【交通】
駐車場は台数少なく直ぐに満車に成る上に周辺に駐車場が無い住宅街なので電車での訪問が良い。
【周辺】
戦国時代は世田谷城と言う御城だったので、近くには世田谷城址公園として一部空堀と土塁が保存されている。
直ぐ近所に蒔田吉良家鎮護の神社であり、江戸三大大相撲の開催場所の一つだった世田谷八幡宮が在り、隣町はサザエさん一家の住む桜新町も存在する。

世田谷八幡宮
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江戸時代には深川の富岡八幡宮等と合わせて江戸三大大相撲の興行地として有名だった。
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そもそも軍神としても武士に崇拝された源氏の棟梁、源 八幡太郎 義家が前身の八幡社を平安時代に建てたと伝承する由緒有る八幡宮で、戦国時代にも鎌倉公方の代理を務めた蒔田吉良頼康公が社殿を造営している。その後は徳川家康公に支援される等、軍神として勝負の神様として申し分ない歴史を持つ八幡宮。
【周辺】
紅葉の名所で井伊家の菩提寺として有名な豪徳寺から徒歩5分と近いので合わせて参拝すると良い観光に成る。

【国指定名勝:横浜三溪園】(横浜市中区、旧原財閥私邸) 
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【催事】
紅葉の古建築公開(重要文化財 聴秋閣、林洞庵)
近年、聴秋閣は一般公開されておらず裏側から撮影出来ないので、秋限定の撮影チャンス到来です!
交通
紅葉シーズンと春の桜の季節は駐車場が混み合うので早い時間に訪問する事をお勧めします。
15時以降は聴秋閣等の多くの建築文化財の在る区域が封鎖れてしまいますので、土日の場合は駐車場に入るのに1時間は余裕を見て置けば間違い無いでしょう。
※公共交通機関推奨。
【名物】
三溪碗(さんけいわん)と言う、三種類の味の御椀に盛られた手打ちの汁蕎麦が美味しい。 
●団子各種と抹茶 
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【偉人】
原三溪(旧原財閥当主、横浜銀行・富岡製糸場の創設者、関東大震災横浜復興の恩人)・タゴール(インドの文学者)・芥川龍之介 
【関連記事】 
●三溪園の紅葉の風景写真の記事「ココ 」←クリック! 
●三溪園の夜桜ライトUPの特別公開の紹介記事「ココ 」←クリック! 
●三溪園に私邸としていた明治~昭和の富豪、原財閥と三溪園の紹介記事「ココ 」←クリック! 

鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館
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【名物】
●女夫饅頭(めおとまんじゅう)。
現代の若い人は知ってる人が少ないが、実は江戸時代からの名物と言えば女夫饅頭で、今も老舗の饅頭屋が鎌倉市内には数軒残っている。鎌倉駅前野若宮大路側にも老舗の“松風堂本店”等が営業している。
●鳩サブレ―
言わずと知れた豊島屋の銘菓で、鎌倉駅と北鎌倉駅前に御店が在るので御土産としても重宝する。
●鎌倉カスター
鎌倉ニュージャーマンと言う御店の御菓子で、最近はデパートでも取り扱いがある新しい部類の銘菓。フワフワの生地の中に色んな季節の果実のクリームを閉じ込めた洋菓子。最近、御店が鎌倉駅前に移転したので御土産としても重宝する。
【交通】
鎌倉駅から徒歩10分。
有料駐車場周辺に多数有り。
【周辺】
小町通りでランチも出来るし、他の神社仏閣や博物館、由比ヶ浜散歩等と合わせると良い。
浄明寺地区や二階堂地区まで徒歩20分で、そちらの報国寺や瑞泉寺、北鎌倉の東慶寺等と合わせても良い紅葉散策が出来る。

【報国寺~華頂宮邸~釈迦堂切通し~浄妙寺】(鎌倉市浄明寺地区の紅葉)
 功臣山報国寺(足利家時公、宅間上杉家、鎌倉公方の菩提寺)
 ※ミシェランガイド☆☆☆の竹林の寺
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報国寺の在る宅間谷~徒歩5分で旧華宮邸。
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旧華頂宮邸
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報国寺や華頂宮邸から徒歩10分の近くには釈迦堂切通しと言う絶景も有る。

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報国寺や浄妙寺から徒歩圏内の景勝地であり史跡だったが鎌倉市により2019年現在は何故か通行止め中。 手前から見られる。地元の人は自己責任で危険な獣道から入ってます。

稲荷山浄妙寺(鎌倉幕府時代の足利家の鎌倉の菩提寺)
※枯山水庭園の美しい茶室“喜泉庵”で和菓子と抹茶を頂ける御寺。境内裏山に在る明治時代の洋館レストラン石窯ガーデンテラスで食事も出来る。
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浄妙寺境内の喜泉庵では日本庭園を眺めながら抹茶を頂きゆっくり出来る。
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本堂と喜泉庵の左手から境内地の裏山に回ると紅葉が綺麗で、その先に石窯ガーデンテラスも在る。
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浄妙寺だけでも十分に鎌倉の原風景を堪能できるし、報国寺も徒歩5分と近いので合わせて観光しても良い。
鎌倉市最古の寺院の杉本寺や、日本三古天神社の一つ荏柄天神社等、源頼朝公所縁の神社も近くに在る。
【浄明寺地区の催事】
報国寺の12月31日除夜の鐘 
寺院なので仏事に準じる。 
浄妙寺と報国寺は四季を通じて風景が綺麗なので、いつでも鎌倉文化の美しさを満喫出来る場所です。 
報国寺では毎週末に座禅会も開催される。
【鎌倉市の名物】
報国寺や浄妙寺で飲める「抹茶と和菓子」 
●鎌倉彫りの食器やアクセサリー
●湘南のシラス 
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●サザエ 
●干物 
●鎌倉野菜 
【偉人】
北条時政・青砥藤綱公・足利家時公(室町幕府初代征夷大将軍足利尊氏公の祖父)・宅間上杉重兼(しげかね)公(足利尊氏公の従弟)・伏見宮博恭殿下。 
【関連記事】 
●報国寺と華頂宮邸の景色写真と歴史を紹介した記事は「ココ 」←クリック! 
●報国寺公式ホームページ「ココ 」←クリック! 
●浄妙寺を紹介した記事は「ココ」←クリック!

【大山阿夫利神社と大山寺】(伊勢原市丹沢大山国定公園) 

雨降山大山寺
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秋は期間限定で夜間ライトアップと灯篭祭りも有るので、大山ケーブルのホームページを確認するとケーブルカーの夜間運航期間と灯篭祭りの期間も確認できます。
桜も有名で大山桜と言う樹齢千年を超す古木が数本ある。
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参道の温泉街の多くの宿坊では美味しい猪と鹿と豆腐の料理を食べる事も出来る。
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【催事】
紅葉の夜間ライトUP(開催日は大山ケーブル公式ホームページ を御覧下さい!)
山麓から大山阿夫利神社までの参道の灯篭祭り
ケーブルカーの運行時間20:00迄延長
(下り線の時間。逃すと徒歩で山道下山)
春と夏も夜間ライトアップあり。
【交通】
夜間ライトアップ期間中の土日祭日は自家用車は非推奨。
電車バス推奨!
渋滞が酷く辿りつけません!バスで麓まで行き渋滞次第で降車し徒歩登山でケーブル駅を目指すのが良。
●電車とバス
小田急線伊勢原駅から神奈中バス。
北口(改札口を出て右)バス4番線
伊10系統「大山ケーブル」行き乗車(36分:渋滞無し)~終点「大山ケーブル」下車
●登山方法
バス終点(駐車場)から徒歩(15分)~大山ケーブル駅から乗車or徒歩登山1時間半程度。
駐車場…(ハンパない渋滞!)
※一昨年・昨年とTVで有名に成ったせいで、大山の麓から駐車場の5km未満進むのに3時間かかりました。
やむを得ず、夕食を予約していた宿坊で食事と入浴だけして帰る羽目に…
大山渋滞情報
…毎年行ってる小生からすれば、有名に成るのは嬉しい反面、渋滞等の現実問題は心情的に複雑ですね。
【名物】
●温泉…参道自体が平安時代~江戸時代にも大変賑わった古い温泉街で宿坊が立ち並ぶ。日帰り湯有り。
●日本酒…縄文時代からの遺跡が有る聖地で、湧水地が境内にあり、神話時代から酒造りが盛ん。
※参道に三河屋酒造と言う地酒蔵元の直売所もあり、御土産物屋にも取扱い有る場所数件。
●豆腐料理と猪肉・鹿肉料理…豊富な名水を利用した豆腐生産が有名で、江戸時代から名物。
●柿・蜜柑・梨…伊勢原市は柿と蜜柑の果樹園が多く古くからの特産品。
【偉人】
大山信仰に関係有る歴史偉人と周辺を支配した武将達。
神武天皇以来の歴代天皇家・源頼朝公と北条政子様御夫妻・相模守護大名三浦家・扇谷上杉家歴代当主・徳川家康公・徳川家光公等々…
【関連記事】
●大山阿夫利神社の記事「ココ 」←クリック!
●大山の豆腐料理の記事「ココ 」←クリック!
●大山信仰の比々多神社の記事「ココ 」←クリック!

【震生湖と福寿弁財天社】
震生湖
福寿弁財天社
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御世辞身も水質は綺麗とは言えないが、肌寒い快晴の日は鏡の様に湖に紅葉が写り込んで綺麗。
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暫く湖畔の林道を歩いていると福寿弁才天様が見える。
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ここ震生湖は大正時代の関東大震災で水源地の山が崩壊し湧水が堰き止められて湖に成ったのだが、どこの川からも水が流入せず、そして水が出て行く川も無く、水量が一定している不思議な湖。
震生湖の福寿弁財天様は神奈川県下では珍しく竹生島弁才天様の御分霊では無く奈良県天川村の❝天河伝説殺人事件❞なんて昔の映画でもモデルに成った天河弁財天様の御分霊。
震生湖自体は現在は釣りの名所にも成っている。
【名物】
●落花生
●煙草(昔)
【交通】
車以外に交通手段が無いが、駐車場は台数少ないが有る。
【周辺】
車なら南足柄市の大雄山や秦野市内の弘法山と合わせて紅葉見物するとより楽しめる。近くには縁結びの神様の出雲大社相模分祀も存在するし、鶴巻温泉郷で日帰り温泉入浴も出来るので数ヵ所合わせて良い休日を過ごせる。

弘法山公園
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一応、ハイキングコースとして有名で紅葉も楽しめる。
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実は春の桜の名所としても有名な場所で天気が良ければ下の春季の写真の様に富士山も大きく見える。
富士山と紅葉や桜の風景を楽しめる場所。
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弘法山の展望台からは丹沢山系~箱根山系~(晴れてれば富士山)~伊豆半島の山並みの絶景が一望できる。
春には手前に桜が、秋には紅が差した山の木々が景色を化粧してくれる。
【名物】
●落花生
●煙草(昔)
【交通】
電車だと最寄りの秦野駅・東海大学駅・鶴巻温泉駅から徒歩で数十分かかる。
車以外に交通手段が無いが、駐車場は台数少ないが有る。路駐可能。
【周辺】
車なら南足柄市の大雄山や秦野市内の震生湖と合わせて紅葉見物するとより楽しめる。近くには縁結びの神様の出雲大社相模分祀も存在するし、で日帰り温泉入浴も出来るので数ヵ所合わせて良いデートコースに成る。
丹沢山系の水で手作りの豆腐を製造直販している“五右衛門本店”、そして“鶴巻温泉郷”と合わせて行くと良い休日に成るだろうと推薦できる場所。震生湖大山も車での移動の人なら合わせて訪問しても良いかも知れない。

【大雄山最乗寺】(南足柄市大雄町)
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大雄山最乗寺の紅葉 久良岐のよし
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縁結びでも有名なパワースポットです。
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最後の最後で350段の急な階段が待ち構えていますよ!…足パンパンに成ります。下りも怖いし。 
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【催事】
禅宗の御寺で座禅会も開かれます。 
曹洞宗の寺院で本来の山岳信仰の文化も受け継いでおり、境内は四季のそれぞれの自然の豊かさを前面に押し出した本来の日本文化を有する美しい場所です。
ただし!禅宗の山岳修行場として信仰をあつめた場所なので、参道から歩いて奥院まで行くと結構大変。
【名物】
●自然薯…参道に「とろろめし」や「とろろ蕎麦」を出す店が多く有る。
煎餅…参道には名物の天狗の団扇(うちわ)を模(かたど)った煎餅を売る店が多くある。
【交通】
●電車とバス
※紅葉と桜のシーズン中は渋滞すると抜け道が無いので大変です。 
●駐車場
150台のみ有り。ただし直ぐ満車に成ります。とんでも無い早朝に訪問するか、駅からバスかTAXIがお薦め。 
【偉人】
室町時代の大名:大森家歴代当主:足柄郡領主で小田原城主・北条氏康公:戦国時代の関東の大大名、等々… 
【関連記事】
●最乗寺そのものは未紹介…ネタでキープ中です、いずれ記事で紹介します。 
(大規模過ぎる寺院なので小田原城の記事並みになってしまうのでゆっくり紹介します。) 
小田原城の記事は「ココクリック!             

【箱根町と金時山周辺】
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金時山の入口に鎮座する金時神社の紅葉。
(金太郎=今の神奈川県足柄郡出身の平安武将:坂田金時(さかたのきんとき)公を祀る) 
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【催事】
●金時祭り…仙石原金時神社は現在は宮司不在だが、古来、御祭神の坂田金時公の幼少期の御姿の金太郎が有名で端午の節句に飾る5月人形のモデルにも成っている程の信仰を集めたので5月5日の子供の日には今でも御祭りが開かれる。
●その他、箱根町観光協会のページ
 https://www.hakone.or.jp
【名物】
温泉
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●麦とろ飯(江戸時代からの箱根名物)
●小田原の蒲鉾(箱根の一つ前の東海道宿場町の名物)
●小田原の曽我梅干し(箱根の一つ前の東海道宿場町の名物)
●大涌谷名物の黒玉子(温泉の鉄分が付着し黒い温泉卵。1つ食べると寿命が7年延びる?昔からの名物。)
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●温泉まんじゅう
第三新東京市行ってきた(アニメおたく狙いのエヴァンゲリオンとのコラボ土産)
【交通】
登山鉄道とバス
箱根湯本駅から各目的地へは箱根登山鉄道とバス。
駐車場
箱根なら、宿泊施設・博物館・レジャー施設どこも駐車場完備だが全て有料。
【偉人】
源頼光(よりみつ)公:平安時代の摂津源氏の名将・金太郎(坂田金時):源頼光公の与力の名将・風魔小太郎:戦国時代の忍者・北条早雲(そううん)公・北条幻庵(げんあん)公:小田原城主北条早雲公の三男で箱根権現の別当職)・仙谷秀久(豊臣秀吉の部下)・豊臣秀吉。
【周辺】
当然ながら温泉旅館も多数、ガラス加工体験が出来るガラスの森美術館や、箱根の関所、芦ノ湖遊覧船、箱根神社、箱根名物の畑宿の箱根細工のアクセサリー展示館、大涌谷等が在り1日楽しめる。



横浜市旭区には横浜市内の住宅街の中に在りながら、とても立派な規模を維持している鶴峯山 即相院 三佛寺と言う御寺が存在します。丁度、保土ヶ谷バイパスの本村インターチェンジの在る所ですね。

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鶴峯山 即相院 三佛寺
山門にもとっても立派な大樹有り参拝者を出迎えてくれます。
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浄土宗の寺院ながら、三つ葉葵の徳川家家紋を寺紋に用いない御寺でして、それは徳川家よりも室町時代に家格の高かった❝名家❞の殿様によって開かれた御寺からなのかも知れません。
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浄土宗は一般的に阿弥陀如来信仰を大切にする宗派ですが、ここは観音様の霊場としても❝殿様❞が関与する前から有名でした。
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住宅街の御寺とは思えない、とても立派な石段の参道が御堂の在る削平地まで続きます。
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そして御寺の入口に聳(そび)える大樹は横浜市の名木指定を受けた銀杏の木なんですね。
階段を登りきると内門が存在した場所に代りの石柱が有ります。
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その横には御地蔵様達が参拝者を出迎える様に並んでいらっしゃいます。
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もう、この時点で御寺が好きな人はお気付きかと思いますが、観音信仰音霊場であり入口に御地蔵様達が並ぶ寺院の特徴は、多くの場合は改宗前の前身寺院が❝真言宗❞だった場所が多く有ります。
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実は三佛寺の由緒に関しては小生、この御寺を開いた❝殿様❞の事以外には予備知識無いままの初訪問でしたが、これ直ぐに解ったんで後で御寺の庫裡で御住職の奥様と雑談した際に質問した所、やはり前身は真言宗だった御寺の歴史が有るとの事でした。
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門をくぐると御寺の佇(たたず)まいはとても落ち着いていて、禅宗寺院の庭園ではないものの何だか心が静かに成る様な空気感でした。
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浄土宗なので法然上人の御幼少の頃の座像が有ったりしますね。
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その横には御寺の昔の立派な化粧瓦が展示されていますが・・・
これを見れば歴史好きは「お?何だこの家紋!」と思いながらも家格が高い殿様の家紋で有る事が一目瞭然、その正体も何となく解ります。
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解りますか?
竹に雀紋
上杉謙信が養子縁組して乗っ取った山内上杉家の家紋に似ていますよね?
上杉家の家紋、竹に雀の変形です。実は事実確認をしない、実際に御子孫に取材もしない、誰かが書いた物を適当にテンプレートするだけの無責任なタイプの歴史ガクシャ先生は知り様も無い事実なのですが、この家紋は❝宅間上杉家❞と言う足利尊氏公の母方従兄弟の家系の殿様の家に代々伝わった家紋です。❝歴史ガクシャ先生❞達は調べもせずに宅間上杉家の家紋を山内上杉家と同じ普通の竹に雀の家紋を用いて紹介する人も多くいますが、それは❝事実無根❞の❝適当な仕事の結果❞の❝デマ❞ですので信じないで下さいね。
まぁ、取材しててもカルトに騙されてカルトの教本を歴史資料に採用して本書いちゃう様なNHK歴史解説員を吹聴する某ガクシャさんもいたり(笑)、結局は古文書も偽書があるので昔の人や悪い人との知恵比べもする歴史以外の❝知能❞が無い人の本にも気を付けないといけないんですが。
さて、実は宅間上杉家と言うのは室町時代の足利政権に於(お)いては、関東を統治する政治機関の室町幕府❝鎌倉府❞の将軍である歴代鎌倉公方の家に仕えた武家で、先述の通り足利尊氏公の従兄弟の家系でした。
宅間上杉家の鎌倉府勤務時代の居所は本拠地の他に鎌倉市浄妙寺地区の宅間谷(たくまがやつ)でした。
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功臣山 報国寺
なので宅間谷には宅間上杉重兼公と、足利尊氏公の祖父の足利家時公が一緒に開いた御寺が今も存在しています。
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現在ではミシェランガイドで3星を獲得した御寺の竹林と抹茶を頂ける御寺としての方が歴史に興味の無い人に有名でしょうか?
報国寺に関しては紹介記事を以前に書いていますので、興味の有る方は御覧下さい。
これクリックで記事にリンクします。⤵
報国寺…ミシェランガイド三ツ星の安らぎの竹林寺。…鎌倉市。
宅間上杉家の初代は報国寺を開いた宅間上杉重兼公で、その後は足利尊氏公の御子息で鎌倉公方と成った足利基氏公の御子孫に歴代お仕えした家柄でした。とても鎌倉公方に対する忠義の厚い家で、それは安土桃山時代まで続くのですが、室町時代の最期の鎌倉公方と成った足利持氏公の時代に籤引(くじびき)で室町幕府征夷大将軍となった残虐将軍として有名な足利義教の恣意的な自己顕示の為に鎌倉公方家は政治混乱を誘発され、室町幕府vs鎌倉公方家の長い長い凄惨な戦いへと発展して行きました。
その発端と成ったのが❝永享の乱❞です。
永享の乱の際の宅間上杉家の当主だった上杉憲直公は足利持氏公に忠義を尽くして敵対する勢力と戦います。その際に籠城したのが横浜市緑区三保町に在った榎下城でした。
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実はこの榎下城の主要部分は原型が有る程度解かる状態のまま寺院化して現在も❝舊城寺(きゅうじょうじ)❞として存在しています。近世城郭で言うならば本丸と二ノ丸に相当する部分が存在し、御寺の山門の前には外郭と二ノ丸を分断する様に囲む空堀も5年前の訪問時にはまだ存在していました。
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神奈川県教育委員会は❝建築利権への配慮❞の為かは判りかねますが御城の範囲を主要部分しか紹介していません。しかし小生達城郭ファンから見ると明らかに周辺の公園や住宅街も城郭の外郭として機能し有事の際には数千~万単位での籠城が可能だった城だろうと推測出来ます。
榎下城址の舊城寺に関しても以前に紹介記事を書いているので御興味有る方は御覧下さい。
これクリックで記事にリンク⤵
旧城寺=榎下城址…横浜市緑区三保は上杉家の拠点
さて、この永享の乱のゴタゴタで足利持氏公は敗北し、宅間上杉憲直公は横浜市金沢区に存在する❝東の正倉院❞の異名を持つ文化財の宝庫として有名な金沢文庫を昔は管理していたとても桜と庭の綺麗な御寺の❝金澤山 彌勒院 稱名寺❞、今の金沢文庫称名寺に蟄居(ちっきょ:謹慎)して室町幕府に恭順の意を示します。
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金澤山 彌勒院 稱名寺(称名寺)
結局幕府の残虐将軍足利義教は最初から鎌倉公方一派を減衰させるのが目的だったので許されず宅間上杉憲直公と御子息の憲家公は称名寺で切腹しました。しかし後に足利義教が死亡すると足利持氏公の御子息の足利成氏(しげうじ)公が密かに育てられていた信州から復帰し鎌倉公方に就任し、宅間上杉家は再登用され規模は縮小したままでも存続して行く事に成りました。
称名寺に関しても以前に紹介記事を書いているので興味の有る人は読んで見て下さい。
これクリック!
称名寺と金沢文庫 …日本最初の図書館。京浜急行金沢文庫駅近く
永享の乱の在った時代には宅間上杉家は鎌倉~武蔵国南部にかけて勢力を誇った領地を失い大幅に勢力は減退しました。
その頃には現在の横浜市港南区の永谷一帯を本拠地にして、今の永野緑地~芹が谷~永野小学校辺りの丘に永谷城を築いて在城していた様です。永谷城址には宅間上杉家の祖先の官職名である伊予を冠した❝伊予殿根❞の地名が近年まで残っていました。
永谷には城址は横浜市が保護も発掘もせずに消えてしまいましたが、宅間上杉家の足跡を辿れる場所が現在も存在しています。
下永谷の曹洞宗の般若寺は元々宅間上杉家が開いた御寺ですし、神明社の別当寺がその般若寺でした。
そして同じ曹洞宗の貞昌院も宅間上杉家が開いた御寺で、この御寺は永谷天満宮を守る為の別当寺として開かれた御寺でした。
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永谷天満宮
この永谷天満宮は由緒が凄まじく、御祭神の菅原道真公の御子息の菅原敦茂公が一時、御住いだった邸宅跡と伝承が有ります。まぁ、菅原敦茂公が御住いだったかは正直文献が無くて不明なのですが実際の菅原敦茂公の兄君の菅原景行公は藤原氏による菅原氏弾圧から関東に逃げて来ており、大生郷天満宮を開いたりしている事や関東の鎌倉郡には菅原景行公と同じ❝景❞の名を持つ坂東平氏の武将が多く平安時代末期に居た事からも平氏に関与し鎌倉郡に移住した菅原氏の人物が永谷に住した伝承は信憑性が有るんですね。
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永谷天満宮は初夏に紫陽花が鎮守の山に沢山咲く場所として近年知られていますがが、この永谷天満宮の御神体が菅原道真公が自ら手彫りした自分の彫像の3つの内の一つと伝わっています。この由緒に関しては宅間上杉家が所有していたと伝わりますが、宅間上杉家の御先祖の勸修寺家や上杉家は菅原家と同じく宇多天皇や醍醐天皇に仕えた一族でした。
そこ等辺の永谷天満宮と菅原家の歴史に関しても以前に解説記事を書いたので御興味有れば御覧下さい。
これクリック!⤵
永谷天満宮(横浜市)は日本三躰の天神様。
宅間上杉家は戦国時代に旧鎌倉郡域の永谷郷と武蔵国久良岐郡花木つまり現在の横浜市南区花之木辺りを一族が所領にしている事から横浜市南部の大岡川沿い西岸部にわずかに領地を持つ程度の勢力に縮小してしまった様です。戦国時代の混乱迄はもしかしたら磯子城の平子家や太田道灌公が制圧した西区~神奈川区辺りまで勢力を維持していたかも知れませんが、それも古河公方と成った足利成氏公に忠義を尽くした宅間上杉家なので領地を太田道灌公や蒔田吉良家の殿様達に横領されてしまったのかも知れませんね。
なんせ太田道灌公の御主君の家である扇谷上杉家は足利成氏公と対立した勢力ですから。一時は父上の足利持氏公の跡を継いで鎌倉公方に成った足利成氏公も、太田家とその主君の扇谷上杉家や長尾家とその主君の山内上杉家に鎌倉公方の座を落とされ、支持する関東の古豪大名の多い北関東に逃げて古河城主となって古河公方を名乗らざるを得ない事態に陥(おちい)りましたから。
さて、そんな足利成氏公も武将としては優秀で太田家や長尾家の大軍を江ノ島に籠城して撃退した歴史が有ります。その際に足利成氏公に与力して活躍したのが戦国時代に宅間上杉家と親戚に成る間宮林蔵の祖先の間宮(佐々木)家や、関東大名の千葉家や那須家や小山家の鎌倉時代以来の古豪でした。
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今では観光客で賑わう❝神社❞の島として有名な観光地江ノ島も、明治以前は真言宗系の修験道の聖地であり平安時代以前からの天皇家勅願所の聖地である岩屋を管理する❝岩本坊❞後の岩本院と呼ばれた御坊が有り、神道仏教宗派問わず多くの高貴な僧侶神官が修行に来る場所でした。
この江ノ島は海に突き出した島なのに豊富な飲用水を確保出来る場所で、城塞化するとトンでも無く強力な防衛施設に成る場所だったんですね。
そしてその江ノ島を明治時代迄守ったのが岩本坊、現在は明治時代に修験道道場から江ノ島の老舗旅館に業種替えした❝岩本楼❞の岩本家でした。
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岩本楼
この岩本家は本来の苗字は❝間宮❞で氏姓は宇多源氏佐々木氏でした。つまり間宮家で、本家との区別で岩本を名乗っており、戦国時代の北条所領役帳でも岩本家は鵠沼を領地として認められており武士化していた事が解かりますが、間宮家の本家である笹下城主間宮家も又、鶴岡八幡宮再建事業や真言宗の古刹である弘明寺や宝生寺と言う重要な神社仏閣の復興支援で活躍している事が古文書で判ったりします。
実はこの間宮家の子孫であり宅間上杉家と同じく戦国時代に古河公方を支持して❝今管領❞と呼ばれた北条家臣化していた笹下城主間宮信元公の御子息の一人、間宮綱信公の奥方が宅間上杉家の姫君でした。
宅間上杉富朝(とみとも)公の姫で、宅間上杉富朝公は北条vs里見家・太田家連合の国府台合戦で討死してしまいます。
そこ等辺の間宮家との関わりも以前に間宮家の顕彰記事の中で書いているので御興味有る方は御覧下さい。
コレをクリック!
間宮林蔵と杉田玄白の祖先、笹下城主間宮家の事績
戦国時代末期に成ると宅間上杉家は上杉規富公の代に三崎城主北条氏規(うじのり)公の付家老と成り三崎衆に編入され、現在の三浦半島三崎漁港に存在した三崎城に勤務していた様です。
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三崎漁港に在る北条橋の前の港は❝北条湾❞と呼ばれ、その右手の旧三崎中学校の丘全てが三崎城址です。城好きなら解りますが虎口や一部土塁等が現存しており、三浦市教育委員会様に尋ねると城の推定縄張り図の掲載された書籍等も紹介して下さったりします。
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三崎城址そして北条家が豊臣秀吉に改易されると、宅間上杉規富公は400石の小禄ながら徳川家康公に登用されて二俣川村を領有し、江戸時代も旗本として存続したのですが現在嫡流の御子孫は近年に成って途絶えてしまったそうです。その菩提寺が宅間上杉規富公が旭区本村に開いた三佛寺な訳ですね。
では、現在の三佛寺に話を戻しましょう。
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山門の階段を登り切り振り返ると環状二号線が通る旧二俣川村を見渡す事が出来ます。

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境内左手には馬頭観音様を始めとした色々な石佛様が祀られています。
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境内右手には宅間上杉家の家紋の入った手水鉢。
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正面に御本堂。
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立派な扁額です。
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本堂右手には無量寿と書かれた庫裡の玄関とは別の信徒さん用の入口かな?
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更に右手に庫裡。
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境内には石碑や石仏、看板も幾つか有りました。
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境内を入った左手の真ん中に階段が在ります・・・
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ここを登ると宅間上杉家の歴代殿様の御廟所が在ります。
小生、存じ上げなかったのですが宅間上杉家は太田家と縁戚にあった様で、一番立派な供養塔と対の供養塔には太田家の家紋が入っていました。実は宅間上杉富朝公が国府台合戦で討死していますが、その合戦の発端と成ったのが旧江戸城主の家系に当たる江戸城代の一人の太田康資(やすすけ)公の謀反でした。これに気が付かなかった太田康資公と親交深かった遠山家や富永家は責任を感じた為か無理を承知で国府台城を正面から攻めて宅間上杉富朝公同様に討死しています。
この状況から推察すると、上杉富朝公か御子息の規富公の奥方様は太田康資公の妹君か姫君で、遠山家と富永家同様に婚姻関係から責任を感じて無理に国府台城を攻めて討死したであろう事も推測出来たりします。
小生、特別に御寺が存続の危機に瀕しており重要性を説く時以外には殿様達の眠る御廟の写真を掲載しないので、もし確かめて見たい人はちゃんと歴代宅間上杉家の殿様と御一族に敬意を払って御線香を持参して御参りして下さいね。
小生も少し値段の高い(笑)御線香を上げさえて頂き、5年かけてやっと宅間上杉家歴代の殿様と御家族の御廟で御参りで来た事を伝え、そして毎年の永谷天満宮への御参りで大願成就に導いて下さる御加護御守護下さる事を御礼申し上げて来ました。
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境内には他に立派な井戸。
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立派な庭石。
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色んな人から色んな寄進が有り宅間上杉家の殿様の御遺徳によって今も御寺が反映している様です。
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どうぞこれからも多くの人に三佛寺様が大切にされて存続し、地域の人の心の拠り所に成ります様に御祈り申し上げます。

さて、今回は御住職御不在で御朱印を拝領出来なかったので、次回、改めて参拝した際にこの記事に御朱印の画像を追加掲載したいと思います。

皆さん、旭区の三佛寺に関わった宅間上杉家の殿様が主君に忠義を尽くしたとても誠実な性格の方々だった事や高い家柄だった事御理解頂けたでしょうか?
足利尊氏公の従兄弟から始まった高い家格なのに御寺が庶民との距離が近いのは、きっと宅間上杉家の殿様に、そういう御人柄の優しい人が多かったからかも知れませんね?

きっと皆さんの御近所にも凄い歴史偉人が関わった神社仏閣や御城の跡の山や古代の人々から継承した文化や聖地の残る自然が有ると思います。
ですから・・・皆さん、ちょっと御近所の山に行って見たり、神様仏様拝みに行って境内の看板を読んで見ませんか?それだけでも昔の人と今の皆さんを繋ぐ大切な場所が沢山残っている事を再認識して、地域の誇りに成り郷土愛が深まるかも知れません。

では!又、と義の解説記事で御会いしましょう♪

先月の話・・・
関西の親友で妹の次に小生の性格の理解者だろう人間のデザイナーITが展示会の東京出張で来訪。
来訪の1ヵ月以上前から「宿泊地決めないと予約難しいぞ~」と散々せっついたのに直前の1週間前までノンビリ屋で決めてなかったIT・・・
その結果、廃墟マニアと変わった趣味で今回は鎌倉の❝廃墟?❞的な場所を観光地として希望してた割には出張先の渋谷区からも、小生の地元横浜で一番の蛍の大生息地である円海山の在る栄区界隈からも、横浜の中心街で一番便利な横浜駅や関内界隈からも❝中途半端❞な鶴見区と言う謎の立地のホテルを予約しやがった。鎌倉行くのに迎えに行くのが少々面倒(笑)。
・・・まぁ、鶴見なら今のNHK大河でタイムリーな薩摩藩関連の史跡や、鎌倉向かう途中で横浜中華街の朝食も食べれるので「楽しみを詰め込めば良いか!」と前向きな発想が直ぐ湧く。
待ち合わせはAM:08:00、ホテル前。
この日も小生は当日の夜中03時に仕事から帰宅し風呂入ったり何かしてたら既に朝の5時、もう目が冴えたまま寝るのも諦めて「ホテルの前に車停めて仮眠しよう」と6時に移動。7時には到着した。
しかし車中でも眠れず、諦めてITにLINEする・・・
「もう着いたけど寝てるから準備できたら適当に出て来てユックリしてて良い」
・・・とは送りながらスマホ弄(いじ)くり当日の不安定な天候も有り到達地点別の天候に訪問地分岐案の再確認をGoogle mapでしておいた。こう言った❝遊び❞は「手伝うよ~」と適当な事して邪魔する同僚の介入も無いので❝好きに完璧に予定を組める❞から好き(笑)。
ホテル前でITをピックアップ、御土産に太らない京都の宇治の御茶とかくれた。
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生麦事件発生地
・・・と言う訳で、最初にITをピックアップして連れて来た❝観光地❞がこの住宅街(笑)。
ITには来る途中で交差点の看板とか電信柱の看板とかを故意(わざと)音読させてヒントを出したのだが現地に着(つ)いても解らない(笑)。まぁ~そりゃそうだ。今じゃ只の住宅街の道だから。
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・・・実はここ、薩摩藩が参勤交代中に乗馬した白人至上主義の白人連中に隊列に侵入されテロ排除の為に数度のジェスチャーと日本語による警告の上でも騎乗した白人は止まらず薩摩藩の隊列に突入、島津久光公の籠に迫ったので止む無く惨殺したと言うのが真相の❝生麦事件❞の発生現場なのだ。
ITは別に歴史好きと言う訳では無いが廃墟好きなので小生の話題にも少し付いて来られる、まぁ京都育ちだし神社仏閣歴史史跡に囲まれて育った❝文化的歴史的素養❞と言うのは移住者だらけの普通のハマっ子よりは並の京都人の方が遥かに高い。
歴史に特別関心が無くても義務教育で習う生麦事件程度は当然知っている訳だ。だからもう直ぐNHKの❝西郷どん❞で登場するであろう、この事件現場を見て「ほ~」と言う感じの反応をしていた。
まぁ、鶴見から中華街に向かう通り道を少し裏の旧道に入っただけ、途中に立ち寄った場所なので凄い場所と言う訳ではない。
しかしこの後、小生がやらかす。
散々地図を見て予備学習して置いたのにGoogleMapのカーナビではなくてポンコツの純正カーナビに任せて音声に合わせて道を走ったら関係の無い側道に入らされたり住宅街をグルグル・・・
朝食を買う予定の中華街まで大分と遠回りになってしまった。
ナビを放棄し自分の目視と記憶で大黒ふ頭に経由地を変えて海沿いの道を選択、多分横浜市民以外は知る人の少ない大黒ふ頭を経由して横浜ベイブリッジの一般道~新山下へ抜けて早朝の中華街に到着した。
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道を迷ったせいで鶴見駅近くを8時に出発したのに到着したのはAM:09:00位に成ってしまった。
しかし普通の中華街の店は10時~11時開店なので人気は極端に少ない。
中華街の加賀町警察の前には小生が立ち食い点心を購入する際に行きつけにしている店の内の一軒が有る。そこの大根餅や肉と高菜の細切り炒めが入った揚げ饅頭が美味いんだな。
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金福粥記
ITは服飾関係のデザイナーと言う仕事の都合上中国にもよく出張するのだが、中国では現地企業に接待される側に成るので中々こう言った普通の中国の朝食を食べたり好きな火鍋とか庶民的な料理を食べる機会が無いとの事。慌ただしい鎌倉へ向かう車中での朝食と成ったが「美味しい!」と喜んでいたので何より。
中華街近くの石川町入口から横浜横須賀道路に入り高速で横浜市金沢区の朝比奈峠へ抜け鎌倉に侵入、鎌倉市街の手前の報国寺近くの駐車場に車を停めた。ここの辺りは実は凄く安いタイムズ駐車場とか浄妙寺の駐車場も有り、朝比奈~十二所~浄妙寺地区~名越地区の観光の基点とするのに適している。
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最初、報国寺を訪問し御本尊の御釈迦様に御参りしたが竹林は後回しにした。
この日の目的地はあくまで❝廃墟散策❞が主旨なので、報国寺の散策は後、でも御本尊を拝まずに素通りすると、この後❝少し危ない山の中❞を散策するので❝旅の安全祈願❞も含めて先にちゃんと御挨拶する事にした次第だ。
この日の主要目的地の廃墟と史跡を目指すのには新幹線で関西から来たITをわざわざ山登りさせる必要が有る、観光じゃないんだな最早(笑)。
最初に目指したのは、その廃墟と史跡の入口と成る木々の枯れる❝冬季ならば❞鎌倉市で一番眺望の良いであろう衣張山の山頂だ。
その道は巡礼古道と呼ばれ、報国寺の所在する宅間谷(たくまがやつ)から鎌倉武士達が三浦半島の逗子方面に抜けたり、名越邸こと鎌倉幕府執権の北条時政館の史跡に行く間道として利用された古道を通る。
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目標的には報国寺~かまくら幼稚園を目指すと緑地帯から自然に衣張山入口の公園に出る事が出来る。
この日に備えてITには❝運動靴❞❝Gパン等の歩きやすい服装❞をちゃんと指定しておいた。
まぁ~この辺は廃墟観光に成れたITだから言わないでも大丈夫なのだろうが、山歩きの度合いを軽視されて準備不足に成ると本人が楽しめなく成るので敢(あ)えて念を押した訳だ。
衣張山は城郭オタクが登れば一目で判るが、山道が裾切りされて人工的に鋭角な崖地化された登山道が多く足を滑らせると死ぬ構造に成っている(笑)。
平安以来の鎌倉武士、三浦家の居城だった衣笠城と同じ構造だな。
衣笠城址に関しては以前書いた記事が有るので御興味有る方は御覧頂くと平安~鎌倉時代の武士の城の構造が良く解ると思う。
これ以前の記事⤵
三浦義明公と衣笠城址。源家最大の盟友、坂東武者の鑑。…三浦半島横須賀市。
かまくら幼稚園側から20分も登ると衣笠山山頂に着いた。
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衣張山山頂
材木座~由比ヶ浜~名越~雪ノ下~扇谷地区が一望できる絶景だが、この辺りは❝神奈川県の富士山100景❞にも選ばれた景勝なのだ。本来、天気が良ければもっと遠く伊豆半島なんかも綺麗に見える。
生憎(あいにく)と当日の天気予報は降雨、幸い登山中は天候が持ってくれたが曇天で遠くは見渡せなかったが、それでも綺麗だった。この辺りから獣道を通って行くと現在は鎌倉市によって通行者の安全確保が十分でないとの判断から仮設封鎖柵が設置されている❝釈迦堂切通し❞や❝釈迦堂遺跡❞へも通じる抜け道が有る。
その抜け道へ行く為にわざわざ衣張山へ上った訳だな。
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色んな場所に鎌倉時代~室町時代の矢倉(やぐら)と言う名の武士の御廟所である横穴式墳墓が在る。
これも有る意味❝廃墟❞だが、先人を尊敬する小生は一々、ここに埋葬されていたであろう名を知らない御霊にお祈りすると京都育ちのITも心得ていてちゃんと手を合わせていた。
因みに、一々拝みながら「通行者を御守り下さい」「鎌倉の住民を御守護下さい」「御霊が大切にされますよう、安らかに過せます様に」とお祈りした。
鎌倉幕府を運営し、朝鮮人と中国人とモンゴル人による日本侵略戦争の元寇を撃退する基盤と成ってくれた人達だから感謝と尊敬の念を御伝えするのは当然の事だと小生は思う。
程なくして落ちたら死ぬ犬懸谷(いぬかけがやつ)の奥の山から釈迦堂口に出て、釈迦堂切通しに到着した。
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釈迦堂切通し
ここは先述の通り先年の落石発生以来鎌倉市が封鎖しているのだが、周辺住民の生活道路なので金網の無い場所を通行する人は今でも多い。まぁ、山越えて抜け道を通ればそんな事する必要も無いが労力が大変な訳だ。
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「お~凄いな」
・・・と男前な感想のIT、こう言った史跡も有る意味廃墟、ここは恐らくは鎌倉市街地~名越北条家の居宅と成った北条時政邸と詰城(つめじろ)だった衣張山登城口への関門だったので名ばかりは❝切通し❞だが隧道(すいどう=トンネル)形状にした上で入口に梁(はり)を渡して櫓門(やぐらもん)が築かれていたのだろうと城好きの小生は予想している。恐らく多くの城郭ファンも同じ推測をするだろう。
だから上部左右には梁を通した様な材木を打ち込んでいたであろう穴跡も見て取れる。
ここから又、獣道に戻ると今度は別の名越側から封鎖された❝幻の釈迦堂跡❞の釈迦堂遺跡へ行くことが出来るが、私有地側から入る人がいると困るので詳細は掲載しない。
山頂からの行き方をネットでも生き方を書いている人もいるので探して見ると良いと思うけど、途中には崩落した橋の欄干を渡らなければいけないデンジャラスゾーンが有ったりするので、やはり小生は道順はボヤ化して置こうと思う。
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釈迦堂口遺跡
釈迦堂遺跡は山の中に削平地が広がる。
名越邸跡と伝わり鎌倉幕府二代執権と成った北条義時公が、そこに北条時政公の没後に供養の為に釈迦如来を安置した御堂を建てたのが始まりとか何とか伝わるのだが、大半が私有地と言う事も有り現在の鎌倉市教育委員会や神奈川県教育委員会はその場所をちゃんと公開していない。しかしながら昔の鎌倉市教育委員会は無文化な部類の一部土建屋による鎌倉市の森林と史跡破壊を糾弾し新聞社と一緒に吊るし上げたり、この私有地を保有する国際自動車タクシー会社さんも一般に公開したりしていた。
前代の鎌倉市長主導で封鎖された次第だが、何と言うか民間会社の方が文化史跡保護と公益に資する公開の意識が高いと言う・・・皮肉な話だ。
釈迦堂遺跡の奥に山道から降りて来る昔の登山道である❝抜け道❞が有る。まぁたまに見学会も開かれるので鎌倉市のホームページをチェックしてると良い。団体で見学希望申請何かすると、鎌倉市教育委員会もガイドしてくれる可能性も有るかも知れない。
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登山道には昔の看板も残っているのだが鎌倉市の前の市長が封鎖してしまって通行量が減っているので❝廃道❞寸前の状態。貴重な遺跡が保護管理されず放置される悲惨な状況に成っている・・・
「訪問したい人は安全管理は自己責任でどうぞ」
・・・と言っておこう。
まぁ❝廃道寸前の道❞含めてITの趣味に合わせたチョイスなのでそうなるな。
こちら側から登って行くと唐糸矢倉と言う、源頼朝公と源義仲公の間の悲しい同族同士の争いの終結の場所となった史跡が在る。
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説明の看板の通り、源義仲公の家臣の娘の唐糸サンが源頼朝公の様子を探る為に侍女と成り、源頼朝公が源義仲公討伐の相談をしていたのを聞いてしまい頼朝公暗殺を企て幽閉された場所だそうだ。
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どうも看板の矢倉よりも直ぐ右隣の矢倉の方が土牢としては適した構造だと小生は思う。
そして看板の伝承は少し違うと思う、状況的には源義仲公の御子息で源頼朝公に人質として預けられていた源義高公が頼朝公によって処刑されそうに成ったので、義高公に仕えていた唐糸サンが頼朝公の暗殺を企てたと考えた方が状況的には自然だろう。当時の伝承も後世に伝える伝言ゲームで行き違いが有ったのかも知れないし、小生の予測が外れているかも知れないが郷土の伝承レベルの事なので事実は今では確認しようも無いが小生の予測通りならば源義仲公と源頼朝公の因縁の終わりの場所と成るだろう。
事実、三浦半島の初瀬和田の和田城には元は源義仲公の側室だった巴御前が和田義盛公に惚れられて側室として同居したと伝わり、源義仲公の乳兄弟(乳母の子)で重臣の今井四郎兼平公は横浜市保土ヶ谷区の今井城址に居住したと伝承するので、実際は平家物語では書かれていない木曾(源)義仲公の家臣団は頼朝公に降伏し鎌倉幕府の幕臣と成っていたのだろう。
・・・源義高公の命と引き換えに信濃の武士団は命を助けられ、源義高公に仕えていた唐糸サンは納得が行かず組織としての正義よりも忠義としての正義を優先したんだろうね。
この唐糸矢倉を過ぎると人工的な切通し状の堀切(ほりきり=尾根道を断ち切り敵の侵入を防ぐ構造)が在る。
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そこに橋が架かるが、最大の見どころ。廃道化の原因の床の抜けた通行不可能な橋。
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でも欄干と橋梁は鉄筋コンクリートなので❝自己責任❞で渡りたい人はどうぞ。
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ここさへ渡れば釈迦堂遺跡も釈迦堂切通しも衣張山から来られるからね~。・・・落ちたら運が良くて骨折かな?
ここに来たい人は、ちゃんと安全確保のワイヤーとか準備してね。
でも一番、城郭としての構造が解り易い。
ここを通らないと詰城の山頂側に行く事は出来ない。そして平時は引橋(ひきはし=戦時に引いて撤去出来る橋)が架けられていて戦闘時には堅固な防御構造と成った事だろう。
唐糸矢倉に降りて来る分岐点の前に衣張山登山道の休憩所跡が有る。
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途中には廃墟化した東屋。これも有る意味廃墟かな。
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さて、東屋の下の分岐点から唐糸矢倉方面と反対に行くと釈迦堂切通しの真上に出る事が出来る。
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落ちたら死ぬから気を付けてね、あくまで自己責任でどうぞ(笑)。
本当に気を付けて。
そして釈迦堂切通しの上を通り抜けると、重要文化財にするべき❝日月矢倉❞に抜けれる。
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恐らく名の有る武士の御廟なのだろう。
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壁に穿った穴の形状に矢倉の名前が由来する。
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日輪と月を模した意匠が施されているので、そう名付けられたようだ。
恐らくこの月の意匠からして、千葉家所縁の武将の矢倉かも知れない。千葉家一族と家臣団には月の家紋と九楊紋を家紋にする武将が多い。ここは大町に抜ける場所でもあるし、大町には戦国時代に成っても千葉一族臼居家の菩提寺であり平安時代の武将の千葉常胤公と千葉家所縁の寺院でも有った蓮乗院が存在する。
蓮乗院は元は弘法大師空海和尚所縁の真言宗の寺院だったが、直ぐ隣に浄土宗の大本山の天照山光明寺が開かれると浄土宗に改宗し、その光明寺の重要な塔頭寺院と成った。
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因みに今回紹介している衣張山も山頂の風景が綺麗だが・・・
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光明寺の天照山から見た風景は❝神奈川の景勝50選❞にも選ばれ、最近では映画シン・ゴジラでゴジラの上陸地点としてロケハンされたりしている。非常に風景が美しい。
そこ等辺りは以前に記事に書いているので興味の有る人は読んで頂くと解ると思う。
以前の記事⤵
休日雑記 2017年01月25日の訪問先・・・【鎌倉市】住吉城址前の材木座海岸と和賀江嶋と江ノ島と富士山と夕陽の見える場所。
●臼井城主の子孫の店❝Cafeこやぎ❞は旧鎌倉郡域にある緑に囲まれたカフェ。美味しい葛餅と焙茶(ほうじちゃ)が頂ける店。ランチも人気。…横浜市。
・・・さて、日月矢倉に話を戻す。
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風雨に晒された矢倉は風化が激しい。
ここ数年、鎌倉市は釈迦堂切通し仮封鎖後に訪れる人が少なくなったせいで樹木の浸食が早く少しでも早く釈迦堂切通しと釈迦堂遺跡側の遊歩道の再整備を急ぐべき理由の一つでも有る場所なのだ。
ここを見学した後で、元来た道を抜けるのが面倒臭くて鎌倉市の設置したフェンス側の❝抜け道(笑)❞を通って大町に出て、谷底側の住宅街から又かまくら保育園の方に戻り報国寺に戻って抹茶を頂く事にした。
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途中、せせらぎに綺麗な花が咲いていた。
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その川沿いに黄金矢倉の跡が有る。
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黄金やぐら
昔は光苔(ひかりこけ)で綺麗に輝いていたらしいが、今では御覧の通りシダ類に浸食されてしまって光苔は死滅したようだ。
そこから宅間谷に戻る長い階段の遊歩道に復帰した。
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かまくら幼稚園近くに戻ると可愛い御地蔵様が出迎えてくれるのが、巡礼古道に復帰した目印。
そこから報国寺に戻る時に最近ドラマ❝モンテクリスト伯ー華麗なる復讐ー❞でもロケ地に成っている旧皇族華頂宮邸が在る。
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旧華頂宮邸
この時既に11時半位だったろうか?
予定通り(笑)丁度公開されている時間、廃墟では無く綺麗な文化財の洋館だがITを案内。
薔薇の見頃の季節だったので御庭が綺麗だった。
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今年は横浜イングリッシュガーデンに薔薇を見に行かなかったので、ここで見られて良かった。
本当は、この後で天候が雨が降らず持てばITを鎌倉市の薔薇の名所として有名な❝鎌倉文学館❞に連れて行く計画だったのだが、後で大雨に成ってしまったのでここで薔薇を見て置いて良かったと思う。
報国寺に戻ると抹茶付の拝観券を購入し報国寺の竹林を散策・・・
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功臣山 報国寺
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以前と違って経路が定められており、小生が通い出した10年前の様な自由度は昨年末のリニューアルから無くなったが、それでもここは良い。
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抹茶を一服頂きながら景色に心を落ち着かせ和んだ。ここを開いた足利尊氏公の御祖父さんの足利家時公と宅間上杉重兼公に感謝!
いい加減に昼食の時間と成ったのでITに「地魚海鮮の和食と、地魚地野菜のイタリアンとどっちが良い?」と選択肢を質問、イタリアと言ったので車で少し葉山方面に移動し秋谷海岸の行きつけのイタリアンの店❝DON❞に到着。
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DON秋谷店
残念ながら当日、予約がいっぱいで1時間半待ちとの事でウェイターの青年がとても丁寧に申し訳なさそうに状況を説明してくれた。
「まぁ、和食も美味しいし!」
・・・と言う事で小生と同じく美味しい物が大好きで男前(笑)なITは、せっかくの観光を楽しむベクトルで納得してくれて、DONから車で5分と直ぐ近くの佐島マリーナの❝海辺❞と言う、これまた小生行きつけの海鮮和食屋サンに移動する事に成った。
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海辺ここは本当に海の目の前のレストラン。
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デッキ席からは海が一望出来る。天神島が見え、ともて清々しいのだが・・・
この写真は生憎当日の物では無い。IT連れてった時は既に雨がポツリ来た後で店内で食事と成った。
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それでも特別セット(刺身盛り合わせ+ブリ角煮+アラ汁+金目鯛煮付け+米お代わり可能)が来ると「美味しい!」と満足してくれた様で何よりだ。
京都育ちで舌が肥えているITが納得してると自分も嬉しいもんだな。
他の親友も何人か連れて来た事が有るが、やはり皆美味しいと喜んでくれる、そして自分が美味しいと思う物を一緒に美味しいと親友達が感じてくれると皆の喜ぶ様子を見て自分も嬉しく成る。
そう言う意味において小生と親友の共通点は皆、食べる事が好きだと思う。
だから小生デブったりジムでダイエットしてシボんだり繰り返すんだな(笑)。
この後、鎌倉市街に戻り扇谷(おおぎがやつ)地区と小町通と若宮大路と鶴岡八幡宮を散策する予定だった。
しかし雨が・・・
扇谷地区から正宗工芸を見学したり若宮大路に抜け鳩サブレ―の豊島屋サンや鎌倉彫りの店を見物してから鶴岡八幡宮に着き御参りを済ませると、もう雨がドシャ降りに成り散歩どころではなくなってしまった。雨傘さしているのに二人共靴下までビッチョビチョ、止むを得ず車に戻った。夕飯は小町通のマザーズオブ鎌倉で葉山牛の鉄板焼きを食べる予定だったが、それまで時間を潰すのは無理。
小生も徹夜で一睡もしていない事をITが配慮してくれて「神奈川東京名物の黒湯炭酸泉のスーパー銭湯に行こう」と予定していたコースの前倒しを提案してくれた。
・・・仕方が無いし夕方にも成っていたし、帰りも渋滞するだろうしスーパー銭湯での時間も含めて夕飯時に成る事を想定して夕食は横浜駅で中国の火鍋の名店❝小肥羊❞で食べる予定に切り替えた。
前もって色々と候補地を準備して置いてITに通知していたのと、ITが小生の体力も考慮してくれた事と辛い物好きのITの全ての折衷案でそうなった訳だ。
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極楽湯 横浜芹が谷店
※写真撮影し忘れたので冬の写真。
港南区の極楽湯へ移動。鎌倉街道から少し環状二号線を入った場所に在るので横浜横須賀道路で横浜駅に戻るには別所インターへのアクセスも都合が良い立地だし、この先は南区の弘明寺の三浦湯か、川崎まで行かないと無いし三浦湯よりは広いのでコチラにした。
風呂上がりは1時間後の待ち合わせ。
しかし、この日は男子風呂は子供だらけ、しかも親のマナーが悪く子供が露天風呂で行儀悪く風呂にバシャ―ン!バシャ―ン!と飛び込み台の様にしており親の集団は注意せず放置。
仕方なく小生が「お風呂では飛び込んじゃダメだよ~♪」と言うと固まる子供・・・
そこへ別の年配の男性客が「オイ、ガキ!あぶねーぞ!怪我すんぞ!」と凄みながら注意した。
・・・するとマナーの悪い子供は、これ又、行儀悪く風呂場を走って室内浴場へ❝逃げた❞のだが、一体全体、あの子供の親はどんな家庭環境で育ったんだろうな?と思った。
騒がしくユックリする気分でも無いし凄まじく眠かったのでITの配慮を無駄にしない様に10分で風呂を上がると、待ち合わせ場所のマッサージチェアにしこたま100玉を投入し40分位マッサージされたまま寝た。
人間40分も仮眠すると結構頭がスッキリするもんで、目も覚めてスマホ弄くりながら小肥羊の場所を確認しているとITが風呂から上がって来たのでソフトクリームを食べながら関内店が良いか横浜駅東口店が良いか相談し、横浜駅へ移動。
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地下駐車場に愛車を停めるとモアーズ側の出口から小肥羊に移動。
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中国火鍋専門店 小肥羊 横浜店火鍋と言う料理を御存知無い方もいるかも知れないが、これは中国でポピュラーな料理で薬膳スープと辛みスープの二種類に羊肉や牛肉や野菜を浸して加熱して食べる中国東北地方の料理で、言わば中国版のシャブシャブと言った感じの料理だ。
小生は辛い物は嫌いでは無いが得意でも無いので、辛いスープはもっぱらITの担当に成った。
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4000円弱のコースを頼んで二人で「肉少なくね?」と思って追加注文したらトンデモない!コースはやはりちゃんと考えられていて、二人共追加分は腹一般で可也(かなり)無理しないと胃袋に入らない量に成ってしまった。
しかし、とても美味しく、又何回でも食べたいと思う中国に良く出張していた小生にも懐かしく、中国にしょっちゅう出張しているのに接待漬けのせいで食べる機会が少ないITにとっても神奈川旅行を喜んで貰える一助に成った様でとても良かった。
二人とも満腹で満足すると、翌朝早くには表参道に出張出勤せねばならないITを眠気もすっかり覚めたので安全に鶴見のビジネスホテルまで送り届けると小生は下道で帰宅した。
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帰宅してITに貰った御土産を開くと冒頭で紹介した宇治茶と山椒昆布だった。
「ありがとう」と感謝の念を持ちながら有難く頂き、御蔭で体型も理想体型に成る事が出来た。
毎回、東京出張の旅に訪ねてくれる親友で理解者の存在は、人としてとても有難い。
ありがとう。

ITや千葉に引っ越してしまった後でなかなか会えなくなっていた親友O型君等の様に、常日頃から馬鹿みたいにつるまなくても、大切な人間と言うのは信頼出来るしバカ騒ぎしなくても楽しめるもんなんだよな~。

親友だけでなく、普段、御世話に成っている師匠の様な宮司様達や和尚様達や、尊敬する歴史偉人や神話の残る神達様や武将達が拝んだ仏様達、御先祖様や小さい時に可愛がってくれた義祖母はじめとした恩人の皆さん、学生時代からの恩師達に感謝をも再確認する一日と成りました。
ITありがとな~!

さて、今回の休日雑記はここまで!
次は多米元忠公の解説記事の最終章を書きたいな~と思います!
その翌週からは暫く繁忙期と私用と神事と仏事が立て込んでブログ更新遅れたらすみません!

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう~♪

表題の通り、横浜市内と鎌倉市内は2017年12月第1週、今が紅葉の見ごろです!
昨日12月02日に撮影して来た写真を添付羅列しますので、旅の御参考にして頂ければ幸いです!

横浜三渓園
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山下公園~横浜三塔KING(神奈川県庁旧庁舎)前銀杏並木DSC_3852
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鎌倉市浄明寺地区宅間谷(たくまがやつ)界隈(報国寺~旧皇族華頂宮邸~犬懸谷)
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旧皇族華頂宮邸
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犬懸谷(いぬかけがやつ)~衣張山~田楽辻子の道周辺CIMG5827
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関取(戦国期北条氏康公関所跡)~ニュージャーマン~鶴丘八幡宮
248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下636−1



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鶴丘八幡宮~白幡神社(鶴岡八幡宮境内社)~鎌倉国宝館
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もう有名な場所ばかりなので解説は不要だと思い、先ずは皆さんの必要な現在の画像情報を掲載しました。
もし、「余り詳しくないよ~」と言う人はブログの記事の下の方のタグから検索したいキーワードを;クリックしてみて下さい!
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近い内に22日の神奈川県西部の紅葉見物の休日雑記の続きを書きますので、その記事も御興味有る方は御覧下さい。

 ↑
これは前回の記事です。

皆さん、晩秋の景勝、楽しんで下さいね~♪
では、又、次の記事で!




















2017年07月15日、この週の火曜日07月11日が新井城落城した日で尊敬する武将の一人である三浦義意公と御父君の三浦道寸公の供養の為に菩提寺である網代山海蔵寺に参拝し、御住職様から海蔵寺専用の納経用の奉書を頂いていたので三崎漁港の海南神社の例大祭に合わせ、土曜日に写経した妙法蓮華経観世音菩薩普門品世尊偈を携えて海蔵寺に納経に再訪した。

海蔵寺さん参拝の後、最初に訪れたのは天然記念物諸磯隆起海岸だった。
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…と、その前に少し小生の神社と御寺に対する思い入れの根源の話し。

小生の祖先は某延喜式内社の宮司家なので御寺や仏教と言うと子供の頃は除夜の鐘程度の認識しかなく、なんと言うか御祭りの様な楽しい場所と言う感じだった。
大人に成って仕事でリーマン破綻直後に3ヶ月間、毎日睡眠が3時間以下と言う労働が続いて過労に成って頭ハゲそうなハチャメチャな状況に成って心身共に参っていた。
同僚が中国語話せないのに突然中国へ転勤に成ったり、小生は中国語話せるのに国内に残りソイツの分も含め複数人から仕事を引き継いだり、ハッキリ言ってキャパを超えていた。
朝の定時出勤時間前から出勤して客先の就業開始直後に御用聞きで訪問できる様に直行。
夕方の18時に帰社、そこから自分のオフィスワークと2人から引き継いだ分のオフィスワークを始める。当然朝までかかる。だから休日も潰れる。20時以降はタイムカードを切らされてサービス残業を強要され、当然休日出勤は申請不可。そんな会社だが実は中堅企業の中の大手の部類の企業だった。
アジア圏や国内遠方に出張する際は、上司に指名されたいい加減な同僚に仕事を任せるのが嫌で嫌で仕方なかったが、馬鹿でも出来る様に完璧にスケジューリングして協力会社にも念入りに事前に打ち合わせで部材の製作をお願いして置き、資料も準備して小生の仕事を代理で行う人間はスケジュールの時間通りに指定の場所を訪問して人に会い物を受け取り、物と資料を渡すだけで何にも考えず何にも余計な事を話さず済む様にしてあった。
だけどね、世の中、いい加減だけど何だか知れないけど上司に信頼される奸臣と言うのが居て、その上司に仕事を御願いする様に指定された同僚は「案の定ちゃんと俺のスケジュールを踏んで行動しない」で当日に訪問しなかったり、結果的に納期に遅れたりやらかしてくれた。
だけど狡猾な奴で上司には小生のミスの様に粉飾し、小生が出張から帰って来ると何だか知れないけど叱られたり。それを残業時間に成って同僚を呼び止め問い詰めると開き直りクソ同僚はこんな捨て台詞を言った…
「そんなに完璧にやれんて!」
…おい、俺は馬鹿でも出来る様に御膳立てしてやった上に協力会社の皆さんも文字通り万全の協力をして下さっていたんだがな?
まぁ、そんな事が何回か有ったりハードな仕事が三ヶ月休み無しで続いて自分で洗濯物洗う暇すら無くてクリーニングにシャツやスーツを丸投げしても、今度はクリーニング屋に服を引き取りに行く暇も無く、前日着たシャツにファブリーズだけして又着て仕事したりしていた。
小生がそんな事に成っていた時期に社員の1人が交通事故を起こして人を轢き殺した。
更に社員が1人自殺、でも家庭の問題とされていた…本当かよ?
子会社でも1人が過労要因と思われる交通事故死。
自分も高速道路で運転中に意識が飛んだり2回経験した。赤信号も認識できずに信号無視をしたり、自分で「やばいのかな~?」と思い、そのクソ会社を辞めた。
因(ちな)みに、その会社は今でも存続していて何だか知らないけど某大手企業のベストパートナーにも選ばれたりしている。御客さんは、そんな状況知らないだろう。まぁ、知ってる会社も有ったけど。
これ、当時、退社後に労働基準監督署にも職安にも相談していたけれど、「管轄外」と言われたり「ウチでは出来る事に限りが有って対処できない」と言う主旨の事ばかり言われたんだな。
まぁ、泣き寝入りするしかなかった。
アレから数年が経ったが、日本の労働基準法って今でも守られてないよね。実際。
有休消化なんて超大手企業しか出来ないでしょう?
週休二日制も守られてない会社多いでしょう?
サービス残業の会社多いよね?
安倍さんが賃金上げろと急(せ)かしても無視するクソ企業多いよね。
その癖に横浜市長みたいに日本を敵視する北朝鮮の学校に補助金出したり意味わからない政治家もいるよね。
新しい制度考える前に、既に施行した法制度を順守させる方が大切だと思うんだよな。
まぁ、そんな事が有ってリアルに昔は無責任不倫上司のせいで死ぬ寸前に追い込まれた。
だから、昔の善政を行ったり農民や商人に好かれた殿様達に余計に尊敬の念を抱くんだろうな。

そのクソ会社にいた頃に不思議な夢を見て…
横浜の歴史偉人とその上司の玉縄北条家や源頼朝公とその与力衆の鎌倉武士団の偉人達に"命を救われて"以来、歴史の資料を趣味で読み漁り墓所や御関わりに成られた神社仏閣と史跡を訪問し、殿様達に感謝して回るのが休日の趣味に成った。
…もっと言うと三浦の海に命と精神を救われた感が有るんだな、小生の人生は。
当時はボロボロで、ハチャメチャな仕事を命を繋ぐ為に辞めた。
不思議と普通なら「自殺したい」とか思う状態に成るであろう状況に、小生は「海見たいな~」としか思わなかった。死にたいとは思わなかった。
でも仕事の通勤帰りに電車に乗ってる時は危なかったね。夜の町の中を走る車窓から外を見てると引き込まれるんだよ。
あれ、一種の催眠状態なんだろうね、気持ちが暗い時や挫折を感じてるとハマりやすいのかも。
そんで、休みに良く観光客の余り行かない三浦半島の南端の江奈湾に行って磯で少し泳いだり、散歩したりして過ごした。
・・・そうこうしてる内に気力も回復して来た。
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この江奈湾の磯が大好きで良く散歩しにドライブしに行ってた。
台風の翌日、ここの岩場が高波にバッシャ~ン!バッシャ~ン!と洗われている時にアホな小生はクロックス履いて出掛けてて岩場の海苔で足を滑らせ仰向けに素っ転んで強く背中を打って息も出来ず、何回も打ち寄せる波にさらわれそうに成った。
その時に強く思った「こんな恥ずかしい死に方出来ね~し!」と(笑)。
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江奈湾の近くの松輪からは富士山も綺麗に見えたりする。
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富士山、此花咲耶姫命様も小生の命を繋いで下さった神様なんだな。
家の近所の円海山に登っては、そこから見える赤富士を見て円海山の自然にも癒された。
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神社や御寺と自然と彼女の存在ってのはね~、どんな向精神薬や安定剤や睡眠薬よりも効果が有るんですよ~。家族は当てに成りませんがね~。
大切なのは自分で選んだ家族に成って欲しい人なんだと思う。つまり血縁よりも理解者だね~。
それと脳味噌を休ませてくれる環境。
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御蔭で小生は薬漬けに成らずに働けた。
あと、当時はまだミシェランガイドに紹介されておらず観光客も少なかった鎌倉の報国寺の竹林に行って座禅を組む様に何も考えずに時間を過ごしたり。
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そこの草庵で少し休んで、抹茶を飲む事で大分気力が回復したと思う。
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今では観光客が多くなり、余り気の休まる静けさは無い。でも癒されるのは変わらない。
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今では現:鎌倉アホ市長によって通行止めにされた釈迦堂の切通しの辺り衣笠山~今泉台~報国寺の宅間谷(たくまがやつ)をグルっと一周散歩して回ったり、殿様達の残して下さった鎌倉の文化と景勝地と三浦の海は医者の処方する薬より疲労が蓄積して赤信号も無意識に無視した脳味噌を少しづつ回復してくれた。
後で知ったのだけれど、この報国寺を開いたのも横浜市の殿様の宅間上杉家初代の上杉重兼公と足利尊氏公の御爺ちゃんの足利家時公だったんだな。
そして、更に後に知るのだが横浜市港南区の永谷天満宮も宅間上杉家の殿様が開いた神社だった。
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それ以来、紫陽花の季節には永谷天満宮に絶対に行く様に成った。
この少し前位、小生を身近に支えてくれた当時の彼女さんもいた。
この彼女とは結婚して幸せにしてあげたかったのだけれど、残念ながら小生がボロボロだったので縁が無くなったが、御蔭で小生はクソ会社退職後暫くして又、働ける様に成った。
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その頃に七里ヶ浜も行くように成った。
この変な棒は流木を砂浜に突き立てた写真。こんな風景七里ヶ浜に有りません(笑)。
その時に傍で支えてくれた昔の彼女さんを幸せにして恩返し出来なかった事を悔やんでいたりする。
丁度その頃だ。
ボロボロだった状態で夢の中に「龍寶寺」と書かれた石柱が出て来て起きてから「何だろうな?」と思って調べて見たら、戦国時代関東最強の武将だった北条綱成公の菩提寺の名前のだった。
場所も大船駅の近くで近かった。
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学生の頃に友達と遊んだ信長の野望シリーズに登場する名将の御寺だった。
2014-09-15-06-09-37上杉謙信と武田信玄に称賛された名将。
三つ鱗紋学生当時、北条家は少し地味で友人達には人気が無かった(笑)。
まぁ、どちらかと言えば三国志の方が学生時代は好きだったし。
夢の事でビックリして直ぐに参詣して、当時は今と違って旧境内地近くの山の上に存在していた御廟所に御線香を上げに行った。今では綱成公の御廟所は境内本堂横に移設された。
そうこう調べていると何と北条綱成の家老が横浜市の殿様の間宮家だった。しかも更に詳しく調べて見ると子供の時に同じサッカークラブに通っていた幼馴染の近所の子等の家の周りが綱成公の家老の間宮家の居城の笹下城址だった。
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何と小学校の頃、サッカークラブの幼馴染やその近所の子と遊んだ山が笹下城の本丸だった。
元々中学生の頃から家から鎌倉が近くて自転車で由比ヶ浜に行ったり、源頼朝公の御墓参りをしたり、江の島に行ったり、金沢区の野島公園に行ったりして遊んでいたので、歴史は好きだった。
子供の頃は大好きとまでは行かなかったが、大人に成り事情を知り直ぐに北条綱成公や間宮家の殿様達に尊敬だけで無く親しみも深く感じる様に成った。そして歴史が本格的に好きに成った。
最初は何となく資料を読んで、殿様達の開いた神社仏閣を訪問していた。そこから暫くして御朱印も貰う様に成り、更に地域の人にも偉人の存在を伝えたいと思う様に成ったのが3年ちょっと前。
もう一度、北条家の事を調べると足利家の鎌倉公方家の殿様と忠臣だった宅間上杉家や扇谷上杉家の事も知り、足利家に滅ぼされた鎌倉幕府の執権北条家の殿様達が元寇から日本を守って下さった事を再学習し北条泰時公と北条時宗公を尊敬する様に成り、更に鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝公とその与力武将達を物凄く尊敬する様に成り、三浦家や千葉家や佐々木家の殿様の事も鎌倉だけでなく横浜市と関係が有った事も知った。
その平安末期の武将中でも特に尊敬するのは、やはり平良文公、源義家公、源頼朝公、鎌倉景正公、三浦義明公、和田義盛公、三浦義澄公、佐原義連公、多田行綱公、渋谷重国公、佐々木高綱公だった。
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その人々の足跡を辿って油壷に行き、戦国時代に扇谷上杉家から三浦家を継いだ三浦義意公の民話を聞いて回る内に深く尊敬する様に成った。

まぁ、小生の命は自分で勝手に生きて来れた訳じゃなくて…
殿様達の御蔭、神奈川の自然の御蔭、そして当時の彼女さんの御蔭の3つで繋がったんだな。
…だから社会の役に立つ事をして生きた証を残して皆さんに恩返しせんといかんのよ。

そして2017年07月15日の休日雑記の三浦海蔵寺への三浦義意公と道寸公の供養の納経へと繋がっていく…

4月5日、昼前に鎌倉に到着した。
最初の訪問先はミシェランガイドで三ッ星に成った報国寺。
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ここを訪問した理由は本当は「ついで」と言うか、本来の目的は浄妙寺で女性守護婦人病治癒の神様の淡島明神様に御参りして御守りを購入する事にあった・・・
しかし報国寺は浄妙寺の直ぐ近所。
・・・元々報国寺の竹林で抹茶を頂いてボぉ~っとして過ごすのが好きなのと、報国寺を開いた殿様が小生が顕彰活動を準備しており横浜の殿様でもある宅間上杉家初代の上杉重兼公と足利尊氏公の祖父の足利家時公だから御参りしない訳にはいかないのだ。
最近はミシェランガイドのせいで国籍問わず風景目的の参拝客が増えたので昔は静寂だった竹林も「ザワザワ」と人の話し声がする事も有り、本堂の前で殿様達に御参りして帰る事も多く、余り抹茶を飲んで帰る事も少なくなっていた。
この報国寺に来ても、最近はもっぱら抹茶を頂くのは浄妙寺に成っていたから。
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しかし、この日の陽気で一気に桜の花弁も開き庭の景色が綺麗なピンクで彩られていた事と、平日で人も余り多くは無かったので半年振り位に竹林で抹茶を飲んで帰る事にした。
丁度、臨済宗寺院専用に建長寺で改めて購入した御朱印帳も持参して来ていたので、そちらに御朱印を頂く間、竹林でゆっくりと待つ事にした。
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しかし、この桜は思いがけず御褒美を頂いた気分に成れた。CIMG2929
う~ん綺麗だ。
横浜市の桜の開花状況は、この日まだ3~5分咲きと言った所、この報国寺の在る鎌倉市浄明寺地区宅間谷は名前の通り谷合で少し涼しい場所なので、まさか桜が見事に咲いているとは思いもしなかった。
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可愛い桜、見せてくれてありがとね!来年もよろしく!
さて、一頻(ひとしき)り桜を見てホッコリしてから、凛と静かな空気の漂う報国寺の竹林へ・・・
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フランス人ぽい男性と日本人女性のカップルが竹林散策を楽しんでいらっしゃった。
二人で交代で写真を撮っていたので、「写真撮りましょうかぁ~?」声をかけたら笑顔で「お願いします!」と応じて下さった。やっぱり、恋人同士は一緒のフレームに写った方が嬉しいでしょ。
二人は再び笑顔で「ありがとうございました!」と日本語で元気に御礼を言って下さったので、何だか少し嬉しい気分に成って幸せを御裾分けして頂きました。
御二人さん、ありがと♪
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さて、竹林の中の茶屋は“休耕庵”と言う。
実は昨年改修工事が入って暫く営業していなかった。小生自身も半年来ていなかったので久々の訪問。
大きくは変わっていないが、建築用材が新しく成っていた。
ここでは“抹茶”と足利家の家紋を模した“落雁(らくがん)”を頂く事が出来る。
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先述の通り最近数年間は観光客が多く成り余り以前程のんびりするのも憚(はばか)られる事も有ったのだが、この日は小生以外に喫茶に来た観光客も3~4組しかおらずゆっくりできた。
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ここから見る竹林と谷戸構えの切岸の苔むした様子、そこに響く小さな水の流れ・・・
この風景が落ち着くんだな~。
・・・ふむ、久々に来て良かった。
竹林の石畳も再整備された様で歩き易く成っていた。
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可愛い御地蔵様達、このエリア以前と雰囲気が違う気がする?
比較する写真が無いので分からない。
写真撮影しているオッサン(笑)がなかなかどいてくれないので、諦めてオッサンごと御地蔵様を写真に収めさせて頂いた。この御地蔵さん達、近くでみたら少し可愛いいんですよ、御優しい顔で。
竹林を出て御朱印を受け取り、浄妙寺へ移動する事にした。
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報国寺で御朱印を頂くのは二度目。最初は宅間上杉家の顕彰活動で。
そうそう、本堂の横には名前は知らないけども綺麗な紫色の花が咲いていました。
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なんと言う名前なんだろう?
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御存知の方いらっしゃたら教えてください。
浄妙寺へ向かう時、報国寺交差点の手前の橋の上から滑川(なめりかわ)に目をやると菜の花がとても綺麗に咲いていました。
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近くで見たくて滑川の遊歩道に降りてみた。
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遊歩道に降りる階段横にも桜が咲いていた。
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生憎、遊歩道は菜の花の近くまでは伸びていなのだが、それでも花と同じ高さの目線で見れたので満足満足♪
う~ん、黄色が明るく爽やかだ!
この滑川の菜の花から徒歩1分で浄妙寺参道に着く。
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浄妙寺の参道も桜が咲き始めていた。こちらは未だ4分咲き位か?今週末4月の第2土曜日曜辺りは見頃に成っているだろう。鎌倉市観光協会にも確認したが、鎌倉市内の桜は概ね今週末位~漸く見頃だそうだ。
今年は気温の寒暖差が激しく鎌倉に限らず、どこも開花が遅れている様だ。
その分、大きな風が吹かなければ長い間花見も出来そうだ。
浄妙寺に着くと、山門をくぐって直ぐの拝観受付の場所で販売している淡島明神様の御守りを購入した。
無論、女性の親友達の縁者の健康祈願が主たる目的なので、御本堂に御参りした。
昨年母が子宮癌に成り手術を受ける前に、小生は御参りして母に淡島明神様の御守りを購入し渡しておいた。
その後、手術は上手く行き転移も無く、無事にいるので先月、母の御礼参りに付き合って参拝しに来たばかりだった。
その後、留学仲間の大阪の女親友の姉上が卵巣癌の手術をした事を知り、卵巣癌が遺伝性の病である事も知った。加えて愛知の歴史仲間でもある女親友の友人が子宮癌に成り転移も有った事を最近聞かされたので、友人達4人分の健康祈願と御守り購入に来た次第だ。
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淡島明神様は御本尊の並びの一番右端に鎮座してらっしゃる。
御参りに行けない人は、この写真でも良いから先ず健康祈願をして改めて参詣すると良いと思う。
御守りや、信心は要は自分の精神を健康に保つ、なんと言うか心の支え的な要素が大切なのだと思うから。
要は気持ちの問題。文字通り気持ちの問題で、ウジウジ一人で不安に成るより出来る事は何でもして、不安を払拭する事その物が既に御利益なのだろう。
そして、具体的に健康に向けて努力する。奢らず健康診断をちゃんと受け、ジムに通ったり運動をして健康を保つ、そう言う事なんだろう。
日本古来の神仏習合の神様で、まぁ~名前の通り淡路島が神格化された神様のはずだが、明治維新後の神仏分離令で、どの神様と同一視して神道に組み込むか全国の淡島神社では統一された御神格は無い。
だから小生は思うに神仏分離令は無理が有るのだよ。
日本文化から見て記録で遡(さかのぼ)れる範囲でも1400年以上は神道と仏教は融合していたののだし、そもそも大鞆別命(おおともわけのみこと)こと応神天皇の化身とされる八幡宮の神様なんか御神託で御自分の事を「八幡大菩薩」と名前を言った事が日本の記録に残っているのだから。
そして応神天皇の皇子の莵道稚郎子(じのわけのうらつこ)命なんて渡来の学問を日本で最初に導入した人物で神様に神格化された歴史が明白に成っているのだし。神話通り莵道稚郎子命が漢学を治めていたのならば仏教も学んでいただろう。少なくとも中国の道教や易学も学んでいたので、西暦300年~400年頃の古墳時代には既に日本の古代神道も大陸文化の一部が導入されていたはずだ。
無理に仏様も神様も分ける必要も無い。
本地水垂迹(ほんじすいじゃく)思想みたいに、どっちが本性とか議論する必要も無い。
日本人らしく大らかに八幡台菩薩を拝んでも応神天皇を拝んでも同じ神様で別名として認識すれば良いのだと思う。実際に、歴代の天皇家もそうされて来た訳だし。
この手の価値観は仏僧と神職でモメた事も有る様なので、小生は例えば素戔嗚尊(すさのおのみこと)ならば、もう全部の異名を一緒にして毎日御参りしている「素戔嗚尊牛頭天王武塔天神」と名を御呼びして遥拝している。
こうすれば、宮司さん達にも和尚さん達にも昔の人々にも失礼に成らないで済むんじゃないかと思ってる。
まぁ、そんな訳で、淡島明神様は淡島明神様のまま明神が付いていて良いと思う。

さて、ここからが小生のレクリエーション開始。
浄妙寺を後にして車に乗り込むと、一路、横須賀市の安針塚を目指した。
安針塚を目指す途中、住宅地の桜並木もとても綺麗だった。
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う~ん。ピンク。
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とても綺麗。なんと言うか、ブリッ子だな、この娘は。
小生は花を良く人間に例えるのだが・・・
この娘も可愛いが、小生は凛とした梅、または大木に成り人々の誇りとなる染井吉野がどちらかと言うと好む所ではある。
あと山吹や蝋梅も好きだ。紫陽花も綺麗。
でも一番好きなのは、やはり梅かな~。しかし人々を笑顔にする桜の林の存在価値も素晴らしいと思う。
ところで・・・
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この風景は按針台と呼ばれる安針塚の在る塚山公園周辺の風景なのだが・・・
安針塚と言うのは江戸幕府で徳川家康公に仕えた英国人サムライの三浦按針(あんじん)公の御廟所の事で、その御廟所の名前がそのまま京浜急行の駅名や地名に成っているのだ。
三浦按針公の本名はウィリアム・アダムスとおっしゃる。
まだ徳川家康公が豊臣政権の五大老だった頃、ウィリアム・アダムス公一行の乗った船が遭難し、九州に漂着した。家康公は彼を保護すると自らの領地である関東の相模国三浦郡に領地を与え家臣に加え海外通商の窓口、つまり外交担当の参謀として抜擢した。その際に姓も領地の在った三浦郡から三浦とし、元の姓のアダムスを日本風に文字って按針とした。
余談だが、この三浦按針公と共に家康公に仕えた白人サムライがもう一人おり、名をヤン・ヨーステンと言う。
彼も又、耶楊子(やようす)と日本風に漢字で名を改めたが、彼の居所が有った場所が東京駅八重洲口辺りだった。つまり東京駅八重洲口はヤン・ヨーステン=耶楊子公に由来しているが、これを知る人は現代でも結構多い。
そんな訳で、日本でサムライに成った外国人は数人いたのだ。
他にも宣教師が連れていたアフリカ系黒人のモザンビーク人奴隷を織田信長公が奴隷身分から解放して侍として己に近習させたのだが、この人物の名前は弥助と伝わる。元の名前はモザンビークにヤスフェと言う名前が多い事を世界ふしぎ発見!が紹介していた。この放送、とても楽しかったので良く覚えている。弥助は大砲の砲撃の名手だったそうだ。
更にイタリア人白人の山科羅久呂左衛門勝成と言う武将も織田信長公の娘婿の蒲生氏郷公に仕えていた。
外国人が登用されていた事を知る人は結構少ないが、古代の日本の朝廷でも新疆ウィグル族出身の人物が登用されていたりした歴史が有る。
まぁ、そんな事を思い出しながら車を降りてから山を登って行くと塚山公園に到着した。
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塚山公園の桜はまだ5分咲きだったが、花見に来ている人がそれなりに居た。
平日だったので、やはり人はまばらだった。
実は安針塚は初訪問。もっと墓地っぽい陰鬱な場所をイメージしていたがこれは良い!
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屋台も少ないが出ていた。
焼きそばの屋台を見て、後で昼食にしようと決め、先ずは三浦按針公に御挨拶に伺う為に御廟所を探した。
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う~ん良い所だ。
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程無く看板も見つかり、安針塚その物に関しては深い予備知識無く、現地の説明看板や石碑を読むのを楽しみにして来た。
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立派な石段、塚山公園内でも一際高所に位置する丘、この上に三浦按針公が眠ってらっしゃる。
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この説明を読む限り、この安針塚一帯は昔は逸見(へみ)村の一部だったらしい。
現在は逸見は安針塚の一つ前の駅名として残り、地域も安針塚は逸見から分離し成立した様だ。
しかし、御遺言で所領の三浦半島に戻って来られたのは、この地がイングランドに似ていたのだろうか?
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この石碑や、参道を整備したのは大正時代の人々だそうだ。
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別の石柱にも大正十三年と書いて有る。
昔の人は人種分け隔てなく帰化して日本の発展に寄与して下さった人物を、こうやって御祀りして大切に郷土の誇りとして後世に伝える努力をされていたのを、歴史が好きで色んな城址や史跡や神社仏閣を訪問すると思い知らされる。右左問わず現代の政治家とは大違いだ。文化も人も風景も平等に大切にされて守って来た大正時代の人々に感謝。
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有功国家・・・日本国に功績が有る=日本に功績を遺した。
永護江都・・・江戸の都を永きに渡り守る
・・・つまり、江戸と日本の発展を守る功績を遺された偉人と言う事だ。
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報以恩遇、東面其墓。
近代の人々も、三浦按針公の功績を感謝し、そして帰国出来なかった悲哀に色々と考えさせられたんでしょうね。
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小生の主義で御廟所の写真は掲載しないので、三浦按針公と奥方様の御廟の写真は今回も載せない。
しかし、女性の権利を守る思考が強かったプロテスタントの国出身の三浦按針公らしい、日本人の奥さんと隣同士手を繋ぐ様に並んでらっしゃった。
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そして、御廟所から後ろを見て解った。
按針公は、この丘から見る金沢八景の島々と海の風景が好きだったんだ。
もしかしたら、この風景が三浦按針公の故郷の英国ケント州ジリガムに似ているのかな?と思って調べてみたら・・・
ケント州ジリガム 三浦按針公の故郷 久良岐のよし
ビンゴ!半島と入り江に面した町で、湾内には金沢八景の様に島が幾つも有る。
三浦按針公は故郷に似ている金沢八景の見える、この丘が好きだったんだな。
御廟所で三浦按針公に、小生に神社仏閣や日本文化と史跡、日本の歴史偉人と神様に成られた先人達、そしてコープランドさんや按針公の様に日本の歴史に名を残し、発展に関与して下さった外国人の皆さん、それらの顕彰を通じて世の中の人に、昔の人々への感謝と日本文化の美しさと神社や御寺や城址の果たして来た役割を再度認識させる役割を担わせて頂ける様に、お力添えをお願いして来た。
それと、もし可能ならば日本文化や日本の風景が大好きで気の合う奥さんとも将来巡り合い、按針公の様に夫婦寄り添える人生を歩める様に縁結びも御願いし、最後に世界人種問わず親日家の人々が安寧に過ごせる様に平和の願いも伝えて来た。
御参りを終えて、御廟所の在る丘の直ぐ隣もう一つの丘に登って風景を見る事にして、有る事に気が付いた。
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実は塚山公園も神奈川の景勝50選の一つだった。
過去に小生が数か所紹介しているが、昨年末だと鎌倉の浄土宗大本山天照山光明寺裏山と周辺から見る由比ヶ浜の風景。

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それと葉山の長者ヶ崎の風景。
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それと油壷湾、油壷マリンパークの一帯は鎌倉~戦国時代の新井城址で、その風景も50選に入っている。
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横須賀市の神武寺~鷹取山の石切り場の奇岩群と大石仏。DSC_3029
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まぁ、こんな感じで全部合わせて50ヵ所も有るので挙げていると切りが無い。
親切な解説ホームページを作成して下さってる方がいるので、参考にすると良いかと思います。
http://heiwa-ga-ichiban.jp/kanagawa50/index.html
これ↑ね。
さて、話を塚山公園に戻し、安針公の御廟所とは違う展望台的な方の丘からの眺望を紹介したい。
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う~ん、こちらからの風景も綺麗だ!
桜越しに三浦半島の横須賀地域が見渡せる。
反対に目をやると・・・
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田浦梅林の山が見える。
田浦梅林については御興味の有る方はコレ→ をどうぞ。
綺麗な風景を見て満足したので、先程の屋台で焼きそばを購入して昼食にした。
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サービスで超大盛りにしてくれた(笑)。
いっつも年配の人に優しくして貰えるのは小生のキャラクターなんだろうか(笑)?
味は普通に美味しい屋台の焼きそば(笑)。
オバちゃん、御馳走様!美味しかったよ!普通に美味しいとか言ってゴメン(笑)。
食べ終わり、もう少し公園内を散策して見た。
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翌々見ると軍艦が見える。米国艦船かな?
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うん、塚山公園、良い場所だ!
また桜の季節に三浦按針公と奥方に会いに来よう。
公園から離れた場所に止めた車に戻る為、又、来たマンションの通りを抜ける。
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ベビーカーを押して花見に行く途中?の若夫婦。
幸せそうだが、実はパパさん、登り坂で結構辛そうだった(笑)。
でも羨ましいぞ!お幸せに♪
車にのり20分とちょと移動。
最終目的地の平安~鎌倉時代の三浦家の居城、横須賀市大矢部の衣笠城址に到着。
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衣笠城址、以前も紹介したのだが、旧城域に大善寺と言う御寺が在る。
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行基大僧正が開いた本は真言宗系の御寺で、分家の佐原三浦家が戦国時代の三浦家宗家と成り曹洞宗に帰依していたからか、現在は曹洞宗寺院に成っている。
そもそもは、三浦家の学問所としても機能していた学問の寺院でもある。
この御寺の副住職様に御話が有り訪問したのと、衣笠城址で最期を遂げた三浦義明公に御挨拶する為に城址の御稲荷様に3年振りに参拝する為の訪問だった。
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大善寺周辺には曲輪跡と思われる地形が沢山残っている。住宅や畑も昔の曲輪群だろう。
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御寺を訪問した際に、副住職様は若様の要件で外出中だったので、奥様に要件を御伝言頂く事にした。
前回同様、とても丁寧に応対して下さり感謝。
そして本堂で尊敬する三浦義継公と三浦義明公を始め、三浦義澄公等いつも個人的に御祈りを捧げている三浦家の尊敬する方々に御挨拶をして、御本尊様にも御参りした。
用事も済んだので、大善寺さんの裏手に在る城址残存部を久々に訪問、桜が有るので楽しみだった。
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江戸時代の城しか知らない人には城に見えない場所だけど、城好きが見ると尾根の自然地形を利用して裾切り下切岸や土塁の跡の盛り上がりなんかが見て取れる。

まぁ、興味の有る人は以前の記事↑を読んで頂けると要害性の有る地形が判ると思う。
ブログ始めたばかりの初期の記事で情報量も少ないが。
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上の写真、岩が物見の岩と伝わる場所を人工的に掘り切った反対側に当たる。
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物見岩に登ると御稲荷様の祠が在り、義明公の歌った詩が有る。
物見岩付近からは合子や経文が出土している。ここが小生の尊敬する偉人の一人である三浦義明公最後の場所だと、小生は推測している。
ここは見晴らしが良いので、戦時には指揮を執る場所だったと思う。
そして、そこを今では御稲荷様が城址に来る来客を出迎える様に待っていて下さる訳だ。
御稲荷様にいつも行く先々で御会いして旅の無事を守って下さっている御礼と、前回の参拝からの事等、色々御報告差し上げた。
御稲荷様、又、桜の頃に御参りに来ます。
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衣笠城址はまだ、桜は部分的にしか見頃では無かった。
知人から衣笠山公園の桜林は見頃だよ、と言われていたので其方(そちら)にも行くつもりだったが時間的に日没近い頃に成っていたので、この日は諦める事にした。
そうすれば、又、来年以降も衣笠山公園の桜を見るついでに義明公達と御稲荷様に会いに来る理由が出来るしね♪

ふむ。
良い休日を過ごせた。
帰り、車が赤信号で停車した所、面白い植木の有る家を見つけた。
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遊び心満載だなオイ(笑)!
きっとユーモラスな御主人なのだろう。家族思いのパパさんなのかもね~。

うん、色んな人の人生を辿りながら、綺麗な風景も見れて満足満足。

稲荷山浄妙広利禅寺(旧名:極楽寺)
【御本尊】釈迦牟尼仏
【御祭神】淡島明神、鎌足稲荷
【御利益】婦人病治癒・立身出世
【開基】足利義兼公
【中興】北条政子、月峰了然
【住所】鎌倉市浄明寺3-8-31
【アクセス】浄明寺バス停で降車、徒歩3分。有料駐車場有り。
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鎌倉市の浄明寺地区に、地区名と鎌倉の地名の由来に成った御寺が在ります。
その由緒は凄まじく、室町幕府将軍家の足利氏が鎌倉御家人だった時代に足利家菩提寺として開かれました。
小生の嫌いな渡来人、中臣鎌足の伝説も有る事や足利家の事績から出世の御利益も有り、婦人病治癒の御利益の有る淡島明神も祀られている神仏習合の文化の残る禅寺です。
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元来、周辺山林含め全てが境内地でした。
始めは源氏らしい真言宗の寺院と開基され、名前も極楽寺と言う御寺でした。
その後、臨済宗に帰依していた北条政子を始めとした北条氏一族の支援があり、鎌倉幕府執権の北条時宗公か北条時頼公の頃に、著名な高僧の退耕行勇禅師、その御弟子さんによって足利貞氏公の法名の浄妙寺殿義観から寺名を現在の浄妙広利禅寺に改め禅宗である臨済宗の寺院に改宗されました。
ここはとても素敵な御寺で、秋には境内の本堂前や裏山に紅葉の朱色が栄(は)えます。
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※昨年2015年12月07日の写真です。
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※昨年2015年12月07日の写真です。
綺麗でしょう?
因(ちな)みに2016年11月12日現在の写真はこんな感じです。
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まだ少し、紅葉には早いですが既に色付き始めていますね。
多分、来週位末には見頃に成るでしょう。
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境内の本堂を正面に見て、右手の道路の向こうには離れた神社も在ります。
この神社も含め、明治時代以前は周辺の山も全ての浄妙寺でした。確か、北条政子の持仏を安置した御堂が建てられたのが記録上は写真の神社辺りだった筈(はず)です。
写真は現在手元に有りませんが、その小山の上に石碑が有った様な気がします。ここ最近は直に本堂を拝んだ後で境内の草庵に御茶を飲みに行ってしまうので余り記録が確かでは無いのですが。
今、少し話題に上げたので先に紹介すると、浄妙寺の境内には素敵な喜泉庵と言う和菓子と抹茶を頂ける素敵な日本庭園を抱える草庵が在ります。
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秋にはコンナ素敵な風景に成ります。
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外国人向けにテーブル席が今年から設置されましたが、日本人は今まで通り、望めば畳の上で御抹茶と和菓子を頂けます。
小生は今日は足利家の❝二つ両引き紋❞の家紋をあしらった落雁(らくがん)を頂きました。
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抹茶の御菓子は落雁等の干菓子のセットが600円、その日の和菓子のセットが1000円です。
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昨年秋の写真。秋らしい柿の形の練り切りでした。
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素敵な空間なので、ここで抹茶を飲んでユックリするのは幸せな時間を過せます。
直ぐ近所の報国寺も竹林の中の草庵で御抹茶と干菓子を頂く事が出来ます。2012-11-04-07-12-50
※報国寺の竹林。
※以前、報国寺を紹介した記事は「ココ」←クリック!
話を浄妙寺に戻しましょう。
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浄妙寺の本堂も、他の鎌倉五山の御寺と同様に立派です。
屋根の造りから想像するに、近年までは茅葺屋根だったと推測出来ます。
茅葺は屋根の吹き替えに数千万円単位の御金が必要なので、明治政府以前の様に将軍家の支援の無くなった現在では維持も難しく、管理しやすい銅葺き屋根に吹き替え本堂を維持しているのだと思います。歴代御住職様と檀家さんの努力の結果ですね。
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昔は数十の塔頭寺院を抱える大寺院だったので、この本堂の畳も朝に昼に、多くの学僧で埋め尽くされ禅問答や座禅が行われていたんでしょう。
現在のこの浄妙寺の魅力は歴史と、先に紹介した自然の風景にあります。
左手から奥の裏山に続く参道が有ります。
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紅葉の季節だと、参道をこんなきれいな紅葉が彩ってくれます。
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綺麗でしょう?
更に奥に進むと、素敵な洋館が見えてきます。
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この洋館は明治時代に建てられた文化財であり❝石窯ガーデンテラス❞と言う鎌倉の地野菜と石窯で焼いたパンを提供するレストランにも成っています。
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素敵な店構えですね。
石窯ガーデンテラスの詳細については公式ホームぺジ「ココ」←をクリックして御覧下さい。
この石窯ガーデンテラスを通り過ぎて山の奥からの眺望も素晴らしいんです。
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昔の鎌倉の山林を連想させる、大きな建物が視界に入らない風景が見られます。
そして、ここに祀られる鎌足稲荷は中臣鎌足の伝承が有り、鎌倉市の地名由来の伝説の内の一つ舞台でもあります。
実はこのもう少し先に行くと、室町幕府初代将軍の足利尊氏公の御実弟、足利直義公の御廟所が有ります。
そんな訳で、この浄妙寺は足利家の鎌倉御家人時代~室町時代初期の重要な御寺として機能していた歴史と、鎌倉五山の第五位の格式を持つ将軍家御声掛かりの凄い御寺と言う事が御理解頂けたでしょうか?
そんな格式と歴史を持ちながら、現在では小生達の様な一般の参拝客にも美しい風景と安らぐ御茶と空間を提供してくれる御寺として存在しています。

近くには先程紹介したミシェランガイド3星評価の報国寺が在りますし、明治の皇族の華頂宮邸の旧館の庭園が無料で公開されています。
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そして、浄明寺地区のもう少し先の十二所(じゅうにそ)地区まで歩くと、そこには鎌倉七口の一つ朝比奈切通しも在ります。
皆さん、是非、秋も深まり紅葉が綺麗に成った頃に、この浄妙寺周辺を散策して見ませんか?
きっと歴史を感じながらの鎌倉市の中でも自然豊かな地区を散歩すると、清々しくてリフレッシュ出来ると思いますよ!

では、又、次の解説記事で御会いしましょう!

仕事徹夜明けで、寝たら休日勿体ないので徹夜2日目突入のまま、伊勢原市が誇る神奈川県内屈指の名城、岡崎城を紹介するブログの記事←コレをUPしたら、もう10時だった。
絶対に寝たら夕方まで起きないので、意地でも寝たくないと思いながら、外出の準備を始めた。
でも出かける前にやらなきゃいけない事が有った。
この間買った木製の携帯ケースが割れてしまったので、予備に買ってあったアルミ製の携帯ケースを加工し、携帯電話を外出に持っていける状態にしないといけなかった。
10時からアルミの携帯ケースにストラップ穴を加工して、そこにストラップを編み上げた。
編み編み編み編み編み々々編み々々々々々々々々速攻で編まないといけないので頑張って1時間ちょい…
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ズボンのベルト通しに着脱可能なストラップを編み込んだ。
ズボンに付けた儘(まま)でも通話出来るように❝びよぉ~ん❞って伸びるネックストラップをベルト通しに付ける仕様にして、ウザイ時は金具のフックを外せる様にした。
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これで走り回っても携帯落とす心配無し!

…で、さっそく鎌倉市の某図書館へ古文書を美人司書さんに探して頂いてあったので、コピーをさせて貰いに車でGOした。
御蔭で読みたかった古文書の原文写しのコピーを入手出来た。
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こんなの↑とか…こんなの↓とか…
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これは写実的で面白いし、前者は手紙の纏(まと)めや日記形式で様々な指示書が淡々と綴(つづ)られていて面白い。
帰りに報国寺に1ヵ月振りに行って来た。
もう梅が咲いていてビックリした。
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そろそろ梅花鑑賞の季節だぁ~。
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まだ咲いていない木も有る。
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今月後半からは梅の花を見に、今年も色んな所にいくぞぉ~!
よし!
神奈川県内の梅の名所の纏めを書こう!
まだ写真撮影してない場所だらけだけれども、場所の紹介だけでも皆の役に立てるだろうから。
とりあえず寝よう!
おやすみなさい。

ブログネタ
神社・仏閣・パワースポット巡り に参加中!
皆さん、今年は良い年でしたか?

小生は今日、本年最後の御礼参りに、地元の宅間上杉家の殿様所縁(ゆかり)の鶴岡八幡宮、永谷天満宮、報国寺様に今年1年間御世話に成った御礼参りに上がりました。
※永谷天満宮の記事は「ココ」←クリック!
※報国寺の記事は「ココ」←クリック!


御存知(ごぞんじ)無い方も多いのですが…
鶴岡八幡宮、実は元々は現在の場所では無かったんです。

鎌倉鶴岡八幡宮は
鎌倉幕府を開いた源 頼朝 公…「の」5代祖先の、河内源氏初代鎮守府将軍:源頼義公が京都の石清水八幡宮から神様を勧進(かんじん)したのが始まりなんです。
その場所は材木座1丁目7番地で、今も付近のバス停の名前のまま、元鶴岡八幡宮が鎮座し鎌倉市民を守護しています。

昔の人の言う鎌倉とは、そもそも鎌倉郡の事です。
今の鎌倉市や藤沢市、それに横浜市港南区の半分と戸塚区栄区を加えた地域ですね。
その土地を開拓したのが坂東平氏の祖である鎮守府将軍の平 良文(たいらのよしふみ)公でした。
その事業を平良文公の御子孫の方々と供に、盟主として引き継いだのが…
鎮守府将軍を務めた源 頼義 公と、その嫡男(ちゃくなん=本家を相続する子)で軍神とも渾名(あだな)される源 八幡太郎 義家 公なんですね。
つまり関東の交通網の起点に成る鎌倉市街の更に基礎は源頼義公と源義家公や、盟友の坂東平氏が築いたとも言える訳です。
※河内源氏に纏(まつ)わる鎌倉市横浜市の記事は以下。
●源氏の邸宅跡の寿福寺の記事は「ココ」←クリック!
●本郷ふじ山公園の記事は「ココ」←クリック!

今は御覧の通り鎌倉市街地の中心に鎮座まします鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府草創時に源頼朝公が、今の元八幡様の場所から遷宮されたんですね。

昔の殿様達は平安時代に神奈川県や東京都や千葉や埼玉がこんなに発展すると思ってらっしゃったでしょうかね〜?

下の写真は鶴岡八幡宮の御朱印所から、能舞台を見た風景です。
この能舞台は源義経公の愛妾:静御前が鎌倉武士団の前で舞を踊った場所です。
勿論(もちろん)、各時代により再建されていますが。

何で御朱印所からの写真を撮ったのかと言いますと…
実は小生、神奈川の発展に寄与して下さった神様や偉人の歴史的偉業の顕彰活動で、どなたが開基された寺社仏閣か調べた上で参拝して回り、皆様の御厚意で少々特別な御朱印を頂いています。
もちろん御武運や加護も賜りたいと思っています。

神奈川県東部における歴史偉人の顕彰活動の本年〆に、本日、鶴岡八幡宮に御参りして来たので、今年最後のブログ内容に選んだ次第です。

さっきの衛星写真の右上の方が浄妙寺地区で有名な報国寺が有ります。
今日の報国寺の竹林の庭園には、まだ紅葉も見られ非常に安らぎました。
この報国寺は時代は異なりますが永谷天満宮と同じく関東管領宅間上杉家の殿様が開基した寺院なんですね。
正確には盟友の足利家時公と御一緒に開基された様です。
足利家時公は室町幕府の初代征夷大将軍足利尊氏公の御爺様に当たる方です。

平安時代の関東の発展は平家と源氏と菅原家が担い、古代は日本武尊と蘇我氏と橘家と紀家により基礎が築かれました。

古事記に頻繁に登場した後、平安時代に成ると再び関東は急速に発展します。
平 良文(たいらのよしふみ)公と源 融(みなもとのとおる)公が武蔵国で一騎打ちをし、互いを認め合い盟友として関東の開発に協力した時期に飛躍的に開拓地が増えました。
※平良文公に関する記事は「ココ」←クリック!

東京や神奈川は地方からの移民だらけで歴史を知らない人も多いですが、今の発展が突然起きた訳ではないんです。

神社や御寺で願い事をしたら、出来れば御世話に成った神社仏閣の神仏と開基された偉人の皆様に参拝し、そして宮司さん和尚様に年末に御礼参りもしたいですね!

小生は本日、永谷天満宮の神主様の御厚意で納天神祭と言う儀式に参列させて頂きました。
クリスマスに神社でサンタクロースならぬ菅原道真公に参拝してました(笑)。
今年の自分らしい名誉で光栄な〆に成りました。

来週は大掃除でブログ更新できないかも知れません(笑)。
出来たらします!

では…
皆さん、本年もありがとうございました!
来年もよろしく御願いします!



ブログネタ
日々の生活 に参加中!
日々の生活の疲れを忘れさせてくれる場所があります…

鎌倉市街地の少し外れ…
浄妙寺地区に在(あ)る報国寺と言う名古刹(こさつ=歴史の古い御寺)です。
こちらは室町幕府 初代征夷大将軍 足利尊氏 公の御爺様の足利家時 公と…
関東管領上杉家筆頭四家の一つ宅間上杉家の創始者の宅間上杉重兼 公
…その御二人が開基された御寺です。
宅間上杉家は以前紹介した永谷天満宮を開基し、榎下城を築城した足利家と親密な家柄でした。

秋は特に綺麗な御寺です。


つい5〜6年程前まで小生達歴史好きだけが行くような落ち着いた安らぎの場所でした。
歩いて直ぐの近所に旧皇族:華頂宮家の邸宅も保護・無料公開されています。

報国寺は近年、迷惑なミシェランガイドで三ツ星認定されて以来、文化に関心の無い客が増えて大声で話したり、反日某国人観光客が庭園植物にハングルで落書きしたり迷惑千万な状況に陥ってしまいました。

が!

風景は変わらず綺麗です。
この御寺は先述の通り開基された方々からして由緒ある御寺でして…
室町幕府設立後は、室町幕府鎌倉将軍府の鎌倉公方足利家と関東管領上杉家の菩提寺として栄えました。
鎌倉将軍府や関東管領とは何ぞ?
…と言う方の為(ため)に文末に関係記事リンクを貼ります。
もぐりの寄せ集めWikipedia(笑)なぞより詳しく写真付き説明のブログ記事があるので御覧下さい。
他にも報国寺周辺の文化財や風景の記事を書きためて有るので御興味有れば是非、御覧下さい。

コンナ場所とか。

さて…

報国寺は竹林の中でゆっくり抹茶とお茶菓子を頂ける安らぎの場所です。
関東特有の谷戸の切岸に囲まれた地形の放つヒンヤリとした(以前は人も少なく)落ち着いた雰囲気と、竹林の放つマイナスイオンを肌で感じられる場所です。
この奥に東屋(あずまや=休憩小屋)が在(あ)り、そちらで抹茶を頂きながら椅子に座りボぉ〜っと時間を過ごせます。

歴史の深い寺院なので、当然、歴代の武将の矢倉(やぐら=墓:関東では武士の壁面に高い位置に掘れた横穴式墳墓、戦時には本当に砦の矢倉として使用する)もありますが…
偉人の皆様、死して尚(なお)風流と言いますか、安寧の地は真に美しい日本庭園の体を成しておられます。

本当にこの御寺は美しい…
可愛い金魚さん達もお出迎えしてくれますよ(笑)!

皆さん、どうか、この子達のいる報国寺に訪れる機会がありましたら…
素晴らしい文化財、歴史遺産を私達に遺(のこ)して下さった歴代足利家の御当主様達と関東管領上杉家4家の皆様に…
一言、御堂でお参りする際に感謝を伝えて手を合わせてみませんか?

きっと鎌倉公方様も関東管領の皆さんも、喜んで下さると思いますよ♪

あ!
約束したリンク貼ります!

以下が鎌倉公方と関東管領上杉家、報国寺関連の過去ブログ記事のリンクです。

●関東管領上杉家筆頭4家の説明と菅原道真公の五男淳茂公と三男景行公の永谷天満宮の記事「ココ」←クリック!

●関東管領宅間上杉家と榎下城址の記事は「ココ」←クリック!

●関東管領上杉謙信と実家の長尾家長尾城の記事「ココ」←クリック!

●釈迦堂の切通しの記事は「ココ」←クリック!

他にも関係記事多数有るので御興味有りましたら以下のカテゴリーリンクから御覧下さい!

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