走水神社(式外社・社殿地下に日本武尊の遺品の石棺を埋蔵)
奥宮(須賀社・神明社・諏訪社)
御所ヶ崎砲台史跡(日本武尊と弟橘姫の行在所跡)
2014-11-02-07-33-522014-11-02-08-24-50
2014-11-02-09-11-35
  御祭神・御本尊等:
  日本武尊(やまとたけるのみこと)・弟橘姫(おとたちばなひめ)・大伴黒主(久應)
  社殿の下に日本武尊の遺品の入った石棺が埋蔵され御神体とされる。
  御利益:縁結び・夫婦円満・交通安全・海外渡航安全・戦勝祈願・漁業豊漁・料理上達・立身出世
  関係者:
  開基:日本武尊と弟橘姫の夫婦神・大伴黒主(久應)
  中興:東郷平八郎 公
     乃木希典 公
     伊東祐亨 公
     上村彦之丞 公
     高崎正風 公
     井上良馨 公
     藤井茂太 公
  旧郡名:御浦郡
  所在地:走水神社・・・横須賀市走水の漁港の目の前の丘の中腹
  所在地:御所ヶ崎砲台跡・・・日本武尊と弟橘姫の仮御所跡の聖地に作られた明治時代の砲台跡の史跡
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
日本武尊と弟橘媛様の御一行が数日間滞在した場所に建てらた神社で神聖な場所。 
日本武尊達が房総半島へ渡る際に、こちらの走水神社の前の海の左側にある御所ヶ崎に数日間滞在していました。その事から同地は御所ヶ崎と呼ばれている。 
現代でも、この走水神社の前で神話の通り国道16号も東京湾をつっきって千葉県で国道16号が突然復活する。
大伴黒主(別名:久応)様は日本武尊達を歓待した地元の豪族で漁民で料理人。横浜市神奈川区六角橋の宝秀寺は大伴久応の邸址と伝わり、そこに日本武尊が滞在した伝承が有る。走水神社の伝承では大伴黒主は日本武尊を接待した後に請われて後に古代大和朝廷の料理長に成ったそうだが、日本神話では日本武尊は岐阜県と滋賀県の県境に在る伊吹山辺りの神(豪族)に帰路を阻まれ三重県の鈴鹿辺りで病没している。 史実としては大伴一族は水軍を率いて天皇家の御林軍も率いた一族なので、神話とも整合性が有る。
日本武尊と弟橘姫の仮御所だった走水海岸の御所ヶ崎周辺からの眺望は素晴らしく、海に突き出し昔は島だったであろう御所ヶ崎と地続きの丘の上から見る三浦半島の海岸線の先には富士山に夕日が沈む姿が見られ、正に乙姫伝説の海の中の竜宮城の形容に相応しい。
御所ヶ崎の社殿は砲台建設時に明治政府によって接収され破壊された。御分霊だけ明治の元勲の中の信仰心厚い面々によって奥宮に保護合祀されたが古代の仮御所の史跡は永遠に失われた。
日本武尊と、御妃様の弟橘姫様が仲睦まじい御夫婦の神様だった事と、更には走水神社の社伝で料理達者であったであろう大伴久応黒主様の家系は親衛隊や水軍の将を務めた歴史事実、東郷平八郎元帥達、対馬海戦でロシア帝国の大軍勢を撃破した名将達の崇敬した神社としての実績も有ったりする場所なので戦勝祈願の聖地として紹介しても過言では無い事、それら全ての御利益に預かれる場所である訳です。
※社殿を御参りするだけでなく、背後の鎮守の山に在る奥宮を御参りして下さい。そちらが日本武尊の時代の社殿跡と伝わり、日本武尊所縁の三柱の神様の祠(ほこら)が存在しています。
※御所ヶ崎は現在は御所ヶ崎砲台史跡と成っていて一般非公開。見学には横須賀市の公園管理課へ事前予約が必要です。
※近くには走水海岸や観音崎といった海水浴場、観音崎灯台もあり綺麗な風景を楽しめる観光地が多くあります。走水海岸には「やまに」と言う旅館や「かねよ食堂」といった地魚料理の有名な店もあり、観音崎にも料理が評判の京急観音崎ホテルが在ります。初詣に合わせて宿泊し、周辺の猿島や横須賀見物をするのも良いです。
※東郷元帥がバルチック艦隊を撃破した際の旗艦:戦艦三笠も走水神社から車で15分程の汐入地区に公開展示されています。