いなり湯
黒湯炭酸泉の天然温泉と立派な日本建築の銭湯。
実は幕末~明治の歴史の宝庫に建ってます!
・・・イギリス山と呼ばれる事から少し歴史を知ってる人ならピンポイントでここの郷土史を知らなくても察しがつくと思うのですが、幕末に成ると元町~山手~根岸が外国人居留地に成った事も有り、妙香寺山が英国軍駐屯地と成っていたんです。そして、皆さんも歴史の授業で習った薩英戦争後に英国と直接国交を結んだ薩摩藩の藩士達が妙香寺山の英国軍駐屯地に通い、日本で最初に吹奏楽(ブラスバンド)と軍楽隊(マーチングバンド)の教授を受けたんですね。
そして、その場で英国軍のフェントン軍楽団長によって君が代が妙香寺山で作曲され、更に後にドイツ人の音楽教師のエッケルト先生によって現在の曲調に君が代は編曲されました。
この歴史、横浜市民以外は余り知らない事実ですね。
さて、いなり湯の在(あ)る大和町商店街が直線の一本道である理由、察しの良い人なら気が付いたでしょうか?
そう、実は英国軍の射撃訓練場だったんですね~!
現代のGoogle Earthの衛星写真と幕末と地形が変わっていない明治時代に陸軍が測量した地図で当時の様子を想像してみましょう・・・
※画像をクリックして拡大して見て下さい。
※Google Earth画像利用規約に乗っ取って使用してます。
※迅速測図は農研機構のアプリ開発者の方から小生は直接許可を頂いて画像使用しています。
英国軍駐屯地だった妙香寺から真っ直ぐに現在の大和町商店街が有るのが解りますよね?
真ん中の少し右辺りに“いなり湯”が在ります。
もし迅速測図を自分でも見て見たい人は、スマホでもPCでも見れるweb版が有るので下のリンクから御覧下さい。
開発者の方は鎌倉市出身なので、神奈川の歴史知るのに見てくれると喜んで下さると思いますよ~♪
さて小生の比較図に戻りましょう。
下の地図は迅速測図と言う陸軍の測量図ですが、迅速測図にはハッキリ“射的場”と書かれているのが見て取れるかと思います。
この通り、ここは英国軍の訓練場だった訳ですが、もし当時いなり湯が存在したら、湯上りにド頭(たま)にスナイドル銃のライフル弾が当たって“頭パーン!”って成ってたでしょうね(笑)。
この射撃場は直線距離700mも有りますので、一般的にライフルの射撃場と現代の学者さんは紹介していますが小生は恐らくカノン砲の射撃訓練もしていたと思います。
冗談はさて置き・・・
これ⤵小生が武具の画像資料を良く拝見させて頂く“刀剣ワールド”さんのページ。
スナイドル銃と言うのは実は英国から技術供与を受けた薩摩藩と長州藩が戊辰戦争で導入し幕府軍の武士達を射殺した当時の最新兵器だったんですね。
つまり、いなり湯に入って大和町商店街の地形に疑問を持って歴史を調べてみると、実は薩摩藩士達が横浜で討幕や新政府軍の構想を練って用意周到に徳川幕府を倒す訓練を実は“横浜の大和町商店街や妙香寺山でしていた”事が透けて見えて来たりするんですね~。
ビックリするでしょ?
まさか、こんな可愛らしい湯船の有る銭湯の紹介から徳川幕府の滅亡と、明治新政府や国家君が代の成立の話に繋がるとは読者の方は思わなかったかも知れませんね(笑)。
江戸から東海道で略直線、距離にして35kmしか離れてない“いなり湯”の目の前で160年前に薩摩兵と英国兵が幕府に隠れて討幕の軍事訓練をしていた可能性が有る訳ですね。
ね、地形と歴史って面白いでしょ?
最期にいなり湯に話しを戻します。
銭湯として“いなり湯”の見所は周辺が史跡だらけな事の他に、銭湯その物としても写真で見て頂いた通り建物やペンキ画と九谷焼の壁画が立派なのに加えて特別な“天然温泉”の湯船が有る事です。
この真っ黒な珈琲色の御湯、これ人工着色料じゃありません、黒湯炭酸泉と良く言われる天然温泉です。
東京都と川崎~横浜に住んでる人は馴染みが有るのですが実は古代海の入江湿地帯だった地層が地下に有る土地が多く、地面を掘れば化石性の黒湯の温泉が湧く場所だらけなんですね~。
なので横浜市域は黒湯以外にも“亜炭”と呼ばれる劣化版石炭が採掘される場所が多く有ります。
戦時中も港南区上大岡~戸塚区下倉田にかけて亜炭鉱床が有って採掘されていました。
今の上大岡駅前の慰霊堂の山辺りが鉱山でした。
当然ながら同様の地形の中区の山手一帯や保土ヶ谷区や鶴見区や川崎市南部一帯にも亜炭は有るでしょうね、戸塚区や港南区と同じ様に黒湯が湧く訳ですから。
亜炭も入江や湖等の湿地帯で草木が水と泥の中で密封され地層の中で長い時間をかけて変化した植物性の化石燃料なんです。
この亜炭採掘は横浜と同じ様に古代に海だった仙台や名古屋の平地と丘陵の際(きわ)でも盛んに行われていたので、名古屋市や仙台市では亜炭鉱床を把握する為に調査して坑道跡が落盤して地盤沈下しないように坑道に水や土を充填して対策をしていたりします。
因(ちな)みに横浜は調査すらされず放置しっぱなしなんですよ(笑)。
まぁ、そんな訳で黒湯は東京都神奈川の人以外には余り馴染みの無い温泉だと思いますが、そんな貴重な黒湯炭酸泉の天然温泉に、いなり湯で入れる訳です。
この他にも南区永楽遊郭の跡地に在る永楽湯・・・
・・・弘明寺の中島館、中区伊勢佐木町の利世館も黒湯炭酸泉の温泉に入る事が出来ます。
スーパー銭湯にも黒湯炭酸泉は有りますけどね、やはり銭湯の安らぎには勝てないんですよ。
スーパー銭湯の良さはアミューズメント施設、似て非なる物なんですよ、銭湯ファンに言わせれば。
銭湯ってのは商業的な意味よりも日々の疲れを取る為に住宅街や商店街の中に作られ1日の疲れを癒やす為の場所として成立していた訳ですからね。
生活感や人との会話も有るし、何よりも“馴染み”の客に成り交流も生まれる訳です。
さて!
そんな訳で“いなり湯”は銭湯としても歴史散策でもスペシャルな場所ですが・・・
皆さんも横浜の歴史と日本初の物散策で山手に来たら、是非、いなり湯で癒されてみては如何でしょう?
・・・きっと充実した休日に成ると思いますよ~。
では、又、次の記事で御会いしましょう~♪
黒湯炭酸泉の天然温泉と立派な日本建築の銭湯。
実は幕末~明治の歴史の宝庫に建ってます!
046-623-8771
☞銭湯の個性と周辺見所 (・◡・)♫
天然黒湯温泉の銭湯◎
昭和21年開業の市内最古級の銭湯◎
昭和36年建替えの立派な社寺建築◎
相撲ファンにはたまらない内装◎
美味しい店の多い大和町商店街◎
山手駅から徒歩スグ!◎
君が代の発祥地妙香寺の近く◎
テニスと吹奏楽発祥地の近く◎
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ
【入浴料】
大人490円
子供200円
幼児100円
【アメニティー】
シャンプー等は備え付け無し。
使い切りシャンプー類販売有り。
タオル販売有り。
飲料販売有り。
【電車】
JR山手駅~徒歩7分。
【 車 】
専用駐車場無し。
コインパーキングに隣接。
100m以内に有料駐車場多数。
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
——外観~玄関——
南区出身の鬼雷砲の後援会だった“いなり湯”らしい装飾。
——折上格天井の脱衣場——
天然黒湯温泉の銭湯◎
昭和21年開業の市内最古級の銭湯◎
昭和36年建替えの立派な社寺建築◎
相撲ファンにはたまらない内装◎
美味しい店の多い大和町商店街◎
山手駅から徒歩スグ!◎
君が代の発祥地妙香寺の近く◎
テニスと吹奏楽発祥地の近く◎
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ
【入浴料】
大人490円
子供200円
幼児100円
【アメニティー】
シャンプー等は備え付け無し。
使い切りシャンプー類販売有り。
タオル販売有り。
飲料販売有り。
【電車】
JR山手駅~徒歩7分。
【 車 】
専用駐車場無し。
コインパーキングに隣接。
100m以内に有料駐車場多数。
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
——外観~玄関——
南区出身の鬼雷砲の後援会だった“いなり湯”らしい装飾。
——折上格天井の脱衣場——
女湯脱衣場のみ以下施設有り
鬼雷砲の化粧廻し
浮世絵版画多数
——浴室——
—男湯—
—女湯—
——壁画——
ペンキ画の風景画は丸山清人サンと勝海麻衣サンの作。
ペンキ画の下は九谷焼の壁画で金沢の鈴榮堂の作品
—男湯—
—女湯—
・・・すみません、女湯の九谷焼の壁画、全て撮影するの忘れてました。
——いなり湯と周辺の解説——
いなり湯への交通手段は電車だと山手駅で降りて目の前の大和町商店街を真っ直ぐ歩いてくるだけで到着出来ます。
自動車だと専用駐車場は無いがコインパーキングに隣接しているので地元外から入浴に来る銭湯ファンにも便利。周辺100m以内に他にもコインパーキングが多数有るので車で訪問しても困る事は無いので御安心を。
上の地図は有料駐車場の参考の為に添付したが、この地図を見た皆さん、大和町商店街が一直線な事に気が付いたでしょうか?
ここね、幕末の史跡なんです。
実は、この大和町商店街の近くに存在する妙香寺と山手公園の有る場所は幕末からイギリス山と呼ばれる様に成りました。元々は妙香寺山と呼ばれ周辺全域が妙香寺と言う日蓮宗の大寺院で現代の仏教系大学の様な役割の学問所で壇林(だんりん)と呼ばれ多くの僧侶が仏教の経典の研究や所作の修行に集まる場所だったんですね。
因(ちな)みに横浜には、もう一つ三ッ沢壇林と呼ばれた御寺が有り、それが豊顕寺であり豊顕寺は江戸時代まで現在の三ッ沢公園や横浜国大の辺りを含めて桜の観光名所としても江戸の町人に有名だったりしました。
豊顕寺の事は以前⤴この記事で解説した事が有ります。
妙香寺の方は幕末に成るとイギリス山と呼ばれる様に成ったのですが・・・
鬼雷砲の化粧廻し
浮世絵版画多数
——浴室——
—男湯—
—女湯—
——壁画——
ペンキ画の風景画は丸山清人サンと勝海麻衣サンの作。
ペンキ画の下は九谷焼の壁画で金沢の鈴榮堂の作品
—男湯—
—女湯—
・・・すみません、女湯の九谷焼の壁画、全て撮影するの忘れてました。
——いなり湯と周辺の解説——
いなり湯への交通手段は電車だと山手駅で降りて目の前の大和町商店街を真っ直ぐ歩いてくるだけで到着出来ます。
自動車だと専用駐車場は無いがコインパーキングに隣接しているので地元外から入浴に来る銭湯ファンにも便利。周辺100m以内に他にもコインパーキングが多数有るので車で訪問しても困る事は無いので御安心を。
上の地図は有料駐車場の参考の為に添付したが、この地図を見た皆さん、大和町商店街が一直線な事に気が付いたでしょうか?
ここね、幕末の史跡なんです。
実は、この大和町商店街の近くに存在する妙香寺と山手公園の有る場所は幕末からイギリス山と呼ばれる様に成りました。元々は妙香寺山と呼ばれ周辺全域が妙香寺と言う日蓮宗の大寺院で現代の仏教系大学の様な役割の学問所で壇林(だんりん)と呼ばれ多くの僧侶が仏教の経典の研究や所作の修行に集まる場所だったんですね。
因(ちな)みに横浜には、もう一つ三ッ沢壇林と呼ばれた御寺が有り、それが豊顕寺であり豊顕寺は江戸時代まで現在の三ッ沢公園や横浜国大の辺りを含めて桜の観光名所としても江戸の町人に有名だったりしました。
豊顕寺の事は以前⤴この記事で解説した事が有ります。
妙香寺の方は幕末に成るとイギリス山と呼ばれる様に成ったのですが・・・
・・・イギリス山と呼ばれる事から少し歴史を知ってる人ならピンポイントでここの郷土史を知らなくても察しがつくと思うのですが、幕末に成ると元町~山手~根岸が外国人居留地に成った事も有り、妙香寺山が英国軍駐屯地と成っていたんです。そして、皆さんも歴史の授業で習った薩英戦争後に英国と直接国交を結んだ薩摩藩の藩士達が妙香寺山の英国軍駐屯地に通い、日本で最初に吹奏楽(ブラスバンド)と軍楽隊(マーチングバンド)の教授を受けたんですね。
そして、その場で英国軍のフェントン軍楽団長によって君が代が妙香寺山で作曲され、更に後にドイツ人の音楽教師のエッケルト先生によって現在の曲調に君が代は編曲されました。
この歴史、横浜市民以外は余り知らない事実ですね。
さて、いなり湯の在(あ)る大和町商店街が直線の一本道である理由、察しの良い人なら気が付いたでしょうか?
そう、実は英国軍の射撃訓練場だったんですね~!
現代のGoogle Earthの衛星写真と幕末と地形が変わっていない明治時代に陸軍が測量した地図で当時の様子を想像してみましょう・・・
※画像をクリックして拡大して見て下さい。
※Google Earth画像利用規約に乗っ取って使用してます。
※迅速測図は農研機構のアプリ開発者の方から小生は直接許可を頂いて画像使用しています。
英国軍駐屯地だった妙香寺から真っ直ぐに現在の大和町商店街が有るのが解りますよね?
真ん中の少し右辺りに“いなり湯”が在ります。
もし迅速測図を自分でも見て見たい人は、スマホでもPCでも見れるweb版が有るので下のリンクから御覧下さい。
開発者の方は鎌倉市出身なので、神奈川の歴史知るのに見てくれると喜んで下さると思いますよ~♪
さて小生の比較図に戻りましょう。
下の地図は迅速測図と言う陸軍の測量図ですが、迅速測図にはハッキリ“射的場”と書かれているのが見て取れるかと思います。
この通り、ここは英国軍の訓練場だった訳ですが、もし当時いなり湯が存在したら、湯上りにド頭(たま)にスナイドル銃のライフル弾が当たって“頭パーン!”って成ってたでしょうね(笑)。
この射撃場は直線距離700mも有りますので、一般的にライフルの射撃場と現代の学者さんは紹介していますが小生は恐らくカノン砲の射撃訓練もしていたと思います。
冗談はさて置き・・・
これ⤵小生が武具の画像資料を良く拝見させて頂く“刀剣ワールド”さんのページ。
スナイドル銃と言うのは実は英国から技術供与を受けた薩摩藩と長州藩が戊辰戦争で導入し幕府軍の武士達を射殺した当時の最新兵器だったんですね。
つまり、いなり湯に入って大和町商店街の地形に疑問を持って歴史を調べてみると、実は薩摩藩士達が横浜で討幕や新政府軍の構想を練って用意周到に徳川幕府を倒す訓練を実は“横浜の大和町商店街や妙香寺山でしていた”事が透けて見えて来たりするんですね~。
ビックリするでしょ?
まさか、こんな可愛らしい湯船の有る銭湯の紹介から徳川幕府の滅亡と、明治新政府や国家君が代の成立の話に繋がるとは読者の方は思わなかったかも知れませんね(笑)。
江戸から東海道で略直線、距離にして35kmしか離れてない“いなり湯”の目の前で160年前に薩摩兵と英国兵が幕府に隠れて討幕の軍事訓練をしていた可能性が有る訳ですね。
ね、地形と歴史って面白いでしょ?
最期にいなり湯に話しを戻します。
銭湯として“いなり湯”の見所は周辺が史跡だらけな事の他に、銭湯その物としても写真で見て頂いた通り建物やペンキ画と九谷焼の壁画が立派なのに加えて特別な“天然温泉”の湯船が有る事です。
この真っ黒な珈琲色の御湯、これ人工着色料じゃありません、黒湯炭酸泉と良く言われる天然温泉です。
東京都と川崎~横浜に住んでる人は馴染みが有るのですが実は古代海の入江湿地帯だった地層が地下に有る土地が多く、地面を掘れば化石性の黒湯の温泉が湧く場所だらけなんですね~。
なので横浜市域は黒湯以外にも“亜炭”と呼ばれる劣化版石炭が採掘される場所が多く有ります。
戦時中も港南区上大岡~戸塚区下倉田にかけて亜炭鉱床が有って採掘されていました。
今の上大岡駅前の慰霊堂の山辺りが鉱山でした。
当然ながら同様の地形の中区の山手一帯や保土ヶ谷区や鶴見区や川崎市南部一帯にも亜炭は有るでしょうね、戸塚区や港南区と同じ様に黒湯が湧く訳ですから。
亜炭も入江や湖等の湿地帯で草木が水と泥の中で密封され地層の中で長い時間をかけて変化した植物性の化石燃料なんです。
この亜炭採掘は横浜と同じ様に古代に海だった仙台や名古屋の平地と丘陵の際(きわ)でも盛んに行われていたので、名古屋市や仙台市では亜炭鉱床を把握する為に調査して坑道跡が落盤して地盤沈下しないように坑道に水や土を充填して対策をしていたりします。
因(ちな)みに横浜は調査すらされず放置しっぱなしなんですよ(笑)。
まぁ、そんな訳で黒湯は東京都神奈川の人以外には余り馴染みの無い温泉だと思いますが、そんな貴重な黒湯炭酸泉の天然温泉に、いなり湯で入れる訳です。
この他にも南区永楽遊郭の跡地に在る永楽湯・・・
・・・弘明寺の中島館、中区伊勢佐木町の利世館も黒湯炭酸泉の温泉に入る事が出来ます。
スーパー銭湯にも黒湯炭酸泉は有りますけどね、やはり銭湯の安らぎには勝てないんですよ。
スーパー銭湯の良さはアミューズメント施設、似て非なる物なんですよ、銭湯ファンに言わせれば。
銭湯ってのは商業的な意味よりも日々の疲れを取る為に住宅街や商店街の中に作られ1日の疲れを癒やす為の場所として成立していた訳ですからね。
生活感や人との会話も有るし、何よりも“馴染み”の客に成り交流も生まれる訳です。
さて!
そんな訳で“いなり湯”は銭湯としても歴史散策でもスペシャルな場所ですが・・・
皆さんも横浜の歴史と日本初の物散策で山手に来たら、是非、いなり湯で癒されてみては如何でしょう?
・・・きっと充実した休日に成ると思いますよ~。
では、又、次の記事で御会いしましょう~♪