これ⤵の続きは随時書く事にします。
明日から仕事な上に今日も未だ勉強しないといけなくて余り時間が無いのでサクッと年末年始に何してたかを書きます。
——年末の行動——
実は年末に親が入院して手術して、実家で家事やったりしてました。
それで南部市場の買い出しは例年だと両親の分や弟家族の分とか、妹への差し入れも買っていたのですが今年は親が片方入院中なので2人分だけ購入してました。
だから購入した毛蟹2杯だけだったんです(笑)。
昨年は除夜の鐘は小生が尊敬する北条綱成公の付家老だった間宮康俊公ゆかりの弘明寺で突いたのですが、今年は向かう途中で雨が降ってしまい、止む無く家に帰りました。
北条綱成公や間宮康俊公を御存知ない方は、下の記事を読んでみて下さい。
弘明寺に行く途中、南区の最戸で土砂降りに遭ってしまい、円海山方面に帰る途中にマックに退避して雨宿りして少ししたら上がりました。
でもウェザーニュース見たら大晦日23時~元日01時まで弘明寺はピンポイントで1mmの雨だったので、この日は車じゃなく原付で行動してましたし諦めて帰宅しました。
いつもは自転車なんですが、夜で濡れてクッソ寒いしフルフェイスのシールドが雨露でなんも見えなくて危ないので、その様に判断しました。
帰宅したら昔からよく知る地元の御寺サンの檀家さんに声をかけて頂いて鐘突かせて頂けました。
何とか除夜の鐘タスク達成出来て良かったです。
——元日の行動——
朝起きて、とりあえず御節モドキと御雑煮モドキを作りました。
小生は料理は効率重視で余り見た目は普段気にしないので、綺麗な料理は彼女がいる時に彼女が家に遊びに来た時か同棲してる時にしか作りません。
買っておいた蟹を・・・
鍋で蒸しながら・・・
時短御雑煮の為に本来ウチは京都風の白味噌だけど面倒なので液状マルコメ味噌+イオンの下茹で野菜(ポトフ/カレー等用www)+油揚げ+切り餅。
自転車で爆走すれば近くにスーパーとか沢山有るし歴史の有る地域にもアクセス良いので生活には便利かも。
熱を加える方は出来上がり。
御節も南部市場で購入した単身者用のセット×2を並べただけ(笑)。
しいて言えば好きな小田原の籠清の蒲鉾だけは今年も購入した。
蟹と御雑煮もどき⤵
鶏肉買うの忘れて鍋用の鶏団子で代用してしまったwww。
ちなみに上の「寿」は姪達の御年玉袋にくっつけて転用したwww。
御節もどき30分で調理?終了www。
まぁ、自分の彼女や奥さんと二人だったらもっとちゃんと作ります。
昼からは除夜の鐘の時間に弘明寺で2年参り出来なかったので、もう一度行って見たら何か市営地下鉄の駅の辺りから500mくらい参拝客がズラっと並んでたので又もや弘明寺の初詣は諦めて退散。
そこから親の入院してる病院に見舞いに行き、小生、一応今は兼業で学生なので横浜市一の学問の神社である永谷天満宮に参拝しようと思ったら、こっちも旧別当寺の曹洞宗の貞昌院さんの駐車場のずっと向こうまで参拝客が並んでたから警備員サンに聞いたら1時間以上待つよって言われたから「明日で良いや~」って思って退散。
永谷天満宮に関してはブログ開始初期の頃に記事を書いているので興味が有る人は読んでみて下さい。
これ⤵
日本100名城の1つ、八王子城の設計をした間宮綱信サン(間宮康俊公の実弟で今の磯子区の氷取沢領主)の奥さんが、この永谷天満宮にを開いた宅間上杉家の宅間上杉規富公の御姫様だったので、小生はこの永谷天満宮もとても好きなんです。
結局、永谷天満宮にも御参りせず家に真っ直ぐ帰るのは嫌なので、そこから近い(と言っても自転車で10分位、バイクで5分)の日限山地蔵尊に御参りに行きました。
久しぶりの参拝、多分2年ぶりかな?
ここは昭和10年(1935年)に横浜貿易新報社(現:神奈川新聞)が県民から投票で選定した県下名勝史蹟四十五佳選の1つに選ばれた場所でもある。
素晴らしい場所ばかりなのに廃れてしまっている場所や、戦後のGHQによる宗教法人の土地の没収等で宅地化されてしまい何の風情も無くなってしまった所が多かったりするのだが、日限山地蔵尊も周辺の宅地化と昔は富士山が見えた西側の林が手入れされず伸びきって大木に成ってしまい景観も失われてしまった場所だったりする。
何か小生が昔GoogleMapに口コミ書いてたから興味が有る人は読んで下さい。
今では参拝客は普段は多くないけれど、正月は多くの人で賑わってて何だか少し嬉しかった。
拝受できる御朱印も可愛いね。
で、そこから又、円海山に戻って少し遠回りして富士山を見て途中で京都知恩院の四十六世住持(浄土宗で一番偉い人)の了鑑大僧正の出身地で有る阿弥陀寺と昔は阿弥陀寺持ちだった峰白山神社にも御参りしたけど写真撮り忘れたwww
以前書いた阿弥陀寺の記事⤵
そこから帰宅して入院中の親に連絡して洗濯して乾燥機かけて風呂あらってお湯張って夕食作って食べて風呂入って元日は終了。
——2日の行動——
午前中は家の事やって昼過ぎに入院中の親の病院にまた会いに行って、そのまま大晦日と1日に御参りしなかったから先ず車で弘明寺に移動。
割とスンナリ御参りで来た。
御御籤で末吉で内容悪かったから引き直したら凶が出たからもう一回引いて大吉。
今年は大吉にする為に頑張るのです。
昔書いた弘明寺の解説⤵
運は努力しないとついてこないので、内容が良いのが出るまで引くんです!
ちなみに、他の神社仏閣でも引いてるから全部まぁ、内容の良し悪し両方書いてある事は誰が読んでも教訓に成る事が書いて有る(笑)訳で、ちゃんと神頼み的な意味ではなく心得として参考にします。
そっからスッ飛んで伊勢原市にワープwww
例年御参りしてる延喜式内社にカテゴライズされる神社。
まぁ、古参の読者の方は記事よんだ事有ると思う。
これ⤵
相模国設立時に初代の国司の布施色布智公に崇敬され、後の時代にも征夷大将軍の源頼朝公と北条政子様御夫妻が子宝祈願&安産祈願デートに来た神社で、その更に後の戦国時代は関東管領も務めた扇谷上杉家や近くの岡崎城を本拠地にした扇谷上杉家から三浦家に養子入りした名将の三浦道寸公等の崇敬を集めた場所でもある。
ちょっと伊豆の国主で相模国西半分を支配した小田原城主の伊勢宗瑞公と北条氏綱公の親子と三浦家が対立した時に御世話に成ってた三浦家に味方したら神社の旧境内の現在の奥宮の場所の社殿が放火されちゃったり大変な事も有ったけど、北条家にちゃんと現在地で復興されたりしてる。
御参りすると巫女ちゃんに御祓い無料でして貰って御守り貰えるので少し御得感も有る神社。
神社の背後の奥宮の山に向かって農道を進むと、途中聖地化した所以である古墳や出土した縄文時代のストーンサークル等が展示してあったり、旧境内地の廃校に成った某女子短大の敷地にも埒面(らちめん)古墳と言う古墳の跡が展示されてたりする。
旧本社跡の奥宮、祠が祀られている。
この祠と現在の本殿の真っ直ぐ先に大山の頂上が有る。
奥宮の丘から見下ろす伊勢原市と平塚市の街灯り。
眺めが良いよ。
あの平地は遠い縄文時代には海で、その影響で平塚市や伊勢原市の岡崎辺りは戦国時代も土腐(どぶ)や湖の多く有る湖沼地帯と砂丘なんかだった。
そこら辺りは現代、旧相模川橋脚と誤認されている鎌倉時代の小出川の橋脚の話しや高部屋神社の神事の事で解説した事が有るので興味が有る人は読んでみて下さい。
比々多神社での初詣が終わってから伊勢原の叔父の家に正月の挨拶に移動。
叔母と従姉も元気そうだった。叔母達に上がって夕食食べてけって言われたけど、この後で前鳥神社の18時に閉まる前に何としても間に合わなければならず、この時点で17:15とギリギリだったので・・・
「前鳥神社毎年御参りしてるけど、今年は親の見舞いで出発2時間おくれてギリギリだから」
・・・と事情を話したら従姉(ねぇ)ちゃんに「え~上がらないの!作っちゃったよ!」と顰蹙(ひんしゅく)買ってしまったが3人とも笑顔で送り出してくれたので良かった。
・・・そもそも「今年は玄関先で挨拶だけしに行くからね」と伝えておいたんだけどな(笑)。
でも、ありがとう。
で前鳥神社。
日没が16時40分なんだきゃらソリャ真っ暗だよね、18時まで社殿の雨戸閉めないでくれてるだけ有難い。
相変わらず雰囲気良くて好き。
この前鳥神社も延喜式内社で、比々多神社は相模国三之宮、ここは四之宮、だから前鳥神社の有る地域の住所は今でも四之宮と呼ばれている。
仁徳天皇の実弟である菟道稚郎子が主祭神の神社。
菟道稚郎子は仁徳天皇に対して反乱を企てた母違いの別の兄弟を討伐し内乱を治めた名将であり、日本初の中国の学問つまり天文学の暦や漢詩や兵法を学んだ人物として知られ、菅原道真公登場以前の学問の神様として信仰されてきた。境内社には仁徳天皇と菟道稚郎子の学問の師である阿智使主(あちのおみ)も祀られている。
前鳥神社に関しては、以前に記事を書いているので詳しい事を知りたい人は下のリンクの記事を読んでみて下さい。
御本殿なんか中国チックな変な正月の絵が飾られてた。
でも辰年の絵だしおめでたいね。
主祭神の菟道稚郎子の学問の師である阿智使主(あちのおみ)は、中国の三国志の物語の始まりの頃の漢王朝の皇帝だった霊帝の子孫で、つまり漢王朝劉氏の子孫に当たる人物と伝わる。
でも小生が思うに、恐らく直系的には霊帝ではなく、霊帝の時代に帯方郡と楽浪郡の太守として赴任し劉氏なのだと思っている。
この帯方郡と楽浪郡は卑弥呼が魏に使いを送った時代の太守で、祖先は漢王朝の皇族で楚王の劉紆(りゅうはん)王の御子孫と考えた方が自然だろうと思う。
霊帝の時代に遼東半島に赴任した話が伝言ゲームで間違って伝わってるんじゃないかな?と思う。
ちなみに卑弥呼は神道的で倭姫と呼ばれる人物に当たると考えている。
倭姫の甥っ子が倭建(ヤマトタケル)だったりするが、倭建と言うのは倭国の長(おさ)=軍事長官と言う古代の官職の漢字の当字称号で複数人の皇族大将軍が一人の神格と誤解されて纏められてしまった為に意味が解らなく数百年に及ぶ事業が一人の偉業にされていると思っている。
卑弥呼にしても、恐らく近畿以東の勢力に大和朝廷が九州北部まで押し込められて魏に当時最新鋭の屯田兵制度等を技術供与して貰い、関西まで取り返した人物なんだろうな~と個人的には推測してる。
卑弥呼の頃の伊勢神宮は実は現在の三重県には無かった。
今の伊勢神宮は古墳時代の雄略天皇=大長谷若建命(おおはつせわかたけのみこと)=中国史料記載:倭王武=考古学名:獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)の時代頃に遷宮させられて現在地移っている。
この伊勢神宮の天照大神の神話では神様が色んな場所を転々として最後に「私ここが良いわ!(意訳)」と言ったので、現在地に成ったと、少し濁して遷宮の歴史も伝わっている。
この神話の様に当時の女王は後の時代に祭祀を司るだけに成った斎王の前身で、卑弥呼の時代には丹波国か丹後国に在ったので、そのどっちかの元伊勢にいたのが時代に的には倭姫なので倭姫=卑弥呼になる。
すると東征神話=甥の倭建、卑弥呼が死んで男王に成ったら再び国内大混乱に陥ったので再び女王が就任したって三国志の魏志に書いて有ったりするのだが、それが女王 臺与(とよ) なのだが神道で神功皇后と呼ばれてる人物と倭姫と倭建と成務天皇辺りの男系天皇の短命で殺し合いしてる様子等が垣間見えたりして、卑弥呼=倭姫・臺与=神功皇后ってのがシックリぴったり当て嵌まったりするんだな。
そこ等辺りの解説は以前コレ⤴で日本の現在の太陽暦と昔の太陰暦の誤差と天皇家の上古天皇の不可解な年齢カウントの理由の解説で書いてるので興味が有ったら読んで下され。
で、前鳥神社に御札を返し参拝も終わり、寒川神社へ移動。
毎年寒川神社の参道は沢山の屋台が並んで楽しいのだが、今年は寒川神社手前に毎年出店するラーメン屋台に入ってみる事にした。
この屋台、毎年の御正月に車で寒川神社に行って参拝する人は見た事有ると思う。
店内に入ったら結構ちゃんとした席と豊富なメニューで居酒屋と比べても遜色ないレベルだった。
小生は「もう毎年お好み焼きとタコ焼きはいいや」と思ってラーメンを目当てに入店。
普通に拉麺として素朴で美味しい醬油ラーメンだったし、マスターや周りの御客さんが皆明るくて直ぐに話の輪に入れてくれて楽しかった。
何か御客さんはたまたま料理人の人達の毎年くる常連客だそうで、御客さんもマスターも小生が良く行く横浜南部市場で仕入れをしているらしく、その話で直ぐに意気投合してしまった(笑)。
接客するマスターの御嬢さんも美人で、5年前に好きだった〇見さんと言う女性にソックリで「美味しかったです、また来年も来ますね」とか言ってしまって「なんだかな~」と思いながら寒川神社の表参道に回った。
相変わらず立派、延喜式内社で相模国一之宮の寒川神社、旧律令制の大社格の神社。
芸能人なんかも沢山来る。夫婦の神様で縁結びと夫婦円満と八方厄除けの神様でもある。
つまり色んな災難(家庭内のいざこざ)を纏めたい時は、それを心がける為にここ御参りしたら良い(笑)。
ここの参道は本来の入口の一之鳥居がもっともっと南側に有って、そこから本殿まではまともに歩いたら1.2kmも有る。むろん、小生が先程お見せした写真は現在の入口なので数百mしかないがそれでも神秘的。
でも一本裏に入ると正月は・・・
粉物と串焼きと甘い物の屋台が都合100軒は出ているだろうか。
すんごく楽しい!
ラーメン食べたのに・・・
買っちゃったwww。
この寿串も南部市場で仕入れた奴だろうか?売ってた御節のセットと同じ飾り。
食べ終わって表参道にも戻って・・・
門をくぐって・・・
御本殿で御参りして・・・
追儺神事を見学して破魔矢と弓を頂いて帰宅。
追儺神事なんぞ?と言う人これ⤵
もっと詳しく知りたい人は昔、書いた記事読んで下さい。
これ⤵
その後、体冷えてクッソ寒いから駐車場スルーして夢庵に入ってホットドリンクバーで温まってから帰ろうと思ったのに・・・
何故かスイーツのセット注文してたwww。
美味しかった。結局ドリンクバー注文せず暖かい緑茶飲んでたし!
で、駐車場に戻り車に乗って帰宅して2日目終了。
——3日目——
家の事と親の見舞い。
あと、姪っ子達に未だ御年玉をあげて無かったので少しガッカリ➡喜ばせる悪戯(いたずら)の御年玉袋を作成。
小生には弟と妹がいるんだけど、姪達に先ず茶封筒に御節の飾りつけくっ付けて(笑)、「超雑な御年玉じゃん」と思わせる第一段階。
次に開けてみたら駄菓子のコインチョコのお年玉袋www
これ、姪達ひっかかって・・・
「なんか分厚い!硬い」
と騒いで開けたらチョコの駄菓子の袋で小学生の姪達は「あぁ~」と成ってた。
作戦通り。
でも、オジちゃん、時間かけて裏のシールめっちゃ綺麗に剥がして中にちゃんと現金5000円づついれてたので見つけた瞬間に・・・
「あ~貰えないかと思った」
・・・とデカい方の姪が言っててオジちゃんはシタリ顔に成ってしまった。
実は、弟妹が親が入院してから4日まで一度も親の見舞いに行ってなかったくせに元日に姪達連れて実家に御年玉だけせびりに来たので、内心キレてた小生は弟妹だけでなく子等も無視して「おじさん洗濯物乾かしにコインランドリー行かないといけないから」と言って放置して出てってそのままにしてたのだ。
それで弟妹はヤバいと思ったらしく、弟は3日に子を連れて親の見舞いに漸く行き、妹も家族と4日に行ったので小生も気が変わり御年玉上げる事にしたのだ。
帰りに家から比較的近い場所にあるモスバーガーで限定の黒毛和牛バーガーなるものを食べてみた。
まぁまぁ美味しかったと言うか、モスバーガーはマックより良いけどパティがそんなに美味しくないと個人的に思ってて、まぁジャンクフードのチェーンだし、横須賀のドブ板通りのネイビーバーガーみたいに価格帯的にも材料に金がかかってないから勝てる訳ないしと思ってたけど、これはソコソコ美味しかった。
オニポテは安定の美味しさ。
で、本日4日目。
——4日目——
やっと横浜の学問の神様、永谷天満宮の参拝客が三賀日過ぎて減って参拝で来た(笑)。
今日は快晴だったので、永谷天満宮の境内地の裏山の富士山の化身である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る浅間権現様の祠の真後ろに富士山と横浜市営地下鉄ブルーラインが綺麗に見えました。
永谷天満宮で御参りしてから親の病院に行き、明日から仕事開始で明日は来れない事を伝えました。
親の容体は回復が早いどうで御医者さんも良い評価をしているうよです。
親も後期高齢者なので、治療は大変だと思うけど頑張ってるので厳しい事は言いつつも励まし支えたいと思います。
そんな年末年始でした。
御城訪問の休日雑記ブログの続き、ちゃんと調べて書く時間取れなくて更新出来ませんでしたが、また少しづつ仕事と勉強の合間に書いていきます。
では読者の皆さん、今年1年間御互いに実りある進歩の歳にしましょう~♪