歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

タグ:小坪飯島公園

今日はInstagramに投稿した記事と近況報告です。
ギックリ腰になりました。

実は先々週末に左足首を捻挫して、庇いながら歩いたり仕事して腰のバランスがおかしく成ってたらしく、先々週末に朝から夕方17時過ぎまで休憩昼の30分だけで授業複数科目1日中座ったままでいたら見事に腰痛になりました。
で先週、こんどは腰痛を庇いながら仕事してたら、腰ピキッと仕事中にやりました。
そんでも月曜、火曜と我慢して仕事したら一昨日火曜に帰宅後、今は母が入院中でして家の中もシーンとしてるのですが、父と食事の準備して、風呂入って、自室のフローリングの床に座って卓袱(ちゃぶ)台でPC開いて教科書開いて夜中まで勉強してたら坐骨神経痛に成ってしまい、翌朝(昨日)も治らなかったので仕事を休ませてもらいました。
ちょうど、母が入院中の病院が整形外科もある一般外来も受付してる所だったので、父が母に面会に行く際に車に同乗させてもらい病院に行く事が出来ました。
今日は昨日よりだいぶマシで歩く事は何とか出来る程度に治ったのですが、やはりちゃんと回復させないと又悪くなるので今日も仕事を休ませてもらい、昼過ぎまで布団からも出ずに股関節と腰椎の筋肉を柔らかくするストレッチをした以外は寝て過ごしました。
夕方過ぎ、痛みは若干ありましたが漸(ようや)く椅子にも座れ歩行も普通の速度で出来る程度に回復したので、風呂洗って二人分と食事作って、父がちょうど病院から帰って来て、自分が先に風呂に入らせてもらい、食事してから床では無くて椅子に座って机で課題をやってました。

その休憩中にインスタにささっと書いた事に少し手を加えた内容が以下の通りです。
Instagramはリア友しかいない鍵垢にしてしまったので、非公開なのでコピペし少しブログ用に手を加えます。

2017年 材木座旧飯島村の海~御霊神社
1~2枚目 
地元の高校生が後ろ姿のモデルに成ってくれた写真。
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3~4枚目
現在の逗子マリーナの横、昔は飯島村と呼ばれた材木座と小坪海岸の間の地域の海。
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5~7枚目
鎌倉市坂下地区の御霊神社。
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この写真を撮影した頃はInstagramもやってなくて、フォロワーの風景写真のプロやセミプロの写真家の知り合いもいなくて、マジックアワーの概念さえ知らなかった。
1~2枚目は一番好きな富士山遠景の写真、風景は人がいると物語が出来て素敵に成る場合も有ると思った切っ掛け。
撮影してる場所の、直ぐ横が源実朝が当時は南宋だった中国に渡航しようと船を造船させていた材木座海岸で、そこには和賀江島の跡の崩落した積石の浅瀬が広がっている。

ここは何回も小生がビュースポットとして記事にしている場所。


最後の写真3枚の坂下地区の御霊神社は今では御祭神は鎌倉景正公だけど、本来の御祭神は鎌倉景正公の御先祖の平良文公や平高望王、葛原親王や桓武天皇の歴代坂東平氏の御先祖を祀っていた神社。

司馬遼太郎さんが執筆した「街道を行く」 シリーズの「三浦半島記」を書く時にこの辺りを歩いて観光してる様子が登場する。
この辺りも当時頻繁に歴史散策をしていたので数回記事に書いている。


この年は、前年まで平良文公以来、坂東平氏嫡流の村岡家最後の御当主の小林宮司(旧姓村岡)が旦那様との間に子供が生まれず御高齢になり旦那様の介護のために千数百年間続いた村岡家から宮司家が現在の熱海出身の一般人家系出身の宮司様に変わった最初の年だった。
小林宮司には坂東平氏と源氏の関係性を「主従」とする学者の認識が間違っている事を坂東平氏の武家の方々の立場から主従ではなく「協力者(坂東平氏)とリーダー(源氏嫡流)」だよ、と言う事など色々と教えて頂いた趣味の歴史の恩師の一人に当たる方。
尊敬する歴史偉人の御名と御朱印を色紙に拝受し今も尊敬する歴史偉人の御分霊代わりに毎朝拝む習慣が出来るきっかけに成った人だった。
御朱印7御霊神社久良岐のよし
平成二十六年(2014年)八月三十一日に拝受してる。
ちょうどブログ書き始めた頃かな?
どうやら同日に小生が好きな戦国時代開始の切っ掛けを作った武将の一人で最後の鎌倉公方の足利持氏公と御子息の足利成氏公の忠臣だった宅間上杉家の開いた横浜随一の学問の神様である永谷天満宮でも御朱印を拝受してるので、先に永谷天満宮を参詣して郷土の知恵の神様の御朱印を拝受してから、やはり横浜市栄区出身の長尾家(上杉謙信の祖先)の、更にその御祖先の鎌倉景正公の御朱印を真っ先に拝受に行っていた様だ。
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この御朱印帳は、神奈川県で初購入した思い出の御朱印帳で今でも継ぎ足し「延喜式内社以外の神社用」として使っているものだが、小林宮司が兼務されていた佐助稲荷神社で購入した物だった。


ここで購入した御朱印帳・・・
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ページ継ぎ足し使ってたら現在は厚さは三冊分+α(自作ページ)、片面約80ページ。
御朱印帳については御朱印帳の外装を変える工作方法等も記事を書いているので興味の有る人は読んで欲しい。


話を元に戻すと・・・
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冒頭の海の写真は新しい宮司様に御挨拶兼ねて御霊神社に御朱印拝受に行った帰り、材木座に立ち寄った。
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その時に拝受した御朱印。
平成二十九年(2017年)の今日。
そこで偶然、青春っぽい地元女子高生二人を見かけて、「二人の仲良しの姿と富士山と夕焼がとっても絵に成るから写真撮らせて!」と交渉したら快諾してくれて、御礼に二人のスマホにも写真を撮影してあげた。
この頃は転職した頃だった。
その前は自動車部品の技術営業職だったけど、リーマン破綻で2人分の営業の仕事と解雇されたアシスタントオフィスワーク引き継がされて毎日17時半にタイムカードを無言の圧力で切らされて朝の6時頃まで働いて、社員寮でシャワーだけ浴びて2時間寝れたら良い生活が3ヶ月続いて過労で医師から3ヶ月休めって診断書かかれて仕事辞めて、そんで始めた電動バイクの輸入販売が上手く行かず、廃業して
転職して、平日休みの日も有り資格の勉強もしてなかったし時間も有った頃だった。
まぁ、2019年からなんか色々と資格とり続ける人生に変貌したのだけど。
だからこの頃はブログ素材の取材にあちこちの「歴史史跡」巡りを凄まじい件数してた頃だった。

この頃はライブドアブログの旅行全般カテゴリーで毎日5位以内に入ってた。
年末年始は1位常連だったし
今は全然、資格の学校通いだしてブログ更新しなくなったら20位前後彷徨ってる。

んで、今日はギックリ腰で休んでたら色々とこの10年振り返る時間が有って、2014年頃の事とか当時の彼女さんの事とか思い出してた(笑)。

正月も残り6日で終わり如月(2月)に成ると、本来の旧正月の春の節句が来ますね。
梅の綺麗な季節が来ます。
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皆さんにとって実りある残り1週間、そして充実した2024年に成ります様に!
そして戦争が早く終わり、平和で経済と精神的な豊かさの発展と日本の同盟国と同盟有無問わず親日家の皆さんと、日本文化と日本の歴史を大切にする人々と、宗教国籍人種問わず善良で実直な方々にとって幸福の多い1年になりますように。

能登半島の人々が早く普通の生活に戻れます様に。
熊本地震、東日本大震災の被災者で生き残った方々も新たな平和で楽しい時間がたくさんあります様に。

ロシアとウクライナ、ユダヤ人とパレスティナ人の中の善良な一般市民の皆さんも、早く戦争が終結しこれから10~20年かかっても、早く普段の生活を取り戻し、一日も早く御互いの憎しみが発展を享受する協力関係に変わります様に。
それらの国が日本と協力し苦境を乗り越えて仕事仲間に戻れる日が来ます様に。

戦中の対立関係や戦後の東西冷戦の価値感にも縛られず、下らない共産主義や資本主義等の価値感よりも共存共栄を個々の個性を認め合いつつ目指せる全く新しい世界的な価値観が出来たら良いな~。

20年後、日本でロシア人とウクライナ人が日本企業のパートナーとして共に発展を享受し、ユダヤ人とパレスティナ人と日本人が一致協力して生活を立て直し豊かになり、他の貧困にあえぐ国を救済する側に御金と人を注力出来る社会が出来上がっていたら嬉しいなと思います。
そしてアメリカは仁君として王道に軌道修正しアメリカ国内の貧困格差や薬物の乱用者増加や人種差別問題も解消し、同盟国を対等に扱い地位協定は対等な物になり、世界のリーダーとしての道を切り開き説得力のあるリーダーシップを発揮して世界を豊かにそして日本人はじめアメリカに憧れる映画のバックトゥザフューチャーやETやグーニーズを作っていた頃の様な明るいアメリカに戻っていたら嬉しいなと思う。


当然、その時にはアメリカの重工業軽工業が80年代の様に復興する必要が有るので、日本人もアメリカ人も当時の様に日本と台湾と韓国とアメリカで消費する物は、その商圏内で生産提供し合う商業工業農業の構造、当時の経済活動と生産活動の商圏に戻す必要があると思う。
そうすると必然的に農業もアメリカ日本は自国に生産力を回帰するから、農業畜産業も復興すると思う。
ロシアとウクライナは、EUの中で下らないアメリカに対抗して仲裁のリーダーの主導権争いの為にロシアにもウクライナにも良い顔して戦前の状態維持を阻止し両国民を故意に疲弊させたドイツとフランスに責任取って貰う必要が有ると思う。
彼等の経済活動とロシア・ウクライナの得意分野は競合するので親米商圏からドイツ・フランスには御退場頂き、交代してロシア・ウクライナに仲間に成って貰えば良いと思う。
そして1~2年後、ウクライナ復興とロシアの経済復興が始まり、10年~20年かけて両国友好関係の再構築と全ての経済活動に日本企業と日本政府が寄与する時、その時に自分が今学習してる資格で、少しでも社会貢献出来たら嬉しい。
トランプさんは大統領に成ったらドイツとフランス嫌いだし、嫌がらせマクロンにされたし、おのずとそうなる可能性も有るし。

ロシアとウクライナに関しては、双方に賠償金を放棄して貰い、それ以外の全世界で双方の国の復興と発展に協力するべきだと思う。
その過程でロシアとアメリカには世界のリーダーとして、全く新しい価値観の世界構築で協力し、御互いの過去を捨て去り、日本とも同盟国に成って欲しい。
当然、その時に役に立たない国連は破棄して、環太平洋と北極海の同盟圏で平和な社会を確立して領土的野心持つ覇権主義を進もうとする国と、その国に追随する利己主義の国に対しては参加拒否して貰いたい。

近代や近世の歴史文化としては大切にしても良いけど、当時の軍事的な対立や価値感や冷戦時代の世界観を現代にひっぱるのはおかしい。

世界が平和で豊かに、富む者が立ち直ろうとする弱者を手助けして仲間に出来る社会になりますように。

ついでに個人的にも普通の家庭的な夫や父、叔父、そして知識共有する側として高い評価を得られる人材になれていたら嬉しい。

今週末、土曜日にこの記事⤵の続きを書きます。


先ずは河村城を紹介するつもりです。
書けたら深沢城も書きたいかな。

では、皆さん、健康に気を付けて充実した時間を過ごされてください!
応援してますよ!小生も頑張ります。
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南国リゾート風の富士山の景勝地
逗子マリーナと小坪漁港の夕景
【逗子マリーナ(小坪飯島公園)】
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清水湯
鎌倉市街地で現存唯一の日本建築老舗銭湯
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☞銭湯の個性と周辺見所 (・◡・)♫  
 壁の九谷焼の金魚絵が奇麗◎
 浴室の集合蛇口が珍しい◎
 昭和30年2月16日完成の建物◎
 築60年以上なのに建物奇麗◎
 材木座海岸徒歩8分海水浴帰り◎
 近くにオシャレなレストラン◎
 昔ながらの天井の高い銭湯建築◎
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ      
【定休日有り】
※月水金が定休日で要注意!
【入浴料】
 大人490円
 子供200円
 幼児100円
【アメニティー】
 シャンプー等は備え付け無し
 使い切りシャンプー類販売有り
 レンタルのハンドタオル有り
 飲料販売有り
【電車】
 JR鎌倉駅~徒歩14分
【  車  】
 3台有り。
 徒歩6分圏内に有料駐車場複数。
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
——外観——
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——玄関——
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——脱衣所——
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——浴室——
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——壁絵——
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鎌倉の観光地化した旧市街地では唯一現存する銭湯。
築60年以上経ち、修繕もされてないのに奇跡の無劣化!
梁も天井も奇麗な状態、天井高くくつろぐ。
定番の富士山や西伊豆の壁画ではなく、涼やかな九谷焼の日本画の金魚が美しい~♪
材木座海岸からも徒歩圏内。
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材木座海岸から徒歩5分のリビエラ逗子マリーナ横に所在する小坪飯島公園から見える由比ヶ浜~稲村ヶ崎~江ノ島~富士山と夕陽は絶景。
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小坪飯島公園
材木座海岸での海水浴や小坪飯島公園で景色を見た帰りに立ち寄っても疲れがとれて最高の休日に成る。
しかも清水湯の直ぐ近くには以前ブログで紹介したオシャレなレストランBAR、ルアーズもある。

この他にも未だ記事にはしてませんが高速参勤交代のモデルに成った内藤家の本家の菩提寺でもありシンゴジラのロケ地の浄土宗大本山の光明寺や・・・
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天照山 蓮華院 光明寺
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ここは奈良か京都か?と思う大寺院がこんな海水浴場の近くに有るのを結構知らない人も多いが、御朱印ファンや歴史好きには超有名な寺院。残念ながら2020年は御本堂は修繕改築中で数年間入れないが、立派な山門や他の建物は見学できるし御朱印も拝受できる。当然、シンゴジラでロケハンされた裏山の展望台からの景色も見れるし、寺務所で御願すると内藤家の殿様達の御廟所に入る為の鍵も貸与して貰える。
・・・材木座海岸や光明寺の直ぐ近所に、とっても日本蕎麦の美味しい“そば処 土手”もある。
周辺の観光と合わせて、〆に清水湯に入って帰ると良い休日を過ごせる。
小生は春の間、しょっちゅう横浜円海山から鎌倉大平山の山中の古道を20km散歩して廻ってましたが、清水湯さんの営業日には毎回入浴してサッパリしてから鎌倉駅から電車で帰り、有意義な時間を過ごさせて貰いました。






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午前中に母と二人で義祖母の御墓を掃除してきた。
御正月に会いに行ってあげられなかったからね~。
お婆ちゃん、血が繋がって無いのに本当の孫同然に可愛がってくれて本当にありがとうね~。
家族で一緒に川崎大師に御参りしたり、八幡橋の八幡様御参りしたり、緑区にハマ梨の果樹園に梨狩りに行く時にいつも買ってくれたビスコかコアラのマーチかヨーグル、飽きてたけれど嬉しかったよ~。

昼寝して起きたら夕方に海と夕陽を見たく成った。
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由比ヶ浜、昔は由比ヶ浜だった材木座、その海岸に聳える砦跡だった住吉城塞跡に建つ正覚寺とその城址の寺院の更に奥にひっそりと佇む住吉神社を御参りして海と夕陽と富士山を眺めて来た。
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この風景が見える住吉城址は神奈川県の戦国時代を代表する武将で尊敬する先人でもある北条早雲公こと伊勢盛時公の小田原北条家と三浦義意公の三浦一族の激戦地に成った場所だ。
丁度、鎌倉郡と三浦郡の境目、つまりこの城を起点にして三浦半島に入る。
住吉城址と和賀江島 久良岐のよし
ここを攻め落とされたら三浦家は戦略敵に情況挽回困難に成る場所で、正に海の断崖に聳(そび)え立つ城のまま❝瀬戸際❞の城でもあった。そんな城だから相模の大名、佐原三浦家でも重要な武将、三浦道香公の居城だった。三浦道香公は当主の三浦道寸公の御実弟で小生の尊敬する武将の一人である三浦義意公の叔父上だった。
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しかし伊豆韮山城に隠居した北条早雲公の跡継ぎの小田原城主北条氏綱公は戦国時代初期に置いて攻城戦を得意とする屈指の武将で、この住吉城に至るまで関東最大級の大城郭であり湖沼に浮かぶ丘の城だった伊勢原市平塚市に跨る三浦家の岡崎城攻略を皮切りに、佐原三浦道寸公の実家の扇谷上杉家の大城郭、伊勢原市糟屋舘を攻略。更に糟屋舘や岡崎城や小田原城よりも巨大で堅固な大庭城も攻略し三浦道寸公を三浦家最後の拠点にして絶海の堅城新井城に追い詰めた。そして4年の包囲攻城を経て新井城は落城する。
住吉城の城名恐らく古代から存在したであろう正覚寺裏の住吉神社が存在した事に由来する。
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正覚寺の参道を登る。
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住吉山 悟眞院 正覚寺
ガラス戸で覆われた本堂を参拝し、生け垣の向こうを右手に折れ墓地を抜ける。
すると隠し道の様に住吉神社の参道が現れる。
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人の往来が途絶えた今、映画のロケ地にも使われそうな、神様の式神が帯剣して出迎えて下さりそうな雰囲気の漂う神秘的な神社。誰も参拝に来なく成ってしまったのでひっそりとしている。
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住吉神社(住吉城城名由来の古社)
でもこの神社には最低でも鎌倉時代に人の往来の在った証拠が有る。
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矢倉、納骨穴も確認出来る。
ここに船の往来の安全と土地開拓を見守る住吉神社が開かれたのは目の前が海で古代の街道だったからだろう。
そして城を築くのに相応しかった場所で有る事も湧水が有る事から解る。
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今では大切にはされていない神社だが、ここでは鎌倉時代や室町時代くらいまでは雨乞いの神事も行われたかもしれない。
城を降りて嘗(かつ)ての城壁の役割を果たしていた断崖絶壁を下から仰ぎ見る。
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古代東海道:住吉要害直下の切通し(廃道)
何回かここ住吉城址の❝古代❞の事を記事に書いた事も有るが、この城址下の廃道の切通しが古代東海道と考古学的に考えられていたのだが神奈川県と逗子市が交通封鎖してしまい日本武尊が通ったかも知れない古道はいまでは鬱蒼とした雑草に覆われ往古と同じ人の往来は絶えた。
この雑草の生い茂る廃道の上、崖の壁面にも大潮の日や台風の日も想定された恐ろしく幅の狭いとってもじゃないけど渡る気のしない切通しが2本開削されているのが解かるだろうか?実際に昔の写真にも乗っている道なので、あの崖の細道を人が往来した様だ。
・・・仮に現代、フェンスで通行止めに成っていなくても高所恐怖症気味の小生には無理だ。
そこから小坪飯島公園の海辺に降りて来た。
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小坪飯島公園小坪飯島公園の埋め立て地の突端からは綺麗に相模湾の由比ヶ浜の海~稲村ヶ崎~江ノ島~箱根山系~富士山が見える。
2年前、ここで地元の女子高生2人が夕日と富士山と一緒に写真のモデルに成ってくれたのを思い出した。
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あの子達は元気に大学生に成って頑張ってるだろうか?きっといつまでも親友で交流が続くんだろう。
お互いに子供を産み、御互いに家族で交流する様な、そんな末永い友情を育んで欲しいと思う。
昨日2019年の正月04日は雲は多かったが、それなりに良い写真が撮れた。
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1人は寂しいけれど少し爽やかな気分に成った。
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源実朝公も寧波に渡りたくて和賀江島で船を造船させて度々見に来ていた美しい風景、小生は鎌倉と横浜を行き来して今と過去を行き来しながら生きている・・・
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やっぱり歴史と綺麗な景色が好きだ~。
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冬凪に偉人も眺めし由比の富士
吾今に生き往古を活かす
作:俺氏
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冬望
作:俺氏

冬和風度由比濱
故人自此望寧波
海波在夕陽下萌
彩雲散歴歴富士
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ー自作の漢詩意訳するとこんな意味ー
冬望    作:俺氏
(冬に望む)
真意:厳しい時の細やかな望み。

冬和風度由比濱 
(冬、由比ヶ浜に優しい風が吹き渡る)
真意:厳しい情況でも鎌倉に来て景色や文化に触れると落ち着く。

故人自此望寧波 
(昔の人は此処から遠く寧波の海を見た)
※昔の人=源実朝公
真意:源実朝公は家臣達が殺し合い謀略飛び交う政権を嫌い、自ら地位財産名誉を捨て、此所の和賀江島で船を建造し寧波に行き南宋に亡命し個人として健やかに過ごす事を願って度々海を見に来ていた。

海波在夕陽下萌 
(海波は夕陽の下で萌えている)
真意:夕陽に照らされた青い海が緋に染まる様が、自分の落ち込んだ気持ちを明るくしてくれる。

彩雲散歴歴富士 
(彩雲も散り富士山もよく見える)
真意:綺麗な雲に隠れていた富士山も風に雲が散りハッキリと見えて来た様子が、モヤモヤした気持ちを吹き飛ばしてくれる。

源実朝公と自分は同じ鎌倉の文化や風景を見てる時代も立場も感じ方も違うけど、望みはささやかで同じ、二人とも人として健康に幸せに成りたいだけ。
健康で心休まる生活と信頼出来る人と家族が欲しい。
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夕陽を見て少し物悲しくも爽やかな気分を満喫して車に乗り込むと家路に着いたのだが、そう言えば今年は鶴岡八幡宮の源頼朝公や源頼家公の御神霊に新年の御挨拶を申し上げて無い事が気にかかり、大町の辺りで鶴岡八幡宮の前身の元鶴岡八幡宮=由比若宮が有る事を思い出し、ついでに以前から気に成っていたJR横須賀線の踏切近くに在る辻薬師堂にも御参りする事にした。
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往古は木食五行上人様も御関わりに成られた場所の様だ。未だ詳しい事は調べていない。
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それなりに大きな寺院が前身寺院だったと言うのは境内の掲示物で判った。
関わった木食上人と言うのは珍しい御方で仏僧でありながら、どの宗派にも属さず、仏像彫刻を極めた事で僧侶として高名に成られた方なので、今でいえば僧侶兼仏師と言った所だろうか?
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色んな神様の石祠も有り、神仏習合の場所として開かれた事が解かる。
この御寺が衰退してしまったのは、逆にどの宗派にも属さなかったせいかも知れない。
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掲示によると元々、この辻薬師堂に祀られている薬師如来様はは源頼朝公の建てた大寺院永福寺の塔頭の様な存在の僧坊に藤原一族の二階堂行光によって造営されたらしい。
現在の辻薬師堂は一見すると真っ暗で何も見えず正直余り期待せずに御参りしたのだが、御賽銭いれたらビビった!
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堂内が点灯し中の立派な薬師如来様と脇侍仏様がライトアップされて参拝者の小生に御姿を見せて下さった。う~ん粋な演出だね~!
一応、これからも辻薬師堂が多くに人に大切にされますように~とお祈りして来た。
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線路を渡り10mもしない所から由比若宮=元鶴岡八幡宮=鶴岡八幡宮元宮に入る参道に辿り着く。
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ここも古来の規模で社殿は大きくは無いが、関西ら八幡様の御分霊を源頼義公が勧進して開いた本当に本当に由緒正しい八幡宮だ。源頼義公の時代は鎌倉市街も材木座上りは海や入江の干潟だったので、鶴岡八幡宮元宮は治水・海の神様として高潮除けに勧進されている事が地理から良く解る。
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正月だったのでいつもやってない社務所が営業していて、販売員のお姉さん方と少し雑談をした。
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由比若宮=元鶴岡八幡宮ここが源氏の征夷大将軍への道の第一歩としても過言では無い由緒正しい神社だったりする。
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手水社は普通。
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でも軍神の異名を持った源頼朝公の四代御先祖に当たる源❝八幡太郎❞義家公が旗を立てた場所でも有ったりする。
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何にせよ由緒正しい場所で、関東地方や東北を含めた東日本全体の八幡信仰の起点はここで、ここから鎌倉武士団によって其々の国へ八幡信仰が拡散された歴史を辿れる場所にも成っている訳だ。
因みに近代、この場所には芥川龍之介の家が有ったそうだ。
だから明治の文豪が好きな人にも大切な場所かも知れない。

今回は訪問件数こそ多く無いが、それなりに充実した時間を過ごせた。


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