今日はInstagramに投稿した記事と近況報告です。
ギックリ腰になりました。
実は先々週末に左足首を捻挫して、庇いながら歩いたり仕事して腰のバランスがおかしく成ってたらしく、先々週末に朝から夕方17時過ぎまで休憩昼の30分だけで授業複数科目1日中座ったままでいたら見事に腰痛になりました。
で先週、こんどは腰痛を庇いながら仕事してたら、腰ピキッと仕事中にやりました。
そんでも月曜、火曜と我慢して仕事したら一昨日火曜に帰宅後、今は母が入院中でして家の中もシーンとしてるのですが、父と食事の準備して、風呂入って、自室のフローリングの床に座って卓袱(ちゃぶ)台でPC開いて教科書開いて夜中まで勉強してたら坐骨神経痛に成ってしまい、翌朝(昨日)も治らなかったので仕事を休ませてもらいました。
ちょうど、母が入院中の病院が整形外科もある一般外来も受付してる所だったので、父が母に面会に行く際に車に同乗させてもらい病院に行く事が出来ました。
今日は昨日よりだいぶマシで歩く事は何とか出来る程度に治ったのですが、やはりちゃんと回復させないと又悪くなるので今日も仕事を休ませてもらい、昼過ぎまで布団からも出ずに股関節と腰椎の筋肉を柔らかくするストレッチをした以外は寝て過ごしました。
夕方過ぎ、痛みは若干ありましたが漸(ようや)く椅子にも座れ歩行も普通の速度で出来る程度に回復したので、風呂洗って二人分と食事作って、父がちょうど病院から帰って来て、自分が先に風呂に入らせてもらい、食事してから床では無くて椅子に座って机で課題をやってました。
その休憩中にインスタにささっと書いた事に少し手を加えた内容が以下の通りです。
Instagramはリア友しかいない鍵垢にしてしまったので、非公開なのでコピペし少しブログ用に手を加えます。
2017年 材木座旧飯島村の海~御霊神社
1~2枚目
地元の高校生が後ろ姿のモデルに成ってくれた写真。
3~4枚目
現在の逗子マリーナの横、昔は飯島村と呼ばれた材木座と小坪海岸の間の地域の海。
5~7枚目
鎌倉市坂下地区の御霊神社。
この写真を撮影した頃はInstagramもやってなくて、フォロワーの風景写真のプロやセミプロの写真家の知り合いもいなくて、マジックアワーの概念さえ知らなかった。
1~2枚目は一番好きな富士山遠景の写真、風景は人がいると物語が出来て素敵に成る場合も有ると思った切っ掛け。
撮影してる場所の、直ぐ横が源実朝が当時は南宋だった中国に渡航しようと船を造船させていた材木座海岸で、そこには和賀江島の跡の崩落した積石の浅瀬が広がっている。
ここは何回も小生がビュースポットとして記事にしている場所。
最後の写真3枚の坂下地区の御霊神社は今では御祭神は鎌倉景正公だけど、本来の御祭神は鎌倉景正公の御先祖の平良文公や平高望王、葛原親王や桓武天皇の歴代坂東平氏の御先祖を祀っていた神社。
司馬遼太郎さんが執筆した「街道を行く」 シリーズの「三浦半島記」を書く時にこの辺りを歩いて観光してる様子が登場する。
この辺りも当時頻繁に歴史散策をしていたので数回記事に書いている。
この年は、前年まで平良文公以来、坂東平氏嫡流の村岡家最後の御当主の小林宮司(旧姓村岡)が旦那様との間に子供が生まれず御高齢になり旦那様の介護のために千数百年間続いた村岡家から宮司家が現在の熱海出身の一般人家系出身の宮司様に変わった最初の年だった。
小林宮司には坂東平氏と源氏の関係性を「主従」とする学者の認識が間違っている事を坂東平氏の武家の方々の立場から主従ではなく「協力者(坂東平氏)とリーダー(源氏嫡流)」だよ、と言う事など色々と教えて頂いた趣味の歴史の恩師の一人に当たる方。
尊敬する歴史偉人の御名と御朱印を色紙に拝受し今も尊敬する歴史偉人の御分霊代わりに毎朝拝む習慣が出来るきっかけに成った人だった。
平成二十六年(2014年)八月三十一日に拝受してる。
ちょうどブログ書き始めた頃かな?
どうやら同日に小生が好きな戦国時代開始の切っ掛けを作った武将の一人で最後の鎌倉公方の足利持氏公と御子息の足利成氏公の忠臣だった宅間上杉家の開いた横浜随一の学問の神様である永谷天満宮でも御朱印を拝受してるので、先に永谷天満宮を参詣して郷土の知恵の神様の御朱印を拝受してから、やはり横浜市栄区出身の長尾家(上杉謙信の祖先)の、更にその御祖先の鎌倉景正公の御朱印を真っ先に拝受に行っていた様だ。
この御朱印帳は、神奈川県で初購入した思い出の御朱印帳で今でも継ぎ足し「延喜式内社以外の神社用」として使っているものだが、小林宮司が兼務されていた佐助稲荷神社で購入した物だった。
ここで購入した御朱印帳・・・
ページ継ぎ足し使ってたら現在は厚さは三冊分+α(自作ページ)、片面約80ページ。
御朱印帳については御朱印帳の外装を変える工作方法等も記事を書いているので興味の有る人は読んで欲しい。
話を元に戻すと・・・
冒頭の海の写真は新しい宮司様に御挨拶兼ねて御霊神社に御朱印拝受に行った帰り、材木座に立ち寄った。
その時に拝受した御朱印。
平成二十九年(2017年)の今日。
そこで偶然、青春っぽい地元女子高生二人を見かけて、「二人の仲良しの姿と富士山と夕焼がとっても絵に成るから写真撮らせて!」と交渉したら快諾してくれて、御礼に二人のスマホにも写真を撮影してあげた。
この頃は転職した頃だった。
その前は自動車部品の技術営業職だったけど、リーマン破綻で2人分の営業の仕事と解雇されたアシスタントオフィスワーク引き継がされて毎日17時半にタイムカードを無言の圧力で切らされて朝の6時頃まで働いて、社員寮でシャワーだけ浴びて2時間寝れたら良い生活が3ヶ月続いて過労で医師から3ヶ月休めって診断書かかれて仕事辞めて、そんで始めた電動バイクの輸入販売が上手く行かず、廃業して転職して、平日休みの日も有り資格の勉強もしてなかったし時間も有った頃だった。
まぁ、2019年からなんか色々と資格とり続ける人生に変貌したのだけど。
だからこの頃はブログ素材の取材にあちこちの「歴史史跡」巡りを凄まじい件数してた頃だった。
この頃はライブドアブログの旅行全般カテゴリーで毎日5位以内に入ってた。
年末年始は1位常連だったし
今は全然、資格の学校通いだしてブログ更新しなくなったら20位前後彷徨ってる。
んで、今日はギックリ腰で休んでたら色々とこの10年振り返る時間が有って、2014年頃の事とか当時の彼女さんの事とか思い出してた(笑)。
正月も残り6日で終わり如月(2月)に成ると、本来の旧正月の春の節句が来ますね。
梅の綺麗な季節が来ます。
皆さんにとって実りある残り1週間、そして充実した2024年に成ります様に!
そして戦争が早く終わり、平和で経済と精神的な豊かさの発展と日本の同盟国と同盟有無問わず親日家の皆さんと、日本文化と日本の歴史を大切にする人々と、宗教国籍人種問わず善良で実直な方々にとって幸福の多い1年になりますように。
能登半島の人々が早く普通の生活に戻れます様に。
熊本地震、東日本大震災の被災者で生き残った方々も新たな平和で楽しい時間がたくさんあります様に。
ロシアとウクライナ、ユダヤ人とパレスティナ人の中の善良な一般市民の皆さんも、早く戦争が終結しこれから10~20年かかっても、早く普段の生活を取り戻し、一日も早く御互いの憎しみが発展を享受する協力関係に変わります様に。
それらの国が日本と協力し苦境を乗り越えて仕事仲間に戻れる日が来ます様に。
戦中の対立関係や戦後の東西冷戦の価値感にも縛られず、下らない共産主義や資本主義等の価値感よりも共存共栄を個々の個性を認め合いつつ目指せる全く新しい世界的な価値観が出来たら良いな~。
20年後、日本でロシア人とウクライナ人が日本企業のパートナーとして共に発展を享受し、ユダヤ人とパレスティナ人と日本人が一致協力して生活を立て直し豊かになり、他の貧困にあえぐ国を救済する側に御金と人を注力出来る社会が出来上がっていたら嬉しいなと思います。
そしてアメリカは仁君として王道に軌道修正しアメリカ国内の貧困格差や薬物の乱用者増加や人種差別問題も解消し、同盟国を対等に扱い地位協定は対等な物になり、世界のリーダーとしての道を切り開き説得力のあるリーダーシップを発揮して世界を豊かにそして日本人はじめアメリカに憧れる映画のバックトゥザフューチャーやETやグーニーズを作っていた頃の様な明るいアメリカに戻っていたら嬉しいなと思う。
当然、その時にはアメリカの重工業軽工業が80年代の様に復興する必要が有るので、日本人もアメリカ人も当時の様に日本と台湾と韓国とアメリカで消費する物は、その商圏内で生産提供し合う商業工業農業の構造、当時の経済活動と生産活動の商圏に戻す必要があると思う。
そうすると必然的に農業もアメリカ日本は自国に生産力を回帰するから、農業畜産業も復興すると思う。
ロシアとウクライナは、EUの中で下らないアメリカに対抗して仲裁のリーダーの主導権争いの為にロシアにもウクライナにも良い顔して戦前の状態維持を阻止し両国民を故意に疲弊させたドイツとフランスに責任取って貰う必要が有ると思う。
彼等の経済活動とロシア・ウクライナの得意分野は競合するので親米商圏からドイツ・フランスには御退場頂き、交代してロシア・ウクライナに仲間に成って貰えば良いと思う。
そして1~2年後、ウクライナ復興とロシアの経済復興が始まり、10年~20年かけて両国友好関係の再構築と全ての経済活動に日本企業と日本政府が寄与する時、その時に自分が今学習してる資格で、少しでも社会貢献出来たら嬉しい。
トランプさんは大統領に成ったらドイツとフランス嫌いだし、嫌がらせマクロンにされたし、おのずとそうなる可能性も有るし。
ロシアとウクライナに関しては、双方に賠償金を放棄して貰い、それ以外の全世界で双方の国の復興と発展に協力するべきだと思う。
その過程でロシアとアメリカには世界のリーダーとして、全く新しい価値観の世界構築で協力し、御互いの過去を捨て去り、日本とも同盟国に成って欲しい。
当然、その時に役に立たない国連は破棄して、環太平洋と北極海の同盟圏で平和な社会を確立して領土的野心持つ覇権主義を進もうとする国と、その国に追随する利己主義の国に対しては参加拒否して貰いたい。
近代や近世の歴史文化としては大切にしても良いけど、当時の軍事的な対立や価値感や冷戦時代の世界観を現代にひっぱるのはおかしい。
世界が平和で豊かに、富む者が立ち直ろうとする弱者を手助けして仲間に出来る社会になりますように。
ついでに個人的にも普通の家庭的な夫や父、叔父、そして知識共有する側として高い評価を得られる人材になれていたら嬉しい。
今週末、土曜日にこの記事⤵の続きを書きます。
先ずは河村城を紹介するつもりです。
書けたら深沢城も書きたいかな。
では、皆さん、健康に気を付けて充実した時間を過ごされてください!
応援してますよ!小生も頑張ります。
ギックリ腰になりました。
実は先々週末に左足首を捻挫して、庇いながら歩いたり仕事して腰のバランスがおかしく成ってたらしく、先々週末に朝から夕方17時過ぎまで休憩昼の30分だけで授業複数科目1日中座ったままでいたら見事に腰痛になりました。
で先週、こんどは腰痛を庇いながら仕事してたら、腰ピキッと仕事中にやりました。
そんでも月曜、火曜と我慢して仕事したら一昨日火曜に帰宅後、今は母が入院中でして家の中もシーンとしてるのですが、父と食事の準備して、風呂入って、自室のフローリングの床に座って卓袱(ちゃぶ)台でPC開いて教科書開いて夜中まで勉強してたら坐骨神経痛に成ってしまい、翌朝(昨日)も治らなかったので仕事を休ませてもらいました。
ちょうど、母が入院中の病院が整形外科もある一般外来も受付してる所だったので、父が母に面会に行く際に車に同乗させてもらい病院に行く事が出来ました。
今日は昨日よりだいぶマシで歩く事は何とか出来る程度に治ったのですが、やはりちゃんと回復させないと又悪くなるので今日も仕事を休ませてもらい、昼過ぎまで布団からも出ずに股関節と腰椎の筋肉を柔らかくするストレッチをした以外は寝て過ごしました。
夕方過ぎ、痛みは若干ありましたが漸(ようや)く椅子にも座れ歩行も普通の速度で出来る程度に回復したので、風呂洗って二人分と食事作って、父がちょうど病院から帰って来て、自分が先に風呂に入らせてもらい、食事してから床では無くて椅子に座って机で課題をやってました。
その休憩中にインスタにささっと書いた事に少し手を加えた内容が以下の通りです。
Instagramはリア友しかいない鍵垢にしてしまったので、非公開なのでコピペし少しブログ用に手を加えます。
2017年 材木座旧飯島村の海~御霊神社
1~2枚目
地元の高校生が後ろ姿のモデルに成ってくれた写真。
3~4枚目
現在の逗子マリーナの横、昔は飯島村と呼ばれた材木座と小坪海岸の間の地域の海。
5~7枚目
鎌倉市坂下地区の御霊神社。
この写真を撮影した頃はInstagramもやってなくて、フォロワーの風景写真のプロやセミプロの写真家の知り合いもいなくて、マジックアワーの概念さえ知らなかった。
1~2枚目は一番好きな富士山遠景の写真、風景は人がいると物語が出来て素敵に成る場合も有ると思った切っ掛け。
撮影してる場所の、直ぐ横が源実朝が当時は南宋だった中国に渡航しようと船を造船させていた材木座海岸で、そこには和賀江島の跡の崩落した積石の浅瀬が広がっている。
ここは何回も小生がビュースポットとして記事にしている場所。
最後の写真3枚の坂下地区の御霊神社は今では御祭神は鎌倉景正公だけど、本来の御祭神は鎌倉景正公の御先祖の平良文公や平高望王、葛原親王や桓武天皇の歴代坂東平氏の御先祖を祀っていた神社。
司馬遼太郎さんが執筆した「街道を行く」 シリーズの「三浦半島記」を書く時にこの辺りを歩いて観光してる様子が登場する。
この辺りも当時頻繁に歴史散策をしていたので数回記事に書いている。
この年は、前年まで平良文公以来、坂東平氏嫡流の村岡家最後の御当主の小林宮司(旧姓村岡)が旦那様との間に子供が生まれず御高齢になり旦那様の介護のために千数百年間続いた村岡家から宮司家が現在の熱海出身の一般人家系出身の宮司様に変わった最初の年だった。
小林宮司には坂東平氏と源氏の関係性を「主従」とする学者の認識が間違っている事を坂東平氏の武家の方々の立場から主従ではなく「協力者(坂東平氏)とリーダー(源氏嫡流)」だよ、と言う事など色々と教えて頂いた趣味の歴史の恩師の一人に当たる方。
尊敬する歴史偉人の御名と御朱印を色紙に拝受し今も尊敬する歴史偉人の御分霊代わりに毎朝拝む習慣が出来るきっかけに成った人だった。
平成二十六年(2014年)八月三十一日に拝受してる。
ちょうどブログ書き始めた頃かな?
どうやら同日に小生が好きな戦国時代開始の切っ掛けを作った武将の一人で最後の鎌倉公方の足利持氏公と御子息の足利成氏公の忠臣だった宅間上杉家の開いた横浜随一の学問の神様である永谷天満宮でも御朱印を拝受してるので、先に永谷天満宮を参詣して郷土の知恵の神様の御朱印を拝受してから、やはり横浜市栄区出身の長尾家(上杉謙信の祖先)の、更にその御祖先の鎌倉景正公の御朱印を真っ先に拝受に行っていた様だ。
この御朱印帳は、神奈川県で初購入した思い出の御朱印帳で今でも継ぎ足し「延喜式内社以外の神社用」として使っているものだが、小林宮司が兼務されていた佐助稲荷神社で購入した物だった。
ここで購入した御朱印帳・・・
ページ継ぎ足し使ってたら現在は厚さは三冊分+α(自作ページ)、片面約80ページ。
御朱印帳については御朱印帳の外装を変える工作方法等も記事を書いているので興味の有る人は読んで欲しい。
話を元に戻すと・・・
冒頭の海の写真は新しい宮司様に御挨拶兼ねて御霊神社に御朱印拝受に行った帰り、材木座に立ち寄った。
その時に拝受した御朱印。
平成二十九年(2017年)の今日。
そこで偶然、青春っぽい地元女子高生二人を見かけて、「二人の仲良しの姿と富士山と夕焼がとっても絵に成るから写真撮らせて!」と交渉したら快諾してくれて、御礼に二人のスマホにも写真を撮影してあげた。
この頃は転職した頃だった。
その前は自動車部品の技術営業職だったけど、リーマン破綻で2人分の営業の仕事と解雇されたアシスタントオフィスワーク引き継がされて毎日17時半にタイムカードを無言の圧力で切らされて朝の6時頃まで働いて、社員寮でシャワーだけ浴びて2時間寝れたら良い生活が3ヶ月続いて過労で医師から3ヶ月休めって診断書かかれて仕事辞めて、そんで始めた電動バイクの輸入販売が上手く行かず、廃業して転職して、平日休みの日も有り資格の勉強もしてなかったし時間も有った頃だった。
まぁ、2019年からなんか色々と資格とり続ける人生に変貌したのだけど。
だからこの頃はブログ素材の取材にあちこちの「歴史史跡」巡りを凄まじい件数してた頃だった。
この頃はライブドアブログの旅行全般カテゴリーで毎日5位以内に入ってた。
年末年始は1位常連だったし
今は全然、資格の学校通いだしてブログ更新しなくなったら20位前後彷徨ってる。
んで、今日はギックリ腰で休んでたら色々とこの10年振り返る時間が有って、2014年頃の事とか当時の彼女さんの事とか思い出してた(笑)。
正月も残り6日で終わり如月(2月)に成ると、本来の旧正月の春の節句が来ますね。
梅の綺麗な季節が来ます。
皆さんにとって実りある残り1週間、そして充実した2024年に成ります様に!
そして戦争が早く終わり、平和で経済と精神的な豊かさの発展と日本の同盟国と同盟有無問わず親日家の皆さんと、日本文化と日本の歴史を大切にする人々と、宗教国籍人種問わず善良で実直な方々にとって幸福の多い1年になりますように。
能登半島の人々が早く普通の生活に戻れます様に。
熊本地震、東日本大震災の被災者で生き残った方々も新たな平和で楽しい時間がたくさんあります様に。
ロシアとウクライナ、ユダヤ人とパレスティナ人の中の善良な一般市民の皆さんも、早く戦争が終結しこれから10~20年かかっても、早く普段の生活を取り戻し、一日も早く御互いの憎しみが発展を享受する協力関係に変わります様に。
それらの国が日本と協力し苦境を乗り越えて仕事仲間に戻れる日が来ます様に。
戦中の対立関係や戦後の東西冷戦の価値感にも縛られず、下らない共産主義や資本主義等の価値感よりも共存共栄を個々の個性を認め合いつつ目指せる全く新しい世界的な価値観が出来たら良いな~。
20年後、日本でロシア人とウクライナ人が日本企業のパートナーとして共に発展を享受し、ユダヤ人とパレスティナ人と日本人が一致協力して生活を立て直し豊かになり、他の貧困にあえぐ国を救済する側に御金と人を注力出来る社会が出来上がっていたら嬉しいなと思います。
そしてアメリカは仁君として王道に軌道修正しアメリカ国内の貧困格差や薬物の乱用者増加や人種差別問題も解消し、同盟国を対等に扱い地位協定は対等な物になり、世界のリーダーとしての道を切り開き説得力のあるリーダーシップを発揮して世界を豊かにそして日本人はじめアメリカに憧れる映画のバックトゥザフューチャーやETやグーニーズを作っていた頃の様な明るいアメリカに戻っていたら嬉しいなと思う。
当然、その時にはアメリカの重工業軽工業が80年代の様に復興する必要が有るので、日本人もアメリカ人も当時の様に日本と台湾と韓国とアメリカで消費する物は、その商圏内で生産提供し合う商業工業農業の構造、当時の経済活動と生産活動の商圏に戻す必要があると思う。
そうすると必然的に農業もアメリカ日本は自国に生産力を回帰するから、農業畜産業も復興すると思う。
ロシアとウクライナは、EUの中で下らないアメリカに対抗して仲裁のリーダーの主導権争いの為にロシアにもウクライナにも良い顔して戦前の状態維持を阻止し両国民を故意に疲弊させたドイツとフランスに責任取って貰う必要が有ると思う。
彼等の経済活動とロシア・ウクライナの得意分野は競合するので親米商圏からドイツ・フランスには御退場頂き、交代してロシア・ウクライナに仲間に成って貰えば良いと思う。
そして1~2年後、ウクライナ復興とロシアの経済復興が始まり、10年~20年かけて両国友好関係の再構築と全ての経済活動に日本企業と日本政府が寄与する時、その時に自分が今学習してる資格で、少しでも社会貢献出来たら嬉しい。
トランプさんは大統領に成ったらドイツとフランス嫌いだし、嫌がらせマクロンにされたし、おのずとそうなる可能性も有るし。
ロシアとウクライナに関しては、双方に賠償金を放棄して貰い、それ以外の全世界で双方の国の復興と発展に協力するべきだと思う。
その過程でロシアとアメリカには世界のリーダーとして、全く新しい価値観の世界構築で協力し、御互いの過去を捨て去り、日本とも同盟国に成って欲しい。
当然、その時に役に立たない国連は破棄して、環太平洋と北極海の同盟圏で平和な社会を確立して領土的野心持つ覇権主義を進もうとする国と、その国に追随する利己主義の国に対しては参加拒否して貰いたい。
近代や近世の歴史文化としては大切にしても良いけど、当時の軍事的な対立や価値感や冷戦時代の世界観を現代にひっぱるのはおかしい。
世界が平和で豊かに、富む者が立ち直ろうとする弱者を手助けして仲間に出来る社会になりますように。
ついでに個人的にも普通の家庭的な夫や父、叔父、そして知識共有する側として高い評価を得られる人材になれていたら嬉しい。
今週末、土曜日にこの記事⤵の続きを書きます。
先ずは河村城を紹介するつもりです。
書けたら深沢城も書きたいかな。
では、皆さん、健康に気を付けて充実した時間を過ごされてください!
応援してますよ!小生も頑張ります。