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タグ:小机城

26日の土曜日は小机城址の竹灯籠祭りが開催されます。
ポスターの通り凄く綺麗で幻想的な景色を見る事が出来ます。
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 開催場所:小机城址市民の森  入場受付:26日(土)17:30~19:30※雨天時は27日に順延。CIMG7555

上記記載の住所をクリックすればGoogleMap上で場所を確認出来ます。スマホならそのままカーナビや乗換案内としても使えます。
天候による順延などは上記掲載URLから日本の竹ファンクラブ❞ホームページで御確認下さい。
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過去にも紹介記事を書いていますので、記事のリンクを掲載して置います。
文字の大きいのが記事の題名です。題名をクリックすると解説に飛びます。


御祭りの様子を写真で紹介した記事
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下のリンクは小机城と城の武将を紹介した記事です。
以前のポスター⤴️
本当に綺麗だから電車で来れる距離の人は見に来た方が良い!

昼から来るなら新横浜ラーメン博物館にも合わせて行けますしね。
良いレクリエーションに成ると思います。

ただし城址なので「歩きやすい靴」と「汚れても良いズボン」で行くのがオススメです。

屋台も出ますよ!
雨天は27日に順延だそうです~。

横浜市港北区の慶応大学日吉キャンパスは戦国時代~太平洋戦争にかけて重要な❝城砦❞だった事を知っている人は横浜市民でも今では余り多くは有りません。
日吉キャンパスの地下には❝地下迷宮❞とも言えるトンネルを張り巡らせた地底基地が存在し、第二次世界大戦中に横須賀鎮守府から逃げて来た帝国海軍本部が置かれ海軍の幹部達が終戦直前まで作戦を立てていた大規模な司令所として機能していました。ですから石原裕次郎サンが若い頃に主演した映画では日吉キャンパスがロケ地に成っているのですが、海軍司令所の換気口の煙突が大学のグラウンドに残っている風景が見切れていたり(笑)するんですよ。
矢上城地形 色別立体図&Googleearth合成久良岐のよし
※国土地理院色別立体図&Googleearth合成
上の画像は色別立体図と言われる地形を見やすく色分けした地図で、国土地理院が制作した物ですがネットで誰でも自由に閲覧する事が出来ます。
この画像を見て頂けると一目瞭然ですが、日吉~矢上の丘は鶴見川支流の一つの比較的な大きな河川である❝矢上川❞に東側と北側を囲まれ、南側は急峻な崖地で実に守りの堅い地形に成っています。
この地形に大戦中の海軍が目を付ける以前、実は既に戦国時代の名将がこの地に❝矢上城❞と言う城を築城して居城としていました。
その武将が小生のブログでも何回か紹介している小田原北条家の官僚型武将の中田加賀守で、記録の残らない戦国時代末期には3万石相当の代官を務めていたと地元や関係する寺院に伝承する北条家の大物武将の一人でした。正確には状況的に室町時代末期には北条家の大軍団の一つで軍旗を白い旗で統一した白備え隊小机衆と呼ばれる横浜市港北区小机の小机城を拠点にした軍団で重臣として勤務した後、安土桃山時代に成ると北条家滅亡直前には世田谷衆とも言うべき北条家従属大名の蒔田吉良家の与力家老として転属していた様です。
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写真は横浜市港北区の小机城址で毎年桜の季節に行われる小机城址祭り。港北区長が小机城代の笠原信為公に扮して行われる祭りです。
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小机城は横浜市教育委員会が保護を怠り半分が高速道路と鉄道建設で消失しましたが、今でも残存部分の保存状態が良く❝続日本の100名城❞の一つに選ばれたりしています。
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その小机衆として活躍した中田加賀守が3万石の勢力を誇ったのは何とな~く解る程度しか文献の記録は残っていません。なんたって北条家の記録は豊臣秀吉に負けたせいで余り残らなかった上に、後に関東を統治した徳川家が政治力無くて江戸時代中期に成っても関東の領民が旧北条家臣団と北条家の善政を慕っていたせいでヤキモチ(笑)やいていたってのは幕末の勝海舟サンも認識していた事実ですからね~。
徳川家臣団が入ってくると北条家の史料は更に無くなってしまった様です。
今回はそんな中田加賀守の居城だった慶応大学日吉キャンパス=矢上城跡と、そのキャンパスの下に今も現存する中田加賀守の菩提寺の一つの谷上山保福禅寺と言う曹洞宗の御寺を紹介したいと思います。

以前、中田加賀守については紹介した別の記事も有るので、興味が有る方は下のリンクから過去記事を御覧下さい!
※記事タイトルをクリックすると過去記事にリンクします⤵
補陀山 正觀寺は北条家の吏僚、中田加賀守の菩提寺
・・・保土ヶ谷区東川島町

川崎市の井田城は小田原北条家の吏僚中田加賀守の城?
・・・川崎市高津区蟹ヶ谷~中原区井田。

❝続日本百名城❞の1つ小机城は城主北条幻庵公と城代笠原信為公が率いた北条家白備え隊後の小机衆の拠点。・・・横浜市港北区小机
今回は中田加賀守が戦国時代に開いたと伝わる保福寺を先ず紹介して、その後で御城の説明をしたいと思いますが・・・
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谷上山 保福禅寺(略称:保福寺)
・・・中田加賀守の戦国時代に矢上城跡の慶応大学日吉キャンパスと矢上キャンパス周辺がどんな感じだったのか先ずは少し現代の国土地理院色別立体図の地形上に周辺の御城の位置を表示して確認して戦国時代の流通の御話しからしてみましょう~♪
神奈川県東部の城 久良岐のよし
この画像は国土地理院色別立体図に神奈川県東部の主要な御城を表示して有ります。
矢上城は画面右上辺りに表示されています。
北条家はだいたい3キロ毎に一つの御城を建設して防衛に当たりました。まぁ、だいたい半径1.5km毎に地域を統治する役所としても機能していたんでしょうね~。そしてこの直線距離3㎞と言う距離は烽火台(のろしだい)として煙を確認出来る距離でもあるので、敵軍が攻めて来た時に早急に北条五色備えと呼ばれた初期の五軍団や、後の八王子衆・津久井衆・小机衆・玉縄衆・江戸衆と言った各軍団に情報伝達し迎撃態勢や攻撃態勢を整える役割も果たしていました。
そして地形を見ると一目瞭然ですが、全ては房総半島や鶴見川や多摩川上流の敵勢力、扇谷上杉家や山内上杉家(上杉謙信が継いだ家)や里見家と言った敵勢力の経済活動を阻害する様に配置されています。
何でこの御城の位置関係が敵勢力経済活動の妨げに成っていたか?って余り歴史に興味が無い人は思いますよね~?
実は大正時代ぐらい迄は物流の❝水運❞が占める割合はとても高く、特に明治時代以前は主たる流通網は海も内地も全て船や筏(いかだ)による運搬だったんですよ。
しかも北条家の城は大河川の渡河地点近くに設置されていますから、敵が攻めて来れる川の渡し場の先に城を築城して迎撃態勢を万全にしてあった訳です。
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大師の渡し川崎の多摩川なんかは今は橋を渡れますが、江戸~明治時代は川崎大師の前に大師の渡しと言う船着き場が有って船でしか渡河出来ませんでした。明治に成ると現在の羽田空港敷地に在(あ)った穴守稲荷神社への直行便が大師の渡しから出ていたりしましたが、実はこの大師の渡し場は戦国時代には主要な渡し場ではなくて現在の川崎駅近くに北条家臣間宮家の川崎館跡地の堀之内地区があり、その周辺まで海が入り込んで来ていて渡し場もその付近だった様です。
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瑞龍山 宗三寺
その城館の有った辺りが宗三寺で、この御寺の寺号も間宮信盛入道宗三公の法名に由来しています。周辺の地域が❝堀之内❞なのは北条家臣間宮家の城館を取り囲む水堀の内側の地域で城跡だった事に由来しているんですね。
直ぐ近くには京浜急行とJR線の川崎駅が在り、江戸時代にも東海道の川崎宿となり砂子商店街が今も残りますが戦国時代から流通の拠点だったので流通網を抑える地域に城が設けられた訳です。もっとも、この場所は元々は鎌倉時代の名将で間宮一族の名目上の祖先として仰がれた佐々木高綱公の城館跡で、後に佐々木高綱公の甥の系統の佐々木泰綱公が領主に成っている事が鎌倉時代の古文書や宗三寺の梵鐘の文字から判明しています。つまり鎌倉時代から交通の要所だったみたいですね。
そして矢上城ですが・・・
矢上城周辺色別立体図 久良岐のよし
御覧の通り、鶴見川の上流を抑える位置に在ります。ここを抑える事で上流の川崎市麻生区を拠点にしていた扇谷上杉朝興公の海運の通商を阻害出来たんですね。そして川崎市麻生区~稲城市の❝よみうりランド❞に在った小沢城を居城にした扇谷上杉家当主の上杉朝興公は討死して神奈川県域から扇谷上杉家の勢力は駆逐される事に成りました。つまり物流と地形的な観点から経済的にも軍事的にも重要な場所が矢上城だった事が解かります。
そんな場所なので戦国時代末期には3万石相当の代官を務める北条家重臣に成っていた中田加賀守公は矢上城を居城にしたようです。
Googlemap矢上城址付近 久良岐のよし
とっても険阻な台地が矢上川に守られる地形なのがGooglemapでも良く解りますね~。
さて、ここから先は又、続きの記事で紹介したいと思います。
次に続く⤵
北条家重臣中田加賀守の菩提寺保福禅寺と居城矢上城の解説②
・・・保福禅寺の解説。




今年も戦国時代の小田原北条家の白備え隊、小机衆と言う軍団の拠点だった小机城で日本の竹ファンクラブにより「小机城址市民の森 竹灯籠まつり」が開催されます。
本稿の最後の方で小机城で活躍した記録の残る武将達の紹介もしますが先ずは、御祭りの紹介を!
小机城址市民の森竹灯籠まつり 日本の竹ファンクラブ公式より転載
竹灯籠まつり詳細は以下リンクへ!
日本の竹ファンクラブ 小机城址市民の森竹灯籠まつり
Twitterに途中経過も掲載されていますので御興味有る方は御覧下さい!


さて、小机城址の竹灯籠まつり、余り御存知無い人の為に一応、過去の竹灯籠まつりの写真と、小机城に関するブログ記事リンクを掲載して置きます。



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以下、小机衆だった主だった武将の名前です。
【小机衆】
[歴代城主]
●北条 長綱公=入道号:幻庵宗哲
本光院殿(玉縄城主北条為昌)没後にその遺領も預かる。北条家の宿老で軍師。箱根権現(現:箱根神社)の別当を務め、彼の所領の傍には風魔忍者の屋敷が有った伝承が有る事から風魔忍者を統括していた事が読み取れる。
●北条 時長公(幻庵公実子)・・・早世
●北条 氏尭公・・・北条氏綱公の四男で北条幻庵公の甥に当たる。
[城代家老]
●笠原 信為公・・・官途は越前守。北条五色備え:白備え隊軍団長。小机城城代。大曾根城主。
鶴岡八幡宮再建では総奉行を務めた。北条為昌公の烏帽子親。詩歌に精通した風流な武将だった。
小机城近くに曹洞宗の父の菩提寺として雲松院を開いた。大倉山の龍松院の前身とされる文殊堂を開いたのもこの人物かと推測出来る。
●笠原 康勝公・・・官途は能登守。小机城代。大曾根城主。笠原信為公の実子。
弘治三年(1557年)に笠原信為公が没し菩提寺の神大寺に葬られると軍団と城代を継承した。大倉山に龍松院を開いた人物とされるが父の代に開かれた文殊堂を本格的に寺院化した人物と思われる。
[軍団重臣]
●笠原 弥十郎・・・領地は足柄上郡開成町岡野と静岡県田方郡修善寺町田代。
姓と出身地から推察するに笠原信為公の親類だろう。しかし諱(元服後の名前)は不明。
●金子 十郎 ・・・官途は出雲守。篠原代官(横浜市港北区東部を統治)、篠原城代。
●小野 与三郎・・・八朔代官(横浜市緑区北部~青葉区南部を統治)。
●陰山 又六 ・・・本郷代官(横浜市港北区小机町~都筑区南東部~緑区東部を統治)。
●遠藤 兵部丞・・・猿山代官(横浜市緑区中部を統治)。
●神田 次郎 ・・・官途は左衛門(尉?)。領地は静岡県三島市内旧字名が長溝と平塚市土屋辺り。
●曽根 外記 ・・・領地は横浜市都筑区東部とセンター北駅周辺と川崎市中原区宮之内辺り。
●座間 弥三郎・・・茅ヶ崎城(都筑区茅ヶ崎)城代?官途は豊後守。領地は横浜市都筑区茅ヶ崎。
●猿渡 内匠助・・・佐江戸城(都筑区佐江戸)代?領地は横浜市都筑区佐江戸町。
●中田 加賀守・・・矢上城(慶應大学日吉キャンパス)城主、井田城城主?吏僚。領地は川崎市幸区鹿嶋田~中原区大倉町一帯と中原区下小田中一帯の他、保土ヶ谷区中央西部~旭区東部一帯、横浜市港北区北東部~川崎市西北部一帯。
下総国印旛郡臼井城主の千葉家分流臼居家に姫を嫁がせる程の家格を有した武将。元は太田康資公の家臣だったので祖先は太田道灌公の代以前からの太田家臣だったのだろう。太田康資公の北条家謀反後に北条直臣に成り、小机衆を経て北条家臣化した蒔田吉良家の与力と成った様だ。
●二宮 播磨 ・・・領地は埼玉県狭山市青柳周辺。吏僚。
恐らく延喜式内社相模国二之宮の川勾神社宮司家一族。小机城から程近い浄土宗の中本山格を有す小机町~緑区東本郷の区境に存在する泉谷寺を北条氏綱公と供に開いたとされる二ノ宮織部丞の子か?
二宮金次郎尊徳公の祖先の同族とも推測出来る。又、二宮家には間宮家から養子が入っているので間宮林蔵や杉田玄白とも祖先が同族である可能性が有る。
●市野 助太郎・・・領地は茅ヶ崎市赤羽周辺。市野四郎の近親か?
●市野 四郎 ・・・官途は左衛門(尉?)。市野助太郎の近親か?領地は助太郎と同じ域内。
●市野 弥次郎・・・領地は港北区日吉本町。
●田中 伊蔵 ・・・領地は川崎市麻生区万福寺(新百合ヶ丘駅周辺一帯)。
・・・この他にも沢山の代官や北条家の被官が居ますが挙げていたらキリが無いのでひとまずこれまで。
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小机城で活躍した現在では名も知られない武将達の御子孫達が横浜市の行政による宅地開発に抵抗し守って来てくれた小机城の城址で毎年開催される風流な竹灯籠まつり、皆さんも楽しんでみませんか?

横浜市港南区野庭と言う場所は、昔は鎌倉郡域だった場所で、そこを開拓したのは千葉家傍流の臼居と言う一族だった。
元は千葉家の分家で印旛郡臼井城主を祖先に持つが、千葉家臣の原家に城を乗っ取られた頃に臼居一族は野庭に移住し、小田原の北条家に臣従した。
その頃に臼居家が建てた神社が今も在って、‟カテゴリー神社”で“野庭神社”の記事として少し書いた野庭蔵王権現御嶽社だ。
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野庭の臼居初代は杢右衛門と言うが、この杢右衛門さんの奥さんが東急東横線日吉駅辺りの殿様の中田加賀守の御姫様で、先日、この中田加賀守の事を纏めた論文を目にする機会が有ったので、コピーを臼居家の子孫の“cafeこやぎ”の御店主の所に持って行ってあげた。

29日土曜日は、そんな訳で午前中は家でうだうだし昼からは野庭に行った…
こやぎでは論文のコピーを持って行くと喜んで下さり、暖かい麦茶を1杯頂いてから、近くの野庭神社と浄念寺を御参りした。
最初に野庭神社(蔵王権現御嶽社)を参拝し、前回訪問は夕方だったので改めて明るい時間の写真を撮り直した。
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旧鎌倉郡の神社なので、丘の多い地域の谷間に御社があり、石段の腐食具合も鎌倉のソレに似ていて趣が有る。
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小さな御社だけど、瓦葺で江戸時代の当地への遷座再建とも造りには歴史と整合性が有る。
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神社仏閣や偉人の御廟所で祈願する事は決まっている。
神社仏閣と歴史史跡の保護で少しでも世間様の御役にたてれます様に、そして出来れば人として普通の幸せも経験できます様に、国籍人種問わず世界中の親日家の民草が平穏に無事に過ごせます様に、いつも神様仏様に御参りする。
野庭神社で臼居杢右衛門サンにも御参りしてから、臼居家が建てた浄念寺に移動した。
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 ここは正式には蔵王山正定院浄念寺と言う。
野庭神社から直ぐ近くに在るのだが、まだ写真撮影に来た事が無かったので御参りしに行って見た。
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階段を上ると左手に本堂とは別の御堂が在る。
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そして階段の正面が本堂。
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谷間の目只ない場所に在るが、流石に在郷武士の建てた御寺だけあり規模は小さくない。
御住職様がたまたま法要後は御手隙だったとの事で今日は色々と御親切に臼居家の事や初代御住職と鎌倉光明寺との関係を御教授頂いた。光栄な事に臼居家の家譜が記された原本写しも見せて頂く事が出来た。
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ひとしきり御住職様と話し込んだ後に周辺の谷間を散策して一度帰宅し、今度は小机城址に移動した。
夕方17時半から小机城址で竹灯籠祭りが開催されるので、それを見る為だった。
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先日、母が大病を患い、もっと多くの時間を一緒に過ごさないといけないなと思い、母にもこの風景を見せてあげたくて一緒に行くか聞いてみいた所、興味を示したので例年は友人を誘うのだが、今回初めて家族を連れて来た。
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受付を開始した頃に少し雨が降り始めたが「ポツリ」・・・又「ポツリ」と言う程度だったので祭りも中止にはならなかった。
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竹の灯篭が城の切岸や空堀の壁面に生えた竹を綺麗に浮かび上がらせる・・・
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雨天に成ったが人の足は少なくなく、逆に今年は天候を危惧して入場者の誘導道を捕捉していた分、渋滞してしまったようだ。
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今年は前日の雨天のせいで灯篭の準備も例年より少ないが、見せ方をカラフルにしており綺麗だった。
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この行事に毎年参加している城郷小学校の生徒さん達の協力にも頭が下がる。
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こう言った活動を通じてもっと日本中の城址や神社仏閣等の歴史史跡の保護に成れば良いなと思うんだな。
小生は小生で個人でもっともっとやれる事をやりながら、諸先輩方のアドバイスを頂いて荒廃する神社仏閣と城址と、そこに関わった先人達記憶と教訓を後世に伝えたいと思いを強くした1日でした。

今年も竹灯篭綺麗だった。


 

第13回 小机城址市民の森 竹灯籠まつり
今年も開催されます!
竹灯篭祭公式様 借り物 久良岐のよし
この祭り、めちゃめちゃ綺麗だから是非にも足を運んでみて下さい!
【2016年度開催日】
10月29日土曜日※雨天順延

【アクセス】
JR横浜線 小机駅から徒歩5分。
車で行く場合は日産スタジアム付近に臨時駐車場が設置されます。
主催するボランティア団体「日本の竹ファンクラブ」の公式ホームぺージは「コチラ」←クリック!
詳細は上記の公式サイトをご覧ください。

戦国時代に北条幻庵公達が城主を務め、笠原信為公が城代を務めた小机城址に5000本近くの竹灯籠を設置して夜に竹林を浮かび上がらせます。
その幽玄な景色は他では見られない神秘的な物です。
そして子供も喜ぶ笹団子や焼き鳥等の食べ物や竹製品の物販も行われていて、老若男女問わず足腰健康なら皆楽しめます。
※小机城を詳しく知りたい方は以下の過去記事もタイトルクリックして御覧下さい。


他にも関連記事を書いてますが、上の二つの記事が小机城と周辺に関して良く解ると思います。

さて、昨年までの竹灯篭祭の写真も少し掲載します。

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だいたい皆さん18時頃から見に来るみたいです。
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少し暗いですがとても神秘的。
ただ、城址で戦国時代の土の城なので、スポーツシューズやトレッキングシューズ等の歩き易い靴、ジーンズ等の長ズボンで雑木林対策を十分にして行く事をお薦めします。
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工芸品の様に細工された灯篭等も沢山あり綺麗です。
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城の空堀や切岸を灯篭が浮かび上がらせます。
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笹団子と抹茶も美味しい!
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小生が推薦する夜祭の一つです。
もう直ぐ伊勢原市大山の灯篭祭も始まります。
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※大山ケーブルの秋季特別夜間運行は「公式ホームページ」←ココから御覧ください!
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 ←以前書いた祭の紹介記事
ついでに大山は日本酒と豆腐料理が名物なので以前の記事も紹介します。

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←クリックで!

大山夜間ライトアップ 公式拝借 久良岐のよし
とにかく綺麗なので、是非、訪れてみて下さい。
※車で行くと必ず渋滞し間に合いません。電車で伊勢原駅まで行き、そこからバスで移動し、渋滞にバスが嵌まったら麓(ふもと)から徒歩で登山してケーブルカー駅まで行く事をお薦めします。

そして他の紅葉の名所も・・・
大雄山最乗寺も綺麗に朱に染まります。
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【紅葉状況:2015年】神奈川県内の紅葉名所の11/18現在の状況と見頃予測。←昨年の今頃纏めてた紅葉の名所紹介記事。
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昨年は気温が高く色づき悪いまま枯れてしまう樹も多かったのですが、今年は涼しいのできっと綺麗に色づくでしょう。
鎌倉の紅葉も綺麗ですよ!
お薦めは浄明寺地区。
中でも浄妙寺は特に良い。
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下の写真の綺麗な庭園を見ながら抹茶も頂けます。
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そして報国寺。
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こちらは竹林で有名な御寺です。ミシェランガイドでも三星。
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奥の草庵でゆっくり時間を過せます。
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抹茶付の拝観券を購入すると、ここで抹茶と落雁を頂きながら風景を楽しめます。
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東京都世田谷区の豪徳寺も紅葉が綺麗です。
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豪徳寺は蒔田吉良家の居城、世田谷城址に在った寺院を、江戸時代に大名の井伊家が菩提寺に定め拡張して庭園を整備しました。
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これからは秋の風物詩が楽しみですね!

では!次は神社仏閣城址の解説記事で御会いしましょう!

先週末
土曜日は某博物館の図書館へ絶版の資料文書を漁りに…

翌日午前中
小机城址祭りを例年通り見物。
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港北区長サンの演じる北条家五色備えの白備え隊の大将:笠原信為公は今年も武将然として男前だった。
この区長さんは渋いイケメンだな。
笠原信為公は詩歌に造詣が深く文化人であったと同時に、大曾根城主・小机城と白備え隊の代官だった方で合戦の実績も豊富。そして鶴岡八幡宮再建の大事業等でも総奉行を務めたズバ抜けた実務能力の持ち主だった。
今の港北区長さんは外見も笠原信為公に相応しい。

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今年は雨が降らずに良かったですね、武者行列の参加者御一同…
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う~ん、女武者も凛々しいぞ!
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そして今年の個人的MVP…
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今年の御姫様役の地元の先生、めっちゃ可愛い(笑)!
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侍女さんかな?この方もおしとやかな雰囲気で和装が良く似合う。
今年は天候にも恵まれて、申し分の無い御祭りが開催出来たようだ。

苦言を一つ。
防子委員長、今年も城址祭りのアナウンスで、石垣城では無い小机城を石垣城と勘違いしたまま解説文章読み上げるのは「横浜市の恥」なので、早く改善して下さい。


京都から歴史好きな人物が京都から神奈川に出張してきてたので、横須賀を案内した。...
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大津町の信楽寺・・・
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坂本龍馬さんの奥さん御龍サンの菩提所。

走水神社・・・
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日本武尊と弟橘媛様神話の神社。
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一応、歴史の概略を伝え奥社まで案内した。
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奥社から走水湾の風景と走水海岸も案内した。
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本当に漁村。

かねよ食堂・・・
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走水海岸のお洒落なレストラン
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鮪のカルパッチョ
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鮪のフライ
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と、海鮮丼みたいな?三浦の鮪とシラスと芽若芽の丼。
相変わらず美味しい店だった。

その後、友人を駅まで送り届けてから、自分の仕事で移動…
京都から友人が来たので、自分の仕事有るのに案内したのは大変だったが、喜んでくれたのでまぁ、よし。

ブログネタ
旅に出よう! に参加中!
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今年も、横浜市港北区、新横浜近くのJR小机駅から徒歩5分、戦国時代の御城、小机城の城址公園で「竹灯籠まつり」が開催されます!
※竹灯籠祭り日程などは日本の竹ファンクラブ公式ホームページココクリックして御覧ください
この御祭り、横浜市が他府県に誇るべき古今融合した素敵な夜景が見れる御祭りで、戦国時代の石垣の無い関東流の築城術でつくられた小机城址公園の空堀や各曲輪の切岸を夜陰に城址を埋め尽くす無数の幻想的な竹のキャンドルで浮かび上がらせます。
これは必見です。

過去の竹灯籠祭りの写真を集めた記事と、小机城を紹介した記事をそれぞれ書いているのでリンクはります。
そちらから竹灯籠祭りの幻想的な夜景がどんなもんか、試しに見てみて下さい!

●以前の竹灯籠祭りの写真を掲載したブログ記事ココ←クリック!
小机城を紹介したブログ記事「ココ←クリック!
城代だった笠原信為公の事績を紹介したブログ記事「ココ←クリック!

では!皆さん、御祭りですれ違うかも知れませんが楽しんで下さいね~♪

ブログネタ
春の花、どの花のどんな姿が好き? に参加中!
横浜市に「茅ヶ崎城址公園」と言う、奇跡的な保存状態を維持したまま公園化された御城の跡が在(あ)るのを御存知でしょうか?
史跡の保護と言うのは、その時の市長の文化度の高低によって左右されます。
例えば以前の市長さん達が文化や歴史に対する意識が高くても、一度(ひとたび)アフォで無文化な市長を選んでしまうと、それまで保存状態良く保たれていた史跡も無文化市長の政策で跡形も無く破壊されてしまいます。

特に横浜市は様々なタイプの市長が目まぐるしく変わりましたが、この茅ケ崎城址公園は地元民有志により奇跡的な保存状態が保たれた後、幸運にも高秀市長や中田市長の政策で公園化され、現在に至(いた)ります。

どの位に「奇跡的」な保存状態かと言うと、もう一枚、航空写真を見て貰うと良く解ります。
横浜市営地下鉄、センター南駅前の歓楽街が目と鼻の先に在るんですよ!
つまり、地域住民が土建屋の乱開発に抵抗し城址を守り抜き…
その後、再開発計画に参与した高秀市長や中田市長がたまたま郷土愛と文化度の高い市長さんだった奇跡の結果に成立した城址公園なんです!

徒歩で直ぐの距離には、義務教育の歴史で習う全国屈指の規模を誇る弥生〜縄文時代の遺跡「大塚遺跡」も在ります。
※写真は横浜市歴史博物館の展示物

で、更に同地域には徒歩圏内に横浜市歴史博物館があり、茅ヶ崎城址公園や大塚遺跡の出土品も展示されています。
横浜市歴史博物館については、いずれ改めて記事を書きたいと思います。

茅ヶ崎城址公園、小生は今回の訪問で2回目です。
今回は城址公園の写真撮影と、横浜市歴史博物館の企画展示を見学する為に再度の訪問となりました。

さて、上の写真の通り、茅ヶ崎城址公園はセンター南駅を東側に進むと目の前直ぐの「こんもりとした森」の様に見えているので誰でも辿(たど)り着(つ)けます。

今回、小生は歴史博物館に車を停めて、そこから川沿いに徒歩で訪問しました。
途中、河原には可愛らしい「菜の花」が群生し開花しており、天気は生憎の曇天でしたが心をパッと明るくしてくれました。
この川、「早渕川(はやぶちがわ)」と言う川で今でこそ河川改修工事され穏やかな流れですが、名前からしても…
早…流れが早く
渕…水深の深い渕(ふち)のある
…だった事が容易に想像出来ますよね。
この川が茅ヶ崎城の外堀の役割りを担っていた訳です。
川沿いには菜の花の他に、地元の方々から大切に守られ日々拝まれて来た「堰の元地蔵尊」と言うお地蔵様が鎮座してらっしゃいました。
別名「子育て地蔵」との愛称で呼ばれ、昔は七五三の御参りに来る親子連れが沢山いたそうです。
今でも河原を散歩する親子連れや塾通いの子供を見守って下さっていますね♪

さてさて、この川沿いの道を途中で南側の丘に向かうと、其処(そこ)に茅ヶ崎城址公園が在ります。

センター南駅側から来るなら、おそらく昔は城の一部だった円通閣と言う御寺さん側から入って来る事になります。

だいたい、この様な旧城域内の端には御寺が在り、昔は出城や殿様の屋敷が在った場所だったりするんですが…
伝承無く、更に無住職に成ってしまっている様なので詳しい話を教えを請うべき方が居らず、今では良く判りません…。

さて、城域の話題に触れたので、茅ヶ崎城の小生の想像する範囲を航空写真に赤線フチどりして見ました。
恐らく、この赤線が外堀と外郭だった範囲だと思います。

想定の参考にしたのは、事前に横浜市歴史博物館で見学した再開発直前の航空写真と↓コレね。

あと、城址公園にある茅ヶ崎城残存部の縄張り図にある等高線から重機ではない人の手による土木作業で削り出したと思われる地形と、その延長線上の予測から範囲内を想定しました。


ちなみに城址公園のある台地は城址らしく断崖絶壁に成っています。

下は消失してしまった郭(くるわ)と城址残存部の郭をつないでいた↓土橋の断面。
現在の城址公園は外郭(がいかく)部分が宅地化により消失してしまいましたが、それでも内郭に当たる主要部分の曲輪/郭(くるわ)群が状態良く保護されています。

城址に入ると、先ず北郭(きたくるわ)の平場が在ります。
此方(こちら)には公衆便所(笑)も有り、城址訪問の悩みの種のトイレに困る事も無く見学が出来ますよ〜♪。
小生、最初に来た時にこのトイレに助けられました…。
下は一応、説明文の写真。



北郭を抜けると正面に「中郭」にぶつかります。
今でも郭の高さ5mは有りますが、風化する以前の戦国時代は郭の上の土塁は今より1mは高く、更に今は遊歩道に成っている空堀は1〜2mは不可かったはずなので…
当時の高さは堀底〜土塁まで比高8m近く有ったはずです。

中郭を目の前に堀底道はT字路に成り左右(東西)に分かれますが、左の東郭側は本丸に当たり当時は直接登れないフェイクの道でした。

ですので正しい順路は右回り西郭側です。この↓道ね。

さて、城の本来の縄張り上の侵入経路を辿(たど)ると、その先に、此れ等の内郭群の防御拠点の虎(小)口と言う施設に行き当たります。
説明図の様に先に進む敵を左右の中郭と西郭から挟撃(きょうげき=はさみうち)にし、郭の上から防御側は弓矢鉄砲を雨あられと敵に打掛け殺害する訳です。

この虎口の道は先述の通り空堀の底です。
下の写真が虎口で、右手が西郭、左手が中郭です。
昔は中郭に侵入するには、防衛側に狙撃されながら道を進み遠回りするか…
この東西の郭に掛かっていた「引き橋」を渡るしかありませんでした。
しかし引き橋は戦時に収納してしまい、攻撃者の侵入を遮断してしまえます。
ですから、西郭の守りが危うくなると守備兵を中郭に撤退させ橋を引っ込めてしまう訳です。

下は西郭の入口です。
西郭に入ると下の写真の様に更に一段高い土塁が有り、中郭と同じ高さに至る構造に成っています。
今は薮化が激しく藪こぎしないといけないんですが…
 
…イテっ!と思ったら、写真の野バラがGパン越しに足に刺さってました。
皆さん、これから夏に近づきます、野バラだけでなく藪こぎする際はスズメバチにも気をつけましょう。

痛い植物も有れば、可愛らしい植物達も沢山さいています。

綺麗ですよね~♪


虎口を抜けると、いよいよ本丸の東郭へ続く中郭への進入口ですが…
 
恐らく、この道は公園化の整備を行った際に後から設けられた道だと思います。
根拠は土塁が無理やり切り取られている事と、こんな攻め込み易(やす)い構造にする訳が無いからです。
少なくとも、写真右手の遊歩道は無く急斜面と帯郭に成っていたはずと個人的に想像しています。
 
中郭南側には北条流の築城術特有の「二重土塁(にじゅうどるい)」と呼ばれる構造があります。
二重土塁とは土塁の内側に守備兵の待機スペースを更に一段設けた構造の土塁の事で、これにより守備側はしっかりした足場や弾薬補給役の兵士を配置できるので、鉄砲や弓矢で狙撃しやすくなる訳です。

東西北は一般的な土塁が設けられています。
戦時には、この土塁の上に柵列(さくれつ)を設け、更に其処に木盾や竹束を置き、攻城側の攻撃から身を守る事が出来る訳です。

上の写真は土塁の二重構造が解り易いですね。

 
この中郭は最大の面積がある郭で、此処では弾薬や兵糧を保管したと思われる倉庫の礎石や、食器の破片が発見されています。
下は説明看板。

これ等の出土品は横浜市歴史博物館で保管展示されています。

この他に、当時の生活で燃料にしていた炭の話の解説看板も有ります。
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で、中郭、実は本丸ではなく、更に奥に指揮所だったと思われる東郭があり、そこに繋がる土橋が現在も残っています。
中郭から東郭を見ると、東郭の方が更に高いのが解りますね。
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此処から周辺を見渡し、戦争指揮を執る事が想定されていたんでしょうね。

東郭から中郭を見ると、まだ桜が綺麗に咲いていました。
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丁度、東郭の斜面がムキ出しに成っていたのですが、これは良い関東流の築城術を説明する材料に成ります。
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今でこそ、どの城址も鬱蒼(うっそう)とした植物の林に覆(おお)われていますが、戦国時代当時は、このムキ出しの切岸(きりぎし=人工的に削った斜面)のように、植物は伐採され土が地表に出ていました。
こうする事で、敵は登れなくなる上に更に水をブチ撒けドロドロにして置くわけです。
そしてそして!
その敵が滑って落ちる切岸や空堀の底には「逆茂木(さかもぎ)」と呼ばれる敵を串刺しにする為のトラップが設置されていたんですね…。
足滑って滑落したら即!死亡あるいは重症確定!…みたいな、石垣の城よりエグイ、30代以上には通用する言うなれば「リアル風雲たけし城」だった訳です。

今では、茅ケ崎城址の様に保存状態の良い城跡は、横浜市内では小机城位になってしまいました。
小机城は港北区、茅ケ崎城は都筑区ですが、両区共に以前は「都筑郡」と「橘郡」と呼ばれた地域から分離した同じ文化背景を持つ地域です。
この2城が状態良く保存されたのは、地域住民の保護活動の結果です。
本当、旧都筑郡と旧橘郡の地元住民の皆さんは郷土愛が強いんですね。
頭が下がります。
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この城の中郭と東郭からは都筑区の町が見渡せます。
この城の殿様が、今の風景を見たら、こんなに変貌したのに城址を守って下さった都筑区民にきっと御褒めの言葉を下さるんじゃないかと思います。

では、皆さん又、次の記事で!

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明日、2015年04月05日に小机城址祭りが今年も開催されます。
戦国時代、1500年代初めに小机城代を務めた笠原信為(のぶため)公を顕彰(けんしょう=リスペクト)したお祭りです。
殿様の信為公役は毎年、横浜市港北区長さんが演じます。
※小机城と笠原信為公について書いた以前の記事も有るので御参考にどうぞ!
⚫︎小机城址記事は「ココ」←クリック!
⚫︎笠原信為公の記事は「ココ」←クリック!
お祭りでは武者行列パレードがJR小机駅近くの鳥山町の三会寺(さんねじ)からスタートし、小机駅前を通り小机城址でイベントが行われます。
因(ちな)みに、小机城址近くの鳥山町も歴史偉人と関わりが深く、鎌倉幕府の初代征夷大将軍、源頼朝公の重臣として有名な佐々木高綱(たかつな)公が領主を務めた地域でした。
高綱公と言えば宇治川合戦などで大活躍した坂東武士の中の鑑(かがみ)と言っても過言では無い名将です。
実は三会寺や近くの鳥山八幡宮は佐々木高綱公の開いた寺社でもあります。
つまり、昔からこの地域は関東武士団の根拠地の一つだった訳です。

※佐々木高綱公の城跡の鳥山八幡宮と、開基した御寺の三会寺記事は以下を御参考にどうぞ。
⚫︎鳥山八幡宮の記事は「ココ」←クリック!
⚫︎三会寺を紹介した記事は「ココ」←クリック!

武者行列が住宅街を歩くシュールな絵面も何ですが、数十m置きに模擬鉄砲隊の砲撃演武も有りますよ。
小机城址の桜満開の本丸では出陣式などの演目等も行われます。
屋台も出ますよ!
近隣の小・中学生も可愛らしい武者に扮して参加してます(笑)。
横浜市民にとっては地元と誇りを今に伝えるローカルなお祭りですが、他地域の方も楽しめるので是非見学してみて下さい!
※雨天順延

では、又、次の記事で!

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4月… 
この時期に成ると、学生時代に誰しも、桜並木の下の露店で買物をしたり、お好み焼きやタコ焼きを食べたりなんかして楽しみ…
或(ある)いは家族や親戚と桜の下にレジャーシートをしいて楽しくお弁当を囲んで花見を楽しんだ事を思い出すんじゃないでしょうか。
今日は2015/04/02…
この写真は一昨々年2012年の写真です。
「桜道」と呼ばれ、去年まで存在した横浜市内港南区の港南中央駅近く〜日野公園墓地の長い距離に渡って存在した桜並木です。
今の横浜市長の林文子さんの施政と統治の下、行政と土木事務所により主要部分の桜の大樹の並木は切り倒され桜並木の規模が縮小されて大木は多くが消されてしまいました。
今年はもう見る事が出来ません。
悲しく残念な出来事です。

しかし、まだ文化ある御寺や神社には保護された立派な桜も幾らか残ります。
そこで、横浜沿岸部周辺地域の桜の名所の今日4月2日時点の桜の開花状況をレポートします。

桜が東京〜横浜では概(おおむ)ね満開に成りましたが、所により今週末くらいまで御花見日和りみたいです🎶

下は4月5日に小机城址祭りが開かれる、JR横浜線小机駅近く小机城代の殿様、笠原家の菩提寺の雲松院の桜の大樹の今日の写真。
桜以外にも可愛らしい花が咲いていました。
相変わらず枝垂れ桜は立派。
…満開で散り始めてますが、城址祭りまで持ってくれそうですよ♫

因(ちな)みに、小机城址祭りは近所の三会寺から4月5日午前10時に武者行列パレードがスタートし小机城址を目指します。
三会寺の山門も桜に彩られていました。
三会寺は征夷大将軍源頼朝公が鎌倉の鬼門に当たる北の街道を押さえる地勢に位置する、この港北区鳥山地区に名将佐々木高綱公を配置しました。
三会寺は鬼門鎮守の為に高綱公が開基した御寺です。
ですから、御寺の屋根には源頼朝公の家紋「笹竜胆(ささりんどう)」の使用が許され寺紋として掲げられています。

雲松院の枝垂れ桜と三会寺からスタートする小机城址祭り見学、週末おすすめですよ♫

次は港南区の永谷天満宮と貞昌院の参道の桜並木と、裏山の桜です。
永谷天満宮と貞昌院は南北朝時代〜戦国時代にこの地を治め、関東管領も務めた宅間上杉家の殿様が開いた天神様の神社と御寺です。
こちらの桜は八分咲き、週末見頃だと思います。
下の写真、永谷天満宮や貞昌院の裏山から正面に見える永野小学校一帯の丘が宅間上杉家の居城永野城の在った場所です。
宅間上杉家の殿様は、こちらから自分の御城を眺めたんでしょうかね〜?

次は神社仏閣ではありませんが、桜の名所の久良岐公園。
結構凄いでしょ?
ところで、昔、横浜市南部は久良岐郡と呼ばれた地域で神話の時代に軍神の日本武尊も訪れた聖蹟のある地域であり、源頼朝公も沢山の神社仏閣を開基した文化醸成地域でした。
いまでは久良岐の地名は、この久良岐公園に残るのみとなりました。
久良岐公園には市電も展示保存されています。
桜林はレジャーシート広げ宴会してる客も多いですが、遊歩道にも桜並木が有り、ゆっくり花見しながら散歩出来ますよ!
まだ九分咲き、週末まで持ちそうです。

最後は1番おすすめな称名寺の参道と庭園の桜並木。
こちらは八分咲きくらい。
週末見頃間違い無し♫
この赤門の向こうに桜のトンネルの参道が広がっているんです。
この茶屋の蕎麦は手打ちで美味い!

称名寺の参道綺麗でしょ?
鎌倉時代創建で、金沢文庫の地名に成った鎌倉幕府重鎮の金沢北条家の図書館が今では金沢文庫博物館として称名寺の隣りで運営されています。
仁王門の裏には称名寺の庭園が広がります。
亀さんが何時も甲羅干しししてますよ!
北条家の御寺だから寺紋も北条家の三つ鱗紋。
今週末はバザーらしいです。
花見しながら買物も良いですね〜♫
良い場所でしょ?

下は称名寺と金沢文庫を開いた鎌倉幕府の重鎮、金沢北条実時さん。
このトンネルで金沢文庫博物館と繋がっています。

さて、行きたい場所はありましたか?
では皆さん、良い週末を♫

又、次の記事でお逢いしましょう!

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