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タグ:岩本楼

江島神社=江ノ島弁才天
(式外社・日本三大弁財天・天皇勅願所の洞窟と鎌倉武士の聖地)
児玉神社
(初代台湾総督児玉大将を祀る台湾の人々が開いた神社)
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  御祭神・御本尊等:八臂弁財天(はっぴべんざいてん)・多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)・市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)・田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)・児玉源太郎大将
  御利益:戦勝・敵人懲服・立身出世・財運向上・芸能向上・縁結び 
  関係者:
  開基:欽明天皇
  中興:修験者      役 小角
     弘法大師      空海  和尚
     修験者 神融禅師   泰澄
     慈覚大師    円仁    和尚
     比叡山五代院  安然 阿闍梨
     征夷大将軍   源    頼朝 公
     征夷大将軍   源 實朝 公
     皇家護持僧  道智  大僧正
     証誠大師   一遍      上人
     立正大師     日蓮      和尚
     鎌倉府公方    足利 成氏 公
     相模守      北条 氏康 公
     北条家臣 岩本間宮 定次 公 以下江島別当岩本坊間宮家歴代(現:岩本楼)
  旧郡名:鎌倉郡(戦国時代:中郡)
  所在地:江島神社・・・藤沢市江の島全部が本来の江島神社聖域
  所在地:稚児ヵ淵・・・歌舞伎白浪五人男の弁天小僧の舞台、洞窟は天皇家の祈願所聖地
  所在地:児玉神社・・・児玉源太郎大将を慕う台湾の人々が建てた神社
  所在地:岩本楼・・・元は江の島の聖地の洞窟と江島神社を管理した真言宗修験道岩本坊が前身
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
欽明天皇が西暦552年に江ノ島東側の岩屋(いわや=洞窟)に勅願所を開いたのが始まり。 
そこに源頼朝公が弁財天を勧進し戦勝祈願をするや連戦連勝で鎌倉幕府が成立したので、歴代執権や御家人達から信仰され鎌倉幕府から保護された。 参道に在(あ)る旅館岩本楼は創業400年近い老舗旅館(宿坊)で元々は明治時代まで江ノ島神社の別当職を務めた別当寺だった。その別当職を務めたのが 社長の家の御先祖、宇多源氏佐々木家諸流の間宮一族、岩本家だった。
頼朝公が戦勝祈願に岩屋に参篭された後に社殿と銅製鳥居が寄進され神社として整備された。江の島の岩屋で御神体とされたのは八臂弁財天で江島神社と岩本楼にそれぞれ御祀りされていた仏像が現存する。戦国時代には日本有数の大合戦で戦勝の御利益を発揮されてる。鎌倉公方足利成氏公と北関東の鎌倉公方軍が江ノ島に籠城し、反逆した関東管領山内上杉家と扇谷上杉家の連合軍の大軍勢と戦い、見事に足利成氏公に不利な戦を勝利させている。その後も❝日本三大奇襲戦❞の一つに挙げられる「河越合戦」では、ここで戦勝祈願をした北条氏康公はたった8千の手勢で敵勢8万余りの上杉家連合軍の大軍相手に勝利を治めている。
江戸時代には徳川幕府から保護を受けただけでなく富士山詣で、大山詣り、杉田梅林等と並び江戸市民の人気の観光地として栄え歌舞伎の演目の白浪五人男の❝辨天娘女男白浪❞のモデルにも成った。
明治時代には、この江の島に児玉源太郎陸軍大将が逗留され軍事作戦を練られて、ロシア帝国のアジア植民地化の野望を撃退し日本を守る戦功を挙げられた事も有名。後に児玉大将が台湾総督を務められた際の善政から、児玉大将を祀る児玉神社を台湾人の皆さんが江ノ島神社の境内に開基された逸話も残る。
現在は女性の縁結びの神様としても有名で江の島の展望台と併せて観光に来るデートスポットとしても栄えている。 他所の弁天様はカップルに嫉妬する伝承が多い中、この江ノ島ではカップルを見守る優しい神様としても崇拝されているが、東京の石神井公園の弁天様がカップルに嫉妬するのは、石神井公園が昔、石神井城と言う御城で戦争に巻き込まれ落城した歴史が有るから? 
弁天様について解説すれば本来、弁天様はインド神話のヒンドゥー教由来の神様でサラスヴァディーと呼ばれ、シヴァ神(伊舎那天/他化自在天/大黒天に習合された神様)の後妻であり多くの男神様から求婚されたモテモテの神様だったので女性にとっては心強い縁結びが期待出来るのは当然だろう。
明治時代には江ノ島に福沢諭吉先生、伊藤博文公、児玉源太郎大将や早川雪舟(日本人初のハリウッド俳優)も宿泊しており江ノ島の御利益を代弁する様な偉業を成し遂げている。
他にも俳画会を形成した文化人、間宮霞軒先生等を江ノ島から輩出している。
※北条氏康公と間宮家が活躍した河越夜戦解説の記事リンク
→杉田玄白と間宮林蔵の祖先、笹下城主間宮家の事績。

江の島に行ったら現代の名物のシラスとサザエと蛸せんべいも味わってみては如何でしょうか?昔からの名物の女夫饅頭(めおとまんじゅう)と江ノ島丼も美味。 

前回の記事
  ↓
休日雑記 2017年06月24日の訪問先その②・・・江ノ島神社(辺津宮・中津宮・奥津宮・龍宮)
  ↑
コレの続き。
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江島神社奥宮の辺津宮と龍(わだつみ)宮を御参りして八方睨みの亀を見学してからの続き・・・
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辺津宮は江島神社の奥宮で、源頼朝公が奉納した石鳥居等が現存している。古き良き江島神社の姿を残す場所だ。
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“神社”としては奥宮、ここ迄だが実は江ノ島はここから先が最重要な聖地なのだが知らない観光客も多く、ここで引き返すカップルも少なくないのだが、江ノ島に来て“岩屋”=洞穴に行かないと本当に御神体としての“江ノ島”に来たとは言えないのだ。
コレ→(休日雑記 2017年06月24日の訪問先その①・・・【横浜市栄区~鎌倉市~藤沢市】JR大船駅~湘南モノレール江の島駅~レザークラフトすずき~江島道標~岩本楼)でも少し触れたが、江ノ島は欽明天皇以来の天皇家の勅願所(ちょくがんじょ=天皇家の祈願事を代理で行う聖地)として機能しているのだが、その場所は江島神社では無く江ノ島の稚児ヵ淵(ちごがふち)に存在する数ヵ所の洞窟な訳だ。
その場所は辺津宮から、そう遠くないが少々階段の上り下りが有るので知らない人は面倒くさがり行かない事も有る。
辺津宮から稚児ヵ淵に向かう途中、周辺には猫が沢山いて民家の玄関先等でくつろいでいる姿を見せてくれたりする。
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その②で紹介した猫ちゃん、人馴れしてる子ばかりで触っても逃げない子も多い。かわえぇ~。
日本の猫の大多数は仏教の経典や仏像を鼠の害から守る為に遣隋使~遣唐使と一緒に船に乗って日本に来た子達の子孫なのだが、つまり現在の唐代の中国建築の影響を受けている神社仏閣の建築技術を伝える図面やなんかを守ってきてくれた猫チャンの子孫達であり現代では多くの人を癒してくれる"聖獣(笑)"な訳だな。
こんな猫チャン達を数匹見かけつつ階段を降りて行くと、こんな場所に行き当たる。
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松尾芭蕉や服部南郭を始め、文人達の句を紹介した石碑が沢山有る場所。
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松尾芭蕉の句は直接江ノ島と関係無いが、服部南郭は此処(ここ)で漢詩を詠んだらしい。
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明治の元勲達も皆そうだが、江戸時代~大正時代の偉人達は教養の高い人が多く、余裕で現代中国人の詠めない漢詩を創作したりする知識と風流さを兼ね備えていたんだな。
因みに偉そうに解説する小生は、華語が話せて武士の言葉も読めるので漢文の意味は解るが詠み創作する事は出来ない低文化人だ(笑)。
何故この一角に句碑が沢山有るかと言うと・・・
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もう海が見えるから、この風景に関係のある詩句が紹介されている訳だ。
この下の岩場が稚児ヵ淵と呼ばれる。
歌舞伎の演目の“白浪五人男”の弁天小僧は岩本院(現在の岩本楼)の稚児がモデルに成っていると伝わるが、不勉強な小生はコレを笹下城下に取材に行った際に偶然、岩本楼の先代の奥様の御身内から御教授頂いてから調べて知る事と成った。
江戸時代の娯楽も見ておくべきだね。
因みに弁天小僧には、こんなセリフが劇中有る・・・
「岩本院の稚児上がり、普段気馴れし振袖から、髷(まげ)も島田に由比ヶ浜!」
・・・意味わかります?
コレは江戸時代の民間人特有の洒落(しゃれ)っ気が効いたセリフに成っています。
セリフを区切って解説して見ましょう。

[岩本院の稚児上がり]
江島弁才天を管理する岩本院で幼少時代修行していた人物である事を説明している。弁天様を祀っている岩屋(洞穴)の前の稚児ヵ淵の磯の地名とも掛けてラップの様に音(いん)を踏んでいる。

[普段気馴れし振袖から]
弁天小僧達、白浪五人衆は実は盗賊なのだが善玉の義賊として描かれている。その中でも弁天小僧は女装の変装が得意な美少年だったので「普段気馴れし振袖」そのまま、女装して呉服屋に乗り込んだりする役柄。

[髷も島田に由比ヶ浜]
髷は丁髷(ちょんまげ)の事、島田は江戸時代の女性の髪型の結い方の一つ、つまり男性が女装している様子を形容している。
由比ヶ浜の部分は江ノ島は現在は藤沢市だが明治までは鎌倉郡だったので、鎌倉の有名な由比ヶ浜の地名の“由比(ゆい)”と髪を結う“結い”を掛けて洒落たラップの様にしてある。

そんな感じで江戸市民ってのは他地域と違ってユーモアを好み、かつ現代の芸人みたいに人をイジメたり笑い者に成る教養の無い嘲笑を煽る笑いの取り方では無くて、文芸や歴史知識と世相や時事ネタを入れ込んで謎かけみたいな事をするのが大好きな人達だったんですね。
まぁ、江戸を築いたのは大坂の佃村から移住して来た人々と品川と江戸城周辺の農民だったので、本来の大坂の笑いも江戸時代までは江戸の古典落語や歌舞伎や狂言の笑いみたいに教養に溢れたものだったのかも知れない。
東京にしろ大阪にしろ、落語家達には当時の笑いの流儀が受け継がれている様に素人目に感じる。
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さて、稚児ヵ淵は多くの観光客で賑わうが、鎌倉の護岸工事される以前の磯が残っている。
風景が良いだけでなく、子供には良い自然観察の場にも成る。
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だから立派な藤壺やら・・・
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・・・亀の手が沢山生息している。オッサンの小生にはどれも採取して家で湯がいて食べたい蟹の御仲間の水生生物、酒の肴にしか見えないんだが(笑)。
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三浦半島と伊豆半島も見えてとても景色の良い場所だ。
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ここを過ぎると欽明天皇が天皇家の勅願所に定めた洞穴が有って、豊かさの象徴の神様であり古代は水の神様だった宇迦之御魂神が祀られている。
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立派に観光地化されており、入口は屋根が付いているが洞窟の深部はそのままに成っている。
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入口横には古代の海洋生物の化石も沢山露出していたりする。
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入場料は大人500円と安い。だからカップルだけでなく親子連れや団体観光客でも賑わっている。数年ぶりに来たら外国人観光客も増えていた。
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中に入ると池が有る。
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実はこの水辺が聖地と成った大切な意味を成しているのだが、これは後で説明しようと思う。
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池の中の句碑は与謝野晶子さんの物で、知らなかったのだが彼女は江ノ島が大好きだったそうだ。
そう言えば先日、御子孫の与謝野馨前特命大臣が他界されたばかりだな。
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洞窟の壁には深部に行くまで色々な解説の掲示物が有るので、是非、ちゃんと読んで欲しい。これを読んで置けば、将来、自分の子供にも、又は皆さんが現在の恋人と別れて新しい彼女と(笑)再訪しても説明して上げれるだろう(;^ω^)。
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ここは昔から、途中で係員から蝋燭(ろうそく)を貰って自分で足元を照らしながら探索する、ちょっとしたイベント的な要素が有ってカップルに大人気だったりするんだな。
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途中、天井部分に透明のビニールシートが貼られている場所が多くあるのだが、これは石清水が多く湧き出していて雨の様に降ってきているから。これが古代の人々や頼朝公には神秘的に感じられた訳だ。
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そして多くの石仏や石の御神像が昔のまま並んでいる。
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場所によっては結構な暗さだったりもする。夏なので今自分は観光客が多く若干渋滞する場所も有るのだが、天井が低い部分も有るので気を付けないと頭をぶつけて文字通り頭が割れて血だらけに成る事に成る(笑)。本当に気を付けないといけない。
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どちらかの和尚様の座像・・・
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そして最深部、この場所が欽明天皇以来の勅願所の始まりと成った場所。
恐らく当時は祠(ほこら)も無かっただろう。祠の下の石の台座の上で神職者が神事を行ったり修験者や真言宗の僧侶が護摩炊きしたりして旱魃(かんばつ)の回避や降雨を祈願したり、稲の豊穣や疫病鎮定の祈願をしたんだろう。
さてそこで、先ほどの与謝野晶子さんの句碑の有った池が大切に成る。
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ここは曲がりなりにも海辺の洞穴である。
しかし洞窟内は雨が降る様に清水が天井や壁面から湧き出し、一年中、例え旱魃の年も枯れる事が無い訳だ。その洞窟の池が本当に海水では無い事の証明が下の写真だ。
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なんと淡水魚の金魚が悠然と泳いでいる訳だが、これだけ豊かな水量を誇る清水が海に突き出した江ノ島でずっと湧き出している事が既に古代人にとって奇跡な訳だ。
西暦900年代の醍醐天皇達から見ても古い神社を記録した一覧の延喜式神名帳に掲載された古社の中には神奈川県内でも有鹿神社、大山阿夫利神社、比々多神社や未掲載だが天皇家の勅願所だった仏教施設になっていた師岡熊野神社等は縄文時代からの遺跡を旧境内地に抱えている、そしてどこも水や酒に関係する神様が祀られている訳だ。これが何を意味するかと言うと、小生のブログの読者様は飽きる程繰り返し読まされているが、古代人は井戸を掘る術も無いし、川の水を直接飲むと病気に成るので湧き水が聖地であり命を繋ぐ飲料水を確保する大切な場所だった訳だ。この習慣は古墳時代や飛鳥時代に成っても続いたので、当然奈良時代にも平安時代にもその文化は形骸化しても残っていた訳だ。
そして戦国時代に江の島険阻な地形を利用して逆臣上杉家と戦った鎌倉公方の足利成氏公は、長期間江ノ島に籠城出来たのも、数千の兵士に行き渡る水源が江ノ島島内に確保出来ていたからだった訳だ。
米の補給は房総半島から船で出来たとしても、水が無ければ忽(たちま)ち兵士は活力を失い士気が下がり降伏せざるをへ無くなるから。
そして、この奇跡の土地の宇迦之御魂神様や弁天様の御利益で、源頼朝公は伊勢平氏の平清盛の軍勢を打ち破り藤原秀衡の子達を屈服させて鎌倉幕府を開き、足利成氏公は逆賊上杉家相手に奇跡の大勝利を収め、戦国時代には北条氏康公が岩本院の前身の岩本坊に宿泊しここで源頼朝公の様に戦勝祈願をして河越夜戦で奇跡の北条家兵8000人で上杉家兵80,000を破る大逆転勝利を収めた訳だ。
つまり戦勝祈願としては古今無双と言って良い御利益が有る訳だな。
そして神道成立以前の古代からの原始宗教~古代の神道の原型~仏教との融合~明治時代の神仏再分離による誤った神様の名前の誤植の歴史の変遷も知る事が出来る場所な訳だ。
現代の女性にとっては縁結びの心強い神様でもあるのが江ノ島の弁才天様なんだな。
・・・でも女性の味方の神様だから、駄目な彼氏と一緒に行ったら縁切りの御利益も有るかもね(笑)。
さて、第1洞穴を出て第2洞穴へ行く途中に下の写真の場所が有る。
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第二洞窟の入口との連絡通路から見える亀に見える石だな。
江ノ島弁才天は、鎌倉時代以前からの社紋は確か亀甲紋だったと思う。現在、表立って使われているのは鎌倉幕府の北条時頼公由来の三鱗紋と波切り紋を合わせた社紋に成っている。
古代に海を収めた息長一族(素戔嗚尊の御神孫)や出雲族達は亀甲紋を社紋にしていたのだが、江ノ島の弁天様は海の神様でもあるので何とも因縁めいた亀の形をした岩の見える風景が有る訳だな。
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その亀の石の見える海の上の岸壁に洞窟がもう一つ口を開いているが、恐らくこれは近代に成って築かれた要塞の跡だろう。形状が完全に人口の洞穴だな。
この相模湾周辺は、米軍の上陸が予想されており七里ヶ浜の稲村ヶ崎や玉縄城址出城の二伝寺に高射砲が設置されたり要塞が築かれていた。つまり昭和の戦争史跡でもある。これは戦争が他国の侵略から国民の生命と財産と自由と信仰を守る意味が有る事や、一歩間違えると侵略側に成ってしまう歴史の両面を教え伝える意味でも本来公開するべきだと個人的には思う。
まぁ、公開すれば左翼が発狂するし、右翼は自己都合の歴史観を現実逃避して主張し混乱するので事なかれ主義の現代の教育委員会は公開しないのだろう。
寧(むし)ろ、左派も右派も中道も保守も改革も、議論するのは悪い事では無いと小生は思うのだが。
左派の中にも中道左派で良い政策を提言する方もいれば、中道保守にも真面目に国防を考え経済振興政策も提言する方も少なくない。
用を成さない連中は自己肯定の為にステレオタイプに他人の主義主張をコピーしてる連中と何でもかんでも相手の批判しかしない民進党と共産党の連中だけだからな。
まぁ、そんな訳で、江ノ島には日本の各時代を網羅した遺跡が在る訳だ。
第2岩屋に入って見よう。
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コチラは要塞化されていた様で、明らかに人工的な部分も多い。
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とは言え、こちらも民話の伝承する場所でもある。
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中に進んでいくと、民話を元に設置された龍の張りぼてがある。
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解説では江ノ島生まれの民話とされるが、その説明は間違いだ。
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旧鎌倉郡全体の民話と捉えた方が良い。
現在の鎌倉市深沢辺りと江ノ島が舞台の民話で、古来より深沢の山中の池に住んでいた暴れん坊の龍が、江ノ島の弁天様がモデルの天女に惚れて、その天女にプロポーズしたところ説教されて改心し尻に敷かれて幸せに成ると言う話だ。
小生は、この民話の龍のモデルも察しがついている。
山崎地区
鎌倉市の山崎地区には鎌倉中央公園が有り、そこには大きな池が有る。
この山崎地区には源頼朝公も崇拝した山崎泉蔵院と言う修験道の大寺院が有ったが、現代の鎌倉市や神奈川県の教育委員会も場所を把握していない。泉蔵院は熊野権現と不動明王を大切にする寺院だったので、湧水地を聖地として寺院や山伏(やまぶし)の修行道場を造営する宗派なのだが、恐らく鎌倉中央公園の場所が泉蔵院の室町時代の横浜市移転前の旧所在地だろう。
そして修験道は日本古来の信仰の聖地を寺院や神社化する宗派なので、この龍の神話の池が鎌倉中央公園の池なのだろうと小生は推測している。
山崎地区の隣接平野部は寺分とされ、古代より後の時代に寺領に成り地名が変わっている事も解るし、山崎は昔は只の“山崎”と言う地形を表す言葉だけで深沢も同様だっただろう。だからこの周辺は一色単に山崎や深沢と言われていたのだと推測出来る。
例えば山崎に在った泉蔵院は水辺で神様を祀る熊野信仰と関係が深いが龍神信仰が有ったかは現代では伝わらない。しかし関東では古代から根強く雨乞いの神様として龍神様が信仰されていて、伊勢原市大山阿夫利神社の二重滝のOkami 10.5pt.png神(たかおかみ)や大和市の深見神社の御祭神の闇Okami 10.5pt.png神(くらおかみ)は何れも雨乞いの神様で有り龍神様だ。そして多摩地方の雨乞いも龍神信仰だった。
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大山阿夫利神社下社、徒歩10分の場所にOkami 10.5pt.png神の権化とされる二重滝(ふたえのたき)が在る。
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大山に入山する修験者や僧侶や一般参拝者は、昔はここと下の方の良弁の滝で禊(みそぎ)=行水=沐浴(もくよく)をして身を清めてから山頂奥宮の石山権現へ参拝したそうだ。
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大和市の深見神社、闇Okami 10.5pt.png神が御祭神。こちらは神社と地域の名前から推察して境川沿いの深水が龍神信仰の聖地だったと推測出来るが、地域の伝承に古代は付近まで湾が入って来ていたも伝わるので境川沿いに細長い入江が入って来て可能性も有るが龍神信仰は八幡信仰に通じる八大竜王信仰やインドや中国の水生生物の鰐の神格化された神様の影響なので淡水に関する信仰の場合が多い。
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旧武蔵国多摩郡の東京都羽村市にも近代まで龍神信仰が残っていて、羽村市内を流れる多摩川上流の深い淵が龍神信仰の聖地だった。そして日野市の高尾山、この高尾山(たかおさん)の高尾(タカオ)は大山阿夫利神社と同じOkami 10.5pt.png神のOkami 10.5pt.png(タカオ)が転訛した当て字だろう。その証拠に大山も高尾山も天狗伝説の土地だ。天狗はウィグル族やインド系の西方の人で、龍神信仰は彼らが日本に帰化して広まったのかも知れない。飛鳥時代の大和朝廷にはウィグル人の官僚がいた事が知られている。
大山も高尾山も大和市深見の何れの龍神信仰も、八幡信仰や弁天信仰の仏教成立後の中国伝来の信仰よりも古いのは間違い無い。
つまり、この江ノ島と深沢の民話は、古来の龍神信仰していた豪族が中央大和政権の影響で弁天様へ信仰対象を宗旨替えした事の比喩だと小生は推測している。
そして、その弁天信仰の極め付けの火付け役と成ったのが鎌倉幕府を成立させた源頼朝公と北条政子様ご夫妻だった訳だ。
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上は横浜市南区の瑞応山蓮華院弘明寺が所有する北条政子様の彫像。
弘明寺は古くは善無畏三蔵法師がインドから渡来し聖地を開き、弘法大師空海様が民百姓の為に災難除けの仏事を行い、平安時代末期に源頼朝公から崇敬を集めた御寺なので厄除け大師として有名だが、源頼朝公が信仰した弁天様を祀る御寺としても有名だ。
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弘明寺には今も立派な八臂弁財天様が祀られている。
まぁ、江ノ島と鎌倉市深沢周辺の龍神と天女の伝承の様に、歴史や民話は解らない部分が有るから謎解きが面白い。
しかし職業歴史学者は小生と違って、こういう自由な推測を文字に起こすとバッシングされる可能性が有るので書けないが、小生は歴史好事家(オタク)の一個人(笑)なので昔の人の気持ちに成って書いても誰からも何も言われない(笑)。仮に親切な学者さんに間違いを指摘され正しい知識を教えて頂けるなら、それこそ学ぶ機会と小生は狂喜する訳だ。
まぁ、立身出世が目的でなく宗教的な意味も大切にするので毎回、行く先々で御会いする色んな神社の宮司様や御寺の和尚様から宗派を超えて民話伝承を御教示頂けたり非公開の文書や保有する遺物を見せて頂いたり、宗教的な側から歴史を学ぶ機会が増えて嬉しかったりする訳だな。
社会人に成ったら色んな事は自分で学ばなきゃいけない。人は教えてくれないし、教えてるフリしてる客先や上司は自己利益を追及する為にマウントポジション取る為に意見してるだけの場合が多い訳だ。
社会人に成っても文化と人々の精神的な支柱である宮司様や和尚様達に師事出来るのは本当に幸せな事だ。色々有ったが、これは本当に小生の人生が他の人と違って幸せだと言い切れる部分だ。
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岩屋を出て稚児ヵ淵を通り江ノ島から江ノ電の駅を目指す。
・・・フジツボと亀の手、気持ち悪っ(笑)!でも蟹の仲間で食べると美味しいんだよね。
戻る途中、撮影し忘れた句碑を改めて訪れた。
・・・福島漁村の句碑。
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江ノ島奥津宮と聖地の岩屋の別当の岩本院を治めたのが間宮。この福島漁村さんの兄弟子に当たる人物である間宮霞軒さんは、岩本院の間宮家出身だそうだ・・・
日本俳画会を起こした人物で更に江の島の初代郵便局長、中津宮の境内に在る句碑は昭和33年81歳の時、親交の有った文化人の飯田九一サンや有志等が建てたそうだ。
・・・そして福島漁村。昭和31年1868年~1956年を生きた人物で辺津宮の近くに有った旅館の江の島館の主、地方自治に活動した政治活動家でもあったそうだ。この福島姓は間宮家の戦国時代の上司、玉縄城主北条綱成公の生家の姓だ。
主従の義理と交友関係は近世に入り近代に至っても地縁と人の縁で繋がっているのを知る学者は少ない。何故なら悪の権化、堀内一族のせいだ。堀内一族は玉縄北条家の有力武将だった。戦国時代を通じて家老は間宮家だったのだが、堀内は近世に殿様の実弟の北条繁広公を殺害し保科家から北条家の名跡を繋げる為に殿様の養子を迎えて事実上、玉縄北条家を乗っ取った。結果的に福島家に関する古文書はありとあやゆる所から確認出来なく成った。完全に堀内一族の粉飾による歴史改竄と抹消だ。
この堀内一族は現代でもとんでもないデマを流布していて、徳川家康公の軍師に成り鉱山経営で活躍し真田丸や大坂城総掘り埋め立てを進言したのが間宮家の手柄で有る事が兵庫県や間宮関連の寺院でも有名な事実なのに堀内家の古文書は偽書が多く現在も間宮家の手柄や福島家の手柄を自分の家の手柄と喧伝している。とんでもない一族だが、実際に風土記でも関連の神社仏閣でも朝来市教育委員会でも実物の古文書や資料が編纂されていてそこに大坂城関連の事に堀内は一言も出て来ないので情報共有し易い現代では堀内のデマだと赤っ恥を晒している。
そもそも玉縄北条家を私物化して乗っ取っていたが、たかが小藩の家老の堀内家が、徳川家康公の外戚で鉱山奉行や地方代官を務めた間宮家の様に直接徳川家康公に謁見出来る訳が無い(笑)。
そんな事も辿れたりするんだな。
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残念ながら福島家が辺津宮近く、丁度小生が"その②"で紹介した海花亭の横の江ノ島大師、最福寺別院が建てられている場所に存在した福島家の江の島館は、昭和三十一年(1956年)に火災で焼失し営業終了してしまったそうだ。
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間宮一族岩本家の岩本楼の成立の例を考えると、この江の島館の福島家も中津宮や辺津宮の別当だった上ノ坊や下ノ坊の何れかの寺院が前身だったのかも知れない。江ノ島大師様にも聞いてみたのだが、やはり江ノ島館の福島家は前進が寺院だったと言う事は解っているが、現在の江ノ島大師様とは直接繋がりは無く、江ノ島館の寺院時代の事も伝わっていないそうだ。
これは風土記を読めば上ノ院に関する事は掲載されていると思うので、今後調べてみたいと思う。

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サムエルコッキング園まで戻って来て、タコ煎餅作ってる所を見学。CIMG4416
う~ん、どっかの工場にしか見えない(笑)。

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中津宮の参道を降りる時の風景が綺麗だった。
登って来る時は気が付かなかったが小動~腰越の辺りが良く見渡せて美しい。
江ノ島を後にして、江ノ電江の島駅へ向かう途中、江の島大橋でけたたましい騒音を故意に鳴らす迷惑なバイクを見かけた。
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日本の恥部。見てイラっとしたが、そう言えば行きに気に成っていた甘い物の店を思い出し直ぐに嫌な事を忘れ、その店に向かった。
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玉屋のようかん。
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ここでは江戸時代以来の名物、海苔羊羹を始め様々な伝統的な羊羹が製造販売されている。CIMG4424
店構えも立派で、もし電車で江の島に行く機会が有る人には是非御薦めしたい昔ながらの江の島土産の店だな。
小生は自分でも何故だか知らないが羊羹を買わずに、ここでキャラメルを買った(笑)。
ここから江ノ島駅は直ぐ近く・・・
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暫く待つと直ぐに電車が来た。

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今回はここまで!
続きは江ノ電観光と鎌倉市内の史跡辺となる“その③”で紹介します!
では又!続きでお会いしましょう~!

2017年4度目の鎌倉長谷寺への紫陽花(あじさい)鑑賞へチャレンジ。既に3回失敗・・・

06月10日・・・
早すぎて見頃では無いとの事前情報+虫の知らせで突然、六浦上行寺~上行寺東遺跡~野島の伊藤博文公金澤邸~野島キャンプ場に訪問地変更。

06月17日・・・
長谷寺紫陽花見物ついでに鎌倉へ久しぶりに電車で行って江ノ電の旅を楽しもうと画策、しかし江ノ電鎌倉駅入場規制40分待ち、長谷寺も1時間以上の待ち時間が予想され時間的に断念。
小町通のステーキハウスのマザーズオブ鎌倉で食事と鶴岡文庫で戦国時代の北条家関連の文書コピーさせて頂き、小町通り散歩し社頭で和紙と千代紙だけして帰宅。
意地でも江ノ電に乗る事を誓う。

06月21日・・・
台風並みの天候不良、ふて寝してからジム行って終了。

06月23日・・・
作戦を変更して江の島方面から攻略して行き、人が少なくなるであろう夕刻前に長谷寺到着予定で計画を立てる。

06月24日・・・早朝まで仕事し、そのまま寝ずに作戦決行!家を8時半過ぎ頃徒歩で出発。
・・・AM:09:00頃、大船駅に到着。

大船駅に着いて先ず、横須賀線のホームへ行き鎌倉市内の混雑を予測。
予想通りとは言え絶望する。
早朝の山手線品川駅並に鎌倉方面行の横須賀線のプラットホームは人だかり。列車が到着しても既に満員で乗れない人だらけ。
予想通りの展開だったので作戦通り江の島方面から攻略を進める作戦に移行。
実は大船駅ではコンナお手頃な乗車券を販売している事を知る人は少ない・・・
    ↓
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鎌倉・江ノ島パス
江ノ電、湘南モノレール、JR横須賀線(大船駅~鎌倉駅区間)、JR東海道線(大船駅~藤沢駅区間)
なんと!この区間が全線1日乗り放題、しかも700円ポッキリ!
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3度の2017年鎌倉の紫陽花見学の失敗(笑)を経て知ったこの無双チケットの存在、この1日凄く役に立つ事と成る。
実は江ノ電にも乗り放題のチケットは600円で有るのだが、あくまで江ノ電だけ。
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だから鎌倉観光をするならば、江ノ島に行かなくても鎌倉・江ノ島パスを購入した方がお得な訳だ。

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この時期の鎌倉は上の特別手配特急が運航し、恐ろしい程の人が集結する。だから小生は前回の失敗も踏まえて江ノ島から廻る事にした訳だ。
因みに、今、鎌倉周辺の駅では何か良く知らんスタンプラリーもやっているらしい。
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緑の窓口の前で無料配布されているビラがスタンプラリーになっていた。
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ポーチが貰えるらしい。折角(せっかく)なのでやってみた。
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横須賀駅・衣笠商店街・川崎駅・大船駅・逗子駅・磯子駅・平塚駅・国府津駅・横浜駅・・・
う~ん、どこも良く通る場所だが小生の場合は車でしか移動したくない派なので、スタンプ集まらなそうだな(笑)。
でも、この駅は通勤で使う人も国府津以外は多そうだから、通勤ついで+平塚の七夕祭り+小田原と箱根温泉旅行なんか計画したら全部集まりそうだな。横須賀や衣笠も横須賀観光や三崎観光何かで行けば子供にも良い夏休みにも成りそうだ。
・・・まぁ、そう思って観光してくれる人を増やす為のコラボ観光促進企画なんだろうな。
やってる人いなかったけど(笑)。ポーチ貰えるの強調すれば良いのに。
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緑の窓口で鎌倉・江ノ島パスを購入し湘南モノレールに移動する。
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ついでに江ノ島の弁天様の御利益も有りそうなので大船駅でロト7も買ってみた(笑)。
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湘南モノレールに乗るのは、かれこれ20年ぶり位?子供の頃、皆で海水浴に行った時以来の事だ。
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いつもは車から見上げる湘南モノレールの駅、歩いて回ると新鮮で楽しい。
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この路線は世界でも珍しい懸垂式と呼ばれる釣り下げ型の鉄道なのだ。
子供の頃の車両はもっとダサかった気がするなぁ~。大人になってから久々に乗車する湘南モノレールは少しカッコ良い車両だった。ヱヴァンゲリヲンとかに登場しそうな感じ(笑)。
まぁ、エヴァやシン・ゴジラのモノレールのロケ地は立川車両基地なので、こっちじゃないんだけどね。

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う~ん、浮いてるねぇ~。
走ってる所を写真に撮りたくて次の駅で降りて見た。
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カッコ良いねぇ~。下に車が走ってるね~。
これ、甥っ子と姪っ子にも見せてあげたいなぁ~。
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赤い車両より黒い車両の方が個人的には御気に入り。カッコ良い!
江ノ島までは直ぐに着いてしまうのだが、乗車中は楽しかった。
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横須賀線と違い比較的空いているので、他の乗客はほぼ着席出来ていたし、前方も親子連れ1組いるだけだったので反対側の車窓から走行中の風景を見る事が出来た。
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何かアレだね、スピードの遅いジェットコースターに乗ってる感じ。
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まぁ、それくらい揺れるって事だよ。鎌倉市は谷戸が入り組んでいるので陸を削って線路を引く訳にもいかなかったんだろう。平地は既に住居と神社仏閣でいっぱい、だから江ノ電みたいに住宅街の路地に線路を引かないといけないが、現代で鉄道路線新設する際はそうもいかない。
そもそも至る所に文化財が埋蔵されているから、橋脚を立てて懸垂式にした方が便利が良かったのだろうか?懸垂式に拘る理由は良く解らんが、橋脚の上に高架線にするより経費も掛からないんだろう。
何にせよ世界でも比較的珍しい路線に成っているので、外国人向けに江ノ島→鎌倉観光のコースを宣伝したら人気に成りそうな鉄道だと思う。
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暫くして江の島駅に到着。久しぶりに来てみるとモノレールの駅の周辺は少し寂しい感じだったかな?
でも江ノ電の駅の周辺商店街は賑わっていた。
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店も多いしカラフル。
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所で、江ノ電の駅で可愛い物を見つけた。
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駅前の車止めが可愛い雀(すずめ)に成っていて、誰かの手編みのブランケットを着ている(笑)。
可愛いなぁ~♡
こういう優しさとユーモアが有る人って好きだな。駅の職員さんだったら凄いな。
可愛かったのでGoogle mapに写真投稿しようとしたのだが、バグか何かで何回も口コミに写真添付したのにUPされず、挙句の果てに関係ない写真が関連付けられたので諦めた。
でも今回、この可愛い雀達をブログで紹介できたから良かった。
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江ノ電も色んな車両が有るんだね~今は。緑の車両だけじゃないのか・・・
江の島駅の目の前を通り過ぎて直ぐに、面白い店が有るのに気が付いた。
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革製品の製作販売所、レザークラフトすずき。
店の入口は判り難(にく)い。

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この“江の島がっぱ”と書かれた看板の有る建物の2Fに店が在(あ)る。
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ここではペットボトルホルダーと言うのをアルファベットの文字を刻印してその場で作ってくれる。
観光する時に手にペットボトル持って歩くのは正直邪魔臭いし写真撮影を妨げる、かと言って鞄(かばん)の中に入れても結露で折角訪問した先のパンフレットや御朱印帳が濡れるのも嫌だ。
これならジーンズのベルト通しにぶら下げて、ペットボトルを吊り下げて置ける訳だ。
だから小生は、このペットボトルホルダーを見て直ぐに「欲しい!」と思った。
階段を上がって見た。
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ふむ。地味な店構え。
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中に入ると鞄や様々な革製工芸品が飾って有った。
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御店主にペットボトルホルダーを作って欲しいと頼むと、好きに字を選べるので言って下さいとの事・・・
更に文字以外にも、色んな模様がチョイス出来る。
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最初は梟(ふくろう)は不苦労に通じるのでソレにしようか、それとも崇敬する坂東平氏の殿様達や織田信長公が愛用した蝶々の模様にもしようかと思ったが、小生の家の家紋に似ているデザインが有ったので、それをチョイスしてみた。
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これこの通り、色んな模様が有るので良い記念品にも成るはず。山登りや城巡りで実用性も高いしね。

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御店主が加工に入ってものの5分経つか経たないかで完成。
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うん、違い鷹の羽・・・少し歪んでるけど(笑)。
使い込んで行くと赤黒く変色して渋い色に光る様に成るそうだ。良い思い出の品が出来た。
きっとこれから先、御城巡りや山登り、神社仏閣散歩で活躍してくれるだろう。
とても気に入ったので❝レザークラフトすずき❞もGoogle mapで口コミを書こうとしたら、口コミ書いても表示されない。小生の口コミだけではなくて他の人のも表示されていない。
これって何かの規制が掛かってるのかな?良く解らない。CIMG4263
暫く江ノ島に向かって歩くと、何やら石碑が見えて来たので説明の看板を読んでみる事にした。
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どうやら杉山検校(けんぎょう)と言う鍼灸医師だった高名な人物が、現代の針治療の際に用いる管を使った治療法を編み出したらしい。それによって財を成したので江ノ島への参道だった当時の商店街の一角、この石碑仍170mくらい前の場所でこの石柱を寄進したらしい。
杉山検校は江の島弁財天様の熱心な信徒だった様で、ちゃんと財を成してから神様に恩返しをした訳だな。江戸時代初期の人物だそうだ。
検校と言うのは平家物語の琵琶法師でも有名だが、盲目障害者ながら一定の素晴らしい功績を挙げる人材と成った人物に対して特別に朝廷より敬意を払われて与えられた官職だった。だから杉山検校は多分、江戸時代の盲目の人ながら医療の大家として成功を収め、人の役にも立ち、財を成し、そして公益にも奉仕した人なんだろう。現代のフリーメイソンの人達やロータリークラブの人達みたいだな。
まぁ、針を刺すとか言うと昭和生まれの人にはコッチしか思い浮かばないだろう・・・
藤枝梅安 緒方拳 
緒方拳サンの藤枝梅安(笑)。
こっちは人の役には立っても人殺しちゃう方だし実在しない人物だから、同じ人を刺す仕事でも杉山検校さんの方が遥かに凄い訳だな(笑)。
石碑の先には❝旅館貸宿❞と書かれた❝石政旅館❞と言う素敵な旅館が在り玄関が開いていたので中を覗いてみた。
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どうも中古家具を販売しているのだが・・・
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どれもこれも、最近まで旅館として使っていた節のある備品ぽい物ばかり。
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実に立派な建物だ!なんで廃業してしまっているのか理解できない!
この1FだってBARに改装すれば江ノ島観光の帰りに若い客が大勢来るだろう。
それに宿泊できるのであれば、1Fで御酒を飲んで、そのまま宿泊してゆっくり数泊江ノ島観光したいサーファーやカップルの需要は絶対に有るはずだ!
勿体ない!
金沢八景の料亭金沢園も今年から喜多屋旅館としてリニューアルし復活した程、古民家や文化財建築のCafeや旅館は外国人や若者に人気が有るのに!
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夜間出入り口だったと思われる入口も風情ある。
御店主に「旅館としてはどれくらい歴史が有ったんですか?」と話を聞こうとしたら「何でそんな事聞くんだ!」と少し怒って逃げて行ってしまった。
英語や中国語一つ覚えてGoogleやYahoo!やトリップアドバイザーにホームページ作って掲載するだけでも江ノ島駅前、海岸徒歩5分の好立地、そして祖先から受け継いだ文化財に等しい建築物で異業種でも復活の機会は幾らでも有っただろうに・・・
何をやっているんだろう御店主、素人の質問から逃げている時点で祖先から引き継いだ店を守る気も気力も無いって事なのかな。勿体ない!
自分に維持する力も外国語一つ思える気力無いなら賃貸として貸し出せば良いのに!
絶対に入りたいテナントはいるはずなのに!朽ちていくのを待つとか自ら殻に引きこもって落ち込むのは違うんじゃないか?
まぁ、そうは言っても、御店主がやる気が無いなら仕方が無いんだろう。
しかし江ノ島にはまだまだパワーの有る頑張ってる老舗旅館も多数有る・・・
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もの凄い良心的な値段の紀伊国屋旅館さん。
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良い店構えだ!
小生は今年の夏は三浦半島に、秋は多分、京都か愛知県犬山温泉か奥多摩の旅館に宿泊するけれども、
冬は車で30分圏内の横浜市内と横須賀市内の老舗旅館を開拓する心算(笑)。
金沢区の喜多屋とか南区の中里旅館とか横須賀市の衣笠温泉旅館に泊まりたいからね。
夏の城ヶ島や三崎や松輪や秋谷界隈の旅館や民宿も、観音崎や走水のホテルや旅館もまだまだ数年かけて開拓していきたいし。
来年は紀伊国屋旅館さんか、江ノ島の岩本楼さんにも宿泊してみたいなと思う。
旅館以外にも頑張っている老舗が有る。
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玉屋のようかんサンだな。
この店については江ノ島からの帰路の記事で紹介したいと思う。
石政旅館、泊まってみたかったな・・・
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江ノ島の古い商店街を抜けて、地下隧道の歩道を通り抜けるとこの眺望に辿(たど)り着く。
名勝史跡江ノ島の石碑と江ノ島の風景。
これを見ると夏だ~!と思えるがまだ梅雨(笑)。
でも良い景色。小生はいつも車移動だが、電車でデートに来るカップルは、この石碑の風景を見るだけでもテンションが上がるんじゃなかろうか?
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この付近には江ノ島の裏側に渡る渡し船がいて、小生は行き帰りのどちらかで乗船する事をお勧めする。
10分程度の乗船時間。でも江ノ島を海から見るのはさぞ気持ちが良い事だろう。
小生は歩くのは嫌いじゃないので歩いた。
しかし女性連れは船を片道選択した方が無難だろう。出来れば帰りは船が良い。
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・・・と言うのも江ノ島は険しい自然地形で階段が多いので、オシャレな格好をした女性に長時間歩かせるには少々酷なのだ。この橋の手前から稚児ヶ淵の岩屋まで観光しながら歩いて行くと60分前後はかかる。だから行きか帰りどちらかをクルージングにしてあげるだけで疲れも半減するし潮風も気持ちい良い思い出作りに成ろうかと思う。
無論、歩くのが苦にならないカジュアルな格好で来てくれる女性なら、そんな心配も無く一緒に買い物も楽しむ余裕も有るだろう。
江ノ島がどれくらい険しいかと言うと、参道はちゃんと整備されているが、戦国時代、ここは最後の鎌倉公方の足利成氏(しげうじ)公が反逆者の上杉家連合軍に追い詰められた際に忠義の家臣達と江ノ島に籠城して、見事に上杉軍を撃退した程に堅固な防御を構築できる地形をしている言うなれば天然の城な訳だ。
まぁ、歴史的には西暦500年代、古墳時代に欽明天皇によって江ノ島の岩屋に天皇家の勅願所が開かれたので宗教的な聖地でもある。なので宇迦之御魂(うかのみたま)の神や弁財天様が祀られ多くの修験者や仏僧が多く修行した霊場でもあった。
そんな場所も江戸時代~現代にかけては庶民に人気の宿泊場所であり観光地と成った。
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そして、このゲンナリする人混みである(笑)。
人混みは好きでは無いが、多くの人の崇敬を神社仏閣が集めて日本文化がリスペクトされている事、日本食を多くの外国人旅客が美味しそうに食べていてくれる姿を見るのは嬉しい。
だから、この日の江ノ島の賑わいも嬉しかった。
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参道に入るとさっそく登場、昔からの旧鎌倉郡名物の女夫饅頭(めおとまんじゅう)。
現代では夫婦(ふうふ)と言う字に夫婦(めおと)と当て字の読み方をするが、本来のメオトは女夫(めおと)と書いたのだ。
今では鎌倉市の名物は鳩サブレーや豆やの豆菓子等、新しい物が有名だが司馬遼太郎さんも紹介しているが鎌倉の名物は昔から女夫饅頭だった。もっとも司馬遼太郎さんは女夫饅頭は鎌倉市坂ノ下に在る「力持ち屋」の名物と勘違いされていたようだが。
小生のこの日の目的の一つは、この女夫饅頭の食べ比べでもあったが、事前に当たりをつけていた老舗が鎌倉市内の長谷と下馬に有るので江ノ島では食事を楽しむ事にした。
そして、この日の主目的は観光では無く、老舗ホテルの岩本楼さんへの取材だった。
岩本楼は江の島神社の参道の途中に在る。
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この立派な門柱が岩本楼。
その前には有名な江ノ島名物の❝タコ煎餅❞の店が在る。
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他地域の人はイメージが湧かないと思うが、江ノ島のタコ煎餅はタコを丸々プレス機にかけて圧し潰して煎餅にした食べ物だ。
アホ程人気の行列店で、この日も客が多数並んでいたので断念した。
なので岩本楼へ先に訪問。
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岩本楼は実は小生が顕彰する横浜の殿様の間宮家と同族で祖先を同じくする。
旅館としての歴史は明治からの老舗だが、岩本楼の前身、岩本院の歴史は凄まじい100年200年ではきかない歴史を有する。
・・・と言うのも岩本楼は元々は密教や修験者の宗派である古義真言宗の御寺で江ノ島の岩屋や弁財天様を管理する別当寺だったのだ。
だから、源頼朝公が弁財天様を岩屋に祀って以来の歴史と成る訳だ。つまり800年前後の歴史を有する。
そして戦国時代、その江ノ島神社の前身と成った江ノ島の聖地の洞窟と弁天様を管理した別当寺の岩本坊として歴史書には登場し、足利成氏公の奇跡の大逆転勝利を導いた戦勝の神様を管理した場所であり、そして北条氏康公と北条綱成公義兄弟の河越夜戦での奇跡の大逆転勝利の際にも、北条氏康公が岩本坊に滞在して弁財天様に戦勝祈願をした記録が残っている。
河越合戦布陣図
加えて、当時の神主や別当が現在の岩本楼の社長の御先祖様で間宮一族、明治以前まで旅館岩本楼の前身の岩本院が天皇の江ノ島の聖地の岩窟を管理する勅願所だった為に❝間宮の苗字(みょうじ)❞より由緒ある本姓の佐々木を名乗っていた。
明治に成り廃仏毀釈による仏教弾圧で江島神社が設立され修験道寺院としての機能有った別当時の岩本院は停止された。その際に江島神社の宮司は間宮姓のまま残り、岩本院は宿坊の機能を活用して旅館業として再出発し社長は、明治以降は岩本の姓に改めた歴史が有る。この事は藤沢文書館で文献を読む事が出来る。
小生の訪問に対して岩本楼サンは丁寧な対応をして下さった。
生憎と写真撮影は出来なかったが、普段は一般非公開の資料館がホテル内に在って、そこには旧建物の天井の一部や様々な遺物が展示されている。そしてフロアには洞窟に祀っていた八臂弁財天様も鎮座していた。
今ではオシャレなリゾートホテルと言うか旅館に転身されたが、色々と貴重な遺物を見学させて頂き、パンフレット等も頂く事が出来た。
知識的な事については、当事者とは言え現代では歴史的な事に関しては、やはり小生の方が知っている事も多く、情報を交換する形に成ったが、本当に親切で、そして生粋の相模国人気質の江戸っ子に似た気風(きっぷ)の良さと江戸弁に似た横浜弁と言うか相武の訛りの聞いた親しみやすい、映画の寅さんの様な語り口調で小生の事も「お兄ちゃん」との人称代名詞で呼んで下さり親しげに近所の若者に接する様な話し方で交流して下さったので緊張せずに済んだ。
今年か来年、旅館としての岩本楼に宿泊したら、又、詳しい紹介記事を書きたいなと思う。
そして源頼朝公、足利成氏公、北条氏康公と同じく江ノ島の弁財天様の御利益も授かりたいなとも思う・・・

次回その②へ続く。




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