歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページ→http://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

タグ:幕末

皆さん、横浜の三塔ってご存知でしょうか~?
幕末~昭和初期の横浜市の旧中心街の日本大通りに、KingとQueenとJackと呼ばれる江戸幕府が終了し文明開化を迎えた頃に建てられた美しい近代西洋建築遺産があります。

本当は今回の記事で、公開中の映画「HERO」のロケ地にも成っている神奈川県庁旧庁舎に特化した記事を書くつもりだったのですが…
その前に、この地域の近代西洋建築と発展の歴史を写真と衛星写真で軽く解説させて頂く事にしました。
じゃないと、何で西洋建築をブログで取り扱うか意味も解らないと思うので。

冒頭で述べた「横浜三塔」と言うのは、実は横浜発展の歴史とも関係が有るんです。
では、まず、三塔の外観の写真を御覧下さい…

KING
2015-08-01-13-52-46
キングは神奈川県の旧庁舎の塔の事。

QUEEN
2015-08-01-14-30-35
クイーンは横浜税関の塔の事。
JACK
2015-08-05-14-53-34
ジャックは横浜開港記念館の事です。
横浜三塔
別角度でもGoogle Earthの3D地図で位置関係を見て見ましょう。
横浜山下地区:3塔位置関係
すべて幕末から文明開化を迎えて建設された近代西洋建築ですが、昔、海外から来日する国際航路の船舶の乗船者が船上から、この3塔を同時に見られたら幸運に成れると言われたそうです。
美しい建築遺産ですね。

実は、この3塔の前に今は山下公園や象の鼻パークが在りますが…
キングこと県庁旧庁舎の辺りは昔は今の横浜市の市名の由来に成った半島があり、その半島は海側から見ると本当に横に長い浜だったそうです。
ペリー提督
そこにアメリカのペリー提督が上陸し、その際、米国艦隊の海兵軍楽隊が演奏する吹奏楽を聞いたのが日本人が初めて西洋の音楽に触れた瞬間でした。
これを契機に日本と西洋諸国の間で通商条約が結ばれ、江戸幕府が国際船舶の貨物の荷揚げ積み下ろしの為に作った波止場が象の鼻パークでした。
ですので、現在も国際航路客船が停泊する「大桟橋」こと国際客船ターミナルが、象の鼻パークの前に建設された訳です。

では、三塔と象の鼻パーク周辺の位置関係を見て見ましょう。
横浜三塔と周辺位置関係
横浜市の都市設計は、今の林市長以前は海から来る外国の客船に綺麗に見える様に設計されていたと言うのは割かし有名な話で、明治時代から先代市長まで歴代市長が景観を大切に都市を創造されてこられました。
ので、大桟橋から見ると、正面に横浜スタジアムが見え… 横浜三塔と山下公園
右手には「赤レンガ倉庫」の立ち並ぶ旧新港埠頭やランドマークタワーとクイーンズスクエアが立ち並び夜景を彩るミナト未来地区…
横浜山下地区:大桟橋
左手には関東大震災以降に、市民の退避場と海浜公園の機能を兼ね備えて造られた「山下公園」や「みなとの見える丘公園」のあるオシャレな山手地区への海岸が在ります。

次回、HEROの公開中と言う事もあるので、HEROや華麗なる一族等のロケ地である、神奈川県庁内の写真を掲載したブログを書きますが、実は神奈川県庁、一般公開されています(ただし平日に限る)。
で、屋上のキングもすぐ目の前で見れますし、横浜市民も余り知らないのですが屋上からの横浜港の絶景を眺める事も出来ます。
2015-08-05-14-49-07
この県庁旧庁舎屋上からの写真、象の鼻(メリケン波止場史跡)の手前の方に左右に横切る陸橋の遊歩道が見えませんか?
実は、この遊歩道、昭和末期まで活用されていた鉄道輸送網の一部で、西郷さんや伊藤博文公が乗車した新橋~初代横浜駅(現:桜木町駅)を走ったSL(蒸気機関車)の路線を新港埠頭の赤レンガ倉庫へ延伸し、更に後に建設された新山下埠頭や本牧埠頭にも延伸されたその路線の線路の跡なんです。
ですので、小生が子供の頃この遊歩道にまだ線路が通っていて、開港記念日には記念にSLが走ったりしていました。

この地域、幕末に逸早く開かれた関内(かんない:関所の内側の外国人居留地)だったので、県庁の目の前には又じずれ別記事で詳しく書きますが、旧イギリス大使館の横浜開港資料館も在ったりします。
image
この他にも沢山の近代西洋建築遺産があります。
いずれ順番に紹介しますね!沢山写真は撮り溜めてありますがか♫
なんで日本大通り周辺にこの様に近代西洋建築が密集しているかは、先程ちょっと触れましたが、横浜の地名の由来に成った半島が有ったので、その地盤がちゃんとした半島の上や山手地区から先に開発が進み、その後で埋め立て地である関内は旧吉田新田方面が発展していったんです。

実は地形を見ると、昔、この辺りが半島だった名残りが解ります。
それは横浜中華街に有る特徴で解るんです。
横浜の地名由来説明
横浜中華街だけ、他の道と違って斜めに町が設計されていますよね?
実は、この画像で赤い範囲で囲った辺りが、おおよそ横浜とも弁天半島とも呼ばれた半島だった場所なんです。
中華街が斜めに成ってしまったのは、最初に山手の丘の麓の、今の元町商店街がある海岸と半島の付け根に当たる部分から埋め立て始めたから、その様に斜めに道路が設置されてしまったんですね。
元々は町では無く、海を干拓し水田にする予定だったので、その畦道(あぜみち)の名残なんです。

さて、そんな訳で、この地区は日本の中でも兵庫県神戸市と並んで逸早く文明開化を迎えたので、沢山の西洋建築や文化の発祥地に成っている訳です。
数回前のブログ記事で紹介した「かをり」と言う老舗洋菓子店の話で少し触れましたが、この地域が西洋文化の日本発祥地に成った物は本当に多くて…
※「かをり」の記事はカテゴリー「スイーツ」から探してください!
●国家「君が代」
●鉄道
●電話事業
●西洋式ホテル事業
●吹奏楽
●テニス
●石鹸
●西洋野菜(現在一般的に売られているニンジンやキャベツやネギなどは西洋種で神奈川奉行が幕命で栽培)
●アイスクリーム
…他にも腐る程あるのですが、小生、不勉強なので余り知りません。又、機会が有ったら調べて見ます。

さて、次回からは、今回の記事を契機に、この地域の近代西洋建築遺産を順々に紹介しますね!
まずはHEROのロケ地のキングの内部の写真を次回の記事で沢山載せるので、また御覧頂ければ幸いです。
mixiチェック

ブログネタ
旬なニュース に参加中!
この間、小田原城の記事を書きましたが…
小田原城には江戸時代、大地震で天守閣が傾いた歴史が有ったりします。
大正時代にも神奈川は皆さん御存知の「関東大震災」が起きました。
関東地方全体では105,000人弱が死亡したこの大地震、神奈川県では約3万人超の方が亡くなりました。
大地震発生した時に水の確保?する準備出来てますか?
2015-06-03-16-28-02
横浜市には富士山系の水脈の湧水が沢山有り、昔は飲み水にされていました…
その水源を2ヵ所、この記事の最後に紹介しますね!
何故この話をするかは、以下に書いてみますので、ゆっくり読んで見て下さい。

最近、地震や噴火、本当に多いですね?
と、言うかここ数百年が偶々(たまたま)地震や噴火が少なく気温が低めだっただけでしょうかね~?

さて…
地震が起きると一番怖いのは建築物の崩壊よりも建築物密集地の火災です。
横浜市の様な市街地で火災が起きるとどうなるか、実は江戸時代の文献を読むと良く解ります。
都市型大火災の説明を江戸時代の火災記録で行う前に…

大地震起きて都市壊滅したら一番困る事って何かって「通信」とか直接命の関わらない事じゃなくて「水」の確保なんですよね。
これは関東大震災を経験した祖母からも聞いた事です。
そして、井戸がほぼ使われなくなり大正時代より水道の普及した現代は、もし大震災で都市が壊滅したら前回の関東大震災より更に困る事に成るでしょうね?
水道管は破裂し、水道からは水が出なくなります

火災を消火出来ない。
飲み水も無い。
水洗トイレしか無いからトイレが使用不能に成り「野糞」するしかないのにアスファルトで固められた地面には簡易トイレも掘る事が出来ない、だから感染性腸炎なんかの病気が流行する。
その中でも飲み水が無いのが一番深刻な問題に成りますね。

横浜市は明治~大正時代に全国でも先駆けて水道網が整備されていた都市の一つです。
その弊害で、老朽化した煉瓦製や陶器製の水道管が使われている地域も少なくなく

前の横浜市長の中田サンは優秀な政治家だったので、この歴史事実を把握しており、中田市長の時代から横浜市は水道管を耐震の物に取り換える事業を開始しています。
しかし、それ以前は市内で水道管が破裂し数十mの高さに水道水が噴出する事もたまに有りました。
これには横浜市の給水施設と地形が関連しています。
円海山の配水施設
横浜市南部は水道水の供給を、円海山と言う山の配水施設から行(おこな)っています。
小生のブログで何回か紹介している円海山は蛍が見れる水源が有るだけでなく、山頂は標高が300m超あり関東平野南部に位置する横浜市内で一番高い場所でもあります。
そこから高低差を利用し、サイフォンの原理で市内に水道水を供給する施設が有ります。
その水は山梨県を経由し丹沢山系から注ぐ相模川から給水し、鎌倉市と横浜市の市境近く戸塚区の小雀浄水場で処理されています。

この円海山からの水圧に、横浜市内、特に山から一気に水が駆け下ってきて最初に標高が一番低い場所の水道管にブチ当たる磯子区では古い水道管が水圧に耐えれず、過去に磯子駅前の水道管が破裂し隣りの商業ビルよりも高く水道水が巨大噴水の如(ごと)く吹き上がってしまった事も有りました(笑)。
ですから、直下型大地震が横浜市を直撃すれば至る所で水道管が大噴水化する懸念が有り、中田市長の政策は市長が代替わりした現在でも受け継がれている訳です。

さて、いくら水道管を交換しても、きっと何処(どこ)かで破裂するでしょうね。
絶対に水道水が来ない地域も出てくる訳です。
先述の通り火災を消火出来ず、崩落した建築物の粉塵を抑える散水も出来ない訳です。
関東大震災の時、横浜市の旧中心部の関内地区では壊滅した市街地の瓦礫を海に集めて沿岸部を埋め立て、次の大地震に備えて火災からの非難施設を建造しました…
山下町周辺
それが上の衛星写真右上の山下公園です。
繰り返しますが、ここは関東大震災の瓦礫で作られた先人が我々子孫に残して下さった震災発生時の避難所なんです。
写真の中に横浜スタジアムも写っていますが…
横浜スタジアム周辺の公園は「横浜公園」と言う公園です。
ここは近代日本初の西洋式公営公園でして、元々は幕末に外国人向けの港崎遊郭と言う遊郭(ゆうかく=売春する料亭)の密集地帯でした。
豚屋火事と呼ばれる大火災が発生し多くの遊女が犠牲に成った場所でもありました。
そこに明治政府が公園兼災害時の避難場を設けるべく、リチャード・ブラントンさんと言うスコットランド人の土木設計技師に依頼し建設されました。
2015-06-03-16-06-47
この写真に見える一帯が全て港崎遊郭でした。
2015-06-03-16-07-18
因みに、すぐ横に在る首都高速横羽線の山下公園入口が有りますが、この首都高横羽線が走っているトンネルが昔は掘割(ほりわり=水掘り)でした。
その掘割の海岸側を関内と呼び、幕末ここに関所があり内側が外国人居留地に成っていました。
つまり、港崎遊郭は関内=外国人居留地に在った訳です。ここには日本初の西洋式ホテル「横浜ホテル」も在りました。
横浜中華街は関内で最初に埋め立てられた場所でもあります。
image


丁度(ちょうど)、豚屋火事の話題に触れたので、都市型の建築物密集地で大火災が発生するとどうなるか…
次は、そちらを説明したいと思います。
江戸時代、実は江戸の町は数回の大火災に遭(あ)い、大量の死傷者を出しました。
この横浜の豚屋火事でも沢山の人が亡くなったそうです。
当時の文献を読むと…
例えば「明暦の大火」と現代人は教わる「振袖火事」と言う大火災が有ります。
この火事は元々は、その振袖を着た町娘が次々と急逝するので、最後の振袖のオーナーの親が娘の供養の為に呪われた振袖を御寺で「御炊き上げ(おたきあげ=宗教的に焼却)」して貰おうとした所、その火の付いた呪いの振袖が強風で飛散してしまい江戸中を焼き尽くしてしまいました。
この火の勢いは凄まじく、江戸城の天守閣もその時に消失しました。
この時、川向こうへ逃げようとしても逃げる場所も無く炎に焼き殺される人が続出しましたが…
更に怖いのは、空き地に逃げた人も焼け死んだんです。

都市で大火災が起きると、熱風で吹き上げれた火柱が集まり炎の竜巻が起きるそうです。
その炎の竜巻が空き地の隣接する類焼地帯から上空を跨(また)いで襲って来て、空き地に逃げ込んで密集している人々を生きたまま火炙りにしてしまうそうです。
だからこそ、現代の都市計画は幹線道路の道幅を広くとり、類焼するスピードを遅らせようとしている訳です。

さてさて…
大震災が発生すると大火災も発生する訳ですが、大正時代と異なりオフィス街に木造建築物は少なく前回の関東大震災程には火災で死傷する人はいないでしょう。
…とは言っても被害は大きいし、水道管が使い物に成らないと飲み水も無く災害用の備蓄(びちく)飲料水も数日間しかもたないでしょう。
実は大正の関東大震災で水道水の供給が止まった際に、横浜の人々を救ったのが冒頭で写真を掲載した場所の湧水なんです。

「打越の霊泉」と言います。
2015-06-03-16-27-55
この打越の霊泉に行くには近くにある「打越橋」と言う鉄橋を目標にして下さい。
2015-06-03-16-27-35
この鉄橋の少し手前に打越の霊泉が在ります。
2015-06-03-16-28-11
現代の志(こころざ)し高い地元町内会長さんが石碑にも残し、後世に伝えて下さっていますが横浜市民にも知っている人は少ないでしょう。
ここにはJR元町駅から徒歩で行けますし、みなとみらい線の中華街元町駅からでも行けない事はありません。
水を汲みに行きたいなら運搬するでしょうから車をすすめます(笑)。
関東大震災で水道管が使い物に成らなくなって給水出来なくなった時、関内や元町周辺の人々はこの湧水の御蔭でインフラ復旧まで持ち堪(こた)えれたそうです。
関内は埋め立て地「吉田新田」の一部ですからね…井戸掘ると海水しか出なかったんですよ。

ここと、近所の中区本牧側、下の写真ワシン坂にも「ワシン坂の霊水」が在ります。
2015-06-03-15-34-31
ワシン坂一帯の丘は、ジブリ映画「コクリコ坂」のモデルに成った場所でもあります。
観光地「港の見える丘公園」も徒歩圏内です。

実はこの2ヶ所の霊水、両方とも富士山系水脈のバナジウム天然水で腐り憎く良質な軟水で、その長期保存が効く性質から幕末に横浜が開港されると、外国船に飲料水として補給されていました。
現代では付近が開発され、ビル建設の基礎工事などで水質が安定せず、飲用を推奨出来ない水源と管理上便宜的に看板が有りますが…
2015-06-03-16-29-13
小生はこの水を以前、汲んでよく家で御茶を淹(い)れていました。
この水は美味しく、煎茶を淹れるのに適しています!御茶に甘みが増すんですよ!
特に民主党政権時代の2011年03月11日に当時の無能な菅直人内閣と枝野官房長官が福島原発の放射能飛散に対応しきれず対応が遅れた時期、小生は水道水の安全性が確認されるまでワシン坂の霊水をタンクに汲んで持ち帰り、煮沸してから飲用としていました。
関係ないですけれど、この本牧半島地域を江戸時代に本牧奉行として治めたのが、笹下城主間宮家の子孫の笹下間宮直元公とその御子孫でした。
※打越の霊泉とワシン坂の霊水を飲んでみたい人は、自己責任でどうぞ(笑)。

この水脈を利用して日本初の麦酒(ビール)醸造所として開かれたのが今の中区の横浜市立北方小学校の敷地一帯に建設された「スプリングバレーブルワリー」でした。
このスプリングバレーブルワリーの創業者はウィリアム・コープランドさんで、ノルウェー系アメリカ人でした。
コープランドさんは晩年余り幸せでは無く、その後、彼の事業を引き継いだのが、三菱財閥とその創始者の岩崎弥太郎でした。
余談ですが…
キリンビールのロゴの「麒麟」は「龍」と「馬」を足した様(よう)な架空の動物ですよね?
134722797166213217380_glover2
何でこのデザインにしたかってのは有名な話で、麒麟麦酒の出資者の岩崎弥太郎とグラバーさんが共通の友人だった「坂本龍馬」サンをリスペクトして後世に偉業を伝える為に麒麟をデザイン化したと伝わっていますが…
実は神奈川県、坂本龍馬先生と所縁が有ります。
奥さんの「お龍サン」の「終の棲家(ついのすみか)」は、横須賀市でした。
お龍さんが龍馬さんに先立たれ未亡人に成ってから働いていたのが、京浜急行神奈川駅の近くに現在も営業している料亭「田中家」でした。
その京急神奈川駅の目の前に「神奈川台場」と言う砲台を設計したのが、龍馬サンの師匠の勝海舟先生でした。
今回の記事で紹介した麒麟麦酒の創業地と、2ヶ所の湧水や山下公園の位置関係はこんな感じ…
水源と周辺位置関係

話が脱線しましたが…
買える水は直ぐに備蓄が尽きますよ?
皆さん、先人の教訓を活用する為にも少し歴史を調べて、御近所で飲用出来る湧水を知っておくのも何かの助けに成るかもしれませんよ?
mixiチェック

↑このページのトップヘ