歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:徳川家光

2019年8月12日、最初は富士山に行こうかと思っていたが生憎(あいにく)と天気が安定せず雨と曇りを繰り返す微妙な天気だった。
国道16号に抜けてから大黒ふ頭に向かう横浜ベイブリッジの下層一般道路で川崎方面に向けて車を走らせ、一緒に山登りしようと計画していた同行者を鶴見まで迎えに行った。
雨の中富士山に行っても楽しくなさそうなので富士山には行かず、まぁ~丁度“灯籠祭り”が大山で開催されているので、昔は‟富士講”の一環で富士山とセットで江戸市民から信仰の対象で観光地としても賑わっていた大山に行き先を切り替えた。つまり大山講に旅を切り替えた。
大山については以前も解説しているので御興味の有る方は以下の過去記事を読んで下さるとどんな場所か少し判ると思う。
これクリック⤵
大山阿夫利神社と灯籠祭りの夜景と参道温泉街
…伊勢原市。

大山は縄文時代から聖地化していて山頂からは古代の祭祀遺跡も発掘されている。今では夏の灯籠祭りの期間の夜景と秋の紅葉が、ハイキングファンと神奈川県民に知られる場所だ。
お盆休みで商務車両が少ないせいか道路はスムーズに流れ、神奈川県伊勢原市の丹沢大山国定公園まで1時間40分程度で到着した。現地に到着すると最初に昼食を食べに行った。
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東学坊
小生のブログを以前から読んで下さっている方々は存じ上げてるが、大山の参道には江戸時代以前からの“先導師(せんどうし)”つまり伊勢神宮で言う所の御師(おし)に対応する神職僧侶兼ツアーコンダクターの様な仕事をやっていた方々の宿坊(神社寺院機能の有る旅館)が昔と比べて相当数軒数は減ったものの現在も営業しており、その何(いず)れも大山の天然水を利用した名産品の“大山豆腐”の豆腐懐石や猪肉料理を提供しており食事や日帰り入浴だけの客にも対応して下さる。
小生や東学坊と元滝と言う二軒を特に好んで利用するのだが、今回は日帰り湯にも入りたかったので東学坊で昼食をとる事にした。
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宿坊だから外観内装は完全に個人経営旅館。
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玄関に入ると池の奥に神棚の備え付けられた部屋が有る。これが普通の旅館では無くて修験道の聖地だった大山の名残り。昭和初期まで大山にはケーブルカーなんて無かった。江戸時代は小田急線伊勢原駅も当然無かったので、登山客は江戸方面からずっと歩いて来るので当然ながら大山の宿坊に1泊する訳だが、神職や僧侶でもある先導師を兼ねる旅館のこの様な部屋で登山の安全祈願をして貰ってから山に入る訳だ。
昼間、この東学坊は収容客数が50人位の広間がレストランとして営業している。
ここの料理は和食でも豆腐が中心になるので、だいたいの外国からの来客でも安心して食べられる料理が多い。
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とにかく、この豆腐がそこら辺の豆腐屋の豆腐とは全く文字通り格別!本当に美味しい!
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注文したのは“香の膳”と言う3680円位のコースで、そこに入浴料金も含まれているので御得。
一人では注文できないので、単独行動大好きな小生も普段からしょっちゅう食べてる訳じゃない(笑)。
ここで提供している超絶美味い豆腐は東学坊の御向かいの豆腐屋さんの商品なので購入する事も出来る。
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これね。
食事を終えてから東学坊の旦那さんに・・・
「今日は今から山に登るので帰りに御風呂入らせて頂いて宜しいでしょうか?」
・・・と一応事前に電話でも伝えていた御願いを再確認し許可を貰い、東学坊を後にした。
そこから徒歩で参道を歩いてケーブルカー駅まで移動。
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東学坊の前の不動明王様を拝んで直ぐ上の有名な御饅頭屋さんに移動。
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大山まん志"う本舗 良辨
この店の由来の良辨(ろうべん)と言うのは大山に深い関わりの有る高僧で、やはり大山一帯のみならず関東一円に影響を与えた行基大僧正の関わり深い東大寺の前身寺院出身の人物だ。
行基大僧正は神仏両方を大切にされ街道整備や修験道の神社や寺院を全国各地に整備し、東大寺大仏の造営を成功させた人物でもある。
この大山まん志"う本舗 良辨が何故に良辨和尚の名前を頂いているかと言うと、少し歩くと解かる。
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大山の緑と沢の御陰で散歩も涼しい。
昭和初期まで徒歩で大山を登って来た大山寺と阿夫利神社に向かう参拝客は宿坊で祈祷を受けてから、先ず、この近所にある良弁の滝で行水(ぎょうずい)つまり禊(みそぎ)をして体を清めてから山に入る。
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良弁滝
まぁ~ここまで歩いて来たら汗だくだし、草鞋(わらじ)なんてビーチサンダルみたいに歩けば足も汚れるしね。
今ではここで滝に打たれる人を見る機会は無いと思うが、皆も大山に登る前にはココに立ち寄って拝むか手を洗う位して昔の人の気分を味わうと良いと思う。
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旧道~ケーブルカー駅迄(まで)を歩き進めると昔の雰囲気を残す街並み。
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途中には土産物屋や宿坊や懐石料理屋が沢山あって旅館街の雰囲気を残す。
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大山観光電鉄株式会社 大山ケーブル駅
今回、大山に予定地を変更したのは“灯籠祭り”に合わせて、この大山ケーブルがPM:20:30まで夜間営業をしているから夜景を見るのも一つの目的な訳だ。もし大山の夜景を見たい人は今年は今月15日まで、後は秋季の夜間ライトアップまで暫くチャンスはなくなるので時間と期間を上の大山ケーブルのホームぺージリンクから確認してから訪れた方が良いと思う。
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ちなみに現在のケーブルカーの車両は2016年に新しく成った物で、風景が見やすい窓が大きくとられた設計に成っている。屋根の方まで見えるので、下りの時に伊勢原~平塚~相模湾の夜景が良く見える。
確か2016年の鉄道のベストデザインかなんかも受賞している。
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大山阿夫利神社下社
先ず到着して御朱印を頂いた。まだ令和元年の大山阿夫利神社の御朱印を頂いていなかったので。
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因みに、この大山阿夫利神社下社の場所は江戸時代までは御寺で、今は山の中腹に移動した大山寺の不動堂の大きな御堂が存在した。そして阿夫利神社は山頂本社の事を指し昔は石山権現大山阿夫利神社と呼ばれていたのが本来の名前だった。大山は湧水の有名な場所なので、古来水辺に祀られた不動明王が鎮座していた訳だ。現在の大山寺は来迎院と言う支院だった。
今回は先ず、大山阿夫利神社まで行き山頂まで登山しようと思っていたのだが、日没時間18時39分に対して、この時既に16時30分、少しゆっくり街並みを見過ぎて山頂まで往復登山すると下山出来ない時間帯に成ってしまった。
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なので先ずは予定変更し見晴台まで行く事にしてハイキングは縮小。
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何故見晴台方面に行ったかと言うと、そこに行く途中に滝が有るから。
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二重滝(ふたえのたき)
この二重の滝も良弁滝と同じく、昔は阿夫利神社の参拝客が禊の滝行を行う場所だった。
二重の滝と日向薬師位置関係 久良岐のよし
衛星写真で位置関係を見ると良く解るが、大山の北東には津久井方面へ抜ける古道が通り、戦国時代には街道を押さえる扇谷上杉家の七沢城が存在した。
ここの街道周辺の山中に洪水の影響を受けない山道の中継拠点として重要な聖地を整備して廻ったのが行基大僧正だった。だから大山も良弁サンが関わってる訳だ。その古代の聖地の大山と行基大僧正が開いた日向薬師を結ぶのが見晴台の山道であり、そこを経由して大山を参詣する人が禊をする場所が二重滝だった訳だ。
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現在二重滝の横には二重社と言う御社が有るが、本来、ここには徳川家光公が建てた同規模の別の名前の神社が存在した。
下は二年前の春に登山した時の写真だが二重社の場所に在った“龍神堂”。
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現在は明治時代に成立した国家神道から自然崇拝や神仏習合の弾圧の対象にされたので破壊を避けて大山寺(来迎院)に避難移築されている。まぁ、そんな歴史も有るが現代では又、神社と御寺がどこでも仲良く江戸時代までの様に平和に共存しているので、敢えて昔の事を書いて説明しておこうかな。
二重滝と二重社から歩いて暫くすると見晴台。
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二重社~見晴台に向かう途中・・・
「パキパキッ!」
・・・と大きい音が移動しながら近づいてくるので・・・
「熊だったら不味いな。同行者いるし。」
・・・と思って目を凝らして見たら鹿軍団の行軍だった(笑)。
鹿サン達と出会ってから数分で見晴台に到着。
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丹沢山系の向こうに旧高座郡の海老名市や大和の町が見えている・・・はず。
見晴台で休憩してから今度は大山阿夫利神社下社に戻り、休憩茶屋の“さくらや”の下の女坂参道を降りて真反対の大山寺まで登山道を降りた。
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途中で大山ケーブルカーとすれ違い。
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残念ながら時間的に御堂の中には入れなかったが、2年振りに参拝出来て良かった。完全な登山も出来なかったが女坂を歩いた事で同行者も大山の雰囲気を知る事が出来たと思う。
そこから大山ケーブルカーの大山寺駅に移動し、ケーブルカーで再び大山阿夫利神社に移動。
丁度、ライトアップが始まる時間帯に合わせて。
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石段を登る。
この両脇にも明治時代に神仏習合文化が弾圧されるまで、沢山の神社や御寺と宿坊が建ち並んでいた。
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日没時間が迫り灯籠が浮かび上がり始める。
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夕方の彩雲と一緒に月と街の灯も浮かび上がり始める。
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う~ん綺麗!
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月も出て良い具合。この夜景を是非とも皆さんにも見て頂きたい。
ブログを書いている本日は2019年08月14日、まだ明日15日までケーブルカー夜間営業と灯籠祭りの開催期間なので、東学坊はじめ参道の豆腐懐石料理店と合わせて行けば、家族連れにもデートにも最適♪
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夜に成り社殿の前の笠も可愛くライトアップされていた。
山を下りて御風呂に入って帰る為にケーブルカーに戻る。
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途中も参道に地元の小学生や中学生が手作りした灯籠が並べられていて綺麗だった。
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そして新ケーブルカーが本領を発揮する。
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上部天井まで切れ込んだガラス窓から望む伊勢原市の町の灯り、そして運転席からは線路沿いもライトアップされていてとても綺麗。
更に参道も綺麗なんだな。
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灯籠祭り期間は参道の道上と各宿坊と御土産物屋サンがそれぞれ絵灯籠を並べていて凄く日本的な風景を演出して下さっている。
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ね、綺麗でしょう?
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途中、御土産に豆腐と対を成す水を利用した名産品の蒟蒻を購入した。
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で、暫くまた参道の風景を楽しむ。
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ここは灯籠祭りの灯籠の展示会をやっているのだが、少し前まで宿坊として営業していたので旅館の風情ある感じが楽しめる。無料で中に入れるので、立ち寄ると良い時間を過ごせる。
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小生達は御風呂入る時間があったので、今回は入口からだけ見学させて頂いた。
東学坊に戻る。もう宿泊客の皆さんは入浴済みの時間帯だったので貸切状態で内風呂に入る事が出来た。
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小生だけだったので写真撮影させて頂いた。
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脱衣所はこんな感じ。
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まぁ、個人経営旅館なの御風呂の規模は大きくはないが、大山の水の沸かし湯でとっても肌に良い。
連れは御湯の質にとても満足してくれた様で良かった。
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連れが出て来るまでサイダー飲みながら玄関で茣蓙(ござ)に座って待つ。
この入口の衝立(ついたて)の裏に江戸期と現代の大山の絵図が掲示して有る。
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江戸期と比較すると明治政府の宗教改革時に大分弾圧されてしまった事が解かる。
源頼朝公が参詣して以来、歴代将軍が大切にして来た場所で江戸時代も徳川家康公や徳川家光公等に大切にされて来た場所なのだけど、明治政府の唯一の失敗である宗教改革で大山は神社も御寺も激減してしまった。
でも今でも宿坊や御土産物屋サンが建ち並び、空気も綺麗で山登り、秋には紅葉狩り散策しても楽しい。また秋に来ようかと話して、車に乗って連れを横浜市の端っこまで送り届けた。
そこから小生の住む円海山への帰路、横浜ベイブリッジと首都高速湾岸線の一部区間の下層部分に一般道路が存在している事を知らない人も多いと思い、Twitterで帰路ドライブの様子を撮影して見た。
栄区・金沢区・磯子区辺りから川崎方面に下道で行く時はこの道を通った方が早い。
川崎大師もこの道で行けば高速使わず行けるので便利。

まぁ、そんな感じで大山の夏を堪能できた。
では又、次の記事で!

この日の行動の結果を先に行ってしまうと朝の7時半から夕方5時まで、略(ほぼ)ずっと登山と下山を繰り返していた。
…スポーツジムよりキツイ。しかも一睡もしていなかった。

前日仕事を終え1時頃に帰宅してから食事と入浴、その後、自分の事を色々やっていたら早朝5時に成っていた…
「仮眠したら又昼まで寝て休日1日無駄にする」
…と思ったので“必殺徹夜強行軍”作戦を決行。
早朝6時半に出発したので一般道でも混まず、横浜から伊勢原市まで50kmは離れているのを、ものの1時間で到着できた。
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最初に通り道に在る洞昌院公所寺を参詣した。
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ここは小生が尊敬し毎日遥拝している歴史偉人の一人である太田道灌公の菩提寺であり、太田道灌公とライバルだった北条早雲(伊勢盛時)公と太田道灌公の親友の禅僧出身の俳人、万里集九とで太田道灌公の首を切り盗られた後の胴体を葬り供養された御廟所が有る。
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今でも御廟所の前には北条早雲公と万里集九が手植えした松の枯れ朽ちた大きな幹が保護されている。
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公所寺には道灌公の御位牌と共に歴住の御位牌を祀る御堂も在る。
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そして公所寺は見事な枝垂れ桜が有り今時分、花を満開にした姿を見せてくれるのを知っているので道灌公への日々、御守護頂いている御礼を伝えに御参りし、そして、ついでに枝垂れ桜も撮影して来た。
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その後、再び車に乗り込み大山へと桜を見に向かった。
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大山国定公園の山麓には所々綺麗な桜の樹が満開に成っていた。
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そこかしこに立派な桜が咲いている。
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大山は山の頂上に霊石が有り江戸時代は石山権現と呼ばれた。大山の存在自体が縄文時代からの聖地だった。
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だから今でも多くの御社や石仏が有り、神職、僧侶、修験者達そして庶民が聖地として身を清めた滝が現在も沢山存在する。
古代に頂上に存在した祭祀場を起源に持つ延喜式内社の相模国十三座の内の一社である大山阿夫利神社と、天平勝宝七年(西暦755)年に大山阿夫利神社の別当寺として日本初代の大僧正と成った行基大僧正と東大寺の大仏建立に尽力した良弁僧正が開いた大山寺の参道が現在の登山道の下半分だ。
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そこには古代~人が通い、江戸時代には大いに栄え宿坊が立ち並び、お伊勢参りや出雲大社詣でと並んで多くの人で賑わっていた。そんな場所だった。
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現在でも参道には沢山の御土産物屋さん、宿坊が営業している。
大山は古代からの水の聖地、そして海上交通のランドマークとして武士や海産物関連の商人や漁師、廻船問屋つまり現在で言う所の商社マン達から崇敬を集めた。
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だから多くの人間が山頂の奥院目指して参拝に来るので山を案内する修験者や僧侶や神職が先導師(関西で言う御師)と言う今で言う聖地巡りのツアコンを兼ねた宿屋を営業していた。
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だから今でも其(そ)の文化は続いていて多くの宿坊が営業し温泉街として情緒豊かな風景を留めている。
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昔から清涼な水を利用した豆腐料理を出す茶屋、清酒の蔵元も営業している。
昭和初期まで大山特産の土産だった“コマ”を製造販売している店も減ったが今も有る。小生が子供の頃は目の前で職人さんが木を削りだし塗装をする所を見学出来た。
そして山伏でもある修験者達は優秀な猟師でもあるので猪鍋や鹿鍋を出す茶屋と宿坊も多く、美味しい聖地でもあるのだ。

さて、今回の目的は主に4つ有る。
①大山の“普通の桜”と“樹齢1000年を超すという大山桜”を見る事。
②子供の頃から何回も参詣に来ている大山阿夫利神社なのだが何時(いつ)もケーブルカーでしか登っておらず下社までしか行った事が無いので山頂の奥院へ初登頂し奥院の御朱印を頂きたい事。
③駐車場より先、昔からの参道の登山道の風景を写真に収める事。
④猪鍋を食べる事。
参道へは到着したものの、問題はここからだった。
実は大山桜の場所はネットで検索してもGoogle Mapにも出て来ない。何故なら山林の中に自然に根付いた大樹で遊歩道などそもそも整備されていなかったから。だから大山桜を見るには地元の観光案内所で生き方を教えて貰うしか無いのだが、早朝の7時半にやっている観光案内所なんぞ田舎に在る訳が無い。
なので先に神社を参拝して、その後に標高約1300mの山頂の奥院(本宮:江戸時代まで石山権現と呼ばれた山頂の聖地)を御参りしてから下山して観光案内所に行く事にした。
※Google Mapには見学後、小生が位置を登録し公開して置きました。
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さて無論、早朝なので大山阿夫利神社下社までの登山ケーブルカーも運航していない。
…下社まで選択の余地無く強制徒歩登山決定(笑)。まぁ、歩く心算だったが甘えは許されない訳だな。早くケーブルカーにも乗って写真を撮りたいと言う気持ちも有ったので、甘い自分が出ない時間帯で良かったと思う。
なんでケーブルカーに乗りたかったかと言うと下社までも可也(かなり)キツく疲れるのも当たり前だが、何より昨年秋に新しく導入された車両と言うのが鉄道の2016年度グッドデザイン賞か何かを受賞しているのを知っていたので、以前の車両とどう違うか早く見たかったからなのだ。
しかしまぁ、諦めて帰りの楽しみにする異にした。
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大山ケーブルの駅の横には小さな神社が在る。
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悪縁邪念を断ち切る神社なのだが…早々に甘える邪念を払う御利益が有った訳だ(笑)。
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往路は初めて山腹の駐車場から徒歩で頂上の奥院まで登る訳だが、大山ケーブルの横に昔からの登山道が有る。
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左に行くと女坂、比較的登りやすい道として有名。
右を行くと男坂、結構キツくて登山者に有名。
小生は勿論、男らしく男坂…では無くて体力温存を考えて女坂を選んだ(笑)。
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階段上がって直ぐの所に廃屋が有った。
昔は御土産屋さんとして営業していたのだろう。開いたままの雨戸から中が見れた。
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う~ん…妙に生活感が有る。本当に廃屋のはずなんだが、最近までj人が居た様な気配さえ有る。
洗濯物とか有るし。商店に良く有る飲料用冷蔵庫が有るので、やはり昔は土産物屋さんか何かだったのだろう。
ケーブルカーの開通で客足が遠退いたのか、御店主が山を下りて御子さんと同居する事に成ったのかは分からない。
中腹の大山寺と大山阿夫利神社“まで”の参道の風景は体力的にも余裕が有り楽しめた。
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まず最初に登山客が出迎えてくれるのが“追分社(おいわけしゃ)”の八意思兼神だ。
この神様は天照大神の参謀総長の様な役割の神様で小生が崇拝する地元の神様の内の一柱(神様を数える単位は柱)だ。
思金神とも書く。
“追分”と言うのは道の分岐点の事。
この男坂と女坂の分岐点に思兼神が祀られていると言う事は昔の人は、この思金神を通じ登山者に対して…
「自分の体力と良く相談せいよ」
…と言う意味合いも有り追分社として御祀りしていたのだろうか?昔の宮司様達は今の神社と少し違って神様の役割を万能とは捉えておらず、それぞれの役割が有ると認識していたので、この神様に礼拝する事によって登山者自身に考えさせる機会を作る事で神様に御利益を発揮して貰い巡礼者達を守って貰おうとしたのかも知れない。
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この辺りは江戸時代に整備された石段も状態が比較的良く歩き易かった。
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渓流の景色も良い。
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そして道端の草花がとても綺麗だった。
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源頼朝公も登った多くの可愛らしい石仏や深い渓谷の風景が登山を単調なモノにはさせず小生を楽しませてくれた。
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昔は多くの人がここを通り、お参りしたんだろう。
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大山の空気も聖地だからと言うよりは神奈川県の内陸部の海側に面した山の中で一番高い場所なのと国定公園で自然林と水源が守られているので“ヒンヤリ”と“凛として”いて“清々しい”空気が漂い、汗が噴き出す体を冷やしてくれるので心だけは清涼な感覚を得る事が出来た。
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 少しづつ参道の階段の角度も急に成ってくる。
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でも登山客は道端の石仏や樹木の伝承を書いた看板を読む為に立ち止まると良い休憩に成り、体力も回復しながら昔話も楽しむ事が出来る。
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そうこうする内に最初の目標地点、大山寺に辿(たど)り着いたのだが、こんな余裕は大山寺や下社までだと言う事を未だ、小生は知る由も無かった。。

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 大山寺の手前には上の写真の前不動様と…
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 …現在は廃墟に成っている昔の大山寺の庫裡、来迎院(らいごういん)が在る。
来迎院は庫裡だったのだが、登山客の為に宿坊として機能していたそうだ。現代では山の下に新しい来迎院が建設され、登山客の減少も有り閉鎖され廃墟に成った。CIMG3207
庫裡の横の崩壊した部分には、過去帳と思われる文書が放置されていた。良いのかなコレ?
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前不動明王の横には元々二重の滝の横に現在は二重神社に明治時代にとって代わられた龍神堂が移築保護されている。
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廃仏毀釈の悪影響だ。名前が堂と言うだけで仏教施設として排除されたのだが、実は徳川家光公が二重の滝の横に御堂を寄進するまでは二重の滝自体が聖地として存在しても、宗教施設は存在しなかった。
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良弁僧正が神様より霊感を授かって開かれた聖地が二重の滝の霊場だったのだから、そのまま他所の地域と同じように「龍神社」に名前を変えるだけで良かった筈なのだが、特に八大竜王関連の宗教施設は牛頭天王社や祇園社と同じく弾圧の対象に成っている場所が多い。
先に述べたが大山は縄文時代から山麓の多くの滝が信仰対象に成っていた山頂の霊石が御神体崇拝対象だった聖地で延喜式神名帳の阿夫利神社が形成された。
古代から山頂では祭祀が行われており縄文~古墳時代の祭祀遺跡が出土している。
山頂からは海洋生物の化石も出土しする古代の海底だった地盤なのだが、ここはフィリピン海プレートと北米プレートがぶつかり合いせり上がる巨大な断層帯な訳だ。
気象庁から拝借 地震の仕組み 久良岐のよし
気象庁が公開している「地震の発生のしくみ」を見ると解り易い。正に大山と富士山は同じプレートの境目の上に存在している。神話で大山祇大神(おおやまづみおおかみ)の権化とされる大山と、此花昨夜媛(このはなさくやひめ)の権化とされる富士山が父と娘の関係なのも、あながち間違いでは無い訳だ。
そんな地理上のパワースポットで有るからこそ、水が豊富で特殊な三角形のランドマークに成る山に成った訳だ。
だから自然崇拝の対象にも成り、古代人の聖地に成り奈良時代~鎌倉時代~室町時代~安土桃山時代~江戸時代を通じて文化と歴史の蓄積で醸成された精緻なな訳だ。
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そして、平安時代には良弁大僧正が日本神話を大切にされた方だった事と古来の聖地をちゃんと認識しておられたので天平勝宝七年(755年)に神宮寺として大山阿夫利神社と同じ御神体を石山権現として神仏習合の形式で奉戴する大山寺が造営され、第三代住職を弘法大師空海和尚が勤めた歴史が有る。
当初は現在の大山阿夫利神社と同じ場所に仲良く一対(いっつい)に成って存在していた。
弘法大師様も尾張国一之宮真清田神社で庶民の為に雨乞い神事を行ったり、神奈川県では日本武尊の聖地を回っていたり、そこかしこに牛頭天王社や太子堂を造営した神話と仏教を両方共に大事にされた人物だった。
大山の聖地も古代に突然完成し明治に至った訳では断じて無い。
仏教も日本文んか形成に大いに貢献している事を、現在の神社本庁のトップである石清水八幡宮の田中恆清宮司も重視しており神仏習合の価値観を大切にしておられる訳だ。小生の祖先は大宮司だが、歴史を理解しているから歴代の天皇や尊敬する武将達と同じく御寺も大切に思う。
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大山寺は明治時代に神仏分離令と廃仏毀釈によって現代の場所に移転した。
寺に着いて直ぐに目にした、廃仏毀釈のせいで荒廃してしまった大山寺の管理を行う来迎院(らいごういん)の朽ち果て半壊しているの様子が痛々しかった。
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この日、幸運な事に大山寺は国宝の御本尊の不動明王様が御開帳の日だった。色々と管理人の女性職員の方と雑談をして予備知識を御教授頂いて情報収集をして、御朱印を御願いしてから書き上がるのを待つ間に御本尊を拝観させて頂いた。
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堂内撮影禁止なので写真に収める事は成らなかったが、とても威厳の有る不動明王様だった。
この御寺が今の阿夫利神社と一体だった時代に源頼朝公や太田道灌公や徳川家康公が同じ御本尊様を御参りしたと思うと何とも光栄な体験をさせて頂けた。image
参拝と堂内観覧を終え、御朱印を頂いてから再び登山を始め阿夫利神社下社を目指した。
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途中、登山列車の大山ケーブルの新型車両を参道の荒れ道から見る事が出来た。CIMG3219
外観は余り奇抜では無かったので「乗って見ないと判んねぇ~なこりゃ」と言う感想しか湧かなかった。
つがいのカエルも見る事が出来た。
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けど余り可愛くないな(笑)。両生類と爬虫類は可愛いと思わない(笑)。
でも、雨の使者でもあるので雨乞いの神様でもある大山に相応(ふさわ)しい生き物のつがいを見る事が出来て幸運だったのだろう。
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(小生にとって)少し苦労して下社の直ぐ下の茶屋の場所まで辿り着いた。
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ここまでユックリ来たので1時間半位はかかっただろうか?
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茶屋の名前は「さくらや」と言う。
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大山に来る度に名物の“豆腐ソフトクリーム”を食べる店で、店員の女性は名物姉さんに成っている人物だ。
さくらやに意味の解らない暖簾(のれん)が掛かってた…
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「ルーメソ」
…と書いて有る。珍しくてTVでも紹介されたそうだ。
店の姉さんに知ってるか?と聞かれて気に留めた事も無かったので改めて「何だろ?」と聞いた所、首を横に倒して見てみろと言われた。言われた通りにすると…
「ラーメン」
…と縦に書かれた「幟(のぼり)」を横にして暖簾に使ってしまったらルーメソと読めて人気が出たのでそのままにしているそうだ(笑)。
とりあえず姉さんに何時(いつ)も通り呼び込まれ、豆腐ソフトクリームを注文した。CIMG3225
姉さんが汗をかいた分の塩分補給に漬物をサービスで出してくれた。
疲れたし、まだ朝食も食べていなかったので朝食もとる事にした。
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ユカリご飯と味噌オデン(蒟蒻の田楽)を注文、何ともヘルシーな朝食と成った。
食事を終えて出発しようとすると、山頂に行くならコレ持って行きなと姉さんが気を回して登山用のストックを持って来てくれたのだが…
「アンタにはコッチの方が似合う」
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…と、修験道の山伏さん達行者が使う「金剛杖」を渡された(笑)。
まぁ、小生は見た目が厳(いか)ついから確かに似合うだろう。CIMG3229
小生も異存無いので有難く“さくらや”の姉さんの好意に甘え、装備を一つ増やして登山に備えれた。これが帰路下山する時に大活躍してくれた。
姉さんありがとう!
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登山する前に、当然、大山阿夫利神社下社を参拝した。
参道の階段に台湾の会社が奉納した石柱が有るのに気が付いた。
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今まで気が付かなかった。先日、台湾人の友人夫妻が横浜に遊びに来てくれたので、台湾の二文字が直ぐ目に留まった。まぁ、「台湾省」と書いて有るのが小生的には微妙なんだが。そこは中華民国台湾で良いんじゃないのか?
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この神社は夏と秋の期間限定で麓の参道の宿坊街からここまで、燈篭で照らす御祭りを開催している。
※詳しくは以下の過去記事を御覧下さい。

大山阿夫利神社下社の社殿の下には霊水の泉が有り、そこで霊水を汲み取る事が出来るし飲む事も出来る。美味しい。
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 御参りし、この神泉の水を飲んでから神社の職員サンと話し、前日の雨を踏まえて本来の頂上の奥院を目指す参道と、見張る台経由のなだらかだが遠回りの道とどちらが良いかリサーチ。
正式な参道で頂上を目指すことにした。
奥院への登山道の入り口には浅間神社が在り、大山祇大神の娘の姫神様である此花昨夜媛様と磐長媛様が祀られている。
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浅間神社は一般的に此花昨夜媛様を祀っている場所が多いので、珍しいと思う。
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此花昨夜媛様は美人だったらしい。磐長姫様はブ〇だったのだが永遠の寿命を持つ媛神様だった。
二人とも天皇家の祖先神である瓊瓊杵尊様の御妃様に成る予定で父神の大山祇大神様は 準備していたのだが、瓊瓊杵尊様が磐長媛との婚姻は拒んだので、以後、天皇家の寿命は一般人と同じに成ったと神話に書いて有ったりする。
う~ん、小生は性格が二人とも同じ程良いのなら、健康さの強い磐長媛の様な人と結婚したいとも思う。まぁ、一番大切なのは気が合うかと価値観や趣味をお互いに理解出来るかとかだよね。

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まぁ、無難に正式な参道の方を選んだのだが、しかし、これが失敗だった。
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登り始めは良いのだ。
石段を登って直ぐの所には旧白山神社の在った場所が有る。今は石碑だけ。

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この先から直ぐに、下社までの参道とは難易度が違う事を理解する事に成る。
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江戸時代には伊勢神宮や出雲大社に比肩する程に人気の聖地巡礼の場所として庶民や徳川幕府によって整備された石畳も、明治時代の廃仏毀釈後に神社と御寺が無理矢理分裂させられ大山信仰が衰退してしまうと、石畳の修復もままならず、現代では降雨による土砂の流出で石段の石材が全体的に崩落し歩き辛い障害物でしか無くなっていた。

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仏教と一緒の信仰対象だった事も有るし、自然崇拝では無い神社の社殿を重視した明治政府政府の宗教政策では大山の頂上の聖地への参道整備を支援しなかったのだろう。
これはプロテスタント派キリスト教を模して日本の宗教改革を目論んだ森有礼が悪い。
とは言え、途中で面白い場所も有った。
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夫婦杉。
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縁起の良い御神木の在る場所を通れて嬉しい。
しかし短気で根性無しの小生である。
大山阿夫利神社奥院の在る頂上までは都合28町目(富士山で言う所の1合目とかの単位)まで有る。
10合目で疲れた。
出てくる言葉は「怠(ダル)い」「歩きにくい」これしかない。CIMG3258
実際、すげ~歩きにくいし。最早、下社までの参道の頃の様に整備された状態を辛うじて留めている石段は何処にも無い。小生の様な山城以外に山を登らないトレッキング素人にとっては只単に質(タチ)の悪い岩山化している。
最悪だった。しかも前日の雨で泥濘(ぬかるみ)まくり。
歩き易くする為(ため)にジーンズを膝下までたくし上げている脹脛(ふくらはぎ)は泥だらけ。
景色を楽しむ余裕なんぞ1mmも無い。

しかも周りの登山者は皆、登山玄人っぽかったが年齢的には見た目60歳前後。
あとたまに、30歳位の美しい女性友人ペアとか。
女老人に体力で負けたくない。
チャリチャリ熊鈴鳴らし歩くオッサ…紳士を抜き去ってから、ほぼ同世代の男性と女性の混合チームと会い雑談をした。やはり小生と同じく素人で「風景を楽しむ余裕なんかない」との事(笑)。暫し話してから先に行かせて頂いた。
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江ノ島が見える。
まぁ、悪路の先にはちゃんと休憩出来るベンチが有る場所も有ったりして、人間と言うのは椅子に2~3分座ったり写真を撮ってる間にも体力がちゃんと回復するのだなと実感出来た。
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牡丹石なんてのも有った。
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思うに富士山の噴火の際に積もった火山灰に、火山弾が飛んできてメリ込んで、そのまま固まった石なんじゃないだろうか?これに付いては知識が無いので只(ただ)の推測でしかない。
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天狗の鼻突き岩なんて奇岩も有った。
大山は天狗信仰の場所でもある。大山の御祭神にOkami 10.5pt.png神(たかおかみ)と言う龍神様がおり、まぁ龍神なので水神様な訳だ。これが先に説明した二重の滝の神様や龍神堂の八大竜王の本来の神様の名だろう。
そして、同じく山岳信仰の場である東京都多摩地方の高尾山も同じく“たかお”の地名と“天狗信仰”の場でもあるのは無関係では無いだろう。そんな事を考えながら良い休憩が出来た。
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何と、この石柱は強力(ごうりき=運送屋)が人力で担ぎあげたそうだ。まぁ、それ以外に運搬手段が無いのでそうだろうが、凄いな。
江戸時代の飛脚の写真なんかを見ると、とんでもない体系だったりする。筋骨隆々で皆、ヘビー級の総合格闘家の様な体系をしている。だから江戸時代の官僚化した武士は絶対に火消しや飛脚なんかに喧嘩を売らなかったそうだ。
まぁ、相手によっぽどな落ち度が無ければ刀抜いて町人にケガさせた時点で武士も重罪に処されるから、素手で投げたり殴り合ったりしたら町人の方が凄まじく強かったりしたんだろうな。
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途中、富士見台は生憎の曇天で富士山見えず。
思わず「チクショーメ‼」と、解る人には解る言い回しで言いそうに成る残念感。
実際は「富士山見えねぇ~し!」とボヤくと…
小生より少し若い見目麗しい女性ペアが「ですよね~」「下は良いけど上は全滅ですよ~」と素敵な情報を提供して下さった。
…しかし綺麗な女性と話した事で士気は下がらず、熊鈴のオッサン(言っちゃった)に追いつかれる事も無く山頂奥院まで登り切れた。熊鈴のオジサン、ありがとう。御蔭でダレる事無く登り切れました。
勝手に目標作れた楽しかったし(笑)。
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山頂の手前27町目で鳥居が見えて、ちょっと安堵感が湧く。
参道の石畳も何となく原型を留めた姿が復活する。
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頂上に登ると前宮
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拝殿?
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奥院が在った。
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先に御参りを済ませて、風景を見たがやはり富士山は見えない…
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でも看板には「振り向けば富士山」と書いて有る。CIMG3274
…悪天候は想定していないのね(笑)?
スポーツジムで2時間以上トレーニングしたよりも汗だくだくに成っていたので、脱水症状予防に売店でスポーツドリンクを買った所、不愛想なオッサンがウンともスンとも言わず金だけ受け取り黙ってドリンクを置いて奥に引っ込んでしまった。
頂上で商売敵もいなので殿様商売が罷(まか)り通るんだろうな~。でもまぁ~こんなもんだろう。CIMG3277
富士山は見えなかったけれど、伊勢原市や厚木市、綾瀬市の市街地は望む事が出来た。
残念ながら小生が大山阿夫利神社と同じく毎日御祈りする有鹿媛様と有鹿彦の夫婦神様がいる有鹿神社の本宮と奥宮の在る海老名市や相模原市は見渡せなかった。

帰路は石ゴロゴロの悪路を歩きたくないので見晴台経由で二重の滝を通るルートで阿夫利神社下社まで戻る事にした。
この選択が又失敗だった。
実は、そちらの道は坂は緩やかで岩も無いのだが、岩が無い分地面が土で、更に手すりも林道両脇に掴める木も無く横は断崖だった。
つまり前日雨だったので泥濘(ぬかる)んでいて「危険極まりない」チョイスを小生はしたのだ。これ、往路を見晴台経由にして帰路を正式な参道で帰ったらベストだったんだな。
そんな訳で帰りの道は“見晴し台”に辿り着くまで写真撮影する余裕すら無かった。
帰路、途中で御爺ちゃん達が前方を歩いているのに出くわした。歩調を合わせていたら「若い人お先にどうぞ~」と言って皆さんが道を譲って下さった。
「何かすいません」と思いながら「ありがとうございます~」と挨拶して、御老人集団を追い越した。
途中、更にデンジャラスゾーンに遭遇。
もう、道が危険すぎて手で掴む為の鎖が設置して有るエリアが3か所位。
しかし、小生がビビったのはこんな場所ではなくて…CIMG3280
一番安全なはずの見晴台の休憩所だった。
「熊出没注意」の看板
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…ソンナん出たら俺でもどうにも何ねぇ~し(;´・ω・)!
季節はもう春。熊も起きだして来る頃なのだろうか?マジ怖い熊。
昨年の山梨県の標高1600mの御坂峠に在る御坂城址に登った時も怖かったのは熊だった。
最近の熊は熊鈴にも慣れて、「熊鈴の音=エサ(人)が来た」と認識していると学者がTVで言っていたのは、丁度御坂城址に登城した2週間前に熊に人が食い殺される事件が頻発していた頃だった。もう熊マジ怖い。

でも付き合ってから独裁者に変貌する女性も同じ位怖い(笑)。
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そんなコンナで歩いていると道も再びなだらかな場所が増えて来て、早歩き位でも安全な路盤、鉄の手すりまで登場してペースを早める事がが出来た。
う~ん、無駄に「成し遂げた」感が有ったな。
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下社の近くまで来ると、二重の滝が在った。
ここが大山阿夫利神社の御祭神の内の一柱である高龗(タカオ)神様の聖地らしい。
江戸時代まで、大山阿夫利神社に参詣し頂上を目指す庶民や修験者達は、この二重の滝で滝行を行って禊(みそぎ)をしていたそうだ。
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江戸時代位までは水量が豊富だったのだろう。
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この二重社の場所に、本来は徳川家光公が建立した大山寺の前不動明王横の龍神堂が建っていた訳だ。
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今では瀑布(ばくふ)とは呼べない白糸の滝と言った形容が似合う様な上品な滝に成っていた。
滝の写真を撮影して再び下社を目指す。
もう道も歩き易い。
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直ぐに“さくらや”の下の登山道の終点近くに何の神様かは解らない小さな御社が在った。
さくらやの姉さんに金剛杖が帰路に大活躍した御礼を述べて、今度は下社の社務所へ向かった。
社務所の職員さんに奥院行って来た事を伝え、下社と奥院の異なる大山阿夫利神社の御朱印を漸く頂く事が出来た。
うれしい。
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さくらやの前を再び通過する際に御礼代わりでは無いが三ツ矢サイダーを買って「又、秋に来ます。宜しく」と挨拶を交わして大山ケーブルの駅へ移動した。

帰りは疲れ切っているし、ケーブルカーの内装を確認したいので大山ケーブルに乗車した。
以前の物と比べ確かに近くで見ると鋭い外観に成っていた。
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内装も良い!
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前面の窓が天井まで広がっていて、乗客が正面に見える相模湾の遠景を楽しめる設計に成っていた。そしてカッコ良い。
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ふむ、確かにこれならデザイン賞受賞したのは納得出来る。

ケーブルカーを降りると、真っ先に駅横の宿坊”元滝”に入った。
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この店は大山名物の豆腐料理や鹿や猪(イノシシ)の鍋を提供している上に、日帰り湯をやっているからだ。
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とりあえず、汗ダクダク泥だらけに成った体を洗いサッパリしたかった。
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元滝は宿坊(御寺兼宿)だったので、昔は先導師(案内人、関西では御師と言う)を務めた家だった。御風呂入る為にアメニティの準備をして頂く間に色々と御店主から話を伺う事が出来た。
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身体を洗ってサッパリ出来て生き返り、さっそく湯船に浸かった。
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御風呂は石造り、沸かし湯だが温泉の様でとてもリラックス出来た。湯船の中で筋肉をほぐし疲れを取り体力も回復出来た。
因みに、この大山と周辺の日向薬師や七沢には天然温泉の旅館や宿坊も当然沢山有る。
風呂から上がるとさっそく“猪鍋の豆腐セット”を注文した。
この時点で14時半。良くもまぁ~徹夜のまま6時間も山の中を登ったり下りたりしたもんだ。
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鍋が来る。以前も食べた事が有る。
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関東風のスキ焼の味付けに成っていて疲れた体にはもってこいの甘さと塩分。
そして猪肉の美味い事。
この鍋は白飯がついて2000円、300円のオプションでうどんスキにする為の饂飩(うどん)、そして大山名物の豆腐が付く。
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とても食べ応えが有り多めの一人分と言った良い量だ。
腹も満たして満足した所で山を下りる途中の参道で留学中に御世話に成った小生の姉貴分の様な存在の先輩夫婦と自宅用に御土産を購入。
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毎回大山に来ると姉貴分に珍味的な物を送り付ける(笑)。
今回は豆腐の味噌漬け、それと塩ようかん。
大山は水が綺麗なので古くから豆腐と蒟蒻と清酒の産地として有名だった。豆腐の塩漬けは最近、酒のアテとして注目されつつ有り、チーズの様な味わいでとても体に良い健康食品だ。ワイン好きな姉貴分には良いと思って買って見た。

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御土産も買い終わり参道の御稲荷様にいつも御守り頂いている御礼をして駐車場近くに戻ると、先ずは観光案内所に行った。
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これが期待外れで観光協会の人も詳しい大山桜の位置を解っておられなかった。しかし大山阿夫利神社の下社では無く山裾に在る社務所の裏山の林道と大山小学校の真ん中位の所に大山桜への入口の順路を簡単に書いた地図を頂いた。
これが又、間違いだった。
麓の大山阿夫利神社社務所の裏には普通の桜が見えて美しいが、これは大山桜ではない。
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社務所裏手を右手に進む様に道が地図に書き込まれているのだが、正確には社務所裏手の土手を登り林道に出たら一度地図とは反対の左手に行ってから山に入らなければいけなかったのだ。
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しかし、そんな事を知らない小生は馬鹿正直に右回り、上の写真は一度左手を見ないと気が付けない入口。
結果的に大山小学校まで行ってしまい、一番過酷な小学校周りルートを再び“登山”する事に成った。
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この怪しい場所から金網の紐を自分で解いて入って行かないといけない。
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人の気配なんか無い。
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暫く歩くと、炭焼き小屋の跡が見えて来た。
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ここから再び山登り開始となった。
山を登り始めて程無く汗だく(笑)。
元滝のサッパリが無に帰す。
しかし、この大山桜を目指す道は遊歩道が設置されていないので本当に原生林の獣道を歩く感じがして、それはそれで楽しかったが汗の不快感は如何(いか)んともし難い。
社務所から40分位歩いたんだろうか?
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大山桜に到着した。
残念ながら、この大樹は1週間程度普通の桜より開花が遅いとは聞いていた通り未だ3分咲き程度だった。
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しかしながら、その幹の立派さ、満開に成った時は優美と言うよりは勇壮な威厳を持った姿だろうと想像出来た。
小学校側から登ると下大山桜を先に見る事に成る。その後に社務所に戻る道を目指すと上大山桜を見られる。この道のりはそこそこ登山の服装と靴でないと無理だ。若い子等がノリで普段着のまま見に来たら断念する事に成るだろう。
上大山桜を目指す途中、又、綺麗なミツマタの花を見る事が出来た。CIMG3330
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下大山桜から10分位歩いて漸(ようや)く上大山桜が見られた。
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こちらは景色も良い。
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大山桜越しに大山の普通の桜の林、そして伊勢原市街地、奥には相模湾が見渡せる。
きっと満開の景色は美しい物に成るだろう。
来年、又、満開の大山桜に会いに来たいと思った。
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そこから社務所に戻るまで、また20分は歩いただろうか?
この道が又、下るのに不向きな柵も手すりも無い崖地に道がちゃんと整備されておらず落ちたら死ぬ地形だった。
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これ、伊勢原市さん、観光の目玉にするなら林道整備しないといつか観光客の転落事故が起きますよ?
そして社務所に駐車していた車に戻り、車を出発させ自宅への帰路へ着いた。

色々と良い体験を出来て、綺麗な空気の中で時間を過ごせて有意義な一日に成ったと思う。
道中御加護下さった大山の神様仏様に感謝。そして大山の文化と景色と遺産を守って下さっている神職様和尚様民間の皆さんに感謝!

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