最近、自分の取得しようとしている国家資格の学習もモチベーションが上がらず、歴史散策時間が無くなってエネルギーも充電出来ず、ブログ書くのに史料調べる時間も無く色々と悶々としてた。
今回書く記事で紹介する場所は各所いずれ独立記事にするつもりだけど、今回は訪問箇所が多いので歴史解説は大雑把に成ると思う。

んで先月末~のゴールデンウイークに歴史仲間の車懸(くるまがかり)が横浜から京都に転勤で帰ってしまって以来、2年ぶりくらいに遊びに来たので今回は小生の自宅に泊まって貰い以前の様に歴史バカ2人で鬼畜のスケジュールを4月29~5月1日に敢行して来ましたwww。
以前ブログに書いたIT含めて親友の部類は京都人が多い小生。
御先祖様のご縁だろうか?

因(ちな)みに車懸と小生は共通点は歴史オタと言う点以外に、実は二人とも南朝重臣の子孫と言う祖先の縁も有ったりする。
車懸は村上源氏でバキバキの南朝方の子孫なので、まぁ独立性の高かった小生の祖先よりもガチ勢だったりするのだが、そんな経緯も有って以前も一緒に鎌倉城と呼ばれる市街地を丸っと取り囲む鎌倉時代には要害化されていた山稜を1日でグルっと一緒に歩いたり、神社仏閣巡りを一緒によくしていた。
その時の事を少し書いた記事⤵

今回は半年位前から時期を決め1ヶ月前から計画の連絡を取り合い、車懸が行きたい場所もリサーチしていたので後は天候次第で廻る順番を入れ替えるだけに成っていた。
提案したのは未だ奴が行った事の無い場所ばかりにしたが、当初は初日に川崎大師連れて行こうかと迷ったが、彼は祖先の主君であり鎌倉で足利直義により暗殺された護良(もりなが)親王の御廟を御参りしたいと言う事だったので1日目のスケジュールは良く一緒に歴史散策してたけれど鎌倉市内の旅に決めた。

久しぶりに面会した初日の29日、小生が午前中は用事が有り午後から横浜で待ち合わせしてから鎌倉に行く予定だったので、車懸と落ち合ってから戸塚駅で途中下車し久々に二人で志那そばやへ昼食を食べに行った。
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待ち合わせ中買ったカルピス美味しかった(笑)。
戸塚を食事場所にした目的は、志那そばやの直ぐ隣の清源院と言う寺院が徳川家康公の側室の於満方(おまんのかた)が隠居寺として尼住職を務めた御寺だったり、戸塚の地名由来に成ってる鎌倉国造の一族である冨属彦の古墳の冨塚古墳を聖地御神体として開かれている冨塚八幡宮が近いので、時間次第(しだい)では鎌倉に行く前に歴史散策も出来るからだった。


そう言えば、この2ヶ所も随分前に訪問済みなのに未だ独立記事に書いていたいのでいつか紹介したいと思う。
で、戸塚に着いた時間は昼の13時位だったので、それらを参詣するかは時間次第と臨機応変に対応してあくまで鎌倉の妙法寺と安国論寺をメインに散策に時間を割く事にして志那そばやに入った。

小生の記事は住所か下のリンクをクリックすると⤵GoogleMapで場所を確認できます。

志那そばや

入店迄は15分待ち程度だったかな?
小生が注文したのは今回は・・・
塩ワンタン麺+味玉+叉焼と名古屋コーチンのTKG。
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車懸は京都市内でも御所の近くの育ちで美味しい京都料理食べて育ってるから舌も肥えてるのだけど、この「❝志那そばや❞はスープまで飲み干したい!」と最高の賛辞を述べながら食べていたwww
車懸とは横浜に居た時にも色々と歴史散策ついでにラーメン屋も訪れたので懐かしい。
ところで小生は日本で一番美味しい拉麺店は❝志那そばや❞、2番目はNewYork店のみになり日本から撤退してしまった中村屋だと思っている。

この2店の特長は透き通った醤油と塩のスープの香りの良さと細麺と言う共通点。
志那そばやの創業者の佐野実サンが1980年代に創業、中村屋の中村栄利社長が開業したのが2000年代初頭、二人には20年の差が有るけれど❝神奈川淡麗系❞と言うジャンルを確立した功労者であり拉麺界のレジェンドなんだな。
志那そばやの拉麺はスープだけでなく麺を含め各食材の香りを感じる事が出来る。
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美味しそうでしょ~(笑)?
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そして食材に拘りのある佐野さんが始めた拉麺店では珍しい名古屋コーチンの鶏卵のTKGの提供。
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本当に美味しいので是非、読者で未だ訪れた事の無い方は食して頂き感動を共有して欲しい(笑)。
で、車懸がスープも全部飲み干したところで店を出て相談。
この時点で入店待ち時間含めて01時間程度と拉麺店にしては長居をしてしまったので店を出た時には14時を回っていた。
戸塚から鎌倉駅迄は乗換含めて30分、そこから妙法寺迄はゆっくり徒歩で20分と言う所。
当然ながら最重要訪問地である妙法寺には15時位の到着予想・・・
・・・と成ると、他の戸塚の史跡を見て廻る時間は無いので清源院と冨塚八幡宮は又の機会と言う結論に達した。
で、鎌倉直行に予定を変更。
先ずは東海道線から横須賀線に乗り換えるのと京都から3泊予定で到着したまま歩いている車懸の大荷物を預ける為に豊富に備えられたコインロッカーにブチ込める大船駅に移動。
幸い、大船駅のコインロッカーは空きが沢山有ったので荷物を預けて鎌倉駅に移動。
鎌倉駅から大町を経由して妙法寺に向かう途中で歴史上室町幕府で最後の鎌倉公方と位置付けられている足利持氏公の菩提寺である別願寺を参詣し北条政子様による開基で躑躅の名所として有名な安養院を通り過ぎながら妙法寺に向かう。
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時間が有れば安養院も参拝したかったのだけれど、如何(いか)せん時間に猶予が無いので仕方なく外から写真だけ撮影して先を急いだ・・・

妙法寺の近くに行くと寺院の直ぐ近くの住宅街の駐車場に自分の好きな旧車が打ち捨てられていた。
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NISSAN DATSUN 280Z、名車中の名車。
子供の頃に再放送で見ていた西部警察で渡哲也サン演じる大門刑事部長が乗車していたスーパーZがこの車種だ。

本当にカッコ良い!現代の車よりも昭和後期の車のデザインは本当にカッコよい。

てか今の車も旧車のデザインでボディだけ復興して車体は現代の技術で作って再販すればバカ売れするのにと本当に思う。
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ただ、この280Zは何年も放置されていた様(よう)でボンネットは鉄板が錆びて穴が空き、タイヤもゴムが劣化し空気が漏れて潰れていた。
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何だか景気の良かった時代の日本と、景気が悪くなってから社会人に成って給与も上がらなかった小生達との世代間のギャップと日本が弱まった歴史を感じて少し物悲しい気持ちに成りながら車には関心の無い車懸と改めて速足で歩き妙法寺に何とか15時半位に到着した。
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松葉谷 楞厳山 妙法寺 
まつばがやつ りょうごんさん みょうほうじ
日蓮聖人法難の草庵跡の寺院の1つにして護良親王菩提寺。
護良親王の子の日叡上人が住職を勤めた苔寺として有名な寺院。

妙法寺は旧参道が住宅街化してしまっており入口が少し分かり難いのが難点だが、この大町地区~浄明寺地区の寺院と景観は鎌倉市街西側の開発しつくされた地域と異なり趣が有って良い。
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入口で拝観券を購入して境内に入ると先ず本堂が正面に在る。
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この本堂の左手に庫裏(くり:僧侶の居住区)が有り、ソチラで御主題と御朱印を拝受出来る。
小生は以前既に拝受していたので車懸が御朱印帳を御住職にお預けして、先に護良親王の墓所と日叡上人の墓所を参拝する事にした。
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この建物は大覚堂。
護良親王の墓所に至るには本堂の前から大覚堂を通過して❝苔寺❞の異名の由来である仁王門の背後の参道階段を登り山頂に出る必要が有る。
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この日は小生達以外にも参拝客が数組いたのだが、若い高校生~大学生の女性の友人同士や年輩の御夫婦等とすれ違った。
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仁王門の後ろが良くカレンダー等の写真にも撮影されている場所。
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残念ながら安全の為に鉄の手摺(てすり)が付けられているのが景観には良くないけれど、本来は参拝が目的なので、まぁ~仕方ないのかなぁ~。
石段が磨滅してるのも、鎌倉石と言う現代では採掘禁止にされてしまった石材の交換が出来ないのでこう成ってしまった政治の責任と言うのも有るけれど、鎌倉石は鎌倉市~横須賀市~横浜市でしか採れない石材なので山を無尽蔵に切り崩す訳にも行かず、平成に入ってから古い鎌倉の寺院の石材は旧来の素材で補修が出来ないので、この様な対応を行うしかない。
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途中には矢倉と日蓮聖人の石仏が有る。
この石段を登りきると法華堂がある。
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御本堂より法華堂の方が古刹の寺院ぽいかな~。
法華堂から更に道なりに進むと日蓮聖人が居住したり説法をした草庵跡の平地が有る。
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そこを挟んで右側に階段を進むと護良親王の墓所、左手に進むと護良親王の奥方の❝南方(みなみのかた)❞と御二人の子の日叡上人の墓所が在る。
で、車懸が今回の関東訪問での1番の目的は護良親王の墓所参拝だったので先に右側に進む。
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二人で御互いの祖先の御主君の墓を参詣。
ここに恐らくは供養墓と思われる墓所が開かれたのは、当時は景観が良く鎌倉市街を見渡せたからだろうと思う。
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今でも墓所の前からは市街地が見渡せる。
ここから白旗明神の法華堂にいらっしゃる源頼朝公と共に護良親王は鎌倉市民と観光客を見守って下さっているんだな~。
さて、昔は山稜の尾根伝いに行けた南の方と日叡上人の御墓は現代では藪漕(やぶこぎ)して鎌倉時代に城塞化されていて傾斜を削って断崖にした尾根を参拝客が進み滑落しては困るので、下の小庵跡の道に戻り再度傾斜を登る様に成っている。
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・・・なので我々も道を戻り、南の方様と日叡上人に参拝。
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多分、歴代御住職の墓所であろう墓石もある。
他に背後に宝篋印塔も有った。
一応、最大の目的を完遂して妙法寺の庫裏に車懸の御朱印帳を受け取りに行き、妙法寺の直ぐ近くにあり同じく日蓮聖人が滞在し説法した小庵の1つが有ったと伝わる安国論寺へ移動。
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妙法華經山 安國論寺 
みょうほけきょうざん あんこくろんじ
日蓮宗日蓮聖人霊跡寺院の1つにして立正安国論起草の場所。
日蓮宗の高僧、日郎上人の菩提寺。

妙法寺を御参りしてコチラの安国論寺を御参りしないのは勿体無い!
更に時間が有り足が車か十分に時間が有るなら、先に妙本寺、そして妙法寺~安国論寺と参拝してから長勝寺~名越切通~法性寺をウォーキングしながら参拝して廻ると日蓮聖人の足取りを辿りながら、鎌倉時代~室町時代に活用された鎌倉城塞網を散策して巡る事も出来るので古い鎌倉の自然を感じる散策にはオススメのコースだったりする。
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安国論寺の方は妙法寺よりも建物の数が多く現存している。
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こちらが御本堂。
石畳も立派だが、安国論寺は江戸時代の尾張徳川家を始め有力者達から崇敬を集めたので大寺院として明治時代の廃仏毀釈迄、となりの妙法寺や鎌倉時代の比企家の邸宅跡の妙本寺ともども大いに栄えた。
妙法寺の方は薩摩島津家、妙本寺の方は前田家からそれぞれ崇敬され支援を受けていた。
本堂の右手に在る御小庵と呼ばれる御堂が安国論寺にも有る。
ただ、こちらは妙法寺とは少し異なり日蓮聖人が立正安国論を書いた洞穴(矢倉?)への参詣者を保護したり外側から参拝出来る様に拝殿として設けられた御堂が洞内へと続いている構造物。
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上の写真を良く見てもらうと分かる通り洞窟の中へと廊下が続いている。
この御小庵の右手の階段から山頂に上る事が出来るが、そこから天気が良いと富士山を見る事も出来る。
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ここは富士見台と地名も有るのだが生憎(あいにく)と車懸と参拝時は曇天だったので富士山は見えなかった。
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2021年の富士山の景勝地を探していた頃に小生1人で参拝した時も雲で富士山は見えなかったので、また何時(いつ)か海の水蒸気が少ない秋の天気の良い日に富士山を見に参拝したいと思う。
富士見台から境内の反対側へ尾根道から参道を進み、日郎上人の御廟所を参詣。
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一応、車懸が鎌倉でやりたかった事を完遂出来たので、時間も17時近く成っていたので鎌倉から横浜に戻る事にした。
夕食は中華街に行って食べる事に成っていたので一度大船駅へ戻ってから京浜東北線根岸線でJR関内駅に行く為、一先(ひとま)ず鎌倉駅へ来た道を戻るだけなのだが、車懸が昨年の歴史大河でも大活躍した和田義盛公と和田勢の将兵の被葬地である和田塚を拝みたいと言う事なので、其処迄また徒歩で移動する事にした。

和田塚へ向かう途中で又、別願寺の前を通過する際に別願寺の前の上行寺が何やら面白い事に成っているのに気が付いた。
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この御寺、普段は癌病治癒等の病気の治療に御利益が有ると地域の方々に愛される御寺なのだが、何やら❝物理的に参拝出来ない状態❞に成っていたwww。
丁度、御寺の方がいらっしゃったので聞いたら、地盤が少し沈下して基礎が傾いたので❝御堂ごとジャッキアップ❞して基礎を造り直すと言う荒業で修理するそうだ。
凄いね~、実際に建築物をジャッキで持ち上げてるの始めて見たよ。
車懸も珍しい物を見てビックリした様子だった。
やはり平安時代初期まで近くに海が迫り砂浜と湿地だった場所を鎌倉時代に埋め立てられたのが材木座地域~大町の西側なので、地盤が余り強くはないのかな?
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和田塚

この和田塚~六地蔵~鶴岡八幡宮一之鳥居~元鶴岡八幡宮こと由比若宮を繋ぐ曲線が平安時代末期の海岸線の砂浜から少し内陸に入った地域で、その辺りは更に前の時代には入江だったと言うのは小生のブログの古参の読者の方々は知る所だと思う。
鎌倉城防衛網
御家人の配置 久良岐のよし
この記事⤵でも少し触れたかな?

さて、そこから鎌倉駅に戻る途中、昨年までは車移動ばかりで余りじっくり町中を歩かなかったので今回面白い昭和感が満載の素敵な商店街を見つけた。
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丸七商店街

鎌倉駅側からの入口は中に楽しい空間が有るとは想像もつき難(にく)く分かり難い。
でもでも~中に入ってみると~・・・
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めっちゃ昭和レトロ感満載っ!
新横浜駅ラーメン博物館は作り物の昭和の商店街だけど、ここには完全に昭和の街並みが残ってる!
しかも駅から徒歩で直ぐだし立ち飲み屋も沢山有るので地元の人が沢山集まってるのが、より良い雰囲気を醸し出してるっ!
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で、車懸と中を歩いてたら何やら若い女性達が出入りしてる小洒落(こじゃれ)たスイーツ店を見つけたので覗いてみた。
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丸七商店 ちよのか

何と和菓子屋さんの様な造りながら洋菓子屋さんだった!
この地区の直ぐ駅の裏は御成町、比較的御金持ちが多く住んでいる地域なので御客さんの女の子も御洒落なのかな~?
とりあえずカヌレ二人分を購入して商店街を出て駅に向かう・・・
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歩きながら食べたけど、外側カリッカリで中はトロトロで美味しかった!
これ、鎌倉名物ではないけど御土産にオススメかも。
さて、そこから鎌倉駅に戻り、横須賀線に乗って大船駅で車懸の荷物を回収して京浜東北線に乗り換えて自分の住む円海山辺りの地域を通過して中華街に行く為にJR石川町駅へ移動。
食べる店も既に前もって車懸と話して決めていた。
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茂園 台湾美食

茂園は台湾人が経営する中華菓子と点心の生産直売店としてスタートして、伊勢佐木長者町にも御菓子のみの販売店舗も有る。
小生のブログでも伊勢佐木長者町の店舗はちょくちょく紹介してたので、知ってる人は知ってると思う。
この記事⤵とかね。

んで、この店は生粋の台湾人が台湾そのままの味を再現してくれてるとの前情報で、台湾人の友達も留学仲間に多く台湾に旅行経験も有る小生としては非常に楽しみにしていた。
店内の様子はコンナ感じ・・・
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・・・店綺麗で席数も比較的多い!
到着時は夕食としては未だ早い時間だったので他の客は一組だけでメチャ空いてた。
でも、コスパも良かった!
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このセットが凄い!
通常、中華街では青菜や空心菜や豆苗の炒めは1000円~1500円が相場。
このセットはメインの他に野菜の料理が2品+小籠包付いてくるメニューが有るし、チャーハンなどのメニューも有る。つまり、このセットを二人で頼むと普通に中華街の店でアラカルトを4品頼むのと同じ品数とボリュームの料理を2180円で食べる事が出来る訳だ。
これに1品、何か単品を注文すると1人3000円以下で完全にコース料理状態する事が出来るっ!
前菜も充実してるしピータンは600円と良心的だった。
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小生は魯肉飯(ルーローファン)、豆苗の炒め、青菜の炒め、小籠包のセット。
車懸は台湾牛肉麺のセットを注文。
それ+台湾料理で夜市料理の代表格ともいえる蛎オムレツを注文!
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いや~、どれも台湾の夜市やレストランで食べた料理のままと言うか日本人に媚びず台湾料理として台湾で食べたのより美味しかった(笑)!
蛎オムレツなんかチリソースでからめたオムレツの中に蛎が何個もゴロゴロ入ってて本当に美味しかったです。
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この後、良い年した男が二人で関帝廟を御参りしてから山下公園を散歩し(笑)、象の鼻パークに夜景を撮影に行き小生の自宅に帰りました。

さて、今回の記事は一先ずここまで、翌日は金沢区の歴史史跡や三浦半島の横須賀市の走水低砲台や千代ヶ崎砲台を見学して廻ったのを記事にしたいと思います。
今回書いた記事を元に又、改めて独立記事に書きたいと思いますが、毎回言ってるけれど未だに源義朝公の沼濱城館の解説も書いてないですし、書きたい物が多すぎて時間が無くて困ります。

続き⤵