明日、2016年10月23日(日)、元八王子で❝北条氏照祭り❞が開催されます。前日22日土曜日は八王子城址の案内所で解説者による講演も有ります。
※画像は公式様拝借。
2016年第5回 北條氏照まつり←八王子市のホームページ該当ページ
北条氏照(うじてる)公は武田信玄が南関東に兵23000の大軍を率いて略奪に来た際に、農民を滝山城内に保護し手勢3000で籠城しました。防御構造の複雑な滝山城三ノ丸に武田勢を引き込み痛撃し撤退させた部将で小田原北条家の一門でした。
方面軍総指揮官としての実績には疑問は残りますが、自ら率いる滝山衆(後の八王子衆)だけで行った合戦では負け知らずでした。そして内政力が高く城の水掘り代わりの溜池を利用して城下の農村の水田を灌漑水田にして生産力を上げた実績も有る方です。
付家老は北条家相模十四騎筆頭の間宮家、その間宮綱信(つなのぶ)公と言う殿様や後に水戸徳川家の家老にも成った中山家等の古来の坂東武者の一族達でした。
元八王子には❝日本100名城❞の一つに選ばれた八王子城も有ります。
この城は間宮綱信公の縄張り(なわばり=設計)と伝わっています。間宮綱信公は北条家の外交官として横浜市の小机城代笠原政尭公と共に織田信長公に謁見し、名将の滝川一益公に接待され安土城下を遊覧されたりした人物でもあります。
八王子城自体は立派な規模の居住区の御殿や武家屋敷だけ完成し、背後の城塞部分が完成する直前に豊臣秀吉配下の上杉景勝・真田昌幸・前田利家・裏切った大道寺政繁の大軍28000に攻められ、防御準備不足、更に北条氏照公が不在だった事も有って落城してしまいました。
もし完成していたら、この城も成田甲斐姫の籠城した忍城、北条氏規公の籠城した韮山城と共に豊臣軍の北国軍を足止めし、北条氏勝公の籠城した玉縄城とも連携して小田原北条家は豊臣軍を苦戦させた事でしょう。
もしくは滝山城を更に改修するだけでも、武田信玄を撤退させた名城だっただけに豊臣軍を苦戦させ長期戦に持ち込めたのは間違いないのですが…
しかし、この城が完成する前に豊臣家と開戦する事態を招いた事自体は、北条氏照公の実兄で北条家当主の北条氏政公の戦略眼や戦力比較分析力の低さ、北条氏照公自体の性格にも原因が有るので歴史にif無く結果が全てとも言えます。
御殿跡の近くには❝御主殿の滝❞が在りますが、ここは多くの神社仏閣を巡礼している小生には延喜式内社の聖地と似た様な雰囲気を感じるパワースポットの様な場所で、高さ3mほどの小さな滝です。
御主殿や滝の有る場所は谷間で、とても清々しい空気感が漂っています。
ここに姫様や家臣達が飛び込んで自殺したとアホな事を書く学者がいます。それを鵜呑みにする自称霊能者もいます(笑)。
現地に行けば一目瞭然(笑)高さ3mの滝に大勢で飛び込んでも下の人は良くて骨折、飛び込める人数も狭いのでせいぜい1人~3人(笑)、アホ学者や偽霊能者が言う様な事は起こり様も無い(笑)!
そして山上の要害部分からはとても眺望が良く、空気が澄んで居れば新宿副都心やスカイツリーも見渡す事が出来ます。
そして❝御主殿の滝❞の説明でも申し上げましたが、ここは延喜式内社の様な正常な空気が漂っています。
実は、古来、この八王子城の山自体が牛頭天王信仰の聖地でして、京都の東山や祇園八坂神社、愛知県の津島大社、と同じ様な神道で言う所の素戔嗚尊信仰の聖地だったんです。
八王子市の名前が牛頭天王の八人の王子と姫を祀(まつ)る、この八王子神社に由来している事を知っている人は現在では多くないかも知れません。
しかし八王子城本丸には現在も八王子神社が鎮座しています。
夏も過ぎて大分と涼しく成ったので山登りがてら八王子城を散策するのも良いと思います。
八王子城の麓には宗関寺と言う御寺が在ります。
この御寺は旧北条氏照公家臣団によって江戸時代初期に建てられた北条氏照公の菩提寺です。
氏照公の御廟所は小田原市内と、この御寺の背後の山に在ります。御朱印も既に作成して有る物を頂けます。
ちなみに、この元八王子から車で30分位の距離に❝新選組❞所縁(ゆかり)の日野市があり、新選組幹部の子孫が運営している資料館が沢山有ります。でも御子孫の資料館は日曜日しかやっていないので注意して下さい。訪問するなら❝日野本陣❞と言う甲州街道の陣屋で、土方歳三さんの親戚の佐藤彦五郎さんの自宅 兼 天然理心流の道場だった旧庄屋の邸宅が見所として御進めです。
ここには近藤勇さんも土方歳三さんも沖田総司さんも井上源三郎さんも度々稽古だけでなく遊びにも来ていたそうです。
この御屋敷の前に道場が在りました。明治天皇もこちらに在った専用の部屋に宿泊されたそうです。
そして、もう一つ。この❝新選組のふるさと歴史館❞も日野本陣から車で10分程度の場所に在ります。
中には日野市の歴史と新選組に関する展示物が有って、学芸員さんに色々質問すると詳しく解説して下さいます。
近藤さんのお兄さんの宮川さんの御子孫、土方さんのお兄さんの御子孫、井上源三郎さんの養子の御子孫が一緒に檀家になっている高幡不動尊も、日野市に在ります。
とても大きい昔ながらの神仏習合の伝統を守る真言宗の古刹で、境内には明治時代以前のまま、御寺と神社が融合して存在しており飛鳥時代~江戸時代までの本来の日本文化を見る事が出来ます。
ここでも土方さんは多摩地域の誇りとして銅像が立っています。
どうでしょう?こんな戦国時代にドップリつかれる元八王子と北条氏照祭り、近くの日野市の新選組関連の史跡、是非、お散歩がてら見に行って見ませんか?
では!又、次の解説記事で!
※画像は公式様拝借。
2016年第5回 北條氏照まつり←八王子市のホームページ該当ページ
北条氏照(うじてる)公は武田信玄が南関東に兵23000の大軍を率いて略奪に来た際に、農民を滝山城内に保護し手勢3000で籠城しました。防御構造の複雑な滝山城三ノ丸に武田勢を引き込み痛撃し撤退させた部将で小田原北条家の一門でした。
方面軍総指揮官としての実績には疑問は残りますが、自ら率いる滝山衆(後の八王子衆)だけで行った合戦では負け知らずでした。そして内政力が高く城の水掘り代わりの溜池を利用して城下の農村の水田を灌漑水田にして生産力を上げた実績も有る方です。
付家老は北条家相模十四騎筆頭の間宮家、その間宮綱信(つなのぶ)公と言う殿様や後に水戸徳川家の家老にも成った中山家等の古来の坂東武者の一族達でした。
元八王子には❝日本100名城❞の一つに選ばれた八王子城も有ります。
この城は間宮綱信公の縄張り(なわばり=設計)と伝わっています。間宮綱信公は北条家の外交官として横浜市の小机城代笠原政尭公と共に織田信長公に謁見し、名将の滝川一益公に接待され安土城下を遊覧されたりした人物でもあります。
八王子城自体は立派な規模の居住区の御殿や武家屋敷だけ完成し、背後の城塞部分が完成する直前に豊臣秀吉配下の上杉景勝・真田昌幸・前田利家・裏切った大道寺政繁の大軍28000に攻められ、防御準備不足、更に北条氏照公が不在だった事も有って落城してしまいました。
もし完成していたら、この城も成田甲斐姫の籠城した忍城、北条氏規公の籠城した韮山城と共に豊臣軍の北国軍を足止めし、北条氏勝公の籠城した玉縄城とも連携して小田原北条家は豊臣軍を苦戦させた事でしょう。
もしくは滝山城を更に改修するだけでも、武田信玄を撤退させた名城だっただけに豊臣軍を苦戦させ長期戦に持ち込めたのは間違いないのですが…
しかし、この城が完成する前に豊臣家と開戦する事態を招いた事自体は、北条氏照公の実兄で北条家当主の北条氏政公の戦略眼や戦力比較分析力の低さ、北条氏照公自体の性格にも原因が有るので歴史にif無く結果が全てとも言えます。
御殿跡の近くには❝御主殿の滝❞が在りますが、ここは多くの神社仏閣を巡礼している小生には延喜式内社の聖地と似た様な雰囲気を感じるパワースポットの様な場所で、高さ3mほどの小さな滝です。
御主殿や滝の有る場所は谷間で、とても清々しい空気感が漂っています。
ここに姫様や家臣達が飛び込んで自殺したとアホな事を書く学者がいます。それを鵜呑みにする自称霊能者もいます(笑)。
現地に行けば一目瞭然(笑)高さ3mの滝に大勢で飛び込んでも下の人は良くて骨折、飛び込める人数も狭いのでせいぜい1人~3人(笑)、アホ学者や偽霊能者が言う様な事は起こり様も無い(笑)!
そして山上の要害部分からはとても眺望が良く、空気が澄んで居れば新宿副都心やスカイツリーも見渡す事が出来ます。
そして❝御主殿の滝❞の説明でも申し上げましたが、ここは延喜式内社の様な正常な空気が漂っています。
実は、古来、この八王子城の山自体が牛頭天王信仰の聖地でして、京都の東山や祇園八坂神社、愛知県の津島大社、と同じ様な神道で言う所の素戔嗚尊信仰の聖地だったんです。
八王子市の名前が牛頭天王の八人の王子と姫を祀(まつ)る、この八王子神社に由来している事を知っている人は現在では多くないかも知れません。
しかし八王子城本丸には現在も八王子神社が鎮座しています。
夏も過ぎて大分と涼しく成ったので山登りがてら八王子城を散策するのも良いと思います。
八王子城の麓には宗関寺と言う御寺が在ります。
この御寺は旧北条氏照公家臣団によって江戸時代初期に建てられた北条氏照公の菩提寺です。
氏照公の御廟所は小田原市内と、この御寺の背後の山に在ります。御朱印も既に作成して有る物を頂けます。
ちなみに、この元八王子から車で30分位の距離に❝新選組❞所縁(ゆかり)の日野市があり、新選組幹部の子孫が運営している資料館が沢山有ります。でも御子孫の資料館は日曜日しかやっていないので注意して下さい。訪問するなら❝日野本陣❞と言う甲州街道の陣屋で、土方歳三さんの親戚の佐藤彦五郎さんの自宅 兼 天然理心流の道場だった旧庄屋の邸宅が見所として御進めです。
ここには近藤勇さんも土方歳三さんも沖田総司さんも井上源三郎さんも度々稽古だけでなく遊びにも来ていたそうです。
この御屋敷の前に道場が在りました。明治天皇もこちらに在った専用の部屋に宿泊されたそうです。
そして、もう一つ。この❝新選組のふるさと歴史館❞も日野本陣から車で10分程度の場所に在ります。
中には日野市の歴史と新選組に関する展示物が有って、学芸員さんに色々質問すると詳しく解説して下さいます。
近藤さんのお兄さんの宮川さんの御子孫、土方さんのお兄さんの御子孫、井上源三郎さんの養子の御子孫が一緒に檀家になっている高幡不動尊も、日野市に在ります。
とても大きい昔ながらの神仏習合の伝統を守る真言宗の古刹で、境内には明治時代以前のまま、御寺と神社が融合して存在しており飛鳥時代~江戸時代までの本来の日本文化を見る事が出来ます。
ここでも土方さんは多摩地域の誇りとして銅像が立っています。
どうでしょう?こんな戦国時代にドップリつかれる元八王子と北条氏照祭り、近くの日野市の新選組関連の史跡、是非、お散歩がてら見に行って見ませんか?
では!又、次の解説記事で!