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タグ:有鹿谷

有鹿神社本宮(延喜式内社・奈良時代の天皇勅願所)
有鹿森(弥生時代からの聖地)
有鹿神社中宮(聖地有鹿池の古址) 
海老名山 総寺院 満蔵寺(旧有鹿神社別当寺)
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  御祭神・御本尊等:
  有鹿比古命(あるかひこのみこと)・有鹿比売命(あるかひめのみこと)・天満大自在天神(菅原道真公)・虚空蔵菩薩
  御利益:雨乞い・農業豊作・縁結び・夫婦円満
  関係者:
  開基:有鹿比古・有鹿比売
  中興:天智天皇
     孝謙天皇
     清和天皇
     相模国司 歴代
     海老名郷司藤原 廣政 公
     権守     海老名 季定 公 
     海老名家   歴代当主
     相模守    北条 氏政 公
  旧郡名:高座郡 海老名郷(古代相模国府に近在)
  所在地:有鹿神社本宮・・・海老名市上郷の鳩川と相模川の合流地点、有鹿森
  所在地:有鹿神社中宮・・・海老名市上郷1丁目の住宅街の中
  所在地:総寺院・・・有鹿神社の旧参道住宅街の道路左手
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
古代の相模国国府から徒歩30分程、奥宮の在る聖地有鹿谷から流れ出でる鳩川と相模川の合流地点の古代の有鹿森に有鹿神社本宮が所在し国府鎮護の祭祀が行われた記録が有る。現代では住宅街に成ってしまった場所に中宮が在り、有鹿神社本宮の旧参道沿いには有鹿神社の別当寺だった真言宗の総寺院が存在する。
有鹿神社の御祭神は夫婦神で夫神の有鹿比古は太陽神、女神の有鹿比売は水神。古代大和朝廷の時代に開かれた海老名市の条里制区画が残る海老名耕地を潤す農業用水でもある事から豊穣の神としての意味も強い。
その歴史の古さと有鹿谷の神秘性から歴代天皇から崇敬された正一位の位階と幣帛を賜わり国家鎮護の祭祀が行われた歴史記録も残る。古代からの‟水引神事”が行われていたが新田義貞による倒幕の際に多くの神社仏閣が彼に襲撃略奪放火されたが、有鹿神社と総持院も同様に兵火に遭い水引神事は中世に一時途絶えたた。しかし戦国時代に関東覇者で小田原城主の北条氏政公によって神事が再興された。有鹿神社本宮の在る旧海老名郷は北条家臣で鶴岡八幡宮再建に携わり一族が江島神社別寺の修験道岩本院別当職を務めた間宮家の惣領である笹下城主間宮康俊公の所領だったので、間宮康俊公と江ノ島岩本楼の岩本(間宮)家の一族の関与が有り北条氏政公に由(よ)る水引神事復興が行われた事が推測出来る。
別当寺の総寺院は明治時代の神仏分離令で規模縮小させられる以前、江戸時代迄は塔頭寺院12坊を境内に持ち、更に末寺19ヵ寺を抱える大規模な神宮寺として機能していた。

有鹿神社奥宮(延喜式内社)・・・古代一之宮
有鹿谷(湧水聖地)
勝坂遺跡(縄文時代~の集落遺跡)
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  御祭神御本尊等:
  有鹿比売命(あるかひめのみこと)・有鹿谷湧水の聖地・勝坂遺跡(縄文~集落遺跡)
  御利益:雨乞い/農業豊作/縁結び/夫婦円満
  関係者:
  開基:有鹿比女と有鹿比古(あるかひこ)の夫婦神
  中興:天智天皇
     孝謙天皇
     清和天皇
     相模国司 歴代
     権守     海老名 季定 公
     海老名家   歴代当主
     相模守    北条 氏政 公
  旧郡名:高座郡
  所在地:相模原市南区磯部、勝坂遺跡の有鹿谷
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
主祭神の有鹿比女命(あるかひめのみこと)が湧水の聖地を神格化し御祭した神社で、神奈川県下最古級の歴史を持つ。神社の上の丘には勝坂遺跡も有って、縄文時代の生活を学べる竪穴式住居等が再現されている。縄文時代~の遺跡のど真ん中に存在する古社で古代からの聖地として存在した。湧水は有鹿谷から流れ出し鳩川と成りやがて大河川の相模川と合流する。古代大和朝廷の時代に開かれた海老名市の条里制区画が残る海老名耕地を潤す農業用水でもある事から豊穣の神としての意味も強い。
その歴史の古さと有鹿谷の神秘性から歴代天皇から崇敬された幣帛を賜わり国家鎮護の祭祀が行われた歴史記録も残る。古代からの‟水引神事”が行われていたが中世に一時途絶え、後、戦国時代に関東覇者で小田原城主の北条氏政公によって神事が再興された。有鹿神社本宮の在る旧海老名郷は北条家臣で鶴岡八幡宮再建に携わり一族が江島神社別寺の修験道岩本院別当職を務めた間宮家の惣領である笹下城主間宮康俊公の所領だったので、間宮康俊公と江ノ島岩本楼の岩本(間宮)家の一族の関与が有り北条氏政公に由(よ)る水引神事復興が行われた事が推測出来る。
有鹿神社奥宮は現在では社殿こそ存在しないが、奥宮として鳥居と石の祠(ほこら)が鎮座しており湧水地と祠を御参りすれば古代からの強い聖地で御利益を授かれる。近くには延喜式内社の石楯尾神社の論社も在り、邪馬台国時代の古代大和朝廷との関係性が深い土地である事も垣間見える。

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