歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:杉山神社

杉山神社(延喜式内社・武蔵国六之宮・横浜市唯一の式内社)
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  御祭神・御本尊等:五十猛命(いそたけるのみこと)・大日孁命(おおひるめのむちのみこと)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・大田命(おおたのみこと)  
  御利益:腫瘍治癒・皮膚病治癒・戦勝・海外渡航安全・地鎮・産業発展。
  関係者:
  開基:出雲神族の御神孫(笠原氏か?)
  中興:忌部 宿禰 勝麻呂(いんべのすくね かつまろ)公
  旧郡名:都筑郡
  所在地:横浜市西八朔・・・罰佐久の神話の地名が転訛した場所
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
主祭神に五十猛命を頂き、嘗ては産土神(うぶすながみ)=土地を開拓した神様として武蔵国一圓から参拝者が多かった神社。五十建命や父神の素戔嗚尊は疱瘡(皮膚疾患)や疫病(感染症)を治して下さる神様として古来信仰されて来た。
この神社周辺には和邇氏=丸子氏、大伴氏、弟橘姫の神話や古代豪族の土地が近在する。この神社の神は出雲神系の神様で、関東最古の大社格である埼玉県久喜市の鷲宮神社も出雲神族が土地を開発したと伝承する。神社の在る西八朔の八朔は古代に罰佐久と書かれたとされ、佐久=信州出身の出雲神族が開拓した土地で其処を朝廷に懲罰で召し上げられた事を示唆する地名由来でもある。
史実として❝武蔵国造(むさしくにつくりのみやつこ)の乱❞では出雲神族の笠原一族が武蔵国を治めていたが同族間抗争に古代大和朝廷が介入して和解させ、武蔵国と相模国の国境沿いである久良岐郡・橘樹郡・多摩郡・横見郡が朝廷直轄地として没収された歴史が有る。都筑郡の成立がこの後で有り、横見郡の稲荷山古墳からは雄略天皇と思われる獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)の銘が刻まれた鉄剣が出土している事から雄略天皇が武蔵国造の乱に軍事介入し和解させ懲罰的に相武国境を非武装地帯として召し上げ、そこに都筑郡を設置したと推測すると相模国域の神社に雄略天皇が開いた場所が多い事とも歴史的に整合性が出て来る。つまり杉山神社を開いたのは古代大和朝廷に土地を献上した笠原一族だった可能性が推測出来る。それを裏付ける様に都筑郡の西八朔杉山神社近郷のセンター南の茅ヶ崎城址周辺には大塚歳勝土遺跡等の古代の大環濠集落や方形周溝墓や横穴式墳墓が多数発掘されており早くから開発の進んだ土地だった事が解かる。更に茅ヶ崎城かの正覚寺は開基年代未詳ながら境内に神奈川県東部と東京都南部に多い大鷲神社(おおとりじんじゃ)が境内社として存在し、鷲=和邇氏との関連性も有る。隣の橘樹郡の郡衙が在った橘樹神社は倭建(ヤマトタケル)の妻の弟橘姫(オトタチバナヒメ)の遺品を埋蔵した古墳を背後に擁いているが、この弟橘姫は佐賀牟国造(横浜・川崎・東京都・埼玉県域の国主)だった穂積忍山宿禰(ほずみのおしやまのすくね)の姫だったと伝承する。つまり相模国成立以前の話しだが、大磯町の相模国二之宮川勾神社にもやはり相模国成立以前の磯長国(しながこく:西湘・伊豆・静岡県東部を併せた地域)の国造(国主)だった大鷲臣と共に穂積忍山宿禰が川勾神社を支援した伝書が伝わっている。その大鷲臣の氏神の大鷲神社と穂積氏=鈴木氏の氏神の師岡熊野神社が近郷に存在する事から杉山神社の成立が日本武尊が東征した弥生時代末期~古墳文化草創期に当たる事が解かる。
そして日本武尊は后の弟橘姫と暮らした行在所の在った三浦半島横須賀市走水で須賀社を祀っている事から出雲神族の素戔嗚尊を水神として信奉した歴史事実も有る。日本武尊の与力が水軍の大伴部氏で大伴久応黒主は日本武尊を神奈川区六角橋と横須賀市走水で接待したと伝承が残りいずれも沿岸部で古代も海だった地域であるが、六角橋近くの港北区大曾根地区に穂積氏の所縁(ゆかり)深い師岡熊野神社が現存し古来天皇家の勅願霊場として熊野権現信仰の舞台に成っていたので橘樹郡が弟橘姫と穂積忍山宿禰に所縁深く日本武尊の時代にも開けていた事が解かる。文章に罰佐久の字が登場して文献考古学的に存在を立証できるのは1200年前までだが、杉山神社の伝承と周辺の延喜式内社や神話をリンクさせると弥生時代末期~古墳時代初期の成立である事が解かる。
いずれにしても旧都筑郡だけでなく横浜市内唯一の延喜式内社であり埼玉県東京都川崎市横浜市を併せた地域で第六番目の地位を得ていた由緒ある神社で有ると言える。
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皆さんは延喜式神名張と言う言葉を聞いた事が有りますか?

延喜式神名張と言うのは、醍醐天皇が編纂させた文書の題目です。
内容は平安時代、西暦900年代初頭の当時から見ても古い歴史を有する神社を列挙した物で、醍醐天皇が後世に古社を存続させる為に記録させたんですね。
延喜式と言うのは、元号の延喜年間つまり西暦901年~923年に当たる期間に、古来の律令制度では対応できなく成った法制度を改めて補足する為に作らせた制度や管理体制です。
その一環として作られたのが延喜式神名張です。
そして横浜市内にも、数少ない延喜式内社が一社現存しています。
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それが、横浜市緑区西八朔(にしはっさく)に鎮座する杉山神社です。
この神社の存在する住所その物が、この神社の由緒を表しています。
実は西八朔の八朔と言う地名は平安時代には❝都筑郡針斫(はりしゃく)❞と登場しているのです。
現在では神主不在ですが、境内はなかなか広く、管理は氏子様達の努力によって何とか行き届いています。
この神社の歴史は凄いんですよ。
語るについては、少々、神奈川県と東京埼玉の古代郷土史を解説する必要が有ります。

現在確認出来る文書でも杉山神社は西暦800年代には名前が登場します。
武蔵国(埼玉・東京全域と横浜市東部)の総社六之宮とされる神社なので、佐賀牟(さがむ)国が相模(さがみ)国と武蔵(むさし)国に分裂した際には六之宮に定められた歴史を持つ神社と言う事に成ります。
古代の武蔵国内で六番目の有力な郷(さと)だったと言う事にも成ります。DSC_0029
武蔵国の六之宮と言う事は…
佐賀牟国の相模と武蔵の分裂時期は西暦500年代の❝武蔵国造の乱❞のはずなので、武蔵国建国時に武蔵国六之宮に定められた杉山神社の歴史は以前と成ります。
つまり武蔵国成立時に六之宮とされているので、古墳時代~飛鳥時代まで神社の始まりを遡(さかのぼ)れると言う事が解ります。
他にも杉山神社と同じく古い歴史を有する神奈川県の古社は殆どの御祭神が出雲系の神様や日本武尊や伊邪那岐伊弉冉命です。
つまり、日本武尊を除いては、杉山神社を初めとして、古い神社程、出雲系の神様が多いんですね。
ですから、国家神道が160年前に成立し伊勢系の神様が尊いとされた為に、嘗(かつ)て醍醐天皇を初めとして歴代天皇が我々後裔に保存を託した延喜式内社の古社でさへ神主不在と成り荒廃してしまっている場所が少なくありません。
残念ですね。
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この手水、センス良いですよね!
自然石をくり抜いて、自然信仰と偉人崇拝を元に始まった日本古来の宗教観を代弁する様な存在。
最近作られた手水ですね。
幸い、杉山神社は、この様に氏子サン達によってちゃんと守られています。
杉山神社の在る旧都筑郡に当たる緑区や青葉区は隣の港北区と同じく住民の皆さんの郷土愛と文化度の高い地域でしたので、神主不在と成った現在でも、荒れ果てる事無く整備されています。
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…横浜市は移住者ばかりで住宅街の里山の中の神社が、そんな凄い歴史が有ると知る人も少なく、現在では活気は全く有りませんが。
さて、実は杉山神社、日本中で旧都筑郡にしか存在しませんが、その論社(ろんじゃ=記録から推定される場所)は他に数カ所有ります。
しかし記録上の地名から、小生も本社はこの緑区西八朔の杉山神社だと思います。
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神社の前には古道と思しき道も有りましたしね。
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昔の街道だった名残りをプンプン匂わせる石仏も残っています。
庚申塔が有るので間違いなく、ここは旧街道です。
平安時代には街道が通っていた地域だとすれば、それより前の古墳時代から人が住んでいた地域だったのかも知れませんねぇ~。
この杉山神社は歴史が有る神社に相応しい立派な社殿です。
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神主不在でも立派ですね。
この社殿を維持させんとする周辺地域の人々の歴史を愛する心と文化を残そうとする信仰心や気概が伝わってきます。
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この境内は、恐らく昔は神楽殿も有った広さが有ります。
社務所を立てて、宮司様が常駐したら良いのにな?
…と思いました。
神奈川県神社庁は延喜式内社をプッシュし、県民の信仰心と神話を伝承させる様な働きかけをしてくれたら、もっと日本人が本来の文化を大切にするきっかけに成るんじゃないかな~?
神主さんが普段から住んでいて、子供が遊びに来て、小さい時から神様の近くにいる、そんな環境が戻って来れば寂れた神社が復興して、一度は廃れた神社も夏祭りが行われたり活気が出て日本人にとっても精神的に昔の様に大切な存在に成り、祖先とのつながりを感じたり出来る様な気がします。
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摂社の前には梅も綺麗に咲いていて、背後の竹林と相まって美しく、里山の古社の雰囲気を醸し出していました。
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今ではひっそりとした神社ですが、ここがかつての天皇家や朝廷にも認知された古社だと考えると、この静けさも凛とした空気として身に沁みます。


では!又、次の解説記事で!



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