歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:栄区

今年の蛍の見頃は6月以降かも知れません。

或(ある)いは今年は少ないままの可能性もあり得ます。
現地を今年も昨日25日の20時頃に訪問して来ましたが東急建設が開発の後で“蛍を人口育成して移設する計画”の為に捕獲してるとの事で、天然の蛍は捕獲されて減っているのではとの事です。

昨日05月25日の夜20時位には6匹しか確認出来ませんでした。
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対して一昨年の様子⤵️
YouTubeの平野タカアキさんの動画ですが、例年ですとこの様に蛍がまとまって飛んでいる様子を観察出来る所が数ヵ所あります。
栄高校から降りて来て右手側の瀬上沢沿いの林とか、瀬上池側に向かう民家周辺の用水路化してる部分、それと鉄塔付近、更にもう少し奥に行った辺りに良く蛍がいます。
今年は5月25日時点では1箇所で2匹見れたら良いと言うくらいに減っています。
先日大雨も有ったのですが今年の気候の問題かは謎です。

異常に“今年だけ”“今の時期に”個体数が現時点では少ないです。大雨の後でも雨上がりに蛍は良く飛ぶんですよね。
毎年もう20年くらい見に来ていると言う御高齢の御夫人のグループも「今年は少ない」とおっしゃってましたので、地元の方々のおっしゃる通り蛍の養殖の為の捕獲しか理由が見当たらないのが現状です。

まだ市から建設計画未承認なのですが開発ありきで天然の蛍の捕獲と成育を開始してるんでしょうか、説明会でも写真で捕獲した蛍を飼育してる様子を解説してました。
天候要因であれば例年どおり増えていくし、東急建設の捕獲人口育成計画が原因なら今年は少ないままでしょう。
後から東急建設サンが放流しましたと発表する様な事が有るなら、それはやはり瀬上沢破壊後に作る人口川に放流する人口蛍育成の為の捕獲が原因と言う事かも知れません。

それと自然環境保全しているとの事でしたが・・・
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・・・上郷深田遺跡側の森の遊歩道は荒れ放題でした。
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途中で立ち入り禁止のロープや金網でもバリケードも貼られていました。
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しかし、こちらに関しては東日本最大のタタラ遺跡の上郷深田遺跡ごと掘削したり深田遺跡の森の広がる谷ごと埋め立て跡形も残らない計画な為(ため)に、まだ未認可なから「保全しても意味がない」と切り捨てられているのかも知れません。
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計画ではこの写真の深田の谷の森が全て盛土で埋立られ丘は掘削されます。
左の方に今回の部分的な再調査で東日本最大と成った蹈鞴(タタラ)遺跡の上郷深田遺跡の尾根が有りますが、そこは蹈鞴製鉄の炉の遺跡ごと10m掘削され消滅するのが現段階での計画に成っています。
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この先が行き止まりにされてしまっており雑草が生い茂ってるので今ではハイキング客も少なくなってしまい、手入れはされていません。
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これより先は立ち入り禁止ですので皆さんも入らない様に気を付けて下さい。
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赤いタグが付いてる辺りが深田遺跡側の道の立ち入り禁止のロープで行き止まりの場所です。
不法投棄された車も放置されたままで人目につく瀬上沢手前側とは保全状況に随分差が有る様です。
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まだ未認可なので深田遺跡側も歩ける様に保全して頂いたり、不法投棄も主が解るなら通報しても良いかも知れませんが、まぁ東急建設さんに土地を売却した地権者が長年放置して来たので不法投棄車両の撤去等を迫るのは酷かも知れませんね。
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湧き清水が道路を跨いで流れていますが、深田遺跡側の谷底は元々湿地です。
こちら側では瀬上沢基金の方によると平家蛍が見られるそうです。瀬上沢の方は両方見れました。
東急建設の姿勢を評価出来る点も有りました。
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今回、横浜国大が保護していた江戸時代の農業用水トンネル史跡側の蛍生息地まで、東急建設の蛍の生息域の調査が拡大された様です。
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この白幡サンと言う方が御担当として実行されている様です。
強引に押し切らず慎重に評価されるのでしょうか?
しかし今年の蛍の確認出来る個体数の激減は地元の人達が話していた通りに説明会の❝蛍の採取❞の為だとしたら天然ホタルを減少させて人工繁殖させた蛍を増やしても意味が無いと思います。
大切なのは自然に蛍が生育する環境を残す事で、ここで開発事業を行うのは東急さんにとっても円海山の上郷一帯の森林を最大時の21%まで減少させる上に、東日本最大の蹈鞴遺跡の上郷深田遺跡と深田遺跡側の谷底の森林、そして瀬上沢一帯の森と水源の自然の川を部分的に調整池として掘削して無くし横に人口の川を作る計画は東急サンにも社会的な評価として旨くない話ですし、横浜市民のみならず日本人にとって損失だと思います。
深田遺跡1期2期発掘調査遺跡分布
御覧の通り30年前の遺跡発見地域から今回の部分的再調査だけで既に東日本最大の蹈鞴遺跡である事が発覚していますが、これも上郷深田遺跡を守る会の方が開発計画説明会の際にも指摘されていた所です。
深田遺跡再調査部分報告1
深田遺跡再調査部分報告2
舞岡上郷線の建設前の調査で上郷深田遺跡が発見されてから30年が経ち、周辺の住宅状況は空家だらけに成った上に自民党の政策でも史跡文化財保護強化と盛土による開発の抑制が推進されていますので、東急建設と横浜市民は政府から助成金を得て国の推進するIR事業の布石として東急グループがミナト未来21地区で実績のある寂(さび)れた港湾の商業地としての再開発経験を活かして新山下埠頭~本牧ふ頭の稼働率の低い突堤を代替地として、今回の開発計画地と等価値交換して頂くのが良いのではないでしょうか?
自然と史跡の保護の為なら支持は強いんじゃないでしょうか。

さて、諸先輩方に聞かされた過去の瀬上沢と深田遺跡の保護活動の話しから・・・
「瀬上沢の保護活動で❝外の人❞達のの力も借りないとダメかな~」
・・・と思い、色んな“外の人”達にも会いにいったり6月中旬まで休日も予定を埋めてあります。
私でも自分が取得しようとしてる資格の学習も秋まであるので並行して行っていたり、余りブログを更新できないと思います。
Twitterも休憩中に今迄の様に鬼のように返信しながらと言う訳にもいかなくなります。

6月中旬過ぎに一段落が片付くので、その頃には余裕が出てブログ更新します。
次は普通に歴史解説の記事を書きます。
暫くお待ちあれ~

次回の記事は質問を受けたので❝市内で北条政子サンに関係する場所❞の解説を書きたいなと思ってます。
それと、東急建設の現在の建設計画では上郷深田遺跡と瀬上沢西側の蛍生息地が削り取られたり埋められ消滅してしまう事や深田遺跡側の谷の森が埋め立てられる事が視覚的に解る地形図や配布された資料を用いた解説も書きたいと思います。

東急建設も損をしないように色々と市民から提案せる準備する事も大切だと思います。

6月にブログを少し更新したら又、07月10日前も少し忙しくなると思います。

また、これからも皆さんと歴史旅の情報を共有出来たら良いなと思います。

では!
東急建設さん、開発反対地権者も開発賛成地権者も、開発計画に関わられている政治家の方も、仲裁しようと過去に動かれた政治家の方も、開発反対の政治家の方も、開発反対の横浜市民と応援して下さる日本中の自然と蛍と刀剣文化のファンも、皆が幸せに成る為に国の力を借りて代替地案が成功して横浜市に日本中に自慢できる蹈鞴遺跡が史跡指定され、都会に残された蛍の広域生息地が自然保護公園化し、開発賛成派の方々も土地を東急様に売却して結果的に史跡と自然を守った奇特な方々として史跡博物館の運営者に加わる等何某かの利益が善玉として付与され、市役所も国も自然と史跡の保護と港湾再開発を両立させた功績が後々の余まで語り継がれて、上郷開発事務所の方々も真に世に誇れる業績を残され子々孫々まで語り継がれたら良いなと心から願います。
環状四号線の渋滞解決の為に高架化車線の建設なども推進して頂ければ、栄区の過疎化と高齢化の進む桂台や人口が伸び悩む本郷台方面の復活も目指せるので、鉄道高架化で実績のある東急サンには高架道路の建設で環状四号線渋滞問題と空家解消も上郷の自然保護の代替地案として最適の港湾再開発とセットで発注されれば間違い無いと思うのですが・・・

徐々に暑く成ってきましたが皆さん体調を崩されません様に。
皆で幸せになれます様に。

皆さん、この記事で蛍の大生息地と東日本最大の蹈鞴遺跡を守るため❝本記事の拡散の救援❞を要請します!
これから6月初旬、第二週の週末位になると蛍の飛び交う姿が最盛期を迎え、下旬に入り7月には蛍達は次第に命を終え数を減らします。
そんな蛍も生きる川を破壊されてしまえば、翌年から見る事も出来なくなります。

緊急性の高い意見書の提出と署名活動の存在を以下にPDFやホームページリンクで纏めますので、拡散を御願いします!



出来れば意見書提出や署名活動その物にも御協力にも御願い申し上げます!
以下は資料、及び意見書と署名フォーマットのリンクと説明。

これは皆も読んで見て下さい!⤵
東急建設意見書の素案のPDF
https://drive.google.com/file/d/1zymGCllhGO-_Gl7oWW61nYzzpOaBSfNN/view?usp=sharing
郵便なら上記のURLをクリックしてPDFを印刷して同封下されば簡単です。
同封する場合は意見書に「別紙に意見内容文書を同封」と書いて下さい。
・公的機関へのweb上の意見書は今回の公的機関用に意見書の素案の要件だけを纏めた文章を書いておきますので、それをコピペして貼り付けて頂くと便利です。
・むろん皆さん御自身の素晴らしい提案をされるのも好ましいです。


●東急建設への意見書提出フォーム【緊急!】
意見書フォームPDF⤵
https://drive.google.com/file/d/1FdbEU1o8K_ISN-KOxJo3lhkvN3QI06Ek/view
※A4サイズで印刷の上、郵便で2019年05月23日までに記載した住所への必着〆きり。
※宛先・・・〒247-0013横浜市上郷町725番 東急建設株式会社 上郷開発事務所
                担当:松尾、須藤、小林
※これを最優先で御願いします!
※小生の意見書素案PDFを提案される方は意見欄に「別紙意見同封」と書き添えて下さい。

付属の資料として以下の上郷深田遺跡の簡単な史料と過去の発掘調査記録も有ります。同封するかは皆さんにお任せします。
・上郷深田遺跡発掘調査概報PDF→リンク
・古代の製鉄所『上郷深田遺跡』を守ろう!+追加限定調査部分報告→リンク

●上郷深田遺跡製鉄遺跡の現状保存と公開を求める署名
書式PDF⤵
https://drive.google.com/file/d/1w25i423VDydeVcNckSj4nhHFSN9YqR5r/view
※A4で印刷して下さい。
※宛先はフォームに記載住所ではなく以下に記す“瀬上沢基金事務所”の住所に送付して下さい。
 基金事務所で集積してから代表者に追加提出をして貰います。
宛先・・・〒2340054 港南区港南台9-30-31 NPO法人ホタルふるさと瀬上沢基金事務所 角田まで

以下公的機関への意見フォーム
公的機関へ投稿する際は以下の文章をコピペして頂いても結構です。

【以下は自民党と各省庁向け要件コピペ用の素案】
「政府自民党政策‟文化財危機宣言”に基づいて以下の要請をします」
横浜市栄区に東日本最大のタタラ遺跡上郷深田遺跡と、横浜市最大最後の森林円海山の瀬上沢流域の蛍の群生地が、開発計画で消滅の危機に瀕しています。保護を要請します。
横浜市と開発を担当する東急建設は不採算事業に陥っており、又、世界遺産級の遺跡は開発計画で掘削と商業地建設で基礎によって破壊される区域に該当します。蛍の生息域も調整池の建設で川は消滅し別に人工川を設ける計画ですが蛍は死滅します。
都会に希有な水源森林と東日本最大のタタラ遺跡保護の国策での代替地提案として稼働率の低い横浜港の新山下~本牧埠頭への代替地準備助成金交付やIR事業推進を含め東急建設と横浜市へのIR事業発注を行い、円海山全域の森林と水源と瀬上沢流域の都会に希有な森林として国定公園化、日本屈指の上郷深田遺跡の国指定史跡化と博物館と史跡公園化による畑地利用を御検討頂きたく御願い申し上げます。
許諾が可能であれば市民活動でも保護の為の誘致の署名を行います。

 ●自民党へのご意見フォーム
リンク→https://ssl.jimin.jp/m/contacts?_ga=2.26174973.1582204468.1558159906-1246993790.1558159906

●文部科学省文化財全般ご意見
リンク→https://inquiry.bunka.go.jp/InputForm.aspx

●国土交通省・関東地方整備局:お問い合わせフォーム
リンク→https://www.ktr.mlit.go.jp/kyoku/contact/mail/index.htm


__以下横浜市の各所意見窓口__

【以下は横浜市と市長向け要件コピペ用の素案】
「政府自民党政策‟文化財危機宣言”に基づいて横浜市に要請をします」
横浜市栄区に東日本最大のタタラ遺跡上郷深田遺跡と、横浜市最大最後の森林円海山の瀬上沢流域の蛍の群生地が、開発計画で消滅の危機に瀕しています。
開発企業様の利益を保護しつつ当該地の自然と史跡の保護と国指定史跡、国定公園登録申請を要請します。
以下の案を提案します。
・❝政府自民党の政策のIR事業と文化財危機宣言❞を活用して助成金要請
・東急には現在の開発計画の用地を横浜市と代替地との交換を提案。横浜市では無く国策のIR事業推進の為に港湾の稼働率の低いA突堤か風光明媚なC突堤等の埠頭に等価値の代替地を用意する。
・環状四号線の渋滞問題解消によって金沢区~戸塚区~大船への利便性を向上し、上郷開発では阻止できない既に空家が増加してる桂台や本郷台地区の利便性を向上し栄区全体の人口増加につなげる。その際に渋滞の解決策として片側1車線の環状四号上郷区間の道路を高架化して片側2車線にする。上郷町199番地付近と上郷町1173番地付近に出入口を設ける事で環状四号線沿いの緑地も保護出来る。
・保護した上郷深田遺跡の完全な調査を行い、横浜市初の世界遺産登録を目指し第三セクターの史跡博物館を併設した上で上郷開発賛成派の住民も史跡保護の功績から運営側として雇用する。また他の大都市に類を見ない国定公園円海山全域の大森林を保有する市として世界にもアピールを行う。
以上ご検討御願い申し上げます。
横浜市と開発を担当する東急建設は不採算事業に陥っており、又、世界遺産級の遺跡は開発計画で掘削と商業地建設で基礎によって破壊される区域に該当します。蛍の生息域も調整池の建設で川は消滅し別に人工川を設ける計画ですが蛍は死滅します。更に東急建設の取得した緑地の大部分を現計画では横浜市が買い取る必要が有ります。ならば代替地を用意して史跡と自然環境の完全保護を目指した方が市政の評価も上がりますし国政としてIR事業を推進する事が可能に成り本牧地域の再開発で東急建設も横浜市と将来的な利益を享受出来ます。
都会に希有な水源森林と東日本最大のタタラ遺跡保護の国策での代替地提案として稼働率の低い横浜港の新山下~本牧埠頭への代替地準備助成金交付やIR事業推進を含め東急建設と横浜市へのIR事業発注を行い、円海山全域の森林と水源と瀬上沢流域の都会に希有な森林として国定公園化、日本屈指の上郷深田遺跡の国指定史跡化と博物館と史跡公園化による畑地利用を御検討頂きたく御願い申し上げます。
許諾が可能であれば市民活動でも保護の為の誘致の署名を行います。

●横浜市「市民からの提案」投稿フォーム
・横浜市役所市民局広聴相談課→mailto:kouchou2@city.yokohama.jp
 スマホ用→https://www.e-shinsei.city.yokohama.lg.jp/yokohama/uketsuke/sform.do?acs=shiminteiansmart
・栄区役所    区政推進課→mailto:sa-shiminteian@city.yokohama.jp
・港南区役所   区政推進課→mailto:kn-shiminteian@city.yokohama.jp

●市長の部屋 横浜市長 林 文子ー共感と信頼の行政を目指してー
・政策局秘書部秘書課→ss-hisyo@city.yokohama.jp
        FAX→045-641-2628



Twitterでリツイートしてくれた皆!もう一度だけこれを拡散して世界遺産級のタタラ製鉄遺跡である上郷深田遺跡と蛍群生の地の瀬上沢流域を含む円海山を助けて!

出来たら署名や意見書提出にも協力して下さい!

そして意見を支持してくれたら東急建設も横浜市も賛成派も反対派の地権者も歴史ファン刀のファンももアニメとゲームのファンも蛍を子供にみせたい若い御母さんも御父さんも皆で幸せに蛍と遺跡を見に来られて、誰も損をしないで済むと思う。

どうか御協力お願いします!
上郷深田遺跡
ホタル10
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こうやって夜景が綺麗なのは手前の円海山の森林が有るからです。
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いつまでもこの風景と武士文化の醸成地の東日本最大の蹈鞴遺跡の上郷深田遺跡と蛍が舞い飛ぶ瀬上沢と円海山の大森林を皆さん一人一人の行動で守ってください。

誰も損をしません様に、皆仲良く出来ます様に、後世に貴重な自然と遺跡を残せます様に~♪
東急サンへの意見書の提出期限が郵送で23日〆切と成っています。何卒よろしくお願い申し上げます。

・・・只の歴史オタク、~久良岐のよし~より


















恋は雨上がりのように 公式ホームページタイトル画像 久良岐のよし
恋は雨上がりのように
公式ホームページURL→http://koiame-movie.com/#/boards/koiame
主題歌「フロントメモリー」MPV→YouTube公開動画


2018年05月25日(金)、もう直ぐ公開のこの映画では能見台を中心に周辺地域がロケ地として頻繁に登場します。能見台駅や桜木町駅を皮切りに・・・
恋は雨上がりのように 能見台駅 久良岐のよし
恋は雨上がりのように 桜木町駅 久良岐のよし
杉田~富岡~能見台~氷取沢に抜ける住宅道路をヒロインの❝橘あきら❞を演じる小松菜奈さんが疾走しまくす・・・
恋は雨上がりのように 能見台 久良岐のよし
恋は雨上がりのように 氷取沢 久良岐のよし
恋は雨上がりのように ヒロイン 久良岐のよし
全然関係無いけど、この小松菜奈サン、小生の学生時代の彼女にソックリ(笑)。
恋は雨上がりのように 円海山 久良岐のよし
そしてもう直ぐ沢山の蛍の見れる季節に成る貴重な横浜最後の自然が残る金沢区~栄区~磯子区~港南区にまたがる円海山もロケ地に成っていますね。
蛍のいる瀬上沢から、このロケ地は徒歩8分くらいと直ぐ近く、更にはこのヒロインが走ってる道の左手の山の上は横浜市で最高所なので絶景の夜景スポットとして栄区上郷町と港南区港南台の地元民には知られています。
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富士山の赤富士とダイヤモンド富士の景勝を見られるポイントとしても夕日の撮影が趣味の人達には広く知られています。
恐らく知らないのは❝築地育ち❞の林文子市長くらい。
ついでなので以前、蛍を見られる❝瀬上沢❞と瀬上沢の綺麗風景や蛍の様子を紹介した記事のリンクと蛍の見られる場所も紹介して置きます。
円海山蛍の生息地 久良岐のよし
Google map→リンク
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円海山の展望台とベンチ~横浜の大森林を守ろう
(洋光台地域ホームページから)

東急が開発破壊しようとしており林文子市長がそれを容認する様な発言をして横浜市民から大ヒンシュクなのも紹介しています。
こんな映画のロケ地に成ったり、横浜市最後の蛍大生息地が見られたり、横浜市一の夜景が見られる場所を横浜市役所に破壊されない様に、彼女さんや彼氏さんや奥さんや御子さんと❝恋は雨上がりのように❞の映画を見て聖地巡礼に円海山に来て、ついでに蛍と夜景を見て、その素晴らしさを感じて見ませんか?
横浜市にも奥多摩の様な最後の大自然が残っています、ここを破壊しようとする政治家と土建屋に止める様に、林文子市長には❝歴代市長が守って来た❞貴重な自然を子供達の為、日本文化と自然保護の為に開発の魔の手から守って下さる様に陳情して頂ければ幸いです。

●林文子市長への陳情窓口
林文子事務所 
〒231‐0007 横浜市中区弁天通4-53-2 DOMONビル2F
TEL:045‐228‐9780
横浜市教育委員会庶務課
TEL:045-671-3240
●東急建設
http://www.tokyu-cnst.co.jp/company/
〒150-8340 東京都渋谷区渋谷1-16-14 渋谷地下鉄ビル
代表番号 TEL:03-5466-5020
土木本部 TEL:03-5466-5152
建築本部 TEL:03-5466-6186
営業本部 TEL:03-5466-6299

本当は今日はコッチ
       ↓
【休日雑記】2018年01月01日~2日の訪問先⑤・・・横浜市内~海老名市~厚木市~伊勢原市~平塚市~寒川町(の内、龍散寺~式内社小野神社~毛利家発祥地)
 ↑ 
コレの続きの記事を書かなきゃいけなかったんだけど、1月2日と同じSuper moonでの皆既月食が見れたので、そっちの事を少し書こうかなと。

2018年01月31日、この日はSuper Moonの皆既月食・・・
横浜市の最高峰の円海山へと登り月食の様子を撮影に夜9時半頃からずっと観察してた。
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スーパームーンの皆既月食を観察する為に夜ジムに行かずに、横浜市最高峰の円海山の中腹の在る所に・・・そこは円海山の木々が少し開けた場所で星空が良く見える。
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そこで寝そべりデジカメを両手でシッカリホールドして皆既月食を撮影してた・・・
「クッソ寒い(笑)」
・・・でも夜の冷気と古代人が大切にした円海山の清々しい空気で最近クサクサした心が少し晴れた。
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2万円の安いデジカメを持参、望遠レンズも無し三脚も無し、別に天体観察オタクでも無いので歴史オタクの小生はこのクオリティーで満足。
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思った以上に綺麗に撮影で来たかな?
でも手振れが激しく(笑)月が分身した写真が何枚も撮れてしまった(笑)!
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まぁ、これはこれで面白い(笑)!
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誰もいない夜の山の広場に寝転んで星空を見上げて見る満月はとても神秘的だった。
きっと古代人は月読(つくよみ)の神様の命(みこと)を拝んで皆既月食を観察して閏年の調整を行ったのだろう。
天体観測を通じて何だか古代人と繋がった様な気分に成れ嬉しかった。
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この❝円海山の瀬上沢”は❝横浜市最大最後の蛍の群生地❞として有名ですが、アホの東急不動産と横浜の林文子市長が開発しようとして横浜市民の保護活動と交戦状態の最前線に成っている場所で、古代人の聖地と鑪(たたら)製鉄遺跡と灌漑水田史跡、更には鎌倉武士達が有事に使っていた高速道路鎌倉早駆けの道の間道も幾本も林道として残るのですが、林文子市長に成ってから林道保持が怠られた状態に成っていたりもします。
現地には日本神話最古の知恵の神様の思金神を祀る思金神社や、浄土宗総本山の知恩院住職となった任蓮社然譽了鑑大和尚を輩出した❝峯の阿弥陀寺❞も現存しています。
以前書いた記事が有るので、御興味の有る人は以下の記事タイトルをクリックして読んで見て下さいね!
●円海山と瀬上池の沢…蛍が見れる横浜南部の最後の大森林。
●円海山の蛍が観察出来る季節です。・・・過去記事の転載も。
●古典落語「強情灸」の舞台と鎌倉古道①…円海山白山神社〜阿弥陀寺~護念寺。横浜市磯子区峯町・港南区港南台
●古典落語「強情灸」の舞台と鎌倉古道②…円海山白山神社〜阿弥陀寺~護念寺。横浜市磯子区峯町・港南区港南台
●思金神社…古代人の遺跡の有る横浜市内1番の自然のパワースポットの円海山に在る神社。
●神奈川の橋100選の一つ“昇龍橋”と白山社古址。横浜市栄区長倉町


あ、それと梅の季節ももう直ぐなのでそれのリンクも貼ります・・・
●神奈川県内の梅花鑑賞に適した梅林一覧。
※イベント日付が以前のままなので、詳細は御自分で記事に掲載されている電話番号までお問い合わせくださいね♪

次の❝【休日雑記】2018年01月01日~2日の訪問先⑥❞はSuper moonの夜の日に訪問した、仁徳天皇=大鷦鷯尊大王の弟皇子で莵道稚郎子(うじのわけのいらつこ)命が埋葬されていたのに神奈川県教育委員会が保護せず破壊された真土大塚古墳と莵道稚郎子命が御祭神の延喜式内社である前鳥神社、そして古墳時代初期の神事を行う神奈川県の寒川大社の追儺神事つまり神社文化成立以前の古代から続く神事の事を書きます。この神事は上賀茂神社や寒川大社などの一部だけで中国渡来の陰陽道や仏教の文化の影響を受けず、そして明治基督教徒の政治家による宗教改革でプロテスタント化した国家神道の影響を受けずに続く貴重な❝日本古来の進行の原型を残す神事❞だったりします。

・・・では!次の記事で又皆さんに報告したいと思います~♪

横浜市栄区長倉に江戸時代には経堂橋と呼ばれ、大正時代の補修以後は昇龍橋と呼ばれた橋が在ります。
この橋は上郷6号緑地沿いの遊歩道にかかっているのですが、旧鎌倉郡の原風景を見る事が出来る重要な場所で、上流の瀬上沢には自然の蛍も生息している貴重な自然公園に成っています。
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素敵な石橋でしょう?もう少し秋深く成った方が綺麗かも知れませんね。
石橋の左側の赤い筋は自然湧水の小さな滝です。
ここ等辺りの地盤は関東ローム層で鉄分が多く含まれているので鉄分のせいで酸化した赤い成分が沈着するんですね。ですから鎌倉は武士の首府だった時代に水質の良い井戸が少なくて、逆に水質の良い井戸には鎌倉十井と呼ばれた場所が出来たりしました。
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現地に行くと、栄区役所の熱心な御担当者がちゃんと調べた説明も有ります。素晴らしい。
この橋は横は風情があるだけでなく市内では最古の現存する石橋で、絶対に破壊させてはいけない文化財なんですね。
実はこの橋は白山社の旧参道で、その傍らには武士達が駆けた旧鎌倉街道の間道の1筋も残っていたりします。
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橋を渡った先に、白山社古址の石段が有ります。
何故、白山社“古址”と言う言い方をしたかと言いますと、もう廃社にされ神様は近隣の上郷地区の思金神社に合祀されてしまったんです。↓以前、思金神社を紹介した記事。

昔は、地域の殿様や庄屋さん達が神社に収入に成る土地を寄進して、その土地の田圃の年貢が神社運営費に成ったりしたのですが、明治政府の唯一の失政である宗教改革で、神社仏閣の土地は没収され多くの神社仏閣は運営困難に成り荒廃し、廃社や廃寺に成って行きました。
日本文化を大切にしようとした明治政府でしたが、この失敗で寧ろ日本文化と日本人の乖離(かいり)を招いてしまったんですね。そして多くの神社仏閣に止めを刺したのが敗戦後のGHQの統治とGHQ撤退後に行政に食い込んだ反宗教のマルクス主義者や左翼です。GHQは僅かに残った神社の土地の多くを更に奪いました。GHQの撤退後に市に返還されるのですが、この際、多くの市職員や政治家に戦時中の反動で左翼閥が多く成っており、GHQから返還された神社仏閣の土地を元に戻す事は無く、市の財産として売却してしまった場所がほとんどでした。
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この白山社も荒廃してしまったのですが、石段の様子を見るに古い時代からここに在った石材に見えます。
小生の経験だと摩耗の仕方から遅くても安土桃山時代か江戸時代初期ぐらいの石段じゃないでしょうか。
恐らく、鎌倉武士達も往来する際に、この白山社で御参りした事でしょう。
今では何も建物も石碑も、当然書物も無いですが、なんだか神秘的な雰囲気は漂っています。
何で小生が、ここを鎌倉武士達も拝んだと推測しているかと疑問に思う人もいるでしょうか?
ここには、鎌倉武士達が関与した証拠が残っています…
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最初の石段を登って境内に入ると左手には切り抜かれた箱状の穴が有るんですが、これは奈良時代~鎌倉時代末期までの武士の習慣で、矢倉と呼ばれる死者の供養塔を置くスペースだったんですね。
昔の鎌倉武士の御墓は御骨を骨壺に入れた後、地下に埋葬するのではなくて石塔(墓石とは形状が違う)の中の納骨スペースに骨壺を入れる事が多かったんです。
土地の狭い鎌倉に住んだ武士達らしい習慣ですね。
小生は偉人の御廟所の写真を普段は掲載しないのですが、一つ具体例として三浦義澄公の供養塔を皆さんに見て頂きたいと思います。
ちゃんと史跡保護しないと骨壺を海外への転売しようとする盗掘者や外国人犯罪者に破壊されるよと言う戒(いまし)めの意味も込めて…
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これは鎌倉武士の代表格、三浦家の棟梁、三浦義澄公の菩提寺だった薬王寺跡:横須賀市衣笠の写真です。
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御寺は明治政府の宗教政策の失敗で廃寺に成り、御墓は破壊され骨壺が盗まれてしまいました。
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納骨スペースが無残に叩き割られ石塔上部が直接おかれて中身が盗掘されています。
鎌倉武士達の御墓は西日本の文化と違って元来はこのような四角い石柱の中に空洞が彫られ、そこが納骨スペースに成っていて骨壺が納められていたんですね。
そして、供養の石塔が立てられる場所は先程の写真の様な壁面に掘られた矢倉と呼ばれる人工の半洞穴の中でした。
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だから、この矢倉が有る事で、この白山社が武士にとって大切な場所であった事が解るでしょうか?
この昇龍橋の少し下流には権現橋と言う橋が有ります。白山社はつい150年前に明治政府の宗教政策で神社と御寺が強制分離させられるまで多くが白山権現と呼ばれ神仏習合つまり神社と御寺の両方で祀られる神様でした。
そして、ここの昇龍橋も明治時代まで経堂橋と呼ばれた事から、この付近には御寺が在って白山社古址は白山権現を祀る御寺の経堂だった事が用意に推定出来ます。
白山社の矢倉は最初の矢倉を登った左手に在ります。正面を向くと、当たり前ですが神社?経堂?の跡の石段も現存しています。
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本当に残念ながら社殿は維持できずに取り壊されてしまい、今では武士達が歩いたであろう石段しか有りません。それでも、この境内に踏み入ると何だか陽が当たらずとも清々しい空気に満ちています。
さて、白山社古址と昇龍橋の説明からは少し離れて、周辺の遊歩道の風景を見てみましょう。
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白山社古址を正面に昇竜橋から左手を見た先が、遊歩道を瀬上池や瀬上沢に進む順路です。
それと反対方向の朝比奈峠側に歩いて行くと、下の風景が見られます。
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この一帯は小川の両岸が散策路に成っていますが、両岸に昔から道が有りました。
どっちかが崩壊してもどっちかが通れる様にする工夫でしょうかね?
暫く進むと権現橋が有ります。
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橋の先は今は民間に払い下げられてしまった様です。
橋の手前に辛うじて歩ける幅の遊歩道がギリギリ残っているだけ。
ふざけんな横浜市。
ところで、権現橋の奥には広い谷戸の削平地が広がっています。
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もしかしたら、ここに本来の白山社の仏教的な御堂や御本尊や御神体を祀っていた御寺が在ったのかも知れませんね。
今度、新編相模風土記稿を読む時に調べてみようと思いますが、果たして掲載されているかどうか…
さて、遊歩道として何となく歩いても良い場所ですが神社の建物は無くても雰囲気は残る事が伝わったでしょうか?
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川辺に降りる事も出来ますので、もし近くを通りがかったら散歩して見て昔の人の生活を連想してみて下さい。
この川辺で馬に水を飲ませる武士もいた事でしょうね…
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こんな恰好した鎌倉武士達が、ここを通って鎌倉と地元を往来したんですね。

さて、この昇龍橋が参道だった白山社は廃社に成ってしまった訳ですが・・・

神社や御寺と言うのは只の宗教施設では無くて、境内の石碑や建物、或いは所蔵されている文書に造営した武将達や地域の人々の生活が刻まれているタイムカプセルなんです。
そして、時に昔の人が未来の人、つまり私達へ当時の災害を伝えようとした警告の場所だったりする訳ですが…
残念ながら、現代人の信仰心が弱く成った事や、日本帰化民が多く働く土建屋にとっては邪魔な物が神社仏閣や城址で建設会社は史跡が出土しても教育委員会に届けずに破壊し宅地造成したり、史跡と解っていても届けずに破壊し宅地造成しようとします。

・・・悲しい事ですが、そうやって貴重な建築遺産や史跡が段々とこの世から消えていき、結果的に現代人にその代償が帰ってきます。

それが東日本大震災でした。

東日本大震災では昔の人々が経験した大津波の記録を石碑にして神社や道の傍らに建ててくれていたのに、多くの人間が神社仏閣に足を運ばなくなり、太平洋戦争の敗戦後GHQの制作で日本語の漢字の繁体字の使用が禁じられた為に石碑を読める人自体も少なく成っていたので、津波の到達地点の石碑より海抜の低い位置に多くの家が建てられており、1万3千人近くの人々が亡くなってしまいました。

小生は歴史偉人を尊敬し、神様と成られた前時代の日本人の偉人も崇拝しています。
それは現代人の生活が我々が突然手に入れた物では無くて、先人達の多くの悲しみと努力と別れの結果の少しの成功と喜びの上に成り立ってるからです。
今、小生が生きているのは神奈川県や日本を開拓して下さった神様に成った先人や武将達がいるからだと思っています。
ですから小生は歴史人物を尊敬しない人間以外、全て敬称を付けて呼びます。
歴史家は歴史偉人を物の様に呼び捨てにし、多くの観光協会は歴史偉人を商売で利用しても偉人の関わった神社仏閣は滅んでも良いと思っている連中ばかりです。特に先日喧嘩した社団法人〇〇県観光協会の管理職。
歴史オタクの小生と連中の違いは、歴史人物を生きていた人として尊敬して感謝しているかどうか、現実にいた人で御子孫達が居る事も考えて歴史に触れているかどうかだと思います。 
そして繰り返しには成りますが、先人が残して下さった物には東日本大震災で活用されなかった我々への警告も多く残っています。
だから大切にしたり、日頃から身近に感じる距離で散歩したりする事が 大切だったりすると思っています。

そんな思いで昇竜橋と白山社古址を紹介してみました。

では、次は愛知静岡旅行の休日雑記の続きを書きます。それでは又、次の記事で! 

今朝~夕方まで散歩してた場所…


【しじま】
朝焼けのベイサイドマリーナ
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ポケモンGOやってるカップルが仲良しさんで微笑ましかった。
【朝方】...
柴漁港と名物の小柴の穴子天丼
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最近、忙しくて来れてなかった。癒しの郷土料理。
【正午】
金沢文庫博物館
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涼しい所で歴史を御勉強。

【昼下がり】
称名寺と境内地の稲荷山(金沢城址)
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参道の並木の木陰と心地良い風は天然のクーラー…
コンクリートジャングルにも緑を増やせば良いのに。
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称名寺は安らぎの場…
そしてポケスットップが大量、レアポケモンも沢山出たなこれ…
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称名寺の境内の稲荷山の眺望は…
多くの❝島だった❞地形に、埋め立てられた宅地を脳内で削除し海に書き換えなくても十分綺麗。
でも横浜市が愚かな埋め立てを行わなければ金沢八景と呼ばれた景勝地は更に美しかっただろう。
御老人夫婦が仲良く御弁当を広げていた。
もし結婚する事が有れば、この御夫婦を御手本にしたい。

【暮れ】
氷取沢市民の森と大谷戸広場付近の笹下川(大岡川本流)の源流と氷取沢神社(旧間宮綱信邸宅から現在地へ移転)
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ココか円海山の頂上か瀬上池で鳥のさえずりを聞くのが癒し。
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源流。泥岩と関東ローム層の山を削り流れる笹下川源流は沢と言うより沼なんだな。
これは鎌倉も同じ。
本来なら三浦半島の様に、沢蟹だけでなく陸生の蟹も沢山生きていた円海山の沢。
人が生物を消してしまった。
一見綺麗な大谷戸広場の沢も、下流の笹下川の分水路の建設で魚の遡上も無く成り魚類は絶滅してしまった。
反対側の瀬上池と瀬上沢も林文子市長が東急グル―プと結託し開発し同じ様に天然の蛍やフナを絶滅させようとしている…。
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氷取沢神社は間宮家と関係が有る…
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元々は背後のマンション団地の位置に在ったが、立ち退かされ現在の位置に遷座させられた。
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氷取沢神社の旧社地が、北条家の外交官として織田信長公にも面会し、日本100名城の一つ八王子城を設計し北条氏照公の付家老を務めた間宮綱信公の屋敷跡だった…
場所を移転してしまっては、神社を建てて氷取沢間宮家家老の岡本家が殿様の旧跡を守って来た意味が無い。
…しかしながら、ここに来れば間宮綱信公や御子孫の間宮士信公に御挨拶が出来る。
【黄昏】
円海山の森林越しの鎌倉遠景
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横浜最期の自然大森林…
まだ空が黄色に成り始めた時間、青い空が残っていた。緑が美しく、ここも鳥のさえずりが癒してくれる。

【宵~夜へ】
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ポケモンGO御散歩の成果…
どうやら円海山周辺は山と川と池が多い関係で、色んなレアポケモンが出るらしい。
オッサンがポケモンやりながら御朱印も集めて歴史資料も収集して…脂肪も収集。
脂肪はもう要らない。
まぁ、歩いて山登ってして、汗かいて天丼はチャラかな。

ふむ。
普通、でも休日らしい休日。良かった。
信奉する神仏と、尊敬する歴史偉人と日本の発展に寄与して下さった近代の横浜の外国人の皆さんに小生と多くの日本文化を愛する民と善良な世界の人々を今日も1日御加護頂いた事を感謝。

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年末年始の過ごし方は? に参加中!
古代神話時代に首相を務めた思金神を御祀りする、横浜市栄区(鎌倉郡域)の思金神社に初詣に行って来た。
横浜市は久良岐郡・鎌倉郡・都筑郡・橘樹郡から構成されて成立した土地。
横浜市と隣の川崎市と三浦半島、それと海を隔てて隣県の千葉は、中国史観での日本史の空白時代を埋める日本武尊神話と伝承の舞台の土地でもある。
最初は歴史人物としても尊敬する菅原道真公を御祭神とする日本三躰天神社の永谷天満宮に行ってみたけど最近は参拝客が多く待ち時間が長そうだったので、仕事が休みの明日改めて御参りする事にした。
そして思金神社へ…
今日は正月なので神楽殿や仮設売店には綺麗な巫女さんが何人かいました。
今日、御参りした思金神は、小生が崇拝する京都阿弥陀寺と建勲神社の建勲神(織田信長公)、三浦半島走水神社と川崎子母口橘樹神社の日本武尊と弟橘媛様、天満様の菅原道真公と共に尊敬し崇拝する存在。
天照大御神が天の岩戸に引きこもった際に、天の岩戸を開く手立てを立案し指揮された神様ですね。
お祭で天照大御神を誘いだした方なのでお祭り好き神様なんでしょうか?
 
思金神社の↑御神輿。
思金神は、その神話の経営者的、参謀的役割から、商工業や学問の神様としての御利益が有るとされています。

小生は先に述べた神様以外に、北鎌倉東慶寺の天秀尼様・鎌倉玉縄龍寶寺の北条綱成公・伊勢原上粕屋洞昌院の太田道灌公・横浜金沢富岡八幡宮の源頼朝公・鎌倉鶴岡八幡宮の源義家公・藤沢二傳寺の平良文公・京都誠心院の和泉式部様も神仏に等しく崇敬しています。
特に北条綱成公は信長公、菅原道真公に次いで崇拝する御方です。
無論、地元横浜の殿様の間宮康俊公も尊敬しています。
近世近代の偉人では、高田屋嘉兵衛さん、河合継乃助さん、坂本龍馬さん、孫文先生、柴五郎さん、東郷平八郎元帥、秋山好古さん、西郷菊次郎さん、原三渓さん、八田與一さんを特に尊敬しています。
神社や御寺は、古代人や有史以来の先人の記憶を伝える場所でもある訳です。
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初詣や節目節目の祭事は、先人の記憶を引き継ぐ意味も有ると個人的に思っています。
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神社に鏡が祀られるのも、卑弥呼の時代位に加わった習慣かも知れませんね。
あの時代から盛んに銅鏡が製造されだした様ですから。
思金神社本殿の前には霊石も展示してあります。
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自由に触って良いので小生もハグしてきました。

この思金神社は、横浜市鎌倉郡域の原風景を良く保存し留めている…
小生は、この神社の自然が好きです。
この思金神社周辺からは古代の踏鞴製鉄場遺跡も出土し古墳も多数在る古代からの文化醸成地でもある。
平安時代末期には、この鎌倉郡の村岡に平良文公が居城を置き、後の鎌倉武士団を形成する子孫達が南関東の土地を開拓して行きました。
この近所には公田や河内の地名が今も残り、源義家公の伝承の神社も近隣に点在し河内源氏の歴史の足跡を辿れる地域でもあります。
そして、横浜市内の貴重な原生林の自然保護区でもあるのが、この神社の在る円海山です。 
更には、円海山の沢の清流を集めた瀬上池から流れる瀬上沢は、横浜で絶滅寸前の貴重なホタルの生息地であると同時に、灌漑水田の史跡でもあります。
この丘の地盤の地下地層自体も貴重で保護すべき所で、淡水生の大型貝の化石が群在する地層が含まれています。
だから特別に自然を破壊せず保護しないといけない地域な訳です。
自然崇拝をした古代人達の史跡の近くの思金神社は、古代日本の宗教観と伝統を受け継ぐ神社らしく 、境内からは富士山が綺麗に見えます。
本殿横に看板が有ります。
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この道を通ると、途中にホタルの生息地の瀬上沢のせせらぎや、古代人の蹈鞴(たたら)製鉄場遺跡などを抱える古(いにしえ)からの文化と自然を有する横浜屈指のパワースポットの円海山に建つ神社らしく、展望台手前には水神様の御社も在ります。
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この奥が富士山の見える展望台です。
今日の富士山は頂上が雪化粧をしていて、特に美しかったです。
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今年一年間、自分は社会の為に役に立つ事を成し遂げられるだろうか?
出来る事はやってみよう…

皆さん、今年一年、又、宜しく御願いします!
御互いに実り多き一年に成ります様に~♪

では、又、次の記事で御会いしましょう!
次こそ観音崎灯台周辺紹介の記事の【後編】を書きます。

ブログネタ
日本の政治 に参加中!
円海山を御存知ですか?
今、その円海山と言う山の「瀬上沢」と言う沢で蛍を見る事が出来ます。
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画面ぶれててすいませんね、街灯の無い真っ暗な農道での撮影…携帯ではこれが限界でした。

6月7日、横浜市港南区磯子区栄区にまたがり鎌倉まで繋がる横浜最後の大森林、そして平安時代からの武士達の駆けた鎌倉早駆けの道の史跡が林道として残る円海山に蛍を観察に行ってきました。

蛍が見える場所は横浜市栄区の旧上郷高校、今の栄高校のすぐ下の谷に流れる瀬上沢です。
瀬上池の位置
この栄高校の有る場所一帯は奈良時代からのタタラ製鉄遺跡が出土した史跡だった場所であり、その瀬上沢も奈良時代から今に灌漑水稲耕作を今に伝える文化醸成地であります。
大げさでは無く、この一帯の田畑は農業の史跡であり、古代からの灌漑施設の史跡とも言えます。

今日、蛍は5~6匹出てきて可愛いオシリの優しい光をホワ~と照らしてくれました…
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携帯だから良く写せないけれど、それでも優しい光がわかりますよね~♪

小生が子供の頃は、良く瀬上池にザリガニを獲りに自転車で行って、みんなで瀬上沢で水遊びしたり瀬上池で釣りをしたり、林道を駆けずり回って遊んでいました。
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昔はもっともっと沢山の可愛い蛍が見れたんです。
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左上の2匹の蛍君達…オシリが光ってるの判りますか?
昔わね~瀬上沢には天然のフナもいたんですよ~!
今でも瀬上池にはいますけれど、もう、瀬上沢にはフナはいません…


この瀬上沢周辺、局地的に見るとぱっと見は有り余る自然に囲まれているようですが…
瀬上沢

少し離れて見てみると…
瀬上池の位置
…丘の上を宅地開発されてしまい自然環境が劣化したせいで蛍も激減し、フナも消えました。
沢蟹も減り、トンボの幼虫のヤゴのエサになるカワニナも減り…
この瀬上沢も自然環境が崩壊寸前、歴代市長の御蔭で首の皮一枚、繋がっている状況でした…

が!

近年、歴代市長や市民の意志を踏みにじり、ふとどきにも!この沢の自然環境にトドメをさして宅地開発しようとする業者とそれを止めない市長が出てきてしまいました。
東急グループと、その労組と、林市長です。

蛍を消し去る意志が無かろうが、宅地化した瞬間に間違いなく蛍は消えます。
結果的に消えてしまえば、自然環境を破壊したのは開発した業者」と、その業者の労働者の代表の「労組」と、歴代市長の「里山思想に基づく円海山の保護」と乖離した「開発容認する市長」です。
つまり、この瀬上沢においては「林文子市長」と「東急グループの労働者」と「東急グループの経営者」と言う事に成ります。

皆さん、横浜市にこんな素晴らしい自然環境が首の皮一枚つながった程度の危うい状況で残っているのを知っていましたか?
円海山は横浜市で一番高い山なので風景も綺麗です…
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この通り、まだ神社や御寺が生活に密着していた昔の古代~戦前、多くの関東地方の先人が「此花昨夜姫(このはなさくやひめ)」の化身として仰ぎ見た富士山も綺麗に見えます。

先に述べましたが、円海山の林道は鎌倉武士達が利用した古道の史跡で、今でも朝比奈峠の朝比奈切通しへ通じています。
皆さん、蛍を見に行って古代人から受け継いだ自然を鑑賞してみませんか?
可愛い蛍君達に、弱ってしまった自然の中、ギリギリ残った儚(はかな)い可愛さを見せてもらい、瀬上沢の自然の大切さを感じて見ませんか?

円海山に富士山を見に行って、先人達が女神さまとして拝んだその美しい姿を心で感じてみませんか…?

この円海山は文化醸成地だったので、以前のブログ記事で紹介した竹林の風景が美しく古典落語「峰の灸」の舞台に成った「円海山護念寺」と言う御寺や…
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元々は護念寺の本院だった安養山 峰の阿弥陀寺も在ります。
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この阿弥陀寺は浄土宗総本山である京都の知恩院の第四十六世、了鑑大僧正を排出した由緒の有る御寺でも有ります…

瀬上池と瀬上沢の近く、山の反対側には思金神社も有ります。
この神社の御祭神の「思金神」は日本神話で知性を司る神様で、天照大神が天岩戸に御隠れに成った際、天照大神を表に御導きする作戦を考え周囲の神々に指示を出した名参謀です。
こんな知識の神様が鎮座し、大僧正を排出し、古典落語の舞台にも成った円海山ですが…
可愛い蛍も「瀬上沢」で待ってくれていますよ~!

皆さん、鎌倉文化や古代人の歴史を刻んだ円海山、是非、この機に散歩しみて下さい。

注意!
蛍を鑑賞する際は以下の事を順守して下さい!

蛍を見に行く時は大人数で行かない!…大人数の集団だと虫さんがビックリして逃げてしまします!
暑くても長袖長ズボンに虫よけちゃんと塗って行くのをお勧めします。…自然の中、夏、当然、蚊がいます。
タバコを吸わないで!…火事の元な上に、匂いで虫が逃げます。そもそも条例で禁止されています。
火気厳禁!…当たり前。見かけたら通報します。
ゴミは持ち帰れバカ野郎!…そもそも自然公園でゴミを出すな。
夜中に騒ぐなバカ野郎!…風流の欠片も無い事をするなら来るな!騒ぐなら昼間の川遊びにしろ!てか祭りに行って騒げ!てか寧ろ日本人辞めてどうぞ!
以上、宜しく。



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風景写真 に参加中!
横浜市は余所(よそ)の地域の人から見ると「みなと未来21地区」や「中華街」や「山下公園」や「外人居留地」のイメージくらいしか無いそうですが…

とんでもない!
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里山に囲まれた素敵な古民家の御庭でしょ?
これ、昔は鎌倉郡だった横浜市栄区の鍛冶ヶ谷と言う地域にある「旧小岩井家住宅」です。
小岩井家は元々は、この地域の庄屋(しょうや=村長)さんだった御宅なので、その邸宅は茅葺屋根の立派な造りの古民家です。

何だか田舎の御婆ちゃん家に来たみたいでしょ?
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…もっとも、貴方(あなたの)の祖父母の住む家がこんなに立派な茅葺屋根の家だったら、そりゃもう大金持ちですね(笑)。
何故なら家の作りの立派さもさることながら…
茅葺(かやぶき)屋根の家は、藁葺(わらぶき)屋根の家と異なり大変に高価なんですよ。
屋根を葺(ふ)き替(か)えるだけで4000万円以上かかると言われています。
更に庄屋様の御宅ともなると平屋の入り母屋(おもや)作りなので、かなり大きな母屋と若夫婦の住む別棟の離れが有ったりします。

この素敵な古民家…
実は無料公開されているばかりか、「本郷ふじやま公園」と言う緑地公園の一部なんです。

ですから…

「あれ?昭和初期に来たのかな?」とタイムスリップをした錯覚さえしそうな風景が庭先には広がっています。
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ヨコハマの子供たちが丸で「カッペ(笑)」の様にのびのび元気に遊んでいます。
横浜市は「里山思想」に基づいた都市計画がなされており、どんなに市街の中心地にいっても必ず、この様な里山が保存されているんですね。
ただし、その里山が必ず文化的に大切な場所とは限りませんが。

ここでは少し昔まで日本中にあった風景を垣間見れます。
昔の家の土間(床が靴履いて歩く屋内)の炊事場(キッチン)とか…
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一般人用の玄関入ってから靴脱ぐ土間とか…
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今じゃ少なくなった縁側とか…。
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本当、懐かしいな~。

離れもあるので、何だか昔の農村を訪ねて来たような雰囲気です。
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立派ですよね~?
お正月はここで餅つき大会も行われますし、春には凄く立派な桜の木に花が咲き誇ります。
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この下の写真は長屋門と言います。
長屋門は江戸時代、ある程度の格式の有る家にしか造る事が認められなかった建物です。

もうこれ、古民家好きにはヨダレだらだら出るくらい堪らないんじゃないかな(笑)?
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御屋敷と呼ぶのが相応(ふさわ)しい外観ですね。
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さて、ここからが歴史的な話題の本題部分です。

以下、文章だらけですが、歴史好きと特に横浜市栄区民にとっては読む意味が有ると思うので、どうぞお付き合いください!

この旧小岩井家が治めた地域は鍛冶ヶ谷村でした。
今のJR京浜東北線本郷台駅から少し離れた鍛冶ヶ谷地区一帯ですね。
その鍛冶ヶ谷を中心としていくつかの村が明治時代に合併され「本郷村」が設置されました。
それが本郷台の地名の由来ですね。

鍛冶ヶ谷はその名の通り、武具製造の鍛冶職人が昔から住む地域でした。
どれくらい昔かと言うと…
恐らくは平安時代中期です。

この鍛冶ヶ谷の付近には古代から武具製造や蹈鞴(タタラ)製鉄に関わる地域が多数有りました
その名残は今も地名に残っています。
…港南区の"日野"→日野=火野…この地域は実際、鎌倉幕府の初代侍所別当和田義盛公が建設した野庭城と言う御城もありましたが、お隣の上郷には平安時代より更に古い奈良時代からのタタラ製鉄の遺跡が発見されています。
そして隣の金沢区にはそのまま金沢の地名と釜利谷と言う地域もあり、いずれも製鉄に関わる地名です。
西暦110年頃には日本武尊が鎌倉の先ある三浦半島に遠征して来ているので、この一帯は早くから開けていたようです。

さて…
鍛冶ヶ谷一帯に話題を戻します。
実はこの鍛冶ヶ谷一帯、小生は関東人が軍神と崇(あが)める平安時代の名将、陸奥守(むつのかみ)鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)を歴任した関東の武士団の棟梁、源朝臣(みなもとのあそん)八幡太郎(はちまんたろう)義家(よしいえ)公の兵站(へいたん=補給基地)だったと推測しています

因みに源義家公は鎌倉幕府初代征夷大将軍源頼朝公の4代前の祖先です。

何故(なぜ)、鍛冶ヶ谷一帯が義家公の兵站だったと推測するかと言うと、旧鎌倉郡村岡郷=現藤沢市村岡の村岡城を拠点にした、鎮守府将軍の平良文公は源苑(みなもとのあつる)と一騎打ちの後に盟友となり共に源氏と平氏は関東の発展に協力し尽力する事を約束しあいました。
※平良文公に関する過去の記事は「ココ 」←クリック!

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(軍神と言われた源義家公)

その平氏と源氏の盟約を体現する様に、後に源義家公が前九年後三年の役に出征すると、坂東平氏はこぞってその幕下(ばくか=組織に入る)に入り協力します。
その時に鎌倉御家人の祖となる二人の名将が参陣しています。
一人目は鎌倉景政公…関東では御霊神社の祭神として信仰されています。
二人目は三浦為継公…御子孫には鎌倉御家人の三浦氏や和田氏、戦国大名芦名氏や正木氏や三浦氏がいます。
※三浦為継公に関する過去記事は「ココ 」←クリック! 

実はこの二人は従弟同士で、更に平良文公の子孫です。
つまり良文公以来の源家との盟約が履行されていた訳です。
この時、平家側は義家公に対し、居住地等を提供しています。
その場所が今の鎌倉市扇谷(おおぎがやつ)地区にある「亀ヶ谷(かめがやつ)にある寿福寺」のある場所
とその一帯なんですね。
亀ヶ谷は狭い地域です。
源頼朝公が鎌倉幕府を開く以前、実はこの父祖の故地(こち=ゆかりの土地)である亀ヶ谷に幕府を開こうとしたのですが、狭すぎて御家人達から反対され、やむを得ず鶴岡八幡宮の東側の大蔵地区に大蔵幕府を開いたなんてエピソードがある位なんです。
ですから鍛冶ヶ谷では軍隊の物資補給や武具補修の職人集団や商人を住ませる町形成はままならないんですね。
その亀ヶ谷から徒歩でも行ける距離には、現在でも源義家公と関連の有る地名や施設名が溢(あふ)れかえっているんですね。

亀ヶ谷の有る場所から現在の北鎌倉は歩いて15分程の距離ですが、その北鎌倉から20分位歩くと鍛冶ヶ谷の最寄駅の本郷台地区に至ります。
この鍛冶ヶ谷を含めた本郷台地区には、「河内」と「公田」と言う地名の場所が有ります。
河内とは大阪市の東部にあった国の名前です。
何故、唐突にこの地名が旧鎌倉郡、現横浜市栄区に出て来るんでしょうか?

実は源義家公以来、関東武家の盟主(めいしゅ=主従ではない協力関係のリーダー)としての立場を築きますが、この義家公の家の「源家」は源家の中でも河内源氏と呼ばれた今の大阪府羽曳野(はびきの)市を本拠地とした一族なんです。
そして、その羽曳野市の有る場所は、昔は「河内国」と国名を呼ばれた地域なんですね。
恐らく、亀ヶ谷に住んで居た義家公の荘園だったから河内の地名が横浜市栄区に残っているんでしょうね。

更に「公田」の意味ですが…
公方(くぼう=将軍)様+田畑…公方様の田畑…公方の田…公田となる
訳です。
この栄区本郷台の「公田地区」と「河内地区」は隣合わせの位置です。
そして更にその隣にあるのが鍛冶ヶ谷です。
つまり、町形成の不可能な亀ヶ谷に住む義家公は、公田一帯に生活用の食糧補給の荘園を坂東平家の武士から提供されており、武器を鍛冶ヶ谷で補給していたのだと考えるのが自然なんです。
港南区の日野や栄区上郷地区のタタラ製鉄所で製造された鉄で、隣村の鍛冶ヶ谷の鍛冶職人が義家公率いる源氏軍の武具補給補修を担っていたんでしょう。

ここから源氏と与力の平氏や菅原氏や橘氏や丸子氏が出撃して清原氏や藤原氏との死闘を演じたんですね…
その前九年後三年の役や関東の武士団の繋がりの話は過去に「永谷天満宮」の記事でも触れていますので、ご興味ああれば御覧下さい。
※永谷天満宮と菅原氏と平氏の関係に関する記事は「ココ 」←クリック!

余談ですが、鎌倉市は現在でも伝わる有名な刀鍛冶のブランドが有ります。
以前の記事で紹介した名刀「正宗」の工房ですね。
※過去の関連記事「ココ 」←クリック!

今回は八幡太郎義家公の話に話題を広げる事で、たまたま大阪府と神奈川県の関連に話が及びましたが、実は神奈川県は古代から大阪府と京都府と御縁があり、御互いの土地は本来は兄弟の様な協力関係にあったんです…
ま、その噺(はなし)は又、気が向いたらします(笑)。

今回も長くなってしまいましたね。
でも今は新興住宅地の本郷台も、鎮守府将軍様の根拠地だったかもしれないと言う、失われた歴史と誇りを皆さんに再認識して頂ければ幸(さいわい)です。

ではでは…又、次の記事でお会いしょましょう!

前回のブログ「コレ←(クリック!) 」で「峰の灸」こと古典落語「強情灸」の舞台、横浜市磯子区峰の「護念寺」と、その風景と強情灸の小噺を紹介しましたが…
今日は、その続きです。

先に紹介しました「護念寺」は、少し触れましたが、元々は同じ磯子区峰と港南区港南台の中間にある「阿弥陀寺」の末寺と言うか奥院だったんです。
正式な名前は・・・
安養山 峰の阿弥陀寺です。
峰の地名に護念寺の本院だった頃の名残が有りますね。

ですから阿弥陀寺も歴史が有り御寺の雰囲気が、とても素敵です。
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山門をくぐってくると、この石畳のアプローチが出迎えてくれます。
夕方に訪れたので、境内の灯篭に火が点(とも)り、神秘的な雰囲気でした。
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この阿弥陀寺、名前が阿弥陀寺だけあって法然上人の開いた「浄土宗」に属す御寺です。
つまり、総本山が京都市東山区の知恩院、大本山には京都市左京区百万遍の智恩寺が在ります。

その大本山の智恩寺は、鎌倉時代末期~室町時代初期の変遷期、後醍醐天皇の治世に京都で疫病が流行った時に、後醍醐天皇の勅願(ちょくがん=直々の願懸け命令)で僧侶が疫病退散の御経を読み上げた所、その疫病が治まったので…
後醍醐天皇が僧侶に「いったい何回御経読んだら効果あったの?」
…と言う主旨の質問をされた際に、僧侶が「百万遍は読みましたよ」と言う様な事を答えたので、それ以降、百万遍智恩寺と呼ばれる様に成ったそうです。
小生は個人的に、この智恩寺がとても好きで、よく週末に智恩寺の近くの京阪電車出町柳駅から歩いて来る途中の商店街で「太巻き寿司」を買って、お散歩がてら智恩寺に行き、境内の御堂の階段に腰かけて御弁当代わりに食べてから、御堂に上がらせて貰って御参りしてました。
智恩寺は毎月縁日もやるんですよ。

そこのお坊さんが「何にも無くてもいいから、疲れた時や何も考えたくない時はココに来てゆっくりしていったらえええんやで」と言って下さり、色々有って当時人生の分岐点で疲れ切っていた時に非常に安らぎの一助に成った事は今でも感謝しています。

念の為に言っておきますが、小生は仏教も好きですが、神道も信仰しています。
主に菅原道真公=天神様と、織田信長公=建織田神(たけしおりたのかみ)様を尊敬し、天神様には良く御参りに行きます。
つまり、仏教の果たした文化的な役割を評価しつつ、神道の自然崇拝と偉人啓蒙を大切にしている鎌倉武士と同じ様な宗教観なのだと思います。
それを一言で表すと…
菅原道真公の座右の銘「和魂漢才」と言う言葉に近いと思いますが、小生は小者なのでそんな立派な言葉を引用するのは烏滸(おこ)がましいと自覚しています。

そんな浄土宗の阿弥陀寺と智恩院ですが…
以前紹介した、藤沢市渡内の二傳寺(にでんじ)も浄土宗です。
二傳寺は小生と御縁の有る鎌倉武士団と平氏系大名の祖先の鎮守府将軍平良文公の墓所のある御寺です。
平良文公と二傳寺の記事は「ココ 」←クリック!

さて、阿弥陀寺に話を戻すと…
こちらでは阿弥陀如来の他に観世音菩薩も祀られていらっしゃる様です。
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本堂脇の御堂に「観世音菩薩」の文字が掲げられています。

実は京都にも阿弥陀寺が有ります。
そちらは曾(かつ)て織田信長公も信仰した御寺でして…
本能寺の変の際に、信長公と交流浅からぬ阿弥陀寺の当時の住職が明智軍の移動後、必死に信長公の遺歯等を探し出し埋葬した事でも知られています。
信長公の記事は「ココ 」←クリック!


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横浜市の阿弥陀寺は、訪れたのが夕暮れ時だったせいもあり、本堂もとても神秘的に暗がりの中に照らされた仏様がうかびあがって見えました。

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実は先月2015年4月に御住職と面会の機会を頂き御朱印を頂き、この阿弥陀寺について御伺いした際に
御教授頂いたのですが、何と!この阿弥陀寺からは浄土宗総本山知恩院の第46世住職を務めた了艦大僧正を排出しているそうです!
古代、日本武尊(やまとたけるのみこと)と、その御妃様の乙橘姫(おとたちばなひめ)が三浦半島や横浜市の基(もと)に成った久良岐(くらき)郡と橘(たちばな)郡を訪問し、小田原北条家も京都から様々な文化を吸収しましたが、本当に神奈川県は京都文化や中央の神社仏閣と縁が深いですね…。

さて、昔は神仏習合と言いまして、大らかな日本人の性質に合わせて仏教は神道の神様の一部の様に神様と仏様とは等しく人々がら大切にされていました。
なんせ、昔の仏教は学問所(学校)として機能していた訳ですからね、そして神社は祖先や御近所や地域との繋がりを維持し季節の神事と合わせて共同で農作業を行ったりする組織の役割を「氏子」と言う形で担(にな)ってました。

ですので、この阿弥陀寺よりも恐らく昔から在(あ)った"白山神社"がすぐ隣の一段高い丘の上に有ります。
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しかし、こちらは明治政府の唯一の愚策「一村一社」政策で一度、上笹下(かみささげ)神社として、今の磯子区洋光台近くの栗木地区に在ります"栗木神社"に合祀されてしまい、他の神社がそうであったように廃れてしまいました。
昭和中期に地元有志により、改めて白山神社として御当地に復活を果たしましたが、鉄筋コンクリートの本殿になってしまい、しかも両脇の摂社(せっしゃ)はどちらの神様か今では地域の方でも御存知無くなってしまっています。
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小生が思うに鳥居が神明鳥居と言う形式ですので、片側は神明神社のはずです。
もう片側は古代から関東にある神社のパターンだと須賀神社か諏訪神社のはずなんですが…
全く確証が無く解りません。

明治政府による一村一社では何故か、関東の武士団の祖先の豪族達に平安時代以前から信仰されていた「八雲神社」や「須賀神社」や「諏訪神社」や「熱田神社」が他の村社格付けされた神社に吸収させられ、村々から姿を消していきました。 
この白山神社も同様に栗木神社に統合されました。
栗木神社は国常立尊(くにのとこたちのかみ)を祀(まつ)っているそうです。
国常立尊は歴史的には伊勢系神道で重視されている神様のようです。

つまり…
栗木神社に統合された白山神社も然(しか)り、関東で一村一社政策のあおりで潰された神社は出雲系の神社が多いみたいですね~。
何か意図が有ったんでしょうか?

でも、今ではいくつかの神社が規模はつつましやかに成っても、改めて地域の氏子さん達に勧進されて、元の場所に帰って来ているみたいです。

笹下城の若宮曲輪(わかみやくるわ)跡にある若宮御霊神社の例も、こちらの白山神社と同様ですね。
笹下城の記事は「ココ」と「ココ」←クリック!

白山神社と阿弥陀寺の横には今では横浜横須賀高速道路が、昔の村を分断するかの様に通っています。
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この道路が出来た事で潰れた鎌倉古道ですが、港南台から程近い清水橋と言う地域に戦国時代の昔、箱根の風魔忍者を管理した北条幻庵公の別宅があり、そこからこの道と、鎌倉街道を風魔忍者達も歩いていた事を考えると…
コンクリートとアスファルトで舗装された道でもロマンがわずかばかり感じられますね。

では…
又、次の記事でお会いしましょう!

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