歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

主に歴史旅、ときどきグルメ、けっこう富士山と季節の景色の写真大量のブログ。 中の人はオタク指向、でも2次元よりリアルが好き。   好きな曲はPharrell WilliamsのHAPPY♪

タグ:根搦前水田

前回の海禅寺編⤵️
コレ⤴️の続き…
 

海禅寺で御住職への取材と間宮家顕彰文での海禅寺の紹介文の記載の許可を頂いき、三田綱秀公の誠実に生きた生涯について御住職と色々と語り合い、次回の秋の参詣まで暫し御別れの挨拶をして御寺を後にした…
車に乗り込む頃には既に12時を回っており空腹感を強く感じていた。
実は、早朝にセブンイレブンの店員さんから紹介されたドラマ❝相棒のロケ地と成ったカフェ❞や興味の有るレストランが数件有ったのだが、午後13時から車で30分先の阿蘇神社にて熊本復興祈願と被災者生活再建祈願の祈祷をして頂く事に成っていたので 昼食をゆっくり食べる時間は既に無かった。
早朝に海禅寺へ向かって車を走らせている時に気に成った饅頭屋が有ったので、そこで饅頭を買って小腹を満たそうと思い立ち、海禅寺から出発して最初の目的地に 「へそ饅頭本舗」と言う店だ。CIMG3396
御店主に質問した所。この店舗自体は既に65年の歴史が有るそうだ。
青梅市の名物も余り印象が無いので、この御店を見つけた事はとても嬉しい発見だった。
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 この店は箱売りの御土産が店頭に展示してあるが、小売りを注文すると暖かい蒸したての物を提供して下さる。
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 ふわっふわでとても美味しかった!
へそ饅頭の名前の由来は、文字通り❝へそが饅頭に有るから❞みたいだ。
次回、海禅寺の御住職様に会いに行く時は御土産にこれを持参しよう。
車の中でへそ饅頭をパクつき自販機で購入した御茶を飲んで再出発!
隣接市の羽村市、武蔵阿蘇神社を目指した。 
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武蔵阿蘇神社に着くと、平日の水曜日と言う事も有って人は混んでおらず静かな雰囲気だった。
昨年の訪問時はチューリップ祭り開催中の休日だった事、熊本地震で熊本の阿蘇神社の本社が倒壊したが地震での死亡者が極端に少なかった御利益で関東で唯一の羽村市の武蔵阿蘇神社が有名に成り、熊本復興祈願の御参りに来る人やパワースポットとして来る若い参拝客がそれなりに多くいた。
今年は静かで良い(笑)。
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本殿への到着時刻は約束の13時の1分前に到着。あぶねー(笑)。
訪問の目的は熊本で神話の時代から阿蘇神社の大宮司家である阿蘇家の戦国時代の居城、熊本県上益城郡山都(やまと=旧、矢部)町に有った岩尾城に掛かる建築文化財の石橋❝通潤橋❞の名を冠した❝通潤❞と言う御酒を神前に奉納し「阿蘇山の鎮化」「熊本県の復興」「被災者の生活再建」の祈祷をして頂く事だった。
禰宜の宮川さんは小説を読んで小生の到着を待っていて、小生に気が付くと直ぐに拝殿の中に通して下さった。
儀式を一頻(しき)り終えて、御正月に話せなかった禰宜さんから1年ぶりに色々と御話を聞けた。
昨年の熊本地震の後、武蔵阿蘇神社の氏子さんや有志と宮司様禰宜様が復興支援金と阿蘇神社本社の再建資金を熊本に送ったのだが、昨年、熊本の阿蘇神社本社の禰宜さんがわざわざ奥多摩の羽村市武蔵阿蘇神社まで来て下さったそうだ。そして再建の行程が具体化して着手された事や、様々な報告、実際の状況の動画等を見せて下さったそうだ。
羽村市の武蔵阿蘇神社は平安時代に関東で善政を敷いて万民から愛された名将の平将門公が、藤原貴族に讒訴(ざんそ=陰謀で貶められ組織に嘘を報告される事)されて攻め殺されたのだが今でも関東人と生粋の武士の子孫は平将門公を尊敬している。
そんな将門公が結んだ熊本(肥後)と埼玉東京横浜(武蔵国)の縁は今でも深く、こうして武蔵阿蘇神社から義援金が熊本に届けられたりしている訳だ。
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小生も宮川宮司様と禰宜様の義に賛同している者の一人だ。
そんな訳で正月にも参拝に来たのだが、熊本大地震から1年後、又、復興祈願の祈祷を行って頂く為に参上した訳だ。
熊本と多摩郡と小生の住む久良岐郡(横浜)は遠く離れていても、心の距離は平将門公と阿蘇大宮司家が結んで下さった御縁の御蔭で今でも近い。 

さて、上の写真の阿蘇神社の裏手の参道の横には羽根用水と言う灌漑水田への水量管理の機能を有した水路が有る。
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阿蘇神社での用事が終わって先ず見た場所はチューリップ祭りではなくてここだった。
実はこの❝羽根用水は室町時代から存在した用水路の建築遺産❞なのだが、それを知る人は東京都民にも少ない。
玉川上水よりも数百年前から存在している大切な場所だ。 
今年の正月に新年の御挨拶に阿蘇神社を参詣した際、この羽根用水が昨年2016年10月に大雨で多摩川が増水し羽根用水が決壊してしまい、チューリップ祭りが開催される根搦前水田(ねがらみまえすいでん)に供給する水が無くなっていたので非常に心配していたのだが、羽村市役所の方々が努力をされて見事に復旧した様で安心した。 
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 手前の羽根用水が奥多摩から流れ降りて来る多摩川上流の清涼な水を満々と讃えている。用水の向こう側が多摩川だ。
この用水路に沿って歩いていくとチューリップ祭りの会場に辿り着く。
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 このチューリップ祭りの会場は恐らく関東で屈指の広さを誇っている。
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とても綺麗な風景なのだが、実は、この場所も❝途轍(とてつ)もない歴史遺跡❞なのだが、これを知る人も又少ない。
ここは古代から多摩川の自然堤防の内側の湿地帯で、古代から稲作が行われていた場所なのだ。
早ければ❝縄文時代末期から稲作が行われていた可能性の有る場所❞なのだが、これが神奈川県の走水神社の伝承なんかとも合致する。
東京都の多摩地区の教育委員会は文化と歴史遺跡保護に非常に熱心で、文化財保護法の設置を最後まで拒んで多くの文化史跡と歴史史跡を建築利権の為に破壊した神奈川県と横浜市の連中とは大違いで、古い定説に拘らずガンガン発掘調査をするので最先端の意見を持ちガンガン史跡を見つける類の学者さんが多い。
走水神社の伝承では稲作に関わる稲荷神社が既に紀元前から存在しており、自然の湿地帯を利用した稲作が関東では普及していたんじゃないかと氏子さん達に伝承している。そして関東最古の大社格を有する埼玉県久喜市の鷲宮神社でも縄文~弥生時代の遺跡が低湿地に囲まれていた地域と湧水地付近で発掘されている。
神奈川県の博物館の学芸員だけが関東での縄文ないし弥生時代からの稲作の可能性すら否定しているのは「そういう雰囲気が出世と関係ある」のだろうと小生は推測している。
まぁ、そんな訳で、ここは古代の水神としての蛇神信仰から変化し古墳時代位から関東に根付いていた龍神信仰の舞台でもあり、やはり稲作と密接な関係が有ったりする。 
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 だから今も雨乞街道が残っている。根搦前水田の多摩川を挟んだ対岸に昔、丸山と呼ばれた尾根が今もあり、その下には近代の河川改修まで❝淵(ふち=水辺の深み)❞が有ったのだが、そこが龍神信仰と雨乞いの聖地として機能したそうだ。現代では残念ながら治水工事でこの丸山下の淵は消滅した。
延喜式神名帳に載る神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社と別当寺の大山寺の
御祭神も高 (たかおかみ)と言う龍神様が水神として二重の滝と神社の神様として祀(まつ)られている。
そして同じく神奈川県大和市の深見神社も名前からして雨乞いの神様であり、そして御祭神は稲作と関係深い宇迦神(うがじん)=倉稲魂神(うかのみたまのかみ)=御稲荷様だ。
以前ブログでこれらの事は話した事が有るのだが、高尾山も恐らく水神信仰若しくは雨乞いと関係が昔は有った筈だ。
さて、歴史の話はここまでにして、チューリップ祭りの風景に話を戻そう。
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 今年のチューリップ祭りは04月19日に訪問した訳だが、今年の気候のせいか昨年よりも発色が素晴らしかった!
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 どこを見ても何の品種を見ても素晴らしい!
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本当に再訪して良かったと思う。
楽しみもチューリップだけでは無く、屋台が数軒出るので食事も楽しみにしての訪問だった。
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流石奥多摩!屋台に鮎(あゆ)や山女魚(やまめ)の塩焼きも有った。
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しかも鮎は500円、山女魚は600円と安い!もし横浜の懐石料理屋で注文したら1匹1000円以上は確実に取られるだろう。これを見て、川魚とお好み焼きを昼食にする事を即決した。
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鮎も山女魚も皮がパリパリ、炭火でゆっくり焼かれていたので骨までバリバリ食べられた。
美味しかった!尻尾は塩っ辛かったけど(笑)。
お好み焼きは普通の屋台の奴。
でも美味しかった。
チューリップ祭りの行われる根搦前水田には素敵な茶屋も有る。
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今回は訪れなかったが来年また来たい。若しくは秋のあきる野市の秋川渓谷の紅葉と見学と合わせて来ても良いかな?
腹も満足し、チューリップ鑑賞に復帰!
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いや~もう言う事無いでしょ!凄い綺麗!
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来年も又、熊本復興祈願の御参りをチューリップ祭りと合わせて訪問したいなと思う。
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チューリップ祭りの会場を後にして、河川敷の臨時駐車場へ向かう途中、もう一つの重要な史跡を見る事が出来るので写真に収めておいた。
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玉川上水の取水関だ。
実は江戸時代に江戸市民の生活を支えた井戸は全て玉川上水の水だった。
そして全ての水はここから汲み上げられて江戸へ用水路を通じて供給されていた。
この仕組みは戦国時代の関東の覇者だった小田原の北条家が城下町整備の際に作った❝小田原用水❞がモデルに成っていて石工達も小田原から徳川家に雇われて用水路建設に携わった棟梁は小田原の石工として現在もその家が現存している。そして小田原用水は日本史上最初の上水道と言われている。
そして、小生の推測では更に、大河川から用水路を引いて水の内地域へ供給する仕組みは羽村市の羽根用水がモデルに成っているのじゃないかとも推測している。
北条家が用水路を作ったのは北条氏綱公~北条氏康公の頃の話と推測されている。
丁度、その御二人の時期に多摩地方へも北条家が勢力を伸張しているので小生はその様に推測する訳だ。
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伊勢原市の扇谷上杉家の居城、粕屋館周辺にも千石堰用水と言うのが昔から存在するのだが、それは取水口と言う性質の物では無くて小川の流路を限定して流したい方向に水を流すと言った感じで小規模な物だ。
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まぁ、空堀に水を引き込んで湿地にするのが目的なので、大きな水源から水を供給する壮大な設備である必要が伊勢原市の方は無かった訳だ。
そんな訳で羽根用水が室町時代には存在していたのに立派な規模を誇る事は非常に❝凄い❞訳だ。
この歴史を多摩地区の人は玉川上水と一緒に大切にして頂けると後々の財産にも成ると思う。
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可愛い花々を見て、羽村市を後にした。
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あきる野市では先ず最初に「ルピア」と言う商業施設を訪問した。
地元の方から事前に❝ちっとん餅❞と言う御当地スウィーツを教えて貰っていたので、それを購入する為だった。
しかし水曜日は非営業日、あえなく撃沈して大人しく次の目的地へ向かった。
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中村酒造さん。
ここは歴史200年超を誇る酒蔵で、試飲も出来るのだが小生は飲酒の習慣が無く酒其(そ)の物には興味が無いのだが立派な建物や酒造りに興味が有って以前から気に成っていた。
なので、あきる野インターチェンジの近くと言う事も有って帰りに立ち寄った訳だ。

どんな場所かは紹介を別記事に纏めてみた。

コレ⤵️

興味有る方は参考にして貰うと良いと思う。CIMG3472

普段は酒を飲まない小生だが、梅酒だけはたまに飲む。最近は梅の特産地を訪問する度に梅酒を土産に買って帰るのだが中村酒造では変わった梅酒が有り、東京の名酒❝千代鶴❞の原酒に梅を漬け込んだ「梅酒(うめざけ)」なる物を販売していたので、これを母と自分の土産に1本、それと父に清酒千代鶴も購入して帰った。
帰ってから、04月12日に伊勢原市大山で購入した豆腐の味噌漬けと一緒に中村酒造の梅酒を楽しんだ。
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ふむ。
青梅~羽村~あきる野は平将門公や源頼朝公、北条家の武将達と深い関わりの有る土地で歴史散策も楽しく、風景も綺麗で有意義な休日と成った。
平将門公、三田綱秀公、北条氏照公、そして多摩の親切な人々、ありがとうございました!

次の休日雑記は04月22日の海老名市~綾瀬市~藤沢市訪問時の事を書きます。
では又!






 

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昨日は休日。
故(ゆえ)有り、自宅から84km先の羽村市まで行くので徹夜で仕事から帰宅後、寝ませんでした。
布団で寝たら確実に夕方まで起きないからね。
風呂に入り準備をして、AM:7:00頃に車に乗り家を出発。
昨日は、1日中運転しないといけない予定を組んであった。
訪問地
これは結果的に廻った所。本当はこれに今井城が加わり、根搦前水田のチューリップ祭は予定外だった。
寝ずに出発したものの、やはり眠気が来たので、事故起こさない様に2時間海老名SAで車中仮眠、これは予定通り。車の中なら寝過ぎないからね。


主要目的は羽村市の阿蘇神社。
関東で唯一の熊本の阿蘇神社の分社に行き祖先神に熊本県の地震被災民と熊本の産業の復興を祈願する為に、御神酒として御使用頂く熊本の地酒を奉納しに行きたかったので、数日前にアポをとっておいた。
ついでに延喜式内社の二宮小河神社も参詣し羽村市郷土博物館と今井城址と勝沼城址も見学してくる予定も組んであった。

阿蘇神社・・・

熊本県の復興の為に御金は送るのとは別途、精神的にも何かしておきたかった。
他に、圏央道のあきる野IC近く、阿蘇神社周辺で改めて写真を撮影したい場所をいくつかピックアップしておいた。
2016年4月23日訪問先
そして訪問先に選んだのが…
二宮小川神社(延喜式内社)→高月城址→羽村市郷土博物館→阿蘇神社→今井城址→勝沼城址
…だった。
いつも、どっか訪問先を決めると取りあえず周辺も効率的に訪問できる様にしているのだが、訪問時間は事前に計算した上で、ギリギリ回り切れるかどうかの件数をコースに盛り込んで、まぁ~回り切れなくてもOKとしている。
神社や寺院の場合は普通の規模なら30分程度の見学時間を確保…
小さ目の博物館の場合は1時間程度。
そこそこの博物館、一般的な規模の城址、それと大きな神社と寺院の場合は1.5~2.0時間の見学時間が必要…
滝山城址や大山阿夫利神社の様に山全体が史跡の場所の時は少なくとも3~4時間はかかってしまう。
今回の訪問地はGoogleEarthで事前に見ても、時間がかかりそうな場所は羽村市郷土博物館と高月城の各1時間ちょいと、阿蘇神社の宮司様訪問の時間だったので、全ての訪問先と現地移動時間を足しても6時間程度を見込んでいた。

そこで冒頭の寝ずの出発に成った訳で…
朝の4時過ぎに徹夜明けで帰宅すると、風呂入ったりしていると6時過ぎに成る。仮にそこから寝ると絶対に昼まで起きず12時過ぎてしまう。そこから横浜を出発して八王子の先まで行くと、それだけで最短距離の訪問先到着にも2時間はかかってしまい14時到着では、予定を半分もこなせないのは目に見えていたので…
●先(ま)ずは入浴して準備をして直ぐに出発
●朝の東名高速海老名SAで車中仮眠(これなら寝すぎない)
→以下順路+α、現地で気に成った場所を回る事にした。
…で、海老名SAで朝8時前後~10時位まで車中泊(仮眠)。DSC_0946
その後、朝食。
1ヵ月に1回は来ているのに、いつもは名物のメロンパンかけんちん汁、もしくは屋台で済ませていたのだけど、以前から気には成っていた店が・・・
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海老名SAは製菓企業のカルビーがファストフードの店を出店している。
今まで食べた事無かったので食べてみた。
意外に美味しかった…と、言っても料理としてじゃなくて子供が喜びそうな味と言う事で。
まぁ、悪くは無いので是非お試しあれ…
食べきれなかったので、ポテチとアボガドのバーガーは昼食にとって置く事にした。

あきる野IC出口の観光案内所からの眺望が既にのどかで綺麗だったのだが…。
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あきる野ICで圏央道を降りて二宮神社に向けて続く道が既に滝山街道と言う道で、武田信玄が軍勢率いて関東に略奪に来る時に使う道だった。
江戸時代には甲州街道に続く街道として栄えた道なので、渋滞中に撮影した風景はやはり江戸時代の街道の風景そのものだった。

…で、二宮神社に到着する。
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あきる野市は湧水多くて水が綺麗な場所だ。

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二宮神社は明治時代に成るまで小川大明神と呼ばれた場所だが、それは古代縄文~弥生時代に井戸を掘る技術が無かったので、安全な湧水池が聖地として大切にされたのだろ。それ故に武蔵国二之宮の二宮小川神社の名が、小川郷の地名に成ったのだと思う。
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残念ながら、関東の延喜式内社は伊勢系統の神様と関係の無い場所が多いので、明治時代の国家神道成立以来、宮司様御不在の場所が多い。こちらも月2回しか御朱印頂けないので、今回はタイミングが合わなかった。
→車で10分移動し高月城へ移動。
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…城好きには有名な目印。高月城の目標は城址公園の看板などではなく、❝愛の城❞ホテル高月城の看板が建っています。
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マークした舌状丘陵全体が高月城の址。
ここはネットに城址としての遺構が少ないとか書いてる阿呆が多いけれど、実際には堀底道がラブホと背後の城址の間の道として現在も利用されている上に、背後の城址部分にも堀切や腰曲輪群がちゃんと残っている。
整備したら良い城址公園に成るレベル。
その城址の近くには西暦900年代に造営された古刹圓通寺が在る。
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ここの御住職に昔の末寺が沢山あった事とか、地域の事を少し御教授して頂いた。非常に親切な御住職様だった。滝山地区や高月城下の鎮護の御寺として民百姓の崇敬を集めた場所なのだろう。
御寺の位置的にも、高月城主や武将達の崇敬を集めたはずで、よくある城址の近くの重要な位置に在る鬼門鎮護の役割も果たしていたと思う。高月城址の東側、秋川の渡河地点近くだしね。
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その秋川は水が凄く澄んでいて綺麗でした。
その秋川越しに見る高月城(左側)と周辺の風景も凄く綺麗です。
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高月城と秋川を挟んだ対岸は、この季節BBQ施設に成っているようでした。
秋川から望む高月城址の逸話に「前庭に高閣あり、矢倉などを相かねて侍けるにや、遠景すぐれて数千里の江山眼の前に盡ぬとおもおゆ」と京都の聖護院(南禅寺近く)の門跡だった藤原氏出身の僧侶道興が、高月城から見た風景を記録している。
もっとも、これが高月城かは名前が明記されていないので確証は無いとされていますが、地元の人はこれが高月城と今でも伝承しています。

→羽村市郷土博物館に移動。

羽村市も田舎だぞ!すんごい風景の綺麗な田舎。
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羽村市は実は江戸時代の玉川上水の水の取水堰が築かれた町で、羽村市郷土資料館は如何にしてこの町から江戸の町まで水を供給したか、この町の重要さが解る場所だった。
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江戸の町を支えた井戸水も全て、この用水から流れる水を貯水したもので、つまり、羽村が江戸の発展を支えた場所って事が解るんだな。
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ついでに、館内庭に移築された国指定重要文化財の古民家下田家住宅の囲炉裏で沢山焚き火の煙を浴びて良い気分♪
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あと、徳川親藩と関連深い江戸時代の医者の御屋敷の赤門もある。
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藤の花も綺麗だった…
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そこから阿蘇神社に向けて移動…
する途中で、道路に❝チューリップ祭り❞の看板が出ていたので無性に気に成り訪問。
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めっちゃ綺麗だった!この御祭りの存在を知らなかったのだけれども、来年も見に来たいと思いました。
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必ず来よう。日野自動車とかCACIOサンとか、羽村市周辺に工場を持つ企業も協賛しているようだ。
羽村市周辺 久良岐のよし
この場所は❝根搦前水田❞と言う場所らしい。
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因(ちな)みに、この場所を通る街道が雨乞い街道と言って旱魃(かんばつ)の続いた時に、丸山(城跡か古墳か?)下にある淵(ふち=水深が深い場所)で神事を行う為の巡礼の街道だった様です。
阿蘇神社や羽村市郷土博物館からも近い。河川敷に近く、奥多摩街道の在る河岸段丘の一段下の段丘面に在るので見落としがちだけれど、是非、多くの人に見て貰いたい場所だと思う。
そんな訳で、阿蘇神社はチューリップ祭の会場から徒歩でも行ける距離だった。
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藤原氏によって逆賊として謀反を捏造された名将、平将門公が肥後国の阿蘇神社から御分霊を勧進されて造営された神社だ。
今回の訪問は、熊本復興祈願として御神酒に熊本の酒を奉納したくて事前にその旨、御連絡差し上げて訪問した。
25日、神社本庁の指示で日本全国の神社の月例祭で熊本の復興祈願と地震鎮静の祝詞(のりと)が唱えられる。その際に熊本の御酒を阿蘇神社の建磐龍神様に御供えして頂きたくて、持参した。DSC_1123
宮川宮司様と禰宜職宮川様は親子でらっしゃいます。
とても親切にして下さって、小生の参拝に復興祈願の祈祷までして下さいました。
そして宮川と聞いて気に成っていた宮司様の姓…
新選組の近藤さんの実家は宮川姓で、近藤さんの御兄さんの御子孫宮川家は今も天然理心流の先生なのだが、天然理心流宮川先生と阿蘇神社の宮川宮司は年齢こそ離れているものの何となく声も外見も似ていた。
もしかしたら多摩地区の宮川繋がりで遠い昔、元々は御一族だったんだろうか?
熊本の復興が成るまで、毎年、参拝に来ようと思う。

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この阿蘇神社の川岸側には、羽村市郷土博物館で見た羽根用水の一部が今も現存し今も綺麗な水が引き込まれている。
来年の正月と、チューリップ祭りの季節には又御参りに来よう。
→この時点で既に17時近く日没まで1時間ちょい。チューリップ祭りで30分前後費やしたから、残る目的地の青梅地区の今井城址か勝沼城址のどちらか一つしか廻れない。
旧城主三田家の重要性から、今日の写真撮影訪問は勝沼城址を優先する事に決定。
急いで出発…
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勝沼城址は入口が解り難い。
そのせいで、城址は遊歩道として整備されているのに、御覧の通り入口は住宅街の奥の私有地と勘違いしてしまうような場所。
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でも入口見つかれば、立派に曲輪の土塁や埋もれた空堀の遺構、が荒らされずに現存している。
鉄塔の在る場所が展望台に成っている。
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この眺望、昔は街道が良く監視で出来ただろう。
城址左手側、光明寺や師岡神社側の横、墓地に繋がる谷は勝沼城の大空堀の跡。
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空堀と言うけれど、昔は巨大な沼掘りだった筈(はず)だ。
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住宅地の裏手には今も沢が流れていて水仙が植えられている。
この舗装されていない地盤は湿地帯のそれで、足がめり込んでしまう。
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墓地の横には城址の遊歩道保全計画に関連した地形図が有るので、これが縄張り図替わりに役に立つ。

さぁ~来年の正月は、阿蘇神社の御参りと、今回、写真撮れなかった今井城址を回らないとな。
…地元で信奉する神社と御寺、毎年御参りしている神奈川の延喜式内社と御寺も御参りして…
大変な移動距離の一日に成りそうだ。



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