タグ:根搦前水田
海禅寺で御住職への取材と間宮家顕彰文での海禅寺の紹介文の記載の許可を頂いき、三田綱秀公の誠実に生きた生涯について御住職と色々と語り合い、次回の秋の参詣まで暫し御別れの挨拶をして御寺を後にした…
さて、上の写真の阿蘇神社の裏手の参道の横には羽根用水と言う灌漑水田への水量管理の機能を有した水路が有る。
普段は酒を飲まない小生だが、梅酒だけはたまに飲む。最近は梅の特産地を訪問する度に梅酒を土産に買って帰るのだが中村酒造では変わった梅酒が有り、東京の名酒❝千代鶴❞の原酒に梅を漬け込んだ「梅酒(うめざけ)」なる物を販売していたので、これを母と自分の土産に1本、それと父に清酒千代鶴も購入して帰った。
休日雑記 2016/04/23の訪問先…あきる野市・八王子市・羽村市・青梅市
昨日は休日。
故(ゆえ)有り、自宅から84km先の羽村市まで行くので徹夜で仕事から帰宅後、寝ませんでした。
布団で寝たら確実に夕方まで起きないからね。
風呂に入り準備をして、AM:7:00頃に車に乗り家を出発。
昨日は、1日中運転しないといけない予定を組んであった。
これは結果的に廻った所。本当はこれに今井城が加わり、根搦前水田のチューリップ祭は予定外だった。
寝ずに出発したものの、やはり眠気が来たので、事故起こさない様に2時間海老名SAで車中仮眠、これは予定通り。車の中なら寝過ぎないからね。
主要目的は羽村市の阿蘇神社。
関東で唯一の熊本の阿蘇神社の分社に行き祖先神に熊本県の地震被災民と熊本の産業の復興を祈願する為に、御神酒として御使用頂く熊本の地酒を奉納しに行きたかったので、数日前にアポをとっておいた。
ついでに延喜式内社の二宮小河神社も参詣し羽村市郷土博物館と今井城址と勝沼城址も見学してくる予定も組んであった。
阿蘇神社・・・
熊本県の復興の為に御金は送るのとは別途、精神的にも何かしておきたかった。
他に、圏央道のあきる野IC近く、阿蘇神社周辺で改めて写真を撮影したい場所をいくつかピックアップしておいた。
そして訪問先に選んだのが…
二宮小川神社(延喜式内社)→高月城址→羽村市郷土博物館→阿蘇神社→今井城址→勝沼城址
…だった。
いつも、どっか訪問先を決めると取りあえず周辺も効率的に訪問できる様にしているのだが、訪問時間は事前に計算した上で、ギリギリ回り切れるかどうかの件数をコースに盛り込んで、まぁ~回り切れなくてもOKとしている。
神社や寺院の場合は普通の規模なら30分程度の見学時間を確保…
小さ目の博物館の場合は1時間程度。
そこそこの博物館、一般的な規模の城址、それと大きな神社と寺院の場合は1.5~2.0時間の見学時間が必要…
滝山城址や大山阿夫利神社の様に山全体が史跡の場所の時は少なくとも3~4時間はかかってしまう。
今回の訪問地はGoogleEarthで事前に見ても、時間がかかりそうな場所は羽村市郷土博物館と高月城の各1時間ちょいと、阿蘇神社の宮司様訪問の時間だったので、全ての訪問先と現地移動時間を足しても6時間程度を見込んでいた。
そこで冒頭の寝ずの出発に成った訳で…
朝の4時過ぎに徹夜明けで帰宅すると、風呂入ったりしていると6時過ぎに成る。仮にそこから寝ると絶対に昼まで起きず12時過ぎてしまう。そこから横浜を出発して八王子の先まで行くと、それだけで最短距離の訪問先到着にも2時間はかかってしまい14時到着では、予定を半分もこなせないのは目に見えていたので…
●先(ま)ずは入浴して準備をして直ぐに出発
●朝の東名高速海老名SAで車中仮眠(これなら寝すぎない)
→以下順路+α、現地で気に成った場所を回る事にした。
…で、海老名SAで朝8時前後~10時位まで車中泊(仮眠)。
その後、朝食。
1ヵ月に1回は来ているのに、いつもは名物のメロンパンかけんちん汁、もしくは屋台で済ませていたのだけど、以前から気には成っていた店が・・・
海老名SAは製菓企業のカルビーがファストフードの店を出店している。
今まで食べた事無かったので食べてみた。
意外に美味しかった…と、言っても料理としてじゃなくて子供が喜びそうな味と言う事で。
まぁ、悪くは無いので是非お試しあれ…
食べきれなかったので、ポテチとアボガドのバーガーは昼食にとって置く事にした。
あきる野IC出口の観光案内所からの眺望が既にのどかで綺麗だったのだが…。
あきる野ICで圏央道を降りて二宮神社に向けて続く道が既に滝山街道と言う道で、武田信玄が軍勢率いて関東に略奪に来る時に使う道だった。
江戸時代には甲州街道に続く街道として栄えた道なので、渋滞中に撮影した風景はやはり江戸時代の街道の風景そのものだった。
…で、二宮神社に到着する。
あきる野市は湧水多くて水が綺麗な場所だ。
二宮神社は明治時代に成るまで小川大明神と呼ばれた場所だが、それは古代縄文~弥生時代に井戸を掘る技術が無かったので、安全な湧水池が聖地として大切にされたのだろ。それ故に武蔵国二之宮の二宮小川神社の名が、小川郷の地名に成ったのだと思う。
残念ながら、関東の延喜式内社は伊勢系統の神様と関係の無い場所が多いので、明治時代の国家神道成立以来、宮司様御不在の場所が多い。こちらも月2回しか御朱印頂けないので、今回はタイミングが合わなかった。
→車で10分移動し高月城へ移動。
…城好きには有名な目印。高月城の目標は城址公園の看板などではなく、❝愛の城❞ホテル高月城の看板が建っています。
マークした舌状丘陵全体が高月城の址。
ここはネットに城址としての遺構が少ないとか書いてる阿呆が多いけれど、実際には堀底道がラブホと背後の城址の間の道として現在も利用されている上に、背後の城址部分にも堀切や腰曲輪群がちゃんと残っている。
整備したら良い城址公園に成るレベル。
その城址の近くには西暦900年代に造営された古刹圓通寺が在る。
ここの御住職に昔の末寺が沢山あった事とか、地域の事を少し御教授して頂いた。非常に親切な御住職様だった。滝山地区や高月城下の鎮護の御寺として民百姓の崇敬を集めた場所なのだろう。
御寺の位置的にも、高月城主や武将達の崇敬を集めたはずで、よくある城址の近くの重要な位置に在る鬼門鎮護の役割も果たしていたと思う。高月城址の東側、秋川の渡河地点近くだしね。
その秋川は水が凄く澄んでいて綺麗でした。
その秋川越しに見る高月城(左側)と周辺の風景も凄く綺麗です。
高月城と秋川を挟んだ対岸は、この季節BBQ施設に成っているようでした。
秋川から望む高月城址の逸話に「前庭に高閣あり、矢倉などを相かねて侍けるにや、遠景すぐれて数千里の江山眼の前に盡ぬとおもおゆ」と京都の聖護院(南禅寺近く)の門跡だった藤原氏出身の僧侶道興が、高月城から見た風景を記録している。
もっとも、これが高月城かは名前が明記されていないので確証は無いとされていますが、地元の人はこれが高月城と今でも伝承しています。
→羽村市郷土博物館に移動。
羽村市も田舎だぞ!すんごい風景の綺麗な田舎。
羽村市は実は江戸時代の玉川上水の水の取水堰が築かれた町で、羽村市郷土資料館は如何にしてこの町から江戸の町まで水を供給したか、この町の重要さが解る場所だった。
江戸の町を支えた井戸水も全て、この用水から流れる水を貯水したもので、つまり、羽村が江戸の発展を支えた場所って事が解るんだな。
ついでに、館内庭に移築された国指定重要文化財の古民家下田家住宅の囲炉裏で沢山焚き火の煙を浴びて良い気分♪
あと、徳川親藩と関連深い江戸時代の医者の御屋敷の赤門もある。
藤の花も綺麗だった…
そこから阿蘇神社に向けて移動…
する途中で、道路に❝チューリップ祭り❞の看板が出ていたので無性に気に成り訪問。
めっちゃ綺麗だった!この御祭りの存在を知らなかったのだけれども、来年も見に来たいと思いました。
必ず来よう。日野自動車とかCACIOサンとか、羽村市周辺に工場を持つ企業も協賛しているようだ。
この場所は❝根搦前水田❞と言う場所らしい。
因(ちな)みに、この場所を通る街道が雨乞い街道と言って旱魃(かんばつ)の続いた時に、丸山(城跡か古墳か?)下にある淵(ふち=水深が深い場所)で神事を行う為の巡礼の街道だった様です。
阿蘇神社や羽村市郷土博物館からも近い。河川敷に近く、奥多摩街道の在る河岸段丘の一段下の段丘面に在るので見落としがちだけれど、是非、多くの人に見て貰いたい場所だと思う。
そんな訳で、阿蘇神社はチューリップ祭の会場から徒歩でも行ける距離だった。
藤原氏によって逆賊として謀反を捏造された名将、平将門公が肥後国の阿蘇神社から御分霊を勧進されて造営された神社だ。
今回の訪問は、熊本復興祈願として御神酒に熊本の酒を奉納したくて事前にその旨、御連絡差し上げて訪問した。
25日、神社本庁の指示で日本全国の神社の月例祭で熊本の復興祈願と地震鎮静の祝詞(のりと)が唱えられる。その際に熊本の御酒を阿蘇神社の建磐龍神様に御供えして頂きたくて、持参した。
宮川宮司様と禰宜職宮川様は親子でらっしゃいます。
とても親切にして下さって、小生の参拝に復興祈願の祈祷までして下さいました。
そして宮川と聞いて気に成っていた宮司様の姓…
新選組の近藤さんの実家は宮川姓で、近藤さんの御兄さんの御子孫宮川家は今も天然理心流の先生なのだが、天然理心流宮川先生と阿蘇神社の宮川宮司は年齢こそ離れているものの何となく声も外見も似ていた。
もしかしたら多摩地区の宮川繋がりで遠い昔、元々は御一族だったんだろうか?
熊本の復興が成るまで、毎年、参拝に来ようと思う。
この阿蘇神社の川岸側には、羽村市郷土博物館で見た羽根用水の一部が今も現存し今も綺麗な水が引き込まれている。
来年の正月と、チューリップ祭りの季節には又御参りに来よう。
→この時点で既に17時近く日没まで1時間ちょい。チューリップ祭りで30分前後費やしたから、残る目的地の青梅地区の今井城址か勝沼城址のどちらか一つしか廻れない。
旧城主三田家の重要性から、今日の写真撮影訪問は勝沼城址を優先する事に決定。
急いで出発…
勝沼城址は入口が解り難い。
そのせいで、城址は遊歩道として整備されているのに、御覧の通り入口は住宅街の奥の私有地と勘違いしてしまうような場所。
でも入口見つかれば、立派に曲輪の土塁や埋もれた空堀の遺構、が荒らされずに現存している。
鉄塔の在る場所が展望台に成っている。
この眺望、昔は街道が良く監視で出来ただろう。
城址左手側、光明寺や師岡神社側の横、墓地に繋がる谷は勝沼城の大空堀の跡。
空堀と言うけれど、昔は巨大な沼掘りだった筈(はず)だ。
住宅地の裏手には今も沢が流れていて水仙が植えられている。
この舗装されていない地盤は湿地帯のそれで、足がめり込んでしまう。
墓地の横には城址の遊歩道保全計画に関連した地形図が有るので、これが縄張り図替わりに役に立つ。
さぁ~来年の正月は、阿蘇神社の御参りと、今回、写真撮れなかった今井城址を回らないとな。
…地元で信奉する神社と御寺、毎年御参りしている神奈川の延喜式内社と御寺も御参りして…
大変な移動距離の一日に成りそうだ。