東京都江東区に越中島と言う土地が在ります。
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上の写真がヒントかな?独力の成果ではないので一応ヒント代わりに御礼を…
江東図書館の司書様、個人名を出すのは控えますがありがとうございました!又、間宮家顕彰文に書き加える資料が見つかったのは、貴方の御蔭です。

さて、この越中島の土地は横浜市民には少々関係の有る土地である事を知る人は、今ではほとんどいません。
この越中島は、榊原照清と言う江戸時代初期の殿様の御屋敷が有った場所なのですが…
隅田川河口の守りを担う位置に江戸幕府より屋敷地を与えられて居住したのが❝榊原照清公で、その官途が越中の守だった事が現在の越中島の地名の由来”に成りました。
まぁ~郷土史だけ読んでも、照清公の御名前は出て来ないので郷土史家でも余り知らないでしょう。
ソースも意地悪で示さない小生(笑)。
越中島周辺
その屋敷地の所在地、元々の❝越中島❞と呼ばれた島は現在のヤマタネ株式会社の倉庫の所在地辺りです。
では何故、この越中島が横浜と所縁が深いかと言うと、それもやはり榊原照清公の御縁です。
実は、この照清公、母君が横浜の磯子区杉田出身の元北条家臣で徳川家康公の直臣にして鷹匠頭を務めた間宮家の分家杉田間宮家当主の間宮信繁公の御息女でした。
つまり、榊原照清公は横浜の間宮家の血を引いていた訳です。そして間宮信繁公の御姫様、つまり照清公の母上様が晩年住んでいた場所も、この越中島の御屋敷だったと成る訳ですね。
そして、何故、この場所が江戸幕府によって榊原越中守に当てがわれたかも、母上の家系、間宮家の家系を知っていると説明がつくわけです。
先に少し触れましたが、この越中島は江戸時代当時の江戸の大外堀りの役割を成した隅田川の河口に位置しています。
江戸時代の地図と現在の衛星写真を見比べてみましょう。
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現在では埋め立てが進み大分様子が異なりますが、下の江戸時代の地形図面の左下の四角い島が元々の越中島です。
正に江戸の海防を担う当時の❝台場❞の一つだった事が解りますね?
実は榊原照清公の母上の御実家の間宮家は❝築城技術❞❝鷹の飼育❞❝外交儀礼❞❝水軍❞に精通した武家でした。水軍に精通した家系であった事から、この位置に間宮家のノウハウを得れる照清公が住まされたと容易に推測が出来るんですね。
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現在、昔の越中島に当たる場所にはヤマタネと言う企業が在ります。そこに掛かる橋の名前が❝練兵衛(れんべえ)橋❞なのですが、幕末、ここ越中島が砲兵の練兵場として使用されていた事が橋の名前として残った訳です。
つまり、幕末には砲兵の訓練をする場所であり江戸を守る台場としても機能していた訳ですね。
そんな要衝に居住した間宮の血を引く榊原照清公ですが…
間宮一族からは合戦や鶴岡八幡宮の再建、築城で活躍した内政と武勇に秀でた玉縄北条家の付家老を務めた間宮康俊公…
武田信玄や徳川家康公の水軍大将を務めた間宮信高公、この信高公は間宮康俊公の系図上の御子息です…
北条氏照公の家老を務め、北条家の外交官として織田信長公への使者を務めたり日本100名城の一つ八王子城の縄張り(設計)をした間宮綱信公、間宮康俊公の弟…
そして、榊原照清公の祖父に当たり北条家臣を経て徳川家康公の直臣として鷹匠頭を包めた間宮信繁公、間宮康俊公のハトコ等がいらっしゃいます。杉田間宮家も又、初代間宮信次公が水軍を率いて活躍された武将です。
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ヤマタネと交差する橋は巽橋、更に近所には隅田川に掛かる永代橋があります。

照清公の榊原家そのものの血筋も凄く、御父君の叔父が徳川四天王と呼ばれた榊原康政公でした。
榊原康政公の兄上の榊原清政公が照清公の祖父に当たります。
この榊原清政公は、徳川家康公の御長男の徳川信康公に御仕えしていたのですが、その徳川信康公が織田信長公の敵である武田家に内通した容疑で切腹させられた際に、連座して責任を取らされて榊原家の惣領は後に徳川四天王と呼ばれた榊原康政公に移った訳です。
間宮の血を引く榊原照清公、その御父君で間宮信繁公の姫君を娶った人物は榊原照久公です。
以上の説明で、この越中島が横浜市とも殿様の御縁で繋がっている事は御理解頂けたでしょうか?
この江戸時代重要な場所だった越中島には現在、津波対策の水門と公園が整備されています。
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大島側水門です。
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越中島と永代通りを隔てる水掘りは現在では大島川と呼ばれているんですね。
後で説明しますが、これらの水掘りが江戸時代~昭和初期まで運河として活用されたので、この付近には昔からの商家が多く存在します。
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現在の越中島公園
満潮時には遊歩道まで海水に浸かるようですね、これは確かに水門を作らないと心配な地形です。
でも河口側は風景が綺麗な場所でしょう?
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屋形船も多く見られます。
そして、旧江戸の中心側を見ると…
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現在では高層ビルと美しい吊り橋の風景を見る事が出来ます。
川がこれだけ何本も集まる河口だったので軍事にも物流にも重要な場所だった訳です。
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現在では水運は余り利用されなく成り、隅田川にも多くの橋がかけられました。
さて、この越中島周辺は水運の拠点だったので、多くの商家の蔵屋敷が立ち並ぶ場所でした。
その名残を見る事が出来る場所が、越中島公園から徒歩5分の場所にあります。
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徳壽神社と言う名前の御稲荷様です。
実はこの神社の縁起(えんぎ=由来)その物がネタバレなので、先に史跡としての痕跡を紹介しますと…
この徳壽神社、実はですね、鰹節のメーカーとして現代でも有名な❝にんべん❞の発祥地に建てられた神社なんです。
ですから周辺には屋号や企業名のある自宅兼事務所みたいな建物だらけで蔵町の跡が残っているんでしょうね。
そして、この徳壽神社の縁起ですが…
江戸時代、稲荷大明神の御神像がこの付近で隅田川から引き上げられた際に、❝にんべん❞の境内に神社を建て祀ったのが、この徳壽神社の始まりでした。
つまり元々は、にんべん社や周辺の商家の守り神としてスタートしている訳です。
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思いがけない場所に、沢山の歴史が詰まってるでしょう?
これだから歴史訪問と神社仏閣の参拝や城址や史跡訪問は発見だらけで楽しいんですよ♪

きっと皆さんの御近所の神社にも、思いがけない歴史が詰まっていたり、歴史上の人物との繋がりが有るかも知れませんよ~?
ですから、御近所の御城跡や神社仏閣、里山を散歩して見ませんか?
…と言う、一、歴史オタクからの御誘いを以て今日の〆とさせて頂きます。

では、又、次のブログ記事で御会いしましょう♪