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前回、年末の「凄い神社まとめ」で少し紹介しました御霊神社と御祭神に成っている平安時代の武士鎌倉景政公ですが…
※前回の神奈川の凄い神社まとめ記事は「ココ」←クリック!

先ずは御霊神社その物の話から…

実はこの御霊神社は参道の風景がとても面白いんですよ!
なんと参道を名物列車の江ノ電が横切ります(笑)。
神社側から見るとこんな感じ…
江ノ電通過を連写!


ね?
本当に鳥居の目の前を江ノ電が通過するでしょう(笑)?

さらに!
この御霊神社ですが、鎌倉江ノ島七福神の一つで縁起の良い神社でも有ります。
御存知(ごぞんじ)無い方も居ると思うので御説明差し上げますと…
鎌倉には鎌倉江ノ島七福神と言う礼拝コースが有りまして、専用台紙に御朱印を集めて回ります。
可愛いデザインですよね?
●弁財天…江ノ島弁財天
と鶴岡八幡宮旗上弁財天
福禄寿御霊神社
●大黒様…長谷寺
●布袋様…浄智寺
●毘沙門天…宝戒寺
●恵比寿様…本覚寺
●寿老人…妙隆寺
このコース、朝から頑張れば1日で回れますし、数回に分けて回れば鎌倉観光に行く口実が出来て楽しめます。
小生は3回に分けて行きましたが、毎回小町通りや八幡様の屋台やら江ノ島の商店街で食事を楽しめました(笑)。

さて、御霊神社の御祭神の鎌倉景政公に話を戻します。
鎌倉景政公の御先祖様は、鎮守府将軍を務めた皇族出身の武将:平良文(たいらのよしふみ)公です。
平良文公は東京神田明神の神様の平将門(たいらのまさがど)公の叔父に当たり、御両人共に醍醐天皇の忠臣でした。
※詳細は以前書いた記事「ココ」←クリックして御覧下さい。

良文公の系統の平家は今の神奈川県藤沢市村岡〜渡内地区から関東中に拡散し、平安時代まだ荒野の多かった関東地方を文字通り開拓し領地を拡大して行き、その後、子孫からは鎌倉幕府の中枢を担う武将達を多く輩出しました。
実は関東の御霊神社は元々は平良文公と主だった子孫を神様として祀(まつ)っていました。
しかし、鎌倉景政公が武将達から尊敬されていた為か、後に関東の御霊神社は一般的に景政公を御祭神として祀る様に成りました。

鎌倉景政公は、源義家公に与力し従兄弟の三浦為継公と共に後三年の役で大活躍しました。
後三年の役の際、自分の片目を敵将に射抜かれても臆(おく)せずに矢を射返して敵将を討ち取る等の大活躍で日本全国の武士から崇拝される事と成ります。
その後、鎌倉氏は河内源氏との同盟の中で繁栄します。
鎌倉景政公の子孫には大庭景義公や梶原景時公、戦国武将の長尾景虎=上杉謙信等がいます。
長尾景虎の祖先の居城長尾城もやはり、鎌倉景政公が開拓した土地でした。
※長尾城に関する記事は「ココ」←クリック!

そんな経緯も有り、景政公の登場以後、一般的に関東の御霊神社では武士の鑑(かがみ=手本)として景政公が祀られる様に成りました。
ですから鎌倉の御霊神社は東日本の御霊神社の総本社に当たる訳です。
鎌倉の御霊神社は別名権五郎神社とも言いますが、これは景政公のフルネームが鎌倉権五郎景政だったからなんです。

権五郎神社こと御霊神社には末社として稲荷神社や秋葉神社も有ります。
稲荷神社は農業の神様なので、土地開発に熱心だった名君の景政公の御霊神社の末社に相応しい神様ですね。
景政公が開拓した土地は今の横浜市戸塚区栄区港南区と鎌倉市藤沢市付近一帯です。

そして秋葉神社の方は武士の信仰を集めた神社です。
いずれも景政公らしい神社ですね。
或いは昔、景政公御自身が信奉されていた神様だったのかも…

因(ちな)みに御霊神社は眼病や目の怪我の治療の御利益が有るとされています。

今回は鎌倉権五郎景政公を御紹介しましたが、現在の神奈川県湘南地区の繁栄は鎌倉権五郎景政公がいたからこそ有ると言う事を、是非、皆さん認識して頂ければ幸いです。

もし!

アジサイの季節に長谷寺に行ったり、夏に由比ヶ浜に海水浴に行く機会が有れば、どちらからも御霊神社は近いので是非にもお参りされては如何でしょうか?
その際は鎌倉景政公に関東の繁栄に寄与して下さった事に一言お礼を伝えましょう…

因みに御近所には有名なお土産用の和菓子の店「力餅家」さんも有りますよ〜♪
是非お立ち寄りあれ!

では皆さん、今年もよろしくお願いします。
又、次の記事でお会いしましょう!
またね〜♪