歴史オタクの郷土史とグルメ旅♪♪久良岐のよし

熊本地震の義捐金受け入れ窓口 ふるさと納税義捐金公式ホームページ→http://www.satofull.jp/static/oenkifu_kumamoto.php

タグ:永谷天満宮

2017年07月15日、この週の火曜日07月11日が新井城落城した日で尊敬する武将の一人である三浦義意公と御父君の三浦道寸公の供養の為に菩提寺である網代山海蔵寺に参拝し、御住職様から海蔵寺専用の納経用の奉書を頂いていたので三崎漁港の海南神社の例大祭に合わせ、土曜日に写経した妙法蓮華経観世音菩薩普門品世尊偈を携えて海蔵寺に納経に再訪した。

海蔵寺さん参拝の後、最初に訪れたのは天然記念物諸磯隆起海岸だった。
CIMG4649
…と、その前に少し小生の神社と御寺に対する思い入れの根源の話し。

小生の祖先は某延喜式内社の宮司家なので御寺や仏教と言うと子供の頃は除夜の鐘程度の認識しかなく、なんと言うか御祭りの様な楽しい場所と言う感じだった。
大人に成って仕事でリーマン破綻直後に3ヶ月間、毎日睡眠が3時間以下と言う労働が続いて過労に成って頭ハゲそうなハチャメチャな状況に成って心身共に参っていた。
同僚が中国語話せないのに突然中国へ転勤に成ったり、小生は中国語話せるのに国内に残りソイツの分も含め複数人から仕事を引き継いだり、ハッキリ言ってキャパを超えていた。
朝の定時出勤時間前から出勤して客先の就業開始直後に御用聞きで訪問できる様に直行。
夕方の18時に帰社、そこから自分のオフィスワークと2人から引き継いだ分のオフィスワークを始める。当然朝までかかる。だから休日も潰れる。20時以降はタイムカードを切らされてサービス残業を強要され、当然休日出勤は申請不可。そんな会社だが実は中堅企業の中の大手の部類の企業だった。
アジア圏や国内遠方に出張する際は、上司に指名されたいい加減な同僚に仕事を任せるのが嫌で嫌で仕方なかったが、馬鹿でも出来る様に完璧にスケジューリングして協力会社にも念入りに事前に打ち合わせで部材の製作をお願いして置き、資料も準備して小生の仕事を代理で行う人間はスケジュールの時間通りに指定の場所を訪問して人に会い物を受け取り、物と資料を渡すだけで何にも考えず何にも余計な事を話さず済む様にしてあった。
だけどね、世の中、いい加減だけど何だか知れないけど上司に信頼される奸臣と言うのが居て、その上司に仕事を御願いする様に指定された同僚は「案の定ちゃんと俺のスケジュールを踏んで行動しない」で当日に訪問しなかったり、結果的に納期に遅れたりやらかしてくれた。
だけど狡猾な奴で上司には小生のミスの様に粉飾し、小生が出張から帰って来ると何だか知れないけど叱られたり。それを残業時間に成って同僚を呼び止め問い詰めると開き直りクソ同僚はこんな捨て台詞を言った…
「そんなに完璧にやれんて!」
…おい、俺は馬鹿でも出来る様に御膳立てしてやった上に協力会社の皆さんも文字通り万全の協力をして下さっていたんだがな?
まぁ、そんな事が何回か有ったりハードな仕事が三ヶ月休み無しで続いて自分で洗濯物洗う暇すら無くてクリーニングにシャツやスーツを丸投げしても、今度はクリーニング屋に服を引き取りに行く暇も無く、前日着たシャツにファブリーズだけして又着て仕事したりしていた。
小生がそんな事に成っていた時期に社員の1人が交通事故を起こして人を轢き殺した。
更に社員が1人自殺、でも家庭の問題とされていた…本当かよ?
子会社でも1人が過労要因と思われる交通事故死。
自分も高速道路で運転中に意識が飛んだり2回経験した。赤信号も認識できずに信号無視をしたり、自分で「やばいのかな~?」と思い、そのクソ会社を辞めた。
因(ちな)みに、その会社は今でも存続していて何だか知らないけど某大手企業のベストパートナーにも選ばれたりしている。御客さんは、そんな状況知らないだろう。まぁ、知ってる会社も有ったけど。
これ、当時、退社後に労働基準監督署にも職安にも相談していたけれど、「管轄外」と言われたり「ウチでは出来る事に限りが有って対処できない」と言う主旨の事ばかり言われたんだな。
まぁ、泣き寝入りするしかなかった。
アレから数年が経ったが、日本の労働基準法って今でも守られてないよね。実際。
有休消化なんて超大手企業しか出来ないでしょう?
週休二日制も守られてない会社多いでしょう?
サービス残業の会社多いよね?
安倍さんが賃金上げろと急(せ)かしても無視するクソ企業多いよね。
その癖に横浜市長みたいに日本を敵視する北朝鮮の学校に補助金出したり意味わからない政治家もいるよね。
新しい制度考える前に、既に施行した法制度を順守させる方が大切だと思うんだよな。
まぁ、そんな事が有ってリアルに昔は無責任不倫上司のせいで死ぬ寸前に追い込まれた。
だから、昔の善政を行ったり農民や商人に好かれた殿様達に余計に尊敬の念を抱くんだろうな。

そのクソ会社にいた頃に不思議な夢を見て…
横浜の歴史偉人とその上司の玉縄北条家や源頼朝公とその与力衆の鎌倉武士団の偉人達に"命を救われて"以来、歴史の資料を趣味で読み漁り墓所や御関わりに成られた神社仏閣と史跡を訪問し、殿様達に感謝して回るのが休日の趣味に成った。
…もっと言うと三浦の海に命と精神を救われた感が有るんだな、小生の人生は。
当時はボロボロで、ハチャメチャな仕事を命を繋ぐ為に辞めた。
不思議と普通なら「自殺したい」とか思う状態に成るであろう状況に、小生は「海見たいな~」としか思わなかった。死にたいとは思わなかった。
でも仕事の通勤帰りに電車に乗ってる時は危なかったね。夜の町の中を走る車窓から外を見てると引き込まれるんだよ。
あれ、一種の催眠状態なんだろうね、気持ちが暗い時や挫折を感じてるとハマりやすいのかも。
そんで、休みに良く観光客の余り行かない三浦半島の南端の江奈湾に行って磯で少し泳いだり、散歩したりして過ごした。
・・・そうこうしてる内に気力も回復して来た。
DSC_3346
この江奈湾の磯が大好きで良く散歩しにドライブしに行ってた。
台風の翌日、ここの岩場が高波にバッシャ~ン!バッシャ~ン!と洗われている時にアホな小生はクロックス履いて出掛けてて岩場の海苔で足を滑らせ仰向けに素っ転んで強く背中を打って息も出来ず、何回も打ち寄せる波にさらわれそうに成った。
その時に強く思った「こんな恥ずかしい死に方出来ね~し!」と(笑)。
DSC_3348
江奈湾の近くの松輪からは富士山も綺麗に見えたりする。
DSC_3353
富士山、此花咲耶姫命様も小生の命を繋いで下さった神様なんだな。
家の近所の円海山に登っては、そこから見える赤富士を見て円海山の自然にも癒された。
IMG_0065
神社や御寺と自然と彼女の存在ってのはね~、どんな向精神薬や安定剤や睡眠薬よりも効果が有るんですよ~。家族は当てに成りませんがね~。
大切なのは自分で選んだ家族に成って欲しい人なんだと思う。つまり血縁よりも理解者だね~。
それと脳味噌を休ませてくれる環境。
2015-12-26-17-16-07
御蔭で小生は薬漬けに成らずに働けた。
あと、当時はまだミシェランガイドに紹介されておらず観光客も少なかった鎌倉の報国寺の竹林に行って座禅を組む様に何も考えずに時間を過ごしたり。
2008-12-12-15-17-01
そこの草庵で少し休んで、抹茶を飲む事で大分気力が回復したと思う。
2008-12-12-15-18-52
今では観光客が多くなり、余り気の休まる静けさは無い。でも癒されるのは変わらない。
2008-12-12-14-48-30
今では現:鎌倉アホ市長によって通行止めにされた釈迦堂の切通しの辺り衣笠山~今泉台~報国寺の宅間谷(たくまがやつ)をグルっと一周散歩して回ったり、殿様達の残して下さった鎌倉の文化と景勝地と三浦の海は医者の処方する薬より疲労が蓄積して赤信号も無意識に無視した脳味噌を少しづつ回復してくれた。
後で知ったのだけれど、この報国寺を開いたのも横浜市の殿様の宅間上杉家初代の上杉重兼公と足利尊氏公の御爺ちゃんの足利家時公だったんだな。
そして、更に後に知るのだが横浜市港南区の永谷天満宮も宅間上杉家の殿様が開いた神社だった。
CIMG2017
それ以来、紫陽花の季節には永谷天満宮に絶対に行く様に成った。
この少し前位、小生を身近に支えてくれた当時の彼女さんもいた。
この彼女とは結婚して幸せにしてあげたかったのだけれど、残念ながら小生がボロボロだったので縁が無くなったが、御蔭で小生はクソ会社退職後暫くして又、働ける様に成った。
2009-01-10-06-29-00
その頃に七里ヶ浜も行くように成った。
この変な棒は流木を砂浜に突き立てた写真。こんな風景七里ヶ浜に有りません(笑)。
その時に傍で支えてくれた昔の彼女さんを幸せにして恩返し出来なかった事を悔やんでいたりする。
丁度その頃だ。
ボロボロだった状態で夢の中に「龍寶寺」と書かれた石柱が出て来て起きてから「何だろうな?」と思って調べて見たら、戦国時代関東最強の武将だった北条綱成公の菩提寺の名前のだった。
場所も大船駅の近くで近かった。
2014-09-04-12-54-06
学生の頃に友達と遊んだ信長の野望シリーズに登場する名将の御寺だった。
2014-09-15-06-09-37上杉謙信と武田信玄に称賛された名将。
三つ鱗紋学生当時、北条家は少し地味で友人達には人気が無かった(笑)。
まぁ、どちらかと言えば三国志の方が学生時代は好きだったし。
夢の事でビックリして直ぐに参詣して、当時は今と違って旧境内地近くの山の上に存在していた御廟所に御線香を上げに行った。今では綱成公の御廟所は境内本堂横に移設された。
そうこう調べていると何と北条綱成の家老が横浜市の殿様の間宮家だった。しかも更に詳しく調べて見ると子供の時に同じサッカークラブに通っていた幼馴染の近所の子等の家の周りが綱成公の家老の間宮家の居城の笹下城址だった。
2014-09-10-05-21-33
何と小学校の頃、サッカークラブの幼馴染やその近所の子と遊んだ山が笹下城の本丸だった。
元々中学生の頃から家から鎌倉が近くて自転車で由比ヶ浜に行ったり、源頼朝公の御墓参りをしたり、江の島に行ったり、金沢区の野島公園に行ったりして遊んでいたので、歴史は好きだった。
子供の頃は大好きとまでは行かなかったが、大人に成り事情を知り直ぐに北条綱成公や間宮家の殿様達に尊敬だけで無く親しみも深く感じる様に成った。そして歴史が本格的に好きに成った。
最初は何となく資料を読んで、殿様達の開いた神社仏閣を訪問していた。そこから暫くして御朱印も貰う様に成り、更に地域の人にも偉人の存在を伝えたいと思う様に成ったのが3年ちょっと前。
もう一度、北条家の事を調べると足利家の鎌倉公方家の殿様と忠臣だった宅間上杉家や扇谷上杉家の事も知り、足利家に滅ぼされた鎌倉幕府の執権北条家の殿様達が元寇から日本を守って下さった事を再学習し北条泰時公と北条時宗公を尊敬する様に成り、更に鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝公とその与力武将達を物凄く尊敬する様に成り、三浦家や千葉家や佐々木家の殿様の事も鎌倉だけでなく横浜市と関係が有った事も知った。
その平安末期の武将中でも特に尊敬するのは、やはり平良文公、源義家公、源頼朝公、鎌倉景正公、三浦義明公、和田義盛公、三浦義澄公、佐原義連公、多田行綱公、渋谷重国公、佐々木高綱公だった。
CIMG4580
その人々の足跡を辿って油壷に行き、戦国時代に扇谷上杉家から三浦家を継いだ三浦義意公の民話を聞いて回る内に深く尊敬する様に成った。

まぁ、小生の命は自分で勝手に生きて来れた訳じゃなくて…
殿様達の御蔭、神奈川の自然の御蔭、そして当時の彼女さんの御蔭の3つで繋がったんだな。
…だから社会の役に立つ事をして生きた証を残して皆さんに恩返しせんといかんのよ。

そして2017年07月15日の休日雑記の三浦海蔵寺への三浦義意公と道寸公の供養の納経へと繋がっていく…

江ノ島観光の休日雑記の途中だけれど少し近況報告を三浦の海岸沿いの某宿泊先から・・・

小生は梅雨に入って気温も上がり初夏に突入すると繁忙期、だいたい毎日の睡眠時間は常人の1/2とか1/3程度しか寝れない日が多くなってしまう。
先月はジムに2回しか通えなかった。今月もまだ行けてない。
だからブログの更新も疎かに成るし気のせいか昨年より体力が落ちた。
まぁ、今年は休日は出来るだけ寝て体力回復を計る事にしていたのだが、そんな中でも休日の午後位は動いていた。

今年はTVで鎌倉が沢山特集されたせいで観光客が多く、とうとう鎌倉~江ノ島巡りで4回目の鎌倉市長谷の長谷寺紫陽花見物チャレンジも失敗、なので小生の住まう円海山の裾野から車で程近い永谷天満宮の鎮守の森、菅秀塚の紫陽花を見に行って来たりしていた。
CIMG4508
永谷天満宮の社殿の左手が菅秀塚の入口なのだが、結構地元の人もここへ来ない様だ。
CIMG4511
神奈川の名木100選の一つ、“上永谷の天神社のカシ”なんて大樹も有ったりするんだが・・・
その名木の前を通り過ぎると直ぐに紫陽花のトンネルが出迎えてくれるんだな。
CIMG4513
陽当りが余り良ろしくない場所だが、山の斜面の一面に紫陽花が咲き誇る。
・・・う~ん、咲き誇ると言うよりは毎年健気に数少ない見物者を優しく謙遜しながら出迎えてくれると言う感じだろうか?
CIMG4514
CIMG4518
一輪一輪が大振りで立派、確かに北鎌倉の明月院や長谷の長谷寺程の規模は無いけれども季節を感じて散歩するには十分!
CIMG4519
CIMG4522
CIMG4523
今年も綺麗だ。
CIMG4525
CIMG4526
永谷天満宮の紫陽花君達、今年も綺麗な花を見せてくれてありがとうね~!
CIMG4528
頂上には浅間神社が在る。
永谷天満宮の社殿の方向とは明後日の方向を向いて祠が建っている。
何でこの向きに浅間神社の祠が向いてるのか、ちゃんと神様に対して信仰心を持って神社を観察する人なら直ぐに気が付くのだが、当然、この祠の真後ろに浅間権現此花咲耶姫命様の化身である富士山が在るんだな。
CIMG4537
既に横浜は夏日なのに珍しく相模湾上の水蒸気が薄く、そして雪化粧している此花咲耶姫命の富士山が姿を見せてくれた。富士山の頂上に浮かぶ雲が此花咲耶姫命様が市女笠を被って日差しを除けてらっしゃるようで可愛らしく思えた。
因みに市女笠と言うのは↓こう言う奴。
IMG_7334
以前撮影した小机城址祭りの様子。
DSC_0898
小生には、こんな可愛らしい御姫様の格好に脳内変換されんだな。
まぁ、江戸時代の和装は余り好きじゃなくて、女性は室町時代の格好の方が可愛らしと思うからなんだが。
CIMG4529
永谷天満宮の地は伝承によれば御祭神の天満大自在天こと菅原道真公の五男で菅秀才と呼ばれ醍醐天皇に重用されたが藤原氏の出世妨害で官位は高位には成らなかった菅原淳茂公が移住してきて一時期住んでいた居館跡と伝わっているんだな。まぁ実際に関東に亡命して平将門公や平良文公達の坂東の桓武平氏を頼って来たのは三男の菅原景行公が茨城県の大生郷天満宮の社伝にも伝わっているし、永谷天満宮は旧鎌倉郡で、平良文公の御子孫の村岡家の一族達が治めた土地であり村岡一族の鎌倉景正公、梶原景時公、俣野景久公、大庭景義公、長尾景春公等々、鎌倉郡を統治した人々は“景”の一文字が入っている事から三男の菅原景行公との関連と考えた方が自然なのかも知れないが、そこはそれ、どっちか解らないならば“どちらかがいらっしゃった”として“両二方とも大切に史実と伝承を両方伝えれば良い”訳だ。
そうすれば御子息が二人も永谷天満宮で大切にされて、御祭神の菅原道真公も喜んで下さるかも知れない。
塚に手を合わせながら、そんな事を考えていたりした、この日。
CIMG4551
月が変わって7月初旬、野島公園のキャンプ場を予約して妹夫婦と甥姪とBBQをした。
CIMG4553
この日、燃料を予約していたのだが炭だけ渡されて火を付けるまで上手く行かなかった。
家から先日の木目金鍛造の為に買った1500°の火炎が出るガスバーナーも持参したのだが、ガスバーナーで炙っても窯が大きすぎて熱が上手く籠もらずに肉を焼ける様に成るまで30分近くかかってしまった。その間に姪っ子も甥っ子も飽きてしまって母が持参したオニギリを食べて御腹一杯に成り、もうまともに食事してくれなかった。
折角、南部市場でサザエやホタテも沢山買ったのだが、食べきれなかった分は保冷材も無いので廃棄した。

先週の事・・・
DSC_3525
ライチが美味しい季節に成ったので夕刻近くに漸(ようや)く起き出して昼食ついでに横浜中華街の八百屋に生ライチを買いに行って来た。
DSC_3524
妹の家もいると言うので綺麗な物を1ケース分選別して購入。
DSC_3520
その後は中国超市で肉まんと月餅を買い食いして昼食とした。
DSC_3521
コンビニのとは違って皮が甘くフワフワで美味しい。
DSC_3522
まぁ、日本で肉饅と呼んでいる物は中国では三丁包(さんでぃんばお)と呼ばれる餡なのだがね。本来の肉饅の餡は本当に肉しか入っていないんだ。これは少し違うが美味しい。
DSC_3528
先一昨日、京都から歴史仲間が出張で横浜に出て来たので中華街に行き、一緒に食事をした。
途中、久しぶりに横浜スタジアム方面から歩いて見たら変な専門店が出来ていた。
DSC_3527
香菜(シャンツァイ)=パクチー料理の専門店・・・
小生は香菜が大嫌いなので絶対に行かないだろう(笑)。でも女性には好きな人も多いので、まぁ、狭い範囲のファンが定着しそうだなとは思う。
DSC_3529
夜20時過ぎだったが土曜日と言う事も有って中々の人数だった。
残念な事に行きつけの店が閉店したので、山東と言う、もう一つの行きつけの水餃子の美味しい店に歴史仲間を連れて行った。
DSC_3530
写真は豆腐干絲(ドウフガンスー)=干し豆腐の千切りの冷菜、それと牛肚(ニィウトゥ)=牛の胃袋の冷菜。さっぱりして夏でも食欲が湧く小生の夏季御薦め料理。
他にも空心菜の炒め物とかトンポーローとか山東名物の水餃子を注文して二人で7000円分位食べた。
親友のO型君が転職して東海地方に行ってしまう際に転職祝いで食べに来て以来、2ヵ月ぶりくらいだったかな?たまに食べたくなる。
食事後は車を停めた大桟橋(国際客船ターミナル)まで徒歩戻る際に、夜間でも見れる史跡を少し回りながら移動した。

DSC_3533
日本最初の下水管とか。
DSC_3532
何故か横浜市は中区の近代史跡だけ大切にし、鎌倉の隣で武士文化の遺産が多く有るのに其方は破壊しまくるんだな。意味不明。所詮、田舎者ばっかりの市職員はヨコハマのイメージしか無いんだろう。
横浜市はヨコハマで有る前に鎌倉郡の一部であり久良岐郡であり橘樹郡であり都築郡なんだが、そんな事も知らんのだろうな。
CIMG4558
様は移民が文化財保護担当してる様なもんだから理解が足りないんだろうか?
まぁ、政治家の建築利権の方が大きいんだろう、現代の役人はアウシュビッツの職員よろしく善悪の判断をせずに政治家の要望通りに破壊してんだろう。でなければ、自然公園として歴代市長が守って来た円海山の史跡も自然環境を東急グループの建設利権の為に開発しようとしたり、日本的に見ても重要な意味の有った笹下城も蒔田城も青ヶ台城等の城址も発掘せずに破壊したりしないだろう。
CIMG4560
まぁ、ハッキリ言って観光向けに街づくりしてる筈なのに、外国人観光客に不人気なのは文化を大切にしてないから魅力が無いって気が付かない田舎者が仕切ってる横浜市の役人と建築利権臭プンプン臭う執政者って事に成る訳だ。
まぁ、この明治の元勲、伊藤博文公が作った新港埠頭=みなと未来21地区の夜景は綺麗だ。
これは高秀前市長が建築族だっただけでなく高文化で、港から見た時の景観と文化財の保護を考えて街づくりをして下さった御蔭なんだな。
今の市長は語るに・・・不足の極み。待機児童問題も停滞中、一瞬良い時だけ発表して印象操作。
折角期待されてるのだから史跡保護や最後の蛍の広域生息地の自然環境保護も頑張って立派な市長に成って欲しい。
待機児童問題も上手く行ってないなら、それはそれで正直に言えば皆も本気で考えるだろう。
一々自分の印象を良くしようとする様な発表の仕方をしたってダイエー再建失敗した時の様に、結果は数字でしか出ないんだから。これは補佐役が悪いのかもな。

まぁ、そんな訳で最近も休日は夕方から少しは動いていたが、もう学生時代の様に半徹夜の仕事連勤+自分の活動を平行してやる体力が無くなって来たようだ。
筋力増強も上手く行ってない。
体力付ける為に、夏が終わって繁忙期が過ぎたら本気でトレーニング頑張ろう。

では、皆さん、休日雑記江ノ島編の続き③でお会いしましょう~♪


正月元日は仕事始めだった。
しかし、今年は2~3日に連休にしてあったので、本来の小生の定休4日水曜日と合わせると3連休と久々の正月連休となった。
昨年年末は前回の休日雑記で書いたが大凡、以下の様な動きをしていた。
21日、川崎市高津区の橘樹神社に弟橘姫様に1年間の御礼参りに行って来た。無事に1年間、間宮家や歴史偉人の顕彰活動で旅行が出来たのも御加護頂いた御蔭。
31日は横浜で一番の智慧の神様と崇拝し土地神様と拝む永谷天満宮で歳末の大祓いに参加して菅原道真公、菅原景行公、菅原淳茂公と宅間上杉重兼公、宅間上杉富朝公、宅間上杉規富公に1年間の御礼参りをして終える事を出来たので昨年は良い〆括りの大晦日と成った。
永谷天満宮の宮司様、禰宜様、職員様、氏子様、皆さんの御蔭です。ありがとうございます。

2017年元日は早朝日出前に起きて走水神社に初詣に御参りに上がった。車を走らせている最中に夜明けを迎えたが、位置的に房総半島の向こうに日が昇るので初日の出は当然見られなかったが、正月早々に走水神社で日本武尊と弟橘姫御夫妻の御神霊と、御二柱の神様の存命中に御仕えした大伴黒主久応公の御神霊に本殿で御参りし、と奥宮の須賀神社、神明神社、諏訪神社にも御参りをした。
帰路、嘗て日本武尊と弟橘姫御夫妻の御住まいだった御所ヶ崎と呼ばれた岬の近くから、走水の海岸線の先に綺麗な富士山も見る事が出来た。
陽気な酔っ払い兄さんと握手すると言う意味の解らない珍事も起きたが上々の1年のスタートと成った。
そして仕事始め。

そして正月02日早朝5時頃…
この日は最初に小生の智慧の神様、横浜に於ける土地神様の御居す永谷天満宮に今年の初詣をする事から始まった。
CIMG2015
考え事が有ると、しょっちゅう車でドライブがてら近くの拉麺の名店の神勝軒での食事も兼ねて御参りする永谷天満宮。
正月の雪洞(ぼんぼり)に浮かび上がる永谷天満宮の参道は非現実感が漂い幻想的だった。
CIMG2017
例年、正月この時間帯に参拝する事は無かったので、良い経験が出来た。
早朝にも関わらず、他にも参拝客が数名いた。
世の中、まだまだ神社や御寺を大切にする日本文化が好きな人が多いんだな。
車に乗ると、永谷天満宮の前の環状二号線を走り、港北区から第三京浜道路に入り川崎市高津区を目指した。
昨年末、御礼参りに上がった橘樹神社で弟橘姫様に「正月が来たら新年の御挨拶に伺います」と誓いを立てていたからだ。
第三京浜にのってさえしまえば横浜と川崎は車で30分と近い。
CIMG2018
到着したのは6時位だったろうか?
既に空が明るく白んでいた。
現在は住宅が立ち並ぶ子母口富士見台古墳こと弟橘姫の御陵を背後に抱えるこの遥拝所である橘樹神社も、朝の清々しい空気が気持ち良かった。
弟橘姫様に今年もここ数年来の御願いをした。
早く神社仏閣歴史史跡と自然公園の保護を担い歴史顕彰活動で社会の役に立てますようにと、公人としての御願い。
私事の些細な願い。
人としての世界中の日本の環境や歴史と文化と伝統を好きな‟親日家”の民が国籍人種問わず平等に平穏に無事に過ごせるように、仮に災害に直面しても、自分を含めてその様な人間達が率先して復旧を担い周囲の人に安心を与える事が出来る様にと御願い。
・・・日本人と日本文化が嫌いな人は独力で何とか勝手にすれば良い(笑)。
昨年中1年間の御礼を改めて御伝えした上で今年も昨年と同じ心願を御伝えした。
神社からの御参りだけではなく、ちゃんと今年も古墳にも御挨拶に行った。
CIMG2020
・・・と言っても、古墳は橘樹神社裏の円形の丘の住宅地全部で、現存するのは頂点部分のみ。
一応、その頂点で御参りして、そこから風景を見てから立ち去るのが去年から始まった正月の習慣に成った。
CIMG2026
今年は空が白み、雲も多くて朝日は見えなかった。
CIMG2024
でも、改めて登ってみると、シン・ゴジラが進撃して来た武蔵小杉の風景が見える事に気が付いた。
まぁ、ゴジラが進撃した道は旧鎌倉街道を通り途中から綱島街道に入り、更にこの橘樹神社の横を通る中原街道を歩いているはずだからね。奇しくも、古墳時代の古代人が切り開いたルートを通っているんだな。
それ以前は、その一帯は海の底なので歩いて通れる道では無かった訳だ。
だからこそ、橘樹神社の裏の宅地に成ってしまった、この弟橘姫の古墳の丘は、昔は海に面していて弟橘姫の髪飾りが流れ着いた伝承が有る訳だ。
そんな事を思い出したり、次の目的地の相模国五之宮平塚八幡宮や二之宮川勾神社へ高速道路を使って行くと到着時間が早く成り過ぎてしまう事も有り、古墳時代の人を真似て下道の中原街道を車でゆっくりと走る事にした。
ゆっくりとは言っても、車だと川勾神社の在る大磯町の先の二宮町まで早朝なら休まなければスピードを出さなくても1時間半で到着できる。
橘樹神社~中原街道経由~川勾神社 久良岐のよし
小生が今回走った中原街道は古代の街道を徳川秀忠公が整備した街道を現代の国土交通省が再整備した言うなれば新道。とは言っても、当時と大きくルートを外れてはいないはず。
道も行き当たりばったりで思い付きで走る事にしたので事前調査なんぞしていない。
道路の【中原街道】と言う標識を目標にしながら、サブでカーナビに川勾神社を目的地登録して走って見たら意外な事に気が付いた。
江戸時代の中原街道は、家康公の鷹狩場だった平塚の中原御殿に行く為に再整備されているのだが、これが又、行く先々に悉く平安時代に築城された古城と、平安時代の人からしても古いと認識の有った延喜式内社の傍を通り抜ける道なんだな。
昔は湘南地区は海で全ての古道は湘北地区とも言うべき現在の高座郡を通り過ぎていたのだが、中原街道沿いに延喜式内社が集中していると言う事は、東海道よりも昔は中原街道の方が重要な道だったのかも知れない。
もっとも、古代の東海道と言うのは読んで字の如く、船で渡る場所が多い海の道だったのを知る現代人は少ない。
古東海道 国土交通省から画像拝借 久良岐のよし
国土交通省 関東地方整備局 横浜国道事務所のホームページに掲載されている古代の街道。
これに縄文時代の海岸線を重ね合わせて、延喜式内社と城を表示すると面白い事が解る。
昔の海岸線と古道 久良岐のよし
緑の部分が古代の陸地、白いのは弥生時代の頃まで海だった部分。
縄文時代の氷河期が終わると急速に温暖化が進み、1万年前~6000年前の4000年で海岸線は現在よりも内陸に後退して海老名市近くまで海だったので、現在の中原街道は弥生時代以降、古墳時代位に整備されている古道が元に成っているのが良く解る。
対して、更に北の寒田神社~比々多神社~小野神社~深見神社~一ノ関城~杉山神社の目の前を通り過ぎて橘樹神社に至る矢倉沢往還は古代から陸地だった事が解る。つまり、矢倉沢往還沿いに存在する神社の方が古くから人が住んで居た集落に近在する訳だ。
そして面白いのが、この現実の通り、その延長線上には方形周溝墓が大量に存在する大塚歳勝土も所在する。方形周溝墓は中国江蘇省や福建省を含む南方海洋民族由来、円墳や前方後円墳は半島経由の文化由来、方形周溝墓は古墳時代や横穴式墳墓より古い時代の古墳だ。つまり朝鮮系渡来人の影響を受ける前の縄文人や弥生人の御墓。
現在の日本語は朝鮮語の漢字の発音に多く毒されていたりするが、古事記にも通じる古語は南方の沖縄県に多く残っていたりする。例えば以前も書いた事が有るが、黄泉平坂と言う言葉が有る。
古代語も調べずに江戸時代の価値観で本居宣長と言う人物が翻訳してしまった物では「黄泉平坂=あの世へ通じる洞窟」とか訳の分からないオカルトな神話に成ってしまっている。
所が琉球語だと無理なく翻訳できる。
平坂と言うのは現代日本人の価値観では「平=平地」「坂=坂道」を指す。
上り下りも坂道は坂道。
所が琉球語には現代日本で藤原氏による朝鮮語の影響と漢字の誤植で消えた意味が復活する。
琉球語では「坂(さか)=下り坂」「平(ひら)=上り坂」を指す。
つまり黄泉平坂は「黄泉(よみ)と言う国に繋がる上り下りの峠道」と言う、何とも自然な翻訳が可能に成る。
そんな事は、この日は当初は全く、そんな事は考えてはおらず・・・
「あれ?茅ヶ崎城の近くだ」
とか
「あれ?杉山神社この近所だよな」
とか
「あれ?寒川だ、寒川神社の近くだ。」
とか考えている内に、点と線が繋がり、寒川に着くころには確信に変わってた。
中原街道こそ古墳時代の主要街道だった筈と。
昔の海岸線と古道 久良岐のよし
しかも面白い事に矢倉沢往還も中原街道も両方、橘樹神社の前を通過する。やはり、橘樹神社一帯が古代豪族の集落から郡衙に発展したと考えられている通説は正しい様だ。
ところで、綾瀬市の手前、大和市に入った頃、偶然前日、大和市の上和田地区に住む知人から存在を聞いていた‟左馬神社”と言う場所の近くを通り、その看板を見かけた。知人は歴史は少しかじっているが、山好きで山登りのついでに神社仏閣を巡る程度なので、深くは知らず「源氏の誰かが上和田に関係有るらしく云々・・・」と言っていた。
興味も有り、左馬と名の付く神社で有るからには左馬頭(さまのかみ)源義朝公所縁の神社だろうと小生は推測していたので、寄り道し参拝、確かめてみる事にした。
左馬神社は住宅街の広がる上和田地区に在って、中々に境内が広く村の鎮守の杜(もり)と言った感じの雰囲気の良い神社だった。
CIMG2028
解説を見てみると歴史は江戸時代に始まるそうで、そんなに歴史は古くなく江戸時代の名主の渡辺兵左衛門さんが、近郷の別の左馬神社から源義朝公の御分霊を勧進して開いたそうだ。
渡辺さん、江戸時代には名主だが恐らく祖先は玉縄城主北条綱成公の部下だった筈だ。名主=在地武士の子孫である事、名乗りに左衛門の官途が含まれる事、場所が大和市南東部である事、これは玉縄北条家家臣団だった可能性が高い。
余談だが、この上和田地区には上和田城と言う御城が平安時代末期~鎌倉時代初期に築城されていて、築城者は和田義盛公と伝承する。源氏の与力だった武将の中でも大幹部だ。和田さんの支配地だったから上和田なんだろう。恐らく下和田地区も有るのかもしれない。
CIMG2062
立派な御神木もあり、近所の子供が遊びに来るには良い神社。昔ながらの庶民に近い江戸時代の神社の雰囲気。明治以降は神社は仰々しい所に変化してしまって親近感を持てなくなった人も多いはずだから。
上和田を出発してすぐ、米軍の厚木基地の横を通過した。
CIMG2066
沖縄もこんな感じなんだろうか?
幸い、神奈川県の米兵さん達は素行が良い。と言うか、沖縄県の犯罪発生率は県民自体の犯罪発生率が他府県より高い事実を知る人は余りいないのかも知れない。産業が少なく所得も低いので必然的に犯罪発生率が高く成ってしまうのだろうか?
米軍が撤退すれば沖縄県は更に産業が無くなるし、米軍基地返還派はどうする心算なのだろう?
あの反対活動をして、機動隊に暴行を加えている活動家達が関西弁をしゃべる連中ばかりと言う事実を知る人も本土では少ない。
TVや新聞の偏向報道なんぞアテにせず、もっと年配者は自分で旅行も兼ねて渦中の場所に行って自分の目で情報を拾う努力をするべきだと思う。さもないとマスコミの扇動に右往左往するだけ。
そんな事を考えて走っていると、目の前、宮原と言う辺りだったか。富士山が綺麗に見えた。
CIMG2072
この辺りは宮原と言う地名からも、そして近くに神崎と言う場所が有る事からも、もしかしらた古代に寒川神社の飛び地か前身の神社か、別に由緒有る神社が存在したのかも知れない。
寒川神社の参道近くを通り過ぎ、当初の目的地だった平塚八幡宮の近所も時間が早すぎるので通り過ぎ大磯町に入る頃に成ると、東海道に合流した。
正面に高麗山が見える。
CIMG2076
現在では高来神社と名を変えているが、元々、高麗山山上に社殿が有り明治時代までは高麗神社と呼ばれ、神功皇后に伴って日本に渡来した人々が住んだ地域と考えられている。
帰りに時間が有れば立ち寄ろうと思いながら車を走らせた。
東海道は走ると直ぐに雰囲気で解る。
東海道として、この季節の風物詩の決定的な風景も出て来た・・・
CIMG2082
箱根駅伝の各大学応援団の幟(のぼり)だ(笑)。
これ見て直ぐに思った・・・
「しまった!絶対に途中で駅伝の交通規制に引っかかる!」
・・・と。まぁ、直ぐにそれも楽しめば良いや♪と思い、交通規制がかかる時間帯をどっかの神社行く度にリサーチして、通過時間は沿道で応援しようと決めた。
道幅、両側の店にたまに古い店舗が残っている、所々に残る松の並木・・・
CIMG2084
この辺りまで来ると本当に東海道らしい感じが残っている。
富士山も東海道中の雰囲気を醸し出してくれている。
そこから更に20分位走っただろうか?
長閑な田園が広がる丘に川勾神社は鎮座している。
正月に来た事無かったが、繁忙期は交通整理の誘導員が居るらしい。
CIMG2088
参道の雰囲気は田舎の空気感が凄く良い。
CIMG2092
川勾神社の石柱道標。
揮毫したのは中将上村~と有るので明治時代に活躍された上村彦之丞海軍中将だろう。
あの弟橘姫様の御所ヶ崎にあった御神霊を遷座し走水神社に保護した明治の元勲達の中の1人だ。
CIMG2094
大正七年に参詣にいらっしゃった様だ。
CIMG2096
この写真だと良く見えないが、石段の上には恐らく昔は仁王門として使われていたであろう茅葺の門がある。
石段手前左手に伊藤博文公と伊達時と言う人物が川勾神社を支援したらしい解説が有る。
伊達時と言う人物は苗字からして奥州伊達家の血縁者と思われるが、不勉強で存じ上げない。CIMG2098
湘南地区の延喜式内社らしい、近郷の人々が訪れる人とのつながりの温かみを感じる神社。
CIMG2108
まだデジタル写真を撮影していなかったので、ブログの神社仏閣まとめの記事掲載の為に撮影に来た。
CIMG2114
この日は正月2日目だったので屋台も出ていて、ここで朝食にタコ焼きを食べる事にした。
CIMG2138
まぁ、屋台の大きなたこ焼き。御腹すいていたので美味しかった。
CIMG2134
参拝客もそれなりに居て楽しかった。
CIMG2125
アルバイト(笑)の巫女さん達も頑張ってらっしゃいました。
私語が多いが、そこは長閑さの一つとして愛嬌の内(笑)。
CIMG2130
焚火にいぶされる匂いも心地良い。
さてさて、今回の記事も訪問先が多く長くなりそうなので、前後半に分けて今回はここまでを【前半】とさせて頂きます。
では、次回はこの続き、【二宮町】川勾神社~【大磯町】六所神社~箱根駅伝見物~神揃山で迷子~大磯城山公園古墳群~高久神社~【平塚市】平塚八幡宮~【伊勢原市】比々多神社~横浜帰宅までを書きたいと思います。




ブログネタ
今年後半に向けての抱負は? に参加中!
今月06月30日は半年間の厄落し「夏越しの大祓え」と言う神事が全国の神社で行なわれます。
このお祭り、皆さん御存知でしたか〜?
お祭りと言いましても厄落しのお祓い儀式で、歴史は古く古代神話の時代にまで遡ります。

写真は横浜市内でも古い伝統を今に良く伝える永谷天満宮の大祓えの儀式の様子です。
※永谷天満宮についての記事と公式ホームページは以下にリンク貼ります。
⚫︎永谷天満宮記事「ココ」←クリック!
⚫︎ホームページは「ココ」←クリック!

※皆さんの御近所の神社で「夏越えの大祓え」が行なわれるか知りたい方はお住まいの県の「神社庁」のホームページから検索して見て下さい。
⚫︎神奈川県の神社「ココ」クリック!

さて、大祓えに話を戻します。
この神事は日本神話によると元々は素戔嗚尊(スサノオノミコト)が庶民と交流した「蘇民将来」伝説が元に成っています。
儀式自体は祝詞を念じ茅の輪をくぐるのですが、コレには茅の葉で厄を切り裂いて半年間の厄を払うと言う意味が有るそうです。
そこら辺は、どの神社でも宮司様や禰宜(ねぎ=宮司様の部下)様が説明して下さると思います。

さて、実は素戔嗚尊の祀られている神社の中には明治時代まで牛頭天王(ごずてんのう)の御社(おやしろ)として祀られて来た場所も有ります。
実は牛頭天王は神仏集合の神様でして、八幡神様や弁財天様なんかと似通ったインド由来の神様でした。
ですからヒンドゥー教とも関係が有ります。
ヒンドゥー教は仏教とも関係が有りますので、江戸時代までは多くの仏教僧侶も牛頭天王を信仰していました。
しかし明治時代に成ると、廃仏棄釈と言う外来宗教の排斥をした時期が有りまして、その頃、この「大祓え」の儀式を守る為に多くの神社の宮司様や氏子さん達が知恵を絞り、素戔嗚尊の蘇民将来伝説と牛頭天王信仰の蘇民将来伝説を結び付け日本の神様の素戔嗚尊として習合する事で、この日本の文化を今に守り伝えて下さったんですね。

一部外国から来た七福神なんかの神道や仏教やヒンドゥー教神様の中には、歴史は紀元前2000年位から記録が発見されている神様もいらっしゃるそうです。
神奈川県の湘南地方には外国から来た七福神を祀る神社仏閣を巡る御朱印集め「鎌倉江の島七福神巡り」なんてのも有りますね!

まぁ、日本の神様達は寛容で、外国から来られた親日の神様達とは昔から国境を越えて仲良くされるだけの器が有ったって事ですね♪
言い換えれば日本人は善良な移住者とは昔から仲良くして来た、摩擦が有るのは日本を貶めようとする国出身の中の一部の悪人とも言えます(笑)。

因(ちな)みに、大祓えで使用する「茅の輪」の「茅(かや)」ですが、稲の藁(わら)とは異なり大変高価な物なんですよ。
昔は豪農でも家の屋根を茅で葺(ふ)き替えるのは一生に一度の大事業だったそうです。
以前訪問した横浜市栄区鍛冶ヵ谷の旧名主の小岩井家住宅を訪問した際に教えて頂きました。
…今で言うとマンションを買う様な感覚ですかね?
大体、現代だと母屋(おもや)一棟葺き替えるのに4千万円くらいかかるそうです。
※鍛冶ヵ谷の古民家の記事は「 」←クリック!

さて…
皆さんも、今月06月30日に厄落ししてみませんか?
仕事や学校が有る方は諦めて、後日茅の輪をくぐらせて貰える神社や御寺さんを御参りしては如何でしょうか?

そして古代からの文化伝承を守り伝えて下さる神社や御寺で少し日本人としての安らぎを感じれたら良いですね〜♫

では又!次の記事でお会いしましょう!

北鎌倉駅から徒歩で行ける所に明月院と言う紫陽花(あじさい)の綺麗な御寺が在(あ)るのを御存知でしょうか?
2014-06-14-15-38-17
今、その明月院の紫陽花が見頃を迎えています。
2014-06-14-15-26-20
この明月院の歴史は平安時代末にまで遡(さかのぼ)れます。
御寺の起源は鎌倉幕府5代執権の北条時頼公の邸宅に仏様を祀(まつ)り、そこに8代執権の北条時宗公が南宋から亡命して来ていた中国大陸四川省出身の高僧の蘭渓道隆和尚を開山と定めて臨済宗の福源山禅興寺として再興したのが始まりです。
明月院はその禅興寺と言う御寺の塔頭(たっちゅう=会社で言ったら子会社みたいな感じ)として存在していました。
※蘭渓道隆和尚については以前記事、「常楽寺 」←ここクリックで関連記事へリンク。

しかし明月院は本院だった禅興寺よりも古く、そもそも平治の乱で源氏の源義朝公の与力として戦い討死にした首藤俊通(くどうとしみち)公の菩提寺の草庵として、その子の首藤経俊(つねとし)公が建てた明月庵が前身と言われています。
その明月庵を室町時代に明月院として立派な寺院化したのが山内上杉(やまのうちうえすぎ)憲方(のりかた)公でした。

しかし明治時代に廃仏毀釈と言う愚策が行われ、明治の初めに明月院の本院=本体であった禅興寺は廃寺に追い込まれましたが、明月院はその命脈を保つ事が出来ました。

この明月院は参道に素敵な洋館のカフェも在り、今の季節はデートや散策に最適の散歩道でもあります。
2014-06-14-15-23-48

さて明月院の庭園と紫陽花に話を戻します。 2014-06-14-15-34-54
明月院は中に入ると先ず最初に、日本庭園風の喫茶スペースがあり、その手前の植え込みでは色んな種類の紫陽花を観察出来ます。
2014-06-14-15-29-15

2014-06-14-15-26-34

2014-06-14-15-27-56

2014-06-14-15-36-05

小ぶりな紫陽花ばかりでなく大きい花を咲かせているか株も有り、見ていて飽きません。
2014-06-14-15-28-45
2014-06-14-15-28-52

入口から続く平地の散策順路を過ぎると、次の斜面を登る順路には野性的に咲く紫陽花達が出迎えてくれます。
2014-06-14-15-38-38

2014-06-14-15-38-48
2014-06-14-15-40-47
長谷寺の紫陽花とは又、異なった雰囲気をかもしだしており本当に野性味溢れる感じなので、長谷寺と明月院の紫陽花を見比べる為に両寺院とも回っても飽きません。
実際、小生は両方回りましたが、どちらも其々(それぞれ)素晴らしかったです。

明月院の奥には御堂があり、また紫陽花の散策路とは異なった鎌倉時代にタイムスリップした様な空間も広がっています。
2014-06-14-15-44-42
御堂の付近には矢倉(やぐら)が在り、こちらが首藤俊通公の御廟所と伝承しています。
2014-06-14-15-46-37

どうです?明月院、素敵な所でしょう?
この明月院の近くには最近の記事で紹介した女性保護の文化を持つ尼寺の「松ヵ丘御所こと東慶寺」も在ります。
2015-05-20-15-39-23

2015-05-20-15-41-02

この東慶寺、記事にも書きましたが今、公開中の映画「駆け込み女と駆け出し男」の舞台でもあるので…
駆け込み女と駆け出し男
…明月院に紫陽花見物に行くのなら、是非東慶寺も参詣し、後日映画も見るとこの北鎌倉に思い入れを深め良いデートや散策に成ると思います。
「東慶寺」参詣と「駆け込み女と駆け出し男」の映画鑑賞、明月院に行くなら是非!推薦いたします。
※東慶寺の記事は「ココ 」←クリック!
※映画の公式サイトは「ココ 」←クリック!

東慶寺と明月院の途中には「鎌倉江の島七福神」の一つである「金宝山浄智寺」さんも鎮座しています。
image
この鎌倉江の島七福神の御朱印専用台紙は七福神の各神社仏閣の社務所で販売しています。
可愛いデザインですよね~♪
2014-06-14-14-44-23
こちらも大変雰囲気の有る御寺ですし、布袋様の御寺なので開運の御寺でもあり縁起の良い御寺です。
鎌倉に紫陽花見物に行くのを契機に、鎌倉江の島七福神の御朱印集めを始めるのも良いかも知れませんね~♪
明月院ともう一寺、前々回の記事で紹介した別の紫陽花の名所長谷寺も七福神の内、大黒様の御寺に成っています。
※長谷寺の紫陽花の記事は「ココ 」←クリック!
この七福神御朱印、鎌倉に小旅行に行く良い口実になり風流な時間を過ごせる切っ掛けに成るのも心が爽やかに成れる清涼剤の様な役割に成ってくれました。
そして毎回、鎌倉に美味しい物を食べに行く理由にも成りました(笑)♪

さてさて、紫陽花を見に鎌倉に行ってみませんか?
もし鎌倉までは行けないと言う人も、明月院や長谷寺よりは規模は小さくなりますが…
前回の記事で紹介した横浜市営地下鉄上永谷駅から徒歩で行ける「永谷天満宮」の鎮守の森天神山でも紫陽花を見物出来ますよ~♫
※永谷天満宮の紫陽花の記事は「ココ 」←クリック!
皆さんが季節を感じ梅雨を楽しんで過ごせますように祈願いたします~♪

では、又、次の記事でお会いしましょう!




首都圏の人が金沢文庫と聞くと…
京浜急行の駅でしょ?
…と歴史を知らないと思ってしまうかも。

今回のタイトルも称名寺の金沢文庫じゃなくて金沢文庫にある称名寺でしょ?
…とか思う人もいるかも。
違いますよ〜!
約700年前の鎌倉幕府の重鎮、金沢北条家の北条実時さんが住んでいた大邸宅を後に寺院化した場所が称名寺なんです。
その邸宅の山挟んだ隣の敷地に金沢北条家の私設図書館があったんです。
その図書館が「金沢文庫」で、金沢区金沢文庫の地名に成ったんですね。

この金沢北条家からは鎌倉幕府の執権(首相)も排出しました。

北条家の拠点なので御寺の結界と外を分けていた赤門の家紋も北条家の三つ鱗紋です。

赤門をくぐるとすぐに、文庫茶屋(ふみくらちゃや)と言う築百年超の日本家屋の和食と甘味のお店が有ります。
こちらでは関東では有名なブランド化に成功した漁港、地元の小柴漁港のアナゴと季節が合えばシャコも食べれます。

称名寺は風景がとても綺麗なんです。
特に春。
今の季節は↓こんな感じ
今の季節の深緑の参道も素敵ですよね。

この参道、実は横浜三渓園に移築されて来た文化財を除いて、横浜市内で一番古い木造建築文化財があります。
称名寺の塔頭(支店みたいな)の光明院の表門です。
この門は戦国時代が終わって江戸時代が始まったばかりの1665年に建て直されたそうです。

そこを通り過ぎると横浜市とは思えない立派な仁王門が見えて来ます。
称名寺の仁王門。
ここの仁王様が小生の理想のプロポーション❤️

…こんな体型に成りたい!ゴリマッチョ。

さて、称名寺、ここまでの風景も綺麗ですが中は更に綺麗です。
今でも復元された木造の眼鏡橋と平たい橋が池にかかり、大変綺麗な風景ですが北条実時公の邸宅だった当時は更に綺麗で大規模な伽藍(がらん=仏教建築の形態)に囲まれていました。
1300年代に描かれた称名寺の地図です。
当時は宮殿さながらの規模と美しさだったようです。

今日撮影した称名寺の風景と、秋と春の写真を載せます。

今日

秋の称名寺

春の称名寺

薪能(たきぎのう)が開催される頃の期間限定ライトアップ


綺麗でしょ?
数年間にかけて撮りためた写真ですが、全部携帯電話で撮影した画素数が粗末な写真ですいません。

ちなみに称名寺の裏山は称名寺を取り囲んでいるのですが、山を人工的に垂直に削り取り切岸(きりぎし)と言う城壁化しています。
裏の金沢山や稲荷山を含めた周囲全山が「金沢城」として機能する詰めの城に成っていたんですね。
その裏の金沢城址の金沢山からの眺望は素晴らしいので、是非、登って見て下さい!
ただ、もう少し寒くならないとスズメバチ多くて危ないです。
※ブログUP時現在は9月。
お弁当持ってちょっとした遠足に来るのも良いかも。
本堂から金沢文庫博物館に抜ける隧道(トンネル)行く途中に市民の森入りの看板があります。
ここから裏の金沢山に登れます。
一周して称名寺の右手に降りて来れます。
ここ↓ね。

さて、地名の由来に成った金沢文庫は今でも「神奈川県立金沢文庫」として博物館に成って存続しています。
鎌倉時代から称名寺と金沢文庫を繋いでいたトンネルも現存しています。
教育委員会が通行禁止にしたせいで余計に風化が進んでいます。

そして現在金沢文庫と称名寺を繋いでいるトンネル。
この金沢文庫には北条実時公の収集した文物や秘宝が沢山収蔵されていましたが…
上杉謙信
前田利家
徳川家康など…
中部北陸の大名に侵略される度に金銭的に価値の有る宝物を沢山略奪されてしまいました。
今でも一部収蔵されています。

前田利家が自らの領地の首府を金沢と命名したり兼六園を造営したり、今の東京大学の場所に在った加賀藩邸の門を赤門にしたのは100%この金沢文庫称名寺のデザインから宝物だけでなくアイディアから何からパクッた結果ですね。
この前田利家は11歳の嫁を妊娠させたり、戦争で何千人も敵領地の市民を奴隷にして連れてかえったり、主君の織田家を裏切り恩人の柴田勝家を裏切り親友の豊臣家を裏切った人物でした。
当時でも低年齢で結婚した場合は、女の子が妊娠適齢期の15歳以上になるまで手を出さないのが常識でしたからね…
前田利家を表現するならば乱世の奸雄と言うのが相応しいかと思います。

さて、称名寺関連の話はここまでにして、付近の観光地を少し紹介します。
⭐︎小柴漁港
鉄腕ダッシュでもよく出る漁港ですが、小柴のアナゴとシャコは築地でも高級品として流通しています。
毎週土日10:30〜13:00だけ、漁港婦人部の方々が食堂でその日の朝に水揚げされた地魚の天丼を販売しており大人気です。
是非お試しあれ!

それと八景島シーパラダイスと海の公園もすぐに近くですよ〜!


↑このページのトップヘ