燈明堂海岸と浦賀燈明堂
千代ヶ崎砲台
 (江戸幕府海防陣所跡)
【燈明堂海岸と浦賀燈明堂】
【景色】
【電車】
 浦賀駅~バス6分+徒歩9分。
 徒歩で36分
【  車  】★★
 駐車可能台数30台のみ。
 少し遠く千代ヶ崎砲台駐車場14台。
【休憩】

 200m手前に公共トイレ有り。
オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )        
 海が抜群に奇麗だよ~◎

 縁結びの西叶神社東叶神社が近い◎
 千代ヶ崎砲台は超見応え有り無料◎
注意するpoint(•ω•)        
 海の家は無いよ~。
 トイレめっちゃ遠いYo~☠。
 駐車可能台数が少ないよ~。
 三浦東岸で夕陽は見えないよ~。
―写真の後は👇( ՞ਊ ՞)👇解説だよぉ〜
——燈明堂海岸——
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——江戸時代の灯台、燈明堂——
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——千代ヵ崎砲台跡——
千代ヶ崎砲台跡 久良岐のよし
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――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
【交通】
車の場合、燈明堂海岸に有料駐車場30台。千代ヶ崎砲台駐車場は14台。
駐車場に関しては目的地毎に使い分けた方が無難だが、もし燈明堂海岸駐車場が満車なら最初に千代ヶ崎砲台駐車場に駐車して千代ヶ崎砲台を見学してから徒歩で燈明堂海岸に行っても良いかも知れない。
電車の場合、浦賀駅〜バス乗車06分〜徒歩11分・・・所要時間17分
【見所】
海岸の名前の由来は江戸幕府によって灯台として建設された浦賀燈明堂に由来する。燈明堂はその後も明治時代初期まで稼働していた。西側岩場にワカメやヒジキが自生している。
海はピカ一奇麗!子連れの親子が浜辺で遊ぶのに最適だが、過去に公設海水浴場としての実績は無い。
東京湾の入口に存在している為に海水が市街地化の影響を受けておらず透明、更に砂岩と粉砕された貝殻で出来た砂浜は真っ白で美しい。
ボぉ~っとしてるだけで幸せになる場所。
但しトイレが燈明堂海岸〜200mも先、燈明堂海岸入口バス停に戻る途中にしかないので訪問前に駅かコンビニでトイレを済ませてから訪問する必要が有る。
燈明堂海岸の背後の山は近代要塞の千代ヶ崎砲台で、江戸幕府によって築城された千代ヶ崎台場が明治政府によって近代化改修され千代ヶ崎砲台として運用され高射砲が設置されていた。
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千代ヶ崎砲台は現在、週末限定で無料公開されている。
2020年に上地市長と横須賀市教育委員会とボランティアの尽力で公園化されて公開され、希望すればボランティアガイドの方の解説も無料を聞きながら施設を見学出来るので有意義な時間を過ごせる。
近世の要塞だけあり登り坂がキツクて燈明堂海岸から徒歩08分かかるので、千代ケ崎砲台を見学したい人は坂の途中にある私営の千代ケ崎砲台駐車場を利用すると便利。

最初から海水浴とSETで訪問を計画し千代ケ崎砲台駐車場に車を停めるか、海水浴を終えてからコチラに移動しても良いかも知れない。
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千代ケ崎砲台は近代要塞にも関わらず立地だけでなく縄張りに丸馬出しや帯曲輪(おびくるわ)が多用されている事から戦国時代にも名前の残らない城塞だった可能性も有る様に城マニア的には見える。
特に千代ヶ崎砲台の史跡指定から外れては民有地に成っているファーマシーガーデン浦賀の敷地内に丸馬出しや帯曲輪が良く残る。
千代ヶ崎砲台跡 久良岐のよし
しかし戦国期の城塞だったとしても幕末、近代に2回の改修が入っているので最初期の築城年代に関して既に特定不可能な状態で、。
浦賀港入口の対岸側、東叶神社の裏山同一丘陵は平安末期に三浦一族に築城され戦国時代には北条家が東京湾防衛の拠点として運用した浦賀城が存在した。

普通に考えれば北の浦賀城と南の千代ヶ崎台場で浦賀港の防備を固めつつ南側の千代ヶ崎台場更に久里浜港を抑える場所に位置し、この久里浜港は現在でこそ湾を形成しているが平安時代〜戦国時代の当時までは平作川が横須賀市船倉の辺りまで深く入り込み横須賀市吉井の怒田城の城下で水軍拠点の入江として機能していた。その事を考慮すると普通に千代ヶ崎砲台の位置にも浦賀港と久里浜港の湾を繋ぐ陸路の防備を固める城塞が存在していても地形的にも地勢的にも極々自然だったりする。
浦賀港には縁結びで有名な源頼朝公と文覚上人が開いた東叶神社と西叶神社が有り、両方の神社を浦賀港を渡し船で海を渡って御参りすると“縁結び”の御利益が有ると若者に人気。
東叶神社西叶神社と渡船のリンク⤵️

東叶神社の山が浦賀城址で、西側の燈明堂側には江戸幕府の浦賀奉行所が存在した。

燈明堂沖の海獺島(あしかじま)は徳川埋蔵金伝説が有り、沈没船に幕府の蓄財が満載されていたらしい。
海獺島の名前の由来は、海水の奇麗な一帯には明治時代まで海驢(あしか)が生息していた事に由来し一帯の海が自然豊かな漁場だった歴史も垣間見える。
——穴場海岸の紹介一覧へ⤵️――