歴史オタクの郷土史とグルメ旅♪♪久良岐のよし

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タグ:海南神社

これの続き。
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休日雑記2017年07月15日の【前書き】。
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さて、前回の【前書き】の冒頭で書いた通り、この日は三浦義意公と御父上の三浦道寸公と叔父上の三浦道香公と関与した歴史偉人達の供養の納経の為に海蔵寺を訪問し、その後に天然記念物の諸磯隆起海岸の地層の写真を撮影に移動した。

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何でここに来たかと言うと、歴史偉人の顕彰活動にこの8万年前には海底だった丘の説明が必要だから。ここでは詳しい事は書かないが…
まぁ、一部のステレオタイプ考古学者が後生大事にしている通説は神奈川県に関しては通用しませんよ!と言う話を書くのに隆起速度だけでなく気温変化による海岸の後退速度や河川の土砂の堆積も、御城にも関係しているし多くの延喜式内社の位置関係にも関係してますよ!
…と言う説明の資料の写真撮影の為。
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昭和初期の文部省や地方自治体ってのは本当に地域単位での文化財や史跡の保護に熱心で、多くの天然記念物や重要文化財を史跡指定して我々に残して下さったのだが、戦後の左派染みた役所の連中は無文化で歴史も知らんし先人が残して下さった神奈川県下の歴史遺跡を僅か50年足らずで破壊し尽くした。三浦の場合、ちゃんと発掘したり郷土史を大切に伝えていたりするので、こうやって昔の天然記念物指定された場所も看板が作り直されたりしている。
う~ん、横浜市の水準は三浦に比べて雲泥の差(笑)。
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この地層が露出した部分が断層であり隆起した昔の海岸でもある。三浦にはこんな地形が多く有るが、ここは特に説明の看板の通り太古の時代のマテ貝の一種が掘った巣穴が小さい岩盤の穴なんだな。
この穴の露出で、どれだけ昔の地層がどれ位の期間を経て現在の地層に成ったか判る。
地質調査総合センター様にも色々と御教示頂いたのだが、2万年前の氷河期は現代の海水面より100m程下がっていた。逆に温暖だった縄文時代は現在よりも内陸にまで海が入り込んでいた。
つまり、地球が温暖化すると海面が上がると言うのは縄文時代に近づくと言う事なんだな。
さて、海の位置は現代では縄文時代よりも大分遠い場所にまで後退している訳だが、これは気温要因だけでは無い。
実際には大河川の土砂の堆積でどんどん海は埋め立てられる。海岸の岸壁の崩落でも岩が崩れ砂に成り砂が流され砂州が出来る。例を挙げるならこれが横浜の地名の由来に成った中区日本大通りに有った砂州の半島だな。あとは現在の川崎駅周辺。
そして気温変化の水位の変化と、河川の土砂の堆積以外に、もう一つ要因が有ってそれが地盤の隆起だ。
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この諸磯隆起海岸は8万年前に海だった所が既に標高30mにまで隆起していると、地質調査総合センターの担当者様から御教授頂いた。
この1万年でも5mも隆起したそうだ。つまり縄文時代ころから比べて地盤だけでも4~5mも上がっている。これに現代に近づく程に気温の寒冷化によって海水位が下がり海岸線も後退し、更に土砂の堆積で砂州が形成され陸地と成って行った訳だ。
ちょっと昔の考古学者は地質学者と違ってステレオタイプに「河川敷の近くの平地には弥生時代も人は住んでいなかった」と持論を展開する連中が多く、河川敷近く集落が在ったとする多くの古い神社の伝承をコケにしていた。所が最近になって出るわ出るわ川の近くの平地から弥生時代の集落の遺跡。
…以前、延喜式内社や式外社の伝承をコケにした考古学者達は「最近は川の近くでも人の生活の痕跡が発掘されています」と白々しい解説をしているが「おい、どの面下げて行ってるんだオマエ」とツッコミたくなる(笑)。
まぁ、そんな事を説明する参考の写真として、この諸磯隆起海岸は大切な素材に成るんだな。
観察してから写真をとり、満足して次の目的地へ移動。
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三崎漁港。この日は海南神社の夏の例大祭。
だから普段は都心部に出て働いてる三崎の出身者も皆帰って来て大賑わい!
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御神楽を演奏するチームが町内会毎に分かれて編成され、観光客を出迎えてくれる。
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当然ながら屋台も沢山出店する。
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そして本当に沢山の神輿が町に繰り出し熱気に溢れたパフォーマンスを展開する。
横浜市では絶滅してしまった古来の相模国の習俗だな。見ていて興奮する。
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子供達は屋台の方が気に成る様だね(笑)。
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左の屋台、アナと雪の女王って…許可取ってるのかな(笑)?
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三崎の商店街は昭和がそのまま残っていて小生はとても好きだ。だからたまにドライブに来てはブラブラしたりしてる。
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丁度、お昼も過ぎて小腹が空いてきた所に珍しい屋台を見つけた。
あげもんじゃ
興味が有ったので食事前に食べて見る事にした。
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もんじゃ焼きを春巻きかなんかの皮に挟んで揚げてあるんだな。
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皮も美味しいが、とにかくアツアツで食べるのに火傷しない様、注意が必要で大変だった(笑)。
でも御薦め!
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途中、新しい店が出来ていたので気に成った。ミサキ ドーナッツと言う店。
喫茶店?名前からするとドーナツ屋さん?今回は入らなかったが次回の訪問時は入って見よう。
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海南神社に着くと、既に全ての神輿は町内に出払って巡行中。割かし静かに参拝出来た。
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参道に民家を利用した喫茶ってんがオープンしていた。最近の開店の様だな。
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ここ海南神社は明治までは筌籠弁才天と言って三浦一族の信仰を集めた弁天様の神社だった。
鎌倉幕府で初代侍所別当に成った和田義盛公が船で房総へ渡る際に遭難したのだが、それを助けた御利益が有る神社で、更に前身の御稲荷様は三浦家が源頼朝公に付いて反平氏の軍勢を決起する切っ掛けを作った神託を与えた勝負の神様としても御利益が有る。
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そこに本宮神社の藤原資盈(すけみつ)公と、その御妻女である盈渡姫様を祀った御神霊を合祀して現在の形に成った。藤原資盈公御夫妻は京都で悪どい貴族の謀略で政争に敗れ、太宰府に逃げようとしたが船が遭難して東日本に来てしまったと伝承するが、そんな訳ゃ~ない(笑)!
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絶対に狙って坂東平氏を頼って亡命して来ている筈だ。だからこそ、三崎の領主に成れた訳だ。
御二人は三浦で庶民に文化教育を施した、謂(い)わば教育者の先駆け的な人物だった。その事を今でも感謝されており三崎の人々から神様として崇拝されている訳だ。
ところで海南神社には立派な御神木が有る。
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源頼朝公御手植えの銀杏だ。
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鶴岡八幡宮の大銀杏は台風で折れてしまったがコチラは健在だ。
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銀杏はなんか得体の知れないデッカイこぶがぶら下がっている。
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神社では前時代の事は良く解らなく成っている様だが、三浦家が崇敬した稲荷社なので水辺が昔は大切にされていた痕跡が有る。
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湧水地に石碑が建っていた。
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何だか陰に隠れているが昔の人が大切にした霊場としての池。
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まぁ、海辺の漁師町の神社なんでこんな絵も飾って有る。
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神楽殿で神職さんが御着替え中だった(笑)。
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本殿はどっからどう見ても弁天社や八幡社に近い様式なんだな、朱塗りの社殿で。
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境内には他にも金毘羅様が祀られている。これも海の神様、流石漁師町。
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境内には可愛い子猫達が沢山いた。何だか癒される(笑)。
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再び町に戻る。昔ながらの写真館…映画のロケ地に成りそうな雰囲気。
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何か知らないけれど東北の宮城県から来た人達が奉納舞かなんかを披露してらっしゃった。
観光客も足を止めて見入っていた。
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本格的に遅い昼食を食べる為に行きつけの寿司屋の紀ノ代に移動する途中、又、神輿が有った。
どうやら宮城県から祭りに参加に来ているのだろうか?
まさか?
宮城と言う地区が有るのだろうか?今度聞いてみよう。
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三浦映画社の前を通る。三浦半島での映画のロケに一役買っているNPOで、以前は多くの撮影した作品の関連展示が有ったが今回行ったら大半が撤去されていた。残念。
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とにかく過疎の三崎も賑やかなんだな、この1日は。
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目的地に到着。
紀の代(きのだい)サンと隣の黒羽亭は自分一人でも今回みたいにフラフラ散歩がてら三崎に来ては食べに来るだけでなく関西なんかの遠方からの来客や海外から友達が来たり外国人の友人が帰国する時等、機会が有る毎に来ている半ば行きつけの店。
以前も紹介した記事が有るので参考にして貰うと良いかと思う。→ココをクリック!
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この日も、いつも通りに前菜代わりに絶対に頼む“皮ポン”、鮪の皮のサラダみたいな料理を注文。
これがコラーゲンの塊なのだが程よい弾力が有って美味しい!
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それに小鉢丼セット。2つ頼んで確か1000円。この日は鯵の丼と鮪丼。味噌汁はセットでついてくる。
もしデートで行く人や子連れの人は、これを注文して別に料理を頼むと色々と楽しめて御薦め。
住所と連絡先は以下の通り。

御腹も満たして満足し、店を出て12日水曜日のリベンジで美味しい西瓜を買いに西瓜の直売所のザ・作兵衛へ移動…
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国道134号線沿い引橋の交差点から三浦海岸へ向かう道沿いに在る。派手な店なので直ぐに解る。
google mapで「直売ザ・作兵衛」と検索するとナビしてくれる。車じゃないと少々不便な場所。
ここは2年前まで看板娘の御婆ちゃんが店番をしていたのだが、骨折してから今の女将さんと若女将に看板娘の役目が引き継がれた。
まぁ、御婆ちゃんも今でも家で元気にしているそうなので何より。
夏は西瓜とメロンを直売、あと夏野菜も有る。
秋季には近くの蜜柑林を運営していてミカン狩りもやっているので子連れの家族には良いレクリエーションにも成る農園なのだ。そちらは石井みかん園で検索すれば出てくるだろう。
ここの店の西瓜は絶対に!外れが無い。どれを買って良いか解らない際は「甘そうなの選んでね~」と御願いすると美人若女将が選んでくれるので誰でも安心して買える。
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この日は15日土曜日、前回の11~12日に三浦半島に宿泊した帰りに立ち寄ったが店が休みで買えず、仕方なく別の店で西瓜を買ったが甘くなかった。やっぱりザ作兵衛がイチ押しの直売所な訳だ。
それでリベンジに来た。
その時の記事
   ↓

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ザ作兵衛では西瓜とメロンを購入。あと石井みかん園の蜜柑ジュース。
家族で食べたが、やはりとても甘く良い1日の〆に成った。

ふむ…三浦市の人々が無形文化財や天然記念物、そして農業と漁業をとても大切にして下さる御蔭で良い週末を凄し癒されました。ありがとう。

この三崎漁港や油壷周辺の他にも三浦市には城ヶ島や荒崎海岸、和田長浜海水浴場、江奈湾や毘沙門堂、剣崎灯台等沢山の封子明媚な観光地が有り夏の海辺を楽しむには持って来いです。
是非!お盆休みもその後も、皆さん三浦市を訪れてみては如何(いかが)でしょうか?
タグ三浦半島の記事→http://yoshi-kanagawa.blog.jp/tag/三浦半島

この記事を午前中に少し書いていたらいてもたっても居られなくなり、夕方に和田長浜(わだなはま)海水浴場と荒崎公園を散歩しに行って来ました。
とても綺麗でしたよ!

和田長浜海水浴場
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荒崎公園(神奈川の景勝50選、荒崎海岸)
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では、又次のブログ記事で御会いしましょう!





前回の記事が7月30日の休日雑記なので前後してしまうけれど、7月16日の休日雑記も兼ねた❝三崎漁港❞の❝海南神社❞の例大祭を紹介したい。

2016年07月11日が尊敬する三浦義意公の太陽暦での命日だったので連休を取り菩提寺への御参りと御廟所への献花をするがてら横須賀~観音崎~三崎~城ケ島~油壷~諸磯~三浦海岸を旅行した。
…横浜に住んでいるので車で45分程度の距離、本来は宿泊する必要も無いのだけれども三浦半島をたまにはユックリ旅して見ようと思った訳だ。
その時に、宿泊先の給仕係のオバちゃんと三崎城址のローカル知識を御教授下さった三浦市の教育委員会の方に、「週末16日に行われる海南神社の例大祭がとっても賑やかだから是非、見学に来られては如何か?」と観光の御推薦を受けていたので「是非にも!」と約束をした事を守る為にも、美味しい物を食べる為にも御祭りを見学する事にした。
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真ん中で鉾(ほこ)を持ち、天狗面で左右に部下を従えて立っているのが猿田彦(さるたひこ)を演じる氏子サン。
猿田彦は天照大神系の武御雷(たけみかずち)神等、敵方の軍勢を先導し出雲神族の神域への侵攻させた❝出雲系の神様❞で神楽等を司(つかさど)っていた。
だから祭りの先頭にたっているんだろう…

この日の祭りは12時から海南神社で神事がスタートすると三浦市役所の方に聞いていたので家を10時に出て、御寺で写経をして11時に横浜を出発したのだが、生憎(あいにく)と夏季の三浦半島の観光地はどこも繁忙期で高速道路も一般道路も全て渋滞…
三崎漁港の海南神社に到着したのは12時半頃だったが、まだ海南神社の境内では神輿の担ぎ手が気勢を発し大声を上げて町内の人々や観光客で盛り上がっていた。
どうやら三崎町の町内各地区に何基も神輿や山車が有るらしく、地区毎に順番に海南神社で出発の儀式をやるらしい…
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だから商店街にも待機している山車が沢山いたんだね…
先に出発した神輿も見かけたので「もう神社の御祭りは終わったのか?」と勘違い。
だってね…
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お好み焼きの屋台も、❝ちんちん❞焼き(笑)の屋台も観光客が全くいない!
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海南神社に向かう途中は焦って小走りに成ってしまった。
因(ちな)みに❝ちんちん焼き❞なんてハマっ子の小生も三崎町でしか見た事が無い(笑)。
なんか卑猥(笑)な名前だが、オノマトペで「ちんちんに熱い」とか言う熱さを表現する言葉が恐らく名の由来だろう。
しかし、そんな懸念は何のその、到着した海南神社は参道は人出溢れかえり、寧ろなかなか境内に入れない程だった。
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ものすっごい活気!
新興住宅地だれけの横浜市内では廃れてしまった昔ながらの御祭りの活気!
そして漁師町=三浦水軍=北条水軍の町だけあって、参加者の町民がワイルドな人が多い(笑)。
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担ぎ手たちが神輿を持ち上げ激しくゆする度に観客達から「オオぉ~っ‼」と言うどよめきと歓声と拍手が巻き起こる。
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海南神社は狭くはない境内、寧ろ中の上位の敷地が有る。この時は境内に神輿が3基残っていて氏子と参拝客と観光客でゴッチャゴチャ(笑)で狭く感じる程だった。
しかしながら、この様な活気有る御祭りは横浜に現存しないので非常に羨ましい。
実は❝ちんちん焼き(笑)❞の強烈な名前を見て思い出したのだが、多分、小生は過去に数回、この海南神社の例大祭を偶然見ていた。
この神社を支援した鎌倉時代の水軍大将で三浦家当主の三浦義澄公に引き寄せて頂いたんだなぁ~としみじみと思う。
病気で辛かった時期に、本当に三浦半島の海に癒されて回復する事が出来たのも御縁なのだろう。まぁ、当時の彼女さんの存在も有ったのだけれど、三浦家の殿様達にも、昔の彼女にも、三浦の風景にも、三浦の海にも、親切な三浦の人々に感謝しかない。
さて、海南神社はこの例大祭の外にも源頼朝公由来の❝チャッキラコ❞と言う神事が有る。2014-01-15-13-52-26
ユネスコに❝世界無形文化遺産❞に指定されている、町の御祭りだ。
※チャッキラコを紹介した以前の記事は「ココ」←クリック!
頼朝公の宿泊する各季節ごとの異なる別荘が三崎町内にいくつか在ったので、この様な頼朝公所縁(ゆかり)の祭りが伝承しているのだ。
因みに、三崎漁港だけでも❝桜の御所❞と❝椿の御所❞が嘗(かつ)て存在した。頼朝公もこの地の風景と人と食事が好きだったのだろう。同地は源頼家公や源実朝公も滞在されたそうだ。
現在では鮪の水揚げが海外勢に押され気味で江戸時代~昭和初期の活気は無いが、平安時代末期~戦国時代の鎌倉文化と水軍の町の色が現在も多く残る土地でもある訳だ。
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町の中にも幾つも山車や神輿が繰り出すので、次第に普段は過疎に成りつつある三崎漁港が全盛期の活気を取り戻していく…
その様にも感慨深いものが有る。

海南神社の夏季例大祭の賑やかさは伝わったと思う。

ここからを休日雑記代わりの07月16日の日記部分としよう。
御神輿に随伴しながら賑やかな御祭りをひとしきり見て満足したら、大好きな三崎漁港の商店街をプラプラ散歩、つい4日前にも、この三崎に宿泊した直後だけど飽きない。三崎漁港は良い…
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昭和の雰囲気を残す建物が多く有る。写真館とか蔵屋敷とか…
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駄菓子屋さんとか…
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玩具店も…
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懐かしい昭和のオモチャ屋さんぽい感じ。
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この町で育ったら、根性ねじ曲がった人間には成らなそうだ。何だか町全体で子育てしてるような人々の繋がりを感じる。
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三崎町は映画ドラマの撮影にも協力していてNPO法人❝三浦映画舎❞なんて団体がいて、休日だと上の写真の展示館で撮影された作品の撮影中の写真や芸能人のサイン等が展示されている。
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現在放送中のドラマ❝仰げば尊し❞の撮影にも関与している様で、三浦半島の風景がドラマ中に多く登場する。
その事は最近、ブログで紹介したので御興味有れば見て貰うと、ロケ地が書いて有る。
】←ココをクリックで記事にリンク!

一しきり散歩して御腹が空いて来た所で、昼食をとる事にした。
昼食は城ヶ島でとると決めていた。
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前回、城ヶ島を散歩した際に気に成っていた上の写真、旅館の港屋さんが提供しているヤドカリの味噌汁。
これを食べて見たくて車に乗り移動…
港屋に行く前に北原白秋の歌碑と、記念館を見に行った。
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余り知られていないのだが城ヶ島にも砂浜が有って、そこに白秋記念館も在る。
行くには上の写真の石碑の建つ遊歩道を歩いて行くと良い。
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そこを抜けると城ヶ島大橋の橋脚の下の砂浜に出る。
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北原白秋は東京で隣家の奥方と不倫の後、その奥方の離婚成立を待って略奪愛の末に結ばれて、世間の批判から逃れる様に静かな三浦半島の最南端の三崎に新居を構えたそうだ。
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白秋記念館の職員の方に教えて頂いたのだが…
その時に作詞した歌❝城ヶ島の雨❞の歌詞の舞台がこの島なのだが、当時、姦通罪に問われたり父弟が商売に失敗したり暗い時期の作品なので歌詞も暗い描写に成ったそうだ。
…因(ちな)みに、その不倫の末、結婚した女性は松下俊子さんと言うのだが、1910~1914年の僅(わず)かな期間で結婚生活は終了したそうだ。

北原白秋関連の場所の見学を終えて、港屋に移動。
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港屋は眼前に磯が広がる。露天風呂も有り、親子連れが宿泊すれば良い夏休みを過ごせるだろう。上の写真は港屋の庭からの眺望。
しかし小生の目的はヤドカリ…
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でこれが、シラス丼とヤドカリ。
食べてみたら出汁が美味しかったが、ヤドカリはグロテスク過ぎて箸を付けれなかった(笑)。
シラス丼はただシラスを載せただけでなく、御飯に紫蘇の香りがして、とても美味しかった。
周りの客層は熟年夫婦~若いカップル、友達同士と見える連れ等、幅広い年齢層の御客さんで賑わっていた。
前回、この旅館に興味を持った時は平日の昼間に散歩に来たので余り活気は無かったが、この日は土曜日だったので非常に多くの観光客で賑わっていた。
どうも京浜急行電鉄と城ケ島・三崎町がタイアップしているらしく、その観光客が多いようだ。
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だからかは不明だが、多くの芸能人も宿泊しているようだ。
まぁ~これだけ眺望の良い旅館で新鮮な地魚料理を食べれるなら人気あるのも納得。
…いつか泊まりに来よう。

さて…
城ヶ島散歩と腹ごしらえも済み、小網代地区は移動する事にした。
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城ヶ島からは車で20分位だろうか?
小網代には戦国時代最後の三浦家当主である三浦道寸公が開基した海蔵寺と言う御寺が在るのだが、前回の訪問時が丁度、新井城落城から500年、三浦道寸公と三浦義意公の500回忌に当たり、御住職に納経を依頼されていたので約束を果たしに写経した般若心経を持参した次第だ。
小生の遠い遠い祖先は古事記にも登場する、国造で、嫡流の御子孫は大宮司家だったりするのだが、小生は延喜式神名張を編纂させ古代の信仰と文化を守ろうとなされた醍醐天皇の時代の価値観を大切にしているので宗教観的には平安時代の人々や鎌倉武士達と同じ神仏両方とも等しく大切に思っているので、神社も御寺も大好きだったりする。
それとは別に文化的な物が大好きなのでキリスト教の教会の荘厳さも又別格に好きだったりイスラム教のモスクも素敵だと思うし、キリスト教の慈愛の精神とイスラム教の友愛と互助の精神も大好きだったりする。
寧(むし)ろ無宗教の連中が嫌い…
宗教を下に見て先人への敬意も払わず文化と史跡を破壊して回るマルクス主義者とかね。
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海蔵寺は一般参拝不可、飛地の境内地の三浦道寸公・義意公の御廟所への立ち入りも一般は不可なのだが、小生は御住職に三浦家や先人に対するリスペクトと宗教的にも神仏を大切にしている事を認知して頂けたので、御寺への参詣と御廟所への参拝の自由の御許可を頂いている。
今回、尊敬する三浦家最後の殿様の御二人500周年に納経の機会を与えて頂いた事は非常に光栄だった。
どうやら、小生の納経した写経は他に依頼した32人の方の分と共に、経塚に入れられ名前が塚に残るそうだ。
これで殿様が三浦の民に愛された歴史が後世に伝わって行けば良いなぁ~と願いを込めて奉納した。
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小生は佐原三浦家と最期に敵対した北条家の善政も尊敬し、北条早雲公・北条氏綱公・北条氏康公と玉縄北条家の北条綱成公もリスペクトしている。そして北条家と対立した扇谷上杉家の中で最後の鎌倉公方に忠義を尽くした武士の鑑とも言える上杉氏定公、扇谷上杉家の家臣で北条早雲公と三浦道寸公の両方とも盟友だった名軍師の太田道灌公も尊敬している。
なので、写経の為書は三浦家の殿様の供養祈願と共に関わった方々の供養祈願ともさせて頂いた。
この様な敵味方問わずリスペクトするのが本来の神道の寛容な価値観でもあり、柔和で静かな哲学を基本とする仏教との親和性でもある訳だが、それこそ日本人の習俗の源だと思っている。
…良く遊び、最後に尊敬する方々へ日本の発展の一端を担って下さった事に対する感謝も感じた有意義な一日に成った。

帰路は横浜横須賀自動車道で帰るのだが、三浦縦貫道路を通らず、一般道から横横に移動した。
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目的は行きつけの農家、石井農園の直売所❝ザ・作兵衛❞に作兵衛ブランドの西瓜を買いに行く為(ため)だ。
ここの西瓜は独自の❝作兵衛ブランド❞で売っているのだが、本当に美味しい!
ここで夏は西瓜や瓜、秋~冬は大根や蜜柑、初春にキャベツを買いに来る様に成って、もう10年位に成ると思う。
毎年何回も買いに来る。近所に横浜南部市場や小柴ファームと言う産直の販売所が有っても、作兵衛には絶対に季節の果実と野菜を買いに来る。この石井農園が好きなんだな~。
今年は看板娘の御婆ちゃんは骨折して治療中、残念ながら会えなかった。無事に治ります様に…
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今年は家族様に普通のサイズを1つと、自分用(笑)に小玉西瓜を購入。
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中にスが入ってるから安くすると言われた通り割れていたがギッシリ実がつまっていて、しかも今年は特に良く出来ていて甘い!
てな訳で、八月中に又買いに行く事にした。
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三浦からの帰路、最早、恒例に成っている横須賀PAに立ち寄りって買い食い。
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湘南ゴールドと言う湘南地方で生産されているグレープフルーツのフレーバーのアイス。
悪くなかった。てか、なかなか美味しい。

ふむ、歩いて知識詰め込んで感謝して充実した良い休日を過ごせた。



前回、神奈川県のユネスコ無形文化遺産の御祭り「チャッキラコ」を紹介したブログで三崎漁港の御寿司屋さん
「紀の代」さんを紹介すると御約束したので、料理の写真を掲載します!
※チャッキラコの記事は「ココ」←クリック!

ここは鮪漁港ならではの部位の料理も食べれます。
本当に美味しいので、三浦半島観光の際は是非、立ち寄られる事をお勧めします!

丼は2つ選んで1000円くらいだったかな?
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鮪の胃袋…これ美味しくて毎回注文します。
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鮪のカマ焼き…二人分以上あります。
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これも美味しくて毎回頼みます!
鮪の皮の湯引きのポン酢和え。
上のは鮪の血合いのから揚げかな?
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鮪サラダ。
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これは・・・鯵(アジ)の刺身ですね(笑)。
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鮪の刺身!
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三崎漁港なら御寿司はここ、紀の代が美味しくて・・・
居酒屋なら「黒羽亭」がおすすめです!
黒羽亭記事は「ココ 」←クリック!

付近には観光漁港「うらり」や、観光地の「城ケ島」や水族館の「油壺マリンパーク」もありますよ! 
「うらり」ではサザエの壺焼きなんかも食べれます。
オススメは「鮪の串カツ」です。
レクリエーションに持って来いの観光地ですね!
城ケ島の記事は「ココ」クリック! 

ブログネタ
旬なニュース速報 に参加中!
みなさん、チャッキラコと言う御祭を御存知でしょうか?
多分、余り御存知無い方が多い御祭です。

毎年1月15日に行われるローカルな御祭なのですが、ユネスコに世界無形文化遺産登録されたお祭りなんです。
12月中に存在を皆さんに伝えておかなければ、御祭りを見学なさりたい方がいらっしゃった場合に開催当日までに予定が組めない方もでると思い、旬を先取りする形でブログに掲載します。

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このチャッキラコと言う神奈川県の鮪で有名な三崎漁港の海南神社で行われる御祭なんですが、実は!富士山より先に…
"ユネスコの世界文化遺産認定を受けた"
…由緒も正しく歴史も古い御祭なんです。


御祭は海南神社の有る場所に御住まいだった平安時代の貴族藤原資盈(ふじわらのすけみつ)公と鎌倉幕府の征夷大将軍源頼朝公に由来しています。

海南神社は御祭神も藤原資盈公と奥様の盈渡姫様です。
海南神社はこんな場所です…
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三崎の観光漁港「うらり」とはバスターミナルを挟んで反対側、本来の三崎町である「三崎銀座商店街」の中に神社へ通じる参道があります。

こちらの神社の成立は清和天皇の皇位継承に関する政争に巻き込まれ敗北し、大宰府に左遷されるはずだった藤原資盈公が暴風雨に遭(あ)い三浦半島に漂着(ひょうちゃく)した事に始まります。
貞観6(西暦864)年の話です。
余談ですが貞観年間と言えば"貞観の大地震"が起き、東北地方では東日本大震災を上回る規模の地震と津波被害が有った時代です。

その時代に、三浦の三崎に辿(たど)り着いて来た資盈公は推薦を受け同地の長を務める事となり、その後、房総半島の海賊を討伐するなど活躍されたそうです。
この時代、三浦半島を含めた関東一帯は平高望(たいらのたかもち)王が皇族出身武家として治めていましたので、藤原資盈公を庇護したのは後に鎌倉武士団を形成する平高望王の御一族だったと容易に推測できます。
そして三崎領主として善政を布(し)かれ、今で言う教育と福祉政策に力を注いだ藤原資盈公は同地の住民達から深く慕われたそうです。

三崎の御祭り"チャッキラコで歌われる唄(うた)の歌詞には多くの和歌や昔話が盛り込まれています"ので、恐らく資盈公と盈渡姫は「チャッキラコ」を広める事で、当時文盲だった漁民達に文字を教えたり学問を広めたのではないかと推測出来ます。
現代にも残ったご夫妻のとても偉大な業績ですね。

しかし在任僅(わず)か2年間の統治の後、資盈公は亡くなってしまったそうです。
その際、公を慕う住民達は、公の亡骸を海に水葬し、祠(ほこら)を海岸に奉(たてまつ)りました。
すなわち!
その場所が現在の海南神社本殿とは別に、商店街の中にひっそりと佇(たたず)む本来の神社の在(あ)る場所だと推測される訳です。
ここ本宮神社ね
  ↓
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資盈公と盈渡姫の漂着についてですが…
まぁ、普通に考えれば、平安京~九州筑紫(筑前)国の大宰府への航路は瀬戸内海ですし、門司港辺りまでは陸路で行く方が安全だったはずなので、資盈公の三浦半島漂着は恐らく最初から狙って行(おこな)った亡命行為だったと考えるのが自然でしょう。
当時、すでに三浦半島と房総半島は"平高望(たいらのたかもち)王"を初代とする元皇族の坂東平家が統治しており、中央の政争に勝っている方の藤原政権と対立の火花が散り始めていましたからね。 

そして相模国鎌倉郡村岡城主で鎮守府将軍の平良文公と…
良文公の甥で房総の太守だった後の神田明神の神様になる平将門公の一族は、資盈公同様に中央で政略に巻き込まれて後に大宰府に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)公の一族を庇護しています。
三男:菅原景行(かげゆき)公と五男:敦茂公は平将門公や平良文公を頼って関東に亡命してきてますから。
同じ様に資盈公も、中央の藤原家が手出し出来ない、平高望王の子孫一門を頼って計画的に亡命されたのだと推測する方が…
地勢的にも政治的にも軍事的にも自然な事だと思います。
※平高望王の一族に関わるブログ記事は「ココ」と「ココ」←クリック!

さて、そんな藤原資盈公ご夫妻の教育政策であっただろうチャッキラコは御祭りとして残り、近年ユネスコの無形文化遺産に登録された訳ですが…
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御祭り自体は未成年の"女性が舞を踊り唄を歌う"御祭りです
ですので…
何か見た目からしてロリコンっぽそうな外見の中年男性も観光客に多数いますが…
この御祭り自体は由緒も正しい御祭りなので、純粋に文化として楽しみましょう!

三崎銀座商店街の中には元廻船問屋の旧家を利用した「チャッキラコ三崎昭和館」と言う博物館や、NPO法人三浦映画社の展示館もあります。
実は三崎漁港は映画撮影のバックアップをしているんですね。
ご近所の旧三崎高校や漁港周辺で色んな映画が撮影されているので、ぜひ三浦映画社の展示館を見学されるのも良いかと思います。 
ちなみに旧三崎高校は三浦水軍の基地だった三崎城跡でもあります。

チャッキラコですが・・・
何でこの御祭りが幼女に舞わせるかと言うのも、ちゃんと由緒があるのです。
その昔、征夷大将軍と成り鎌倉幕府を開かれた源頼朝公は春の季節専用の御所を、この三崎町に持っていました。
その場所は現在「本瑞寺(ほんずいじ)」と言う御寺に成っており、鮪料理で有名な黒羽亭」のすぐ近くに有ります。 

本瑞寺の写真は生憎現在手元にありませんが、ろう梅がとても綺麗でしたので、その写真だけはありますので載せますね。
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さて、ここの春の御所に訪れた頼朝公が、ある時、土地の漁民女性に…
「何か楽しい事無い?」
…と聞いたそうです。
で、聞かれた女性が…
「私は何にもできませんが、娘に舞を披露させますよ!」
…と答えて、母親が歌い娘が舞を披露しました。
この事がきっかけで、「チャッキラコ」が鎌倉時代以来1月15日のお祭りとして行われる事に成ったそうです。
ですから…
別にロリコンが趣向で御祭りにみんな集まる訳じゃない!
…はず、と、結婚適齢期以上の女性が恋愛対象の小生は信じる事にしています。

三崎には浅間神社もありますよ。
…人口が減ったせいで神社も寂れてきてしまってますが。 2014-01-15-14-14-27


そして!
この三崎町=三崎漁港の醍醐味と言えば!「三浦野菜」と「鮪料理」ですよね! 
その他に高級魚「松輪鯖」も名物です。
小生は先程紹介した「黒羽亭」は居酒屋として利用させていただいてます。
実際、黒羽亭は鮪の色々な部位の料理を食べれる居酒屋ですので。

で、お寿司を食べたい時は黒羽亭のお隣の「紀の代」と言う御寿司屋さんに良く行きます。
本当に美味しい御寿司屋さんでして、小生は寿司を食べる為だけに横浜から行く事も有ります。

そちらに関しては別に記事書いて紹介しますね!

三崎は港町らしくニャンコもたくさん居る街ですよ~ 2014-01-15-14-42-02
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かわいいなぁ~

隣の城ケ島と言う風景の綺麗な島とも橋でつながっていますし、油壺マリンパークと言う水族館も近く家族連れで楽しめる観光地です。
新年の家族旅行や小旅行にチャッキラコ見学とセットで如何(いかが)でしょうか?
ただ…
平日の木曜日なんですよね、2015年の01月15日。

●城ケ島の絶景に関する記事は「ココ 」←クリック! 
●紀の代と言う一押しの三崎漁港の御寿司屋さんの記事は「ココ」←クリック! 
●黒羽亭と言う鮪料理居酒屋の記事リンクは「ココ 」←クリック! 

ではでは、又、次の記事でお会いしましょう!

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