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タグ:海蔵寺

2017年07月15日、この週の火曜日07月11日が新井城落城した日で尊敬する武将の一人である三浦義意公と御父君の三浦道寸公の供養の為に菩提寺である網代山海蔵寺に参拝し、御住職様から海蔵寺専用の納経用の奉書を頂いていたので三崎漁港の海南神社の例大祭に合わせ、土曜日に写経した妙法蓮華経観世音菩薩普門品世尊偈を携えて海蔵寺に納経に再訪した。

海蔵寺さん参拝の後、最初に訪れたのは天然記念物諸磯隆起海岸だった。
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…と、その前に少し小生の神社と御寺に対する思い入れの根源の話し。

小生の祖先は某延喜式内社の宮司家なので御寺や仏教と言うと子供の頃は除夜の鐘程度の認識しかなく、なんと言うか御祭りの様な楽しい場所と言う感じだった。
大人に成って仕事でリーマン破綻直後に3ヶ月間、毎日睡眠が3時間以下と言う労働が続いて過労に成って頭ハゲそうなハチャメチャな状況に成って心身共に参っていた。
同僚が中国語話せないのに突然中国へ転勤に成ったり、小生は中国語話せるのに国内に残りソイツの分も含め複数人から仕事を引き継いだり、ハッキリ言ってキャパを超えていた。
朝の定時出勤時間前から出勤して客先の就業開始直後に御用聞きで訪問できる様に直行。
夕方の18時に帰社、そこから自分のオフィスワークと2人から引き継いだ分のオフィスワークを始める。当然朝までかかる。だから休日も潰れる。20時以降はタイムカードを切らされてサービス残業を強要され、当然休日出勤は申請不可。そんな会社だが実は中堅企業の中の大手の部類の企業だった。
アジア圏や国内遠方に出張する際は、上司に指名されたいい加減な同僚に仕事を任せるのが嫌で嫌で仕方なかったが、馬鹿でも出来る様に完璧にスケジューリングして協力会社にも念入りに事前に打ち合わせで部材の製作をお願いして置き、資料も準備して小生の仕事を代理で行う人間はスケジュールの時間通りに指定の場所を訪問して人に会い物を受け取り、物と資料を渡すだけで何にも考えず何にも余計な事を話さず済む様にしてあった。
だけどね、世の中、いい加減だけど何だか知れないけど上司に信頼される奸臣と言うのが居て、その上司に仕事を御願いする様に指定された同僚は「案の定ちゃんと俺のスケジュールを踏んで行動しない」で当日に訪問しなかったり、結果的に納期に遅れたりやらかしてくれた。
だけど狡猾な奴で上司には小生のミスの様に粉飾し、小生が出張から帰って来ると何だか知れないけど叱られたり。それを残業時間に成って同僚を呼び止め問い詰めると開き直りクソ同僚はこんな捨て台詞を言った…
「そんなに完璧にやれんて!」
…おい、俺は馬鹿でも出来る様に御膳立てしてやった上に協力会社の皆さんも文字通り万全の協力をして下さっていたんだがな?
まぁ、そんな事が何回か有ったりハードな仕事が三ヶ月休み無しで続いて自分で洗濯物洗う暇すら無くてクリーニングにシャツやスーツを丸投げしても、今度はクリーニング屋に服を引き取りに行く暇も無く、前日着たシャツにファブリーズだけして又着て仕事したりしていた。
小生がそんな事に成っていた時期に社員の1人が交通事故を起こして人を轢き殺した。
更に社員が1人自殺、でも家庭の問題とされていた…本当かよ?
子会社でも1人が過労要因と思われる交通事故死。
自分も高速道路で運転中に意識が飛んだり2回経験した。赤信号も認識できずに信号無視をしたり、自分で「やばいのかな~?」と思い、そのクソ会社を辞めた。
因(ちな)みに、その会社は今でも存続していて何だか知らないけど某大手企業のベストパートナーにも選ばれたりしている。御客さんは、そんな状況知らないだろう。まぁ、知ってる会社も有ったけど。
これ、当時、退社後に労働基準監督署にも職安にも相談していたけれど、「管轄外」と言われたり「ウチでは出来る事に限りが有って対処できない」と言う主旨の事ばかり言われたんだな。
まぁ、泣き寝入りするしかなかった。
アレから数年が経ったが、日本の労働基準法って今でも守られてないよね。実際。
有休消化なんて超大手企業しか出来ないでしょう?
週休二日制も守られてない会社多いでしょう?
サービス残業の会社多いよね?
安倍さんが賃金上げろと急(せ)かしても無視するクソ企業多いよね。
その癖に横浜市長みたいに日本を敵視する北朝鮮の学校に補助金出したり意味わからない政治家もいるよね。
新しい制度考える前に、既に施行した法制度を順守させる方が大切だと思うんだよな。
まぁ、そんな事が有ってリアルに昔は無責任不倫上司のせいで死ぬ寸前に追い込まれた。
だから、昔の善政を行ったり農民や商人に好かれた殿様達に余計に尊敬の念を抱くんだろうな。

そのクソ会社にいた頃に不思議な夢を見て…
横浜の歴史偉人とその上司の玉縄北条家や源頼朝公とその与力衆の鎌倉武士団の偉人達に"命を救われて"以来、歴史の資料を趣味で読み漁り墓所や御関わりに成られた神社仏閣と史跡を訪問し、殿様達に感謝して回るのが休日の趣味に成った。
…もっと言うと三浦の海に命と精神を救われた感が有るんだな、小生の人生は。
当時はボロボロで、ハチャメチャな仕事を命を繋ぐ為に辞めた。
不思議と普通なら「自殺したい」とか思う状態に成るであろう状況に、小生は「海見たいな~」としか思わなかった。死にたいとは思わなかった。
でも仕事の通勤帰りに電車に乗ってる時は危なかったね。夜の町の中を走る車窓から外を見てると引き込まれるんだよ。
あれ、一種の催眠状態なんだろうね、気持ちが暗い時や挫折を感じてるとハマりやすいのかも。
そんで、休みに良く観光客の余り行かない三浦半島の南端の江奈湾に行って磯で少し泳いだり、散歩したりして過ごした。
・・・そうこうしてる内に気力も回復して来た。
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この江奈湾の磯が大好きで良く散歩しにドライブしに行ってた。
台風の翌日、ここの岩場が高波にバッシャ~ン!バッシャ~ン!と洗われている時にアホな小生はクロックス履いて出掛けてて岩場の海苔で足を滑らせ仰向けに素っ転んで強く背中を打って息も出来ず、何回も打ち寄せる波にさらわれそうに成った。
その時に強く思った「こんな恥ずかしい死に方出来ね~し!」と(笑)。
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江奈湾の近くの松輪からは富士山も綺麗に見えたりする。
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富士山、此花咲耶姫命様も小生の命を繋いで下さった神様なんだな。
家の近所の円海山に登っては、そこから見える赤富士を見て円海山の自然にも癒された。
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神社や御寺と自然と彼女の存在ってのはね~、どんな向精神薬や安定剤や睡眠薬よりも効果が有るんですよ~。家族は当てに成りませんがね~。
大切なのは自分で選んだ家族に成って欲しい人なんだと思う。つまり血縁よりも理解者だね~。
それと脳味噌を休ませてくれる環境。
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御蔭で小生は薬漬けに成らずに働けた。
あと、当時はまだミシェランガイドに紹介されておらず観光客も少なかった鎌倉の報国寺の竹林に行って座禅を組む様に何も考えずに時間を過ごしたり。
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そこの草庵で少し休んで、抹茶を飲む事で大分気力が回復したと思う。
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今では観光客が多くなり、余り気の休まる静けさは無い。でも癒されるのは変わらない。
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今では現:鎌倉アホ市長によって通行止めにされた釈迦堂の切通しの辺り衣笠山~今泉台~報国寺の宅間谷(たくまがやつ)をグルっと一周散歩して回ったり、殿様達の残して下さった鎌倉の文化と景勝地と三浦の海は医者の処方する薬より疲労が蓄積して赤信号も無意識に無視した脳味噌を少しづつ回復してくれた。
後で知ったのだけれど、この報国寺を開いたのも横浜市の殿様の宅間上杉家初代の上杉重兼公と足利尊氏公の御爺ちゃんの足利家時公だったんだな。
そして、更に後に知るのだが横浜市港南区の永谷天満宮も宅間上杉家の殿様が開いた神社だった。
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それ以来、紫陽花の季節には永谷天満宮に絶対に行く様に成った。
この少し前位、小生を身近に支えてくれた当時の彼女さんもいた。
この彼女とは結婚して幸せにしてあげたかったのだけれど、残念ながら小生がボロボロだったので縁が無くなったが、御蔭で小生はクソ会社退職後暫くして又、働ける様に成った。
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その頃に七里ヶ浜も行くように成った。
この変な棒は流木を砂浜に突き立てた写真。こんな風景七里ヶ浜に有りません(笑)。
その時に傍で支えてくれた昔の彼女さんを幸せにして恩返し出来なかった事を悔やんでいたりする。
丁度その頃だ。
ボロボロだった状態で夢の中に「龍寶寺」と書かれた石柱が出て来て起きてから「何だろうな?」と思って調べて見たら、戦国時代関東最強の武将だった北条綱成公の菩提寺の名前のだった。
場所も大船駅の近くで近かった。
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学生の頃に友達と遊んだ信長の野望シリーズに登場する名将の御寺だった。
2014-09-15-06-09-37上杉謙信と武田信玄に称賛された名将。
三つ鱗紋学生当時、北条家は少し地味で友人達には人気が無かった(笑)。
まぁ、どちらかと言えば三国志の方が学生時代は好きだったし。
夢の事でビックリして直ぐに参詣して、当時は今と違って旧境内地近くの山の上に存在していた御廟所に御線香を上げに行った。今では綱成公の御廟所は境内本堂横に移設された。
そうこう調べていると何と北条綱成の家老が横浜市の殿様の間宮家だった。しかも更に詳しく調べて見ると子供の時に同じサッカークラブに通っていた幼馴染の近所の子等の家の周りが綱成公の家老の間宮家の居城の笹下城址だった。
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何と小学校の頃、サッカークラブの幼馴染やその近所の子と遊んだ山が笹下城の本丸だった。
元々中学生の頃から家から鎌倉が近くて自転車で由比ヶ浜に行ったり、源頼朝公の御墓参りをしたり、江の島に行ったり、金沢区の野島公園に行ったりして遊んでいたので、歴史は好きだった。
子供の頃は大好きとまでは行かなかったが、大人に成り事情を知り直ぐに北条綱成公や間宮家の殿様達に尊敬だけで無く親しみも深く感じる様に成った。そして歴史が本格的に好きに成った。
最初は何となく資料を読んで、殿様達の開いた神社仏閣を訪問していた。そこから暫くして御朱印も貰う様に成り、更に地域の人にも偉人の存在を伝えたいと思う様に成ったのが3年ちょっと前。
もう一度、北条家の事を調べると足利家の鎌倉公方家の殿様と忠臣だった宅間上杉家や扇谷上杉家の事も知り、足利家に滅ぼされた鎌倉幕府の執権北条家の殿様達が元寇から日本を守って下さった事を再学習し北条泰時公と北条時宗公を尊敬する様に成り、更に鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝公とその与力武将達を物凄く尊敬する様に成り、三浦家や千葉家や佐々木家の殿様の事も鎌倉だけでなく横浜市と関係が有った事も知った。
その平安末期の武将中でも特に尊敬するのは、やはり平良文公、源義家公、源頼朝公、鎌倉景正公、三浦義明公、和田義盛公、三浦義澄公、佐原義連公、多田行綱公、渋谷重国公、佐々木高綱公だった。
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その人々の足跡を辿って油壷に行き、戦国時代に扇谷上杉家から三浦家を継いだ三浦義意公の民話を聞いて回る内に深く尊敬する様に成った。

まぁ、小生の命は自分で勝手に生きて来れた訳じゃなくて…
殿様達の御蔭、神奈川の自然の御蔭、そして当時の彼女さんの御蔭の3つで繋がったんだな。
…だから社会の役に立つ事をして生きた証を残して皆さんに恩返しせんといかんのよ。

そして2017年07月15日の休日雑記の三浦海蔵寺への三浦義意公と道寸公の供養の納経へと繋がっていく…

2017年07月11日・・・
昨年に引き続き三浦市三崎町小網代(こあじろ)の網代山海蔵寺を参拝。
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昨年の電話での交流から始まり、学僧気質の正しい禅宗寺院の在り様を大切にされておられる御住職様に気に入って頂けて以来、折に触れて参拝に上がっている。
・・・しかし、07月11日は小生にとっても御住職様にとっても大切な1日なのだ。
501年前のこの日、小生が尊敬し御住職様がその菩提を弔う三浦義同(よしあつ)入道道寸公と御曹司の三浦義意(よしおき)公が海蔵寺の直ぐ近くに在った新井(荒井)城で討ち死にした。
日本記録であろう4年間の籠城戦を戦い抜いた後、房総からの援軍が絶え兵糧も尽き、最後の1日・・・
決戦に及ぶ段に成り父上道寸公から当主の座を継いでいた義意公は責任の無い部下や下級武士や農兵を船で房総半島に逃がして、自身は手勢を率いて時間稼ぎをし命絶えるまで戦ったんだな。
これは途轍もない事で、先ず4年間、同盟者からの物資補給が有ったとしても城から出られない絶体絶命の状況で兵士の士気を保ち尚且つ支持を受け続けるだけの人望と才覚が有ったと言う事だ。
普通は籠城しても数ヵ月と持たない。
この三浦義意公を除いて他には、もう御一方尊敬する人物である玉縄城主北条綱成公が河越合戦の際に半年間の籠城に成功したことが“奇跡”とされる大活躍とされている。半年で奇跡の大活躍、それを4年間・・・

そして自分が楯に成り末端の部下を逃がす。そんな社長、今いるか?

海蔵寺はそんな三浦道寸公と三浦義意公の菩提寺な訳だな。

御住職に挨拶し少し雑談を交えてから、供養の納経用の海蔵寺専用の奉書を頂き御寺を後にした。
海蔵寺がこれからも多くの人に大切にされますように。
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現在は主要部分が油壷マリンパークと成った新井城址に移動。
この駐車場の右手に三浦義意公の御廟所が現存する。
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墓石の写真を載せる訳に行かないので卒塔婆(ストゥーパ)の写真を。三浦道寸公が御父上で事実上の最後の当主なので、その名前が書かれているが駐車場近くのコチラの御廟所が三浦義意公の御廟。
近くのスーパーで買って来た仏花と、持参した少し高い御香を焚いて三浦義意公に久しぶりの訪問の御挨拶といつも御守護頂いている御礼を申し上げた。
そして少し下に移動・・・
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ここは下の海岸に出る道なのだが、恐らく戦国時代当時は海からの虎口で船倉へ繋がっていた場所だ。
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途中、少し解説の有る看板も有る。
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この道は見事に食い違いに成っている。
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風化しているが土塁の名残と思しき盛り上がりも有る。
そこを進むと海へと降りる分岐点に三浦道寸公の御廟所が有る。
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これだけ遠くから撮影したら道寸公も「無礼!」とは怒らず、「致し方なし、許す。」と言ってくれそうなので、遠くからの様子の写真を掲載します。
まぁ、命日なので小生は訪問し、尊敬する御二人にいつも御守護頂いている御礼と尊敬の念を伝えに御挨拶に今年も来た訳だ。
道寸公の人生も波乱に満ちていて、御本人は扇谷上杉家の出身で養祖父の三浦時高公に当初は認知されていたものの、三浦時高が老齢に至った頃に遅い実子が出来ると、道寸公と実父の三浦高求公は廃嫡され追放された。しかし、同僚の大森氏頼公や太田道灌公や今川家臣の北条早雲こと伊勢盛時公からは才覚を支持されていたので逆に新井城を奪取し三浦時高公を追放して三浦家の乗っ取り実家に帰る事に成功した幼いころから波乱に満ちた人生を歩んだ人物だ。
更に波乱が有り、主君であり弟の扇谷上杉定正公が事も有ろうに主家の古河公方家や敵の山内上杉家と同盟したり離反したり親友であり主家の軍師だった太田道灌公を暗殺してしまったりハチャメチャな事をしまくったせいで扇谷上杉家家臣同士でも方針が混乱し敵味方に分かれて争う事と成り、当初は三浦道寸公と協力者だった伊勢盛時公とも敵対関係に陥り、結果的に武運無く負けて滅亡したのが1516年07月11日だった訳だ。
小生は特に建勲神織田信長公と東照大権現徳川家康公、そして太田道灌公、三浦家と争った北条早雲公や北条氏綱公、その跡継ぎの北条氏康公と義兄弟の北条綱成公、その綱成公の家老の間宮家の殿様達、他にも数人の殿様を尊敬しほぼ毎日、菩提寺や関係した神社で頂いた御朱印を御分霊とし、心の中で礼拝している。
部下達に好かれ、部下の命を大切にして逃がした二人の殿様達。
本当の英雄とはそういう人なのだと思う御二人だ。
そんな道寸公と義意公の眠る新井城址は風景が美しい・・・
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砂浜に降りて歩いた。夕刻16時位だったろうか。
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実はこの砂浜の岸壁にも歴史史跡が有る。
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この四角に掘られた穴、千駄矢倉と呼ばれた8つの物資保存庫として戦国時代には機能していた。
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今ではそんな事を知る人は少なく、ただただ美しい海と、そこに有る民宿と海の家に遊びに来る客で休日は賑わう。
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小生の訪問日は水曜日で夕刻だったので海水浴客はいなく静かでともてよかった。CIMG4576
素敵な海の家なのだが、まだ食事に来た事が無い。いずれ甥っ子と姪っ子を連れて宿泊に来たいと思う。
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三浦半島も三浦海岸等、東京湾も横須賀市や横浜市に近い場所は海水がクソ汚いしアオサだらけだが、城ヶ島や荒井浜や秋谷海岸等の相模湾側まで来るととても綺麗だ。
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本当に綺麗なんだな。
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周辺には民宿や旅館も多いので、個人的に首都圏の人や県外からマイナーな宿泊地域を探したい人にはおススメの場所が三浦市三崎町界隈だ。
海辺を後にして駐車場に戻る途中、辛うじて残された土塁の一部と神奈川の景勝地50選の石碑の横をいつもどおり通る。
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北原白秋が不倫からの略奪婚していた時期に三崎町の城ヶ島の対岸、今の三崎漁港に住んでいたので、三浦市内には北原白秋関連の場所がいくつか有ったりする。
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まぁ、こんな感じに新井城址にも説明も有ったりする。
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東大の敷地の中には土塁と空堀が少し残っている。
帰り、三浦家の御家臣の御子孫と雑談をした。頂いたコーヒーを飲みながら今年も色々と話して「来年も又来るね~!」と御挨拶。地元で殿様に誇りを持って下さってる人と交流するのは楽しい。
知らない人とも共通の話題が有ると直ぐに打ち解けられるのが小生の自覚できる唯一の長所だろうか(笑)。
但し、その話題も歴史に限るので大分と門戸は狭いがニッチな人は何処に行っても探せばいるので、特に和尚様や神社の神職の皆さんに気に入って頂ける機会が多かったりする。学者と異なって小生の場合本気で神社仏閣に関わった殿様や御姫様を尊敬して郷土史読み込んでから訪問したり知らない事は正直に「教えて下さい」って御願いして回るからね。営業と一緒だわ。
三浦の人々と話し終え車に乗り込み、この日の宿泊地で最終目的地の佐島へ移動・・・

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実はずっと宿泊したくて距離が近くてしていなかったホテルが有ったのだが、それが当日最終目的地だった。
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佐島マリーナホテルだな。
小生の様な貧乏歴史オタクが一人で宿泊するにはオンシーズンだと高くて尻込みする綺麗なホテルなのだが、実は佐島マリーナホテルはオフシーズンの梅雨時には一人での宿泊でも12000円で泊まれるプランが有ったりする。それに小生は旅行サイトのポイントが2000円分有ったので、今回はなんと10000円での宿泊を予約出来たのだ!嬉しい!
いつもは近くの“海辺”と言う風景の綺麗な食堂に食事に来て周辺の海岸を散歩して終りだったのだが・・・
まぁ、家から車で30分ちょいだしね。
今回は思いっきって連休に成る様に休暇申請もして宿泊に来てみた。安いし!
このホテルは本当に眺望が素晴らしい。
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これもホテル内から見た風景。
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これは南向きの部屋から見た風景。
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普段はヨットで遊びに来る宿泊客が多い。
凄く大きいホテルではないが清潔感と落ち着いた雰囲気が漂っていてとても良い。
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ヨットハーバーのホテルだけあって船に関する装飾品が多い。
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何とも可愛らしい。
小さいが御土産物屋も有ったので、観光先で手荷物持たないでもここで買って発送出来る。
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まぁ服はアレだな要らない。
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部屋はここ数年間で宿泊したホテルの中で一番広かった。
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小生の中国の友人が某市内最高のホテルマンの認定をされて支配人に成っていた奴なのだが、ソイツの力でホテルに泊めて貰う時以来の広さ(笑)。
あと中国の姉ちゃんに等しい「姉ちゃん」と小生が呼ぶ人の力で泊まるホテルとか(笑)。
いずれにしても自分の力じゃない(笑)。

まぁ、普段は大正昭和チックな旅館が好きで、そんな場所にばっかり宿泊するか、ビジネスホテルに宿泊して食べ物に御金を費やしているので、当然まともなホテルに来たのが国内で久しぶりな訳だ。
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お腹が空いていたので夕食どうしようかなぁ~と館内のレストランを見に来た。
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値段は死ぬ程高くない。しかし低予算庶民の小生(笑)、葉山牛ハンバーグディナー3630円に目を付け、一考・・・
「今から三崎漁港に行っても良いし、葉山マリーナに行って食事しても良いし、秋谷のDONに言っても良いな~。」
「でも三崎漁港は週末に納経に又海蔵寺行く帰りに寄れるし。」
「佐島マリーナに来て葉山マリーナに行くとか薄情だし。」
・・・と言う訳で出掛けるのも面倒臭くなり、このホテルのレストランで食事する事に決定!
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店内の様子を撮影し忘れた。
海に面した素敵なレストランだが既に日没で真っ暗だったから店の様子を撮影するのは明日で良いや(笑)!と思ったのかな。
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食前にジンジャーエールフロートを頼む小生は御子様なのだろうか?
以前も書いたが小生は酒が基本的に嫌い。神社での神事の際に有難く御神酒を頂くか、県内外各地の梅の名産地で梅酒を購入してきて香りを楽しむ為に飲む位。
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前菜から三浦半島尽くし!全て三浦野菜らしい。地産地消を地で行く店。良いね。
アホなので野菜の名前は忘れた(笑)。
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ビシソワーズ美味しかった。
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そしてお待ちかねのハンバーグ!ホテルのハンバーグやっぱり美味しいなぁ~。
比較したら双方に失礼だが、横須賀どぶ板通りのアメリカンなハンバーガーも美味しいが、やはり同じハンバーグでもホテルメイドとアメリカンなハンバーガーではカテゴリーが違うんだな~と味わいながらしみじみ。
先日、鎌倉で葉山牛ステーキランチを予算不足で食べ損なったばかりなので「取り返したぜ!」と一人で満足感に浸る(笑)。
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美味しいパンは御替りし放題で、小生遠慮して頼まなかったらウェイターさんが何度も小生の食欲を察したのか(笑)御替り勧めて下さり御腹も十分に満たされた。
ハンバーグのソースすくって食べちゃった(笑)!
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デザートも可愛く美味しかったですよ~。
う~ん。彼女が出来たら宿泊に来たいな。きっと喜んでくれるんじゃないかと思う。
しかし、恐らくは甥っ子と姪っ子達を連れて来て宿泊し、隣の天神島の海で遊ぶ「オジちゃん」としての再訪に成るだろう(笑)。
この日は部屋でユックリ寝る心算がアホな小生は普段連休無いのでここぞとばかりに持ち込んだPCでブログを更新したり間宮家と宅間上杉家と蒔田吉良家と玉縄北条家の顕彰文草庵を書きまくったり、気が付いたら寝ずに朝に成っていた・・・
せっかく泊まったのに(笑)。
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翌朝、忘れずにレストランの写真を許可を貰って撮影!
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う~ん!綺麗だ。
オフシーズンの平日と言う事も有り宿泊客は小生の他に家族連れが数組30人位いたかなと言う感じだったと思う。
なので、ウェイターさんから質の高いサービスをフル提供して頂けて大満足。
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朝食はビュッフェだが、三浦野菜が食べ放題で有難い。
オムレツやスクランブルエッグは来てから調理してくれるので当然暖かい。
パンと御飯が有った。死ぬほど品数が多い訳じゃないが普段、野菜をコンビニの袋のサラダでしか毎日食べていない家で食事をする暇の無い可哀相な人(笑)なので暖かい食事に嬉しく思ってしまう。
ウェイターさん、そしてホテルの皆さん、落ち着いた良い時間を過ごす事が出来ました。
ありがとうございます!又、御世話に成ります!
朝食を食べ終わったのが9時位、チェックアウトのリミットが11時だったので、少し外を歩いてから部屋で仮眠して置こうと思い先ずは外出。
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ホテルのすぐ横の天神島臨海自然教育園を散歩。もはやホテルのプライベート遊歩道状態(笑)。
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ハマオモトこと浜木綿(はまゆう)が沢山咲いていた。
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う~ん、プチ南国に来た気分。
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暴風雨が数日前に在ったので、海には流木が多かったが、それでも綺麗な海の景色と浜風に癒される。
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ホテルが見える。本当に海に突き出してるんだな。
そう言えば佐島マリーンナホテルのアドレスも掲載して置こう。

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もう少し歩いてみようと思い、公園を一周して見る事にした。
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快晴!う~ん気持ちが良い。
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時期的に山百合もとても綺麗だった。昨年のこの時期は三崎漁港に宿泊し城ヶ島を朝に散歩してやはり山百合を見ていたかな?三浦は半島はどこも綺麗だが、特に秋谷海岸と佐島と城ヶ島が小生は好きだし、都会の他府県から友人が来ると連れて行く。みんな城ヶ島や三崎の鮪にはとても満足してくれるし、この佐島の風景や城ヶ島の風景も気に入ってくれる。
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因みに砂浜も有るが三浦半島は他地域より隆起の速度が速いので砂浜よりも傾斜のきつい岩礁が多く磯の風景を楽しめる。
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小生は由比ヶ浜と七里ヶ浜の砂浜、三浦海岸琴音浜の砂浜、観音崎の多々良浜も好きだが・・・
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この佐島の天神島臨海自然教育園の砂浜も好きだ。ここは貝殻で出来た砂浜なので比較的白い砂浜なんだな。
まぁ、海水浴には向かない。岩礁だから。でも子供に自然観察させる水生生物を見るには適しているし海水がとても綺麗なので足を浸して磯遊びするカップルも稀に見かける。
メジャーな汚い海に行くより二人の時間を楽しめて良い選択だろう。
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沖合には笠島が見える。
近くにはこの風景を見ながら食事が出来る和食の食堂“海辺”が在って、そちらにはしょっちゅう来ている。
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本当にロケーションが綺麗な店で、小生の御薦めの場所だ。
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料理も美味しい。
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特に金目鯛の煮つけと刺身のついた定食が御薦め!
海辺のアドレスも紹介して置こう。

浜辺を散策し終り、ホテルに戻る途中に天満宮が在る。
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だから佐島マリーナの手前は天神島と呼ばれる。
ここの氏子さんは福本一族だらけ!
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他にも三浦半島には石渡と言う苗字も有るが、この石渡一族は三浦半島東側東京湾側に多く、福本一族は西側相模が湾側に多い。佐島の近くには福本寺なんて寺院も有ったりする。
福本氏は近世~近現代では漁師一族だが、戦国時代の三崎衆で横浜市港南区永谷城主であり祖先が足利尊氏公の従兄弟で関東管領も務めた宅間上杉家の永谷城の居住部分と推測されている伊予殿根と呼ばれた地域からそう遠くない鎌倉街道側防衛拠点となる丘近くには福本家が住んでいる。恐らく横浜市港南区の福本家は上官の宅間上杉規富(のりとみ)公に与力として仕え、この佐島界隈から現在の横浜、昔の鎌倉郡永谷郷に移住して現代に至るのだろう。つまり、この佐島が港南区の福本氏の出自だと思われる。
更に福本家の前身は恐らくは鎌倉幕府初代侍所別当の和田義盛公の水軍の将だろう。近くの長坂の無量寺は和田義盛公の開いた御寺だし、隣の芦名地区は和田義盛公の御子孫で奥州の大名芦名家の発祥地であり、最近宅地造成された辺りは芦名城の推定城域だったりする。
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港町なので猫チャンにも会えた。また来るねぇ~♪
1日宿泊した筈なのにホテルで1時間仮眠をして(笑)からチェックアウトして、三浦市下宮田の行きつけの農園、石井農園の直売所のザ作兵衛に立ち寄ったが生憎休みだったので、違う店某直売所で西瓜を買ったが美味しくなかったので写真載せない。
ザ作兵衛は外れ無く絶対に甘いのに・・・
週末に納経で海蔵寺再訪の際にザ作兵衛での西瓜購入にリベンジするとこの日の夜に誓った。
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さて、帰り、御昼時も少し過ぎていたので横浜横須賀道路の横須賀PAで名物を食べて帰る事にした。
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横須賀海軍カレーパン
横須賀ビーフシチューパン
湘南名物のグレープフルーツ、湘南ゴールドのサイダー
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しかしアレだな、写真で改めて見るとシチューだかカレーだが見分けが付かん(笑)!
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多分こっちがカレー。
両方とも美味しいので、横須賀PA立ち寄る機会が有る人には是非お勧め!
この時に新商品の岡山白桃ソフトクリームを発見して「横須賀で何故に岡山?」と思ったが、週末に再訪する際に絶対に食べるとこれも決定!
う~ん!
佐島マリーナの御蔭で夏季繁忙期と家での仕事で12時間働き内職の某執筆等で連日最低14時間以上働きボロボロの心身も癒され、美味しい物も食べて、殿様にも命日にいつも守って下さる感謝の挨拶出来て、海蔵寺の御住職様とも三浦の御家臣の子孫とも御話で来て良い休日に成った!
ちなみに小生は三浦の殿様も尊敬し同様にライバル北条家の殿様達も尊敬している。
だから、民百姓の為に働いた英雄は英雄で敵も味方も大好きなんだな。これを小生は自分で日本神道に近い考え方だと思っている。

さて、次は週末に海蔵寺に納経し、天然記念物地形の諸磯隆起海岸の写真撮影と三崎漁港海南神社こと筌籠辯財天の例大祭を見学し、紀ノ代で美味しい鮪を食べた休日雑記を書くと思います!

では、又、次の記事で~!
皆さん、蒸し暑い日が続きますので夏バテしませんように~!
ちゃんと御飯食べて、水分補給して下さいね~。

あと、週末は横浜市長選挙です。
ちゃんと林文子市長の支持母体がどんな人達なのか、連投させて問題な支持勢力が背後にいないのか、何でカジノ作りたがってるのに公約に掲載していないのか理由を調べて選挙行って下さい・・・
以下記事参考までに。



佐助稲荷神社
御祭神:宇迦御霊神(うかのみたまのかみ)=倉稲魂神
開基:不明
中興:征夷大将軍 源頼朝公
住所:鎌倉市佐助2-22-10
アクセス:鎌倉駅から徒歩15~20分程度
映画ドラマのロケ:駆込み女と駆出し男
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この鳥居が連続する風景が京都ではなく鎌倉に在る事を御存知でしょうか?
皆さんは鎌倉市に観光に行かれたら、やはり由比ヶ浜の海や鶴岡八幡宮、または小町通りでショッピングや食事を楽しむんでしょうか?
小生は八幡様にも御参りしますが、浄明寺地区と扇谷地区と佐助地区を季節の変わり目に好んで散歩します。 その地域は鎌倉市がまだ郡だった頃の原風景が残る風致地区で、神社や御寺が緑に囲まれていてとても景色が良いんです。
佐助地区には源頼朝公が再興した佐助稲荷神社と言う御稲荷様が鎮座していて、ここが特に日本らしい清々しい神々しい雰囲気を漂わせています。
実はここ、昨年2015年公開の‟駆込み女と駆出し男”でも登場した神社なんです。
駆け込み女と駆け出し男
映画の舞台はこの佐助稲荷神社や北鎌倉の東慶寺と七里ヶ浜を中心に物語が展開します。
女性の主権が儒教のせいで軽視された江戸時代、DV夫から逃げた女性が離婚し、恋愛し再婚する物語。

女性救済の寺院、北鎌倉の東慶寺と映画「駆け込み女と駆け出し男」
映画に興味が有る人は↑上のリンクをクリックしてご覧下さい。
ここは伏見稲荷大社みたいに全山が稲荷社と言う訳ではありませんが、谷戸の奥、宅地開発が規制された場所に佇んでいます。

入口には下社と言うか社務所と縁結びの観音様が有るのですが、 そこに至る住宅街には少しお洒落な住宅兼店舗のカフェも数件有ります。
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 こんな感じ。この辺りは御金持ちの家が沢山(笑)。
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 この道の先が佐助稲荷神社。
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参道にこの御社が登場しますが、ここは下社ですから!この先にもちゃんと行ってくださいね!
ここだけ拝んで帰ったら、兼好法師の石清水八幡宮詣でみたいな事に成っちゃいますよ(笑)。
でも、ここも大切な場所ですから、拝んで下さい。そして横に在る祠(ほこら)にも注目して下さい。
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 この十一面観音菩薩様は“縁結びの御利益”で昔から有名な場所です。
今でこそ外に在りますが、恐らく明治時代に神仏分離令が出るまでは先程の御社の中に祀られて佐助稲荷神社を参拝する人々を見守って下さっていたんだと思います。
今は外に出て御参りしてくれる人に縁結びの御利益を授けてくれます。
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さて、何故(なにゆえ)、ここの地区名の由来に成った佐助稲荷神社が、この社名に成ったかと言いますと、源頼朝公の御父君の源義朝(よしとも)公が平清盛に合戦で敗れ、更に愛知県の知多半島で家臣の長田忠致(ただむね)に暗殺されると、源頼朝公は伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)、現在の伊豆の国市韮山に抑留され浪人生活を送る事に成りました。
この後、北条政子と婚姻関係と成り北条家や旧家臣団の一部と共に石橋山の合戦で挙兵し、その後の鎌倉幕府樹立と成るのですが・・・
この伊豆に居た時代の頼朝公の官職は右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)を辞職し無官だったので、頼朝公の通称は前(さきの)右兵衛権佐殿と呼ばれていました。
その頃、頼朝公は三日三晩夢にうなされ、この地の御稲荷様が老人の姿で頼朝公の夢に出て挙兵を促(うなが)したので石橋山合戦を起したそうです。
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つまり、ここは下社の十一面観音様は縁結び、奥社の稲荷大神こと宇迦御霊神は頼朝公を出世させた出世稲荷として御利益が昔から超有名だったんですね。
頼朝公=前右兵衛権‟佐”を‟助けた”から、この御稲荷様が以降、佐助稲荷神社と言う名で呼ばれる様に成ったそうです。
その御縁で頼朝公から社殿を再建され、現在の稲荷社の基礎が復興されました。
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ここは冒頭でも紹介しましたが自然豊かで静かな場所です。
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小さな鳥居のトンネルをくぐると参道の階段に辿(たど)り着きます。
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ものすご~く神社神社した神社でしょう?
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鳥居と夏の終わりの緑も綺麗ですが、この境内には楓が沢山有ります。
今年は昨年と異なり涼しい秋に成るのできっと、紅葉も色づきが綺麗な事でしょう。
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ちっちゃい御稲荷様が沢山!
鳥居を潜って正面の社殿は拝殿です。
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御本殿は、背後の階段の更に上に在ります。
でも先ずはこちらで御参りして、それから境内の本殿等を散策しましょう。
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小生、先週写真撮影に御参りに上がって新しい御朱印帳も延喜式内社以外の神社使用に購入しました。
ここは宮司様が坂ノ下地区の御霊神社と兼任で務めておられます。
実は御霊神社の先代宮司の小林前宮司様は昨年御隠居されてしまいましたが、その小林様はもの凄い家系の方だったんです。非常に引退が悔やまれる。
と、言うのも鎌倉の権五郎御霊神社は鎌倉景正(かまくらかげまさ)公とその祖先の平良文(たいらのよしふみ)公が御祭神で、この御二人は上杉謙信の御先祖様にも当たる方々です。
その平良文公の居城の村岡城を姓にした直系の御子孫で、代々村岡家が御霊神社の宮司様を平安時代以来務めていましたが、小林前宮司様は女性だったので結婚し姓が変わり、更に跡継ぎがいなかったので現在の宮司様が外部から赴任する事に成り、その1100年近い御祭神の直系子孫が宮司を務める伝統が途絶えてしまったんです。
しかし、職員様の御話しでは新しい宮司様あ血縁こそ無くとも、とても熱心な方でどうやったら廃(すた)れつつ有る古来の伝統を未来に残すか日々チャレンジされているそうです。
御朱印を頂きましたがとても新しい宮司様は字がとても綺麗でした。

←以前紹介した御霊神社の記事。

さて、佐助稲荷神社に話を戻します。
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小さな本殿には沢山の折なり様がビッシリ奉納されていました。
可愛いけど少し多すぎ(笑)。
佐助稲荷神社は境内の左手にも古い御社が在りました。
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なんだか童話に出て来そうな雰囲気の場所。
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小さな神様の祠が沢山在りましたので、恐らく昔の境内社の何某かの神様が祀られているんだと思います。
詳細は不明。
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下に又降りて来て拝殿の右側に廻り、その奥に行くと・・・
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こんな場所が有ります。
自然湧水。
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昔の宇賀神信仰に欠かせない自然の湧水。
現在の手水舎の水は、この水が引かれています。
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社務所で御守り等も販売しています。是非!恋人同士デートで御参りして見ては如何でしょうか?
近くには‟銭洗い弁天”として有名な‟宇賀福神社”も鎮座していて徒歩で直ぐに行けます。
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ここで御金を洗って金運アップを祈願して、佐助地区から武士達が往来した‟化粧坂(けわいざか)の切通し”を散歩すると鎌倉の原風景を巡るコースを散策できます。
化粧坂の切通しを抜けて扇谷地区まで行くと、海蔵寺が近くに在ります。DSC_2487
海蔵寺は十六井と呼ばれる文化財の井戸と春に咲くカイドウと言う花が綺麗で有名な御寺も近くに在ります。
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ここも観光客が良く訪れる場所です。
そこから小町通へ歩いて行く途中には英勝寺と言う御寺も有ります。
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ここは紫陽花(あじさい)で有名な場所ですが、実は徳川家康公の側室として寵愛された‟お梶の方”様の開いた御寺であり菩提寺でもあります。
だから、お梶の方の御廟所は東照宮の様な唐門でとても綺麗な建築物も有ります。そして御梶の方様の御先祖で関東一の名軍師だった太田道灌公の旧屋敷地でも有るので、こちらも御参りすると恋と知恵の面で御利益が期待できそうですね!
そして小町通を目指して歩くと、途中で名刀正宗を平安時代から製造する刀鍛冶の正宗工芸さんも在ります。
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ここでは日本刀を作る各段階の実物が店先に展示してあって自由に見学出来ますし、刀以外にも御子孫が正宗の技術で鍛える包丁やナイフも購入出来ます。夫婦の散歩なら包丁を買って帰るのも良い財産に成るかもしれませんね。
正宗工芸を過ぎればもう小町通・・・
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夕暮れ時の小町通は、ほんとに映画の世界に入り込んだような雰囲気ですよ!
そして日没直後の鶴岡八幡宮・・・
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なかなか日没後に参拝する人はいませんが、運が良いと夕暮れ時に松明(たいまつ)の中を歩く婚礼の儀式を見る事が出来ます。
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どうです?
佐助~化粧坂切通し~扇谷~小町通り~夜の八幡宮散歩、とても幻想的で良いでしょう?

もし気に入って頂けたら、是非!佐助稲荷神社、素敵な場所なので御稲荷様に会いにいってあげて下さい!
きっと御稲荷様も喜んでくれると思います。
・・・そして、鎌倉の武士達が歩いた空気を感じてみて下さいな。

では!又、次の記事で御会いしましょう!



 

前回の記事が7月30日の休日雑記なので前後してしまうけれど、7月16日の休日雑記も兼ねた❝三崎漁港❞の❝海南神社❞の例大祭を紹介したい。

2016年07月11日が尊敬する三浦義意公の太陽暦での命日だったので連休を取り菩提寺への御参りと御廟所への献花をするがてら横須賀~観音崎~三崎~城ケ島~油壷~諸磯~三浦海岸を旅行した。
…横浜に住んでいるので車で45分程度の距離、本来は宿泊する必要も無いのだけれども三浦半島をたまにはユックリ旅して見ようと思った訳だ。
その時に、宿泊先の給仕係のオバちゃんと三崎城址のローカル知識を御教授下さった三浦市の教育委員会の方に、「週末16日に行われる海南神社の例大祭がとっても賑やかだから是非、見学に来られては如何か?」と観光の御推薦を受けていたので「是非にも!」と約束をした事を守る為にも、美味しい物を食べる為にも御祭りを見学する事にした。
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真ん中で鉾(ほこ)を持ち、天狗面で左右に部下を従えて立っているのが猿田彦(さるたひこ)を演じる氏子サン。
猿田彦は天照大神系の武御雷(たけみかずち)神等、敵方の軍勢を先導し出雲神族の神域への侵攻させた❝出雲系の神様❞で神楽等を司(つかさど)っていた。
だから祭りの先頭にたっているんだろう…

この日の祭りは12時から海南神社で神事がスタートすると三浦市役所の方に聞いていたので家を10時に出て、御寺で写経をして11時に横浜を出発したのだが、生憎(あいにく)と夏季の三浦半島の観光地はどこも繁忙期で高速道路も一般道路も全て渋滞…
三崎漁港の海南神社に到着したのは12時半頃だったが、まだ海南神社の境内では神輿の担ぎ手が気勢を発し大声を上げて町内の人々や観光客で盛り上がっていた。
どうやら三崎町の町内各地区に何基も神輿や山車が有るらしく、地区毎に順番に海南神社で出発の儀式をやるらしい…
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だから商店街にも待機している山車が沢山いたんだね…
先に出発した神輿も見かけたので「もう神社の御祭りは終わったのか?」と勘違い。
だってね…
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お好み焼きの屋台も、❝ちんちん❞焼き(笑)の屋台も観光客が全くいない!
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海南神社に向かう途中は焦って小走りに成ってしまった。
因(ちな)みに❝ちんちん焼き❞なんてハマっ子の小生も三崎町でしか見た事が無い(笑)。
なんか卑猥(笑)な名前だが、オノマトペで「ちんちんに熱い」とか言う熱さを表現する言葉が恐らく名の由来だろう。
しかし、そんな懸念は何のその、到着した海南神社は参道は人出溢れかえり、寧ろなかなか境内に入れない程だった。
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ものすっごい活気!
新興住宅地だれけの横浜市内では廃れてしまった昔ながらの御祭りの活気!
そして漁師町=三浦水軍=北条水軍の町だけあって、参加者の町民がワイルドな人が多い(笑)。
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担ぎ手たちが神輿を持ち上げ激しくゆする度に観客達から「オオぉ~っ‼」と言うどよめきと歓声と拍手が巻き起こる。
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海南神社は狭くはない境内、寧ろ中の上位の敷地が有る。この時は境内に神輿が3基残っていて氏子と参拝客と観光客でゴッチャゴチャ(笑)で狭く感じる程だった。
しかしながら、この様な活気有る御祭りは横浜に現存しないので非常に羨ましい。
実は❝ちんちん焼き(笑)❞の強烈な名前を見て思い出したのだが、多分、小生は過去に数回、この海南神社の例大祭を偶然見ていた。
この神社を支援した鎌倉時代の水軍大将で三浦家当主の三浦義澄公に引き寄せて頂いたんだなぁ~としみじみと思う。
病気で辛かった時期に、本当に三浦半島の海に癒されて回復する事が出来たのも御縁なのだろう。まぁ、当時の彼女さんの存在も有ったのだけれど、三浦家の殿様達にも、昔の彼女にも、三浦の風景にも、三浦の海にも、親切な三浦の人々に感謝しかない。
さて、海南神社はこの例大祭の外にも源頼朝公由来の❝チャッキラコ❞と言う神事が有る。2014-01-15-13-52-26
ユネスコに❝世界無形文化遺産❞に指定されている、町の御祭りだ。
※チャッキラコを紹介した以前の記事は「ココ」←クリック!
頼朝公の宿泊する各季節ごとの異なる別荘が三崎町内にいくつか在ったので、この様な頼朝公所縁(ゆかり)の祭りが伝承しているのだ。
因みに、三崎漁港だけでも❝桜の御所❞と❝椿の御所❞が嘗(かつ)て存在した。頼朝公もこの地の風景と人と食事が好きだったのだろう。同地は源頼家公や源実朝公も滞在されたそうだ。
現在では鮪の水揚げが海外勢に押され気味で江戸時代~昭和初期の活気は無いが、平安時代末期~戦国時代の鎌倉文化と水軍の町の色が現在も多く残る土地でもある訳だ。
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町の中にも幾つも山車や神輿が繰り出すので、次第に普段は過疎に成りつつある三崎漁港が全盛期の活気を取り戻していく…
その様にも感慨深いものが有る。

海南神社の夏季例大祭の賑やかさは伝わったと思う。

ここからを休日雑記代わりの07月16日の日記部分としよう。
御神輿に随伴しながら賑やかな御祭りをひとしきり見て満足したら、大好きな三崎漁港の商店街をプラプラ散歩、つい4日前にも、この三崎に宿泊した直後だけど飽きない。三崎漁港は良い…
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昭和の雰囲気を残す建物が多く有る。写真館とか蔵屋敷とか…
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駄菓子屋さんとか…
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玩具店も…
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懐かしい昭和のオモチャ屋さんぽい感じ。
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この町で育ったら、根性ねじ曲がった人間には成らなそうだ。何だか町全体で子育てしてるような人々の繋がりを感じる。
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三崎町は映画ドラマの撮影にも協力していてNPO法人❝三浦映画舎❞なんて団体がいて、休日だと上の写真の展示館で撮影された作品の撮影中の写真や芸能人のサイン等が展示されている。
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現在放送中のドラマ❝仰げば尊し❞の撮影にも関与している様で、三浦半島の風景がドラマ中に多く登場する。
その事は最近、ブログで紹介したので御興味有れば見て貰うと、ロケ地が書いて有る。
】←ココをクリックで記事にリンク!

一しきり散歩して御腹が空いて来た所で、昼食をとる事にした。
昼食は城ヶ島でとると決めていた。
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前回、城ヶ島を散歩した際に気に成っていた上の写真、旅館の港屋さんが提供しているヤドカリの味噌汁。
これを食べて見たくて車に乗り移動…
港屋に行く前に北原白秋の歌碑と、記念館を見に行った。
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余り知られていないのだが城ヶ島にも砂浜が有って、そこに白秋記念館も在る。
行くには上の写真の石碑の建つ遊歩道を歩いて行くと良い。
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そこを抜けると城ヶ島大橋の橋脚の下の砂浜に出る。
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北原白秋は東京で隣家の奥方と不倫の後、その奥方の離婚成立を待って略奪愛の末に結ばれて、世間の批判から逃れる様に静かな三浦半島の最南端の三崎に新居を構えたそうだ。
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白秋記念館の職員の方に教えて頂いたのだが…
その時に作詞した歌❝城ヶ島の雨❞の歌詞の舞台がこの島なのだが、当時、姦通罪に問われたり父弟が商売に失敗したり暗い時期の作品なので歌詞も暗い描写に成ったそうだ。
…因(ちな)みに、その不倫の末、結婚した女性は松下俊子さんと言うのだが、1910~1914年の僅(わず)かな期間で結婚生活は終了したそうだ。

北原白秋関連の場所の見学を終えて、港屋に移動。
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港屋は眼前に磯が広がる。露天風呂も有り、親子連れが宿泊すれば良い夏休みを過ごせるだろう。上の写真は港屋の庭からの眺望。
しかし小生の目的はヤドカリ…
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でこれが、シラス丼とヤドカリ。
食べてみたら出汁が美味しかったが、ヤドカリはグロテスク過ぎて箸を付けれなかった(笑)。
シラス丼はただシラスを載せただけでなく、御飯に紫蘇の香りがして、とても美味しかった。
周りの客層は熟年夫婦~若いカップル、友達同士と見える連れ等、幅広い年齢層の御客さんで賑わっていた。
前回、この旅館に興味を持った時は平日の昼間に散歩に来たので余り活気は無かったが、この日は土曜日だったので非常に多くの観光客で賑わっていた。
どうも京浜急行電鉄と城ケ島・三崎町がタイアップしているらしく、その観光客が多いようだ。
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だからかは不明だが、多くの芸能人も宿泊しているようだ。
まぁ~これだけ眺望の良い旅館で新鮮な地魚料理を食べれるなら人気あるのも納得。
…いつか泊まりに来よう。

さて…
城ヶ島散歩と腹ごしらえも済み、小網代地区は移動する事にした。
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城ヶ島からは車で20分位だろうか?
小網代には戦国時代最後の三浦家当主である三浦道寸公が開基した海蔵寺と言う御寺が在るのだが、前回の訪問時が丁度、新井城落城から500年、三浦道寸公と三浦義意公の500回忌に当たり、御住職に納経を依頼されていたので約束を果たしに写経した般若心経を持参した次第だ。
小生の遠い遠い祖先は古事記にも登場する、国造で、嫡流の御子孫は大宮司家だったりするのだが、小生は延喜式神名張を編纂させ古代の信仰と文化を守ろうとなされた醍醐天皇の時代の価値観を大切にしているので宗教観的には平安時代の人々や鎌倉武士達と同じ神仏両方とも等しく大切に思っているので、神社も御寺も大好きだったりする。
それとは別に文化的な物が大好きなのでキリスト教の教会の荘厳さも又別格に好きだったりイスラム教のモスクも素敵だと思うし、キリスト教の慈愛の精神とイスラム教の友愛と互助の精神も大好きだったりする。
寧(むし)ろ無宗教の連中が嫌い…
宗教を下に見て先人への敬意も払わず文化と史跡を破壊して回るマルクス主義者とかね。
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海蔵寺は一般参拝不可、飛地の境内地の三浦道寸公・義意公の御廟所への立ち入りも一般は不可なのだが、小生は御住職に三浦家や先人に対するリスペクトと宗教的にも神仏を大切にしている事を認知して頂けたので、御寺への参詣と御廟所への参拝の自由の御許可を頂いている。
今回、尊敬する三浦家最後の殿様の御二人500周年に納経の機会を与えて頂いた事は非常に光栄だった。
どうやら、小生の納経した写経は他に依頼した32人の方の分と共に、経塚に入れられ名前が塚に残るそうだ。
これで殿様が三浦の民に愛された歴史が後世に伝わって行けば良いなぁ~と願いを込めて奉納した。
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小生は佐原三浦家と最期に敵対した北条家の善政も尊敬し、北条早雲公・北条氏綱公・北条氏康公と玉縄北条家の北条綱成公もリスペクトしている。そして北条家と対立した扇谷上杉家の中で最後の鎌倉公方に忠義を尽くした武士の鑑とも言える上杉氏定公、扇谷上杉家の家臣で北条早雲公と三浦道寸公の両方とも盟友だった名軍師の太田道灌公も尊敬している。
なので、写経の為書は三浦家の殿様の供養祈願と共に関わった方々の供養祈願ともさせて頂いた。
この様な敵味方問わずリスペクトするのが本来の神道の寛容な価値観でもあり、柔和で静かな哲学を基本とする仏教との親和性でもある訳だが、それこそ日本人の習俗の源だと思っている。
…良く遊び、最後に尊敬する方々へ日本の発展の一端を担って下さった事に対する感謝も感じた有意義な一日に成った。

帰路は横浜横須賀自動車道で帰るのだが、三浦縦貫道路を通らず、一般道から横横に移動した。
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目的は行きつけの農家、石井農園の直売所❝ザ・作兵衛❞に作兵衛ブランドの西瓜を買いに行く為(ため)だ。
ここの西瓜は独自の❝作兵衛ブランド❞で売っているのだが、本当に美味しい!
ここで夏は西瓜や瓜、秋~冬は大根や蜜柑、初春にキャベツを買いに来る様に成って、もう10年位に成ると思う。
毎年何回も買いに来る。近所に横浜南部市場や小柴ファームと言う産直の販売所が有っても、作兵衛には絶対に季節の果実と野菜を買いに来る。この石井農園が好きなんだな~。
今年は看板娘の御婆ちゃんは骨折して治療中、残念ながら会えなかった。無事に治ります様に…
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今年は家族様に普通のサイズを1つと、自分用(笑)に小玉西瓜を購入。
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中にスが入ってるから安くすると言われた通り割れていたがギッシリ実がつまっていて、しかも今年は特に良く出来ていて甘い!
てな訳で、八月中に又買いに行く事にした。
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三浦からの帰路、最早、恒例に成っている横須賀PAに立ち寄りって買い食い。
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湘南ゴールドと言う湘南地方で生産されているグレープフルーツのフレーバーのアイス。
悪くなかった。てか、なかなか美味しい。

ふむ、歩いて知識詰め込んで感謝して充実した良い休日を過ごせた。



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