歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:深沢城

今回の休日雑記は行きの①山梨観光編~帰路の深沢城~なんつッ亭

②深沢城址現地取材と解説
③秦野の拉麺の名店なんつッ亭の解説
②③個別解説記事、この行き帰りの旅程を3つの記事に分ける、紀行文は①に統合する。
②③を分ける理由は、御殿場市教育委員会サンが非売品の深沢城の発掘調査報告書を親切に下さった事と、現地の地主の方に色々と教えて頂く事が出来たので可也(かなり)のボリュームに成りそうなので最初から分けて書く事にした。
なんつッ亭も第2次ラーメンブームを牽引したニューウェーブ系の古谷一郎社長の経営する名店な上に、現在の神奈川淡麗系ラーメンを確立した中村屋の創業者中村君がリスペクトしてやまない御店なので独立記事にしてみた。
後半の②と③の部分も文中にリンクを貼るので御城や拉麺に興味の有る方は是非、御一読頂きたい。
因(ちな)みにコレ⤴中村君が自ら配信してるYouTubeでなんつッ亭の古谷社長がゲストだった回。

では山梨の富士山の名所観光の景色と深沢城観光を振りかえって行こうと思う・・・

2020年9月8日の夜、突如、山梨の山中湖に子供の時以来ぶりに行く事を決めた。
山梨県にキバナコスモスの名所が有ると聞いて場所を知らなかったので(公社)やまなし観光推進機構サンに問合せた所、迅速に御対応頂き‟山中湖村の花の都公園”と言う場所が当該地だと御教示頂いた。
聞いてからムズムズして翌日暇だった事も有り我慢出来なくなった。
ムズムズし出したのは夜中の22時頃・・・
風呂に入りながらスマホのGoogleMapで行程チェックしていたら以前から気になっていた国道413号線も走ってみたくなり下道で行く事にした。
何回か訪れている津久井城址の津久井湖沿いから山道に入り幼い頃に父に連れらて見に行った宮ケ瀬湖の横を通り峠道で山中湖に出る昼間なら森林の香り心地良いであろうドライブコースだった。
当日の旅程はコンナ感じ⤵
2020年09月09日の旅程(横浜~山梨)久良岐のよし
行き⤴横浜の円海山の麓の我家~山中湖村~忍野村~富士吉田市

帰り⤵山中湖村~御殿場市~秦野市~横浜市
2020年09月09日の旅程(山梨~御殿場~秦野~横浜)久良岐のよし
今回の記事は往路(行き)の旅程・・・

さて今回走った国道413号線、道志川沿いの大自然の中を走り抜ける道なので真っ暗な深夜3時過ぎに走っていても、とにかく空気が良い!
道志川沿いキャンプ場 久良岐のよし
そう言えば子供の頃に父に家族でキャンプに連れてきて貰ったなぁ~と両親に思い出を作ってくれた事に感謝を感じたりしながら車を走らせていると、やはり至る所にキャンプ場の案内板を見かけた。
改めてGoogleMapでキャンプ場を検索すると丹沢山系には豊かな自然を満喫出来るキャンプ場が沢山有る事が分かった。
中学生の頃に丹沢の日向キャンプ場とか茅ケ崎の防風林の中に在(あ)るキャンプ場にキャンプしに子供だけで友達と自転車で行った事も思い出したりした。懐かしいなぁ~。
自転車で1番遠くい行ったのは小田原城だった。帰りは自分の自転車のチェーンが外れたりパンクする奴がいたり、散々な目に遭ったが凄く楽しい思い出かな・・・
まぁ、そんな事を思い出す良い機会に今回の国道413号線の夜間ドライブは成った。

山中湖の湖畔に到着したのは朝の5時位、湖畔のセブンイレブンでエナジードリンクとコーヒーとオニギリ1個だけ買って7時半位まで約2時間前後、仮眠させて貰った。
起きてからノンカノリーのモンスターエナジーを飲んで行動開始!
最初に訪れたのはセブンイレブンの直ぐ近くの平野の浜・・・
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山中湖 平野の浜
ここはGoogle衛星写真で富士山と山中湖の位置関係を見ていて事前に見つけていた富士山の撮影ポイントなんだけど、実際に訪れてみてとても綺麗だったので朝の爽やかな湖畔の空気と相まって非常に清々しい気分に成った♪
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この少し後で岬キャンプ場の管理人さんに聞いたのだけど、夏の長雨で今年の山中湖は水位が高いらしく、確かに改めて写真を見ると船着き場の桟橋が湖中に取り残されている。
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でもコレはコレでとっても綺麗かな?
この写真の右側に見える‟こんもり”とした森が山中湖の中に突き出す‟岬”でキャンプ場に成っている。
平野の浜の景色をデジカメとスマホで撮影し終わり、岬キャンプ場に移動してみる事にした。
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みさきキャンプ場
先(ま)ず受付で管理人さんに質問させて貰おうと事務所を訪れるとTV的には余り実績はないけれどYouTubeで有名になった‟レぺゼン地球”のサインが有った。
結構キャンパーには有名なキャンプ場らしい。管理人さんによるとBBQも受け付けているそうだ。

中学生の頃に友達と自転車でキャンプに行っていた小生は、今では余りキャンプに関心は無くなってしまい、寧(むし)ろ三浦半島の海岸で条例違反の地面に直火で焚火をしたりゴミを放置したり故意にガラス瓶を割って捨てる等の浜辺を荒らす低モラルなキャンパーに多くて、キャンプ愛好家やロッククライミングやボルダリングを趣味にする人に対し複雑な感情が有る側だったりする。
でも、ちゃんとキャンプ場に宿泊する人にはマナー悪い人は少ないだろうね。
色々とキャンプ場に関する質問をさせて頂き湖畔の写真を撮影し終わると丁度、花の都公園の開園時間の8:30に近い時間に成っていたので次の目的地に移動した。
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長池親水公園
長池親水公園、ここは公衆トイレも有るし昼間なら飲食店も周辺に立ち並ぶ。長距離運転してきたパパさんや彼氏さんにはココは良い休憩ポイントに成ると思う。
一応ここにも立ち寄って富士山を撮影してみた。
この長池親水公園から車で10分くらいで‟山中湖村 花の都公園”は所在する。
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8時半を少し回って駐車場に到着、事前に‟やまなし観光推進機構”さんに情報を聞いてホームページを見ていたので富士山と花畑のコラボした風景に高い期待値を抱いたまま来たが、駐車場と道を挟んで反対に見える一面の花畑に既に興奮(笑)。車を停めて直ぐに花畑に向かった。
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山中湖村 花の都公園
ここに関しては前回、沢山の写真を張り付けて有る個別記事を書いているので、御興味有る方は是非、そちらを見て頂きたい。
この記事⤵
ここの風景はとにかく綺麗なので、富士山や忍野八海観光で訪れる際にスルーしてしまうのは非常に勿体ない!富士山の写真撮影大好きな小生としては‟超推薦”の景勝地。
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今は百日草が見頃。
他にも秋桜とかサンチェパンスとかが見頃だった。
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小さな子供には退屈かも知れない(笑)けど大人なら恋人同士でも夫婦でもデート行ったら本当に良い時間を過ごせる場所。一頻(しき)り写真撮影して散歩して回り駐車場に戻り、朝食がオニギリ1個だけでは未だ空腹だったので売店で少し買い食いする事にした。
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小生が選んだのはコレ⤴シャインマスカットのカップに入った食べきりタイプ!これは販売者の運転者に対する配慮が嬉しい!御腹いっぱいにすると眠く成ってしまうので量も偶然丁度良いが、カップに入っている事でドリンクホルダーに置いて運転しながらパクつく事が出来る。果糖なので脳味噌の疲れも回復出来て非常に良い。
車に乗ると、これを食べながら次の目的地の忍野八海に向けて出発した。
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忍野八海に到着。
とにかく目にする川も湧水池も水が素晴らしい透明度で綺麗!

車を降りて暫く、駐車場の目の前の川の綺麗さに目を奪われていた。
この川は濁池から流れ出している。
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この写真の‟濁池”の近くの私設駐車場に車を停めて散策開始♪
昔は水田耕作地が少なかった山梨県、武田信玄による大治水工事と水田開発は有名な話だけど、この豊富な水の御蔭で早い時期から忍野村には人が定着していた様で一定の人口が有り、戦国時代の北条家にも重視された様だ。
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忍野八海
上の写真は‟湧池”、近くによるととっても水が青い!
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なんかの化学変化で青いのか、以前ブラタモリでタモリさんが解説を聞いていたのだけど、ちょっと今、青い理由が思い出せない。
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とにかく綺麗で、この場所の空気も歩道は日影が無いので直射日光は暑いけれど、木陰に入ると山から降りてくる空気自体は涼しい。
湧池から直ぐ近くの売店の沢山有る方に歩くと観光地として整備された少し不自然な護岸を持つ池が村の中心に有る。
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この池の真ん中に円形の見学歩道が有り、そこの水がとても綺麗!
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写真だと伝わらないけど深さは10m位有ると思う。
この傍らの売店で忍野村の湧水を飲む事が出来る場所が有った。
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これね。飲んだ感想としては富士山の麓なんだけど同じ富士山系の湧水が多く湧く横浜の打越の霊水やワシン坂の霊水のバナジウム天然水の軟水とは少し違って、水が硬い印象を受けた。
硬水なのでコーヒーとか沸かしたら美味しいかも知れない。
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この飲用湧水の有る売店で売っていた草餅が気に成り思わず買い食い(笑)。
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草の風味が大好きなので、焼き目の香ばしさと相まって美味しかった。
続いて、ここの奥にある鏡池と菖蒲池を見物・・・
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鏡池は先程の池の再整備の影響か、現在では余り鏡の様な美しさが見られない。
人間が作為的に手を入れない方が良い例の一つと言った所だろうか?水路の水量が先程の池に集中してしまってか、こちらに流れ込む水は余り豊富な水量が無くなってしまった様だ。
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或いは、車道の整備で水質が低下したのかも知れない。
そこから菖蒲池に移動・・・
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こちらも人為的な工作物のせいか水質が余り良くない、恐らく昔々は周辺の畑地化した場所や背後の建物の土地も湿地で菖蒲が自生していたんだろうと地形的に推測できる。今でも菖蒲の季節には、とても綺麗なんだろうね。
この菖蒲池の奥に公衆トイレと旧家を利用した茶屋が有り、建物が素敵だった。
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残念ながら訪問時には茶屋がやっておらず、別の池に移動する事にした。
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次に移動したのが‟榛の木林資料館”と、その敷地内に在(あ)る‟底抜池”。
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ここは忍野村の庄屋さんで戦国時代まで今川家臣→武田家臣→北条家臣だった渡辺家の私有地。
ここで戦国ファンには是非見ておきたい展示物も有った。
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北条家が渡辺家に対して発給した参戦を促す文書、内容的には天正壬午の乱の時に甲府に攻め込む兵力を準備させる内容で、「独自侵攻しても良いよ~(戦争の準備しとけよ!)」って自主性を促しながら半分強制してる(笑)モラハラ上司の命令の仕方みたいな文書。
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靴を脱げば、昭和50年頃まで渡辺さん一家が暮らしていた御屋敷を見物出来る。
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立派な置時計も有ったり、生活感も残ってる。昭和生まれ世代には田舎に来たような感じになる場所。
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敷地内にニジマスを放流してある池も有って、そこでは魚を触って良い自然に触れれる展示もしてらっしゃる。
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東京や横浜のコンクリート住宅地域で育った子供を連れてきて自然の水の冷たさを体感させてあげるには良い場所だと思う。
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ここが渡辺家の敷地に在る銚子(ちょうし)池。
今では水深は浅いが、ここでの生活が無くなって池の手入れもされなく成り藻や土で埋もれてしまっているのかも知れない。元々はここは豊富な水量が有り、ここで食器等を洗い物していて池の底に落として紛失すると、近在する釜池から落とした物が水と一緒に湧き出す位豊富な流量の水が地底水脈に流れていたそうだ。
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銚子池よりも渡辺家の敷地の真ん中に有る大きな池の景色の方が美しい。
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一頻り見物してから釜池に向かって移動・・・
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・・・途中の川の水もとても美しい。
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御釜池の石碑。
忍野八海は各池が明治まで天台宗系修験道の聖地化していたらしい。各池が神仏の聖地霊場に見立てられていた様だ。
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釜池。光の反射で見えないけど底は深く5~6m程有った。
可哀想に池の底には誰かが落としたスマホが見えた(笑)。
新型肺炎の流行以前は中国台湾や欧州からも沢山の旅客が来ていたそうなので、もしも外国からの観光客が沢山日本旅行の写真を撮影したスマホを落としていたのなら少し可哀想だな・・・。
日本人ならまぁ、クラウド上にバックアップとって有るだろうし、まめな人ならPCやハードディスクに写真コピーしてるから問題ないだろう。
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釜池から川沿いを歩いて駐車場に戻る途中、スマホ落とした人が外国人旅客だったら日本旅行に来る外国人は滞在期間が数日間と長いから、絶対にバックアップしてないだろうなぁ~・・・
とか
・・・その後、沢山旅で楽しい事が有って良い思い出を持ち帰ってくれていたら良いな~とか少し考えてた。きっと日本人でも外国人でも、落とした人の連れ合いの人が沢山写真を撮ってSNSで共有してあげてるはずだから平気だね!
一人で旅するのなんて、この日も小生しかいなかったし(泣)。
車に乗って出発、移動時間は又10分!
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鐘山の滝に移動。
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すんごい自然の渓流が富士山ミュージアムの駐車場と道を挟んで直ぐ横に在る。
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川沿いに出るには遊歩道が最近は手入れされていないようで少し危険度が高いけども、滝壺に近い方から降りるコースは危険度が低いので大人なら安全に見物できる。

動画の方が流れの速さとか良くわかるかな?

とにかく爽快感と森林の香りが気持ち良ぃ~い♪
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明らかにーイオンたっぷり!凄く癒される♪
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鐘山の滝
写真だとやはり迫力が伝わり難(にく)いのかな~?実際は可也の激流だし、滝壺にはーイオン満ち満ちた水飛沫(しぶき)が吹き上がり、残暑の観光には本当に良い場所。

凄く良い場所なので、忍野八海に行く予定の有る人は無料だし見て水と風を感じ観光する価値の有る場所なので是非、訪れてみて欲しいかな?ここまで来ると富士吉田市との町境近くなので、美味しい吉田うどんの名店もいくつも近所に有るし。
これで富士山が例年通り山開きされていたら忍野村や山中湖村から車で観光しやすい場所に在る。
山中湖村~忍野村~富士吉田市は観光地として実に名所旧跡が近在していてコンパクトに廻れる利点が有る様だ。
滝の隣の富士山ミュージアムに車を停めさせて頂いて、見終わってから富士山ミュージアムで地域の文化歴史を見ても良い観光に成ると思う。
実は富士山ミュージアムで吉田うどんの一覧ガイドを頂く事が出来る。
直ぐ近くには‟道の駅 富士吉田”も有り、ビアガーデン的な場所や吉田うどんを食べれるフードコートも有るらしい。
小生は最初から吉田うどん専門店で昼食をとる計画だったので、滝を見終わってから頂いたパンフレットとGoogleMapで位置関係を調べて山梨県富士吉田市の名物‟吉田うどん”を食べる為に‟ほり端うどん”と言う御店で食事する事に決めて車で再度移動・・・
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ほり端うどん
この店に来て駐車場からビックリしたのは車のナンバーが圧倒的に地元の方が多い!そして満車。
どうやら地元の人気店を小生は選ぶ事に成功したらしい♪
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御店の中はこんな⤵感じ⤴
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元々は民家だった場所を吉田うどんの飲食店として改装した様だ。
アットホームな雰囲気で実に良い♪
地元の方の注文はメニュー表に注文数を記入して渡すシステムだそう・・・
そして値段を見てビックリ!
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安っす!
何これ安い!東京横浜のラーメン店が如何に価格の大半が家賃で占められているかが解る。
小生は‟肉きんぴらうどん”550円

‟ミニカレー丼”250円を注文。
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天かす入れ放題らしい。
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あと辣油?みたいの。
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肉きんぴら饂飩&ミニカレー丼到着う~♪
安いから量が少ないのかと思ったら量もシッカリしてんだよね・・・
ミニカレー丼、余計だったな(笑)。
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饂飩到着後さっそく天かす&七味唐辛子を投入~!
めちゃくちゃコシが強いんだよね、吉田うどん!
小生は吉田うどん体験は今回で2回目、前回は4年前に大月市の岩殿山城やリニア実験線と猿橋観光の時に大月で食べたが、やはりコシが強く南関東人なら誰でも好きになる感じだった。
 この‟ほり端”さんの饂飩はコシが強いだけなく、出汁も関東人の好きな味♪
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モチモチした麺と出汁、両方とも凄く美味しかった♪
本当に美味しかったので、恐らく御店の御嬢さんと思しきホールスタッフの方と色々と情報収集の雑談をしてブログに書く許可も頂き、帰りに大将に「おいしかったです~、御馳走様でした~!」と御礼を行って店を後にした。
次の目的地は富士山の写真撮影で超有名な‟外国人観光客発信”で逆に全国の日本人が後から観光に行く様に成った場所で、ほり端からは車で30分弱・・・
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・・・そこは新倉富士浅間神社と言う富士吉田市の山の斜面に在る古社。文武天皇によって慶雲三年(705年)に開かれた神社だそうで実に1300年の歴史を有する。つまり延喜式内社ではないものの、式外社に該当する由緒正しい神社と言う事に成る。
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もしかしたら浅間神社なので平安時代には修験道の聖地化したりしていて神名帳に記載されたかったのかも知れない。これは神奈川県でも良くある話だが、倭武(ヤマトタケル)命の立ち寄った集落や補給拠点の湧水池が聖地化した場所も修験道場や仏教寺院かしていて神仏習合の霊場に成っていると延喜式神名帳に記載されていない古代からの御社が多かったりする。
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新倉富士浅間神社
‟目的の場所”に行く前に先ずは社殿でちゃんと御祭神に拝礼。
主祭神は浅間神社だけあり富士山が化身の木花咲弥姫と、父神様で伊勢原市の大山が化身である大山祇大神。訪問日はたまたま摂社の荒濱神社の祭礼が行われる日だったらしく、氏子さん宮司さんがバタバタと忙しそうだったが質問すると巫女さんも氏子さんも丁寧に解説をして下さった。
無論、御朱印も拝受した。
御朱印待つ間、摂社の荒濱神社を参拝。
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こちらは機織りの神様で、昔は養蚕が盛んだった山梨県らしい神様。
現代では織物が縦糸と横糸を交互に編んで一枚の布に成る様から縁結びの御利益の神様としても信仰されているそう。
・・・縁結びの御願いしそびれたぁ~!
小梅太夫「チックショォ~!」
・・・と言わなくても、神様はきっと自分が人を幸せに出来る力が備わった時点で良縁を自然に結んで下さると思うので気にしない(笑)。
この時は山梨県の方々の産業振興と文化存続を祈願した。

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御朱印は3タイプ有ったが一番オーソドックスなものを拝受した。
社務所を後にして、そこから富士山の絶景で有名な境内の名所に移動・・・
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・・・はスンナリ出来ず御祭神の木花咲弥姫とゴロも合ってる398(さくや)段有る‟さくや階段”を登らないと見たい景色は見れない。
階段は下層部分は余裕に見えた。
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でも~・・・上に登り進めると次第にキツさが増す角度(´;ω;`)ウゥゥ
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「長ぇ~よ(笑)!」
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階段の途中、富士吉田市を見渡せる。
因みに、この日の午後は既に富士山が雲に隠れていたので富士山の位置関係確認と富士吉田市の景色を見て見たかったから一応ここに来た。
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登り切ると明治天皇の銅像が立ってたい。厳重に囲まれているのはイタズラする罰当たりでもいるんだろうか?今時分、日本人でも頭スッカラカンのチャラチャラした目立ちたがり屋とか普通にいるから仕方ないのかもな。
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そして目的地に到達!
・・・少し「富士山、運が良ければ雲の切れ間から見えるかな?」と思ったけれど、やはり今回は富士吉田市の街と富士山の位置関係を確認出来ただけで満足するかな。この写真だと「ここどこ?」と思う人もいるだろうからもう一枚・・・
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これなら見た事有る人も多いでしょう~?
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良くニュースでも登場する外国人観光客に人気の桜と富士山の撮影スポットだね。
来年の春に、もう一度来たいと思う。場所も確認したしね~♪
一応、山梨県内で今回観光する予定だった場所はコレで7箇所全部廻ったのだけど花の都公園の職員さんに聞いていた‟紅富士の湯”と言う天然温泉のスーパー銭湯施設に立ち寄ってから、最終目的地の静岡県御殿場市の深沢城址に移動する事にした。
新倉富士浅間神社~紅富士の湯は車で20分前後と近い!
本当に、山梨県の山中湖~花の都公園~忍野八海周辺は観光スポットが凝縮していて便利だ。
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山中湖温泉 紅富士の湯
何かね・・・全っ然、銭湯って感じじゃないの、外観が!超立派( ゚Д゚)ノでビックリDa-Yo!
普通に箱根の温泉ホテルみたいな立派な造り。これで宿泊施設が有っても全然違和感ない。
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玄関、マスク着用でアルコール除菌をして入館、中でも検温と感染対策もバッチリ!
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入力の受付は券売機で必要なサービスを選択して料金を支払って、発見された券を受付で渡すシステム。まんまスーパー銭湯と同じだから楽だね。
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ロビーや御土産物屋の立派さよ!完全にホテルじゃん。
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マッサージ機10分200円は横浜のスーパー銭湯より100円安いかな・・・
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マッサージルームも有る。
これで入浴料金800円の私設とか、首都圏じゃ考えられない。日帰り旅行でちょっとホテルに来た様な気分に成れる御得感も感じられるね。
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フードコートも広く、今年は富士山が新型肺炎で閉山したままなのと観光バスで来る外国人観光客が全然いないので非常に広々とした印象。
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後でここで甘い物を食べようと決めて入浴に向かう。
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帰りしな従業員の方に許可を貰ったので、公式ホームページの浴室の写真を転載させて貰います。
湯船からの景色が凄いんだよ・・・
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これさぁ~・・・凄くない?
800円でこの景色で温泉入れるってさ、そりゃ例年なら観光客、絶対に来るよね紅富士の湯。
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内風呂からも外風呂からも富士山の絶景見ながら入浴出来るとかさ、もう天国じゃん?
しかも富士山との位置関係から解るけど・・・
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ここ、西側に富士山が在るから夕陽と富士山を一緒に見れる文字通り紅富士を見ながら入浴出来る‟紅富士の湯”なんだね。
今度関西とか中国から友達来たらここ、絶対に連れてきてあげよ。
・・・その前に彼女成ってくれる人見つけて連れて来てあげたい(笑)。
さて、風呂から上がりさっきのフードコートで先に気に成る物を見つけていたのだけど・・・
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これね、本物の山梨名物の桔梗信玄餅を使ったパフェ、名前は信玄ソフトだけどパフェだね外見。
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小生は黒蜜と黄な粉の香りを楽しみたかったので普通の信玄ソフトを注文。
当然ながら美味しかったよ!
店員さんと又、雑談して色々と情報収集したけれど、やはり女性に人気らしく例年の観光バスがバンバン来る季節は、これが凄い売れるらしい。
本当、紅富士の湯、景色も綺麗だし施設が立派でくつろげるので、富士山や忍野八海や山中湖の観光コースに組み込めば間違いないと個人的にPushしたい。
紅富士の湯、とても良かった。
信玄ソフトを食べて御茶を飲み、小休止してからロビーで又、従業員の方を質問攻めにしてから車に乗り込み、この日最後の目的地に予定していた静岡県御殿場市の深沢城址に向けて再出発・・・
2020年09月09日の旅程(山梨~御殿場~秦野~横浜)久良岐のよし
深沢城までは遠からずも近からずと言った距離だった。
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天気は曇天だが途中走る農道は美しく、金の稲穂が風に吹かれる正に‟稲波”と言った景色を見ながらドライブ出来た。
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もう横浜には、この景色は残っていない。最近まで瀬谷や栄区の田谷辺りは田畑が広がる美しい農村の景色が有ったが消滅してしまった。
暫く走り、御殿場市の深沢城址に到着。
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でも最初は城址の主要部分ではなく、自分が衛星写真で事前に地図を見て気に成っていた地形を見に行った。
ここが恐らく武田軍が鉱山部隊を使って城の施設を破壊し、北条綱成公が籠城する玉縄衆が防衛継続不能に成る原因に成った場所。詳しい解説は冒頭でも説明したが深沢城について御殿場市教育委員会から資料を提供して頂いたり、現地の地権者のオッチャンと知り合いに成り詳しい造成前の地形の話も聞けたので別の城址としての独立記事にしたので、御城に興味の有る人には読んで欲しい。
ここから石碑と説明の看板の有る場所に行く途中、城内の曲輪に住む地主サンと恐らく昔は城域だった場所に住むオッチャンと知り合い、更に城址の大半を所有する大地主のオッチャンに知り合う事が出来た。
この写真⤵にちょっと見切れてるのが地元のオッチャン。
KIMG0549
被(かぶ)ってる帽子に・・・
農業魂ぃっ!
・・・って石橋貴明の帝京魂っ!と同じ声が聞こえてきそうな刺繍のしてあるカッチョ良い帽子を被ってるオジサンだった!
オッチャン、優しく色々と教えてくれてありがとうね~♪
娘さんが偶然、小生の居所の近所の港南台高島屋で勤務していたそうで、凄い偶然。
・・・こうやって地元の知らない人と知り合って色々と教えて貰って同じ時間過ごして、又会えるかな~?て思うのは凄く嬉しい。
ムフフフ、こう言う風に知らない人と仲良く成る時に営業で培(つちか)ったスキルって活きるのよね♪
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深沢城跡
まぁ、城としての遺構は解説記事⤵
コレ⤴を読んで頂きたい。
KIMG0529

深沢城は土塁や櫓の跡の台地は農地改造で平場に成ってしまってるけれど、写真の左手が空堀とハッキリ解る様に見所が残っていて‟生粋の城ファン”なら結構楽しめると思う。
ただ、いかんせん車が無いと交通の便が悪い!
御殿場駅~深沢城 久良岐のよし
最寄駅は御殿場駅と足柄駅なのだが、どちらからも徒歩45分かかるし令和二年現在、深沢城址は市街化から取り残されておりバスも無くなってしまっている。
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しかし上の図の御殿場市教育委員会による発掘調査の縄張り図の曲輪は、高低差は掘削で一部無くなっているが空堀が綺麗に残っており見応えが有った。
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御城に興味が無い人には鬱蒼(うっそう)とした林にしか見えないと思うが、城ファンが見れば一目瞭然、綺麗に四角く堀切られた空堀の凹みに樹木が茂っている。
こんな感じで色々と楽しく見学し、オッチャンにも子供の頃の地形の話を聞けたり、そこからオッチャンが今のNHK大河の話から戦国時代の信長公の話題を始めたので、小生が信長公と吉乃様の御位牌を拝ませて貰う機会が有った話等をして盛り上がった。
実は信長公の実質正妻の生駒吉乃様と江戸時代は尾張藩徳川家の家老で3000石の重臣だった生駒家の菩提寺、愛知県江南市の久昌寺が廃寺の危機に瀕しているので、是非ブログ読者の皆さんにも窮状を知って頂きたい。
10年振り位に参拝して、檀家さんにアポとって2回目の御位牌との対面の機会を頂いた時の記事。
コレ⤴を読んで頂けると、久昌寺と生駒家が本当に御寺の維持に困ってる事が解って頂けると思う。

話を御殿場に戻す。
歴史好きな地元の人と出会うと本当に楽しい♪
日が暮れる寸前まで一緒にオッチャンと時間を共有できた。
「又遊びにおいで!ここにいるからね。」
・・・とオッチャンが言ってくれてとても嬉しかった。
オッチャンに・・・
「ばいば~い!又来るね~!」
・・・と言って別れて車に乗って、次の目的地、神奈川県秦野市の拉麺の名店なんつッ亭に向けて出発し、下道で昔の人と同じ足柄峠越えをして見た。と言っても車だけど(笑)。
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秦野経由の帰路、足柄峠を下りきってコンビニに行ったけど当然真っ暗で何も見えなかったwww
実は小生が初見の場所に好んで下道で往来する理由は、元から下道が好きなのに加えて3年前からとあるスマホのGPS使ったゲームをやっているからと言う事が有る・・・
それがコレ⤵ニッポン城めぐり。
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自分の現在地で「城攻め」と言うボタンを押すと付近の「城を攻略」した事に成り、攻略情報として登録される。
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これアプリ⤴ダウンロード。
小生は深沢城の直ぐ右上(北東)に在る足柄城を未攻略だったので、どうしても攻略したかった(笑)!
この足柄城さえ攻略すれば小生はゲーム中で‟相模守(さがみのかみ)”と言う官位を拝受出来るwww
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これ小生⤴御覧の通り目出度(めでた)く‟相模守”の任官の悲願達成(笑)!
相模国内の実在した城跡、ゲーム中総数53城を攻略すると任官できるの~!
やった、やったよ小生!3年越しだよ(笑)。
因みに異名の‟一騎当千”は一日の行軍距離が1000kmに達成すると貰える。
・・・車移動の小生の歴史オタクぶり、推して知るべし!とか言いながら、一騎当千は合計16000人が保持してる異名なので、他にも同類の歴史オタクが日本に16000人湧いているって事でも有る(笑)。
まぁ~そんな事をしながら走ってたら深沢城から順調に真っ直ぐ向かえば30分で秦野市の‟なんつッ亭”まで行けるのに、寄り道と大渋滞で到着に1時間半近くかかってしまったwww。
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なんつッ亭の代名詞「うまいぜベイビー」の看板が見えた時には若干疲れがたまっていた(笑)。
これが彼女や奥さんと一緒なら、間違いなく顰蹙(ひんしゅく)を買って不機嫌MAXに成られて怒られると思う。
単独行軍だから良いのだけど、まぁ、彼女がいる時期はいつも帰りの移動中寝て貰ってたかな。
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なんつッ亭 本店
夜だとちょっと店の雰囲気アレなので昼間の写真も。
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秦野市の小田急線渋沢駅近くで交通の便が良く、紅葉の季節は例年立ち寄っていたのだけど、過去2年間は資格の取得とかで行けて無かったので3年ぶりの訪問。
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久しぶりに食べる名物の黒マー油豚骨ラーメンは本当に美味しかった!
この‟なんつッ亭”も冒頭で説明した通り独立記事にしたので御興味有る方は紅葉の季節の秦野観光の参考にして頂ければ嬉しい。
ラーメンを食べ終わり、残りの道をユックリ渋滞に巻き込まれながら2時間位走って横浜市の自宅に帰宅した。

この1日の旅は色んな人に優しくして貰え、綺麗な自然の景色と美味しい物を満喫出来て良い時間を過ごす事が出来た。
春の新倉富士浅間神社が美しい季節に成ったら、又、下道で深沢城址のオッチャンに会いに行きたい。

一期一会じゃ嫌だよ。出会った人とは縁が切れるまで交流を続けたい小生なのであった。

では、又、次のブログ記事で御会いしましょう♪
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一昨日の夜にブログ更新するはずだったのにすみませぇ~ん!
最近、色んな町の学芸員サンが資料準備して色々と城址について解説して下さる機会を頂いたり、自分も違う事で急用で資料作って郵送したり他にも色々(昔の初代プレステ引っ張り出してファイヤープロレスリングGやったりwww)していて記事更新遅れました!

今回、本当はこの記事⤵
これ⤴の続きの後編で深沢城を紹介するつもりだったのですが、現地学芸員の方が資料を下さったり発掘の状況を口頭でも解説して下さったのと、地主の御爺ちゃん2人からも農地として重機を入れて地形を変えてしまう以前の話や御爺ちゃんが子供の頃の城址の話をしてくれたので、休日雑記とは別に‟深沢城”として独立記事にする事にしました。
休日雑記の後編は改めて書きます。

さて・・・
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深沢城跡
皆さんは御殿場市に深沢城と言う名城が存在した事を御存知ですか?
城郭ファンや戦国時代ファンには有名な城でマニアック度を5段階で評価するなら交通の不便さや知名度から言ってLV4位の比較的上級者向けの城跡と言っても良いかと思います。

実はこの御城、堅城と知られ物凄い武将の間で攻防戦が行われた場所だったりします。
先ず一人目、御城を作ったのは今川氏親公。この方は日本史で誰もが習う分国法の‟今川仮名目録”を制定した内政に秀でた名将でした。
内田対馬守家感状 久良岐のよし
北条早雲公~北条氏綱公の時代、川崎駅辺り~横浜市沿岸部の寄親(軍団長)だった間宮信親=間宮信冬公に恐らく名の一字を下賜(かし:目下に報償を与える事)したと思われる殿様が今川氏親公でもあります。
間宮家は佐々木氏で間宮の苗字は伊豆の国市間宮(馬宮)を領有した時に名乗り始めたので、今川家臣化し北条早雲公の与力に成って以後の時代、北条家二代目の北条氏綱公の時代の武将が間宮信親公と言う事も解ったりします。つまり小田原城主北条家が誕生し、相模国最大の国人だった間宮一族が武蔵国南部制圧時代に活躍し、後に沿岸部の間宮軍団や内陸部の太田軍団が解体されて小机衆や玉縄衆が編成されていってる変遷も何となぁ~く見えてきたりします。
小生は個人的な推測では、間宮信親=間宮信冬=間宮彦四郎=海老名市・磯子区東部~港南区北部~南部・神奈川区富屋~斎藤分町・鶴見区末吉~川崎市川崎区の領主と同一人物だろうと考えています。
この間宮家の旧主の氏親公の母方の‟舅(おじ)”が、後に間宮家の主君と成る北条早雲の通称で有名な伊勢盛時‟宗瑞”公でした。
新九郎奔(はし)る!
漫画の‟新九郎奔(はし)る!”で主人公に成っているのが北条早雲公です。
新九郎奔(はし)るは平成初期に大ヒットした漫画‟機動警察パトレイバー”の作者、ゆうきまさみ先生により現在ビックコミックスピリッツで連載中です

パトレイバーは数年前に真野恵里菜サン主演で実写化されたりもしていますので、20~30代くらいなら結構知っている人もいるかも知れませんが現役大学生位に成ってくると知らない方も多いかも知れませんね。
新九郎奔(はし)るの主人公、北条早雲こと伊勢盛時公の肖像画は実際はコンナ感じです・・・
伊勢盛時入道宗瑞(北条早雲)公
・・・この北条早雲公が今川氏親公の‟舅(おじ)”な訳ですが、先程から小生が舅(しゅうと)の字を小生が舅(おじ)と読み仮名を振っている事にツッコミ入れようとしたアナタの為に、ちょっと深沢城から話を逸(そ)らして舅の漢字の意味を解説させて貰います。
実は舅の字は現代日本語の‟夫の父”と言うのは大間違いで、本来の漢字の意味では‟母方のオジサン”を意味する字です。
儒教由来の中国文化の漢字なので華語文化圏の表記が正しいのですが、何で日本の現代国語学者が字を誤植し夫の父を舅を‟しゅうと”と読ませてしまっているか誰も間違いに疑問を感じず既成事実化してしまっているだけなんです。
中国語の家族の呼び方
画像掲載元→http://chugokugo-script.net/kiso/kazoku.html
現代中国語の漢字を旧血縁の漢字に変換してみましょう。

現代中国口語     →漢語        →日本語

妈妈(マーマ)   →母親(ムーチン)  →母/母親

爸爸(バーバ)   →父親(フゥチン)  →父/父親

舅舅(ジィウジィウ)→舅父(ジィウフゥ) →叔父※誤植
※母の兄弟

舅母(ジィウムゥ) →舅母(ジィウムゥ) →叔母※誤植
※母の兄弟の妻

老爷(ラオイエ)  →外祖父(ワイズーフ)→祖父(母方)
※母方祖父

姥姥(ラオラオ)  →外祖母(ワイズーム)→祖母(母方)
※母方祖母

姑姑(グーグー)  →姑母(グームー)  →叔母※誤植
※父方叔母

姑丈(グージャン) →姑丈(グージャン) →叔父※誤植
※父方叔母の夫

・・・まぁこんな感じで全然現代の日本語に誤植されている漢字の意味は本来の漢字の意味は異なっていて、更に父方の叔父も父より年長か年下かで漢字が異なってきます。
漢字の血縁の話に脱線しましたが漢字の意味的には北条早雲公は深沢城を築城した今川氏親公の舅(おじ)だったって話だけです(笑)。
さて、そんな訳で名将今川氏親公と、その家臣だった伊勢宗瑞(北条早雲)公の甥とオジチャンがコンビだった時代に築かれたのが御殿場の深沢城だった訳です。
この深沢城、何で今川→北条→武田→徳川→廃城と強豪大名達によって争奪戦が繰ひげられたのでしょうか?
深沢城は現代では御殿場市に存在しますが、これは縄文~平安時代以前から存続する神社と遺跡と道を重ね合わせると一目瞭然に理解できます。
先ずは深沢城と古社と縄文時代~弥生時代の海岸線をGoogleEarthで重ね合わせて見ましょう。
古代の街道と深沢城
※画面をクリックして拡大して見て下さい。
この通り海岸線が現在の位置に近づいた古墳時代に創建された伝承のある平塚八幡宮と前鳥神社を除いて古代の海岸線の湾の最深部や半島の付け根と先端に存在し、内陸部が古代の矢倉沢往還や中原街道の通過点に存在している事が解ります。
実は現在の東海道は江戸時代に再整備された道の近くに作り直された道なのですが、平安時代以前の主要街道は海沿いの古代東海道と内陸の矢倉沢往還の2本でした。
矢倉沢往還は・・・
御殿場市の山側北部を通過する矢倉沢関所を通過し足柄郡から国道246に合流する道で足柄峠~足柄関~寒田神社~比々多神社~五社神社~杉山神社~橘樹神社と続き悉(ことごと)く国府や郡衙(市役所みたいなの)と延喜式内社の近所を経由する街道です。
神奈川県の旧街道と古代神社の位地 久良岐のよし
古東海道は・・・
綾瀬市五社神社辺りで矢倉沢往還と分岐~神崎遺跡~藤沢市宇都母知神社~大庭神社~村岡城~鎌倉市御成町(推定郡衙)~逗子市岩殿寺~桜山古墳(蘆花記念公園)~葉山町下山口~神武寺~上山口~横須賀市走水神社~房総半島富津市の文字通り東の海沿いの尾根道と海を船で越える海路で、悉く平安時代以前から存在する倭建命(やまとたけるのみこと)神話や弥生時代~古墳の重要な遺跡の残る地域の神社を通過します。中世に成ると古代の尾根道から山麓の平地に人の流れが変わり道が開かれ、山上の古道は修験者の山岳聖地巡礼の順路に成った様です。
その古道の‟矢倉沢往還”の起点と古東海道からの敵軍の小田原城防衛ラインの前線が深沢城と山中城だったんです。
近くの小山町は古代駅伝制の横走関=店屋(てんや=兵站)と考えらている上横山遺跡も有り深沢城は重要な街道を防衛する城でした。
小田原城防衛網
そしてこの足柄峠の古東海道と箱根の中世東海道を守る城が深沢城の後ろにも幾つか存在し、戦国時代の大名北条家の本拠地‟小田原城防衛網”を形成していました。
深沢城の北西の甲斐国には北条家と敵対する武田家がいました。
武田菱
  武田VS北条
   三つ鱗紋
深沢城を攻略されると一番ショートカットで小田原城を襲撃されてしまう訳です。
武田信玄
この肖像画は風林火山で有名な武田信玄ですが、特に武田信玄は・・・
「疾き事風の如く」
「侵略する事火の如く」
・・・のキャッチフレーズの通り侵略戦争をする際は用意周到に街道整備をする等、毎回必ず最短ルートで速攻するのが得意な名将である反面、他の地域の農民から見て武田信玄は攻め込んだ先では当時の価値観でも激しい凄惨な略奪や放火をしてまわる苛烈な悪の武将でもありました。
北条や今川から見ると武田軍が甲斐国都留郡経由で小田原城や今川館(駿府城)に攻めてくる可能性が高く、深沢城は特に重視された訳です。
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この写真は戦国時代、城として機能していた時代に根小屋(ねこや)と呼ばれた兵士や武将達の詰所(兵舎)が置かれていたと考えられている場所から城跡の主郭を見上げた写真です。
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今回は城址の構造は触れず、この城に関する資料の文書等を紹介しますが、ここまでで地理的に深沢城が重視されていた歴史は御理解頂けたでしょうか?
では本当にここは、戦争が起きるような場所だったの?と思う人が小生の海の景色の紹介記事等から読者に成って下さった歴史に余り関心が無かった人に証拠の文書を紹介したいと思います。

禁制
右當手之軍勢甲乙人等濫妨(乱暴)狼藉堅令停止早若違犯之輩有之者速可処罪科猶寺中門前共ニ
自今以後於竹木等も不可剪者也仍如件
奉之
江雪
壬(永禄十二年:1569年)五月十六日 宝持院
内容を簡単に今の会話に翻訳するとコンナ感じです・・・
右(禁制=禁止命令)は、ウチ(北条)の軍勢甲乙(みんな)に「乱暴な事しちゃイケねぇ~よ!」ってキツク命令する。
もし(禁止命令を)守らね~奴がいたら、ソッコーでシバクかんな。
それと寺の中も門の外も、今から(寺の土地で)竹も木も伐採するんじゃねぇ~ぞ!
まぁ、そんな感じだからよ。
江雪より~
1569年05月16日 宝持院(へ💛)
・・・この文書に登場する‟江雪”は板部岡江雪斎と言う北条家重臣で、以前大河ドラマ‟真田丸”にも登場した人物ですね。
そして文末に登場する宝持院と言うのは深沢城の近くに今も存続している寺院です。
更に宝持院の近く大雲院には安土桃山時代に徳川家が城を復興した頃の城門を移築され今も当時の門が御寺の山門として現存しています。
この文章は御寺の人が深沢城に駐留する北条軍に乱暴されない様に、北条家の殿様が御寺に配慮して、和尚さんが北条軍の司令官宛てに「ウチは北条家の殿様に守って貰える確約ありますよ!」って見せれる財産安全の保障の証拠として重臣の板部岡江雪斎サンに書かせた物です。
この時に駐留した軍勢は横浜市と鎌倉市の兵隊で、率いていたのは玉縄衆大将、北条綱成(ほうじょうつなしげ)公です。
北条綱成
この人⤴※KOEI信長の野望画像
この綱成公の率いる玉縄衆は異名が黄備え隊で、軍旗が朽葉色で統一された軍隊でした。
朽葉色ってのは9月中旬が見頃の黄花秋桜(キバナコスモス)の色ですね。
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この花⤴が黄花秋桜。因(ちな)みに、この写真は北条綱成公が建てた鎌倉市の龍寶寺の綱成公の御墓の前に咲いている黄花秋桜の写真です。
 これ⤴以前書いた北条綱成公の紹介記事ですが、ブログ書き始めたばかりの頃に書いたので内容が薄っぺらく何の参考にも成らないかと思います。
黄備えの副将は横浜市磯子区~港南区にまたがる笹下城主の間宮康俊公と間宮康信公の親子でした。
これ⤴以前に間宮家を紹介した記事。
実はこの書状で北条の殿様の代理で板部岡江雪斎サンが1569年5月に宝持院に対して近い将来大軍勢が来て駐留する事を見越して御寺に安全保証する文書を書いているのは翌月6月に武田家が深沢城に攻めて来たので事前に危機を察知して防衛強化を始めた時期だった事が解ったりします。
そして、ちょっと長いですけど、もう1通こんな文書が残っています・・・
急度(きっと)令啓候、仍(=なお)信甲之人衆、今十六、駿州之内號(号)深澤新地寄來(来)候、左衛門大夫(北条綱成)、松田(松田憲秀)以下楯籠(=立てこもり)候間、不可有別條候、伹(※誤字→但)只今之時分出張爲(為)如何(いかが)子細(しさい)候哉、何篇二も、今明行之様子見届、重而可及註進(注進)候、然而、始小幡動衆之由申候間、新太郎(北条氏邦)申付、向西上州及行候、哀其父子一人有出陣、万端(ばんたん=何でも)新太郎被相談ニ付而者、動可爲思儘(まま)候、若(もし)横合(よこあい=邪魔する)有之者、可然人衆數(数)多可有加勢候、必々(必ず×2)有遲(遅)々者、不可有曲候、如何様ニも、廿(二十)日廿一日之間ニ御動専一候、委細新太郎可申候、恐々謹言<br />追而越國(越後国)へも及飛脚候間、相心得被申入、任入候、以上
  六月十六日 氏政(北条氏政)
    由良信濃守(由良成繁)殿
・・・これ、1569年当時の北条家の当主の北条氏政公が傘下の小大名の由良成繁(なりしげ)公に送った手紙なんですが、この時攻めて来た武田信玄によって深沢城は落城します。
この差出人が北条氏政公の手紙を要約すると・・・
武田信玄KOEI
武田信玄⤴️※KOEI信長の野望画像
「長野県と山梨県の武田軍が攻めて来ちゃった!」
「ヘルプ!」
「ダメ、援軍遅刻、絶対!」
「同盟者の上杉謙信(この人)⤵にも緊急拡散して!」
上杉謙信KOEI
上杉謙信公⤴️※KOEI信長の野望画像
・・・と由良サンに対して書いているのですが、氏政公自身が2万の大軍の本隊を率いて大遅刻したせいで武田軍の2万に深沢城は取り囲まれたまま籠城不可能な状態に追い込まれ敗戦しました。
良くいるでしょ・・・
「遅刻するなよ!」
「30分前出社!」
・・・とか言いながら自分がルーズな経営者(笑)。
小生はこの北条氏政公は思考パターンと行動が適応障害者だったと推測してるんです。
変な拘りに完璧主義過ぎて毎回、十分に軍勢が揃って自分が安全に戦える状況に成らないと援軍行かないせいで肝心な合戦で何回も敗戦し北条家が勢力伸長に失敗する事に成るんですよ。
コレ⤴とかね。
玉縄衆は善戦し北条綱成公と間宮家はかなり粘ったのですが、武田信玄配下の鉱山衆によって破壊工作が行われ俗説には水の手(給水施設)を破壊されて籠城不能に成ったと言われています。
小生は個人的に玉縄衆だけでなく、裏切るマン松田憲秀親子が一緒に籠城していたので松田が撤退を主張したんじゃないかなぁ~?とか思っていたりします。
実際に当時、北条家の同盟者だった上杉謙信公は上州方面から武田家にプレッシャーかけるか直接援軍を送るつもりだったらしくコンナ事を言っています・・・
上杉謙信KOEI
KOEIのゲームの上杉謙信公⤴
肖像画の上杉謙信公⤵
上杉謙信
上杉謙信「(自分にも勝った)地黄八幡(北条綱成)が負けたちゃったYo~!」
実は上杉謙信公、北条綱成公の息子さんの北条康成公が3千で守る鎌倉市JR大船駅近くの玉縄城を15万の大軍で攻めたのに攻め落とせず撤退したり、まだ北条家と武田家が同盟者だった時代に長野の上田城に援軍に来た北条綱成公や千葉県方面の戦争で玉縄衆に結構苦戦させられてる歴史が有るんですね。
・・・なので上杉謙信公ですら北条綱成公が負けると思ってなかったらしいですね。
なんせ上杉謙信公が上杉家を継ぐ前の話ですが、河越城の攻防では北条綱成公達は3千だけで8万の上杉軍相手に半年間も籠城に成功した挙句・・・
北条氏康
綱成公の義理のお兄ちゃん⤵⤴北条氏康公
北条氏康公
・・・綱成公は小田原から当時の主君で義兄弟の北条氏康公の本隊8千を迎えて合計1万1千で上杉軍8万夜襲して挟み撃ちにしてギッタンギッタンにして壊滅させてる名将なんですね。
なので小生は深沢城の敗戦原因をずっと・・・
「(裏切気質の)松田憲秀が撤退主張したやろ(怒)!」
・・・と思ってました(笑)。
実は今回、定説の水の手云々(うんぬん)の話しと異なる可能性を知る事が出来ました。
御殿場市の学芸員サンと地元の地主さんへの取材で小生が本丸跡と推定している二の丸の空堀で焼けて炭化した米が発掘調査で見つかっているんですね。
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※クリックして拡大して見て下さい。
この縄張り図で真ん中の‟二ノ丸”と書いてある場所と上の‟本丸”と書いてある場所の間、左側にクビレてる空堀ですが、そこから炭化した米が調査でも発掘されているし、仲良くなった地主の御爺ちゃんも子供の頃にそこを「掘ると焼けた米が出て来たんだよ」って教えてくれたんですね。
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この2号堀て辺りだそうです。
2号堀の上側が小生は三の丸だと思ってるけど、地元では本丸と呼ばれている場所。
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その城櫓(しろやぐら)辺りは‟二ノ丸”と呼ばれている場所で、下の縄張り図のⅠ郭(本丸)とⅡ郭(二ノ丸:小生はⅡ郭が本丸だと思う)の間の②の空堀の本丸側。
仲良くなった地元のオッチャンの話では田んぼにする前の地形では棚田3段分くらい約3mくらい今より高い地形で城の地形の中で最高所だったそう。
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‟Ⅱ郭”が縄張り的にも小生はこの辺りが本丸だったろうと思ってます。
ここからは写真で見る限り八王子城の御主殿(城主屋敷)と酷似した構造物も見つかってます。
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完全にここ二ノ丸が政庁であり城代の屋敷だったと個人的には考えています。
下に見えてるのが根小屋と呼ばれていた地形なので兵舎の並ぶ区域だったんだろうと思う。
で、焼けた米が出土する訳ですが、小生は実際は武田家の鉱山衆は水の手を切って落城させたんじゃなくて、二ノ丸の下の根小屋側・・・
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ここの‟水の手の根小屋側”から武田家の鉱山部隊が弓矢の届く範囲まで仕寄り(塹壕)を作りながら攻城陣地を築いて来て、火矢や火薬で二ノ丸食料庫を放火し北条軍の戦闘を継続不能にしたんじゃないかと新しい説を考えました。
この焼けた米の話を学芸員サンに聞くより早く、地主のオッチャンに教えて貰った際に・・・
小生「こんにちわ~」
・・・って声掛けたら未だ何にも言ってないのに・・・
オッチャン「横浜から来たの?」・
・・って聞いてきてビックリ!何で分かったんだろう?と思いながら・・・
小生「そうだよ横浜から来たよ~」
・・・って言ったら珍しい奴だなって喜んでくれて、オッチャンが子供の頃の土塁とか地形を削って農地にする前の話を沢山聞かせてくれて「又遊びにおいでね~、ここにいるから!」って言ってくれて嬉しかったんだ。
凄い偶然だけどオッチャンのムスメさんが小生の家の近所の港南台高島屋で働いてたそうだ。
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で、この写真の左側辺りが焼けた米の出た空堀だったかな?
後から学芸員サンにも凄く丁寧に教えて頂く事が出来ました。
実はこの深沢城ちゃんと(笑)火災に遭っている記録が有るのですが、それは北条家と武田家の合戦の時ではなく、織田信長公と徳川家康公の連合軍が武田領に一斉に攻め込んだ際に深沢城代だった武田家臣の駒井昌直が自ら放火して城を放棄した記録だけが残っています。しかし小生が思うに未だ徳川軍に攻め込まれてない時間的に余裕の有る状況で撤退する際に兵糧と金銭を焼き捨てるとは考え難いので、炭化した米は北条家と武田家の戦闘で焼け、更に武田家臣駒井が城を放棄した際に建物が焼かれ、徳川家が安土桃山時代に改修し再利用後、再度放棄され廃城に成った一連の土木事業の中で細かい時代考証が出来ない状況に成ったんじゃないかな?と個人的には感じました。

さて、城の構造の説明が入口からではなく、状況説明のついでに成ってしまったので見学コース沿いに紹介して見ます。
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入口がここ。
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現在地の場所ですね。
この看板の裏にも三ノ丸の三日月堀と表記されている空堀が有ります。
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少し解り難いでしょうか?
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御城行くのが好きな人は良く解ると思うのですが、城址公園化されてない空堀って写真じゃ伝わり難(にく)いんですよ。
その看板の横側から農道兼散策路に成っていて、入って直ぐに空堀が見えます。
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これは比較的状態が良い。
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ここは‟丸馬出し”と呼ばれる半月状の出撃口の遺構です。
本来、我々城郭ファンはこの丸馬出しの空堀の事を三日月掘りと言います。
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その馬出しの削平地には石碑が立っています。
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昔は東名高速道路が無かったから深沢城の前の足柄峠を通過する際に観光で立ち寄る人もいたのかも知れませんね。
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その下の空堀。
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二ノ丸の手前、‟下馬溜め”と言われている構造体の空堀が雑木林化してるが現存。
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ここは小机城の構造に似た構造が有るけど、変形の食い違い虎口(敵の侵入を制限し迎撃する構造体)だと思う。
下は小机城の現存部分の縄張り図。
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これの②の構造に深沢城現存部の‟下馬溜め”は似てる。
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下馬溜めの空堀だけど写真じゃやっぱり訳が解らないね。
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下馬溜めから二ノ丸に繋がる武者走り&空堀&土塁
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そして二ノ丸入口。
更に奥に本丸。
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本丸に続く土橋。両脇は空堀。
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本丸側の城櫓とされる削る前は場内最高所だった郭。
下に根小屋地形が見える。確かに小机城の根小屋とも酷似する。
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本丸は今では風に靡く稲波美しい。
地主のオッチャン、色々と親切に教えてくれてありがとうね!
色々と発掘調査資料を提供して下さった御殿場市教育委員会様、ありがとうございました。
御殿場の皆さんはとても温かったです♪

さて、深沢城この様に結構空堀は立派に残っています。もし御殿場方面に行く機会が有って本当に御城が好きな人は立ち寄る価値が有ると思います。

きっと皆さんの御近所の神社や御寺や公園の山も、元々は御城だった場所が有ると思います。
気分転換したい時にちょっと御近所の神社や御寺や城山を歩いて看板を読んでみませんか?
きっと皆さんと歴史偉人を繋ぐタイムマシーンみたいに感じ自分の町を更に好きに成るかも知れませよ~?

・・・では、次は前回の休日雑記の続きか銭湯の記事で御会いしましょう~♪
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