高部屋神社:高部屋八幡宮
(延喜式内社・古代神事を守る国指定文化財の神社)
丸山城址公園(鎌倉時代の名将、糟屋有季公の城址)
高部屋神社元宮(古代人の聖地、渋田山山腹の水源)
2016-01-03-12-42-57
2016-01-03-13-53-18高部屋神社本宮の位置 久良岐のよし
  御祭神・御本尊等:神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと:神武天皇)・息長長足媛命(おきながのたらしみめのみこと:神功皇后)・三筒男命(みつつおのみこと:住吉三神)・誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇)・大鷦鷯尊(おおささぎのみこと:仁徳天皇)・磐之媛命(いわのひめのみこと:仁徳天皇皇后)
  御利益:武芸(スポーツ)上達・戦勝祈願・漁業豊漁・農業豊穣・治水・雨乞い・地鎮・交通安全(海)
  関係者:
  開基:聖地渋田山(奥津城)周辺の古代人
  中興:糟屋庄領主 糟屋 有季 公
     関東管領家 上杉 定正 公=扇谷上杉家当主
     相模守護代 太田 道灌 公
     左京大夫  伊勢 宗瑞 公=北条早雲
     北条家臣  渡辺 岩見 公
     征夷大将軍 徳川 家康 公
  旧郡名:大住郡 
  所在地:高部屋神社と丸山城址公園・・・伊勢原市高部屋付近、国道246で分断された丘
  所在地:高部屋神社本宮・・・大山山系の伊勢原市下糟屋、渋田山の山腹
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
本来の神社の発祥地である元宮は関東総鎮護の聖地、大山山系の一つ、渋田山に紀元前より存在したと伝承する。
御祭神は三筒男命(みつつおのみこと=住吉大神)、神倭伊波禮彦命(かむやまといわれひこのみこと=神武天皇)、息長長足媛命(おきながのたらしひめのみこと=神功皇后=臺与?)、誉田別命(ほんだわけのみこと=応神天皇)、大鷦鷯尊(おおささぎのみこと=仁徳天皇)、磐媛之命(いわひめのみこと)と、いずれも海上交通や土地開発や海外渡航と戦争に関係の有る天皇や神様な上に、本宮の在った渋田山が弥生時代前後まで周辺が海だった事からも、水神様と土地開発と先勝祈願の神様としての性格が有る。
古来渋田山は奥津城と呼ばれた霊域だったので、古代人の関与が深い土地でもあった。
明治時代まで「汐汲み神事」が行われており、海岸線が後退し内陸16kmに神社が取り残されても歴代の宮司が徒歩で海まで海水を採取しに行く神事が続き明治時代に伊勢原皇大神宮の管理下に置かれ伝統神事は一時途絶えたが、現在の伊勢原皇大神宮の宮司家によって150年前に途絶えた神事が2018年から再開された。現在も海が近かった時代の風習を垣間見える風習が有り社殿の注連縄(しめなわ)に海藻の「神馬藻(ホンダワラ)」を飾る。
平安時代末期に成ると現在の社殿のある丘陵に要塞を築いて糟屋庄を領有した糟屋有季公が、所領の総鎮守として渋田山から現在の高部屋神社の所在地に社殿を移転させた。本来の渋田山の本宮跡には現在は社殿は無いものの御神霊を祭る祠(ほこら)が今も鎮座している。
糟屋有季公は武勇に秀で、源頼朝公による逆臣源義経討伐で活躍し、義経の重臣佐藤忠信を討取り堀景光を逮捕する事に成功している。
戦国時代に渡辺岩見守により社殿が再建し、江戸時代に成ると徳川家康公より社領安堵の御朱印を賜り江戸幕府より保護された。
この高部屋神社は式内社で有る事から古来より有名で、江戸時代に江戸の町人や武士に流行した「大山参り」のコースに組み込まれており、神社の鳥居前の道も旧大山街道だった事や下糟屋の宿場町だった事で、御利益に肖(あやか)りに来る非常に多くの参拝客で賑わった。
又、いずれも天皇も「天皇」の呼称が始まる前の古代の正式な名のまま祀られている事も、由緒有る古社である事を物語っている。江戸時代には高部屋八幡宮の名で親しまれ雨乞いの神様として有名だった。
高部屋神社の丘一帯は軍事拠点としても重要な場所だったので、鎌倉時代~戦国時代の歴代の領主によって城塞として使用され、各時代ごとに改修された事が解る城址公園として、近年国道建設で分断された丘陵の一方は丸山城址公園が整備されて見学出来ます。
海に関係する神社だけあり、屋根の唐破風部分には浦島太郎伝説にまつわる彫刻が有り、社殿は2017年に国の登録有形文化財に指定された。