歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:湘南モノレール

常楽湯
100年超の歴史を有する老舗銭湯
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☞銭湯の個性と周辺見所 (・◡・)♫  
 100年以上の歴史が有るよ◎
 貴重な昔ながらの薪の沸かし湯◎
 今では貴重なボットン便所(笑)◎
 壁画は沼津市久連辺りの駿河湾?
 タイルのモザイク壁画も可愛い◎
 大船駅前の商店街が有り面白い◎
 大船フラワーセンター徒歩圏内◎
 大船観音寺の徒歩圏内◎
 北条綱成公開基龍寶寺徒歩圏内◎
☞施設・備品関連 (•ω•)ノ      
【入浴料】
 大人470円
 子供200円
 幼児100円
【アメニティー】
 シャンプー等は備え付け無し
 使い切りシャンプー類販売有り
 レンタルのハンドタオル有り
 飲料販売有り
【電車】
 JR大船駅~徒歩10分
 富士見町駅~徒歩05分
【  車  】
 駐車場無し。
 近所に有料駐車場有り。
――以下 写真と詳細( ՞ਊ՞)ʃ♪だよ⤵――
——店構え——
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——番台と建物——
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——浴室と壁画——
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大船駅から徒歩10分、湘南モノレール富士見町駅から徒歩05分と交通の便が良い。
周辺が田園で湘南モノレールが開業するより遥か以前の100年前には既に開業していた。
常楽湯の建物も昭和初期の建築で現代では見る事が少ない貴重な“ボットン便所”も有る意味見所かも知れない(笑)。
昔ながらの番台が有り、昭和の古き良き銭湯の姿を今に残す。
ここの売りは現在では少なくなった薪を燃やした火力による沸かし湯で、ガスや燃料で沸かす湯と異なるので銭湯ファンに人気。主な入浴客は地元民だが、遠方からも入浴客が来る。
鎌倉の小町通り等は観光地なので閉店時間も夜早く19時頃だが、乗り換え拠点の大船駅周辺は住宅街&昔は松竹撮影所が有った地域密着ながら大きな商店街なので居酒屋も多数、鎌倉観光の帰りに途中下車して大船で飲んで帰ったり、御惣菜を御土産に買って帰るのに丁度よい。
昔は鎌倉駅前にも銭湯が有ったが今では材木座の清水湯のみ、大船駅近くに在る本当に昭和のまま100年の歴史を有する“常楽湯”で鎌倉観光の汗をサッパリ流して帰るのは心地良い。
大船駅構内には昭和の映画スター達が愛した老舗の鎌倉大船名物“鯵の押し寿司”を売る大船軒が今も営業している。
鎌倉観光に遠方より電車で来られている方には旅の御供の駅弁にイチオシ。
大船駅前の商店街には横浜~鎌倉に展開する鶏専門店の“ハマケイ”があり名物の鶏1羽丸揚にした“カブト”等も売っているので良い御惣菜土産にも成る。
又、近くに日比谷花壇大船フラワーセンターや戦国時代南関東最強の武将、北条綱成公の菩提寺た龍寶寺と玉縄城の資料館である玉縄ふるさと館、大船観音で有名な大船観音寺も有る。
大船フラワーセンターで季節の御花を見たりピクニック帰りに立ち寄るにも良い銭湯。

さて・・・
常楽湯の魅力伝わったでしょうか?

今後は銭湯の情報が有る程度集まったら、コレ⤵
この穴場海岸一覧の記事みたいな感じで横浜市と鎌倉市を中心に昔ながらの銭湯一覧に編集したいと思います。
少しづつ書き足しますが、皆さんの旅の助けに成れば幸いです。
mixiチェック

五月は雨も多いけど抜けるように真っ青な雲の少ない晴天も多く、山も海も散歩するには気持ちの良い季節・・・
今日は小生の様に独り散歩(笑)でも彼氏彼女とのデートでも丁度良い、そんな江ノ島~鎌倉の浜辺歩きながら撮影した写真を紹介したいと思う。
・・・実は湘南モノレール江ノ島駅~江ノ島前の片瀬海岸や腰越海岸に出て、そこから由比ヶ浜の端っこの小坪飯島公園まで散歩し更に鎌倉駅にまで戻ると丁度、徒歩で11kmと程良い歩行距離と奇麗な景色を楽しむ事が出来る。
江ノ島~鎌倉散歩 久良岐のよし
このGoogleEarthの衛星画像をクリックして拡大して見て欲しい。
黄色く表示したのがコース。
赤いグラフがコースの海抜を現した起伏で下の青い字が小生が追記した見物先の地点名。
こうして見ると高低差が余りなく穏やかで歩きやすい事が判ると思う。
この11kmコースは普段の休みに山道を20km歩き回ってる小生には短い様で、実は砂浜を歩くので山道の20kmと遜色ない運動量に成る。
山は山で緑の匂いと風と鳥の囀る声も心地良く感じられるが、海風と波に戯れる人々の微笑ましい快活な様子を見られる風景も又気持ちが良い♪
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この日、小生はいつもと同じく日没の少し前に稲村ケ崎に着く様に逆算して徒歩で出発し大船駅から湘南モノレールに乗車し江ノ島を目指した。
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いつ見てもカッコ良い、線路が無い懸垂式の湘南モノレール!
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う~ん面構えが良い。
先頭車両からの景色はコンナ感じ・・・
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・・・大船駅だね。
途中端折って江ノ島駅に到着。
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そこから江ノ電片瀬江ノ島駅を通過、商店街を抜け江ノ島に向かって歩く。
途中見えるのが・・・
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玉屋のようかん 本店
この玉屋サンは明治四十五年(大正元年)の1912年に開かれた100年企業の老舗で、昔からこの本店と江ノ島島内の支店で羊羹を販売している。余り若い人は羊羹食べないかも知れないが、プレゼントする相手が高齢者(笑)だと玉屋の歴史が100年有る事を説明すると喜んで貰える、良い江ノ島の御土産に成るんだな。
前回も紹介したけど今回もホームページのリンク張って置く(笑)。
もう1軒魅力的な店が有って・・・
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紀伊国屋旅館
紀伊国屋サンて言う老舗の良い旅館、宿泊費も安い!しかも江ノ島の海水浴場まで徒歩5分!
高級なリゾート旅館やホテルじゃなくて、本当に旅館ちっく
でも事実上の停止命令の自粛で今年のONシーズンは宿泊も海の家の営業中止しちゃったんだって。
黒岩知事さぁ、貴方と安倍総理の初動対応の遅れと、その後のクッソ遅い補償と脅迫付き政策のせいで雰囲気良い老舗がバタバタ潰れてくんだわ。
・・・早く何とかしてね。
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江ノ島島外の紀伊国屋サンだけでなく江ノ島島内の旅館の皆さん、三浦半島の民宿や旅館の経営者の皆さん・・・
新型肺炎は感染に注意はしても、もう自粛止めて下さい!
皆、営業再開して生き残りましょう!
・・・中途半端な本来は強制ではないはずの自粛要請でビジネスマンは電車バス通勤して全く三密回避していないし、一番感染リスク高い性風俗店やキャバクラ普通に営業して西村経再大臣も黒岩知事も実名公開で自粛要請も何もしない事実上の黙認。
これで真面目にやってる観光業、旅館業、飲食店が自粛を脅迫されるのは不平等極まりない理不尽ですから、もう営業して自衛して欲しい。
・・・でも、安倍首相の鈍間加減にも、野党の反対しかしない愚鈍さに対しても・・・
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「駄目だこりゃ(笑)!」
「再開(つぎ)行って見よ~ぅ!」
・・・と思った小生の同士(笑)達がシッカリ三密回避しながら江ノ島で家族の安らぎの一時、恋人同士のユックリとした優しい時間を過ごしていました。
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パパが女の子の手をシッカリ繋いであげて渚で遊ぶ様子は見ていて微笑ましく羨ましい(笑)。
皆、観光して神奈川県の商店主達を助けてくれてありがとうねぇ~!
馬鹿な自民党の幹部老害と野党の極左実害政治家達や、鈍間な厚生労働省の国家公務員から我々庶民が個人判断で経済を守りながらお互いの物理的な距離を保ち、シッカリ消毒して日本人の生活と文化を守って行きましょう~♪
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ここから見る近い江ノ島と長い長い浜辺に打ち寄せる波も良いね。
さて、この江ノ島を正面にして左手の海岸を東浜と言うが、ここに元々は橋なんて無かった。
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干潮に成り潮が引くと島と海岸が繋がり徒歩で渡る事が出来る“神秘性”が有る島だったからこそ、欽明天皇や文武天皇が勅願所にした聖地であり、源頼朝公や足利成氏公や北条氏康公が戦勝祈願をして不利な合戦で大勝利を収めた魅力的な観光地として江戸時代の庶民にも愛され、わざわざ当時の人は東京から徒歩で江ノ島を参り、伊勢原の大山を登り、そして富士山を御参りするのが定番コースに成っていた訳だ。
それと後で実際の写真を掲載するが、恐らく江ノ島の橋脚やヨットハーバーの建設が潮の流れの変化を生み七里ヶ浜稲村ケ崎の砂の流出と思われ無関係では無いだろうと思う。
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幸いな事に境川河口に近い東浜~腰越海水浴場はまだ砂浜が残っている。
家族連れで賑わい、恋人同士が仲睦(なかむつ)まじく手をとり散歩するホンワカした風景が広がっている。
まぁ・・・
住宅街と商業街の下流の海だから水質は御世辞にも良くは無いのが江ノ島近辺なんだけど(笑)。
そこから小動の岬に向かって歩く。
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すると小動の岬の側面西側には戦時中に連合軍の上陸迎撃を想定して築かれたトーチカ遺構の入口が現在も残っている。
半島の側面そこかしこに内部の塹壕から狙撃する小窓状の四角い穴も開いている。
この様な遺構は相模湾から三浦半島西岸の崖地に今も多数残っていたりする。
小動岬の上に在る小動神社を目指して歩くと、渋滞に多くの多摩ナンバーや品川ナンバーの車を見かけた。
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いらっしゃい!ようこそ神奈川へ。
お金落としてくれてありがとう♪
本当にクラスタ感染の抑え込みが必要だった2~3月ならいざ知らず、今となっては政府の感染源特定不能が広がった4月以降は中国やイタリアみたいに完全外出禁止命令にしないと全く意味が無い状態だったので誰が来ようが最早関係ない(笑)。
もう感染覚悟で経済回さないと、今はダラダラ政府と黒岩知事の脅迫付き実質営業停止命令の自粛延長のせいで多くの中小企業や飲食店や旅館が潰れ始めている。
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バブル崩壊後、民主党政権の暗黒時代より酷い。
挙句の果てにド田舎39県は自粛解除され、首都圏の商店主や観光業や飲食業は自粛延長で潰れてる。
なのに安倍総理、西村大臣、黒岩知事は一番感染リスク高い性風俗を全く自粛対象にせず、店名名指しのペナルティも課さなかった。
理不尽極まりない。
普通に電車バス通勤を我々現役世代は強いられ、学校が休校中の中高生の子供は集団で遊びまわる、大学生はレンタカー借りて行楽地に行き海で山でBBQ、感染自覚ありながら高速バスで山梨にBBQ行って男とSEXして東京帰って来る女みたいな確信犯の奴等がカオス。
山に川に行くなと言わないし、寧(むし)ろ自然の中で人と物理的距離をとって単独で行動したり友人や恋人とも少し我慢して離れて歩けば全く問題ない。
でもこの女は自覚症状が有りながら彼氏に触れ合って高速バスで帰って来た訳だ。
石田純一並に最悪な行動だろうな。
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武漢市民が武漢市封鎖寸前に多く日本に逃げて来た1月初旬は法律上、彼等を政府が拒否しない限り我々にとって武漢の方々も大切な御客様だった。ならば政府は感染開始の1月~から成田や羽田で感染者特定の体温検査と特定後の隔離を草々に行うべきだった。
つまり1月~2月~3月初頭が水際作戦&クラスター追跡と隔離しながら検査を実施するベストチャンスだった。
台湾の蔡総統の成功例と習主席直接の防疫体制確立指示が出てからの中国の対処を日本は共有されていたから、その時期に同じ事を真似すれば良かっただけなのに、過去の事例と官僚の面子に拘ったせいで2月頭からのアドバンテージは発揮されず、3月中旬には失敗が確定した。
しかも中途半端な自粛で休校中の子供達は自由に遊びまわり、老齢の方々も必ず団体行動で感染リスクを高めた。
若者と老人が感染を恐れず広げ、現役世代は感染リスクに怯えながら1月~2月を過ごし、3月には諦(あきら)めた訳だ。寧ろ4月~5月に成っても政府の公称「自粛」の実質脅迫付き、自粛の損失補償無し「営業停止命令」は続いた。
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東京駅周辺も観光が殺され仮死状態から潰れた店がある。
申請しても直ぐに振り込まれない補償。
最初は家賃補助すら話題にもせず営業自粛“強要”だけ政治家にされて、家賃の支払いも出来ず絶望して店を閉めた店も有るだろう。
小生自身が恐らく失業する。
小生の幼馴染の両親がやっていた店も潰れた。他にも知ってる店が潰れた。
先ず対応遅れた戦犯の加藤厚労相と尾身とか言うジジイが殺意湧く程許せない。
ダラダラ中途半端な自粛をさせる安倍総理と西村大臣も許せない。
・・・とは言っても、人を呪ってもメシは食えない(笑)www
自分の精神衛生上の理由でも海や山を歩き神仏に御参りしストレスを追いやり、高温多湿で安全な各地の銭湯巡り、小さな良さげな店で美味い物を食う!
そして感染しない様に距離を取り、人の密な場所には・・・
元々行かないし、横浜駅界隈や東京の港区みたいなコンクリートの無文化な町(笑)嫌いだしな。
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小動神社小生は3月からはもう、三密リスク回避は自分でしながら通勤可能な外出自粛なんて中途半端で意味の無い事をせず、ガンガン山歩きと浜辺散歩をし、神社を御参りしてストレスを貯めず自分の健康維持に務める事にした。そして神社や御寺を御参りして、世界の新型肺炎終息終息の祈願を神仏に御願いしていた。・・・当然ながら一人行動でね。
小動神社に御参りしたのも、その一環。
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この小動神社は鎌倉時代に源頼朝公の与力の名将、佐々木盛綱公が近江国の八王子神社を勧進して開いたと伝わるが、宗派を超えて歴史を辿ると、どうやら神社が開かれる以前から小動の岬状の地形が典型的な古代の海からのランドマークとして聖地化されていたらしく、今は道路を隔てて反対側にポツンと存在する真言宗の浄泉寺は空海和尚が開いたと伝わる。

そして、この浄泉寺を佐々木盛綱公が船の上から参拝したと伝わっているので、恐らく元々八王子社の前身に成る牛頭天王社か何かを空海和尚が御寺の境内社として開いたんじゃないかと思う。
それを佐々木盛綱公が御参りしたと言う事だと、空海和尚は方々の港や岬に海上交通の守護神として日本神話に則(のっと)って牛頭天王(素戔嗚尊:スサノオノミコト)を御祀りする御堂を建立して回っている歴史事実とも整合性が出る。
そして、恐らく鎌倉時代には既に荒廃していたので改めて佐々木盛綱公が近江国から八王子社の御心霊を勧進したのだろう。八王子神社の御祭神も一般的に牛頭天王とその王子なので矛盾しない。
この神社は佐々木家と関係が深いので佐々木家の隅立て四ツ目結び紋に〇で囲われた社紋が現在でも使われている。
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小動神社は改めて別の独立記事にしたいと思う。
余談だが江ノ島は元々島全体が聖地で洞窟が欽明天皇の勅願所だった。その江ノ島を管理する別当が真言宗系修験の岩本坊で、岩本坊は明治の仏教弾圧に岩本楼と言う旅館に業種替えして現在も存続している。その岩本楼の社長が元々の江ノ島と奥津宮岩屋(洞窟)別当職で僧侶であり侵食だった岩本家で、明治までの本姓は間宮であり、平時は間宮家を公的には家祖である佐々木氏を称した。
つまり江島神社にも佐々木一族が深く関わっていた歴史が有る。

そこら辺は間宮家の簡単な解説を以前書いた時に触れている⤴
江ノ島観光した時の記事にも、もう少し詳しく解説を書いたと思う⤵

ところで小動神社には展望台が有って、そこからの眺望が凄く良いのだが・・・
小動神社展望台
・・・外出自粛で人が少ない17時過ぎに誰も参拝に来ないと思ったのか、三十代くらいのオラ系ファッションの男とギャルっぽいカップルがベンチで“だいしゅきホールド”で抱き合って明らかに♀に入った♂まんま、女の方はまさかの緊張感の眼差しで、小生が“ゆっくり(笑)”淡々と境内で一頻(ひとしき)り参拝をして回る間、ずっと身じろぎもせず男に抱き着いたまま顔はコッチを見ていた(笑)。
下半身は展望台の壁で見えず腰から上しか見えてないから、風景の写真撮るフリして撮影したろか(笑)?と思ったが、せっかく興奮して盛って交尾したのが嫌な思い出に変わったら可哀そうだから、一応見て見ぬふりしてあげていた。
ちなみに“だいしゅきほーるど”てのはコンナ⤵
そしたら後から来た白人カップルの参拝客が空気読まずに展望台に上ろうと近づいて、そんでも男女からまったまんま動けずにいたのが面白かったが、流石に白人も「変だな?アレ~?」と思ったらしく4~5m位手前でUターンして戻って来た(笑)。良かったなバカップル(笑)?
これが小生や優しい白人オジサンじゃなくてヤンキーだったら男はボコボコにされて女は輪姦されたかも知れないな。
SEXするなら神様に迷惑かけない場所でやりましょう(笑)。神罰くらうぞ(笑)。
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アホな男女の怪しいだいしゅきホールドのハプニング発見の後で小動神社を参拝し終えて七里ヶ浜に移動。ここから砂浜づたいに約5km稲村ヶ崎迄を歩く事にした。
・・・と、言うか砂浜を散歩するのがメインの目的だった。
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サーファーも良いねぇ~!

これぞ鎌倉の海!
でも可哀そうなくらい普通の波しか来てなかった(笑)。
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だいぶ歩いてきた。
で、毎回この辺り来ると一応立ち寄る場所・・・

鎌倉高校前駅があり、そこの踏切から海を臨む景色が有名。
スラムダンク鎌倉高校前駅横踏切
スラムダンクの舞台で台湾や中国からの新婚旅行の若夫婦なんかが記念撮影に来る場所。
・・・で砂浜に戻る階段にコレが書いてる。
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タバコボ?
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駐車場の辺りから振り返ると良い感じに夕陽に富士山の影が浮かび上がる時間に成って来た。
あとちょっと歩いたら稲村ケ崎。
砂浜歩くの止めた、と言うか歩けなくなった・・・
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・・・原因は最初の方に江ノ島の腰越海岸の部分で話してた砂の流出な。そもそも歩く砂浜が環境破壊のせいで皆無に成ってしまた。これを行政は温暖化だなんだと責任転嫁するが、実は違う。
潮流が変わる余計な堤防工事や、市街地化した部分の河川の護岸工事で砂が生成されずもう70年以上もまともに相模湾に砂が流れ込まなくなったからだ。
実に昭和の高度経済成長期の土木は無節操で20年前の中国の都市開発並みに稚拙だと思う。
全く自然への影響が考慮されていなかった。
縄文海進 久良岐のよし
縄文時代、東京湾?と言うか関東平野は海で最奥部は群馬県に達していた。東京なんて多摩地区以外は略々(ほぼほぼ)海の底。弥生時代位に段々と気温が下がって北極と南極と山岳の氷塊の体積が爆増し海が引いて行き、それと同時に山野が削られ洪水の度に土砂が堆積して行きやがて沼地となり更に広大な武蔵野平野となり、弥生時代も末期には稲作が普及し古墳時代には更に国家により統制された大規模開拓が全国で行われ、元々海だった平野の野草が生える土地には古墳時代に成ると軍馬の繁殖の場が設けられ房総半島や本牧半島や三浦半島の風通し良くも海が近く密林に成らない一部の地域が名馬の産地と成ったので、古代から存続する武蔵国の一之宮~六之宮の延喜式内社が集結し行う国府祭(こうのまち)神事では今も軍馬を奉納する儀式が継承されている。
川崎市川崎区周辺の海抜0m地帯 久良岐のよし
戦国時代の始まった頃に成っても神奈川県域だと川崎駅前の堀之内、間宮家の河崎城館址の直ぐ近くまで海が広がっていて、太田道灌公が「海が直ぐ近くの河崎って場所に泊まったよ」って書いてたりする。その古文書が証明する通り、標高を色で表示する国土地理院の色別立体図で見ると現在も川崎駅の南部には戦国時代の海の名残の海抜0m地帯の洪水リスク高い地域が広がっている。
言い換えると寒冷期だった戦国時代~平成時代のたかだか500年間でこれだけの範囲の海が土砂の堆積と海の後退で‟一時的”にも出来ていた方が、温暖化で陸地が消失するより驚愕の事実なんじゃないだろうか?
当然ながら昔の高度経済成長期の乱開発が始まる以前の藤沢市や鎌倉市域は森林や田畑が広がっていた、江ノ島の海に注ぐ川の上流域が森林伐採され河川がコンクリで固められ砂が生成されずに、砂そのものの流入が半世紀以上も無くなった事も要因だろう。
上流に当たる藤沢市鵠沼~村岡周辺~鎌倉市手広や深沢や大船~横浜市栄区や戸塚区がその上流に当たる。
写真で比較すると解かり易(やす)い。

←左が昭和初期の藤沢駅周辺
藤沢駅周辺の古今変化 久良岐のよし
       右が令和現在の藤沢駅周辺→

左側の戦後直ぐ位までは写真の60%を占めていた水田と畑と森林が、右側の写真では完全に全滅している。そしてこの写真に流れる河川の合流地点が旧高座郡を流れる境川、右から流れてくるのが柏尾川で、その柏尾川の源流水源が瀬上沢と鼬川であり、鎌倉市域~横浜市栄区~港南区~金沢区~磯子区の乱開発で消えてしまった森林が水源な訳だ。
円海山の上郷地区は更なる森林と源流瀬上沢の破壊計画があり、港南台地区の大森林は住宅街に変貌して完全消滅した
コンクリートで固めたから都市部の蓄熱率が上がり熱帯夜に成るのだし、地球環境の変化はそもそも戦国時代から寒冷期だったのが現代に至り、縄文時代に回帰する温暖化の“自然なベクトル”に向かってるだけだろう。
自然破壊しまくった欧米が森林伐採を二酸化炭素にすり替えるのは、土建が批判に晒されない為の論点粉飾でしかないだろう。
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海面が高く成れば当然ながら砂や土は瞬く間に削られる。それを遅らせるのが山を削り小川から河川となり河口から供給される砂だった訳だ。その砂が供給されなくなって70年も過ぎれば、当然ながら海が砂浜を侵食して“縄文時代の地形に戻ろう”とする自然のパワーが爆発するわな・・・
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この排水路のだけ海岸に浮いて存在するが、この排水路の高さまでちょっと20年くらい前まで砂で覆われていた訳だ。海水浴で賑わった映画“稲村ジェーン”の舞台の稲村ケ崎~七里ガ浜の海水浴場は既に泥岩の地層が露出し砂浜は完全に消え失せた。
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露出した小川の河口。無残な姿。
この高さでも覆い隠す程の砂の高さが有った訳だ。
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川を跨ぐ遊歩道の橋脚が空洞になってしまっている。
自然活かすのではなく自然に勝とうとする傲慢なコントロールは自然には必ず負ける。
その良い教科書が今の七里ヶ浜の惨状だね。去年の台風後の来訪時より荒れてる。
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辛うじて僅かに残る浜辺。
でも実は寒冷期だった戦国時代~江戸時代~明治大正昭和平成の近代、この場所が砂浜だった事の方が長い歴史で見たら“一時の偶然でしかない”事が判る証拠も露出していた・・・
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砂浜が無くなって露出した元は波打ち際の磯だった時代の泥岩の岩盤。
小さな気持ち悪い穴は実は穿孔貝類、一般的には“磯マテ貝”と呼ばれる種類の貝が堀った巣穴の跡で、地球が温かい時期の七里ヶ浜のあるべき姿の歴史を覆いかくしていた砂浜の消失で再度露出した訳だ。
今は昔の気候に戻りつつあるだけで温暖化は異常気象ではなく“寒冷期に文明を発展させた現代人”にとって不都合なだけと言う歴史事実をまざまざと見せつけてくれている訳だ。
縄文海進 久良岐のよし
こっちが多くの生物にとって繁殖しやすい温暖な気候の地球の本来の姿。
縄文の温かくて海面が高かった時代は高座郡の寒川町~伊勢原市辺りまで入り込んでた名残から神話の時代に当たる弥生時代になっても旧海底部分が湖沼地帯で住居に適さなかった。
だから平安時代以前から存在し弥生時代の古代の聖地が信仰対象化した延喜式内社と式外社も、古墳時代に開かれた平塚八幡宮や前鳥神社を除いては全て古代の海岸線より内側に存在する訳だ。
主な歴史千年以上の古社と古刹と古代の海岸線 久良岐のよし
ギャーギャー騒ぐのがオカシイ。
ツバルなんかも元は人が住んで無かった場所に海洋民族が進出しただけの話し。
ツバルの人を水没後にどこに移住させてあげるかって議論をする方が重要だと個人的には思う。
地球の異変じゃなくて自然の一部なのよ。
でもね、先に話した通り七里ヶ浜が地球の自然な温暖化の海蝕の影響をモロに受けた原因は、昭和の河川の護岸工事と砂防ダム建造に森林伐採、住宅乱開発だろう。
七里ヶ浜に流れ込む極楽寺川・音無川・辻川・行合川これ等の上流に当たる谷戸が全て森と自然の河岸が宅地造成されコンクリートで何でも固める治水の影響で七里ヶ浜東部の海に砂が流れ込まなくなった事の影響が大きい。
更に鎌倉や横浜や藤沢や大和の森林伐採宅地開発と江ノ島のマリーナ建設や境川河口の護岸工事で潮流が変わったり、砂が不自然に流れつかなくなったからだろう。
腰越海岸を辛うじて保つ程度の砂しか入らなく成った訳だ。KIMG8267
上の写真が今回の散歩で撮影したの。
下の写真が以前に冬場に撮影したの。
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やっぱ砂の無い七里ヶ浜も個人的には美しいと思うけど(笑)。
でも夕陽の写真撮影するなら空気が冷たく水蒸気の少ない晩秋~冬~初春がベストだね。
しかし、ここに長大な砂浜が続く江戸時代同様の穏やかな景色も見てみたいなぁ~。
富士三十六景
空き家が増えているのに、このまま無軌道に森林伐採を行い不必要な宅地開発を続ければ、やがて鎌倉~藤沢のみならず茅ヶ崎~大磯~小田原の砂浜の消失も早まるだろうな~。
今でも凄い奇麗だけどね~。
で、稲村ケ崎で写真撮影してたら、絵に成りそうな見知らぬ美人サン発見!
さっそく夕陽に浮かぶシルエットの写真撮影させてもらった。
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この日、最良の一枚に成ったかな?
海と夕陽の写真を撮りに行くと、良く知らない人(笑)に突然声かけてモデルに成ってもらうけど皆優しくて?ん?突然でビックリしてかな(笑)?断られる事は少ない。
数年前に撮影した由比ヶ浜の材木座側での写真も地元の女子高生がモデルに成ってくれた。
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これは結構好きな写真。
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地元の仲良し二人組が肩を並べて富士山と夕陽を眺める青春の一コマ的な。
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今年の初旬だと長者ヶ崎でも地元の御姉さんがモデルに成ってくれた。
女性の後ろ姿と海と夕陽は実に合う。
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この写真が一番綺麗。
黒崎の鼻で撮影したこの写真だけ他人じゃなくて身内だけど。
モデルのいる風景写真撮るのは御願いから始まるから独身男には難しい。
まぁ~そんな訳で七里ヶ浜も凄く夕陽と富士山と江ノ島と海が一編に撮影出来て奇麗な場所なんだな。
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砂は完全に無いけれど(笑)。
もう稲村ヶ崎界隈は七里ヶ浜から七里ヶ磯に改名しないと文字に整合性が無い。
磯にしちゃえば良いんじゃない?
まぁ~、色々と素直に自然の美しさだけを満喫していられないのが現在の七里ヶ浜だったりするんだな。
最終目的地の由比ヶ浜に向かって出発!
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由比ヶ浜の端っこから稲村ケ崎側~極楽寺側の崖を見る。
現在でこそ切通し状の道で稲村ヶ崎~由比ヶ浜は難なく歩いて来れるが昔は切通しが無く、あの崖上に上がる道しか鎌倉市街地と七里ヶ浜のを往来する手段が無かったから大変だった訳だ。
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この断崖絶壁が鎌倉市街中心の防衛網の役割を担っていた鎌倉城の一部で最南端が稲村ヶ崎、こちら側を突破するには極楽寺坂の切通しを攻略する必要が有った。
だから新田義貞公は稲村ヶ崎のヘリに恐らく突貫工事で道を作り、干潮時に海側から一気に大軍を市街地に乱入させた訳だ。
それは以前コレ⤴に解説しているので、御興味有る方は斜め読みしてくれれば成る程ねぇ~?と成ると思う。
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由比ヶ浜の最西端の岸壁からは反対側の三浦半島が奇麗に見える。
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見える煙突は火葬場。あの煙は誰かがこの日、本当の意味で旅立たれた家族と最後の御別れをした証拠。出来ればこの煙のたつ前に家族とちゃんと御別れ出来ています様に・・・
岡江久美子サンや志村けんサンは家族と御別れも出来なかったから。
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由比ヶ浜に到着~!
超~元気なワンちゃんが波にハシャイでて凄く可愛い!
ブラジル人ぽいカップルが犬の散歩していた。
こんな生活本当に良いなぁ~。
でも実際の鎌倉市は現在でもアジサイの季節と夏と秋は人でゴッタがえして大船駅から電車も満車で、江ノ電鎌倉駅なんて駅に入るのが1時間以上待ちとか生活に適さない上に、アホの松尾市長が市外からの車乗り入れ規制を決定していて、そうなれば観光客がバスにも電車にも乗れなくて最早、怒号が飛び交う地獄絵図が展開するのは決定事項。観光客にも不人気な都市に成りそうな気がする。
・・・まぁ~、山の中を往復20km歩いて余裕で鎌倉市街に遊びに行く小生には関係無いけど~(白目)。
でも、就労先も鎌倉中心部で住居も鎌倉なら、本当に生活するには天国だと思う。
本当に本当の教養有る大企業の社長さんとかは鎌倉市内とか京都の左京区の下賀茂神社辺りとか神戸とか横浜の元町の山の上に住んだり昔からすんだよな。
やっぱりちゃんとした人は文化と自然との共生に魅力を感じるんだろう。
最近、IT関連の会社が鎌倉に拠点をどんどん移してきてるのも、彼らは本能より“頭を使う”仕事の人達だから頭を休める場所の大切さを見だすのかもな。
ちょっと道路側に戻ってみる。
稲瀬川と言う川が有る。
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例によって昭和の無文化河川工事でコンクリートの用水路みたいにされてしまっているが、実はここは歴史文化的に大切な場所で昔は和歌が詠まれたり、いわゆる鎌倉時代の市の中心街との境目に成っていた場所で北条政子さんが鎌倉入りする時に、この由比ヶ浜から三浦半島を見渡す風景がいたく気に入ったらしく数日間、川の畔(ほとり)の庶民の民家に滞在させて貰った歴史が有る。
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北条正子さんと言うと怖いイメージが有るかも知れないが・・・
頼朝さん大好きで山野を歩いて韮山の蛭ヶ小島まで愛を遂げに行ったり・・・
農村育ちだから素朴で純粋だったり・・・
神奈川県を頼朝さんと夫婦で一緒に旅行して廻って、色んな神社を一緒に参拝して夫婦らしい子宝祈願したり・・・
義弟義経の愛人の静御前が鶴岡八幡宮の舞台で義経への愛情の和歌を詠(うた)って舞った時に共感して頼朝さんに助命嘆願したり・・・
頼朝さん死んじゃった後で長男頼家公が自分の父親に暗殺されちゃったり、次男実朝公が実兄に殺害されちゃったり(小生は実は実兄の義時公と大江広元公が国外に逃がしたと推測)した後で、家族が誰もいなくなった時に起きた承久の乱て戦争の時に頼って逃げて来たのが、旦那さんと良く御参りに来ていた思い出の弘明寺の山で、その山に立てたのが井土ヶ谷の乗蓮寺だったり・・・
実は夫が凄く出世しちゃっただけで、本人は気が強いけど可愛らしい普通の女性だったと思うよ。
実際、誰も家族がいなくなっちゃって井土ヶ谷に居た時期の乗蓮寺の木像は凄く寂しそうな顔をしてるんだよね。
北条政子様木像画像
写真は横浜市南区井土ヶ谷の元:北条正子様の山荘だった乗蓮寺にある生前に掘られた彫像。
夫が側室持つのが当たり前だった当時、頼朝さんが側室を持つとヤキモチ焼いて文字通り側室の家を武士と一緒に攻撃したりしちゃったから、そんなイメージついたんだろね。
乗蓮寺については以前に解説記事を書いている。

今なら政子さんの感覚は凄く正常だと思う。
自分も奥さん貰うなら、北条政子サンみたいな人が良いな。
ところで稲瀬川の辺りの歩道はデザインが可愛い。
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東西南北の方角+各季節どんなイベントが有るか絵で示してくれているマンホール蓋。
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4月は鶴岡八幡宮の静の舞
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9月は元々畠山重忠公が開基した横浜市金沢区の東光寺と言う御寺の旧所在地だった鎌倉宮の薪能。
鎌倉宮に成る前に東光寺で後醍醐天皇の皇子の護良親王が自害に追い込まれた後、東光寺は金沢区釜利谷に移転させられ鎌倉宮が開かれて護良親王を祀る事に成った。
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8月・・・アホの松尾が中止した由比ヶ浜の花火大会。
鎌倉の松尾と横浜の林文子は本当に無文化極まりない。
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8月の鶴岡八幡宮の雪洞(ぼんぼり)祭り・・・
以前何で八月に雪洞(せつどう)なんだ?
・・・とか思ってたら、実は雪洞(ボンボリ)=行燈(あんどん)の事だと大分後に知った思い出が有る。
始まったのが1930年頃と言うから、夜間ライトアップして御祭りにしたとか、まだイルミネーションが一般的じゃなかった当時の鎌倉の人は本当に昔から風流だったんだねぇ~。
砂浜に戻ったら高校生くらいの男女2組のカップルが海の中で青春を謳歌してた。
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う~ん微笑ましい青春の縮図。
いつまでも仲良し4人組でいて欲しいなぁ~。
社会人に成っても友達でいて欲しいな。
中学高校の友達って余り大人になったら大切な友達でいつづけるケースは実際少ないって統計があるから。でもそうじゃない場合も有る。
この子達がずっと仲良しでいれますよ~に♪
由比ヶ浜をずっと歩いたらスッカリ日没に成ってしまい、若宮大路から鎌倉駅に向かう事にした。
途中には遺構は残らないが史跡が有る・・・
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畠山重保邸址
実は以前も別の記事で紹介した鎌倉時代の武将、畠山重保公の館跡で、室町時代の供養塔も存在する。

新編相模風土記稿は鎌倉の御廟を墓所だろうと言ってるが明らかに間違い。
何故なら、この供養塔は室町時代の建立だから。
合戦は発生したろうが、当日は御父君:畠山重忠公が鎌倉に来る予定だったので大蔵幕府側の畠山邸で送迎の準備をしていたはずだから、由比ヶ浜の館で戦火が上がり事態を把握して、鎌倉に向かっている父親に陰謀を知らせる為に八王子街道を目指し、先ず鎌倉から脱出する為に兵が配置されている巨袋坂切通しと古鎌倉街道中道を避けて、平安時代の古道の天園ハイキングコースの山に逃げて白山古道を通り釜利谷に抜け、六浦道(むつらみち)から鎌倉街道下道から北上し保土ヶ谷区で八王子街道に入る事を目指す以外に選択肢が無い。
そして釜利谷の御廟所一帯は恐らく東光寺が移転した経緯からも、畠山家の所領だったはずだから、そこで追っ手にかかり最後の時を迎えた方が明らかに自然。
まぁ、そんな感じで鎌倉駅に到着した。
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常楽湯
・・・で大船駅まで電車で戻り、銭湯好きの小生は大船駅で下車して大船の常楽湯に入って徒歩で流した汗を流してサッパリしてから帰宅した。
小さいけれど実は約100年の歴史が有る銭湯だったりする。
中のトイレは未だに大正~昭和初期のボットン便所!
常楽湯は最初に訪問した時に御店主の方に許可を頂いて中の写真も撮影させて頂いてるので改めて別記事にしたいと思う。
この日のDoor to Doorの歩行距離は16km、22000歩と山歩きと比較すると歩数も距離も少ないが、砂浜10km位を歩いた疲労感は山道の20kmと同じ位だった(笑)。
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江ノ島~鎌倉散歩 久良岐のよし
江ノ島~由比ヶ浜~鎌倉駅、良い散歩コースだったので、皆さんも天気の良い日、夏に成る前に少しお出かけして見ては如何だろう?

海の砂浜侵食にはいろいろと考えさせられる1日だったが、まぁHカップルに遭遇したりハプニングも有ったが、全体的には海風が気持ち良く、良い写真も撮れて充実した1日だった。







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2017年4度目の鎌倉長谷寺への紫陽花(あじさい)鑑賞へチャレンジ。既に3回失敗・・・

06月10日・・・
早すぎて見頃では無いとの事前情報+虫の知らせで突然、六浦上行寺~上行寺東遺跡~野島の伊藤博文公金澤邸~野島キャンプ場に訪問地変更。

06月17日・・・
長谷寺紫陽花見物ついでに鎌倉へ久しぶりに電車で行って江ノ電の旅を楽しもうと画策、しかし江ノ電鎌倉駅入場規制40分待ち、長谷寺も1時間以上の待ち時間が予想され時間的に断念。
小町通のステーキハウスのマザーズオブ鎌倉で食事と鶴岡文庫で戦国時代の北条家関連の文書コピーさせて頂き、小町通り散歩し社頭で和紙と千代紙だけして帰宅。
意地でも江ノ電に乗る事を誓う。

06月21日・・・
台風並みの天候不良、ふて寝してからジム行って終了。

06月23日・・・
作戦を変更して江の島方面から攻略して行き、人が少なくなるであろう夕刻前に長谷寺到着予定で計画を立てる。

06月24日・・・早朝まで仕事し、そのまま寝ずに作戦決行!家を8時半過ぎ頃徒歩で出発。
・・・AM:09:00頃、大船駅に到着。

大船駅に着いて先ず、横須賀線のホームへ行き鎌倉市内の混雑を予測。
予想通りとは言え絶望する。
早朝の山手線品川駅並に鎌倉方面行の横須賀線のプラットホームは人だかり。列車が到着しても既に満員で乗れない人だらけ。
予想通りの展開だったので作戦通り江の島方面から攻略を進める作戦に移行。
実は大船駅ではコンナお手頃な乗車券を販売している事を知る人は少ない・・・
    ↓
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鎌倉・江ノ島パス
江ノ電、湘南モノレール、JR横須賀線(大船駅~鎌倉駅区間)、JR東海道線(大船駅~藤沢駅区間)
なんと!この区間が全線1日乗り放題、しかも700円ポッキリ!
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3度の2017年鎌倉の紫陽花見学の失敗(笑)を経て知ったこの無双チケットの存在、この1日凄く役に立つ事と成る。
実は江ノ電にも乗り放題のチケットは600円で有るのだが、あくまで江ノ電だけ。
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だから鎌倉観光をするならば、江ノ島に行かなくても鎌倉・江ノ島パスを購入した方がお得な訳だ。

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この時期の鎌倉は上の特別手配特急が運航し、恐ろしい程の人が集結する。だから小生は前回の失敗も踏まえて江ノ島から廻る事にした訳だ。
因みに、今、鎌倉周辺の駅では何か良く知らんスタンプラリーもやっているらしい。
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緑の窓口の前で無料配布されているビラがスタンプラリーになっていた。
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ポーチが貰えるらしい。折角(せっかく)なのでやってみた。
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横須賀駅・衣笠商店街・川崎駅・大船駅・逗子駅・磯子駅・平塚駅・国府津駅・横浜駅・・・
う~ん、どこも良く通る場所だが小生の場合は車でしか移動したくない派なので、スタンプ集まらなそうだな(笑)。
でも、この駅は通勤で使う人も国府津以外は多そうだから、通勤ついで+平塚の七夕祭り+小田原と箱根温泉旅行なんか計画したら全部集まりそうだな。横須賀や衣笠も横須賀観光や三崎観光何かで行けば子供にも良い夏休みにも成りそうだ。
・・・まぁ、そう思って観光してくれる人を増やす為のコラボ観光促進企画なんだろうな。
やってる人いなかったけど(笑)。ポーチ貰えるの強調すれば良いのに。
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緑の窓口で鎌倉・江ノ島パスを購入し湘南モノレールに移動する。
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ついでに江ノ島の弁天様の御利益も有りそうなので大船駅でロト7も買ってみた(笑)。
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湘南モノレールに乗るのは、かれこれ20年ぶり位?子供の頃、皆で海水浴に行った時以来の事だ。
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いつもは車から見上げる湘南モノレールの駅、歩いて回ると新鮮で楽しい。
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この路線は世界でも珍しい懸垂式と呼ばれる釣り下げ型の鉄道なのだ。
子供の頃の車両はもっとダサかった気がするなぁ~。大人になってから久々に乗車する湘南モノレールは少しカッコ良い車両だった。ヱヴァンゲリヲンとかに登場しそうな感じ(笑)。
まぁ、エヴァやシン・ゴジラのモノレールのロケ地は立川車両基地なので、こっちじゃないんだけどね。

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う~ん、浮いてるねぇ~。
走ってる所を写真に撮りたくて次の駅で降りて見た。
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カッコ良いねぇ~。下に車が走ってるね~。
これ、甥っ子と姪っ子にも見せてあげたいなぁ~。
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赤い車両より黒い車両の方が個人的には御気に入り。カッコ良い!
江ノ島までは直ぐに着いてしまうのだが、乗車中は楽しかった。
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横須賀線と違い比較的空いているので、他の乗客はほぼ着席出来ていたし、前方も親子連れ1組いるだけだったので反対側の車窓から走行中の風景を見る事が出来た。
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何かアレだね、スピードの遅いジェットコースターに乗ってる感じ。
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まぁ、それくらい揺れるって事だよ。鎌倉市は谷戸が入り組んでいるので陸を削って線路を引く訳にもいかなかったんだろう。平地は既に住居と神社仏閣でいっぱい、だから江ノ電みたいに住宅街の路地に線路を引かないといけないが、現代で鉄道路線新設する際はそうもいかない。
そもそも至る所に文化財が埋蔵されているから、橋脚を立てて懸垂式にした方が便利が良かったのだろうか?懸垂式に拘る理由は良く解らんが、橋脚の上に高架線にするより経費も掛からないんだろう。
何にせよ世界でも比較的珍しい路線に成っているので、外国人向けに江ノ島→鎌倉観光のコースを宣伝したら人気に成りそうな鉄道だと思う。
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暫くして江の島駅に到着。久しぶりに来てみるとモノレールの駅の周辺は少し寂しい感じだったかな?
でも江ノ電の駅の周辺商店街は賑わっていた。
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店も多いしカラフル。
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所で、江ノ電の駅で可愛い物を見つけた。
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駅前の車止めが可愛い雀(すずめ)に成っていて、誰かの手編みのブランケットを着ている(笑)。
可愛いなぁ~♡
こういう優しさとユーモアが有る人って好きだな。駅の職員さんだったら凄いな。
可愛かったのでGoogle mapに写真投稿しようとしたのだが、バグか何かで何回も口コミに写真添付したのにUPされず、挙句の果てに関係ない写真が関連付けられたので諦めた。
でも今回、この可愛い雀達をブログで紹介できたから良かった。
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江ノ電も色んな車両が有るんだね~今は。緑の車両だけじゃないのか・・・
江の島駅の目の前を通り過ぎて直ぐに、面白い店が有るのに気が付いた。
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革製品の製作販売所、レザークラフトすずき。
店の入口は判り難(にく)い。

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この“江の島がっぱ”と書かれた看板の有る建物の2Fに店が在(あ)る。
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ここではペットボトルホルダーと言うのをアルファベットの文字を刻印してその場で作ってくれる。
観光する時に手にペットボトル持って歩くのは正直邪魔臭いし写真撮影を妨げる、かと言って鞄(かばん)の中に入れても結露で折角訪問した先のパンフレットや御朱印帳が濡れるのも嫌だ。
これならジーンズのベルト通しにぶら下げて、ペットボトルを吊り下げて置ける訳だ。
だから小生は、このペットボトルホルダーを見て直ぐに「欲しい!」と思った。
階段を上がって見た。
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ふむ。地味な店構え。
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中に入ると鞄や様々な革製工芸品が飾って有った。
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御店主にペットボトルホルダーを作って欲しいと頼むと、好きに字を選べるので言って下さいとの事・・・
更に文字以外にも、色んな模様がチョイス出来る。
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最初は梟(ふくろう)は不苦労に通じるのでソレにしようか、それとも崇敬する坂東平氏の殿様達や織田信長公が愛用した蝶々の模様にもしようかと思ったが、小生の家の家紋に似ているデザインが有ったので、それをチョイスしてみた。
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これこの通り、色んな模様が有るので良い記念品にも成るはず。山登りや城巡りで実用性も高いしね。

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御店主が加工に入ってものの5分経つか経たないかで完成。
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うん、違い鷹の羽・・・少し歪んでるけど(笑)。
使い込んで行くと赤黒く変色して渋い色に光る様に成るそうだ。良い思い出の品が出来た。
きっとこれから先、御城巡りや山登り、神社仏閣散歩で活躍してくれるだろう。
とても気に入ったので❝レザークラフトすずき❞もGoogle mapで口コミを書こうとしたら、口コミ書いても表示されない。小生の口コミだけではなくて他の人のも表示されていない。
これって何かの規制が掛かってるのかな?良く解らない。CIMG4263
暫く江ノ島に向かって歩くと、何やら石碑が見えて来たので説明の看板を読んでみる事にした。
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どうやら杉山検校(けんぎょう)と言う鍼灸医師だった高名な人物が、現代の針治療の際に用いる管を使った治療法を編み出したらしい。それによって財を成したので江ノ島への参道だった当時の商店街の一角、この石碑仍170mくらい前の場所でこの石柱を寄進したらしい。
杉山検校は江の島弁財天様の熱心な信徒だった様で、ちゃんと財を成してから神様に恩返しをした訳だな。江戸時代初期の人物だそうだ。
検校と言うのは平家物語の琵琶法師でも有名だが、盲目障害者ながら一定の素晴らしい功績を挙げる人材と成った人物に対して特別に朝廷より敬意を払われて与えられた官職だった。だから杉山検校は多分、江戸時代の盲目の人ながら医療の大家として成功を収め、人の役にも立ち、財を成し、そして公益にも奉仕した人なんだろう。現代のフリーメイソンの人達やロータリークラブの人達みたいだな。
まぁ、針を刺すとか言うと昭和生まれの人にはコッチしか思い浮かばないだろう・・・
藤枝梅安 緒方拳 
緒方拳サンの藤枝梅安(笑)。
こっちは人の役には立っても人殺しちゃう方だし実在しない人物だから、同じ人を刺す仕事でも杉山検校さんの方が遥かに凄い訳だな(笑)。
石碑の先には❝旅館貸宿❞と書かれた❝石政旅館❞と言う素敵な旅館が在り玄関が開いていたので中を覗いてみた。
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どうも中古家具を販売しているのだが・・・
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どれもこれも、最近まで旅館として使っていた節のある備品ぽい物ばかり。
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実に立派な建物だ!なんで廃業してしまっているのか理解できない!
この1FだってBARに改装すれば江ノ島観光の帰りに若い客が大勢来るだろう。
それに宿泊できるのであれば、1Fで御酒を飲んで、そのまま宿泊してゆっくり数泊江ノ島観光したいサーファーやカップルの需要は絶対に有るはずだ!
勿体ない!
金沢八景の料亭金沢園も今年から喜多屋旅館としてリニューアルし復活した程、古民家や文化財建築のCafeや旅館は外国人や若者に人気が有るのに!
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夜間出入り口だったと思われる入口も風情ある。
御店主に「旅館としてはどれくらい歴史が有ったんですか?」と話を聞こうとしたら「何でそんな事聞くんだ!」と少し怒って逃げて行ってしまった。
英語や中国語一つ覚えてGoogleやYahoo!やトリップアドバイザーにホームページ作って掲載するだけでも江ノ島駅前、海岸徒歩5分の好立地、そして祖先から受け継いだ文化財に等しい建築物で異業種でも復活の機会は幾らでも有っただろうに・・・
何をやっているんだろう御店主、素人の質問から逃げている時点で祖先から引き継いだ店を守る気も気力も無いって事なのかな。勿体ない!
自分に維持する力も外国語一つ思える気力無いなら賃貸として貸し出せば良いのに!
絶対に入りたいテナントはいるはずなのに!朽ちていくのを待つとか自ら殻に引きこもって落ち込むのは違うんじゃないか?
まぁ、そうは言っても、御店主がやる気が無いなら仕方が無いんだろう。
しかし江ノ島にはまだまだパワーの有る頑張ってる老舗旅館も多数有る・・・
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もの凄い良心的な値段の紀伊国屋旅館さん。
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良い店構えだ!
小生は今年の夏は三浦半島に、秋は多分、京都か愛知県犬山温泉か奥多摩の旅館に宿泊するけれども、
冬は車で30分圏内の横浜市内と横須賀市内の老舗旅館を開拓する心算(笑)。
金沢区の喜多屋とか南区の中里旅館とか横須賀市の衣笠温泉旅館に泊まりたいからね。
夏の城ヶ島や三崎や松輪や秋谷界隈の旅館や民宿も、観音崎や走水のホテルや旅館もまだまだ数年かけて開拓していきたいし。
来年は紀伊国屋旅館さんか、江ノ島の岩本楼さんにも宿泊してみたいなと思う。
旅館以外にも頑張っている老舗が有る。
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玉屋のようかんサンだな。
この店については江ノ島からの帰路の記事で紹介したいと思う。
石政旅館、泊まってみたかったな・・・
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江ノ島の古い商店街を抜けて、地下隧道の歩道を通り抜けるとこの眺望に辿(たど)り着く。
名勝史跡江ノ島の石碑と江ノ島の風景。
これを見ると夏だ~!と思えるがまだ梅雨(笑)。
でも良い景色。小生はいつも車移動だが、電車でデートに来るカップルは、この石碑の風景を見るだけでもテンションが上がるんじゃなかろうか?
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この付近には江ノ島の裏側に渡る渡し船がいて、小生は行き帰りのどちらかで乗船する事をお勧めする。
10分程度の乗船時間。でも江ノ島を海から見るのはさぞ気持ちが良い事だろう。
小生は歩くのは嫌いじゃないので歩いた。
しかし女性連れは船を片道選択した方が無難だろう。出来れば帰りは船が良い。
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・・・と言うのも江ノ島は険しい自然地形で階段が多いので、オシャレな格好をした女性に長時間歩かせるには少々酷なのだ。この橋の手前から稚児ヶ淵の岩屋まで観光しながら歩いて行くと60分前後はかかる。だから行きか帰りどちらかをクルージングにしてあげるだけで疲れも半減するし潮風も気持ちい良い思い出作りに成ろうかと思う。
無論、歩くのが苦にならないカジュアルな格好で来てくれる女性なら、そんな心配も無く一緒に買い物も楽しむ余裕も有るだろう。
江ノ島がどれくらい険しいかと言うと、参道はちゃんと整備されているが、戦国時代、ここは最後の鎌倉公方の足利成氏(しげうじ)公が反逆者の上杉家連合軍に追い詰められた際に忠義の家臣達と江ノ島に籠城して、見事に上杉軍を撃退した程に堅固な防御を構築できる地形をしている言うなれば天然の城な訳だ。
まぁ、歴史的には西暦500年代、古墳時代に欽明天皇によって江ノ島の岩屋に天皇家の勅願所が開かれたので宗教的な聖地でもある。なので宇迦之御魂(うかのみたま)の神や弁財天様が祀られ多くの修験者や仏僧が多く修行した霊場でもあった。
そんな場所も江戸時代~現代にかけては庶民に人気の宿泊場所であり観光地と成った。
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そして、このゲンナリする人混みである(笑)。
人混みは好きでは無いが、多くの人の崇敬を神社仏閣が集めて日本文化がリスペクトされている事、日本食を多くの外国人旅客が美味しそうに食べていてくれる姿を見るのは嬉しい。
だから、この日の江ノ島の賑わいも嬉しかった。
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参道に入るとさっそく登場、昔からの旧鎌倉郡名物の女夫饅頭(めおとまんじゅう)。
現代では夫婦(ふうふ)と言う字に夫婦(めおと)と当て字の読み方をするが、本来のメオトは女夫(めおと)と書いたのだ。
今では鎌倉市の名物は鳩サブレーや豆やの豆菓子等、新しい物が有名だが司馬遼太郎さんも紹介しているが鎌倉の名物は昔から女夫饅頭だった。もっとも司馬遼太郎さんは女夫饅頭は鎌倉市坂ノ下に在る「力持ち屋」の名物と勘違いされていたようだが。
小生のこの日の目的の一つは、この女夫饅頭の食べ比べでもあったが、事前に当たりをつけていた老舗が鎌倉市内の長谷と下馬に有るので江ノ島では食事を楽しむ事にした。
そして、この日の主目的は観光では無く、老舗ホテルの岩本楼さんへの取材だった。
岩本楼は江の島神社の参道の途中に在る。
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この立派な門柱が岩本楼。
その前には有名な江ノ島名物の❝タコ煎餅❞の店が在る。
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他地域の人はイメージが湧かないと思うが、江ノ島のタコ煎餅はタコを丸々プレス機にかけて圧し潰して煎餅にした食べ物だ。
アホ程人気の行列店で、この日も客が多数並んでいたので断念した。
なので岩本楼へ先に訪問。
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岩本楼は実は小生が顕彰する横浜の殿様の間宮家と同族で祖先を同じくする。
旅館としての歴史は明治からの老舗だが、岩本楼の前身、岩本院の歴史は凄まじい100年200年ではきかない歴史を有する。
・・・と言うのも岩本楼は元々は密教や修験者の宗派である古義真言宗の御寺で江ノ島の岩屋や弁財天様を管理する別当寺だったのだ。
だから、源頼朝公が弁財天様を岩屋に祀って以来の歴史と成る訳だ。つまり800年前後の歴史を有する。
そして戦国時代、その江ノ島神社の前身と成った江ノ島の聖地の洞窟と弁天様を管理した別当寺の岩本坊として歴史書には登場し、足利成氏公の奇跡の大逆転勝利を導いた戦勝の神様を管理した場所であり、そして北条氏康公と北条綱成公義兄弟の河越夜戦での奇跡の大逆転勝利の際にも、北条氏康公が岩本坊に滞在して弁財天様に戦勝祈願をした記録が残っている。
河越合戦布陣図
加えて、当時の神主や別当が現在の岩本楼の社長の御先祖様で間宮一族、明治以前まで旅館岩本楼の前身の岩本院が天皇の江ノ島の聖地の岩窟を管理する勅願所だった為に❝間宮の苗字(みょうじ)❞より由緒ある本姓の佐々木を名乗っていた。
明治に成り廃仏毀釈による仏教弾圧で江島神社が設立され修験道寺院としての機能有った別当時の岩本院は停止された。その際に江島神社の宮司は間宮姓のまま残り、岩本院は宿坊の機能を活用して旅館業として再出発し社長は、明治以降は岩本の姓に改めた歴史が有る。この事は藤沢文書館で文献を読む事が出来る。
小生の訪問に対して岩本楼サンは丁寧な対応をして下さった。
生憎と写真撮影は出来なかったが、普段は一般非公開の資料館がホテル内に在って、そこには旧建物の天井の一部や様々な遺物が展示されている。そしてフロアには洞窟に祀っていた八臂弁財天様も鎮座していた。
今ではオシャレなリゾートホテルと言うか旅館に転身されたが、色々と貴重な遺物を見学させて頂き、パンフレット等も頂く事が出来た。
知識的な事については、当事者とは言え現代では歴史的な事に関しては、やはり小生の方が知っている事も多く、情報を交換する形に成ったが、本当に親切で、そして生粋の相模国人気質の江戸っ子に似た気風(きっぷ)の良さと江戸弁に似た横浜弁と言うか相武の訛りの聞いた親しみやすい、映画の寅さんの様な語り口調で小生の事も「お兄ちゃん」との人称代名詞で呼んで下さり親しげに近所の若者に接する様な話し方で交流して下さったので緊張せずに済んだ。
今年か来年、旅館としての岩本楼に宿泊したら、又、詳しい紹介記事を書きたいなと思う。
そして源頼朝公、足利成氏公、北条氏康公と同じく江ノ島の弁財天様の御利益も授かりたいなとも思う・・・

次回その②へ続く。




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