皆さん、お久しぶりです。
梅雨で体調崩してませんか?
小生は食当たりに成って仕事を休んだり、睡眠不足で頻繁に立ち眩みがする今日この頃です(笑)。
さて、久しぶりに2時間だけ前回の記事の続きブログを書きます。
前回の休日雑記⤵
これ⤴の続き・・・
京都の友達が来て2年ぶりに一緒に歴史散策をした記事の続きを書きますが、3日間の内の2日目は1日で12ヵ所と訪問件数が多かったので横浜市金沢区編だけにして、その他の場所は又次回に続きを書くさいに紹介したいと思います。
では・・・
歴史仲間の車懸(くるまがかり)は京都の会社に勤務しているのだが彼の神奈川転勤中に知り合い、歴史仲間として2015年か2016年頃にmixiで知り合って一緒に散策をする様に成った。
彼が神奈川に居た頃は休みが合うと、毎回1日の訪問件数を大量に計画して一緒に歴史散策をしまくってた。
しかし2021年、京都に転勤に成ってしまいコロナでなかなかコチラにも来れなくなり、小生も2023年から資格の学習で歴史散策をする暇が無くなりブログ更新すら滞っている事は読者の皆さんの知る所。
5月の連休初日、車懸がコチラに来れる事に成ったのと、ちょうど小生の資格の学校のテスト勉強をスライドさせれる連休だったので、久々に京都から遊びに来ていた車懸との神奈川県内歴史散策2日目。
この日訪問した歴史史跡の順番だけ先に列挙してみる・・・
01富岡八幡宮(金沢区:源頼朝公開基)
02松方正義邸址(金沢区:第六代総理大臣松方正義公別邸跡)
03慶珊寺(金沢区:戦国期の旧北条家臣豊島氏の江戸初期の菩提寺、孫文先生密航地碑)
04長昌寺(金沢区:旧北条家臣柳下家子孫と近代の文豪、直木三十五先生の菩提寺)
05走水神社(横須賀市:旧名走水権現社、倭建と弟橘姫を祀る神話の聖地)
06味美食堂(横須賀市:横須賀市観光ガイド達も推薦の観音崎地区の名店)
07走水の古道(横須賀市:走水神社裏に残る国道16号開削前の走水~浦賀を結んでいた古道)
08御所ヶ崎走水低砲台(横須賀市:倭建と弟橘姫行在所址、明治時代の近代要塞)
09鴨居八幡宮(横須賀市:平安末期の名将、三浦氏族多々良義春公が開いた八幡宮)
10千代ケ崎砲台(横須賀市:上地市長と横須賀市教育委員会の尽力で整備公開されたばかりの要塞跡)
11王道之印(磯子区:家系ラーメン創始者吉村社長の片腕の一人だった鶴巻さんの御店)
12仲乃湯(南区:頻繁に映画ドラマのロケ地に選ばれる立派な日本建築の老舗銭湯)
・・・結構な訪問件数(笑)。
今回は上の内、写真のUPロードや画像切り貼りするのに01~02迄しか書く時間が無さそうだ。
申し訳ない、でも少しづつ書き足していこうと思う。
この日は本来、戦国時代の北条家臣筆頭格の松田家の重要拠点だった神奈川県足柄上郡山北町の河村城~静岡県御殿場市の深沢城~三島市の山中城~箱根神社~東海道箱根関所~大涌谷を観光する予定だったが一緒に遊ぶ3泊4日の2日目は生憎天気が❝曇天/雨天❞だったので臨機応変に予定を変更し雨でも影響の無い神社仏閣と要塞巡りに切り替えた次第(しだい)。
当日の朝、最初に杉田家に朝拉麵を食べに行こうと7時頃行ったら店休日だった!
仕方ないので、後で横須賀で昼食を少し早くとる事にして先(ま)ずは周辺で車懸が行った事のない場所を小生が幾つか列挙して、彼が興味を持った場所を案内する事にした。
最初に訪問したのが杉田から車だと10分程度で到着する金沢区の富岡八幡宮。
富岡八幡宮
ここは小生が過去に紹介した事が有る八幡宮で、源頼朝公が神戸市の三宮神社から御祭神の恵比寿様を勧進し開かれた神社で、後に法形(ほうぎょう:仏僧の服装)をした八幡大菩薩(応神天皇が習合された仏神)の神託が有った事から八幡大菩薩も合祀されて恵比寿様と八幡大菩薩が両立し社名が八幡宮に変わった場所。
そこら辺の解説は以前書いた記事⤵を御覧下さい。
八幡大菩薩は本来は治水の神様、そこに応神天皇の破邪の逸話が合わさった。
更に源頼朝公の御先祖様が住んでいた大阪の羽曳野市時代の河内源氏の邸宅の土地神様が壷井八幡宮だった事から源氏と坂東平氏の武士達から崇敬を集めた事で日本では戦神としての性格を持ち合わせる崇拝対象と変質していった。
なので八幡神を拝んで戦神としての御利益を頂くよりも、地鎮や治水、正しい事を行いたい時に破邪の祈願をすれば強い御利益を得られるかも知れない場所。
以前の記事を読んで貰えば解る通り、ここは海岸に突き出した岬の様な地形だった場所で当時の海岸線の平地から社殿の有る場所には少しだけ参道の階段を上って行く事になる。
この社殿は❝覆(おお)い殿❞で拝殿を兼ねており中に本殿が有る。
頼朝公はここの地形が治水や海上交通のランドマークに成ると考えて神社を開いたようで、その地形は明治時代の迅速測図とGoogleEarthで地形を見て貰うと分かりやすいと思う。
下の画像がが現代の地形と明治の地図の比較、S字状の道路は明治時代までの海岸線。
下の明治初期に陸軍が製図した迅速測図を重ねると昔の海が水色で表現されていて失われた地形が良くわかる。
まぁ、そんな訳で修験道と密教系の仏教と日本神話を信仰していた源頼朝公は、神道や修験道で聖地に成りやすい象徴的な岬に港湾のランドマークタワーとしての神社を開き、海上交通と治水の安全を願った事が良くわかるんだな。
車懸が御朱印を拝受し終わり、社務所で神職の方々に周辺を散策する暫くの間、駐車場に車を停めさせて頂く許可を得て歴史散策開始。
先ずは富岡八幡宮でトイレ(笑)を済ませてから昔の海岸線の道に出る。
上の写真を見て貰うと右側が傾斜しており微高地に成っているのが分かると思うが、これが海岸の砂浜との境界線だった。
そして正面に見えているのが・・・
松方正義公別邸跡
現在はケアセンターに成っており跡形もなく石碑のみだが、往時は第6代総理大臣松方正義公の別邸がここに存在していた。
この松方正義公の別邸の前まで海だったのだが、実はその目の前に更にもう一人、近代の歴史偉人と安土桃山時代~江戸初期の武将、豊島家の関わった御寺が有る。
孫文先生の日本への密航地点に成った場所がここで、目の前の慶珊寺に石碑が有る。
申し訳無いのですが、今日の記事更新は資格の学習の為にここまでにします。
また次の週末に続きを1時間か2時間くらい書けたら良いな~。
では皆さん、梅雨で体調管理や食べ物の腐りやすい季節で色々大変かと思いますが、体調に気を付けて6月末を乗り切って梅雨明けまで過ごして下さい。
小生も学習と仕事の両立し毎月のテスト頑張りますので、皆さん元気に過ごして下さいね♪
あ~!
横浜市の瀬上沢は蛍の季節です。
東急建設の新社長が開発を断念して下さり、横浜市の山中市長のSDG'sで政治手腕発揮の舞台も整い、日本最大級の蹈鞴製鉄遺跡の上郷深田遺跡~水源地瀬上沢の蛍生息地も守られて行きそうです。
せっかくですから皆さんも横浜市最高峰の山稜の円海山麓、瀬上沢にホタルを見に瀬上沢に行って見ませんか?
関連記事⤵
では又、次の記事でお会いしましょう~。
続く・・・
梅雨で体調崩してませんか?
小生は食当たりに成って仕事を休んだり、睡眠不足で頻繁に立ち眩みがする今日この頃です(笑)。
さて、久しぶりに2時間だけ前回の記事の続きブログを書きます。
前回の休日雑記⤵
これ⤴の続き・・・
京都の友達が来て2年ぶりに一緒に歴史散策をした記事の続きを書きますが、3日間の内の2日目は1日で12ヵ所と訪問件数が多かったので横浜市金沢区編だけにして、その他の場所は又次回に続きを書くさいに紹介したいと思います。
では・・・
歴史仲間の車懸(くるまがかり)は京都の会社に勤務しているのだが彼の神奈川転勤中に知り合い、歴史仲間として2015年か2016年頃にmixiで知り合って一緒に散策をする様に成った。
彼が神奈川に居た頃は休みが合うと、毎回1日の訪問件数を大量に計画して一緒に歴史散策をしまくってた。
しかし2021年、京都に転勤に成ってしまいコロナでなかなかコチラにも来れなくなり、小生も2023年から資格の学習で歴史散策をする暇が無くなりブログ更新すら滞っている事は読者の皆さんの知る所。
5月の連休初日、車懸がコチラに来れる事に成ったのと、ちょうど小生の資格の学校のテスト勉強をスライドさせれる連休だったので、久々に京都から遊びに来ていた車懸との神奈川県内歴史散策2日目。
この日訪問した歴史史跡の順番だけ先に列挙してみる・・・
01富岡八幡宮(金沢区:源頼朝公開基)
02松方正義邸址(金沢区:第六代総理大臣松方正義公別邸跡)
03慶珊寺(金沢区:戦国期の旧北条家臣豊島氏の江戸初期の菩提寺、孫文先生密航地碑)
04長昌寺(金沢区:旧北条家臣柳下家子孫と近代の文豪、直木三十五先生の菩提寺)
05走水神社(横須賀市:旧名走水権現社、倭建と弟橘姫を祀る神話の聖地)
06味美食堂(横須賀市:横須賀市観光ガイド達も推薦の観音崎地区の名店)
07走水の古道(横須賀市:走水神社裏に残る国道16号開削前の走水~浦賀を結んでいた古道)
08御所ヶ崎走水低砲台(横須賀市:倭建と弟橘姫行在所址、明治時代の近代要塞)
09鴨居八幡宮(横須賀市:平安末期の名将、三浦氏族多々良義春公が開いた八幡宮)
10千代ケ崎砲台(横須賀市:上地市長と横須賀市教育委員会の尽力で整備公開されたばかりの要塞跡)
11王道之印(磯子区:家系ラーメン創始者吉村社長の片腕の一人だった鶴巻さんの御店)
12仲乃湯(南区:頻繁に映画ドラマのロケ地に選ばれる立派な日本建築の老舗銭湯)
・・・結構な訪問件数(笑)。
今回は上の内、写真のUPロードや画像切り貼りするのに01~02迄しか書く時間が無さそうだ。
申し訳ない、でも少しづつ書き足していこうと思う。
この日は本来、戦国時代の北条家臣筆頭格の松田家の重要拠点だった神奈川県足柄上郡山北町の河村城~静岡県御殿場市の深沢城~三島市の山中城~箱根神社~東海道箱根関所~大涌谷を観光する予定だったが一緒に遊ぶ3泊4日の2日目は生憎天気が❝曇天/雨天❞だったので臨機応変に予定を変更し雨でも影響の無い神社仏閣と要塞巡りに切り替えた次第(しだい)。
当日の朝、最初に杉田家に朝拉麵を食べに行こうと7時頃行ったら店休日だった!
仕方ないので、後で横須賀で昼食を少し早くとる事にして先(ま)ずは周辺で車懸が行った事のない場所を小生が幾つか列挙して、彼が興味を持った場所を案内する事にした。
最初に訪問したのが杉田から車だと10分程度で到着する金沢区の富岡八幡宮。
富岡八幡宮
源頼朝公開基の波除八幡
045‐776‐3838
ここは小生が過去に紹介した事が有る八幡宮で、源頼朝公が神戸市の三宮神社から御祭神の恵比寿様を勧進し開かれた神社で、後に法形(ほうぎょう:仏僧の服装)をした八幡大菩薩(応神天皇が習合された仏神)の神託が有った事から八幡大菩薩も合祀されて恵比寿様と八幡大菩薩が両立し社名が八幡宮に変わった場所。045‐776‐3838
そこら辺の解説は以前書いた記事⤵を御覧下さい。
八幡大菩薩は本来は治水の神様、そこに応神天皇の破邪の逸話が合わさった。
更に源頼朝公の御先祖様が住んでいた大阪の羽曳野市時代の河内源氏の邸宅の土地神様が壷井八幡宮だった事から源氏と坂東平氏の武士達から崇敬を集めた事で日本では戦神としての性格を持ち合わせる崇拝対象と変質していった。
なので八幡神を拝んで戦神としての御利益を頂くよりも、地鎮や治水、正しい事を行いたい時に破邪の祈願をすれば強い御利益を得られるかも知れない場所。
以前の記事を読んで貰えば解る通り、ここは海岸に突き出した岬の様な地形だった場所で当時の海岸線の平地から社殿の有る場所には少しだけ参道の階段を上って行く事になる。
この社殿は❝覆(おお)い殿❞で拝殿を兼ねており中に本殿が有る。
頼朝公はここの地形が治水や海上交通のランドマークに成ると考えて神社を開いたようで、その地形は明治時代の迅速測図とGoogleEarthで地形を見て貰うと分かりやすいと思う。
下の画像がが現代の地形と明治の地図の比較、S字状の道路は明治時代までの海岸線。
下の明治初期に陸軍が製図した迅速測図を重ねると昔の海が水色で表現されていて失われた地形が良くわかる。
まぁ、そんな訳で修験道と密教系の仏教と日本神話を信仰していた源頼朝公は、神道や修験道で聖地に成りやすい象徴的な岬に港湾のランドマークタワーとしての神社を開き、海上交通と治水の安全を願った事が良くわかるんだな。
車懸が御朱印を拝受し終わり、社務所で神職の方々に周辺を散策する暫くの間、駐車場に車を停めさせて頂く許可を得て歴史散策開始。
先ずは富岡八幡宮でトイレ(笑)を済ませてから昔の海岸線の道に出る。
上の写真を見て貰うと右側が傾斜しており微高地に成っているのが分かると思うが、これが海岸の砂浜との境界線だった。
そして正面に見えているのが・・・
松方正義公別邸跡
045-780-3431(金沢区観光協会)
現在はケアセンターに成っており跡形もなく石碑のみだが、往時は第6代総理大臣松方正義公の別邸がここに存在していた。045-780-3431(金沢区観光協会)
この松方正義公の別邸の前まで海だったのだが、実はその目の前に更にもう一人、近代の歴史偉人と安土桃山時代~江戸初期の武将、豊島家の関わった御寺が有る。
孫文先生の日本への密航地点に成った場所がここで、目の前の慶珊寺に石碑が有る。
申し訳無いのですが、今日の記事更新は資格の学習の為にここまでにします。
また次の週末に続きを1時間か2時間くらい書けたら良いな~。
では皆さん、梅雨で体調管理や食べ物の腐りやすい季節で色々大変かと思いますが、体調に気を付けて6月末を乗り切って梅雨明けまで過ごして下さい。
小生も学習と仕事の両立し毎月のテスト頑張りますので、皆さん元気に過ごして下さいね♪
あ~!
横浜市の瀬上沢は蛍の季節です。
東急建設の新社長が開発を断念して下さり、横浜市の山中市長のSDG'sで政治手腕発揮の舞台も整い、日本最大級の蹈鞴製鉄遺跡の上郷深田遺跡~水源地瀬上沢の蛍生息地も守られて行きそうです。
せっかくですから皆さんも横浜市最高峰の山稜の円海山麓、瀬上沢にホタルを見に瀬上沢に行って見ませんか?
関連記事⤵
では又、次の記事でお会いしましょう~。
続く・・・