歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:燈明堂海岸

※2020年新型肺炎対応による駐車場と海の家の営業状況等は各自治体に問合せ願います。

燈明堂海岸と浦賀燈明堂
千代ヶ崎砲台
 (江戸幕府海防陣所跡)

【水質】
【景色】
【電車】
 浦賀駅~バス6分+徒歩9分。
 徒歩で36分
【  車  】
 駐車可能台数極少。
【休憩】
 史跡の為に公共トイレのみ。
オススメpoint( •͈ᴗ•͈ )       
 海が抜群に奇麗だよ~◎

 縁結びの西叶神社東叶神社が近い◎
注意するpoint(•ω•)       
 海の家は無いよ~。
 三浦東岸で夕陽は見えないよ~。
――以下 詳細( ゚∀゚)つ ダョ♪⤵――
海はピカ一奇麗!子連れの親子が浜辺で遊ぶのに最適だが、過去に公設海水浴場としての実績は無い。
東京湾の入口に存在している為に海水が市街地化の影響を受けておらず透明、更に砂岩と粉砕された貝殻で出来た砂浜は真っ白で美しい。ボぉ~っとしてるだけで幸せになる場所。
海岸の名前の由来は江戸幕府によって灯台として建設された浦賀燈明堂に由来する。燈明堂はその後も明治時代初期まで稼働していた。
西側岩場にワカメやヒジキが自生している。
付近は戦国時代からの要所で浦賀港の対岸には戦国時代の浦賀城址が有り、燈明堂海岸には江戸幕府によって要塞化された千代ヶ崎台場が建設され、明治に成ると千代ヶ崎砲台に近代化改修された。立地と縄張り的に戦国時代にも名前の残らない城塞だったのかも知れない。
浦賀港には縁結びで有名な源頼朝公と文覚上人が開いた東叶神社と西叶神社が有り、両方の神社を浦賀港を渡し船で海を渡って御参りすると“縁結び”の御利益が有ると若者に人気。
東叶神社西叶神社と渡船のリンク⤵️
東叶神社の山が浦賀城址で、西側の燈明堂側には江戸幕府の浦賀奉行所が存在した。
燈明堂沖の海獺島(あしかじま)は徳川埋蔵金伝説が有り、沈没船に幕府の蓄財が満載されていたらしい。
海獺島の名前の由来は、海水の奇麗な一帯には明治時代まで海驢(あしか)が生息していた事に由来し一帯の海が自然豊かな漁場だった歴史も垣間見える。
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※燈明堂海岸
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※浦賀燈明堂跡
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千代ヶ崎砲台跡 久良岐のよし
※千代ヵ崎砲台跡
穴場海岸の紹介一覧へ⤵️
mixiチェック

「自粛やぁ~めた!」
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・・・で、車で30分の近くの海に潮風に当たりに行って来た。
三ヶ月前から中国から情報共有されてたし、中国反省してからの対応は参考に成った。中国から3月初旬には大量の検査キットや医療用具の提供も有った。
そもそも武漢肺炎爆発感染開始直後に上海の医療先進チームが100人編成で武漢入りした際の装備の不備で全員感染し壊滅した事実も、外務省から厚生労働省に情報共有されなかったのかダイヤモンドプリンセスの検疫に活かされてもおらず、厚生労働省と政府の相談役の有識者は自分達の方法に拘り全て後手後手に回り、現場の職員は感染リスクにさらされた。
台湾のサーズの経験活かした中国からの感染者流入阻止と感染者隔離と防疫も、1月初頭から良い御手本に成っていたにも関わらず、それも模倣出来なかった。

全て無視して対応が3ヶ月遅れたのは政府の責任。三蜜回避要請も1ヵ月の約束だったはず。
自営業の連中はどんどん倒産してる。

「阿呆(アホ)らしい」

スーパーに親子連れで買物来てて、あれだけ過密してて皆で商品べたべた触って三蜜回避も外出自粛も無ぇ~よな?
伊勢佐木長者町や曙町の性風俗店は普通に営業黙認してるよな?
黒岩神奈川県知事、林文子市長?
なんで真面目な洋食屋さんや居酒屋がダメで、濃厚接触どころか直接粘膜擦れ合う淫靡な接触でヤクザの資金源で最凶最悪の性風俗店が営業してるのを実名公表しないんですかね?

あ~御二人とも性風俗の常連客なんでしょうか?

性風俗に事実上の自粛無用の営業公認する黒岩知事と林市長。
約束守らないし、国民の生活守らないし、日本企業守らない政府。
特によくいる実力不足だけど自己顕示欲が強い“苛めっ子優等生”タイプの西村大臣の大阪府知事に対するマウント。
くだらねぇ~なぁっ、エライさん方!
末端の公務員と県民の事考えてなさそうだ。

「だから自粛やぁ~めた(笑)!」
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うひゃ~♪
人のほとんどいない海って気持ち良ぃ~(笑)!

どこの会社にもいそうな有能な後輩を潰しにかかる無能上司みたいな西村ってオッサンにクサクサしても意味ないし、安倍総理も約束と違う“緊急事態宣言延長”とか言い出したから、もう自分なりにしていた三蜜回避の為の自粛の御願い聞くも止めて飲食店にも行く事にした♪
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うぉ~!焼き鳥美味ぇ~(笑)♪
※店は後で紹介する。もろ三蜜♡で食べる立ち食いの御店!

感染源特定出来ない状況にまで事態が悪化してるのに、外出自由の現状で外出自粛要請は意味が無い。
一番ダメなのは電車バス通勤を禁止しない事。
もう手と手、頭髪と頭髪で間接接触も直接接触もしまくり!

でも庶民の小生がそんな事を考えても政治家じゃないから仕方ないもんね(笑)。
身の回りにいる“男性のバブル世代や団塊世代”に言っても・・・
「政府より偉いと思ってるの?」
「自分が政治家に成れば?」
・・・とか、民主主義の「み」の字も自覚してない自分達が国家運営を委託する人間を決める国家運営に関わってる一員と言う自覚が丸出ない、無責任な発言しか聞かなかった。

てなわけで、なんかクサクサした気分を「パっと!」晴れやかにしたい気分に気持ちの良い青空、三密回避に山歩き行くには雨翌日の泥濘(ぬかるみ)で無理なので海に行ってきた・・・
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浦賀燈明堂(とうみょうどう)
これどこよ?と歴史に興味ない人は思うだろうけど、歴史的に重要な場所で有りメチャメチャ奇麗な場所。
写真の右上を見ると和風の建物が見えるだろうか?それが復元された江戸時代の“灯台”なんだな。
浦賀城周辺 久良岐のよし
実はそこ、江戸時代初期はおろか平安時代から重要視された浦賀港の入り口で、岩礁が有るので慶安元年(1648年)に江戸幕府の命令で築かれた日本最初期の灯台で、近代の明治五年(1872年)まで稼働していた施設なんだな。
そして戦国時代には三浦水軍の重要拠点として浦賀港の入口東側の東叶神社の丘陵が城塞化され、神奈川県では有名な浦賀城が築かれ東京湾防衛を担った。
北条家臣間宮一族で北条氏康公の奏者(秘書)を務めた間宮宗甫公、そして平安以来の三浦郡領主の三浦氏の分家である横須賀氏が在番した水軍拠点の城だった。
城主の横須賀氏は元は鎌倉武士として源頼朝公の最大の協力者だった三浦義澄(よしずみ)公の支配した三浦一族の子孫で、三浦本家が滅亡して分家の佐原三浦家が三浦家の名跡を次いで室町時代に大名に返り咲くと横須賀氏も重要視され、三浦氏の戦国大名として最後の武将と成った新井城主三浦義意(よしおき)公の母君が横須賀秀連公の御息女だったりする。
つまり、この横須賀秀連公が北条氏綱公が相模を統一した頃の横須賀の浦賀城主で、間宮宗甫公は横須賀氏の目付(副将兼監視役)的な意味で配置されたのだろう。
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間宮宗甫公の宗甫は名前では無く入道号であり仏門に出家した法名だ。
1560年迄の領地も“北条所領役帳”に記載が有る。
八貫五百文 神奈川斎藤分
六貫文   鎌倉紺屋分
弐捨貫文  御蔵出し
この鎌倉紺屋分と言うのは鎌倉を支配した本光院殿(北条為昌)の死後に、その遺領が再分配された当時の軍団編成が“本光院殿衆=鎌倉領”だったから所領役帳を写本した人物が誤認して“鎌倉”の注釈を入れたのだろう。
小机領、神奈川領と似た様な編成由来だと思われる。
そもそも現存しない原本には各所領の郡名は書き記してなかった筈で、証拠に別の写本とは郡名の違う場所が有る。
間宮本家の間宮康俊公の所領に富屋とあるが、これの郡名が各写本で異なる。今の坂戸市戸宮としている学者さんもいるが恐らく違う。間宮家所縁の神奈川区に実は富屋は今も存在する。実はJR東神奈川駅一帯がそもそも富屋町で、今はだいぶ狭い範囲になり安土桃山時代か江戸時代には既に神奈川の名の方が有名に成り江戸時代に写本した連中が神奈川区富屋=そもそもの神奈川宿周辺に戦国時代今より大きく広がっていた富屋町を辿る事が出来なかったので、同時期に検地された埼玉県方面の中に戸宮の名を見つけて当て込んでしまったんじゃないだろうか?
学者さんが根拠にしているのは、その検地された時期だけで、同時期に離れた富屋の検地がされていてもおかしくない。寧ろ京急神奈川駅一帯の権現山城の合戦に間宮家が籠城側として参戦してる事も富屋は神奈川区の富屋と考えた方が極々自然だったりする。
権現山合戦を書いた記事⤴️
紺屋の地名で他に間宮家に所縁の有る場所は鎌倉市には無いが旧本光院殿衆の与力所領は三浦には沢山ある。宗甫公は氏康公の直属に成る以前は或いは本光院殿衆だったのかも知れない。
三浦半島の東岸は西浦賀の他にも不入斗一帯が間宮本家の所領で、杉田の間宮家は走水で里見水軍を一網打尽にし里見の軍船を多数滷獲(ろかく:乗っ取る)に成功した際に不運にも間宮常信公が討死にしている。浦賀の紺屋を除いて走水防衛を担う出撃拠点が見当たらない。
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斎藤分町と言うのは六角橋商店街で有名な近所の一帯だな。小生は学生時代に交通違反点数累積の1ヵ月免停で違反者講習を受けに行ったのも六角橋の斎藤分町側だった(笑)。
ところで間宮宗甫の宗甫と言う法名だが・・・
戦国時代の北条家臣団は多くは主家北条家の宗旨が曹洞宗だった事から、一般的に当時は臨済宗と一緒に“禅宗”で一括りにされていた禅宗曹洞派の寺院で学問や禅の精神を学び、入道号に臨済宗大徳寺系の“宗〇”と大徳寺で修業した主家の創始者である北条早雲(実名:伊勢盛時 入道号:宗瑞)に倣(なら)って師僧から“宗”の字を貰って法名を名乗る事が多かった。
当然ながら地元の由緒ある臨済宗の御寺が菩提寺だったり自分の領地内に在ったりすると“道〇”と臨済宗系の法名を貰っている人も多くいた。
それ以外にも千葉家臣団系や武蔵国南部を拠点にした武士は日蓮宗系の“日〇”と名乗る武将も多かった。
面白い事に、北条家臣団は禅宗で学びながらそれぞれの菩提寺の宗旨でも法名を貰っていた様で、戒名には禅宗系と日蓮宗系のMIX戒名(笑)も多く見られる。
例えば間宮宗甫公の一世代後の間宮家の同族でも北条氏康公直臣として横浜市磯子区杉田一帯を治め小田原水尾城代を務めた間宮信繁公の戒名が「法種院殿“道因”“日縁”大居士」と臨済系の道〇と日蓮宗系の日〇の両方が入っている。
これは簡単に説明がつく。
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霊桐山 東漸寺(臨済宗関東十刹の1つ)

寺領の陣屋に臨済宗の関東の十大道場の一つである東漸寺が存在したので、そこで平素は禅の修行をしたから師僧から“道因”の入道号を与えられたのだろう。
そして“日縁”の法名は・・・
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牛頭山 妙法寺
・・・同じ杉田に存在する実家の菩提寺である妙法寺が日蓮宗だったので、亡くなった際に日蓮宗の法名も加えて戒名の法種院殿道因日縁大居士に成っている事が判る。
日蓮宗の多い千葉家臣団の遺臣の末裔である房総半島の武将達も間宮信繁公と同じ様に鎌倉時代以来の日蓮宗系の日〇+臨済宗系の道〇の法名を持つ武将が多いのも同じ理由。

室町時代を通じて北条家は浄土真宗と敵対する足利幕府の方針に従っていたので、足利義明の将軍就任以前は浄土真宗とは敵対していたので、先ず、安土桃山時代になるまで浄土真宗に帰依している武将はいなかった。
間宮家でも豊臣秀吉による北条家改易後に徳川家臣となった間宮綱信公が氷取沢の寶勝寺を禅宗から浄土真宗に復興開基したりしているのは、正にその理由で徳川家康公の重臣である本多正信公が近くの玉縄城主に成り影響を強く受けたからだろう。本多家が没落すると今度は自分の領地の荒寺を徳川家の宗旨の浄土宗に改宗して復興開基した所が多い。

東漸寺と妙法寺の紹介記事は以前書いているので、御興味有る方は御覧下さい。
これ⤵


鎌倉時代に話を戻す。
源頼朝公と文覚上人は真言宗の密教と山岳信仰の修験道としての修行に造詣が深く、伊勢原市の大山や富士山を登って富士山の火口を一周する修行をしたりしている。
現代の様な登山靴も衣類も何にも装備がない時代に・・・
鉄人すぎる。
それ以外に二人は法華経を大切にしていた様で、頼朝公の御廟所も法華堂だったりする。
その後。源頼朝公の死を境に衰退しする。その頃に成ると源頼朝公の忠臣だった熊谷直実公や土肥実平公は法華経と阿弥陀如来を大切にする法然上人に帰依して、二人はそれぞれ浄土宗の僧侶に成ったり浄土宗の寺院に仏像を寄贈したりと支援を行っているが、二人を含めた源家の忠臣は鎌倉幕府を牛耳った北条家に政治的に干される。
恐らく、鎌倉で法然上人と弟子の親鸞上人が北条家から迫害されたのは武士同士の信仰的な結束とか政治的な結び付きが直結したのだと思う。
鎌倉幕府の執権と成っていた北条家が京都の藤原氏と組むと、藤原家が影響を及ぼしていた天台宗系の禅宗臨済宗を北条家が導入し、旧頼朝公の古参遺臣派と親北条派の政治的衝突に巻き込まれ熊谷家や土肥家と関係の深い法然上人の浄土宗の寺院が鎌倉で焼討された時期が有ったのだろう。
その後、執権の北条家が導入した臨済宗に宗旨替えをする武士が多く成り、その武士達が支援した寺院も臨済宗が多く成った。
だから神奈川県域の街道沿いや海沿いの早くから開けた場所だった寺院は臨済宗や元臨済宗が多く、杉田間宮家が支配した屛風ヶ浦辺りにも篁修寺や林光寺と言った臨済宗寺院が残っている。
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鳳林山 篁修寺KIMG6145
晴峯山 林香寺この二ヶ寺は北条家分家の名越北条家の丸に三ッ鱗紋の家紋を今も寺紋として使用しており、東漸寺の末寺として開かれた歴史が有る。
丸に三ツ鱗紋
一帯を鎌倉時代まで支配していた名越北条家の北条宗長公が、天台宗だった東漸寺を建長寺の末寺として再興したので、東漸寺から北条家の三ッ鱗紋を引き継いだ事も解かる。
因みに東漸寺の方はと言うと・・・
CIMG6785徳川葵紋
徳川家から葵の紋の使用を許されているので、現代では名越北条家より権威の有る葵の紋を使用している(笑)。
現代では鎌倉五山の第五位に列せられている東日本で5番目の格式を持つ臨済宗の浄妙寺・・・
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実はここも元は真言宗の大寺院だった。
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浄妙寺は足利家の鎌倉幕府征夷大将軍の家臣時代の居宅地であり鎌倉の菩提寺で、室町幕府初代将軍足利尊氏公の御舎弟(弟)である足利直義公の菩提寺だったりする。

三浦半島の浦賀湊に話に戻す・・・

源頼朝公御存命の平安末期以来の在地武士は真言系宗派を信仰する一族が多かった。だから三浦一族の拠点には真言宗寺院や元真言宗の御寺が多い。一部、天台宗の寺院も現存したり元は天台宗だった場所も多い。
鎌倉時代の三浦本家の学問所だった大善寺。
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金峯山 不動院 大善寺
ここは奈良時代に行基大僧正によって不動明王と蔵王権現が祀られて寺院の前身が出来て、後に真言宗の寺となり衣笠山が平安末期に三浦一族の居城となり衣笠城内に組み込まれると三浦家の学問所として一時は大いに繁栄したそうだ。戦国時代に三浦半島が小田原城主北条氏綱公の勢力下に入ってからは曹洞宗寺院に改宗したが、曹洞宗に成ってからも護摩壇が御堂に残されており真言宗時代の御不動様の護摩焚きを現在も行っていたりする。
神奈川県域にも弘法大師つまり空海和尚が布教活動に来られていたので比較的天台宗より真言宗が平安時代末期までの関東では勢力が強かったようだ。又、頼朝公の源氏が熱心な密教的要素の強い修験道の信者だった事もあり、真言宗と天台宗が残る原因に成ったのかも知れない。
更に古い時代には関東一円には法相宗の寺院も有った様だ。
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梅花山 成就院(現在の寺号)
(開基当時:曲田山 帶行寺→改宗後:梅花山 南無佛院 成就坊)
又、三浦半島から横浜に話を戻すが、港南区笹下の間宮家の居城笹下城跡に在る成就院は、現在は浄土真宗高田派だが平安時代の早い時代には法相宗だった事が書かれていたりする。そして文覚上人が源頼朝公の戦勝祈願の護摩焚を行ったと新編武蔵風土記稿に書かれている事からも鎌倉時代の頼朝公の時代には文覚上人の真言宗に一時期属していた事が判る。
そして例によって頼朝公が暗殺されて後に荒廃し、後に親鸞上人が笹下に布教に来た時期に浄土真宗に改宗し蓮如上人によって曲田山帶行寺から浄土真宗の御坊(ごぼう)として“成就坊”に改められたと伝わる。

成就院も以前記事を書いているのでコレ⤴御興味有れば御覧ください。

因みに、さんざん登場した文覚上人・・・
源頼朝公と親友だった真言宗系の密教修験道の有名な“御坊様”だった文覚上人が開いたのが浦賀湊(みなと)の入口を守る東と西の叶神社だ。
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叶神社(西)
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叶神社(東)
この2社は実にロマンが有り、2社を隔てる浦賀港の渡船に乗って両方御参りすると縁結び祈願が成就すると言う。因(ちな)みに小生は未だ、船で御参りした事が無い。

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ここが渡船の乗り場で、海に治策見えているのが赤色の船が渡船。
機会が有ったら好きな女性を連れて来て一緒に御参りしようかしら(笑)?
この神社は西が先だ東が先だと下らない事を推論する“御朱印バカ”がいるが、そもそも開いた文覚上人が僧侶で今でこそ神社だがそもそも神社じゃない。
神仏混交の八幡宮として京都石清水八幡宮から勧進された八幡大菩薩=応神天皇=大鞆別命の御神霊を御祀りしている真言密教系修験の聖地だった訳だ。

国土交通省水管理保全局が判りやすいブログを書いてくれているので、それを見ると一目瞭然だと思う。
そもそも石清水八幡宮は湧水の聖地であり、眼下には江戸時代まで巨大な巨椋池と言う湖が広り淀川や宇治川と言う水害を起こす大河川が流れていたので治水の神様として、それらを見下ろす男山に神様が遷宮された訳だ。しかも修験道の聖地として、仏教の僧侶が得た神託によって筥崎宮から遷宮された。
そして古代から存在する神社である延喜式内社の沿岸部における立地はは湾の最深部、湾の入口を守る左右の丘や岬の先端に存在する。
 
それはコレ⤴今年の初春の頃に書いた上総国一之宮の玉前神社の記事を読んで頂ければ納得して貰えると思う。
叶神社の主祭神は石清水神社から勧進された応神天皇=八幡大菩薩で破魔の神様であり水上交通つまり航行と治水の神様であり仏様だ。それらの歴史事実を踏まえて再度、叶神社の位置関係を見ると・・・
浦賀城周辺 久良岐のよし
延喜式内社や本来の神様の役割を熟知されていた御二人らしい叶神社の配置である事が理解できる。
・・・だから叶神社は当初から軍港を鎮護する御神威を期待されて浦賀湊の入口、左右の高台に勧進された事が推測できる。
だから西が先だ東が先だ言ってる輩は、そもそもの‟石清水八幡宮の歴史や地形からして理解していない”訳だ。
どっちが先かと言われたら、恐らく同時に開かれたはずだ。そして東叶神社の方が歴史が浅いと誤認される理由は恐らく、佐原三浦家が室町時代に大名化して鎌倉公方足利持氏公の与力となり房総半島の犬懸上杉家と戦った事や、その後は足利持氏公と大庭城主の扇谷上杉氏定公を裏切って山内上杉家に付いたりと、房総半島方面の勢力に備える為に東叶神社の本殿なり本堂成りが元々在ったであろう裏山の頂上に浦賀城を築いた際に、参道の中腹まで神社が移し降ろされたんじゃなかろうかと小生は個人的に推測している。
それが証拠に城が築城されて北条家の統治下でも城の鎮守として奥院は山頂に祀られたままで現在に成っても頂上に奥院が残っている。
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石段の規模を見るに、もう少し大きい御社が当初は存在したんじゃないかと思う。
ここは東京湾と浦賀港を守る城だっただけあり眺望も良い。
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実はこの写真から見えている対岸の岬の先端の場所が、冒頭の潮風を浴びに行った燈明堂海岸だったりする。この写真を見れば、燈明堂海岸が正に灯台を築く必要性の高い地形だった事が判る。
・・・で、ここで・・・やぁ~っと!普通の休日雑記に戻る(笑)。
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はぁ~♪白い砂浜最高Da~Yo~ねぇ~(笑)!
三蜜?馬鹿じゃないの(笑)?
何で人のいる場所に態々(わざわざ)行くの?
外出自粛?何でスーパーに友達や家族で超濃厚接触しながら行くの?
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電車通勤しちゃダメじゃん!車通勤しなよ!
車通勤させない会社は在宅労働させろよな?従業員が感染したら経営者の責任だからな?
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めちゃくちゃ気持ちいィ~人の略いない海ィ~♡
もう、あとは自分の奥さんと二人だったら最高なのに(未婚)!
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泳いでる人が一人だけいた(笑)。
 
・・・とか思った瞬間に爽やかだけど少し御腹空いてきて移動しおうと思った。

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一応、これが復元された燈明堂。
周りに木が生い茂ってしまったので今は灯台の役割は果たせない。
この海岸の裏山は近代に浦賀造船所と横須賀鎮守府を守る砲台要塞が築かれた場所だったりする。
千代ヶ崎砲台跡 久良岐のよし
千代ヶ崎砲台跡保存状態は極めて良いものの、残念ながら現在は非公開で鉄錠門で封鎖され入れない。でも新型肺炎が終息したら横須賀市役所の公園管理してる部署に問い合わせれば、走水の御所ヶ崎砲台と同じで猿島ボランティアガイドの人が引率するツアーを組んで貰えるはず。
横須賀市長に成った上地雄輔クンの御父上、聞いた話だと浦賀奉行所も史跡として復興して神奈川県域の中高生の歴史教材に活用する計画とか。実に素晴らしい!
頑張ってくだされや~。
ところで小生、この千代ヶ崎砲台の地形を見て・・・
「あ~、これ城跡だわ」
・・・と速攻思いました。浦賀城と左右で港を守る名も無い要塞として戦国時代に整備されたんじゃないかな?と思ったんですが、御城ファンの皆さん、この構造体見てどう思います?
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さて、美しい燈明堂海岸で西村大臣の屑っぷりと加藤厚労大臣の対応遅れまくり無能ぶりにクサクサイライラしてた気持ちも横須賀だけに「スカっ!」と潮風で吹っ飛び(笑)・・・
自民党にはまだ河野防衛大臣や小野寺前防衛大臣やら、最近、総理に痺れを切らしたか覚醒されつつある岸田さん等の逸材がいる事を思い出し、何となく良い気分転換には成った。
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浜辺の草花も奇麗だったしね~♪
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本当、来て良かったよ。
東京も浜離宮恩賜庭園とか国立科学博物館付属自然教育園とか新宿御苑とか、今だからこそ開放して事前申請、2m以上離れて歩く事、ベンチに座らない事、とか規制かけて東京都民にガス抜きさせりゃ~良いんだ。
まぁ~我々庶民の声は自民党のド偉い、大阪府知事にマウントポジションとりたがる様な大臣先生様や10万円欲しい奴はくれてやるから手を挙げろよ的な感覚の富豪先生様には伝わらないだろう。
本当、今回は公明党の山口代表が良くぞガンっと言って下さったと思うよ。
さて、奇麗な海も見たし・・・
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次は浦賀港の対岸、東叶神社に正月以来の御参りに移動。
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東叶神社に到着、先に散々解説はしたからもう書かない(笑)。
本殿前で御参りしてから社務所奥の裏っ側に移動・・・
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実はこの弁天様が凄い厄除けの御利益が有って有名。
小生は毎年、年始の御参りで各神社で厄除けの御願いもするのだけど、今年は去年の受験した資格の合格の御願いばっかりして、余り厄除け熱心にお願いしなかったり、例年みたいに三賀日に沢山の神社仏閣を御参りして廻らなかった・・・
そしてら、1月に交通事故起こしたり、2月に右足首酷い捻挫して靭帯損傷して内出血するわ~、何回も風邪引いたり・・・
ん?あれ、もしかして東京に電車通勤してたから新型肺炎だったんだろうか?
でも一応、医者の言う通り4日間自宅待機して熱計測したら熱下がったし咳も出なかったしとか。
極め付きは今回の新型肺炎のせいで“失業するかも知れない(笑)”ピンチ(笑)!でもダメな時は何をやっても駄目なのよね~ん。
出来る事をやりながら、楽しまないとね♪
そんな訳で厄除けに東叶神社に今年2回目の御参りに来た。社務所で弁天様の厄除けの御守りを購入して、そんなこんな、今年の出来事を奥さんに話したら・・・
「あ~それじゃ是非!弁天様の矢倉の中に入って良いですから中で御参りして行って下さい」
「中に入って写真も撮影して良いですよ!」
「御利益ありますし、白い光も一緒に映るらしいですよ~」
・・・と、とっても親切に優しく明るく対応して下さった(笑)。
既に奥さんの対応が人の不幸にそっと寄り添いピンチを乗り越える為に元気に一歩踏み出す元気を下さる八幡様と弁天様みたいだ(笑)。
そんな訳で中に入らせて頂いて改めて参拝。
弁天信仰の歴史も少し知ってる小生、この頭が女神様胴体が蛇の神様を見てピンと来た・・・
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「あ~正しい弁天信仰の歴史がある」
「頼朝さんの頃から湧水の聖地だったんだな」
「だから、ここに八幡大菩薩が勧進されて今の叶神社が存在するんだな」
・・・実は現在は稲荷神社と呼ばれるところに祀られる神様の宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)が、元はこの女性の顔に蛇の胴体の神様だったんだな。関東での弁天信仰の流行は、欽明天皇の勅願所聖地だった江ノ島の洞窟の中に祀られている宇迦之御魂神に弁天様を同一視して習合し、それまで建物の無かった江ノ島に神社の建物を奉納して八臂弁財天様を御祀りした事で東日本武士文化の弁天信仰が湧水の聖地を守っていたり洞窟の中に祀られたこの蛇の女神様=弁天様=インドのサラスバティ神と同一視されて行った訳だ。
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江ノ島も海の中の島の洞窟に奇跡的に淡水の湧水の池が有る。
この池の御蔭で鎌倉公方足利成氏公が家臣の山内上杉家と扇谷上杉家に謀反され攻められた際に江ノ島を城塞化して相模国と北関東の武将の援軍を得て籠城し、豊富な水と堅固な地形を利用して両上杉家を撃退した歴史が有る。
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正に戦勝祈願の聖地な訳だ。
頼朝公は、この江ノ島の岩屋(洞窟)に籠って戦勝祈願をし、伊勢平氏の平清盛の一族に打ち勝って鎌倉幕府を開いた。
だから今も頼朝公が鎌倉武士団に広めた弁天信仰の聖地の江ノ島の洞窟にも蛇の女神様の石の御神像が有るし、鎌倉扇ヶ谷の海蔵寺の横井戸の中にも蛇の頭の神様が祀られているし・・・
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宇賀福神社

銭洗い辯財天も湧水のある洞窟に祀られ、そもそも神社の名前が宇賀神に由来していたりする。
そんな訳で、浦賀の港を守る東叶神社には海の直ぐ目の前なのに奇跡的に飲用できる井戸水が有ったり、勝海舟さんがその井戸水で断食して体を清めてから咸臨丸に乗ってアメリカに行ったりしてる。
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叶神社の奥さんの御蔭でありがたい弁天様=宇迦之御魂神様に御参りする事が出来た。
残念ながら小生には白いオーブは見えなかったけど。
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でも暗い洞窟から見える入口の光と緑がとても奇麗で気持ちよかった!
弁天様ありがとうございます~♪
東叶神社を後にして、海沿いを走水方面に車を走らせて観音崎の多々良浜にも海を見に行った。
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もう陽が西側に回り三浦半島東岸の海辺には光が届かない時間だったので少し散歩して走水神社にお参りに移動した。
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こちらも御正月から既に今年3回目の参拝だろうか?
一応、怪我したりしても無事に再度御参り来れた事を感謝し、今の世界中で蔓延してる新型肺炎が集束する様に御神威を発揮して頂き日本人と世界の日本の友邦の人々と善良な人々を助けて下さるように御願いして来た。
御腹すいたし、そう言えば暫く横須賀の若松町の激安の焼き鳥屋、相模屋に行ってないなぁ~・・・
と思い、昼食兼夕食を相模屋で焼鳥食いまくりする事にした。

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やきとり相模屋
ここはメチャクチャ安くて何本でも安心して食べられる(笑)!
そしてシステムが面白い。
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店内でも食べられるのだけど地元民は御酒飲まない時は外で食べる。
この写真の焼鳥の調理場が外のテイクアウト窓口として店側面に空いているのだが、その陳列された焼きたてアツウマの焼鳥を立ち食い出来るのだ。
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1本80円均一。食べた櫛を前のカップに入れる。会計の時には櫛を持っていくと本数で勘定してくれるシステム。政府の30万円給付みたいに意味の分からん官僚オナニーなシステムと違い明瞭会計だ!
民を支配する又は国を運営し法律を定め尚且つ民の支持を得る為には法律やスローガンは解り易く実効性の高い物にしないといけないのは、既に紀元前300年頃に漢帝国を打ち立てた劉邦が秦の帝都の咸陽を陥落させた際に証明している事。
そして民草を優先順位で重視しないとイザと言う時に協力してもらえないし、普段から大切にして約束を守っていれば相手が強大な大軍勢でも庶民が殿様を助ける為に武装蜂起して駆け付けてくれるのは、既に500年前に神奈川県小田原城主の北条家が証明した事。

三蜜回避や経済の回し方どうするかは、もう感度も悪いし対応も3ヵ月遅れでしかやらないノロマな政治家に任せないで、我々庶民が自主判断自己責任でやれば良いんじゃないのかな?
ただ、大阪府知事と北海道知事サンの言う事は聞いていて酷い事にはならなそうね。
自民党の中のマトモな議員と吉村知事と鈴木知事等で、頓珍漢な事を安倍首相にさせ続ける奸賊佞臣をブッ潰して欲しいなと思う週半ばの休日でした。





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