歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:相模原市

平安時代の人々は梅の花を見て春の訪れを感じたそうです… 
そんな訳で神奈川県内で綺麗な梅の花の名所を小生の知る場所だけ、一覧として掲載します。
もし他にも県内に素晴らしい梅林を御存じの方は、紹介コメントを残して頂けると幸いです。
※小生がブログ写真の未撮影の梅林については公式ホームページ写真を転用紹介します。
※公式ホームページが有る場所は名前にリンクも貼りますので参考にしてみて下さい。
※梅林の名称をクリックすると、リンク先の公式ホームページを閲覧出来ます。
※過去記事転載でイベント日程が以前のまま記載されている部分が有りますので、詳細は掲載された問い合わせ先にご確認ください!

湯河原梅林
住所〒259-0313足柄下郡湯河原町鍛冶屋951-1付近
見頃:3月初旬
湯河原梅林様公式 画像拝借1 久良岐のよし  
湯河原梅林様公式 画像拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
湯河原梅林は約4000本の梅を誇る。箱根~小田原~熱海の温泉地や名勝旧跡からも車で1時間以内と近く、周辺には温泉宿も多く有る風光明媚な観光地で泊りがけの梅林鑑賞を楽しめる夜間ライトアップも行っている。
梅の宴 例ねん02月初旬~03月中旬開催※詳細は御自分で問い合わせして下さい。 
夜間ライトUP 02月末~03月初旬の18:00~20:30の時間 ※詳細は御自分で問い合わせして下さい。 
連絡先
湯河原町観光課 TEL 0465-63-2111
アクセス
幕山公園
駐車場…500円~300円(会場との距離で料金が異なる)
JR湯河原駅~バス乗車(約20分に1便間隔)~15分で到着 湯河原梅林 アクセス 久良岐のよし



【辻村植物公園】
住所
〒250-0042小田原市久野荻久保4381
見頃:2月末~3月初旬
辻村植物公園2 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし 
辻村植物公園 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
特に無い。
連絡先
小田原市広報広聴課 TEL 0465-33-1261
アクセス
辻村植物公園
駐車場500円
JR小田原駅西口~バス乗車いこいの森(わんぱくらんど)行き~約10分、辻村植物園で降車
辻村植物公園 アクセス 久良岐のよし 

小田原城 城址公園内梅園
住所小田原城址公園
見頃:2月中旬~3月初旬
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2015-02-28-16-16-24
イベント
梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
梅林の規模は50本前後と小さいが、御城を見学出来る上に場内でレンタル甲冑で写真撮影等も出来る。
また、辻村植物公園の梅林や曽我梅林や小田原フラワーガーデンと合わせて鑑賞に来れる距離。
連絡先
TEL 0465-23-1373
アクセス
JR小田原駅から徒歩10分
公共駐車場無し。周辺に私営駐車場有り。 小田原城アクセス 久良岐のよし


小田原フラワーガーデン
住所
〒250-0055 神奈川県小田原市久野3798-5
見頃:2月中旬~3月初旬
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借 久良岐のよし 
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
渓流の梅林 梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
連絡先
TEL 0465-34-2814
アクセス
JR小田原駅乗り換え~伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡駅~徒歩10分
駐車場(140台)無料
小田原フラワーガーデンアクセス 久良岐のよし 


曽我梅林
住所
〒250‐0205神奈川県小田原市曽我別所282付近一帯

見頃:2月初旬~3月初旬
曽我別所梅まつり観光協会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
2015-02-28-17-40-49 
2015-02-28-17-38-43 
2015-02-28-17-33-47
イベント
小田原梅まつり
※公式ホームページで御確認下さい。
※曽我梅林は他の梅林とケタ違いの3万本以上の広大な梅林です。
連絡先
小田原別所観光協会 TEL 0465-42-1965
アクセス
電車…JR東海道本線国府津駅~御殿場線に乗り換え~下曽我駅~徒歩15分。
バス…小田原駅・国府津駅からバス有り。中里で降車~徒歩20分。
曽我別所梅まつりアクセス 久良岐のよし 


松岡山東慶寺 金峯山浄智寺
住所
東慶寺〒247‐0062鎌倉市山ノ内1367

浄智寺〒247-0062鎌倉市山ノ内1402
見頃:2月下旬~3月初旬

【東慶寺】

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駆け込み女と駆け出し男
※東慶寺は2015年公開の映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台です。 

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【浄智寺】
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浄智寺は鎌倉五山で京都の征夷大将軍が直接住職を任命する特別な寺だった。
現在は鎌倉江ノ島七福神巡りの一つ。 

東慶寺から徒歩5分。
※2015年06月14日に撮影
イベント
特に無し。
東慶寺は約100本以上、浄智寺にも数十本の梅が咲く。
東慶寺と浄智寺は徒歩5分の距離。ともに歴史が深く、東慶寺は鎌倉幕府執権北条時宗の妻、覚山尼様の開基。その後は後醍醐天皇の皇女用堂尼様、戦国時代には豊臣秀頼公の御息女の天秀尼様が住職を務めた。映画❝のぼうの城 ❞のヒロインで女傑として有名な成田甲斐姫も天秀尼様の養育係として仕え東慶寺に同行し住したと伝承する。
浄智寺は鎌倉五山の一つの各式を持つだけでなく、嘗(かつ)ては広大な敷地と無数の堂塔を有し、鎌倉公方の仮御所に定められる事も度々有り、足利持氏公や足利成氏公が滞在した場所でもある。
連絡先
東慶寺 TEL 0467-33-5100
浄智寺 TEL 0467-22-3943
アクセス
東慶寺 JR北鎌倉駅~徒歩5分
浄智寺 JR北鎌倉駅~徒歩8分
東慶寺浄智寺アクセス 久良岐のよし 


錦屏山瑞泉寺 異名:花の寺&荏柄天神社】
住所:
瑞泉寺 〒248-0002 鎌倉市二階堂710
荏柄天神社 〒248-0002 鎌倉市二階堂74
見頃:1月中旬3月初旬、黄梅は2月中旬~3月中旬 
瑞泉寺様公式mayumi-katsu様撮影 拝借1 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
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荏柄天神社は日本三古天神社の一つに数えられる天満宮で、境内には数十本の梅が咲く。
イベント:
瑞泉寺
瑞泉寺様公式催事 拝借 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
季節ごとに、その季節に見頃の花を植樹してある。梅は数百本を数える。
鎌倉時代~江戸時代まで権力者達が心の安らぎを瑞泉寺の花々に求めて訪れ歌会等を催した。
裏山にかつて在った一覧亭と言う建築からの眺望が良く、水戸徳川光圀(黄門様)も訪れた。
近くの荏柄天神社にも数十本の梅が植樹されているので、荏柄天神社と瑞泉寺をセットで見学するのが御薦め。
徒歩に行ける範囲の浄妙寺や鎌倉宮と合わせて見学しても、より鎌倉市街の旧鎌倉幕府拠点地域の原風景を楽しめる。浄明寺では抹茶も飲める。鎌倉宮は桜の名所。
連絡先
瑞泉寺 TEL 0467-22-1191
荏柄天神社 TEL 0467-25-1772
アクセス:
荏柄天神社 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車10分~天神前で降車
瑞泉寺 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車15分~終点大塔宮で降車
瑞泉寺荏柄天神社アクセス 久良岐のよし 


日比谷花壇 大船フラワーセンター
住所:
〒247-0072 神奈川県鎌倉市岡本1018
見頃:2月中旬~3月初旬
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イベント:

※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
玉縄桜を楽しもう
大船フラワーセンター様公式 拝借4 久良岐のよし
※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
玉縄桜の❝玉縄❞とは古来より伝わるこの地域の地名で、戦国時代、今の清泉女学院中学校を本丸にした❝玉縄城❞と言う名城が在った。上杉謙信軍10万、武田信玄軍2万6千に攻められても落城しなかった堅城だった。
その歴代城主が小田原北条家親族の玉縄北条家で、玉縄桜はその殿様の居城の名を頂いた由緒正しい桜で、観梅の頃に咲く。近くの龍寶寺は関東最強の武将北条綱成公の菩提寺で歴代城主の御廟所も在る。境内には他に玉縄歴史資料館も有り、玉縄城の復元縄張り模型や出土品が展示されている。

梅花は本数は大量ではないが、植物園だけあり他所より多くの種類を一度に観られる上に他の花や樹木も楽しめる。
連絡先:
日比谷花壇 大船フラワーセンター TEL 0467-46-2188
アクセス:
駐車場109台
電車&徒歩 
大船駅降車 大船駅西口(大船観音側)~徒歩16分
バス 
大船駅西口バスターミナル1番乗り場から❝渡内経由藤沢駅行き❞か❝公会堂経由城廻り中村行き❞に乗車~❝岡本(駅から3番目のバス停)❞で降車~徒歩3分。 
大船フラワーセンターアクセス 久良岐のよし制作 


田浦梅林の里
住所:
横須賀市田浦大作町
見頃:2月下旬~3月初旬

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※写真は2015年03月07日
イベント:
梅林まつり 2月中旬~3月初旬
田浦梅林は今上(現在の)天皇陛下の御生誕記念に植樹されたのが始まりで、現在では梅の本数は2700本を超え、梅の根元には水仙75,000株が植えられている。
田浦の山全体に梅が植林されており、山頂からは梅林越しに懐かしい神奈川の里山の風景を眺める事が出来る。
連絡先:田浦観光協会 TEL 046-961-4181
アクセス:
バスと徒歩…田浦郵便局バス停で降車~山頂まで徒歩20分
電車(JR)と徒歩…JR田浦駅で降車~山頂まで徒歩25分
電車(京急)と徒歩…京急田浦駅で降車~山頂まで徒歩40分
田浦梅林


岡村梅林
住所:
〒235-0021横浜市磯子区岡村6-8-19
見頃:2月下旬~3月中旬
2015-03-07-13-19-54
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イベント
岡村梅林は大きくは無いが、150本前後の梅が植林されている。
夜間ライトアップ
※公式ホームページから御確認下さい。
梅まつり
※公式ホームページから御確認下さい。
2015-03-07-13-20-22
この岡村梅林は、元々周辺の横浜市立岡村公園(スポーツ公園)と合わせて、近隣の岡村天満宮の社地だった。岡村天満宮の開基は鎌倉御家人三浦家の一族の平子家と伝わり、その人物は平子有長公と推定出来る。有長公は鎌倉御家人で最初の源頼朝公暗殺未遂事件の実行犯を取り押さえた勇敢な武将でもあった。丘の裏手には戦国時代の名将北条氏繁公の開いた龍珠院も在る。
岡村天満宮の社領は第二次世界大戦後に米軍に接収された後、横浜市に返還されたが横浜市が岡村天満宮に返還しなかった為に一度、岡村梅林は消滅したが、岡村天満宮の氏子様の有志達が旧社地の一部を買戻し、現在の岡村梅林部分にも梅を植林し梅林を復興して下さった歴史が有る。
連絡先:岡村公園 TEL 045-751-4375
アクセス:
バス
京急弘明寺駅/市営地下鉄弘明寺駅/蒔田駅/JR磯子駅のいずれかの駅から乗車~天神前バス停か岡村交番前バス停で降車~徒歩5分
駐車場…岡村公園の有料駐車場~徒歩3分
岡村梅林アクセス


根岸森林公園
住所:
〒231-0853 横浜市中区根岸台1-2
見頃:2月下旬~3月初旬
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※上写真は明治時代の旧競馬場一等観覧席(米軍横須賀ベース管理の史跡)
※下写真は松任谷由実の歌“海の見えていた午後”の舞台の“ドルフィン”
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イベント:特に無い。
広い芝生の広場と園内に広がる桜林は横浜市民の憩いの場としても有名だが、公園の中央には400本からの梅林も整備されている。
もともとは競馬場だった。
幕末、横浜港が開港され本牧半島が外国人居留地に成った事で、駐在する欧米の外交官や軍人の要望で明治時代に建設された日本最初の競馬場の跡地。
隣接してJRAのポニー広場や競馬関連の博物館も有り、御弁当を持参すれば小さい子供連れの家族でゆっくり時間を過ごせる場所。自然湧水の池では子供がザリガニ捕り等も楽しめるる公園。
又、徒歩すぐの場所にはユーミンが十代の頃、まだ芸名が荒井由実だった時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲で歌詞に歌ったレストランの❝ドルフィン❞が有る。
歌の通り、ドルフィンソーダを頼むと、この曲をかけて貰えます。
連絡先:横浜市環境創造局 TEL 045-671-3648
アクセス:
JR根岸駅~徒歩15分
駐車場有り。
根岸森林公園アクセス 久良岐のよし


三渓園
住所:
231-0824横浜市中区本牧三之谷58‐1
見頃:2月下旬~3月中旬
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イベント:
季節ごとのイベント有り。
もうすぐ観桜の夕べで桜の夜間ライトアップ有り。
※イベント一覧は公式ホームページで御確認下さい。
明治時代の原財閥の富豪、原三渓が当時、廃仏毀釈で荒廃した全国の仏閣や徳川家所縁の城跡の建築文化財を広大な私邸に移築し保護した。日本で全国に先駆けて私立公園として私邸の建築文化財と日本庭園を広く庶民に公開した。
中には聖武天皇の勅願所だった京都府の灯明寺の旧本堂や三重塔や鎌倉の尼寺東慶寺の仏殿、紀州徳川家の和歌山の別荘や、京都の伏見城等、数え切れない程の建築遺産が移築保護されている。
現在は原財閥から横浜市が管理を委ねられている。
原三渓の御蔭で破壊を免れた重要文化財や、季節ごとの花の綺麗な広大な日本庭園。
連絡先:045-621-0834
アクセス:
駐車場有り。
桜の季節は駐車場に入るのに1時間以上待つ場合が多々有ります。
電車&バス
JR根岸駅でバス乗車~本牧下車。
JR桜木町駅/横浜駅東口~バス乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
みなとみらい線元町中華街駅4番出口近く、山下町バス停乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
三渓園様公式拝借2 久良岐のよし
三渓園アクセス 久良岐のよし


大倉山公園梅林
住所
:〒222-0037 横浜市港北区大倉山2-36-8付近
見頃:2月下旬~3月初旬
大倉山観梅会様公式 拝借2 久良岐のよし
※写真は大倉山観梅会運営様公式から拝借
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イベント
大倉山観梅会
※開催日は公式ホームページで御確認下さい。
大倉山の梅林の隣には、戦国時代の北条家重臣笠原康勝公が開いた竜松院と言う御寺が在る。
その御寺を含む大倉山公園~太尾見晴らしの丘公園にかけて続く鶴見川河畔の丘陵は、笠原家の居城❝大曾根城❞だった。
その城址に小規模な梅林が有り丘一体は大倉山地区の住民の憩いの場だったのを、東急不動産が開発破壊しようとした際に、義挙した住民が一丸と成り東急の城址と自然破壊に反対し、約30年前当時の細郷横浜市長の下で横浜市が買い上げ自然を残した公園として整備し梅林として有名に成った。
初春には周辺地域からも観梅客で賑わう。
連絡先:港北区地域振興課(観梅会実行委員会事務局) TEL 045-540-2235


本沢梅園(ほんざわばいえん)
住所:
相模原市緑区河尻4457‐1
見頃:2月下旬~3月初旬 
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イベント:
本沢梅園祭り
※開園期間はホームページで御確認下さい。
※本沢梅園は官営なので管理人が常駐しておらず、開園期間以外は梅園の遊歩道には入れない。
※梅園自体は山腹の斜面に広がっているので、道路沿いからでも十分観梅が楽しめる。
約1000本の梅が植林されている。
昔は谷だったが、近隣の津久井湖建設の残土で谷間を埋めて、そこに梅を植林した。
周辺に歴史史跡も多く、山頂の金刀比羅宮は古来、雨乞いの神事が行われた水の枯れない池が在る。
梅林から尾根伝いの山裾(やますそ)の寶泉寺を囲む山は平安時代末期に長井家によって築城された小松城址でもある。
近くの津久井湖や戦国時代の名城、津久井城址の山のピクニック等と合わせて見学に行くと、1日中自然を満喫出来る良いレクリエーションに成る。
※津久井城址は根古屋地区のパークセンターに無料駐車場有り、鎧や城址復元図等の展示も有る。
連絡先:
相模原市コールセンター TEL 042-770-7777
城山まちづくりセンター TEL 042-783-8115
アクセス:
駐車場…無料130台
バスと徒歩…JR/京王線の橋本駅~バス❝若葉台住宅行き❞に乗車~若葉台住宅で降車~徒歩30分。
本沢梅園アクセス

 


石楯尾神社(延喜式内社・日本武尊の鉄壁無双の楯)
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  御祭神・御本尊等:
  石楯尾大神(いわたておおかみ)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・坂上石楯公・守良親王・他・・・
  御利益:厄避け・敵人懲服・戦勝祈願・学問上達・立身出世
  関係者:
  開基:日本武尊
  中興:崇神天皇
     応神天皇
     文徳天皇
     中衛将監  坂上 石楯 公
     征夷大将軍 源  頼朝 公
     左京大夫  北条 氏政 公
     神祇管領  卜部家(京都市吉田神社宮司家)
  旧郡名:高座郡
  所在地:相模原市緑区名倉の相模川沿いの丘の上
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
日本武尊が装備していた天磐楯(あまのいわたて)=石楯尾大神を御祀りしたのが石楯尾神社(いわたておのじんじゃ)の始まり。天磐楯が地下に埋蔵され神社が成立したとされ中央線の開削工事で破壊された烏帽子岩が聖地として近年まで鎮座していた。そこに応神天皇が東国へ行幸された際に行在所(あんざいしょ=仮御所)が建てられた場所が現在の神社の所在地と伝わる。
奈良時代には逆臣藤原仲麻呂を討伐した名将の坂上石楯(さかのうえのいわたて)公が当地に居館を構えていた。早くに朝廷から官位を賜り国家鎮護の神社として大切にされて歴代天皇に古代~近代に及び崇敬された。源頼朝公からも大鳥居を七基寄進された古社だが、武田信玄が三増峠合戦前の小田原城攻撃で進軍して来た際に武田軍に因(よ)る略奪で戦火に遭い古代からの社宝は消失した。この合戦については武田信玄の重臣高坂昌信が主君の行為を「何も得る物も無く身内もボロボロに成った」と酷評する程に武田軍は苦戦したが、その後の武田家の家運は御存知の通り一族ことごとく滅亡した。
日本武尊の災難を度々守った天磐楯を御神体として始まった神社だけ有り、八方除けの一之宮寒川神社と並んで神奈川県のみならず日本屈指の災厄事故除けの御利益が期待出来る。又、社殿を破壊した武田家を滅亡させ一族絶滅させた御神威、武田家による社殿破壊以前に石楯尾神社を保護した北条家が豊臣秀吉に改易されても北条家の一族と家臣団を生存させ多くの北条家家臣団を徳川幕府奉行職や学者として大成させた御利益は群を抜いている。

有鹿神社奥宮(延喜式内社)・・・古代一之宮
有鹿谷(湧水聖地)
勝坂遺跡(縄文時代~の集落遺跡)
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  御祭神御本尊等:
  有鹿比売命(あるかひめのみこと)・有鹿谷湧水の聖地・勝坂遺跡(縄文~集落遺跡)
  御利益:雨乞い/農業豊作/縁結び/夫婦円満
  関係者:
  開基:有鹿比女と有鹿比古(あるかひこ)の夫婦神
  中興:天智天皇
     孝謙天皇
     清和天皇
     相模国司 歴代
     権守     海老名 季定 公
     海老名家   歴代当主
     相模守    北条 氏政 公
  旧郡名:高座郡
  所在地:相模原市南区磯部、勝坂遺跡の有鹿谷
  ※所在地名をクリックするとGoogle mapの地図上で確認出来ます。
歴史概要】
主祭神の有鹿比女命(あるかひめのみこと)が湧水の聖地を神格化し御祭した神社で、神奈川県下最古級の歴史を持つ。神社の上の丘には勝坂遺跡も有って、縄文時代の生活を学べる竪穴式住居等が再現されている。縄文時代~の遺跡のど真ん中に存在する古社で古代からの聖地として存在した。湧水は有鹿谷から流れ出し鳩川と成りやがて大河川の相模川と合流する。古代大和朝廷の時代に開かれた海老名市の条里制区画が残る海老名耕地を潤す農業用水でもある事から豊穣の神としての意味も強い。
その歴史の古さと有鹿谷の神秘性から歴代天皇から崇敬された幣帛を賜わり国家鎮護の祭祀が行われた歴史記録も残る。古代からの‟水引神事”が行われていたが中世に一時途絶え、後、戦国時代に関東覇者で小田原城主の北条氏政公によって神事が再興された。有鹿神社本宮の在る旧海老名郷は北条家臣で鶴岡八幡宮再建に携わり一族が江島神社別寺の修験道岩本院別当職を務めた間宮家の惣領である笹下城主間宮康俊公の所領だったので、間宮康俊公と江ノ島岩本楼の岩本(間宮)家の一族の関与が有り北条氏政公に由(よ)る水引神事復興が行われた事が推測出来る。
有鹿神社奥宮は現在では社殿こそ存在しないが、奥宮として鳥居と石の祠(ほこら)が鎮座しており湧水地と祠を御参りすれば古代からの強い聖地で御利益を授かれる。近くには延喜式内社の石楯尾神社の論社も在り、邪馬台国時代の古代大和朝廷との関係性が深い土地である事も垣間見える。

今年も梅が見頃の季節に成りましたので、神奈川県内で綺麗な梅の花の名所を小生の知る場所だけ、一覧として掲載します。
もし他にも県内に素晴らしい梅林を御存じの方は、紹介コメントを残して頂けると幸いです。
※小生が写真未撮影の梅林については公式ホームページの写真を転用し紹介します。
※公式ホームページが有る場所は名前にリンクも貼りますので参考にしてみて下さい。
※梅林の名称をクリックすると、リンク先の公式ホームページを閲覧出来ます。


湯河原梅林
住所:〒259-0313足柄下郡湯河原町鍛冶屋951-1付近
見頃:2月初旬~3月初旬
湯河原梅林様公式 画像拝借1 久良岐のよし  
湯河原梅林様公式 画像拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
●夜間ライトアップ
※期間については問い合わせ先に電話確認するか、公式ホームページを御覧下さい
湯河原梅林は約4000本の梅を誇る。箱根~小田原~熱海の温泉地や名勝旧跡からも車で1時間以内と近く、周辺には温泉宿も多く有る風光明媚な観光地で泊りがけの梅林鑑賞を楽しめる夜間ライトアップも行っている。
連絡先
湯河原町観光課 TEL 0465-63-2111
アクセス
幕山公園
駐車場…500円~300円(会場との距離で料金が異なる)
JR湯河原駅~バス乗車(約20分に1便間隔)~15分で到着 湯河原梅林 アクセス 久良岐のよし



【辻村植物公園】
住所
:〒250-0042小田原市久野荻久保4381
見頃:2月初旬~3月初旬
辻村植物公園2 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし 
辻村植物公園 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
特に無い。
連絡先
小田原市広報広聴課 TEL 0465-33-1261
アクセス
辻村植物公園
駐車場500円
JR小田原駅西口~バス乗車いこいの森(わんぱくらんど)行き~約10分、辻村植物園で降車
辻村植物公園 アクセス 久良岐のよし 

小田原城 城址公園内梅園
住所:小田原城址公園
見頃:1月末~2月末
小田原城 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借 
2015-02-28-16-54-45
※2015年02月28日撮影。
この頃が見頃。
イベント
梅まつり
梅林の規模は50本前後と小さいが、御城を見学出来る上に場内でレンタル甲冑で写真撮影等も出来る。
また、辻村植物公園の梅林や曽我梅林や小田原フラワーガーデンと合わせて鑑賞に来れる距離。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
TEL 0465-23-1373
アクセス
JR小田原駅から徒歩10分
公共駐車場無し。周辺に私営駐車場有り。 小田原城アクセス 久良岐のよし


小田原フラワーガーデン
住所
:〒250-0055 神奈川県小田原市久野3798-5
見頃:1月末~2月末
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借 久良岐のよし 
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
渓流の梅林 梅まつり 
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
TEL 0465-34-2814
アクセス
JR小田原駅乗り換え~伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡駅~徒歩10分
駐車場(140台)無料
小田原フラワーガーデンアクセス 久良岐のよし 


曽我梅林
住所
:〒250‐0205神奈川県小田原市曽我別所282付近一帯

見頃:1月末~2月末
曽我別所梅まつり観光協会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
2015-02-28-17-40-49 
2015-02-28-17-38-43 
2015-02-28-17-33-47
※2015年02月28日に撮影
イベント
小田原梅まつり 
※曽我梅林は他の梅林とケタ違いの3万本以上の広大な梅林です。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
小田原別所観光協会 TEL 0465-42-1965
アクセス
電車…JR東海道本線国府津駅~御殿場線に乗り換え~下曽我駅~徒歩15分。
バス…小田原駅・国府津駅からバス有り。中里で降車~徒歩20分。
曽我別所梅まつりアクセス 久良岐のよし 


松岡山東慶寺 金峯山浄智寺
住所
東慶寺〒247‐0062鎌倉市山ノ内1367

浄智寺〒247-0062鎌倉市山ノ内1402
見頃:2月初旬~3月初旬
東慶寺様公式ki-chi様撮影 拝借1 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
2014-06-14-14-47-46 
※2015年06月14日に撮影
駆け込み女と駆け出し男
※東慶寺は2015年公開の映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台です。
イベント
特に無し。
東慶寺は約100本以上、浄智寺にも数十本の梅が咲く。
東慶寺と浄智寺は徒歩5分の距離。
浄智寺は鎌倉五山で京都の征夷大将軍が直接住職を任命する特別な寺だった。 現在は鎌倉江ノ島七福神巡りの一つ。
東慶寺は鎌倉幕府執権北条時宗の妻、覚山尼様の開基。その後は後醍醐天皇の皇女用堂尼様、戦国時代には豊臣秀頼公の御息女の天秀尼様が住職を務めた。映画❝のぼうの城 ❞のヒロインで女傑として有名な成田甲斐姫も天秀尼様の養育係として仕え東慶寺に同行し住したと伝承する。
浄智寺は鎌倉五山の一つの各式を持つだけでなく、嘗(かつ)ては広大な敷地と無数の堂塔を有し、鎌倉公方の仮御所に定められる事も度々有り、足利持氏公や足利成氏公が滞在した場所でもある。
又、2015年に公開された映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台でもある。
連絡先
東慶寺 TEL 0467-33-5100
浄智寺 TEL 0467-22-3943
アクセス
東慶寺 JR北鎌倉駅~徒歩5分
浄智寺 JR北鎌倉駅~徒歩8分
東慶寺浄智寺アクセス 久良岐のよし 


錦屏山瑞泉寺異名:花の寺&荏柄天神社】
住所:
瑞泉寺 〒248-0002 鎌倉市二階堂710
荏柄天神社 〒248-0002 鎌倉市二階堂74
見頃:1月中旬3月初旬、黄梅は2月中旬~3月中旬 
瑞泉寺様公式mayumi-katsu様撮影 拝借1 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
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荏柄天神社は日本三古天神社の一つに数えられる天満宮で、境内には数十本の梅が咲く。
イベント:
瑞泉寺
瑞泉寺様公式催事 拝借 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
季節ごとに、その季節に見頃の花を植樹してある。梅は数百本を数える。
鎌倉時代~江戸時代まで権力者達が心の安らぎを瑞泉寺の花々に求めて訪れ歌会等を催した。
裏山にかつて在った一覧亭と言う建築からの眺望が良く、水戸徳川光圀(黄門様)も訪れた。
近くの荏柄天神社にも数十本の梅が植樹されているので、荏柄天神社と瑞泉寺をセットで見学するのが御薦め。
徒歩に行ける範囲の浄妙寺や鎌倉宮と合わせて見学しても、より鎌倉市街の旧鎌倉幕府拠点地域の原風景を楽しめる。浄明寺では抹茶も飲める。鎌倉宮は桜の名所。
連絡先
瑞泉寺 TEL 0467-22-1191
荏柄天神社 TEL 0467-25-1772
アクセス:
荏柄天神社 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車10分~天神前で降車
瑞泉寺 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車15分~終点大塔宮で降車
瑞泉寺荏柄天神社アクセス 久良岐のよし 


神奈川県立フラワーセンター大船植物園
住所:
〒247-0072 神奈川県鎌倉市岡本1018
見頃:2月初旬~3月初旬
大船フラワーセンター様公式 拝借1 久良岐のよし 
大船フラワーセンター様公式 拝借3 久良岐のよし
※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
イベント:

玉縄桜を楽しもう
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
玉縄桜の❝玉縄❞とは古来より伝わるこの地域の地名で、戦国時代、今の清泉女学院中学校を本丸にした❝玉縄城❞と言う名城が在った。上杉謙信軍10万、武田信玄軍2万6千に攻められても落城しなかった堅城だった。
その歴代城主が小田原北条家親族の玉縄北条家で、玉縄桜はその殿様の居城の名を頂いた由緒正しい桜で、観梅の頃に咲く。近くの龍寶寺は関東最強の武将北条綱成公の菩提寺で歴代城主の御廟所も在る。境内には他に玉縄歴史資料館も有り、玉縄城の復元縄張り模型や出土品が展示されている。
連絡先:
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 TEL 0467-46-2188
アクセス:
駐車場109台
電車&徒歩 
大船駅降車 大船駅西口(大船観音側)~徒歩16分
バス 
大船駅西口バスターミナル1番乗り場から❝渡内経由藤沢駅行き❞か❝公会堂経由城廻り中村行き❞に乗車~❝岡本(駅から3番目のバス停)❞で降車~徒歩3分。 
大船フラワーセンターアクセス 久良岐のよし制作 


田浦梅林の里
住所:
横須賀市田浦大作町
見頃:2月初旬~3月初旬
2015-03-07-15-46-062015-03-07-15-45-462015-03-07-16-08-27
※写真は2015年03月07日
イベント:
梅林まつり 
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
田浦梅林は今上(現在の)天皇陛下の御生誕記念に植樹されたのが始まりで、現在では梅の本数は2700本を超え、梅の根元には水仙75,000株が植えられている。
田浦の山全体に梅が植林されており、山頂からは梅林越しに懐かしい神奈川の里山の風景を眺める事が出来る。
連絡先:田浦観光協会 TEL 046-961-4181
アクセス:
バスと徒歩…田浦郵便局バス停で降車~山頂まで徒歩20分
電車(JR)と徒歩…JR田浦駅で降車~山頂まで徒歩25分
電車(京急)と徒歩…京急田浦駅で降車~山頂まで徒歩40分
田浦梅林


岡村梅林
住所:
〒235-0021横浜市磯子区岡村6-8-19
見頃:2月初旬~3月初旬
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2015-03-07-13-17-04
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※写真は2015年03月07日撮影
イベント
夜間ライトアップ
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
梅まつり
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
2015-03-07-13-20-22
岡村梅林は大きくは無いが、150本前後の梅が植林されている。
この岡村梅林は、元々周辺の横浜市立岡村公園(スポーツ公園)と合わせて、近隣の岡村天満宮の社地だった。岡村天満宮の開基は鎌倉御家人三浦家の一族の平子家と伝わり、その人物は平子有長公と推定出来る。有長公は鎌倉御家人で最初の源頼朝公暗殺未遂事件の実行犯を取り押さえた勇敢な武将でもあった。丘の裏手には戦国時代の名将北条氏繁公の開いた龍珠院も在る。
岡村天満宮の社領は第二次世界大戦後に米軍に接収された後、横浜市に返還されたが横浜市が岡村天満宮に返還しなかった為に一度、岡村梅林は消滅したが、岡村天満宮の氏子様の有志達が旧社地の一部を買戻し、現在の岡村梅林部分にも梅を植林し梅林を復興して下さった歴史が有る。
連絡先:岡村公園 TEL 045-751-4375
アクセス:
バス
京急弘明寺駅/市営地下鉄弘明寺駅/蒔田駅/JR磯子駅のいずれかの駅から乗車~天神前バス停か岡村交番前バス停で降車~徒歩5分
駐車場…岡村公園の有料駐車場~徒歩3分
岡村梅林アクセス


根岸森林公園
住所:
〒231-0853 横浜市中区根岸台1-2
見頃:2月初旬~3月初旬
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※写真は2015年03月02日撮影
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※上写真は明治時代の旧競馬場一等観覧席(米軍横須賀ベース管理の史跡)DSC_0129ドルフィン外観DSC_0131眺望
イベント:特に無い。
広い芝生の広場と園内に広がる桜林は横浜市民の憩いの場としても有名だが、公園の中央には400本からの梅林も整備されている。
もともとは競馬場だった。
幕末、横浜港が開港され本牧半島が外国人居留地に成った事で、駐在する欧米の外交官や軍人の要望で明治時代に建設された日本最初の競馬場の跡地。
隣接してJRAのポニー広場や競馬関連の博物館も有り、御弁当を持参すれば小さい子供連れの家族でゆっくり時間を過ごせる場所。自然湧水の池では子供がザリガニ捕り等も楽しめるる公園。
又、徒歩すぐの場所にはユーミンが十代の頃、まだ芸名が荒井由実だった時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲で歌詞に歌ったレストランの❝ドルフィン❞が有る。
歌の通り、ドルフィンソーダを頼むと、この曲をかけて貰えます。
連絡先:横浜市環境創造局 TEL 045-671-3648
アクセス:
JR根岸駅~徒歩15分
駐車場有り。
根岸森林公園アクセス 久良岐のよし


三渓園
住所:
231-0824横浜市中区本牧三之谷58‐1
見頃:2月初旬~3月初旬
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イベント:
季節ごとのイベント有り、梅の季節は原家以来の伝統で茶が振る舞われる。
桜の季節には観桜の夕べで桜の夜間ライトアップ有り。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
明治時代の原財閥の富豪、原三渓が当時、廃仏毀釈で荒廃した全国の仏閣や徳川家所縁の城跡の建築文化財を広大な私邸に移築し保護した。日本で全国に先駆けて私立公園として私邸の建築文化財と日本庭園を広く庶民に公開した。
中には聖武天皇の勅願所だった京都府の灯明寺の旧本堂や三重塔や鎌倉の尼寺東慶寺の仏殿、紀州徳川家の和歌山の別荘や、京都の伏見城等、数え切れない程の建築遺産が移築保護されている。
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現在は原財閥から横浜市が管理を委ねられている。
原三渓の御蔭で破壊を免れた重要文化財や、季節ごとの花の綺麗な広大な日本庭園。
連絡先:045-621-0834
アクセス:
駐車場有り。
桜の季節は駐車場に入るのに1時間以上待つ場合が多々有ります。
電車&バス
JR根岸駅でバス乗車~本牧下車。
JR桜木町駅/横浜駅東口~バス乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
みなとみらい線元町中華街駅4番出口近く、山下町バス停乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
三渓園様公式拝借2 久良岐のよし
三渓園アクセス 久良岐のよし


大倉山公園梅林
住所
:〒222-0037 横浜市港北区大倉山2-36-8付近
見頃:2月初旬~3月初旬
大倉山観梅会様公式 拝借2 久良岐のよし
※写真は大倉山観梅会運営様公式から拝借
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※2016年02月27日撮影
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※2016年02月27日撮影
イベント
大倉山観梅会
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
大倉山観梅会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は2016年の広告
大倉山の梅林の隣には、戦国時代の北条家重臣笠原康勝公が開いた竜松院と言う御寺が在る。
その御寺を含む大倉山公園~太尾見晴らしの丘公園にかけて続く鶴見川河畔の丘陵は、笠原家の居城❝大曾根城❞だった。
その城址に小規模な梅林が有り丘一体は大倉山地区の住民の憩いの場だったのを、東急不動産が開発破壊しようとした際に、義挙した住民が一丸と成り東急の城址と自然破壊に反対し、約30年前当時の細郷横浜市長の下で横浜市が買い上げ自然を残した公園として整備し梅林として有名に成った。
初春には周辺地域からも観梅客で賑わう。
連絡先:港北区地域振興課(観梅会実行委員会事務局) TEL 045-540-2235


本沢梅園(ほんざわばいえん)
住所:
相模原市緑区河尻4457‐1
見頃:2月初旬~3月初旬

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※撮影日は2016年02月24日
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※撮影日は2016年02月24日
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※撮影日は2016年02月24日
イベント:
開園期間
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
※本沢梅園は官営なので管理人が常駐しておらず、開園期間以外は梅園の遊歩道には入れない。
※梅園自体は山腹の斜面に広がっているので、道路沿いからでも十分観梅が楽しめる。
本沢梅園祭り
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
約1000本の梅が植林されている。
昔は谷だったが、近隣の津久井湖建設の残土で谷間を埋めて、そこに梅を植林した。
周辺に歴史史跡も多く、山頂の金刀比羅宮は古来、雨乞いの神事が行われた水の枯れない池が在る。
梅林から尾根伝いの山裾(やますそ)の寶泉寺を囲む山は平安時代末期に長井家によって築城された小松城址でもある。
近くの津久井湖や戦国時代の名城、津久井城址の山のピクニック等と合わせて見学に行くと、1日中自然を満喫出来る良いレクリエーションに成る。
※津久井城址は根古屋地区のパークセンターに無料駐車場有り、鎧や城址復元図等の展示も有る。
連絡先:
相模原市コールセンター TEL 042-770-7777
城山まちづくりセンター TEL 042-783-8115
アクセス:
駐車場…無料130台
バスと徒歩…JR/京王線の橋本駅~バス❝若葉台住宅行き❞に乗車~若葉台住宅で降車~徒歩30分。
本沢梅園アクセス

 

17日は年末最後の遠出に大月市~都留市~相模原市~相模湖と廻り圏央道厚木Pで買食いして帰宅してきた。
ここ暫くブログを更新していないのだが、リアでの副業と執筆が間に合わない。
何処にも行ってなかった訳じゃなくて鎌倉にはしょっちゅう出かけていたし(主に文献読みに)、県央の寒川神社や前鳥神社方面にも久々に行ったりしていた。
でもブログを書く暇が無かった。

色々考えて、今年の遊び〆を17日にして、残り半月はダイエットと溜まってる事をやるのと、義祖母の墓掃除と御世話に成った神社仏閣への御礼参りと、年末の大掃除をする事にした。

そんな訳で深夜まで働いてから、AM:2:00頃に高速道路使わずに下道で2時間半かけて山梨県大月市へ移動した。到着後はコンビニの駐車場で車中泊。
睡眠2時間前後?早朝7時半から活動開始。
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コンビニの前は旧甲州街道で、街道沿いには風情の有る建物が立ち並んでいた。
そこから最初の目的地である岩殿山を目指して移動。
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途中、岩殿城址である岩殿山が良く見える場所が在った。
この山は海抜では無くて比高(地面からの高さ)が632m、東京スカイツリーと同じ高さ有る。
今まで目の前の中央高速や甲州街道を原付や車で通過していて、いつかは登ってみたいと思いながら機会が無く、今回は大月市の猿橋や、相模原市の石楯尾神社と合わせて訪問する事にした。
遠くから見ると一枚岩の様に見えるが、実際の岩殿山は細石(さざれいし)で構成されている。
武田家滅亡の原因、小山田信茂の居城の岩殿城の麓に中央高速のトンネルが築かれたので、戦国時代当時と現在の登山口は違う。
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市営駐車場の前に、写真の軽自動車が停まっている場所が有り、その後ろに細い坂道の跡らしき地形が有る。
この地形は、駐車した際にこの路盤に気が付いて・・・
「あれ~明らかに現在の登城口が不自然でコッチの方が昔の道に見えるよな~?」
・・・と思っていたので、登山後に‟岩殿山ふれあい館”の職員さんに確認して御墨付を頂いたのだが、その軽自動車の背後の草がボーボーに生えた細い坂道が見えるが、実はこの坂道こそが本来の登城口だったそうだ。
現在は中央高速のトンネルが建設され道が寸断されているので通行禁止に成っている訳だ。
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地形を見ていつもなら其方(そちら)側から登りたい所だが流石に通行禁止のものを無理に登る訳にも行かず、普通の順路で山頂を目指した。
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岩殿山は富士山が綺麗に見える。好天に恵まれた事は神様仏様に感謝!
神様仏様と言ったのは、実はここは天台宗系の修験道の円通寺の道場として古代から戦国時代まで栄えていた場所なのだ。そしてその霊場である奇岩も山頂に極最近まで存在したのだが崩落の危険が有るとかで掘削撤去されてしまった。
天台宗の圓通寺が麓には在ったのだが、戦国時代には一時、この山自体が城に成っていたので霊場として使えなかった時期も暫く有った様だ。
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この眺望の良さなので、川沿いを進む中世の旧甲州街道廃道の‟いどみ坂”辺りと合わせて富士山信仰の霊場だったのだろう。
明治時代以前の修験道・真言宗・天台宗・臨済宗・曹洞宗・浄土宗等は古来の日本神話の神様も大切にする仏教宗派だったので、素戔嗚尊(すさのおうのみこと)=牛頭天王=武塔天神の御妃(きさき)様である木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の化身が富士山とされたので、昔の人達は富士山を見て美しいと思いながら同時に木之花咲耶姫様として遥拝(ようはい=遠くから拝む事)をした訳だ。
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途中、丸山公園が有り、そこに‟岩殿ふれあい館”が或る。ここは降りて来てから見学した。
・・・と、言うのも通過時点でまだ午前08:00ちょっと過ぎで営業時間外だったから。ここの営業時間は9時から。
この岩殿山は現代造られた登山道が有り登り易い。と言うか、本来は昔のままの道を残さないといけないのだが、中央高速のせいでそうもいかない。
先々月10月に登った静岡と山梨の県境に在る御坂城とは違い、この岩殿城は山頂を常に見上げて登れるので目的地が確認出来る事から「あとどれくらい」で到達出来るか実感が有り山登りも苦にならない。
どれ位歩けば着くか解らない道のりは疲れるから。
その点、御坂城より精神的に登り易い。
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こんな感じで、ふれあい館にあった看板の説明と実際の風景を見比べながら・・・
「あ~あそこ等辺にこんな感じの施設が有ったのか~」
・・・とか思いながら登れる。
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途中、遺構の説明もちょろちょろ有る。
小生の個人的な感想だが、この岩殿山は険阻な断崖で築城が困難な山城では有るが、実際の防御陣地面積や施設の構造を見て廻ると城としては大した事は無い様に思う。
正直、隣接市の相模原市緑区城山地区に在る北条家臣内藤家の居城、津久井城の方が構造も規模も岩殿城を上回っていると思う。
漫画家や小説家、更に学者まで小山田家は武田家の家臣と誤解してか恣意(しい=わざと)的にか説明をする連中もいるが、実際には武田家の従属同盟者に過ぎず家臣では無かった。例えるならば織田家/徳川家の関係と同じ。
そして、武田家中で最強の軍団が小山田軍団だった。この軍団は単体で何度も北条家を撃退したり、徳川家を翻弄したり活躍した。山県昌景公の赤備え隊や馬場信房隊を武田家臣団で最強とゲームの影響で思っている連中も多いが、実際は智勇兼備で軍団長としての作戦実績でも小山田信茂隊は、馬場・山県の両将を上回る。
その小山田家の居城としては余りにも防衛施設が小規模過ぎる。
丸で鎌倉時代以前の三浦家の居城、三浦半島横須賀市の衣笠城と同等、つまり多くても数百人~1000人位でしか守備出来ず、万単位の大軍団を相手にする戦国時代の籠城戦に耐えれないとの印象を受けた。
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山頂には本丸も有ったが、変電所に成っていた。
城として当たり前だが感心した事も有る。
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こんな岩山の高所にちゃんと湧水が有る。
まぁ、この水量、少なくとも秀吉が小田原を包囲した際に築いた石垣山一夜城の井戸より水量は豊富だし、北条家臣内藤家の津久井城の井戸よりも大きい。
これだけでも数百単位の将兵の飲み水なら配給に耐えるんじゃないかと思う。
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この岩殿城址を乃木大将も登られた様で漢詩を吟じている。
それを甥の正木正之中佐が揮毫して石碑が建てられた様だ。
正木姓からして旧里見家与力の三浦一族正木家の御子孫なんだろうか?
乃木大将は佐々木一族なので、武田家や小山田家とは直接関係も無く、ただ歴史マニアとして城址を訪問された様だ。
城を降りて、前日から徹夜で大月に来たので入浴もしておらず気持ち悪いので、事前に地図上から見繕(みつくろ)っておいた日帰り入浴の出来る温泉に連絡をして見た。
実は数日前から行きたいと思っていた‟日の出鉱泉”さんに電話したのだが取り次ぐ人も無く、岩殿山から車で15分と近くなので仕方なしに直接訪問して見た。
やはり御不在で「廃業されたのかな?」と思っていたら、経営者の方々が御帰宅された。
「営業は続けている」が、「事前に連絡が有れば準備する」と言った感じだそうだ。
「昼過ぎには沸かせるけど待てる?」
・・・と、親切に御主人が申し出て下さった。大月周辺の温泉は源泉が高温では無いのでどこも薪で追い炊きしているので、わざわざ小生の為に浴槽に温泉を張り沸かして下さると言うのだ。
どうも中央高速の開通以来、甲州街道の人通りも減り温泉への湯治客も減り大月市自体の観光産業が全体的に打撃を受けている様だ。
そんな背景も有り、御主人の申し出には正直感謝の念で一杯に成ったが・・・
生憎(あいにく)小生の予定上の時間が無いので「又来ますのでよろしくお願いします」とだけ伝えて、車に乗り、もう一つの候補の‟金山鉱泉山口館”に電話をかけた。
山口館も岩殿山から車で20分程度と近い。今回は運が良く、当日に宿泊客がいる事と小生と別に日帰り湯の予約が有った事で快く受け入れて頂けた。
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山口館への林道は細く車同士はすれ違えない。
しかも車道に枯れ枝や落ち葉が沢山有り、どうも遊歩道として主に登山者が使う道の様だった。
落ち葉を踏みしめる車の轍も僅(わず)かで少々不安な気持ちに成りながら、GoogleMap先生とポンコツカーナビを頼りに進むと長閑(のどか)な山荘に出た。
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山小屋と言うか自宅兼山荘と言った雰囲気。
小生の祖母が暮らした田舎に来た様な雰囲気・・・いや、それ以上に田舎(笑)。
山口館の前には渓流も在り、ここに宿泊してから山登りを楽しむ人には堪らない環境なんだろう。
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小生は山登りはもっぱら城址だけ。好き好んでゴールの見えない風景を楽しめる心の豊かさは無い(笑)。
山口館から50m位離れた場所に駐車場も5台分くらい在った。
車止めもフェンスも無いのでバックし過ぎたら渓流に真っ逆さまの駐車場だけど(笑)。
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小生は大きなホテルより、こう言った雰囲気の鄙(ひな)びた旅館が好きなので嬉しい。
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本当、昭和の山荘と言った雰囲気だった。
ちゃんと着替えもバスタオルとハンドタオルも持参して来て良かった。
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風呂は家族風呂が2つ、女性用と男性用が有るだけだが、家族や恋人同士で来ても貸切湯に出来るそうだ。
もっとも・・・
恋人同士で来る雰囲気では無いので二人とも城や山が好きなら心の底から楽しめるだろう。
・・・と言った感じの本当に山奥の長閑な山荘。でも、若い人は余りこう言う場所に来る経験も無いだろうから一度は来て、山奥でのんびり温泉に浸かる楽しみを経験するのもお勧めしたい。
宿の奥さんと色々と話していたら、結構、芸能人も来ている様で、山登りの前後に宿泊する山荘として有名な様だ。
又、こっち方面に来たら日の出鉱泉さんと合わせて温泉巡りで立ち寄りたいと思う。
御主人、奥さん、お嬢さん、御世話に成りました。又、宜しくお願いします。
金山地区を出て大月駅方面へ車で戻る途中、山奥なので廃屋が有ったり・・・
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浄照寺と言う室町時代に開かれた御寺サンが在ったりして寄り道して散策を楽しみながら大月駅の近くまで戻って来た。
岩殿山~山口館に行きしな気に成っていた饂飩(うどん)屋さんが在ったので、次の目的地に行く前に入って昼食をとる事にした。
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吉田屋と言う、山梨県名物と成った富士吉田市発祥の吉田ウドンを手打ちで提供している店だ。
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山梨県は水田を作るのに適さない地形と地盤なのだが・・・
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岩殿山から見た桂川(相模川上流域)の様子。
桂川の右手が急な段丘に成っているのが御解りだろうか?実はコレ、猿橋溶岩と言って富士山から流出した溶岩が此処(ここ)まで到達して相模川に冷やし固められた地形。だから写真の桂川左手の溶岩では無い地形は川に浸食されて一段低い地形に成っている。
溶岩の固い地盤は水捌けが良いので水田には向かなかった訳だ。だから富士山の影響を受けた山梨県の多くの土地では昔から小麦やトウモロコシが主食として良く食べられていた歴史が有る。
山梨県はホウトウやウドンの食文化が発展したのは、そのせいだろう。
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入って見たら結構な人気店の様だ。芸能人も小さな店なのに結構来ているらしい。
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小生は馬のモツ煮込みと・・・
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肉(馬)のせ月見饂飩を注文した。吉田饂飩の特徴は、讃岐うどんよりも更に歯ごたえが有る事。
小生はシッカリした感触が好きなので、前回に御坂城と甲斐一宮浅間神社を訪問して帰りに中央高速の初狩Pで馬肉のせ吉田饂飩を食べて以来、饂飩は吉田饂飩が一番好きに成った。
この吉田屋さんの饂飩、とても美味しかったので是非、この付近に観光に来る予定が有る人にはお勧めしたい。
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都留市に移動しリニア実験線駅の博物館を見学。
今は年末で年明け暫くまでリニアモーターカーは走って無いそうだ。
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その代わりと言ってはなんだが実物が常設展示と合わせて、超電導の科学実験なんかも見れた。
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液体窒素で超低温化した高磁力金属を使ったリニア実験を見せて貰えた。
電車や科学が好きな幼児~高校生くらいの子のいる家は、是非、訪れてみると良いともう。
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説明するオバ・・・係員さんの目の前には磁力で浮いた磁石金属。
中々良い実験を見せても貰えた。
季節を選べば少し先に在る甲州市でブドウ狩りやモモ狩りと併せて子供連れの夫婦やカップルのデート等のレクリエーションとしても楽しめるだろう。CIMG1873
乗れるリニア模型も有るし・・・
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綺麗なジオラマも有った。
もっとも、リニアの実物展示や、実験線が走ってるのを見られる所や電動磁石の実権以外の鉄道資料館としての機能は、京都や埼玉の鉄道博物館には遠く展示数は及ばない。しかし、ここに来る意味は有ると思う。
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なんせ実物を見られるのだから。
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一応、平常ならば一日に数回はリニアが走っているので、下の時刻表の時間に合わせて来ると良いと思う。
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見学を終えて物品を販売してる建物に移動。
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新幹線好きな甥と姪に新幹線靴下を買ってあげようと思ったが、妹に二人の足のサイズをlineで聞いても返信無かったので已(や)む無く電車の沢山かかれた茶碗を購入。
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ここで買い物をするとリニア乗車の抽選権が貰える。‟道の駅つる”で買い物もしてリニア試乗応募券にハンコを押して貰えると応募できるシステムらしい・・・
上手いぞ山梨県(笑)。素晴らしい販促活動だ(笑)。
その後、‟道の駅つる”に移動した。
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ここからもリニア実験線が走っているのを見られそうだ。線路が綺麗に見える。
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でも、直ぐ横で見学できるからリニア見学センターに行った方が良いだろう。
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中は物産展。
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桃ジュースを買ってちゃんとハンコ手に入れた。
茶碗と合わせて妹に渡そう。
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その後、大月市の猿橋地区に移動し、日本三大奇橋の一つ猿橋を見学した。
猿橋は日本でも例の少ない橋脚の無い木造橋で、建築業界では有名らしい。
実は猿橋の在る場所は、先に説明した‟猿橋溶岩”の上に在る。
富士山から流れて来た溶岩流が相模川(上流の桂川)にぶつかり急速に冷やされて固まったのだが、その溶岩が南北で一番幅が狭く近い場所まで寄った場所に建設されたのが猿橋なのだ。
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歴史は古く千数百年前に遡る伝承が有るらしい。江戸時代には猿橋と下を流れる桂川渓谷が景勝地として知られ、安藤広重が浮世絵にも描いていたりする。
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これは橋のたもとに在る大黒屋さんに在る絵。
段丘面から川底までは深さが50m近く有り、江戸時代の技術をもってしても橋脚を作るのは困難だったので、溶岩の堅い岩盤を利用して側面に穴を穿(うが)って、横向けに梁(はり)状に材木を突き出し、それを重ねて延長し橋を架ける構造に成っている。
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これを作るのに、江戸時代でもどれだけの危険が伴って、どれだけの時間を要した事か考えると先人に対して心底、敬服の念が沸いてくる。
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凄い。
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そして、この橋自体が旧甲州街道だった訳だ。
猿橋は一見の価値が有るが、その下の桂川渓谷も遊歩道も設置されていて、綺麗な風景を目で楽しむ事も出来る。
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川岸に降りる事も出来る。
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ただ、川幅の広い相模川が、ここで急に川幅が狭くなるので流れは速く深い淵ばかりなので、小さな子供連れの家族はちゃんと見て無いと危ないと思う。ママさん、パパさん、気を付けてね!
ここも岩殿城や金山鉱泉と合わせて小生オススメの見学コースだ。
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猿橋の横には大黒屋と言う御土産物屋さんが在るのだが、そこで御土産の野沢菜を買った際に、御店主の女性にこんな質問をしてみた・・・
「一帯の商店街の雰囲気が温泉街に似てますね。」
・・・と。そうした所、この猿橋一帯は旧甲州街道の中でも旅籠が立ち並んでいた場所だったそうで、中央高速の開通まで旅館が立ち並んでいた名残りで、現在も御土産屋さんが沢山有るらしい。
ただ、こんなに綺麗な桂川渓谷と素晴らしい文化財の猿橋自体を知る人も現代では少なく観光客もまばらだった。
もっと多くの人が来てくれると良いのにね。
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猿橋を後にして、相模原市緑区名倉に在る相模国延喜式内社13座の一つ石楯尾神社を御参りし御朱印を拝領。
現在の参道は昔とは違う場所に設けれている。昔の桟道とは反対の裏側から入る道に成っている。
そもそも、名倉の石楯尾神社は古代、高座郡寒川町の寒川神社、相模原市南区磯部(勝坂)の有賀(あるか)神社奥宮と並んで古代の朝廷から官位を与えられた凄く格式の高い神社なので、源頼朝公も鎌倉時代に土地を寄進したり旧地名で宮原と呼ばれた旧境内地にも7つの大鳥居を寄進したりして保護したのだが・・・
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だから随神門(たぶん、明治までは仁王門)が有るのは現在の入口とは正反対の方。
この神社は武田信玄に乱暴され略奪の被害を受けたり、明治時代に土地を縮小されたり色々と受難の歴史を超えて、今の氏子サンや先代、先々代の宮司様達によって守られて来た。
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参拝客はちゃんとこっちも歩いて欲しいな。
現在は知らない人が見ると、ただの山の中の立派な神社なのだろうが、この神社を守る為に、先代宮司様の没後は息子さん御兄弟が会社員を務めながら兼業でこの格式高い由緒正しい神社を守って宮司と禰宜を務めてらっしゃるそうだ。
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拝殿は立派で、彩色された彫像が四方にあり、扁額も凄く立派。
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訪問した際、拝殿に上がれる様に扉が開かれていたが、事前に許可を得る確認をしていなかったので外から撮影だけさせて頂いた。
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きっと昭和初期までの日本の農村部が元気だった頃、この拝殿には沢山の農家さんが集まって宮司様の祈祷を受けて農作物の豊作祈願をしたりしたんだろう。
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神殿にはちゃんと覆殿が設けられていて、風化しない様に保護されていた。歴史を知らない人間が増えて少なくなった氏子達が、歴史と由緒有る石楯尾神社を守ってる努力に感謝。
この人達の御蔭で古代の朝廷や歴代天皇や源頼朝公達が大切にして来た御神威と権威の有る神社が現在に存続していける訳だ。
御参りを終えて、御朱印を頂き、帰路に着きました。
帰りしな相模湖のイルミネーションをやっているのも思い出して見てきました。
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相模湖プレジャーランドのイルミネーションは関東最大規模で有名なのですが、入園料1700円、駐車場1000円と男一人でわざわざ見に行く金額では無いので、相模湖近くのコンビニで御茶を購入がてら、相模湖公園の無料のイルミネーションを見学。
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無料だけど、散歩するには丁度良い。きっとご近所の人も喜んでるでしょうね~。
この相模湖公園近くには貸しボート屋さんも沢山有って、昼間は船遊びも出来るのでピクニックにはもって来い。
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千葉県のドイツ村のイルミネーションも綺麗らしいですね~。今度行って見よう。
帰りは相模原市愛川町の辺りから圏央道にのり、新湘南バイパス経由で横浜に戻った。
普通に中央高速や東名や首都高速使ったら、高速料金片道だけで3000円くらい、年明けの甥姪姪姪の合計4人の御年玉出費に備え、オジちゃん節約しないとね。

今年の遠出はこれで終わり!
あとは遠くても川崎と走水に日本武尊と弟橘姫様に御礼参りに行く程度。
もう、御金は使わない(笑)。

ふむ、17日は良い休日を過ごせた。

この後、年内いっぱいは間宮家の顕彰文の改訂版の作成と、ブログの神奈川県の御利益強い神社リストに自前の写真撮影して来た場所を追記しないといけないので、基本、年明けまで新しい記事は書けないと思います。
記事内容の更新のお知らせは改めて行います。
では!皆さん、年末健やかに恙無く御過し下さい~! 

又、記事更新報告で御会いしましょう! 

有鹿神社(あるかじんじゃ)本宮・中宮…延喜式内社
主祭神:有鹿比古命(あるかひこのみこと)。 ※相模原市の有鹿神社奥宮は有鹿比女命(あるかひめのみこと)が主祭神。
御利益:雨乞い・農業豊作・縁結び・家内安全・家運発展
開基:奥宮は縄文時代にには存在。本宮は弥生時代の遺跡を内包し、奈良時代には国府鎮護として鎮座した。
中興:天智天皇・孝謙天皇・清和天皇・相模国司歴代・海老名家
場所:海老名市上郷。相模国国府跡や国分寺跡が徒歩30分程の場所に在る。DSC_0138
平安時代に関東総鎮守と朝廷に認定された神社の一つ有鹿神社(あるかじんじゃ)が海老名市に鎮座している事を皆さん御存知でしょうか?
前回の記事で紹介しましたが、この有賀神社は元々相模原市緑区に縄文時代の遺跡と共に存在する聖地❝有鹿谷❞に鎮座する奥宮から海老名郷の鎮守として遷座させられ、更には貞観年間に関東総鎮護、正五位の格式に成り、更に鎌倉時代に成ると正一位の各式に定められました。
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上の写真は相模原市南区勝坂に存在する聖地❝有賀谷❞の有賀神社奥宮。縄文時代の遺跡を旧境内地に内包し、その場所には縄文時代からの湧水地の聖地がある原始神道の文化を良く留める。

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さて、何で現在の場所に本宮が有るかと言うと、本来の有鹿神社の草創期の史跡は縄文時代の勝坂遺跡と共に相模原市緑区に現存するのですが、この本宮の場所も❝有鹿の社(もり=森)❞と言われた聖地であり弥生時代の遺跡が周辺から発掘されていたりします。
…神奈川県教育委員会は土建屋と結託しているので、ここでも旧境内史跡を保護せず神社は衰退していくのですが、昔の人がどれだけ、この神社を大切にしていたかと言うと凄まじい歴史が有りまして…
ここが本宮と成った所以(ゆえん)は奈良時代に海老名郷(昔は有鹿郷と言った)が相模国の国府と成った事が一番大きいと小生は推測しています。
有鹿神社は近所に現存する真言宗総持院は明治時代に成るまで有賀神社と一帯に成り神宮寺として機能していましたが、その規模は塔頭僧房合計12坊や幾つもの摂社を巨大な境内地に抱える大規模なものでした。
更に、中宮、奥宮を抱え、天智天皇の時代の西暦664年に国家鎮護の祭礼が行われた記録も有ります。
現在の本宮周辺の位置関係を見るとこんな感じ…
有賀神社と相模国府の位置 久良岐のよし
丁度、聖地❝有鹿谷❞から流れ出す鳩川(有鹿川)と相模川の合流する流域であり、相模川が蛇行しながら河岸段丘にぶつかり、他の支流とも合流する増水すると氾濫(はんらん)する辺りに本宮が鎮座し、更にその本宮の東側には旧相模国国府や国分寺の跡が在ります。
つまり、国府の政庁を守る治水の神様の役割も期待されていた事が位置的に推測出来ます。
まぁ、そもそも、本宮の御祭神は有賀比古(あるかひこ)様ですが、奥宮の神様は水神様でもある奥さんの有賀比女(ありかひめ)様ですから、これは当然とも言える配置ですね。
因みに有賀比古の神様は太陽神です。ですから、治水と太陽に関連深く農業とも関連の有る神社とも言えます。
余談ですが、この地域が奈良時代の相模国の中心だった事を示す国分寺の史跡は発掘され公開されています。
相模国国分寺跡 久良岐のよし
この国分寺は歴史に疎(うと)い人は知りませんが、古代、全ての国府に置かれた寺院でした。
ですから、ここが相模国の中心として機能していた時代が有った証明に成る訳です。
この辺りまで古代は海だったので、現在ではだいぶ内陸の海老名市が現在の感覚で言う神奈川県の県庁所在地に成っていたんでしょうね。
延喜式内社・式外社と縄文時代の海岸線 久良岐のよし
小生のブログを読んでくれている人にはもう御馴染(おなじみ)の画像ですが、Googleearthの画像に古代から存続する延喜式内社と式外社を表示させ、そこに縄文時代の海岸線の画像を貼ると、大凡(おおよそ)延喜式内社と式外社の位置は縄文時代の海岸線と符号します。
そんな訳で、古代から存続し霊験鮮(あらた)かな有賀神社ですが、現在は近所に遷座した中宮も古代は聖地有賀谷から流れる鳩川沿い座間市入谷の左岸の諏訪明神辺りに在ったそうで、西暦500年代に伊勢鈴鹿から移って来た右岸の鈴鹿神社の神様と争って敗戦し、現在の本宮へ本拠を移したと伝承が有るそうです。
鈴鹿の神様は船で遭難し入江の東岸に流れ着いたとされており、それが現在の場所だとされています。
上の画像で説明すると、当時の海岸線は白く表示した部分と推定されていて恐らく西暦500年代位はまだ、この地域は浅い入江だったと思われます。歴史とも神話は整合性が一部有ります。
有賀神社中宮推定値の諏訪明神と鈴鹿明神の位置関係 久良岐のよし
この画像は有鹿神社中宮の在った場所と推測されている諏訪明神辺りと、鳩川を挟んで右岸が有鹿神社の神様と争った鈴鹿明神です。
縄文時代より弥生時代の方が温暖だった可能性が有り、上の上の画像で示した西暦紀元前6000年頃より弥生~古墳時代の入江は更に内陸に広がっていた可能性が有ります。
その証拠に伊勢原市比々多神社周辺や足柄上郡寒田神社周辺には、縄文時代の海岸線より更に内陸ですが❝島❞と名の付く地名が多数現存しています。
因みに、初代の佐賀牟国司は建御名方(たけみなかた)神の御神孫と伝わっています。
建御名方神は、長野県諏訪大社の御祭神で軍神あり治水神です。
この座間市の鈴鹿明神の伝承では、鈴鹿明神の神様の財産を有賀神社の相模原市勝坂の有賀神社の神様が横領しようとして争った際に諏訪明神や弁天様が鈴鹿の神に与力し有賀神社の神様は敗戦し、現在の本宮に来たとされています。
もう一度位置関係を見てみましょう。
有賀神社の奥宮中宮本宮の位置関係 久良岐のよし
実は西暦500年代に大地震が有って神奈川県内陸まで広がっていた海の入江の海底が隆起し土地が出来たはずなので、中央から開拓目的の人間が鈴鹿の移民し入植して来てもおかしくない訳です。
この土地隆起による耕作地の出現が佐賀牟国の武蔵国・相模国分裂の切っ掛けに成り、更に旧相模国の国府祭(こうのまち)と言う神事の元に成った神様同士の争いや、武蔵国造の乱の切っ掛けに成ったと小生は推測しています。
しかも建御名方神の別名は❝伊勢都彦❞だった事が解っていて、現在の伊勢の鈴鹿辺りもこの諏訪神の一族がいた筈(はず)なので、諏訪神=建御名方神=建御名方神の御神孫=佐賀牟国司が鈴鹿からの入植者をかばい在来の有鹿神社の豪族と争った可能性は非常に高いと思います。
もっとも、有鹿神社や先住民からすれば、国司の一族と推測出来る鈴鹿明神の入植者達は侵入者な訳ですがね…。
更に言えば建御名方神は本来、建南方神と書いたそうなので、卑弥呼に敵対した南方の狗奴国と言うのは弥生時代末期~古墳時代の諏訪神族を指し当時の諏訪神族は伊勢辺りまで勢力を誇っていた、もしくは伊勢辺りが根拠地で後に諏訪にまで押し込まれたと神話と歴史を融合させると推測出来ます。
この辺りが、後に天智天皇等、皇統系に有賀神社が国府鎮護や関東鎮護とされ朝廷の後援を受けた理由でもありそうです。建御名方神は朝廷方の祖先神達と争った神様ですからね。
昔の神社は政庁であり豪族の宮殿でしたからね、神(かみ)=上(かみ)=守(かみ)=支配者を示す訳です。
そんな感じで、恐らく有鹿神社の聖なる川の鳩川沿いに隆起した土地に入植してきた建御名方神の御神孫の国司一族と、在地豪族だった有鹿神社の神様の御神孫の争いが、この有鹿神社中宮と鈴鹿明神の争いだったと推測出来ます。

さて、有鹿神社本宮の解説に戻ります。
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有鹿神社は、奈良時代~室町時代中期が最盛期でした。
当時は先述の通り凄まじい広さの境内地を抱えていましたが、平安時代から当地の在郷領主だった海老名家が室町時代中期に滅亡すると、後援者を失い社領を乱入者に横領され衰退して行きました。
しかし天正3年(1575年)、北条氏の治世下で神事❝水引祭り❞の復興が成され相模国五の宮、海老名郷総鎮守にまで復権し、天正19年(西暦1591年)には徳川家康公によって10石の社領を保証する朱印が発行され、江戸時代初期の元和8年(西暦1622年)には領主高木家の奥方によって社殿が寄進されました。
古代程の規模は継続していないものの、この神社の各式の高さと歴史の深さと古代日本文化を守って来た神社である意義は大切で、神社を守って来た氏子サン達の業績は偉大です。
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有鹿神社は境内に立派な御神木が有ります。
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樹齢は書いてないので解りませんでした。
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社務所は宮司様御不在の日がほとんどなので、事前に電話番号を調べて連絡の上、御出勤される日を確かめれば御朱印を頂けると思います。
小生は連絡の上、ここと別の事務所へ訪問し朱印帳に判を頂きました。
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とても凛々しい狛犬さん。石材の状態を見るに江戸時代の作でしょうか?
石の腐食具合がそれくらいに見えるかな。
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社殿外観は覆殿(おおいでん)で、文化財指定されている本殿はこの中に保護され鎮座しています。
本殿は春日造り、屋根は檜皮葺だそうで、格式の高い有鹿神社に相応しい造りです。
残念ながら、訪問した日は時間も遅く既に覆殿の扉が閉じられていて本殿を拝観する事は出来ませんでした。
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扁額は地震かなんかの落下で欠損部分が有りますが、とても立派ですね。
往時の社殿は、この扁額や広大な社領に見合った立派な建築物が何棟も有ったんでしょうね~。
境内の摂社には有鹿天神社と言う菅原道真公を御祀りする神社が在ります。
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元々、海老名源八季貞(すえさだ)公の館跡に鎮座していたのが、この有賀天神社の御神霊で、近年、その御神霊を境内に遷宮する際に御社の形をした祠を新築し直したそうです。
歴史的には海老名氏の崇敬を集めた天神社の今宮に成るので、こちらも霊験鮮かな神様と言えますね。
さて、有鹿神社の前編と合わせて有鹿神社を含めた延喜式内社の大切さが少し御理解頂けたでしょうか?
そして、縄文時代~古墳時代の海岸線沿いや湧水地に延喜式内社が集中して存在している事も御理解頂けたと思います。

ところで、この日の帰りは高速道路の海老名SA上りで豚の串焼きを食べたのですが…
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神奈川県の名物の一つである高座豚(こうざぶた)ですが、この高座豚の高座は古代律令制度の行政区分の高座郡に由来しています。
この高座郡、現代人は高座(こうざ)と読みますが、古代は高座(たかくら)と読んだそうです。
つまり、海底が隆起して現れた平地が有鹿川(鳩川)・相模川・中津川の氾濫や降雨を繰り返して平地の塩分が抜けて工作に適した場所に成り、水田開発が進み、多くの米を保管する❝高床式の倉❞が立ち並ぶ村々が増えって行って古代の開拓先進地域に成って行った事が地名からも伺えますよね。

では!
又、次のブログ記事で御会いしましょう!

有鹿神社(あるかじんじゃ)奥宮…延喜式内社
主祭神:有鹿比女命(あるかひめのみこと)。※海老名市の有鹿神社本宮は有鹿比古命(あるかひこのみこと)が主祭神。
御利益:雨乞い・農業豊作・縁結び・家内安全・家運発展
開基:縄文時代には既に湧水の聖地として存在した。
中興:天智天皇・孝謙天皇・清和天皇・相模国司歴代・海老名家
場所:相模原市南区磯部勝坂、勝坂遺跡の有賀谷。
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平安時代の人々から見ても古いと思っていた歴史有る神社を醍醐天皇の時代に後世に伝え保護させる為に記録させた❝延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)❞と言う古文書に掲載されている神社を、延喜式内社(えんぎしきないしゃ)と呼ぶのを皆さんは御存知でしょうか?
平安時代、西暦900年代は既に古来の律令制度での国家運営が難しくなっており、それを改善する為に発布された延喜式政令の一端として行われた宗教政策みたいなものです。
つまり、この延喜式神名帳に掲載されている神社は現在の規模が如何に小さかろうが、現代の建物ばかりデッカイ神社よりよっぽど神様の歴史の重みと重要さが別格に高い訳です。
別に建物だけデカイ神社なんて、金儲けのセンスの問題ですからね…
さて、そんな延喜式内社が神奈川県旧相模国域に13座、武蔵国域に1座有ります。
その内の一つが縄文時代からの聖地❝有鹿谷❞に存続する有鹿神社の奥宮(元々の神社の発祥地)です。
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現在、有鹿神社奥宮は石の鳥居と祠(ほこら)が有るのみですが、その前を流れる小川を数mたどると現在も縄文時代から湧き続ける聖なる水源が有ります。
本来は、有鹿神社はこの辺りに立派な社殿が存在したはずなのですが、相模国の国府が海老名郡に置かれ、平安時代末期に坂東平氏良文流の名族の海老名氏が海老名郡を支配する様(よう)に成ると、海老名郡の総鎮守として、有賀神社も奥宮から現在の海老名市上郷に在る現在の本宮に重要度が移管させられました。
なので、近くの中宮には、本宮の聖地であったであろう池が在りました。恐らく縄文時代~弥生時代には安全な飲水として古代人に重宝されたであろう聖なる湧水地の池も土砂の堆積(たいせき)で消えました。しかし現在も本宮はや中宮の祠の近くには、聖地奥宮の有鹿谷から流れる鳩川が流れています。

延喜年間に聖地とされた場所は延喜式内社の他にも有ります。
そこは平安時代当時に御寺とくっつい修験者(山伏:やまぶし)の道場や天皇家の勅願所、又は国府や郡府として機能していた関連で延喜式神名帳には神社として掲載されていなかった場所で、小生の知る限りでも神話の舞台の日本武尊と弟橘姫の走水神社(はしりみずじんじゃ)・橘樹神社(たちばなじんじゃ)・師岡熊野神社(もろおかくまのじんじゃ)・八幡橋八幡神社(やはたばしはちまんじんじゃ)等が有ります。
これらは延喜式に掲載されていない事から、❝延喜式外社❞としてカテゴライズされています。
●走水神社の記事

●橘樹神社の記事

●師岡熊野神社の記事

延喜式外社は朝廷を乗っ取り天皇家を傀儡(かいらい)としていた❝藤原家にとって歴史的に都合の悪い場所もあり❞素戔嗚尊を祀(まつ)る祇園社、八坂神社、八剣神社、剣神社、出雲社、津島社も多くが延喜式内社から除外されてしまっています。

さて、延喜式内社と延喜式外社の説明はここまでにして、有鹿神社奥宮の説明に戻ります…
冒頭少し説明しましたが、有鹿神社の奥宮は平安時代末期に海老名市に本宮機能を移転した有鹿神社本宮の元宮です。
そして縄文時代からの文化を受け継ぐ聖地の湧水地に鎮座する神社な訳です。
ですので、この神社を語るには、縄文時代の住居が多く出土した旧境内地の勝坂遺跡の存在と、何故(なにゆえ)御祭神が伊勢神道系の皇祖神ではなく日本神話と関係無い土地神様なのかを解説する必要が有ります。
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※上の写真は有鹿神社奥宮の旧社地に在る勝坂遺跡。
そもそも現代の神社は社殿に祀られた御神体の銅鏡(かがみ)を拝む文化で、神社の建物自体が聖地とされてしまっていますが、縄文時代や弥生時代の神話時代の信仰を受け継ぐ古社の文化は全く現代の神道の鑑を拝む文化とは異なり、聖なる池や聖なる山、又は神様と成った神話時代の歴史偉人の御使用された祭器や武器その物等の遺品が信仰対象に成っていました。
ですから日本最古と呼ばれる奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)は三輪山が御神体ですし、熱田神宮は本来は日本武尊を祀った神社だったのでその遺品で三種の神器の一つ草彅剣(くさなぎのつるぎ)=天業雲剣(あまのむらくものつるぎ)が御神体とされています。
もっとも、日本の神剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)=天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と二つの名で呼ばれ同一視されていますが、実は熱田神宮にも東京の皇居にもそれぞれ一振りずつ神剣が存在している事から、小生は初めから2振りの剣が日本国には古代から存在していて、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)は別の神剣だと推測しています。
更に言えば伊勢神道に神剣が2振り有る事や銅鏡を御神体にする文化は弥生時代の卑弥呼が魏の皇帝曹叡から贈られた宝剣2振りと銅鏡200枚に由来していると個人的に推測しています。
神剣が天叢雲剣と草薙剣の2振り有るのに神剣が1振りしか無いように世間に誤解されているのは、恐らく藤原家が自家に都合良く古事記の文書化や日本書紀の編纂で歴史を改竄した結果、発生した矛盾によってこの様な事態が発生してしまったのだと推測しています。
皇居には壇之浦の合戦で安徳天皇が平家と無理心中した時に海中に紛失した天叢雲剣のレプリカが有りますが、熱田神宮にも日本武尊が東征に携行した草薙剣が保管されており熱田神宮の公式見解で神器として祀られてより新羅人に盗まれた時以外に境内から外に持ち出された歴史は無いとしている事からも、元来、日本に神剣が2振り有った事が明白です。
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勝坂遺跡入口
江戸時代にキチガイ領主だった徳川光圀(水戸黄門)によって創始された歴史の浅い水戸学を元にして、明治時代に文化や宗教の欧米化を指導した森有糺等の介入により成立した国家神道により、神社の社殿を聖地とする伊勢神道の価値観が基準とされ、更に皇祖神とは異なる神様は軽視されてしまいました。
結果的に縄文~弥生~奈良~平安~鎌倉~室町~安土桃山~江戸時代の価値観はつい最近の150年前に否定され、以来、土地神様や伊勢神道の神様と異なる主祭神を祀る延喜式内社の多くは明治~大正~昭和に急速に廃(すた)れてしましました。
これは、他の延喜式内社の解説記事でも書いているので、カテゴリー「延喜式内社と歴史千年以上の古社」から選んで読んでみて下さい。
少々脱線しますが因(ちな)みに、小生が水戸黄門をキチガイ扱いするのは彼が領民に重税を課し農民達を苦しめた悪人であり、更に犬の皮を剥(は)いで生皮を将軍の住む江戸城に投げ込む変態行為を行った文字通りの精神異常者だったからです。
彼に関しては、ヤンキーで少年時代に不良グループと群れていた事実以外は全くTVの水戸黄門と異なる作られたイメージなんですね。
彼の評価が高く成ったのは犬を虐待して当時の将軍の徳川綱吉の生類憐みの令に反抗してみせたパフォーマンスと、その反幕府的な姿勢が幕末に後の明治政府の重鎮達に手本にされたからでした。
そんな訳で、彼は江戸時代にも多くの八幡宮等、伊勢系統の神様と無関係な神社仏閣を多く破壊した悪事を行っています。
そんな彼の創始した水戸学の誤った知識により、縄文時代~江戸時代末期まで自然崇拝や土地の神様を大切にした古来の神社文化は衰退させられてしまいました。
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しかし、この有鹿神社や日本全国の延喜式内社には、日本書紀の神話にも登場しない土地神様や日本武尊や弟橘姫が主祭神として存続し、更には縄文~弥生~古墳時代の遺跡を旧境内地に埋蔵した聖地に建っていた場所が多く有ります。
以前に紹介した❝大山阿夫利神社❞や❝比々多神社❞は正に、そんな場所ですね。
●大山阿夫利神社の記事

●比々多神社の記事

この有鹿神社奥宮の有る有鹿谷の上の丘の勝坂遺跡は、有鹿神社の湧水地を聖地としていたであろう縄文の人々の住居跡が発掘調査され、復元され無料見学出来る史跡として整備されており、御参りする時に子供を連れてくるだけでも良い課外学習に成るでしょう。
小生が良く使用する画像ですが、延喜式内社は縄文文化を受け継いでいる証明にも成るのが、縄文時代の海岸線と所在地をGoogle earthで重ね合わせた画像です。
延喜式内社・式外社と縄文時代の海岸線 久良岐のよし
約6000年前の海岸線は今より遥かに内陸に在り、前鳥神社(さきとりじんじゃ)と平塚八幡宮の奈良時代の地殻変動で隆起した地形以外に所在する式内社・式外社は全て、縄文時代の海岸線と一致する位置や湧水地に現在も存在しています。
そんな訳で勝坂遺跡も有鹿神社の聖地である有賀谷の横に在る訳で、縄文時代の村落の史跡の横の有鹿谷が有賀神社の奥宮な訳です。
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勝坂遺跡に復元された住居には、展示時間内なら自由に入る事も出来ます。
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当時の人々の暮らしも想像できますね。
ただ、この住居内部の復元は、横浜市南区の三殿台遺跡程緻密には行われていませんし展示館も無いので、もし日本の神代に当たる縄文時代の人の暮らしに興味が有る人は、横浜市都筑区の❝横浜市歴史博物館❞と横の❝大塚最歳土(おおつかさいかちど)遺跡❞、復元住宅と生活を見たいなら横浜市南区の三殿台遺跡を見学すると良いと思います。
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勝坂遺跡も、住居跡の凹みにちゃんと解説文が説明板に書いて有るので、基礎知識を学ぶには良い場所だと思います。
ここは、日本文化を守って下さる神社の宮司様や御寺の和尚様達にも訪れて、日本文化と伝統の起源を改めて見つめ直して欲しい場所でもあります。
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この勝坂遺跡の入口と、勝坂遺跡の途中に有賀谷に降りる遊歩道の入口が在ります。
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その遊歩道を歩くと相模原市教育委員会の原生林を復興した照葉樹林があります。
明治~昭和期に日本の多くの山は建築材料の調達目的で原生林が伐採され杉の木が植林され生態系が破壊されてしまった場所が多く有ります。
それを踏まえると、この相模原市の取り組みは素晴らしいですね。
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この森をずんずん進みます。
すると…
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有鹿谷の底、小川と湿地の畔に出ます。
ここで生息する希少な生物の説明も有りました。
その傍らに在るのが、有鹿神社奥宮です。
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しかし、この奥宮は聖地の入口に境界の様に建てられています。
平安時代末期までは、上の勝坂遺跡とこの辺りに立派な社殿も存在したのでしょうね。
そして、この祠の前の小川を少し遡(さかのぼ)ると、この地が古来の神道文化を保持している所以(ゆえん)たる聖地が現在も日本文化を大切にする方達に守られていて…
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有鹿谷の壁面から、コンコンと湧き出る有賀神社奥宮の聖水とも言える湧水地ですね。
実は縄文時代~古墳時代の人々の生活で重要な事は飲み水の確保でした。
昔の人は大きな川の水を飲んでいた訳では有りません、そんな事をすれば、いくら昔の綺麗な川でも感染症を起こして死にますからね。
かと言って井戸を掘削する技術も実は平安時代位まで普及しておらず、江戸時代に成ってもまだまだ現代の様に地盤によっては垂直に井戸を掘れる技術は有りませんでした。
だからこそ、この有鹿谷の有鹿神社奥宮を含め、延喜年間には存在した神社…
伊勢原市の大山阿夫利神社や横浜市港北区の師岡熊野神社、東京都あきる野市の二宮神社(二宮小川大明神)、関東最古の大社で日本武尊が造営した埼玉県久喜市の鷲宮神社の様に縄文時代~古墳の史跡や自然湧水地を抱える場所が多い訳です。
●鷲宮神社の記事

どうでしょう?
有鹿谷と有鹿神社の大切さ、縄文人代の先輩達から~弥生~古墳~奈良~平安~鎌倉~室町~安土桃山~江戸と、現代人の我々へ受け継がれている事を辿(たどる)る事で御理解頂けたでしょうか?
この縄文の人を潤し、弥生~昭和まで農耕の灌漑用水としても利用されたであろう母なる水を湧かす聖地有鹿谷の神様が、有鹿比女(あるかひめ)と言う女神様である事も忘れないで下さい。
現在の神道も、縄文~弥生~古墳の習慣が残っていますが、更に神話にも登場しない古い時代の神様を平安時代の醍醐天皇達の次代には現代よりも大切にして、現代人の私達に対して❝延喜式神名帳❞を通じて「ちゃんと保護し大切にしなさい!」と伝えてくれた事も忘れないで下さい。

…余談ですが、現在は御寺に成っている横浜市中区にある❝国家君が代と吹奏楽の発祥地❞である妙香寺は日蓮宗の御寺ですが、昔は真言宗の弘法大師空海和尚が開山の御寺だった歴史が有りますが同地の丘には打越の霊水やワシン坂の霊水と言った自然湧水地を多く抱える場所であるのですが、実は空海和尚は自然湧水地と日本神話の日本武尊信仰を大切にされていたので日本武尊神話の伝承地に日本武尊が崇拝していた牛頭天皇=素戔嗚尊を祀る牛頭社や須賀社を開いたり、聖徳太子を祀る太子堂を開いたりしています。
恐らく、横浜市の妙香寺や弘明寺は御寺に成る以前には神社としての機能が有った聖地なのだと思います。
その推測を強化するのが、弘明寺の旧境内地からは❝国府瓦❞が出土しているからです。
国府瓦と言うのは郡衙(ぐんが=群の政庁=現代の市庁舎のような存在)を建設する際に、国府の陶磁器や須恵器を焼く釜で製造され、郡の政庁の建設の際に使用された特別な瓦の事です。
武蔵国橘樹郡の郡役所だったと推定されており、背後の宅地の丘が巨大な弟橘姫の円墳である橘樹神社や、東京都府中市に在り武蔵国の国府として機能していたと推測されている大国魂神社が有る事からも、妙香寺や弘明寺は神社の旧跡に日本神話を大切にする空海和尚が御寺を建てたと考え復興したと自然に推測出来たりします。
これ等の場所が古代の海岸線の港や湧水地である事も、有賀神社や延喜式内社の歴史を辿る事で輪郭が見えてくる明治時代以前の人達の信仰の形だったりする訳ですね。
妙香寺はカテゴリ「御寺」に解説が在りますので興味が有れば読んで見て下さい。
●妙香寺の記事

●湧水地の記事


この有鹿神社の御利益と関わった人物ですが、天智天皇の治世、天平勝宝年間=孝謙天皇の治世、貞観年間=清和天皇の治世にそれぞれ中央との関わりの有る祭事や神社の格上げが確認出来ており、師岡熊野神社や比々多神社同様に朝廷からの支援が有りました。
御利益は、有鹿比女(あるかひめ)様が水の女神さまであり縄文~弥生の開拓地である事から灌漑水田農業振興の神様として農耕の豊穣の御利益、そして本宮の有鹿比古(あるかひこ)様と夫婦神様なので日本武尊と弟橘姫様みたいな縁結びと家内安全が期待できますね!

さて、有鹿神社奥宮の聖地と遺跡の解説はここまで!
次回は、鎌倉時代に移転した海老名市側の本宮の解説をします。

では、又、次のブログ記事で御会いしましょう!

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