第三回の放送の解説の前に❝真田丸❞制作者のNHKサンに憚りながら諫言致します。

❝真田丸❞の第3回放送、視聴率が低下したそうですね…
その原因、何処に有るかNHK様に於かれては御存知有るや無きや?

視聴率低下の理由は合戦シーンが無いからです。
NHKさん、いい加減に気が付きましょう。
戦国時代や太平記や源平系の歴史大河で合戦が無い、または合戦シーンがしょぼいのは寿司屋に行ってネタの無い舎利だけを食わされている拷問の様な物です。
いい加減ファンでも心が離れていきます。
最低限「葵徳川三代」の時の関ケ原合戦のシーンくらい毎回、予算投入して合戦を力いれれないならばやる必要有りませんから。

別に大河ドラマじゃなくて一か月に一回位、マイナーな俳優さん使ってもエキストラを大量に使って局地戦ごとに詳細に再現した「月1回の合戦絵巻ドラマ」の方がよっぽど良いですよ?
イギリスのBBC放送の制作❝The Battle of Sekigahara❞のクオリティと比較してNHKさん大分劣ってますよ?
The Battle of Sekigahara 開戦直前
御手本にされては如何ですか?
無名俳優さんを使っても、この合戦の迫力を何回も大河でやった方が視聴率も上がりますし、忠実な合戦の再現が出来ますよ?
The Battle of Sekigahara 松平忠輝 井伊直政
外国人制作の日本合戦史の再現ドラマに負けるって恥ずかしいですよね?
今後、大物俳優の登用は止めて、仮面ライダーの様に新人の登竜門にし公正なオーディションにより主役級を採用しませんか?
大物俳優を登用しない分で浮く人件費を大量のエキストラと、ロケ地のセット組み上げに使いませんか?

  謹白
  久良岐のよし

NHK様 
三谷幸喜様
 
さて、本題に戻ります!

❝真田丸❞第3回放送、残念ながら視聴率が大幅に低下したそうです。
これは理由がハッキリしていて、恐らく多くの視聴者が❝真田丸❞を見るのはヒューマンドラマを見たい訳では無く、真田と言えば防衛戦の戦術と戦時中の計略がどの様に再現されるかを期待してしているからです。
つまり…
合戦の再現を見たくて真田丸を見ているのに、全く合戦シーンが無いからです。
初回で高遠城が凄惨な落城の仕方をした防衛戦の様子くらい、ちゃんと風林火山の時のセットを再利用してロケすれば良かったんです。
東京からロケに行ける範囲の坂東市にも❝逆井城❞と言う立派に戦国時代の関東の城を復元した城址公園も有るんですから、それ位はしたら良いと言うのが一ファンとしての意見ですが…

まぁ、ヒューマンドラマとしての真田丸では、第三回放送は結構、重要な展開も有りました。
真田丸の最終回での主人公信繁の戦い方にも繋がる伏線が実は幾つも登場していたのに、歴史に余り興味の無い方は気が付いたでしょうか?
きっと小生と同じ歴史オタクの方々は、「おぉ~、そう説明するか?」と思う伏線を幾つも見つけられたと思います。
先ずは、新たな登場人物の整理と、第3回の物語から予想される第4回或いは第5回で登場すると思われる人物を紹介しておきたいと思います。

先ずは第3回での頻繁に登場した人物の内、真田側の武将達から…
今回は特に4人の重要な人物が登場しました。

●1人目…矢沢頼綱公 最重要人物
矢沢頼綱
この矢沢頼綱公は真田家において参謀的な役割を担(にな)った名将で、奇襲戦を大の得意とされた人物でした。現在の真田丸の時代より数年後に岩櫃城代も務めました。
合戦で重要な作戦を提案する役割、つまり軍資格の武将ですね。
この矢沢頼綱公は血縁上は…
真田信繁
❝真田丸❞主人公の真田信繁公の…
真田幸隆
(KOEIサンのゲーム画像拝借)
…御爺さん真田幸隆(ゆきたか)公の弟です。
真田幸隆 矢沢頼綱
この真田幸隆公と矢沢頼綱公は御兄弟ですが、その御両人の御父君は海野棟綱公です。
海野棟綱
(KOEIサンのゲーム画像拝借)
真田幸隆公も初名(しょめい=最初の名前)は真田幸❝綱❞でした。
元々、真田家や矢沢家は名門海野家の一族で、自分の領有した真田郷や矢沢郷の地名を苗字(みょうじ)にした訳ですが、これは由緒ある武士の伝統文化です。神奈川の名族三浦家も、その一族は支配地域から❝三浦❞❝和田❞❝佐原❞❝朝比奈❞❝芦名❞等の幾つかの苗字の武将に分かれ、その後の戦国大名に成っていきました。
海野一族の通り名は❝綱❞の字だった様ですね。それが真田幸隆公以降は祖先の海野幸氏公からとって❝幸❞の字に成った様です。
主人公の真田信繁は、主君武田信玄の弟で名副将だった❝武田信繁(のぶしげ)❞公に肖(あやか)って名付けられたそうなので、長男の真田信幸公を良く補佐する武将に育つ事を期待されて名付けられた事が窺(うかがい)い知れます。
この真田家の出自の海野家は、鎌倉時代には既に源頼朝公の御家人として活躍した信州の名族で、弓馬に長(た)けた4人の武将❝弓馬四天王❞の一人として祖先の海野幸氏(ゆきうじ)公の名が見えます。
その海野幸氏公が、真田信繁公の直系の祖先でした。
弓馬四天王の残りの3家も甲信の名族で武田信光(のぶみつ)公・小笠原長清公・望月(もちづき)重隆公です。
この内、武田信光公は第2話で亡くなった武田勝頼公の祖先です。
武田勝頼
武田勝頼公は清和天皇の皇孫に当たる名門清和源氏武田家の武田信玄と、諏訪大社の御祭神である建御名方神の御神孫の諏訪家の姫様の混血貴種で超サラブレッドです。
残りの小笠原家は信州守護(しゅご=知事)職を代々務めた武田家の分家筋に当たる名族で、第1話で俳優が登場しないまま既に小笠原家の子孫の武将が徳川家の家臣に成っている描写が、別の武将のセリフに有りました。
最後に望月家は、第3話で地図上の小県郡の勢力図の説明で❝望月家❞の文字だけが登場しましたが実は、この望月家の御子孫も恐らく❝真田丸❞最終回で大活躍する武将として登場するはずです。

●2人目…出浦昌相(いでうらまさすけ)公
出浦昌相
この人物、一般的には❝出浦 対馬守(つしまのかみ) 盛清(もりきよ)❞と言う名前の方が知られています。
ドラマ❝真田丸❞の第3回放送では、出浦昌相の名前で登場し独立勢力の領主として主人公の御父君の真田昌幸公を支持する協力者として登場しました。
昌相(まさすけ)の名には❝昌❞の字が含まれていますね。
これは後に主君に成る、真田昌幸公に臣従した際に名を頂いたと考えるのが自然です。
真田昌幸 出浦昌相
さて、この出浦昌相公はどんな人物だったか、第3回ではその紹介的な物語に成っていたのを皆さん覚えてらっしゃいますか?
真田信幸
大泉洋サン演じる主人公の兄の真田信幸公(劇中では15歳)は、父の策略を実行する為の❝ダシ❞に使われて、出浦公が計略を実行する演出が有りました。
更に、出浦公や信幸公が、真田昌幸公を訪れる際に真田家の館の至る所が忍者屋敷みたいな回転扉や秘密の入り口みたいな構造で演出されていた事に気が付いたでしょうか?
小生を含め歴史オタクはこの演出の意味を知っているのですが、実は出浦昌相公は一般的な人のイメージする処の❝忍者❞の役割を務め尚且(なおか)つ家老を務めた、真田家中でも重要な参謀の一人でした。
まぁ、忍者というのは…
影の軍団
※これは❝影の軍団❞と言うフィクション時代劇で服部半蔵を演じる千葉真一さん
…実際はこんな黒ずくめの忍者忍者した存在じゃありません(笑)。
いわゆる上のイメージの忍者というのは存在しません。
正しくは3タイプの忍者がいました。
1つ目…ゲリラ戦の得意な地方豪族で火薬を使った兵器を好んで用いて戦場で奇襲や攪乱をする武士。
伊賀や甲賀の豪族や、相模国箱根温泉辺りの風磨忍者、紀州の雑賀衆ですね。
このタイプの武士のゲリラ戦術が、今の有り得ない忍者のイメージに繋がっていきました。
このタイプは森林や湿地のゲリラ戦術が得意で、森林で振り回せる脇差や槍を使った戦い方や、鉄砲での狙撃を得意としました。
2つ目…庶民に扮装して敵領地に侵入したり戦場の敵陣で情報収集をするスパイ活動家。
このタイプの忍者が出浦昌相公でした。
出浦公は配下の忍者よりも先に敵情を偵察し正確な敵勢兵力数や布陣を把握してしまい、後に帰って来た部下の忍者の情報収集能力を採点する様なハイスペックな仕事の出来すぎるチート(凄い)武将でした。
更に凄いのが主人公真田信繁公の御爺さんの真田幸隆公で、地方領主なのに自ら当時の主家武田家の宿敵の上杉謙信が支配する越後国の春日山城下に忍び込み、好き放題に情報を収集した挙句(あげく)に上杉謙信の追っ手を庶民の変装で翻弄し、無事に真田郷に帰って来る大活躍をして上杉謙信を嘆(なげ)かせる程でした。
他に庶民に扮装する忍者に女忍者の❝くノ一❞もいて、先に紹介した望月家の戦国時代の棟梁の正妻だった❝望月千代女(もちづきちよめ)❞と言う人物は、武田信玄の命令で孤児(みなしご)や奴隷の女児を神社の巫女に扮したスパイとして育て上げ、敵対国で諜報活動をする❝くノ一❞を用いて活躍したそうです。
…望月家が真田丸最終回で活躍する伏線も、この望月千代女の逸話と関係が有ります。
3つ目…商人として活躍しながら敵の城の御用商人に成り、敵の財政や軍備を調べる。
このタイプの忍者を特に用いたのが上杉謙信で、彼はこんな言葉を残しています。
「商人として一流になれ、一流の商人に成って初めて敵に信用される」
これを象徴する逸話が❝敵に塩を送る❞の逸話です。
海の無い武田家が、当時の群馬や埼玉県の上杉家、神奈川県や東京の北条家、静岡県の今川家から経済封鎖されて塩を輸入出来ない窮地に陥った際に、越後の商人は武田家の領地の甲斐国へ塩を売りに行く事を武田家と敵対していた長尾景虎(ながおかげとら=後の上杉謙信)が禁止しなかった逸話から起こった諺(ことわざ)ですね。
この❝敵に塩を送る❞の言葉は現代では❝困っている人間は敵でも助ける❞みたいな意味に間違って解釈をされていますが、実は助ける意味ではなく、敵の窮地に乗じて商人スパイを送り込み武田家にスパイを商人として信じ込ませ、結果的に武田家の情報を具(つぶさ)に調べたに過ぎません。
ですから❝敵に塩を送る❞は、本来ならば❝敵の弱みにツケ込んで、敵の情報を盗む❞と言う意味の方が正しい訳です。
以上で、出浦昌相公の人物像と忍者の役割は御理解頂けたでしょうか?
では次の人物紹介にいきます。

●3人目…高梨内記(たかなしないき)
高梨内記
本作では度々、真田家の重臣として登場します。
高梨家は、そもそも真田家の家臣ではなく独立した地方領主で、名族で清和源氏の一族でした。
一時期は武田家と直接対決する程の勢力を持っていた一族ですが、敗北すると高梨家の嫡流(ちゃくりゅう=本家)高梨政頼は上杉謙信を頼って越後に移住し、以後は上杉家臣と成りました。
この高梨内記も地域と苗字から、その高梨家の一族と考えられます。
そんなに実績を残した人物では…

●4人目…真田信伊(のぶただ)公
真田昌伊
この人物、劇中では主人公から「叔父さんの事を一番尊敬しているよ!」と言われていましたが、実際はそんなに仲が良かった訳では有りません。かなりの曲者(くせもの)で、劇中でもキャラ説明の為に演出されていましたが上杉や徳川や北条等、義理よりも利益に成りそうな場所にコネクションを作るタイプの実利重視の人間でした。
ただし、生き残る才能は一流で甥の松代藩主真田信之公とは別に、後に徳川家康公から5200石の領地を与えられ大身旗本として明治時代まで真田の血を存続させる事に成功しました。
更に、大阪城攻めでは豊臣方の真田信繁公に対し徳川家への内通を促(うなが)す使者として赴(おもむ)き、信濃国40万石の内10万石で内通する様に説得したりと、外交面で武田家臣時代~真田家独立時代~徳川家家臣時代と活躍した人物でした。

さて、第3回では真田家は織田家に臣従する事を決めましたね。
織田信長 織田信忠
次の話のネタばれに成る可能性が高いですが、織田家で真田家の寄親(よりおや=上司)と成ったのは…
森長可
森長可(もりながよし)と言う人物です。
恐らく次回か、その先に登場します。
この人物、官職が武蔵守(むさしのかみ)だった事から渾名(あだな)を❝鬼武蔵❞と呼ばれましたが、この鬼武蔵の❝鬼❞は甲信越地方で❝鬼の様に酷い奴❞と言う意味で名付けられていました。
実は、❝第1回❞❝第2回❞放送で合戦シーンが端折(はしょ)られた❝高遠城の戦い❞で、この森長可は逃げ惑う女子供を狙って惨殺しまくった極悪非道な人物だったんですね…
一般的に武士は敵でも非戦闘員の女性を殺害しません。殺害する場合は戦後処理で殿様の判決の上で死刑にします。
有名なところでは、明智光秀は本能寺で信長公を追い詰めた際に、寺から逃げてくる非戦闘員の女性達や僧侶に対し自軍明智軍の兵士達が危害を加える事を禁止しました。
ですから婦女子を狙って殺人しまくった鬼の様に酷い奴と言う意味で森長可は❝鬼❞の名で呼ばれる様に成りました。
彼は、高遠城で自ら行った極悪非道な行いによって後に痛い目に遭(あ)います。
本能寺で信長公が亡くなり織田家の威信が低下すると、自分のカリスマ性の無さや信濃攻めで行った極悪非道な行いから信濃国の豪族達に逆襲される事を恐れて、自分の領地を捨てて嫁の実家の美濃国池田家を頼って落ち延びて行く事に成りました。
まぁ~、酷い奴なんですよ。

第3回では…
第2回解説で予想した通り、小山田茂誠(しげまさ)サンが生きて帰ってきましたね(笑)。
小山田茂誠
真田丸では何かアホっぽいキャラに演出されていますが、実際歴史上の小山田茂誠公は理知的な上に義理に厚い真田信幸公の家老でした。
名前は小山田茂❝誠❞の字で登場しますが、この時代は小山田茂❝昌❞だったと推測されます。
真田家は後に関ヶ原の戦いで…
真田昌幸 真田信繁
真田昌幸公と次男の真田信繁公が石田三成に付き
         VS
真田信幸 徳川家康
長男の真田信幸公は徳川家康公に味方し対立します。
その際に徳川家に気を使い、真田信幸公は父の名前から貰った❝幸❞の字を捨てて真田信之と同音別字に改名します。
ですから小山田茂誠公も、この時点では真田昌幸公の娘婿と言う事も有り昌幸公から一時拝領し❝小山田茂昌❞と名乗っていたはずです。
因(ちな)みに、この小山田茂誠公は後に真田昌幸公信繁公親子が和歌山県の九度山に幽閉されると、ずっと資金援助し支援し続けた律儀で御恩を大切にする方でした。

第3回の解説はこんな処(ところ)でしょうか?
今回の解説、如何(いかが)でしたが?
冒頭でNHKサンに対して「目指す方向間違ってない?」と指摘してみましたが、皆さんはどう御感じに成りましたか?
もし、今回の解説を御覧に成って、真田忍者や伊賀忍者や風魔忍者に御興味を持ったら、是非!風磨忍者の主君の北条家の居城の小田原城や、真田家の上田城、伊賀の忍者屋敷に旅行されて見ては如何でしょうか?
御城や忍者のゲリラ戦術を学ぶと、より大河ドラマ真田丸を楽しめるかも知れませんよ!

では、また、次回の解説で!