歴史オタクの郷土史グルメ旅♪♪      久良岐のよし

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タグ:磯子区

本当は今日はコッチ
       ↓
【休日雑記】2018年01月01日~2日の訪問先⑤・・・横浜市内~海老名市~厚木市~伊勢原市~平塚市~寒川町(の内、龍散寺~式内社小野神社~毛利家発祥地)
 ↑ 
コレの続きの記事を書かなきゃいけなかったんだけど、1月2日と同じSuper moonでの皆既月食が見れたので、そっちの事を少し書こうかなと。

2018年01月31日、この日はSuper Moonの皆既月食・・・
横浜市の最高峰の円海山へと登り月食の様子を撮影に夜9時半頃からずっと観察してた。
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スーパームーンの皆既月食を観察する為に夜ジムに行かずに、横浜市最高峰の円海山の中腹の在る所に・・・そこは円海山の木々が少し開けた場所で星空が良く見える。
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そこで寝そべりデジカメを両手でシッカリホールドして皆既月食を撮影してた・・・
「クッソ寒い(笑)」
・・・でも夜の冷気と古代人が大切にした円海山の清々しい空気で最近クサクサした心が少し晴れた。
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2万円の安いデジカメを持参、望遠レンズも無し三脚も無し、別に天体観察オタクでも無いので歴史オタクの小生はこのクオリティーで満足。
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思った以上に綺麗に撮影で来たかな?
でも手振れが激しく(笑)月が分身した写真が何枚も撮れてしまった(笑)!
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まぁ、これはこれで面白い(笑)!
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誰もいない夜の山の広場に寝転んで星空を見上げて見る満月はとても神秘的だった。
きっと古代人は月読(つくよみ)の神様の命(みこと)を拝んで皆既月食を観察して閏年の調整を行ったのだろう。
天体観測を通じて何だか古代人と繋がった様な気分に成れ嬉しかった。
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この❝円海山の瀬上沢”は❝横浜市最大最後の蛍の群生地❞として有名ですが、アホの東急不動産と横浜の林文子市長が開発しようとして横浜市民の保護活動と交戦状態の最前線に成っている場所で、古代人の聖地と鑪(たたら)製鉄遺跡と灌漑水田史跡、更には鎌倉武士達が有事に使っていた高速道路鎌倉早駆けの道の間道も幾本も林道として残るのですが、林文子市長に成ってから林道保持が怠られた状態に成っていたりもします。
現地には日本神話最古の知恵の神様の思金神を祀る思金神社や、浄土宗総本山の知恩院住職となった任蓮社然譽了鑑大和尚を輩出した❝峯の阿弥陀寺❞も現存しています。
以前書いた記事が有るので、御興味の有る人は以下の記事タイトルをクリックして読んで見て下さいね!
●円海山と瀬上池の沢…蛍が見れる横浜南部の最後の大森林。
●円海山の蛍が観察出来る季節です。・・・過去記事の転載も。
●古典落語「強情灸」の舞台と鎌倉古道①…円海山白山神社〜阿弥陀寺~護念寺。横浜市磯子区峯町・港南区港南台
●古典落語「強情灸」の舞台と鎌倉古道②…円海山白山神社〜阿弥陀寺~護念寺。横浜市磯子区峯町・港南区港南台
●思金神社…古代人の遺跡の有る横浜市内1番の自然のパワースポットの円海山に在る神社。
●神奈川の橋100選の一つ“昇龍橋”と白山社古址。横浜市栄区長倉町


あ、それと梅の季節ももう直ぐなのでそれのリンクも貼ります・・・
●神奈川県内の梅花鑑賞に適した梅林一覧。
※イベント日付が以前のままなので、詳細は御自分で記事に掲載されている電話番号までお問い合わせくださいね♪

次の❝【休日雑記】2018年01月01日~2日の訪問先⑥❞はSuper moonの夜の日に訪問した、仁徳天皇=大鷦鷯尊大王の弟皇子で莵道稚郎子(うじのわけのいらつこ)命が埋葬されていたのに神奈川県教育委員会が保護せず破壊された真土大塚古墳と莵道稚郎子命が御祭神の延喜式内社である前鳥神社、そして古墳時代初期の神事を行う神奈川県の寒川大社の追儺神事つまり神社文化成立以前の古代から続く神事の事を書きます。この神事は上賀茂神社や寒川大社などの一部だけで中国渡来の陰陽道や仏教の文化の影響を受けず、そして明治基督教徒の政治家による宗教改革でプロテスタント化した国家神道の影響を受けずに続く貴重な❝日本古来の進行の原型を残す神事❞だったりします。

・・・では!次の記事で又皆さんに報告したいと思います~♪

年末の横浜南部市場に2日間に分けて蟹と鮪の柵を仕入れに行った。
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30日、場内市場の鮮魚棟。
年内営業最終日の店が多く、売れ残りを避けたい店が鮮魚を値引きしてくれるんだな。
今年は蟹が種類問わず不漁で値段が若干昨年より高め。
まぁ、毛蟹も店で値段はマチマチ・・・
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2500円・・・
冷凍の毛蟹だけどソコソコ。
次の店・・・
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1800円。
質が悪い訳じゃなくて元からのランクと在庫数の兼ね合い、それと本当に営業終了予定時間が差し迫ってる店から安く成っていく。
でも昨年、市営から外れ公設市場では無く成ったせいで逆に民間化して客足が増え(た笑)、それで今年は店も強気で値下げしてくれない(-_-;)。
そして・・・
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昨年も値下げしてくれた店で活毛蟹が1500円!まぁ、昨年より最終値200円高いがそれでも安いよね~。
即決で4杯購入。
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本日、31日大晦日。
早朝04時に自宅を出発し川崎市高津区の橘樹神社に向け出発・・・
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橘樹神社
この神社は御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)の奥さんの弟橘媛(おとたみばなひめ)。
実は神社は遥拝所。
今では住宅街に成ってしまった背後の丘が昔は巨大な円墳で弟橘媛の遺品が埋葬されていると伝承する。
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神社は真っ直ぐ背後に円墳の頂点を背負って存在する。
先ずは神社で弟橘媛様に1年間の御礼参り。
その事、弟橘媛御陵の登頂部に移動。
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本来なら橘樹神社の本宮に当たる古墳の残存部に登り、弟橘媛様に御詣りし感謝と心願と来年又、参拝に来ますと御伝えし南部市場に向けて出発。
途中で大倉山のセブンイレブンに寄道・・・
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・・・実は大倉山梅林の梅酒“梅の薫”が“いつもなら”売っているのだが、今年は眞子様の婚約で贈物として大倉山の梅の薫が選ばれたとTVで紹介されてしまったせいで売り切れだった。残念❕
そのまま下道の綱島街道沿いに横浜市磯子区を目指す。
延喜式内社と式外社と寺院と古代の海岸線 久良岐のよし
実は橘樹神社~綱島~神奈川区三枚橋交差点~六角橋の道は恐らく日本武尊と弟橘媛御夫妻も走水を目指して当時は港だったであろう宝秀寺の在る六角橋まで歩いた道のはずなんだな。
しかし今回は三枚橋交差点~六角橋には向かわずに片倉町経由で三ツ沢を通り横浜駅前を通過し保土ヶ谷区の洪福寺方面に行き、そこから南区堀之内に至り中村川沿いに磯子区に入った。
三枚橋交差点の在る三枚町は江戸時代までは三枚田村と呼ばれ一帯は“店屋(てんや)”と言う古代大和政権の駅伝制の中継集落で行政区域だった名残の“天屋”の地名が旧住所の小名に残っていた。
小生が今日通った三ツ沢方面の道を日本武尊が歩かなかったと断言出来るが、それは横浜駅が開かれて以降に主要街道として開かれた道だからだな。
何故なら江戸時代にもまだ横浜駅周辺は平沼や岡野の先、天王町の手前まで海で根本的に陸ではなかった。
当然ながら弥生時代~古墳時代の皇族である日本武尊の時代も横浜駅辺りは海の底。
東海道五十三次 神奈川宿 田中家
江戸時代の歌川広重が描いた神奈川宿の浮世絵。
今は台町と呼ばれる丘が江戸時代の東海道で旅籠が並んでいた。絵に描かれた海が今の横浜駅辺りだな。
因(ちな)みに坂本龍馬サンの没後に未亡人お龍サンが働いていたのも、ここの田中家だった。
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葛飾北斎が描いた富嶽三十六景:神奈川沖浪浦もこの辺りの海。本牧半島辺りの風景だろう。
江戸時代には東海道は陸の道に成っていたが、実は日本武尊と弟橘媛御夫妻の時代の東海道は今とは大分異なる。
古代の街道と延喜式内社&式外社&遺跡の分布 久良岐のよし
そもそも昔は富士山の北側~御殿場を抜け~寒田神社~比々多神社~有鹿神社本宮~神崎遺跡~宇都母知神社~大庭神社~鎌倉~逗子駅辺り~葉山町~上下の山口地区~を経て走水神社に至り海を越えて房総半島の富津に至る文字どおり海の道が東海道だった。
古代東海道ほぼこんな感じ・・・
矢倉沢往還
     +
高座郡を貫く県道406号
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鎌倉郡を貫く県道43号
     +
三浦半島内の国道16号線
・・・これが大凡(おおよそ)の古代の東海道なんだな。
日本武尊はモデルが数人いる筈で古代の大将軍に相当する官職名に由来する神号だと推測している。
そして小生は素戔嗚命の後に軍を司った卑弥呼が倭姫、卑弥呼の弟が景行天皇で九州で活躍した初代日本武尊、二代目が走水に来た日本武尊、三代目が菟道稚郎子命、四代目が恐らく武蔵国造の乱を調停したであろう雄略天皇だろうと何となく神話、各神社の社殿、考古学、地理と地形の情況から推測している。
この内、綱島街道沿いを歩いたり船で往来した可能性が有るのは恐らく大伴部と吉備氏を与力とし后が弟橘媛だった景行天皇の皇子で2代目かも知れない弥生時代末期の一般的に日本武尊の神話として知られる最初の東征を行った皇族の大将軍と、四代目で武蔵国造の乱を調停したかもしれない古墳時代の雄略天皇だろう。
まぁ現代では川崎市高津区や横浜市港北区からは横浜駅前を通り磯子に抜けるのが磯子区・横須賀への1番のショートカットだ。
途中で又、寄道し神社に参拝・・・
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八幡橋八幡神社だな。
八幡橋八幡神社・・・ここは古代には現代の陸地から見て上空に社殿が在ったであろう場所(笑)。
ラピュタ的な意味では無くて江戸時代に現在の関内辺り~吉野町の海だった吉田新田地域を埋め立てる際に八幡橋八幡神社の辺りの久良岐の丘を一部開削し、その土で海を埋めたんだな。
だから八幡橋八幡神社は現在では低い場所に在るが昔は本牧半島の付根に存在したはずだ。
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この神社は奈良時代には存在していたと伝わる。古代から存続する神社はだいたいが古代の半島の付根か先端、若(も)しくは湧水地や奇岩や古墳の傍に所在する。
だから神社の歴史を踏まえると、成立時は開削前の久良岐の丘の在ったので今の位置より“上空に在った(笑)”事に成る訳だな。
実は小生の血が繋がらない義祖母の実家は元は横浜のシルク商で、この八幡神社を崇敬していた。八幡宮の神様は海上交通と治水と産業と軍事の神様なんだな。
だから古い八幡宮は海に付き出した半島の付根や川や湖の港だった場所に多く分布している。
小さい時に義祖母と一緒に御詣りした神社で神様に1年の御礼を伝えて御参りを終えると横浜南部市場に移動した。
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行きつけの場外市場の鮮魚店に又、最終日の弱味にツケコミ(笑)買付に。
南部市場で職場の同僚と待合せし、鮮魚店を見て廻るが余り安くない。
今年は客足が伸びて値下がりするタイミングがまだ来ていない。イブリガッコ等を購入して同僚とは解散、時間を空けて又、後で小生が再訪問し同僚にはLINEで値段を伝えて買い付ける算段に予定変更。
そこで、値下がりするまでの時間稼ぎに後で訪問する予定だった三浦半島の横須賀市域に在る走水神社に向け出発・・・
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走水神社
朝から氏子サンがお掃除してらした。
年越しの御詣りに備えての準備かな。
一般参詣者が神社で初詣出来るのは、こんな祭事の準備や神社の維持の努力をして下さる各神社の氏子サンの御蔭様。感謝。
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本殿で日本武尊と弟橘媛様と大伴黒主様と天磐楯命に改めて1年の感謝を伝えてから来年の心願成就をお助け下さる様、そして国籍人種問わず日本の自然と文化と歴史史跡を大切にする“親日の人間”の平安を祈願した。
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ちゃんと東郷元帥や乃木大将が大切にした奥宮にも参詣した。
参拝後に暖かい珈琲が飲みたくて近くのコンビニに行くと人懐っこくて毛並みの綺麗な柴チャンがいた。
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尻尾振って寄って来てくれたのでモフらせて頂いた🎵
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そう言えば新年は戌年だっけ?
縁起が良いね、ありがとワンちゃん!
南部市場に戻る途中で横須賀名物のポテチパンを販売する中井パンに寄道・・・
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中井パン店
朝御飯食べてなかったからオナカ空いちゃったよ。
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大晦日だけど御客さん来てたね、大晦日も昼まで営業されるそう。
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朝食代わりにポテチパンを食す。
海苔塩味。
車中ポテチパンを頬張りながら運転し30分位?南部市場に到着したのが10時前後。
でも安くなるの待つのに持久戦、先に車の中でスマホでFF3やりながら時間を潰し11時位、早めの昼食に市場の食堂で鯵・シラス丼食べて時間稼ぎ・・・
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・・・攻城戦と同じで相手=市場の店は営業最終日の今日中に在庫を売り尽くすと言う勝利を得なければいけないのだが、戦う為の残り時間と言う名の兵糧が切れる時刻はあと数時間でやってくる。ソレを恐れ必ず買物客(敵)に和平の値下をしてくるはず(笑)。
対してコチラは相手が兵糧が僅(わず)かに成り“音(ね)を上げて値を下げる(笑)”のを悠々と食堂と言う名の付城で暖房に当たりながら食事と言う名の兵站(へいたん)を確保し対陣(笑)。
値下げしてくると踏んだ営業時間終了の1時間前位に行動開始、そして・・・
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・・・勝利の瞬間到来(*´∀`)」❗️
値下してくれた社長さん、ナイスガイのニイチャンあんがとな!
皆さん、この店の名は場外市場の浜光水産ですよ~♪
浜光水産
真実一路、新鮮な魚を取り扱い客に親切に心地光明の精神で対応して下さる最良の鮮魚店です。新年の買出し何卒贔屓にして上げて下さい♪
・・・何て御膳立てを魚屋さんにしてみる(笑)。
タラバ足を2つ買い、あと場内で作業してたこの浜光水産の社長さんから事前に御薦めとしてリサーチしていた特選の鮪の柵、それと刺身用の帆立貝柱を購入した。
因みに頼むと店頭に並ばない魚も用意出来るか調べてくれたりする本当に親切な店なので小生は家で魚食べたいと良く円海山の麓の家から買い出しに来るんだな。

・・・ふむ、横浜での土地神様の神社の宮司様と御世話に成ってる御寺の和尚様に先週挨拶も済ませたし、今日は小生が崇敬する夫婦神様と与力の神様にも挨拶を済ませれたし、カニも鮪も正月に備えて補充出来たし・・・
良い1年の締め括りに成った。

神様と仏様と御先祖様と恩人と恩師と家族と同僚に感謝!

追記
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蒸し上がったでござる。
生きたまま蒸した蟹サン、美味しく御命頂きます🍴🙏。
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蟹サンの分も善き人と日本文化と親日の人の為に自分の命を使わねば。

皆さんは杉田駅と新杉田駅の真ん中辺りに大きな御寺が在るのを知っていますか?

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その御寺の名前は東漸寺(とうぜんじ)と言います。
実は江戸時代まで“禅宗臨済派関東十刹の一つ”の格式を有した横浜市内では貴重な、とても寺格の高い御寺でした。“禅宗臨済派”と言うのは現在の臨済宗の事ですが、昔は禅宗は臨済宗も曹洞宗も分離しておらず派閥が違うだけと言う認識で幕府からも扱われていたんですよ~。
同じ様に浄土宗も日蓮宗も時宗も“法華宗”の派閥として認識されていました。昔は派閥同士も喧嘩するのではなく別の修行をしていても協力し合って共存していたんですね。
さて、東漸寺の正式名称は…
靈桐山(れいどうさん)東漸寺と言います。鎌倉幕府を開いた源頼朝公の甥っ子の名越北条朝時公の曾孫(ひまご)に当たる北条宗長公が開いた途轍(とてつ)も無く由緒正しい御寺なんですが
…え?こんな写真の立派な門の有る大寺院なんかアソコ等辺りに在(あ)るの?ってのが普通の横浜市民の一般的な反応だと思います。
何で、こんな立派な門なのに目立たないかは、後の解説を読んでいただければ理解出来ると思いますが、先にヒントを言うと明治政府の宗教政策の失敗のせいと、GHQのせいです。

東漸寺の解説をする前に少し鎌倉市浄明寺地区の話をすると、この御寺の凄さが良く解ると思いますので先に名越北条家と鎌倉の話を簡単に解説します。
先程も書きましたが名越北条家は源頼朝公の甥っ子の家系です。なので当然、鎌倉幕府初代執権の北条時政の血を継いでいます。
その北条時政が住んでいたのが鎌倉市浄明寺地区の衣張山一帯に在った“名越邸”と呼ばれる邸宅でした。邸宅とは言っても立地的には半(なか)ば城砦の様な機能を周囲の地形が果たしており、その傍らには“釈迦堂の切通し”と呼ばれる鎌倉を代表する景勝地が存在しています。
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現在、鎌倉市はアホの左派市長の執政下で劣化を補修も保全もせずに落石を発生させてしまった挙句、これ幸いと落石を言い訳に交通封鎖してしまい一般市民の通行を遮蔽し阻害しています。その結果、人の往来が無くなってしまい逆に植物が茂り放題茂りだして釈迦堂切通しの劣化を加速させる事態を巻き起こしてしまっています。
この釈迦堂切通しの洞門の上部には門を固定する材木を通したであろう穴が岩盤に穿(うが)って有るので、ここが名越邸の城門の役割を果たしていたのでしょう。
名越邸と釈迦堂切通しと衣張山の位置関係 久良岐のよし
この釈迦堂の切通しを含めた山が衣張山で、その山腹に名越邸が存在していました。
北条家は源頼朝公の相模川での死没後(恐らく北条時政と稲毛重成による暗殺)に執権と成り鎌倉幕府を乗っ取ってしまいます。北条時政は源頼家公への謀反が事前にバレて追放されますが、その子の北条義時公が結局は二代目の執権と成り源氏にとって事態は悪化しただけでした。
この北条義時公には特に有力な跡継ぎ候補がいて…
北条朝時公

北条頼時公
…の二人が別格の扱いを受けていました。
この内、名越北条家の祖先は北条朝時公です。母親が比企(ひき)家の姫で絶世の美女でしたが、比企家と源頼朝公の関係は密接だったので当初は北条朝時公が後継者候補かと思われていました。
対して北条頼時公は特に源氏と血縁的な深さは北条朝時公程深くは有りませんでした。しかし源頼朝公の名前の“頼”の字を頂いている事からも、頼朝公の生前に可愛がられていた事が窺(うかが)い知れますね。
しかし、事態は祖父や父による恐らく頼朝公の暗殺によって急変し、源頼朝公御本人と御子息達と比企家は北条家によって根絶やしに暗殺されていきます。そして比企家を駆逐すると、比企家との血縁の有る北条朝時公の存在は北条一族内でも“面倒臭い存在”に成ってしまい、後継者指名から外されてしまいました。そして何故か北条“頼”時公は名前から源頼朝公由来の“頼”の字が抹消されると、同世代で北条に次ぐ有力者である三浦家の三浦泰村公から一字を貰う様に北条“泰”時と名乗る様に成り第三代鎌倉幕府執権と成りました。
しかし朝時公を蔑(ないがし)ろにする訳にも行かないので、北条朝時公は御爺ちゃんの北条時政の財産を継承する事で決着し、その際に北条時政の邸宅の名越邸も相続する事と成りました。
これが“名越”北条家と呼ばれる様に成った由縁です。
さて、そんな訳で名越北条家は本流から外れた事で反本家姿勢を強くし頼朝公の子息の将軍や藤原家から来た将軍と密接に成る事で存在感を増して行くのですが、これが益々北条一族にとって煙たい存在と成って、執権が北条時頼公の時に名越北条家で本家に反抗的な人間は粛清され勢力を失う事に成りました。
元々今の横浜市金沢区の北部一帯は名越北条家の土地だった様で、富岡辺りも所領だった事が判っています。
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御寺の説明にも少しその事が書いて有りますね。
安土桃山時代~江戸時代~明治時代~昭和初期に、この周辺は杦田(すぎた)梅林と呼ばれ京都の関白家や本願寺家の当主が観光に来た程だったのですが、杦田梅林へ観光に来る江戸市民からは靈桐山東漸寺は御本尊が御釈迦様の立派な御寺として大変に有名で親しまれたそうです。
東漸寺場所 久良岐のよし
現在では明治時代の神仏分離令と廃仏毀釈、第二次世界大戦後のGHQの方針で境内地は縮小していますが、本来はもっと広かった事が国道16号線に接続する参道の位置から推測出来ます。普通、参道は御寺の正面に作りますから今みたいに端っこに寄ってる筈が無いんですね。
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だから周辺は不可解に狭い路地だらけに成ってしまっています。
恐らく室町幕府鎌倉府の崩壊の切っ掛けに成った永享の乱や、戦国時代の房総半島の里見家の海賊の焼き討ち、第二次世界大戦の横浜大空襲の戦災等で御堂や建物の無くなってしまっていた部分の御寺の境内地がGHQの政策で接収され縮小された後で、横浜市が御寺に返却せずに民間に払下げ民家が乱立していまの細い路地だらけに成ったんでしょう。
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まぁ、小生はコンナ路地も好きなので、これはこれで散歩していて楽しいのですが。
さて、この路地を含め境内地だったとして、この東漸寺は境内地の中にも更には周辺の妙法寺や八幡社含め広大な杦田梅林が広がっていた事がアホの横浜市が日本規模で有名だった杉田の杦田梅林を破壊容認してしまい消滅した現代でも当時の規模が解る史料が有ります。
新編武蔵風土記稿 久良岐郡之七 杉田村…この杉田村の解説の中に下の挿絵が有ります。
杦田梅林 久良岐のよし
これを見ると解りますが、東漸寺や妙法寺が凄く広い境内で、海岸線も昭和のアホの横浜市が埋立地利権で海岸線を変えてしまう以前の様子が解ります。そして杉田と言うより屛風ヶ浦近く中原の辺り~青砥坂の辺りまで広大な梅林だった事が見て取れます。
ここに明治天皇御一家も遊覧に来られたそうですが、この杦田梅林を植樹したのが間宮林蔵の祖先の間宮康俊公の間宮一族で、主に杉田周辺は分家の杉田間宮信繁公が梅林を拡張しました。
この梅が現代でも幻の杉田梅として流通していますが、本家本元の杦田梅林は横浜市のせいで消滅してしまいました。
そんな江戸時代に東漸寺を支援したのが、この杦田梅林を造営した間宮家でした。
ですから間宮家が書いた文書が江戸時代末期にも残っており、新編武蔵風土記稿の中で古文書が紹介されており中興開基間宮左衛門尉敦信と記載されています。
この杉田間宮の戦国時代~江戸時代の当主は梅林を造営した間宮信繁公ですが、実は関ヶ原の戦いで東軍が大勝利する徳川軍本隊3万の前進行軍を成功させる切っ掛けになる偵察と献策をした名軍師であり、そして江戸幕府将軍家の初代の鷹匠頭でした。
ですから間宮家の御縁で御寺の収入源と成る寺領が家康公によって安堵された事で徳川家の葵の御紋の寺紋としての使用を許された様ですね。
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実は新編武蔵風土記稿の中には小生の“東漸寺の境内は昔はすさまじく広かった説”を立証する証拠が文章で乗っていましたので紹介します。
東漸寺場所 久良岐のよし
※本堂の位置と今も残る池の位置を見てから以下の解説を読んで下さい。そうすると現代では失われた江戸時代の御堂や江戸時代以前に失われた御堂の跡の位置関係が詳細に理解できます。
※現存する池は二倍の大きさがあり、昔真ん中で橋が架かってた部分から半分が埋め立てられてしまっている事が判ります。

惣門(そうもん:外門)を入(はいる)こと凡(おおよそ)十八(~)九間(けん:1間=1.81m、十九間=約34m)にして、中門を立(たてる)、靈桐山の額を掲ぐ、落款(らっかん:サイン)に見圓覺俊衡碩(けんえんかくしゅんこうじゃく=和尚様の名前)書とあり、又五(~)六間にして池あり、小橋を架す、又ニ(~)三十間にして本堂に至るー以下中略ー
塔頭(広大な境内に有る子会社みたいな別運営の御寺)
眞樂庵 本堂に向(かい)て右にありー以下中略ー
多福院 (本)堂に向(かい)て左にありー以下中略ー
保福院蹟 堂の西方にあり(※現在の杉田駅辺り)ー以下中略ー
成願院蹟 堂の西南にあり(※現在の杉田商店街杉田駅寄りの辺り)ー以下中略ー
直傳庵 東の方にあり(※現在の杉田商店街入口の辺り)ー以下中略ー
長慶庵 東の方にあり(※現在の杉田商店街入口の辺り)ー以下中略ー
正永院 境外(寺の敷地外)巽(たつみ=北東)の方にあり(※現在の新杉田の交番辺り)ー以下省略ー

文字だけではイメージ出来ない人がいると思うので、総門~中門~池と小橋~本堂の距離を、旧参道の道上に距離から逆算してGoogle earthの衛星写真上に再現した地図で位置関係を御覧下さい。
東漸寺 失われた惣門と中門と池の小橋の位置関係 久良岐のよし
こうしてみると、新編武蔵風土記稿の記載を立証する様に池の小橋、中門、惣門が昔所在したと思われる場所には横道の名残が住宅街の小道として残っている事が解りますね!
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つまり、これらの商店街裏の住宅街の路地は、昔の塔頭寺院と門や橋を繋ぐ境内の横道の歩道だった事が理解できます。境内の歩道跡に沿って家を建てちゃったもんだから、こんな狭っくるしい路地に成った訳ですね(笑)。
さて、ここまで旧境内の規模と、関わった御殿様達が凄い人ばかりだったのは御理解頂けたと思います。
この御寺の権威も凄かったので“禅宗臨済派関東十刹の一つ”の格式を歴代の室町幕府鎌倉公方や徳川将軍家から保証されていた訳ですね~。 

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今でも御釈迦様が祀られている御本堂はとても立派で迫力が有ります!是非、杉田商店街で御買物する機会が有りましたら、東漸寺御参りして見て下さいね!
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所で杉田商店街ですが…
実は商店街の中に老舗の和菓子屋さんが在りまして、梅の和菓子を売っています。
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甘味処 菓子一と言う御店です。
そうです、今では横浜市役所と昔のアホの市長の建設利権のせいで消滅してしまった杉田梅林の梅を昔は特産にしていた元は観光の町なので、今でも杉田梅は無くなりましたが梅の和菓子を製造販売してらっしゃるんです。是非!菓子一さんの梅の和菓子も食べて見て下さい!
ところで杉田の杉は古文書を読むと昔は杦田(すぎた)と書いていた事が解るのですが、その昔は日本全国で最高級ブランドとしてもてはやされた旧久良岐郡(横浜市)の特産品だった杦田梅、実は今でも別の場所で梅林を見て梅干を食べる事も出来ます。
それは・・・
小田原市に今も存在する南関東最大の梅林の曽我梅林です。
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富士山も梅林越しに見られる曽我梅林は、実は今では特産の蘇我十郎梅を生み出す為(ため)に昭和初期に杉田梅林から大量の杦田梅の苗木買い付け植林し、その杦田梅を品種改良して生み出されたのが蘇我十郎梅なんです。
だから今でも杦田梅の梅林が曽我梅林の中にはちゃんと保存されているんです。

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曽我梅林も素敵なので、是非、来年の3月頃に皆さん見学に行ってあげて下さい!

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梅のジェラート、一粒500円の梅干“雲上”、そして神奈川名物足柄茶、美味しい物も沢山有りますよ~!

では最後に、今日紹介した御寺とか御店とかアドレスを掲載して今日のブログを〆ます。

【靈桐山東漸寺】


【菓子一】
【曽我梅林】
では皆さん、又、次のブログ記事で御会いしましょう~♪










皆さんは公害発生の可能性を断つ日本で最新鋭の火力発電所が横浜市磯子区に存在しているのを御存知でしょうか?名前を東京電力南横浜火力発電所と言います。
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そして、その火力発電所の施設の模型や文字による解説、映像資料等を展示した場所が存在するのを御存知でしょうか?その施設の名前をISOGOエネルギープラザと言います。
実は小生も最近まで知らなかったのですが、この施設が無料で入館出来るのです。車で行けないので少々不便ですが磯子駅からバスで直ぐに来られるので、横浜市民のみならず他都市からも見学に訪れる事が出来ます。
位置的にはこんな感じ・・・
ISOGOエネルギープラザの場所 久良岐のよし
ここの存在を知ったのは2週間くらい前に夜景を探して夜な夜なドライブして来た際にGoogle Mapを見ていて火力発電所の存在を再認識してから、ホームページを検索して情報を入手したからでした。
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その時に撮影したのが09月14日に記事にしたこの風景。
コレ記事リンク→
今回、最初は金沢文庫博物館が展示替えしたので其方に遊びに行く心算(つもり)で何にも準備しておらず、ISOGOエネルギープラザさんの事を思い出して電話連絡してから訪問したのですが、別に電話しなくても日曜日以外は常設展示は直ぐに無料見学出来ます。
しかも!ちゃんと事前に予約すると火力発電所その物も見学させて頂く事も可能だそうです。
残念ながら今回は突然の思い付きの訪問だったので今回の記事は常設展示の紹介だけですが、いずれ火力発電所実物の見学も予約してレポート記事の続きを書こうと思います。

さて・・・

ISOGOエネルギープラザさんはセキュリティーの守衛さんが立っている正門をくぐって直ぐ右手に建物の入口が在(あ)り、そこがそのまま解説展示施設の入口にも成っています。
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この入口の右手が駐車場なのですが、そこにも機械好きの興味を引く展示物が有りました。
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建替え前の旧火力発電施設時代の低圧タービンとか・・・
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蒸気ドラムとかですね!
・・・もうコレ、戦艦とか工場とか大好きなデカイ機械マニアにはタマらん逸品でしょう(笑)?
そして、この展示物に並行して植えられている桜の木の解説を読むと、この会社の志の高さを知る事が出来ます。
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この会社の初代総裁である高碕達之助翁が生前、旧岐阜県荘川村(現:荘川町)が御母衣ダム建設によって湖底に沈む事が決まった際に、安土桃山時代に植えられたアズマヒガンと言う樹齢400年超の桜の巨木2本を桜博士の笹部新太郎先生の力を借りて荘川村村民の郷土の誇りを失わせない為に古今未曽有の移植事業を行い保護したそうです。
最近はどの企業経営者も従業員を大切にせず、地域貢献や国の発展等に目もくれず目先の金だけを稼ぐ事に執着し天下100年の計も無く世を見通す力も無く、TOSHIBAやSHAAPやSANYOの様に自分達の地位保全だけの為に売国行為に走っていますね。
ところが昔の経営者と言うのは淡路島と函館の街を作った高田屋嘉兵衛さんに始まり、我が郷里横浜市の原三渓さんの原財閥、鉄道敷設と日本の物流発展に寄与した浅野財閥、経済世民を地で体現した渋沢栄一先生、日本近代造船の父であり横浜に深い関わりの有る渡部忠右衛門さん、そして今回訪問した磯子火力発電所を開いた電源開発(J-POWER)の初代総裁の高碕達之助さん達・・・これ等の経営の先人達は皆、国民の生活や自然環境と日本文化の保護や国と地域の発展を考えて私利私欲の前に“公益世務”と言う言葉を体現されて生涯を全うしておられるのです。
そんな事が荘川桜の移植の事からも感じ取れたりするのですが、中の展示を見ると、この高碕翁の理念が体現された施設が現在の磯子火力発電所である事が理解できます。
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先ず中に入ると対象年齢12才前後と思われる内容の映像解説を見る機会が有ります。
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このミニシアターで火力発電の源である石炭が、鉱石としてどうやって地球の悠久の歴史の中で生成されていったか、植物の化石である事から非常に解り易い動画で解説してくれます。
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そして、どの様に人間の文化に利用されていったか等、文化面や工業面で人間の文明を発展させて来た石炭の歴史が解説されます。
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小生は浅学で知らなかったのですが、中国では中華料理に必要な強い火力を得る為に1200年位前には既に石炭が利用されていたそうです。中華料理の炒め物や揚げ物や煮物は強い火力を利用して短時間で作り上げる料理が多いのですが、これはガスの登場以前からの文化だったのですね。
・・・日本人は明朝までの中国には非常に敬意を感じる人も多いと思いますが、中国文化はやはり本来は素晴らしく発展した物だった様ですね。満州族征服王朝である清朝で今の中国共産党みたいに軍拡帝国主義で疲弊し、共産主義の文化大革命で文明後退する以前の中国はやはり素晴らしい文明の国だった訳です。
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そしてイギリスで蒸気機関が発明され産業革命が起きて給食に鉄鋼業等の重工業の発展が齎(もたら)された時期、その蒸気機関に必要不可欠だった物が石炭だと言う解説も有ります。
何故、石炭の解説を動画で行っているかと言うと、実は現代の火力発電所も石炭を燃焼させて発熱しタービンを回して発電するからです。
「え?じゃあ産業革命や日本の高度経済成長期みたいに公害未だに凄いんじゃない?」
・・・と思うでしょう?それが違う。今の磯子火力発電所には高碕達之助翁の理念と魂が吹き込まれており公害の元と成る粉塵や有毒ガスは限り無く0の無公害処理の上で放出されているんです。
有る意味、高リスクで産廃処理不可能な原子力発電より素晴らしい施設ですね。
ミニシアターの他にも面白い物が有りました。
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潜水艦の潜望鏡の様な機材なのですが、実は火力発電所の高さ300mの排煙塔に据え付けられた展望カメラを自由に操作する事が出来ます。
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これで遊ぶのも当然無料。だから子供連れてきたら、きっと喜んで遊ぶので家族連れにピッタリの施設である事が既にこの段階で伝わるんじゃないでしょうか?
文字による解説も充実しています。
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非常に解り易い!まぁ~、館内の模型解説と内容が被ってるんですがね(笑)。
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パンフレットも日本語・英語・中国語で揃っています。これ、公害の凄い中国の政治家に読んで反省して欲しいな。
さて、中に入ると中央に“施設の位置”を解説する為のジオラマが有ります。
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これが又、結構精巧に作られていて面白い。
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タッチパネルを操作すると各施設の役割が理解出来る解説が表示されます。
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こんな感じ。
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そして更に、これとは別に一つ一つの“施設の役割”と“物理的な動き”を解説する模型と映像解説が壁面に細かく細分化されて展示されています。
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最初は文字と写真の資料。
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これをちゃんと読むと一連の火力発電の流れが小生の様な文系人間の歴史マニア馬鹿にも理解できます。
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そして御丁寧に石炭を採掘するところの説明と現物展示から始まり・・・
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採掘後の運搬船と、発電所施設への搬入と管理方法の解説・・・
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模型と光を使って石炭の流れを再現してくれます。
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本当に解り易い。
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石炭なんか、静電気で火災発生したりしたら本当に大惨事だから思ってみれば搬送する所から本当に大変なんだよな~。
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横浜の磯子火力発電所の石炭貯蔵施設は4つクローバーの花の様に並んだサイロなのでクローバー型と呼ばれ有名らしいです。
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どうやって管理されているかも模型で再現されています。
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そして凄いのが施設内でのコンベアによる搬送方法。
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このベルトコンベア、動力が空力で、ベルトを空気圧で浮遊させて石炭を運ぶので騒音が発生させず周辺町村に迷惑をかけずに施設が稼働出来るそうです。
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そして、これも知らなかったのですが昔の蒸気機関や高度経済成長期の発電所と違い、効率よく石炭を燃焼させたり公害を抑える為に先ず、石炭自体を細かい粉末に粉砕してから使うそうです。
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でもね~、これ、凄く技術力と精密な管理がいると思うんです。
石炭なんてただでさえ可燃性なのに、粉末って静電気発生しやすいでしょう?
小麦粉とかのサイロでも静電気で火災が発生する事件って有るんですよね~。
だから本当に、磯子火力発電所はとんでもない最新鋭の管理技術が導入されているのが燃料としての石炭の破砕の項目一つとっても解るんですよね~。
でも高碕翁の理念が現代の従業員にも脈々と活きづいているから、このクオリティーを実現出来るんでしょう。
「おい!横浜市最後の蛍の広域生息地と自然公園の円海山瀬上沢を宅地開発したがってる東急グループと容認派の林文子市長!アンタ等東急創業者の渋沢栄一先生が御祭神として祀られた東横神社の神前で懺悔して来いや!そしてJ-POWERの職員を見習って自然環境保全と日本文化史跡保護の理念再認識しろや!」
・・・と、施設を見学しながら脳裏を過(よぎ)る小生。
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この模型と同じ構造の粉砕機を使って石炭を砕き吸い上げるそうなんだが・・・
本当に良く火事に成らんな。
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何かボイラーの構造も凄くって解説を見る限り、蒸気の再加熱だけでも何重の構造が設けらえていたりするらしい。
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プラスティックの透過性を利用して光を使い上手く炉内の掘能を演出した模型。
これなら子供にも解り易い。妹の所の甥っ子と姪っ子がもう少し大きく成ったら火力発電所見学予約して連れて来てあげたいなぁ~。
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そしてタービンの解説。
なんか横浜のは直列式と言って、効率の良い施設配置に成っているらしく設置コストも抑えられるらしい。
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左側が横浜のが採用している形式、右側が異なる形式。
素人目にも左の方がスッキリしてジェットエンジンのタービンみたいで効率良さげなのが何となく解る。
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写真も有るので実物の規模も解り易い。
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そして最後に送電な訳だが、電気を販売するのは東京電力の仕事で別会社、その東京電力に電気を売るまでがJ-POWERの仕事らしい。
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送電線は銅線だそうだ。
だから良く金属泥棒が送電線盗んだり事件に成るんだな。
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でもこれ、地下トンネルに送電線配置されてる訳だろ?関東大震災来たら水没するだろうし大丈夫なんだろうか?と素人目に一抹の不安も沸いた。
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んで最後に空気の浄化システムの解説とか有って・・・
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てか、静電気で灰塵を選別するとか・・・粉塵と電気の最悪の組み合わせを火災に成らずに使いこなす技術って凄いね。
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乾式排煙脱硫装置と言うらしい。
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この数値が凄まじい。恐らくヨーロッパで未だに酸性雨の被害が凄いのもディーゼル車が主流なせいでは無く原発廃止して火力発電所増やしているのに日本程の技術力が無い旧世代の火力発電技術しかないから窒素酸化物とか硫黄酸化物が略略(ほぼほぼ)垂れ流しなんだろうな。
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何か今回の訪問で知ったのだが、石炭と言うのは産廃に成らず肥料の元と硫酸に成るらしい。
そして肥料の元と硫酸は転売が利くので、それも副産物に成るそうだ。
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クリンカは大きめの石炭の溶解して再結晶した灰。フライアッシュは粉塵のままの灰だそう。
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あと子供が好きそうな火力発電の趣味レーター。
タービンを1つ~3つ、個別に回したり3つ同時に回して発電した場合の電力発生のスピードの差を模擬実験出来る。
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そして通電する物としない物の実験装置。
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自分で電極を持って、実際にヤカンやなんかに触れて確認出来る。
こう言う実験は子供の興味を引くが我々オッサンも楽しい(笑)。
2017年09月27日の小生の来場時間は客が小生一人だったので実験しまくりの上、ゆっくり観覧出来て非常に良かったのだが・・・
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これだけの素晴らしい見学可能な火力発電所と展示館、来客が少ないのは文明向上には損失だと思う。
横浜市民のみならず、もっと多くの子供達や進路に迷っている高校生や大学生に社会科見学や理科の課外学習なんかに来て貰って、色々と高碕翁の偉大な理念や化学系の仕事でも人々の役に立てる事を理系文系問わず考える機会に成れば、何某(なにがし)か人生の選択の助けに成るんじゃなかろうかとも思った。

この施設の直ぐ近くには海づり公園も有ります、小さい子のいる御家庭のパパさんママさん、そして進路に迷う高校生や大学生、一度、ここに散歩に来て施設見学してみては如何(いかが)だろう?

ISOGOエネルギープラザ 営業時間:10:00~16:30 日曜日定休

昨晩、綺麗な夜景を求めていつもと違う磯子界隈を走っていたら綺麗な夜景を見つけたので写真載せるだけの中身の無い記事ですが・・・
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JR磯子駅から徒歩だと少し無理な距離、東京ガス前バス停。そこから見たJXTG根岸製油所プラントの夜景。
夜景探してドライブしてたのにデジカメ不携帯のアホの小生、スマホ撮影。因って画質悪し。
この夜景の綺麗な場所は、東日本大震災発生当時に東北の人々を凍死の危機から救ったJR貨物と日本エネオス根岸製油所(当時)の人達の勤務場所なんだな。つまり現代の無名の英雄達の働く場所。
コレは明治時代の伊藤博文公や、東日本大震災時の根岸で働く無名英雄達の行動を紹介した記事。
  ↓

新磯子周辺 東京ガス前バス停位置 久良岐のよし
位置的にはこんな感じ、地図中央が東京ガス前バス停。
横浜市民にも知っている人は少ないけれど、実は、この先には良い海釣り公園が有ったり、東京ガスのISOGOエネルギープラザってのが有って、日曜日以外に施設が開かれていて火力発電の仕組みやなんかの模型の常設展示が見学出来たり出来るので小学生か中学生位の子供のいる家のパパさんママさんが家族で来ると良い場所だったりする。
そちらは手元に写真が無いので改めて写真撮影に行こうと思う。
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しかし綺麗だ。
昭和後期生まれには伝わると思うけれど“魔晄炉”みたいじゃない(笑)?
では!又、次のブログ記事で!

昨年末、母が子宮癌に成り築地市場近くの癌専門の病院に入院した。
入院前、鎌倉時代~江戸時代に武家や庶民の女性達から“婦人病治癒”の名刹として有名だった浄妙寺の淡島大明神様に母の病気の手術成功と平癒を祈願し、御守りを購入して母に渡した。
浄妙寺は鎌倉市浄明寺地区の地名にも成っている室町時代以前の鎌倉における足利家の菩提寺だ。
母の手術も成功し、昨今は自由に歩き回り旅行する体力も回復したので、昨日、母の気分転換も兼ねて浄妙寺に御礼参りをして来た。
母は信心深い人間でも歴史に興味の有る人間でも無いが、珍しく1分間位手を合わせていただろうか?
小生は多くの神社仏閣をここ数年間、尊敬する織田信長公、徳川家康公、足利基氏公、宅間上杉重兼公、太田道灌公、吉良成高公、吉良頼康公、北条綱成公、間宮康俊公等の顕彰活動で御参りする機会が有ったので、浄妙寺の淡島大明神様の事もたまたま知っていたのだが…
信心と言うのは物事に対処する際、万全を尽くした最後の最後に不安感を抑えてくれたり理性を保ち出来るだけ安心して事に当たれる、そんな役割を果たしてくれる存在だと思う。
ザックリと簡単に言えば「心の持ち様の問題」と成る。
信じるも信じないも自由。
でも、「御参りして来たよ!」と母に伝え御守りを渡し、それを持っている事で少し母の気が紛れたのなら、それが正に御利益なのだと思う。
当事者が自暴自棄に成らない為の存在だね。
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御参りが済んだので、浄妙寺に在る喜泉庵と言う茶室で御抹茶と御干菓子を頂いて来た。
ここを最初に訪れたのは3年程前だろうか?
朝比奈~浄明寺地区は好きで良く散歩に来ていたのに、何故か浄妙寺には来ていなかった。
訪問したら直ぐに大好きに成り、季節の変わり目毎に訪問し、喜泉庵で抹茶を飲んでユックリして帰るのが習慣に成った。
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いつも美味しい御抹茶をありがとう御座います。
さて、もう直ぐ雛祭りと言う事も有り、茶室には雛人形も飾って有った。
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可愛らしい。
ウチは血の繋がっていない妹が増えるまで、仲の悪い(笑)男兄弟しかいなかたので立派な五月人形は有れど、この様な可愛らしい風習は無かった。
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小生達親子が訪問する直前まで、フランス人旅客の団体が滞在されていた。
最近は外国人観光客の来訪も増えたので、以前は置いていなかったテーブル席も設置される様に成った。
御参りし、一服しくつろぎ、次の目的地へ移動した。
同じ鎌倉市内の大船地区、神奈川県立フラワーセンター大船植物園だ。
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ここは幼稚園の頃に来たのが最初だ。
卒園の日、担任だった黒沢恵子先生が寿退社されるとの事で、父母会が送別会と卒園会を兼ねて我々園児を連れて皆、親子同伴、御弁当持参して来たのが最初だった。
小生は2歳からの記憶が有るので、幼稚園の頃の記憶は鮮明に覚えている。
子供の頃は有刺鉄線に雁字搦めに成って血塗れに成るような遊びをしたり、アホな事をして両手を骨折したり両親には大変心配をかけたクソガキだったと思う。
今回久々にここを訪問したのは、梅の名所の紹介記事を更新した際に、大船フラワーセンターが改装の為に今年の有るで一時休園して来年の夏まで見る事が出来なくなるのを知ったからだった。
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久々に来てみると可愛いけど良く知らんキャラクターがいた。
しずくちゃんって、何だコイツ?何のモチーフなんだ?
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神奈川にはもう、コイツ↑がいるから無駄にキャラ増やさなくて良いだろう(笑)。
さて、今回、大船フラワーセンターに来たのは一時閉園するからだが、無論、目的も有り…
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この地域に在った玉縄城の城名と地域名を関した早咲きの玉縄桜が今丁度、満開で見頃だから、それを見に来た訳だ。大船フラワーセンターには多くの玉縄桜と各種様々な梅の樹が植樹されており、咲く時期の重なる両者を一度に見る事が出来るのだ。
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この他にも、寒桜の「おかめ桜」が見頃を迎えていた。
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大船フラワーセンターについては、来年の夏にリニューアルオープンしたら改めて紹介記事を書こうと思う。
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他にも色んな植物が当然有る。
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しかし今の時期はやはり、梅と桜だろう。
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とにかく、色んな種類の梅が植樹されていて、品種名を見ながら写真を撮っているととても楽しい。
母も喜んでいた。
・・・個人的には次回は母ではなく、彼女か奥さんと次は来たいなと思う(笑)。まぁ、彼女か奥さんがいたら、彼女のお母さんも一緒に来て賑やかに過ごしても楽しそうだ。
デパートで御弁当勝って来て芝生の上にレジャーシート広げて、梅を見ながら御昼を過ごすのも良いかも知れない。
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次、この子達を見に来れるのは2年後か…少し寂しいな。
小生は変な感性が有るのか、植物を擬人化して見てしまう癖が有り、梅は女の子に見えるんだな。
梅以外に色々と見所は有るのだが…
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改装前、玉縄桜と梅を除いた一番の押しはやはり温室だろうか?
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円形に配置された建物の中に色んな熱帯植物が展示されている。
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まぁ、色が鮮やかで綺麗な花も毒々しい花も有って見ていて飽きない。
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何で学生の頃は再訪しなかったんだろうかと思う。
こう言う場所にデートに来ていれば、彼女とゆっくりと時間を過ごせて良いと思うのは自分が年を経たから湧く感覚なのだろうか?それとも、当時の自分が只単に無文化だったんだろうか?
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何にも知らない花でも品種名を見ながら歩いて回ると発見が有る様でとても楽しい。
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メダカ?も沢山泳いでいた。
この子達も改装後もちゃんと大切にして貰えるんだろうか?
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残りの開園期間も約1ヵ月位なんだろうか?
素晴らしい場所なので、多くの人に来てもらいたいなぁ~。
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ケバブ屋さんとか鎌倉ローストビーフ丼の店とか、大阪のイカ焼きの屋台も有るので親子連れなら子供も喜ぶだろう。
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昔、最初に来た時はパンジーが大量に咲いていた記憶が有るが、今は余り多くは無い。
その代わり、蓮の花が多く成っている。
今回、出口付近には盆栽コーナーが有った。
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どれも綺麗だった。
ここを後にして、地元に戻る途中で丸亀製麺で昼食をとった。
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チェーン店だけど好きな店。
昼食を終えて、帰宅。母は友人の家に出掛け自分は昼寝、夕方4時に起きてからジムに行って汗を流し、風呂に入ってサッパリしたら、今度はその足で戦国武将間宮家と“ゆず”のお膝元の磯子区に移動して、岡村梅林の夜間ライトアップを見学した。
ジムのスコアが1ヵ月で14ポイントも上昇したのでとても気分よく観梅出来た。
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うん!今年も綺麗だ!
地元の自治体連合の皆さん、今年も良い企画をありがとうございます!
お陰様で鎌倉時代の武士や戦国時代の北条家と間宮家が神奈川に残した梅林文化を堪能できました!
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甘酒も御馳走様でした(笑)。
小生がこの記事を書いている今日、26日は模擬店出店して昼間の観梅会ですね!頑張って下さい!
さて、一頻(しき)り見学した後、“ゆず”も小中学生時代に遊んだであろう岡村公園のグラウンドを通って駐車場に移動・・・
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・・・車に乗り込むと、今度は北上し港北区の大倉山を目指した。
大倉山梅林も観梅の名所として観梅会の日には大変に賑わいを見せる。
しかし今回の小生の目的は観梅会では無く、大倉山梅林の梅で造った梅酒だ。
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それを販売しているのが、上の写真のセブンイレブン横浜大倉山店。
ここで“梅の薫”と言う名の梅酒を買って帰宅、普段一滴も酒を飲まない小生も、これだけは、ここ数年間春の楽しみに成っている。
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梅の香りが普通の市販の梅酒よりも濃厚だけど飲み易く、酒嫌いの小生も、とても美味しく感じる。
因(ちな)みに小生は普通の渡来系と縄文系の混血日本人よりも縄文系の遺伝子が濃いのでアルコールは強い。ただ、酒を飲んで美味しいと感じない上に、酒に使う時間と金が無駄に感じるだけ。
でも、これは買う価値が有ると思っている。
他にも小田原市曽我梅林の梅で造った「曽我梅林の梅酒」や、横須賀の田浦梅林の梅で造った「梅リキュール」等が平安時代末期以来の武士由来の梅林文化の有る神奈川県の特産梅酒だ。
美味しいので、是非、皆さんにも試して頂きたい。

沢山梅を見て、母の手術成功の御礼参りも出来て、運動もして、美味しい甘酒と梅酒も飲んで、とても充実した休日の1日を過ごせた。
これも浄妙寺の檀家さん、大船フラワーセンターの職員の皆さん、岡村町と岡村天満宮の関係者の皆さん、大倉山の商店街の皆さんの御蔭です。
ありがとう。

では、昨日の休日雑記はここまで。
又、次の休日雑記は台湾から友人が来る来月中旬以降に成るでしょうか?
それまで、毎週1件、訪問済みの城址や神社仏閣の解説記事を書き足して行こうと思います。






本日2017年02月26日午前10時から、“ゆず”の地元、旧岡村天満宮境内地岡村公園の岡村梅林で観梅会が開催されます!
模擬店も出店するので、恋人同士や御子様連れの若夫婦の皆さん、写真撮影の好きな皆さん、是非、足を運んでみては如何でしょうか?
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写真は2015年撮影の物ですが、2017年現在の開花状況は5分咲き~8分咲き、十分見頃に成っています。
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あと1週間もすると満開に成り更に綺麗な梅林の様子も見られるので、岡村梅林に足を運んだ事の無い近隣の磯子区・中区・南区・港南区・金沢区の人々はこれを機に是非訪れて見てください!
屋台も有り御子さんも喜ばれるかと思います!
では、ついでに昨晩開かれた夜観梅会の様子も掲載します。
余計な解説は不要だと思うので、写真を沢山載せたいと思います。
その夜観梅の写真の後に、周辺の史跡や見所の解説もしたいとおもいます。
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さて、では周辺の見所を紹介します。
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近くには岡村天満宮と言う、源頼朝公の最初の暗殺を未遂に食い止めた名将の平子有長公が京都の北野天満宮から御分霊を頂いて造営した由緒正しい天神様も鎮座しています。
※岡村天満宮の歴史に興味の有る人は以前書いた記事を下のリンクをクリックして御覧下さい!


そして境内は“ゆず”の聖地らしいモニュメントも有ったりします。
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昔、伊勢佐木町の松坂屋に在った“ゆず”の路上ライブの様子を再現したレリーフです。
松坂屋の解体時に現在の岡村天満宮境内に移設保護されました。
流石、ゆずの地元ですね!
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岡村天満宮と岡村梅林から徒歩直ぐの場所には、“ゆずファン”が愛用する“岡中ジャージ”を購入できるオリオンスポーツや、歌に出てくるモンマルトルと言うケーキ屋さんも在ったりします。
更に歴史好きに御勧めの場所は、徒歩圏内に下の写真の龍珠院と言う御寺が在るのですが…
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ここはJR大船駅の近くに在った玉縄城で上杉謙信の攻撃を撃破した名将の北条綱成公と北条氏繁公の親子が開いた御寺で、御朱印も頂く事が出来ます。
この御寺は金沢区の伝心寺と言う、玉縄北条家所縁の御寺の末寺として開かれたのですが、何故、ここにそんな名将が関与したかと言うと、直ぐ近くに蒔田御所と呼ばれた蒔田城が在り、そこの城主が戦国時代に一時期、鎌倉公方(かまくらくぼう)の代理を務めた吉良成高(きらしげたか)公や吉良頼康公の居城として機能していたからでした。
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蒔田城址の断崖絶壁は現代人でも攻略するのは難しい要害性の高い地形です。
そして、蒔田城址の大手口には勝國寺と言う御寺が在ります。
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ここは吉良家の戦国時代の菩提寺で、今も吉良政忠公以下成高公、頼康公等の菩提が弔われる御廟所が存在します。
この歴史に興味が有る人は、昔書いた以下の記事を御覧下さい。

鎌倉公方代を訪問する際に、宿舎が必要に成るので岡村梅林の近くに龍珠院が開かれたと推測出来る訳です。
戦国時代の武将は自分の土地に御寺を開いて、宿舎替わりに使う事が良く有ったんです。
その代わりに、和尚様達の生活の面倒を見たり御堂を建てたりして支援した訳ですね。
宗教的に和尚様達を尊敬している事に加えて現実的な用途も寺院には有ったんです。
この蒔田城址や勝国寺と、岡村梅林の中間位には三殿台遺跡が在ります。
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ここは縄文~弥生時代の遺跡で、当時の様子が再現された住居跡や出土品の常設展示が有ります。
興味の有る人は、これも昔書いた記事が有るので、以下のリンクをクリックして見て下さい!

さて!
今日はお出掛け日和です!
記事は岡村梅林鑑賞会当日のUPで申し訳無いのですが、梅もこれからまだまだ2週間は見頃です!
是非!岡村梅林に足を運んで、ついでに“ゆず”の聖地巡りや歴史散歩をしてみては如何でしょうか?

では!又、次のブログ記事で!



今年も梅が見頃の季節に成りましたので、神奈川県内で綺麗な梅の花の名所を小生の知る場所だけ、一覧として掲載します。
もし他にも県内に素晴らしい梅林を御存じの方は、紹介コメントを残して頂けると幸いです。
※小生が写真未撮影の梅林については公式ホームページの写真を転用し紹介します。
※公式ホームページが有る場所は名前にリンクも貼りますので参考にしてみて下さい。
※梅林の名称をクリックすると、リンク先の公式ホームページを閲覧出来ます。


湯河原梅林
住所:〒259-0313足柄下郡湯河原町鍛冶屋951-1付近
見頃:2月初旬~3月初旬
湯河原梅林様公式 画像拝借1 久良岐のよし  
湯河原梅林様公式 画像拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
●夜間ライトアップ
※期間については問い合わせ先に電話確認するか、公式ホームページを御覧下さい
湯河原梅林は約4000本の梅を誇る。箱根~小田原~熱海の温泉地や名勝旧跡からも車で1時間以内と近く、周辺には温泉宿も多く有る風光明媚な観光地で泊りがけの梅林鑑賞を楽しめる夜間ライトアップも行っている。
連絡先
湯河原町観光課 TEL 0465-63-2111
アクセス
幕山公園
駐車場…500円~300円(会場との距離で料金が異なる)
JR湯河原駅~バス乗車(約20分に1便間隔)~15分で到着 湯河原梅林 アクセス 久良岐のよし



【辻村植物公園】
住所
:〒250-0042小田原市久野荻久保4381
見頃:2月初旬~3月初旬
辻村植物公園2 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし 
辻村植物公園 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
特に無い。
連絡先
小田原市広報広聴課 TEL 0465-33-1261
アクセス
辻村植物公園
駐車場500円
JR小田原駅西口~バス乗車いこいの森(わんぱくらんど)行き~約10分、辻村植物園で降車
辻村植物公園 アクセス 久良岐のよし 

小田原城 城址公園内梅園
住所:小田原城址公園
見頃:1月末~2月末
小田原城 小田原市公式様より拝借 久良岐のよし
※画像は公式から拝借 
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※2015年02月28日撮影。
この頃が見頃。
イベント
梅まつり
梅林の規模は50本前後と小さいが、御城を見学出来る上に場内でレンタル甲冑で写真撮影等も出来る。
また、辻村植物公園の梅林や曽我梅林や小田原フラワーガーデンと合わせて鑑賞に来れる距離。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
TEL 0465-23-1373
アクセス
JR小田原駅から徒歩10分
公共駐車場無し。周辺に私営駐車場有り。 小田原城アクセス 久良岐のよし


小田原フラワーガーデン
住所
:〒250-0055 神奈川県小田原市久野3798-5
見頃:1月末~2月末
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借 久良岐のよし 
小田原フラワーガーデン 公式様より拝借2 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
イベント
渓流の梅林 梅まつり 
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
TEL 0465-34-2814
アクセス
JR小田原駅乗り換え~伊豆箱根鉄道大雄山線飯田岡駅~徒歩10分
駐車場(140台)無料
小田原フラワーガーデンアクセス 久良岐のよし 


曽我梅林
住所
:〒250‐0205神奈川県小田原市曽我別所282付近一帯

見頃:1月末~2月末
曽我別所梅まつり観光協会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
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2015-02-28-17-38-43 
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※2015年02月28日に撮影
イベント
小田原梅まつり 
※曽我梅林は他の梅林とケタ違いの3万本以上の広大な梅林です。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
連絡先
小田原別所観光協会 TEL 0465-42-1965
アクセス
電車…JR東海道本線国府津駅~御殿場線に乗り換え~下曽我駅~徒歩15分。
バス…小田原駅・国府津駅からバス有り。中里で降車~徒歩20分。
曽我別所梅まつりアクセス 久良岐のよし 


松岡山東慶寺 金峯山浄智寺
住所
東慶寺〒247‐0062鎌倉市山ノ内1367

浄智寺〒247-0062鎌倉市山ノ内1402
見頃:2月初旬~3月初旬
東慶寺様公式ki-chi様撮影 拝借1 久良岐のよし
※画像は公式から拝借
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※2015年06月14日に撮影
駆け込み女と駆け出し男
※東慶寺は2015年公開の映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台です。
イベント
特に無し。
東慶寺は約100本以上、浄智寺にも数十本の梅が咲く。
東慶寺と浄智寺は徒歩5分の距離。
浄智寺は鎌倉五山で京都の征夷大将軍が直接住職を任命する特別な寺だった。 現在は鎌倉江ノ島七福神巡りの一つ。
東慶寺は鎌倉幕府執権北条時宗の妻、覚山尼様の開基。その後は後醍醐天皇の皇女用堂尼様、戦国時代には豊臣秀頼公の御息女の天秀尼様が住職を務めた。映画❝のぼうの城 ❞のヒロインで女傑として有名な成田甲斐姫も天秀尼様の養育係として仕え東慶寺に同行し住したと伝承する。
浄智寺は鎌倉五山の一つの各式を持つだけでなく、嘗(かつ)ては広大な敷地と無数の堂塔を有し、鎌倉公方の仮御所に定められる事も度々有り、足利持氏公や足利成氏公が滞在した場所でもある。
又、2015年に公開された映画❝駆込み女と駆出し男 ❞の舞台でもある。
連絡先
東慶寺 TEL 0467-33-5100
浄智寺 TEL 0467-22-3943
アクセス
東慶寺 JR北鎌倉駅~徒歩5分
浄智寺 JR北鎌倉駅~徒歩8分
東慶寺浄智寺アクセス 久良岐のよし 


錦屏山瑞泉寺異名:花の寺&荏柄天神社】
住所:
瑞泉寺 〒248-0002 鎌倉市二階堂710
荏柄天神社 〒248-0002 鎌倉市二階堂74
見頃:1月中旬3月初旬、黄梅は2月中旬~3月中旬 
瑞泉寺様公式mayumi-katsu様撮影 拝借1 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
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荏柄天神社は日本三古天神社の一つに数えられる天満宮で、境内には数十本の梅が咲く。
イベント:
瑞泉寺
瑞泉寺様公式催事 拝借 久良岐のよし
※画像は瑞泉寺様公式から拝借
季節ごとに、その季節に見頃の花を植樹してある。梅は数百本を数える。
鎌倉時代~江戸時代まで権力者達が心の安らぎを瑞泉寺の花々に求めて訪れ歌会等を催した。
裏山にかつて在った一覧亭と言う建築からの眺望が良く、水戸徳川光圀(黄門様)も訪れた。
近くの荏柄天神社にも数十本の梅が植樹されているので、荏柄天神社と瑞泉寺をセットで見学するのが御薦め。
徒歩に行ける範囲の浄妙寺や鎌倉宮と合わせて見学しても、より鎌倉市街の旧鎌倉幕府拠点地域の原風景を楽しめる。浄明寺では抹茶も飲める。鎌倉宮は桜の名所。
連絡先
瑞泉寺 TEL 0467-22-1191
荏柄天神社 TEL 0467-25-1772
アクセス:
荏柄天神社 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車10分~天神前で降車
瑞泉寺 鎌倉駅東口~バス(大塔宮行き)乗車15分~終点大塔宮で降車
瑞泉寺荏柄天神社アクセス 久良岐のよし 


神奈川県立フラワーセンター大船植物園
住所:
〒247-0072 神奈川県鎌倉市岡本1018
見頃:2月初旬~3月初旬
大船フラワーセンター様公式 拝借1 久良岐のよし 
大船フラワーセンター様公式 拝借3 久良岐のよし
※画像は大船フラワーセンター様公式から拝借
イベント:

玉縄桜を楽しもう
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
玉縄桜の❝玉縄❞とは古来より伝わるこの地域の地名で、戦国時代、今の清泉女学院中学校を本丸にした❝玉縄城❞と言う名城が在った。上杉謙信軍10万、武田信玄軍2万6千に攻められても落城しなかった堅城だった。
その歴代城主が小田原北条家親族の玉縄北条家で、玉縄桜はその殿様の居城の名を頂いた由緒正しい桜で、観梅の頃に咲く。近くの龍寶寺は関東最強の武将北条綱成公の菩提寺で歴代城主の御廟所も在る。境内には他に玉縄歴史資料館も有り、玉縄城の復元縄張り模型や出土品が展示されている。
連絡先:
神奈川県立フラワーセンター大船植物園 TEL 0467-46-2188
アクセス:
駐車場109台
電車&徒歩 
大船駅降車 大船駅西口(大船観音側)~徒歩16分
バス 
大船駅西口バスターミナル1番乗り場から❝渡内経由藤沢駅行き❞か❝公会堂経由城廻り中村行き❞に乗車~❝岡本(駅から3番目のバス停)❞で降車~徒歩3分。 
大船フラワーセンターアクセス 久良岐のよし制作 


田浦梅林の里
住所:
横須賀市田浦大作町
見頃:2月初旬~3月初旬
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※写真は2015年03月07日
イベント:
梅林まつり 
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
田浦梅林は今上(現在の)天皇陛下の御生誕記念に植樹されたのが始まりで、現在では梅の本数は2700本を超え、梅の根元には水仙75,000株が植えられている。
田浦の山全体に梅が植林されており、山頂からは梅林越しに懐かしい神奈川の里山の風景を眺める事が出来る。
連絡先:田浦観光協会 TEL 046-961-4181
アクセス:
バスと徒歩…田浦郵便局バス停で降車~山頂まで徒歩20分
電車(JR)と徒歩…JR田浦駅で降車~山頂まで徒歩25分
電車(京急)と徒歩…京急田浦駅で降車~山頂まで徒歩40分
田浦梅林


岡村梅林
住所:
〒235-0021横浜市磯子区岡村6-8-19
見頃:2月初旬~3月初旬
2015-03-07-13-19-54
2015-03-07-13-17-04
2015-03-07-13-17-46
※写真は2015年03月07日撮影
イベント
夜間ライトアップ
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
梅まつり
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
2015-03-07-13-20-22
岡村梅林は大きくは無いが、150本前後の梅が植林されている。
この岡村梅林は、元々周辺の横浜市立岡村公園(スポーツ公園)と合わせて、近隣の岡村天満宮の社地だった。岡村天満宮の開基は鎌倉御家人三浦家の一族の平子家と伝わり、その人物は平子有長公と推定出来る。有長公は鎌倉御家人で最初の源頼朝公暗殺未遂事件の実行犯を取り押さえた勇敢な武将でもあった。丘の裏手には戦国時代の名将北条氏繁公の開いた龍珠院も在る。
岡村天満宮の社領は第二次世界大戦後に米軍に接収された後、横浜市に返還されたが横浜市が岡村天満宮に返還しなかった為に一度、岡村梅林は消滅したが、岡村天満宮の氏子様の有志達が旧社地の一部を買戻し、現在の岡村梅林部分にも梅を植林し梅林を復興して下さった歴史が有る。
連絡先:岡村公園 TEL 045-751-4375
アクセス:
バス
京急弘明寺駅/市営地下鉄弘明寺駅/蒔田駅/JR磯子駅のいずれかの駅から乗車~天神前バス停か岡村交番前バス停で降車~徒歩5分
駐車場…岡村公園の有料駐車場~徒歩3分
岡村梅林アクセス


根岸森林公園
住所:
〒231-0853 横浜市中区根岸台1-2
見頃:2月初旬~3月初旬
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※写真は2015年03月02日撮影
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※上写真は明治時代の旧競馬場一等観覧席(米軍横須賀ベース管理の史跡)DSC_0129ドルフィン外観DSC_0131眺望
イベント:特に無い。
広い芝生の広場と園内に広がる桜林は横浜市民の憩いの場としても有名だが、公園の中央には400本からの梅林も整備されている。
もともとは競馬場だった。
幕末、横浜港が開港され本牧半島が外国人居留地に成った事で、駐在する欧米の外交官や軍人の要望で明治時代に建設された日本最初の競馬場の跡地。
隣接してJRAのポニー広場や競馬関連の博物館も有り、御弁当を持参すれば小さい子供連れの家族でゆっくり時間を過ごせる場所。自然湧水の池では子供がザリガニ捕り等も楽しめるる公園。
又、徒歩すぐの場所にはユーミンが十代の頃、まだ芸名が荒井由実だった時代に❝海を見ていた午後❞と言う曲で歌詞に歌ったレストランの❝ドルフィン❞が有る。
歌の通り、ドルフィンソーダを頼むと、この曲をかけて貰えます。
連絡先:横浜市環境創造局 TEL 045-671-3648
アクセス:
JR根岸駅~徒歩15分
駐車場有り。
根岸森林公園アクセス 久良岐のよし


三渓園
住所:
231-0824横浜市中区本牧三之谷58‐1
見頃:2月初旬~3月初旬
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イベント:
季節ごとのイベント有り、梅の季節は原家以来の伝統で茶が振る舞われる。
桜の季節には観桜の夕べで桜の夜間ライトアップ有り。
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
明治時代の原財閥の富豪、原三渓が当時、廃仏毀釈で荒廃した全国の仏閣や徳川家所縁の城跡の建築文化財を広大な私邸に移築し保護した。日本で全国に先駆けて私立公園として私邸の建築文化財と日本庭園を広く庶民に公開した。
中には聖武天皇の勅願所だった京都府の灯明寺の旧本堂や三重塔や鎌倉の尼寺東慶寺の仏殿、紀州徳川家の和歌山の別荘や、京都の伏見城等、数え切れない程の建築遺産が移築保護されている。
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現在は原財閥から横浜市が管理を委ねられている。
原三渓の御蔭で破壊を免れた重要文化財や、季節ごとの花の綺麗な広大な日本庭園。
連絡先:045-621-0834
アクセス:
駐車場有り。
桜の季節は駐車場に入るのに1時間以上待つ場合が多々有ります。
電車&バス
JR根岸駅でバス乗車~本牧下車。
JR桜木町駅/横浜駅東口~バス乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
みなとみらい線元町中華街駅4番出口近く、山下町バス停乗車~本牧三渓園バス停降車~徒歩5分。
三渓園様公式拝借2 久良岐のよし
三渓園アクセス 久良岐のよし


大倉山公園梅林
住所
:〒222-0037 横浜市港北区大倉山2-36-8付近
見頃:2月初旬~3月初旬
大倉山観梅会様公式 拝借2 久良岐のよし
※写真は大倉山観梅会運営様公式から拝借
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※2016年02月27日撮影
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※2016年02月27日撮影
イベント
大倉山観梅会
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
大倉山観梅会様公式 拝借1 久良岐のよし
※画像は2016年の広告
大倉山の梅林の隣には、戦国時代の北条家重臣笠原康勝公が開いた竜松院と言う御寺が在る。
その御寺を含む大倉山公園~太尾見晴らしの丘公園にかけて続く鶴見川河畔の丘陵は、笠原家の居城❝大曾根城❞だった。
その城址に小規模な梅林が有り丘一体は大倉山地区の住民の憩いの場だったのを、東急不動産が開発破壊しようとした際に、義挙した住民が一丸と成り東急の城址と自然破壊に反対し、約30年前当時の細郷横浜市長の下で横浜市が買い上げ自然を残した公園として整備し梅林として有名に成った。
初春には周辺地域からも観梅客で賑わう。
連絡先:港北区地域振興課(観梅会実行委員会事務局) TEL 045-540-2235


本沢梅園(ほんざわばいえん)
住所:
相模原市緑区河尻4457‐1
見頃:2月初旬~3月初旬

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※撮影日は2016年02月24日
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※撮影日は2016年02月24日
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※撮影日は2016年02月24日
イベント:
開園期間
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
※本沢梅園は官営なので管理人が常駐しておらず、開園期間以外は梅園の遊歩道には入れない。
※梅園自体は山腹の斜面に広がっているので、道路沿いからでも十分観梅が楽しめる。
本沢梅園祭り
※期間については問い合わせ先に電話するか、公式ホームページを御覧下さい。
約1000本の梅が植林されている。
昔は谷だったが、近隣の津久井湖建設の残土で谷間を埋めて、そこに梅を植林した。
周辺に歴史史跡も多く、山頂の金刀比羅宮は古来、雨乞いの神事が行われた水の枯れない池が在る。
梅林から尾根伝いの山裾(やますそ)の寶泉寺を囲む山は平安時代末期に長井家によって築城された小松城址でもある。
近くの津久井湖や戦国時代の名城、津久井城址の山のピクニック等と合わせて見学に行くと、1日中自然を満喫出来る良いレクリエーションに成る。
※津久井城址は根古屋地区のパークセンターに無料駐車場有り、鎧や城址復元図等の展示も有る。
連絡先:
相模原市コールセンター TEL 042-770-7777
城山まちづくりセンター TEL 042-783-8115
アクセス:
駐車場…無料130台
バスと徒歩…JR/京王線の橋本駅~バス❝若葉台住宅行き❞に乗車~若葉台住宅で降車~徒歩30分。
本沢梅園アクセス

 

横浜市磯子区中原に、今では住宅街の中の普通の神社に成ってしまった元々凄い修験道の道場の跡地が有ります。
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今では、ただ熊野神社としか名前の表記が有りませんが、少しややこしいのですが、ここは現在でこそ“熊野神社”と呼ばれていますが、そもそもは鎌倉市山崎に存在して源頼朝公から崇敬された山崎泉蔵院と言う由緒ある修験道の大寺院の熊野権現を祀った道場でした。
山崎と言うのは今も鎌倉市北鎌倉駅~大船駅近くにかけて地名も残る丘陵地帯の事です。
現在の磯子区の熊野神社の前身と成ったのは大霊山泉蔵院桐谷寺と言う修験道寺院です。
その大霊山泉蔵院桐谷寺の更に前身が、今の鎌倉市山崎に存在した山崎泉蔵院です。
源頼朝公 拝借画像 久良岐のよし
源頼朝公が平家を倒して征夷大将軍に就任した際に、国と民百姓の安泰を祈願する為に鎌倉郡山崎の泉蔵院の大僧都真諦智覚法印と言う高僧に命じて、熊野三所権現から御神霊を勧進させて山崎泉蔵院の熊野権現を祀った道場を、この熊野神社の境内に開きました。恐らく当時は周辺の住宅街も全て道場だったはずです。
熊野三所権現と言うのは今の和歌山県熊野三山に鎮座する由緒ある那智大社、熊野速玉大社、熊野神社本宮の三社の事です。
つまり、磯子区中原の熊野神社に御参りすると、その三座の大社に御参りしたのと同じ事に成る場所として泉蔵院の道場が開かれた訳です。
まぁ、磯子区中原に鎌倉時代、泉蔵院の道場として熊野権現が開かれた当時は相当な敷地を誇っていたでしょうし、参道の両脇には明らかに旧境内地と思える住宅が有ります。
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この家とか参道と直結してるし・・・
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このマンションかアパートだかも明らかに旧境内地の谷戸(やと)の中に不自然に立っています。
さて、鎌倉山崎に在った泉蔵院は後に現在の磯子区中原の熊野権現に機能移転し、室町時代以降は現在の熊野神社の場所が泉蔵院の本拠地と成りました。
その時に、この山に囲まれた谷間の地名が❝桐谷(きりがやつ)❞だった事から、武蔵国久良岐郡に移転後の泉蔵院の正式な名称は大霊山泉蔵院桐谷寺と改められました。移転後も宗派は勿論、修験道で本山は京都市左京区に有る南禅寺近くの聖護院でした。現在は神道の神社ですけどね。
後で触れますが、戦国時代に泉蔵院を支援したのは北条家重臣だった間宮家です。
笹下城主の間宮信元公、間宮与七郎公、代々徳川将軍家の鷹匠頭を継いだ分家の杉田間宮家の江戸時代の当主だった間宮信久公の関与が現代に伝わる文書で確認出来ます。
この間宮家は水軍を率いており、戦国時代には現在の浦賀港の西浦賀を領有した間宮宗甫公、江戸時代には徳川家の水軍大将を務めた間宮信高公が三浦の横須賀市長坂に所領を有していましたが、三浦半島に三浦大根とは別に昔、聖護院大根が生産されていたのは、もしかしたら、この泉蔵院と間宮家が関係有るかも知れませんね。

頼朝公が没すると、鎌倉幕府は内戦が頻発し、鎌倉山崎の泉蔵院は戦火を逃れて、磯子区中原の熊野神社の道場に寺院機能を移転しました。その時に同地が桐ケ谷と呼ばれた場所だった事から寺名を大霊山泉蔵院桐谷寺と改めました。
しかし明治時代に成ると神仏分離令が発布され国策で当時の御住職は僧籍を返上し、桐谷寺は廃寺に成り熊野神社だけが残りました。
山崎地区
上は元々泉蔵院の所在した鎌倉市山崎地区の境界線を衛星写真上に再現した画像です。
北鎌倉駅を挟んで円覚寺と反対側の山、玉縄城址や大船駅の近くまでの山一帯が山崎と呼ばれた地域です。この山崎の“崎”と言う字には岬">(みさき)<と言う意味が有ります。
実は弥生時代位まで大船一帯は大船湾と呼ばれた海だったので、同地が昔は海に突き出した半島だった名残りに由来する地名でしょう。
古代の大船湾 久良岐のよし
緑色の地域が縄文時代に陸地だった場所で、白い場所は海底だった場所です。
山崎地区は見事に古代の大船湾に突き出した小さな半島=岬だった事が解ります。
修験道は山伏の神仏習合の宗派だったので日本古来の神道的な価値観に仏教の哲学と信仰を融合させていました。ですから延喜式内社と呼ばれる古代から存続する神社と同じ様に湧水地や山上の奇岩を御神体とし、自然に纏(まつ)わる神様の御分霊や仏様を祀り、修行の為の道場を開く宗派でした。
さて何故源頼朝公が、この磯子区中原に修験道の道場を開いたと言うと、頼朝公は日本神話を大切に信仰しておられ、更に神話を大切にする仏教の真言宗も大切にしておられました。
頼朝公は其(そ)れ故(ゆえ)に山岳信仰者でもあり、自ら神奈川県伊勢原市の大山や富士山の山頂まで当時の貧弱な装備で登山された史実が残っています。
泉蔵院(熊野神社)の地形 久良岐のよし
現在は熊野神社と成った泉蔵院は、頼朝公の時代には京浜急行に❝屏風ヶ浦❞の駅名が残る事からも察しがつくと思いますが海に切り立った断崖が現在の中区元町~金沢区六浦まで実に10kmに渡って続いていました。
この風景は江戸時代にも現在の神奈川区や関内に在った横浜の地名に成った半島の辺りから船に乗船して現在の京急杉田駅前を流れたいた聖天川までクルージングするのが観光コースに成っていたそうです。
そして熊野神社の出来る場所は湧水地と滝の有る場所なのですが、現在でこそ、それらしい物は現存しませんが周辺は中原四丁目緑地として遊歩道が設置されていて、壁面からの湧水でいつも地面がぬかるんでいます。
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今ではこの緑地帯の存在自体を知る人も少なく、歩く人も少ない。
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もし、この熊野神社に御参りされる方は是非、この辺りも散歩してみて下さい。
さて、現在の熊野神社其の物に話を戻します。
参道には様々な石碑が並んでいます。
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歌碑だったり、泉蔵院時代からの歴史を書いて有ったり・・・
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この関寅吉さんは、杉田浦が埋立られる以前の一大産業だった海苔の養殖を近代に発展させた人物でした。
今では豊かだった杉田や屏風ヶ浦の海はアホの横浜市が埋め立てて消えてしまいました。
東京湾京浜地区の海苔の養殖は今では、金沢区の野島と三浦半島横須賀市走水で一部行われており、特に走水産の海苔は美味しいので小生は毎年冬に走水神社の年末年始の御参りを兼ねて買いに行っています。
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この、ながつか水産等で、昔のままの江戸前の美味しい海苔を購入する事が出来ます。
実は屏風ヶ浦一帯の海は海苔よりも鮑(あわび)や海鼠(なまこ)の漁獲量が豊富で特上の品質を誇っていた事で勇名でした。幕末には清国向けの輸出品として大変に重宝され、現地でも最高級品扱いされたそうです。
アホの横浜市が海を埋め立ててしまったので、当然、鮑等が生息できる環境ではなくなりました。
内陸部に平地の耕作地が沢山余っていたのだから、ハッキリ言って埋め立てる必要は無かった訳で、これは当時の市長が建設利権と結びついていた人物だったからと言うのも、泉蔵院の歴史を現代から鎌倉時代まで順番に周辺の環境の変化も含めて追っていくと解る事だったりします。
今の林文子横浜市長も、する必要の無い埋め立て工事を本牧沖で行っていますね。
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まぁ、そんな感じで、この地域は昔、現代の政治家と違って心から地域発展に力を尽くされた民間人を多く輩出しているので沢山、偉人達の石碑が有ります。
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修験道の道場だった場所なので熊野神社の在る場所も崖地で、参道の後半は階段に成っています。
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横には神仏習合時代の名残の石塔。
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階段を中段まで登ると本殿が見えます。
この中段の左手に、明治時代に政府の命令で僧籍を捨て神職に成られた元い泉蔵院の初代熊野神社宮司様が昔、頼朝公が開いた修験道の大道場だった事を伝える為に名残を残して下さっています。CIMG1475
その名も泉蔵社と言う摂社です。
ここに神仏習合時代の仏様達が祀られているそうですが、それが御分霊を祀っているのか、将又(はたまた)仏像その物が収蔵されている訳ではないそうです。
恐らく神仏分離令が発布されて熊野神社だけを残し泉蔵院が廃寺に成った際に、周辺の御寺サンに仏様達は譲って守って頂いたのかも知れませんね。
まぁ、泉蔵院も戦国時代に房総半島の里見家の海賊に略奪された記録が有るので、その時に仏様ももしかしたら持ち去られていたのかも知れません。
戦国時代には間宮家が奉納した太刀が有り、江戸時代にも存在した事が記録されています。
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この中段を一段上がった場所に御本殿が在ります。
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ふむ
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真新しいけど立派な扁額。
本殿へ参拝して左手に目をやると他にも摂社があります。
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摩利支天・・・
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仏教の仏様で元々はヒンドゥー教の神様の戦神。武士に多く崇拝された神様。
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そして御稲荷さん。
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どこの神社に行っても、大きな御寺に行っても、御城の址に行っても、いつもお稲荷さんに御参りする機会が有る。必ずと言って良い程に御社が有る。それだけ昔は庶民に愛された日本人と近しい神様。
小生は毎日、御稲荷さんを行く先々で見かける度に、今日も御参りの機会を頂けてありがとう御座いますと御礼を伝えています。

さて、熊野神社さん、今でこそ小さいけれど、そもそもは泉蔵院と言う大道場の跡だった訳ですが、今では映画やアニメのロケ地に使われてもおかしくない雰囲気の、町の中に残された中原緑地に佇む雰囲気の良い神社で有る事は伝わったでしょうか?
もし、屏風ヶ浦地区や杉田駅周辺に御住まいの方は、是非、御散歩がてら御参りされてみては如何でしょうか?

・・・昨年末に書き書けの神社仏閣まとめて紹介一覧記事、今週から少しづつ更新します。
季節柄税務関連の申告書作成とか忙しく、中々更新できておらず申し訳ありませんね(笑)。


では!又、次のブログ記事で御会いしましょう!



小生の仕事は一般的な会社勤務の方と異なって、祭日は関係ない。
だから、ここ数年、自分の休日が偶然重ならないと年末年始も仕事をしている事が多かった。

良い事も有って、週休二日なのだが平日1日と土曜日が休みなので、病院に行ったり役所に行ったり用事が有る場合に重宝するし、平日だと出掛けても余り人込みに捲き込まれる事も無い。これは花見や紅葉の観光シーズンには非常に利点となる。
しかし欠点も有って、どこかに宿泊に行く場合は自分で仕事を休む必要が有ったりする。
昨年は母が子宮癌の手術をした事も有り、正月に縁者を呼んで快気祝いを催す心算で予め2日と3日を休みにしておいた。しかし生憎ながら両親の縁者は皆それぞれ身内と旅行の予定が入ってしまっていたそうな。
しかも身内も妹達はディズニーのミラコスタに年末からぶっ通しで宿泊、ディズニーランド&ディズニシー漬け。
弟の所も義妹が流通関係の仕事の責任者だったり、義妹の母上と先約が3日に入っていたりで小生の計画は相談前に無残に打ち砕かれた(笑)!

そんな訳で、結果的に溜まっている仕事とブログの更新と年末の御礼参りと、小生の尊敬する天神様菅原道真公の神社と日本武尊の神社に元日の初詣。
そしてブログの「 」の更新の為に、未訪問だった平塚八幡宮や、デジタル写真未撮影の場所を2日に行く事にした。

そんな訳で年末に向けて21日から動き出した。
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いつも御守護頂いている弟橘姫様の古墳を背後に抱える神社、つまり本来は弟橘姫御陵の遥拝所だったはずの橘樹神社へ御礼参り。
神社の真っすぐ後ろに古墳跡の宅地の丘の頂点が位置している。
神奈川県教育委員会は自分達が発掘調査も保護もしなかった事に触れない為に、明らかに人口地形で円形に削られている宅地には説明看板でも一切触れていない。
ただ「今よりも大規模だったと推測される」と誤魔化している。古墳は頭頂部のキャップみたいな部分の一部だけ現存するが、墳丘の形状は地形に残っている。
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日本武尊と弟橘姫様に御夫婦で御守護頂いている事を御礼申し上げて、改めて走水神社へも御礼参りに伺う事をお伝えして帰宅した。

24日の家の用事は年末の買出しの一環、新海苔を買う事。私事は走水神社への御礼参り。
実は走水海岸は海苔の名産で、正真正銘の江戸前海苔、しかも太平洋の綺麗な海水が流れ込んで来る場所で育っているので美味い!
これを正月のチラシ寿司用にと買いに来た訳だが、もちろん、主たる目的は別に有り走水神社の日本武尊と弟橘姫様への一年間の御礼参りだった。
先ずは海苔の直売所は後回しにして、❝かねよ食堂❞でランチした。
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かねよ食堂では、この日はランチの時間を少し過ぎてしまったのでカフェタイムの和食から金目鯛の煮つけ定食を頼んだ。
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金目鯛の卵の煮つけも付いていた。美味しかったです、いつもごちそうさまです!
余談だが、かねよ食堂の店員の御姉さん達は皆美人、オーナーシェフさんもサーフィンが好きすぎて三浦半島に住んだ人物だけありオシャレな雰囲気の日曜大工好きな変わった人(笑)。
食事を終えると、ながつか水産へ移動。車で1分、徒歩なら3分の距離。
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小生は❝かねよ食堂❞で食事する時や走水神社に御参りに来ると必ずこの❝ながつか水産❞で海苔を購入している。購入後、走水神社に御礼参り。
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1年間、御加護を頂いた事を日本武尊と弟橘姫様に御礼申し上げ、初詣に又来る旨を御伝えした。
走水神社はすっかり大晦日の二年参りの準備が出来ていた。
氏子の皆さん、ご苦労様です。
その後、せっかくの休日、真っすぐ帰宅するのが嫌で少し周辺を散歩しに行った。
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近くには現代では半島の先端の岬、海面の高かった古代には島だった御所ヶ崎と言う場所が有る。
ここは古事記にも登場する、日本武尊と弟橘姫様が一時、仮御所を建てて過ごしていた場所なのだが、それを知る人は現代では少ない。
日本武尊を小生は弥生時代を終わらせて青銅器全盛の古墳時代に変革させた人物だと推測している。
無論、一人の人物ではなくて、最初の日本武尊が走水で過ごした西暦100年代~200年代頃の人物で、その後にも応神天皇や雄略天皇等の事績も習合されていると推測している。
・・・と、言うか、恐らく日本武尊と言うのは古代の「征夷大将軍」の様な古代の称号と言うか非常設の官職名だったんだろう。
ちなみに走水に居た日本武尊は景行天皇の皇子で成務天皇の御実弟なのだが・・・。
景行天皇は卑弥呼の弟君だろう。三国志に書かれている、卑弥呼に唯一話せる男性と言うのが景行天皇だと思う。無論、只の当て感。
そして叔母の倭媛(やまとひめ)命は卑弥呼だろう。更に神功皇后は臺与だと思っている。
更に、日本武尊を接待した大伴氏は、走水神社では大伴黒主、横浜市神奈川区六角橋や同区浦島町では大伴久応と伝わるが恐らく同一人物で、この時代の日本武尊の伝承が関東における浦島太郎伝説の原型に成っていると小生は推測している。
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御所ヶ崎は、浦島太郎伝説の竜宮城と同じく海の❝中❞に在る。もっとも中の意味が少し違うが。
しかも弟橘姫様も海の中で生活する乙姫と同じく海中に飛び込み海の底に沈む。
恐らく小生の推測は当たっているだろうが、民話伝承なので古文書が有る訳でも無い。
この御所ヶ崎からは明治に成るまでは海岸線の先に富士山が綺麗に見えたのだが、御所址の神社は海軍に撤去されて軍事要塞化されて、現代では一般非公開に成っている。
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しかし今の季節なら門の前から旧社殿の在った石段の上の削平地が見る事が出来る。
立入禁止には成っているが現代も近くの丘からは走水の海岸線の真っすぐ先に富士山が見えて夕陽が沈む様を見る事が出来る。
この御所ヶ崎砲台を見学したければ横須賀市の公園管理課に予約を入れると見学出来る。
この日は、富士山は帰路の車の中から見るに留めた。
帰宅して文献読んだり資料整理したり。
朝までブログを更新して少し寝てから翌日仕事開始。

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その記事はコレ。年が明けた01月03日現在も随時更新中。

28日。
この日は母の要望で横浜南部市場に歳末の買出しに行って来た。
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この日の様子は既に別の記事↓コレで紹介しているので省略する。

昼から夕刻は義祖母の墓参りやジーパンを買いに行ってから夕闇にシルエットを浮かべる富士山を見た。
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帰宅してから部屋の掃除したり神社仏閣の纏め記事の更新を書いていたら翌日早朝になり、少し寝て又、仕事に向かった。


31日休日。昨年の大晦日は久しぶりに休みだったので、朝から南部市場を再訪した。
目的の一つは朝食。
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しかし、最終日は飲食店は殆どが営業終了していて、場外市場の寿司屋で、から揚げカキフライと豚汁の定食を頂いた。
カキフライがとても美味しかった。
この日の訪問の目的はズバリ❝毛ガニ❞だった。
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ビンゴ!
初日に1杯4200円した比較的質の良い毛ガニが、最終日は多くの店舗がほとんど営業しておらず客足も少ない事も有って売り尽くしで2杯5000円に価格が大暴落していた(笑)。
小生は昨年の経験からコレを予測しており、蟹は最終日に買う事に決めていたのだ。
良い買い物が出来て満足。
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夕刻16時、小生が横浜市内の智慧の神様として一番崇敬する永谷天満宮を参詣し、歳末の大払の神事に参加させて頂いた。例年仕事で来れなかったので嬉しい。
この永谷天満宮は菅原道真公の5男で父上同様に賢者として名高い菅原淳茂公の御住まいに成っていた邸址に立っており、そして御神体も道真公が自らの姿を手彫りした彫像だったりする。極めて菅原道真公の御利益が強いと言える場所。
アホで喧嘩っ早い小生が生きてられるのは永谷天満宮や関東に関わった菅原道真公・菅原景行公・菅原淳茂公の御蔭だと思っている(笑)。
改めて参列時の写真を見ると小生より前列の参列者は皆さん頭がハゲ上がっ・・・
何でもない。小生も気を付けて髪の毛を労わろうと今、写真を見て思った。
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神事で形代に厄を移して、宮司様に焼いて頂く。
形代には息を吹きかけて厄を移すのだが、小生の後ろにいた不倫バカップルみたいなジジ・・・中年の方が小生の首にまで息がかかる程強く息を吹き腐って、生理的にも気色悪いし、とても縁起が悪いので、その後、手水舎の水でメッチャ首を洗って清めた(笑)。
帰宅すると1月1日は小生は仕事が在ったので、資料を見ながら神社仏閣紹介のブログを更新してから寝た。

1月1日
早朝の5時頃に目が覚めたので、走水神社に初詣に行く事にした。
日本武尊と弟橘姫様と大伴久応黒主様に新年の御挨拶の御参りに行った。小生の氏神様は東京都羽村市と熊本県にいらっしゃるのだが、横浜市における土地神様や智慧の神様として崇拝している永谷天満宮は翌日の休みにユックリ参拝する計画だったので、先ずは走水神社に御参りに行く事にした訳だ。
前日永谷天満宮で不倫バカップルっぽい中年男に息を吹き込まれたせいか、元日早々変わった事が有った。
御酒の匂いを漂わせた陽気な御兄さんにガソリンスタンドで話しかけられ、何やら深酒で酔っぱらっている御兄さんは判断力が低下していたのが強い口調で語りかけて来たのだが、その後、何故か握手を一方的にされると言う珍事を経験した。
ふむ・・・
寒川神社の寒川比古様と寒川比女様の八方守り買っておいて良かったな。
いつもの小生なら話に応じず、イライラしたかも知れない。何言ってるか解らん奴の相手なんぞ平素なら絶対にしないと言うか、握手されるとは知らずに手を掴まれそうになったら問答無用で頭突きするかもな。
まぁ、御守りと言うのは正直「心の持ち様」と言う所は有ると思う。
しかし、御守りをどう言う心算(つもり)で買って持っているかと自覚する事が大切なんだとも思う。
困った時の神仏頼みと言うのは、最後の最期で自分だけではどうにもならない面を精神的に後押しして貰う事自体が大切なんだろう。
取りあえず、不倫バカップル爺の呪い(笑)は寒川神社の神様がブロックして下さったんだと思う(笑)。
てか、酒に飲まれるようなバカは一生酒飲むなボケ!弱い癖に飲むんじゃね~よ!
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先日は無かった横断幕が掲げられていた。
拝殿で参拝してから、裏山の奥宮にも参拝して、早朝の走水湾の風景を見た。
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清々しい。
この元日は朝から良い事も有った。
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御所ヶ崎近くの丘から、走水の海岸線のずっと先に綺麗に富士山を見る事が出来た。
気持ち良く1年の始まりを迎え、仕事始めも終える事が出来た。

さて、皆さんは今年一年、どんな目標を持っているだろうか?
小生は神社仏閣の保護や歴史偉人と神様に成った先人達の顕彰活動を公に頑張りたい。
間宮家の顕彰活動は今年、形に成る。
織田信長公の実質本妻の生駒お類様の菩提寺の久昌寺の支援活動を経済面でも文章でも形にしたい。
それを通じて先ずは経験と実績を積んでフォーマットを築き、横浜市内と県下の偉人と所縁深いけど荒廃している神社仏閣歴史史跡の保護と再興事業を将来担いたい。
個人的にはささやかな願いだがダイエットを成功させる。
あとは昔の様に武術を何か時間を作って習いたい。武道じゃなくて武術ね。
結果的に、公私ともに充実した1年にしたい。昨年より更に。
しかし昨年は睡眠時間が少なすぎて髪の毛に負担をかけたので、今年は本来の小生の剛毛に復活させる為に睡眠は十分に気を付けよう。
・・・と、いいつつ昨日2日は神社仏閣紹介記事用の写真撮影で徹夜のまま早朝に川崎の橘樹神社に行った後に下道で中原街道沿いに、都筑~大和市の左馬神社~綾瀬~寒川経由~二宮町の川勾神社~~二宮町国府本郷へ移動~六所神社~箱根駅伝見物~馬場公園~神揃山~大磯町へ移動~大磯城山公園の古墳群を見学~高来神社~平塚市へ移動~平塚八幡宮と回り、更に伊勢原市に移動して例年の三之宮比々多神社の初詣をし可愛い巫女さん達(笑)に鈴で御祓いをしてもらってから元宮を御参りして帰って来た結果、徹夜のまま13時間活動してしまった。
これでは、いくら禿げない小生の遺伝子でも又、髪の毛が細くなってしまう。
本当に気を付けよう。

さて、次回は神社仏閣紹介記事を更新しつつ、まだまだ未紹介の城址、神社、仏閣、歴史史跡が有るので何か解説記事を書きたいと思います。

では!皆さん、祝新年快楽!皆さんにとって良い1年に成ります様に~。
そして熊本の復興と常総市の復興と東日本大震災の復興が早く成し遂げられます様に。

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