歴史オタクの郷土史とグルメ旅♪♪久良岐のよし

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タグ:神奈川の景勝50選

4月5日、昼前に鎌倉に到着した。
最初の訪問先はミシェランガイドで三ッ星に成った報国寺。
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ここを訪問した理由は本当は「ついで」と言うか、本来の目的は浄妙寺で女性守護婦人病治癒の神様の淡島明神様に御参りして御守りを購入する事にあった・・・
しかし報国寺は浄妙寺の直ぐ近所。
・・・元々報国寺の竹林で抹茶を頂いてボぉ~っとして過ごすのが好きなのと、報国寺を開いた殿様が小生が顕彰活動を準備しており横浜の殿様でもある宅間上杉家初代の上杉重兼公と足利尊氏公の祖父の足利家時公だから御参りしない訳にはいかないのだ。
最近はミシェランガイドのせいで国籍問わず風景目的の参拝客が増えたので昔は静寂だった竹林も「ザワザワ」と人の話し声がする事も有り、本堂の前で殿様達に御参りして帰る事も多く、余り抹茶を飲んで帰る事も少なくなっていた。
この報国寺に来ても、最近はもっぱら抹茶を頂くのは浄妙寺に成っていたから。
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しかし、この日の陽気で一気に桜の花弁も開き庭の景色が綺麗なピンクで彩られていた事と、平日で人も余り多くは無かったので半年振り位に竹林で抹茶を飲んで帰る事にした。
丁度、臨済宗寺院専用に建長寺で改めて購入した御朱印帳も持参して来ていたので、そちらに御朱印を頂く間、竹林でゆっくりと待つ事にした。
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しかし、この桜は思いがけず御褒美を頂いた気分に成れた。CIMG2929
う~ん綺麗だ。
横浜市の桜の開花状況は、この日まだ3~5分咲きと言った所、この報国寺の在る鎌倉市浄明寺地区宅間谷は名前の通り谷合で少し涼しい場所なので、まさか桜が見事に咲いているとは思いもしなかった。
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可愛い桜、見せてくれてありがとね!来年もよろしく!
さて、一頻(ひとしき)り桜を見てホッコリしてから、凛と静かな空気の漂う報国寺の竹林へ・・・
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フランス人ぽい男性と日本人女性のカップルが竹林散策を楽しんでいらっしゃった。
二人で交代で写真を撮っていたので、「写真撮りましょうかぁ~?」声をかけたら笑顔で「お願いします!」と応じて下さった。やっぱり、恋人同士は一緒のフレームに写った方が嬉しいでしょ。
二人は再び笑顔で「ありがとうございました!」と日本語で元気に御礼を言って下さったので、何だか少し嬉しい気分に成って幸せを御裾分けして頂きました。
御二人さん、ありがと♪
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さて、竹林の中の茶屋は“休耕庵”と言う。
実は昨年改修工事が入って暫く営業していなかった。小生自身も半年来ていなかったので久々の訪問。
大きくは変わっていないが、建築用材が新しく成っていた。
ここでは“抹茶”と足利家の家紋を模した“落雁(らくがん)”を頂く事が出来る。
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先述の通り最近数年間は観光客が多く成り余り以前程のんびりするのも憚(はばか)られる事も有ったのだが、この日は小生以外に喫茶に来た観光客も3~4組しかおらずゆっくりできた。
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ここから見る竹林と谷戸構えの切岸の苔むした様子、そこに響く小さな水の流れ・・・
この風景が落ち着くんだな~。
・・・ふむ、久々に来て良かった。
竹林の石畳も再整備された様で歩き易く成っていた。
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可愛い御地蔵様達、このエリア以前と雰囲気が違う気がする?
比較する写真が無いので分からない。
写真撮影しているオッサン(笑)がなかなかどいてくれないので、諦めてオッサンごと御地蔵様を写真に収めさせて頂いた。この御地蔵さん達、近くでみたら少し可愛いいんですよ、御優しい顔で。
竹林を出て御朱印を受け取り、浄妙寺へ移動する事にした。
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報国寺で御朱印を頂くのは二度目。最初は宅間上杉家の顕彰活動で。
そうそう、本堂の横には名前は知らないけども綺麗な紫色の花が咲いていました。
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なんと言う名前なんだろう?
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御存知の方いらっしゃたら教えてください。
浄妙寺へ向かう時、報国寺交差点の手前の橋の上から滑川(なめりかわ)に目をやると菜の花がとても綺麗に咲いていました。
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近くで見たくて滑川の遊歩道に降りてみた。
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遊歩道に降りる階段横にも桜が咲いていた。
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生憎、遊歩道は菜の花の近くまでは伸びていなのだが、それでも花と同じ高さの目線で見れたので満足満足♪
う~ん、黄色が明るく爽やかだ!
この滑川の菜の花から徒歩1分で浄妙寺参道に着く。
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浄妙寺の参道も桜が咲き始めていた。こちらは未だ4分咲き位か?今週末4月の第2土曜日曜辺りは見頃に成っているだろう。鎌倉市観光協会にも確認したが、鎌倉市内の桜は概ね今週末位~漸く見頃だそうだ。
今年は気温の寒暖差が激しく鎌倉に限らず、どこも開花が遅れている様だ。
その分、大きな風が吹かなければ長い間花見も出来そうだ。
浄妙寺に着くと、山門をくぐって直ぐの拝観受付の場所で販売している淡島明神様の御守りを購入した。
無論、女性の親友達の縁者の健康祈願が主たる目的なので、御本堂に御参りした。
昨年母が子宮癌に成り手術を受ける前に、小生は御参りして母に淡島明神様の御守りを購入し渡しておいた。
その後、手術は上手く行き転移も無く、無事にいるので先月、母の御礼参りに付き合って参拝しに来たばかりだった。
その後、留学仲間の大阪の女親友の姉上が卵巣癌の手術をした事を知り、卵巣癌が遺伝性の病である事も知った。加えて愛知の歴史仲間でもある女親友の友人が子宮癌に成り転移も有った事を最近聞かされたので、友人達4人分の健康祈願と御守り購入に来た次第だ。
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淡島明神様は御本尊の並びの一番右端に鎮座してらっしゃる。
御参りに行けない人は、この写真でも良いから先ず健康祈願をして改めて参詣すると良いと思う。
御守りや、信心は要は自分の精神を健康に保つ、なんと言うか心の支え的な要素が大切なのだと思うから。
要は気持ちの問題。文字通り気持ちの問題で、ウジウジ一人で不安に成るより出来る事は何でもして、不安を払拭する事その物が既に御利益なのだろう。
そして、具体的に健康に向けて努力する。奢らず健康診断をちゃんと受け、ジムに通ったり運動をして健康を保つ、そう言う事なんだろう。
日本古来の神仏習合の神様で、まぁ~名前の通り淡路島が神格化された神様のはずだが、明治維新後の神仏分離令で、どの神様と同一視して神道に組み込むか全国の淡島神社では統一された御神格は無い。
だから小生は思うに神仏分離令は無理が有るのだよ。
日本文化から見て記録で遡(さかのぼ)れる範囲でも1400年以上は神道と仏教は融合していたののだし、そもそも大鞆別命(おおともわけのみこと)こと応神天皇の化身とされる八幡宮の神様なんか御神託で御自分の事を「八幡大菩薩」と名前を言った事が日本の記録に残っているのだから。
そして応神天皇の皇子の莵道稚郎子(じのわけのうらつこ)命なんて渡来の学問を日本で最初に導入した人物で神様に神格化された歴史が明白に成っているのだし。神話通り莵道稚郎子命が漢学を治めていたのならば仏教も学んでいただろう。少なくとも中国の道教や易学も学んでいたので、西暦300年~400年頃の古墳時代には既に日本の古代神道も大陸文化の一部が導入されていたはずだ。
無理に仏様も神様も分ける必要も無い。
本地水垂迹(ほんじすいじゃく)思想みたいに、どっちが本性とか議論する必要も無い。
日本人らしく大らかに八幡台菩薩を拝んでも応神天皇を拝んでも同じ神様で別名として認識すれば良いのだと思う。実際に、歴代の天皇家もそうされて来た訳だし。
この手の価値観は仏僧と神職でモメた事も有る様なので、小生は例えば素戔嗚尊(すさのおのみこと)ならば、もう全部の異名を一緒にして毎日御参りしている「素戔嗚尊牛頭天王武塔天神」と名を御呼びして遥拝している。
こうすれば、宮司さん達にも和尚さん達にも昔の人々にも失礼に成らないで済むんじゃないかと思ってる。
まぁ、そんな訳で、淡島明神様は淡島明神様のまま明神が付いていて良いと思う。

さて、ここからが小生のレクリエーション開始。
浄妙寺を後にして車に乗り込むと、一路、横須賀市の安針塚を目指した。
安針塚を目指す途中、住宅地の桜並木もとても綺麗だった。
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う~ん。ピンク。
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とても綺麗。なんと言うか、ブリッ子だな、この娘は。
小生は花を良く人間に例えるのだが・・・
この娘も可愛いが、小生は凛とした梅、または大木に成り人々の誇りとなる染井吉野がどちらかと言うと好む所ではある。
あと山吹や蝋梅も好きだ。紫陽花も綺麗。
でも一番好きなのは、やはり梅かな~。しかし人々を笑顔にする桜の林の存在価値も素晴らしいと思う。
ところで・・・
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この風景は按針台と呼ばれる安針塚の在る塚山公園周辺の風景なのだが・・・
安針塚と言うのは江戸幕府で徳川家康公に仕えた英国人サムライの三浦按針(あんじん)公の御廟所の事で、その御廟所の名前がそのまま京浜急行の駅名や地名に成っているのだ。
三浦按針公の本名はウィリアム・アダムスとおっしゃる。
まだ徳川家康公が豊臣政権の五大老だった頃、ウィリアム・アダムス公一行の乗った船が遭難し、九州に漂着した。家康公は彼を保護すると自らの領地である関東の相模国三浦郡に領地を与え家臣に加え海外通商の窓口、つまり外交担当の参謀として抜擢した。その際に姓も領地の在った三浦郡から三浦とし、元の姓のアダムスを日本風に文字って按針とした。
余談だが、この三浦按針公と共に家康公に仕えた白人サムライがもう一人おり、名をヤン・ヨーステンと言う。
彼も又、耶楊子(やようす)と日本風に漢字で名を改めたが、彼の居所が有った場所が東京駅八重洲口辺りだった。つまり東京駅八重洲口はヤン・ヨーステン=耶楊子公に由来しているが、これを知る人は現代でも結構多い。
そんな訳で、日本でサムライに成った外国人は数人いたのだ。
他にも宣教師が連れていたアフリカ系黒人のモザンビーク人奴隷を織田信長公が奴隷身分から解放して侍として己に近習させたのだが、この人物の名前は弥助と伝わる。元の名前はモザンビークにヤスフェと言う名前が多い事を世界ふしぎ発見!が紹介していた。この放送、とても楽しかったので良く覚えている。弥助は大砲の砲撃の名手だったそうだ。
更にイタリア人白人の山科羅久呂左衛門勝成と言う武将も織田信長公の娘婿の蒲生氏郷公に仕えていた。
外国人が登用されていた事を知る人は結構少ないが、古代の日本の朝廷でも新疆ウィグル族出身の人物が登用されていたりした歴史が有る。
まぁ、そんな事を思い出しながら車を降りてから山を登って行くと塚山公園に到着した。
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塚山公園の桜はまだ5分咲きだったが、花見に来ている人がそれなりに居た。
平日だったので、やはり人はまばらだった。
実は安針塚は初訪問。もっと墓地っぽい陰鬱な場所をイメージしていたがこれは良い!
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屋台も少ないが出ていた。
焼きそばの屋台を見て、後で昼食にしようと決め、先ずは三浦按針公に御挨拶に伺う為に御廟所を探した。
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う~ん良い所だ。
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程無く看板も見つかり、安針塚その物に関しては深い予備知識無く、現地の説明看板や石碑を読むのを楽しみにして来た。
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立派な石段、塚山公園内でも一際高所に位置する丘、この上に三浦按針公が眠ってらっしゃる。
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この説明を読む限り、この安針塚一帯は昔は逸見(へみ)村の一部だったらしい。
現在は逸見は安針塚の一つ前の駅名として残り、地域も安針塚は逸見から分離し成立した様だ。
しかし、御遺言で所領の三浦半島に戻って来られたのは、この地がイングランドに似ていたのだろうか?
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この石碑や、参道を整備したのは大正時代の人々だそうだ。
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別の石柱にも大正十三年と書いて有る。
昔の人は人種分け隔てなく帰化して日本の発展に寄与して下さった人物を、こうやって御祀りして大切に郷土の誇りとして後世に伝える努力をされていたのを、歴史が好きで色んな城址や史跡や神社仏閣を訪問すると思い知らされる。右左問わず現代の政治家とは大違いだ。文化も人も風景も平等に大切にされて守って来た大正時代の人々に感謝。
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有功国家・・・日本国に功績が有る=日本に功績を遺した。
永護江都・・・江戸の都を永きに渡り守る
・・・つまり、江戸と日本の発展を守る功績を遺された偉人と言う事だ。
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報以恩遇、東面其墓。
近代の人々も、三浦按針公の功績を感謝し、そして帰国出来なかった悲哀に色々と考えさせられたんでしょうね。
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小生の主義で御廟所の写真は掲載しないので、三浦按針公と奥方様の御廟の写真は今回も載せない。
しかし、女性の権利を守る思考が強かったプロテスタントの国出身の三浦按針公らしい、日本人の奥さんと隣同士手を繋ぐ様に並んでらっしゃった。
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そして、御廟所から後ろを見て解った。
按針公は、この丘から見る金沢八景の島々と海の風景が好きだったんだ。
もしかしたら、この風景が三浦按針公の故郷の英国ケント州ジリガムに似ているのかな?と思って調べてみたら・・・
ケント州ジリガム 三浦按針公の故郷 久良岐のよし
ビンゴ!半島と入り江に面した町で、湾内には金沢八景の様に島が幾つも有る。
三浦按針公は故郷に似ている金沢八景の見える、この丘が好きだったんだな。
御廟所で三浦按針公に、小生に神社仏閣や日本文化と史跡、日本の歴史偉人と神様に成られた先人達、そしてコープランドさんや按針公の様に日本の歴史に名を残し、発展に関与して下さった外国人の皆さん、それらの顕彰を通じて世の中の人に、昔の人々への感謝と日本文化の美しさと神社や御寺や城址の果たして来た役割を再度認識させる役割を担わせて頂ける様に、お力添えをお願いして来た。
それと、もし可能ならば日本文化や日本の風景が大好きで気の合う奥さんとも将来巡り合い、按針公の様に夫婦寄り添える人生を歩める様に縁結びも御願いし、最後に世界人種問わず親日家の人々が安寧に過ごせる様に平和の願いも伝えて来た。
御参りを終えて、御廟所の在る丘の直ぐ隣もう一つの丘に登って風景を見る事にして、有る事に気が付いた。
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実は塚山公園も神奈川の景勝50選の一つだった。
過去に小生が数か所紹介しているが、昨年末だと鎌倉の浄土宗大本山天照山光明寺裏山と周辺から見る由比ヶ浜の風景。

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それと葉山の長者ヶ崎の風景。
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それと油壷湾、油壷マリンパークの一帯は鎌倉~戦国時代の新井城址で、その風景も50選に入っている。
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横須賀市の神武寺~鷹取山の石切り場の奇岩群と大石仏。DSC_3029
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まぁ、こんな感じで全部合わせて50ヵ所も有るので挙げていると切りが無い。
親切な解説ホームページを作成して下さってる方がいるので、参考にすると良いかと思います。
http://heiwa-ga-ichiban.jp/kanagawa50/index.html
これ↑ね。
さて、話を塚山公園に戻し、安針公の御廟所とは違う展望台的な方の丘からの眺望を紹介したい。
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う~ん、こちらからの風景も綺麗だ!
桜越しに三浦半島の横須賀地域が見渡せる。
反対に目をやると・・・
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田浦梅林の山が見える。
田浦梅林については御興味の有る方はコレ→ をどうぞ。
綺麗な風景を見て満足したので、先程の屋台で焼きそばを購入して昼食にした。
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サービスで超大盛りにしてくれた(笑)。
いっつも年配の人に優しくして貰えるのは小生のキャラクターなんだろうか(笑)?
味は普通に美味しい屋台の焼きそば(笑)。
オバちゃん、御馳走様!美味しかったよ!普通に美味しいとか言ってゴメン(笑)。
食べ終わり、もう少し公園内を散策して見た。
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翌々見ると軍艦が見える。米国艦船かな?
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うん、塚山公園、良い場所だ!
また桜の季節に三浦按針公と奥方に会いに来よう。
公園から離れた場所に止めた車に戻る為、又、来たマンションの通りを抜ける。
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ベビーカーを押して花見に行く途中?の若夫婦。
幸せそうだが、実はパパさん、登り坂で結構辛そうだった(笑)。
でも羨ましいぞ!お幸せに♪
車にのり20分とちょと移動。
最終目的地の平安~鎌倉時代の三浦家の居城、横須賀市大矢部の衣笠城址に到着。
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衣笠城址、以前も紹介したのだが、旧城域に大善寺と言う御寺が在る。
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行基大僧正が開いた本は真言宗系の御寺で、分家の佐原三浦家が戦国時代の三浦家宗家と成り曹洞宗に帰依していたからか、現在は曹洞宗寺院に成っている。
そもそもは、三浦家の学問所としても機能していた学問の寺院でもある。
この御寺の副住職様に御話が有り訪問したのと、衣笠城址で最期を遂げた三浦義明公に御挨拶する為に城址の御稲荷様に3年振りに参拝する為の訪問だった。
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大善寺周辺には曲輪跡と思われる地形が沢山残っている。住宅や畑も昔の曲輪群だろう。
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御寺を訪問した際に、副住職様は若様の要件で外出中だったので、奥様に要件を御伝言頂く事にした。
前回同様、とても丁寧に応対して下さり感謝。
そして本堂で尊敬する三浦義継公と三浦義明公を始め、三浦義澄公等いつも個人的に御祈りを捧げている三浦家の尊敬する方々に御挨拶をして、御本尊様にも御参りした。
用事も済んだので、大善寺さんの裏手に在る城址残存部を久々に訪問、桜が有るので楽しみだった。
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江戸時代の城しか知らない人には城に見えない場所だけど、城好きが見ると尾根の自然地形を利用して裾切り下切岸や土塁の跡の盛り上がりなんかが見て取れる。

まぁ、興味の有る人は以前の記事↑を読んで頂けると要害性の有る地形が判ると思う。
ブログ始めたばかりの初期の記事で情報量も少ないが。
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上の写真、岩が物見の岩と伝わる場所を人工的に掘り切った反対側に当たる。
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物見岩に登ると御稲荷様の祠が在り、義明公の歌った詩が有る。
物見岩付近からは合子や経文が出土している。ここが小生の尊敬する偉人の一人である三浦義明公最後の場所だと、小生は推測している。
ここは見晴らしが良いので、戦時には指揮を執る場所だったと思う。
そして、そこを今では御稲荷様が城址に来る来客を出迎える様に待っていて下さる訳だ。
御稲荷様にいつも行く先々で御会いして旅の無事を守って下さっている御礼と、前回の参拝からの事等、色々御報告差し上げた。
御稲荷様、又、桜の頃に御参りに来ます。
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衣笠城址はまだ、桜は部分的にしか見頃では無かった。
知人から衣笠山公園の桜林は見頃だよ、と言われていたので其方(そちら)にも行くつもりだったが時間的に日没近い頃に成っていたので、この日は諦める事にした。
そうすれば、又、来年以降も衣笠山公園の桜を見るついでに義明公達と御稲荷様に会いに来る理由が出来るしね♪

ふむ。
良い休日を過ごせた。
帰り、車が赤信号で停車した所、面白い植木の有る家を見つけた。
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遊び心満載だなオイ(笑)!
きっとユーモラスな御主人なのだろう。家族思いのパパさんなのかもね~。

うん、色んな人の人生を辿りながら、綺麗な風景も見れて満足満足。

鎌倉の権五郎御霊神社の新任宮司様への挨拶と、間宮家顕彰文内での御霊神社の紹介文の執筆許可を頂いて来た帰り道。
雲一つ無い快晴、夕陽が綺麗なので「チャンス」と思い鎌倉材木座海岸の住吉城址に夕焼けに浮かぶ富士山と江ノ島の写真を又、撮影に来た。
・・・由比ヶ浜の夕日の写真の中でここ数年間の最高の1枚を撮影出来た。
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海岸に遊ぶ地元女子高生が写真を撮影していたので二人のカメラで写してあげた所、小生の写真のモデルにも成ってくれたので、女の子二人の後姿を前に由比ヶ浜の海と夕陽と富士山を撮影させて貰った。

二人の仲の良さが伝わるかな?
鎌倉の魅力、伝わるかな?
皆に伝わると良いな~♪
実は、この風景の直ぐ近く、住吉城址の在る浄土宗大本山の天照山光明寺の守護神の天照大神を祀る天照山から見た由比ヶ浜の景色は神奈川の景勝50選に選ばれている。
二人の写ってない風景も・・・CIMG2395
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ここ2ヶ月間、鎌倉市中央図書館に毎週文献読みに来る度に、富士山と江ノ島と由比ヶ浜の海と夕陽の1枚に収まる写真を撮り続け、この場所を知ってから約3年、会心の1枚と成った。
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名前聞くの忘れたけど、モデルに成ってくれた元気な二人、ありがとうね!

2016年秋の横浜市中区の三渓園は今が今週(12月第1週~7日位までか?)が紅葉の見頃です。
過去にも解説記事を書いていますので、下に表示される“タグ”の中から“三渓園”をクリックして頂くと昔の記事を見て頂けます。

今回は2016年11月30日に撮影して来た三渓園の写真だけ列挙して置きます。
皆さん、是非、御散歩に出かけてみては如何でしょうか?
【はじめに】
横浜三渓園は、幕末~明治時代に活躍した横浜商人、原家(原財閥の当主)の私邸でした。
原財閥は現在の世界遺産である富岡製糸場、横浜銀行、ニューグランドホテル等の有名企業を運営し、生糸の輸出等を手掛けていた財閥です。
明治時代当時は明治政府唯一の失政、神仏分離令や一村一社政策と廃城令によって日本全国の神社仏閣が荒廃したり廃社や廃寺や御城の建築遺産がが風呂屋に買い取られ薪(まき)にされ、風呂釜の竃(かまど)の中で燃やされ世の中から消えてい行きました。
原財閥の当主達は、その広大な私邸、三渓園に当時、明治政府の宗教政策の失敗によって荒廃した神社仏閣を多く買取り邸内に移築させ保護しました。
近代において文化財保護の概念を理解していた稀有な一族だった訳です。
原三渓の代には住居でありながら市民に公園として自宅庭園を公開した事が三渓園の由来です。
原財閥は関東大震災で横浜市が壊滅した際に、私財を投じて市の復興を成し遂げた(横浜市の復興は国では無く原財閥の献身的自己犠牲による処が大きかった)義商の財閥でした。現代において、その様な商人は日本には皆無と言って良く、現代人にとっても手本とすべき人間像、企業像、商魂と言えます。
これは商人文化の先進地域、近江商人の理念や、日本の海運を支えていた淡路商人の高田谷嘉兵衛さんにも通づるところが有ります。

【以下建物と風景の紹介】
●大池と、旧燈明寺三重塔
燈明寺三重塔は室町時代後期1457年の建築。京都府木津川市の廃寺灯明寺から、大正時代に原財閥によって保護され1914年に三渓園に移築。
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●大池横の椿
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●旧西方寺の御門(山門)の横道の紅葉
西方寺山門は江戸時代中期1708年頃の建築。
西方寺は京都市東山区の寺院。廃仏棄釈で荒廃した際に原家が山門を引き取り移築、保護した。この道の右手に西方寺の山門と、その奥に白雲邸が在る。
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2016年11月30日現在はまだ紅葉は5分色付きと言う所、12月中旬頃まで楽しめそうだ。
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●臨春閣と紅葉
臨春閣は江戸時代初期1649年の建築。
元は紀州徳川家が和歌山県の紀ノ川の河畔に建設した別邸だった。廃藩置県による紀州藩解体による荒廃の危機から原家が買い取り三渓園に移築保護した。元は紀州徳川家の殿様が紀ノ川沿い春の景色を楽しむ場所だったが、三渓園では秋の紅葉の映(は)える場所に成っている。
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●旧天瑞寺寿塔の覆殿(おおいでん)の横の紅葉と臨春閣
天瑞寺寿塔の覆殿は安土桃山時代1591年建築。
天瑞寺は京都市北区に在る臨済宗の大寺院、大徳寺の塔頭寺院。寿塔と覆殿は豊臣秀吉が母の長寿祈願に建設奉納した建物。
明治時代1905年に移築保護。
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下は臨春閣の前から見た天瑞寺寿塔覆殿と横の紅葉。
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●月華殿の下、臨春閣横の橋と紅葉。
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●旧伏見城内御殿、月華殿の前の紅葉。
安土桃山時代後期~江戸時代の変遷期1603年に伏見城内に建築された御殿。
月華殿は徳川期の伏見城内に建築されていた建物で、将軍(徳川家康公や徳川秀忠公)が京都に滞在する際に諸大名に謁見する座敷だった。
大正時代1918年に移築保護。
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月華殿周辺の紅葉以外の広葉樹は枯れてしまったが、紅葉はこれからが見頃。
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●旧廃寺、心平寺 天授院(地蔵堂)
臨済宗南禅寺別格本山鎌倉五山の第一位、北鎌倉建長寺の塔頭寺院、旧心平寺廃寺の地蔵堂で江戸時代初期1651年の建築。
鎌倉五山の寺院は、鎌倉幕府以来、歴代住職の任命権は征夷大将軍のみだった格式を持つ。
現在では心平寺は遺址としてだけ名が残る。
大正時代1616年に移築保護。
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まだまだ、ここの紅葉は楽しめそう。
●旧二条城 聴秋閣
京都市中央区に在る、二条城の御殿の一部だった建築遺産で江戸時代初期1623年の建築。
二条城は徳川将軍家が京都での天皇家への拝謁や将軍宣下等、公式行事の際に滞在する場所として造営された城郭。現在も保存状態が良いものの、徳川幕府解体時に荒廃の危機に在った建築遺産群の内、聴秋閣を原財閥が引き取り保護した。
大正時代1922年の移築保護。
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名の通り秋に映える建物で、この時期だけ背後の丘の林道が通行可能に成る。
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●聴秋閣側の紅葉越しに見た亭榭(ていしゃ)の橋と、旧灯明寺三重塔。
亭榭の建築年代は不詳ながらも、建築様式を見るに安土桃山時代後期~江戸時代初期と思われる。
亭榭の榭(しゃ)は訓読みで榭(ウテナ)と読み、見晴らしの為の台や橋の上に建てられた東屋(あずまや)を指す。
2階建て以上の物を望楼や楼閣と中国語では呼称した。
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●蓮華院横の大銀杏(いちょう)と紅葉。
蓮華院は原三渓設計した茶室で大正時代1917の建築。
この日は幼い子と新米ママさんがイチョウの葉で戯れており、微笑ましい風景写真と成った。
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●大池横の鯖猫ちゃん。
三渓園は猫さんが沢山いて、皆人慣れしていてモフらせてくれるサービス精神旺盛な子達が多い。
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三渓園にはこの他にも沢山の建築遺産が保護されています。
小生の御勧めの場所は白川郷から移築された旧豪農の茅葺屋根の家です。
秋の写真じゃないですが、一応掲載しておきます。
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ここは中に入る事が出来て、当時の豪農達が一族で集団生活をしていた様子が解ります。
午後15時までに行くと、囲炉裏(いろり)に火が入っていて、現代では焚火をする機会の無い子供達にも、煙の良い香りを嗅がせてあげる事も出来たりします。
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この他に鎌倉の尼寺で縁切寺としても有名だった松岡山東慶寺の旧仏殿も在ります。
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東慶寺は昨年2015年公開された映画❝駆け込み女と駆け出し男❞の舞台にも成った場所ですね。
駆け込み女と駆け出し男

  ↑
以前映画と東慶寺の紹介で書いた記事です。御興味ある方は御覧下さい。




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今日は朝、少しだけ寝て家を出た。
最初に訪れたのは称名寺…
と、昔は同じ金沢北条家の敷地内に建てられた武家初の図書館だった金沢文庫。
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今では金沢文庫博物館と名を替え県営と成っている。
現在、金沢文庫は泥亀新田開発者の永島家の特別展示を行っている。この永島家の邸宅は伊藤博文公が大日本帝国憲法草案を起草した場所の一つ、野島の伊藤邸近くに在った。
昭和後期、小生が子供の頃まで永島家の敷地と立派な門が文化財として保護されていたが横浜市教育委員会が保護を怠り破壊され宅地化されてしまった。
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金沢文庫が県営に成ったのには色々な経緯(いきさつ)が有るが、明治時代に領主や幕府達に寄進されていた寺領が没収されてしまい、米穀の収入があった寺領や社領を接収されたので、神社仏閣の僧侶や神職達は収入源が無くなったせいで墓地の経営や冠婚葬祭なんて商売を行わなければいけなくなった。
つまり明治政府の宗教政策の失敗によって神社仏閣の多くは哲学や学問や文化を学ぶ場所としての機能を停止せざるを得ない状況に陥らされた。
更に封建社会での御寺は公共施設だったのに対して明治時代は住職の個人資産、世襲制に成ってしまった事で称名寺も当時の❝住職の資産❞に成ってしまった。
これが金沢文庫の不幸の始まりで、当時の住職は仏僧にもあるまじき堕落をし水商売の女に狂って日本国民にとって❝東の正倉院❞の異名で呼ばれた称名寺の寺宝を私有財産の様に売り払い、水女に使い込んでしまった。
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それを保護すべく称名寺の檀家や宗派真言宗の認知の下で、寺宝管理を神奈川県営の金沢文庫博物館に寄託する形で、日本国民にとって有益な研究対象文化財として世間に多くの寺宝が日の目を見て日本のみならず
東アジアの文化史解明に役に立ったと有名に成った程の場所…
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…なのだけれど、歴史に興味が無い人達には認識されておらず知名度が低い。江戸時代までは真言宗内では称名寺は凄まじい知名度の庭園と壇林としての機能を有して居た。
称名寺=金沢北条氏邸宅の谷戸と文庫の谷戸を繋いでいた鎌倉時代から使われていた隧道も現存する。
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まぁ、現在の黒岩知事と県の教育委員会が金沢文庫の文化財保護の為の老朽化した空調交換に予算を回さなかったせいで、称名寺の重要文化財は昨年カビに腐食されてしまってニュースに取り上げられ事件に成った事も有った。
文化財保護と言うのは知事や市町の文化度が低いと、この様に直ぐに被害をうける。
これが城址や神社仏閣の古址と成ると、あくどい市長は発掘調査もせず重要性を隠匿したまま土建屋に宅地開発容認してしまう。
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今、宅地開発されてる横浜市港南区笹下4丁目は、笹下城址の主要部分の一角だった。
現在、本丸直下の切岸と空堀後は❝傾きマンションで有名な三井不動産レジデンシャル❞に破壊されて家が建設される最中だ。

さて、閉館16時半金沢文庫を後にして何だか休日に1ヵ所しか廻らないのは不完全燃焼…
「歴史成分」「自然が足りない」
…てな訳で、ここから車でそう遠く無い神奈川の景勝50選に選ばれている鷹取山に廿数年ぶりに登ってみようと思い立ち移動した。鷹取山の写真は全く無かったから。
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なんだか久しぶりの鷹取山は本来の登山道とは別のアスファルトの広い歩道が整備されてしまい自然環境が破壊されていた。
まぁ、その分、ちゃんと紫陽花が植えられて遊歩道として綺麗ではあった…
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小生は現在の遊歩道を嫌って、紫陽花の切れ目から子供の頃に歩いた古道を見つけてソッチから登山する事にした。
因(ちな)みに、普通のアスファルトの遊歩道を歩けば鷹取山公園の入口から展望台の有る岩場まで10分足らず、遊歩道をそれて古道に入ると危険極まりない(笑)風化した鎌倉石と自然を満喫する道なので展望台まで30分以上かかる。
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嘆かわしい事に、来なかった二十数年の間、岸壁に掘られた石仏群を何の心算か勝手に彩色して文化財破壊する輩がいたような。
犯人捕まえて刑務所ブチ込んで欲しいレベル。こんな事したら原状回復は不可能。
そんな悲しい発見も有ったが…
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こんな場所が緑の中、随所にあり不思議な空間に成っている。
マイナスイオンも感じる様な気がする…
途中、この古い登山道は本当に険しく、落ちたら死ぬ所ばかり(笑)。DSC_3023
それでも、この本来の道を通る価値は有る。

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頂上の広場は、まるでカッパドキアの様な異世界の風景。
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でも、この岩場の壁面に沢山穴が開いてるでしょう?
これ、先日も文化財破壊で問題に成った団塊~バブル世代の無文化ロッククライマー達が私欲の為に鉄杭を打ち込んで破壊した傷後です。
現在は根本的にロッククライミング禁止なのに、無許可で登ってるクソがいました。
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装備を置いて岩の上にいるようだ。
そんな憤りもあるが、この日は久しぶりに拝みたかった大石仏の弥勒菩薩様に会いに来たので…
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久しぶりに御会いできて嬉しかった。
そして、この鷹取山や神武寺付近は小生が尊敬する戦国時代、関東最高の軍師の太田道灌公も鷹狩に訪れた伝承があり、鎌倉時代には源実朝公も来訪されたそうだ。
ここの存在を思い出したのは先月、葉山に宿泊した際に訪れた逗子市郷土資料館の学芸員さんの話で、鷹取山の話が出て来たから。

ふむ、古道を歩いた御蔭で汗もかき、何とか休日らしい充実感を味わえて良かった。








三浦半島の西側は何処も絶景で…
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生憎の雨天でも、三浦半島の山々の向こうには相模湾に浮かぶ江ノ島が見える。
晴天だと江ノ島の奥に箱根山系がハッキリと見え、更にその奥に富士山が聳え、夕刻には山並みが朱に染まる。
この風景と土地の特性が逗子~葉山~油壷が明治~昭和初期に別荘地として繁栄した理由。
この眺望は勿論素晴しい。
しかし土地は水田に向かないので畑ばかり。
富士山由来の関東ローム層故(ゆえ)に水田に適さなかった土地に根差した畑文化による豊富な種類の地野菜、そして三浦半島特有の江戸湾と相模湾両方の海産物を堪能出来る保養地としての地勢的な有利に由(よ)る。
簡単に言えば…綺麗な風景と夕日を見ながら、豊富な種類の海の幸山の幸を堪能出来る訳だ。

さて…
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2016年06月05日、土曜日の朝は大正~昭和時代の雰囲気の家族経営旅館、大海荘で宿泊している部屋から始まった。
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…と言うか、いつもは飲まない御酒も飲んで休日の習性で前日徹夜していたままTBSふしぎ発見を見終わった直後に寝落ち、夜中の3時頃に起きてからずっと朝までPCで書き物してた。無論、リラックスは出来た。

朝食が朝7時~と言う事で早速食べに行った。
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久しぶりにまともな朝食を食べた。ランチや夜は美味しい物散々食べてるのにね。
焼き魚食べれて嬉しかったなぁ~。
その後、8時~朝風呂入浴出来るとの事で、表の長者ヶ崎の砂浜を散歩する事にした。
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もっと干潮だと小さい長者ヶ崎の岬の先端まで歩いていけるのだけどね~。
❝神奈川の景勝50選❞の一つだけあり、長者ヶ崎の眺望は良い。
因(ちな)みにコチラ側、落石注意立入禁止の看板が有るので、こちら側から行きたい人は先にFacebookとかTwitterに「落石事故に遭っても自己責任です」と投稿して下さい。
この先に行く事は無く宿に戻り、朝風呂の時間に成ったのでラドン温泉に朝から入浴。
良い小旅行に成りました。満足。
…大海荘の御主人と奥さん、ありがとう。
土曜日も休みにしてあったので、天気が良ければ長谷寺に紫陽花を見に行ってから、昨年の映画❝駆け込み女と駆け出し男❞で登場した佐助稲荷神社、それと義祖母が良く行っていた銭新井弁天に御参りする心算だったのだけども…雨天。
三浦方面に行き、大好きな石井農園(夏季は西瓜直売・秋季はミカン狩り)の直売所に看板娘の御婆ちゃんに会いに行き、石井農園の菖蒲園を見学しようかと思ったが、こちらも雨には合わないスケジュールなので、葉山近辺を散策する事にした。
逗子葉山訪問先
実際に廻った場所↑の地図。
●森戸神社…源頼朝公勧進の三島大社の御分霊を祀る神社と源頼朝公の別邸古址。
●鐙摺城址の一部、旗立山…葉山マリーナの前に在った源頼朝公の与力中最大勢力の三浦家の支城。
●日影茶屋…築100年以上の商家を改装したレストラン・和菓子屋・Bar
●逗子市郷土資料館…明治時代の旧徳川家別荘を転用した文豪:徳富蘆花と逗子市の考古学の博物館。
●住吉城址と正覚寺と住吉神社…戦国大名佐原三浦家の支城、城址を貫く古東海道の史跡。
●由比若宮(元鶴岡八幡宮)…鶴岡八幡宮が源頼朝公によって鶴岡に遷宮されるまで在った場所、鶴岡八幡宮の元宮。
長者ヶ崎~車を走らせて10分足らず、最初の訪問先は森戸神社。
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ここは源頼朝公が伊豆時代から信奉する三島大社の御分霊を勧進し造営した由緒ある神社で、鎌倉武士にとって重要な神社。だから流鏑馬(やぶさめ)奉納の神事も行われる。
詳しい事は何(いず)れ森戸神社の解説記事で説明する心算。
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ここは西と北が海に面していて眺望も良いのだが、背後西側の海に浮かぶ島を名島と言う。
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鳥居が立っている岩礁が名島。
今は磯だが昔は島だった。
そして名島と森戸神社の海岸の間に続く岩礁も昔は半島状の陸地で、なんと其処(そこ)には源頼朝公の別邸が在った。
頼朝公は鎌倉周辺、こと三浦半島が御好きだった様で色んな景勝地に別邸を持ってらっしゃった。
鮪で有名な三崎漁港にも春の御所を持っていた。その場所は本瑞寺や光念寺の丘。
森戸海岸の頼朝公別邸は海に沈んだ。
神職の方の解説では「海面が上がったから」との事だったが、それは歴史と整合しない。
三浦半島の地盤は関東大震災でも50cm隆起している。
つまり、この付近のプレートは盛り上がるベクトルの地盤な訳だ。
この地盤は下の方が堅い岩盤、上は海底に在った時代に砂だった鎌倉石と言う現代では採掘禁止の重要な石材に成る砂岩や、干潟の泥が固まった泥岩の地盤で出来ている。
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近くの秋谷にも❝立石と言う神奈川の景勝50選の一つ❞があるが、その秋谷には小生の推測を証明する地名も残っている。…❝大崩れ❞と言う地名だ。
表層の砂岩と泥岩の地層が波に洗われて崖の下部が浸食され、やがて上の地盤を支えられなく成り崩落する訳だ。
この付近の地層が柔らかい層と地底深くから盛り上がった堅い岩盤で構成されているから、結果的に島は波に浸食されて残るのは岩礁だけに成る訳だ。
頼朝公の別邸の在った陸地も実際は❝砂岩や泥岩の地盤だから浪に浸食されて消えた❞と言うのが正しい所だろう。
なんせ実際に三浦半島は地震の度に隆起するのだから。
何にせよ、頼朝公と三浦家の武士団所縁の神社を御参り出来て良かった。

御参りしたら「そう言えば近くに鐙摺城が在ったな」と日本城郭体系で読んだのを思い出し、まだ行った事が無かったので訪問する事に…
目標物は葉山マリーナだ。
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この港を押さえる城が、葉山マリーナ背後の鐙摺山に築かれた鐙摺城だったのだが、源頼朝公の石橋山の合戦時、ここに籠城した三浦義澄公が攻め寄せた畠山重忠公の平家軍を釘付けにして三浦家本城の衣笠城で一族が防衛体制を立て直す時間をかせいだ。
その時に源氏側の味方の志気を揚(あ)げる為に白幡を立てたと言われるのが、鐙摺城の出丸と考えられる旗立山だ。
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当時は海に突き出した断崖絶壁、味方に三浦の軍功だと知らしめる旗を立て、立て籠もるには十分な要害性が有るが規模は小さい。あくまで背後の鐙摺城の出城。
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鐙摺城の出丸の旗立山への登城は、築100年以上、歴史300年以上の和食・和菓子・BARの店の日影茶屋が目印。
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日影茶屋と道路を挟んで正面の駐車場に旗立山の入口階段が有る。
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鎌倉石の丘…雨でコケと砂岩が相まってメッチャ歩き難いし落ちたら死ぬ!
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本当に規模は小さいけれど、ここには城址として以外の史跡がある。
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伊東祐親公の供養塔だ。
伊豆の伊東を治めた伊東祐親公は源頼朝公と対立したのだが、子孫は良く頼朝公に仕えて日向国(宮崎県)の大名に成った。江戸時代にも飫肥藩の小大名として御子孫が存続した。
…実は内の母方は親類は伊東家の家老の子孫に養子を出していて、小生は疎遠だが母の世代はまだ交流が盛んな様だ。無論、今は皆して中の上下彷徨うくらいの庶民(笑)。
ここでウチの母方が御世話に成った伊東家の御先祖様に御参り出来て良かった。

しかし…
出発し結局、本能の赴くままに車を走らせたら、いつもの休みみたいに城跡・神社仏閣・古民家巡りに成っって。
…今にして思えば、これなら雨でも紫陽花庭園や菖蒲園の方が楽だろうに(笑)!

旗立山を下りて、日影茶屋の和菓子部門へ…
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倉を改装して営業している。
凄く雰囲気が良い。
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何故なら…
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この和菓子を展示しているスペース、夜に成るとカウンターに成り、BARとして営業しているから少し薄暗く大人な良い雰囲気なんだな。
ここで御土産に大福を購入した。

それから車停めた葉山マリーナ周辺を少し散歩。
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やはり昭和初期~金持ちの集まるヨットハーバーとして有名なだけあって、御洒落(おしゃれ)っぽい喫茶店やレストランが多いね…
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どこも御客さんいっぱいで繁盛していたよ。
小生の宿泊した大海荘から車で10分前後の距離だから、夕食はこちらに来てとっても良いかも知れない。
まぁ、大海荘の場合は相談するとBBQも出来るから、海らしい事は長者ヶ崎の方が出来るか。

旗立山の登り口の横には海寶寺と言う小さい御寺が在った…
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海寶寺と日影茶屋の間の道は❝切り通し❞なので、そこが古道なのだろう。ここを抜けて走水方面へ山を越えて行ったはず。
ここを打ち超えて、葉山町役場の辺りを通過して❝下山口❞の地名が残る辺りをを通過し❝上山口❞に至り、恐らくは三浦家の本拠地の衣笠城址へ辿り着いたはずだ。
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江戸時代も街道だった証拠に庚申塔が御寺の境内に移されて残っていた。
浄土真宗の御寺らしいけれど、規模に見合わない石仏群の多さから古い時代には真言宗の御寺だったんじゃないだろうか?多分、浄土真宗に成る以前にも御寺として存在したはず。
この辺は小生が古道と推測するルート沿いに御寺が多い。
そして、この道が古東海道に繋がっている。
古東海道 国土交通省から画像拝借 久良岐のよし
画像資料作るの面倒なので国土交通省関東地方整備局の画像を拝借すると一目瞭然。
昔の東海道は日本武尊と弟橘姫が仮御所を置いた走水神社の目の前~海路、房総半島の君津・袖ケ浦へ抜けて行く。
そして海寶寺の横には明治時代までは海寶寺サンが別当寺として管理されたいたと思われる須賀神社が有るが、これが正に古道の証拠。
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須賀神社の須賀と言うのは律令制度成立以前の神話の時代の地方名で、素戔嗚尊と此花咲耶姫命の御夫妻が開拓された国名で、とどのつまり素戔嗚尊様は海の神様であり、その後に走水神社の奥宮にも祀られている通り日本武尊も海神として崇拝した神様。
走水神社の奥宮には諏訪社・神明社も有る。ここら辺は以前の記事にも書いたので興味の有る人はカテゴリー「神社(延喜式式内社と歴史千年以上の古社)から「走水神社」の記事を見つけて読むと解説してある。
話を戻すと、旗立山や背後の鐙摺山の南側の平地は古代❝葉山湾❞だった。
昔の海岸線
なので、この切通しを通り抜け山沿いに下山口・上山口の地名が残る現在では名前無くなった峠道を通り抜け走水に抜けたはずだ。
この道は略(ほぼ)県道27号線なんじゃないかと小生は推測している。そして県道27号から、日本武尊が武蔵国橘樹郡~久良岐郡方面を抜けて~走水に至った道近くを辿(たど)る国道16号線に合流し、走水から房総半島に渡ったのだろう。
葉山マリーナは昭和以来の新しい観光スポットだが、実は目の前に山城跡が在ったり古道が存在したり、存外歴史が有るのを地元の人も今では知らない。
…ま、神奈川は基本移住者だらけだから。

さて、葉山を後にして、次は逗子市郷土資料館を目指した…

逗子が古代は海の底だった鎌倉市市街地よりも早く開けた土地で、逗子の山々の山頂からは巨大古墳が幾つも出土しているのだが、その相模湾側の風景は現在も美しい。
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今回の休日雑記冒頭で掲載したこの写真は逗子市からの眺望だ。
この風景と豊かな海産物農産物と浜辺が有る事から、明治時代の政治家や大富豪達がこぞって、この逗子に別荘を建てた。
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そして今回訪問した逗子市郷土資料館はなんと❝徳川家の宗家の大正~昭和時代の別荘❞だったのだ。。
逗子が葉山よりも有名な一大別荘地だった歴史を示す建物が資料館として転用されているのだ。
つまり、資料館時代が古民家で、重要文化財な訳だ。
ただし、駐車場が近くに無いので近所のレッドロブスターの有料駐車場に停めるしかない。
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う~ん、横浜市中区根岸の義祖母の家を思い出す…
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建物は素晴らしい保存状態。
ここは逗子を舞台にした不如帰(ほととぎす)を出版した文豪:徳富蘆花の関連展示物と、大正時代の徳川家に関する解説が多く興味の有る人にはたまらない場所だ。
職員さんは二人常駐していたが、とても親切に解説して下さった。
親切過ぎて約2時間、職員サンの解説を聞き込んでしまった…
気が付いたら「ヤベ!駐車場代金スゲぇ~事に成ってるんじゃね?」
…とビビッて、そこからは職員さんの苦手な時代の戦国時代に話をスリ替えて質問しまくり、上手く退散した(笑)。
しかし、ここの男性職員の方は話も御上手で近代史と地理は御詳しく、明治時代の話や太平洋戦争中の話し、徳富蘇峰と徳富蘆花兄弟の確執の話や徳川家の話を色々と解説して頂けて面白かった。
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因みに上の写真の離れが❝徳川家達(いえさと)❞青年が住んだ建物。
職員さんの解説だと話は濁しておられたが、どうも石原慎太郎氏の小説❝太陽の季節❞の映画版で石原裕次郎氏が演じた主人公の❝津川竜哉❞のモデルは、この徳川家達青年なんじゃないかと匂わせておられたが、実際に小生もそう感じた。
まぁ、逗子に住んだ石原慎太郎氏なので、地元の人物をモデルにした可能性は実際高いと思う。

この逗子市郷土資料館や徳川家と徳富蘆花の話は、又、別に独立記事として仕立てようと思う。

さて、駐車場代金がやはり高く成っていたので、昼食もまだだった事もあり、レッドロブスターで駐車料金無料にする為に遅い昼食をとる事にした…
この時点で15時前後か?
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すんごい久しぶりのレッドロブスター。
チェーン店を毛嫌いする様に成ってから10年近く来てなかった。
わざわざ逗子に来てまで食べる物か?と思ったけれど1480円のジャンバラヤのランチは普通に悪く無かった。

もう急がないと日も傾き始めるので、この日のメインディッシュだった住吉城址の丘に移動…
道に迷いながらレッドロブスターから車で30分位かかっただろうか?
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城址の一角だったのが正覚寺と海前寺だ。
ここは戦国時代の三浦家の大名三浦道寸公の武将で御実弟の三浦道香公が守将として配置されていた。
道寸公が伊勢原市の岡崎城で北条早雲公に敗れ主家扇谷上杉家の大庭城も陥落し、この住吉城へ逃れて来たがやがて、油壷マリンパークに在った新井城に撤退し日本最長の籠城期間4年を戦い抜いた後に滅亡した。
北条早雲公が攻略に10年を要した岡崎城についてはカテゴリー「城址」に解説記事を以前書いた。

実はこの正覚寺と海前寺は、古東海道の史跡と考えられていて山を貫く古道で近年まで繋がっていた。
しかも貴重な隧道(すいどう=トンネル)の古道だ。
そこには正覚寺の本堂の横から、参拝出来る住吉神社に行くと洞窟が見える。
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住吉神社も、古くから海の往来に関係の有る大伴氏や佐伯氏と言う古代の豪族が信仰した神社なので、縁起の定かでは無いこの住吉神社は古代から存続している古社だと小生は推測する。
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このトンネルは住吉神社側から入る事が出来るが…
反対側が封鎖されている。
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ここはそもそも逗子市民が通う大切な道だった!
しかも古道史跡で城址だ!
しかし名名高い❝東急グループ❞の❝東急リバブル❞が❝住吉城址と古東海道の史跡を破壊してシーサイドコート逗子望洋邸と言うマンションを建設してしまった。
現在進行形で隣の鎌倉市でも、ココより小規模な北鎌倉駅近くの古道の隧道の保護で土建屋と結託し隧道破壊を目論む市長が議会と報道からヤリ玉に挙げられ責任追及されているのにだ!
逗子市教育委員会、何やってんだ?仕事しろ!
この東急グループは横浜市でも自然公園の貴重な蛍の生息地でありながら、奈良時代からの❝蹈鞴(たたら)製鉄遺跡❞が出土し❝灌漑水田史跡❞や鎌倉武士の往来した❝鎌倉早駆けの道❞と言う歴史史跡・古道史跡・横浜最後の豊かな自然が残る円海山と瀬上池周辺を破壊し宅地化ようとしている。
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この水道は最近まで利用されていただけあり保存状態も良い。
鎌倉の釈迦堂切通しと並んで重要な史跡として認定されてもおかしくない。
…これ、石原慎太郎サンに陳情したら面白い事に成りどうだな。
生活道路の使用として裁判起こしたらシーダイドコートで分断された道、逗子市民が使用する権利認められるぞ多分。
住吉城も今後、解説記事を独立させて書いて行こうと思う。

ここの写真撮影後、本来は長谷寺で紫陽花を見る心算だったが時間も無いので鎌倉の佐助稲荷神社に参拝するつもりで車に乗り出発した。途中、ふと有る事を思い出した…
「そう言えば元鶴岡八幡宮(由比若宮)の写真、撮影した事無かったな」
…と言う事で、目的地に行く前に途中、鶴岡八幡宮の由比若宮に移動。
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鶴がヵ八幡宮は実は元々現在の場所では無く、源頼朝公の御先祖に当たる源頼義公が材木座に建てたのが始まりで、現在もその場所には由比若宮と言う形で本来の八幡様が存在している。
解説はカテゴリー「神社」の中から探してもらうと、そこに元鶴岡八幡宮に関する記事を以前書いて有る。
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ここが重要な場所なのは、境内に軍神と鎌倉武士達から崇拝された八幡太郎こと源義家公所縁(ゆかり)の物も存在する事から、歴史好きは直ぐに解ると思う。
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源義家公が源氏の白幡を立てた松。
恐らく、ここは白幡神社の総本社としても呼べるんじゃないだろうか?
源家の与力武将達は、皆それぞれの領地に八幡社を勧進しているが、その地名には白幡の名が残る場所が多い。そして、そこは大体が河川や海の港湾の近くだ。

参拝を終え、佐助稲荷神社に向かおうと亀ヶ谷方面にから佐助稲荷に抜ける鎌倉市街の御成地区に移動したが、佐助稲荷周辺の長谷地区東部が通行規制で車が入れず断念した。
大船へ抜けて横浜へ帰る途中、渋滞で停車中に面白い風景が撮れた。
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渋滞で停車中の車の上に、湘南モノレール。
世界でも珍しい釣り下げ式。
これ、大型特殊車両はこの道通れないよね。

1泊2日の鎌倉~逗子~葉山旅行、2日目は結局普通の休日の行動に成ってしまったけれど、葉山町の長者ヶ崎海岸に宿泊しユックリ出来たし、明月院の菖蒲園も綺麗だったし、元鶴岡八幡宮も御参りして写真も撮れたし良い小旅行だったと思う。

以上。

自宅のある横浜を出発したのは午前11時頃…
北鎌倉までは車で1時間とかからないで到着する。
渋滞に捲き込まれてやっと60分程度、普段なら40分くらいだろうか?

小生の仕事は連休が無い。
世間がゴールデンウィークも仕事した分、本来、6月1日には休暇を使って一週間ぶっ通しで京都~愛知に行ってるはずだった。
京都の阿弥陀寺様に、昨年の間宮家の顕彰活動で訪問した際に追善供養に参加する様に御声がけ頂いていたからだ…
めちゃくちゃ贅沢してやる心算で半年超かけて30万円旅費を積み立てていた。
移動にタクシー借り切って、食事は全て有名な料亭や西洋料理のレストランを予約して食べるつもりだった(笑)。
…しかし、熊本大地震が発災。
京都行の旅費は全て熊本に送ってしまった。

でも、せっかく休むつもりだったのをキャンセルして何もしないのも癪(しゃく)に障(さわ)る。
けど、今月の小遣いは京都に行くいは足りない…
「そうだ!鎌倉に行こう(2週間に一回は来てる)‼」と、成った訳だが、断念した旅行を諦めたくない。
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で、こうなった。
「車で一瞬で帰宅できる距離だけど、宿泊しちゃえば良いんジャネ?」
…てな感じで三浦半島に宿泊中。
1週間ブっ通しの休暇をキャンセルして日曜日1日だけ休暇にし1泊2日の連休。

長者ヶ崎の砂浜に面しロケーション最高の家族経営の旅館「大海荘」。
今は持ち込んだPC叩いてる訳だ。
結局、京都に行かなかった分、❝作家ゴッコ❞みたいな(笑)プチ贅沢な土曜日を
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ここは海辺まで徒歩30歩(笑)と近い。
そして、この長者ヶ崎は❝神奈川の景勝50選❞の一つだ。当然風景は綺麗。
朝食だけの素泊まりで6,500円。家族経営なので規模は小さいが部屋は清潔。
でも天然ラドン温泉。風呂トイレは昭和初期の旅館らしく共用。
車で10~15分程度の近所には以前も記事で紹介した秋谷海岸の地魚地野菜のイタリアン「DON」や、佐島マリーナの海に張り出したウッドデッキの最高のロケーションで食事出来る「海辺」なんてレストランも有る。
だから、ちょっと三浦半島のドライブ兼ねて、もの凄く美味しい料理店でランチをとる事も出来る。
素泊まりにすれば逗子マリーナや葉山マリーナの御洒落なレストランで食事も出来る訳だ。
夕食付にすると8000円。
事前に相談すれば、旅館の庭先では天候に関係なく屋根の下でBBQも出来る。
夕食をBBQに変えるのも家族連れやカップルには良いかも知れないが…
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小生は一人旅なので、和食を頂いた。
葉山だけあって御刺身と魚の天ぷら美味しかった。
サーファーや夏休みの子供連れ家族の海水浴や鎌倉旅行兼ねた旅には丁度良いだろう。
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雰囲気は外観がオシャレな海の家、中は典型的な大正~昭和の日本旅館。
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小さい家族経営の旅館らしく、ロビーもこんな感じ。
江戸時代の旅籠もこんな規模が多かった。坂本龍馬サンの定宿の寺田屋とか近江屋とかね。
小生が箱根で良く宿泊する温泉も、家族経営だが築100年の小さい旅館だったりする。
小生はホテルより日本旅館が好きなので、プチ旅行でシティホテル泊まるよりも風景の綺麗な葉山は長者ヶ崎のこの旅館が好きだ。
本当、帰ろうと思ったら、横浜横須賀道路で30分チョイ(笑)。でも近くに宿泊するチョットした贅沢に満足(笑)。

本当に車移動なら海水浴や鎌倉旅行にロケーション良いからオススメしたいんだよね。
この旅館の部分は別記事でもう少し追記して紹介しようと思う。

こっから6月4日の訪問地域。
昨日は珍しく余り多くの場所を訪問しなかった。
行ったのは北鎌倉と宿泊地の海岸だけ…
●明月院…紫陽花の名所。
●鎌倉五山(と言う飯茶屋)。
●長寿寺…足利尊氏公の菩提寺。
●亀ヶ谷の切通…鎌倉七口(昔の鎌倉の出入り口は7ヵ所の切通ししか無かった)の一つ。
●建長寺…臨済宗の大本山、歴史の授業でも習う鎌倉五山の第一位の禅宗寺院で道場。
●半蔵坊…建長寺の守護神として裏山に鎮座する塔頭とは異なる修験道の神社。天狗様。

横浜を出て35分位だろうか?無事北鎌倉駅近くに到着し車を駐車。
先ず訪れたのが第一の目的地だった紫陽花の名所、明月院。
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昨日は6~7分咲き。
ここは紫陽花が綺麗なだけでなく、鎌倉武士文化中興の祖とも言える北条時頼公の菩提寺でもある。
又、中の草庵で御抹茶と和菓子を頂く事も出来る。
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当然、紫陽花は6分咲きでも綺麗だった。
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明月院は初めてではないのに、今まで裏の庭園(拝観料500円別途)に足を運んだ事が無かった。
警備院サンに質問したら菖蒲が見頃との事で、これも良い機会と思い足を運んでみたら…
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…これが予想外の美しさ!なんで今まで来なかったのか!
そして発見も有った…
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なんか菖蒲庭園の奥に❝通せん棒❞されている場所があり、その更に奥の右側には不自然なツタに覆われた路盤と思しき地形が見えた。古道の跡に見えたので、御寺の園芸部の職員さんや寺事務所の方に質問した所やはり、このツタに覆われた場所は古道の跡で、ここは表通りを通らず此(こ)の道を通って直接、臨済宗大本山の建長寺サンや円覚寺サン行ける昔の古道だそうだ。
今では、御寺同士の関係性は本山末寺の関係よりも現代の法律による土地の所有権等の事で各自境界が明確に成っているので封鎖されているそうだ。
ここを通れば山の尾根伝いに、関東の臨済宗の大本山の建長寺や円覚寺に行ける訳だ。
裏庭だけでなく、通常の順路も紫陽花以外に躑躅(つつじ)が綺麗だった。
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海の向こうに紅葉した山々を表現したような枯山水なのかな?
ところで、不敬無礼無秩序な輩が竹林に落書きをしていたので晒して置こうと思う。
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久保寺誠、松本、この両名の身の上にに釈迦牟尼仏と北条時頼公の仏罰と祟りが降りて以後、悪事を行えなく成ります様に。
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ちゃんと御寺サン書いてるでしょう?

明月院を出てから表通り(鎌倉街道)に移動する途中の風景…DSC_2055
少し趣が京都の哲学の道に似てるかな?水路沿いに在る邸宅は全て石橋が掛かっている。
この地域は山ノ内と呼ばれる場所で、その名の通り、関東管領山内(やまのうち)上杉家の邸宅がこの谷戸の奥には在った。つまり、この道を山内上杉家の歴代殿様や配下武将達が行き交(か)っていた訳で、恐らく上杉謙信も関東管領就任の前後は、この辺りに宿泊したんだろうか。
因(ちな)みに玉縄城の目と鼻の先なので、仮に宿泊したなら危険が伴い防備を怠れなかったはず。
明月院を出て鎌倉街道に復帰するとすぐに鎌倉五山と言う茶屋が有って…
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北鎌倉名物の建長寺汁(けんちんじる)を食べる事が出来る。
けんちん汁は、建長寺発祥の料理なんだな。
御寺の精進料理なので、本来のケンチン汁には肉魚は一切入っていない。
ベジタリアン歓喜の料理。素朴で小生は好き。でも魚食べたい。
美味しく頂きました。

その後は臨済宗大本山建長寺へ…
行こうと思って歩いていたら、普段は一般参拝不可の長寿寺サンが特別公開を行っていた!
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ここは室町幕府初代征夷大将軍の足利尊氏公の関東における菩提寺で、寺の開基(かいき=オーナー)は尊氏公の御子息で鎌倉公方の足利基氏公と言う、由緒正しい格の高い御寺サン。
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庭園も見事だったが、御住職様と御話しさせて頂く機会があり、有意義な時間を過ごせた。
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秋に奉拝出来たらきっと庭の紅葉が綺麗な枯山水の御庭。
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尊氏公は南朝の後醍醐天皇とは政権運営で対立したが、明朝の文化と日本の武士文化を融合した華美と質実を領有した室町文化の礎を築いた偉人である。尊敬すべき先人だ。

ここを出るとすぐの所に鎌倉七口の切通しの一つが在る…
亀ヶ谷(かめがやつ)坂の切通し。
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この切通の先には河内源氏の幼き日の源頼朝公や源義朝公が住んだ源氏の邸宅跡寿福禅寺が在る。
現代は少し広く開削さえているが、当時は人が2人程度しか横に並んで歩けない幅に、騎馬武者が侵入困難な程に急角度で屈曲させた喰い違い虎口(こぐち)が全ての切通しに設けられていて鎌倉市街防衛の要だった。
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事実、新田義貞は鎌倉の切通しを突破できず、一年に数回の大干潮を待って稲村ケ崎の海中に露出した磯から侵入してやっと鎌倉を攻略できた。

ここを歩いていたら、鎌倉文化らしい路地の壁面に掘られた地蔵菩薩様がいらっしゃったので、鎌倉を旅する人達と地域の方々の安全と御地蔵様御自身が末永く存続する様に御祈り申し上げて来た。
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御地蔵様の周りの壁面の形状を見るに、元々は矢倉に掘られていたのが、矢倉部分が崩壊して露出したのだと推察出来る。

そして、いよいよ臨済宗鎌倉五山第一位の建長寺へ…
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ここは桁違いの規模を現在でも維持していて、だいぶん減少したものの塔頭寺院もいくつか現存している。
又、明治時代以前の神仏習合の文化も維持していて、境内の奥院と言う場所には神仏習合山岳信仰の象徴である天狗様を祀る半蔵坊と言う寺の名前の神社が有る。
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総門をくぐると・・・
更に中には立派な門。

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京都の大寺院の南禅寺よりも大きい門。
南禅寺は立派な御堂が現存しているから甲乙つけがたい。
規模は京都の同じ臨済宗の大徳寺にも勝るとも劣らないが、鎌倉は度々戦火に捲き込まれているので大徳寺の方が塔頭寺院は多く現存している。
詳しい事は、いずれ建長寺様だけの記事を改めて書くとして、見所としては徳川秀忠公の奉献された金ピカの唐門なんかも有る。
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奥のやつね。

半蔵坊へ移動。
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半蔵坊は建長寺オリジナル御朱印帳を持つ人だけが入れる。
参道は少し歩く。
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正に神仏を共に大切にされた歴代天皇と武士達の価値観を大切に受け継がれいる証拠。
御寺の守護神として神社がある。
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そして山岳信仰の天狗様。
こちらからは、晴れていると相模湾が一望出来る。
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生憎の曇天で相模湾と曇り空が一体化してしまった(笑)。

その後、建長寺様の参拝を終えて、昨晩から宿泊している葉山の海辺に在る「大海荘」さんへ移動。

で、記事冒頭の長者ヶ崎に戻る。
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昨日は曇天だが、なんとか富士山が見えた。
良い一日でした。

さぁ、チェックアウトだ…
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久しぶりに食べた朝ごはんも美味しかった!
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長者ヶ崎も朝から散歩出来て、朝風呂にラドン温泉にも入れたし満足!
さてさて…もうすぐチェックアウトの時間。

今日は何をしようかな?
生憎雨天、鎌倉の紫陽花は満開の来週に長谷寺を再訪するとして…
…三浦も雨では佐島マリーナの「海辺」と言うレストランに行こうと思ったが、それも変更。
やはり鎌倉に行くか!
う~ん、三崎漁港に行こうか?作兵衛の菖蒲園も見頃だろうし。

そんな休日雑記でした。


前回、前編で油壷マリンパーク一帯が戦国時代初期に日本史上最長期間の約4年間の籠城戦の舞台に成った新井城址だったと紹介しました。
※前回の新井城址の記事「ココ」←クリック!
その時に少し触れましたが、この新井城址でもある、現在の油壷マリンパーク周辺は若い人は知る人も少なくなりましたが、昭和の初期~バブル期頃、ヨット遊びをする富裕層にヨットハーバーとして人気だった場所でもあり、そして風光明媚な場所として明治時代から有名な観光地でもありました。
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その景色は❝かながわの景勝50選❞の一つに選ばれています。
小生の景勝地カテゴリーの他の記事にも、いくつかかながわの景勝地50選に選ばれている所もあるので、綺麗な風景に興味の有る人は見てみて下さい。
油壷マリンパークの手前に、この油壷湾に降りる遊歩道の入口が在(あ)ります。
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ちょっと解り難い、この場所が遊歩道の入口です。
ごちゃごちゃ民宿の看板が有る場所を目標にして下さい。
ここを歩いて行くと、新井城の解説や油壷の説明の看板が所々に有るので、それを見ると、この地域の事が少し解って良い散策に成ります。
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こんな感じ。
で、さっきの神奈川の景勝50選の石碑の場所は、エメラルドグリーンに光る油壷湾の入江地形を観察できる場所でもあります。
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ここの地形は変わっていて、三浦半島の西の端っこに、更に小さい半島が3つ分岐して並んでる珍しい場所なんですね。その3つの半島が更に小さい半島に分かれています。
新井城周辺 久良岐のよし
義務教育で習うリアス式海岸と言う地形です。
この半島の御蔭で入江が形成されており、波が穏やかなのでヨットハーバーとして人気な観光地だった訳です。
石原裕次郎さんや加山雄三さんが若い頃に、逗子マリーナや葉山マリーナや、この油壷ヨットハーバーに船で遊びに来ていたらしいです。
世代が違うので、聞いた話ですが。
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因みに、油壷マリンパークは現在も若いカップルに人気の水族館でイルカのショーを関東でもいち早く行った場所でして、皇族の秋篠宮殿下と御妃に成られた紀子様が若かりし頃にデートをされた場所でもあります。
因みに、当時、お二人が召し上がったのがカツカレーと聞いて「庶民的だなぁ~」と子供ながらに思いました。

さて、今回はメインは油壷の風景なので、マリンパークや港の話題はここまでにして、遊歩道と海岸の風景写真を紹介していきます。
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油壷周辺の散策路については、上の写真の看板がマリンパーク手前200m位の所にあるバス停留所に有るので、写メ撮って参考にして見て下さい。
無論、この画像を拡大して見ても良いと思いますが不鮮明でしょう?
油壷は、バブルが弾けて以降、大分と過疎ってますのでバスの運行数も少ないので先にチェックして置いて下さい。
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本当に少ないです。
駐車場はマリンパークの前にも有りますし、この停留所は平日は確か駐車無料かな?
小生はこのバス停前の駐車場を利用しました。
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で、遊歩道の先程の場所に話を戻します。
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ここは、明治の文豪にも愛された景勝地だったので、歌碑が立っていたりします。
そして、小田原に居住していた北原白秋が、この三浦も愛して三崎町に住していた時代も有り三崎町から程近い、この油壷を好んで散策に来たそうです。
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まぁ、本当に海岸を歩くと綺麗ですからね。
この歌碑を過ぎ遊歩道をズンズン歩いて行きますと…
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この分かれ道に出ます。
この道を右に降りて下さい。
そうすると…
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この砂浜に出ます。
この砂浜は両脇が岩礁の磯でして、その風景も又綺麗です。
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この磯が関東大震災で隆起した、明治時代には海底だった場所ですね。
この磯の横には、何かホテルっぽい建物も有りましたが営業はしていませんでした。
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冬だったので、夏に行けば何か有るのかも知れませんね。
その建物の手前には、遊歩道入口に書いて有ったBBQ施設か海の家と思しき建物も有ります。
多分、ここは若い人にはマイナーな砂浜なので、海水浴シーズンもゴチャゴチャせずゆっくりできるんじゃないかと思います。
砂浜の反対側を見ると、素敵な民宿が在ります。
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この民宿、ロケーション最高なので彼女彼氏とデートで宿泊に来ても、小さな子供連れの家族で来ても、海水浴シーズンには良い休日を過ごせそうですね。
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少し不便な場所に在るけれど、外観は本当に素敵でした。
多分、料理も三浦の地魚を出してくれるんじゃないでしょうか?
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手前の海の家みたいな場所は、冬も営業しているようですが、何か人がいませんでした。
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でもメニューは置いてあった。
今度行ってみよう。
この砂浜を降りてきた方向と反対に行くと、又、上に上がる道に出ます。
で、さっきのマリンパークの入口の横に出て来ます。
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上に上がらなくても、そのまま海岸を通っても遊歩道を真っすぐ行けばマリンパークの入口に行けます。
この入口を真っすぐスルーして行くと、反対側の海岸から登って来る遊歩道にブチ当たります。
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その遊歩道の入口の近くには、この新井城址の石碑と、三浦荒次郎義意(よしもと)公の顕彰碑が建っています。遊歩道を歩いていても、この石碑には辿り着けないので、写真を撮りたい人はマリンパークの駐車場の辺り、マリンパーク正門の右の方を探してみて下さい。
この三浦義意公は、落城寸前で敗戦が決定した最後の突撃の際、長く太い棍棒に鉄板と突起を張り付けた金棒を振り回し、北条方の敵兵300人を殴り殺したり海に突き落として討ち取った猛者でした。
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反対側の海岸へは、さっきの海辺を歩いても回ってこれますが、マリンパークの前を突っ切っても辿りつけます。
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こちら側は、うっそうとした三浦半島の植生を観察できます。
そこから回ると、三浦道寸公の御廟所も在ります。
ここはとくかく風景が綺麗なので、マリンパークだけ見て帰るなんて勿体ない事しないで、もし、油壷に来る機会が有れば是非!海辺も散歩して見て下さいねぇ~♪

ではでは!
又、次のブログ記事で!





早速ですが、横浜市中区の元原財閥私邸を公開している、桜と紅葉の名所、横浜三渓園の桜の夜間ライトアップが3月26日~4月3日の期間行われています。
横浜三渓園は❝神奈川の景勝地50選❞の一つにも選ばれている風光明媚な名園です。
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横浜三渓園のアクセス等に関しては最後に公式ホームページのリンクと一緒に掲載します。
昨日2016年03月30日現在の上京は、各樹の株によって全く開花状況は異なりは3~7分咲き程度とばらつきが有りますが既に添付写真の様に十分綺麗でした。

横浜三渓園その物については以前に紹介記事も書いていますが、明治時代に成り仏教が弾圧されたり伊勢系統の神様では無い神仏習合の天神様(菅原道真公)や御稲荷さんが粗末に扱われた時代に、それらの多くの文化財建築の寺院や御社群を、当時の原財閥の当主だった原三渓サンが自宅(広大な現在の三渓園は元は原家の私邸)の敷地に引き取り保護したので、この園内には恐ろしい程貴重な日本建築遺産群、宗教遺産群が現存しています。
中でも圧巻なのが聖武天皇の勅願所だった京都灯明寺廃寺の旧本堂や三重塔、それと後醍醐天皇の皇女用堂尼様や豊臣秀頼公の御息女の天秀尼様が住職を務められた鎌倉の縁切り寺こと尼寺の東慶寺旧仏殿です。
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写真は昨日撮影した桜と一緒に照らし出される旧灯明寺三重塔

綺麗でしょ?
他にも豊臣秀吉や徳川家康公が居城した京都伏見の旧伏見城の茶室やら…
織田信長公の御実弟で茶人として有名でもあり、東京の有楽町の地名の由来に成った織田有楽斎が建てた茶室、紀州徳川家の紀ノ川河畔に在った別荘も三渓園に保護され現存しています。
三渓園の歴史なんかに御興味有る方は、以下のリンクから過去に書いた解説記事を御覧下さい。
三渓園の紅葉と重要文化財群…原財閥の邸宅公園。…横濱市中区
2014年12月04日 今年の三渓園の紅葉写真。
2015/04/04(土)三渓園の桜、散らずに満開です!

三渓園は桜そのものも綺麗なので、是非!横浜に来られる機会が有れば皆さん見にいらして下さい!
無論、市民も。
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週末には更に綺麗にピンクに色着いた桜が池に映りこんで、神秘的な風景になりますよ~♪
今だけ、池のほとりの茶屋で期間限定の❝桜餡の御団子❞も食べれます。
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美味しですよ♪
因(ちな)みに小生が昨日食べたのは、左から大根おろし・海苔醤油・桜餡
池の横の茶屋では❝三景椀❞と言う、❝三種類の味が楽しめる手打ち蕎麦❞も提供していて、これが又、絶品です。
又、奥の旧灯明寺本堂の方に在る❝待春軒❞と言う茶屋は、目の前が桜の林で、外の席で桜を見ながら御茶菓子と抹茶を頂く事も出来ます。
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今はまだ、葉桜も目立つけれど、きっと週末にはきれいです。
小生、又、週末に写真撮影に行きます。
皆さんも、昼遅めに行って文化財建築群を観覧し、陽が落ちるまで茶屋で御団子食べて、夕方から夜桜を楽しんでみませんか?
ただし!
毎年いるのですが、垣根で進入禁止と解る芝生にレジャーシート敷いて酒盛りするような日本の恥晒しなDQNは来るな。
てか帰れ!

以下、公式ホームページリンクと交通アクセスと連絡先
【電車】
JR根岸線、みなと未来線、横浜市営地下鉄の根岸駅・元町中華街駅からバス。
三渓園様公式拝借 アクセス電車 久良岐のよし
【車】
駐車場は有りますが、夜間ライトアップ開催中は1時間以上普通に待つので、入る前に閉園してしまう恐れが有ります。電車とバス移動が無難です。
三渓園様公式拝借 アクセス 久良岐のよし
【横浜 三渓園】←ここクリックで公式にリンク!


ではでは!皆さん、三渓園で御会いしましょう♪

友人と横浜市所縁の武士、鎌倉幕府初代侍所別当の和田義盛公の偉業に思いを馳せ、所縁の御寺を尋ねた…
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三浦半島の佐島港近く長坂と言う土地の金剛山無量寺と言う御寺。
御住職は柔らかく、丸で福の神様の様な暖かい御優しい方でした(笑)。
そして偶然、横浜の間宮家の殿様の御一門と関係の有る御寺でもありました。
全てこれは偶然であり、偶然では計り知れない偶然を越えた御導きに感謝を感じる訪問でした。
その事は、又、後日書きます。
和田義盛公、間宮信高公、そして三浦で里見の海賊を撃退玉砕された室町期の間宮信次公…
本日はありがとうございました。
又、御1人、素晴らしい和尚様との御縁を結ばせて頂けた事も御礼申し上げます。

その後、佐島マリーナの隣り、笠島マリーナで「海辺」と言う海に張り出したウッドデッキに並べられたテーブル席で食事をする"と〜っても!"ロケーションが素敵で凄く美味しい海鮮和食のレストランを見つけましたよ!
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金目鯛の煮付けと、御造り、味とロケーション満足な定食3000円は安いわ〜。
その後、佐島に在るの天神島臨海自然教育園を散歩し海で真冬に水遊び…3○歳の小生血迷う。
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クソ寒い。

寒くなったので佐島地区の丘の上の大亀三社と書かれた石碑の有る神社を御参り…
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石段とは程遠い「崖のソレ」に近い参道…
でも!
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この神様は、きっとココから、この笠島や佐島の漁村の営みを何百年、場合によっては千数百年間も見守って下さっていたんだろうな…。

今日は最後に友人を連れ秋谷海岸に移動し景勝地立石で散歩。
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その後、今日の〆にレストランDONにて御紅茶と「魅惑の昼下がり」と言う名のデザートを頂いて帰路につきました…
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このレストランもロケーションは最高だし料理も最高に美味しいのだが、デザートの名前がどれも客を笑わせようと狙い過ぎ(笑)。
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帰りしな家電量販店に予約していた映画「駆け込み女と駆け出し男」のDVDを受け取った。
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※「映画:駆け込み女と駆け出し男」と「東慶寺」については、以前記事にして紹介したので御興味有る方は以下のリンクから御覧下さい。
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今は自宅にて、その映画を観ながら、この雑記を書く…

ブログネタ
旬なニュース#02 に参加中!
三浦半島の風光明媚な「秋谷海岸」の風景を前回の記事で紹介しました。
※前回の記事リンクは「ココ 」←クリック!

記事の中で触れましたが、その秋谷海岸にはFM-YOKOHAMAとかローカル雑誌とかでも紹介されるイタリア料理の「DON」と言う名前の名店が有りまして…
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料理が美味しいだけでなく、本当、海に面した風景も雰囲気も素敵なレストランでした!

「でした」…と表現したのは、実は小生、ここに10年前に偶然ドライブに来て、この風景の綺麗さを知り…
更に5年位前から1年に1回位、海岸を散歩にドライブに来るように成っていたのですが…

5年間、気に成りながらも満席だったり、タイミング合わなくて営業日じゃなかったり、小生、入りたくて入れなかった「片思いのレストラン」だったんです(笑)。
最初の1回目の入店だったので「素敵なレストランでした!」と体験を強調してみた次第です。

先週の土曜日、とうとう入る機会に恵まれた訳ですが…
先ず、本当に御店の雰囲気がとても良いんですよ!
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※周辺の風景も素敵なので、それは前回の記事を読んで下さい。
御店の1F席はテラスが有り、予約無く空席有ればテラス席で食事も出来ます。
この日は生憎、テラス席は空きが有りませんでした。
が!
17時前、アイドルタイムをずらして行ったら意外や意外、すんなり入れました。
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午後、1FはBarとして営業しているようで、2Fに通されました。
だから1Fの写真もゆっくりとらせて頂けましたが…
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本当、なんか地中海の御店ってこんな感じなんだろうね~!
…と、そんな雰囲気を醸し出している温かみと落ち着きを感じるクラシカルな店内でした。

この日は眺めの良い窓側の2F席に通されました。
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目の前に神奈川の景勝50選に選ばれた秋谷海岸の立石の岩礁が…感動。
そしてドリンクが来る時には海上にかかっていたガスが晴れて、富士山も見えました!
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本当!綺麗な風景でしょう♫
この風景で食事する事が出来る事で既に幸せ…
ドリンクと海の風景のマッチングがオッサンの心もフワフワと楽しくさせてくれます(笑)。
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※ちなみにノンアルコールです…
電車の無い地域な上に唯一の公営駐車場も20時で閉鎖され入出庫出来なくなるので、付近に宿泊しない方は飲酒するならバスの時間は気を付けて事前に調べて下さい。

この日は前菜にタコのカルパッチョ
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逗子のシラスのなんか(笑)
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湘南で生産した豚のパテのなんちゃら(笑)…すいません、横文字の名前忘れました。
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あと同じくバケットの前菜ですが、マグロを使った料理。
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どの前菜も凄く美味しかったのですが、きっと皆さんが写真見て想像している味と違いますよ!
小生も全ての料理が、料理を見て想像した味を良い意味で裏切られ、しかも全てが魚介や肉の香りの良い部分だけを残しながら優しさとアクセントを両立させた、期待以上の美味しさを感じさせて貰える逸品でした。

小生は、スープにフレンチスタイルのオニオンスープを注文したのですが…
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すいません、写真撮るより食欲が上回り、既にスプーン突っ込んだ後で少々ビジュアルが悪く成ってますが、このオニオンスープも想像する所謂(いわゆる)オニオンスープと違い、自分の知ってるオニオンスープより美味しく、かつ優しぃ~い味で、食べながらほのぼのとした気分にさせて頂けました。

小生はメインに渡り蟹のクリームパスタを選びました。
同行者は地産のシメジのピザを注文してシェアしました。
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すいません、これも余りの美味しい料理達に食欲が勝り、写真撮る前にまたもや更に取り分けてしまったので少々見栄えが崩れてしまってますが…そんだけ香りから良かったんです!
こちらは思っているより最初にトマトの香りが来て、後から渡り蟹の優しい風味とコクが口の中に広がる、思ったのより爽やかさが有り食べ進めても絶対に飽きの来ない、1人で1皿完食待った無し(笑)!…の一品でした。

このDONさん、料理はリーズナブルなのに店員さんの接客も、ちゃんとしたホテルのレストランと同等以上のサービスをして頂けました。
そして…
デザートメニューにはユーモアたっぷりのサブタイトルが(笑)。
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他にも「究極のダンディズム」とか、何だかユーモラスな名前のデザートが沢山有りました。

小生は、友人に構わず「冷たい関係」と言う、カップルが喧嘩の原因に成りそうなタイトルのデザートを選びました(笑)。
しかし実際に来た「冷たい関係」は…
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可愛らしく、とてもじゃないが「冷たい関係」なんかに成り様が無い、メルヘンなデザートでした(笑)。
これ、喧嘩中の夫婦とか絶対に注文出来ないタイトルですね。
あと「アバンチュール」とか言うのとか「熱き想い」とか…
友人同士でも異性と行ったら、相手が自意識過剰な場合、モメ事やなんかに成りそうな実に「面白そう(笑)」なサブタイトルのついたデザートが有りました。

素敵なレストランでしょう?
小生、この間行ったばかりですが又、近々休日に行ってみたいと思います。
因(ちな)みに今日は、金沢区に在る日本の初代首相、伊藤博文公の別宅にボぉ~っと考え事をしに行って抹茶と和菓子を頂いてました。
また、そちらも良い息抜きの場に成るので、ブログで紹介します。
そこは大日本帝国憲法の草案をまとめた場所なので、子供の良い夏休みの自由研究のテーマにもなるでしょう…

では!又!次の記事で御会いしましょう!









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