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タグ:神奈川の景勝50選

前回の休日雑記と同じ展開・・・

土曜日早朝、寝ていたら先週に引き続き又も姪っ子に奇襲された。
ガチャガチャガチャ!ガラガラっ!
「お~じチャ~ン!」

今回は何の事前情報も約束も無く母の手引きに因(よ)る姪の奇襲だった。
攻城戦において力攻めをする場合、門の守将を寝返らせて兵を城内に誘引させるのが常套手段なのだが、そもそも小生の家族は何故か皆小生の部屋の鍵を開ける事が出来る。
根(寝)城としても最早機能してると言えるのか解らない幼児が容易に大手門から攻め込める小生の家(笑)。

姪は土曜日午前中は英会話で午後はいつも書道があるのだが午後の書道が休みだそうで、勝手に義妹(弟妻君)と母と姪の3人が小生が土曜日休みなのを良い事に小生に事前相談も無く姪をランチ外食に連れて行かせようと決めていたらしい。
・・・裸で寝ず又、服着て寝てて良かった(笑)。

成人の日の妹と言い、義妹と言い、母と言い、姪も含めて我家の女性陣は小生の予定を無視すると言う迷惑甚だしい技を去年後半から使う様に成ってしまった。
まぁ~、懐(なつ)いてくれる姪が可愛く思うので良いかな(´▽`*)?

でも次に彼女出来たら引っ越して絶対に鍵はやらんからな!

さて、土曜日、当初の予定では前日に天候不順で行けなかった曽我梅林~小田原城天主閣✖センゴク権兵衛のコラボ企画見物~豊臣家の石垣山一夜城再訪~湯河原梅林の夜間ライトアップと見て廻る予定だったのだが、姪の奇襲により脆(もろ)くも、その野望は打ち砕かれる事に成った。
午前中は姪っ子の英会話送り迎えで拘束される事に成ってしまったからだ。しかも姪が英会話やってる10時位~12時迄は小生は“放ったらかし”にされる理不尽!
仕方ないので市内で1~2時間で廻れる観梅の名所に行く事にした。
弟の所の姪は本牧半島の何処かにある英会話教室に通っているので、素早く戻ってこれる範囲となると中区~南区~磯子区~港南区の狭い範囲に限定されてしまう。もうそうすると行ける場所は数少なくて根岸森林公園の梅林、三渓園の梅林、岡村梅林の3箇所しか行ける場所が無い。
実は三渓園は、この前日の03月01日に大船フラワーセンターと合わせて行っていたので後の選択肢は森林公園と岡村公園しかない。三渓園と大船フラワーセンターの梅園は日を前後するが又別に休日雑記に書こうと思う。
そして森林公園1箇所だと流石(さすが)に2時間も時間を潰(つぶ)せないので、今回は久しぶりに“ゆず”の町の岡村町散歩も含めて岡村梅林を見物に行く事にした。
“ゆずの町”散歩をするならJR磯子駅か京急と市営地下鉄の上大岡駅から徒歩20~30分位歩いて来るかバス、もしくは車での移動が選択肢なのだが、小生は車なので先ず岡村公園の駐車場に車を停めた。
岡村公園
岡村公園
ここの広大な公園敷地は元々は鎌倉時代の名将の三浦一族の平子有長公が開いた岡村天満宮と、戦国時代の名将の北条綱成公の開いた龍珠院と言う御寺の境内地だったが第二次世界大戦後に米軍基地として接収されて、その後、何故か神社と御寺ではなく横浜市に土地が返還されてしまい公園として整備されたので駐車場は十分広く駐車料金も安い。
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なので野球場も有ったりする。
この野球場の横の坂道を下って行くと、ここが岡村天満宮の旧参道だった名残が今も有って石の大鳥居が公園の坂道の入口に成っている。
この坂を下り始めると“ゆずファンの聖地”が沢山有って、歌の歌詞にも登場した場所だらけ。
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先ずこの坂道を含めた岡村天満宮~岡村公園の丘が“岡村ブギウギ”の歌詞に成っている場所。
その坂の下の大鳥居の裏側を観察して見る。
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昭和十二年十月建之とあり戦前に建てられているので岡村天満宮の旧境内地がここまで来ていた事が良く解る。
寄贈者の姓が気に成る。次の記事で書く戦国時代の北条家の重臣の一人で横浜~川崎に所領を持つ殿様でもある中田加賀守と同じ中田姓だ。1560年頃までは中田加賀守は港北区日吉に矢上城~川崎市高津区井田に井田城等の城を構え他にも保土ヶ谷区の川島町の地名の残る一帯を支配していた。戸塚区に中田の地名が残るので室町時代中頃か安土桃山時代に中田氏は川崎市西部~横浜市北部~鎌倉市東部の代官を務めた可能性が高いと言うのが小生や菩提寺の御住職や慶應大学で論文を書いている盛本先生等実際に地元を廻っている人間の共通意見だったりするが詳しい文物が既に失われていて状況証拠しかない。
しかし岡村町の岡村天満宮に中田姓の人物が石鳥居を奉納しているのは何ら不思議では無い。
実は岡村町の隣接地区の蒔田町は、室町時代に征夷大将軍の関東に於(お)ける代理を務める鎌倉公方の更に代理を務めた吉良頼康公の居城の蒔田城が存在した。
江戸時代に東京大学の前身と成った昌平坂学問所の地誌編纂部門で出世して頭取と成った間宮士信(ことのぶ)と言う学者が「中田加賀守は蒔田吉良家与力だった」と言う主旨の事を書いていたりするので、1560年代の前か後かは解らないが中田一族が岡村町近郷に所領を得て土着し昭和初期に単独で石の大鳥居を寄贈できる経済力を維持したまま一般人として生活していたと考えると経済力的にも全く不思議では無いし歴史的な状況から整合性も高い訳だ。
室町時代初期に岡村町は吉良家の領地だったのだが、北条綱成公の与力武将の行方(なめかた)家が岡村町を吉良家から買い取っている。恐らく、その後の安土桃山時代に更に中田加賀守の所属した小机衆が再編され中田家は江戸衆となり蒔田吉良家与力に再編され蒔田城付近に所領を与えられたが北条家が滅亡して戦国時代が終焉を迎え江戸幕府が開かると岡村近郷に土着した一族もいたのかも知れない。
詳しい住所は言わないが中田家の本家は今は川島町辺りに住んでいる。
中田加賀守の事は今晩、また菩提寺の紹介記事を書くので其処で紹介したい。
小机城と井田城紹介の過去記事でも触れているので、もし御城や戦国武将に御興味有る方は以下の記事タイトルをクリックして当該記事を読んで頂きたい。

クリックで記事にリンク⤵
川崎市の井田城は小田原北条家の吏僚中田加賀守の城?
 ・・・川崎市高津区蟹ヶ谷~中原区井田。

❝続日本百名城❞の1つ小机城
 城主北条幻庵公と城代笠原信為公が率いた北条家白備え隊後の小机衆の拠点。

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そして、この旧参道の石製の大鳥居を正面から見て左手に“ゆずの聖地”がもう一つ在る。
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モンマルト
モンマルトと言う洋菓子店で交通の便が悪い岡村町に在っても磯子区では元々美味しいスウィーツ店として名が通っていたのだが、“ゆず”の二人が通っていたり北川悠仁君(以下北川君と呼称)のお姉ちゃんが美人で良く買いに来ていたのが有名だったりするんだな。
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正面には恐らく昔は農家だった立派な家が在る。
モンマルトは遠方からも“ゆずファン”が来るのでオーナーパティシエの御店主はとても親切で店内の写真撮影も快(こころよ)く許可して下さった。
・・・何回か来てたのに未(いま)だに写真撮影して無かったからね。
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春らしい装飾が少しされていた。繰り返すが許可貰って写真バシャバシャ撮影してるからね~。
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ゆず来訪時の写真も幾つか有る。
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最近は岡村隆史も一緒に来たらしい。
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美人なお姉ちゃんのエピソードも話題に成ったらしい(笑)。CIMG8268
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ケーキはどれも美味しそうなんだけれど今更ながら御店主に「二人の好物って有るんでしょうか?」と聞いて見たら快く教えて下さった。
大将曰く・・・
「ゆうじん(北川君)はいつもクレープ食べるよ~、こうチャン(岩沢君)はソッチのモンブランが好きだよ~」
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岩沢厚治君(以下岩沢君)が好きなモンブラン。
いつもコレを食べるそうだ。てかモ“ソ”ブランに見える(笑)。
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北川君が好きなクレープ。丸めて有るから素手でも食べれるね~。
で、ゆずファンとしては❝両方食べる❞と言う選択肢一択しかない(笑)ので去年27kgダイエットしたのに現在8kgリバウンド中なのだが“ゆず愛(笑)”から両方購入した。
で御店主に「食べて行く?」と聞かれたので「え?店内で食べていいんですか?」と聞き返してしまった。この御店、テーブルが無くて店内にベンチだけあるのだけど、ゆずファンと言うキーワードを発すると御店主の脳内で❝ゆずファン=遠方からの来客❞と認識が有るようなので一応質問するそうだ。
・・・そう言えば今迄ゆずファンって言う機会無かったな。
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トレーに乗せて提供して下さった。
モンブランは齧(かじ)りついた断面が汚くて、とてもじゃないけど写真を御見せ出来ないけど大粒の栗のグラッセが丸々1つ入っていてケーキの底はクッキー生地に成っており、ファンが来ても手で持って食べれる形状に配慮されて作られていた。味も甘過ぎず大人向きでとても美味しい。
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クレープは変な表現だが苺大福の洋菓子バージョンと言った感じ。こちらも甘さ控えめで美味しい!そして持ち易い(笑)。
御店主に「御馳走様でした~美味しかったです~」と挨拶してトレーを返却したら何とプレゼントを下さった!
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20周年記念の絵ハガキ。

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2枚も下さった!2人分食べたからだろうか(笑)?
御店主ありがとうございました~♪思えばこれが朝御飯だったな。
モンマルトを後にして2年振りに岡村天満宮に移動した。

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大鳥居の坂道を登って行くと左手の途中に今の参道の入口が在る。
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とっても❝神社らしい雰囲気❞の有る赤が基調の神社で、北野天満宮の御分霊と言うより雰囲気は稲荷神社ぽい。
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御花がそこかしこに植えて有るのは多分、境内に保育園が有るからかな?
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料理業組合からも崇敬されている様だが経緯は聞いてないから知らない。
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参道の階段を登りきると天満宮らしい梅が見えて来るが、ここは現代の岡村梅林とは又別。
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この横浜市教育委員会の解説は考察が不親切で、もう少し詳しい事を言うと時期的に岡村天満宮を開いた武将は源頼朝公の随兵=近衛兵を務めた平子有長公だろう。曽我兄弟の敵討ちと言う、源頼朝公暗殺未遂事件で犯人の曽我兄弟と最初に抜刀して切り合い逮捕して源頼朝公を暗殺の危機から救った武勇に優れた武将だった。
そこら辺りは以前、岡村天満宮の紹介記事で書いているので、それを読んで貰うと良いかと思う。
ゆずの地元の岡村天満宮の殿様の平子有長公…源頼朝公の忠臣。
 …横浜市磯子区岡村町

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階段上って現在の境内の削平地に出る社殿が見えて来て何やら賑やかな音楽と女性の声が聞こえて来た。
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丁度、園児達が先生と境内でダンスの練習をしていたんだね。
神様に見守られ、春の日差しと梅の花の下で女性の先生達と子供達が踊りの練習をする姿は何ともホッコリして微笑ましかった。

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階段上って左手の稲荷社に先ず御参り。
ここが周辺から商売の神様として御利益で有名だった稲荷社。だから料理業組合もここを崇敬していたのだと思うけど未確認。
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その手前に牛サン。皆に触られてツルっツルで気持ち良い♪
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境内は紅梅が凄く神社の雰囲気に合ってとても綺麗♪
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園児か先生が育ててるのかな?花壇も有る。
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う~ん、子供達と同じく元気に咲いてくれていて何だか見ていて嬉しくなる。
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本殿前で参拝して気が付いたんだけど・・・
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拝殿の扉のガラスが陽光で鏡みたいに成って踊りを一生懸命に練習する園児と女性の先生と梅が映り込んでいる。
本殿から見た神様の視点でこの風景が見えてるんだね~。岡村天満宮、菅原道真公と平子有長公の二人が温かく園児達が健やかに梅と一緒に育つのを見守ってくれている神社みたいに感じたので拝殿に移った境内の風景も写真に撮影して見た。
そう言えば何回か参拝に来たり歴史調べているのに、ここで御朱印頂いた事も無いし御守りも買ってなかったと思い社務所で御朱印と御守りを受領して来た。
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御朱印。それと・・・
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ゆずの町らしい“ゆずの幸せ守り”。ゆずの匂いがする匂い袋に成っているらしいのだけど花粉症で鼻詰まってる小生には何にも感じない(笑)。
まだ我が春は遠いのか?花粉症が治った頃に新しい彼女が出来たりして(笑)?
参道を降りて岡村梅林に移動しようとするとコレが目に入った。
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元々、ゆずの二人は伊勢佐木町に在った松坂屋の前で路上ライブをしてデビューの切っ掛けを掴んだのだが、その事から松坂屋が閉店するまで二人が活動していた証(あか)しとして松坂屋前に作られていた二人のライブ当時をモザイク画にした壁があった。しかし松坂屋が閉店したので、ゆず所縁(ゆかり)の岡村天満宮サンに引き取られて現在も保存展示されているんだな。
ゆずを満喫して、もう一箇所、岡村公園周辺でこの日のメインの岡村梅林に向け移動開始。
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途中、野球場の隣の歩道にこの石畳があるのだが、実は岡村公園のある❝久良岐の丘❞は富士山のビュースポットとしても有名なんだな。ここから空がガスって無ければ富士山が綺麗に見える。
生憎と昨日2019年03月02日は午前中迄雨だったせいで地面から蒸発する水蒸気が濃くて富士山が見えなかった。
この時点で午後に行く曽我梅林も富士山が綺麗な場所だが富士山が見えないだろう事が判った。
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岡村梅林は丁度、満開でとても綺麗だった。数百本なので大規模な梅林では無いが、平安時代の頃から貴族や武士は桜では無くて梅を見て春を感じたそうだ。今もその風流な文化を身近に感じられるのは岡村天満宮の氏子サンと横浜を代表するプラント企業の日揮が一度米軍に伐採されて消滅した岡村梅林を復興して下さったからだな。
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この入口は鎌倉街道側に在る。
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枝垂れも白梅も紅梅も有り、ちょっと散歩するには丁度良い。今の時期に❝ゆず巡り❞をするなら是非岡村梅林もファンの方には散歩して頂きたい。
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うん!梅の花はやはり可愛い♪
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この日は小規模だが茶会も開かれていたのだが、生憎と姪を迎えに行く前にもう1箇所岡村町内で見て置きたい場所が有り時間的な余裕が無かったので、運営者の紳士の方や女性に御誘いを受けたが又の機会に参加させて頂く事にした。
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和むとても良い時間を、岡村天満宮と岡村梅林とモンマルトで過ごす事が出来た。
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又、来年も散歩に来たいな。
そこから駐車場に戻り、車に乗り同じ岡村町内だけど少し離れた笹堀地区の久良岐能舞台に移動した。
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ここの辺りには昔の彼女が住んでいた(笑)ので良く来ていたのだが、昔尼寺が有ったり、水子供養の墓地が有ったらしいのだが風土記を読んでもそれらしい事が書いて無くて良く解らない。
そして小生のハンドルネームの❝久良岐のよし❞の由来と成った旧久良岐郡の地名が残る数少ない場所の一つでもある。
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ここは薪能(たきぎのう)等も行われて、知る人ぞ知る文化的な場所なんだな。なんせ交通の便が悪いので余り知っている人は多くないが、拝観だけなら無料で出来るし❝元御寺❞の境内なので日本庭園の名残も有り落ち着いた時間を過ごす事が出来る。
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久良岐能舞台
まぁ、ここがどうやら尼寺の跡らしい事を昨日まで知らなかったんだけどね。
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元は御寺の境内地で池も有ったり裏手の元本堂跡と思われる削平地には水琴窟も有ったりするが、それが果たして御寺時代の遺物か能楽堂として再スタートしてからの再整備かは職員の人も存じ上げないそうだ。
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まぁこの灯籠は昭和後期の物なので現代の物だけど、良い雰囲気を演出する役目を大いに果たしてくれている。
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実は御寺がここだったらしい事を昨日、訪問して職員さんに色々と質問をしてから周辺の歴史の雑談をしていたら教えて貰えた。
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境内には可愛いヤマアジサイが咲いていた。
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綺麗だね~。小さな提灯みたい。
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能舞台の入口に人懐っこい茶虎の猫チャンがいて沢山モフらせてくれた。
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腹丸出し無警戒ありがとう(笑)
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ちなみにこの温かい飲み物は缶ジュース(笑)だが、中には茶室もあり茶会も開催される。
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緑に囲まれた外で御日様を浴びながら御弁当持参して食べる事も出来る。
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日本家屋の構造体の説明も少しづつ有ったり。
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敷地には人の暮らした名残りの井戸も残っていたりする。
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この入口から入り、もし利用者がいなければ職員さんに御願いすると中の能舞台を見学させて貰える。出来れば事前に電話すると良いと思う。
以前は彼女の家に遊びに来る時に外からだけ見た事も有るのだけど、中を見学させて貰った事が無かったので改めて訪問して見た。
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まぁ由来とか書いて有るけど元々は宮越賢治さんと言う資産家の個人が土地や建物を取得して横浜市に寄贈したんだな。
横浜市の豪商は原三渓サンといい皆文化的な上に公共の利益と福祉に寄与する崇高な志を持つ人が昔は多かった。ぽっと出の成金とは大違い。
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来訪者が少なく利用者もたまたまいなかったので特別に小生一人の為に見物に当たり解説をして頂けた。
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中から見る風景も又良いね。山深い御寺の雰囲気が有る。
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この能舞台は東京芸大が練習用に使用していた物を新調する際にここへ寄贈して下さったそうだ。
そして知らなかったのだが、どこも能舞台の絵は松が定番らしい。
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松は神や仏が降臨する場所と言う考えが有るそうで、その為に能舞台は全て舞の奉納の場所の意味も有り松の絵が描かれるそうだ。
因みにこの松の絵は有名な日本画家の❝平福百穂(ひらふくひゃくすい)❞氏の作画だそうで、いつ文化財指定を受けても可笑しくない価値が有るらしい。
そして結界として舞台の周りは白洲で境目が作られる。例え屋内でも。
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知らなかったな~。
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屋外を想定された物なのでちゃんと屋根が有り、屋根事家屋の中に移築されている。
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檜皮葺で由緒正しい神社と同じ屋根に成っている。
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そして聖なる場所なので必ず白足袋を着用しないと舞台に上がる事は許されないそうだ。
色々と聞いて見ないと知らない事が多い。
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欄間はシンプルな造りだけど、これはこれで良い。
で、資料も見せて下さった。
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能舞台、実は足音が響く構造が地下に有るそうだ。
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昔の人も音響効果を考えていたそうで、能舞台と言うのはどこも音の反響を良くする為に地下に甕(かめ)が埋められているそうで、久良岐能舞台も同じ構造体が有るそうだ。
これも知らなかった。
何でも詳しい人に話をしてみるもんだね、こんなに詳しく色入りと解説して頂けると思わなかった。
これだから教養や何かの経験に優れた人と話すのは楽しい♪
能舞台を見学した後は茶室も案内して頂けた。
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う~ん、茶室狭いけど小生は別に生活空間茶室位綺麗なら四畳半でも嫌じゃないかも・・・
無論、一軒家やマンションに住んでて他にキッチンや風呂が有り自分の部屋の割り当てならの話しね。
・・・そんで奥さんや彼女が10畳の部屋とかに住んでたら、それはそれで不満を感じるのかな(笑)?
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裏庭も散歩したけど、こちらの方がより御寺の跡らしい地形が解かった。
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一段高い削平地。
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谷戸に成っており典型的な寺院跡の地形。
恐らくは禅宗寺院で鎌倉時代末期~室町時代開基の寺院だったんじゃないだろうか?
寺の名前も知らないけど。谷戸地形に寺院を作りたがるのは鎌倉文化圏の武士と禅宗の臨済宗と曹洞宗に多い特徴。
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裏庭の梅の大樹が立派だった。
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ここまでちゃんと見て廻った事無かったからな。
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水琴窟もこの裏庭の削平地に在る。
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見学すればパンフレットも貰えて簡単な説明も有るので、もし❝ゆず観光❞して時間が余るなら上大岡駅から電車に乗って帰る人は徒歩で久良岐能舞台見学してから上大岡駅まで行くのも良いかも知れない。
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丁度、見終わった時間から20分後位が姪っ子の英語の終わる時間なので、姪と母を迎えに行った。
姪と母をピックアップしてから曽我梅林迄、東名高速道路を利用したが事故渋滞で2時間ちょいかかってしまった。
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でも現地についたら丁度見頃!
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紅梅も・・・

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枝垂れ梅も。
母が鍵を用水路に落として紛失すると言うハプニング以外は概ね楽しく見物出来た。
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姪っ子も幼いなりに楽しんでくれたようだ。
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ちっちゃな可愛いワンちゃんとも触れ合えたしね~。
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ここ曽我梅林は❝神奈川の景勝50選❞に選ばれた場所の一つでもある。
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曽我梅林
なので本来は晴天だととっても眺望が良く、広大な梅林の向こうに富士山が見える。
こんな感じ・・・
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昼の梅林と富士山・・・
曽我梅林 久良岐のよし撮影
夕刻の梅林と富士山。
上の2枚の写真は過去の写真。今年はタイミング悪く前日と当日朝まで雨天だったので水蒸気で富士山が見えなかった。
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でも、まぁ午後は晴天にも恵まれて人手も多く賑わっていた。この時点で14:30位に成っていたが事故渋滞と母の鍵用水路で流す事件が発生したせいで、まだ昼食をとっていなかったので屋台と売店の食べ物を購入して昼食にした。
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全部粉物・・・帰宅したら午前中のケーキと水分と粉物で2kg体重が増えていた。
昨年79kgの体脂肪率15%の筋肉量60kgのバキバキ腹筋割れまで身体作ったのに、帰宅したら体重が87.5kgで体脂肪率も25%に成ってしまっていた(笑)。
・・・また、shape-up&Pump₋up始めます。2ヶ月で10㎏痩せる。
とりあえず今月中に5kgは脂肪だけ体重落したい。今日からジムで体組成測定再開して身体改造習慣報告記事を又書きたいと思う。

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まぁハプニングも有ったが梅も見れたので、小田原牧場のアイスを買いに移動した。
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小田原牧場アイス工房
ここのアイスがとても美味しくて、特に梅酒のアイスが御薦め!
最近は有名に成り土日はアイスだけ目的の車が来てしまうせいで、この時期の観梅客用の駐車場に停めようとする阿呆が続発して観光の妨げに成っていたりもする。
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まぁ~何とも言えないけどアイスは美味しい。
そして、この小田原牧場アイス工房側の曽我梅林駐車場から見る景色が綺麗なんだな。
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本来ならここから富士山が良く見える。
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御土産に曽我の梅干しを購入した。
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昔ながらの酸っぱい梅干しで小生の好物。はちみつ漬けは日持ちしないので梅干し本来の役割を果たしていないし、梅干しの本来の調味料としての役割でも使う事が出来ない。だから小生はオーソドックスな酸っぱい梅干しが好き。
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姪は屋台の食事が口に合わなかったらしく余り食べなかったので帰路、中井PAに寄って姪っ子に好きな物を選ばせて、下の姪っ子に車中食べる物と義弟夫婦への御土産を購入した。
ここは新鮮な野菜の直販もやっているので良い。
姪が買った物の写真は撮り忘れたが、まぁ喜んでくれたので良かった。
しかしここから又帰路、事故渋滞に巻き込まれて姪を弟の自宅に送り届けるまで2時間半位かかってしまった。着いた時には名はグッタリしていた。
御疲れ様!午前中の勉強と午後の勉強頑張ったね。

又、叔父ちゃんと遊んでくれると嬉しい。
でもあと10年もすると彼氏出来て遊んでくれないだろうね~(笑)。

今回の休日雑記はここまで。
今晩、中田加賀守の開いた2つの御寺のどちらかの記事を書きます~。












17日は休日だが上司と少し話をする為に職場の休憩室に差し入れ持参し上司と話を終えてから、他の同僚とダイエットの話とか同僚の旦那さんも小生と同じく花や海が好きだと言う趣味の雑談をしたりしてから三浦半島の観音崎海水浴場の第一駐車場に向かった。
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駐車場の目の前がもう海。レストハウスも有り観光にも便利。
観音崎は多々良浜と言う真っ白な砂浜側と、海水浴場の二つの海辺で違う顔を見せてくれる。

本当は座間市に50万本のヒマワリ畑を見物に行こうと思っていたが先日の台風で全滅してしまったと事前に観光協会へ問い合わせして解っていた。
なので、横須賀市観光協会に問い合わせして近場の観音崎灯台一帯の観音崎公園の花の広場でも数百本の向日葵がまだ見頃と情報を確認して見物に行く事にした。
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観音崎(かながわの景勝50選の一つ)

実は観音崎灯台や多々良浜にはたまにドライブ&散歩に来るのだが、今回初めて海水浴場と御花畑訪問だった。
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う~ん・・・パノラマだと逆に今一風景の綺麗さが解らないな。
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砂浜の中央に飛び出た突起は小生には一目で・・・
「あ~アレ、多分高射砲の台場の跡だ」
・・・と推測出来たので近くに行って見る事にした。
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・・・すると荷物運搬の鉄道軌道跡らしき並行した溝が2本有ったので、多分小生の推測は間違いないだろう。
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トンビも飛んでいるね。
この日は少し波が荒れていたかな?でも海水浴客それなりにいた。
空の青も綺麗だ!
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そこから横須賀美術館側に歩いて行く。するとウッドデッキが整備された少しオシャレな感じに様変わりした。こちら側にはシャワールームのある小屋も有り、BBQを楽しむ若者や家族等もいた。
小生の目的地である向日葵は横須賀美術館裏手の観音崎公園の中の❝花の広場❞に咲いている。
なのでテクテク歩く。この時すでに16時過ぎだったので初見の山の中で日没怖いしね。
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横須賀美術館

この綺麗な施設が横須賀美術館。
❝アクアマーレ❞と言うオシャレなイタリアンレストランも併設していて食事の為に来る人達もいる場所。いわゆる落ち着いたイイ感じの場所だな。
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その横の林道が観音崎公園もとい観音崎砲台史跡への入口の一つ。
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こちら側から回ると美術館に入らなくても屋上展望デッキに出る事が出来る。
う~ん、空の青がまぶしい。
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思いの他、海水浴場も目の前の横須賀市美術館も雰囲気が良く、そしてお盆過ぎ少し涼しい観音崎公園の森林の風も心地よかった。
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花の広場に到着すると向日葵達は咲いている斜面によってはちょっと暑さでクタってる子達もいたり、全体がこれから見頃の子達もいて、数百本とけして大規模ではないけれど、子供がいないマッチョオジサンに癒しの時間をくれた。
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この子達はこれから見頃だね~。
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う~ん、夏らしい太陽の光と向日葵達♪
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この広場、人は平日と言う事も有り少なかったが、きっと週末とも成ればボール遊びに来る親子連れとか多いんだろうな~。気持ちの良い芝生!
横浜シンボルタワーも芝生が綺麗な公園だったのに中国から緋アリが入って繁殖してしまったので寝転ぶのが危なくなってしまったが、横須賀は商業港じゃなくてコンテナ船も入らないのでそんな心配は不要そうだ♪
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向日葵以外にも赤い綺麗な御花達が咲いていた。
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相変わらず花を見るのが好きなのに花の名前を知らない小生(笑)。
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この日、1番の美人さんはこの向日葵サンかな?凄く真直ぐ元気に伸びていた。
小生も、この子みたいにシャンとして周りを明るい空気に出来るスキルが欲しいなぁ~。
問題解決能力が有っても、仕事以外で雰囲気を変えてあげれないといけない場面も有ると思うんだよね。そうすれば同僚達を和ませてあげられるのに、小生ときたら旅行と花と海と山と夕陽の景色と歴史と神社仏閣城址と格闘技とダイエットの話位しか話題が無くて・・・
まぁ、漫画最近読まないけど嫌いじゃないから勧められたら興味を持って読めるけども、普通の音楽とか全く興味が持てないし、自分を鍛えたりする運動以外のスポーツも❝無駄❞に感じて興味が持てないから解らないんだよ。
・・・これって普通の各世代に流行した物が好きな多数派の人達と絶望的に会話の接点が無いんだ。
向こうが綺麗な風景とか美味しい店とか聞いて来てくれたら教えてあげたり出来るんだけれどね~。
それってさ、ツーリングやドライブに行くくらい親密な友人関係じゃないと出ない会話でしょ。
最近の悩みにはそんな事も含まれるかな~。
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でもこの高く伸びて御日様をいっぱい浴びようと努力する向日葵達みたいに自分も頑張らないとね!
ありがとう~向日葵達、癒してくれて~♪
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花の広場の奥には簡易アスレチックも有って小さな子供を連れた親子が楽しそうに遊ぶ声が聞こえていた。羨ましいなぁ~。いつまでも家族みんなで健康にいて下さいね~!と祈って見る。
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向日葵を見終わって海水浴場の方に降りて来ると、房総半島と三浦半島の間に凄く大きなコンテナ船が航行しているのと、砂浜で楽しそうに遊ぶパパと女の子の風景が・・・
良いな~ほのぼのとして。
・・・お母さんはどこにいるんだろうか?テントで御日様から逃げて日焼け除けしてるのかな?
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この波がコンテナ船から発生した波なのかな~?とか思いながら綺麗な空と海の青の浜辺を散歩しながら駐車場に戻る。
当初の計画ではこの後、ネイビーバーガーを食べにドブ板通りに移動する予定だった。
しかし途中で走水神社に参拝して予定変更を思いついた。
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走水神社は小生が毎日心の中で御神霊に拝礼している日本武尊と弟橘姫の御夫妻神と、御家臣の大伴黒主久応公を祀る場所。そして走水神社の御祭神と日本武尊の防具の天磐楯命と武器の草薙剣命、天磐楯を祀った石楯尾神社一帯に住した古代の名将軍坂上石楯公の御神霊に走水神社で拝礼しいつも御加護御守護大願成就の御導き下さる事を御礼申し上げ、日本文化と自然を大切に思う日本人と親日外国人と走水神社の平安祈願をした。
そして車に戻ろうかなと石段を降りながら・・・
「そう言えば!時間的に丁度、走水神社前の地魚料理の名店❝味美食堂❞が開く時間だな。」
と思い出した。
昨年、親友のITと猿島クルージング&散策した際の観光ガイドさんの強い推薦を思い出して、まだチョコレートケーキ以外に何も食べて無かったし遅い夕方の昼食を食べて行く事にした。
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まだ店が開くまで30分程有ったので少し散歩した。左に見える島みたいのが日本武尊と弟橘姫夫婦神が御住いだった仮御所の在った御所ヵ崎。明治に神社が破壊されて砲台が建設されて現在では特別参観と観光案内を予約して以外で立ち入り禁止に成っている。
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ファミマで買ったコーヒー飲みながら走水漁港を少し散歩していると直ぐに味美食堂が開店する時間に成った。
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味美食堂

丁度、大将が暖簾をかけてオープン準備を始めた所だった。
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価格帯は1000円前後で食堂としては高くも安くもないと思う。普通の漁村の食堂だが、これが又田舎に来た感じがして良い。
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小生は鰺フライ定食と地タコの刺身を注文。
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鰺フライがホクホクとても美味しかった!
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タコはもう少し分厚いと嬉しいかな(笑)?
又、ITが出張に来た時や地元の友人を連れて来て食べさせてあげたいなと思った。

帰り道丁度夕暮れ時だったので「今日は“アソコ”から富士山と夕陽綺麗に見えるかな?」と思い・・・DSC_1223・・・日本武尊神話の御所ヵ崎の隣接する走水海岸の破崎展望台に立ち寄った。DSC_1224ドンピシャのタイミング!富士山と大山の真ん中に陽が沈む。この風景を日本武尊と弟橘媛の夫婦神は仲良く御所ヵ崎で毎夕暮れに見て過ごされていたんだろう・・・

富士山は神様の素戔嗚(すさのお)の妻の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)樣の化身。

ふむ、向日葵と潮風に癒され、神様に御礼も伝えて、お腹も満たされ良い休日に成った!


今日の休日雑記はここまで!
今晩、宅間上杉家の記事書けるかな?
今日は甥っ子姪っ子連れてポケモン映画を見て来ます。
まだ寝てないので今から1時間仮眠したら二人を目黒まで迎えに行かないと。
叔父ちゃん頑張るよ~♪

では、又次の記事で!


2018年07月11日・・・
新井城落城の日、尊敬する三浦義意公と御父上三浦道寸公の命日に三浦市油壷の新井城址の御廟所への献花と油壷の湾を挟んだ対岸の小網代に在る網代山海蔵寺に御参りに上がった。
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海蔵寺に向かう前にイナゲヤで仏花を購入、まぁ、仏花と言っても本当に仏花じゃなくて道寸公と義意公のイメージに合った切り花を購入した。
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そこから❝なこう❞と言う和菓子屋さんで海蔵寺様への御土産に道寸公にちなんだ❝道寸餅❞を購入して持参。
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網代山海蔵寺
※一般参詣不可(新興宗教信者による縁結びを謳った悪質な独身女性宗教勧誘団体の乱入が頻発した為)
※本来の仏教徒と神道の信者は納経可能。
三浦市三崎町小網代1508

訪問すると奥様が応対して下さり、暫くして御住職が準備を整えて今年も色々と御教授下さいました。そして三浦道寸公と義意公と三浦家北条家諸将の供養と三浦の産業発展を願う為の写経を行う台紙を3枚頂いた。
今年は御住職から金剛般若波羅蜜経を写経してみないか?と提案があったので御住職が抜粋された部分の手本と合わせて頂いた。
先に結論を言うと慣れない初見の御経の写経で3枚とも書き損じ失敗した(笑)!
そこから小生は海蔵寺の飛び地境内地である油壷マリンパーク駐車場周辺の立ち入りを許されているので、御住職に御廟所へ献花に行く旨お伝えして、海蔵寺を出発した。
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今年もやって来た油壷マリンパーク横の御廟。ここで蚊取り線香を滅茶クソ大量に焚いて蚊を追い払ってから(笑)少し高い御香を上げて、献花した。
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そこから少し海側に降りて道寸公にも献花。
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御廟所に行く途中には城址としての遺構と思われる食違い状の堀切と小さな曲輪と思われる、かつての裏門であろう場所が残っている。
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その先に道寸公の御廟所が有るが、ここも左右を裾切りされた細い断崖の先に見張り台の様な御廟所が存在しているので嘗(かつ)ての曲輪遺構だろうと思う。右手は竪堀に成っている。左手は胴網海岸と言い、ここで部下達を船で逃がし、自分は最後まで戦い果てたそうな。
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御廟を取り巻く様に右手側には土塁と思われる名残りが見て取れる。左手胴網海岸側には無いので撤去されたか当時から左手は城内側で右手竪堀が船着き場だったのかも知れない。
またまた蚊取線香だらけにして少し高い御香と花を御供えして、油壷荒井浜の縁結びと遭難した漁民を助けた強い御利益で有名な200年弱の歴史があるパワースポットの❝弁才天矢倉❞を目指して移動開始。
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荒井浜
推測だが三浦義澄公以来、代々の三浦家当主が❝荒次郎❞を名乗ったのは本来は荒(あらい)次郎と読み、元々は三浦義澄公が荒井(新井)城主だった事に由来するのかも知れない。
後に新井城と呼ばれるのは荒(あらい)と一文字では読めなかったので発音を明確にする為に荒井城とされ更に新井に転化したのだろう。今でも現地には三浦家子孫と思われる新井サンがいたりする。
油壷荒井浜は神奈川県内でも屈指の水質の良さを誇りフグが産卵に来る海岸としても知られている。
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オシャレな海の家も民宿も有る。だから知る人ぞ知る海水浴場ながら比較的裕福な階層の海水浴客が油壷湾にヨットで乗り付けて、ここに来てBBQを楽しんだりしている。
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弁天矢倉へ向かう途中、今年も綺麗な山百合が出迎えてくれた。
うん、健康的で可愛い!
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弁才天矢倉は満潮に成ると通れない磯の先の更に崖っぷちに有るのだが、ここも海蔵寺と同じく明治のエセ霊能者の書いた霊能本を元に独身女性の婚活意欲を利用した悪質な宗教勧誘する新興宗教カルトに迷惑な独身女性勧誘旅行コースにされている。
ソイツ等は歴史知識が欠如しており平安末期と室町時代の区別すら出来ず(笑)三浦義意公の奥方をモデルにした明治時代の架空歴史小説の架空の人物❝小桜姫❞をモデルにしたアホの妄言も見抜けず多くの独身女性が騙されてカルトに勧誘される被害の舞台に成っている。
因みにソイツ等の宗派は仏教や神道を普段は邪宗扱いしてる癖に都合の良い所だけ❝他宗派の神社仏閣を自分達の宗教施設の様に惹起させる宗教活動❞をここや海蔵寺や城ヶ島観音洞や岬の本瑞寺や走水神社で傍若無人に宗教勧誘旅行を勝手に行っている。厚顔無恥。
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この崖の上の洞穴が弁才天矢倉。
最も、昔から縁結びの御利益で知られていた弁才天矢倉、遭難して藤沢辺りまで漂流した漁師の命を助けた強い御利益が有るので仏教や神道に敬意を持って正しい認識で参拝すれば御利益有るだろう。
だから普通に地元の人もカルトに依存せず、縁結びの祠として宣伝して良いと思う。弁才天矢倉の正しい名前で。
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入口は崩落のせいでクッソ狭い。閉所恐怖症の人や最近のタイの洞窟の事件の事で恐怖を感じるなら入らない方が無難だろう。明かりも無いしな。
入口には勝手にカルト信者が色んな物を置いて行ってる。
卒塔婆も戒名すらない不自然さに疑問を持たない馬鹿さ。戒名が無いのは歴史上実在した人物では無く、実在の人物の真里谷城主武田家から三浦家に嫁いだ姫様をモデルにした架空の人物だから。
歴史上女性が実名が伝わる事は一般的に無い。特別な人物は伝わるが、その場合は菩提寺に伝わるので必ず戒名で伝わる。身分がハッキリした人だと実名も残るが小桜姫は明治時代の小説で作られた名前なので当然ながら戒名が無い。又、真里谷武田家も滅亡しているので記録も余り残らない。
真里谷武田家から間宮林蔵の祖先の一族の間宮家に婿に入った人物も間宮に改姓した後に無嗣断絶したので、その系統は残らない。真里谷武田家の一族の子孫は恐らく笹下間宮家臣と成って笹下城出城松本城を任されたであろう武田家と、戦国時代には❝勝❞姓を名乗って北条家臣化した幕末に活躍した勝海舟の祖先位だろう。
もっとも松本城址の武田家は何を血迷ったのか有り得ない武田勝頼舎弟の子孫を自称しているが、当時の北条家と武田家は敵対関係に有り、江戸時代初期にも旧北条家臣団と旧甲斐武田家臣団は幕府内で対立していたので甲斐武田家の子孫を間宮家が家臣に迎える筈もない。これは同族有名な系統の子孫を僭称した結果だろう。武田家と隣接する小中沢家も武田家忍者の子孫を自称しているが、そもそも、忍者ではなくて鷹匠の技能を持った武士の子孫だろう。忍者なんて職業は戦国時代に存在していない。スパイも武士だったからな。
まぁ~取材もしないガクシャ先生は松本城址に真里谷武田にしろ甲斐武田にしろ一族がいて、その家臣の子孫もいるなんて知らんだろうな。
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本当に真っ暗だよ。今年も来て、三浦の観光振興祈願と自分が成長し大願成就出来る様に祈願したけれどね。
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今ではmobile🔦ライトと言う便利な物が有るので大丈夫だけど。昔は蝋燭の火を頼りに参拝したもんだ。

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※アホが心霊写真と騒ぎそうだから前もって言っとくが、体重78kg筋肉量65kgの基礎代謝高い小生の身体から出てる❝湯気❞で霊気じゃね~からな(笑)!
・・・まぁ霊気だとしたら小生の霊気だろうか(笑)。
9回轢き逃げされて擦り傷以外に怪我した事無いし、霊夢見た事有るしな・・・
だから偽霊能者死ねと思うは本当。でもソレって感だったり、格闘技やスポーツやってたから身体が柔軟で受け身もとれただけなんだわ。
まぁ・・・金縛りも般若の面見たのも茶運び人形見たのも疲れてた時だから全部科学的に説明尽くしな。
そもそも凄い修行した高僧や高位の神官でもソンナよオカルト能力無ぇ~わ!
何の修行もしてない茶髪デブやババアが、高位の神官や高僧、天皇家に連なる血筋を超える力持ってると自称する時点でデマ。霊なんてそんな具体的なもんじゃ無いわ!何となく縁も繋がるし自然に結ばれるし、小生みたいに交通事故でも怪我しないとか、霊夢みたいので本当に問い合わせすると現実に直結するとか、そう言った物が本来の霊感なんじゃないの?
そんな見えたりしてたらよ、鎌倉市街なんかどれだけ合戦で人死んでんだ馬鹿か!
・・・とか思う。
今年も弁才天様に参拝。御参りの機会を頂きありがとうございます。
ここにちゃんと❝弁才天様❞として御参りに来る正しい仏教徒と神道の信者の女性の縁結びを成就して下さいます様お願いします。新興宗教に騙される様な女はどこいっても無責任な男に騙され遊ばれ終りだろう。
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御参り終えて・・・
やばいよやばいよ~潮が満ち始めてるよ(笑)。
ね?だからちゃんと干潮時刻みて御参り来ないとダメ!あとカルトに騙されず自分で来て、ちゃんと御参りしないとダメ!
三浦義意公と小桜姫のモデルの真里谷武田の姫に縁結び御願いするなら、ちゃんと関係する場所の歴史を勉強してからじゃないとダメ!

興味有るならコレ読んで勉強しなさいyo~♪⤴

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帰りも健康な山百合ちゃんを発見。可愛いな~。
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油壷湾側の東京大学の敷地横を通ると、遊歩道横のこの土手が実は新井城の大土塁の跡なんだが、この中には今も空堀や曲輪跡が少しだけ残ってるのを知る人は現代では少ない。
駐車場に戻り車に乗ると、一端、ザ作兵衛という行きつけの直売所で西瓜とメロンを購入。
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それが前回の記事の部分だな⤴
そこから更に三崎生鮮ジャンボ市場に移動・・・
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三崎生鮮ジャンボ市場
御昼食べてなかったので、ここで握りずしセット買って車中食べました。
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美味しかった!ここのスーパー、三浦の水産品を直売してるので御土産購入にも便利なんですよ。
そして下道で横浜市栄区方面を目指す途中、横須賀で更に買い食い。
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中井パン店
ここ、小泉孝太郎君とか、ふなっしーの中の人が学生時代にオヤツ代わりに食べた❝ポテチパン❞を売ってる店として神川県民と何故か台湾人に有名(笑)な場所。
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ポテチパン頬張りながら帰路に着く。

【休日雑記】07月11日~14日・・・三浦半島景勝地と聖地の旅(その②城ヶ島宿泊:港屋)に続く・・・




先月の話・・・
関西の親友で妹の次に小生の性格の理解者だろう人間のデザイナーITが展示会の東京出張で来訪。
来訪の1ヵ月以上前から「宿泊地決めないと予約難しいぞ~」と散々せっついたのに直前の1週間前までノンビリ屋で決めてなかったIT・・・
その結果、廃墟マニアと変わった趣味で今回は鎌倉の❝廃墟?❞的な場所を観光地として希望してた割には出張先の渋谷区からも、小生の地元横浜で一番の蛍の大生息地である円海山の在る栄区界隈からも、横浜の中心街で一番便利な横浜駅や関内界隈からも❝中途半端❞な鶴見区と言う謎の立地のホテルを予約しやがった。鎌倉行くのに迎えに行くのが少々面倒(笑)。
・・・まぁ、鶴見なら今のNHK大河でタイムリーな薩摩藩関連の史跡や、鎌倉向かう途中で横浜中華街の朝食も食べれるので「楽しみを詰め込めば良いか!」と前向きな発想が直ぐ湧く。
待ち合わせはAM:08:00、ホテル前。
この日も小生は当日の夜中03時に仕事から帰宅し風呂入ったり何かしてたら既に朝の5時、もう目が冴えたまま寝るのも諦めて「ホテルの前に車停めて仮眠しよう」と6時に移動。7時には到着した。
しかし車中でも眠れず、諦めてITにLINEする・・・
「もう着いたけど寝てるから準備できたら適当に出て来てユックリしてて良い」
・・・とは送りながらスマホ弄(いじ)くり当日の不安定な天候も有り到達地点別の天候に訪問地分岐案の再確認をGoogle mapでしておいた。こう言った❝遊び❞は「手伝うよ~」と適当な事して邪魔する同僚の介入も無いので❝好きに完璧に予定を組める❞から好き(笑)。
ホテル前でITをピックアップ、御土産に太らない京都の宇治の御茶とかくれた。
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生麦事件発生地
・・・と言う訳で、最初にITをピックアップして連れて来た❝観光地❞がこの住宅街(笑)。
ITには来る途中で交差点の看板とか電信柱の看板とかを故意(わざと)音読させてヒントを出したのだが現地に着(つ)いても解らない(笑)。まぁ~そりゃそうだ。今じゃ只の住宅街の道だから。
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・・・実はここ、薩摩藩が参勤交代中に乗馬した白人至上主義の白人連中に隊列に侵入されテロ排除の為に数度のジェスチャーと日本語による警告の上でも騎乗した白人は止まらず薩摩藩の隊列に突入、島津久光公の籠に迫ったので止む無く惨殺したと言うのが真相の❝生麦事件❞の発生現場なのだ。
ITは別に歴史好きと言う訳では無いが廃墟好きなので小生の話題にも少し付いて来られる、まぁ京都育ちだし神社仏閣歴史史跡に囲まれて育った❝文化的歴史的素養❞と言うのは移住者だらけの普通のハマっ子よりは並の京都人の方が遥かに高い。
歴史に特別関心が無くても義務教育で習う生麦事件程度は当然知っている訳だ。だからもう直ぐNHKの❝西郷どん❞で登場するであろう、この事件現場を見て「ほ~」と言う感じの反応をしていた。
まぁ、鶴見から中華街に向かう通り道を少し裏の旧道に入っただけ、途中に立ち寄った場所なので凄い場所と言う訳ではない。
しかしこの後、小生がやらかす。
散々地図を見て予備学習して置いたのにGoogleMapのカーナビではなくてポンコツの純正カーナビに任せて音声に合わせて道を走ったら関係の無い側道に入らされたり住宅街をグルグル・・・
朝食を買う予定の中華街まで大分と遠回りになってしまった。
ナビを放棄し自分の目視と記憶で大黒ふ頭に経由地を変えて海沿いの道を選択、多分横浜市民以外は知る人の少ない大黒ふ頭を経由して横浜ベイブリッジの一般道~新山下へ抜けて早朝の中華街に到着した。
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道を迷ったせいで鶴見駅近くを8時に出発したのに到着したのはAM:09:00位に成ってしまった。
しかし普通の中華街の店は10時~11時開店なので人気は極端に少ない。
中華街の加賀町警察の前には小生が立ち食い点心を購入する際に行きつけにしている店の内の一軒が有る。そこの大根餅や肉と高菜の細切り炒めが入った揚げ饅頭が美味いんだな。
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金福粥記
ITは服飾関係のデザイナーと言う仕事の都合上中国にもよく出張するのだが、中国では現地企業に接待される側に成るので中々こう言った普通の中国の朝食を食べたり好きな火鍋とか庶民的な料理を食べる機会が無いとの事。慌ただしい鎌倉へ向かう車中での朝食と成ったが「美味しい!」と喜んでいたので何より。
中華街近くの石川町入口から横浜横須賀道路に入り高速で横浜市金沢区の朝比奈峠へ抜け鎌倉に侵入、鎌倉市街の手前の報国寺近くの駐車場に車を停めた。ここの辺りは実は凄く安いタイムズ駐車場とか浄妙寺の駐車場も有り、朝比奈~十二所~浄妙寺地区~名越地区の観光の基点とするのに適している。
2008-12-12-15-13-37
最初、報国寺を訪問し御本尊の御釈迦様に御参りしたが竹林は後回しにした。
この日の目的地はあくまで❝廃墟散策❞が主旨なので、報国寺の散策は後、でも御本尊を拝まずに素通りすると、この後❝少し危ない山の中❞を散策するので❝旅の安全祈願❞も含めて先にちゃんと御挨拶する事にした次第だ。
この日の主要目的地の廃墟と史跡を目指すのには新幹線で関西から来たITをわざわざ山登りさせる必要が有る、観光じゃないんだな最早(笑)。
最初に目指したのは、その廃墟と史跡の入口と成る木々の枯れる❝冬季ならば❞鎌倉市で一番眺望の良いであろう衣張山の山頂だ。
その道は巡礼古道と呼ばれ、報国寺の所在する宅間谷(たくまがやつ)から鎌倉武士達が三浦半島の逗子方面に抜けたり、名越邸こと鎌倉幕府執権の北条時政館の史跡に行く間道として利用された古道を通る。
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目標的には報国寺~かまくら幼稚園を目指すと緑地帯から自然に衣張山入口の公園に出る事が出来る。
この日に備えてITには❝運動靴❞❝Gパン等の歩きやすい服装❞をちゃんと指定しておいた。
まぁ~この辺は廃墟観光に成れたITだから言わないでも大丈夫なのだろうが、山歩きの度合いを軽視されて準備不足に成ると本人が楽しめなく成るので敢(あ)えて念を押した訳だ。
衣張山は城郭オタクが登れば一目で判るが、山道が裾切りされて人工的に鋭角な崖地化された登山道が多く足を滑らせると死ぬ構造に成っている(笑)。
平安以来の鎌倉武士、三浦家の居城だった衣笠城と同じ構造だな。
衣笠城址に関しては以前書いた記事が有るので御興味有る方は御覧頂くと平安~鎌倉時代の武士の城の構造が良く解ると思う。
これ以前の記事⤵
三浦義明公と衣笠城址。源家最大の盟友、坂東武者の鑑。…三浦半島横須賀市。
かまくら幼稚園側から20分も登ると衣笠山山頂に着いた。
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衣張山山頂
材木座~由比ヶ浜~名越~雪ノ下~扇谷地区が一望できる絶景だが、この辺りは❝神奈川県の富士山100景❞にも選ばれた景勝なのだ。本来、天気が良ければもっと遠く伊豆半島なんかも綺麗に見える。
生憎(あいにく)と当日の天気予報は降雨、幸い登山中は天候が持ってくれたが曇天で遠くは見渡せなかったが、それでも綺麗だった。この辺りから獣道を通って行くと現在は鎌倉市によって通行者の安全確保が十分でないとの判断から仮設封鎖柵が設置されている❝釈迦堂切通し❞や❝釈迦堂遺跡❞へも通じる抜け道が有る。
その抜け道へ行く為にわざわざ衣張山へ上った訳だな。
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色んな場所に鎌倉時代~室町時代の矢倉(やぐら)と言う名の武士の御廟所である横穴式墳墓が在る。
これも有る意味❝廃墟❞だが、先人を尊敬する小生は一々、ここに埋葬されていたであろう名を知らない御霊にお祈りすると京都育ちのITも心得ていてちゃんと手を合わせていた。
因みに、一々拝みながら「通行者を御守り下さい」「鎌倉の住民を御守護下さい」「御霊が大切にされますよう、安らかに過せます様に」とお祈りした。
鎌倉幕府を運営し、朝鮮人と中国人とモンゴル人による日本侵略戦争の元寇を撃退する基盤と成ってくれた人達だから感謝と尊敬の念を御伝えするのは当然の事だと小生は思う。
程なくして落ちたら死ぬ犬懸谷(いぬかけがやつ)の奥の山から釈迦堂口に出て、釈迦堂切通しに到着した。
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釈迦堂切通し
ここは先述の通り先年の落石発生以来鎌倉市が封鎖しているのだが、周辺住民の生活道路なので金網の無い場所を通行する人は今でも多い。まぁ、山越えて抜け道を通ればそんな事する必要も無いが労力が大変な訳だ。
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「お~凄いな」
・・・と男前な感想のIT、こう言った史跡も有る意味廃墟、ここは恐らくは鎌倉市街地~名越北条家の居宅と成った北条時政邸と詰城(つめじろ)だった衣張山登城口への関門だったので名ばかりは❝切通し❞だが隧道(すいどう=トンネル)形状にした上で入口に梁(はり)を渡して櫓門(やぐらもん)が築かれていたのだろうと城好きの小生は予想している。恐らく多くの城郭ファンも同じ推測をするだろう。
だから上部左右には梁を通した様な材木を打ち込んでいたであろう穴跡も見て取れる。
ここから又、獣道に戻ると今度は別の名越側から封鎖された❝幻の釈迦堂跡❞の釈迦堂遺跡へ行くことが出来るが、私有地側から入る人がいると困るので詳細は掲載しない。
山頂からの行き方をネットでも生き方を書いている人もいるので探して見ると良いと思うけど、途中には崩落した橋の欄干を渡らなければいけないデンジャラスゾーンが有ったりするので、やはり小生は道順はボヤ化して置こうと思う。
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釈迦堂口遺跡
釈迦堂遺跡は山の中に削平地が広がる。
名越邸跡と伝わり鎌倉幕府二代執権と成った北条義時公が、そこに北条時政公の没後に供養の為に釈迦如来を安置した御堂を建てたのが始まりとか何とか伝わるのだが、大半が私有地と言う事も有り現在の鎌倉市教育委員会や神奈川県教育委員会はその場所をちゃんと公開していない。しかしながら昔の鎌倉市教育委員会は無文化な部類の一部土建屋による鎌倉市の森林と史跡破壊を糾弾し新聞社と一緒に吊るし上げたり、この私有地を保有する国際自動車タクシー会社さんも一般に公開したりしていた。
前代の鎌倉市長主導で封鎖された次第だが、何と言うか民間会社の方が文化史跡保護と公益に資する公開の意識が高いと言う・・・皮肉な話だ。
釈迦堂遺跡の奥に山道から降りて来る昔の登山道である❝抜け道❞が有る。まぁたまに見学会も開かれるので鎌倉市のホームページをチェックしてると良い。団体で見学希望申請何かすると、鎌倉市教育委員会もガイドしてくれる可能性も有るかも知れない。
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登山道には昔の看板も残っているのだが鎌倉市の前の市長が封鎖してしまって通行量が減っているので❝廃道❞寸前の状態。貴重な遺跡が保護管理されず放置される悲惨な状況に成っている・・・
「訪問したい人は安全管理は自己責任でどうぞ」
・・・と言っておこう。
まぁ❝廃道寸前の道❞含めてITの趣味に合わせたチョイスなのでそうなるな。
こちら側から登って行くと唐糸矢倉と言う、源頼朝公と源義仲公の間の悲しい同族同士の争いの終結の場所となった史跡が在る。
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説明の看板の通り、源義仲公の家臣の娘の唐糸サンが源頼朝公の様子を探る為に侍女と成り、源頼朝公が源義仲公討伐の相談をしていたのを聞いてしまい頼朝公暗殺を企て幽閉された場所だそうだ。
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どうも看板の矢倉よりも直ぐ右隣の矢倉の方が土牢としては適した構造だと小生は思う。
そして看板の伝承は少し違うと思う、状況的には源義仲公の御子息で源頼朝公に人質として預けられていた源義高公が頼朝公によって処刑されそうに成ったので、義高公に仕えていた唐糸サンが頼朝公の暗殺を企てたと考えた方が状況的には自然だろう。当時の伝承も後世に伝える伝言ゲームで行き違いが有ったのかも知れないし、小生の予測が外れているかも知れないが郷土の伝承レベルの事なので事実は今では確認しようも無いが小生の予測通りならば源義仲公と源頼朝公の因縁の終わりの場所と成るだろう。
事実、三浦半島の初瀬和田の和田城には元は源義仲公の側室だった巴御前が和田義盛公に惚れられて側室として同居したと伝わり、源義仲公の乳兄弟(乳母の子)で重臣の今井四郎兼平公は横浜市保土ヶ谷区の今井城址に居住したと伝承するので、実際は平家物語では書かれていない木曾(源)義仲公の家臣団は頼朝公に降伏し鎌倉幕府の幕臣と成っていたのだろう。
・・・源義高公の命と引き換えに信濃の武士団は命を助けられ、源義高公に仕えていた唐糸サンは納得が行かず組織としての正義よりも忠義としての正義を優先したんだろうね。
この唐糸矢倉を過ぎると人工的な切通し状の堀切(ほりきり=尾根道を断ち切り敵の侵入を防ぐ構造)が在る。
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そこに橋が架かるが、最大の見どころ。廃道化の原因の床の抜けた通行不可能な橋。
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でも欄干と橋梁は鉄筋コンクリートなので❝自己責任❞で渡りたい人はどうぞ。
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ここさへ渡れば釈迦堂遺跡も釈迦堂切通しも衣張山から来られるからね~。・・・落ちたら運が良くて骨折かな?
ここに来たい人は、ちゃんと安全確保のワイヤーとか準備してね。
でも一番、城郭としての構造が解り易い。
ここを通らないと詰城の山頂側に行く事は出来ない。そして平時は引橋(ひきはし=戦時に引いて撤去出来る橋)が架けられていて戦闘時には堅固な防御構造と成った事だろう。
唐糸矢倉に降りて来る分岐点の前に衣張山登山道の休憩所跡が有る。
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途中には廃墟化した東屋。これも有る意味廃墟かな。
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さて、東屋の下の分岐点から唐糸矢倉方面と反対に行くと釈迦堂切通しの真上に出る事が出来る。
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落ちたら死ぬから気を付けてね、あくまで自己責任でどうぞ(笑)。
本当に気を付けて。
そして釈迦堂切通しの上を通り抜けると、重要文化財にするべき❝日月矢倉❞に抜けれる。
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恐らく名の有る武士の御廟なのだろう。
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壁に穿った穴の形状に矢倉の名前が由来する。
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日輪と月を模した意匠が施されているので、そう名付けられたようだ。
恐らくこの月の意匠からして、千葉家所縁の武将の矢倉かも知れない。千葉家一族と家臣団には月の家紋と九楊紋を家紋にする武将が多い。ここは大町に抜ける場所でもあるし、大町には戦国時代に成っても千葉一族臼居家の菩提寺であり平安時代の武将の千葉常胤公と千葉家所縁の寺院でも有った蓮乗院が存在する。
蓮乗院は元は弘法大師空海和尚所縁の真言宗の寺院だったが、直ぐ隣に浄土宗の大本山の天照山光明寺が開かれると浄土宗に改宗し、その光明寺の重要な塔頭寺院と成った。
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因みに今回紹介している衣張山も山頂の風景が綺麗だが・・・
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光明寺の天照山から見た風景は❝神奈川の景勝50選❞にも選ばれ、最近では映画シン・ゴジラでゴジラの上陸地点としてロケハンされたりしている。非常に風景が美しい。
そこ等辺りは以前に記事に書いているので興味の有る人は読んで頂くと解ると思う。
以前の記事⤵
休日雑記 2017年01月25日の訪問先・・・【鎌倉市】住吉城址前の材木座海岸と和賀江嶋と江ノ島と富士山と夕陽の見える場所。
●臼井城主の子孫の店❝Cafeこやぎ❞は旧鎌倉郡域にある緑に囲まれたカフェ。美味しい葛餅と焙茶(ほうじちゃ)が頂ける店。ランチも人気。…横浜市。
・・・さて、日月矢倉に話を戻す。
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風雨に晒された矢倉は風化が激しい。
ここ数年、鎌倉市は釈迦堂切通し仮封鎖後に訪れる人が少なくなったせいで樹木の浸食が早く少しでも早く釈迦堂切通しと釈迦堂遺跡側の遊歩道の再整備を急ぐべき理由の一つでも有る場所なのだ。
ここを見学した後で、元来た道を抜けるのが面倒臭くて鎌倉市の設置したフェンス側の❝抜け道(笑)❞を通って大町に出て、谷底側の住宅街から又かまくら保育園の方に戻り報国寺に戻って抹茶を頂く事にした。
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途中、せせらぎに綺麗な花が咲いていた。
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その川沿いに黄金矢倉の跡が有る。
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黄金やぐら
昔は光苔(ひかりこけ)で綺麗に輝いていたらしいが、今では御覧の通りシダ類に浸食されてしまって光苔は死滅したようだ。
そこから宅間谷に戻る長い階段の遊歩道に復帰した。
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かまくら幼稚園近くに戻ると可愛い御地蔵様が出迎えてくれるのが、巡礼古道に復帰した目印。
そこから報国寺に戻る時に最近ドラマ❝モンテクリスト伯ー華麗なる復讐ー❞でもロケ地に成っている旧皇族華頂宮邸が在る。
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旧華頂宮邸
この時既に11時半位だったろうか?
予定通り(笑)丁度公開されている時間、廃墟では無く綺麗な文化財の洋館だがITを案内。
薔薇の見頃の季節だったので御庭が綺麗だった。
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今年は横浜イングリッシュガーデンに薔薇を見に行かなかったので、ここで見られて良かった。
本当は、この後で天候が雨が降らず持てばITを鎌倉市の薔薇の名所として有名な❝鎌倉文学館❞に連れて行く計画だったのだが、後で大雨に成ってしまったのでここで薔薇を見て置いて良かったと思う。
報国寺に戻ると抹茶付の拝観券を購入し報国寺の竹林を散策・・・
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功臣山 報国寺
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以前と違って経路が定められており、小生が通い出した10年前の様な自由度は昨年末のリニューアルから無くなったが、それでもここは良い。
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抹茶を一服頂きながら景色に心を落ち着かせ和んだ。ここを開いた足利尊氏公の御祖父さんの足利家時公と宅間上杉重兼公に感謝!
いい加減に昼食の時間と成ったのでITに「地魚海鮮の和食と、地魚地野菜のイタリアンとどっちが良い?」と選択肢を質問、イタリアと言ったので車で少し葉山方面に移動し秋谷海岸の行きつけのイタリアンの店❝DON❞に到着。
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DON秋谷店
残念ながら当日、予約がいっぱいで1時間半待ちとの事でウェイターの青年がとても丁寧に申し訳なさそうに状況を説明してくれた。
「まぁ、和食も美味しいし!」
・・・と言う事で小生と同じく美味しい物が大好きで男前(笑)なITは、せっかくの観光を楽しむベクトルで納得してくれて、DONから車で5分と直ぐ近くの佐島マリーナの❝海辺❞と言う、これまた小生行きつけの海鮮和食屋サンに移動する事に成った。
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海辺ここは本当に海の目の前のレストラン。
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デッキ席からは海が一望出来る。天神島が見え、ともて清々しいのだが・・・
この写真は生憎当日の物では無い。IT連れてった時は既に雨がポツリ来た後で店内で食事と成った。
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それでも特別セット(刺身盛り合わせ+ブリ角煮+アラ汁+金目鯛煮付け+米お代わり可能)が来ると「美味しい!」と満足してくれた様で何よりだ。
京都育ちで舌が肥えているITが納得してると自分も嬉しいもんだな。
他の親友も何人か連れて来た事が有るが、やはり皆美味しいと喜んでくれる、そして自分が美味しいと思う物を一緒に美味しいと親友達が感じてくれると皆の喜ぶ様子を見て自分も嬉しく成る。
そう言う意味において小生と親友の共通点は皆、食べる事が好きだと思う。
だから小生デブったりジムでダイエットしてシボんだり繰り返すんだな(笑)。
この後、鎌倉市街に戻り扇谷(おおぎがやつ)地区と小町通と若宮大路と鶴岡八幡宮を散策する予定だった。
しかし雨が・・・
扇谷地区から正宗工芸を見学したり若宮大路に抜け鳩サブレ―の豊島屋サンや鎌倉彫りの店を見物してから鶴岡八幡宮に着き御参りを済ませると、もう雨がドシャ降りに成り散歩どころではなくなってしまった。雨傘さしているのに二人共靴下までビッチョビチョ、止むを得ず車に戻った。夕飯は小町通のマザーズオブ鎌倉で葉山牛の鉄板焼きを食べる予定だったが、それまで時間を潰すのは無理。
小生も徹夜で一睡もしていない事をITが配慮してくれて「神奈川東京名物の黒湯炭酸泉のスーパー銭湯に行こう」と予定していたコースの前倒しを提案してくれた。
・・・仕方が無いし夕方にも成っていたし、帰りも渋滞するだろうしスーパー銭湯での時間も含めて夕飯時に成る事を想定して夕食は横浜駅で中国の火鍋の名店❝小肥羊❞で食べる予定に切り替えた。
前もって色々と候補地を準備して置いてITに通知していたのと、ITが小生の体力も考慮してくれた事と辛い物好きのITの全ての折衷案でそうなった訳だ。
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極楽湯 横浜芹が谷店
※写真撮影し忘れたので冬の写真。
港南区の極楽湯へ移動。鎌倉街道から少し環状二号線を入った場所に在るので横浜横須賀道路で横浜駅に戻るには別所インターへのアクセスも都合が良い立地だし、この先は南区の弘明寺の三浦湯か、川崎まで行かないと無いし三浦湯よりは広いのでコチラにした。
風呂上がりは1時間後の待ち合わせ。
しかし、この日は男子風呂は子供だらけ、しかも親のマナーが悪く子供が露天風呂で行儀悪く風呂にバシャ―ン!バシャ―ン!と飛び込み台の様にしており親の集団は注意せず放置。
仕方なく小生が「お風呂では飛び込んじゃダメだよ~♪」と言うと固まる子供・・・
そこへ別の年配の男性客が「オイ、ガキ!あぶねーぞ!怪我すんぞ!」と凄みながら注意した。
・・・するとマナーの悪い子供は、これ又、行儀悪く風呂場を走って室内浴場へ❝逃げた❞のだが、一体全体、あの子供の親はどんな家庭環境で育ったんだろうな?と思った。
騒がしくユックリする気分でも無いし凄まじく眠かったのでITの配慮を無駄にしない様に10分で風呂を上がると、待ち合わせ場所のマッサージチェアにしこたま100玉を投入し40分位マッサージされたまま寝た。
人間40分も仮眠すると結構頭がスッキリするもんで、目も覚めてスマホ弄くりながら小肥羊の場所を確認しているとITが風呂から上がって来たのでソフトクリームを食べながら関内店が良いか横浜駅東口店が良いか相談し、横浜駅へ移動。
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地下駐車場に愛車を停めるとモアーズ側の出口から小肥羊に移動。
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中国火鍋専門店 小肥羊 横浜店火鍋と言う料理を御存知無い方もいるかも知れないが、これは中国でポピュラーな料理で薬膳スープと辛みスープの二種類に羊肉や牛肉や野菜を浸して加熱して食べる中国東北地方の料理で、言わば中国版のシャブシャブと言った感じの料理だ。
小生は辛い物は嫌いでは無いが得意でも無いので、辛いスープはもっぱらITの担当に成った。
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4000円弱のコースを頼んで二人で「肉少なくね?」と思って追加注文したらトンデモない!コースはやはりちゃんと考えられていて、二人共追加分は腹一般で可也(かなり)無理しないと胃袋に入らない量に成ってしまった。
しかし、とても美味しく、又何回でも食べたいと思う中国に良く出張していた小生にも懐かしく、中国にしょっちゅう出張しているのに接待漬けのせいで食べる機会が少ないITにとっても神奈川旅行を喜んで貰える一助に成った様でとても良かった。
二人とも満腹で満足すると、翌朝早くには表参道に出張出勤せねばならないITを眠気もすっかり覚めたので安全に鶴見のビジネスホテルまで送り届けると小生は下道で帰宅した。
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帰宅してITに貰った御土産を開くと冒頭で紹介した宇治茶と山椒昆布だった。
「ありがとう」と感謝の念を持ちながら有難く頂き、御蔭で体型も理想体型に成る事が出来た。
毎回、東京出張の旅に訪ねてくれる親友で理解者の存在は、人としてとても有難い。
ありがとう。

ITや千葉に引っ越してしまった後でなかなか会えなくなっていた親友O型君等の様に、常日頃から馬鹿みたいにつるまなくても、大切な人間と言うのは信頼出来るしバカ騒ぎしなくても楽しめるもんなんだよな~。

親友だけでなく、普段、御世話に成っている師匠の様な宮司様達や和尚様達や、尊敬する歴史偉人や神話の残る神達様や武将達が拝んだ仏様達、御先祖様や小さい時に可愛がってくれた義祖母はじめとした恩人の皆さん、学生時代からの恩師達に感謝をも再確認する一日と成りました。
ITありがとな~!

さて、今回の休日雑記はここまで!
次は多米元忠公の解説記事の最終章を書きたいな~と思います!
その翌週からは暫く繁忙期と私用と神事と仏事が立て込んでブログ更新遅れたらすみません!

では!又、次のブログ記事で御会いしましょう~♪

4月5日、昼前に鎌倉に到着した。
最初の訪問先はミシェランガイドで三ッ星に成った報国寺。
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ここを訪問した理由は本当は「ついで」と言うか、本来の目的は浄妙寺で女性守護婦人病治癒の神様の淡島明神様に御参りして御守りを購入する事にあった・・・
しかし報国寺は浄妙寺の直ぐ近所。
・・・元々報国寺の竹林で抹茶を頂いてボぉ~っとして過ごすのが好きなのと、報国寺を開いた殿様が小生が顕彰活動を準備しており横浜の殿様でもある宅間上杉家初代の上杉重兼公と足利尊氏公の祖父の足利家時公だから御参りしない訳にはいかないのだ。
最近はミシェランガイドのせいで国籍問わず風景目的の参拝客が増えたので昔は静寂だった竹林も「ザワザワ」と人の話し声がする事も有り、本堂の前で殿様達に御参りして帰る事も多く、余り抹茶を飲んで帰る事も少なくなっていた。
この報国寺に来ても、最近はもっぱら抹茶を頂くのは浄妙寺に成っていたから。
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しかし、この日の陽気で一気に桜の花弁も開き庭の景色が綺麗なピンクで彩られていた事と、平日で人も余り多くは無かったので半年振り位に竹林で抹茶を飲んで帰る事にした。
丁度、臨済宗寺院専用に建長寺で改めて購入した御朱印帳も持参して来ていたので、そちらに御朱印を頂く間、竹林でゆっくりと待つ事にした。
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しかし、この桜は思いがけず御褒美を頂いた気分に成れた。CIMG2929
う~ん綺麗だ。
横浜市の桜の開花状況は、この日まだ3~5分咲きと言った所、この報国寺の在る鎌倉市浄明寺地区宅間谷は名前の通り谷合で少し涼しい場所なので、まさか桜が見事に咲いているとは思いもしなかった。
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可愛い桜、見せてくれてありがとね!来年もよろしく!
さて、一頻(ひとしき)り桜を見てホッコリしてから、凛と静かな空気の漂う報国寺の竹林へ・・・
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フランス人ぽい男性と日本人女性のカップルが竹林散策を楽しんでいらっしゃった。
二人で交代で写真を撮っていたので、「写真撮りましょうかぁ~?」声をかけたら笑顔で「お願いします!」と応じて下さった。やっぱり、恋人同士は一緒のフレームに写った方が嬉しいでしょ。
二人は再び笑顔で「ありがとうございました!」と日本語で元気に御礼を言って下さったので、何だか少し嬉しい気分に成って幸せを御裾分けして頂きました。
御二人さん、ありがと♪
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さて、竹林の中の茶屋は“休耕庵”と言う。
実は昨年改修工事が入って暫く営業していなかった。小生自身も半年来ていなかったので久々の訪問。
大きくは変わっていないが、建築用材が新しく成っていた。
ここでは“抹茶”と足利家の家紋を模した“落雁(らくがん)”を頂く事が出来る。
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先述の通り最近数年間は観光客が多く成り余り以前程のんびりするのも憚(はばか)られる事も有ったのだが、この日は小生以外に喫茶に来た観光客も3~4組しかおらずゆっくりできた。
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ここから見る竹林と谷戸構えの切岸の苔むした様子、そこに響く小さな水の流れ・・・
この風景が落ち着くんだな~。
・・・ふむ、久々に来て良かった。
竹林の石畳も再整備された様で歩き易く成っていた。
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可愛い御地蔵様達、このエリア以前と雰囲気が違う気がする?
比較する写真が無いので分からない。
写真撮影しているオッサン(笑)がなかなかどいてくれないので、諦めてオッサンごと御地蔵様を写真に収めさせて頂いた。この御地蔵さん達、近くでみたら少し可愛いいんですよ、御優しい顔で。
竹林を出て御朱印を受け取り、浄妙寺へ移動する事にした。
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報国寺で御朱印を頂くのは二度目。最初は宅間上杉家の顕彰活動で。
そうそう、本堂の横には名前は知らないけども綺麗な紫色の花が咲いていました。
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なんと言う名前なんだろう?
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御存知の方いらっしゃたら教えてください。
浄妙寺へ向かう時、報国寺交差点の手前の橋の上から滑川(なめりかわ)に目をやると菜の花がとても綺麗に咲いていました。
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近くで見たくて滑川の遊歩道に降りてみた。
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遊歩道に降りる階段横にも桜が咲いていた。
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生憎、遊歩道は菜の花の近くまでは伸びていなのだが、それでも花と同じ高さの目線で見れたので満足満足♪
う~ん、黄色が明るく爽やかだ!
この滑川の菜の花から徒歩1分で浄妙寺参道に着く。
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浄妙寺の参道も桜が咲き始めていた。こちらは未だ4分咲き位か?今週末4月の第2土曜日曜辺りは見頃に成っているだろう。鎌倉市観光協会にも確認したが、鎌倉市内の桜は概ね今週末位~漸く見頃だそうだ。
今年は気温の寒暖差が激しく鎌倉に限らず、どこも開花が遅れている様だ。
その分、大きな風が吹かなければ長い間花見も出来そうだ。
浄妙寺に着くと、山門をくぐって直ぐの拝観受付の場所で販売している淡島明神様の御守りを購入した。
無論、女性の親友達の縁者の健康祈願が主たる目的なので、御本堂に御参りした。
昨年母が子宮癌に成り手術を受ける前に、小生は御参りして母に淡島明神様の御守りを購入し渡しておいた。
その後、手術は上手く行き転移も無く、無事にいるので先月、母の御礼参りに付き合って参拝しに来たばかりだった。
その後、留学仲間の大阪の女親友の姉上が卵巣癌の手術をした事を知り、卵巣癌が遺伝性の病である事も知った。加えて愛知の歴史仲間でもある女親友の友人が子宮癌に成り転移も有った事を最近聞かされたので、友人達4人分の健康祈願と御守り購入に来た次第だ。
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淡島明神様は御本尊の並びの一番右端に鎮座してらっしゃる。
御参りに行けない人は、この写真でも良いから先ず健康祈願をして改めて参詣すると良いと思う。
御守りや、信心は要は自分の精神を健康に保つ、なんと言うか心の支え的な要素が大切なのだと思うから。
要は気持ちの問題。文字通り気持ちの問題で、ウジウジ一人で不安に成るより出来る事は何でもして、不安を払拭する事その物が既に御利益なのだろう。
そして、具体的に健康に向けて努力する。奢らず健康診断をちゃんと受け、ジムに通ったり運動をして健康を保つ、そう言う事なんだろう。
日本古来の神仏習合の神様で、まぁ~名前の通り淡路島が神格化された神様のはずだが、明治維新後の神仏分離令で、どの神様と同一視して神道に組み込むか全国の淡島神社では統一された御神格は無い。
だから小生は思うに神仏分離令は無理が有るのだよ。
日本文化から見て記録で遡(さかのぼ)れる範囲でも1400年以上は神道と仏教は融合していたののだし、そもそも大鞆別命(おおともわけのみこと)こと応神天皇の化身とされる八幡宮の神様なんか御神託で御自分の事を「八幡大菩薩」と名前を言った事が日本の記録に残っているのだから。
そして応神天皇の皇子の莵道稚郎子(じのわけのうらつこ)命なんて渡来の学問を日本で最初に導入した人物で神様に神格化された歴史が明白に成っているのだし。神話通り莵道稚郎子命が漢学を治めていたのならば仏教も学んでいただろう。少なくとも中国の道教や易学も学んでいたので、西暦300年~400年頃の古墳時代には既に日本の古代神道も大陸文化の一部が導入されていたはずだ。
無理に仏様も神様も分ける必要も無い。
本地水垂迹(ほんじすいじゃく)思想みたいに、どっちが本性とか議論する必要も無い。
日本人らしく大らかに八幡台菩薩を拝んでも応神天皇を拝んでも同じ神様で別名として認識すれば良いのだと思う。実際に、歴代の天皇家もそうされて来た訳だし。
この手の価値観は仏僧と神職でモメた事も有る様なので、小生は例えば素戔嗚尊(すさのおのみこと)ならば、もう全部の異名を一緒にして毎日御参りしている「素戔嗚尊牛頭天王武塔天神」と名を御呼びして遥拝している。
こうすれば、宮司さん達にも和尚さん達にも昔の人々にも失礼に成らないで済むんじゃないかと思ってる。
まぁ、そんな訳で、淡島明神様は淡島明神様のまま明神が付いていて良いと思う。

さて、ここからが小生のレクリエーション開始。
浄妙寺を後にして車に乗り込むと、一路、横須賀市の安針塚を目指した。
安針塚を目指す途中、住宅地の桜並木もとても綺麗だった。
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う~ん。ピンク。
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とても綺麗。なんと言うか、ブリッ子だな、この娘は。
小生は花を良く人間に例えるのだが・・・
この娘も可愛いが、小生は凛とした梅、または大木に成り人々の誇りとなる染井吉野がどちらかと言うと好む所ではある。
あと山吹や蝋梅も好きだ。紫陽花も綺麗。
でも一番好きなのは、やはり梅かな~。しかし人々を笑顔にする桜の林の存在価値も素晴らしいと思う。
ところで・・・
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この風景は按針台と呼ばれる安針塚の在る塚山公園周辺の風景なのだが・・・
安針塚と言うのは江戸幕府で徳川家康公に仕えた英国人サムライの三浦按針(あんじん)公の御廟所の事で、その御廟所の名前がそのまま京浜急行の駅名や地名に成っているのだ。
三浦按針公の本名はウィリアム・アダムスとおっしゃる。
まだ徳川家康公が豊臣政権の五大老だった頃、ウィリアム・アダムス公一行の乗った船が遭難し、九州に漂着した。家康公は彼を保護すると自らの領地である関東の相模国三浦郡に領地を与え家臣に加え海外通商の窓口、つまり外交担当の参謀として抜擢した。その際に姓も領地の在った三浦郡から三浦とし、元の姓のアダムスを日本風に文字って按針とした。
余談だが、この三浦按針公と共に家康公に仕えた白人サムライがもう一人おり、名をヤン・ヨーステンと言う。
彼も又、耶楊子(やようす)と日本風に漢字で名を改めたが、彼の居所が有った場所が東京駅八重洲口辺りだった。つまり東京駅八重洲口はヤン・ヨーステン=耶楊子公に由来しているが、これを知る人は現代でも結構多い。
そんな訳で、日本でサムライに成った外国人は数人いたのだ。
他にも宣教師が連れていたアフリカ系黒人のモザンビーク人奴隷を織田信長公が奴隷身分から解放して侍として己に近習させたのだが、この人物の名前は弥助と伝わる。元の名前はモザンビークにヤスフェと言う名前が多い事を世界ふしぎ発見!が紹介していた。この放送、とても楽しかったので良く覚えている。弥助は大砲の砲撃の名手だったそうだ。
更にイタリア人白人の山科羅久呂左衛門勝成と言う武将も織田信長公の娘婿の蒲生氏郷公に仕えていた。
外国人が登用されていた事を知る人は結構少ないが、古代の日本の朝廷でも新疆ウィグル族出身の人物が登用されていたりした歴史が有る。
まぁ、そんな事を思い出しながら車を降りてから山を登って行くと塚山公園に到着した。
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塚山公園の桜はまだ5分咲きだったが、花見に来ている人がそれなりに居た。
平日だったので、やはり人はまばらだった。
実は安針塚は初訪問。もっと墓地っぽい陰鬱な場所をイメージしていたがこれは良い!
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屋台も少ないが出ていた。
焼きそばの屋台を見て、後で昼食にしようと決め、先ずは三浦按針公に御挨拶に伺う為に御廟所を探した。
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う~ん良い所だ。
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程無く看板も見つかり、安針塚その物に関しては深い予備知識無く、現地の説明看板や石碑を読むのを楽しみにして来た。
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立派な石段、塚山公園内でも一際高所に位置する丘、この上に三浦按針公が眠ってらっしゃる。
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この説明を読む限り、この安針塚一帯は昔は逸見(へみ)村の一部だったらしい。
現在は逸見は安針塚の一つ前の駅名として残り、地域も安針塚は逸見から分離し成立した様だ。
しかし、御遺言で所領の三浦半島に戻って来られたのは、この地がイングランドに似ていたのだろうか?
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この石碑や、参道を整備したのは大正時代の人々だそうだ。
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別の石柱にも大正十三年と書いて有る。
昔の人は人種分け隔てなく帰化して日本の発展に寄与して下さった人物を、こうやって御祀りして大切に郷土の誇りとして後世に伝える努力をされていたのを、歴史が好きで色んな城址や史跡や神社仏閣を訪問すると思い知らされる。右左問わず現代の政治家とは大違いだ。文化も人も風景も平等に大切にされて守って来た大正時代の人々に感謝。
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有功国家・・・日本国に功績が有る=日本に功績を遺した。
永護江都・・・江戸の都を永きに渡り守る
・・・つまり、江戸と日本の発展を守る功績を遺された偉人と言う事だ。
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報以恩遇、東面其墓。
近代の人々も、三浦按針公の功績を感謝し、そして帰国出来なかった悲哀に色々と考えさせられたんでしょうね。
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小生の主義で御廟所の写真は掲載しないので、三浦按針公と奥方様の御廟の写真は今回も載せない。
しかし、女性の権利を守る思考が強かったプロテスタントの国出身の三浦按針公らしい、日本人の奥さんと隣同士手を繋ぐ様に並んでらっしゃった。
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そして、御廟所から後ろを見て解った。
按針公は、この丘から見る金沢八景の島々と海の風景が好きだったんだ。
もしかしたら、この風景が三浦按針公の故郷の英国ケント州ジリガムに似ているのかな?と思って調べてみたら・・・
ケント州ジリガム 三浦按針公の故郷 久良岐のよし
ビンゴ!半島と入り江に面した町で、湾内には金沢八景の様に島が幾つも有る。
三浦按針公は故郷に似ている金沢八景の見える、この丘が好きだったんだな。
御廟所で三浦按針公に、小生に神社仏閣や日本文化と史跡、日本の歴史偉人と神様に成られた先人達、そしてコープランドさんや按針公の様に日本の歴史に名を残し、発展に関与して下さった外国人の皆さん、それらの顕彰を通じて世の中の人に、昔の人々への感謝と日本文化の美しさと神社や御寺や城址の果たして来た役割を再度認識させる役割を担わせて頂ける様に、お力添えをお願いして来た。
それと、もし可能ならば日本文化や日本の風景が大好きで気の合う奥さんとも将来巡り合い、按針公の様に夫婦寄り添える人生を歩める様に縁結びも御願いし、最後に世界人種問わず親日家の人々が安寧に過ごせる様に平和の願いも伝えて来た。
御参りを終えて、御廟所の在る丘の直ぐ隣もう一つの丘に登って風景を見る事にして、有る事に気が付いた。
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実は塚山公園も神奈川の景勝50選の一つだった。
過去に小生が数か所紹介しているが、昨年末だと鎌倉の浄土宗大本山天照山光明寺裏山と周辺から見る由比ヶ浜の風景。

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それと葉山の長者ヶ崎の風景。
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それと油壷湾、油壷マリンパークの一帯は鎌倉~戦国時代の新井城址で、その風景も50選に入っている。
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横須賀市の神武寺~鷹取山の石切り場の奇岩群と大石仏。DSC_3029
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まぁ、こんな感じで全部合わせて50ヵ所も有るので挙げていると切りが無い。
親切な解説ホームページを作成して下さってる方がいるので、参考にすると良いかと思います。
http://heiwa-ga-ichiban.jp/kanagawa50/index.html
これ↑ね。
さて、話を塚山公園に戻し、安針公の御廟所とは違う展望台的な方の丘からの眺望を紹介したい。
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う~ん、こちらからの風景も綺麗だ!
桜越しに三浦半島の横須賀地域が見渡せる。
反対に目をやると・・・
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田浦梅林の山が見える。
田浦梅林については御興味の有る方はコレ→ をどうぞ。
綺麗な風景を見て満足したので、先程の屋台で焼きそばを購入して昼食にした。
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サービスで超大盛りにしてくれた(笑)。
いっつも年配の人に優しくして貰えるのは小生のキャラクターなんだろうか(笑)?
味は普通に美味しい屋台の焼きそば(笑)。
オバちゃん、御馳走様!美味しかったよ!普通に美味しいとか言ってゴメン(笑)。
食べ終わり、もう少し公園内を散策して見た。
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翌々見ると軍艦が見える。米国艦船かな?
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うん、塚山公園、良い場所だ!
また桜の季節に三浦按針公と奥方に会いに来よう。
公園から離れた場所に止めた車に戻る為、又、来たマンションの通りを抜ける。
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ベビーカーを押して花見に行く途中?の若夫婦。
幸せそうだが、実はパパさん、登り坂で結構辛そうだった(笑)。
でも羨ましいぞ!お幸せに♪
車にのり20分とちょと移動。
最終目的地の平安~鎌倉時代の三浦家の居城、横須賀市大矢部の衣笠城址に到着。
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衣笠城址、以前も紹介したのだが、旧城域に大善寺と言う御寺が在る。
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行基大僧正が開いた本は真言宗系の御寺で、分家の佐原三浦家が戦国時代の三浦家宗家と成り曹洞宗に帰依していたからか、現在は曹洞宗寺院に成っている。
そもそもは、三浦家の学問所としても機能していた学問の寺院でもある。
この御寺の副住職様に御話が有り訪問したのと、衣笠城址で最期を遂げた三浦義明公に御挨拶する為に城址の御稲荷様に3年振りに参拝する為の訪問だった。
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大善寺周辺には曲輪跡と思われる地形が沢山残っている。住宅や畑も昔の曲輪群だろう。
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御寺を訪問した際に、副住職様は若様の要件で外出中だったので、奥様に要件を御伝言頂く事にした。
前回同様、とても丁寧に応対して下さり感謝。
そして本堂で尊敬する三浦義継公と三浦義明公を始め、三浦義澄公等いつも個人的に御祈りを捧げている三浦家の尊敬する方々に御挨拶をして、御本尊様にも御参りした。
用事も済んだので、大善寺さんの裏手に在る城址残存部を久々に訪問、桜が有るので楽しみだった。
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江戸時代の城しか知らない人には城に見えない場所だけど、城好きが見ると尾根の自然地形を利用して裾切り下切岸や土塁の跡の盛り上がりなんかが見て取れる。

まぁ、興味の有る人は以前の記事↑を読んで頂けると要害性の有る地形が判ると思う。
ブログ始めたばかりの初期の記事で情報量も少ないが。
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上の写真、岩が物見の岩と伝わる場所を人工的に掘り切った反対側に当たる。
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物見岩に登ると御稲荷様の祠が在り、義明公の歌った詩が有る。
物見岩付近からは合子や経文が出土している。ここが小生の尊敬する偉人の一人である三浦義明公最後の場所だと、小生は推測している。
ここは見晴らしが良いので、戦時には指揮を執る場所だったと思う。
そして、そこを今では御稲荷様が城址に来る来客を出迎える様に待っていて下さる訳だ。
御稲荷様にいつも行く先々で御会いして旅の無事を守って下さっている御礼と、前回の参拝からの事等、色々御報告差し上げた。
御稲荷様、又、桜の頃に御参りに来ます。
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衣笠城址はまだ、桜は部分的にしか見頃では無かった。
知人から衣笠山公園の桜林は見頃だよ、と言われていたので其方(そちら)にも行くつもりだったが時間的に日没近い頃に成っていたので、この日は諦める事にした。
そうすれば、又、来年以降も衣笠山公園の桜を見るついでに義明公達と御稲荷様に会いに来る理由が出来るしね♪

ふむ。
良い休日を過ごせた。
帰り、車が赤信号で停車した所、面白い植木の有る家を見つけた。
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遊び心満載だなオイ(笑)!
きっとユーモラスな御主人なのだろう。家族思いのパパさんなのかもね~。

うん、色んな人の人生を辿りながら、綺麗な風景も見れて満足満足。

鎌倉の権五郎御霊神社の新任宮司様への挨拶と、間宮家顕彰文内での御霊神社の紹介文の執筆許可を頂いて来た帰り道。
雲一つ無い快晴、夕陽が綺麗なので「チャンス」と思い鎌倉材木座海岸の住吉城址に夕焼けに浮かぶ富士山と江ノ島の写真を又、撮影に来た。
・・・由比ヶ浜の夕日の写真の中でここ数年間の最高の1枚を撮影出来た。
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海岸に遊ぶ地元女子高生が写真を撮影していたので二人のカメラで写してあげた所、小生の写真のモデルにも成ってくれたので、女の子二人の後姿を前に由比ヶ浜の海と夕陽と富士山を撮影させて貰った。

二人の仲の良さが伝わるかな?
鎌倉の魅力、伝わるかな?
皆に伝わると良いな~♪
実は、この風景の直ぐ近く、住吉城址の在る浄土宗大本山の天照山光明寺の守護神の天照大神を祀る天照山から見た由比ヶ浜の景色は神奈川の景勝50選に選ばれている。
二人の写ってない風景も・・・CIMG2395
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ここ2ヶ月間、鎌倉市中央図書館に毎週文献読みに来る度に、富士山と江ノ島と由比ヶ浜の海と夕陽の1枚に収まる写真を撮り続け、この場所を知ってから約3年、会心の1枚と成った。
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名前聞くの忘れたけど、モデルに成ってくれた元気な二人、ありがとうね!

2016年秋の横浜市中区の三渓園は今が今週(12月第1週~7日位までか?)が紅葉の見頃です。
過去にも解説記事を書いていますので、下に表示される“タグ”の中から“三渓園”をクリックして頂くと昔の記事を見て頂けます。

今回は2016年11月30日に撮影して来た三渓園の写真だけ列挙して置きます。
皆さん、是非、御散歩に出かけてみては如何でしょうか?
【はじめに】
横浜三渓園は、幕末~明治時代に活躍した横浜商人、原家(原財閥の当主)の私邸でした。
原財閥は現在の世界遺産である富岡製糸場、横浜銀行、ニューグランドホテル等の有名企業を運営し、生糸の輸出等を手掛けていた財閥です。
明治時代当時は明治政府唯一の失政、神仏分離令や一村一社政策と廃城令によって日本全国の神社仏閣が荒廃したり廃社や廃寺や御城の建築遺産がが風呂屋に買い取られ薪(まき)にされ、風呂釜の竃(かまど)の中で燃やされ世の中から消えてい行きました。
原財閥の当主達は、その広大な私邸、三渓園に当時、明治政府の宗教政策の失敗によって荒廃した神社仏閣を多く買取り邸内に移築させ保護しました。
近代において文化財保護の概念を理解していた稀有な一族だった訳です。
原三渓の代には住居でありながら市民に公園として自宅庭園を公開した事が三渓園の由来です。
原財閥は関東大震災で横浜市が壊滅した際に、私財を投じて市の復興を成し遂げた(横浜市の復興は国では無く原財閥の献身的自己犠牲による処が大きかった)義商の財閥でした。現代において、その様な商人は日本には皆無と言って良く、現代人にとっても手本とすべき人間像、企業像、商魂と言えます。
これは商人文化の先進地域、近江商人の理念や、日本の海運を支えていた淡路商人の高田谷嘉兵衛さんにも通づるところが有ります。

【以下建物と風景の紹介】
●大池と、旧燈明寺三重塔
燈明寺三重塔は室町時代後期1457年の建築。京都府木津川市の廃寺灯明寺から、大正時代に原財閥によって保護され1914年に三渓園に移築。
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●大池横の椿
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●旧西方寺の御門(山門)の横道の紅葉
西方寺山門は江戸時代中期1708年頃の建築。
西方寺は京都市東山区の寺院。廃仏棄釈で荒廃した際に原家が山門を引き取り移築、保護した。この道の右手に西方寺の山門と、その奥に白雲邸が在る。
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2016年11月30日現在はまだ紅葉は5分色付きと言う所、12月中旬頃まで楽しめそうだ。
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●臨春閣と紅葉
臨春閣は江戸時代初期1649年の建築。
元は紀州徳川家が和歌山県の紀ノ川の河畔に建設した別邸だった。廃藩置県による紀州藩解体による荒廃の危機から原家が買い取り三渓園に移築保護した。元は紀州徳川家の殿様が紀ノ川沿い春の景色を楽しむ場所だったが、三渓園では秋の紅葉の映(は)える場所に成っている。
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●旧天瑞寺寿塔の覆殿(おおいでん)の横の紅葉と臨春閣
天瑞寺寿塔の覆殿は安土桃山時代1591年建築。
天瑞寺は京都市北区に在る臨済宗の大寺院、大徳寺の塔頭寺院。寿塔と覆殿は豊臣秀吉が母の長寿祈願に建設奉納した建物。
明治時代1905年に移築保護。
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下は臨春閣の前から見た天瑞寺寿塔覆殿と横の紅葉。
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●月華殿の下、臨春閣横の橋と紅葉。
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●旧伏見城内御殿、月華殿の前の紅葉。
安土桃山時代後期~江戸時代の変遷期1603年に伏見城内に建築された御殿。
月華殿は徳川期の伏見城内に建築されていた建物で、将軍(徳川家康公や徳川秀忠公)が京都に滞在する際に諸大名に謁見する座敷だった。
大正時代1918年に移築保護。
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月華殿周辺の紅葉以外の広葉樹は枯れてしまったが、紅葉はこれからが見頃。
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●旧廃寺、心平寺 天授院(地蔵堂)
臨済宗南禅寺別格本山鎌倉五山の第一位、北鎌倉建長寺の塔頭寺院、旧心平寺廃寺の地蔵堂で江戸時代初期1651年の建築。
鎌倉五山の寺院は、鎌倉幕府以来、歴代住職の任命権は征夷大将軍のみだった格式を持つ。
現在では心平寺は遺址としてだけ名が残る。
大正時代1616年に移築保護。
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まだまだ、ここの紅葉は楽しめそう。
●旧二条城 聴秋閣
京都市中央区に在る、二条城の御殿の一部だった建築遺産で江戸時代初期1623年の建築。
二条城は徳川将軍家が京都での天皇家への拝謁や将軍宣下等、公式行事の際に滞在する場所として造営された城郭。現在も保存状態が良いものの、徳川幕府解体時に荒廃の危機に在った建築遺産群の内、聴秋閣を原財閥が引き取り保護した。
大正時代1922年の移築保護。
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名の通り秋に映える建物で、この時期だけ背後の丘の林道が通行可能に成る。
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●聴秋閣側の紅葉越しに見た亭榭(ていしゃ)の橋と、旧灯明寺三重塔。
亭榭の建築年代は不詳ながらも、建築様式を見るに安土桃山時代後期~江戸時代初期と思われる。
亭榭の榭(しゃ)は訓読みで榭(ウテナ)と読み、見晴らしの為の台や橋の上に建てられた東屋(あずまや)を指す。
2階建て以上の物を望楼や楼閣と中国語では呼称した。
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●蓮華院横の大銀杏(いちょう)と紅葉。
蓮華院は原三渓設計した茶室で大正時代1917の建築。
この日は幼い子と新米ママさんがイチョウの葉で戯れており、微笑ましい風景写真と成った。
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●大池横の鯖猫ちゃん。
三渓園は猫さんが沢山いて、皆人慣れしていてモフらせてくれるサービス精神旺盛な子達が多い。
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三渓園にはこの他にも沢山の建築遺産が保護されています。
小生の御勧めの場所は白川郷から移築された旧豪農の茅葺屋根の家です。
秋の写真じゃないですが、一応掲載しておきます。
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ここは中に入る事が出来て、当時の豪農達が一族で集団生活をしていた様子が解ります。
午後15時までに行くと、囲炉裏(いろり)に火が入っていて、現代では焚火をする機会の無い子供達にも、煙の良い香りを嗅がせてあげる事も出来たりします。
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この他に鎌倉の尼寺で縁切寺としても有名だった松岡山東慶寺の旧仏殿も在ります。
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東慶寺は昨年2015年公開された映画❝駆け込み女と駆け出し男❞の舞台にも成った場所ですね。
駆け込み女と駆け出し男

  ↑
以前映画と東慶寺の紹介で書いた記事です。御興味ある方は御覧下さい。




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今日は朝、少しだけ寝て家を出た。
最初に訪れたのは称名寺…
と、昔は同じ金沢北条家の敷地内に建てられた武家初の図書館だった金沢文庫。
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今では金沢文庫博物館と名を替え県営と成っている。
現在、金沢文庫は泥亀新田開発者の永島家の特別展示を行っている。この永島家の邸宅は伊藤博文公が大日本帝国憲法草案を起草した場所の一つ、野島の伊藤邸近くに在った。
昭和後期、小生が子供の頃まで永島家の敷地と立派な門が文化財として保護されていたが横浜市教育委員会が保護を怠り破壊され宅地化されてしまった。
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金沢文庫が県営に成ったのには色々な経緯(いきさつ)が有るが、明治時代に領主や幕府達に寄進されていた寺領が没収されてしまい、米穀の収入があった寺領や社領を接収されたので、神社仏閣の僧侶や神職達は収入源が無くなったせいで墓地の経営や冠婚葬祭なんて商売を行わなければいけなくなった。
つまり明治政府の宗教政策の失敗によって神社仏閣の多くは哲学や学問や文化を学ぶ場所としての機能を停止せざるを得ない状況に陥らされた。
更に封建社会での御寺は公共施設だったのに対して明治時代は住職の個人資産、世襲制に成ってしまった事で称名寺も当時の❝住職の資産❞に成ってしまった。
これが金沢文庫の不幸の始まりで、当時の住職は仏僧にもあるまじき堕落をし水商売の女に狂って日本国民にとって❝東の正倉院❞の異名で呼ばれた称名寺の寺宝を私有財産の様に売り払い、水女に使い込んでしまった。
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それを保護すべく称名寺の檀家や宗派真言宗の認知の下で、寺宝管理を神奈川県営の金沢文庫博物館に寄託する形で、日本国民にとって有益な研究対象文化財として世間に多くの寺宝が日の目を見て日本のみならず
東アジアの文化史解明に役に立ったと有名に成った程の場所…
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…なのだけれど、歴史に興味が無い人達には認識されておらず知名度が低い。江戸時代までは真言宗内では称名寺は凄まじい知名度の庭園と壇林としての機能を有して居た。
称名寺=金沢北条氏邸宅の谷戸と文庫の谷戸を繋いでいた鎌倉時代から使われていた隧道も現存する。
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まぁ、現在の黒岩知事と県の教育委員会が金沢文庫の文化財保護の為の老朽化した空調交換に予算を回さなかったせいで、称名寺の重要文化財は昨年カビに腐食されてしまってニュースに取り上げられ事件に成った事も有った。
文化財保護と言うのは知事や市町の文化度が低いと、この様に直ぐに被害をうける。
これが城址や神社仏閣の古址と成ると、あくどい市長は発掘調査もせず重要性を隠匿したまま土建屋に宅地開発容認してしまう。
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今、宅地開発されてる横浜市港南区笹下4丁目は、笹下城址の主要部分の一角だった。
現在、本丸直下の切岸と空堀後は❝傾きマンションで有名な三井不動産レジデンシャル❞に破壊されて家が建設される最中だ。

さて、閉館16時半金沢文庫を後にして何だか休日に1ヵ所しか廻らないのは不完全燃焼…
「歴史成分」「自然が足りない」
…てな訳で、ここから車でそう遠く無い神奈川の景勝50選に選ばれている鷹取山に廿数年ぶりに登ってみようと思い立ち移動した。鷹取山の写真は全く無かったから。
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なんだか久しぶりの鷹取山は本来の登山道とは別のアスファルトの広い歩道が整備されてしまい自然環境が破壊されていた。
まぁ、その分、ちゃんと紫陽花が植えられて遊歩道として綺麗ではあった…
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小生は現在の遊歩道を嫌って、紫陽花の切れ目から子供の頃に歩いた古道を見つけてソッチから登山する事にした。
因(ちな)みに、普通のアスファルトの遊歩道を歩けば鷹取山公園の入口から展望台の有る岩場まで10分足らず、遊歩道をそれて古道に入ると危険極まりない(笑)風化した鎌倉石と自然を満喫する道なので展望台まで30分以上かかる。
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嘆かわしい事に、来なかった二十数年の間、岸壁に掘られた石仏群を何の心算か勝手に彩色して文化財破壊する輩がいたような。
犯人捕まえて刑務所ブチ込んで欲しいレベル。こんな事したら原状回復は不可能。
そんな悲しい発見も有ったが…
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こんな場所が緑の中、随所にあり不思議な空間に成っている。
マイナスイオンも感じる様な気がする…
途中、この古い登山道は本当に険しく、落ちたら死ぬ所ばかり(笑)。DSC_3023
それでも、この本来の道を通る価値は有る。

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頂上の広場は、まるでカッパドキアの様な異世界の風景。
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でも、この岩場の壁面に沢山穴が開いてるでしょう?
これ、先日も文化財破壊で問題に成った団塊~バブル世代の無文化ロッククライマー達が私欲の為に鉄杭を打ち込んで破壊した傷後です。
現在は根本的にロッククライミング禁止なのに、無許可で登ってるクソがいました。
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装備を置いて岩の上にいるようだ。
そんな憤りもあるが、この日は久しぶりに拝みたかった大石仏の弥勒菩薩様に会いに来たので…
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久しぶりに御会いできて嬉しかった。
そして、この鷹取山や神武寺付近は小生が尊敬する戦国時代、関東最高の軍師の太田道灌公も鷹狩に訪れた伝承があり、鎌倉時代には源実朝公も来訪されたそうだ。
ここの存在を思い出したのは先月、葉山に宿泊した際に訪れた逗子市郷土資料館の学芸員さんの話で、鷹取山の話が出て来たから。

ふむ、古道を歩いた御蔭で汗もかき、何とか休日らしい充実感を味わえて良かった。








三浦半島の西側は何処も絶景で…
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生憎の雨天でも、三浦半島の山々の向こうには相模湾に浮かぶ江ノ島が見える。
晴天だと江ノ島の奥に箱根山系がハッキリと見え、更にその奥に富士山が聳え、夕刻には山並みが朱に染まる。
この風景と土地の特性が逗子~葉山~油壷が明治~昭和初期に別荘地として繁栄した理由。
この眺望は勿論素晴しい。
しかし土地は水田に向かないので畑ばかり。
富士山由来の関東ローム層故(ゆえ)に水田に適さなかった土地に根差した畑文化による豊富な種類の地野菜、そして三浦半島特有の江戸湾と相模湾両方の海産物を堪能出来る保養地としての地勢的な有利に由(よ)る。
簡単に言えば…綺麗な風景と夕日を見ながら、豊富な種類の海の幸山の幸を堪能出来る訳だ。

さて…
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2016年06月05日、土曜日の朝は大正~昭和時代の雰囲気の家族経営旅館、大海荘で宿泊している部屋から始まった。
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…と言うか、いつもは飲まない御酒も飲んで休日の習性で前日徹夜していたままTBSふしぎ発見を見終わった直後に寝落ち、夜中の3時頃に起きてからずっと朝までPCで書き物してた。無論、リラックスは出来た。

朝食が朝7時~と言う事で早速食べに行った。
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久しぶりにまともな朝食を食べた。ランチや夜は美味しい物散々食べてるのにね。
焼き魚食べれて嬉しかったなぁ~。
その後、8時~朝風呂入浴出来るとの事で、表の長者ヶ崎の砂浜を散歩する事にした。
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もっと干潮だと小さい長者ヶ崎の岬の先端まで歩いていけるのだけどね~。
❝神奈川の景勝50選❞の一つだけあり、長者ヶ崎の眺望は良い。
因(ちな)みにコチラ側、落石注意立入禁止の看板が有るので、こちら側から行きたい人は先にFacebookとかTwitterに「落石事故に遭っても自己責任です」と投稿して下さい。
この先に行く事は無く宿に戻り、朝風呂の時間に成ったのでラドン温泉に朝から入浴。
良い小旅行に成りました。満足。
…大海荘の御主人と奥さん、ありがとう。
土曜日も休みにしてあったので、天気が良ければ長谷寺に紫陽花を見に行ってから、昨年の映画❝駆け込み女と駆け出し男❞で登場した佐助稲荷神社、それと義祖母が良く行っていた銭新井弁天に御参りする心算だったのだけども…雨天。
三浦方面に行き、大好きな石井農園(夏季は西瓜直売・秋季はミカン狩り)の直売所に看板娘の御婆ちゃんに会いに行き、石井農園の菖蒲園を見学しようかと思ったが、こちらも雨には合わないスケジュールなので、葉山近辺を散策する事にした。
逗子葉山訪問先
実際に廻った場所↑の地図。
●森戸神社…源頼朝公勧進の三島大社の御分霊を祀る神社と源頼朝公の別邸古址。
●鐙摺城址の一部、旗立山…葉山マリーナの前に在った源頼朝公の与力中最大勢力の三浦家の支城。
●日影茶屋…築100年以上の商家を改装したレストラン・和菓子屋・Bar
●逗子市郷土資料館…明治時代の旧徳川家別荘を転用した文豪:徳富蘆花と逗子市の考古学の博物館。
●住吉城址と正覚寺と住吉神社…戦国大名佐原三浦家の支城、城址を貫く古東海道の史跡。
●由比若宮(元鶴岡八幡宮)…鶴岡八幡宮が源頼朝公によって鶴岡に遷宮されるまで在った場所、鶴岡八幡宮の元宮。
長者ヶ崎~車を走らせて10分足らず、最初の訪問先は森戸神社。
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ここは源頼朝公が伊豆時代から信奉する三島大社の御分霊を勧進し造営した由緒ある神社で、鎌倉武士にとって重要な神社。だから流鏑馬(やぶさめ)奉納の神事も行われる。
詳しい事は何(いず)れ森戸神社の解説記事で説明する心算。
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ここは西と北が海に面していて眺望も良いのだが、背後西側の海に浮かぶ島を名島と言う。
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鳥居が立っている岩礁が名島。
今は磯だが昔は島だった。
そして名島と森戸神社の海岸の間に続く岩礁も昔は半島状の陸地で、なんと其処(そこ)には源頼朝公の別邸が在った。
頼朝公は鎌倉周辺、こと三浦半島が御好きだった様で色んな景勝地に別邸を持ってらっしゃった。
鮪で有名な三崎漁港にも春の御所を持っていた。その場所は本瑞寺や光念寺の丘。
森戸海岸の頼朝公別邸は海に沈んだ。
神職の方の解説では「海面が上がったから」との事だったが、それは歴史と整合しない。
三浦半島の地盤は関東大震災でも50cm隆起している。
つまり、この付近のプレートは盛り上がるベクトルの地盤な訳だ。
この地盤は下の方が堅い岩盤、上は海底に在った時代に砂だった鎌倉石と言う現代では採掘禁止の重要な石材に成る砂岩や、干潟の泥が固まった泥岩の地盤で出来ている。
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近くの秋谷にも❝立石と言う神奈川の景勝50選の一つ❞があるが、その秋谷には小生の推測を証明する地名も残っている。…❝大崩れ❞と言う地名だ。
表層の砂岩と泥岩の地層が波に洗われて崖の下部が浸食され、やがて上の地盤を支えられなく成り崩落する訳だ。
この付近の地層が柔らかい層と地底深くから盛り上がった堅い岩盤で構成されているから、結果的に島は波に浸食されて残るのは岩礁だけに成る訳だ。
頼朝公の別邸の在った陸地も実際は❝砂岩や泥岩の地盤だから浪に浸食されて消えた❞と言うのが正しい所だろう。
なんせ実際に三浦半島は地震の度に隆起するのだから。
何にせよ、頼朝公と三浦家の武士団所縁の神社を御参り出来て良かった。

御参りしたら「そう言えば近くに鐙摺城が在ったな」と日本城郭体系で読んだのを思い出し、まだ行った事が無かったので訪問する事に…
目標物は葉山マリーナだ。
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この港を押さえる城が、葉山マリーナ背後の鐙摺山に築かれた鐙摺城だったのだが、源頼朝公の石橋山の合戦時、ここに籠城した三浦義澄公が攻め寄せた畠山重忠公の平家軍を釘付けにして三浦家本城の衣笠城で一族が防衛体制を立て直す時間をかせいだ。
その時に源氏側の味方の志気を揚(あ)げる為に白幡を立てたと言われるのが、鐙摺城の出丸と考えられる旗立山だ。
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当時は海に突き出した断崖絶壁、味方に三浦の軍功だと知らしめる旗を立て、立て籠もるには十分な要害性が有るが規模は小さい。あくまで背後の鐙摺城の出城。
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鐙摺城の出丸の旗立山への登城は、築100年以上、歴史300年以上の和食・和菓子・BARの店の日影茶屋が目印。
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日影茶屋と道路を挟んで正面の駐車場に旗立山の入口階段が有る。
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鎌倉石の丘…雨でコケと砂岩が相まってメッチャ歩き難いし落ちたら死ぬ!
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本当に規模は小さいけれど、ここには城址として以外の史跡がある。
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伊東祐親公の供養塔だ。
伊豆の伊東を治めた伊東祐親公は源頼朝公と対立したのだが、子孫は良く頼朝公に仕えて日向国(宮崎県)の大名に成った。江戸時代にも飫肥藩の小大名として御子孫が存続した。
…実は内の母方は親類は伊東家の家老の子孫に養子を出していて、小生は疎遠だが母の世代はまだ交流が盛んな様だ。無論、今は皆して中の上下彷徨うくらいの庶民(笑)。
ここでウチの母方が御世話に成った伊東家の御先祖様に御参り出来て良かった。

しかし…
出発し結局、本能の赴くままに車を走らせたら、いつもの休みみたいに城跡・神社仏閣・古民家巡りに成っって。
…今にして思えば、これなら雨でも紫陽花庭園や菖蒲園の方が楽だろうに(笑)!

旗立山を下りて、日影茶屋の和菓子部門へ…
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倉を改装して営業している。
凄く雰囲気が良い。
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何故なら…
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この和菓子を展示しているスペース、夜に成るとカウンターに成り、BARとして営業しているから少し薄暗く大人な良い雰囲気なんだな。
ここで御土産に大福を購入した。

それから車停めた葉山マリーナ周辺を少し散歩。
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やはり昭和初期~金持ちの集まるヨットハーバーとして有名なだけあって、御洒落(おしゃれ)っぽい喫茶店やレストランが多いね…
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どこも御客さんいっぱいで繁盛していたよ。
小生の宿泊した大海荘から車で10分前後の距離だから、夕食はこちらに来てとっても良いかも知れない。
まぁ、大海荘の場合は相談するとBBQも出来るから、海らしい事は長者ヶ崎の方が出来るか。

旗立山の登り口の横には海寶寺と言う小さい御寺が在った…
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海寶寺と日影茶屋の間の道は❝切り通し❞なので、そこが古道なのだろう。ここを抜けて走水方面へ山を越えて行ったはず。
ここを打ち超えて、葉山町役場の辺りを通過して❝下山口❞の地名が残る辺りをを通過し❝上山口❞に至り、恐らくは三浦家の本拠地の衣笠城址へ辿り着いたはずだ。
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江戸時代も街道だった証拠に庚申塔が御寺の境内に移されて残っていた。
浄土真宗の御寺らしいけれど、規模に見合わない石仏群の多さから古い時代には真言宗の御寺だったんじゃないだろうか?多分、浄土真宗に成る以前にも御寺として存在したはず。
この辺は小生が古道と推測するルート沿いに御寺が多い。
そして、この道が古東海道に繋がっている。
古東海道 国土交通省から画像拝借 久良岐のよし
画像資料作るの面倒なので国土交通省関東地方整備局の画像を拝借すると一目瞭然。
昔の東海道は日本武尊と弟橘姫が仮御所を置いた走水神社の目の前~海路、房総半島の君津・袖ケ浦へ抜けて行く。
そして海寶寺の横には明治時代までは海寶寺サンが別当寺として管理されたいたと思われる須賀神社が有るが、これが正に古道の証拠。
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須賀神社の須賀と言うのは律令制度成立以前の神話の時代の地方名で、素戔嗚尊と此花咲耶姫命の御夫妻が開拓された国名で、とどのつまり素戔嗚尊様は海の神様であり、その後に走水神社の奥宮にも祀られている通り日本武尊も海神として崇拝した神様。
走水神社の奥宮には諏訪社・神明社も有る。ここら辺は以前の記事にも書いたので興味の有る人はカテゴリー「神社(延喜式式内社と歴史千年以上の古社)から「走水神社」の記事を見つけて読むと解説してある。
話を戻すと、旗立山や背後の鐙摺山の南側の平地は古代❝葉山湾❞だった。
昔の海岸線
なので、この切通しを通り抜け山沿いに下山口・上山口の地名が残る現在では名前無くなった峠道を通り抜け走水に抜けたはずだ。
この道は略(ほぼ)県道27号線なんじゃないかと小生は推測している。そして県道27号から、日本武尊が武蔵国橘樹郡~久良岐郡方面を抜けて~走水に至った道近くを辿(たど)る国道16号線に合流し、走水から房総半島に渡ったのだろう。
葉山マリーナは昭和以来の新しい観光スポットだが、実は目の前に山城跡が在ったり古道が存在したり、存外歴史が有るのを地元の人も今では知らない。
…ま、神奈川は基本移住者だらけだから。

さて、葉山を後にして、次は逗子市郷土資料館を目指した…

逗子が古代は海の底だった鎌倉市市街地よりも早く開けた土地で、逗子の山々の山頂からは巨大古墳が幾つも出土しているのだが、その相模湾側の風景は現在も美しい。
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今回の休日雑記冒頭で掲載したこの写真は逗子市からの眺望だ。
この風景と豊かな海産物農産物と浜辺が有る事から、明治時代の政治家や大富豪達がこぞって、この逗子に別荘を建てた。
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そして今回訪問した逗子市郷土資料館はなんと❝徳川家の宗家の大正~昭和時代の別荘❞だったのだ。。
逗子が葉山よりも有名な一大別荘地だった歴史を示す建物が資料館として転用されているのだ。
つまり、資料館時代が古民家で、重要文化財な訳だ。
ただし、駐車場が近くに無いので近所のレッドロブスターの有料駐車場に停めるしかない。
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う~ん、横浜市中区根岸の義祖母の家を思い出す…
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建物は素晴らしい保存状態。
ここは逗子を舞台にした不如帰(ほととぎす)を出版した文豪:徳富蘆花の関連展示物と、大正時代の徳川家に関する解説が多く興味の有る人にはたまらない場所だ。
職員さんは二人常駐していたが、とても親切に解説して下さった。
親切過ぎて約2時間、職員サンの解説を聞き込んでしまった…
気が付いたら「ヤベ!駐車場代金スゲぇ~事に成ってるんじゃね?」
…とビビッて、そこからは職員さんの苦手な時代の戦国時代に話をスリ替えて質問しまくり、上手く退散した(笑)。
しかし、ここの男性職員の方は話も御上手で近代史と地理は御詳しく、明治時代の話や太平洋戦争中の話し、徳富蘇峰と徳富蘆花兄弟の確執の話や徳川家の話を色々と解説して頂けて面白かった。
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因みに上の写真の離れが❝徳川家達(いえさと)❞青年が住んだ建物。
職員さんの解説だと話は濁しておられたが、どうも石原慎太郎氏の小説❝太陽の季節❞の映画版で石原裕次郎氏が演じた主人公の❝津川竜哉❞のモデルは、この徳川家達青年なんじゃないかと匂わせておられたが、実際に小生もそう感じた。
まぁ、逗子に住んだ石原慎太郎氏なので、地元の人物をモデルにした可能性は実際高いと思う。

この逗子市郷土資料館や徳川家と徳富蘆花の話は、又、別に独立記事として仕立てようと思う。

さて、駐車場代金がやはり高く成っていたので、昼食もまだだった事もあり、レッドロブスターで駐車料金無料にする為に遅い昼食をとる事にした…
この時点で15時前後か?
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すんごい久しぶりのレッドロブスター。
チェーン店を毛嫌いする様に成ってから10年近く来てなかった。
わざわざ逗子に来てまで食べる物か?と思ったけれど1480円のジャンバラヤのランチは普通に悪く無かった。

もう急がないと日も傾き始めるので、この日のメインディッシュだった住吉城址の丘に移動…
道に迷いながらレッドロブスターから車で30分位かかっただろうか?
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城址の一角だったのが正覚寺と海前寺だ。
ここは戦国時代の三浦家の大名三浦道寸公の武将で御実弟の三浦道香公が守将として配置されていた。
道寸公が伊勢原市の岡崎城で北条早雲公に敗れ主家扇谷上杉家の大庭城も陥落し、この住吉城へ逃れて来たがやがて、油壷マリンパークに在った新井城に撤退し日本最長の籠城期間4年を戦い抜いた後に滅亡した。
北条早雲公が攻略に10年を要した岡崎城についてはカテゴリー「城址」に解説記事を以前書いた。

実はこの正覚寺と海前寺は、古東海道の史跡と考えられていて山を貫く古道で近年まで繋がっていた。
しかも貴重な隧道(すいどう=トンネル)の古道だ。
そこには正覚寺の本堂の横から、参拝出来る住吉神社に行くと洞窟が見える。
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住吉神社も、古くから海の往来に関係の有る大伴氏や佐伯氏と言う古代の豪族が信仰した神社なので、縁起の定かでは無いこの住吉神社は古代から存続している古社だと小生は推測する。
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このトンネルは住吉神社側から入る事が出来るが…
反対側が封鎖されている。
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ここはそもそも逗子市民が通う大切な道だった!
しかも古道史跡で城址だ!
しかし名名高い❝東急グループ❞の❝東急リバブル❞が❝住吉城址と古東海道の史跡を破壊してシーサイドコート逗子望洋邸と言うマンションを建設してしまった。
現在進行形で隣の鎌倉市でも、ココより小規模な北鎌倉駅近くの古道の隧道の保護で土建屋と結託し隧道破壊を目論む市長が議会と報道からヤリ玉に挙げられ責任追及されているのにだ!
逗子市教育委員会、何やってんだ?仕事しろ!
この東急グループは横浜市でも自然公園の貴重な蛍の生息地でありながら、奈良時代からの❝蹈鞴(たたら)製鉄遺跡❞が出土し❝灌漑水田史跡❞や鎌倉武士の往来した❝鎌倉早駆けの道❞と言う歴史史跡・古道史跡・横浜最後の豊かな自然が残る円海山と瀬上池周辺を破壊し宅地化ようとしている。
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この水道は最近まで利用されていただけあり保存状態も良い。
鎌倉の釈迦堂切通しと並んで重要な史跡として認定されてもおかしくない。
…これ、石原慎太郎サンに陳情したら面白い事に成りどうだな。
生活道路の使用として裁判起こしたらシーダイドコートで分断された道、逗子市民が使用する権利認められるぞ多分。
住吉城も今後、解説記事を独立させて書いて行こうと思う。

ここの写真撮影後、本来は長谷寺で紫陽花を見る心算だったが時間も無いので鎌倉の佐助稲荷神社に参拝するつもりで車に乗り出発した。途中、ふと有る事を思い出した…
「そう言えば元鶴岡八幡宮(由比若宮)の写真、撮影した事無かったな」
…と言う事で、目的地に行く前に途中、鶴岡八幡宮の由比若宮に移動。
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鶴がヵ八幡宮は実は元々現在の場所では無く、源頼朝公の御先祖に当たる源頼義公が材木座に建てたのが始まりで、現在もその場所には由比若宮と言う形で本来の八幡様が存在している。
解説はカテゴリー「神社」の中から探してもらうと、そこに元鶴岡八幡宮に関する記事を以前書いて有る。
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ここが重要な場所なのは、境内に軍神と鎌倉武士達から崇拝された八幡太郎こと源義家公所縁(ゆかり)の物も存在する事から、歴史好きは直ぐに解ると思う。
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源義家公が源氏の白幡を立てた松。
恐らく、ここは白幡神社の総本社としても呼べるんじゃないだろうか?
源家の与力武将達は、皆それぞれの領地に八幡社を勧進しているが、その地名には白幡の名が残る場所が多い。そして、そこは大体が河川や海の港湾の近くだ。

参拝を終え、佐助稲荷神社に向かおうと亀ヶ谷方面にから佐助稲荷に抜ける鎌倉市街の御成地区に移動したが、佐助稲荷周辺の長谷地区東部が通行規制で車が入れず断念した。
大船へ抜けて横浜へ帰る途中、渋滞で停車中に面白い風景が撮れた。
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渋滞で停車中の車の上に、湘南モノレール。
世界でも珍しい釣り下げ式。
これ、大型特殊車両はこの道通れないよね。

1泊2日の鎌倉~逗子~葉山旅行、2日目は結局普通の休日の行動に成ってしまったけれど、葉山町の長者ヶ崎海岸に宿泊しユックリ出来たし、明月院の菖蒲園も綺麗だったし、元鶴岡八幡宮も御参りして写真も撮れたし良い小旅行だったと思う。

以上。

自宅のある横浜を出発したのは午前11時頃…
北鎌倉までは車で1時間とかからないで到着する。
渋滞に捲き込まれてやっと60分程度、普段なら40分くらいだろうか?

小生の仕事は連休が無い。
世間がゴールデンウィークも仕事した分、本来、6月1日には休暇を使って一週間ぶっ通しで京都~愛知に行ってるはずだった。
京都の阿弥陀寺様に、昨年の間宮家の顕彰活動で訪問した際に追善供養に参加する様に御声がけ頂いていたからだ…
めちゃくちゃ贅沢してやる心算で半年超かけて30万円旅費を積み立てていた。
移動にタクシー借り切って、食事は全て有名な料亭や西洋料理のレストランを予約して食べるつもりだった(笑)。
…しかし、熊本大地震が発災。
京都行の旅費は全て熊本に送ってしまった。

でも、せっかく休むつもりだったのをキャンセルして何もしないのも癪(しゃく)に障(さわ)る。
けど、今月の小遣いは京都に行くいは足りない…
「そうだ!鎌倉に行こう(2週間に一回は来てる)‼」と、成った訳だが、断念した旅行を諦めたくない。
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で、こうなった。
「車で一瞬で帰宅できる距離だけど、宿泊しちゃえば良いんジャネ?」
…てな感じで三浦半島に宿泊中。
1週間ブっ通しの休暇をキャンセルして日曜日1日だけ休暇にし1泊2日の連休。

長者ヶ崎の砂浜に面しロケーション最高の家族経営の旅館「大海荘」。
今は持ち込んだPC叩いてる訳だ。
結局、京都に行かなかった分、❝作家ゴッコ❞みたいな(笑)プチ贅沢な土曜日を
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ここは海辺まで徒歩30歩(笑)と近い。
そして、この長者ヶ崎は❝神奈川の景勝50選❞の一つだ。当然風景は綺麗。
朝食だけの素泊まりで6,500円。家族経営なので規模は小さいが部屋は清潔。
でも天然ラドン温泉。風呂トイレは昭和初期の旅館らしく共用。
車で10~15分程度の近所には以前も記事で紹介した秋谷海岸の地魚地野菜のイタリアン「DON」や、佐島マリーナの海に張り出したウッドデッキの最高のロケーションで食事出来る「海辺」なんてレストランも有る。
だから、ちょっと三浦半島のドライブ兼ねて、もの凄く美味しい料理店でランチをとる事も出来る。
素泊まりにすれば逗子マリーナや葉山マリーナの御洒落なレストランで食事も出来る訳だ。
夕食付にすると8000円。
事前に相談すれば、旅館の庭先では天候に関係なく屋根の下でBBQも出来る。
夕食をBBQに変えるのも家族連れやカップルには良いかも知れないが…
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小生は一人旅なので、和食を頂いた。
葉山だけあって御刺身と魚の天ぷら美味しかった。
サーファーや夏休みの子供連れ家族の海水浴や鎌倉旅行兼ねた旅には丁度良いだろう。
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雰囲気は外観がオシャレな海の家、中は典型的な大正~昭和の日本旅館。
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小さい家族経営の旅館らしく、ロビーもこんな感じ。
江戸時代の旅籠もこんな規模が多かった。坂本龍馬サンの定宿の寺田屋とか近江屋とかね。
小生が箱根で良く宿泊する温泉も、家族経営だが築100年の小さい旅館だったりする。
小生はホテルより日本旅館が好きなので、プチ旅行でシティホテル泊まるよりも風景の綺麗な葉山は長者ヶ崎のこの旅館が好きだ。
本当、帰ろうと思ったら、横浜横須賀道路で30分チョイ(笑)。でも近くに宿泊するチョットした贅沢に満足(笑)。

本当に車移動なら海水浴や鎌倉旅行にロケーション良いからオススメしたいんだよね。
この旅館の部分は別記事でもう少し追記して紹介しようと思う。

こっから6月4日の訪問地域。
昨日は珍しく余り多くの場所を訪問しなかった。
行ったのは北鎌倉と宿泊地の海岸だけ…
●明月院…紫陽花の名所。
●鎌倉五山(と言う飯茶屋)。
●長寿寺…足利尊氏公の菩提寺。
●亀ヶ谷の切通…鎌倉七口(昔の鎌倉の出入り口は7ヵ所の切通ししか無かった)の一つ。
●建長寺…臨済宗の大本山、歴史の授業でも習う鎌倉五山の第一位の禅宗寺院で道場。
●半蔵坊…建長寺の守護神として裏山に鎮座する塔頭とは異なる修験道の神社。天狗様。

横浜を出て35分位だろうか?無事北鎌倉駅近くに到着し車を駐車。
先ず訪れたのが第一の目的地だった紫陽花の名所、明月院。
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昨日は6~7分咲き。
ここは紫陽花が綺麗なだけでなく、鎌倉武士文化中興の祖とも言える北条時頼公の菩提寺でもある。
又、中の草庵で御抹茶と和菓子を頂く事も出来る。
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当然、紫陽花は6分咲きでも綺麗だった。
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明月院は初めてではないのに、今まで裏の庭園(拝観料500円別途)に足を運んだ事が無かった。
警備院サンに質問したら菖蒲が見頃との事で、これも良い機会と思い足を運んでみたら…
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…これが予想外の美しさ!なんで今まで来なかったのか!
そして発見も有った…
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なんか菖蒲庭園の奥に❝通せん棒❞されている場所があり、その更に奥の右側には不自然なツタに覆われた路盤と思しき地形が見えた。古道の跡に見えたので、御寺の園芸部の職員さんや寺事務所の方に質問した所やはり、このツタに覆われた場所は古道の跡で、ここは表通りを通らず此(こ)の道を通って直接、臨済宗大本山の建長寺サンや円覚寺サン行ける昔の古道だそうだ。
今では、御寺同士の関係性は本山末寺の関係よりも現代の法律による土地の所有権等の事で各自境界が明確に成っているので封鎖されているそうだ。
ここを通れば山の尾根伝いに、関東の臨済宗の大本山の建長寺や円覚寺に行ける訳だ。
裏庭だけでなく、通常の順路も紫陽花以外に躑躅(つつじ)が綺麗だった。
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海の向こうに紅葉した山々を表現したような枯山水なのかな?
ところで、不敬無礼無秩序な輩が竹林に落書きをしていたので晒して置こうと思う。
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久保寺誠、松本、この両名の身の上にに釈迦牟尼仏と北条時頼公の仏罰と祟りが降りて以後、悪事を行えなく成ります様に。
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ちゃんと御寺サン書いてるでしょう?

明月院を出てから表通り(鎌倉街道)に移動する途中の風景…DSC_2055
少し趣が京都の哲学の道に似てるかな?水路沿いに在る邸宅は全て石橋が掛かっている。
この地域は山ノ内と呼ばれる場所で、その名の通り、関東管領山内(やまのうち)上杉家の邸宅がこの谷戸の奥には在った。つまり、この道を山内上杉家の歴代殿様や配下武将達が行き交(か)っていた訳で、恐らく上杉謙信も関東管領就任の前後は、この辺りに宿泊したんだろうか。
因(ちな)みに玉縄城の目と鼻の先なので、仮に宿泊したなら危険が伴い防備を怠れなかったはず。
明月院を出て鎌倉街道に復帰するとすぐに鎌倉五山と言う茶屋が有って…
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北鎌倉名物の建長寺汁(けんちんじる)を食べる事が出来る。
けんちん汁は、建長寺発祥の料理なんだな。
御寺の精進料理なので、本来のケンチン汁には肉魚は一切入っていない。
ベジタリアン歓喜の料理。素朴で小生は好き。でも魚食べたい。
美味しく頂きました。

その後は臨済宗大本山建長寺へ…
行こうと思って歩いていたら、普段は一般参拝不可の長寿寺サンが特別公開を行っていた!
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ここは室町幕府初代征夷大将軍の足利尊氏公の関東における菩提寺で、寺の開基(かいき=オーナー)は尊氏公の御子息で鎌倉公方の足利基氏公と言う、由緒正しい格の高い御寺サン。
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庭園も見事だったが、御住職様と御話しさせて頂く機会があり、有意義な時間を過ごせた。
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秋に奉拝出来たらきっと庭の紅葉が綺麗な枯山水の御庭。
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尊氏公は南朝の後醍醐天皇とは政権運営で対立したが、明朝の文化と日本の武士文化を融合した華美と質実を領有した室町文化の礎を築いた偉人である。尊敬すべき先人だ。

ここを出るとすぐの所に鎌倉七口の切通しの一つが在る…
亀ヶ谷(かめがやつ)坂の切通し。
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この切通の先には河内源氏の幼き日の源頼朝公や源義朝公が住んだ源氏の邸宅跡寿福禅寺が在る。
現代は少し広く開削さえているが、当時は人が2人程度しか横に並んで歩けない幅に、騎馬武者が侵入困難な程に急角度で屈曲させた喰い違い虎口(こぐち)が全ての切通しに設けられていて鎌倉市街防衛の要だった。
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事実、新田義貞は鎌倉の切通しを突破できず、一年に数回の大干潮を待って稲村ケ崎の海中に露出した磯から侵入してやっと鎌倉を攻略できた。

ここを歩いていたら、鎌倉文化らしい路地の壁面に掘られた地蔵菩薩様がいらっしゃったので、鎌倉を旅する人達と地域の方々の安全と御地蔵様御自身が末永く存続する様に御祈り申し上げて来た。
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御地蔵様の周りの壁面の形状を見るに、元々は矢倉に掘られていたのが、矢倉部分が崩壊して露出したのだと推察出来る。

そして、いよいよ臨済宗鎌倉五山第一位の建長寺へ…
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ここは桁違いの規模を現在でも維持していて、だいぶん減少したものの塔頭寺院もいくつか現存している。
又、明治時代以前の神仏習合の文化も維持していて、境内の奥院と言う場所には神仏習合山岳信仰の象徴である天狗様を祀る半蔵坊と言う寺の名前の神社が有る。
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総門をくぐると・・・
更に中には立派な門。

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京都の大寺院の南禅寺よりも大きい門。
南禅寺は立派な御堂が現存しているから甲乙つけがたい。
規模は京都の同じ臨済宗の大徳寺にも勝るとも劣らないが、鎌倉は度々戦火に捲き込まれているので大徳寺の方が塔頭寺院は多く現存している。
詳しい事は、いずれ建長寺様だけの記事を改めて書くとして、見所としては徳川秀忠公の奉献された金ピカの唐門なんかも有る。
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奥のやつね。

半蔵坊へ移動。
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半蔵坊は建長寺オリジナル御朱印帳を持つ人だけが入れる。
参道は少し歩く。
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正に神仏を共に大切にされた歴代天皇と武士達の価値観を大切に受け継がれいる証拠。
御寺の守護神として神社がある。
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そして山岳信仰の天狗様。
こちらからは、晴れていると相模湾が一望出来る。
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生憎の曇天で相模湾と曇り空が一体化してしまった(笑)。

その後、建長寺様の参拝を終えて、昨晩から宿泊している葉山の海辺に在る「大海荘」さんへ移動。

で、記事冒頭の長者ヶ崎に戻る。
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昨日は曇天だが、なんとか富士山が見えた。
良い一日でした。

さぁ、チェックアウトだ…
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久しぶりに食べた朝ごはんも美味しかった!
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長者ヶ崎も朝から散歩出来て、朝風呂にラドン温泉にも入れたし満足!
さてさて…もうすぐチェックアウトの時間。

今日は何をしようかな?
生憎雨天、鎌倉の紫陽花は満開の来週に長谷寺を再訪するとして…
…三浦も雨では佐島マリーナの「海辺」と言うレストランに行こうと思ったが、それも変更。
やはり鎌倉に行くか!
う~ん、三崎漁港に行こうか?作兵衛の菖蒲園も見頃だろうし。

そんな休日雑記でした。


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